3
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中世の貿易の玄関 博多 - 帝国書院...•p.99 「⑤1179年以降の平氏の知行国」を見て,筑前国が平氏家人になっている意味を考えてみよう。•同上の地図およびp.9から,博多と京都をつなぐ経

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  • 0 500km

    揚州

    興慶蘭州

    ハミホータン

    沙州

    臨安(杭州)

    大理

    福州

    明州

    泉州

    景徳鎮龍泉

    成都

    京兆府

    臨興府

    中都大興府(燕京)

    昇竜

    ヴィジャヤテナッセリム

    ペグー

    パガン

    ケダー

    ジャンビ

    タンブラリンガ

    パレンバン

    ラサ

    広州

    鄂州

    潭州

    開封

    襄陽

    登州

    大同

    音戸の瀬戸

    平泉

    外ヶ浜

    京都敦賀

    平戸

    礼成港礼成港

    遼陽

    上京会寧府

    博多音戸の瀬戸博多

    アンコール

    開城

    淮河

    青海

    バイカル湖

    黒竜江

    長江

    黄 海

    シナ

    南シ

    ナ海

    本海

    樺太

    インド洋

    大興安

    嶺山脈

    □□□□ゴ ビ 砂 漠□□□□□□□□タ ク ラ マ カ ン 砂 漠

    □□□□崑 崙 山 脈

    □□□□□□チ ベ ッ ト 高 原

    千島列島

    □□□□□□

    香辛料

    べっ甲

    砂金,木材螺鈿,扇

    鷲の羽毛皮

    絹織物・陶磁器・宋銭

    モ ン ゴ ル 高 原□ □ □ □ □ □

    ヒ マ ラ ヤ 山 脈

    擦文文化

    オホーツク文化

    トビニタイ文化

    沈香(沈水香木)*

    ナツメグ 胡椒 クローブ(丁字)

    硫黄

    チベット

    モンゴル

    大理パガン朝 南宋

    大越(李朝)

    高麗 日本

    セレベス島(スラウェシ)

    ルソン島

    ミンダナオ島

    スマトラ島ボルネオ島(カリマンタン)

    ジャワ島

    モルッカ諸島

    カンボジア(アンコール朝)

    カラ=キタイ(西遼)

    西夏

    象牙

    おもな交易路

    おもな交易品

    ジャンク船が活動した航路

    唐坊(中国人街)

    45°

    165°

    165°

    30°

    135°

    150°

    150°

    15°

    北回帰線

    105°

    90°

    120°

    赤道

    15°

    香辛料の産地として知られ,古くから中国やアラブの商人が訪れていた。やがて,モルッカの香辛料はヨーロッパの国々にも広まった

    硫黄島硫黄の産地。中国の陶磁器が出土

    大輪田泊平清盛が人工島(経ヶ島)を築造

    奥州藤原氏の本拠地。砂金の産地として繁栄した。独自に北方や南方各地との交易も行った

    アンコール朝の最盛期。アンコール=トム(王都),アンコール=ワット(寺院)を建設

    ツングース系女真人の王朝

    宋-金間の攻防戦で火器が使用され,火薬の材料である日本産硫黄の需要が高まった  p.99

    p.99じょうよう

    そう きん

    だい

    こう

    シン

    あん

    アン

    れい

    リン

    がくしゅう

    たんしゅう

    さ しゅう

    こん ろん

    クン ルン

    ら でん

    ケ ソン

    だい り

    なんそう

    だいえつ り

    こうらい

    きん

    せいりょう

    せい か

    じんこう こう ぼくじん すい

    1044~1299 1127~1279

    918~1392

    1038~1227

    937~1253

    1009~12251009~1225

    1115~1234

    こ しょう ちょう じ

    おお わ だのとまり

    い おう

    とうぼう

    じょしんじん

    わし

    おうしゅうふじわら

    たいらのきよもり

    きょう が しま

    い おう

    ぞうげ

    *代表的な香木。

    〈『図説日本史通覧』東アジア全図を活用して〉 

    神奈川県立湘南高等学校 新谷 桂

    • p.6の地図から那之津,鴻臚館を探してみよう。

    *本授業案に対応したワークシートを弊社ウェブサイトに掲載しております。ぜひ,ご活用ください。

    日本史かわら版 第5号(2018年6月発行)

     はじめに

     東京大学入試の世界史論述問題で,指定語句の一つに日本の「博多」が入ったのは,2015年度入試のことだった。この問題は,ユーラシアの東西にまたがったモンゴル帝国における交流の諸相を「経済的・文化的視点」から8つの語句を用いて600字以内で論ずるもので,「世界システム論」の観点などをふまえたものであろう。この問題で,単純に博多を蒙古襲来の目標地点として論じては,「経済的・文化的視点」という要求に適合しない。ではどのような観点が必要なのか。むろんこれは,世界史の入試問題だが,本稿では「博多」をテーマとした日本史の授業案を提示したい。 この授業案は,『図説日本史通覧』(以下『通覧』)巻頭東アジア全図,p.132「特集 中世日本の交易拠点-博多・蝦夷ヶ島・琉球」とそれにもとづいたワークシートを使用して展開するものである。 現行の学習指導要領日本史Bを見ると,中世の日本と東アジアに関しては,「中世国家と社会や文化の特色について,国際環境と関連付けて考察させる」とされ,具体的には,日本と東アジア世界との交流とその影響,さらにその広域世界の規模における人とモノの活発な動きに留意すべきことが記されている。よって,これらにこたえる教材として「中世の貿易の玄関 博多」というテーマは,生徒が多角的・多面的に歴史をとらえるためには適切なものになりうる。また学習指導要領の中では,文書(文献)以外の歴史資料として,絵画や地図,写真などの画像の活用が望まれており,『通覧』を立体的に活用する本教材の手法に合致すると考える。

    中世の貿易の玄関 博多

    東アジアへつながる日本史!                

     続いてp.9から12世紀の日宋貿易における貿易品を確認し,ワークシートに記入させ,両国にとって重要な品々を扱う貿易の担い手が中国海商(宋商人)だったことを理解する。また禅僧などの往来で,禅宗のみならず,喫茶の風習や陶磁器が大陸から流入したことを押さえる。さらに12世紀後半,平清盛が大宰大弐として地元筑前国の有力者(大宰府官人)を配下におさめつつ,この貿易ルートと博多の町を支配下におくにいたったことを考察する。平氏といえば,清盛の祖父正盛・父忠盛による瀬戸内海の海賊討伐が有名だが,このおもな目的は京―博多間の安全確保にあった。その後,忠盛は日宋貿易にも関与するようになったが,その子の清盛も,集積した荷の倉庫を冷泉津一帯に設けた。時代は少しさかのぼるが,p.132  「③「白磁の洪水」」は,清盛が冷泉津の鎮守として肥前国神埼から分祀した櫛田神社付近において,12世紀前半の南宋白磁が一括して捨てられたものである。

     飛鳥~平安時代の博多

     まず『通覧』p.6を開く。ここでは古代九州における那之津の港と当時の迎賓館であった鴻臚館を探し,古くからこの地が日本の玄関であったことを確認する。なお鴻臚の意味は,「外国からの賓客を迎えるとき,大声で伝達する」である。

    『図説日本史通覧』p.9

    9

  • • p.99  「⑤1179年以降の平氏の知行国」を見て,筑前国が平氏家人になっている意味を考えてみよう。

    • 同上の地図およびp.9から,博多と京都をつなぐ経路のなかで重要な地名を探してみよう。

    • p.132   「③「白磁の洪水」」を見て,これが発見された付近には当時どのような施設があったか考えてみよう。

    • 1323(元亨3)年ごろに沈没したこの船に積んであったおもな貿易品は何だろうか。また東福寺などの寺社が貿易に関係したことは,何からわかったのだろうか。

    1

    3

    日本史かわら版 第5号(2018年6月発行)

     また平清盛は,1166(仁安元)年,弟頼盛を大宰大弐として現地に赴任させ,大宰府の貿易に関する支配権を吸収した。その勢いで摂津の大輪田泊の修築を進めた清盛は,宋船を博多ではなく直接大輪田泊に呼び込む交易方法への転換に成功する。

     鎌倉時代の博多

     次にp.10~11より,ユーラシア大陸の大半を統合したモンゴル帝国の領域拡大を確認し,この統一権力によって域内の治安が安定したことを理解する。この「モンゴルの平和」のもとで通信・交通網(銀牌が通行証)も発達し,東西交易が活発になり,ユーラシア大陸を横断する広域経済が発展したことに触れる。騎馬遊牧民のモンゴルが中華本土(とりわけ先端地域の江南地方)を支配下に入れたことが,都「大都」からの「海の交易ルート」確保につながったことも重要である。また元による大規模な遠征も,上記のような商業圏の拡大を求めたという視点も紹介したい。さらに大陸の人・モノ・カネ・情報を求めていた当時の日本も日元貿易という形で,結果的に海陸にわたる交通・商業ネットワークの一環に組み込まれていっ

    たというとらえ方もしたい。 冒頭に提起した東大入試の問題における博多の位置づけの答えはここにある。軍事力でユーラシア大陸を統合したモンゴル帝国にとって,日本列島を経済的に取り込むため,博多は非常に重要な都市であった(p.132  「海に開かれた博多」参照)。またこの地の民間商人が,日本からの硫黄・砂金,大陸からの銅銭・陶磁器などを取り引きするという形式も前王朝宋の時とさして変わりはなかった。この具体例がp.10右下「蒙古襲来以後も行われた日元交易」の新安沖沈没船の事例である。寧波から博多に向っていたとされるこの船からは,中国産陶磁器2万点,中国銭28トン(約800万枚)が発見されている。木簡には京都東福寺,博多筥崎宮の文字が残るが,これらの寺社は14世紀はじめに火災に見舞われ,復興資金を得る目的で交易にたずさわったとされている。このような「寺社造営料唐船」は鎌倉の建長寺,室町時代における京都天龍寺の例がよくあげられるが,実際には寺社の委託を受けた博多綱首(この地に住んだ中国海商)が運営した交易船であるとされている。

     室町時代の博多

     p.12~13を見てみよう。明の初代皇帝洪武帝は,漢民族を中心とする伝統的な国際秩序を回復するため近隣諸国に通交を求めた。そして朝貢以外の貿易と渡航を取り締まる海禁政策をとり,倭寇に荒らされた沿岸部の治安維持をねらった。一方,足利義満はこの朝貢・海禁体制を受け入れ,冊封を受けた日本国王として貿易を開始したが,その背景には博多商人肥富らの勧めもあったといわれる。この勘合貿易では,遣明船は,明皇帝から交付された勘合をもつ船に限定された。また明は貿易の国家管理のために船の入港先を国ごとに指定しており,日本船は現在の浙江省寧波(旧名は明州・慶元)に限定され,たずさえてきた勘合は浙江布

    『図説日本史通覧』p.99 ( 監修:神戸大学名誉教授 高橋昌明 同志社女子大学名誉教授 山田邦和 )

    10

  • ヌルガン

    釜山浦乃而浦

    蝦夷ヶ島十三湊

    石見

    博多

    京都堺安濃津

    三国温泉津

    普正寺本吉輪島

    秋田

    今町岩瀬

    坊津

    北回帰線

    赤道

    那覇

    開封京兆

    済南

    寧夏涼州

    粛州

    成都武昌

    杭州

    沙州

    寧波

    南京応天府

    南昌雲南

    広州

    長沙福州

    泉州

    ハミ

    15世

    紀初

    最の明

    領域

    チャンパー

    昇竜

    大越

    塩浦漢城

    カラコルム

    ホータン

    ラサ

    パガン

    ペグー

    アヴァ

    チェンマイ

    アユタヤ

    アンコールパンドゥランガ

    パタニ

    ヴィジャヤ

    1428~1527

    1392~19101392~1910

    1351~1767

    1293~1527

    ケダー

    サムドラ

    マラッカ

    パレンバン

    ジャンビ

    ブルネイ

    ゼマ 路航のンラ

    マゼランの部下の航路

    ルソン

    シンガプラ

    マジャパヒト

    マジャパヒト王国

    アユタヤ朝

    ウイグル

    韃靼(モンゴル)

    チベット

    オイラト(モンゴル)

    日本朝鮮

    琉球王国

    0 500km

    長江

    黒竜江

    バイカル湖

    イ ン ド 洋

    海ナシ

    日本

    海ナシ

    ジャワ島

    セブ島

    スマトラ島 ボルネオ島

    樺太野人女真

    海西女真

    建州女真

    安南シャム

    パタニ

    マラッカ

    ジャワ

    パレンバン

    スマトラ

    高ルゴンモ 原

    大興安嶺

    脈山

    べ ッ ト 高 原

    ヒマラ ヤ 山 脈

    オイラトの最大領域

    90°105°

    150° 165°

    165°

    マラッカ 中国とインドを結ぶ貿易拠点として栄える。1511年にポルトガルに占拠された

    応永の外寇朝鮮が倭寇の根拠地とみなした対馬に侵攻

    三浦の乱 三浦に住む日本人が統制強化に反発し,対馬の宗氏 の援軍を得て起こした反乱。以後日朝貿易が衰退した

    1510

    志苔館 渡島半島南端にあった和人の館。道南十二館の一つ。1968 年,約38 万枚の輸入銭が出土

    十三湊 得宗家の御内人であった安藤(安東)氏の拠点。アイヌの人々と和人との交易で栄えた

    コシャマインの戦い 渡島半島東部の首長コシャマインを中心にアイヌの人々が蜂起。武田(蠣崎)信 広により鎮圧される

    1457

    1368朱元璋が建国(~1644)1368朱元璋が建国(~1644)

    対馬

    寧波の乱大内氏と細川氏が貿易権をめぐって争い,以後大内氏が勘合貿易を独占

    1419

    1523

    15°

    30°

    45°

    世界一周をめざすマゼランが,現地首長と戦い戦死

    1521

       日明貿易の交易路   琉球の朝貢路・おも   な交易路   琉球の史料にみえる   南方交易地   前期倭寇の侵入地域   (14~15世紀)   後期倭寇の侵入地域   (16世紀)   倭館が設けられた三浦「廻船式目」に記された三津七湊   三津    七湊

    安南

    北京順天府

    120°

    150°135°

    p.133

    大交易時代明の朝貢・冊封関係に参入し,優遇された条件を生かして中継貿易を展開

    p.132,161

    p.132

    p.125

    えん ぽふ ざん ほ

    かんじょう

    ちょうせん

    りゅうきゅう

    みん

    しゅげんしょう

    れい

    ない じ ほ

    え ぞ が しま

    ゆ の つ

    しょうりゅう

    だい

    こう

    シン

    アン

    リン

    あん

    れい

    こん ろん

    クン

    てん

    テン

    ルン

    ざん

    シャン

    お しま

    つしま そう

    わ じん どうなんじゅう に たて

    ほう き かきざき のぶ

    ひろ

    たけ だ

    み うちびととくそうと さ みなと

    わ こう

    がいこうおうえい

    ぽさん

    つしま

    あんどう

    かんごう

    ちょうこう

    なかつぎ

    せんきょ

    さく ほう

    ニンポー

    し のりたて

    さんしん しちみなと

    だったん

    (黎朝)

    • 博多の有力商人は,貿易関係以外にどのような政治的な活動をしていたのだろうか。

    4

    日本史かわら版 第5号(2018年6月発行)

    政司の底簿と照合されて真偽を確認された。 15世紀後半,幕府の衰退とともに,博多商人と結んだ守護大名大内氏とそれに対抗する堺商人と結んだ守護大名細川氏の貿易の実権争いの時代になったが,結果的に,1523(大永3)年の寧波の乱以降は,博多商人=大内氏連合が貿易を独占する時代が大内氏の滅亡まで30年近く続いた。

     海禁政策により明の民間商人は海外渡航を禁じられたが,その空白を埋め,積極的にアジア各地に出向いたのが,琉球王国の商人たちであった。14~16世紀,彼らが,中国と東南アジア諸国,日本などの間で中継貿易を展開し繁栄した時期を「大交易時代」とよぶことがある。ここで博多が,琉球王国と朝鮮を結ぶ貿易ルート上にあったことを地図で確認する(p.133  「交易で栄える琉球」も参照。また博多商人の中には琉球国使として朝鮮に渡った人物もいた)。 室町文化の特徴として,武家文化と公家文化,大陸文化と伝統文化の融合が進んだという点は非常に重要である。『通覧』p.134の明渡来の「曜変天目茶碗」および水墨画家牧谿による「観音猿鶴図」は,当時の武家・公家・豪商らの「唐物」崇拝の風潮を現した好例だが,これらの作品が舶来品=「唐物」の玄関である博多を介して伝来したと考えると,その重要性を認識できるだろう。 また1533(天文2)年,博多商人の神屋[谷]

    寿禎が鉛を媒剤とする精錬技術「灰吹法」を朝鮮から導入して石見銀山の開発を本格化させたことを契機に日本の銀生産量が急増したこと,輸出品としての銀が,石見銀山→温泉津→博多→寧波というルートで明に流れ込

    み,明社会の変動につながったことを考察する。

     戦国時代以降の博多

     中世の博多の繁栄は,東シナ海・黄海を包括する貿易ネットワークにつながることであり,そこでの主役は中国海商から次第に日本人化した彼らも含めた博多商人となっていった。しかし16世紀になると南蛮人が東アジアに来航し,平戸や府内さらに長崎などに海外貿易の拠点が分散化する。豊臣秀吉による復興と「朝鮮出兵」の兵站基地を経て,江戸時代に入って幕領長崎に幕府による管理貿易の窓口が限定されると,博多は国際交易の玄関という役割を終えていくことになる。

     おわりに

     室町時代の日明貿易と日朝貿易を別々にとらえるような一国史観ではなく,東アジア地域の中で中華帝国を中心とした広域の貿易ネットワークの中で日本社会の変動を追うことをねらいとした授業案である。単に「唐物」というモノだけでなく,禅や喫茶の風習などを伝えた人の往来,宋銭・明銭という輸入銭,そしてさまざまな情報がこのネットワークからもたらされたことをまず生徒に理解させたい。とりわけ13世紀中ごろ以降急激に加速化した輸入銭にたよる貨幣経済の大きなうねりが,大陸との貿易を不可避としていったこと,また大陸も日本の産物を必要としたという双方向性を押さえさせ,博多が東アジアネットワークの東の拠点だったということを確認させたい。【参考文献】上田信『中国の歴史9 海と帝国――明清時代』(講談社,2005年)河添房江『唐物の文化史――舶来品からみた日本』(岩波書店,2014年)佐伯弘次『日本の中世9――モンゴル襲来の衝撃』(中央公論新社,2003年)武野要子『博多――町人が育てた国際都市』(岩波書店,2000年)『図説日本史通覧』p.132

    『図説日本史通覧』p.12

    11