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近世武芸伝書に j 示ける 事理論について(その 3) 一一ーとくに,「理」の変質要因を中心に一一 On the Theory of 'JI' and 'LI Foundinthe ModernSecret Books ofMartial Arts (3) with a SpecialReferenceto SomeFactors WhichInfluencedtheChangeof Conceptof'LI' (Principle) YUASAAkira Abstract Theauthor has been studyingabout the relationshipbetween techniqueandmindintheModernS cretBooksofMartialArts, especiallyintheSecretBooksofKenjutsu. Whenwemakea general survey ofit throughoutmodernage exceptthe very early daysoftheageandtheend oftheTokugawaEra, the relationship betweentechniqueandmindwasmentionedasthe theoryoftherelationshipbetween明’(事) and 'Li ’(理), being undertheinfluenceof BuddhismandConfucianism.Inthosedays, i meanttechnique andLi' meantmind. Moreover,itisalso mentionedinsomebooksthatLi' meantnotonlymindbutalso principle(orlaw)oftechnique.Anditwassaidthatonlywhen werecognizedtheprinciplebymeansofourpracticalpractice, itwaspossibletodevelop 'Li' ofmindandtomakeitclear.In other words,technique andmindinmartialartsdeveloptogether.

近世武芸伝書に 示ける 事理論について(その 3)Kenjutsu.' はじめに 筆者はこれまで,近世武芸伝書(とくに剣術伝書〉における技法と心法

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近世武芸伝書に j示ける

事理論について(その 3)一一ーとくに,「理」の変質要因を中心に一一

湯 浅

On the Theory of 'JI' and 'LI ’

Found in the Modern Secret

Books of Martial Arts (3)

with

a Special Reference to Some Factors

Which Influenced the Change of

Concept of 'LI' (Principle)

YUASA Akira

Abstract

The author has been studying about the relationship between

technique and mind in the Modern S巴cret Books of Martial Arts,

especially in the Secret Books of Kenjutsu. When we make a

general survey of it throughout modern age except the very

early days of the age and the end of the Tokugawa Era, the

relationship between technique and mind was mentioned as the

theory of the relationship between 明’(事) and 'Li ’(理), being

under the influence of Buddhism and Confucianism. In those days,

ゾi’meant technique and ‘Li' meant mind. Moreover, it is also

mentioned in some books that ‘Li' meant not only mind but also

principle (or law) of technique. And it was said that only when

we recognized the principle by means of our practical practice,

it was possible to develop 'Li' of mind and to make it clear. In

other words, technique and mind in martial arts develop together.

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106 天理大学学報

However, concept of ‘Li' came to change as time passed

from the early stage of modern age to the end of Tokugawa Era.

That is to say, at first the word ‘Li' had meant ‘Li of mind'

as well as 'Li of Ji (technique)' and had strong ambiguity between

them. But gradually the word 'Li' came to mean only ‘Li of Ji ,’

principle of technique.

On this thesis, I am inclined to investigate about some

factors which influenced the change of concept of 'Li' from two

viewpoints 一一outer factors and inner one.

くouter factors)

(1) The change of concept of ‘Li' in Confucianism, which was

r巴garded as the mental foundation by men of martial arts after

the middle of modern age.

(2) The rationalization of contents of practice and way of

instruction, in qualitative and quantitative change of groups of

students in Kenjutsu.

(3) The open of way of technique and that of mind with

publishing the books of martial arts.

くinner factor)

(1) The change of the consciousness of a man of martial art,

refer to the change of practice~from 'Kata Kenjutsu' to ‘Shinai Kenjutsu.'

はじめに

筆者はこれまで,近世武芸伝書(とくに剣術伝書〉における技法と心法

の関係について検討してきた。そして,近世のごく初期と幕末期を除いて,

近世全般を通じて概観すれば,仏教・儒教思想の影響のもと,技法と心法

の関係は「事」と「理」との関係論(事理論)として論じられていた。す

なわち,く事ニわざ>,く理ニ心>として把握されていた。しかしながら

伝書に説かれる「理」には,わざの理(理合・法則性〉という意味も付与

されており,この「わざの理」を体認することを通じて心の理が開明する,

いいかえれば,わざと心は相即するものと捉えられていた。

ところが,近世初期から中期,後期,幕末と時代が下るにつれて,この

ような「事(わざ)の理」であるとともに「心の理」であるという両義性

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近世武芸伝書における事理論について(その 3) 107

の強かった「理」は,次第に「事の理」のみを意味するようになり,理の

観念の変質がみられるようになった。

本論文では,この「理」の変質過程に働いた要因について,以下のよう

にその外的要因,内的要因の三つの観点から考察した。

く外的要因>

(1 )近世中期以降,武芸者が思想的道具として用いた儒教思想における

「理」の変質。

(2 )剣術の学習者集団の質的・量的変質に伴う,学習内容・指導方法の

合理化。

(3 )武芸書の板行に伴う,技法・心法の公開。

く内的要因>

(1 )形剣術から竹万剣術への移行に伴う,剣術家の意識の変化。

I . 「理」の変質の外的要因

1. 儒教思想における「理」の変質

徳川家康が幕藩体制を維持するために,文教政策として儒教,なかでも

朱子学を採用したことは周知の通りである。武芸者達は,自己の武芸の確

立の論理や,自己の体得した「わざと心」の関係を述べる際に禅儒の思想

を道具として使用したのであるが,近世中期以降は,とくに儒学の「理気

論」を武芸論のなかに積極的にとり入れたのである。

ここでは,剣術伝書にみられる「理」の変質の外的要因の第ーとして,

儒教思想自体における「理」の変質について概観する。

(1 )経験主義的合理主義化(「物の理」の尊重)

朱子学における「理」は,まず万物(気〕の存在根拠としての形而上学

的性格を有している。しかし,この理は,天地万物にも,また人間界にも

存在するものとして捉えられている。すなわち「理J は,形而上学的性格,

人倫的性格,経験的性格の三つを合わせ持っている。このような理を成立

させる原理は「天人相関」の思想であり,この三つの性格の関係は「理一

一分殊」とし、うことで説明される。そして, 「居敬静座」によって形市上

的,道徳的理を体認し, 「格物窮理」によって自然界や人間界の理法を一

つ一つ明らかにし,その積み重ねを通じて宇宙界を貫く理法を知ることが

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108 天理大学学報

可能であるとしている。

このような朱子学的理が日本にも受容されたのであるが,その際,人倫

的性格の理は,近世初期の儒者の「心学」的傾向から,社会的性格よりも,

人間的真実の探求とし、う内面的な「心の理」とし、う性格が強く現れてきた。

また,日本人の即物的性格から,形而上的性格の理もあまり強調されなく

なった。その結果,近世初期日本における理の観念は, 「物の理」と「心

の理」の両義的性格を持つものとして捉えられるようになった。

ここで,徳川時代における理の思想の発展を,経験主義的合理主義とい

う観点からみれば,大きく三つに分けることができる。第ーは,古学成立

以前の朱子学における理の考え方である。第二は,古学における朱子学的

理の観念の否定である。第三は,古学という否定的媒介を経た後の,理の

観念の再興である。

第一の段階において優れた業績は,貝原益軒である。彼において朱子学

の枠を守りつつ,その中で「心に在る理」とともに「物に在る理」をも追

求することが真の儒教のあり方だとされ,儒教の立場に立ちつつ自然科学

探求の道が聞かれた。益軒が朱子学の理の観念を分析して「物の理」と

「心の理」とし、う二つのカテゴリーを提出したことは思想史上大きなメリ

ットであるが, 「物の理」 「心の理」という,ことばこそ区別するにせよ,

同じ理が支配すると考える益軒の考え方はまだ安易といわねばならない。

第二の段階において,思想的に重要なのは,伊藤仁斎と荻生担保である。

仁斎は,天道・地道・人道を峻別して,それぞれに陰陽・剛柔・仁義とい

うカテゴリーを割り当てることによって,自然の世界と道徳の世界を区別

する。この点,仁斎の思想には益軒よりはるかに思想としての徹底性があ

る。しかし仁斎は,その関心を道徳の世界に限定し,益軒におけるように

自然の問題に関心を持つことを儒者の課題からの逸脱と考える。彼におい

ては,窮理は完全に否定されたので、はないけれども,理の経験主義的合理

主義への発展の道はほとんど閉ざされている。

但旅において窮理否定の道はさらに進む。彼は,理は主観的で客観的規

準がないとし、う。彼はさらに,自然現象の謎を究明しようとする態度それ

自体を無意味であるとする。祖徐においては,儒教はすでに先王,聖人に

よって完成された体系であり,その基本的原理は天と鬼神とに対する畏敬

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近世武芸伝書における事理論について(その 3) 109

の念である。ところで朱子学における窮理は,担保にしたがえば,個々人

の一種の自己主張の念にもとづくものであり,天と鬼神とに対する畏敬の

念を失い,先王や孔子に勝とうとするものであるとされた。

但旅の思想家としての最大の功績は,朱子学の論理構造それ自体を破壊

して,一方では事実主義・実証主義的思惟方法を確立するとともに,他方

では私の世界と公の世界とを切り離して,道徳から成立した政治の世界を

発見したことにある。しかしその反面,朱子学のなかにあった,自然現象

の経験合理主義的探求の萌芽を断ち切るとし、う結果を生んでしまった。

担保以後の思想の課題は,但俸の文献学的実証主義,さらにひろく実証

主義的態度の正当性や,道徳、から独立した政、冶の世界の存在を認めつつ,

祖械において閑却された自然、や事物の合理的探求を推しすすめることであ

った。この場合の理はもはや思弁的性格の空理・空論ではなく,実験・実

証に裏づけられた実理で、なければならなかった。ここにおいて但徐以後の

合理的思惟は,朱子学の理を西洋の自然、科学の理と同一視して,両者の同

一下のもとに進められるか,さらには儒教の本源に遡って易の中にある理

の思想を,西洋の自然科学の影響をうけつつ,やがてはその母胎から離れ

て自由に発展さぜることを通じてなされた。

このように徳川中期以降,理の思想、の経験主義的合理主義は積極的に進

められ, 「物(事)の理」であるとともに「心の理」であるとする朱子学

的な理は,後期とくに幕末期に至って, 「物(事)の理J のみに理を見い

だそうとする傾向が強く現れてきた。

(2 )理気同一 Ci 軍融〉論から気一元論へ

前項では,近世徳川時代における理の観念の変質過程について概観した。

ところで,この「理」の問題は, 「気」の問題と併せ考えなければならな

い。この理気の問題は,宋の新儒学の成立以後,その哲学大系における基

本的問題であり,儒教哲学における存在論の問題として理解してよいだろ

う。

朱子学では, 「気」は万物を構成する基礎的質料であり, 「理」はその

資料を成立せしめる存在根拠である。そして,理と気の関係はおよそ二つ

に分けて考えられている。

第一に,先に述べた形而上的性格の理と気との関係は,まず理があって

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llO 天理大学学報

後にそこから気が生じる,というように「理先気後」である。この先後関

係は,時間的関係ではなく,論理的関係であり,発生論的関係ではなく,

存在論的関係である。すなわち,理は天地を含めて,あらゆる存在する物

(気〉の存在根拠ということになる。この理は先天的である。そして,こ

の先天的形而上的理は, 「気に対する理」といってもよかろう。

しかし,理はその面につきない。その面だけであれば,現実世界の説明

がつかなし、。理と気との第二の関係は,理は天地の中にも万物の中にも,

陰陽の静止,運動の中にも存在する。すなわち,理は気の中にも存在する

という, 「気の理」という関係である。さらに,朱子のいう理は自然界の

理法だけではなく,人間界の理法(倫理〉でもあった。むしろ,この後者

の方こそ基本であり,道理は物理に対して優位を占めていた。

このように,朱子学では「気の理」という関係も当然認められながら,

究極的には先天的形而上的性格の理(「気に対する理」)に理気の関係が収

紋され「理気二元論」とし、う立場をとっている。

これに対して注目すべきことは,近世初期の儒者達は,朱子の「理気二

元論」に反して,究極の実在を理気一元論(理気同一,浬融論〉の立場で

捉えている人々が多いということである。そして近世中期には,山鹿素行

のように理気温沌の一元論に立脚している人もいるが,大勢からみれば,

主理論(先験的・思弁的合理主義〉と主気論(経験主義的合理主義〉に分

化し,それ以降は気を根源とする「気一元論」の方向へと変質していった。

2. 剣術の学習者集団の変質と教習形態・学習内容・指導方法の

変化

(1 )学習者集団の質的・量的変化

戦国時代を生き抜いた武芸者達は,近世江戸時代に入って,総合武術を

脱して剣,柔,槍等,個々に独自の流派を形成し,自己の体験をもとに,

技術や指導の体系を考案し,その伝授形式を確立していった。近世のごく

初期には,幕藩体制の確立期でもあり,内乱を鎮圧する意味でも武芸は大

いに奨励され,自己の流派の優秀性と,流派の道統(師範家)の確立に大

きな努力が払われた。このような状況のもとでの武芸の学習者集団は,主

に血縁関係や,その道統を継ぐべき素養のある門弟等,いわばごく限られ

た専門家の小集団であったと考えられる。

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近世武芸伝書における事理論について(その 3〕 111

ところが,三代家光,四代家綱の時代(延宝年間, 1860 年頃まで),幕

藩体制が整うにつれて儒教思想、下の文教政策により,武芸とくに剣術は教

養ある近世武士像確立のための,いわば武士の一般教養としての位置づけ

がなされるようになった。その結果,剣術の学習者集団は,一般武士(非

専門家)の大集団へと変質していった。

そして,近世中期には,泰平の世を反映して武芸も一時衰退したが,天

明以後の藩学校の設立,安政二年幕府直轄の講武所の設置等により,再び

武芸が振興され,学習者集団の非専門家化・多数化の傾向は一層強まった。

また,幕末期には町人や農民の聞にも武芸が広まり,集団の階層化の傾向

もみられるようになった。

(2 )教習形態の変化(形剣術から竹刀剣術へ)

学習者集団の非専門家化・多数化・階層化は,個人的指導のもとに成り

立っていた伝統的な形稽古の行き詰まりを露呈さぜた。

なぜ、なら,刃引,木万で組太万を習練し心気を練るとし、う形稽古は,組

太万の理をすべて「わざ」で表現でき得るほど、の,熟達した指導者相手の

個人的指導のもとで,はじめてその真価が発揮されるものであり,組太万

の真意を解した指導者も少なく,また多人数を指導せざるを得ない当時の

社会状況にあっては, 「心の理」を開明しようとする形稽古の目標を達成

することは,不可能に近かったといえる。

津田明馨が著した『一万流兵法話砲起源』 (文久元年, 1861 )には,中

西派一万流三代目中西忠蔵子武が,このような学習者の変質によって,竹

万打込稽古を導入せざるを得なかった経緯が述べられており,流派の伝統

性・固有性の保持(形稽古)と,流派の発展・弘流(竹万稽古〉との狭間

で苦悩していた様子が窺える。少々長くなるが以下に引用しよう。

忠方先生死去ノ後ハ,小野派ニ上手ト呼パノレルノ、,忠太先生一人ニテ,誠ニ高名

也。依テ諸家へ召サレテ,朝ハ未明ニ出デテ夜ニ入テ帰へラレ,徒弟ノ教示心底

ニ任セラレズ。又諸家へ出ラレテモ,家中ノ士ノ相手稽古ノ、教モ行届カズ。上タ

ノレ方ニハ格別ノ達人ニナラレシモ有リシカドモ,下々ニ至テハ流儀ノ真意ヲ得タ

ノレ者一人モナシ。況ヤ組ノ真意,曲尺合,心気ノ:事ニ於テヲヤ。唯日々何モシラ

ズ,古ク遺フ者ガ新規ノ者ヲ取立ルノミニテ,組ノ形チノミ覚エテ,数日数遍ヲ

カケテ遺ヒ堅メテ,兵法ノ道ハ取失ヒタリ。

然シテ三代日中西忠蔵先生ニ至リ,又弟子少ナカラズ。弥稽古出精ノモノ多シ。

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112 天理大学学報

先生ソノ稽古ヲ見ラノレ与ニ,誠ニ流儀ノ意味モナク,形ノミ重ネツカヒ堅メテ,

肝要勝負ニ遠ク,カヘツテ素人ニハオトノレ事ナレパ,夫レヨリハ,面小手ヲ掛テ

シナヘヲ持,面々ノ心次第打合セタノレ方, カヘツテ架,形チノホグレトモナリ,

未熟ノ兵法違ヒノ相手位ノ、成ノレベシト,発明セラレテ初メテ見ラレタルナレドモ,

何モ教ェズ真意モ知ラズ遺フテ居タモノナレパ,面白キ先生ノ御工夫ナリ,是ニ

テコソ剣術ナリト思ヰ込,我モ我モト面小手シナヘヲ用意シテ,是ヲ出精スノレコ

ト盛ンナリ。故ニ先生眉ヲヒソメテ日夕,此中へ木明ノ位ニ至ル所ノ真意ヲ申出

シ導ントスノレモ,中々得ノレ者一人モ有ベカラズ。折節其中ニモ不審ヲ立,組ヲツ

カフ穿撃ヲ、ンテ筒行に志ス人モ希レニ有故,志、ン有ノレモノニハ組ヲ教, シナヘヲ

好ム者ニハシナヘヲ遺ハセテ,弟子ヲブタ分ケニ成テ稽古セシナリ。其中ニ両ヨ〔4 〕

ウトモニ稽古スノレモノモ有リケリ。

(3 )学習内容・指導方法の合理化

先に述べたように,専門家の小集団においての「初心ノ時ヨリ心理ノ一

法ヲ修業シテ,事理和合ノ道ヲ修行」するというような伝統的な指導は,

時代が進につれてもはや通用しなくなり,このような深遠な境地に至るこ

とを目標としても,その域に達するのは万人に一人だけで、あると思われる

ようになった。

福田誠好斎義典著「心明首流万化録」 (天保14 年, 1843 )にも次ぎのよ

うにあり,

二百年己前ト今時ノ人ノ、,情性同ジカラザルニ似タリ。元祖ノ時代ハ,心明剣ヨ

リ伝授シテ万化自然、ト云!専フ。予考ノレニ,右ノ教ハ深キヲ学パ,浅ハ自ラ知ノレノ

意也。今ノ人ヲ以テ其場合ヲ覚ノレ者,万人ニ一人也。尤古語ニモ,先難後易事ア

リ。是ハ凡人ヲ導グノ意ニアラズ。且兵術ノ、一人ノ事ナラズo 天下ノ武用也。依

テ明人一人ヨリハ中人百人ニシカズ。然パ師ノ第一ハ,武道ヲ多グノ人ニ教へ施

ス事専一也。何事ニヨラズ,初ハ易キヨリ入テ上達スノレ,凡人ノ習也。

少人数の名人(「明人」)を育てるよりも,ある程度の熟練者を多数育成

することの重要性が認識されるようになった。そして,そのためにはより

合理的な学習内容・指導方法の研究がなされなければならなかった。

天明期以降その多くが設立された藩学校で、は,従来師家道場でまちまち

に行なわれてきた教育を学校教育に切りかえ,主に竹万剣術が採用され,

教育内容を統一し,管理を強化して,いわゆる見分・考試等によって評価

を実施するようになり,指導内容・方法の合理化が計られた。

また,国防力強化のため安政二年 (1855 )に設置された講武所で、も,軍

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近世武芸伝書における事理論について(その 3) 113

事力強化という建て前,身体の鍛練的意味合いもあって竹万剣術のみが採

用され,流派を越えて試合が盛んに行なわれた。

このように,公的機関での技法の公開性が進んでゆくなかで,流派の秘

密主義的なヴェールは次第に取り払われ,実力主義がとられるようになっ

た。そのような状況のなかで,剣術を学ぶ者の多くは「心の理」というよ

うな思弁的な精神性よりも, 「わざの理」の解明,あるいは技法の発現に

即した心の持ち用という面に専ら注意が注がれたのではなかろうか。

一方,竹万剣術に自らの活路を見いだした新流派の剣術家達も,自己の

流派の定着,弘流のため,伝統的流派よりも合理的な技術論・指導論の確

立を目指した。一例をあげれば,北辰一万流の開祖である千葉周作は,古

来の組太万から竹万剣術に有効な技法を抽出して「剣術六八手」として体

系化した。そして, 「打込稽古」とし、う竹刀剣術独得の稽古法もとり入れ

た。この「剣術六八手」や「打込稽古」は,近代剣道の技法や練習方法の

礎ともいうべきもので,後世に大きな影響を及ぼした。

また千葉は,免許・目録等の相伝体系も簡素化して学習者の便を計った。

一万流では,初代小野次郎右衛門忠明のとき組太万25本がつくられ,三代

目忠常のとき25本追加して50本となり,三代目忠於のとき「我家之書物四

巻」が編成された。すなわち,一万流兵法十二ケ条(初伝〉,仮名字目録,

兵法目録(本目録〉,兵法割目録(上極意)である。この上に一紙免状(皆

伝〉が授与された。その後,この小野派一万流の伝授段階(等級〉は,小

太万,刃引,払捨万,目録,仮名字,取立免状,本目録,指南免状の八段

階になっていた。ところが,千葉はこの八段から,初目録,中目録免許,

大目録皆伝の三段に簡素化し,心法上の習を大幅に削減して,学習内容の

合理化を計った。

さらに,新流派では指導法とくに初心者指導についての研究も盛んに行

なわれ,初心者の手引書ともいうべき文書が作られるようになった。二,

三例をあげると,千葉周作著『剣術初心稽古心得』,江戸田宮流の窪田清

音著『剣法初皐記』・『剣法幼皐侍授』,加藤田神陰流の加藤田平八郎重秀

著『初皐須知』などがあげられる。そして,これらの手引書に共通してい

われていることは,

初皐の輩少しくー班を窺ひ,濁皐の工夫に迷ひ徒に歳日を送る可からず。夫の理

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114 天理大学学報

気心法に拘はり稗家悟道の如き穿撃は害あるも益なし。業の未だ熟せざるに理気

の工夫を求むるときは必ず上達することを得ず。 (『剣法幼皐(事授』〕

などとあるように,初心の段階での「理」の穿撃は厳しく戒められており,

「わざ」の鍛練が強調されている。

(4 )武芸書板行による技法・心法の公開

流派の技法・心法上の秘伝が書かれた文書類は,本来その性格上,他へ

の漏洩は許されないものであった。しかし幕末期,藩学校や講武所などで

剣術の技法が公開され,各流派閥の長所が抽出され,一般的技法として発

展するようになると,流派の秘事はもはや秘事としての独自性を失い,流

派の意義そのものも次第に薄れるようになった。

時代は前後するが,天明,寛政期に板行された武芸書のなかには,すで

に剣術の技法・心法が公開されているものもある。江戸中期,正徳,享保

年聞にも板行された武芸書はあったが,そのほとんどが儒教思想による武

芸振興を目的とした啓蒙書で、あり, とくに技法の公聞はほとんどなされて

いない。

ところが,後期のものは寛政の改苧等の影響によって,啓蒙的色彩の濃

いものもあるが,初学者の入門書,独習書としての性格を持つものも現れ,

多くは実理的な内容が説かれ,心法について言及しているものも初心者に

も解り易く説かれている。以下に近世後期に板行された武芸書を列記して

みよう。

1 .古萱 i肝隷水著『事術二葉始』天明 7年 0787)

2. 安建正寛著『兵術要訓』寛政 2年 (1790)(21)

3. 山崎金兵衛利秀著『剣術義論』寛政 3年 (1791)(22 〕

4. 帯園著「剣術秘俸調修行』寛政12 年 (1800)

5. 大野当寛著『士文正要』文化 7年(1810)

このうち, 『士克正要』は正に儒教思想、による啓蒙書であるが,その他は

程度の差こそあれ剣術の技法・心法を公開している。

なかでも『墨術二葉始』は,享保14 年 (1729 )に板行されて大きな反響

を呼んだ『天狗謹術論』に対して, 「理はこまやかなれど,わざの事はあ

らましに」しか説いていないので「修行未熟なるものにとくところ少し」

と批判して,初心者の稽古の心得について述べている。

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近世武芸伝書における事理論について(その 3) 115

また, 『剣術義論』では竹万剣術の原理ともいうべき「活物妙用の理」

について説いており, 『剣術秘博濁修行』はその名のごとく剣術の独習書

であり,技法や稽古方法について具体的に詳しく述べられている。

II . 「理」の変質の内的要因

(竹万剣術への移行に伴う剣術家の意識の変化)

1. 「実理」の尊重

前述したように,江戸時代中期以降,学習者の質的・量的変化に伴って

形剣術は衰退し,竹万剣術が台頭してきた。しかしながら,竹万剣術が盛

んになった原因は,学習者の変質という外的な要因だけではなく,形を考

案した流祖の時代から永L、時代を経て,形のもつ本来の意味を解すること

もなく,ただ外形だけを倣て事足れりとしたり,また現実離れの些末な技

法や空理・空論を珍重していた当時の形剣術自体が内包していた原因があ

っTこ。

そのような状況下で,形剣術は「本の勝負を外にし,意味秘術の末を専

とし…,..勝口の実理を知らず」 (『剣術諸流評論』〉として非難され,剣術

家自体の中からも空理を排して「実理」尊重の気運が生まれてきた。そし

て, この「実理」とは,

打合の勝負にて,活物妙用の理を究ざれば,肝心の時にいたり勝ことあたはず。

理を詳かに説,もっともし、ふとも,勝負にまけては益なし。理のみいふを理兵法

といふて,業の用には立がたし。

というように従来の静的な理ではなく, 「活物妙用の理」とあるように,

動的な性格を持つものである。このように, 「理」に動的性格を付与させ

たことは,剣術家の精神的基盤が, 「理」や「心」といった静的なものか

ら動的な「気」へ移行する過渡的な様相を呈しているといえよう。

2. 「活気」の強調

このように,形剣術から竹万剣術へという剣術そのものの形態的変化に

よって,剣術家の意識が「理」から「気」の方向へ向いたことは,幕末期

の伝書等をみても明らかである。

大保木輝雄は,武芸伝書における「気」は,以下のように三つの側面か

ら理解できると報告している。

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116 天理大学学報

①抽象概念としての気

万物や人間の本質,原理であり,事物の関係を思弁的,形而上的に捉

えようとするときに用いられる。

②実体概念としての気

「気」と「心」の関係のように,身体性に即した形而下的な機能現象

を説明する場合に用いられる。

③実体(感覚・イメージ)としての気

身体実践によって感得される一種特別な全身的感覚やイメージをあら

わす実体として,身体に表出するものを表現する場合に用いられる。

幕末期の伝書にみられる「気」は,それ以前の伝書に多くみられた①②

のような「概念」としての気ではなく, 「活気」などの表現にみられるに,

@の「実体」として体感できるもの,さらにいえば,他者へはたらきかけ

る勢し、を有した実体として把握されているものが多い。

剣術家達は,竹万剣術という自由にわざの攻防ができる「勝負の場」を

与えられることによって, 「仕合ハ相手ノ活機アノレ」 (『槍剣事理問答』)

ことに気付き,相手に敗けない気勢を身につけることの重要性を再認識し

たのではなかろうか。幕末期武者修行で有名な加藤田平八郎重秀なども,

その豊富な試合経験から,次ぎのように「活気」を強調している。

形似ニ計リ拘ハリ......活気ノ用ヲ解セザノレ者ノ、.…・・石磨重基ト云者ニナノレ。(中略〕

気ハ四肢百体体中ノ主宰トナリ自由自在ニ運動あテ其妙用働キ知ラレヌ物ナリ。

是ヲ名ケテ精神ト云フ。其作用{動キヲ活気ト云フ。

このように, 「気」は,精神的エネルギーとしての性格が強く反映される

ようになった。

3. 技術的変化と「気」

形剣術から竹万剣術への移行に伴って,動的な「気」の働きの重要性が

認識されるようになったが,その聞の技術的変化と「気」の関係について

みてみよう。

(1) 変化即応性

形剣術は, 「型」とし、う枠組みに自己の運動が拘束されており,そこで

の運動課題は「伝来の技法(運動〉を倣てより洗練されたものにする」こ

とですある。そして学習者の意識は,運動の拘束性のゆえにわざの「理

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近ill :武芸伝書における事理論について(その 3) 117

合」や心の持ち方といった,自己の内面への方向性に重きをなし,それを

反省、の眼差しで凝視する態度がM成されたのではなかろうか。

それに対して,竹万剣術では「型」の拘束から解放され,自由な動きに

よってわざを競い合うようになった。ここでの運動課題は, 「相手に打た

れないように,相手を打つこと」であり,相手の動きに「変化即応」する

ことが(理念としてではなく)現実的に要求される。そしてこの「変化即

応」ということも,どういう動きをするかわからない相手の動きに「動じ

ないで,変化する」としづ矛盾的な課題を含んでいる。この困難な課題を

克服するには,相手の気に敗けない強い「活気」でもって,相手の運動を

拘束して,自己の「能動性」を確保する必要があった。

幕末期に竹刀剣術で、栄えた諸流は,この変化即応ということを強調して

いる。とくに神道無念流などでは,

夫剣は刺撃の外なし。刺撃の変化はその無v究事天地の如く,不v'fz 国事江海の如し。

其変化を不v知して彼我の流儀を立,固陪に凝滞し,剣の大道を不v弁もの可嘆の

極なり。我流奇正変化を専ーとなし遍く諸流を渡り,その華を抜き集て大成する

を要左す。剣の理而己を説き業を知らざるものは画餅の如し。我流利を後にして

業より入らしむ。業長ずれば利自ら委しく英気相増するなり。英気は刺撃の主な

り。

とあるように,変化即応を流儀の根本理念としており,そのために「英

気」を養うことを強調している。

また,江戸田宮流の窪田清音も,試合は「極りなき嬰化の際を」心得る

ことが大切であり,そして「進退自在にして襲化に応じ」るためには「常(30 〕

に心気を練」ることが重要であるといっている。

(2) 「先」のわざの有効性・重要性

形剣術は, 「打太万」と「仕太刀」というように,その役割をはっきり

と定めて,約束の範囲内で,攻防の技術・理合を伝授するとし、う指導形態

をとっていたので, 「極りわざ」は形態的には「後の先」のかたちをとる

ものが多い。

一方,竹万剣術のような,相手がどう攻めてくるかわからないという状

況下では, 「後の先」を狙っていたのでは相手に遅れをとったり,その裏

をかかれたりし易いので, 「先」のわざの有効性が説かれるようになった。

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118 天理大学学報

『剣術秘停猫修行』にも,つぎのようにある。

先を打を第ーとすべし。あげんとするかしら,さげんとするかしらへ打こむべし。

されども,ねらふはあしし。ねらふて打んとすれば,透聞となる。無三無三に打

こみ,あたらずば引返し左右かしらをつどけうちに打ベし。そねあいだに,す(31 〕

きま見ゆるものなり。うわて

また,この, 「先」のわざは,上手の者と稽古するときにことさら強調

される。上手の者との稽古では,教わるというよりも,旺盛な気力でもっ

て「かかる」とし、う姿勢が強調され,勝負を競うというよりも気力とわざ

を練るという,鍛練的な稽古方法が奨励された。これは,現在の剣道の稽

古でもよくいわれ,大切な心懸けである。先に少しふれた加藤田平八郎重かかりうち

秀も上手に「かかる」稽古(「掛撃」)の重要性を次ぎのようにいっている。

掛撃之作法

上輩ノ人ニ侍フテ貰フ時ハ・…太万ノ働キ,体ノ働キ,足ノ働キ,掛引,如何ニ

モ気鋒炎々先ヲ越ス所ヲ専ラ修行スベ、ン。勝負ニ拘ル受ナク績テ造フベ、ン。,

凡ソ掛打ハ十本内外ニテ精力十分ヲ尽シ,片腹ノ釣ル程迄精ヲ込メテ遺フベシ。

-精力十分息尽ル迄打込ム寸修行ノ習也。

このように,旺盛なる「気」の働きを伴った「先」のわざの有効性,重

要性が強調されるようになった。

(3) 「合気」の重要性・必要性

形剣術においては,相手と「合気」になることを戒めている伝書が多か

ったのに対して,竹万剣術では「合気の先」の重要性や,合気になること

の必要性を説くものもみられるようになった。

先に引用した『剣術秘博濁修行』には, 「合気の先」について次ぎのよ

うに述べている。

相気の先

双方体気満々として立向ひたるは,相気なり。孫子に云く,能く戦ふものは鋭気

ひ避くと。しかれば,さくべきの所なれども,ひく時はつけとみて,此かたうけ

太万となりて,手を出すことあたはず,おくれをとる0 I, 、かんともすべきような

き場所也。そのうへ稽古場せまければ,進退自由ならず。とかく剣術は, うくる

時は損あり。思ひ切て必死になり,打こんで、あたらずば,引返して左右上下をば

ちばちと打立ば,おのずから透間あるべし。そこを打を,相気の先といふ。却て

相手にかくのごとくせらる L 事なかれ。したて

また加藤田は,今度は下手の者と稽古する方法(「待之作法」)として,

指導的意味合いから「合気」になって下手の者を引き立ててやることの必

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近世武芸伝書における事理論について(その 3〕 119

要性を,次ぎのように説いている。

待之作法

待ハ相手ノ位ニ随ヒ,合気ヲ本トシテ遺フ受専一也。合気トノ、胸中ノ天秤ニテ軽

重ヲ秤テ,丁度天秤ノロクナノレ所合気ト云。調子ノ合フ慮ヲ完ユノレ受ノ、,能々心

ヲ用ヒザレパ分リ難キモノ也。誰モ其量リナキニハアラザレ見, 目無ノ天秤待ノレ

L 人,縁ヲ失ヒ便リ所ナク打太刀ニ気勢込ズシテ精力十分尽シ難ク,ハヅミナク(34 〕

ナリテ唯呼吸ノミセハジクナリテ,精力尽ルト云フニ至ラズシテ益少シ。

ま と め

以上,近世剣術伝書における「理」の変質要因について考察したが,そ

の外的要因のうちの,儒教思想における理の観念の経験主義的合理主義化,

「理気同一論(揮融論,一元論〉」から「気一元論」への変質という,儒

教思想界の動向が一般武士や武芸者にどれくらい影響を及ぼしたかは,今

後の研究を侯っところである。

しかしながら近世後期には,中国の学問や思想の理解が非常に深まっ

て,自己の消化した学問や思想を知的武器としてこれを自由に使い,ある

状況下で自己に課せられた課題をそれによって説くという自主的態度が形

成されたこと。あるいは,地方における学問の輿隆,庶民階級への学聞の

浸透等を考え合わせても,時代のずれこそあれ,一般武士や武芸者の考え

方も儒教思想、の変質に影響を受けていたことは否定できないであろう。

若干の例をあげれば,後世に大きな影響を及ぼした快斎樗山著『天狗喜

術論』は,熊沢蕃山の『嘉手t,f 大意』を敷i訂したものであるし,心形万流の

松浦静山は皆川棋園等に儒学を学んで、おり,『剣孜』,等の著書では古文辞

学的手法で剣術論を展開している。また,直心影流の目録『直心影流初伝

目録』では「陰陽元是一気也」とあり,近世中期以降儒教思想界の「気一

元論」の立場をとっている。

次ぎに,剣術の学習内容・指導方法の合理化に関してであるが,そもそ

も学習内容や指導方法というものは,その目標や学習者のレベル・人数に

応じて決定されるべきものである。ところが近世武芸の場合,時代・社会

によって武芸に課せられた課題や,学習者の質的・量的変化にもかかわら

ず,流派の閉鎖性・保守性のゆえに,流派成立当初の学習内容・指導方法

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120 天理大学学報

を固守しようとしたこと自体に大きな矛盾を字んでいたのではないだろう

か。

最後に,形剣術から竹万剣術への移行に伴う剣術家の意識の変化という

内的要因についてであるが,竹万剣術の台頭期には,自流の剣術をし、かに

定着させ弘流してゆくかが,剣術家の最大の課題であった。そのためには,

伝統的流派よりも合理的な技術論・指導論の確立が急務であった。本論で

もとりあげた千葉周作,窪田清音,加藤田重秀などの著作には,その苦心

の跡が窺われる。このような中で,剣術家の意識は,専ら竹万剣術の「わ

ざの理」の解明や指導法の研究に注がれ,剣術の修行によって「心の理」

を開明するという意識は表面には出てこなかったのではないだろうか。

(少なくとも伝書中にはあまりみられない。〕

勿論本論でもみたように,活動的な「気」とし、ぅ精神田への関心は大き

かった。しかしながら,この方面への関心は「心の理」という思弁的な理

の観念の外で,具体的な技法に即して,現実的な問題として考えられたの

ではないだろうか。

(1 〕 拙稿『近世武芸伝書における事理論について』 (「天理大学学報」第151 輯

1986 所収〉

(2) 拙稿『近世武芸伝書における事理論について その 2 』 (「天理大学学報」

第154 輯 1987 所収〉

(3) 儒教思想については,以下の文献を参照した。

源了園『徳川合理思想の系譜』(中央公論社) 1972

源『近世初期実学思想、の研究』 (創文社〕 1980

友枝龍太郎『熊沢蕃山と中国思想』(「熊沢蕃山」日本思想大系30 岩波書店

1971 所収〉

(4) 渡辺一郎編著『武道の名著』 〔東京コピイ出版部) 1979 p.159

(5) 福田誠好斎義典『心明蛍流万化録』天保14 年(1843)

(渡辺一郎編『武道の博書』雑誌「武道」 1978 12 月号所収〉

(6 〕同前

(7) 今村嘉雄『十九世紀に於ける日本体育の研究」 (不味堂書店) 1967 p.377 ~

499 参照

(8 〕同前 p.552 ~618 参照

(9) 榎本鐙司『幕末剣術の変質過程に関する研究一一特に窪田清音・男谷信友関

係史料及び一万流剣術伝書にみられる剣術のー変質傾向について』

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近世武芸f云書における事理論について(その 3〕 121

(「武道学研究」第13 巻第 1号 1975 所収参照〕

(10) 千葉栄一郎編『千葉周作遺稿』復刻版(体育とスポーツ出版社〕 1982 p.74

~62

この「剣術六入手」は,近代剣道の技術体系の基礎をなしたものであり,大正4

年発行の高野佐三郎著『剣道』でも,業数をやや厳選してはし、るものの「手法五

十手」として,ほぼそのまま取り上げられている。

〔11 )同前 p. 19 ~22

打ち込みとは,他流には儀り無きことにて,貫に剣術の上達を望むもの,此の打

ち込みの業を扶きでは,達者の場に至ること甚だ難し,故に嘗流初心の者には,

一ヶ年も打ち込み計りの稽古にて,試合を禁ぜしものなり,…--此の打ち込みの

業は,向ふの面へ左右より烈しく小業にて績けて打ち込み,或は大きく面を員直

ぐに打ち,或は胴の左右を打ちなどすることにて,至極達者になる業なり,

(12 )赤松俊秀 他編『近世古文書学講座 8 近世編E』(雄山閤) 1980 p. 182

~183

(13 〕 北辰一万流と小野派一万流の目録を比較すると, 「初目録」と「兵法十二ケ

条」, 「大目録皆伝」と「本目録」はその内容はほとんど同じである。ところが,

両派共その中間にあたる「中目録免許」と「仮字書(仮名字〕目録」とを較べる

と,小野派の「仮字書目録」は主に心法上の習を9ケ条あげているのに対して,

北辰一万流の「中目録免許」の方は「九隈剣」 〔北辰一万流独自の組太刀と思わ

れる〉ただ一条目の習しかあげられていない。

(今村編『日本武道大系 第二巻』同朋合出版 1982 ,笹森順造『一万流極意』

体育とスポーツ出版社 1986 を参照〕

〔14 )千葉編前掲書所収

(15 〕 山田次朗吉編『剣道集義』復刻版(東京コピイ) 1976 所収

(16) 山田次朗吉編『続剣道集義』復刻版(東京コピイ〕 1976 所収

(17) 鈴鹿家蔵『加藤家車剣道等書』所収

(18 )山田編『続剣道集義』 p.119

(19 )渡辺編著前掲書所収

(20) 今村編『日本武道犬系 第九巻』所収

(21 )同前

(22 )渡辺編『武道の名著』(雑誌「武道」 1977 9 月号所収)

〔23) 今村編『日本武道大系 第九巻』所収

(24 )同前 p.395

(25) 山崎金兵衛利秀『剣術義論』同前 p.384

(26 )大保木輝雄『武芸における「気」に関する諸問題 身体論的視座から 』

(「武道学研究J 第16 巻第 3 号 1984 所収〕参照

(27 )新妻胤継著安政 5年 (1858)

Cl 度辺編『武道の博書」雑誌「武道」 1979 年11 月号所収〕

(28 〕鈴鹿家蔵前掲書所収

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122 天理大学学報

(29) 『神道無念流)|頁免許』年不祥(今村編『日本武道大系 第三巻』 p.355 〕

(30) 『剣法ー儀愛格博授』 (山田編『剣道集義』前掲 p.178)

(31 )渡辺編『武道の名著』(雑誌「武道J 1977 9 月号所収〉

(32 )鈴鹿家蔵前掲書所収

(33 )渡辺編『武道の名著』(雑誌「武道」 1977 9 月号所収〉

(34 )鈴鹿家蔵前掲書所収

〔35) 源『近世初期実学思想の研究』前掲 p.95

(36) 今村編『日本武道大系 第一巻』所収

(37) 今村編『日本武道大系第三巻』 p.306