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第1章
1973年~世界の平和や人々の繁栄を願った活動
ライブラリー
1904年~商売の基礎を学んだ丁稚奉公時代
第7章
1918年~松下電気器具製作所(後のパナソニック)設立
学びの杜創業の家 第2章
第3章
第4章
第5章 1951年~世界を学び、日本を先進国へ世界に向けて踏み出す
1937年~戦争の影響による厳しい時代
1932年~企業の存在意義や果たすべき役割を知る
1961年~不況の時代を切り拓く
第6章
パナソニックの創業者 松下幸之助は、和歌山で生まれました。幸之助が小学4年生のとき、父の仕事がうまくいかなくなり、学校をやめてひとり大阪で働くことになりました。幸之助はどうすれば世の中のみんなが幸せになることができるかを考え、いくつもの困難を乗り越え、パナソニックを世界的企業に成長させたのです。松下幸之助の94年の生涯を通じて「行き方・考え方」を学んでください。
松下幸之助は( )自転車商会で商売の基本を学びました。
松下幸之助が大阪電燈を退職し、松下電気器具製作所を創業したのは( )年です。
1932年 社員に対して、進むべき道を示す。電化製品を水道の水のように安くたくさん供給して人々を幸せにすることを真の使命とした( )哲学そして、使命を達成するために25年を1節とし、これを10節繰り返す( )年計画を発表
太平洋戦争で大きな打撃を受け、従業員も26,000人から4,400人まで減りました。しかし、終戦の翌日(1945年8月)には社員を集めて、生産の再開を表明しました。
年 月 日 学校名( ) 学年( ) 名前( )
1951年、松下幸之助は、( )を訪問したことがきっかけで世界的な視野で物事をとらえるようになりました。
1965年 国際競争に打ち勝つため、設備の改善やオートメーションを進めるとともに、仕事の能率を上げるために日本の企業として初の週( )日制を導入しました。「1日教養、1日休養」のスローガンのもとに従業員の意欲と能率向上に貢献しました。
1980年日本の未来を担う若い人材を育成するために私財を投じて( )塾を設立しました。
第5章第4章
第3章
第2章 第1章
第6章
第7章
ライブラリー
創業の家
学びの杜松下幸之助の生涯で参考になったところをまとめてみましょう
松下幸之助を知ろう