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腸内細菌学雑誌 34 巻 2 号 2020 70 シンポジウム 1-4 ビフィズス菌とヒトとの共生 Symbiosis between bifidobacteria and humans 小田巻俊孝 森永乳業株式会社 基礎研究所 Toshitaka Odamaki Next Generation Science Institute, Morinaga Milk Industry Co., Ltd. 5 年前,40 種程度に分類されていた Bifidobacterium 属細菌,いわゆるビフィズス菌は,その後新種 が次々と提唱され,現在は 80 種程度にまで分類されている.彼らは,類人猿やげっ歯類,鳥類,昆虫類 など宿主によって腸内に棲息する菌種が異なることから,長い年月をかけそれぞれの腸内環境に適応し, 別々の菌種として進化を遂げてきたのではないかと推測される.膨大な遺伝子情報を活用した近年の報 告からは,多種多様な腸内細菌のなかでも,ビフィズス菌は類人猿と 1,500 万年もの長きに渡り共進化を 遂げてきたことが示唆されており,長い進化の過程で腸内から淘汰されなかった事実は,ビフィズス菌 を腸内に保有する個体が生存競争に打ち勝ってきた結果であり,我々の健康にとって有益であることを 示す確固たる証拠ではないかと考えている.我々は具体的にどのような性質を適応進化の結果獲得した のかに興味を持ち,ヒト腸管に棲息するビフィズス菌(Human Residential Bifidobacteria, HRB)とそ れ以外の菌種(non-HRB)の違いについて,ゲノム解析やメタボローム解析で得られたオミクスデータ を活用した研究を行っている. ゲノム情報から確認された最も大きな違いは炭水化物の代謝関連遺伝子であり,特に乳幼児に棲息す る HRB は母乳中に含まれるヒトミルクオリゴ糖の代謝関連遺伝子を多く保有していた.そこで母乳中で の増殖性を確認すると,B.longum B. breve といった HRB が増殖を示した一方で,non-HRB ではほ とんどの株が検出限界以下まで菌数が低下してしまった.そこで母乳に含まれている抗菌活性物質に対 する耐性を確認したところ,HRB はヒトの母乳に高濃度に含まれるリゾチームへの高い耐性能を示し, non-HRB はこの耐性を有していなかった.つまり,HMO の代謝能に加えてリゾチームへの耐性機構を 獲得した HRB だけが,母乳との親和性を高めることで乳幼児腸管という特殊な環境に高度に適応してき たと考えられる. HRB と non-HRB は代謝産物の観点からも違いが認められる.HRB に属する細菌株は葉酸を産生する のに対し,non-HRB の株はほとんど産生しない.近年の研究から,腸内細菌の産生するインドール化合 物が抗酸化・抗炎症作用をはじめ様々な生理活性を有した物質として注目されているが,我々はこの 1 種であるインドール乳酸を乳幼児の HRB が高産生することを見出した.さらには,母乳や食事由来の オピオイド様ペプチドが乳幼児の健全な脳の発達に悪影響を及ぼすと懸念されているが,HRB である B. bifidum はオピオイド様ペプチドを分解する能力を有していた.こうした代謝産物や酵素活性の違いは, 生理機能の違いに直結すると考えられ,ヒトは特定のビフィズス菌だけを健康維持のため取捨選択しな がら共存してきたのではないかと考えられる.

ビフィズス菌とヒトとの共生 Symbiosis between …Symbiosis between bifidobacteria and humans 小田巻俊孝 森永乳業株式会社 基礎研究所 Toshitaka Odamaki

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Page 1: ビフィズス菌とヒトとの共生 Symbiosis between …Symbiosis between bifidobacteria and humans 小田巻俊孝 森永乳業株式会社 基礎研究所 Toshitaka Odamaki

腸内細菌学雑誌 34 巻 2 号 202070

シンポジウム 1-4

ビフィズス菌とヒトとの共生Symbiosis between bifidobacteria and humans

小田巻俊孝森永乳業株式会社基礎研究所

ToshitakaOdamakiNext Generation Science Institute,MorinagaMilk Industry Co., Ltd.

5 年前,40 種程度に分類されていた Bifidobacterium属細菌,いわゆるビフィズス菌は,その後新種が次々と提唱され,現在は 80 種程度にまで分類されている.彼らは,類人猿やげっ歯類,鳥類,昆虫類など宿主によって腸内に棲息する菌種が異なることから,長い年月をかけそれぞれの腸内環境に適応し,別々の菌種として進化を遂げてきたのではないかと推測される.膨大な遺伝子情報を活用した近年の報告からは,多種多様な腸内細菌のなかでも,ビフィズス菌は類人猿と 1,500 万年もの長きに渡り共進化を遂げてきたことが示唆されており,長い進化の過程で腸内から淘汰されなかった事実は,ビフィズス菌を腸内に保有する個体が生存競争に打ち勝ってきた結果であり,我々の健康にとって有益であることを示す確固たる証拠ではないかと考えている.我々は具体的にどのような性質を適応進化の結果獲得したのかに興味を持ち,ヒト腸管に棲息するビフィズス菌(Human Residential Bifidobacteria, HRB)とそれ以外の菌種(non-HRB)の違いについて,ゲノム解析やメタボローム解析で得られたオミクスデータを活用した研究を行っている.ゲノム情報から確認された最も大きな違いは炭水化物の代謝関連遺伝子であり,特に乳幼児に棲息す

るHRBは母乳中に含まれるヒトミルクオリゴ糖の代謝関連遺伝子を多く保有していた.そこで母乳中での増殖性を確認すると,B.longum や B. breveといったHRBが増殖を示した一方で,non-HRB ではほとんどの株が検出限界以下まで菌数が低下してしまった.そこで母乳に含まれている抗菌活性物質に対する耐性を確認したところ,HRBはヒトの母乳に高濃度に含まれるリゾチームへの高い耐性能を示し,non-HRB はこの耐性を有していなかった.つまり,HMOの代謝能に加えてリゾチームへの耐性機構を獲得したHRBだけが,母乳との親和性を高めることで乳幼児腸管という特殊な環境に高度に適応してきたと考えられる.HRBと non-HRB は代謝産物の観点からも違いが認められる.HRBに属する細菌株は葉酸を産生する

のに対し,non-HRB の株はほとんど産生しない.近年の研究から,腸内細菌の産生するインドール化合物が抗酸化・抗炎症作用をはじめ様々な生理活性を有した物質として注目されているが,我々はこの 1種であるインドール乳酸を乳幼児のHRBが高産生することを見出した.さらには,母乳や食事由来のオピオイド様ペプチドが乳幼児の健全な脳の発達に悪影響を及ぼすと懸念されているが,HRBである B.

bifidumはオピオイド様ペプチドを分解する能力を有していた.こうした代謝産物や酵素活性の違いは,生理機能の違いに直結すると考えられ,ヒトは特定のビフィズス菌だけを健康維持のため取捨選択しながら共存してきたのではないかと考えられる.