31
1 1 1 1 『中国 言語 文 化研 究d第8号 ( ? ) 鹿 ( 鹿 ) ( )

『中国言語文化研究d第8号 - Bukkyo U...『中国言語文化研究』第8号 よ り も 清 」 く 、 當 世 の 宿 學 や 名 士 と い え ど も 道 生 に お

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11道生と謝靈蓮11

『中国言語文化研究d第8号

はじ

とみ

頓悟とは、頓に悟

ること、

一氣に段階を踏むことなくさとりに到逹することをいう。それに對し

て學問修行の段階を踏み

つつ、

一歩

一歩さとり

へと向かおうとす

ることを漸悟

という。この頓悟説

を最初

にとなえた

のが道生であり、謝靈運はそ

の道生

の頓悟読に贊意を表して、

「辨宗論」を書

た。こ

の道生が最初に提唱し謝靈蓮が敷衍した、新読である頓悟読に對して、當時

の知識

人や沙門も

發言をし、そ

の論爭

の過程が

『廣弘明集』

に收められて

いる。ここでは道生

の頓悟読と謝靈運

「辨宗論」とを取りあげ、謝靈運

「辨宗論」とその論難に即して、道生と謝靈運

の説の、どの部

分が同じ

であるか、またどの部分が異な

っているかを明らかにした

い。

   

道生

道生

(?ー

四三四)、本姓

は、魏氏、鉅鹿

(河北省鉅鹿)

の人であるが、彭城

(江蘇省銅山縣)

に寓居していた。幼いころから非常に聰明であ

って衆

に拔きん

で、道生

の父はその非凡な才能を愛

した。後

に道安

の同學である、竺法汰

に出會

い出家

をすると、十五の年にはもはや講座に昇

って經

ことば

。奧

い道

を探

ってそ

の思

透徹

し、

答議

にな

、應

「辭

は、

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『中 国言 語 文化 研 究 』第8号

りも

」く

、當

の宿

學や

いえ

ども

にお

ぶも

のはな

ったと

う。

且ハ足戒

受け

にな

と、

の才

はま

ます

し、

の講

を聞

こう

と千

のか

とび

とが

るよ

にな

った

。最

、龍

に住

、隆

(三

七l

IIO

1)

に廬

に行

七年

の間、

て精舍

で學

に努

たが

つねつ

「入道

の本

、慧

て本

す」

てい

いう。

ののち

慧叡

・慧

・慧

とと

に長

に行

、鳩

羅什

のも

で學

受け

の才能

の當

した關

の僭

は、

こと

「神悟

て尊重

と傳

られ

煕五

(四〇

九)

・建

に歸

園寺

に止

た。

道生

「龍

大乘

の源

を妙

し、

て提

の要

べ」

「空

・有

し、

(『出

三藏

「道

)

て、善

不受

なら

に頓

成佛

を打

ち立

てた

守文

の徒

は疑

の氣

を抱

、贊

の聲

と沸

った

に、

十數

およ

ぶ身

した

ンド

求法

の旅

を終

て、法

・建

に歸

(義

九年

一三

年ご

ろ)、

『泥渣

』を

らし

た。

『泥疸

はす

の人

が成

こと

でき

いう、

有佛

が詭

いるけ

も、

一闡

1ー

正法

るも

のー

1

は、

不可能

であ

と逋

べられ

た。

し道

は、佛

等無

ので

るか

ら、

未來

、成

きな

いと

され

一闡

でさ

、な

成佛

可能

つこ

を説

いた。

の説

佛説

誹謗

のと

て、當

の守

な佛

の非

に遭

い、

團を

われ

で道

生は

元嘉

七年

(四三

〇)

、廬

入り

「怡然

て自

し」

いた

ろ、

く大

、曇

四十卷

『涅槃

が北

から

られ

た。

とそ

こに

一闡提

でさ

え成

こと

っき

と記

され

てお

り、

あた

「符

を合

す」

るよ

に、

道生

卆生

べて

いた

 2 

Page 3: 『中国言語文化研究d第8号 - Bukkyo U...『中国言語文化研究』第8号 よ り も 清 」 く 、 當 世 の 宿 學 や 名 士 と い え ど も 道 生 に お

とが

いこ

され

いう

った

ひと

の明

「孤

明先

の人

った

元嘉

一年

(四

四)

、廬

にお

いて法

に昇

り、

が數

およ

で法

に終

とき

はら

と麈

を落

て、

端坐

たま

に寄

って亡

った

。容

は少

しも

亂れ

がな

った

いう

(以上

『出

三藏

集』

らび

『高

によ

る。

)

『中 国言 語 文化 研 究』 第8号

成佛

の頓

は、

この問

ついて述

べた道

のこと

がま

って殘

され

いた

めに

、諸

分散

て説

こと

の引

かた

で殘

のに

の概

を述

べた

い。

通、

への階

、學

問修

り漸

進的

にそ

に到

逹す

いわ

る漸

るも

。鳩

羅什

『十

住經

よれ

ば、

の階

は、

・歡

地、

・離

地、

、第

・焔地

・難勝

、第

・現

、第

・遠

地、

・不動

地、

・妙

地、

・法雲

の十

の段階

る。

とえ

のよ

うな

かな修

の階梯

一歩

一歩

って

いく

を求

る修

いう

こと

る。齊

の劉軋

は、

漸悟

の立

を読

「無

量義

(-)(『出

三藏

記集

九、

正藏

五卷

八頁

)

に、

を立

つる者

以え

く、

萬事

の成

るは

漸有

はな

し。

は霜

を履

基づ

九成

土を

るよ

り作

る。學

の空

に入

るや

未だ

(、)に

せず

も、

を斬

に寸

を去

寸無

尺を去

尺無

が如

三空

、稍

れば

くん

ぞ漸

らん

や、

いう

。修

者が

の境

ろう

とす

れば

のう

ちは

れが割

り符

をぴ

と合

るよ

( 3)

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『中国 言語 文 化 研 究 』第8号

うに完全に獲得されたものにはな

っていなくとも、段階を踏ん

で進ん

でゆけば空

.無相

.無願

の三

空もいずれは到逹できる。それは木を切るのに

一寸、

一尺と切

っていけばその分だけ確實

に短くな

るのと同じである。堅く厚

い氷も土を幾重にも積み重ねて造られた台閣も、少しず

つ漸進的に完成

されなか

ったも

のはな

い。

劉乢がここで述

べる、漸悟

の立場に立

つひとびと

の見解は、當時の佛教

の考え方からすれば、い

わば當然

の理解

であ

ったであろう。

しかし道生は、眞理は分割を許さない究極的なも

のであるから、段階的にさとるということはあ

りえず、さとりは

一氣に成就されるも

のでなければならないという。

『出三藏記集』卷

一五

「道生法師傳」

(大正藏

五五卷

一一一頁上)には、道生

のことばを

つぎ

ように傳えている。

(道生)乃ち喟然として歎

じて曰く、

「夫れ象は以て意を盡

すも、意

を得れば則

ち象は忘ら

る。

て理

に寄

も、

入れば

は息

む。

の東

るよ

り、

阻り

を重

し、

を守

と多

く、

〔圖〕

を見

と鮮

し。

し筌

を忘

、魚

れば

を言

し」

と。

(道生

)

喟然

而歎

日、

「夫

以盡

、得

則象

以寄

理、

則言

息、

典東

人重

阻、

多守

文、

〔圖

〕義

、若

取魚

則可

言道

鑢ちは

それ

によ

って

眞意

では

れど

が得

れれ

〔得意

る。

言語

によ

って理

に近

ため

のも

ので

はあ

が、

に直

しま

えば

〔入

理〕

・論

は止

し、

て去

る。

眞意

表現

の形象

はあ

くま

で表

の手段

であ

て、眞

のも

のでは

い。

た佛

教が

であ

る中

に傳

てよ

り、

の經

典が

 4 

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『中国言 語 文化 研 究 』第8号

きた

が、

され

こと

に難

て、

の眞意

はか

なら

も傳

られ

でき

た。

のよう

に言

い、

のち

「空

・有

を校

し」

結果

て、

頓悟

説を

と記

る。

の道

ことば

ると

「意

る」

とと

「理に

る」

とと

の頓

の成

を考

るう

一定

の役

はた

した

に思

る。

こに述

べられ

「意

る」

〔得意

とは、

『莊

子』

物篇

「筌

「魚

の譬

うえ

く。

『莊

には

「筌

は魚

るた

のも

であ

るが

を捕

しま

と、

こと

わな

は忘れられる。蹄は兔を捕えるため

の道具だ

が、兔が

手に入るとわな

のことはわすれられてしま

う。言語は眞意をとらえるための手段であるが、眞意がえられたならば

〔得意〕、言語は忘れさら

れる

(忘言)。わたしは、いずこにかことばを忘れ、捨てさること

のできるひとを見

つけだして、

のひとと語り合いた

いものだ」

(薹者所以在魚、得魚

而忘薹、蹄者所以在兔、得兔

而忘蹄、言者

所以在意、得意而忘言、吾安得夫忘言之人而與之言哉)とある。莊子のこの文章は、あくまで手段

にすぎな

い言語や論

理にとらわれ

るあまり眞意を見誤ることをいま

しめたも

のである。

この

『莊

子』における手段に拘泥することなく眞意をえることを重視する態度は、道生が

『法華經』を注釋

するうえにおいてもやはり繼承されている。道生は

『妙法蓮花經疏』

「分別功徳品」に

「得無生法

忍」を説明して

(續藏經新文豐出版公司版

一五〇册八二八頁上)、

夫れ未だ理を見ざ

る時には、必ず須らく津を言う

べし。既に理を見れば、何ぞ言を用いん爲。

其れ獪お筌蹄、以て魚菟を求めるがごとし。魚菟既に獲らるれば、筌蹄、何ぞ施さんや。若し

一たび經

を聞けば、頓

一生補處、或

いは無生法忍に至る。理は固より無然

にして、本より

まこと

に無

解な

。言

何ぞ

んや

夫未

理時

須言

、既

見乎

理、

用言

、其

筌蹄

求魚

、魚

既獲

蹄何

、若

 5. 

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『中国言 語 文化 研 究 』第8号

經、

一生補

、或

生法

理固

無然

本苟

、言

加乎

いう

。ま

眞理

いな

いと

には

ことば

によ

る橋

がぜ

ひと

も必

であ

しか

理を

ってし

まえ

ば、

ことば

る必

はな

くな

。筌

や蹄

は魚

や兔

るも

で、

目的

であ

や兔

えら

しま

えば

、必

なる

のと同

じだ

べる。

こで

は道

は、

理を

いな

い状態

にお

ては、

語や

によ

る段

な眞

への接

近法

はた

で必

なも

であ

る。

し、

った

ん完

に經

き、

完全

に理

を見

てしま

えば

一生

補處

生法

得さ

であ

って、

はそ

のよ

うな

逋常

の方法

・理解

を超

たも

のであ

ら、

語論

の場

用を

さな

い、

いう

ここ

では

道生

對象

の分析

理解

の本

とす

よら

ず、

を超

る體

驗的

直觀

いる。

らく

れは

によ

って獲

るも

のであ

った

であ

ろう

つぎ

「理

に入

る」

こと

ついて、

の考

をみ

。道

の部

「入理

(理

に入

る)

こと

「見

理」

(理を

る)

ってい

るが

おそ

く兩

は同

とを

いる

であ

ろう

(m)o理

は、

來、

のす

を表

とば

あり

「す

いう

ころ

から

とわ

、條

理さ

には

の意

で用

いられ

しか

し理

思想

に重

い意味

つよう

った

のは、

って

から

のこ

であ

る。

らに唐

ると

華嚴

の法界

を表

事無

法界

事事

とな

り、

にな

ると新

儒學

にお

て、

と氣

の關

問題

ど、

想史

いて

きわ

て重

な概

とな

って

いく

。宋

理學

さえ

いわれ

るこ

とか

もそ

の重

要性

明ら

であ

ろう

は、

無自

・空

く。

を理

論づ

のは

龍樹

であ

り、

の主

『中

は長

で鳩

 6く

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『中国 言 語文 化研 究 』 第8号

によ

って翻

譯さ

いる

また

『大

般若

『大

智度

『金

般若

『維

經』

いる

。道

はそ

のも

で學

を受

羅什

ら傳

られ

最新

の中觀

思想

を知

いた

ちが

いな

い。

道生

それ

した

って究極

の智

の完

って得

る空

の境地

いた

のは

であ

にし

も、

しそ

の空

いう

とば

置き

えた

理空

りす

る場

る。

の求

る佛

の究極

のす

たを

「空

いう

こと

で表

現す

ると

れば

には

のが

とを

に感

いた

ので

。道

にお

いて

は、

「理」

、空

であ

り、

法身

であ

り、

であ

り、

に佛

ると

の究

の眞

理を

す。

しそ

以外

の理

はさ

に唯

一性

いう

があ

の理

一つで

るとす

る考

は、

でに魏

の王

の著作

に表

いる。

は、

『論語

「里仁

」第

「子

日、參

、吾

一以貫

、曾

日、唯

子出

人問

日、何

也、

日、

子之

、忠

を解

つぎ

のよう

いう

(皇

『論

疏』

二所

)。

かえ

王弼

曰く、

は情

の盡

。恕

は情

て以

て物

じう

のな

未だ

に反

て物

の情

得ず

ば有

らず

、未

の恕

うし

の極

を盡

さず

ば有

るな

り。

く理

の極

を盡

せば

ち物

て統

べざ

は無

。極

二な

る可

。故

と謂

なり

(4v。

では

「忠」

「恕

が述

べら

る。忠

ころ

を盡

と、恕

ろを盡

てさ

人と

ろを

にす

こと

。恕

のこ

ころ

の身

反す

にす

れば

ころが

られ

を完

れば

究極

の理

が盡

され

る。究

の理が

され

れば

べて

のも

・ひ

とが

 7 

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べら

る。

は究

であ

から

つあ

っては

らな

い。だ

「一」

いう

王弼

は注

。王

のよ

うに

『論

「道

「理」

と言

い換

そし

てそ

「理

分割

を許

一つ

の極

位置

のと

とら

るこ

とが

目さ

る。

つぎ

に道

のよ

うな

を受

て、

の唯

一性

を強

調

した

『妙

法蓮

(續藏

經新

一五〇

册)

から若

上げ

る。

は唯

一極

にし

て、

理に

符す

唯、一極

言符

理。

(

「方便

二」

〇六

頁下

)

一極

(乘

)

を表

せど

も、

(三

乘を

)

出す

すな

理、

しく

三有

ば、

も亦

三と

て出

る可

し。

理中

三無

、唯

一な

のみ

一極

(乘

)

而爲

(三乘

)也

理苟

、聖

可爲

三而

出、

理中

三、

而已

(.「同

」、

七頁

下)

「知

常無

は、第

一空義

には

理に

二極

を明

す。

「佛種

縁起

は、

つて生ず

は既

二無

し。

三有

を容

んや

の故

一乘

読く

のみ。

「知

一空

二極

「佛

、佛

理生

既無

容有

三、是

一乘

(

「同」

〇八

頁下

)

まこと

理は

には

三無

。自

一に

る。

理苟

三、

自然

一矣

( 8)

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『中国言 語 文化 研 究 』第8号

(

「譬

品第

三」

一一頁下

)

「譬

三千

とは

理に

を惑

と爲

。惑

必ず

万殊

り。

れば

ち理

る。

は必

二無

し。

の道

一な

は、

り出

一な

。雲

は是

一な

れど

、藥

万殊

るが

し。

は藥

に在

。豈

、然

りと

「譬喩

三千」

理爲

、惑

万殊、

則悟

理必

二、

來道

一、物

三、

出物

則常

一、如

一、

而藥

万殊

万殊

于藥

豈雲

然乎

(

「藥

品第

」、

一八頁

下)

『法

には、

それ

の素養

によ

って聲

・縁

・菩

の三

つ乘

り物

るけ

れど

は眞

の佛

の教

であ

一つ

の乘

に歸

いう

一乘

の教

一が重

られ

のは當

であ

けれ

も、

でも

道生

一の尊重

はや

つ。

は、

「理

入る

いは

「理

を見

る」

こと

いた

。そ

の理

「一」

であ

って分割

でき

であ

るか

ら、

の理に

る、

いは

を見

とは

「意

を得

て言

を忘

いう

瞑想

のな

で、

一氣

そし

あま

ころ

なく

完全

に、

され

ねば

い。

は、

とり

に到

しよ

る漸悟

では

く、

に悟

こと

、頓

って成就

『大般

經集

「序

題經

道生

つぎ

のよう

とば

收録

いる

(大

正藏

三七

頁中

)

たが

夫れ眞

理は自然にし

て、悟も亦た冥符す。眞

なれば則

ち差う無し。悟は豈に易わるを容れん

や。不易

の體は、湛然として常に照らすを爲す。但だ迷いに從

つて之に乖き、事、未だ我に在

らざ

るのみ。苟しくも能く渉求すれば、便ち迷を返して極に歸す。

 9._,

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『中 国言 語文 化 研 究 』第8号

理自

然、

冥符

眞則

、悟

容易

易之

、爲

湛然

、但

乖之

事未

、苟

渉求

便返

歸極

理は

、他

のは

から

のな

い自

状態

のも

のであ

って、

いう

こと

また

ころ

でそ

るも

のであ

それ

は眞

であ

から

、等

、階

い。

それ

變化

ので

ろう

では

であ

る。

變化

のな

い本

が、

に常

に照

いる

しか

なが

いに

かせ

てそ

こか

ら離

しま

めに

とが

らが

だ我

よん

でいな

もし

って尋

とが

でき

らば

、す

のま

ま迷

いを退

て究

の境

歸入

であ

る。

こで

も、

「理」

らす

たら

って常

に働

かけ

るけ

れど

、衆

いに

って

こか

ら離

てしま

って

る。

しか

れを

眞摯

で尋

ね求

れば

差、

のな

「眞

「理

はあ

とき

一擧

に獲得

て、

いは退

れ、

「極

到逹

と記

いる

よう

『涅槃

經集

冐頭

にも

た、

りに

おけ

る段階

漸悟

を認

の立

が表

され

てい

ことが

でき

また

生自

の著

ではな

いけれ

も、

の慧逹

『肇論

に道

の読

つぎ

に引

(續

藏經

文豐

一五

〇册

八頁

上)

誤が

く非

に讀

い文章

るが

用形

らび

に中

西

久味

の意

に從

って、文

を適

る。

竺道

法師

頓悟

に云

う、

れ頓

〔秤

(,)す

る者

は、

つ可

から

て、

は極

照ら

を語

るを

明か

の悟

て不

の理

〔苻

(6)し、

と智

と、

〔原字

明〕

(,)釋

を頓

と謂

。見

を悟

と名

け、

聞解

を信

と名

。信

に非

ず、

は信

の謝

るよ

る。

理數

は自然

にし

て、

〔菓

(、)の熟

〔就

(,)す

れば

つる

し。

て漸

つて惑

〔僞

(-。)し

 10

...

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『中国 言語 文 化研 究 』 第8号

ささ

悟境

停照

れど

、信

品と

る。

に十

・四果

は、

し是

れ聖

を提

て近

〔今

(11)め

、行

〔夫

(12)者

をし

て自

て息

〔見

(13)まざ

ら使

む。

生法

大頓

、夫

〔秤〕

(、)頓者

不可

分、

照極

二之

〔苻

(6)不

理、

智兼

〔原字

明〕

(,)釋

之頓

見解

、聞

解名

信解

悟發

、如

〔菓

(8)熟

〔就

(9)自

、必

用信

〔僞

(-。)惑

悟境

、信

万品

、故

・四果

是聖

理令

〔今

(、、)近

使

〔夫

(、2)者

強不息

〔見

(13)。

き修

て信

こす

〔聞

(信

)

るが

のさ

、む

ろ悟

信が

退

とか

ら逹

され

る。

一方

理を

理と

一體

こと

〔見解

る。

分割

できな

い悟

とや

り分

でき

い理

が、

り符

を合

るよ

にぴ

りと

一致

られ

る理

とる

智慧

とも

に溶

こと

を頓

いう

それ

たか

が熟

のず

ら落

て、

の果を

こと

でき

るよ

ので

る。

かし

の方

から

れば

にも

いと

ろか

ら突

、生

では

い。

かな

らず

を聞

を起

の段

に進

で、

惱が

に伏

れ、

に最後

に斷

られ

とに

って、悟

る。

のよ

の階

であ

る十

や修

の成

であ

四果

、聖

(佛

)

理を

て、悟

に近

せ、

行者

に自

ら努

てた

まな

いよう

させ

ため

のも

であ

る。

は漸

〔聞解

では

い(、4v。

の必

つ、

とき

的轉

って、

理と

一體

〔見解

、悟

成就

いう

であ

る。

に述

べたよ

な道

の頓

成佛

は、

つぎ

に謝

靈運

って支持

る。

 11

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『中国言 語 文 化研 究 』第8号

謝靈運

謝靈運

(三八五-

四三三)は、そ

の租籍は陳郡陽夏

(河南省太康縣)

の人であるけれども、生ま

れは會稽

の始寧

(浙江省上虞縣)

である

(東晉孝武帝

の太元

一〇年)。義煕元年

(四〇五)、

のときにはじめて出仕して、琅邪王

・司馬徳文

の大司馬行參軍となり、

のちに撫軍將軍劉毅

の記

室參軍になる。劉毅

に從い江州に行くが、おそらくこ

のときに廬山にまで足を伸ばして慧遠に會

たものと思われる。永初元年

(四二〇)、武帝劉裕は帝位に即き、宋王朝を開く。それと同時

に舊

勢力驅逐

の方針を掲げ、謝靈蓮も、公爵から侯爵

に降格

される。公爵の爵位は、謝靈運の祀父、謝

玄が、瀧水の戰

いにお

いて、百万にもおよぼうとする氏族

の苻堅の南侵軍を打ち破り、東晉を滅亡

から救

った功績に饗し

て贈られたものであ

った。おそらくそ

のことに對して不滿を抱いていた謝靈

運は、武帝に仕えず、そ

の第

二皇子劉義眞

に、顏延之、慧琳とともに仕

える。劉義眞は、文學に明

るい人であり、顏

延之

と慧琳

も、やはり文才に惠まれた人たちであ

った。

ところが武帝が崩じ

と、執政

・徐羨之は、劉義眞ら

の文學者グループを快く思わず、劉義眞は庶人に落されて新安郡に

移され、謝靈運、顏

延之、慧琳

の三人も、それぞれ義眞

のもとから引き離され

る。謝靈蓮も永嘉

(温州)

の太守に左遷された。この永嘉郡の山水にふれた謝靈運は多くの佳詩をよむとともに、佛

教にも關心をよせて

「辨宗論」を著す

入永初三年、

四二二)。景卆

二年六月、劉義眞は徐羨之の派

遣した使者に殺される。しかし中央

で文帝劉義隆が即位す

ると

(元嘉元年、四二四)、徐羨之は誅

され、謝靈運たちもふたたび都に呼びもどされる。と

ころが文帝は文學の面では謝靈蓮を非常に尊

したけれども、實際

の政治を任す

ことはなか

った。謝靈蓮はそこで職

を辭

して、故郷始寧

に歸

り、隱棲をする。ところが會稽太守

・孟頻

と佛學上

の問題や土地

の干拓

にからん

で確執を起こし、

 12

 

Page 13: 『中国言語文化研究d第8号 - Bukkyo U...『中国言語文化研究』第8号 よ り も 清 」 く 、 當 世 の 宿 學 や 名 士 と い え ど も 道 生 に お

内史

轉出

(-、)。

九年

(四

二)

に到

と、

の恐

があ

と疑

れ、

いに實

に兵

を起

こす。

しす

に捕

られ

て廣

州に

の地

で棄

の刑

せら

れた

四九

であ

った

(元

一〇

年、

四三

三)

『中 国言 語 文化 研 究 』第8号

辨宗論

謝靈運が永嘉に左遷されていた時代

(四二ニー

二三)は、短

いも

のであ

ったが、數多くの優れた

山水をよむ詩が生みだされた。それとともに謝靈蓮は、道生

の頓悟説が發表されたことに觸發され

て、

「辨宗論」を書

き、獨自

の觀點から儒教と佛教の融合

をお

こなおうとする。謝靈運は

「辨宗

論」につぎのようにいう

(『廣弘明集』卷

一八所收)

(大正藏

五二卷二二四頁下ー

二五頁上)

(ま

『四部叢刊』子部)。

の論

は、聖

、遠

と雖

學を

は能

く至

る。累

き、

、生

には

、方

に漸

べし。

の論

、既

に妙

て、

のみ

。無

を體

し、

には

理、

一極

に歸

す。

論、

道雖

、積

能至

累盡

、方

應漸

孔氏

論、

道既

、雖

殆庶

體無

、理

一極

つま

りイ

ンド

の論

よれ

さと

はは

かか

にあ

とは

いえ、

問修

を積

とが

でき

した

って煩惱

くな

、さ

の智

が生ず

には

、漸

の方

らな

い、

いう

とに

る。

それ

て孔氏

の論

つま

り儒

の教

に代

る中

によ

るな

らば

は妙

のであ

ら、

孔子

の信頼

て厚

った顏

囘で

さえ

 13

. 

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『中国 言語 文 化 研 究』 第8号

ほとん

ちか

は、

ど庶

い、

にと

。無

を體

まね

は、

究極

の分割

できな

い境地

入す

必要

る。

ンド

の論

によ

れば

問修

を積

〔積

學〕

煩惱

され

て、悟

へと至

とが

〔能

至〕

した

ってそ

〔漸悟

の教

いえ

る。

一方

の論

によ

ば、

一を

て十

を知

り、

ヵ月

の間

、仁

ら離

った

る第

一の弟

子顏

でさ

え、

を體

し、

〔一極〕

に歸

した

の境

らず

くま

殆ど

ちか

〔殆庶

のに

とど

る。

たが

って顏

囘に

るか

およ

一般

のも

のにと

って

は、

にな

ると

いう

こと

ほと

んど

可能

うに

いと

こと

にな

の論が

めだ

いわ

れる

ら、

ンド

の論

によ

れば

でよ

のであ

けれ

も、

ろ、

の道

であ

る道

が、

な読

唱え

、頓

標榜

、イ

ンド

で説

いた漸

否定

いた

った

の道

士有

以爲

く、

「寂

、階

を容

と無

も、

何爲

ぞ、

ら絶

や」

論道

以爲

「寂

鑒微

不容

級、

學無

、何

自絶

しず

いう。

なさ

の智慧

は、

かり

しれ

ほど

くす

れた

のであ

て、

段階

に至

ことを

さず

頓悟

いう

によ

一擧

に獲

るも

のでな

れば

い。

とえ

問修

かぎ

なく

んだ

ても

それ

が漸

の方

ってい

かぎ

り、

から

みず

から

き放

ち、

を得

とは

でき

い、

ると

の論

は、

もと

聖人

にな

こと

は不

可能

であ

り、

で釋

が説

た漸

の方

14>

. 

Page 15: 『中国言語文化研究d第8号 - Bukkyo U...『中国言語文化研究』第8号 よ り も 清 」 く 、 當 世 の 宿 學 や 名 士 と い え ど も 道 生 に お

r中 国 言語 文化 研 究 』第8号

殘されていた

のであるが、その漸悟も道生によ

って完全に否定される。頓悟を簡單に實行

できる能

のすぐれた人ならなにも問題

はないけれども、す

べての人がその方法をとることが

できると

いう

ものではな

い。むしろほとんどす

べての人が孔氏

の論を實現して聖人になることもできなければ、

道生

の頓悟によ

って智慧を獲得して解脱を得

ることもできな

いのではないか。

そこで謝靈蓮は獨自

の解決策を探

ろうとす

る。まず到逹が難しい孔氏

の論

の實現にはいかなる手

立てがあるか。

今、釋氏

の漸悟

を去りて、其

の能至を取り、孔氏

の殆庶を去りて、其

一極を取る。

一極は漸

 

り、能

殆庶

非ず

に理

の去

く所

は、

の取

るを合

と雖

、然

も其

・釋

る。

釋氏

漸悟

取其

至、

孔氏

庶、

取其

一極

一極

異漸

、能

殆庶

理之

、雖

各取

然其

・釋

の論

の、

〔漸

って、

〔能

て中

の論

の、

〔殆

退

〔一極

2

の境

〔漸

ので

り、

とが

ると

いう

〔能

近づ

はす

るけ

れど

も結

のと

ころ

最高

の高

さま

で至れ

いと

いう

〔殆

の弱

を克

る。

でそ

れぞ

兩者

の優

れた

であ

〔能

〔一極

一つに合

れば

〔漸

〔殆

の状態

を離

て、

究極

の境

であ

〔一極

に能

〔能

とが

にな

り、

と、イ

ンド

の表

てい

えば

、佛

にな

こと

が可

ので

はな

か。

いう

で、

のめざ

ろは

兩者

の融合

であ

って、本

のイ

ンド

の論

の論

のま

ので

る。

一見相

れな

いよ

に思

われ

る釋氏

の論

と孔

の論

え折

融合

、理

の行

くと

に到逹

 15

. 

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『中 国言 語 文化 研 究 』第8号

できる。それならやはり到達不可能

に見える頓悟

の方法と、地道な努力を重視する漸悟とを折中す

ることはできないのかと謝靈蓮は考える。

余、謂えらく、.二談は救物

の言にして、道家

の唱は得意

の諡なりと。敢

て折中を以て自ら許す

も、

に新

を謂

いて然

と爲

。聊

下意

え、

る所

を遲

ん。

二談

道家

唱得

然、

(釋

・孔

二家

の論

る)

と殆

〔二談

〔救

道家

の提

(筆者

は、

「道

の場

門を

し、

「道

の唱」

は具

は道

の頓

を指

と考

る。

)

かる

ろは、

「意

を得

〔得

意〕

いう

(逹

の理

を體

こと

めざ

た)

のであ

う。

(そ

二談

わち

・孔

二家

にお

る漸

およ

、道

の提唱

る得意

とを

)折

こと

を私

て認

はす

るけ

も、

ここ

ひそ

(漸

てさ

いう

道生

の)

に贊

を表

であ

る。

の意

て議

りた

いも

のだ

と期

いる。

「辨

論」

の最

の部

は、

論者

によ

ってす

べて違

って

もよ

ほど

かれ

ると

であ

る。

つて

の部

の解

つい

て論

こと

る(-,)。文

「二談

〔漸悟

孔氏

〔殆

と取

「道家

、得

説」

道生

〔頓

と取

り、

頓悟

二頭立

で認

る。

れは

いたら

い者

漸悟

って低

い境

とど

こと

つ、

の高

人は

最高

の境

一氣

に頓悟

るこ

とに

って到

逹す

い。

は言

わな

いけ

れど

も論

た謝

靈運

自身

は當

然後

るこ

を自

いると

、解

のであ

った。

の解

はあ

一解

にと

どま

る。

しか

し牧

子氏

、自

の論

の大

 16

. 

Page 17: 『中国言語文化研究d第8号 - Bukkyo U...『中国言語文化研究』第8号 よ り も 清 」 く 、 當 世 の 宿 學 や 名 士 と い え ど も 道 生 に お

『中 国言 語 文化 研 究』 第8号

きく

關係

ではな

いが

こと

わり

らも

、論

の前

にお

て筆

の解

丁寧

評さ

(17)。

牧角

は、

「二談」

・孔

二家

の論

のも

の、

「救

の言」

った

ん文

れる

「道

唱」

釋氏

の論

のな

「能

至」

いう

「得

の説

は孔

の論

おけ

「無

體す

一極

に歸

を指

って

「敢

て折

て自

ら許

は、

「能

いう提

と、

の論

おけ

「無

體す

一極

に歸

いう

「゚得

の読と

を、

て折

る、

の意

であ

る。

のよ

「道

之唱

「得

意之

とを

し、

れぞ

れ釋

二氏

の論

の主

を表

ことば

とし

て解

こと

って、

「折

中」

の語

「新

論爲

つな

の上

の矛

もな

なり

意も

るよ

にな

る、

べら

る。

以上

紙數

の關係

ら牧

の解

の骨

を記

ただ

であ

って、詳

は氏

論文

いた

きた

いと思

。氏

委曲

を盡

くし

て論

られ

る。

「辨

の部

の解

さま

な論

を見

てもま

こと

に議

百出

っても

いほ

であ

。ど

の解

いか

しば

く置

て、確

言え

るこ

とは

、謝

の部

の文

が本

あま

り良

くな

いと

いう

こと

であ

る。

にと

にと

を、

折中

のか、

「辨

を讀

は實

く分

らな

い。そ

のた

「辨宗

が發

され

と、

ちま

の多

の識

の論

を批

し、

てま

現代

っても

なお

の解

に議

百出

る。

にな

って謝

ては

っき

った

はな

いか

。さき

の牧

の解

によ

れば

にす

っき

りと

理解

でき、

つぎ

「折

中」

「新

も自

るよ

に思

るけ

ども

筆者

の論述

のう

の都合

り、

では

一應

 17

 

Page 18: 『中国言語文化研究d第8号 - Bukkyo U...『中国言語文化研究』第8号 よ り も 清 」 く 、 當 世 の 宿 學 や 名 士 と い え ど も 道 生 に お

て筆

の舊

稿

のまま

てお

て、

以下

を進

い。

『中国 言語 文 化 研 究 』第8号

諸道人との論爭

さてこの謝靈運

「辨宗論」が發表されると、すぐ

「諸道人」たちが反應する。法勗、僣維、

慧麟、法綱、慧琳、王弘の諸人が

つぎ

つぎと謝靈蓮に質問

の手紙を邊り、謝靈蓮がいちいちそれに

反駁するという形で論爭が進められることになる。ここではまず僣維

の反論を取りあげる。

僭維は

つぎように質問をする

(大正藏五

二卷

二二五頁中)。

維、

う、

の法

るに、

らく

「宗

は微

て、階

を容

と。

使

の學

、有

の極

を窮

れば

自然

に無

に之

と符

の若

と有

れば

うを

いんや

し無

に資

て以

て有

を盡

さば

くん

を漸

と謂

わざ

るを

と。

維、

承新

法師

以宗

妙、

容階

、使

者窮

之極

然之

、何

也、

若資

盡有

、焉

謂之

漸悟

の法師

生師

頓悟

唱さ

。し

し學

ぶ者

んだ

と有

の極

を窮

て無

に行

とす

りそ

れを

と呼

ばざ

るを

えな

のでは

か。

れに

て謝靈

は、

。夫

累、

未だ

きざ

ば、

は得

らず

の弊

を盡

くし

て、

て無

得可

。累

、誠

に符

、將

に其

の累

を除

かん

かなら

えに

べし。

の時

は、

て悟

に非

に在

て、

て以

て至

る。

だ階

は教

の談

て、

一悟

得意

の論

り。

初答

。夫

未盡

不可

得、

之弊

、始

得無

累盡

、誠

符契

將除

、要

 18

.

..

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『中国 言語 文化 研 究 』第8号

、在

之時

而非悟

在有

、託

以至

但階

教愚

一悟

得意

論矣

答え

てい

る。

煩惱

こう

とす

釋氏

孔氏

の教

に傍

要が

けれ

は學

る状

であ

って、

ではな

い。學

とよ

て有

の表

にあ

ころ

の無

(さ

とり

)

に行

る。階

〔漸

は愚

を教

談に

かすぎ

一悟

つま

〔頓悟

こそ

が意

を得

〔得

意〕

を忘

(忘

言∀

いう論

であ

る。

こに

も漸悟

一般

ひと向

の、有

とど

る教

であ

り、頓

こそ無

こと

でき

る能

の高

ひと向

の方法

であ

る、

いう

意識

る。

つづ

て王

の反

を見

。王

は、

と假

不知

の關

ついて謝

(大

二卷

二七頁

下)

究極

の眞

理を

得す

眞知

、蒙

の状

であ

る不

の問

の知

はど

いう

性格

のも

のか

が問

にな

る。

(王

)

曰く

、暫

を假

さば

ち不

非ず

こと

(17)淺

て、

未だ

いる能

のみ

。眞

と照

を等

しく

るを

得ず

と雖

も、

ども

くん

入照

の分無

と謂

可け

。若

し暫

未だ

理を

見ず

とな

さば

は暫

く用

を爲

云う

を得

や。

不知

らば

を以

か知

と稱

や。

(王

)

日、

爲假

知矣

(18)淺

未能

用耳

眞知

照、

然寧

謂無

入照

之分

、若

知未

理、

豈得

理暫

、又

以何稱

し暫

のあ

いだ

が獲

され

状態

を假

とす

るな

それ

不知

いこ

る。

を見

こと

がま

だ十

行わ

いな

ため

に、

のはた

きが

恒常

はな

ていな

いと

いう

とで

ろう

しか

それ

は眞

照を

しく

こと

でき

いに

ても

、部

に照

に參

いう

とが

のでは

か。

し暫時

の知

まだ

を見

いとす

るな

ら、

は衆

 19

 

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『中 国言 語 文化 研 究 』 第8号

生にはたらきかけることはないことになる。さらにそれを不知だといってしまうのなら、

いったい

どういった状態を知というのか。

つまり經典

の教読を信じ、學問修行を積む状態であ

る假知、別のことば

でいえば漸悟

によ

ってす

こしず

つ登

っていく境地はあくまで世俗

の範疇に屬す

るには遶

いはな

い。しかしそれもまだ淺いと

はいえ理を見た状態といえるのではないか。まだそれさえ理を見ていないとするなら、さとり

へと

至る轉換

は、なにによ

ってなされるのかという問いである。

謝靈運はそれに對して、たとえば藥の藥效によ

って病は癒え、理のはたらきが妙であれば煩惱は

洗い清められる。煩惱が伏されれば、迷いとさとりとの間を循環することはなく、病が癒えれば、

理と累とが起滅することはな

いという。つづいて以下のように述

べて、

「辨宗論」をめぐる論爭を

實質的に終了する。

但だ無

漏の功

は、故より世俗

の善に資る。善

心は五品の數

に在

りと雖も、能く三界

の外に出

はな

(何

)

の所

「冬

の陰」

(-,)な

(王)

も亦

「遠

も必

も攜

れず

(2。)

と云

。聊

か此

の語

を借

て以

て無

に入

に果

て阻

隔無

況え

之功

、故

世俗

能出

三界

(何

)

「冬

日之

(王

)輔

云、

「遠

不必攜

聊借

語、

入無

果無

漏、

つま

り煩

のけ

のな

いさ

とり

の功

、世

の善

りど

ころ

とし

て獲

る。

心は

の仁

禮智

の五常

の範

るも

のでは

るけ

も、

それ

を契

て生

流轉

の迷

を超

こと

でき

。そ

は何

「無名

王弼

「周易

略例

に、

は固

對立

二元

では

く、

が陽

わり

、陽

に轉

て、

環變

るも

のであ

と読

され

るよ

うな

であ

る。

の陰

の轉換

を、

の煩

の世

らさ

へと

こと、

のこ

とば

 20

. 

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えば假知から眞知

へ轉換することに、障害がな

いことの譬えとした

い。

謝靈蓮はこう述

べて論

を終える。しかし王弘は謝靈蓮

の囘答にかならずしも納得

せず、

爭を道生に邊

って、道生

の囘答を求める。

一連

の論

『中国言 語 文化 研 究 』第8号

と謝

は、

と謝

靈運

の問

つぎ

のよ

に答

(大

正藏

二卷

二二

八頁

上)

(道生

)

以爲

く、

も若

不知

らば

、焉

くんぞ

らん

。然

ち教

に由

は、

不知

は非

るな

(道

生)

以爲

不知

、焉

有信

則由

而信

不知

也。

いう。

し教

によ

って信

起す

いう

さえ

めず、

不知

ると

るな

ら、

に信

は存

しえ

い。

って信

を起

こす

って

「假

であ

にすぎ

いけ

れど

「不

知」

ではな

い。

の知

に資

れば

は我

在り

彼れ

に資

て以

て我

に至

る可

くん

んぞ

日進

を得

んや

彼之

、理

我表

、資

至我

、庸

無功

日進

「彼

の知

、す

ち假

をよ

ころ

した

では、

は依

て我

とに

こと

る。

かし

教え

って信

を起

こす

こと

によ

って最

終的

に假知

から

へと

つき

、理

ひと

つにな

こと

でき

のであ

から

、ど

こに

日に

にさ

へと

進む

いう

いと

いえ

よう

「假

「我知

(謝

運や

ことば

いえば

「眞知

)

は懸

し、

の性

も根

本的

に相違

ではあ

れど

、や

り假

ら虞

に向

って進

であ

(21)

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『中国言 語 文化 研 究 』 第8号

であ

から

に日

に進

いる

いえ

る。

だ是

とな

らざ

れば

に由

入照

分有

るや

是我

、何

分於

照。

かし

れは

くま

で假知

とど

って

いて、

つま

り眞

はな

って

いな

。な

によ

って

照に

分有

こと、

つま

り眞

のさ

(

「照」

)

に參

る分

、も

え、

らき

れる

のであ

うか

うち

に外

に見

理す

を以

て復

く昧

は非ざ

も、

、中

せざ

と爲

はあ

らず

以見

理於

、非

全昧

不自

、未

爲能

(2、)。

の外

理を

よう

とす

こと、

つま

り理

と我

々に

ってい

る假

の状

いて

も、

に少

しず

つで

はあ

っても

目標

に向

って進

いる

には

ちが

いな

であ

るか

に蒙

ると

いう

では

い。

し諸

の實

を見

眞實

の智慧

の中

こと、

い換

れば

、佛

にな

るは

らき

なえ

た我

によ

り、

佛性

き現

て、

され

、究

の眞

であ

理が

、完

に、

一氣

とら

のでな

れば

動的

る照觀

て頓悟

いえ

ので

はな

か、

の囘答

の中

ほど

の部

「我

知」

獲得

いな

いう

「何

入照

るや

って

るが

「分

の使

い方

特徴

る(22)。

一例

つぎ

の例

「大悟

の分

「悟

分」

て現

る例

る。

『法

華經

「踊

品第

一四」

(續

經新

豐版

一五

二六頁

)

にお

いて

は、

て現

の菩

つい

て、

 22

 

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『中 国言語 文 化研 究 』 第8号

に悉

く大

の分有

。皆

れ權

の菩

らざ

るは

なし

...

...「地」

使

謂う

て衆

の悟

は結

使

の下

に在

り。

......「地

而出

とは

、衆

の悟

、蔽

こと得

らず

て、

必ず

りて

を護

るを

だす

かせ

……

た踊

出す

るは佛

に非ず

て是

薩な

は、

の悟

、必

らく

積學

て無

に至

べき

を明

すな

衆生

有大

分、

不皆

權菩

......「地

」謂

使

、而

生悟

、在

使之

「地

出」

明衆

而悟

分、

不可

得蔽

必破

、出

法矣

……

又踊

非佛

而是

薩者

此悟

分、

須積

至無

學也

べる。

では

『法

華經

「踊出

品」

て菩

が地

を破

って現れ

るよ

に、

の悟

ちま

、分

はた

は、

とえ

煩惱

われ

てい

ても

、學

み修

を重

こと

が述

べられ

る。

さき

の道

の謝

・王

對す

囘答

の中

に見

られ

「入照

分有

の表

ても、

のよ

さと

ちま

え、

らき

「分

現れ

ると

いう意

るも

のと思

われ

る。

また

靈運

王弘

の問答

では、

不知-

-眞

の關係

問題

って

いたが

道生

の問

囘答

不知

-

-

と言

い換

いる

。謝

・王弘

「眞

に對

ことば

いえば

「我

知」

であ

る。

のこ

いう

「我

は、

に執

着す

る我

もし

は常

・主宰

の我

〔アー

マン〕

の無

にお

て否

され

べき

は、

そら

ろう

は無

えた

、積

に悟

へと

おう

とす

「我

「佛

性我

ぶ場

があ

(,、)。

『維摩

「弟

「於

二、

義」

(大

一四

一頁

)

つぎ

のよう

に述

べる

(『注

摩詰

』卷

、大

正藏

三八卷

三五

頁中

)

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『中 国言 語 文 化研 究 』 第8号

に我

に從

わざ

を空

爲す

に我

の能

く之

を制

こと

らん

。則

。無

には

り生

死中

の我

も、

の我有

らざ

には

非ざ

るな

り。

不從

爲空

豈有

能制

、則

我矣

無我

無生

中我

不有

佛性

がす

っか

り我

(こ

の我

は無

によ

って否

れる

べき我

)

から

ことが

る。

の境

は、

って制

るこ

とが

でき

るも

のであ

うか

。我

によ

かぎ

それ

は難

い。そ

の我

から

こと

が、

の立

であ

。無

の境

はも

り生

死輪

のなか

の自

執着

る我

いけ

も、

に佛

とな

可能

いう

べき

積極

な佛

のでは

い、

無我

佛教

の基

理念

であ

るが、

反轉

てよ

り積

性主

を重

し、

に高

い境

めざ

「我

を道

のよ

「佛性

と呼

んだ

佛教

本來

・苦

・無

・不淨

く。

『涅槃

にお

いて

は、

をさ

に超

て、む

涅槃

は常

・樂

・我

・淨

であ

と読

『涅

經』

「如

來性

に、

「佛

善男

我者

是如

藏義

一切

悉有

性、

我義

(大正

一二卷

七頁中

)

るが

、道

の部

に注

(『大

涅槃

一八

「如

性品

)

(大

正藏

三七卷

四八頁

)、

とは

自然

の性

り。佛

必ず

より

生ず

に云

う、

は即

ち佛藏

う、

佛性

ち我

りと

。其

の辭

を互

いにす

のみ。

相者

自然

也、

性必

於諸

、向

云、我

佛藏

云、

佛性

辭耳

る。

こで

「我

」は

如來

あり

佛性

であ

とと

らえ

いる

。續

て經

「善

如貧

人舍

内多

金之

…」

「貧女

に道

さら

に注

して

(大

正藏

同頁

)、

本よ

り佛

り。

ち是

れ衆

を慈

るな

 24

v

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『中国言 語 文化 研究 』 第8号

本有佛性、即是慈念衆生也。

と逋

べ、衆生

を慈念するために設けられた佛性

こそが

「本有」

であると説く(24)。

「本有」と

いう

一見佛教が否定した我

〔アート

マン〕を連想し、身體のなかに佛性という實在が存在するかのよ

うにとられかねない。しかし

『涅槃經』卷二七

「獅子吼菩薩品」

の四中道

のうち不斷不常

の中道を

べた部分

(大正藏

一二卷五二三頁下i二四頁上)に

つぎ

のようにある。すなわち、

衆生

の起見に凡そ

二種有り。

一つには常見、二つには斷見なり。是く

の如き

の二見は中道と名

づけず

。無常

・無斷は、

乃ち中道と名つく。無常

・無斷は即ち是れ十

二因縁を觀照するの智な

り。是くの如きの觀智、是れを佛性と名つく。……是の十

二因縁を觀ずるの智慧は、即ち是れ

阿耨多羅三藐三菩提

の種子なり。是の義を以ての故

に、十

二因縁を名づけ

て佛性

と爲す。

衆生起見

凡有二種、

一者常見、

二者斷見、如是

二見不名中道、無常無斷乃名中道、無常無斷即

是觀照十

二因縁智、如是觀智是名佛性

……是觀十

二因縁智慧、即是阿耨多羅三藐三菩提種子、

以是義故、十二因縁名爲佛性。

と述

べて、自我が常住

であるとする常見と、自我が斷滅するとする斷見

の二見を排除

して、諸法が

相依相關

の關係性

のうえに成立していると見

る十

二因縁を觀照する智が、佛性であると説く。道生

この部分を

つぎ

のように注す

(『大般涅槃經集解』卷五四

「師子吼品」)

(大正藏三七卷五四

六頁下)。

二因縁を中道と爲し、衆生は是れ本有なるを明かすなり。若

し常ならば則ち應に苦有る

べか

らず。若し斷ならば則ち成佛

の理無し。是くの如きの中道の觀は、則ち佛性を見るなり。

二因縁爲中道、明衆生是本有也、若常則不應有苦、若斷則無成佛之理、如是中道觀者、則見

佛性也。

 25

 

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『中国 言 語文 化研 究 』 第8号

『涅槃

「十

二因

を中

と爲

とあ

のは、衆

は佛

が本

に備

って

いる

とを

かに

いる

のであ

る。

し自

己が

常住

であ

とす

るな

はあ

はず

し自

が斷

るも

のであ

とす

なら

と成

はな

る。

のよ

うな

と斷

つた考

を排

て、

のよ

に中

の觀

り、

無常

は帥

れ十

二因縁

照す

の智

と見

こと

そ、

性を

こと

ほか

らな

い。

で道生

、十

二因

縁を

照す

る智

が佛

であ

ってい

る。

い換

れば

、す

の現

相互

依存

の關

によ

って生

いる

いう縁

の立

つこと

こそ

、佛

を見

ことだ

って

いる

であ

る。

眞理

のも

のを見

場合

れが

縁起

であ

り、

た空

であ

り無

ると

には

りが

い。

かし

れを

・無

のまま

てお

かな

いで、

體的

を得

とす

こと

に努

めな

れば

らな

い。そ

なけ

れば

・無我

かに

であ

るか

しれ

いけ

も、

と關

のな

い、

のな

い教

のま

でお

ってし

まう

であ

ろう

みず

と關

のな

い外

みず

つきは

なす

に眞

ので

はな

い。む

みず

の中

ら諸

の實

を見

眞實

き現

てく

みる

と、

つまり

佛性

とみ

こと

こそ

要な

意味

る。

的、

體的

ここ

ろを

って學

問修

を續

そし

て佛

き現

によ

って頓

の眞

一擧

に體

て、

涅槃

成就

る。

れが

「佛性

る」

であ

り、

「理

る」

こと

であ

り、

「我

を得

こと

ほか

らな

いと道

は述

べた

であ

 26

 

おわりに

頓悟説に贊意を表して

「辨

宗論

を著

し、諸

と論

た謝

に對

て、

は、

「謝

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(靈運)

の論を究尋す

るに、都

て間然する無し」と逋べ、頓悟説に關しては謝靈運の論に全面的に

贊意を表している。しかし道生

の説のもう

一方

の柱

である、佛性説に關

しては、謝靈運は自己の論

ならびに

一連の論爭のなかでほとんど言及をしていない。道生は、頓悟読とともに重要な、佛性

卒等無差別を説く、

一切衆生悉有佛性

の説に關心をはらい、

理解

し、

その思想を發展發揮するよ

う、謝靈運や王弘さらには論爭に加わ

った道人たちに求めたものといえよう。

『中国言 語 文化 研 究 』第8号

〈注〉

(1)劉乢

「無量義經序」

「立漸者、

以万事之成、莫

不有漸、

堅氷基於

履霜、

九成作於累

土、學人之入空

、雖未員符、譬如斬木去寸無寸、去尺無

尺、三空稍登、寧非漸耶」

(『出三藏記集』卷

九、大正藏五五卷

八頁中)。

(2)大

正藏高麗本

「雖未員符」

(大正藏五五卷六八頁中)。大

正藏注記の宋

・元

・明

三本と

の對校

の記

により、

「雖未圓符」に改める。

(3)

『注維摩詰經』卷六

「觀衆生品」

〔經〕

「此室

入者不爲諸垢之所惱也」

〔注〕

「(道)生日、此室常

於理、見之乃爲入耳、果得入之不復爲諸垢所惱矣」

(大正藏

三八卷

三八九頁上)。

(4)王弼

『論語釋疑』

「忠者、情之盡也、恕者、反情以同物者也、未有反諸其身而不得物之情、未有能全

恕而不盡理之極也、能盡理極、則無物不統、極不可二、故謂之

一也」

(樓宇烈校釋

『王

弼集校釋』下、中

書局、

一九八〇年、六二二頁)。

(5)中西久味

「謝靈運と頓悟」

(森三樹三郎博士頌壽記念

『東洋學論集』、朋友書店、

一九七九年、四二

七頁)參

照。

(6)湯用形

『漢魏兩晉南北朝佛教史』下册

一六章

「竺道生」

「竺道生之頓悟義」

(中華書

局、湯用形論著

一、

一九八三年、四七

一頁)參照。

 27

 

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『中国言 語 文 化研 究 』 第8号

(7)注5、中西久味氏前掲論文參照。

(8)注

6、湯用形氏前掲書參照。

(9)同右。

(10)同右。

(H)同右。

(12)同右。

(13)同右。

(14)道生

『妙法蓮花經疏』

「方便品第二」

「『爾時世尊告舍利弗、汝已慇懃三請』、夫

聖人設教、言必有

、悟亦有諧

(續藏

經新

文豐版

一五〇册八〇七頁上)。同

「見寶塔品第

一一」

「『更變

二百

万億那由他

國』……何以漸漸變耶、所以爾者、欲表理不可頓階、必要研驫以至精、損之又損之、以至於無損矣」

(同八

四頁上)。

(5 )會

稽太守孟顕との確執對立

の背景に佛學理解

の相違があ

った

のではないかと

の推論

を行

ったことがあ

る。鵜飼光昌

「謝靈運と維摩經」

(荒牧典俊編著

『北朝隋唐

中國佛教思想史』、法藏館、

二〇〇〇年)。

(16)鵜飼光昌

「謝靈運の

『辨宗論』におけ

『道家

之唱、得意之読』

の解釋

をめぐ

って」

(『佛

教大學大

院研究紀要』

一五號、

一九八七年)。

(17)牧角悗子

「謝靈蓮詩における

『理』と自然ーi

『辨宗論』及び始寧時代

の詩を中心

にー1」

(九州大

文學部

『文學研究』八五輯、

一九

八八年)。

(18)大正藏高麗本は

「但見理向淺」

(大正藏五

二卷二二七頁下)。大正藏注記

の宋

・元

・明三本

との對校

の記述により、

「但見理尚淺」に改める。

(19)

「(何)卆叔の所謂

『冬日之陰』」。何晏

「無名論」

(『列子』

「仲尼篇」所引)

「同類無遠而相

、異類無近而不相違、譬如陰中之陽、陽中之陰、各以物類自相求從、夏

日爲陽、而夕夜

遠與冬

日共爲陰、

日爲陰、而朝晝遠與夏日同爲陽、皆異近而同於遠也」

(楊伯峻撰

『列子集釋』卷四、中

華書局、

一九八五

(28)

Page 29: 『中国言語文化研究d第8号 - Bukkyo U...『中国言語文化研究』第8号 よ り も 清 」 く 、 當 世 の 宿 學 や 名 士 と い え ど も 道 生 に お

『中 国言 語文 化研 究 』 第8号

一二

一頁

)

(20

)

(王

)

『遠

「周

「明

「近

(樓

『王

一九

)

『比

『乖

『近

「屯

・初

(同

)

『周

「屯

「六

「屯

(同

)

『字

「字

「愛

(同

)

(21

)

『漢

一六

「竺

「謝

(中

一、

一九

)

「總

(竺

)

(一)

一、

...

...

(二

)

一義

二義

(一)

「理

「悟

(二

)

「佛

「本

(佛

)

って

「佛

「本

・王

(

「以

)

「知

〔見

〔聞

(靈

)

一義

(謝

)

『反

の自

(22

)

「竺

「三

(

『大

一號

一九

)

(23

)

2

2

「四

(29)

Page 30: 『中国言語文化研究d第8号 - Bukkyo U...『中国言語文化研究』第8号 よ り も 清 」 く 、 當 世 の 宿 學 や 名 士 と い え ど も 道 生 に お

(24)道生

は、佛性が

「本有」であ

るという。

これはもともと持

っていること、本來的に有

することを指す

ら、少なくとも

この注釋

の部分では道生は佛性を實體的にみていた

ことを示唆する。佛性

を實體的

にみる

とは、佛教

の基本的なテーゼ

である無自性

・空

・無我

に抵觸する。佛性があるという

のは、修行者を鼓舞

る教え

であり、涅槃をえるための修行に主體的に邁進させるためだと了解す

るにしても、

結局

のところ、

こには大きな問題が殘

り、解決しがた

い。清澤滿之

「在床懺悔録」

(橋本峰雄責任

編集

『清澤滿之

鈴木大拙』、中央公論杜、

一九八四年、

一〇〇頁)參照。

『中国 言語 文 化研 究 』 第8号

〈參考文獻〉

この問題に關する諸先學

の探究

の成果は廣くかつ深

いものがある。注記にすでに引用し

たもののほかに、

考にした文獻の主要なも

のを擧げる。

野長八

「道生の頓悟読成立

の事情」

(『東方學報

東京』七册、

一九三六年)。

野長八

「慧遠僣肇

の神明觀を論じて道生

の新

読におよぶ」

(『東洋學報』三〇卷四號、

一九四三年)。

野博史

「『大般涅槃經集解』における道生注」

(四天王寺國際佛教大學

『日本佛教文化

研究論集』五、

八五年)。

國佛教思想研究會

「道生撰妙法蓮花經疏對譯」上下

(上卷は

『三康文化研究所年報』九號

一九七六年、

下卷は同書

一二號、

一九七九年)。

石峻、樓宇烈、方立天、許抗生、樂壽明編

『中國佛教思想資料

選編』

一卷、中華書局、

一九

一年)。

村宣彰

「竺道生

『新説』とそ

の背景」

(『日本印度學佛教學研究』三九卷

二號、

一九九

一年)。

藤隆壽著

『中

國佛

教の批到的研究』本論第三章

「竺道生

の思想

"理の哲學"」

(大藏

出版、

一九九

)。

林正美著

『六朝佛

教思想

の研究』第

三章

「竺

道生

の佛

教思想」

「頓悟

成佛読」

(創

文瓧、

一九九

年)。

(30)

Page 31: 『中国言語文化研究d第8号 - Bukkyo U...『中国言語文化研究』第8号 よ り も 清 」 く 、 當 世 の 宿 學 や 名 士 と い え ど も 道 生 に お

『中国 言語 文 化研 究 』 第8号

任繼愈主編小川隆、丘山新、前川亨、高堂晃壽、松村哲夫、清水浩子譯

『定本

中國佛教

史皿』

「第三章

南北朝時代

の佛教學派」

「第

一節

竺道生とそ

の佛性頓悟學詭」

(柏書

房、

一九九

四年)。

野博史著

『中國法華思想の研究』第

一編

「吉藏以前

の法華經疏

の研究」第

二章

「道生

『妙法蓮花經疏』の

研究」

(春秋杜、

一九九四年)。

内智之

「竺道生における理

の概念と悟り」

(『日本中國學會報』

四八集、

一九九六年)。

正大學總合佛教研究所注維摩詰經研究會編著

『對譯注維摩詰經』

(山喜房佛書林、

二〇〇

〇年)。

木全徳雄

「謝靈運の

『辨宗論』」

(『東方宗教』三〇號、

一九六七年)。

荒牧典俊

「南朝前牛期におけ

る教相判釋

の成立に

ついて」

(福永光司編

『中國中世の宗教

と文化』、京都大

人文科學研究所、

一九八二年)。

荒牧典俊

「謝靈蓮ー1山水詩人における

『理』

の轉換1ー」

(日原利國編

『中國思想史』

上、

ぺりかん杜、

一九

八七年)。

荒牧

典俊

「中國における佛教受容ll

『理』

一大變ll」

(大阪大學文學部

『日本

・日本

文化

研究

四號、

一九八八年)。

輻永光司

「頓と漸」

(岩波講座

『東洋思想』

一四卷

『中國宗教思想

2』、

一九九〇年)。

野繁夫

「謝靈蓮の思想と佛教」

(全國漢文教育學會

『新し

い漢字漢文教育』

二九號、

一九

九九年)。

野繁夫

「謝

靈運

の頓悟読と山水詩」

(中國中世文學會

『中國中世文學研究

四〇周年記

念論文集』、白帝

瓧'

1100

一年)。

野繁夫著

『謝康樂文集』

(白帝肚、

二〇〇三年)。

幅永光司著

『魏晉思想史研究』第

-部

「九

謝靈運の思想」

(岩波書店、

二〇〇五年)。

(31)