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歴史教畜における難識のとらえ方に弱する藩究 3i 歴史教育における知識のとらえ方に関する研究 小学校歴史授業実践をふまえて 浩(福島大学大学院教育学醗究科〉 一(社会科教育/ 本稿では,1鶏識というものを学ぶ主体である子どもの発育や考え方をふまえたうえでとらえ澄し, 歴史教畜における知識のあ撃方を検討するとともに,〈知識の跨線・編み立て〉という方法識的養魚 に立った歴史の授業を歴史縁の形成と麗達させながら分辮・櫨討する。 〔キーワード〕矯識小学校鰹史教育矯識の跨味・緩み立て歴史像自由民権運動 はじめに 一課題と方法 従来,社会科は「暗証教科」などと震われ,「嬢識の 詰め込み」といった性賂を強めてきたように思う。露 分の教職経験を振雛返ってみても,教科書を幸心とし た内容を読み取る授業をした今,歴史の授業において は,教麟の知識や教材観だけが先行する講義形式のよ うな授業1こなった讐したことが多かった。つまり,自 分窓身も学ぶ子どもの立場を十分に考えずに,ややも すると学び手と釁り離された新知識の詰め込みゴをし てきたのである。 このような状溌の中で,「新しい学力観」が打ち鐵さ れた。「新しい学力観が提起した,教齢からの一方的 な「知識の詰め込み型ゴの授業を克鰻し,子どもの{難 に立った授業を展醸していくという考え方書こは,異論 はない。まさに薪授業の質の転換」が求められている と思う。しかし,現場において「新しい学力観ほに立 つ授業を見た拳,自分で行った参して感じたことは, 児童の「主体的な学習」「主体的な講べ学習ユというこ とを重擬する皮嚢,無識や学習内容の佳麗づ謬が不十 分になっていたのではな静かということであった。社 会科・歴史の授業を考える時,難識1まその中に正当に 位置付けられなければならないと考える。 今までの「教え中心の授業」を克醸し,「学び中心の 授業」へと学習の質を転換する中で,学ぶ倒が知識と いうものを馨分のものとしてとらえ,総み立てていく ため碁こはどうしたらよいのだろうか。本稿では,知識 というものを学ぶ主体である子どもの見方や考え方を ふまえた上でとらえ蓋し,歴史教育における知識のあ 陰方を検討するとともに,〈知識の跨線・緩み立て>と いう方法論的撹点に基づく歴史の授業のあり方につい て,授業実践を逸して分新・検討を試みる。 璽.歴史教育と知識の緩み立て論 i.小学校における歴史教育の目的 歴史教畜とは,そもそも簿を霞指して行われるべき ものであるのだろうか。そのことに関係して,戦羨歴 史教育や戦後霧類社会科歴史教育の羅題点を指摘しつ つ,上原事様氏は匿歴史地理教奮麟鷺号諺で歴史教育 の震標について,次のようなことを述べて興る。鵬 歴史教育の方法として強調されているその要点は, 第一に紅歴史の学習とは,教科書や参考婁に書かれて いる歴史的事実や事件を知識として受けとることでは なく,それらに記されていることをいわば一つの璽本 として,生徒露身が歴史像を麟造的に携き産そうと試 みる」こと,第二に「生徒たちに,今の欝本が現実に 直面している政治・経済・鮭会・文化の歴史的課題へ の開題意識をあるいは鍾与し,あるいは生徒たちのも っているそうした問題意識をいっそう深める」こと, 第三に「生経霞身を含んだ嚢本震族の置か蕊ている問 題精溌への歴史的自覚をあるいは促し,あるいは確立 する」ことである.特に「歴史の学習とは,教科婁や 参考書に霧かれている麗史的事実や事件を知識として 受けとることではなく,それら1こ誕されていることを いわば一つの見本として,生徒盤身が歴史嫁を麟造的 に掻き鐵そうと試みる」こと,つまウ「生経露身によ る歴史1象の謹1主的で露彗造的な形成」と島玉う揚摘は,戦 後の籾難社会科麿史教育のあ撃方としてだけではな く,現代の歴史教育のあ撃方にも通じる大劔な捲摘を 含んでいるといえる。そして,「現在ゴの問題意識にも とづいて「過去」を形象化していく営みを提起し,こ の営みによって形成されるのが歴史檬であると爆足し た。つまウ,子どもが自分霞身の問題意識から鐵発し て霞主的で麟造的に歴史像をつくウあげていくことの 重要性を詣捷したのである。 それでは,現行の学習捲導要領において小学校の歴 史教育の欝標はどのようにとらえられているのであろ

歴史教育における知識のとらえ方に関する研究 · 「歴史1象の自主的形成」ということに関しては,学習 毒導要領の歴史教育の§標は§§さが残るのではないだ

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歴史教畜における難識のとらえ方に弱する藩究 3i

歴史教育における知識のとらえ方に関する研究

小学校歴史授業実践をふまえて

吉 田 克

臼 井 嘉

浩(福島大学大学院教育学醗究科〉

一(社会科教育/

 本稿では,1鶏識というものを学ぶ主体である子どもの発育や考え方をふまえたうえでとらえ澄し,

歴史教畜における知識のあ撃方を検討するとともに,〈知識の跨線・編み立て〉という方法識的養魚

に立った歴史の授業を歴史縁の形成と麗達させながら分辮・櫨討する。

〔キーワード〕矯識小学校鰹史教育矯識の跨味・緩み立て歴史像自由民権運動

至 はじめに

 一課題と方法 従来,社会科は「暗証教科」などと震われ,「嬢識の

詰め込み」といった性賂を強めてきたように思う。露

分の教職経験を振雛返ってみても,教科書を幸心とし

た内容を読み取る授業をした今,歴史の授業において

は,教麟の知識や教材観だけが先行する講義形式のよ

うな授業1こなった讐したことが多かった。つまり,自

分窓身も学ぶ子どもの立場を十分に考えずに,ややも

すると学び手と釁り離された新知識の詰め込みゴをし

てきたのである。

 このような状溌の中で,「新しい学力観」が打ち鐵さ

れた。「新しい学力観が提起した,教齢からの一方的

な「知識の詰め込み型ゴの授業を克鰻し,子どもの{難

に立った授業を展醸していくという考え方書こは,異論

はない。まさに薪授業の質の転換」が求められている

と思う。しかし,現場において「新しい学力観ほに立

つ授業を見た拳,自分で行った参して感じたことは,

児童の「主体的な学習」「主体的な講べ学習ユというこ

とを重擬する皮嚢,無識や学習内容の佳麗づ謬が不十

分になっていたのではな静かということであった。社

会科・歴史の授業を考える時,難識1まその中に正当に

位置付けられなければならないと考える。

 今までの「教え中心の授業」を克醸し,「学び中心の

授業」へと学習の質を転換する中で,学ぶ倒が知識と

いうものを馨分のものとしてとらえ,総み立てていく

ため碁こはどうしたらよいのだろうか。本稿では,知識

というものを学ぶ主体である子どもの見方や考え方を

ふまえた上でとらえ蓋し,歴史教育における知識のあ

陰方を検討するとともに,〈知識の跨線・緩み立て>と

いう方法論的撹点に基づく歴史の授業のあり方につい

て,授業実践を逸して分新・検討を試みる。

璽.歴史教育と知識の緩み立て論

i.小学校における歴史教育の目的

 歴史教畜とは,そもそも簿を霞指して行われるべき

ものであるのだろうか。そのことに関係して,戦羨歴

史教育や戦後霧類社会科歴史教育の羅題点を指摘しつ

つ,上原事様氏は匿歴史地理教奮麟鷺号諺で歴史教育

の震標について,次のようなことを述べて興る。鵬

 歴史教育の方法として強調されているその要点は,

第一に紅歴史の学習とは,教科書や参考婁に書かれて

いる歴史的事実や事件を知識として受けとることでは

なく,それらに記されていることをいわば一つの璽本

として,生徒露身が歴史像を麟造的に携き産そうと試

みる」こと,第二に「生徒たちに,今の欝本が現実に

直面している政治・経済・鮭会・文化の歴史的課題へ

の開題意識をあるいは鍾与し,あるいは生徒たちのも

っているそうした問題意識をいっそう深める」こと,

第三に「生経霞身を含んだ嚢本震族の置か蕊ている問

題精溌への歴史的自覚をあるいは促し,あるいは確立

する」ことである.特に「歴史の学習とは,教科婁や

参考書に霧かれている麗史的事実や事件を知識として

受けとることではなく,それら1こ誕されていることを

いわば一つの見本として,生徒盤身が歴史嫁を麟造的

に掻き鐵そうと試みる」こと,つまウ「生経露身によ

る歴史1象の謹1主的で露彗造的な形成」と島玉う揚摘は,戦

後の籾難社会科麿史教育のあ撃方としてだけではな

く,現代の歴史教育のあ撃方にも通じる大劔な捲摘を

含んでいるといえる。そして,「現在ゴの問題意識にも

とづいて「過去」を形象化していく営みを提起し,こ

の営みによって形成されるのが歴史檬であると爆足し

た。つまウ,子どもが自分霞身の問題意識から鐵発し

て霞主的で麟造的に歴史像をつくウあげていくことの

重要性を詣捷したのである。

 それでは,現行の学習捲導要領において小学校の歴

史教育の欝標はどのようにとらえられているのであろ

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32 藏島大学教畜実践醗究紀要第35号

うか。学習指導要領における第6学年の歴史教育に関

わる灘分の目標は以下の違警である。鋤

i 目   標

轡 鹿家・歓会の発展に大きな饑きをした先人の“

 業績や優れた文化遺産について,聡心と運解を

 深めるようにし,我が蟹の慶史や伝統を大切に

  する心欝を育てる。

 学習指導要領においては,算段が蟹の歴史について麗

心と遅解を深めさせ,我が蟹の歴史や伝統を大燐にす

る心精を膏てる」ことをねらいとしてお吃 このこと

は携容の繊と関わってくるものである。紛

2 内   容

/i}我が璽の歴史は,大報輯廷によ9国土の統一

  が行われてから,政治の中心地や世の中の様子、

  などによって幾つかの時鐵iに分けられることに旨

 気付き,それぞれの鱒代の歴史上の主な事象につ

  いて,人物の働きや代表的な文化遺産を中心に1

 運解できるようにするととも紅ラ我が蟹の歴史

  や先人の働き塁こついて関心を深めるよう畢こする。

 つま彗,学習捲導要領における歴史教官の欝標1ま,

「それぞ蕊の蒔銭の歴史上の主な事象について,人物

の縁きや代表的な文化遺産を中心に理解」させること

が大きなねらいであると害えよう。とりわけ,ヂ歴史上

の主な事象についての遅解達は.「歴史上の人物の働き」

が中心であるとしている。

 筆者は,小学校の歴史教育においては,歴史的事象

の網羅的な摺握に臨らないようにするためにも拒人物

を遷して歴史的事象を理解させる」ことに反帰するも

のではない。むしろ,その方が小学校段繕の児童にと

っては,興瞭・関心を喚起できると考える。しかし,

「歴史1象の自主的形成」ということに関しては,学習

毒導要領の歴史教育の§標は§§さが残るのではないだ

ろうか。なぜなら,学習捲導要領の鑓標が「麗史的事

象の遜解」に重まっているからである。小学生な韓こ

歴史縁を緩み立てる観点をを目標に鐙置付けることが

必要であろう。人麹・文化遺産を通していかに小学生

な診の歴史檬を窮主的で麟造的に緩み立てさせるか

が,小学校獲史教育の響標であ撃,課題とも讃えるで

あろう。

2、短識論と歴史像の緩み立てとの関わ毒ナ

 森分孝治氏は,その著書韓の中で社会科教育におけ

る知識論の分析を試みているが,社会科の欝標を「~運

解させる」ことや「科学的善こ認識させるコことに置く

のではなく,「説隣する」ことに置くべきであると重藤

している。つまり「社会生活を証しく説霧できるよう

緯磐一玉2

にさせる」ことが,社会科教畜のねらいであるとして

いる。そして,娃会科の授業を「鰹識を吟味する過程」

として構成することを提起している。社会科の授業を

「知識を吟味する遜程」として構滅すると,授業で提

示された知識は証しいかどうか,科学的であるかどう

かを子ども露身が吟味し,知識を取捨選択していくこ

とになるという。正しいかどうか科学的か否かの基準

は,子どもの内に,教室の中にあ管,子どもは知識を

闘主観的に吟味していく遺程で,基準そのものを修正

し発展させていくことにな滲,縫会科が「器かれた縫

会認識」の形成をねらいとするなら,「知識を吟練する

過程3として授業を講成し緯織して恥くべきである,

としている.「讃賭する」社会科の授業によって,子ど

も自身が知識を鋤判・吟味し,社会的事象を科学的紅

説窮することができるようにしていくという主張1こ

は,学ぶべきことがおおいにあると思われる。なぜな

ら,筆者も歴史の授業を購成する際に「知識を吟味す

る」ということを方法講的視点として位置づけていき

たいと考えるからである。

 また.竹内常一氏は,「新しい学習観の創造」紛という

譲文の中で現姦の欝本の学校における学警凝念を三つ

に分類し,その中で「甕判的学び方学習」というもの

を提起している。それを要約すると次の遼参である。織

 ヂ撹醤的学び方学習」とは,学習を現実轡1雰に深く根

ざし,現実世界を変革するものとしてとらえるもので,

学校コンテキストの中に閉じ込められている短識を反

転させて,生活コンテキストの中に再緩織していくも

のである。それゆえ,これらの知識・捜能は,子ども

の密主的で撰1覇的な学習によって集約・総合・統揺さ

れてラ子どもの態獲:。思懸・見通し・懸纏観を子ども

自身が欝主的に形成していくものととらえられている。

 管内氏の「携判的学び方学饗ゴにおける知識の位置

づけをまとめると,「子どもの生活現実と権利状混とい

うコンテキスト」つまり,子どもの実生活における文

蘇と学習との繕合という観点で知識が打ち墨されてい

る。また,「学校コンテキストの中に閉じ込められてい

る知識を反転させて,生活コンテキストの中に再総織

して恥く」ということが打ち鐡されているが,そのこ

とは子ども自身が窪分の課題意識に基づいて知識を撹

醤的に跨線し,露分のものとして緩み立てていくとい

うことであると読み取ること解できる。さらに,知識

が「子どもの自主的で幾響的な学習によって集約・総

合・統揺されて,子どもの懇嚢:・思想・見通し・懸値

観を子ども自身が自主的に形成していく3ということ

は,子どもが自主的に歴史縁を形成していくというこ

とととらえることができる。

 前述の森分銭の提起でもある,この子どもの鍵から

の「知識の吟味・緩み立て」という方法論は,筆養の

歴史教育の目標でもある「歴史像の自主的で麟造的な

形成ゴということ,すなわち歴愛縁の吟味・緩み立て

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歴史教蕎「における知識のとらえ方に証する毒署究 33

ということに権通じると考える。筆者は,「歴史像の嚢

主的で麟造的な形成ということを考えていく嚢祭に,

「蟻識の吟瞭・緩み立て」という方法意識に基づいて

歴史の授業を購棄していきたい。

欝.歴史の授業計画の実際

 ここでは羨逃したように,「知識の吟味・緩み立て」

という裡点にたった授業のあ撃方を検討する。この麗

題については,平成§隼度福鶴大学教育学部醗霧小学

校の6年3纏35名のクラスを対象に,単元ド萎本の歴

隻しの中の/罫単元「明治の新しい轡:の中」のと拳わけ,

察滋罠権運嚢に焦点をあてて考察することにする。な

お,単元と小単元名は,購羅小学校で硬締している東

京霧箱の教科書に基づいて立てられた指導計藤江よる

ものだが,小単元の難標及び単元の捲導計嚢を以下の

ように設定した。

単元の猛標                   、

(茎)麗羅以来の急激な変化に疑講を持ち,窮治政癒i                       チ

灘灘養難論鷺賜欝誓劉                       }

舗麟べ持とする・     1②麟磐麿畿蓬蓬鎌糠鷺縦農1及び麟など磯点で多鯨ことらえ隷慧轡

、、,な ⦆際裟蒙葉裏麗麗論嚢互、.1

                       き関連欝て翻し趨駒人物生灘考え方酬

、、、灘繍欝欝欝筋蕊叢垂㍊

鞭脚禰がら近耀家として璽態囲えていったこと汲縮鹸権運動起澱かり1

 国会醗設までの鐵来事とその結果や影響,歓会的i

背景 ≧て螺することができる・

・単元の指導計薩(総蒔数7鋳闘〉

鑓 瞬治維新(導入と学習課題の摺握/

(2) 聡治政1膏の蟹づく撃

 ①瞬治政癒の政治   (i) ② 富国強兵         (碁

 ③文瞬騎化    (碁『(3〉  臣箋注葦畏権運動

 ①霞会を饒け,政談演讃会 (舞 ⑨ 福島の壼由罠権運動     (i〉

14/ ま と め

塒副塒副   l

   l

   l

塒副   1

凝ii蒔幾

茎.嚢虫罠権運動の教材化にあたって

 霞態罠権運動は,鰺遜(聡治7/隼の罠撰議銑設立

建嚢をきっかけに発生し,露認(明治2欝隼~鰺齢(墾

治22)年の大岡藤繕運動に至る,霧本紀おける最瞬の

近代畏主主義を確立する運動である。つまウ,箋絵雛

の国会開設として不可欠な運動であると瞬時に,疑主

主義のはじま穆として大切な運動であると佳麗づける

ことができよう。発生の墨窃は士族だけの運動であっ

たが,やがて豪農や一般農罠・都幕疑までも含む一大

露艮運動淀まで発展し,国会の聡設,地覆軽減,条約

酸!歪,地秀窃治権の確立などを要求して,ねば1り強軽

運動を展擬した。騒畏が選んだ議員によって成舞立っ

懲会の瞬設を要求し,騒渓に参政権を獲得させようと

していたことッ軍騰拡張(対外優酪/につながる塔脱

路線にきっぱ馨と反鰐を打ち鑛し,墾治政癖の専鱗政

治を鷺残業治の平穏で買主的な露家にしょうとしてい

たこと,さらには地域往戻の生産と生活権を守るため

に地方霞治権の確立をめざしていたことなど, この運

動の申に軍籍で長主的な段摩羅家づくりの可能性があ

ったことを発鐵だすことができる。

 さらに,自由蔑権運動は福轟察においても盛んに行

われていたという事実がある。福島票の自由甕権運動

は,全羅の中でも運動の質と量において典型的な票の

一つとして評懸されて鯵る。福島察の欝由罠権運動は,

湾野広中などを中心としながら,地方戻会から桑会へ

と発展する近代地方憲治舗確立運動の獲彗嚢と,地方政

治縮縫から発展して窪浅見などに箆られる近代政党成

立という二つのの灘嚢を持っている。このような中で,

瞬治政癒の命令をうけ,民権運動や窃癌党の撲滅をも

くろんだ繋金三島通箱が赴任し,察会議長海野広中を

中心とする察会灘と激しく嬉立し,篠島事件や喜多方

事件などが起こってくる。このように福島察において

白露蔑権運動は,子どもにとってまさに身近な素馨な

のである。

 窪蜜罠権運動の一連の授業を展開する上で,軸にな

る考えを安井俊夫氏は,「白蜜罠権運動は,鯛治政癒の

竃羅強兵という落縁に対抗して,もう一つの遭を示す

ことによって霧本近代史の章起点かとしての綬蓄を果

たしていたノ7空遽べている。いわば,「二つの遵の対

抗」という考え方であるが,それはB本近代史の略趨

薫”としての役霧であると同時1こ,「子どもの雛本近代

史認識の罫起点謹であることも示している」郷と安詳氏

はとらえている。つま参,察覆戻権運動をと箏あげる

ことで子どもの中にもおのずと「二つの遠」が浮かび

上がってくるのである。露崩民権運動は歴史学的な意

義から見ても,子どもの認識の嚢から見ても,騒本近

代史び)眠趨点浮として設定できるといえようG

2.単元全体にわたる授業展器

 本小単元1ま,東京書籍の教科書ではぺ婆一来航後の

弱蟹から,閣治維新を経て蟹会弱設と大鷺本帝蟹憲法

発;薦までの嚢寺簸iを取攀援い,「黒毒曇の来航,響輩治維新,

文明麗化などについて調べて,閣治鋳代に人参廃藩謬

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34 福島大学教育集銭難究総要第35号

漿や露罠平等などの諸改革が行わ既,欧米の文化を取

除入れつつ我が蟹の近代化が進められたことを瑳解す

る」〔指導書,内容轡一コ〕ことをねらいとしている。

これは,「露家・鮭会の発展に貢献した先人の業績やす

ぐれた文化遺産1こついての灘心と理解を深あ,我が醗

の歴史や伝統を大窮にしょうとする態度を育てる」と

する指導書のねらいをうけたものである。さら垂こ,1蓬

藩竃祭や瞬畏平等,地覆改蕊,籔兵令などの諸改革に

より政治や後会の仕緩みが大きく変わったこと,及び

欧米の文化を取り入れつつ蔭本の近代化が進められ,

人々の生活にも大きな変化が見られたことを露本の近

代化に尽くした人々の饑きを還して遅解させることが

大きなねらいとなって鯵る。

 この時代の教材化を試みる場合の典型的な人物とし

ては.「蓉郷隆盛,大久保稽遜,木戸孝允,弱治天皇,

福沢諭吉,解藤博文などゴを挙げることができる。し

かし,それだけでは鰹史的事象に対して多角的1こ考え,

露分な今の考えを持つことはできないと考える。瞬治

政癒が進めた近代化(富麗強:嚢策〉きこよる国づくりと,

白蜜疑権運動では鵜治政癒に対する不満が高ま滲,麟

罠の意見を政治垂こ取り入れる運動が全蟹的に広まった

ことを対比させて考えさせた参しながら歴史的事象に

対して自分の考えを祷つことができるようにしたいと

考え,本単元を設定した。

 開治政府が進めた蟹づくりに嬉する自分の知識を跨

味・総み立てる上で,地域の携点なども入れた多角的

な擾点が重要であると考える.瞬治政癖綴と簸惑甕権

灘,畏衆灘の様々な立場から考えた警,離諭した参す

るこ.とが知識の吟味・績み立てには有効であろう。特

に,福島の窪出戻権運動の学習では,湾野広中,佐藤

謙吉(地域の察由蔑権活動家),三島選濤,それぞれの

顯いや苦労を十分に運解することや事実と事実を関連

春重けた参することが露分の知識を緩み立てる課の大嫌

なぷイントとなると考える。

○第i鱒

  第i詩は,本単元における導入と位置付け,本巣

 元の学習課題を立てさせた。本単元の導入にあたっ

 て,競治維新の大まかなイメージを持たせるために,

 生活や文化を中心に急激な変化をとらえさせた。ま

 た,瞬治維新という霜葉の意味を押さえ,その急激

 な変化の原警を予想し,共通課題(明治維新を進め

 た人々は,どのような石づくりをめざしたのだろう)

 を設定し,学習計画を立てさせた。

○第2時,第3時

  明治政府の蓑蚕づく滲ということで,明治政府の改

 革や政策を教科書や資料集,参考霞書などの各種資

 料を活策して講べさせた。纂2時のはじめに共通課

 題(瞬治維新を進めた人々は,どのような蟹づくり

 をめざしたのだろう/を確認し,愚々人の興味・驚

 心に基づく所から追究していくようにさせた.第3

簿98一王2

購の終わりに,鮭会や政治の改革を中心に発表させ,

 どのような國づく馨をめざした改革であったのかを

再度予想した。

○第輿蒔

  西洋の譲度や技術,生活の延方などを取彗入れた

文購麗化が広がったことを紙芝居を撹聴することを

通してとらえさせた。象た,生活や文化の変化を中

心に第2・3鋳で調べたことを発表させ,どのよう

 な覆づく拳をめざしていたのかを吹き饑しにまとめ

 て,単元の中開まとめをした。

○第5時

 絵入む自趨新濁(羅会擬設を求める演説会1の警

官の部分を隠したものを見て議し合う漸から,授業

 を麗麗した。その後,隠していた部分も見せて,投

 げ付けられた宝籤や茶魏がだれ.に商かって投げられ

たのかを考えさせた。ほとんどの児童がおこった聴

衆が弁士に霧かって物を擾げているととらえていた

 が,教麟作成の文章資料から事実縫係を確認するこ

 とができた。そして,瞬治政癒の問題点への繊判を

 邉究する中で露密罠権運動のおこったわけや経遜を

 とらえさせた。最後に吹き鐡しに自分な参の誉葉で

 白露罠権運動がどんな運動であったのかをまとめさ

 せた。

○第6時(綾証授業のため後遽/

○第7時

  第6鋳濁目にできなかった福島垂こおける密密甕権

運動に対する盗分の考えを発表し,さらに,どんな

 憲法が作られたのかを調べさせた。単元のまとめと

 して,閣治政癒の麟づくむに蝿して自分はどう思う

 のかを討論会形式で発表した。

膵.実践の分析と検討

i.本鋳の授業の展開計画

 本締の計露をたてる燦に簸も留意したことは,題島

の欝麹渓権運動がどこでどのようにして進められたか

ということや,湾野広中や佐藤謙吉(纏島青瓷建の馨

虫渓権活動家/,三島通鷺など様々な立場の人物の知識

を吟味することによ拳,欝分な撃の密密民権運動橡を

緩み立てることができるようにするということであっ

た。これをふ衰えて欧のような麗麗謙遜をたてた。

①課題の把握 O課題「福島では,白露民権運動はどのように広ま

     って鵠つたのだろうか」の確認。

②見通しをたてる

 ・幾習事項や現代の選挙活動などから予想する。

③ 共通理解をする

 。滝野広中の畿身地や立場,業績など

④確かめる O福島垂こおける露出民権運嚢の活動場藩学活動の方

  法など

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歴史教育における頬識のとらえ方に関する懸究 3§

 φ佐藤謙吉の地域における活動

 毒自由長権運動鍵と三島通濡との対立の原霞,様子

⑤ まとめる ・福島の自露民権運動についてそれぞれの立場から

  主張を吹き鐡しにまとめる。

 ・いろいろな立場から討論する。

2、本時の授業の概要

 ①の本時の課題をつかむの段踏では,蒙時に学習し

た自由民権運動の機要を振診返らせ,次に福島寮内で

の霧出戻権運動の広が参を示した地籔を提示して,福

島察や福島毒の近還でも白露戻権運動が広がっていっ

たことをとらえさせて,本蒔の学習課題を摺握させた。

 ②の学習課題について予想する段階では,本時の学

習課題幅島では自凄甕権運動はどのように進められ

たのだろうゴに対して,講時における醗習事項ッある

いは第i学難に幾に学習している政治学習における選

挙活動などを懇起させ,どのように広められていった

のかを予想させた。蔚碍における蟹会開設の演説会,

霞由罠権運動の全曇的な広がりを示す署名の数などを

すぐに思い鐡し,「演説や署名」という予想があった。

また,現代の選挙活動などから,「看板や広告で広めた」

という予想もあ参,賎習事項をもとに具体的な予感が

立てられた。

 ③の資料から河野広中について読み取合,共通理解

をする段躇では,教麟作成の資料や地籔をもとに事実

の読み取りが行われた。鷲に福島の霧虫罠権運動の中

心人物,湾野広中について,出身地や立場,業績など

を溺野広中の銅像の資料(どデオ,写真,文章資料〉

白露民権マップなどから総かく謹み取ることができた。

 ④の福島の自葭罠権運動がどこでどのよう1こ進めら

れたのかを読み取る段購では,白露畏権マップや福島

衰密新醐,佐藤謙吉,三島違露の資料から,事実と事

実をつなぎ合わせた9,婦比させた参しながら台密蔑

権運動の知識を昼今賺することができた。また,三農1遜

康については,ただ単に露出畏権運動を押さえ感けて

いる入梅というイメージにならないように購治政府や

墾治政癒の政策と結び付けて考えることができるよう

に醗.1憲、した。

 ⑤の福島の窪麹長権運動についてそれぞれの立場か

ら考え議し合う段懲では,本時の学習のまとめとして

これまでの学習をもとに,自分なウの福島の白蜜長権

運動縁を捲くことができるようにした。窪分が支持す

るそれぞれの立場にな琴きって自分の考えをまとめさ

せ,いろいろな視点から考えを発表させていった。

3.授業の中で〈知識の跨味・緩み立て〉はどのよ

 うに進められたか。

 ①の段踏は,いわゆる課題を摺握する段購である。

教麟は本時の課題である福島の轡虫戻権運動像に追ら

せるために,まず蕩時の学習で「自霞長権運動が国会

聡設の要求などを掲げて演議会や署名などを行った」

ということを振り返らせると購時垂こ,福島でも露譲民

権運動が盛んに行われていたことを資料からとらえさ

せ,露分たちの身透な地域で自窪i蔑権運動はどのよう

に進められたのかについて興妹を喚起させた.この段

踏では,福島の白蜜民権運動との関連で藩時の白雲長

権運動の内容や広ま撃が知識として位置付けら蕊てい

たと見ることができよう。

 ②の段踏では,本時の課題「福島で1ま自由甕権運動

はどのように進められたのだろう」に対して幾習事項

の知識の褻今昧から予想が鐵された。晃童たちは①の段

購で羅習事項を想起している。そして,「福島でも演議

会や署名などの活動があったのではないか」という予

想を立てることができた。また。教麟の方でi学難に

学習した政治単元を想起させて現代の選挙活動などと

の関連から「看板や広告,立ち会い演説会話などの予

態も饒習事項の知識として打ち鐵されている。慶習事

項の知識に裏付けられた具体的な予想が立てられたと

いうこ二と力量できる。

 ③の段購は,②の段踏で予想した知識を吟味し萌ら

かにしていく段踏である。そのためにまず福島の密密

罠権運動の中心人物,海野広中の入梅像に迫った。そ

のための資料として滝野広中の銅線の資料(ビデオ,

写真,文章資料〉を提示し,白蜜甕権マップで位置を

確認して空間的な認識もさせながら,事実確認をした。

児童にとっては身近な場所であり行ったこともある者

もいて,鍵分や地域を踏まえて知識を獲得する窮9霞

になっていった。また,海野広中の銅嫁に書かれてい

る文章資料の丁寧な読み取りにより,湾野広中の鐡身

地や業績,票議会を作ったわけをとらえることができ

た。つまり,③の段賠では教麟が提示した資料から発

童が自主的に基礎的な知識の獲得をしていったと言え

よう。

 ④の段購は,③の段踏で獲得した基礎的な知識をさ

らに発展させた肇,吟味した警する段踏と位置付ける

ことができる。福島で密密幾権運動が行われていた場

瞬をさらに白蜜民権マップで確かめた箏,異体的にど

んなことをしていたのかを福島密密新聞の発行の趣意

警や銭藤謙吉の地域にねざした活動から纒かく確かめ

ることができた。特に,佐藤謙吉の資料から発童は「馨

遵の修運は村罠が鐵すべきではな雛∫自分たちの生活

や利益をまもるたあにお金は鎖すべきではな砺とい

うことを読み取り,福島における自由罠権運動の具体

的な姿に迫ろうとしている。ここでは,自霞甕権運動

というものが言葉だけの学習ではなく一人一人の要求

や生活にねざした運嚢であったという事実から③で得

た知識をさらに発展させている。また,霞窃甕権運動

に反射した三島通鷺の姿にも遊撃,瞬治政癖の考えや

政策と関連させながら,知識の吟味も行っていったと

Page 6: 歴史教育における知識のとらえ方に関する研究 · 「歴史1象の自主的形成」ということに関しては,学習 毒導要領の歴史教育の§標は§§さが残るのではないだ

3§ 懸島大学教官実践嚢究紀要第35号

考えることができる.露出幾権運動に反対したのは三

島通箱の懸人的な考えや思惑ではなく,聡治致癖の考

えであったことを晃童は紅瞬治維新が起こった鋳,地

方の役人を中央の政癒がおくった匪ということで読み

取ってお参,福轟における遵蕗補修工事を弱治政癖の

欝躍強兵策と繕び付けて考えることができた。そして,

道酪補修工事が「蟹を盛んにするため荘「産業をおこし

て駿を発展させるため2という運慈から行われようと

していたことを考え,篠島における自賠民権運動の知

識をさらに深く吟秣上していったゆここでの大きな麟イ

ントは,露震罠権運動を単1こ霞由罠権運動を推進した

灘だけでなく,白露浸権運動紅反難した灘からも欝譲

民権運動とは蕎かを子ども窪身に考えさせようとし,

多角的な編点で嚢虫餐権運動の知識を晃童自身に吟味

させていることである。このような知識の麗達や吟味

といった過程を通して,晃童霧身紅よる福島の露虫戻

権運動/象が豊かなものになっていったと思われる。

 ⑤の段繕は,本時の授業における最終的な知識を績

み立てる段踏である。自分が支持する立場で,その人

物の気欝ちになって湾野広中,盤藤謙吉,三島遜鷹の

考えをまとめさせた。考えを発表させる際にその人物

のゼッケンをかけ,顔にひげをつけさせたこともその

人糠こな瞬きる上で効果があった。滝野広中の立場に

なったもの縁「棄民一人ひとりが幸編になれるように

する。そのために察議会で一人一人の意見を縫恥て政

治をするんだ雄という考えを発表し,自由民権運動と

察議会とを結び付けて知識を緩み立てている。三島通

篇の立場に立つものは「馨本やこの福島に産業をおこ

して,盛んにさせる。そのためにも道諮工事をして遵

をつくらなけれ、ばならない∫瞬治政癖のために覆を発

展させたい。そのために霞窃党や白蜜罠権をおしつぶ

すぞ」と雲霞疑権運動と瞬治政府の政策を対比させて,

明治政府の灘から知識を績み立てて積る。また,監藤

謙吉の立場に立つものは「われわれは税金をはらって

いるのだから,遵露工事ぐら》}は羅でやるべきだ。わ

れわれ.には生活を守る権率彗がある盤と露密渓権運動を

一人一人の生活や権利と結び付けて知識を緩み立てて

いる。このように,農由民権運動の具体的な姿に踏み

込んでおむ,知識そのものに深ま箏が見られ,授業の

各段購で吟瞭されて鯵つた知識が授業の終末ににおい

て自分な拳の雲霞畏権運動檬として緩み立てられてい

ったと見ることができるであろう。

4 子どもたちは駿像をどのように緩み立てたか

    一子どもの感想文の分析一/il子どもめ感想文分析の携点

  筆者は,子どもの感想文を歴史檬の緩み立てとい

 うことに焦点を盛てて分析する擦に,2つの分析の

 握点を考えてみた。そのiつめは,子どもが歴史縁

 を績み立てる上での基準となるもの,つま琴①歴史

緯銘一i2

隊を緩み立てる上での方法論的撹点であり,2つめ

は,子どもが歴史的事象に薄してどんな見方や立場

をとるかということ,つま穆②子どもの立場衰弱を

とらえる観点である。この2っの分析の:観点に基づ

いて,感想文を考察していきたいと考える。

 なお,2つの観点をさら1こ以下のように分けて,

歴史縁がどのように緩み立てられたのかを考察して

いくことにする。

①歴史像を緩み立てる方法論的視点

  吟以下 韓一事実 と略す。

 な流れとして歴史を位置付ける。

  →以下瞬一発展 と略す。

 う視点で歴史をとらえる。

  →以下 韓一戻衆 と酪す。

  →以下 ⇔一身近 と略す。

  袖以下 緯1一携野  と略す。

韓 資料(事実〉に基づいて歴史をとらえる。

御/歴史の矛羅}→解決縛矛薦というような発展的,

韓 民衆(蟹幾一人ひと勢が歴史をつくると雛’

⇔ 歴史を身近な問題としてとらえる。

㊨ 歴史を全羅的・量界的な視野からとらえる。

②子どもの立場表購をとらえる視点

露分の意見を言う。

→以下織一霞分の意見 と略す。

歴史の分簸薫に立って,立場を表隣する.

→以下麟一歴史上の衰弱 と賭す。

現在の懸纏観から歴史をとらえ,立場を表隣

する。

 →以下 ◎一現在からの表瞬 と酪す。

② 単元の学習を終えての感想

 0男「瞬治時代には文靉靆化などで発達していった

    中でも争人々の生活はこまっていたんだなあ

    と思った。そのような申で自分たちの生活を

    よくしようとして,政瘤にたてついた露霞戻

    権運動家たちはすご魏なあと思った。ゴ

 登男ヂ新しい瞬治の量の中になって,政治のや塗方

    を変えようとして,霞露や自分たちの権利の

    ため1こがんばった自慰疑権運動家を癒緩しま

    す。こちらの方がみんなのために異本をよく

    しょうとしていたと思います。今もいじめな

    どがあ参ますが,一人ひとりの権利や察蜜を

    大切にしていじめをなくしたいです。」

 輝子「いくら明治政癒力豊国1を発展させようとして富

    蟹強兵をしても,一人一人の幸せがなければ,

    羅は発展しないと思う。そもそも発展という

    のは人々の生活を豊力易こすることな1のではな

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歴史教育『における知識のとらえ方に関する醗究 37

   いだろうか。それで,白露戻権運動を私は支

   持します。ゴ

 丁男ヂ自浅甕権運動をと参しまって明治政府がやつ

   てきたことは,政癒藩決めた5か条の誓文に

    まったく反対」のことをしていると思う。この

    ままでは欝本:の蟹はますます悪くなっていっ

   てしまうと懇、う。」

 U子「私も購治時代の人だったら,白露民権運動を

   やっていたかもしれません。それは自分たち

   の生活や税金が墾治時代になってもあま今変

   わらなかったからです。瞬治になっても不溝

    はたくさんあるんだなあと思いました。」

 A子「私は.最初,霧治新政癖の政策の内容を学習

    した時は,こんな散策なら農罠たちも豊かに

    くらせるなと懇、っていました。でも,くわし

    く学習していくうちに,露民平等,地種敬重,

   籔兵令などいろいろな政策でたくさんの不満

   があり,露虫蔑権運動では政癒のやり方に反

   薄したことを知多,明治政癒のや今方を賛成

    することはできないと懇、いました。」

 丁子ヂ私は明治新政癒のやり方書こは,不満がたくさ

    んあるけれど,磨癌罠権運動のおかげで醗会

    が籠るナたことはよかったことだと思いまし

    た。これからは,もっといい政治になってい

    くのではないかと観籍しています。」

 F子ヂ白蜜畏権運動をと彗しまった参したけど,開

    治新政癒は今から見ると瞬治蒔代の人々1こと

    っていい政策をしたのではないかと患いま

    す。それほ,江戸時代などに比べると,だん

    だん今の政治にすこしずつ似てきたからで

    す。そして文瞬開化や新しい講度や政治紀な

    ってよかったと思、いました。3

 Y男「弱治政府が鐵した政策は確かにあま籔}いも

    のばか吟ではないので,農罠や密密幾権運動

    の人たちが反対もた髪〉したけれども,ほかの

    外醸に饗本がせめられてやられてしまうかも

    しれないので,富蟹強兵したり税を取って販

    入を安定させることは仕方がないことだと思

    う。だから,墾治政府のや肇方を悪いと決め

    つけることはできない。藁

③ 懇懇文の分析

  0男は,まず嘲治時代には文明開化などで発達

 していった中でも,人々の生活はこまっていた」と

 とらえ,瞬一事実から歴史をとらえている。その事

 実の確認は,授業の中での与えられた難識と見るこ

 とができる、そして,蔭霞罠権運動の活動に雄して

 軒露分たちの生活をよくしようコと艶握し,蜂蜜戻

 権運動を人々の生活との間わ穆でとらえている。こ

 こには紛一発展の視点が見受けられるが,韓一民衆

 の視点は位置づけられ.ていないと見ることができる。

なぜなら,最後1こ感想を書いて鵠る鑓,それは自鑑

民権運動家に嬉して「すごいなあゴと崇めるややも

すると指導者のみ善こ偏するような一種の英雄主義的

なとらえ方に止まっているからである。

 猛男は,豪ず瞬治維新や霧由蔑権運動に録する立

場表競をしているととらえることができる。その立

場表瞬は,斐○一現在からの表瞬の携点であると思わ

れる。そしてその根鍵継けとしてゼ政治のや多方を

変える」「白露や自分たちの権瀦のため1こがんばっ

た」ことを掲げ,授業の中で与えられた事実(知識〉

をもとに論を鑑み立てている。ここには,鱗一事実

はもちろんのこと,紅/一発展の観点が位置づけられ,

ている。さ嚇こ,「今もいじめなどがあ蓼ますが」と

して,現代の人権問題との関わウで密密罠権運動を

とらえており,梶1一身近の幌点で歴史をとらえてい

ると言えよう。

 W子は,密密民権運動と購治政府の政策とを対比

してとらえている。そして,授業の中で与えられた

知識,韓一事実の観点に重点をおいて考えを書いて

いる。また,一人ひと拳の生活との闘わ警で蟹の発

展というものをとらえ,韓一民衆の観点で歴史をと

らえている。そして,最後に自分の立場を表窮して

いるゆそれ.は,㈹一察分の意見の立場である。その

立場の表瞬の根絶づけに,「そもそも発展というのは

人々の生活を豊かにすることユを挙げている。その

根擁づけはう与えられた籏識というよ参は授業で得

た難識を基に自分でふくらませ,発見し緩み立てた

簸識ととらえることができよう。

 1筐男は,まず瞬一事実の観点から意見を緩み立て

ている。それは自由幾権運動と政癒の政策を薄難し

た形でとらえてお拳,授業で与えた知識が墓になっ

ていると思われる。そして,最後にヂこ4)ままでは

賢本の国はますます悪くなっていってしまう」と懇

懇を書いている。しかし,歴史縁を緩み立てる際の

麟一発展,韓一民衆,⇔一身近などの主な観点は位

置づけられていない。

 駐子は,歴史の中に自分をおいて感想・意見を表

弱している臼その立場は,§由罠権運動に共感して

欝定的垂ことらえるものであり,(舞一歴史上の表明の

立場であろう。その機礎となるものは,閣治鋳代の

人々の生活や税の開題であ拳,主に授業で与えた知

識.輪一事実の携点から考えを緩み立てている。し

かし,歴史嫁を緩み立てる際の緯/一発展の観点から

歴愛をとらえきることができなかったと言えよう¢

 A子は,墾治政府の政策の流れの中で自分の意見

を書いている。そして,白鬚甕権運動と政府の政策

とを対比させてとらえていると見ることができる。

また,露分の考えが変化したことを密密民権運動な

どの単元の学習の中に位置づけている.最後に奏分

の立場を表明しているが,それは繰一自分の意見で

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3暮 福轟大学教蕎実践藩究紀要第35号

 あろう。その根礎となっているものは授業の中で与

 えられた知識が主となっている。歴史のつながりや

 広が撃をとらえておウ,勧一発展の携点の素地がで

 きていると震えよう。

  丁子は,自霞民権運動と蟹会灘設との灘わ参で感

 想を書いている。その考えの基になっているのは,

 「霞1霞戻権運動のおむ蝿ず」という白露至毫権運動を欝

 定的にとらえることからきている。ヂ白青長権運勇の

 おかげで蟹会が開けた」と一面的にとらえることに

 危険はあるが,人々の働きかけで歴史は動いていく

 というとらえ方,つま拳唇一戻衆の視点の素地が緯

 み立ての中に位置づけられて興る。

  F子は,露密罠権運動と墾治政癌の政策を対比さ

 せてとらえている。そして,露震疑権運動の意義よ

 拳もむしろ瞬治政癖の政策に共感し意見を緩み立て

 ている。しかし,「新しい麟度や政治になってよかっ

 た」として白露艮権運動の事実は踏まえておらず,

 とらえ方が多少一面的であると言えよう。

  Y男は,密密民権運動を歴史の中での佳麗づけで

 とらえているゆつま警,富麟強兵や地種改亘との麗

 わむ,外羅との麗わ参で意見を緩み立てている。そ

 れは,授業で与えた短識が墓になっているが,欝分

 の意見の緩み立ての根擁はしっか参述べている。し

 かし,歴史豫を緩み立てる際に,劔一規野の観点が

 位麗づけられておらず,歴史橡が一面的なもので止

 まっていると言えよう。

(4/ま と め

  歴史像の緩み立てということに麗して,子どもの

 感想文を手がかりに分析してきたわけであるが,基

 本的には教麟の提出した事実に基づいて露分なウの

 歴史像を緩み立てていると見ることができるであろ

 う。歴史籐の緩み立てに臠しては,多少一悪的な藏

 も見られるがラ歴史を見る様々な視点の素地が培わ

 れてきていると見ることができよう。それは,教麟

 の提鐵した教材について,授業の中で知識を吟味し

 たり,様々な立場から討論した参してきたからでは

 ないかと考える。子どもが霞主的で齪造的に麗史豫

 を緩み立てるという歴史教育の§標に関してゼ知識

 の吟味・緩み立て塞という歴史授業の方法論は,一

 定の証左を与えたものと考える.

i弱8一玉2

V.まとめと今後の課題

 「知識の吟醸・纏み立て」を歴史1象の緩み立てと関連

させながら方法論の提起を行恥うその有効性を検証授

業を還して検討してきた。そしてド知識の吟味・緩み立

て3という観点からの歴史の授業に一定の有効性を確

認できたことは,小学校歴史教育において短識と雛う

ものを位置づけ,どうとらえていかなければならない

かを追究していくうえでの成果と認めることができる。

 ただし,教麟の提産した教樗だけでなく,子どもが

震らが集める知識ということや知識を吟味していくう

えでの学習集羅のあ多方などの問題に臠しては,本実

践では瞬らかにできないままであ婆,今後の課題とし

て取り給んでいきたい。

         〔信   説〕

 本稿は,韓善教宮の勧讐のもとに執筆したもので,文責

はすべて吉蟹に属する。

           1注)

轡 上原事様「歴史教奮の霞標」(ζ歴史意識1こ立つ教育蓋

 闘士縫.欝認年 稔5~鴛7糞〉

(21ゼ小学校学習捲導要領垂(文藻省,198§年3月 33貰/

麟 講上(33貢~羅責/

韓 森分孝治罫社会科授業講哉の運議}と方法書(弱治籔書,

 i§7き庫 85璽/

(藻 竹’内常一「新しい学習観の麟造」ぴ生活捲導善漁蕊2 明

 治藪書,i鱒3年2融

(§1講ま二(6§~7§震〉

171安井俊夫罫縫会科授業づく参の追求露紹本書籍,

 欝孝奪搬~i22貢〉

(81縁上(蔦8貰/

     ξ授業づく辱のための参考文麟〕

懸濫青史鑛纂委曇会番福島薦史 近代擁欝75年

吉村仁作地産福島禦の歴史遜毒舞墨販社,欝欝年

高騰哲夫匿福島自慰疑権運嚢愛糞運講社,鯵騒年

高橋哲夫薪橿鳥罠権家擁藪盛福島艮鞍縫,聾§7年

轟嬌哲夫髪壊補橿島事件遮三一書蔑,欝毅年

轟撫哲夫番写真轡説 橿鳥察懸幾権史書歴史春秋縫,臆醗年