13
26 MV 4' 沿 bIu f 『司 樺太縛漁獲高の局地的愛動について . 1 I 大屋善延 ..&.&. U 北海道オホーツク海側における鱒の定 置漁業,特に樺太鱒については,例年, 同地方の鮭漁業に先立って重要な役割ぞ 演じており,いわば鮭漁業の前哨戦とも いうべきもので,その豊|メ|は引続き行は れる鮭漁業経営の上に重大な影響ぞ及ぼ している門特に斜照治岸から知床半島に かけて -rの漁業の占める杭置は大きく, 戦後樺太,千島からづ l 揚て来七漁業者達 が,との種の漁業から多く立ちヒりや示 しているととはそのごとや如実に物語る ものであるのごの意味において北見地方 沿岸の漁獲高の消長,特に用地的な漁獲 高の変動は漁業者の関心事であるばかり でなく,樺太鱒の増殖事業の一端にナヱず さわ 3われわれとしては,大いに興味ぞ 感じる戸斤で・あるの 最近オホーツク海沿岸各市町村の,樺 };¥.鱒の漁獲高に関する資料診見る機会,;.a 得ずこが, その中に用地的な漁獲高の変動 の激しいのや見出しナこので,最近 4ク年 の漁獲高と,当ふ化場調べによる河川内 の捕獲数,人工ふ化による鱒稚魚、放流数 等をあわせ,との局地的な漁獲高変動の 民肉を考察しようと試みナとの 本文中に使用されずこ樺太鱒漁獲高に今 いての資料は,沿岸市町村のものについ ては,北海道庁水産部製品課調べ、による ものであり,叉河川内のものについては 北海道方水産ふ化場の樺太鱒捕獲日報及 び旬報,放流稚魚、数については,北海道 さけ・ます・ふ化場事業成績書にょっ すこ。 本文に入るにあたり,漁獲高に関する 貴重な資料ぞ提供して下さった鮭縛ふ化 場,原技官,漁況に関する種々の資料ぞ 貸与下さった道立ふ化場,三原技師に深 甚の謝意を表すと共に,資料耳元纏に際し 種々協力下さつナニ皆川lr 岡淵の両氏に深 く感謝致しますn (1) 最近 4 ヶ年の樺太鱒漁 獲高 最近 4ナ年〔河川にういては 5ヶ年〕 の本道才ホーヅク海沿岸における樺太鱒 の漁獲高ぞ示すとそれぞれ第 1 表及び第 2 表のごとくである。特に第 1 表の沿岸 漁獲高中尾数で唱表わされずこ部分は,原本 中に貫数で示されていすこものぞ,河川内 の捕獲数(尾数)と対比するt::-め,筆者 が,過去における樺太鱒の測定値(l尾 dJ.)から換算しすこもので‘あるの とこに示されたのは近々 4ヶ年の漁獲 高の変動にすぎないが, オホーツク海治 岸の総体的な樺太鱒の漁獲高変動として 一般に 1 年おきの豊凶が現われるように 思われる。三原氏が過去において南千島 択捉島の樺太鱒の漁獲傾向について調査

f bIu 海 ホ ツク海 MV 樺太縛漁獲高の局地的愛動について I

  • Upload
    others

  • View
    4

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

26

スMV

4'

於場沿海クツホオ道海bIu

f『司

樺太縛漁獲高の局地的愛動について

.1 I 大屋善延

..&.&.

目U が き

北海道オホーツク海側における鱒の定

置漁業,特に樺太鱒については,例年,

同地方の鮭漁業に先立って重要な役割ぞ

演じており,いわば鮭漁業の前哨戦とも

いうべきもので,その豊|メ|は引続き行は

れる鮭漁業経営の上に重大な影響ぞ及ぼ

している門特に斜照治岸から知床半島に

かけて -rの漁業の占める杭置は大きく,

戦後樺太,千島からづl揚て来七漁業者達

が,との種の漁業から多く立ちヒりや示

しているととはそのごとや如実に物語る

ものであるのごの意味において北見地方

沿岸の漁獲高の消長,特に用地的な漁獲

高の変動は漁業者の関心事であるばかり

でなく,樺太鱒の増殖事業の一端にナヱず

さわ3われわれとしては,大いに興味ぞ

感じる戸斤で・あるの

最近オホーツク海沿岸各市町村の,樺

};¥.鱒の漁獲高に関する資料診見る機会,;.a

得ずこが, その中に用地的な漁獲高の変動

の激しいのや見出しナこので,最近4ク年

の漁獲高と,当ふ化場調べによる河川内

の捕獲数,人工ふ化による鱒稚魚、放流数

等をあわせ,との局地的な漁獲高変動の

民肉を考察しようと試みナとの

本文中に使用されずこ樺太鱒漁獲高に今

いての資料は,沿岸市町村のものについ

ては,北海道庁水産部製品課調べ、による

ものであり,叉河川内のものについては

北海道方水産ふ化場の樺太鱒捕獲日報及

び旬報,放流稚魚、数については,北海道

さけ・ます・ふ化場事業成績書にょっ

すこ。

本文に入るにあたり,漁獲高に関する

貴重な資料ぞ提供して下さった鮭縛ふ化

場,原技官,漁況に関する種々の資料ぞ

貸与下さった道立ふ化場,三原技師に深

甚の謝意を表すと共に,資料耳元纏に際し

種々協力下さつナニ皆川lr岡淵の両氏に深

く感謝致しますn

( 1 ) 最近4ヶ年の樺太鱒漁

獲高

最近4ナ年〔河川にういては5ヶ年〕

の本道才ホーヅク海沿岸における樺太鱒

の漁獲高ぞ示すとそれぞれ第1表及び第

2表のごとくである。特に第1表の沿岸

漁獲高中尾数で唱表わされずこ部分は,原本

中に貫数で示されていすこものぞ,河川内

の捕獲数(尾数)と対比するt::-め,筆者

が,過去における樺太鱒の測定値(l尾

.~り 400dJ.)から換算しすこもので‘あるの

とこに示されたのは近々 4ヶ年の漁獲

高の変動にすぎないが, オホーツク海治

岸の総体的な樺太鱒の漁獲高変動として

一般に 1年おきの豊凶が現われるように

思われる。三原氏が過去において南千島

択捉島の樺太鱒の漁獲傾向について調査

27

nU

にノワムマt

n

u

n

u

n

U

戸、ノハU

Q

U

7

4

↑一一数一

J2mmm山品川円刀刊山田山刈一

7

ι

Q

ノ1

A

K

/

b

kノ

'

i

η

ι

R

ノ一

一一主i

-

尾てう

1

7

げ一

ω川

J

-

q

J

a

サム

q4

円ヲ

11

一一一貫一

2

2

1

1

9

5

7

5

0

9

7

0

7

9

2

9

にノ一

一一一寸〈一口ノ

2

5

7

Fう

2

8

6

「フ

8

i

l

-

-

9

1

7

4

2

9

2

4

4

‘ぅ

3一

ω苅

3

ω日

一8一数一

mmmmmm川

=2一

4

二一貫一日

l

1

2

1

=

-

Rノ民ノ

n

U

7

t

d

a

A守口unU41

民ノハU

Q

一一一数一

J

刃労山山ぷ

J

S

Nmq円

m

Mゴ

一年一毘一胤

4

M

9

l

1

2

1

2

nunリ

ζuoonuvhノハu

n

U

ハU

ハU

ハUq

4

F

Z

7

9

0

E

2

4

9

0

1

6

8

6

1

7

9

7

1

一2

?

1JJ1副判例判同判J刈

Ul吋叫叫叫||4一

一一一米女一

Fコ弓ノ

9

9

/

0

3

9

6

5

6

0

1

8

二年一尾一MMい

U

m

l

一一一ーi

一ハU

ハU

ハU7aooq4ノハu

n

u

n

U

バ句

nU

=

0

0

7

8

5

8

4

3

6

0

6

一一

6一連〆一

2

8

1

9

2

9

1

8

4

4

4

H

'

'

'

'

'

'

'

|

|

|

1

¥

~

一一九、、斗叶」一

¥

第 2表

Jレシ 'γ

岩 尾 別川

十ほ斜止議出州常湧渚山判維幌徳幌頓

二士zJじ心

?

?

ノ屯

同口別治部武内

lJU

U

U

M

D

μ

D

J二

μ

立,308

6ラ()t,S

止ド 2f 年 I 28 年 29 年 I30

l

i

-

-

I

l

l

i

t

-

-

I

I

I

l

l

i

l

i

-

-

l

i

l

i

l

i

-

-

J

j

j

j

j

j

j

j

j

j

j

j

j

j

3,乙ヲ2

0,1)70

2,968

1,日83

9弓I

3, '0>71

:(",1ぅl

IS,810

う,631)

';,432

1'1,876

2,640

4,ラ93

3,786 i

106,1ラ3

ラ,645

)'),747

1,893

1,907

3,580

2,608

39

9,6ラ1

2,463

3,う80

1,226 I

1,121 I

2,718

6,628

1,858

9う3

日9,617

1,6',0

リ,021

2,1日l

~', 191

'i,781

1,640

826

ミノミノ白ノ

0

0

7一0

6

Q

U

7

t

Q

U

/

0

6

0

6

0

0

7

0

7

q

2

2

9441aう

2

1

0

6

9

2

9

q一

1J27にノ

1

6

今ムリ

3,107 9,037

28

(未発表〕しすこ所によると,やはり隔年

に嬰IXJが現われるごとが記されている。

ごれによると一般にIJli暦の偶数年に県漁

が,奇数年にl正l泊、が見られ.?。北海道才

ホーツク海沿岸においてはこれとは逆に

同歴の奇数年に豊漁が見られ, これと対

象的で面白いの又平野氏は雑誌;r北洋漁

業J(昭和 15年?露領水産組合発行〕の

誌 kにボノレシヤ河(堪察力日同岸〕流域及

ひ、その鮭僻産卵場の研究と題するソピエ

ツト太平洋漁業海洋科学研究所報告第9

巻中のー論文ぞ醜訳紹介しているが,そ

の中に(訳者註〕としてH'B・ミロピ

ホワズプロブスカヤ(1937年〕の報告

「沿海刑事事太僻の生物学的漁業的資料」

の中の一文房紹介しているが,それによ

れば, I北洋における樺太鱒はー舶には

偶数年(阿暦)には奇数年に比して来悦

濃厚で魚、体が小で・あるが,独り露領沿海

洲方面の樺太僻のみは奇数年に来i詐濃厚

で,しかも魚体も顕著に大きいという逆

関係にある」と警かれてU、る, ごとなど

考え合せて甚7三興味深い内

)園部村沿岸が低調で・あるごと,廷に注目

に値するのは 29年(1954年〕の大不漁

時に雄武町沿岸で・最高の漁獲高君主示し7::

ごとなどで,局地的な些凶の度合の激し

さぞ物語るものである。

第 1図には沿岸の漁獲高と対比して下

段に河川内での捕獲数〔その年の河川内

j斥上数に略々近い数と考えられる〕や図

示しすニ。河川内の捕獲数にういては,捕 J

獲場の河川内に占める位置により具うて

来るし,又その大小,水量,水質等にも

左右されて来るが,一般に漁獲高の高か

うに沿岸海域に流入する河川は同時に高

い捕獲数ぞ示すごとがうかがし、知られ

る円 30年度の沿岸漁獲高については現

在の所資料が得られないが,河川内で捕

獲されすこ捕獲数(水産ふ化場調〕から,

前記の傾向や考慮に入れて類推するなら

ば,雄武町沿岸,枝幸町沿岸に高い漁獲

高が見られるものと推定されるの局地的

な沿岸漁獲高の変動には,その地域の漁

共数,即ち漁獲努力巻無視する訳にはゆ

かないので次にその関係、にう U、て述べ

以ヒはオホーツク海沿岸の総体的な漁 る内

獲高の変動に表われナこ傾向であるが, ご(2) 1ケ統当り平均漁獲高

と沿岸漁獲高との関係の傾向には拘りなく,、沿岸においては局

部的に普[λ、県1)(1の山が見られ〔第 1図

参照〕る門

26年 (1951年〕は豊漁年に当りている

が,着業統数から判断して同年の興部村

沿岸の竪漁は特筆すべきものがある内 27

年 (1952年〕は不漁年に'':i0ており沿岸

各地の漁獲は極めて低調で噌あるが前年度

の大漁年にf刷、漁獲高ぞ示しず三常呂町沿

岸に高い漁獲の山が現われている何同様

にして顎28年の常呂町沿岸に高いIIIが

表われ,一方26年には大漁ぞ記録L'f=

沿岸及ひ¥河川内での捕獲は総て産卵の

?とめ来肱接岸又は河川内にj斥tして来すこ

ものそ捕獲する関係七沿岸建網による

局地的な総漁獲高は,その地区に設定さ

れに建網の数にある程度左右されると考

えられるので,各地区の 1う統当りの平

均漁獲高と沿岸漁獲高,着業統数(月平

均〕の三者にワいての関係、そ調べ(第2

図参照)7との

図中上段に細い実線でv示されるのは昭

z

18t JjI;二回 rγ読書ワ平均;争捕高ι:8岸通

nf J警高ヒの関婿凶

fS

I~

13

12

e 7

• ;

,.

市民 3

之耳童

話ωL

岬叫叡,

一2001

和'2.7年の沿岸漁獲高(数字は 1万尾単

伏で左側に示す〕であり,太い失線は 1

ケ統当り平均漁獲高(数字は右側に示

す)ぞ示す。 Injじく k伐の細い点紘は 29

2~

珂同肘

M

押沼

Y咽

M

n却

M

8

6

4

2す

&d

第一回

iB浄漁獲高(臨晶......20lP,.. ~.年

?高6

4

6

8仰向川内ぱ問巾

μ口

ymn却

UAMMnm削 キ沼恒a叩

添削E主VAnu噌

街爪

肉け

/川り

UHu--

年のわViま漁獲高, ぶい点線は 1う続可 1,平均漁獲高ぞ示す。なおド段に 27/'1二ーと

29年の 1ヶ月平均着業統数巻それぞれ

*lll~ 、実紘及ひ\点紘で示し1ご。

30

第2図により 27年の各地区 1ヶ統当

り平均漁獲高と総漁獲高について対比し

てみると,同年最高の漁獲高約四万尾

を示している斜豆町沿岸の月平均着業統

数は 189ナ統で1漁具当り 170尾平均の

漁獲ぞしている。同年にやはり高い漁獲

高を示しすこ常呂町泊岸では着業統数86

ナ統で1漁具当り平均漁獲高は,同年の

オホーツク海治岸最高を示し平均 800尾

治示している。斜里,及び常呂の両町ぞ

除き他は見るべき漁獲高はない。斜車町

の総漁獲高にワいては,同町の漁場水域

が他地区に比べて広範にわfこること〔斜

車市街地沿岸より知床半島に至る),漁

具数が特に多いことから他と比較出来な

いが,常呂町の総漁獲高については,同

町の沿岸着業統数が86ナ統と,比較的

多く,しかも 1漁共当りの平均漁獲高が

最高を示し,結、漁獲高も高いことから,

27年に常呂町沼岸で高い漁獲高が見ら

れたのは,同町沿岸に来世した樺太鱒の

絶対数が多かっすこことを意味する。

同様にして29年度の各地区総漁獲〔細

い点綿〕ぞ見ると雄武町が最高ぞ示し,

他は見るべきものがない。叉 1漁具当り

平均漁獲高ぞ見ると着業月平均統数15

タ統で1漁具当り 4915尾の漁獲にのぼ

り,他に類例;a.見ない。従って才ホーツ

ク海泊岸の各町村漁獲高中長高の漁獲高

が雄武町浩岸で見られたことは,同町沿

岸に来批した樺太鱒の絶対数が多かった

ごと在意味する。

以上27年, 29年(他は着業統数が明

瞭でないから除外〕の2ナ年のみにワい

て見すこが, 1地区の総漁獲高と, 1漁具

当りの平均漁獲高から同地区来准魚群の

粗符ぞある稗度類推するごとが可能であ

り, 1漁具当りの平均漁獲高が多く,し

かも沿岸漁獲高が高い場合は,明らかに

同地区に来砕した魚群の絶対数が多いご

と巻物語り,逆に来散の魚群が大きけれ

ば,同地区の着業統数に拘わりなく高い

漁獲高が見られると考えられる。そこで

問題になるのは,この地区的な漁群の組

密,換言すれば,局地的に豊凶の現われ

る要因であるが,同治岸の主要河川から

は年々多数の樺太鱒の稚魚、が人為的に放

流されているので, ごれら稚魚の放流数

と,民地的な県凶との関連』院の有無につ

いて調べてみたい。

(3) 樺太鱒稚魚放流数と漁

獲高変動との関係

前述しすこように才ホーツク海沿岸の各

地区には可成り漁獲高の変動が見られる

が,これが如何なる要因によって起るも

のか検討してみすこい。この場合,鮭鱒類

は,母川に回帰する性質を有するとされ

ているので,その再生産がほとんど人為

的に行われている各河川から年々放流さ

れずて稚魚の数と,謂所回帰年度(産卵後

満 2年目〕の,その放流河川を中心とす

右各泊岸地域の漁獲高とぞ対比し,放流

稚魚の絶対数と沿岸における漁獲高との

関連性について先ず検討することにす

る。ごごで放流稚魚、数と,治岸の漁獲高

や対比させすこのは,前に述ベナこように,

沿岸の漁獲高が高い地域ではそこに流入

するがJ川内で・の捕獲数も高くなるにもか

かわらず,河川内の捕獲数は,捕獲場の

位地,あるいは、沿岸の漁獲努力等にある

程度左右されるおそれがあるので,沿岸

漁獲高ぞ使用しすて。しかし 30年につい

ては、出羊漁灘高が末集計である食めがI川

6

多大獲斜山石川凶荒二ていし具硫ギ断

t

村、vh

沿

"

γの

'

'

'

'

'

mM

Z立::医院にμいロぷ品賞品

11よ庇

11106ih--'Lil--

一ルシマ川瞳卵釦

μ円

FJf1トい

JJf-illl

lili--t1jl/一2川

m

'荻漁又

-

J

J,

J

¥;川

¥

¥

2川

tlhp!

日口日引引W

温直司副刷川川

書晴刊

11111

幽府組仰川川

遊山抗川一附

岬靴市阿川川

mw

幡町別川幻掛川

昭刑川

Uハ叫問

!

t

6WW1

国泊

三和

弘仰UM

書帽司ぽゅ

ーヲ'

吋正

内捕獲数ぞもーって対比させ犬。

(1) 2o年度放流数と 28年治岸漁獲高

第3図の日)は昭和2o年度放流〔実際

の放流は27年春〕された樺太鱒稚魚Lー

その回帰年の28年

における浩岸漁獲高

の対比ぞ示すグラフ

である後~1i直につい

ては第3表参照〕。

実練は放流稚魚、数で

尾数は左側に示し,

点線は回帰年の 28

年における沿岸漁獲

高で尾数は右側に示

す(以下同一要領で

図を参照のごと〕。

ごれによると, 2o

年度には湧別川から

同地方治岸の最高島

数の稚魚、が放流され

31

第三圃の(1)26年度舵雄ヒ28年瀞灘蹴ヒ欄紙

11 1.0話

0・u団帰d

8国

ー-2oJ同草花車

町守宅 ι沼制蜘園ll1

/、

7岬

車防

Z回

lJCl

6<<>

5加

4t<>

ht刷

~

‘ 阜、,

4

s

一一-28;申量低揖...

-ーーー蝉剤'1酬u.

、、ぃγ1t町、一畑地wd田川

μrJJρ-Vー門仰い日川

ーー一/叫MM

〕日川

2

/

/. /1"

14

/タ

〆2 長<<

11

,. 51' 8

8 "... 7

, JIJO fS'

/ ト4. uo s

‘r; 視

!}f(

8伊

7(';'‘

一_.27~,fj/J.jÐ 車

zn'll,.".'主F

bvシイH

軍属前川

品開

E川

J

4

引川

:

¥一蓮根川

¥一絹韮川

~一帯呂川

町一一唱滞納川

i

/

一港靖川

;

げjv一瞬稲川

、1

5

1

M

雄伏川

p

j

、¥一瞬内川

'

'

t圃官制川

面掲羽川

900

SOO

3.l>

‘24d

.".

6卸

4tlI

32

ることは困難であり,又ごれぞ否定する 内川,止別川の順位で漁獲が見られ, 26 ごとも出来ない。第3表中には参考まで 年度に最も多い放流数を示しt:.湧)JtjJlfよ

河川内の捕獲数ぞ示しておいたが,これ りも渚滑川に多く捕獲が見られること,

によれば渚滑川,湧別}Iし岩尾別川,幌 又全々放流沿見なかっ代止別川の 5781

第3表 2忘年度雑魚放流数と 28年沿岸漁獲数

町 村 名|河川 名|お年度蹴激 128年河Jl]内捕獲数128年沿岸漁獲数

斜 皇 町岩尾別 川 4,733,630 9,021

斜 旦 JII 2,170,000 4,191 340,959

清 71<村 止: 方日 JII ナ シ ラ,781 52ラ

綱 走 市藻 琴 JlI 880,000 1,640

車問 走 JIl 1,594,200 826 29,557

常 呂 町 常 呂 JlI 863,000 2,963 148,175

下 湧 別村 湧 別 JlI 8,532,660 9,403 69,429

紋 万リ 町消 1骨 JII

消 1骨 村1,933,100 9,469 34,247

興 音[5 村 興 部 JII 640,000 3,188 16,257

雄 武 Jl] 十 シ 2,572 雄 武 酎J

幌 内 JIl

枝 幸徳志別川

町幌 $1] JII

浜rIi長 $Ij 町 l臨 $Ij JII

尾の捕獲は特筆すべきでwある。なお同じ

ように放流の行われなかった雄武川に

2572尾の捕獲が見られ,所調母川回帰

の立場からすれば天然に産卵された卵が

多かつfこごと身意味し,叉天然産卵の効

果のあなどり難いことや意味するもので

ある。

(21 27年度放流数と 29年治岸漁獲高

第3図の (2)は昭和 27年度に放流(実

際は 28年春〕されt樺太鱒稚魚、とその

回帰年の 29年における沿岸漁獲高の対

比ぞ示すクーラフである(数値については

第 4表参照)。

これによると 27年度に放流されず坊位

魚の数は枝幸、沿岸流入の徳志別;Jf,紋別

渚滑浩岸から斜県沿岸にかけての各主要

1,955,400 7,208 13,485

2,604,600 5,178

1,858,400 1,037 10,412

953,000 628 1,519

jitJJlfから,一般に多くの稚魚が人為的に

放流されたが所謂回帰年度の 29年には,

27年に人為的な放流の全々無かつ7こ雄

武JII,叉放流数の低かった幌内川の両河

川が流入する沿岸水域の漁獲高が最高値

ぞ示し,他は総て低調で唱あっ台。ごごで

特筆すべきことは斜里、冶岸の漁獲高が例

年に比べて極度に低かつfこごとであり,

又雄武町沿岸に高い漁猿高が見られれこ

とである。

27年度放流稚魚数と 29年沿岸捕獲数

との関係の中にも,単なる母川回帰性か

らは説明出来ない問題が残されている。

参考までに 29年に河川中で捕獲された

樺太鱒の数を河川毎に示したが, lf:)J1j

川,雄武川に可成りの漁獲が見られるこ

33

‘第4表 27年度種魚放流数と 29年沿豊漁獲数

町 村 名|河川 名 I27年度放流数 129年河川聞蹴|昨沿岸漁獲数

イ斜岩尾別川 7,830,000 3,107

旦 町斜 旦 JII 2,495,200 793

57,150

小 清 7.k村 止 別 Jll ナ シ 357

藻 琴 JII 1,471,270 294 網 走 市

網 走 JII 1,820,200 188 9,875

常 日 間J 常 呂 J1I 2,243,100 100 11,8ラ2

下 湧別 村 湧 万日 JII 1,788,700 1,113 6,000

紋 万日 世J消 ?丹 JII 1,727,200 731 5,850

消 ?骨 村

興 苦日 村 興 部 JII 277,500 399 9ラO

雄 武 JII ナ シ 749 雄 武 同I

中見 内 JII

徳志別川校 幸 町J

中見 ,ju JII

浜I!i員 万リ 町平 4員 別 ]11

とは興味深い。

l3) 23年度放流数と 30年河川内捕獲

第3図の l3)は昭和お年度の放流(実

際には、 2::1年春)稚魚、数と 30年に河川内

で捕獲された樺太鱒との対比ぞ示すグラ

フである。 30年の沿岸漁獲高について

は現在集計が行われていない関係上,ご

とには河川内で捕獲され牝漁獲数ぞ用い

たが,前述したように浩岸来酵の絶対量

が多ければ河川内えのi斥上数も多くなる

ごとから,ごれぞ対比しても余り支障な

いものと考えられる。

ごれによると 28年度の稚魚、放流数は

斜里沿岸域に流入する斜里川,岩尾Jj1j]IJ

から最も多数の稚魚、が放流され"kが,河

川内の捕獲数は,との 30年が樺太鱒の

大漁年に当っているにも不拘平年並であ

る。 2g年度の湧別川における稚魚、放流

数も可成り高いものであるが,斜里,岩

279,000 804 73,72ラ

1,844,700 2,249

92,300 282 1,200

265,000 671 2,888

尾加川のそれに達しないに拘らず,岩尾

別,斜里川の捕獲数を上まわっている。

ごとで特筆しなければならないことは雄

武JJ1,幌内川,徳志別川と雄武町から枝

幸町にかけての沿岸水域に流入する各河

川に最も高い捕獲高が30年に見られる

ごとで幌内川の約4万尾,雄武川で約9千尾,徳志別川の約2万2千尾は驚臭的

である。特に 23年度に杢々人為的な稚

魚、放流が行われなかっ"k雄武川に, 2ヨ年

度に最も多く人為的な放流を行つに岩尾

別川よりも多数の樺太鱒がj斥上捕獲され

ずてごとは皮肉であり(第5表参照),母

川回帰の設からすれば,天然産卵の優秀

性巻物語るものである。叉幌内川の4万

尾にのぼる捕獲数は,やはり単なる母川

回帰の設からは金々説明し得ない所であ

る。以上,稚魚、の放流数と,所謂回帰年

度の沿岸漁獲高,河]11内捕獲数との関係

を調ペたが,手元の費料の示す限りでは,

34

河川から人為的に放流され七稚魚、放流数

の多寡は,各治岸地域の局地的な軽凶に

はほとんど関係ぞ持ナこないようである。

人為的に放流された稚魚放流の多寡が北

海道活岸に来砕する樺太鱒の総体的な資

源、料にある程度影響を及ぼしていること

については疑わない所であるが,放流さ

れずオ佐魚数の多寡から, その放流の行わ

れ7三河川河口沿岸水域での豊凶ぞ予期し

期待するごとは出来ない。従って局地的

な豊凶の顕われるのは人為的な放流の多

寡によるものではなし何か水塊の変動

に左右せられるものではなかろうかと考

えられる。次にオホーツク海浩岸,漁場

水域の水塊の動きについて述べる。

性) オホーツク海泊岸漁場水域の水抱

の変動

以 k各河川の雑魚放流数と回帰年度の

沿岸,河川内の漁獲高との関連について

調べ七が,来砕する樺太鱒の局地的な;塁

凶は,同活岸に流入する各州11から放・痘

され七稚魚の,絶対数の多寡からは説明

がつかない。換言すれば,従来とられて

来t:-Ji庁調母川回帰の設からは説明がち子

ず,母川えの回帰性,あるいは稚魚の放

事数に拘りなく,治岸漁獲高の局地的な

変動が顕われるようである。

平野 (1953年)によれば,北海道の才

ホーツク岸の河川に添上〔その時期は7

月上旬から 10月下旬まで桑盛期は8月

中旬から 9月下旬まで〕ずる樺太鱒の比

較的初期のものは,北海道・南千島の太

平洋側から北上したものであり,後期の

ものは中・北千島方面より南下し七もの

ではないかと述べている。従ってごれら

の魚群が北海道オホーツク海沿岸に来砕

して来ナニ場合,漁場水域の水塊の動きは

ごれら魚群の長岸に搬妙な影響ぞ及ぼす

ものではなかろうかと考えられる。

北海道オホーツク海側漁場水域の水塊

第 5表 28年度稚魚放流数と 30年河川内捕獲数

町 村 名|河 川 名 1 28年度放流数 130年河川内揺倒 30年沿岸漁獲数

岩 尾 別川 6,156,370 9,037 奈ヨ 旦 附J

会ヰ 旦 JIl 5,600,000 7,023

清水村 止 万日 JIl ナ シ ラ,768

藻 琴 JIl 964,000 640 世間 走 市

前司 走 JIl 519,800 1,216

常 呂 前J 常 呂 JIl 988,000 8,233

下 湧 l.JU 村 湧 万日 JIl 4,109,500 17,364

紋 足。 酎I鴻 滑 Jll 1,301,400 3,593

洛 1骨 村

興 部 村 興 吉日 JIl 1,138,500 8,698

雄 武 JIl ナ シ 9,115 雄 武 田f

幌 内 Jll 818,000 40,245

徳志別川 2,500,000 22,489 校 幸 附J

幌 万リ Jll 236,150 2,326

浜 l顕 対日 酎J 頓 万リ JIl 339,200 1,780

の変動については余り継続的な調査が行

われていないようであるが,北海道官水

産試験場及ひ、北海道区水産研究所で,継

続的に行われt::調査結果の一部が,同研

究機関の機関誌4北水試月報 (9巻3号

一昭和27年 3月・ 12巻5号一昭和 30

年5月〕に報告されているので, ごれぞ

引用し水塊の動きの概略を示すごとにす

る。

第4図は昭和25年 8月24日-., 30日

に行われk探海ー丸の観測資料から割り出

し7て,夏期における 5米層の水温水平分・

布図(北水試月報9巻3号から引用〕で

ある。従来行われナこ何れの観測結果も同

海域では,大体において夏期には本図の

ような型ぞ呈しているといわれており,

ごれによると紋別以同は以東よりも潮目

が沖合に出来, ますこ紋別・網走聞の沖は

冷水塊の接岸が著しくなっている。オホ

ーツク海の冷水塊にういては梶浦 (1949

年〕の報告ぞ引用し弐のように述べてい

るのごれによれば, オホーツク海内部に

おいては 75~100 米層ぞ中心として水温

。OC 以下,塩素量18.00~18.50%位の低

温低麟な水塊があり,ごれは冬期表層水

が冷却され叉結氷に際し生じナご高松度海

水が対流によって沈降したものとされて

h、る。ごの冷水塊は北海道岸にまでカ、なりは

り出しt 80浬 (1浬は 1852米〕位沖合

に出れば大低の場合ごの水塊ぞ観測する

ごとが出来るといわれている。そうして

浩岸水と対馬暖流系の水と混令して出来

る宗谷暖流と,ごの冷水塊が接する所に

上昇流が出来,f令ナこい水が表面に出て来

る。そうして,その辺が植物性プランク

トンの大増殖海域となるといわれてい

35

る。ごのように極めて性格の異つナこ2:つの水塊が, 泊岸近くにlはまつiき雪りしτ亡ごごJ性l宅巻Pもつて有存宇し, プランクトンも著しい成

層をなして2水塊の移動と共に変ると述

べられている。

第 4図は昭和25年夏のオホーツク海

北海道側漁場水域の5米層の水温分布図

であるが,ごれは年により,叉月によっ

て大いに変動し,冷水塊は沖に去っt::り

叉極度に接岸して来fてり,又接岸部位も

年によって大いに異るものと思われるの

ごの冷水塊の動きと漁業との関係につ

いて,なされた研究は余り無いようであ

るが, との冷水塊が,沿岸に来i詐接岸し

て来る魚群に何等かの関係ぞもつのでは

なかろうかと考えられ,われわれの樺太

鱒の局地的な漁獲高変動も案外ごれら冷

水塊の動きに左右されているのではなか

ろうかと考えられる。

三原技師がオホーツク海浩岸の鮭鱒業

者から海況, 漁況について2.:=;聞き込

ん記話やごごに紹介する。

「雄武町沿岸では 11月初旬の水温は

120C~130C 位あるのが普通でwあるが,

上昇NEが出来ると 20C~30C 位になるご

とがある。この7klま陸から見ると真黒に

見え,ごれが来ると7kは締麗になり鮭な

どは一時低下するJ(雄武町・北見合同・

武内氏談28年 5月〕。

「紋別町沿岸で"は鮭i創立水温 150C~1

70Cの時長も良いが温度が少し変ると漁

停が低一ドずるJ(紋別rli• 古屋憲吉氏談

~)O /;手9月)

以ヒ武内,古屋両氏の話ぞ紹介しすごが

その科学的な真実性はとも角として,治

岸業←:~ζイ

の動きが鮭鮭令のI漁魚獲に形影,響耳ぞ「及ぼしてい;るる

36

ごとぞ感知しているこ

とを物語るもので,事

実この冷水塊の動きが

鮭鱒の来酵接岸に影響

巻及ぼし,沿岸の局地

的な豊凶.:a制約してい

るのではなかろうかと

考えられる。共にごの

冷水塊の季節的変化,

及び年変化について言

及し,冷水塊の消長の

一端ぞうかがU、ナ攻、。

第五図の(1)は北水試

月報(第9巻3号)か

ら引用したものであ

る。ごれはお年4月

から 10月末にかけて,

各北水試の観測舶によ

って,それぞれ別個じ

行われた観測の中,比

較的観iJ¥IJtv:置が共通し

て行われた紋別北東線

断面ぞ選ぴ季節毎に比

較しナごものである。図

の中,点で示され7て~\'r\

分位、i1t7.K塊で,ごれに

よると春季は極めて冷

水塊が接岸しており大

部分・.:a倣っているごと

がわかるの 6 月 ~8 月

にかけて OCCの紘は

かなり後退し, :;0浬沖

の50米関附近に中心

があるが,拍i底の傾斜

にそってそのまま水の

上昇がfaf!-f.{'にみられ,

那国国 磁調tl25lf-6月24回,_,30凶f東海丸観測賀新占a.:A.争-11:却をけ草地t司血札平ふ~(5'.綱) (it点滅Il<<.町)

第五 ,p)脚126畢倒蜘悦保訓tIの共に 21出11¥1の表面に 式乱皐融包 i晶傾向恨率的

事正11,,(2)轟事に 7・・E刷先車線S町醤米司且U",UI.<<' 低水~qt.l,)

達しているの 10月に入ると本海域の冷

水塊はその特性ぞ失い oOC以下の水は

沖合の中層にみられ,強くなった暖流系

水塊のため複雑しh状況ぞ呈するように

なっているの

次にごの冷水塊の年変化について述べ

るの第5図の(2)(北7k.試月報9巻3号引

用〕は過去において紋別北東線で断続的

に行われ?とものぞ,夏季の資料のみや選

び比較対照しすこものであるのそれぞれ観

測年は大正 14年, 昭和 16年, 昭和 24

年, 昭和25年であるn ごごに示されナこ

ものは同一季節の水温のみ巻対比しすこも

のであろが, ごれぞ零度の等温紘ぞ基準

にして,その沿岸にはり出し大先端ぞ図

ヒに見ると,大正 14年の 20浬から昭和

24年の 50浬とかなりの開きがあり, 年

々その先端のはり出しには消長がある内

ごとに示され牝のは夏季についてのもの

であるが,当然他の季節についても~ ~~、

得る所で・あるの

以上のように才ホーツク海においては

季節的にあるいは年によって冷水塊の消

長が可成り顕著であるn ごの冷水塊の沿

岸えのはり出しの消長が,来j詳接岸する

魚群にどの程度影響ぞ及ぼすものか不明

であるが,沿岸漁業者が日常体験し観察

しているごとなどから判断し,可成り用

地的には来滑魚群の接岸に影響するもの

ではなかろうか,又この7K塊の年毎の消

長が,沿岸の局地的な漁獲高の,年毎の

激しい変動ぞ引起すのではなかろうかと

考えられる内

結 雪五日ロ

オホーツク海沿岸の樺太鱒の総体的な

漁獲の畏!::<!は略ノ?隔年に現われ,やや規

37

則的であるが,それぞれ局地的な漁獲高

の変動に至つては,総体的な漁獲の皇内

に拘りなく不規則であり且つ叉漁獲の変

重力も激しし、。

ごの局地的な樺太鱒の漁獲高変動ごそ

は,漁業者の関心事であるばかりでなく

鮭鱒の増殖事業にhずさわり,人為的に

そのふ化放流ぞ行い,しかも母川回帰の

設に方、脚し,放流河川ぞ中心としすこその

河口左右両治岸での豊漁、身期待するもの

にとっては, 特に関心厚冷甘持ナhこさやる早巻P得1なぷい所所企で

そこでで.この局地的yなぷ訂i漁魚獲高変重動力が, 如

何なる要閃によって惹起されるものであ

るか考察ぞ試み,特に母川回帰という:古

場から説明ぞ試みようとしすごのしかし残

念ながら才ホーツク海沿岸の樺宋窮仁限

り,母川回帰の立場から説明のつきかね

ろ問題ぞなげかけ,所謂母川回帰性の脆

弱なごとぞ示し,沿岸の局地的な漁獲高

の豊!::<Jは,その地域の河川から人為的に

放流され食稚魚、の数の多寡に拘りなく現

われるといわざるぞ得ないような種々の

場面に直面し校。そこで放流されfこ稚魚、

の絶対数の多寡が,沿岸漁獲の局地的な

嬰!;{!や左右ーしないとすれば,何か海況の

変化によって激じく左京されるのではな

かろうかと考えられる何しかし残念なが

ら現在の所それぞ立証するに足る資料ぞ

もれないのしかし才ホーツク海、沿岸にお

ける対馬暖流系の水塊と,本海域の特徴

的な冷水塊の消長が,沿岸水域に来砕し

て来ナニ魚群の接岸に何等かの影響を与え

てい-五之とは想像に難くない所であり,

事実漁業者も身ぞもって感得しているよ

うであり,今後科学的にその根拠ぞ立証

する必要があるのではなかろうかの

38

文献

(1] 平野義見 (1953)サケ見,t,0l類保識放流

ι0'(¥会結果;概観・北海j昌三!と水1tJ.試験場報告

12) 飯坂篤外 4名 〔昭和 27年〕北海泊ォ

;J,ーツク泌{!IlJ漁場瓶域における水宛の斐!1ifJ

に)',、 ζ 〔概銀)・」ヒJ.K試月報第9巻空f5ヲ

ほノj、民LJl織 くOi3キ11',CJ年〕北海道北東 irl'

4月(昭和126年〉の海況・北水試月報第

12主主第 5号

(4) 平野義見訳 (昭和 15年〉ボルシヤ河

(槌察力rl1白岸〕若十両C及びその位憎産卵場の

研究・雑誌北洋漁業(~~保水産組合発行〉

(5) 大医善処 (19日4)河川聞の鮭汚上形態

の組似性iこd 札、て・ 1昨イじ場試験報告箔り巻

第 l・2号

アメ リカの鮭資源疋 裕 車田

太平洋産鮭類はアメリカで最も貴重な

資源である内鮭額は 1年間に約6億ポン

ドとられ, その 85ノぐ一セントが健詰と

して,最も多く国民に利用されている内

約 I億ポンドは鮮;札冷涼,慎製或いは

乾物として売られているm 合衆国で生産

される 93パーセント近くと鮭の世界生

産高の 55ノマーセントは, 資源的に重要

なアラスカから生産されている門実際に

アラスカの租税歳入の 70ノ、)セントは,

特産業によってまかなわれている門

世界中のどこでも,鮭は遊魚、の一つで

ある内統計としては採用されなk、が,遊

糸捕獲数は年に 100万ポンドになるので

d).S" 鮭は民(“ドウ"等),巻網,束Ij網,地

曳網及び底曳網によって漁獲されるn ご

オL等総ての漁具は,法律的に制限される

が杭, 場F所斤/々ヤノ々守によつて積/々?で

鮭鱗詰工場は,平均に 33 ノ~-セント

よりしずてまわる他の総:ての魚健産業より

多くの魚、ぞ活用している内他方,廃物は

他の総ての踏詰産業より少いの少量の魚

卵は釣餌又は塩漬にされる内廃物の-ml分は 1由と魚、粉に作って利用するけれど

も,大部分は投げ棄てられる内同時に,

処理される鮭の総ての行程,技術的な進

歩が,廃物ぞ最小にして,そしてなお,

製品そ改良するように一生懸命になる必

史がある内

k.平洋東部には, 5樟類の鮭がし、る門

即ち 1吋 或 い は blueback(べ、ユマス),

King, Chinook或いは Spring( '?スノ

スナ), Coho或いは Silver(ギンマス),

Pink 或いは humpback(カラフト 77、〕

及ぴ Chum,Keta或いは dog(サケ〕

で‘あるのアジア側にす三け発見される第6需目は, γ スピけである内

太平洋鮭は生涯の犬部分.J,e,河川及び

産卵に趨上ずる淡水よりも,海洋に生活

ずるn 他のなによりも,好適な産卵場の

存在が,鮭の分布及ひ、察官J,e左右・するの