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水素結合のお話
東京農工大学大学院BASE
2017.11.14
産総研 伊藤文之
(1)分子間相互作用と水素結合 歴史的なお話 「超分子」との関連
今日の話の構成
(2)水素結合を実験的に調べる 分光法からわかること
(3)水素結合を理論的に調べる 理論的方法でわかること
(4)環境科学と水素結合 最近の仕事の紹介
本講義を面白く聴いて頂くには
学部レベルの物理化学
熱力学
統計力学
量子化学
無機化学
生物化学
若干の好奇心
今日覚えて帰って頂きたいこと
(3)水素結合を調べるには、実験・理論ともに重要。最近では、計算化学の役割が大きくなっている。
(2)水素結合は最も身近な分子間相互作用
(1)分子間相互作用は、自然現象を理解する上で非常に重要
(1)分子間相互作用と水素結合
クオーク等→素粒子→原子→分子→→超分子
核力 クーロン力 分子間相互作用
基本的な粒子からより複雑な系へ
超分子 supermolecule, supramolecule
分子間相互作用で複数の分子が集積した集合体
分子=化学結合で複数の原子が集積したもの
分子間相互作用の存在
理想気体の状態方程式とファン・デル・ワールス方程式
RTbvv
aP ))((
2
RTPv
モル体積
𝑃𝑣
𝑅𝑇= 1 +
𝐵𝑣𝑣+𝐶𝑣𝑣2
+⋯
ファン・デル・ワールス方程式の意味
a:引力項 b:斥力項
統計力学を用いてファン・デル・ワールス方程式を導くことができる
σ
−𝐶
𝑟6
U(r)
r
𝑎 =2𝜋𝐶𝑁𝐴
2
3𝜎3
b = 2𝜋
3𝑁𝐴𝜎
3
アルカン分子間の引力は主に分散力 電子数が多いほど強くなる
アルカンの沸点に反映される
引力項の効果:直鎖アルカンの沸点
分子の“形”が相変化に及ぼす効果
C8H18 Tb (K) Tm (K)
n-octane 399 216
1-methylheptane 391 163
2-methylheptane 392 152
3-methylheptane 391 151
2,2,3,3-
tetramethylbutane
380 374
CH3 CH3
CH3
CH3CH3
CH3
CH3CH3
CH3
CH3
CH3
CH3
CH3
CH3
CH3 CH3
CH3
斥力項の効果:分岐アルカンの融点
引力がない場合でも、液→固転移は起きる
大方の予想に反して、高圧下では起きることが知られている (アルダー転移)
剛体球の分子動力学計算
融点:斥力(分子の形)が効く
分子間相互作用の効果
引力:沸点
斥力:融点
に大きく効く
実験的・理論的手段が出来る以前から、分子間相互作用の存在は 「巨視的物性」「反応性」から推論されていた
ファン・デル・ワールス方程式が提唱されたのは1873年
気体
気体
固体 液体
蒸発 凝縮
融解
凝固
昇華
分子間相互作用ゼロ 分子間相互作用あり
もっとも単純な自然現象である「相変化」を理解するにも、分子間相互作用が必要
水素結合とは?
沸点の異常な振る舞い
水素結合を反映するその他の巨視的物性
誘電率 電気伝導度 強誘電性 粘度
表面張力
水素結合の「発見」の歴史
巨視的物性から、「会合」「キレーション」などという言葉で記述
19世紀後半~20世紀初頭
1919年
Huggins
Latimer&Rodebush
“Hydogen bond”という言葉を初めて用いた
1931年
Pauling
1939年 “The Nature of the Chemical Bond”
水の沸点 氷の構造
タンパク質の高次構造
化学の世界に「水素結合」の概念を根付かせる
赤外分光が水素結合の検出に効果的(後に詳述)
X線構造解析で原子座標を得ることができるようになる X線では水素原子の位置はわかりにくい
ファンデルワールス半径の和で判断
後に、中性子線回折で水素原子核の位置が直接決まるようになった
実験的手法の発達
理論的手法の発達
計算機の急速な進歩
シュレーディンガー方程式(1926)を数値的に解けるようになった
分子の構造・スペクトル予測が定量的に行えるようになった
1960年代
マシン・サイクル時間 2μs
~500kHz
IBM7090
2008
Intel Core i7 (Nehalem)
3.33GHz, 4cores
数千~数万倍に高速化し、小型化
実験装置・データ解析法も大きく変化
X線構造解析 FT-NMR
FT-IR
高速フーリエ変換必須 計算機がないとデータが得られない
実験装置-PCのデータやり取り
H-donor: N-H, O-H, Hal-H
H-acceptor: N, O, Hal原子の非共有電子対(lone pair)
現在の「水素結合」の理解
2つのグループ間の非共有結合性の相互作用
水素結合の特徴
(1)相互作用が強い
(2)方向性がある
(3)化学量論的(Stoichiometric)
H-donorの数 = H-acceptorの数
水素結合で相互作用している分子集合体は秩序だった構造を保持している
水素結合の特徴:強い相互作用
233 )(2 COOHCHCOOHCH
酢酸蒸気内の平衡
圧が高くなる 温度が低くなる
とル・シャトリエの原理 により右辺に平衡が移動 (二量体の濃度が上がる)
圧力変化→圧平衡定数
圧平衡定数 RTG
e
H(分子間相互作用エネルギーの目安)
水素結合一つ当たり30 kJ mol-1程度 >> RT
右辺に行くと発熱
600 3600 Wavenumber(cm-1)
低圧
高圧
酢酸蒸気の赤外スペクトル
酢酸二量体 Übermolekül(1937)
“超分子”と呼ばれた最初の例
クラム、レーン、ペダーセン:1987年ノーベル化学賞
クラウンエーテル (1967)
クリプタンド (1968)
水素結合の特徴:方向性
水素結合の特徴:化学量論性
H-donorの数 = H-acceptorの数
水素原子上には1s軌道しかない
秩序だった構造
(1)水の相図:氷の多形に注目
通常の氷は六方晶系
(2)メタン・ハイドレート
(3)生体分子
DNA
一本鎖のポリヌクレオチドが 塩基の間の水素結合で会合している
室温付近で安定(解離しない)
化学結合を切るほどのエネルギーは 必要としない
安定でかつフレキシブル
~~~~~
情報伝達:神経伝達物質と受容体の 相互作用
水素結合は生命活動を理解する上で基本的・重要
Etc.etc.
構造:たんぱく質の高次構造
反応:酵素と基質の相互作用 抗原-抗体反応 薬理作用
遺伝情報:核酸
ちょっと変わった水素結合
(1)H-donorがC-H(C-H水素結合)
提唱されたのはかなり昔
1914年に、液相中でのCHCl3とアセトンの会合が提案されていた
1955
“Proton Magnetic Resonance Studies of Chloroform in Solution
: Evidence for Hydrogen Bonding”
(2)H-acceptorがπ電子
提唱されたのはかなり昔
M.J.S.Dewar,
“The Mechanism of Benzidine-type Rearrangements, and the Role of π-Electrons in Organic Chemistry”,
Journal of the Chemical Society, 0, 406 (1946).
“π-complex”
ここまでのまとめ
(2)水素結合は最も身近な分子間相互作用 その微視的機構についてはまだ議論が続いている 氷や生体分子の秩序だった構造の原因
(1)分子間相互作用は、自然現象を理解する上で不可欠 その存在は、実験手法・理論が出来る前から推論されていた
実験的手法 回折法 X線 中性子線 分光法 赤外分光 NMR
(2)水素結合を実験的に調べる
実際、原子・分子はどこまで「見える」ようになったか?
「水素結合」のアイディアは、原子・分子の実像が明らかになる前に出された 量子力学の成立前
直接観測(実空間)
2014年ノーベル化学賞
1μm
共焦点レーザー 走査顕微鏡
超高解像 蛍光顕微鏡
~200nm
~数十nm
トンネル顕微鏡(AFM)
分子間相互作用を使って、分子を見る
直接観測(実空間)
単分子の時間分解観測も可能になっている
透過型電子顕微鏡(TEM)
原子・分子像を見ることが可能
1986年ノーベル物理学賞
間接観測(逆空間)
回折法
詳細な構造パラメータが求められる
X線
電子線
構造を得るには、フーリエ変換という数学的手法が必要
中性子線
回折現象の身近な例
周期的な構造に光を当てると、特定方向にのみ散乱光が やってくる
ベンゼン結晶中のベンゼン分子
ケクレ構造
C-C結合距離1.378Å
水素の位置は差合成でわかる
m-nitrophenol (monoclinic)
差電子密度(化学結合による差)
安息香酸の結晶構造
水素結合で出来た二量体 が整列
分光法=光と物質の相互作用を通じて物質の性質を調べる
赤外分光 NMR(核磁気共鳴)
NMR(核磁気共鳴分光法)
磁気モーメントを持つ原子核の外部磁場中での ゼーマン分裂間の吸収を測定
化学結合・溶媒効果などの化学的環境 磁気モーメント間の相互作用
・溶媒とのプロトン交換速度 ・1H化学シフト(等方的) ・15N化学シフト(等方的) ・2H四重極結合定数 ・1H化学シフトの異方性
蒸気圧の低いものを扱える、水溶液を扱える
種々の多次元・多核NMRの手法を用い、水素結合に関する 研究がなされている(特に生体分子)
クルト・ヴュートリッヒ 2002年 ノーベル化学賞
「タンパク質を構造解析する手段としての 多次元核磁気共鳴法の先駆的研究」
MRI=Magnetic resonance imaging(核磁気共鳴画像法)
核磁気共鳴分光法の最も成功した応用例
1H-NMRにおいて、緩和時間の組織による違いを画像化したもの
勾配磁場をかけ、空間分解能を得ている。
非破壊・非侵襲的診断法
分解能は日進月歩
造影剤も必ずしも必要でない
赤外分光(400~4000cm-1)
分子の結合長の伸長・結合角の変化に対応するエネルギー変化 を、赤外光の吸収・発光を用いて調べる
A-H B
A-H結合の伸縮振動数は水素結合AH--Bで大きく変化 (一般に小さくなる)
伝統的な実験方法
(1)無極性溶媒(四塩化炭素CCl4など)にA-H、Bを溶かし、 濃度変化を追う。
A-H伸縮振動のスペクトル変化から、水素結合を検出
(2)気相中で強い水素結合を作る分子の場合は、気体用の吸収セル にA-Hを入れて圧力を変え、A-H伸縮振動の変化を追跡する
温度を変えながら測定を繰り返すと、平衡定数が求められる
温度 濃度
H2O
水素結合による赤外スペクトルの変化
(1)A-H伸縮振動が大きく低波数シフト。強度も増大する (数倍~数十倍) (2)変角振動は伸縮振動ほど顕著な変化を示さない (3)倍音は基本音に比べ変化が小さい
A-H B
C-H水素結合では、しばしばC-H伸縮振動数が大きくなる
“improper hydrogen bond”
“proper hydrogen bond”とメカニズムが違うのか??
CF3H---C6H5F
CHCl3---C6H5F
improper
(Δν>0)
proper
(Δν
現在主流の方法
(1)A-HとBの蒸気を希ガスで希釈し、真空中で断熱膨張させて冷却し、 A-H---Bを気相中でつくり、吸収測定(超音速ジェット測定)
(2)A-HとBの蒸気を希ガスで希釈し、冷却基板上で固化させて 希ガス固体の中に埋め込まれたA-H---Bをつくり、吸収測定
(マトリックス単離)
分子を高圧をかけて低圧の容器に噴出
断熱膨張
膨張に伴う仕事の分、 内部エネルギーが低下(温度が下がる)
中性分子を不活性ガスの固体中に 極低温(
1186 1266 Wavenumber(cm-1)
100 ppm
1220.5 1226.0 1234.7
ジェット冷却
FTIR(室温)
蟻酸二量体のスペクトル(C-O伸縮振動)
Chem. Phys. Lett. 447, 202 (2007).
超音速ジェット測定
気体の一酸化炭素のスペクトル(吸光度)
一酸化炭素のC=O結合距離が実験的に求められる
回転運動が量子化(回転角運動量が飛び飛びの値をとる)
スペクトルの間隔は分子の慣性モーメントに逆比例
2原子分子なら 2RI (:換算質量)
原子間距離がわかる
多原子分子でも基本的に同じ手法
例:HCl--H2O錯体の場合
HClがH-donor H2OがH-donor
実測
計算
HCl--H2O錯体の赤外スペクトルと構造
A. J. Huneycutt et al., J. Chem. Phys. 118, 1221 (2003).
もし、回転していなかったら・・
一般に、分子は液相・固相では「回転しない」
その場合は、スペクトルの吸収位置・強度を理論計算と比較して、 一致する構造を採用することがよく行われる
構造パラメータを決定することはできない
マトリックス単離(H2O/N2)
H2O濃度
H2Oクラスター(H2O)n
n=6
n=2
n=5
n=3 n=4
量子化学計算
シュレディンガー方程式を数値的に解く
エネルギー勾配法を用いた最適構造の計算
スペクトルの計算
(3)水素結合を理論的に調べる
原子核を固定し、電子の座標について方程式を解く
原子核を動かしてエネルギー最小の点を探す→安定構造
分子動力学法
原子間相互作用を古典力学的に解く
コーン=シャム方程式を数値的に解く
分子軌道(MO)計算
密度汎関数法(DFT)計算
静電的相互作用 分極相互作用
分散力
交換反発
引力
斥力
古典的
量子的
量子化学計算 全ての相互作用を第一原理に基づいて計算可能
シュレディンガー方程式・コーン=シャム方程式は経験的なパラメータを含まない (原子核・電子の質量、プランク定数、電気素量などのみ)
原子核の位置を変えながらエネルギー計算
ポテンシャルエネルギー曲面
異性体A 曲率→振動スペクトル
異性体B
異性化の遷移状態
Gaussian09W
GaussView5
ブラックボックス化には 要注意
理論計算で得られる情報
(1)実験と比較できる物理量
1700 1800 (1,0) (2,0)
(1,1)
(2,2) (2,1)
(1,4) (1,3) (1,2)
obs.
calc.
Kr Ar
Wavenumber (cm-1)
J.Mol.Struct. 1118 , 161 (2016).
(HCOOH)m(H2O)n
(2)実験では得られない相補的な情報
HOH---ICH3
H2O---HCF2Cl
H2O---HCCl3
J.Mol.Struct. 1035, 54 (2013).
(4)環境科学と水素結合
H2O-N2, H2O-O2錯体
輻射バランス
不均一反応
温暖化に寄与
氷・ダスト上の反応
(H2O)2
分子集合体の吸収スペクトル ≠分子のスペクトル
分子集合体の反応性 ≠分子の反応性
温暖化と輻射バランス
水が関与する“触媒”反応
(1)アセトアルデヒドとOHラジカルの反応
Science, 315, 470 (2007).
(2)アセトニトリル⇔ケテンイミン異性化反応
J. Mol Struct. (THEOCHEM) 389, 27 (1997).
最近の仕事
イソプレンとH2Oの相互作用
エアロゾル
大気汚染の原因
酸性雨の原因
イソプレンからSOAの生成
イソプレンの酸化反応:2重結合へのOHラジカル付加反応が初段
イソプレンが他の分子と会合した場合、反応性が変化するか?
2重結合の電子密度が反応性と相関
分岐率~50:50
MP2/6-31+G(2d,2p)レベルでの量子化学計算では、 OH--π(2)のみが安定異性体として得られた
OH--π (2)
ΔE=-1376[1004] cm-1
ΔE(calc.) w
/o BSSE
correction
kCalmol-1
dcp-b3lyp
ΔE(calc.) w/o
BSSE
correction
kCalmol-1
post-SCF
ΔE w
BSSE&ZPE
correction
kCalmol-1
dcp-b3lyp
C2H4 -3.00 -3.13
(MP4/6-
31++G(2d,2p)
)
-1.45
isoprene
(C5H8)
-3.90 -2.07
C6H6 -3.43 -3.29
(CCSD(T)/CB
S)
-2.15
他のOH--π型水和錯体との比較
実験と計算の比較
850 900 950
Obs.
Kr
Calc.
VPT2 isoprene
isoprene-H2O
(OH--π(2))
* *
炭素原子における電荷分布
1
2
3
4
Q1 Q2 Q3 Q4
isopren
e
-0.306 0.179 0 -0.352
OH--
π(2)
-0.238 0.021 -0.048 -0.344
+0.068 -0.158 -0.048 +0.008
結論
(1)イソプレンと水の分子錯体の貴ガス(Ar, Kr)マトリックス 中での赤外スペクトルを初めて観測した。
(2)DFT計算・量子化学計算の予測と比較することで、この分子 錯体がH2Oとπ電子の間の水素結合で成り立っていることを示した。
(3)イソプレンにおける炭素原子の荷電分布はH2Oとの水素結合 で変化するので、大気中のイソプレンの酸化反応速度・分岐比は イソプレンとH2Oの相互作用により影響されることが示唆された。
J. Mol. Spectrosc. 341, 27-34 (2017).
もっと詳しいことを知りたい人へ
(2)分子間相互作用、超分子
分子間力と表面力 第2版、イスラエルアチヴィリ、朝倉書店(1992). 超分子の化学、菅原&木村、裳華房(2013).
(3)水素結合
An Introduction to Hydrogen Bonding, G. A. Jeffrey, Oxford university Press (1997).
(1)化学結合論
化学結合論、中田宗隆、裳華房 (2012).
(6)課題
http://staff.aist.go.jp/f-ito/tuat2017/ with some hints
(4)本講義の感想・質問など(自由)
(1)第二ビリアル係数と分子間相互作用の関係について調べよ。
(2)水素結合錯体A-H---Bと、水素原子を重水素置換した A-D---Bの水素結合の強さを比較せよ。
(3)水分子とイソプレン、ベンゼンは安定な1:1水和錯体を形成するが、 液体の水はこれらの有機物質とは均一に混合しない。その理由について考察せよ。
課題提出期限:11/28(火)
提出方法:中田先生に紙ベースで提出 伊藤宛([email protected])にメール添付で提出
氏名・学籍番号を忘れずに