22
における ( ) に― において , す概 して えられていたが, , ずし らか かった。 しかし, 第2 , 「これら するこ め」 ( ) し, あるこ した。 こ を意 する か, また, Ⅱ. らかにした いう , された だろうか。 以 , 第2 におこ われ 委員 第6 ( ), 第8 ( ) する。 委員 第6 , 委員 第2 ( ) におい された 第2 よう 第1 案について がおこ われた。 巻3・4 ( ) ( )

国際人権法における人間の尊厳 (二) - Chukyo U...国際人権法における人間の尊厳 (二) ―世界人権宣言及び国際人権規約の起草過程を中心に―

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国際人権法における人間の尊厳 (二)―世界人権宣言及び国際人権規約の起草過程を中心に―

小 坂 田 裕 子

������������ ��

宣言の起草過程において人間の尊厳は, 人権の基礎をなす概念として

考えられていたが, 条文上, 両者の関係は必ずしも明らかではなかった。

しかし, 国際人権規約前文第2項は, 「これらの権利が人間の固有の尊

厳に由来することを認め」 (������������������ �����������

������������� ��������) と規定し, 人間の尊厳が人権の淵源

であることを宣言した。 このことは何を意味するのか, また, Ⅱ.で明

らかにした尊厳の多義性や社会的人間像という宣言の特徴は, 規約にも

継承されたのだろうか。 以下, 前文第2項の検討が集中的におこなわれ

た国連人権委員会第6会期 (����年), 第8会期 (����年) の議論を考

察する。

����������� ��

��� �� ���� !"#$%�� ��$

国連人権委員会第6会期では, 起草委員会第2会期 (����年) におい

て採択された現前文第2項の基礎となる次のような第1条案について議

論がおこなわれた。

中京法学��巻3・4号 (����年) ���(��)

論 説

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「締約国はこの規約第2部に規定される権利及び自由が, 文明国

家により認められた法の一般原則に基づく (��������������

��� ������� ���� �� ��������������� ����������) 人権及

び基本的自由であることを認めることを宣言する。」 (下線, 筆者)

これに対して, レバノン代表����� は, 次のような修正案を提出した。

「締約国は第2部に規定される権利及び自由が, 人間の固有の尊

厳から派生する (� �������� ������������������������

���������) 奪い得ない (��� ����� �) 人権及び基本的自由であ

ることを認めることを宣言する(���)

」 (下線, 筆者)

修正案の趣旨について����� は, 「第1条についての既存の草案は・・・

誤解を招くおそれすらある。 なぜならそれは国際法に由来する人権及び

基本的自由の承認を暗示するからであるが, 現実はその逆が事実である。

この規約の締約国は, 自らが保障する義務を負った権利が自分達や国連

によって人類に与えられたものではなく, 実際には奪うことができず,

社会自体よりも古いものであることを認識すべきである。 ・・・個々人の

権利の淵源はいかなる人工の組織でもなく, 神ご自身なのである。 規約

の目的のためには, 『奪い得ない権利』 への言及がなされれば, その考

えは十分に明確となりうる(���)

」 と説明している。

第1条案には, 「文明国により認められた法の一般原則に基づく」 と

のフレーズが存在したため, 規約で認められる人権が国家の制定した実

定法に基づくものであると解され得た。 レバノン修正案の趣旨は, 規約

の認める人権が実定法, ひいては国家や国際組織によって付与されるも

のでなく 「人間の固有の尊厳から派生し」, それゆえ国家などにより奪

われ得ない人間に生来的, 一身専属的に附着する権利であることを明ら

かにすることにあった。

レバノン代表の趣旨説明からは, 人権の淵源である 「人間の固有の尊

厳」 が神に由来すると考えられていたことがうかがえられたが, その直

後, 多元主義者である中国代表����が, 「人権の淵源についての明

国際人権法における人間の尊厳 (二) (小坂田)���(��)

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確な言及は, 論争を引き起こす性質の問題であることに鑑み, 世界人権

宣言と同様に含めるべきでない(���)

」 と釘を刺したため, その後の規約起草

過程では宣言でおこなわれたような人間の尊厳や人権の根拠をめぐる論

争は控えられた。

人権が国家により与えられるものではなく, 人間に生来的に附着する

ことを支持してオーストラリア代表は, 「人権及び基本的自由は, 国際

法の基礎ではあるが, その逆ではない(���)

。 ・・・ (規約上の権利は) 人類に

固有のものである。 それらは人格 (������� ������) の属性であ

る。 ・・・そのような権利は定義され得ず, 承認され得るのみである(���)

」 と

述べている。

結局, レバノン修正案が採決されることはなかった。 また, 同会期中

に多数の代表から, 第1条は削除し, そこに含まれる価値概念を前文に

含ませるべきであるとの提案がなされ(���)

, 以後, 前文規定の一部として検

討されることになる。

��� �����

国連人権委員会の第8会期において, ��� ��は, 第6会期の第1条

修正案と同趣旨の前文現第2項の修正案を提出した。

「規約において承認される権利及び自由が奪い得ないものであり,

人間の固有の尊厳から派生することを認め(���)

,」

このレバノン案の 「奪い得ない (���������)」 という文言と自由権

規約草案に存在したデロゲーション (�� ���� �) 条項との両立性を

めぐって論争が生じた。 人権が国家により実定法に基づいて与えられる

ものではなく, 人間の固有の尊厳に由来する, すなわち人が人であるが

ゆえに当然に認められる権利であることを承認するのであれば, 人権は

国家が実定法に基づいて奪い得ない権利であると考えられる。 人権の不

可譲性を認めることは, 国家主権に対する大きな挑戦である。 もっとも,

そもそも人権は国家というリヴァイサンから個人を保護する盾としての

中京法学��巻3・4号 (����年) ���(��)

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機能を果たしていたことを考えれば, 人権の存在意義は主権への挑戦に

あるとも言える。 人権の不可譲性は, ��世紀の一連の人権宣言では認め

られていたし(���)

, 世界人権宣言第1条においても認められていた。 しかし,

宣言とは異なり法的拘束力を有し, 実施監視機関の存在が予定されてい

た規約において人権の不可譲性を認めることは, 国際機関による干渉の

可能性が拡大することを意味したため, 主権への挑戦はかつてない深刻

さを有している。 それゆえ, 国家主権を擁護する立場からデロゲーショ

ン条項の存在を理由に, 人権の不可譲性に対する異議申立がなされたと

考えられる。

ユーゴスラビア代表は, 「 『奪い得ない』 という文言は, 論争中であ

る権利からのデロゲーションを認めている規約草案と矛盾する。 規約に

おける権利についていかなる制限も規定されないのであれば・・・当該文

言を受諾しうる」 としてレバノン案に反対し(���)

, 多数の代表がユーゴスラ

ビアの見解を支持した(���)

。 ����は, 「ユーゴスラビア代表の発言は

『奪い得ない』 という文言を含めることに大変好意的な議論であると考

える。 デロゲーションが規定された事実が, (規約の) 権利は, 制限に

は服するかもしれないが, 譲り渡すことのできない性質であることの確

認を必要にしたからである(���)

」 と反論した。 これに対して, ユーゴスラビ

ア代表は, 「原則として人権を奪い得ないものと考えることには反対し

ないが, 本草案においては不適切である。 実際, 第2条 (現第4条) が

一定のデロゲーションを承認している限り, 規約に規定される権利が奪

い得ないものであると前文で確認することはできない」 と再反論した。

レバノンとユーゴスラビアの論争を受けてフランス代表 �����は,

「全ての発言は, 規約において認められる権利が奪い得ないものである

ことを宣言する前文規定と規約の他規定との間に抵触が存在しているこ

とを示している。 しかし, 『奪い得ない』 との文言は, 社会権規約前文

第1項のような他の文脈においては, 完全に受諾可能であった(���)

」 と述べ,

自由権規約前文と社会権規約前文を同一にすべきことを決定した国連総

国際人権法における人間の尊厳 (二) (小坂田)���(��)

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会決議���(Ⅵ) を考慮して, 社会権規約前文第1項を自由権規約前文

第1項とすることを妥協策として提案した。 フランス提案は受諾され,

次のような自由権規約前文第1項 (現共通前文第1項) が全会一致で採

択された(���)

「国際連合憲章において宣明された原則によれば, 人類家族

(�������� ) のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ

奪い得ない権利を認めることが世界における自由, 正義及び平和の

基礎であることを考慮し」 (下線, 筆者)

前文第2項について, オーストラリア代表は, 先のレバノン修正案を

一部修正した次のような修正案 (現共通前文第2項) を提起したが(���)

, そ

こでは 「奪い得ない」 という文言は削除されている。

「これらの権利が人間の固有の尊厳に由来すること (���������

�������������� �������������) を認め,」

オーストラリア案は, 賛成��, 反対0, 棄権7で採択され(���)

, その直後,

全会一致で同じ第2文を社会権規約前文にも挿入することが決定された(���)

これにより人権の淵源が文明国により認められた法の一般原則, すなわ

ち実定法ではなく, 人間の尊厳という客観的価値であることに合意が得

られたが, それは同文が前文に移動されたこと, また 「奪い得ない」 と

いう文言を同文中に伴わないという妥協によって可能になったといえる。

以上のように, 自由権規約に規定される人権の不可譲性について, デ

ロゲーション条項との両立性と関連して見解が分かれていたことから,

漸進的実施という性質のゆえにデロゲーション条項が存在しない社会権

規約前文第1項をそのまま共通前文第1項とするという妥協策を通じて,

「奪い得ない」 という文言が挿入されることとなった。 もっとも, 国連

事務総長が準備した����年の 『国際人権規約草案注解』 には, 「規約で

認められた権利が人間の固有の尊厳から派生するという考えは一般的に

受け入れられたが, こうした権利が不可譲であるかどうかについて合意

はなかった」 とあり(���)

, 人権委員会において最終的に人権の不可譲性に対

中京法学��巻3・4号 (����年) ���(��)

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する一般的な合意は成立しなかったことが分かる。

なお, 筆者は, 自由権規約にデロゲーション条項が存在することが,

人権の不可譲性を否定する直接的な理由にはならないと考える。 それは,

デロゲーション条項は規範から完全に免脱・免除・離脱・逸脱を認める

わけではなく, 緊急事態に対処するための措置は, 均衡性原則などの別

の規範に服しており, またその後に回復するものであり, 自由権規約上

の権利を国家が恣意的に個人または人民から奪うことを容認する規定で

はないからである(���)

�� ���������� �����������

Ⅱ.で見たように, 宣言における人間の尊厳は多義的でその人間像は

社会的であったが, これらの特徴は規約に受け継がれている。 まず, 宣

言の起草過程では, 人間の尊厳の根拠が神か本性かについて長い論争が

繰り返しおこなわれたが, 最終的には, 宣言の普遍的妥当性を重視し,

人間の尊厳の根拠づけや具体的定義はなされずに多義的な概念にとどめ

られていた。 この点, 規約の起草過程では, 宣言での経験をリマインド

する�����の発言もあり, はじめからそのような哲学的・形而上学的

論争は控えられ, 人間の尊厳の根拠や具体的内容は明らかにされず, 当

該概念はやはり多義的なままにとどめられた。

次に, 宣言第1条案を作成した���の人格尊厳理解は, 孤立的個

人ではなく人類家族を出発点とした社会的人間を想定しており, その人

間像は, 個人の社会に対する義務規定 (宣言第��条) や中間集団に対す

る一定の地位の承認などを通じて, 最終的に宣言に残されている。 宣言

の人間像は前文第1文に端的に表現されており, 人間を 「人類家族」

(� ��������, 規約の政府訳では 「人類社会」) の構成員と表現して

いる。 規約前文第1文の起草過程では, 「人類家族」 を 「人類」 (� ���

����) に代える提案がおこなわれたが(���)

, 反対を受けて残されることとなっ

た(���)

。 このことは, 規約も孤立的個人ではなく, 人類家族の一体性から出

国際人権法における人間の尊厳 (二) (小坂田)���(��)

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発する社会的人間像に依拠していることを象徴的に示している。 また,

宣言第��条の社会に対する義務は, 「個人が, 他人に対し及びその属す

る社会に対して義務を負うこと・・・を認識して」 と規定する規約前文第

5文において再確認された。 そして, 規約も宣言と同様に, 個人が中間

団体に帰属する権利を認めている。 すなわち, 宗教の自由の集団的行使

を認め (自由権規約第��条), 集会・結社の自由 (自由権規約第��, ��

条) や文化生活に参加する権利 (社会権規約第��条) を保障する。 家族

については 「社会の自然かつ基礎的な単位」 として家族自体を保護対象

としている (自由権規約第��条1項, 社会権規約第��条, ��条)。 さら

に規約では, 宣言には存在しなかった民族自決権 (規約共通第1条) や

少数者の権利 (自由権規約第��条) を保障している。

以上のように, 宣言の議論を基礎に作成された規約は, 宣言の特徴で

あった尊厳の多義性や社会的人間像を受け継いでいる。

�� ��

�� ������� ���������������

宣言の起草作業において, 合意を得ることが困難な哲学的論争を避け

る立場がとられ, 人間の尊厳の根拠が明記されないことになった結果,

宣言及びそれに基づいて作成された規約における人間の尊厳は, ある特

定の哲学的思想に基づかない多義的な概念にとどまることが明らかとなっ

た。 そのため, 宣言及び規約における 「人間の尊厳」 は, より一般的な

表現の 「人間性」 あるいは 「人間らしさ」 と同義に考えられうる。 尊厳

概念の多義性に関して, 佐藤幸治教授の次のような問題提起は重要であ

る。 宮沢俊義教授が 「今日多くの国では, 人権を承認する根拠として,

もはや特に神や自然法を持ち出す必要はなく, 『人間性』 とか 『人間の

尊厳』 とかによってそれを根拠づけることで十分だと考えている(��)

」 と記

述されたことに対して, 佐藤教授は, 「それは, 『人間性』 をもって 『人

間の尊厳』 と等置する趣旨であろうか」 と疑問を呈された。 その上で,

中京法学巻3・4号 (����年) ���(��)

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「多くの国で 「人権」 という言葉が用いられるようになったからといっ

て, そのことは, 「人権」 の命題がますます明確に基礎づけられるに至っ

たということを必ずしも意味しない。 『人間性』 とか 『人間の尊厳』 に

ついての理解をますます多様ならしめ, そこから論理必然的に出てくる

といわれる 『人権』 概念をいっそう多義的なものとするかもしれない(���)

と危惧を表明された。

はじめにでも見たように, 人間の尊厳概念は, 新しい権利を主張する

際の基礎として援用されたり, 既存の権利を新状況に適用するよう解釈

する際の根拠として用いられたりしている。 国際人権条約において解釈

論と立法論の峻別が現実的でなくなってきていることが指摘される現在(���)

,

人間の尊厳を多義的なままにとどめておくことは, 結果として権利のイ

ンフレを招きかねない(���)

。 国際社会の多様性を背景とする国際人権法にお

いて, 佐藤教授の指摘された問題が, 国内憲法以上の深刻さをもって存

在することは否定しえない。 もっとも, 国際レベルにおいて人権を語る

場合, 国内憲法の場合以上に文化, 宗教, イデオロギー的多様性の問題

は複雑であり, 人権の合理的基礎づけのレベルにおいてその溝を乗り越

えることは限りなく不可能に近い。 むしろ宣言及び規約における尊厳の

多義性については, ������のように 「それを通じて多様な宗教や道

徳的伝統, 及びイデオロギーの代表者達が政治的な妥協のみならず, 人

権についての非排他的で安定した道徳的合意をなしうる, 貧弱ではある

が不可欠な規範的基礎を提供するもの(�� )

」 として, その意義を積極的にと

らえる方がよいように思う。 人権の淵源とされる人間の尊厳を多義的に

することで, 多様な国際社会における宣言及び規約の普遍的妥当性に道

が開かれたのである。

人間の尊厳の定義はなされなかったが, 人格尊厳理解から導かれる個

人の自律性の尊重は, 個人の権利を規定する宣言及び規約の本質的要素

である。 宣言及び規約における人間の尊厳が多義的である以上, 自律性

を中核に尊厳概念を捉え直し, 個人の自己決定の権利を発展, 強化させ

国際人権法における人間の尊厳 (二) (小坂田)���(��)

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るように条文解釈する根拠として援用することも不可能ではない。 ただ

し, その際, 共同体文化が個人の自律と相容れない価値にコミットして

いる場合, 自律と文化多様性とが衝突するという問題が, 個人の自律を

強調する現代的傾向に伴い, 今まで以上に顕在化していることに注意す

る必要がある(���)

。 この点, ����の指摘するように, 現在, 個人主義の価

値は, 共同体主義の価値よりも戦略上有利にあり, 普遍化する内在的可

能性を有している(���)

。 しかし, 人種主義には, 伝統・共同体主義の立場か

らの同化を求める形態の他に, 個人・普遍主義の立場からの形態もある

ことは見落としてはならず, 国際人権において団体主義の側にも一定の

考慮を行なう必要は否定できない(���)

。 個人の自己決定の尊重が強化される

現代的傾向を高く評価する��� も, 個人の権利が国家や中間集団の

権利又は利益とバランスをとられる必要があることを認めている(���)

個人主義の中でも, 自律と多様性を両立不可能とする硬直した2項対

立的見解は, 自己の意思に逆らって他から左右されることがない個人,

いわゆる負荷なき自己を想定する。 近代人権は, 国民国家形成と内的結

合関係にあり, 身分制秩序の破壊が主要な課題とされていたため, 孤立

的人間像を想定していた。 これに対して, 宣言の父といわれる�����

の人格尊厳理解は, ���よりも共同体指向である�����理論の影

響を受けたものであり, 孤立した個人を出発点とするのではなく, 人間

の社会的本質を前提に, 人類家族の一体性を出発点として, 社会との関

係において人間をとらえ, 個人の自律的選択を尊重はするが, 絶対視せ

ず, 個人の社会に対する義務を規定していた。 �����の人格尊厳理解

において想定されていた社会的人間像は, 個人の社会に対する義務規定

や中間集団に対する一定の地位の承認などを通じて, 宣言及び規約に残

されている。 さらに, 宣言及び規約の前文は, �����が理想とした人

類家族の理念から始まっており, 孤立的個人から出発するものではない

ことを象徴的に表しているのである。

中京法学��巻3・4号 (����年) ���(��)

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�� ������������ ������

世界人権宣言では, 人権を国家と個人の2極構造で捉えるのではなく,

人類家族の一体性を出発点として, 人間を社会や様々な共同体の一員と

して把握し, その結果, 前文で国家のみならず社会も名宛人にされてお

り, さらに, すべての人類を対象とすると起草時に考えられていた。 す

なわち, 世界人権宣言の人権は, 対国家的なものに限定されない, 全方

位的なものだったのであり, かかる特徴は, 世界人権宣言に対する自然

権思想の影響を示すものでもあった。

それに対して, 条約である国際人権規約では, 義務を負うのは締約国

であり (自由権規約第2条, 社会権規約第2条), 社会等は名宛人から

排除されることになる。 ただし, 国際人権規約の起草作業は, 世界人権

宣言の延長線上に位置づけられるものであり, 名宛人が国家に限定され

たからといって, これまで世界人権宣言では範疇に含まれていた私人間

の人権保障の問題が議論から外されたわけではない。

例えば, 生命権を規定する自由権規約第6条1項の起草作業では,

「国家による是認されない行動」 から個人を保護する国家の責務に限定

されるという見解も出されたが, 多数は, 「私人による是認されない行

動」 からの個人の保護も国家に要請されると述べていた(���)

。 自由権規約第

8条2項の隷属状態の禁止に関しては, 「隷属状態」 の前に 「意に反す

る」 の後を挿入しようとする提案がおこなわれたが, 当該提案は, 意に

反するか否かに関わらず禁止されるべきとして反対を受け, 「何人も奴

隷的拘束を受ける契約を結ぶことはできない」 ことが合意されている(���)

平和的集会の権利 (自由権規約第��条) については, 「政府の干渉」 に

対してのみ保護されるべきという示唆がおこなわれたが, 「あらゆる種

類の干渉」 から保護されるべきことが一般的に了解された(���)

。 また, 婚姻

に関する権利 (自由権規約第��条) は, 自由権規約の中で唯一, 漸進的

実施を許容しうる規定になっているが, それは, 婚姻に関する男女不平

等の多くが, 政府が必ずしも直接的なコントロールをもたない古来の伝

国際人権法における人間の尊厳 (二) (小坂田)���(��)

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統及び宗教的信念・慣行に由来していて, 平等の実現のためには, 一定

の期間が必要と考えられていたからである(���)

このように, 社会等が名宛人から外された結果, 私人間の人権侵害に

関する責任の所在は国家に集中され, 「確保の義務」 (自由権規約第2条

1項) として, 国家が 「相当な注意義務」 をもって私人間の人権保障を

おこなうことになったのである(���)

同様に国家を名宛人とする日本国憲法では, 私人間における人権保障

の役割を立法府に期待するか, 裁判所に期待するか, という意味で, 私

人間効力が問題となるが, 国際人権規約の場合は, 原則として, 結果の

義務であって, 国内における実現プロセスの問題である私人間効力は,

その限りにおいて問題とならない(���)

。 この点において, 高橋和之教授の指

摘は正しい。 しかし, 高橋教授が, この結論を 「人権は条約に取り込ま

れることにより, 条約の論理に拘束されることになる」 ことから導き出

している点には(���)

, 疑問の余地がある。 自然権思想の影響を受けた世界人

権宣言では, 全方位的権利とされていた人権が, 国際人権規約において

名宛人が国家に限定される中で, 私人間の人権保障の責任の所在が国家

に集中した, という限りにおいては, たしかに当該主張は正しいが, 人

権が条約の論理に服したと一般的に結論づけることはできないように思

う。 というのも, それは, 国際人権規約上の人権を国家の同意に基礎づ

けることと同義であるが, 次に見るように, 起草者達の間では, そのよ

うなコンセンサスがあったわけではなかったからである。

�� ���������� ���� �����������

����

人間の尊厳概念は, 国際人権規約の起草過程において, 法的拘束力を

有さない宣言の場合とは異なる形で議論の対象となった。 第1に, 人権

の淵源は法の一般原則か, 人間の尊厳かという形で, 第2に, 人権は国

家によっても奪われ得ない不可譲的な性質を有するのかという形で問題

中京法学��巻3・4号 (����年) ���(��)

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となった。 これらの論争はいずれも, 国際人権規約が規定する人権は,

国家の合意 (条約) に基づくものか, あるいは, 前国家的, 超実体法的

なもの (天賦又は自然権) か, という価値対立から派生するものである。

それは, 換言すれば, 国際人権条約に内在する2つの要素―意思主義と

客観主義―のせめぎ合いのあらわれである(���)

。 一方で, 規約は, 主権国家

の合意, すなわち意思主義に基礎をおく 「条約」 である。 しかし, 他方

で, その内容である人権は, 国家や人間の意思によって左右されてはな

らない 「人間の尊厳」 という客観的価値をその倫理的前提とし, その限

りで客観主義の要素を有している。 前者に重きがおかれれば, 規約も他

の多数国間条約と異ならない合意原則に基づく条約であることに傾くの

に対して, 後者に重きがおかれるほど, 人権条約たる規約の客観性は高

くなり, 人権条約の特殊性を根拠とした合意原則に対する制約へと傾く。

起草者達の間で人権の不可譲性へのコンセンサスが存在しなかったこ

とは, 人権条約が合意原則から逸脱することに対する危惧が存在してい

たことを意味しており, 前者への傾きのあらわれである。 他方で, 人権

が国家によって付与されるのではなく, 「人間の固有の尊厳」 に由来す

る権利, すなわち前国家的権利であることが起草過程で承認されたこと

は, 後者への傾きである。 起草過程では, この相対する2つのベクトル

がいずれも現実に存在していたのであり, 最終的に, 不可譲性へのコン

センサスが得られないまま, 規約前文が人権を 「人間の固有の尊厳」 に

由来する権利, すなわち前国家的権利であると明言したことは, 意思主

義と客観主義の緊張関係が規約の内部にそのまま抱え込まれたことを象

徴的に示している。

人権が人間の尊厳という客観的価値に由来する前国家的権利であるこ

とを規約前文が承認したことは, 起草者達の理想を述べた単なるリップ

サービスとも解されうる。 しかし, 近年の条約実施監視機関の実行にお

いて, 意思主義と客観主義の関係は, 後者を重視して前者を制約的に解

する傾向にあり, 単なるリップサービスにはとどまらない現実的な意義

国際人権法における人間の尊厳 (二) (小坂田)���(��)

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を有してきている。 具体的には, 人権条約の特殊性を根拠とした合意原

則の制約という現象が, 留保の制約やデロゲートできない権利の拡大,

人権条約の承継, 廃棄または脱退などの制約にあらわれている。 例えば,

自由権委員会は, 香港等の領土の返還, 旧ユーゴスラビアなどの国家承

継において, 規約に規定される権利は締約国の領域内に居住する人民に

帰属し, ひとたび人民が規約における権利保護を与えられるならば, そ

の保護は領域とともに移動し, 締約国政府の変更にも関わらず, 引き続

き人民に帰属するという理論を展開して, 国家主権を制約する判断をお

こなってきており, 同理論は規約の廃棄または脱退が国際法上認められ

ないとする委員会の論拠の1つとしても援用されている(���)

。 またそのよう

な国家の合意原則の制約要因として, 人間の尊厳概念が直接援用される

場合もある。 例えば, ����年に自由権規約委員会が採択したジェネラル・

コメント��は, 規約前文にある 「人間の固有の尊厳」 に第��条が言及し

ていることを1つの根拠として, 第4条2項に規定されない被告人の処

遇に関する権利 (第��条) をデロゲートし得ない権利として認めている(���)

もっとも, 人権の客観性を強調して主権を制約するという現象を, 国

家の側がすべて容認しているわけではない。 義務の相互性の欠如という

人権条約の特殊性を強調し, 規約に対する留保の許容性判定権を同委員

会に認め, かつ許容されない留保の可分性を認めた����年ジェネラル・

コメント��に対して, 米・英・仏が合意原則からの不当な逸脱として異

議を申立てて激しい論争を引き起こしているのは, その典型例である(���)

規約に内在する意思主義と客観主義の緊張関係は, 採択から��年近くた

つ現在でも依然として解消されていないし, 国際社会における主権国家

の並存状態が継続する限り存続し続けるだろう。 近年, 理想を実現する

使命感から, 主権国家の並存という現実の視点を軽視し, 人権の客観性

をどちらかといえば安直に強調する傾向にあることが指摘される。 しか

し, 強制執行力を欠く国際人権条約制度の枠組みにおいて, その実施は

主権国家の良心や協力に大きく依存していることを考えれば, 人権条約

中京法学��巻3・4号 (����年) ���(��)

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の実効性を高める上で, 現実の視点を喪失した理想の安直な強調は, 必

ずしも望ましくない(���)

。 国際社会の現実を見据えながら, 人間の尊厳の尊

重という理想のより効果的な実現方法を考えていく必要があるが, その

際にまず, そもそも人権の淵源である人間の尊厳は, どの程度客観的と

いえるのかという問題を考える必要がある。

宣言では, 普遍的妥当性を確保する観点から多様性の尊重を重視し,

人間の尊厳概念を多義的なものにとどめたが, この特徴は以下に見るよ

うに規約にも継承されている。 そのため, 人間の尊厳は, 実は多様な主

観が入り込みうる余地の広い概念となっているのである。 しかしだから

といって, 完全に国家の意思の下に人間の尊厳ひいては人権を位置づけ

てしまうことは, 人間の尊厳の否定, あるいは人権の存在意義の否定と

同義である(���)

。 今後の課題としては, 人間の尊厳, ひいては人権の核とな

る客観的な部分を見出していく必要があると考える。

����

宣言は, 国家のみならず, 私人や社会をも対象とする全方位的, かつ

前国家的権利を規定していた点で, 自然権思想の影響を受けていたが,

人間を孤立的個人としてとらえた近代人権とは異なり, 人類家族の一体

性から出発する社会的人間像に依拠していた。 規約では, 名宛人が国家

に限定される中, 私人間の人権保障の責任の所在は国家に集中したが,

宣言の社会的人間像については, 規約にも継承されている。 本稿で明ら

かにしたように, 宣言及び規約では, 社会や文化, 中間集団は, 個人の

選択において必ず排除されなければならない足かせとしてではなく, 個

人の人格を発展させる可能性の一要素として積極的に評価されており,

中間集団の排除を徹底した近代人権とは異なり, 中間集団にも一定の地

位が認められている。 個人の選択は, 文化的・社会的・宗教的要因と無

関係ではあり得ないことを, 宣言及び規約自体が承認している以上, 文

国際人権法における人間の尊厳 (二) (小坂田)���(��)

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化的・宗教的多様性は一定の保護に値することが認められる。 では何故,

宣言及び規約において, 孤立的ではなく社会的人間像が想定されたのだ

ろうか。

第1に, 近代人権と第2次世界大戦後に多数作成されるようになった

国際人権文書との成立背景の差異を指摘することができる。 近代人権の

成立は, 分権的な中世社会構造を破壊し国民国家を形成する過程と内的

結合関係にあり, 前近代的な身分制秩序の破壊は近代人権にとっての第

1の使命であった。 これに対して, 第2次世界大戦終了後に人権が国際

的に大きな関心を集めた大きな要因として, 大戦中にナチスによりおこ

なわれたホロコーストをあげることができる。 それにより国内において

人権を抑圧する国は, 国際社会においても侵略や破壊行動に出る危険が

あると考えられ, 国際社会の平和を維持するためには, 国内において人

権を保護する体制を確保する必要があることが認識されるようになった

のである。 宣言や規約の前文に人権の尊重が平和の基礎をなすものであ

ると述べられていることからも, このことが確認される。 宣言を先駆け

とする戦後の国際人権文書は, 最初は, 大戦中の人権侵害の再発防止を

第1次的な使命として登場したのであって, 近代国家の形成と内的結合

関係にあった近代人権とは異なり, 身分制秩序の破壊をその主要な使命

として想定していなかった。 近代人権は, 身分制秩序から個人を解放す

べく, 孤立的人間像に依拠し, 徹底した中間集団の排除をおこなったが,

そのような使命を負っていない宣言や規約にとって, 生身の人間から乖

離した近代的自我を採用する必要はなかったのである。

第2に, ��世紀への転換期において民主化の媒体としての中間集団の

重要性が認識されるようになったこと, そして宣言及び規約は, 民主主

義への本来的かかわりにより起草されたものであることを指摘できる。

近代法の措定していた人間像は, 反集団的・反結社主義的なものであっ

たが, それは人間の集団や結社の中に個人の自律的な発展を妨げ, また,

国民大衆の積極的な政治参加は党派的組織に通じ, 政治的不安定をもた

中京法学��巻3・4号 (����年) ���(��)

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らす要素があるのではないかと恐れられた結果であった(���)

。 しかし, この

ようなこのような懸念は, その後の歴史的展開の中で必ずしも十分な根

拠に立つものでないことが確認され, むしろ, 結社が個人の権利・自由

の防衛にとって重要な役割を果たすことが知られるようになっただけで

なく, ��世紀への転換期においては, 結社は大衆と彼らが生活する社会

とを繋ぐセメントとなり, 政党などの媒介組織の発達なしに民主化は不

可能であるとの認識が一般化してきたのである(���)

ファシズムに対する批判を背景に作成された宣言は, 政党についての

規定はないものの, 「人民の意思が統治の権力の基礎でなければならな

い」 (第��条3項) と規定し, 法の前の平等 (第7条), 表現の自由 (第

��条), 平和的集会および結社の自由 (第��条) といった民主主義に不

可欠な諸権利を保障する。 自由権規約も同様に, 参政権 (第��条), 法

の前の平等 (第��条), 表現の自由 (第��条), 平和的集会の権利 (第��

条), 結社の自由 (第��条) を保障している。

宣言及び規約に政党への明示的規定が存在しないのは, 宣言の起草過

程において一党制を採用する社会主義国とその他の諸国との間で民主主

義の定義をめぐって論争がおこなわれ, 妥協案として, 民主主義は未定

義のまま残され, それを受けて規約においても民主制の中身を問わない

こととなったからである。 Ⅱ.3.で見たように, 単一政党が適切に人民

の利益を擁護しているおり, 「国家」 と 「人民」 の意思の矛盾が存在し

ないというソ連代表の主張は, 厳しい批判を受け, 大多数の非社会主義

国諸国から支持されなかったにもかかわらず, 民主主義の定義がなされ

なかったのは, 起草者達が宣言及び規約の普遍的妥当性を重視し, 政治

制度の多様性を尊重した結果といえよう(���)

。 もっとも宣言及び規約は, 民

主主義に関連する前述の条項を規定しており, その限りにおいて, 両文

書における 「民主的」 (�� ���� ) の解釈の幅は制約されうることに

も留意すべきである。

第3に, 社会的人間像が採用されたより積極的な理由として, 規約の

国際人権法における人間の尊厳 (二) (小坂田)���(��)

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基礎となった宣言の主要な起草者達の思想的背景が存在する。 特に, 宣

言草案を作成した������と, 人権委員会において中心的存在であった

�����と���の思想は, 宣言における人間の尊厳概念やその人間像

のあり方にきわめて重要な影響を与えたため, 以下に概説する。 なお,

彼らは全員, 規約の起草にも参加しており, Ⅲ.1.で見たように,

�����と同僚であるレバノン代表の��� ��や���は, 規約前文の

起草で重要な役割を果たしている。

ユダヤ系フランス人である������は, 第2次世界大戦期に妹を含む

��人の親族を強制収容所で失っている(���)

。 現在の宣言第2文の基盤となっ

た������案前文第1文は, 「人権の無視及び軽蔑が, 2つの世界大戦

で世界を汚染した人間らしさの苦難, 特に虐殺の主要な原因であった」

としており(���)

, ホロコーストに対する非難が表明されている。 このような

経験を有する������は, 戦争によって破壊された 「人類の一体性」

「人類家族」 という理想を自らの宣言案の出発点にしたため, 人間を孤

立的とは考えなかったのである(���)

。 レバノン代表�����は, トマス哲学

の立場から多くの発言や提案をおこない(���)

, 個人の自律の意義を唱え, 改

宗権を熱心に支持する一方で(���)

, 人間にとっての中間集団の重要性を指摘

し(���)

, ����������よりも���� �の文言を好んで使用することで, 人間の

社会的性質を強調し, 他を排する極端な自律 (���������� � ��) や

自己満足 (��� !�� �������) という意味合いを含むこと避けていた(��")

。 多

元論者である中国代表���も, �����と並び人権委員会に大きな知

的影響力を及ぼしたと評されるが, 西欧哲学に限らず多様な思想が反映

されるべきであることを主張する彼は, �����と多くの場面で見解を

異にした。 しかし2人は, 人間を孤立的ではなく, 社会的にとらえる点

では一致していた。 Ⅱ.2.で見たように, ���は, 儒教概念の 「仁」

から導かれ, 他者に対する思いやりを意味する #� ��������$の挿入を

提案したが, このことは, 彼が人間を個人としてではなく他人との関わ

りのなかでとらえる必要があると考えていたことを示している。

中京法学��巻3・4号 (�"��年) ���(��)

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最後に起草者達全体が, 宣言や規約の普遍的妥当性を重視して, 各国

の多様性を尊重しようとする傾向にあったことをあげることができる。

人権の淵源について神か, 理性かが争われた時, いずれへの言及も避け

ることで, また東西諸国間で争われた民主主義の定義をおこなわないこ

とで, 起草者達が妥協的に条文作成の合意に達したことは本稿で確認し

たとおりである。

宣言及び規約には, 条文あるいは前文に 「共同体に対する義務 (���

��������������� )」 が規定されている。 この点, 米州人権条約

は個人の家族, 社会, 人類に対する責任 (第��条) を, バンジュール憲

章は個人の家族, 社会, 国家, 共同体及び国際社会に対する義務 (第��

条) や, 同胞に対する義務 (第��条) を規定しているのに対して, 近代

人権文書の影響をより強く受けて作成されたヨーロッパ人権条約には個

人の義務規定は存在しない。 そもそも近代人権とは一線を画する

��������の思想に影響を受けた������の宣言草案に個人の 「社会」

に対する義務が規定されていたのだが, それが削除されずに 「共同体」

に対する義務として宣言及び規約に残されたのは, 個人主義が定着しな

い多様な文化や宗教の存在を起草者達が考慮したためといえるだろう。

本稿で明らかにしたように, 宣言及び規約の起草者達は, 一定程度の

文化的多様性を許容しうる 「人間の尊厳」 という概念を人権の基礎とし

たが, そのことと, 規約の採択から半世紀近くたとうとしている現在, 自

由権規約委員会や社会権規約委員会の実行で, その理念が実現されてい

るかは別問題である(���)

。 この点に関する現在の実行の検討は, 別稿に譲る(���)

【付記】本稿は, ����年3月に京都大学大学院人間・環境学研究科に

提出した博士論文 『国際人権法における多文化主義―可能性と課題―』

の第1章 「国際人権規約の基本構造―人間の尊厳概念とその人間像の検

討」 に加筆・修正をおこなったものである。 さらに, 拙稿 「世界人権宣

言における人間の尊厳概念の意義」 『社会システム研究』 第8号 (����

国際人権法における人間の尊厳 (二) (小坂田)���(��)

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年) がその基となっている。 ただし, 基本的な主張に変更はない。

(���) �������� ����������������� ������������������

����������������������������������������������������������

(���) �������� ����(��!�)�� ����"���

(���) �������� ������ �����

(���) �������� ������ �����

(���) ������� �����

(���) アメリカ,������� ���#イギリス,������� ���#インド,������� ��$#

エジプト, ������� ���#中国, ������� ����#オーストラリア, �����

�� �����前文に移動させるべき理由としてエジプト代表は, 国家に明確

な義務を課す規定のみが規約の実体規定に含められるべきであることを指

摘していた (������� ���)。

(��!) �������%����(��!�)�

(��$) &� '�(����))�� �'��(����(*���$)� ��)*�#+�*,*�)� ���(

��-(.*�*(.*(�*(���)����$)#,��)� ���(.*�. ���.*)/0�11*

*.�����*(.*�����

(���) �������� ����(��!�)����

(���) イギリス, ギリシャ, ��������#ベルギー, ����������レバノン案を

支持する発言として, アメリカ, ���������

(���) レバノン, ����������

(���) フランス, �������"���

(���) �������� ��������

(���) オーストラリア, �������� ����(��!�)��!�

(���) �������� ��������

(���) ���������

(��!) 2�����(��!!)����* �§$�

(��$) 寺谷広司 『国際人権の逸脱不可能性―緊急事態が照らす法・国家・個人』

有斐閣, ����年, �������頁, ��頁。

(���) ベルギー, �������� ����(��!�)�����

(���) ユーゴスラビア, �����

(���) 宮沢俊義 『憲法Ⅱ (新版)』 有斐閣, ��頁。

(�!�) 佐藤幸治 「人権の観念―その基礎づけについての覚書」 『ジュリスト』

���号 (����年), ���頁。

中京法学�$巻3・4号 (����年) ���(��)

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(���) 坂元茂樹 『条約法の理論と実際』 東信堂, ����年, �������頁�坂元茂

樹 「人権条約の解釈の発展とその陥穽」 芹田健太郎他編 『国際人権法と憲

法―国際人権法学会��周年記念―』 信山社, ����年, �頁。

(���) 人権のインフレとは, あまりにも容易に新しい人権を容認することによ

り, 人権全体の価値への疑問を招き, その規範性を弱めるおそれがあるこ

とを指す (�� �������������������������� �!"�#���� $����%

�� "�&��'�"���(�������)������������ ������������

���*��+(���)���+��%����大沼保昭 『人権, 国家, 文明―普遍主

義的人権観から文際的人権観へ』 筑摩書房, ���年, ,��頁�寺谷 『前掲

書』 注 (��), ��頁)。

(��,) -��.���!�������������� ���+����+��%�,+

(���) 井上達夫 『普遍の再生』 岩波書店, ���,年, ������頁。

(���) /����0+�1�2"�������("�.3�����"����"�-"�$������2��! �4

5��2"���!!����("�.���3�6�!!�� ��"2����(�40�44����6�)������

� ������ �����*��+���+,(����)���+,,%,��+

(���) 小畑郁 「民主主義の法理論における主権・自決権と人権」 『法の科学』

��号 (���年), ,�頁。

(��) &�"�67�8��!" 9+��������������������������������

����������� �����/:4��.����������+��"�.��+

(��) �;����(����)�6�"�����§�+

(���) ����+�6�"�����§�+

(���) ����+�6�"�����§�,�+

(���) ����+�6�"�����§���。 自由権規約第�,条4項 (婚姻関係における男

女平等権) の起草作業と自由権規約委員会における実行については, 拙稿

「婚姻関係における男女平等権と宗教の自由の関係」 『社会システム研究』

第6号 (���,年), ������頁参照。

(���) #�5����"���!!��� ��+,�����#;�;��;#�<+�;�..+�,��"�"++

申惠� 『人権条約上の国家の義務』 日本評論社 (����年), ,���,��頁。

(��,) 高橋 「国際人権論」 「前掲論文」 (注) ��, ����,頁。

(���) 高橋和之 「現代人権論の基本構造」 『ジュリスト』 ��+��(����年),

������頁�高橋 「国際人権論」 「前掲論文」 (注) ��, ��頁

(���) 寺谷 『前掲書』 注 (���) ,��,��頁�建石真公子 「国際人権保障と主権

国家」 『公法研究』 ��号 (����年), �,����,頁参照。

(���) #�5����"���!!�����(��) (���������(�4�2���"����)����#

;�;��;#�<+�;�..+;#�<+�(���)����6��.����2 ��<"�����4��� #�

( ���=���)����#;�;�;�..+�+

国際人権法における人間の尊厳 (二) (小坂田)���(��)

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(���) ��������� ������(����� ��������(�����������)

����� �������������� ���!""���(�##�))$%����&�

(��') (������)�*事件 (��'#年) においてヨーロッパ人権委員会は, 自由な

民主主義という共通秩序を確立する目的で起草されたヨーロッパ人権条約

が, 集団的実施の利益の下, 単なる相互義務のネットワークを超えた 「客

観的義務 ( +,���� � +������ )」 を創設するとして, 自らの留保の判定

権を認めており ((������)�* )�-��.���"$������������� ���

�������$/ ��0$%%��&#1�&�), その後, ヨーロッパ人権裁判所も2���� )

事件 (��''年) で自らの判定権限を承認した (2���� )34"����� ���

!%����''$�������$ ��&�$%��&)。 自由権規約委員会は, 人権条約の

義務の客観性には言及せず, 人権条約では相互性の原則が機能しないこと

を強調して自らの留保判定権限を承認しているが, これは委員会自身がヨー

ロッパ人権条約との実施機関の権限の違いや締約国間に同質性が存在する

か否かなどの違いを考慮してのことと思われる。 ������������ �1

���� ���(0�) (������ ���� �))4�)������� �)� �1

�� )) ����� �������������� ���!""��(����)$%������5+)�1

��� )+��*���$!�0#��#(���0)$%%����1���65+)� ��� )+��*�

�7$�����$%%��&#1�&�65+)� ��� )+�8���$!�0���#(����)$%%�

�#�1�#��ジェネラル・コメント��に関する文献は, �������������$��1

"�$3���$(�")$����� ���������������������������

�� ������������������������������� ������������ ���

!����������$(*�2���)*9)���4�� �9����� ���"� �%���� �

:�-$����6安藤仁介 「人権関係条約に対する留保の一考察―規約人権委

員会のジェネラル・コメントを中心に」 『法学論叢』 第��#巻�・�号 (����

年)6中野徹也 「人権諸条約に対する留保―条約法の適用可能性とその限

界」 『関西大学法学論集』 0#巻3号 (�###年)6薬師寺公夫 「自由権規約と

留保・解釈宣言」 桐山孝信他編 『転換期国際法の構造と機能』 国際書院,

�###年。

(���) 寺谷 『前掲書』 注 (���), &���&�0頁6;���$��$<:�� ��9����� 1

���=4���"�) 9"�����>$�� ������ ����$����19/$( ���&�

(����)�

(��#) 人権の誕生の歴史から明らかなように, 人権は本来的に社会を変革する

力の源泉であり, 政府に対峙する力を個人に付与するものである。 �*���%

!�� �の言うように, 「人権という観念は政府をおびえさせるべきもので

あり, そうでないのなら存在価値はない」 (!�� �$�*���%$���������"

�����������" #����$5?� "�� �)�����))$���#$%��''6阿部

中京法学��巻3・4号 (�#��年) ���(��)

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浩己 『国際人権の地平』 現代人文社, ����年, ��頁)。

(���) 佐藤幸治 「法における新しい人間像―憲法学の領域からの管見―」 『岩

波講座 基本法学1―人』 岩波書店, ����年, �������頁��� �����

���� ���������������������� ��������� ���������� ����!�

��� � �"#�����#(�$ #)������������ ������������������

����������� ���������%������ &�'�((��)�� ��� ������ #��#

(���) 佐藤 「前掲論文」 注 (���), ���頁。

(���) 宣言第��条の起草過程においてベルギー代表は,3項 「定期の ( ���$��)」

の後に 「政党制によって (����$������� ���* * ���)」 というフ

レーズを挿入することを提案し, 複数政党制が民主的制度の効果的機能に

とって本質的であることを主張した。 これに対して, ��+�+は, ソ連で

はブルジョア階級は存在せず, 労働者及び農民の利益を共産党が代表して

いるのであり, 他の政党を創設する必要がないと反論した。 結局, ベルギー

修正案は妥協的に撤回され, 民主制の中身を問うような規定にはされなかっ

た。 (桐山孝信 『民主主義の国際法―形成と課題』 有斐閣, ����年, ����

���頁�%� ��,��������������#���� #-�.-�) なお, 自由権規約第�/

条の起草過程では, 一党制・多党制の問題について特段の議論はおこなわ

れていない (0 �*���������������#���� #1-�.1���桐山 『前掲書』

注 (���), ���頁)。

(��1) 2���$���������������#1�� #/�#

(��/) 34�&#14���"���5�#

(��-) 2���$���������������#1�� #����$-�#

(���) アラン・6・ホビンス (著), 栗原淑江 (訳) 「ジョン・P・ハンフリーと

「世界人権宣言」 の淵源」 『東洋学術研究』 第��巻2号 (����年), �1��/頁。

(���) 2���$���������������#1�� #-�.���7�� ���*�������������

�#�-� #-�.-�#

(���) %� ��,��������������#���� #�1�#

(���) 2���$���������������#1������� #1�#

(���) 寺谷広司 「書評:%��*"��2���$��"8��$%�$�&�9�3�����

� �+�����$���:��+�� ������������(7��������� ����$�

7� ������� #55�+���」 『アメリカ法』 (���1年), �����頁。

(���) なお, 筆者は, 博士論文 『国際人権法における多文化主義―可能性と課

題―』 第2章 「アイデンティティーの多様化と国際人権法」 で当該問題の

一部を検討している。

国際人権法における人間の尊厳 (二) (小坂田)���(��)