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55 55 について現状を調査し,その変化の実態を分析するとと もに,変化に関わる諸要因やそれらの問題点について考 察することを目的としている。これまでは主としてパキ スタン北部地域のゴジャール(Gojal )地区を事例とし て,そこに暮らす人々の生活様式が,自動車道の開通や NGO による開発の進展に伴って変化してきた実態と, そうした現状が抱える問題点について報告してきた(落 合; 1999200020012003,落合・水嶋; 2004)。ゴジャー ル地区では,商品作物としてのジャガイモの拡大と観光 地化の進展が著しく,それらが住民の消費経済を拡大さ せることで,さらなる開発と生活の変化に拍車をかけて 1 はじめに ワヒ(Wakhi )は,アフガニスタンの北東部にあるワ ハーン(Wakhan)をその起源の地とする山岳少数民族 であり,現在はこの地を含め,パキスタン(北部地域), 中国(シンチャンウイグル自治区),タジキスタン(南部) という,パミール高原を取りまく 4 つの国々に居住し ている。いずれの地域の住民もワヒ語を母語としてお り,イスラム教の同じ宗派を信仰し,牧畜と灌漑農業を 基盤に生活するなど,現在にいたるまで共通の文化を保 持している。本研究は,こうしたワヒの人々の生活様式 落 合 康 浩 In this paper, the actual situation of Wakhi people living in three areas as Gojal, Ishkoman and Taxkurgan located in Pamir are compared for considering the differences of factors and problems on lifestyle and developments. In case of Gojal Northern Areas of Pakistan, commercialization of the agriculture by the expansion of the potato and development of tourisms are remarkable. The lifestyle of the villagers has been shifted to consumption economy, because of the gaining a lot of income. This situation of Passu owing to the advantageous conditions such as easy access from Cen- tral Pakistan and others by Karakoram Highway which is the trunk road going through the village, abundant in tourist attractions of mountains, and progress of development assistances by the NGOs. In case of Ishkoman, the village deviates from the trunk roads in Northern Areas of Pakistan, and is insufficient for infrastructures. Therefore introduction and expansion of the salable farm product is difficult in the agriculture, and a form of the traditional agriculture that the cultivation of the self-sufficient crops still play key roles stays conspicuously now. In addition, as industries except agriculture are undeveloped, there are few opportunities for jobs to gain cash income in the village. Nowadays, when the influence of the consumption economy has been increased, the inconvenience in the lifestyle is also increasing. In case of Taxkurgan China, There is little possibility of tourism and administration of voluntary organi- zation, because of the conditions of politics and the economy are different from Northern areas of Pakistan, although the villages are located along the trunk road. In other words, as Gojal area is blessed with dominant conditions, and as the conditions attract people's attention, development of this area is able to progress more. However, it is filled with the crisis for the loss of tradition in the local lifestyle therefore careful correspondence is demanded from new development. Keywords : The Pamir, Wakhi, Lifestyle, Regional differences パミール高原周辺に暮らすワヒの生活様式にみられる地域的差異 The Regional Differences in Lifestyle on Villagers of Wakhi Living around the Pamir Yasuhiro OCHIAI Received September 30, 2007Department of Geography, College of Humanities and Sciences, Nihon University: 3 25 40 Sakurajosui Setagaya ku, Tokyo, 156 8550 Japan 日本大学文理学部地理学教室: 156 8550 東京都世田谷区桜上水3 25 40 日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要 No.432008pp.55 65

パミール高原周辺に暮らすワヒの生活様式にみられる地域的 …...落 合 康 浩 ()56 56 いる実態が浮き彫りにされた。ただし,このゴジャール

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Page 1: パミール高原周辺に暮らすワヒの生活様式にみられる地域的 …...落 合 康 浩 ()56 56 いる実態が浮き彫りにされた。ただし,このゴジャール

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について現状を調査し,その変化の実態を分析するとと

もに,変化に関わる諸要因やそれらの問題点について考

察することを目的としている。これまでは主としてパキ

スタン北部地域のゴジャール(Gojal)地区を事例とし

て,そこに暮らす人々の生活様式が,自動車道の開通や

NGOによる開発の進展に伴って変化してきた実態と,

そうした現状が抱える問題点について報告してきた(落

合;1999,2000,2001,2003,落合・水嶋;2004)。ゴジャー

ル地区では,商品作物としてのジャガイモの拡大と観光

地化の進展が著しく,それらが住民の消費経済を拡大さ

せることで,さらなる開発と生活の変化に拍車をかけて

1 はじめに

ワヒ(Wakhi)は,アフガニスタンの北東部にあるワ

ハーン(Wakhan)をその起源の地とする山岳少数民族

であり,現在はこの地を含め,パキスタン(北部地域),

中国(シンチャンウイグル自治区),タジキスタン(南部)

という,パミール高原を取りまく 4つの国々に居住し

ている。いずれの地域の住民もワヒ語を母語としてお

り,イスラム教の同じ宗派を信仰し,牧畜と灌漑農業を

基盤に生活するなど,現在にいたるまで共通の文化を保

持している。本研究は,こうしたワヒの人々の生活様式

落 合 康 浩

In this paper, the actual situation of Wakhi people living in three areas as Gojal, Ishkoman and Taxkurgan located in

Pamir are compared for considering the differences of factors and problems on lifestyle and developments.

In case of Gojal Northern Areas of Pakistan, commercialization of the agriculture by the expansion of the potato and

development of tourisms are remarkable. The lifestyle of the villagers has been shifted to consumption economy, because

of the gaining a lot of income. This situation of Passu owing to the advantageous conditions such as easy access from Cen-

tral Pakistan and others by Karakoram Highway which is the trunk road going through the village, abundant in tourist

attractions of mountains, and progress of development assistances by the NGOs.

In case of Ishkoman, the village deviates from the trunk roads in Northern Areas of Pakistan, and is insufficient for

infrastructures. Therefore introduction and expansion of the salable farm product is difficult in the agriculture, and a form

of the traditional agriculture that the cultivation of the self-sufficient crops still play key roles stays conspicuously now. In

addition, as industries except agriculture are undeveloped, there are few opportunities for jobs to gain cash income in the

village. Nowadays, when the influence of the consumption economy has been increased, the inconvenience in the lifestyle

is also increasing. In case of Taxkurgan China, There is little possibility of tourism and administration of voluntary organi-

zation, because of the conditions of politics and the economy are different from Northern areas of Pakistan, although the

villages are located along the trunk road.

In other words, as Gojal area is blessed with dominant conditions, and as the conditions attract people's attention,

development of this area is able to progress more. However, it is filled with the crisis for the loss of tradition in the local

lifestyle therefore careful correspondence is demanded from new development.

Keywords : The Pamir, Wakhi, Lifestyle, Regional differences

パミール高原周辺に暮らすワヒの生活様式にみられる地域的差異

The Regional Differences in Lifestyle on Villagers of Wakhi Living around the Pamir

Yasuhiro OCHIAI

(Received September 30, 2007)

Department of Geography, College of Humanities and Sciences, Nihon

University: 3-25-40 Sakurajosui Setagaya-ku, Tokyo, 156-8550 Japan

日本大学文理学部地理学教室 :

〒156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40

日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要

No.43(2008)pp.55-65

Page 2: パミール高原周辺に暮らすワヒの生活様式にみられる地域的 …...落 合 康 浩 ()56 56 いる実態が浮き彫りにされた。ただし,このゴジャール

落 合 康 浩

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いる実態が浮き彫りにされた。ただし,このゴジャール

地区は,カラコラムハイウェイ(KKH)という交通の大

動脈の沿線に位置し,しかも観光資源にも恵まれた地域

のため,生活の変化の実態もそうした地域的な要因が大

きく作用する,いわば特異なケースだともいえる。ワヒ

の人々が暮らす各々の国は,政治体制や経済発展の度合

いが異なっており,それらの地域に国境を隔てて暮らす

中で,それぞれの住民の生活様式には様々な差異が生じ

ていると考えられる。またこうした差異は,たとえ同一

の国内にあっても,暮らす地域の環境が異なれば,当然

生じうるものでもある。したがって,異なる環境におか

れたワヒの居住地域を取り上げ,それぞれの生活様式の

実態を調査,比較することは,それらの差異に関わる地

域的な要因や各々の問題点をより明確にする意味がある

と考えられる。

そこで本稿は,同じパキスタン北部地域の中にありな

がらゴジャール地区とは異なる条件下にあるイシュコマ

ン(Ishkoman)地区や,国境を越えた中国側に居住する

ワヒの人々の生活実態についても取り上げ,ゴジャール

地区の人々の生活実態と比較・分析することで,変化の

特異性やそこに生じる問題点,課題について整理・考察

する。

2 ワヒの人々の伝統的な生活様式

ワヒは,前述の通りアフガニスタンのワハーンに起こ

り,周辺に居住地域を拡大してきたといわれる。した

がって,現在は異なる国,地域に居住していても,伝統

的な生活・文化の根底には大きく共通する部分がある。

たとえば言語は,アクセントや一部の語彙に方言程度の

差はあるものの,共通のワヒ語を母語としている。この

ワヒ語は,インド・ヨーロッパ語族のイラン語群に属し,

ペルシャ語やタジク語に近い言語である。ただし元来は

表記する文字を持たなかったため,民族の系譜や各村々

の歴史については伝承によるところが大きく,詳細につ

いては不明な点も多いようである。

また,信仰する宗教,宗派も共通している。彼らが信

仰するのは,イスラム教イスマイーリー派のホージャ派

であり,イマーム(宗教指導者)としてアガ・ハーン(Aga

Khan;現在は 4世で1957から在位)を仰いでいる。ワ

ヒの暮らす各々の村にはこの宗派に特有の宗教施設,

ジャマート・ハーナー(jamaat khana)があり,礼拝を

行う場として,また村人たちの集会所として機能してい

る。イスマイーリーは,朝夕二回礼拝すればよく,断食

の義務もないほか,女性は顔を隠さずに人前に出るな

ど,イスラム教の中では戒律が比較的緩やかである。な

お,この宗派を信仰する人々にはカラーチなどパキスタ

ンの都市部に暮らす商業者が多く,経済界に力を持つ富

裕層もいる(子島2002)。したがって,アガ・ハーンの

もとに集まる資金は莫大で,これに基づき設立された財

団が,開発の支援を行うNGOを組織している。後述す

るAKRSPやAKESはパキスタン北部地域で活躍するこ

れらNGOの 1つである。

ワヒの人々に共通する伝統的な生活様式は,麦・豆類

を栽培する灌漑農業と牧畜に依拠している。たとえば

1980年代末のパキスタン北部地域シムシャール村にお

ける土地利用は,従来ながらの農業形態によるもので

あったと考えられ,農地の大半は自給用の小麦,大麦お

よびエンドウによって占められていた(水嶋1990)。ま

た,家屋の周辺や傾斜地などには,アンズやリンゴなど

の果樹や建材に用いられるポプラが植えられていた。そ

して,こうした農地や樹林地は,村の背後にある氷河の

融氷水や付近の湧水を水路によって導くことで灌漑され

てきたのである。

牧畜は羊や山羊,ヤクを飼育するもので,典型的な移

牧の形態をとっている。同じくパキスタン北部地域のパ

スー村を例にとれば,羊・山羊は,冬季の10月中旬か

ら 4月中旬までは本村や近くの開拓地周辺で飼育し,そ

れ以外の期間は標高3000mを超える高所へと移動させ,

季節に応じて標高の違ういくつかの牧草地を段階的に利

用しながら放牧している(落合1999)。ただし暑さを嫌

うヤクは,通常,標高の高い地域でのみ放牧することに

なる。家畜からの搾乳と,その乳を利用したギー(バ

ター)やクルト(チーズの一種)の製造は,主として女

性が担ってきたことも,ワヒに特有の文化である。こう

した農業と移牧とによる自給的な生活は,ワヒの人々が

古来,受け継いできた伝統的な生活様式ということが出

来よう。しかしながら,こうしたワヒの生活様式は,少

なくともゴジャール地区の村々において,大きく変化し

てきていることは確かである。それには,幹線道路の開

通,NGOによる地域開発の推進といった外発的な要因

が大きく作用しており,一方で自然景観などの豊かな地

域資源を利用して開発を進める地域住民の積極的な姿勢

も影響している。しかしながらこれらは多分にゴジャー

ル地区における特殊な事情でもあり,同じワヒ居住地域

でも他の地域では,自ずと異なる状況がみられるはずで

ある。そこで次に,ワヒの居住地域として条件の異なる

三地域,すなわちパキスタン北部地域にあるゴジャール

地区とイシュコマン地区,ならびに中国のシンチャンウ

イグル自治区タシクルガン周辺地域とを例に挙げ,各々

の地域の実情について整理してみたい。

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パミール高原周辺に暮らすワヒの生活様式にみられる地域的差異

3 ゴジャール,イシュコマン,タシクルガンの概要

3-1 パキスタン北部地域ゴジャール地区

パキスタン国内におけるワヒの居住地域は,同国北部

地域の中でも最も北にあり,東側のゴジャール地区と西

側のイシュコマン地区とに分かれている(図 1)。現在

の国境を除外すれば,アフガニスタンのワハーンとそれ

ぞれの地区は連続した一つの地域とみなすことも可能で

あるが,今日,山岳部の峠を越えて両地区を直接連絡す

る自動車道は存在せず,相互の往来には遠く南を迂回し

ギルギットを経なければならないため,両地区は事実上

分断されている。

ゴジャール地区は,一般的にはフンザ(Hunza)地方

のうちの上部フンザといわれる地区のことであり,フン

ザ川上流部のカラコラム山脈からパミール高原へと続く

一帯を占めている。実際にこの地区は1974年まではカ

リマバードを中心とするフンザ王国の一部であった。た

だし民族からみるとフンザ地方がブルショー(Burusho)

中心となるのに対し,シシュカット村以北の上部フンザ

は,住民の大半がワヒであることから,とくにフンザと

区別する意味でゴジャールと呼称される。ゴジャール地

区には,フンザ川およびその支流の谷沿いに大小26の

村がある。この地区の全人口は約17,000人(2005年)で,

一部にブルショーの居住する村もあるが,地区全体の 8

割程度はワヒ語を話す人々である。

パスー村は,そうしたゴジャール地区の中央よりやや

南に位置し,標高約2500mにある,世帯数112,人口

872人(2006年)の村である(写真 1)。中心集落(本村)

は,パスー氷河末端からの流れがフンザ川との合流地点

に形成した扇状地上にあり,集落内をKKHが通る。こ

のKKHは,1978年にイスラマバードと中国のカシュガ

ルとを結ぶ道路として完工し,旅客交通や物流の要とし

て機能している。基本的には舗装された道路で普通車両

が通行可能であり,パスーからギルギットまでの約

160kmは 4時間程度で移動することができる。1986年

以降はパキスタン・中国以外の人々にも開放されてお

り,公共交通機関も通るため,外国人旅行者の往来も多

い。

パスー村には,1987年以来,隣村にある発電所から電

力が供給されており,安定的ではないものの原則的には

図 1 パキスタン北部地域の概略図Figure 1 Northern Areas of Pakistan

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落 合 康 浩

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年間を通じて電気の利用が可能である。また水道は

1992年に敷設されて以来,各戸でその利用が可能であ

り,2004年には電話が通じるなど,日常生活に関わるイ

ンフラの整備は進んでいる。

パスー村の背後にはいくつもの7000m峰がそびえ 1),

それらから流れ下るパスー氷河やバツーラ氷河が村に近

接している。バツーラ氷河の左岸側斜面には,パスー村

の放牧地(夏村)が点在し,村は希有の美しさを誇る山

岳景観に囲まれている。また,この村は,同じく雄大な

景観美を誇るシムシャール(Shimshal)渓谷への入口に

もあたる。したがってこの村は,2006年現在,7軒の宿

泊施設が営業する観光拠点となっている 2)。

パスー村はこれまでにも報告してきたとおり,ジャガ

イモ栽培面積の割合が圧倒的に高く,本村に限ってみれ

ば,耕地の 8割程度を占めるに至っている。ジャガイモ

は1980年代後半に高品質の品種が導入されて以降拡大

してきた作物で,自給にも供されるが,基本的に商品作

物として栽培されており,重要な現金収入源となってい

る。

3-2 パキスタン北部地域イシュコマン地区

イシュコマン地区は,ギルギットからギルギット川を

西にさかのぼり,さらにその支流であるイシュコマン川

の谷に入った地域を指しており,周囲にはヒンドゥーク

シュ山脈の高峰群がそびえている。この一帯も,1972年

まではパキスタン国内の小王国であった。地区内にはシ

ナーやコーなど他の民族も居住するが,ワヒの人々は,

イシュコマン川の支流カランバー(Karambar)川の流域

に点在する 8つの村々に居住している。

そうした村の 1つであるビルハンツ(Bilhantz)は,

イシュコマン地区のワヒ居住地域の中では,ほぼ中央部

に位置する,世帯数155,人口1,337人(2003年)の村で

ある(写真 2)。中心集落は,カランバー川左岸の段丘上,

標高約2500mにあり,一段低い川沿いには他の村とを

結ぶ道路が通じ,沿道には数軒の店舗や学校などが立地

している。この道路は,ギルギット川沿いの主要道から

分岐してイシュコマン川沿いに北上するルートの一部で

あり,1976年に開通している。しかしながら主要道との

分岐点に近い南部の一部を除いて未舗装部分が多く,と

りわけカランバー川に沿った部分は,ジープやトラク

ターを除く普通車両の通行が困難な状態にある。そのた

め,ビルハンツ~ギルギット間はおよそ130kmの道の

りながら,ジープを利用しても約 5 ~ 6時間を要し,

アクセスは悪い。また,この道路は村の北側十数kmの

地点で途切れるため,村付近では地域住民以外の往来は

きわめて限られたものになっている。

ビルハンツ村は,1998年以来イシュコマンの中心部に

ある発電所から電力が供給されるようになり,原則的に

は年間を通じて電気の利用が可能である。しかしながら

2004年の時点では上水道が敷設されておらず,灌漑用

水と同じ氷河からの融氷水や湧水地からの表流水が上水

にも利用されている。また氷河からの水が枯渇する冬季

には,カランバー川の水を汲んで利用することもある。

このように,基本的なインフラが未整備であることか

ら,村人は日常の生活に大きな不便を感じている。また,

前述のように道路は未舗装で補修も十分でない悪路のた

めに,他地区とを結ぶバス,ワゴンなどの定期的な公共

交通もない。したがって他村やギルギットなどへの移動

には,村人が所有する 3台のジープと 1台のトラクター

が公共交通の役割を代替している。

イシュコマン周辺にはヒンドゥークシュの高峰や氷河

といった美しい景観もあるが,それらは必ずしもビルハ

写真2 イシュコマン地区ビルハンツ村

Photo 2 Bilhanz Village in Ishkoman

写真1 ゴジャール地区パスー村

Photo 1 Passu Village in Gojal

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パミール高原周辺に暮らすワヒの生活様式にみられる地域的差異

ロコシがビルハンツ村に導入された経緯は不明ながら,

ギルギット周辺などでも広く栽培されており,それほど

新しいことではないと考えられる。いずれにしてもビル

ハンツ村をはじめイシュコマン地区ではトウモロコシが

主要な自給作物として定着している。このほか数種の豆

類が比較的よくみうけられるが,ジャガイモの栽培はゴ

ジャール地区ほど多くはなく,豆類と同じ程度の面積に

とどまっている(写真 2)。ビルハンツ村へのアクセス

道は悪く大型トラックは村にまで至ることが出来ない。

ジャガイモを出荷するにも,トラックが通行可能な地点

まで村人の手で搬送する必要がある。そのため,KKH

が通るゴジャール地区のように,ジャガイモが大きな面

積を占めるまでには至っていないのだと考えられる。

3-3 中国シンチャンウイグル自治区タシクルガン周辺

中国におけるワヒの居住地域は,シンチャンウイグル

自治区タシクルガンタジク自治県のなかでもパキスタン

やアフガニスタンの国境に近い一帯である(図 2)。こ

ンツ村に近接しておらず,外部から村へのアクセスも悪

いために,旅行者や観光客が村を訪れることはない。し

たがって村内には来訪者が利用できるような宿泊施設も

存在しない 3)。また,村には道路沿いに数軒の店舗が立

地するが,基本的には村人の日用品を扱っているにすぎ

ない。すなわち,ビルハンツ村は,商業や観光業などの

サービス業が未発達の段階にある。

ビルハンツ村では灌漑用水の水源となるビルハンツ氷

河の規模が小さく,村からの距離も遠いため 4),別に湧

水からも水路を引いて利用している。伝統的に栽培され

る自給的な農作物の割合が大半を占めており,麦類の栽

培面積が大きいのに加えて,トウモロコシの栽培が目

立っている。正確な数値は把握できていないが,概観す

る限りでは,麦類とトウモロコシの面積比はほぼ同程度

であり,合わせると 6割程度の耕地がこれらに利用さ

れている。麦類は製粉したうえでチャパティなどの日常

の食料となるが,聞き取りによると,トウモロコシもほ

ぼ同様な方法で自給用として消費されるという。トウモ

図 2 中国シンチャンウイグル自治区タシクルガンタジク自治県とパキスタン北部地域Figure 2 Taxkurgan-Tajik Autonomous Prefecture of China and the Northern Areas of Pakistan

Page 6: パミール高原周辺に暮らすワヒの生活様式にみられる地域的 …...落 合 康 浩 ()56 56 いる実態が浮き彫りにされた。ただし,このゴジャール

落 合 康 浩

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の自治県にはタジク,ウイグル,漢族,キルギスなどが

暮らしているが,それらに混じってワヒの人々は西側の

ダブダール郷,タシクルガン郷,タガルミー郷などにあ

る集落に居住している。この地域における中心地はタシ

クルガンで,KKH沿いにある中国側の出入国管理事務

所の所在地となっている。

KKHは中国側では「中巴友誼(公)路」と呼ばれる。

中国とパキスタンとを結ぶ唯一の自動車道であり,中国

側の物資がパキスタンへと運ばれるトラック輸送の重要

なルートとなっている。パキスタン側のルートも中国側

の支援によって整備されたが,2006年現在,中国側の

ルートはさらに拡幅と再舗装が進み,以前にも増して自

動車の通行がスムーズになっている。このKKHは,パ

キスタンから国境のフンジェラーブ峠(4700m)を越え

て中国側に入ると,それまでの急峻な登りの坂道が一変

し,パミール高原のなだらかな傾斜を緩やかに下ってい

くが,この付近一帯は中国ワヒの夏の放牧地として利用

されている地域である(写真 3,4)。やがて,高度が下

がるにつれてダブダールなどにはワヒの集落がみられ,

タシクルガンを越えた先のタガルミーにもワヒの住む集

落がみられる。

タガルミー郷はタシクルガンから北へ約30kmの距離

にあり,5つほどの集落からなっている。ここにもワヒ

の人々が居住し,灌漑農業と牧畜とによって暮らしてい

る(写真 5)。農業的土地利用の中心は,伝統的に作られ

てきた小麦,大麦,エンドウであり,野菜やジャガイモ

は少ない。これらの農作物は,基本的に自給用である。

なお,村内にはポプラや柳などの木はあるが,標高が

3000mを越える地域のため,果樹はあまりみられず,少

なくとも,販売を目的として作られることはないようで

ある。農地の灌漑には,基本的に村の北東にそびえるム

ズターグ・アタ(7546m)から流れ下る氷河の融氷水を利

用しているが,春先の流量の少ない時期には,村の西側

にある湧水を灌漑にも利用している。飼育する家畜は山

羊,羊とヤクが中心で,パキスタンの事例と同様である。

村には1994年に電気が,2002年には湧水を利用した

水道が敷設されており,KKHの状態とあわせて,比較

的インフラの整備は良い状況にある。また,人々の着衣

は,男女ともに基本的にはいわゆる洋服が一般的であ

る。パキスタン北部地域の人々にシャリワール・カミー

ズ(パキスタンの伝統的な装束)を身につけている人が

多いのとは対照的であるが,この点にも,国家が異なる

ことによる影響の違いが見られる(写真 6,7)。また村

人の中には,農牧業以外の職業に就いている例も多く,

タシクルガンに住むワヒには,医師や役所勤務を専らに

する者もいる。

写真5 タガルミー郷の農耕地

Photo 5 Farmland in Tagarmi

写真3 カラコラムハイウェイ(KKH)(パキスタン北部地域)

Photo 3 Karakoram Highway in Northern Areas of Pakistan

写真4 中巴友誼公路(KKH)(中国タシクルガンタジク自治

県)

Photo 4 Karakoram Highway in Taxkurgan-Tajik Autonomous

Prefecture of Chaina

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パミール高原周辺に暮らすワヒの生活様式にみられる地域的差異

出来る。北部地域の多くの村にはAga Khan財団の

AKES(Aga Khan Education Service)が設置するDJ学校

があり,英語教育の実践や充実した教員の研修制度など

によって,質の高い教育の普及に寄与してきた。Alkhas-

row Organizationは,村内にあるこのDJ学校に資金提供

することで,学校運営に関与している。そのため学費は

比較的安く抑えられ,村の児童が通い易いようにするこ

とで,高水準の教育のさらなる普及を目指している。

2004年現在,この学校に通学する児童数は61名となっ

ている。なお,村にはこのほかに公立の学校もあり,学

費がさらに安いため,現実にはそちらに通う児童の方が

多い。ただ,両校を合わせた就学者数は,村に居住する

学齢児童数の 8割程度である。すなわち,2割程度の児

童は学費など教育経費の負担が難しいため就学出来ない

のが現状である。そうした点からも,ビルハンツ村が経

済的にあまり豊かでない事情がうかがえる。パスー村の

場合,村内にあるのはDJ学校ただ 1校で,その学費は

ビルハンツ村の 3倍にもなるが 6),就学率はほぼ100%

となっていて,ビルハンツ村とは対照的である。

パスー村には現在,開発を推進する代表機関として

PDO(Passu Development Organization)が機能してい

る。1999年に設立されたPDOは,村内17の組織や役職 7)

を傘下に置き,それらを統轄するものである。この機関

の代表者会議は,村の合議により選出された会長および

副会長の 2名と,村内の 6つのFamilyグループそれぞ

れを代表する 6名,あわせて 8名のメンバーによって

構成されており,各メンバーの任期は 3年となっている。

この機関の主たる業務は,政府もしくはNGOとの交渉

によって開発支援のための資金を調達し,管理すること

にある。

表 1はPDO設立以降に,村内で実現した主な事業を

4 各地区における開発の実状と変化の特徴

4-1 パスー・ビルハンツ両村の開発に関わる組織

次に,ゴジャール地区における変化についてイシュコ

マン地区,タシクルガン地区と比較しながらその特徴に

ついて考察してみたい。

パキスタンの北部地域は,連邦政府の直轄地域であ

り,納税の義務がない反面,政府の行政的なサービスも

限定される。したがって,地域開発も各々の地区におけ

る自力によるか,もしくはNGOなどの資金や技術に頼

らざるを得ないのが現状である。北部地域には,国連関

連の団体や様々な国際的NGOが活動拠点を置いており,

中でも前述のAga Khan財団は,傘下に置く複数のNGO

により地域に密着した開発を進めている。その中の一つ

AKRSP(Aga Khan Rural Support Programme)5)は,各

村々においてVO(Village Organization)および,WO

(Women's Organization)を組織することで,自発的な

農村開発をサポートしている(AKRSP;1998)。パスー,

ビルハンツの両村でも,それぞれのVO,WOが運営す

る金融システムに基づき,資金を村や村民に融資するな

どして開発を促している。たとえばパスー村では,VO

が管理する基金は,村人が土地の開拓や家畜の購入をす

る際の資金として貸し付けられており,共通の財産を管

理するための経費にも役立てられている。むろん

AKRSP本体からの融資や指導・助言が大きく影響する

ことにはなるが,基本的に村人の自主性が開発を進める

原動力となっている。さらにVO,WOによる村の組織

化の成功は,新たな自主組織の設立につながっている。

ビルハンツ村では,2002年から村の地域振興に関わる

意志決定機関としてAlkhasrow Organizationを組織して

いる。これは主として社会的な事業を推進しているが,

その事業の一つに村の初等教育への支援をあげることが

写真7 パキスタンワヒの人 (々ビルハンツ村)

Photo 7 Wakhi in Pakistan(Bilhanz)

写真6 中国ワヒの人 (々タシクルガン)

Photo 6 Wakhi in China(Taxkurgan)

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落 合 康 浩

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掲げたものである。表中の例えば,1,2,3や 6の事業は,

この地を訪れた個人もしくはグループが村と関わりを持

ち,事業への資金提供を行っているケースである。すな

わち,これらは,外部の人々がこの地域に接触する機会

があったからこそ実現した事業であるともいえる。たと

えば,2,6や 5の事業にも関わるグループに,八王子市

に本部を置くHath Hath(Hathとはワヒ語で手を意味す

る)がある。このグループは,2000年からパスー村にお

いて,伝統的な刺繍技術の継承と発展をめざす女性の集

まりを組織・支援するほか,村の図書館開設などにも尽

力している(水野,2002)。このグループがパスー村にお

いて活動をすることになったのも,それ以前にHath

Hathの代表をつとめる人物が,この地を訪れたことが

きっかけである。このようにNGOが注目し,活動の場

として選択することで,村人による開発行為が後押しさ

れている。つまり,村内にKKHが通るというアクセス

上の好条件と,それによって生じた外国人の流入,さら

にはそうした来訪者が発信するこの地域の情報が,パ

スー村の新たなる開発行為のためのスポンサーを引きつ

けることにもつながっている。

4-2 各村における生活の実態

つぎに,パスー村と他地区における個別の生活事例を

とりあげ比較することでゴジャール地区の特異性につい

て考えてみる。表 2は,ビルハンツ村における A氏,

パスー村における B氏の家計等の概略を示したもので

ある。

A氏の家ではジャガイモが栽培され,それを出荷する

ことで現金収入も得ているが,農業における主力作物は

小麦とトウモロコシである。果樹類の中心はアンズで,

干しアンズを製造して販売している。家畜はワヒの伝統

の中でみられる一般的なものであり,家畜の一部を譲り

渡すことによっても収入を得ている。これに対し B氏

の場合,主力作物はジャガイモであり,その販売では,

A氏の 3倍ほどの収入を得ている。農地では,舎飼いす

る家畜用の牧草も栽培するが,これはパスー村では一般

的な傾向となっている。ビルハンツ,パスー村ともに,

現在も伝統的な移牧の形態を維持し,周辺の高地にいく

つかの夏の放牧地を所有しているが,パスー村では以前

よりも放牧地の経営が縮小傾向にあるという。反面,村

内における牛などの舎飼いが増加しており,そのため牧

草の栽培にあてられる農地も増加していると考えられ

る。もちろんこれには地力維持の側面もあるが,同様な

目的を持つ豆類の栽培はほとんどみられないことから,

単純に輪作の結果ではない土地利用形態の変化が読み取

れる。また,B氏の家では,果樹類の中心はリンゴであ

るが,販売に向けられる量はほとんどなく,自給用が中

心である。なお,パスー村全体ではリンゴが最も多い果

樹であり,1980年代半ばに導入されたデリシャス系の大

ぶりのリンゴを販売する農家も多い。パスー村では,わ

ずかではあるがB氏のように蔬菜類を栽培し,中には自

家用のみならず宿泊施設などに販売する農家もみられ

る。いわば,農業の多角的な経営の萌芽であり,その点

もビルハンツ村の事情とは異なっている。

農業以外の主な収入は,A氏の家の場合,建設業に,

B氏の場合,店舗の経営によっている。A氏の家では男

性二人が,主として村外へ出稼ぎすることで建設業に従

事しているが,不定期であり,また,年間を通じて仕事

があるわけでもない。この事例にみられるように,ビル

ハンツ村の場合,成年男子の 8割程度は農業以外の職

業にも従事しているが,その大半は土木作業などの季節

労働や地域外への出稼ぎによっているようである。一

開始年度 事  業 現 状 支援団体

1 2002 放牧地Batura(Yashpirt)における上水道敷設 完了 個人(ドイツ)

2 2003 Yashbandanにおける上水道敷設 完了 日本大学・Hath Hath(日本)

3 2003 Janabadにおける学校校舎の建設 継続 個人(日本)

4 2003 Hunza川の護岸工事 完了 パキスタン政府

5 2004 Hunza川の護岸工事 完了 在パ日本大使館(日本)

6 2004 手芸・刺繍の技術訓練・継承 継続 Hath Hath(日本)

7 2005 Janabadにおける水利事業 完了 パキスタン北部地域

8 2006 Janabadにおけるクリケット場建設 継続 パキスタン政府

表 1 PDOにより進められる主な事業

Table 1 The main Projects of Development Coordinated by PDO

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パミール高原周辺に暮らすワヒの生活様式にみられる地域的差異

り,当然,村内での格差はあるにせよ,ここにあげた A,

B両氏の事例は,それぞれの村における決して特殊な事

例ではない。むしろ,ビルハンツ村では子供を学校に通

わせられないような,さらに現金収入の限られた家庭も

ある。一方,パスー村ではさらに多くのジャガイモを販

売する世帯もあり,ホテル経営や,観光客の輸送を行う

運輸業,ツアーガイドなどによって,より高額の収入を

得ている家もある。つまり,両村では家計に歴然とした

格差があるといえよう。

これに対し中国のワヒの生活実態をパキスタン側と比

較するのは難しいが,たとえばここにタガルミー郷に家

族 8人で暮らすワヒの C氏(78)の事例をあげてみよう。

この世帯における農業生産は麦類と豆類が中心であり,

ジャガイモなども自給用に栽培しているが,果樹はみら

れない。家畜は牛を 7頭,山羊と羊をあわせて40頭飼

育する。家計の調査が出来なかったため詳細は不明であ

るが,同居する息子が教員であり,現金収入の多くはそ

の給与によるものと考えられる。周辺には目立った観光

資源はなく観光客との接触は限られるため,観光関連の

臨時収入といったものは期待できないであろう。また,

村の開発に対してはNGOによる関与もほとんどないと

思われる。しかしながら家屋内にある家具・調度品や

個々の家屋の規模などについてはゴジャール地区の事例

方,パスー村の B氏の場合は,村内にある店舗の経営

によってジャガイモの販売額以上の収入が得られる。ま

た一般に,パスー村では,来訪するトレッカーや登山者

のポーターを引き受けることで臨時収入を得られる機会

も多く,B氏の場合も例外ではない。

いずれにしてもパスー村の B氏の方が,ビルハンツ

村の A氏よりも現金収入を得る手段に恵まれ,現実に

多くの収入を得ていることがわかる。

支出面では,食料や服飾など生活の必需品には両家と

もに人数に応じた費用がかかる。B氏の場合は,農業に

おいてジャガイモに特化するため,小麦の自給率が低

く,相当量の小麦粉を購入に頼っている。多少は購入す

る必要があるものの,小麦,トウモロコシを栽培し,そ

の自給率も高い A氏の場合とは,この点が大きく異なっ

ている。またパスー村では,前述のごとく,子供にかか

る学費が高額であり,ジャガイモ栽培に特化し化学肥料

等を多用することで農業経費もかさむため,それらに関

わる支出は B氏の方が格段に多くなっている。また,B

氏の家は,収入が多い分だけ生活のゆとりに振り向けら

れる金額も多い。テレビを所有するなど電化製品が増加

し,燃料としてプロパンガスも使用するため,光熱費の

支出もまた多くなっている。

それぞれの村においては各戸における個別の事情があ

A(2004年調査) B(2006年調査)

家族 本人(45)他12名 本人(29)他 4名

耕地 小麦10 トウモロコシ 4 ジャガイモ1 ジャガイモ14 野菜 1 牧草

果樹 アンズ10 リンゴ 2 モモ 3など リンゴ95 サクランボ30 アンズ 8など

家畜 山羊12 羊 5 牛 6 ロバ 1 牛 5

主な収入

 農牧業 ジャガイモ 10,000Rs ジャガイモ 30,000Rs

干しアンズ 6,000Rs

家畜 8,000Rs

 その他 建設業( 2人)6,500Rs×数ヶ月(不定期) 店舗経営 40,000Rs ほか

主な支出

 食料品 22,000Rs 38,000Rs

小麦粉400kg、米240kg 小麦粉1300kg、米80kg

茶、砂糖、食塩、食用油、肉など 茶、砂糖、食塩、食用油、肉など

 服飾品 15,000Rs 10,000Rs

 光熱費 1,500Rs 4,200Rs

 学費   720Rs 8,000Rs

 農業経費 3,000Rs 9,000Rs

表 2 ビルハンツ村とパスー村における住民の家計Table 2 The Family Budget of Inhabitants in Village of Bilhanz and Passu

耕地の数字は畑地の面数(正確な面積は不明) 果樹は本数,家畜は頭数

収入・支出は主なものの概算(いずれも調査年の前年度)

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落 合 康 浩

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と比較しても遜色なくみえた。これはすなわち,政治・

経済体制の違いもあって,中国側では国境に近い少数民

族の居住地域に対する政府の関与にも,パキスタン側と

は違った制度や対策がとられているのではないかと推察

される。

5 地域差の要因と問題点

ワヒの人々がもつ文化的な「伝統」は共通すると考え

られることから,現在みられる生活実態の地域差は,そ

れぞれの集落がおかれた地域的条件の違いによって生じ

ていることは間違いない。この条件の違いとは,すなわ

ち各々の地域資源がもつ現代的な利用価値の相違や近年

における開発進度の違いということである。パスー村

は,7000m峰や大規模な氷河群といった景観に優れた自

然環境が村に近接し,観光の拠点となる条件が備わって

いる。その点,最も近い氷河でも村から数キロ離れ,高

峰群も遠いビルハンツ村とは観光化のポテンシャルにも

差異がある。加えて,パスー村では交通の大動脈ともい

える自動車道,KKHが村を通り,ギルギットやイスラ

マバードだけでなく国境を越えて中国へも通じている。

一方,ビルハンツ村を通る道路は村の少し奥で行き止ま

りとなり,しかも補修状況が悪い。すなわち旅行・観光

客が往来する可能性,またその容易さという面でも違い

があり,ビルハンツ村では観光化への道は厳しい状況に

ある。さらにこの道路条件の違いは,農業における商業

化の進展という面でも差異をもたらしている。パスー村

では,KKHが商品作物であるジャガイモの出荷に大き

な役割を果たしているのに対し,村外への運搬にも困難

を来しているビルハンツ村の道路状況は,ジャガイモの

拡大による農業経営の変革を阻んできたのである。この

ように,観光,農業の両側面の変化において大きな進展

のなかったビルハンツ村では,現金収入を得る手だてが

限られ,生活も旧態からの変化が少なかったということ

になる。このことは,開発を進めるための足がかりとな

る資金の調達においても不利に働き,新たな産業の成長

をも困難にしている。また,外部からのアクセスが悪く

来訪者が限られることで,ビルハンツ村にもたらされる

外部情報もまた限られ,村人の生活に与える影響も少な

かったといえる。これは,一方でインフラ等の整備を必

要とするビルハンツ村の声が外部に届きにくかったこと

を意味し,開発を進めるNGOの注目も得にくかったと

いえよう。こうした状況にあるビルハンツ村と比較する

と,パスー村は,きわめて有利な条件を備えているわけ

であり,ワヒの居住地域の中ではもっとも発展し,また

今後の発展も期待できる地区ということが出来る。た

だ,中国との比較からかいま見えるのは,中央政府の関

わりが薄いという点であり,たとえばインフラの整備な

どには,残される課題が多い。また,観光業,とりわけ

外国人観光客に大きく依存する現状や将来を考えると,

安全性に関わる国のイメージや政策にも大きな問題を抱

えているといわざるを得ない。

一方,パスー村にみられるような急激な変化は,地域

の自然環境に立脚した伝統的な農牧業システムを崩壊さ

せる危険をはらんでいる。このことは,環境保全という

観点からはもちろん,観光資源としても重要な地域固有

の文化の継承という観点からも問題視される。パスー村

でもその問題が深刻であることには気づいており対策が

とられつつはある。一方,こうした急激な変化に至って

いないビルハンツ村では,村の開発の適正な方法を検討

していくゆとりを残しているという見方も出来る。ま

た,ビルハンツ村にも地域開発について検討する組織が

立ち上がっており,こうした組織を拠り所として,真の

意味で村の発展に寄与できる開発手法を検討,実現する

ことは可能である。

6 まとめ

本稿では,パキスタン北部地域ゴジャール地区におけ

る生活様式の変化に関わる要因を明確にするため,同じ

く北部地域のイシュコマン地区ビルハンツ村や中国シン

チャンウイグル自治区タシクルガン地区の生活実態と比

較し,そこにみられる差異の要因と問題点について考察

した。

各地区の居住者はいずれもアフガニスタンのワハーン

より移住したワヒの人々であり,それぞれが維持してき

た言語,宗教などの固有の文化や伝統的な生活様式は共

通している。しかしながらそれぞれの地域を取り巻く環

境は大きく異なっており,それらは,生活の変化におけ

る地域差に多大な影響を及ぼしてきた。

ゴジャール地区の典型的な事例であるパスー村は,

ジャガイモの拡大による農業の商業化が進み,観光業を

はじめ農牧業以外の産業の発展もめざましい。村人の現

金収入も多く,生活が大きく消費経済へと移行してい

る。これは交通の大動脈KKHが村内を通り,豊かな観

光資源にも恵まれ,さらにはNGOによる開発援助も進

展しているといった有利な条件が重なっているためであ

る。これに対しビルハンツ村は,同じくパキスタン北部

地域にありながら,幹線道路からはずれ,交通アクセス

の悪い,いわば辺境の中の辺境に位置しており,道路そ

の他のインフラも未整備な点が多い。そのため,農業に

おいては商品作物の導入・拡大が難しく,現在もなお,

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パミール高原周辺に暮らすワヒの生活様式にみられる地域的差異

1)村から眺望できる7000m峰には,バツーラ(Batura;

7785m),シスパー(Shispare;7611m),Passu(Passu;

7478m)などがある。また,村からフンザ川をへだてた

対岸には6000m峰ながら鋸歯状に浸食された特異な形

状の美しいツポープダン(Tupopdan;6106m)があり,

パスーのシンボル的な存在となっている。

2)パスー村の観光関連施設数は,ゴジャール地区内におい

て,国境のまちススト,地区の中心地グルミットについ

で多くなっている。

3)ビルハンツ村から西へ約10kmカランバー川沿いに下っ

た地点にあるイミット(Imit)には,イシュコマン地区

のワヒ居住地域では唯一の宿泊施設(レストハウス)が

立地している。

4)村の灌漑用水の水源となるビルハンツ氷河は村の南東に

あるが,村からは数キロ離れており中心集落からは見る

ことが出来ない。

5)パキスタン北部山岳地帯にある村々の地域振興を目的と

して,1982年に中心都市ギルギットに設立された。

6)ビルハンツ村におけるDJ学校(小学部のみ)の学費は月

50Rsである。一方パスー村のDJ学校(小・中学部あり)

の学費は月146Rs(小学部)となっている(いずれも

2004年)。

7)村にある17の組織および役職は以下の通りである。

組織:1. Village Organization 2. Womem's Organiza-

tion 3. Passu Reform Pannel 4. Volunteer Male 5. Vol-

unteer Female 6. Passu Student Association 7. Village

Education Committee 8. Passu Sport Board 9. Passu

Environment Committee 10. Passu Cultural Commit-

tee 11. Arbitation Board 12. BIBI Circle 13. Local

Council(Ismaili)

役職:1. Ismaili Mukhi Passu 2. Ismaili Mukhi Yashban-

dan 3. Village Chief 4. Union Council(議員)

ことになり,さらなる開発の進展を促すことにもなる。

しかしながらこうした現状は,一歩間違えば伝統の喪失

と地域システムの崩壊につながりかねない危険をはらん

でおり,新たな開発には慎重な対応が求められる。

現在,三地区は隔絶されていたり国も異なるために,

個人的な移動をのぞきを,地域間での交流はあまりな

い。ただし,各地区を代表するそれぞれの組織を核とし

て,交流を進めることが出来れば,元来は文化と伝統に

おいて共通する同一の民族であり,理解し合える側面が

少なくないと思われる。そしてお互いの開発の不足を補

い,あるいはその問題点を指摘し合って改善を進めるこ

とで,各地区のよりよい発展を目指すことが可能になる

と考えられる。

謝辞

本研究に関わる調査には,日本大学文理学部自然科学研究

所の共同研究費(2006年度),および文理学部個人研究費

(2007年度)を使用した。また,本稿を2007年 8月に退職さ

れた野上道男先生に献呈いたします。

自給的作物の栽培が中心となる伝統的な農業の形態を色

濃く残している。また,観光業やその他農牧業以外の産

業が未発達で,村内においては現金収入が得られる就業

機会に恵まれていない。こうした状況は,自給経済の側

面が強い生活が主流であることを意味するが,否応なく

消費経済の影響を受ける今日にあっては,生活の不便を

余儀なくされ,たとえば初等教育の機会が均等に得られ

ないような状況をも生み出している。ゴジャール地区と

同じく幹線道路沿いに位置し交通条件には恵まれている

はずの中国タガルミー郷の場合も,パキスタン北部地域

とは政治・経済的な条件が異なることもあり,自主的な

組織の設立・運営や観光化の可能性においては,ゴ

ジャール地区ほどには恵まれていない。このようなビル

ハンツ村やタガルミー郷の事例と比較すると,パスー村

における条件の優位性は際だっていることがわかる。ま

た,こうした好条件は旅行者を引きつける魅力でもあ

り,そうして村を訪れた人々自らが村の開発に関わるよ

うな事例もある。また,彼らによって語られるこの地の

情報が,開発に関わろうとする人々の新たな関心を呼ぶ

落合康浩(1999):パキスタン北部地域パスー村における住

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落合康浩(2000):パキスタン北部地域ゴジャール地区の観

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