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Instructions for use Title 提婆・婆藪によって言及されたサーンキヤ思想 : 初期中観派におけるサーンキヤ思想 (二) Author(s) 今西, 順吉 Citation 北海道大學文學部紀要, 18(1), 63-101 Issue Date 1970-03-30 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/33337 Type bulletin (article) File Information 18(1)_PR63-101.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

提婆・婆藪によって言及されたサーンキヤ思想 : 初期中観派にお …1... · 〉帽子持的臨河湾土『印斜臨時制い第七一…六七支参然。 ハ6

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Title 提婆・婆藪によって言及されたサーンキヤ思想 : 初期中観派におけるサーンキヤ思想 (二)

Author(s) 今西, 順吉

Citation 北海道大學文學部紀要, 18(1), 63-101

Issue Date 1970-03-30

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/33337

Type bulletin (article)

File Information 18(1)_PR63-101.pdf

Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

提婆・婆薮によって言及された

111初期中観派におけるサ

lンキヤ思想

Ol--

西

)1原

士ロ

提婆・婆薮によって言及されたサ

lンキヤ思想

1

1初期中観派におけるサlγキヤ思想111

西

11原

は;

-65 -

竜樹の弟子提婆の著作に現われたサlγキヤ思想を以下に検討したい。提婆の主要な作品としては『四百論』『百論』

『百字論』があるが、このうち『四百論』は全体としてはチベット訳にのみ存すお「しかし提婆が作ったのはその傷

のみであるから、注釈を離れて偏文のみによって前提された思想体系を把握することは困難であるo

そして注釈書は

護法(五コ一

Ol五六

O)などやや後代の人によるものである故に、ここでは必要に応じて、特に究語の形態を推測す

るために、

チャ

γドラキ

lルティによる注釈の焚語断片を参照する程度にとどめた。注釈書におけるサ

lγキヤ思想

は別に扱いうるであろうo

『百論』は婆薮開士の注釈と共に羅什訳が存すお「以下には本書を中心として検討するが、羅什訳という年代上比較

北大文学部紀要

援婆

ーソキヤ思想

'つ

的古い

である款に、議と釈を併せ考察する

ととした。

叫一段論』に鮒闘して議うこととし

一、二提婆に

あり、百字の

ているが、

ハ1〉ハリ担同μ

判官民浜急割田門司会

TFE・脳WPW北京版第九五議}(ロタおお)。

これに対する波釈滋闘とし℃時比

(USLSEえにわ

hwzvrSF31H円「削

〈同九八巻、

P0・山WMNmw

出〉があり、この統一議断片ぷ

ER世間)系出掛仏

mygqwニリミ柏町骨仲昌之~wmpbい可入品可河内村同)向き

(ζ25aaGごぽ〉氏支芯

ωQnzqchMY口問弁

gfωM5HCiP3・念ゆi明広〉において将

行されている。コ凶百議』を参照ナる場合にはこの泌総断片に

いよ句告。

外に結決訳哨には総獄中十におるものが玄災紋コ品一段論本』(大正…一…

己、ロタロ議〉及、ひ護法の波紋後一院大衆広百仏関絞瀦い〈問問、出0・

M

伊三)がみるo

その的閣の際奥山山絞、賄側訳については、山間出品絶滅

博士「捻一路uh均的の議文蕊-一一一一一=1随一久品核問問。

(2〉鳳駅近護法の注釈平畿のサ

mcg己

出92L出hur宏容告側町民明男名。叶片言問山畑HWWY苔〈吋印仏認制』第十

七滋第二六一九六八年、問問問一氏

im同凶

O頁)が紹介しておら

れる。

〈3)

これからの災訳が、

c・1

吋広明白川

HMM3iu広zm問問由民戸内山門向日比丸

の外に菩提流交による

にはチベヅ

」の外援わしい

芯支出

OWMMb閉山KMH05{UY52ゆ

ω94H吋ng-(CO伊同M0・MHLMM-

∞旬。ふ

mHSN由)に収められている。

〈4)

5質問肋開門mrp彩山州北京版第九五泌物、き也何日

NEM〉}内世間吋弘知a

門知}広三神門仲間、

5・明Nω明・淡訳、大}広三

O、

5・同研岱ゆ・チベット訳

と淡訳、との対照研究内山山口議簿土「淡滋対問削ぼ均十点機及び自民註」

(匂大谷時十緩い第一一巻第二号、陥和六年三月、一45egg-

九五次〉に

おいてなされている。吋E

ぬ砂川ふ漏』の分節は山凶幻際会vh

従うこと

とする。

(5〉帽子持的臨河湾土『印斜臨時制い第七一…六七支参然。

ハ6〉築地慣の著作における外教に対する也一口次は双十嵐智沼氏「縫

婆に於ける剖汁滋談会ピタムカい策関銃一一考以下、昭和一…匁〉、

問問「滋州側・提婆に知られたあ数論、雌町議尚子税に淡いてい令宗教

(問別究』新第一…胤牧、協和九年、八回二

i八双九亥〉においてま

とめられ、吋夜一論』の資料は府筋山本蕊議捕時土『昭和校訂官筋論々疏

ふ山中本匂〈寸仏教大系い所段、総和一二年)の序文附炎第五(五八

|六八爽〉に終協持されている。

no nhv

第一節

『百論』及び『百字論』におけるサlンキヤに対する言及は、因果論と純粋精神とに対する批判が中心を占めてい

る。しかしその外にも、サ

Iンキヤの思想体系を構成する諸部分に対しても論及しているので、最初にこれらをまと

めておくこととしたい。

まずサ

lシキヤの二五原理がいかなるものであるかを次のように紹介している。

「(釈)迦毘羅言、

従二冥初一生ν覚、

従ν莞生一一我心品、

心一生一一五

微塵一、

微塵一生一一

大一、

神震レ主、

従一一五常

莞相、

大一生一一十

不敗、

不掃

離受

生諸

死(法

Lー

-67-

能知ニ此二十五諦一、

即得二解脱一、

不ν知ν此者、

カピラを祖とするサlγキヤ派の二十四原理の開展の順序は『大智度論』におけるものと同一とみてよい。『智度

論』では「五知根」とされていたものがここでは「十一根」とあるo

しかしこの相違を重視する必要はないであろや)

微塵からの五大の開展については特別の記述は見出されない。

(口問・包}回目引HrmEア

ω円凶〈口同)、覚相(仏・

2片山口

Pω円

凶凶)、処中(仏-B包r吉田手習い山内出凶)、常住(口町・巳

qpω円凶同)、揖二受諸法一

次に神即ちプルシャについて、

M内

HVF〈h

門司片山凶口町四

ω戸

(口同・

σr。}え♂

ω同-

M

内〈口)など

を云い、それぞれ『サlγキヤ煩』にも対応を見出しうる。不壌不敗は果たしてその通りの原語を推定しうるか一合か

明らかでないが、住常の強調した表現と解すれば

FDZ2EEHEが考えられるであろう。なお覚相という訳語は注意

北大文学部紀要

提婆・婆薮によって言及されたサlγ

キヤ思想

されるべきで、直前における二十四原理の一としての覚は明らかに

σロ仏丘止の訳語があるが、ここではそれと区別さ

れねばならないo

これについては後に改めて論ずるであろう。

以上の二十五原理を知るものは解脱し、知らざるものは輪廻する、

と云うo

これによって二十五原理の基本的体系

とその意義とが極めて概括的にではあるが述べられていることになる。提婆に帰せられる『梼伽経中外道小乗担集論』

にも右とよく似た形式でサ

Iンキヤ思想を紹介している。

次に自性と神との関係を盲人と岐者とにたとえている。

「外日、

(論)

如一一盲肢一。

(釈)

警如一一盲肢相慨能去-。

如レ是神有一一思惟一、

キヤのものと見て

よ和し、

で合あ

而ろ('5~去τ

O~

」ー

身有一一動力一、

-68守

この壁面輪はここではニヤ

Iヤ批判の中に述べられているが、

次に実践の問題について、

まず浬築という固定的なものがある、という外教説が論破される。

一「

日、(論〉

有一-般訳出法-、

常。

無煩悩ト浬駒栄ハ不異故。

不一一復生死-。是故担築震v常。

(釈)

是名ニ担築一。

有ご一院悩一者、

則有一一生死一。

無二煩悩一故、

日(

)

不レ然。

〈釈〉

国間

ν修ν選故、

無--諸援協一。

無一一震情

ここに云う外教の

サ1γキヤに

一般的であるが、

(第

の検討』)などに

れる

かかる批判は、例えばサ

キヤの文献の土でも次のような影響を及ぼしている。

の〉なる、が故

である、というの

しくない。何となれば有なる結果はそのごとく

ハ無常〉である

'd MマF

の滅は結果ではあっても、その反対〈1常住)である放

「捨罪福口問」は、

(arRBM凶

)

時ち養・

行為を破斥することを意

味するが、

の修行法を紹介する中で、

サlンキヤについては次のように

おご迦罷

語山一僧

一、

説一一諸

判別総一。

於一一二十疋

中一時待費

8章一

,c,. /J

法-。」

は「サ

1γムヤヤ

二三に

ところの、思惟機能

の純質的なあり方(印即日三宮l品事)を指す

もので、こ

-卸羽・自在・

の四種であると

る。

に祭記批判官に

「心が福

五道 て

キヤ思懇が援沼されている。「取福捨葬比

是れを不行法と名づけるよ

であるが、

れが「無相」であり、この仏教の立場から

馬殺を批判するので為るが、鈴本によると、その理由は、

記一騎報

一、「汝有

m

故尚臨み柄、 但

有一一一言部

無一一因縁一故。

提婆・婆援によって言及されたサlンキヤ思想

」れに対する婆薮の注釈では理由一に関して、

「馬記一隅報賞無常。

何以故。

ω馬

世間困若有レ量、

果亦有レ量。

如ニ泥園小、

瓶亦小一。

ω復次聞、

汝天有一一蹟幸一。

不ν臆v常。

(3)

o」

右のうち無常の直接的な解説は第三項のみであり、第一項は因縁に応じて果が不等であること、第二項はそのため

に争いが起ることを云うと解せられる。ところで理由二については、

o』

AU

d

「如ニ馬記業一中有二殺等罪一故。

復次如二僧怯経一-一同一。

『記法

v捨o」

論本に云う「雑罪」が「有二殺紘一寸罪一」と説明され、福とみなされている馬記が実は殺生等の罪を伴うことを明か

している。最後に「僧怯経」を引用しているが、その不浄・無常・勝負のうち、婆薮は理由二に不浄をあて、理由一

における三項の説明が、実は勝負と無常に相当することが知られるo

このように解するとき、馬記批判において特に

婆薮、が積極的にサ

lγキヤを援用していると言いうる。但し論本における「雑罪」の概念は、。ハ

γチャシカに帰せら

れる断片の中で、祭間によって生じたる主要な新得力(名口吉田)には、殺生などより生ずる新得力の「僅かな混入」

(∞

g-宮σ白山恒

-85ざがある、と説かれていることと関連があるであろう。

次に引用する文もサ

lγキヤの文献と関係が深い。

「(釈〉如二経説一。

能作一一馬肥-、

是人度一一衰老死一、

古田ロ院ら高、

-F圭す

dF円

o」

内問・山口可山口

gzrrロ38担当ロ片山

WZH℃EFH恒宮

24邑ZE182聞こoEm官官民自立

U15HHSECB℃自同

EHHH

gg氏・の白戸仏国同)川山岳山仏

ω同国

祭記批判はサ

1γキヤ学派のみが行ったのではないが、ここに見られるように、

サlγ

キヤ派が、代表的なものと

見られていたのであろうo

〔附論〕『百論』の本文は「悪止善行法」にはじまる。この句について次の間答があるo

日初士口一故、

中後亦士口0

羅義

日可味

波易

是帝解

不主泰法、

吉極言音、

庚流、

布、

{更

ini

(論)

汝経有レ過。

空、荻増、)

寿、諸

威、師

徳、作

尊、経

重、法

O

初説レ吉故、

如v是経等、

初皆一言レ士口

0

ν惑故、

τ過。

日(論)

不v然。

断二邪見一故、

説一一是経一。」

この議論は論書のはじめに吉祥なる言葉(自色ぬ回目白)を述べるべきことをめぐってなされているが、既に〈旦

g23日

l

F告

E仲間出凶自に「論書の形態は聖音(オ

lム)によって完全となる」と述べられ、パ

l

ニニがこの原則に従っ

ていポことを指摘しつつパタ

γヂャリは次のように述べる。

北大文学部紀要

提婆・婆薮によって言及されたサlンキヤ思想

「吉祥を願う師は大論書の吉祥のために、

吉祥にはじまる論書は広まり、

「完成せる」(田正門同日戸田)

という語をはじめに用いたのである。何となれば

人を勇者にし人を長命にするかあであるo」

読請者が目的を達しうるように、

婆薮の注釈が右の文とよく一致することは容易に理解しうるであろう。

(お〉

このように書物の最初にヨ包官】仰を述べるべきことは早くから周知であったが、その反則に対する批判と弁明が

『百論』に見出されるのである。この点でサ

Iγキヤとの類似が気づかれる。『サ

lンキヤ頚』

『百論』の最初に「悪止」があるように、「苦の三種が逼迫

(EfrE同片山首ゲ

}LmrEとする故に、

第一の最初に、

丁度

それを滅する手段

に対する考究がなされる」と云うが、

ヴァ

lチャスパティミシュラはこれについて、

「苦(という語)は不吉であるとしても、それを排除することを目的とするのであるから、それの滅は吉祥である。

それ故に書物のはじめにこれを述べることは正しいo」

同様の議論がペ己

のん庁,.

ZU可同ー可長一

OEは自由沙問問色白について詳しく記している、が、右のような議論については触れていない。恐らく特殊な

ケースなのであろうo

それが『百論』とサ

キヤに見出されることは注意されるべきであるが、果たしてサIソキ

ヤにおける議論を婆薮の時代にまで湖らせ、それが「百論』に影響したと云いうるか否かは問題であるo

特に修辞法

という一般的原別であることが、両者の関係を積極的に主張することに対する妨げとなるであろう。ここでは類似性

を指摘するにとどめる。

(1〉「論」と「釈」との区別は宇井博士「コ一論解題」及び「国

訳百論」に従った。『国訳大蔵経』論部第五巻。宇井伯寿著作

選集第四巻。

(2)

大正三

O、一七

O頁、下、

一二一

i一八行。

(3)

拙稿「竜樹によって言及されたサ

lンキヤ思想」(『北海道

大学文学部記要』十六ノ二、七二頁参照。

(4)

拙稿「℃山口恒問gmwについて」(「印仏研』第十六巻第一一号、

一七四頁、註五参照。なお「主」には

2削55も可能であろう。前

掲拙稿「竜樹によって言及されたサ

l

ンキヤ思想」七四頁参照。

(5)木書は果して提婆の真作か否か疑われているが(宇井博士

『印哲研』第一、二六七頁参照)、次のごとくにサ

l

ンキヤ思想

をまとめている。

従二自性一生ν大

v意

ν

智生二五分一、従ご五分一生二五知根一、従二五知根一

生三五業根-従二五業根一。生二五大一。

生死一得三淫梁一』

-

湿

(大正三二、一五七頁下)

右において開展の順序としては十一根が、意、五知根、五業根

に分割され、五業棋が五大を生じ、意は大より生じ、かつ相官を

生ずるとされる。図示すると、自性|大意智

i五分|五知

根五業根|五大。順序の特異性と共に我執ハ我心)を欠き、

智が加わっていることが注意される。これは他に例をみないが

北大文学部紀要

州内包EC百・ω・

5には寂静我(仲間口門前門Bω口)l大我(削仲間出口日与え)

l智

C

EロEBS)|語意(〈削口・5Eg)というヨ

lガ的沈潜

の次第がある。このうち大、知、意、が強いて言えば右の大|

音山li智と関連を有するかも知れない。但し原語が確定しない故

陀これ以上の推測は止める。

『浬繋論』に引用された文中、「何等性」という「性」は

忠日目白(生活期、四住期)を指すように思われる。特に「論中

説」と断っているのは引用であることを示しているが、これに

類する詩がサ

lンキヤ派の文献に伝えられている。

「二十五原理を知れる者は、いかなる生活期に住するとも、

弁髪、剃髪、磐田髪にするとも、解脱する。この点に関して疑

なし。」

(の自門円回目)間仕邑∞同ハ戸凶凶HHH山豆削HEEdgwHyav金七十

論第二、第三一七煩、。EHMmwggp叫,

REEYE吉氏宮]州問、同)・2u

吋伊丹門SEHHMmgym宮田]H片山・匂-H叶UωRS巴仏門出H削口同富山伝聞grpMHu

t-ζggB叫子出HWHOMPHHH・日0・なお修行者の髪についてこ

の三種があることは豆Egg-凶口

-N5及び大智度論「或剃髪、

或長レ髪、或頂上留ニ少計髪一」(大正二五二五三頁、中〉を参照。

この詩はヴイジユニヤ

lナピクシユの弟子パ

Iヴ

lガネ

l

シヤによってパンチャシカに帰せられている(寸ω=〈mwB-忌間三ra

宮内町宮gu5ω帥

gryヨg

HM四円。

rpH】・2)。ともかく多数の引用

によって、古いものであることは確かである。

(6〉大正三

O、一七二頁、中、一一一二三行。

(7)

∞烈-MM口なお拙稿「マ

lタヴァ『全哲学綱要』の一考察」

ηtu

t

国語鰯・繍時訴は吋 FνIllIa~れJ~.\2キー λ 1\-午 E白隠

(['-laどか』書官 111絢11・111目的 10同-1( ]m(~\区。

(∞) -1く ~1110' 1くO]m(' }ι, 1 1!巳~ト。

(∞) ~恥ヰk位制『回日話回線J 1 11吋]m(';1;I;l 1 1長'同十主要拠堅官

1EE里線wr".>J ~-R J 総困』士総兵 n]t>' 111 1 阿~ト~\g監。

(~) na ca karyatvenanityata phalasya yukta, bhavarupasya

karyasya tath亘bhavat,d吟khapradhvaIp.sanasyatu karyasy-

api tad-vaiparityat. Vacaspatimisra, Tattvakaumudi ad SK.

II.

(ロ〕 牒牛士~ Ir-l壬縫J(VIII. 5 etc.)以おム ν)JQ~lj吉正 Q dharma,

adharma Ool!i@. li#i;久J~~νJ二時。 cf. Saigusa, Studien zum

Mahapraj五証p亘ramita(upadesa)勾stra,S. 132. Anm. 46.

(;::]) -K同1110' 11くく]m(' iV 1(ーく!と。

(口) ug:' 1平O]m(ベ-}L-O

(::!:) ug:' 1平O]m(' il-。

〔ピミ) cL avisuddhi-k,?aya-atisaya, SK. II. {小牧控判, ~~繋制m'

11 1 ]m('古al11長。 Chakravarti:Origin and Develotment of

the Sã~khya System of Thought. Calc. SS. no. xxx. 1951

p. 5. note 2.

(記) Vyasa ad YS. 11. 13, Vacaspatimisra ad SK. II.

(~) ル故佐+1'担感制m' 1長岡P 制川-¥1。

(~) -K同1110' 1-¥10阿, il-' -Fー 10(cO

(~) -1くi剖1110' 11くくl叫, il-' 1 1 千ミヒ~件。

(自) pra早avail}.sastr亘早a!p.rupam..….apyate.

(c:::1) B凸htlingk:Pa1j-ini's Grammatik, Bd. 1. S. 2, Anm. zu 1,

1. 1. (*i l回国主主位制叫 0~主総 l民必}剥:~O リ )J il穏f判制 粥 J 制

-r0)

(~) malJgalika acaryo mahatal}. s亘straughasyama早galartha!p.

siddhasabdam adi tal}. prayu早kte.mangaladini hi sastra早l

prathante virapuru守亘lJi ca bhavanti, ayu,?matpuru守亘早i

cadhyetarasca siddhartha yatha syur iti. Mahabha守ya1,

1. 1. ed. Kielhorn vol. 1, p. 33. V. Trapp: Die ersten

funf A.hnikas des Mahãbhã.~yam, Munchen 1933, S. 13;

Danielsson, ZDMG. Bd. 37, S. 33 寸ベ

(自〉健出品会的 mang山 il¥"ム 同 s.Bul加:凶scI1E ? Palaeographie, S. 85.

(c;!;) yady api dul}.kham amangalam, tathapi tat-pariharar-

thatvena tadapaghato mangalam eveti yukta!p.臼stradau

tatkirtanam iti. Vacaspatimisra ad SK. I.

CKl) ed. R. C. Pandey, pp. 6-7. 1+仰はぎ Mahabh両ya -¥J ~

心会以 Il認←テ"-þ{':ム 4守心'主己脂綿~t\J Q )J-リみJ~'苦l'P ν ムト,, 0

C~) Ir主封鎖程Jil-#' やや霊長選 Q~lli還後-\Q向。

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纏《起トミ牟l説。 RE 主主緩吾醤1J1抑制111援 護領制

門一、而百千衆中乃有一二人能百円諦持一。況

不一ユ脅立一誰嘗レ有一一一能諦=持如レ是雑観文句一。無二

諦持者一、便速隠没。」(大正二七、二三六頁、下、

一二行以下〉

これはヨω降四回

と同じではない、が、類似の思惟傾向を示し

ていると言えよう。

第二節

個別的な問題では因果論批判と精神原理批判が、

サlγ

キヤ思想との関係においては、最も重要な主題として、提

婆の著作において論ぜられているo

まず因中有果論から検討してみよう。

『サ

キヤ碩』との関係で最も注目すべきものは、『百字論』第九節である。

5

ウ4

一、無法非二因生一。

如二兎角、

如レ見ニ塵レ油求レ麻、

法一震v因能生中多法上。

亀毛、

石女児、

虚空華等一。

二、以ニ因縁一生。

作レ瓶求

τ泥。

三、非下以二

四、而物各有レ因。

飴法一亦爾。」

如下泥能成ν瓶、

不ν混一一証因一、

鰻能成レ艶、

不上レ震一一瓶因一。

以ニ此類一求一一

右のように区切るならば「『サ

lンキヤ頚』九の因中有果の論証の五理由のうち四つまでがまとめて挙げてあるの

を見る。しかし『十二門論』におけるものが五種全てを予想するのに対してみると不完全である。

これに対する論破は、甲の主張と同じ資格において、それと矛盾する乙の主張が可能である、

という中観派の一般

北大文学部紀要

提婆・婆薮によって言及されたサlンキヤ思想

的論法、並びに「声法是常」と「声無常」の実例によって為される。かかる立言は青日釈『中論』にも見られ訂

さて、次に『百論』の記述を検討するが、『百字論』及び青目釈『中論』をも併せ考察することとしたぺo

(

上段が

『百論』の文章を意味する0)

1

「外日

(論)諸法非レ不v住。

故。(

)

ν圏

v底

ν腹咽、従レ咽口、前後矯=因果一。

ν

v生

諸法-。

内日、

(

)

(釈)汝一マ一日二瓶果生時泥閣不τ失。

是則無レ因。

不v失故、

無不レ生

若泥圏不レ失、不レ応v分

τ異。

有懸レ失。

.

6)

何以故。我法常有故。(『百字論』)

v所レ失(『大智度論』)

ν因

果.~レ

生果

Q 青ポ

目言論?、J 巴~~

nhU

d

困層周レ三一果作レ図己滅、

若因(不レ輿レ果)作レ因己而滅因滅而果生

(

)

(

v因

(

v然

(

)

2

外目

立珊)如二指屈申一。

(釈)指雄二一屈申形異一、

v異、

内田

(論)不レ然。業能異故。

(

)

故。指

外日

(論)如ニ少壮老一。

(

)

-

如レ是。

内臼

(論〉不ニ故。

(釈〉少不レ作ν壮、

非也。

ν異。

如レ是

3

不v作ν老。

是故汝仏側

4

二'A 'lクミL

q9次

v失、無v失。

北大文学部紀要

事若

即 謂下

濡於

ー去

(法

草JlP芭ぎ是

属中

者上

離二五指異-、

挙異不可得(青目〉

dヴ

t

如レ是則是一色皆局ご嬰児一、無レ有ニ筒旬乃至

老年一。叉如一一泥圏常、

4r)泥圏終不-レ作レ瓶。

(

)

提婆・婆薮によって言及されたサ

キヤ思想

5

(

)

v臆一品艶矯℃瓶。

v失

不ν底レ失。然則都無レ失。

外日(

論〉無v失有ニ何径二

(

)

v失

τ瓶、

事益山常-有二何過一。

内田

(論)若無ご無常-無二罪幅等一。

(釈)若無二無常一、罪一幅等悉亦嘗レ無。何

以故。罪人常震=罪人-、不レ際レ矯レ一胸、一服

人常篤二幅人一、不レ臆ν篤レ罪。罪一隅等者、

6

釈事官

v際レ篤二瓶因一。

内田

(

)

ν果故有レ果、

無レ果。

(

)

ν瓶、

泥不レ失故、

因中有レ

v

常住本相亦無二相額一(青目)

則嬰見色不レ滅。

ν果者、則無一一未来法一。若鉱山ニ未

来法一則無ニ生滅}。無一-生滅一、亦無二善悪一。無=

法無。(『百字論』)

若常則無二罪幅等一(主印〉

-78 -

先争宇一一無長一

_ ,,.ア門牛耳,~ 王子't.

f?果坦誰主破

縁年因

主F中

詮万丈無てつ '9

百果字〔

iES吾、ーノ 、

百字さ2込員同

b

第九節、d ノ

ー寸

7

果。外日

(論)

(釈)

果、内日

(

)

(釈)如一一一泥圏現在、瓶清二未来二若因果

f

一、則無=未来一。無ニ未来一故亦無=現在-。

無二現在一故亦無二過去一。如レ是三世観。

外日(

(釈)吏無コ新法一、而故法不v失

v

ν泥。如レ是都無二去来一。瓶金安在。

但随レ時得v名。主(寅無レ異。

内日

(

)

ν果。

(

)

ν果

v非二先有

τ果。

外日

底二因中無

τ果。

更如因

無土果

異因一

故。泥

法一。是故不レ臆二国中

因襲矯レ

τ果。

8 9

北大文学部紀要

-参照。

非平

生両手芭故〔

O 則〕

~

百子(百問21ι=

-79 -

因不二議滅一、但名字減、而因陸脇田震レ果。

2J

如下泥圏襲篤レ瓶失ニ泥園名一一肌瓶名生上。(青民)

提婆・婆薮によって言及されたサ

キヤ思想

10

20

不定故。

(釈)泥圏中不=一定出二

τ名。

内日

(

)

(釈)

zp一因中先有

τ果亦

不定。

外日

(論)徴形有故。

(

)

ν不v可ν知

ν知=一

泥中必有=徴形一。有三一種不可知一。或無

v八

v知。如ニ遠

国土一。近故不レ知。如三限捷一。根壌放不v

知。如一事・盲一。心不ν住故不レ知。如二人意

飢-。細故不v知。如ニ微慶一。障故不レ知。

如ニ壁外事-。勝故不v知。如二大水少盤一。

如レ是泥圏中瓶、限難レ不レ見、要不二従ν蒲

出-。是故徴瓶定在二泥中}。

器一。

泥団体不二燭生古瓶、

〈お〕

(青目)

成因平

大 中二

二有門さ't.E 司 日同

五長三主。五抑24ζフ)徴 (2)

五回

『十二門論』〔五〕

ω

会翠等皆従ニ泥中一出。

以ニ先有一故、

得ν

-80 -

11

内日

(論)若先有二徴形一、因無レ果。

(

)

本鉱山ご箆相一、後乃生故。是以因中無レ果。

外日2

0

v有ν果

ν因故。

(釈)因中臆一一先有

τ果。

泥、不レ取ν蒲

ν

蒲。而人定知ニ泥能生レ瓶。挺レ埴成レ器、

堪レ受ν民

内日

12

(論〉若嘗レ有有、若首レ無無。

(釈)汝ι

一白二泥中嘗v出

τ果、

τ果。

外臼

(

)

(釈)瓶中蜂レ有二被相二要先生、

内日

(論)

次住、

若先生非山パ後、

無レ果向。

北大文学部紀要

「十二門論』〔五〕

ω

v箆

使

(『百字抗日山

『十二門論』破因中無果〔二〕、『百字論』第九節、

-81 -

6参照。

ょっ

Iンが5

ヤ思想

〈釈〉者

v瓶

後援、不ザ日光壊後生二

郎ν楚

ν生時、然、ν伎

後夜故、間出品山a耐熱

ν果。

外口い

13

汝寺号

8

3長何

j上と主主故

二主主喜怒

汝敬一一品物田沢一放有一一蹴

ν来

内自

ハ論)

(釈〉

以上が

な14

飯山

τ破。

中然官菜、

ν常。

汝一小ν知耶。従ニ殺子一応A

位一す綴緩欲、

Mmザ因壌放、不レ常。郊レ民総諸

不ν繁

皆同一、、ユ時

の記述が見出される。

において国中有楽識に回附してまとまって

子主

須v作。

部下山路有ν甑不上レ

誠一一際部一、

繍線放名ν行

ν行

是名上レ止

-82

している部分である。しかし

にはこの外に

部下問機有v盛不上ン須一一織邸一。

以下瓶闘接待二功

二以上故、

知日…問中

燃ヅぇ

15

「若圏中

また

16

と述べているのは、『中議山

17

叩「

員日

ν艶。

営ν知

一、

従v他

一広々

が困中有果無関拭の問題に盟関連する

とを示す。さらに

tこ

(

)

である。

83

以上顕を閉鎖みず

ではサ

lγヤヤの主張と明記

したの

ア中論』に

しては必らず

なく、財務

の類似によっ

とL 、

は別としても、青目釈

が意外に

ることが気づかれ あ

る。この比較の結果、司一段議いと

9

て引用し

いる、もの

に8)を青語釈と 3

5

日〉しかも

内議』よりも共瀧点が多く、

に欠けて

8 が共有ず

思怒内容においては、

一、有は縫しない。患が変じて果となるが、その

一である。

は小識であるに拘らず関山中有楽議の諸側面を示している。

何ら失われる

とがない。ハ1〉従ってその意味では

北方文学部知脳裏

二、変化とはそれ故存在形融合変えることであるに外ならない。ハ2

換言すればある名称を捨てて地の

婆薮によって粉抑制及されたサ!ソ

」のことは問問中無楽を意味しない。

のうちに

得ることである。

(8〉しかしこの名称自体は舗の中にあるのではない。

(9)

し、それに具体的な形態を与え

ることによって果となるのであ

それ故に闘の

-道態の面にまで拡げられて

ハ6〉「取回いハ日〉が出されていることが注目される。

ているこ

るC

(

5

)

ハ1)

山口論時士、前議論文、回

C頁。大正日。、二五一一員、上、

一六行以下。

ハ2〉大友芳滋民「淡絞W

以内十論に於ける一一、一一一の附同時総」〈門大谷山子

却祁』第十六議務泌号、昭和十年十二月、六八一ー一丘一員)参照。

ハ3〉コリ

キヤ頒」における務部の理由「総カあるものが可

能なるものψ凶作げる放にいに当るものが欠けているのである。縫

いはこれが一つの形態であったと考えられるかも知れないが、

その可能伎は少ない。チベヅト訳は漢部品に比べると、例誌を全

て除き、立つ吋サ

lンキヤ頭」と殆んど開門じである。

{2小

W都側は約げられない放に、制紫紺村が取られる紋に、川

w…切から

生ずることはない放に、純然能力なる翁能力点備はない放に、紛

図がム有引、、ある放によ

このうち

ωP25igLl山議ザグ河口

Uiまさえ1官官MLG即吋一切『拘吉I

HMF

cig旬以口1MMmwMMM

州》

Y可立はそれぞれ窓コ住民MMぴ

72叫にL阿部

Jwrw

ESAXWIrym芝山掛けの一つの読みヤ々として可能であろう。川仰は町綴」

〈徴形)とし

ぃ。(日〉

の表現そのままとは智一同えないが、「能力あるものが可能なもの

を作るいということと、一

g

拙拠カあるものは無能力ではないL

いうことは肉じ家制例会怒球しうる。

(4〉「問中世鳴神お欲ν談二其過一、一小ν欽一一於袋一

zm銃二綴絞

v名

級二我常一。我旅田山γ常被ニ汝無慾一。治賓加燃料的

ν翁ニ

分別…。有一て郊ν長

不ν成立泌総九日間二彼

治的肌ν祭絞v常者、別総レム仰ν退

人…小レ取ニ空相畑山口絞殺悶疋放若数一い開削悠一、山間接v

h臥ニ

v求ニ緩後絞滅相一場。」〈大正…一一

。、七一氏上、二五行以下〉

〈5〉大友芳仙川氏「終婆における問中教鳳品川悦山間米の問題」〈『営学閥解

砲丸」然一…工務、第六冊)点検制限。

-84

(6)

第一五節。大正三

O、二五一一貝、下、一二|四行。見亦不壊

不見亦不壌に当るところがチベット訳では「見られるものにお

ける滅と生は(実には)存しないよこの方がよい。山口博士、

前掲論文、六四頁、註六参照。

なお類似の文が『婆沙論』『倶舎論』等にもある。

(

7

)

凶洲、恒国

-EH戸内EY仰のゆ門司}戸田

-mHMHr巾SF

(

8

)

大正二一

O、二六頁、中、二七行。但し三本に依る。

(9)

凶Mh・なお青目、大正一二

O、一七頁、中、二三行以下参照。

(叩〕

MU内、N0・なお口匂・吋肉片付〈自由伝聞grml官主山片山w

包〈・尽-

〈日)大正三

O、七頁、上、七

l八行。

(mU)

口uHmw-

(日〉大正三一

O、一九頁、中、二一行。なお三

O頁、上、一五|

一六行参照。『大智度論』にも云う。大正二五、一六三頁、下、

二六行。

〈日)大正三一

O、一七頁、中、一五|一八行。

(日)大正三

O、一七頁、中、二八|下、一行。

(日)無とあるも誤植であろう。

(げ)第一五節。大正コ一

O、二五一頁、下、八

l一一行。

(刊日)大正三

O、一二頁、上、二一行。なお『中論』阿〈戸

NHlNf

〈HHHwm参照。

(刊日)チベット訳、第一五節。相当漢訳は「以v是故、知レ有二

因果こ(大正三

O、二五一一具、下、五|六行〉

(却)戸町・口・

北大文学部紀要

(幻)第一五節。大正三

O、二五一一具、下、

(詑〉大正三

O、二七頁、上、四

i六行。

(お)大正一ニ

O、二七頁、上、七1

八行。

(川社)第一五節、大正二一

O、三五一頁、下、四

i五行。

(お)第一五節。大正三

O、二五一頁、下、一一

l一一一行。

(部)大正三

O、五頁、上、一四|一八行。

(幻)第一五節。大正一二

O、二五一一具、下、六八行。なお第一

六節「若瓶泥中巳有、不ν須二輪細川人功等一成。」(向、二五一

頁、下、一九|二

O行。)

(お)}内、

ω・なお

upN

及び青白釈をも参照。

(me第一五節。同一一五一一具、下、一四|一五行。

(ω〉第一六節。問、一一五一頁、下、二一行以下。

(訂)かかる一、具による論議は提婆に帰せられる『外道小乗回

宗論』や堅意の『入大乗論』が行っているが、提婆とは切り離

して考えるべきであろう。宇井博士「印哲研』第一、二六七頁

参照。

(泣)両者の類似について宇井博士も次のように述べられる。

「故に青目と婆薮とは殆んど同時の人となる。此点は中論釈と

百論釈とを比較するも首肯し得る所なり。」(『三論解題』四六頁)

(お)ガ

lド氏は『十二門論」と『中論』釈との作者を同一視さ

れるが、以上の点に関する限り疑わしい。凶作〉・。mw丘二)口任。

EPE巳口

FQC同

poNvalhgmロ門回忌NSl周忌l苦貯SINS『印仏

研』第二巻第二号、七四七頁。

行。

-85

提婆・婆薮によって言及されたサlンキヤ思想

第三節

『百論』破神品はサ

lγキヤ派の神即ち純粋精神

(

)

の批判にかなりの言を費している。

そのはじめにサ

γキヤ説を次のように紹介するo

一寸

目、

v神、

如一一僧怯経中説一。

耶渇レ異耶。

『完相是紳』

内外

也L O

神と覚とは同一であって両者は別異ではない、という。ここに覚という訳語がある、が、神と同一のものと言

とき、覚は、サ

キヤの術語用例に照らしてゲロ

EEを原語とするとは解しえない。この問題は既に第一節

及したが、まず『百論』における議論の内容を検討することからはじめたい。

われた

でもききにコ

-86 -

ω「内

日(論)魔若一脚相、

(

)

榊陸一一無常-。

壁一目如一-熱是火相、

火亦無常一。

故(今しO~ 畳

属一一因縁一故。

「相各異」「属因縁」などの表現が示すように、ここでの覚は個々の認識を意味している。それ故に「本無今有、巳

有還無」と云われる。

r剛、

〕幼「外問、

〈釈〉

内自立腕〉

汝非

相。

(釈)

無常。

亦憲一一無常、

」れは右

る議論で

,-、

)ω「護次

軍中

ff

日騒}故。

ハ釈〉若

者、

山附』

‘稲川叩

不ν能m

一周

O

相一故常。

常一。

i

JHH

-耶

蕗一。一所以

故発非…一一脚約百

ることについては全七

記る認識としてのの鴎係について、前者は遍在するの

し、。〔一一〕∞

発等。

(諭)若爾紳

以ν同党露一寸岬

ハ釈)

v是

化方文学部初心菱

べられている

神陸一日尚子機

美一。

間同

。して後者は

O

民4

心付'i 1

組閣無意故、

不レ恩ハ者、

側、

瀦行一一五

o

る神と、際られた特定の対象に

である設に、

壁吾朗一一…火

一小刻川

必附7i

=

87 -

てのみ

一で

るとは

議場

主義‘露。覇主

3dvdJZ22オ式寸,iュ、司べ吉正案

あるいは神が党と同様に不遍でなけれ

ぃ。遍にしてかつ不遍ということはあり得ないからむ

ワロ

ω次

(論〉若以

zt若手出時、

医ハ」宇一五アス

a

相O

ハ釈〉

欲レ令二神

則二相。

不発相。

何以故。

故。

一勝若

嘉一、

是刻…小

しかもなお持、が遍である

覚に相応する揮と相応しない

即ち覚と

であらねばならない。

以上、無常及び

について論ぜられ

その議論において覚が対象的認識を意味することは出切らかであるが、以

下において、

にそれにと、どまらないことが知られる。

門一一一〕糾「外

-88

故無レ過。

ハ釈〉有虎

比中亦有ニ発力一。

故無ご笹川

O

ハ議〉

不ν然。

不v異故。

寵レ有v用

ペコ

飯山ν用。

奔也。

郎ν是説=魔

〈釈〉

露亦有一一発力

ここでサ

々ヤ派は

の概念を提出する。笠力は遍在するが、その留期的な欝きとしての党用には

ると説く。党カ

々の対象認識などの笠間加が可能とな

マあると奮いうる。覚がかか

るムな

らJdu

、それ

る認識と時一ではないことになる。

るこが い

の点は後にまとめ

そこでは次のように

るが、これ

る「百論」の批判は〈川良部五日話回仰向ふ

Zω-HHH-N・品と比較して考え

ヱ疋在せる

ゲロ仏門戸}ユ)

の作用

であ

カミ対象

て現われる。そして作用は作

患を有するもの

(4吋

Hag部

内)

ではない、とハサ

lγキヤ派が〉

ることは、

〔スートラ〕

しくない。同持

」と、がない放に

る。それ故対象の

るのであるから緒作活ハも〉

に開時に議対象会把捉するという誤が附付随する」。

作用な有するもの

作用と作用含有するものとは

定在する。

サ;ンキヤ深は作用と作用を有ずるものとの誇

ると、前者があくまでも怠惟機能

r'j

iツヤ;ヤナ

「百議」と比較

89 ~

を問題にするの

して、後者

なしつつも、神と間一

のものとしての党力合問題にしているとい

、。ph

ゐ339

しい刀、WMMV

戸一

,..-..

〕斡「外臼、

用。

ハ釈〉一静雄

カ」O

合一故、

堕ニ生相

(釈〉

岡山縁合時

用者、

縁一故、

員日

担。

I玲

不ν呉、

山中

WHr

北方文学部紀要

-婆薮によって一一一一

w

一…間及されたサly

相。」

は皆縁を待つ

る。これは

Z可制四百!日出

22自・ぃドωoINM

の議論と

ると、龍項

一Jm議』と

『ニヤ;ャ・ス

iトラ』の

し、

にかなる。そ

W灯、」

(言語口出回)との接触が同時認識の

の根拠と

るの

であるが、

ここではかかる問題ではなく、党カ従って待自体の生態性が指摘される。

」こからも覚の

ぴ戸門

HnHY-

のそれと

ると…吉田わ

し、。

円四〕給「外師、

如ν慢。

(釈〉警燈

照ν物

不v能ν作ν物Q

ν

諮令一一億

不v能ν生ν

-90 -

問、

(論〉

不ν然。

(釈〉般競ν沼間二頭

不v能ν

-0

故 潟

ν持、

也OL

可ν持ν用。

ν会

ー党

不γ

可ν得、

因縁は

にそれを働かしめるのみである、

というサ

lγキヤの主張は、

にもとづいている

これに対する批判は、因中有楽批特と閉じく、覚

いときには無であることを指摘する。

川W

「外

(議〉如ν

日、却下色

不レ顛則…小よν了、

発雄一一先有一、

未ν合

(論)不ν然。

ν了故。

(釈〉若未v有レ照、

難v不レ了、

不v了。

色の場合には燈が照らさなくとも、色相はおのづから了得される、が、覚の場合にはそうではない。それ故用なきと

きにも覚、があること色のごとしというのは正しくない、

と批判する。

〔四〕

ω「復次以ニ無相一故。

色相不下以二人知一故露中色相上。

ν色。

不レ膝下以二無知麗一震上レ知。

無知慮兎レ知、

是事不レ然。

曲一曜日」0

これは前二項を総括するものと云えるo

色相は人がそれとして「知」(認識)

すると否とに拘らず存在するが、

矢口

-91 -

に関してはそのようには言い得ない。

「無知」においても「知」があるとはなしえない。

そして「知」は「覚」と同

一義であるから、知がないことは覚がないことを意味するo

このようにサlγキヤの主張が攻撃されるo

サ1γキヤの神(プルシャ)

に対する批判を以上に引用紹介したが、ここには二つの問題があると思われる。第一

には神が遍在すると一吉われることである(三一〕以下〉、

経験の上

でのみ語られているo

唯一絶対の最高神と個人我という明瞭な図式はここには見出されないと云いうるであろい包

第二に「覚L

の原語の問題があるo

覚がゲロ

EEの訳語ではあり得ないことは先にも言及したが、ここで検討した

しかるにその神があくまでも同一個人存在の認識、

し、O

批判者としての『百論』作者の側からは「神と覚とは同一である」と云われる場合の覚は、具体的な認識・知覚の

北方文学部紀要

-婆薮によって設及されたサiγ

意味

しかしこれ

↓何回件同

4mF白川凶也君知ゲ仰について私一五いう

そしてかか

いう立場からサーンキヤの

に批判務会加えている。これ

一貫していると云いうるで

あろう。

ある

対してサ

の 1ン

iiJ """-議ユ守キ

プ7、し M

力て

説二2 しfR てこい

がゑ存り

夜ずる か

かる個別的認識を成立せしめ

してのプルシャで

ということで

従って批判者とサ!γキヤとで

っているG

それ故右のニウ

の館内れ

おくかによって悶

いう訳語の

りうることにな

」で覚の原語

℃あがるが、その

も議喪な根拠は

〈釈、以上〔

という特徴的な表現で

WY党力〈論〉、

」れは釈文のみなら、ず議に

、事-「リν

。一O寸J

L、

1

4

(釈)、力

「覚力と

ころで

被設口IJ):!

を ハ箆釈る、

と以、よ

さ致、 〔

龍、三と〕

い (2)、、,〆

いられている。

それは思功態と熱して

92

用いられるo

鈎えば、

警汝

EP ii 数

功、

能、外

難v血熱一一思

既血熱一一思

o

{巧

功、認

。F功

。。

又志功能必俊之思龍一。

有、

官民

所依」。

」れは第

の註釈文の

成警部あオユt る吋(

工、10カ3L一、

,本額の

と手

思常、

とあり、

チャγドラキ!ル一アィの

党支紙片で

いにこの

一頭の註釈の中に引用されてお

(U)

}82官去る百芯

BrS同ロ包窓口可向召宮古田

gH七百円ロ

となっいる。従って「思」という漢字の原語は

gE口百であることを知る。同様に党支断片と漢訳とを比較すると、

ロ何回伊丹山口可出(]戸]〔口)

居、界

ロ巾丹田口町山内凶rptH(]{N白)

回,~ユ、

ロmug-ロ仰(]{Nr)

回,.,.、

g伊丹23(呂田)

不見於思

田口阻止印ロ可印同何回:::丘小百件叩(ロロ)

非思

出口氏件同ロ可mH(]5σ)

を参照)、

チャンドラキ

lルティの注釈によると、護法の思功能に当る語として

g-窓口百

E-注目、がある。例えば、

-93 -

この対比によれば口包Sロヨの外にの巾片山口問も用いられていたことになるo

頭には功能に当る語はないが(但

L思界

「精神の力(円曲目

Sロヨ

12E

の存在にもとづいて、

もたない力

(EECは存在しない故に」0

この語形は本章に外に四例あり、

が二度用いられているo

プルシャの存在を想定することも正しくない。よりどころを

その外に第十二頭の

n22mlE回目己

を注して

ロ巾窓口MHiσ

と同

と並んで

ロ巾ー門出ロ似品向}内昨日

以上によってロ22同又は円阻止問ロヨiEH丸山という語の存在を知った。

そしてこれが『百論』の「覚力」という訳語

のもとになっていると考えることに支障はないであろうo

つまり、神批判における覚の原語は

BS口問叉は

SEEヨ

であろうと云いうることになる。これがサ

Iγキヤ派においても通常用いられることは前述の通りであるが、これに

北方文学部紀要

提婆・婆薮によって言及されたサ1γ

キヤ思想

zr-という語のついた形があったか否かがなお問われねばならない。

。ハ

γチャシカに帰せられる断片には「享受者の力」(ゲ

ro宮内lEEF)という語、があるが、

EE-は単に主体についてのみならず、客体についても一言われる。

『ヨ

lガ・ス

Iトラ』では

しかし「精神の力」

(ロ昨日lbとえ肝)

という表現が最

も注意される。

「独存とはプルシャの目的がなくなったグナが帰滅すること、又はtr祢かかが自体に住することであふ♂

ここで「精神の力」は言うまでもなくプルシャを指してい.るo

これらは『サ

lγキヤ頭』の所謂古註には見出されな

などにはしばしば用いられている。『ブラフマ・ス

lトラ』

E、い

;rが

弘斗米百 白

似 Zのt;-'観 2念 Eで0...あ~,

る員ペ0- 己

t;-'

と E2.も gか件く 同l

(ロ-N-mv)

l

れていたことは明らかである。

ヨlガ派で用いら

宮町-観念の成立という点ではなお問題があるが〔補注〕、パ

γチャシカの断片、『ヨ

ロ-同

TUBS口問lug-件同ロヨIEF昨日という表現がサ

lンキャ、

ーガ・ス

lトラ』などにおける用例からみて、『百論』

はサ

lンキヤ、

ヨIガ派での用法を採用していると解してお

-94 -

いてよいと思われる。

ところで〈可問訟に帰せられる『ヨ

lガ・ス

lトラ注解』は「分別(三宮戸宮)

とは一言葉上の知に従うが、実体とし

ては無である」

(][w

匂)

というス

lトラを注解して、

その実例を次のように述べている。

「例えば精神性

(口色丹田口可mH)

であるというごとくでるるo

プルシャが精神主主

何によって示されるのであろうか」o

この記述は『百論』『四百論』以来の議論の問題点を衝いていると解されるであ

はプルシャの本性(由

SZ宮)

に外ならぬならば、

」の場合何が

ろう。さ

て『百論』ではサ

lンキヤ派の神批判についでヴァイシェ

lシカ派が破せられる。そこでは神の属性としての

「知」

質、

と「覚」

(口町

SHMmr

るが、その

知、

v一小ν

呂、

であることがここにもみられる。この

の最後にあるが、

に次の議論がある。

川Wハ論〉

ハ釈〉魔

w外問、

ハ一一一酬)

不ν然。

〈釈〉

底活

ν繋

i今

日、若

〈釈〉的W

摂レ他

〔ロ}北方文学部紀要

討中

益ν他

知ν珠、

設に用いられること

被-、O

ノセ

融市発等、

怠一総務、

民監

柱!

事訴

色詰費、

説一c

腕克是一潤

若損し他

相 。

山口等一。

覚。

名レ罪。

如一一施盗

共レ縁

O

1ンキヤの

一縛陪一-稜

レ 我々

続中無一一如v

以向。

しては、プルシャの本性は覚

a発人

'L'

豆せ

95 -

--'" mも

O

-婆薮によっ

のあ

主的第

項として胸隠i主

人である

不レ

O

々の菜を作り

L仏、し、

というサ

lンキヤの

に対して、南部

と破する。

と寂等と

Q

「益ν他党でぷ

他覚」

たる点で不異である放に、海部の仏慨は正しくない、

々椙が成立するか、

水晶の仏慨によって説明する。サージキヤ探の問題としては、本質を

は、唯一なるもの

とL 、

である。

サー

γキヤ殺はここで

る根本原質と一純粋精神との間に

っかという問題を解明するために

れる。『百論』の

開題の

は異る

ごとくで

本賞的には問、じことになる。これについてア

iスリは

る氷」、ヴィソドゥヤヴァ

iγγは

を喰として用いてい

1γやヤ

〕の主張に対して、右の引用文第

に紛糾付

特に料水晶も料瀦

している故に、常住とされる

の輸とはなしえ沿いとい

る。それはかか

の構造

-96

が『ニヤiヤ・スiトラ』

N-MiHJ可)

出されるからである。ここではブルシャの内官として

が独立の

して存在する、

というサ

lγキヤ派の

に対して、

理由が

る。サージキヤ

は水日織の鳴を提出し

N・。)、円一一ヤ!ヤ・ス;トラ均一一

は神と持

ベる。

ここでは思数機能について

ているのに対して、可否論』で

からの「水日間

えの・)

について公われる、

とL 、

いがあるが、

議論の

はよく似ている。

じっ

?とt;':.

~

否論i'=

注及325び

ニヤ

iヤ・スートラ

の間に

つh

手三刀

は前に紹介した

或いは

の典拠をもっていた

るで

一七

O頁下。以下連続して引用する場合には出

(

1

)

大正=一

O、

典を省略する。

(

2

)

結果の成立と消滅をこのようにとらえることは特に仏教的

である

OMUSa--

云白色rEB件当官子百-N岳、

P

N、中村元教

授「説一切有部の立場」(「倫理学年報』第六集)二五

O

|二五

一一具、及び註八

O参照。「本有而生、有己還無」(『大乗広百論

釈論』大正三

O、二

O四頁、上、一七行)。これがサ

lンキヤ

の立場でないことについてはえ・吋印片言問由民何回mgymw同国間krM目白日〈・

ωOAF-なお

ZUN削同mwrr仙沼戸田門HZω-H・H-ω由也匂・

2H・NN-u-∞一回目戸守

間同〈削牛肉門広口・

NOなど参照。

(

3

)

金七十論六二、六六、。

E仏印匂同門円由主

ω烈-MH・

(4〉同)-Nω白・町内-Hlt由(〉ロωω・)

(

5

)

一般的には実体と属性を区別しない点にみられるが、いま

の思惟機能について云えば、。宮内回田町包ji

同は次のように云う。

「未来に作用する芽が種子の中に(あるように)向様に決定(と

いう作用)は(思惟機能のうちにある。)」(ヨ任問宮守

rr回目

丘叩同Rr-trod-EH白ωSι〈m弘田ιr同〈皆同町内長・同仏

ω同・MM内口同)

(

6

)

拙稿「竜樹によって言及されたサlンキヤ思想」(前出)

七五頁参照。

(

7

)

吋巳2BRMM問grp〈・

ωON・口町-Z『阻

-rrh凹匂mwHHH・M-ω・(匂・

Nω白・)

北方文学部紀要

(8〉宇井博士は「数論派の神我の本質は知(』出p

i円)又は

(口

28削)思なりとし、知を以て神我の属性となすことなし、

放に後文に神と覚とは一なりというなり」と述べられる。しか

しここで必らずしも覚H知又は思、と主張されるのではない。

続いて覚の意味としては二十五原理の一として覚と知又は思と

の両義が可能であるとしておられる。『国訳百論』二四頁、註

四五参照。これに対して英訳者吋

5iは一一十五原理の一とし

て最初にある覚は

EZニゆえと訳すのに対して、ここに扱う議

論では覚を全て

5Ho--仲間巾口

8に訳し、『戸円山門FFとは明確に区別

していると解される。

(9)

大正三

O、一九九頁、上、四

i七行。

(日)同、一九八頁、下。

(日)邑・出向

E望日包

ω白凹E・同YAF∞∞・~・

5・

(ロ)邑

M-

ロ-DM】・口FH)・怠∞-NN-E15・

(日〉

D℃・ロユ-u・串∞∞・ミ-NUH由u]5・N印・

(H)ou・口F-u・品∞∞・ど-NHWNN-

(日〉明,gm-HM・〈同町田信仰門日ペω-HFNOWH〈wNN・ロ円・

ω円)∞-M〈-N・

N印-HMCC口mw白色・

ω旧日}岳山『ぷ}一円m2mw口田口mwrr同一ψ占巴凶

ωωFUUにはこの

断片は

2戸

rrcの形で、かつ〈MN問自に帰している。

(叩山)

J

へω・口、町一NωUHHFNH・

(げ〉

J

円ω-H〈・

ωAF・

ハ刊日)吋間同芝田片

ES戸《同門(包∞民・〈uF〈HmH口・)には口FHFbmEFの形

-:-97 -

提婆・婆薮によって言及されたサlンキヤ思想

が、J

門戸}丘三間立}内仰には口町仲間口問宮日江戸(方-NM-N・MNUH)・ω日・ミ・

81HH)口同日gロ山、広田宮戸(唱-E-N-H)が用いられている。このほ

Z〈吋吋邑Zω-H〈

-rs(司-gω・~-E)には2gロ山rr円円

。ロ世何回glHH岡田口吋同司}内ω吋ωYE可何年目立『削(℃-HOhF)には口巳片山口山吉小田}内に

がある。

(mw)

∞三品}戸山口grEι口にはgF叶田口一可∞jrr己(

-a・~-H)の外に

』出間口同念日同門戸(℃・也市山・戸町一司・申∞・~~・由u

寸)も云う。

(加)司-Ev

ロ-Hω(〉口∞ω・)

(幻)大正三

O、一七一一具、下、一七l二O行。

(忽〉羽田野伯猷教授「数論派のプラティピンバ(反影)説につ

いて」『文化』(第十巻第九号〉一四|一五頁参照。後代におけ

垣間

以上竜樹、提婆、婆薮の記述の中からサlγキヤ思想をたどったが、その問題点はその都度指摘したので、

なお残

された問題について述べておきたい。

る用例については、同論文一七頁以下参照。

(お〉ZM両日直

σE引三位Zω-HHH・M-N-

(剖ゾこれがサ

キヤ説であることについて巧・月忌SHUN-一白

足vhkaM史、由、♂ω・斗∞U〉・回-H内包任一-口品目SFomkmロハ日

〉S523百円}・日HIN-参照。

(お)Z可間百ゲゲ削咽三邑Zω-HHFNU5・

(お)この部分の扱い方について、宇井博士『国訳百論』コ二一一

頁、註六

O、四八頁、註九五、五十嵐智昭氏「ピタカ』第四

年、二月号、一二八頁参照。

〔補注〕古坂紘一「サlンクヤのErz概今ヤ||般若燈論及び広

註を中心に」東北印度学宗教学会「論集』第二号二九六九参照

-98 -

士口蔵、

法蔵などはこれを

その一つは婆薮と世親との同異であるo

〈自己と〈

g巳出口缶百という名称の類似から、

同一視し、経録にも天親の注として『百論』を出すものもあるo

近代の学者の中でも、例えばシチェルバツキーはや

はり同一人視するが、『倶舎論』作者ではなく、それ以前の

dErr骨ヨ

g与SFロがあるとすむフラウワル

ナーもこれを仮定しうるかもしれないとみふせしかし懐疑的な学者勺断り、宇井博お

r『唯識二十論』や『仏性論』

の作者と同一人ではあり得ないとみる。また『倶舎論』作者と同一人ではあり得ないか勺結局婆薮と世親との同

一視は困難であると思われる。

次に因中有果論の論拠をここでまとめて検討しておきたいo

『百字論』『十二門論』にはまとめて説かれているが、

『百論』には「因有故」(第六項)「取因故」(第一一項)を見出す。その解釈についてみると、

『サlγキヤ頭』

の第

四「能力あるものは可能なものを作る故に」という理由のうち、「能力あるもの」は

具とするものと、原因とするものとがある。『十二門論』『官字論』(チベット釈〉では

『頚』

の注釈室百では陶師又は作

「能力ある原因」

の意味とし

ていると解される。

第五の理由

EE宮σσ凶

4rに当る「因有」は文字通り原因の存在を指すが(『百字論』一百論』また『十二門論』〉、

『頚』の注釈書では

F百日色官冨と

JEE吾妻仰を除く全てが「原因の性質(を有する)故に」と解していか叫)

以上の比較によると、

この二つの理由の解釈に当って古註は初期中観派の文献の記述と全く異っているが、他の注

-99 -

釈童日には第四の理由に関しては中観派の記述と同じ解釈を伝えており、第五の理由に関しては僅かな例外の外にはサ

γキヤ文献では中観派の報告と異っていることになるo

しかし中観派の伝える解釈がこの外にも見出されるo

その

一つに吋同片付〈白出向

HMMmEEがある。第九頭以下に困中有果論を紹介するが、

前三理由は特に問題はないが、

第四理由

は「能力ある原因」(宮町同『

:::r22品W4・HH)

と解せられ、第五理由について、

「しかるに無体にして不変成であり、添加的特性を附しえないもの

(白]内問円可削昨日小田可同)

はどうしてそれらの(原因)

は不可能である故に、

原因は何を作り出すのであろうか。それ故に(国中無果説においては)種子等が原因であることもまた想定され

によって作られるであろうか。(もしも作られるならば)変成する際に

「かくの如く(因中無果説では)結果(の形成)

(無という)

本質をおのづから捨て去る

ことになる故に」o

(〈-HN)

(種子等の)

北方文学部紀要

提婆・婆薮によって言及されたサlγ

キヤ思想

ない」0

(

〈・

5)

カマラシlラは第二二一偵の注の中で、

「それ故に次のように云うことが出来るo種子等は原因ではない。結果、が存在しない故に。空中の蓮華ゐ如し、と。

しかるに(実際には)かくの如くではない。それ故に反対である」0

かかる理解が初期中観派におけるそれと容易に連絡することは明らかであるが、中観派による解釈ではなくして、

かかるサlシキヤ説の存在を他の資料から主張しうるであろう。すなわち、〈同g喧丘町三bgは

ZM刊削可曲目

gtFMH

(EE包-叩〈出

FMHHZ山口)と述べ、第五については次のように云う。

いて第四理由を「能力ある原因」

「さらに原因というのは、結果によって限定されているから、もしもそれ

(1結果)が存在しないならば

(原因

では)あり得ない。実に甲が乙によって限定されているならば、

例え

-100ー

甲は乙が存在しないときには存在しない。

ば峰局によって限定されている蛇は蜂局がないならば存在

Lない。それ故に原因が存在する故に、

は存在する」0

その中に結果

ここでは明らかに「原因の存在」と解せられている。第五理由のかかる解釈の存在は『聡伽師地論』からも知られ

る。ここでは〈日芯

mgEによる因中有果論証の第一に「原因の存在」が挙げられている。

以上のように考察するとき、因中有果の論証及びその解釈について初期中観派の伝える資料はサ

iγキヤ哲学史の

一断面を伝える貴重な意義をもっと言いうるであろう。

(1)

特に竜樹に関する部分には多くの誤植と共に訂正補足すベ

き点があるが、近い機会に改めることにしたい。

(2)

(3)

士口蔵『百論疏』(『仏教大系』所収)一二頁。

法蔵『入携伽心玄義』大正三九、四三

O頁、下。

lHCHl

api, yatha yavebhyo yavaC., vrihibhyo vrihayaC..

Mathara iha loke yallak~a早arp. kara平arp. tallak号a早arp.

karyarp. syat, yatha kodravebhyaC. kodrava, vrihibhyo vriha.

yaC. syuC.. p. 17. ll. 21-23. Tattvakaurnudi karyasya-

k亘ra早亙trnakatvat,p. 21. ll. 25-26

Candrika karyasya karyasya kara¥latrnakatvad, p. 10. 1.

12. Vijñãnabhik~u ad SS. 1, 118: utpatteC. prag api kar-

yasya kara早亘bhedah.

Aniruddha ad SS. I. 118: karyakara早ayorekatvat. ~<s:::t:

Yuktidipika 0 r園球思ほJ(kara平abhavastantupatayos, p.

54. 1. 33) 0 <s:: bl Jayarnangal孟 (kara平asyasattvad, p. 12. 1.

11) や嶋崎後' 混榊:t:鋼生虫Q絵馬..,9Jj王 Fν ユ,,-!O (atha va

kara平a-svabhavat,p. 12. 1. 13)

(口) Tattvasarp.graha, p. 20.

(口) The Pa吋it,1903-6. p. 30. 1. 12.

(苫) op. ci t. p. 30. ll. 14-17.

(ピミ) 紘累:t:草jl; j遅「図壬拠~Q縫 1提おJ (W缶ミ王国王』総十平講申告自11

日や〉偽区。

(司) W附IR鎚{同誌E言量殺J(81tg鎚{H4誕皿埋設li!R11網, 1111くfm('

-H-' no. 1308) W-+<骨量制緩税制!ll!i[!]]J(ffi!:' く 1Ofm(' -H-' no.

572)

(∞) Stcherbatsky, Buddhist Logic, vol. 1, p. 32. note 1.

(<D) E. Franwallner, Die Erkenntnislehre des klassischen

Sarp.khya-Systerns. WZKSO. Bd. II, 1958, S. 130-131.

(ト〉毒,:'I<!":t:Tucci, op. cit, p. xiv.

(∞) r111~軍慰塑」国同同。

(∞) W回程Jbl ~うごの図壬-jlg:蝶程-\J W!I!'K4Ia縄JQ~需ムJ Í'-':ぜ E拡 F

ドユ点。草~j悪 rpari亭忌rna 以やム νJ ci豆沼)~堕~O

(~) W4t1-¥l十程』霊寝, G. kul亙la; Matharavrtti, kurnbha-

kara p. 17. 1. 14. Yuktidipika, vernadi p. 54, l. 20. リ.;:;主4

1実JいTattvakaurnudi,saktakara¥la p. 21, 1. 18 (Sharrna's

ed.) ; Jayarnangala. kara♀a, p. 12.1. 6; Candrika, upadana,

p. 10. 1. 7; Vijñãnabhik~u ad SS. 1, 117, upadanakara¥la;

Aniruddha ad SS. 1, 117, kara早a.

(ロ) W 4t1-¥l十程」盤図持味手五時甲F 賠塑11図書車販 1眼騨寺会

思斗 mJ!l。翻E 険 1取榊~塑11手総書聖 1 。

Gauclapada: k亘ra早arp.yallak~a早arn ta llak~a早arn eva karyarn

今~-jく令〈か話ui国民