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【就労支援事業】
発行:株式会社アイエスエフネットライフいわき http://www.isfnetlife.com/
アイエスエフネットライフいわき 平事業所
(2020年9月発行)9 月号
い 合 わ せ問お
ライフ
通 信
い さ つあご の イ ラ月今 トス
い わ き
ス エ フ ネ ッ トエイ グ ールア
の よ う す近最
平事業所
サービス管理責任者:北山
〒970-8026
TEL: 0246-21-9260
福島県いわき市平字大町7-1 平セントラルビル3階
※送迎や無料見学を行っております。お気楽にご相談下さい。担当:北山
プ の 哲
利他の心
学
「利他の心」とは「他人」の「利益」を考えて、行動をすることです。
その反対が「利己」です。自分の利益を中心に考えて自分にメリットがなければ行動を起こさない
ことを指します。生きていくために私たちは皆、欲を持っていますが、その欲が「私欲」となるば
かりでは、人間関係はうまくいきません。そうではなくて、他人を思いやる気持ちが「私欲」より
も勝るように、まずは周囲に関心を持ちましょう。
忙しいことが続くと得てして人は周りに気を使えなくなりがちですが、それでも、人に対して心
配りができれば、お互いにうれしいではありませんか。
できることからで大丈夫です。ひとつアクションを起こしてみてはいかがでしょう。知らない内
に人からの接され方が変わっているものですよ。By B型継続支援 モリッピー
アイスブレイクアイエスエフネットライフいわき平事業所では、
支援員のリードの元で、「アイスブレイク」と言うグループワークをいたしております。さまざまな辛い経験は自己の心を氷のように
頑なにしてしまう場合もあります。それを会話や、クイズなどを解く過程で解き
ほぐす(ブレイクする)ゲーム感覚の訓練もいたしております。
By B型継続支援 モリッピー
今年の夏は、訪れるのが少し遅かった分、暑さをひときわ強く感じるものになりました。まるで、遅れた分を取り返すように、太陽が
そのエネルギーを解放しているかのようです。コロナ禍の中、猛暑の下でマスク生活を強いら
れる初めての夏もピークは過ぎました。
これからは、いろいろなものが落ちて行く秋(fall)が訪れます。マスク生活は継続になりますが、メリハリを
付けたマスクの脱着や着る衣服の調整をし、体調を万全にしてまいりましょう。
By B型継続支援 モリッピー By B型継続支援 ハヤテ
【就労支援事業】
発行:株式会社アイエスエフネットライフいわき http://www.isfnetlife.com/
アイエスエフネットライフいわき 平事業所
トイ ベ ン
人は誰にでも感情があります。そして、その感情がときとしては良くない方へ傾くこともあるでしょう。「面白くないこと」には誰だって遭遇をするものです。そのようなときは、憤慨を強く感じてしまいその憤りを抑えるのに我慢を強いられるのは辛いことです
から、つい、爆発をしてしまうことだってあるのは、正直な気持ちではあります。
しかし、爆発は、決して周りに対して良い影響は与えません。結果として自分自身を窮地に追いやられることにもなりかねません。そうなっては甚だ損をしてしまいます。
そのようなときは、どう対処をすれば良いのでしょう?
まず、そういう怒りの塊になっているときは、食欲がないものです。何も食べたくないと思うものですが、それでも、一食分の食べ物は摂りましょう。その内容は自分に与えられている中で食べられる、好きなもので良いのです。とにかく食べましょう。食べるだけで不思議と落ち着くものです。
それから、人と接しましょう。それも、許されるなら自分が「会いたい」と思う人と話だけでもしましょう。具合が悪いときは、会いたくない人のことは想像すらしないものですが、会いたい人には無性に会いたくなるものです。「望まない孤独」は人にとって「よろしくない状況」だと思います。
そして最後は、十分な睡眠をとることです。眠りが足りないとそれだけで心は荒みやすくなるものです。とにかく、眠りましょう。
人間はこの3つが満たされているときは、大概のことでは挫けずに前を向いていられると思うのです。
By B型継続支援 モリッピー
「気持ちが荒んだときは」
8月22日(土)「室内夏祭り」
令和2年8月22日(土)10:00~12:00
アイエスエフネットライフいわき平事業所にて、「室内夏祭りイベント」を開催いたしました。メンバー10名が参加いたしました。テーブルレイアウトを普段とは変えて輪を描くようにし、イベントを行いました。スタッフの方が調理をしてくださっている間に、メンバーは支援員の方から出された「クイズ」を解きながら待ちました。今回のメニューは、ケチャップライスとハンバーグやフィッシュフライ
そしてスパゲティサラダでした。冷たくて甘いドリンクもいただきながら、和やかな雰囲気の中で共に食事を美味しくいただきました。
By B型継続支援 モリッピー
【就労支援事業】
発行:株式会社アイエスエフネットライフいわき http://www.isfnetlife.com/
アイエスエフネットライフいわき 平事業所
特 集
いわきの名産品 「サンシャインいわき梨」
<棚栽培>(横に枝が伸びるため、作業がしやすくなり、
収穫量も増えるメリットがあります。)
温暖で、年間を通して日照時間も多いいわき市は、
梨の産地として知られています。栽培の歴史は江戸
時代に遡り、市内の梨の主産地を治めていた棚倉藩
の藩主が栽培を奨励した記録が残されています。
いわき産の梨は、「サンシャインいわき梨」と
いうブランドとして市場で出回っています。
「棚栽培」と呼ばれる栽培方で作られています。
棚栽培とは、上に伸びようとする梨の木の枝を横に
張ったネットにくくり付けて横に伸ばすことにより、
栽培に際する各作業をしやすくし、何より収穫量を
増やせるメリットがあります。
<選果の様子>
その品種は8月下旬から収穫する「幸水」から始まり、9月中旬からの「豊水」「涼豊」と続き、
10月中旬から出荷が始まる「新高」の順で進みます。「涼豊」とは福島県オリジナル品種です。
市内では近年「涼豊」の栽培に力を注ぎ始めています。 「涼豊」とは、「豊水」と「新高」を
人工交配して育成した品種で、実が大きくて甘味と果汁が多いのが特徴です。
市内各所で収穫された梨は、共同の選果場に集められ、光センサーにより糖度・熟度・色・形状を、
風味を損なうことなく瞬時に測定しています。
その出荷先は、国内はもとよりベトナムにも輸出されています。
By B型継続支援 モリッピー
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特 集
<ありし日のズリ山と炭鉱住宅><常磐炭田の位置図>
常磐炭田とは、いわき地方を中心に、北は福島県双葉郡富岡町の沿岸部から、南は茨城県日立市までに広がって存在する炭田のことです。
「常磐」と言うネーミングの由来は、茨城県の令制国名である「常陸国」と現在のいわき市周辺の明治旧国名である「磐城国」の頭文字を一つずつ取って付けられました。「首都圏に最も近い炭田」として、戊申戦争以降、大規模な開発が始まり、近代国家を目指していた日本の燃料エネルギー供給地帯として、1976年の閉山を迎えるまで採炭が続けられました。
いわき市は、その常磐炭田発祥の地です。
市内には、その炭鉱が多数存在していました。常磐炭田は、その石炭層の構造上、地下へ堀り続ける高い掘削技術が必要で、また、採炭時に大量に出た温泉も含む地下水を坑道から排水する技術も必要であるために採炭は容易ではなく、坑道はそうした温水の影響もあり高温多湿なため、現場で作業をする炭坑夫の方々は、そういう過酷な環境の中で大変な危険と隣り合わせの仕事を強いられながらも、途絶えることなくこの国に燃料エネルギーを供給し続けました。市内には、採炭された石炭を運ぶためのトロッコを走らせるレールが沢山張り巡られてして、そうし
た石炭を燃料に発電をする火力発電所も複数建設され稼働させていました。
「ズリ山」と呼ばれる、採炭の際に出た不要な土で構成された人工的な山が、市内各所にありました。
「一山一家」という言葉があり、それは炭鉱が栄えていた頃に、「そのヤマで働く人はすべてが家族である」という考え方のことで、強い連帯意識を持っていました。マイカー通勤のない時代でしたから、石炭の生産施設の周辺には、24時間365日採炭をする従業員はそれを取り巻くように「炭鉱住宅」と呼ばれる従業員社宅に住んで生活をしていたため、その非常に狭い空間に「職場と住居」が隣接していたので、そのような意識を生み出しました。
第二次世界大戦以降は、燃料エネルギーの中心が石炭から石油へ移り変わり、それに伴い、常磐炭鉱は1976年に石炭産業としての終焉を迎えてます。
その後は、採炭時に出た温泉を活用した「常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアズ)」を町おこし事業として、観光産業への転換に成功して、現在に至っています。
いわきの歴史③ 常磐炭田
By B型継続支援 モリッピー
【就労支援事業】
発行:株式会社アイエスエフネットライフいわき http://www.isfnetlife.com/
アイエスエフネットライフいわき 平事業所
特 集障がいはバネになる。
東北地方(みちのく)を代表する戦国武将に「伊達政宗」がいます。彼は幼少期に疱瘡にかかり、一命はとりとめたものの、右目の視力を失いました。そのせいもあり、少年時代の彼は劣等感の塊でも
あったそうです。しかし、その隻眼の男性は、戦国時代を生き残り、老人となるまで生き切りました。
「弱肉強食」の時代を隻眼で生き抜いたのです。いまどきの言葉で言えば、伊達政宗は「身体障がい者」になります。しかし、彼の名前を耳にするときに、
「弱い」とか「臆病」などの言葉は出て来ません。出て来る言葉は「独眼竜」・「片目虎」・「東北の暴れん坊」など、弱さとは無縁のものばかりです。
話はロシアに飛びますが、セルゲイ・ラフマニノフと言う音楽家をご存知でしょうか。若くして作曲家になれた彼は、「交響曲第1番」を作曲して発表をしましたが、その作品が酷評されてしまい、重度の神経衰弱に陥ってしまったらしいのです。作曲家にとり、自分の作った曲が冷評される
のは、どのように辛いものかは想像の域を脱しませんが、さぞかしきつかったろうと思います。しかし、長い治療期間を経て再び作曲した「ピアノ協奏曲第2番」は大成功を果たし、
それは彼に自信を取り戻させました。その後、彼はその生涯を作曲家とピアニストとして大成します。
この両名に共通しているのは、自分に在る「障がいや壁」をバネにできたことだと思います。
戦国の世にあって武士にとり視力障がいは、生死を分けるほどの問題であり、作曲家にとり楽界からの痛論は、全人格を否定される程の壁であったはずですが、
両名ともに生き抜いています。
おそらく、「障がいや壁」によるハンデは生き残ろうが再起できようが消えなかったはずです。それでもめげずに踏ん張れた「力」とは、一体何なのでしょう。
私は、それは、その人が持って生まれた才能に「障がいや壁」を経て得た経験が絶妙に融合したことで醸し出されたその人独自の「勘」がうまく働いてくれて、得たものだと思うのです。
片方の視力を失ってもそれ以外の身体には障がいがなかったことや、自信を木端微塵に粉砕されてもピアノを巧みに演奏できる両手があったことなど
「自分にあるもの」を最大限に働かせた結果、周りの人たちを「アッ」と言わせることが実現したのです。
これは仮定の話になってしまいますが、両名共に「障がいや壁」がなかった場合は、あるいは「凡人」で生涯を終えただけなのかも知れませんよ。
人間には、窮地に追いやられることにより初めて発揮するものがあると思えてならないのです。それを得る過程で潰れてしまってもおかしくない状況はあるはずですが、最終的には、
自己破壊的な考えに帰着するのではなくて「生きる」考えに帰着できることが何よりも大事なはずです。短絡的な思考で終えてはそれまでのところを、そうではなく、深く自己を洞察することで「勘」が働き、
非凡な才能を発揮できると思います。
今現在、障がいにより、自分が失ってしまったことにばかり目が奪われているのなら、それで考えを終えるのではなく、今の自分に在るものの可能性にも考えをめぐらしていただきたいのです。
「障がいや壁」を経験したことにより得ている「勘」は在るはずです。それに価値を見出せる生き方を考えるのも、一興であると思うのです。
By B型継続支援 モリッピー