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教心寺寺報 サーサナとはパーリ語で「教え」の意味です サーサナ 第23号 仏暦2556(西暦2013)年6月5日 三悪趣なき世界を(第3話) たとい我、仏を得に、国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ 最後は畜生についてです。畜生すなわち動物ですが、狭い意味での四つ足 動物のことだけではなく、神・人間・植物以外のすべての生物を含みます。 魚や虫なども畜生です。 源信(恵心僧都)の『往生要集』によれば、畜生は「強弱たがいに危害を 加え、相手を飲みこんだり、食い殺したりして、しばらくでも安らかでっ たためしがない。昼も夜もつねに恐怖心をいだいている」とります。いつ も恐れの中で生きているため、誰よりも強いものになって、恐れから解放さ れようとします。しかし上には上がるわけで、いつも恐れの中で生きざる を得ない、そのため、力の有るものに依存して生きようとするのですが、結 局は、そのものに使われて、自立することのできないものとなる、これが畜 生でる、といわれます。こうしてみると、人間とはいっても実際は畜生と 同じになってしまっている現実がるのではないでしょうか。強力な軍隊を 持たなければ安心できない、常に相手の優位に立とうとする、これが畜生道 です。 また『涅槃経』には、「無慙愧(むざんき)は名づけて人とせず、名づけ て畜生とす」とります。ここでは自分の行いが、どれほど道理に外れたこ とでるかに気付かず、恥ずかしく思わないのが畜生で、そしてそれに気付 くことこそが、人間を取り戻す一歩でると教えています。 人間と動物との決定的な違いは何かと言えば、人間には理性がり、動物 は本能だけで行動するということでしょう。私たちは理性の光に照らして野 蛮を克服していかねばなりません。損得だけを基準にするのではなく、真実 かどうかを基準にして考え行動したいものです。 - 1 -

サーサナ - 真宗大谷派 名古屋教区第30組 · 対象となる方には別途案内状をお送りします。 八月 盂蘭盆会(うらぼんえ、お盆) もともとは、釈尊の弟子の目連尊者が、餓鬼道に堕ちた母を救うために、

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教心寺寺報  サーサナとはパーリ語で「教え」の意味です

サーサナ第23号 仏暦2556(西暦2013)年6月5日

三悪趣なき世界を(第3話)

たとい我、仏を得ん�����������������に、国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ

最後は畜生についてです。畜生すなわち動物ですが、狭い意味での四つ足

動物のことだけではなく、神・人間・植物以外のすべての生物を含みます。

魚や虫なども畜生です。

源信(恵心僧都)の『往生要集』によれば、畜生は「強弱たがいに危害を

加え、相手を飲みこんだり、食い殺したりして、しばらくでも安らかであ�っ

たためしがない。昼も夜もつねに恐怖心をいだいている」とあ�ります。いつ

も恐れの中で生きているため、誰よりも強いものになって、恐れから解放さ

れようとします。しかし上には上があ�るわけで、いつも恐れの中で生きざる

を得ない、そのため、力の有るものに依存して生きようとするのですが、結

局は、そのものに使われて、自立することのできないものとなる、これが畜

生であ�る、といわれます。こうしてみると、人間とはいっても実際は畜生と

同じになってしまっている現実があ�るのではないでしょうか。強力な軍隊を

持たなければ安心できない、常に相手の優位に立とうとする、これが畜生道

です。

また『涅槃経』には、「無慙愧(むざんき)は名づけて人とせず、名づけ

て畜生とす」とあ�ります。ここでは自分の行いが、どれほど道理に外れたこ

とであ�るかに気付かず、恥ずかしく思わないのが畜生で、そしてそれに気付

くことこそが、人間を取り戻す一歩であ�ると教えています。

人間と動物との決定的な違いは何かと言えば、人間には理性があ�り、動物

は本能だけで行動するということでしょう。私たちは理性の光に照らして野

蛮を克服していかねばなりません。損得だけを基準にするのではなく、真実

かどうかを基準にして考え行動したいものです。

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法要行事のご案内各法要・行事に必要な勤行本は、お持ちでない場合は当寺より進呈または貸与いたします。

六月 帰敬式(おかみそり)帰敬式は、仏弟子としての名のりであ�る法名をいただく儀式です。法名は

死んでから、と思われがちですが、そうではなく、本来は生前に授かっておくべきものです。キリスト教で洗礼名がキリスト教徒の証しであ�るのと同様

に、法名を授かることは仏門に帰依したことの大切な証しで、これを受式することにより正式な仏教徒(真宗門徒)となります。

なお、当寺では毎年帰敬式を執行しており、今回で第66回となります。これまでにのべ4477名の方が受式をされました。

❖日時� � 66月2288日(金)午前1111時〜正午

❖受式費用� � 2200,,000000円(うち1100,,000000円は本山礼金)� � 費用は2288日当日お納めください

❖受式希望の方は必ず事前説明会に参加してください。� � 66月1144日(金)午後11時から33時です。� � 事前説明会に参加した後に受式するかどうかを決める

ことができます。❖お斎(昼食)接待および記念品�があ�ります。

❖法名に希望の文字があ�れば、御相談に応じます。

六月 帰敬式受式者のつどい❖日時� � 66月2288日(金)正午〜午後11時❖会費� � 22,,000000円

❖対象となる方には別途案内状をお送りします。

八月 盂蘭盆会(うらぼんえ、お盆)もともとは、釈尊の弟子の目連尊者が、餓鬼道に堕ちた母を救うために、

安居(集中講義)の終わる77月1155日に、大勢の出家僧侶に飲食物の供養を行なったことに由来する行事です。❖日時� � 88月1133日(火)午前88時〜99時

❖内容� � 勤行(和訳阿弥陀経、正信偈同朋奉讃)、法話(住職)❖持ち物� � 勤行本(『抄訳佛説阿弥陀経』『正信偈同朋奉讃』)、念珠、

� � 肩衣(お持ちの方)❖記念施本� � 『新みちしるべ 説法』(仏教伝道協会)

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盂蘭盆会について個別(家族単位)でのお勤めを御希望の場合は、次のいずれかにより予約して下さい。お経は「阿弥陀経」(音読)です。

11.. 本堂でのお勤め� � 88月1144日午前88時より正午まで、1155分刻みで御希望の時間を指定してい

ただきます。先着順です。十六家族様まで。22.. 家庭の御内仏前でのお勤め� � ((11))1133日午後、(22)1133日夜、((33))1144日午後、((44))1144日夜、((55))1155日午

後、のいずれかの時間枠をご指定下さい。午後とは11時から44時まで、夜とは55時から88時までをいいます。これ以外の日時は応相談。

清掃・おみがき奉仕皆様方のご奉仕をお願いしております。主として、境内の草取りと仏具の研磨です。終了後はお茶とお菓子でおくつろぎ下さい。雨天の場合は仏具の研磨のみになります。❖77月1122日(金) 午前99時から1111時

永代経懇志お礼下記の方々から永代経懇志を頂戴いたしました。ここにあ�らためてお礼申し上げますと共に、今後とも法義相続されますことを念願いたします。

3月10日 眞誠院釋一念(願主・近末様[南区堤起町]、10万円)4月8日 釋尼妙嘉・釋常揚・釋尼清雅 (願主・大野様[緑区鏡田]、30万円)4月21日 信樂院釋尼賀慶(願主・加藤様[瑞穂区弥富ヶ丘町]、10万円)5月18日 釋持法・浄徳院釋尼貴穂(願主・加藤様[南区明円町]、20万円)

東本願寺リーフレットより 真宗にとって供養とは?

宗教の形でいえば、供養ほど、私たちの身近なものはないでしょう。法事・法要にお墓参り、先祖供養に水子供養、さらには針供養に人形供養、全部ひっくるめて供養という名で、私たちの宗教的行為が語られています。それだけではなく、若い人たちまでもがテレビの影響なのでしょうか。心霊写真などと称した霊のたたりに恐怖して、「供養してもらわないと」と思わず口に出す今日このごろの状態です。一体全体、供養とは何でしょうか。もともと供養とは、「食物や衣服を仏法僧の三宝に供給する」ことを意味しています。決して、亡くなった人から

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祟られたりすることのないようにと願って供養するなどということはないのです。それがいつの間にか、供養が祟りと災いから、自分の身を守るための道具にされてきたのです。それは、私たち自身が仏教を利用して自分の欲望を満足させようとしてきた結果であ�ります。供養は、仏さまの大いなる世界を私がいただいたことの表現です。それが、死者を供養しないと私が祟られる、私に災いが起こる、だから供養しなければならないと、供養が自分の欲望を満足させる道具になっていることが問題なのです。そうではなくて、供養とは、「仏法僧の三宝」として現されている真実の世界に対してなされるものです。本当に尊敬されるべき世界、本当に大切にされるべき世界を見いだすことです。それは自分を中心にして生きているものが、自他平等のいのちを現す仏さまの世界に、われもひとも共に生きることのできる世界を見いだすことです。その感動が供養の形をとるのです。

同朋大学教授 尾畑文正

教心寺ライブラリーから(3)当寺ライブラリー(書庫)は、どなたもご利用していただけます。

『男一代菩薩道』(小林三旅著、アスペクト刊、2008年)

佐々井秀嶺という僧侶がいます。11993355年生れですから、現在7788歳。高尾山薬王院の山本秀順(反戦を主張したため逮捕され、440000日を獄中で過ごした)の下で得度し、11996677年に日本山妙法寺の縁でインドに渡り、アンベードカル博士のことを知ります。アンベードカルは、アウトカースト(不可触賤民)の出身で、苦学の末、インド初代法務大臣として「インド憲法の父」と呼ばれるまでになりますが、カースト制度の強固なインドにあ�っては、大臣となってさえ部下から差別され続けます。差別の原因がヒンズー教にあ�ると見たアンベードカルはヒンズー教から決別、そして仏教への改宗を決意し、11995566年に5500万人規模の集団改宗式を決行しましたが、その22ヶ月後に亡くなりました。佐々井秀嶺師はアンベードカルの遺志を受け継いで、インドで仏教を復興するために奮闘を続け、改宗運動を継続するとともに、聖地ブッダガヤの大菩提寺を仏教徒の手に奪還するために、文字通り命をかけて闘いました。「インド仏教の頂点に立つ日本人」として、テレビでも紹介されました。そのテレビ番組を書籍化したのが本書です。

  真宗大谷派 教心寺(名古屋教区第30組)編集発行人 釋眞弌 (山口眞一)468-0026 名古屋市天白区土原3丁目205番地電話:801-1381  FAX:807-1198  電子メール:[email protected] http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/

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