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◆図書館企画展◆ 奈良大学所蔵史料に見る 会期:2016年7月26日(火)~9月24日(土) 奈良大学図書館

図書館企画展 奈良大学所蔵史料に見る 幕 末 維 新€Œ奈良大学...図書館企画展 奈良大学所蔵史料に見る 幕 末 維 新 会期:2016年7月26日(火)~9月24日(土)

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Page 1: 図書館企画展 奈良大学所蔵史料に見る 幕 末 維 新€Œ奈良大学...図書館企画展 奈良大学所蔵史料に見る 幕 末 維 新 会期:2016年7月26日(火)~9月24日(土)

◆図書館企画展◆

奈良大学所蔵史料に見る

幕 末 維 新

会期:2016年7月26日(火)~9月24日(土)

奈良大学図書館

Page 2: 図書館企画展 奈良大学所蔵史料に見る 幕 末 維 新€Œ奈良大学...図書館企画展 奈良大学所蔵史料に見る 幕 末 維 新 会期:2016年7月26日(火)~9月24日(土)

- 1 -

はじめに

大学で学ぶ歴史とは、高校までの暗記中心のものでは

ありません。歴史を学ぶ上で基本になるのは、史料を読

むということです。「読む」というのは、書かれている

内容を理解するだけではありません。筆の勢い、文字の

かたち、紙の質、重さ…、モノとしての史料が伝えてく

れる情報は実にさまざまです。実物の史料に触れること

ではじめてわかることも少なくありません。

本物の史料に触れ、生きた歴史を学ぶことができるよ

うに、奈良大学では様々な史料を所蔵しています。本展

では、奈良大学が所蔵している古文書・史料などのなか

から、奈良と関係の深い天誅組をはじめとした幕末・維

新期の資料を紹介します。

【凡例】

一、本小冊子に掲載した資料は展示

資料と対応しているが、資料の配

列は必ずしも展示と一致しない。

一、年代表記は和暦のあとに(

で西暦を示した。

一、資料名、原資料に付されたもの

のうち、簿冊および書籍は『

』、

一枚ものは「

とし、原題の

ないものは基本的に目録などの登

録名により、括弧なしとした。

一、史料翻刻にあたっては、旧字は

新字に改め、句読点を補った。

一、本展は史学科

村上紀夫が担当

し、史料翻刻では木下光生氏のお

世話になった。準備作業では、尾

上ひかる氏、松迫寿氏、吉原智香

氏、太田均氏、長谷川知貴氏、宮

平真央氏、吉竹智加氏、展示作業

にあたっては日本史史料実習Ⅰの

受講生のみなさんにご協力をいた

だいた。記して感謝申し上げる。

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天誅組

京都で尊攘派による「天誅」と呼

ばれる殺害事件が相次いでいた文久

三年(一八六三)、孝明天皇が攘夷祈

願のために大和へ行幸するという決

定が下りました。これをうけ、公家

の中山忠光、土佐の吉村寅太郎ら尊

王攘夷激派が挙兵し、八月一七日に

幕府の大和代官所などを襲撃する事

件が起こりました。

こうして蜂起した集団は天誅組(天

忠組とも)と呼ばれ、本陣を五條御

政府と称し、周辺の村役人には年貢

半減や帯刀許可などを訴えて広く参

加を呼びかけていきました。しかし、

京都で会津藩・薩摩藩を中心とした

公武合体派が尊攘派を一掃するクー

デター、八月十八日の政変が起こる

と劣勢となり、和歌山藩などからな

る幕府方に包囲されました。形成は

逆転することなく、九月二四日に吉

村寅太郎らは討ち死にします。

挙兵から一ヶ月あまりで壊滅しま

したが、天誅組は、尊王攘夷派によ

る最初の武装反乱であり、幕末の奈

良を主な舞台とした歴史的な事件で

した。

1『日本畧史圖中山忠光公・吉

村寅太郎重郷』

明治一一年(一八七八)、二代長谷川

貞信画の錦絵。「天誅組」の指導者で

あった中山忠光公と吉村寅太郎重郷

の姿を描く。絵師の長谷川貞信は幕

末から近代にかけて上方で活躍した。

■奈良大学図書館蔵

大和書状

文久三年(一八六三)九月一二日、「大

和」と称する人物による天誅組の乱

について知らせる書状。本資料の旧

蔵者は筆者「大和」とは長州藩士の

大和国之助ではないかと比定してい

るが確証はない。冒頭に「当国之騒

動」とあることから、筆者は大和国

で間近に見ていたと思われ、臨場感

にあふれた文章となっている。筆者

は書状を執筆した際、筆者は桧川御

坊(吉野郡西吉野村陰地

円光寺)

に身を寄せており、様子を間近に目

にしていたようで、戦況はもとより、

噂や周辺の被害状況まで非常に詳細

に記している。

■奈良大学史学科蔵

【釈文】

一当国之騒動中ニ筆紙ニ

尽し難ク次第〳〵ニ大変ニ相成

日夜ニ様子相替り候

御大名様方追々二番手

三番手御出陣、彦根様

藤堂様、郡山様、紀州様

其外小泉亦ハ江刕膳所様

或ハ二千人、三千人御出張、高鳥

ハ何時城責も難斗、昼夜

一家中上下共鎧兜ニ而御固メ

大筒鉄炮切火縄此間五條より

下市上市江押寄せニ相成、天忠組

浪人ハ不残吉野山中、十津川

江引籠候ニ而、追々責寄せ

日夜敵味方或ハ討取、或ハ

搦捕手負死人数多ニて、当

御坊門前ハ昼夜共早馬早駕籠

早使注進之者、抜身ニて通り

絶間無之人馬馳違ひ、兵粮

其外、武之者持運ヒ人足通行

引もきらず、諸大名様方

御使、誠ニ美々敷、京都より

上使等東海道同様過ル

七日、五條奥ふき与申六七拾軒

之村方、紀刕之陣所江浪人より

夜討不残焼払、紀刕方

百人斗討死、同九日夜下市

彦根陣所江浪人より夜討ニ而

下市不残焼払、彦根之大筒

鉄炮、煙硝其外、兵粮等、浪人方江

奪取、彦根家中多人数討死

焼死、下市之者丸焼、又ハ老人

子供うろたへて焼死、哀なる

事ともなり、郡山・藤堂ニも

浪人討取生捕も少々有之候へ共

何分追々浪人方評判高く

今日之噂ニハ多武峯を借受ニ

三四十人

参り候由、尚一昨夕土佐町江

張帋、高鳥城下両三日之内

ニ焼払城責与申事ニ而

土佐ハ大騒動、昨日より城下家中

町人不残家財道具皆々

遠方江預ケニ参り、今日之噂

ニハ浪人ニ焼れぬ内、高鳥より城下

焼払、家中ハ不残山城江籠る

与申噂、又昨日八木見瀬其外

村々何方共知れぬ廻文、近日

焼払ニ而早々立退候様と申

文言右ニ付追々、此辺江押移り

申候ニ而、何時も立退之用意之長持

其外提灯迄用意、明日ハ

勅使高鳥江御下向、尚彦根様

三番手出陣、何所とも無之

皆々昼夜身拵ヒ致し、何時も

駈出し候積りニ御座候、吉野郡

法中ハ一ヶ寺〳〵天忠組より味方

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ニ而可申付、跡ハ寺ハ焼、住持ハ

討取可申事ニて、過半味方

ニ参り候由、藤谷様ハ去月

廿九日より逃ケて上京ニ御座候

吉野郡広橋与申所人家

不残焼払、寺も一ヶ寺焼払也

桧川御坊も焼失其外数ヶ寺

焼払候由、恐敷事ニ御座候

拙方ハ高鳥近辺之事ニ而

何時陣所ニ移りニ参り候義

難斗今更之難も油断

不相成、昼夜案居申候、扨々

不定之世界なり

亥ノ九月十二日

大和

和州高取城下天誅組関係写本

写本、著者は不明だが、天誅組によ

る高取攻撃の八月二六日頃からの戦

況を伝えている書状などを書き写し

たもの。高取藩主植村家保に宛てた

書状などが掲載されていることから

高取藩周辺でまとめられたものでは

ないかと思われる。冒頭には高取藩

士が応戦すると天誅組が敗走したこ

とを伝えている九月二日の書状が掲

載されている。その後、天誅組は劣

勢となっていき、天ノ川辻に退却す

るが、次第に幕府方に包囲されてい

く。

■奈良大学図書館蔵

天誅組吉野図

年未詳。天誅組が立て籠もった吉野

周辺の様子を描く。天川を中心に周

辺の道や集落を描く。朱で「八月廿

九日浪士不残焼払」「九月五日浪士大

砲放発、不残焼尽」などの生々しい

被災状況が書き込まれている。筆者

などは不明だが、戦闘を間近に見た

人などから詳細な情報を入手しうる

立場のものが記したものと考えられ

る。朱を伴わない、墨書きのみのも

のもある。

■奈良大学図書館蔵

5「大和御固御陣所」

年未詳、板本。「天誅組」の鎮圧に出

動した幕府方の布陣を記したもの。

布陣場所と担当した大名の名前、家

紋と動員した兵力数などが記されて

いる。判は小さく、版元の名前など

は全く記されていないが、天誅組の

乱の知らせをうけ、迅速に情報を求

めていた人びとへ向けて摺られた瓦

版のようなものと思われる。

■奈良大学図書館蔵

6『大和日記』

明治三〇年(一八九七)刊、板本。

文久三年(一八六三)の天誅組の挙

兵から敗戦、九月二七日に中山忠光

が長州へ逃れるまでの経緯を記した

日記。著者は不明。巻末の「付言」

によれば松本謙三郎を著者とする写

本もあるようだが、松本は九月一一

日の戦いで死亡しているため合致し

ない。写本や活字本を校合して刊行

された本書に掲載する明治二九年(一

八九六)の跋文には「右大和日記一

巻ハ半田君紋吉ノ筆」とある。いず

れにしても、臨場感のある内容から

実際に天誅組に加わっていた人物が

書いたものであると考えられている。

■奈良大学図書館蔵

7「大和徒党騒動記」

写本、作成者未詳。年貢半減を伝え

る天誅組の高札をはじめ、天誅組関

連の文書・触書・書状など書き留め

たもの。ところどころに朱で訂正が

加えられている。とりわけ「和州一

揆浪人役割」とした天誅組の役職者

名を記した箇所では、人名の訂正は

もとより出身藩や別名などが朱で詳

細に加筆されており、関心の高さが

うかがえる。巻末には斬首が命じら

れた「大和浪士」一九名の名前と三

名の辞世の句が掲載されている。

■奈良大学図書館蔵

三条実美書幅

三条実美は尊攘派としてしられた公

家のひとり。天誅組の中山忠光は八

月一七日に五條代官所襲撃を前に挙

兵成功を祈願した際、三条実美に宛

てて書状を出している。しかし、文

久三年八月十八日の政変によって朝

廷を追われ、京都を離れて長州藩に

匿われた。維新後は中央政界に復帰

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し、議定、副総裁、右大臣、太政大

臣、内大臣などの要職に就いた。

■奈良大学史学科蔵

三条実美書翰

明治一

(一八

七七~

八)一

二月二

七日、

京都府

知事槇

村正直

宛。京

都の鳩

居堂に

三条家

伝来の

香の製法を伝えたこと、槇村から依

頼された京都博物館の額の揮毫のこ

となどについて記している。薫香は

「遊戯之物」ではあるが、「数百年来

之伝方」であり、失われるのも遺憾

だったので、鳩居堂に伝授すること

ができたことを喜び、「亦風流之一奇

事」としている。

なお、この書翰については小林丈

広「明治維新後の熊谷家」(『文化学

年報』第六五輯、二〇一六年)で紹

介されている。

■奈良大学史学科蔵

【釈文】

両度之芳翰落手

忝披閲仕候、先以厳

寒之砌、倍健康奉

職遙賀之至ニ存候、

鳩居堂直行義も早速

上京香方相授、大

慶仕候、猶従当人

直聴有之度候、薫香

之義も遊戯之物ニハ

候得共、数百年来之

伝方湮滅候も遺憾

之次第、幸鳩居堂先代

より篤志之者故、此度

相伝、永く製方ヲ伝

候得ハ、亦風流之一奇

事歟と存候

香炉之事、早速下絵

被相廻忝存候、朱圏点付

置候通申付有之度候、

博物館額并足下付

嘱之揮毫ハ猶来場

相認差送可申と存候、

幸便回答旁一筆

奉呈候也

十二月廿七日

梨堂

龍山人足下

二伸、時下寒冷相募

折角加護専祈候

「南都御役録」

10安政七年(一八六〇)、かせや治助板。

天誅組の乱に先立つこと三年の安政

七年(一八六〇)における奈良奉行

や与力、代官などの職員録。天誅組

と闘った高取藩の植村家保の名前が

見えている。五條代官として松永善

之助の名前が記されているが、天誅

組当時の代官は鈴木源内。五條代官

は文久二年(一八六二)に松永から

鈴木源内に交替した。

■奈良大学史学科蔵

長州藩と禁門の変

長州藩を中心とした尊攘派は文久

三年(一八六三)八月一八日の政変

によって京都から追放され、それま

での勢いを失っていました。長州藩

内では尊攘運動を進めようとする「正

義派」と幕府恭順を訴える「俗論派」

に意見がわかれて対立するようにな

りました。しかし、翌年の元治元年

(一八六四)六月に勢力挽回を画策

するため上洛していた長州藩士や志

士たちが京都の池田屋で襲撃される

と藩内でも強硬意見が強まっていき

ました。こうして長州藩は兵を率い

て京都に上り、会津・薩摩藩を中心

とした公武合体派と京都で衝突しま

した。

七月一八日夜半に軍事行動を起こ

しましたが長州藩は敗走。この戦闘

によって京都では大火に見舞われ、

多くの被害を出しました。この事件

を禁門の変といい、第一次長州征討

につながっていきました。

『甲子兵燹圖』上・下

11明治二六年(一八九三)、田中治兵衛

刊、板本。元治元年(一八六四)の

禁門の変にともない京都の火災の様

子を描いたもの。京都の絵師、前川

五嶺が実際に目の当たりにした光景

を描いた絵を森寛斎の門人であった

森雄山が縮小して模写したもの。上

下二巻からなり、上巻は戦闘の様子

や焼失する洛中、市外へ逃れる人び

との姿を描き、下巻は戦闘が終わり

復旧作業の様子が描かれ、平穏を取

り戻した新年の風景で結ばれる。こ

の作品の版木を所有していた「尊攘

堂」は、吉田松陰の元門弟で内務官

僚だった品川弥二郎が明治二〇年(一

八八七)に、殉難志士の霊を祀るた

めの施設として設立した。志士の史

料、遺墨、遺品などを収集していた。

■奈良大学図書館蔵

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『洛中大火夢物語』

12元治元年(一八六四)刊、板本。禁

門の変の経過とその後の被害状況な

どを記したもの。火災の様子を描く

挿絵のほか、京都の被災地域を朱で

記した地図が掲載されている。御所

南側の丸太町通り以南、堀川通り以

東の広大な地域が焼失したことがわ

かる。

■奈良大学図書館蔵

幕末の世相

文久二年(一八六二)頃には安政の

大獄で幕府から弾圧を受けていた尊

攘派の志士達が、「天誅」と称して公

武合体派の人物や幕府の協力者、目

明かしなどを殺害する事件が相次ぎ

ました。その後の京では、八月一八

日の政変、禁門の変、大政奉還と幕

末の政治史を画する様ざまなできご

とが起こります。こうしたなか、上

方で暮らす庶民たちは治安の悪化や

物価の上昇に苦しみながらも、噂や

瓦版、錦絵などを通して時代の変化

を感じていました。

神功皇后三韓征伐御調練之図」

13慶応四年(一八六八)、二代

長谷川

小信画。絵師の長谷川小信は上方で

活躍した浮世絵師。『日本書紀』など

に見えている神功皇后の「三韓征伐」

にともなう「調練」に見立てて当時

の情勢を描いた錦絵。明治天皇によ

る大阪行幸を神功皇后の歴史画に仕

立てている。画面右の傘の下で顔が

描かれていない人物が神功皇后だが、

左側の西洋式軍艦などから古代の様

子ではないことは明らかである。戊

辰戦争で官軍が手にした「錦の御旗」

も描かれる。背景に武庫山・和田岬

などが見えており、大阪湾の景観で

あることがわかる。五箇條の誓文布

告から間もない慶応四年(一八六八)

三月二一日、明治天皇は鳥羽・伏見

の戦いで敗走した旧幕府軍を討征す

ることを名目として大阪へ行幸し、

天保山で軍船の訓練などを見ており、

その様子を描いたもの。嘉永五年(一

八五二)から明治五年(一八七二)

の上方における世相を書き留めた藤

之井蓮吉なる人物による『珍聞書』

に張り込まれていたもの。

■奈良大学史学科資料室蔵

京都・大坂風聞書

14原題を欠くので表題は仮のもの。万

延元年(一八六〇)から文久三年(一

八六三)にかけて上方で相次いだ「天

誅」と呼ばれる暗殺事件などの様子

を絵入りで描き、状況やその時に掲

げられた捨札なども書き写している。

幕末期の京都近郊農村庄屋の日記を

見ると暗殺事件の噂を聞くと、現場

へ出かけて様子をスケッチしたこと

などが記されている。京都には、怖

いもの見たさもあってか、こうした

血なまぐさい事件に関心を持ってい

た人も少なくなかったことをうかが

わせる。写真は文久三年(一八六三)

に平田派国学の門人たちが京都の等

持院にあった足利尊氏・義詮・義満

の木像の首と位牌を盗み出し、逆賊

とする罪状とともに鴨川に晒した事

件の様子。この事件を機に幕府の取

締りは強化されていく。

■奈良大学史学科資料室蔵

明治期の書翰

ここでは、明治に活躍した政治家な

どの書翰を紹介します。政治家や有

力者の書翰は、その時々の政治的な

情勢や思想などを生き生きと伝える

貴重な記録でもあります。

品川弥二郎書翰

15品川弥二郎は長州藩出身で吉田松陰

門下、維新後は要職を歴任、第一次

松方内閣では内務大臣を勤めるも明

治二五年(一八九二)の第二回衆議

院議員総選挙で激しい選挙干渉を行

い、批判を受けて辞任。本資料は品

川から京都府知事の北垣国道に宛て

て出された書翰。民権派の政党であ

る立憲改進党と自由党が「改自合同」

し超然主義を称える政府と対立して

いるが、「内実ハウロウロ」しており、

政府は「一歩も譲らぬ」ので、京都

府下選出の議員が「ブラツカヌ」よ

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うに注意してほしいと要請している。

■奈良大学図書館蔵

【釈文】

引続キ御配神奉察候、

議会も真ニ表面上

改自

の合同ニテ、内実ハウロ〳〵

ト騒き立テ居候為体

ニ被存候、政府ハ今年

ヨリ一歩も譲らぬ

覚悟、ヤヽおもしろき

芝居ナリ、御安神ア

リタシ○北野の宮司

死去可惜々々、コノ代リ

ニ定メシ沢山之望ミ

人可有之候得共、コノ後

任ニハ仙台ノ有名ナル

勤王家三好監物之

子息三好法徳と

申モノヲ御採用被下

度、人物適任ナル事

(品川弥二郎)

ハ十分ニ

ガ保証

仕候、且ツ監物の霊

ヲ慰ムル為メニモ是非

御聞届けヲ御願候

履歴書ハ後ゟ送り

可申候、為其匆々頓首

(品川弥二郎)

十二月廿日夜

北垣様侍

緊急ノ二

勅令ヲ最初ニナゲ

ダシタルニハ真ニ議員

等ガ持チアマシテ居ル

ナリ、此後もスキ間ナク

政府ゟ働らきかけ

の仕事ヲスル積りなり、

御府下

撰出議員等ブラツ

カヌ様ニヨキ折りもア

ラバ御注意之□可被下候

岩倉具視書翰

16公武合体派の公家として活躍し、大

久保らと王政復古を画策。新政権樹

立後は大納言などを経て右大臣とな

る。条約改正と米欧視察のための特

命全権大使として欧米を巡察した。

本資料は面会を求めていた北垣国道

に対して岩倉が明朝に来るよう伝え

たもの。

■奈良大学図書館蔵

【釈文】

前略、先日者早速御来

訪忝存候、其後御案内

可申入之処、繁多意

外延引候、乍御苦労

明朝八時三十分御入

来被下度候、仍而草々

已上十

二月十二日

具視

北垣国道殿

伊藤博文書翰

17伊藤博文は長州藩出身で維新後は初

代内閣総理大臣に就任。本資料は伊

藤から京都府知事の北垣国道に宛て

て出された書翰。清岡公張の仕事ぶ

りに山階宮が「不満足」という話を

聞きつけた伊藤が、北垣に対して内

々で山階宮の意向を聞くよう要請し

たもの。皇族の最長老であった山階

宮に対する配慮がうかがえる。文末

に翌年正月に大磯の別荘へ転居する

ことを伝えていることから、伊藤が

大磯の滄浪閣に移住する明治三〇年

(一八九七)の前年に出されたもの

であると思われる。

■奈良大学史学科資料室

【釈文】

窺年御繁忙進察

仕候、御面倒之儀ニ候

処、御帰京前山階

宮江御内謁被下、同宮

別当清岡公張之

事極密ニ御尋可

被下候、竊ニ小松宮

ヨリ承候処、清岡

奉職上山階宮殿

下御不満足之事

有之哉ニ候ニ付而ハ難

打捨置、尤本人

之名誉ニ関候事

ニ付、御他言御無用ニ

候、此段内密及御依

頼候、七十有余之御老

體之事ニ而、皇族

中最高寿之御方

何等御不快之事

無之様仕度、小子

婆心ニ不過候、先ハ

御依頼迄、早々頓首

十二月三十日

博文

北垣国道殿

再伸、小子も過日

快療へ医師之

勧告ニ依り一月

一日ヨリ大磯□

崎別業借用

同地ニ転居之筈ニ候

御降慮可被下候

五代友厚書翰

18五代友厚は薩摩藩出身、慶応元年

(

八六五)

には藩に命じられヨーロッパ

を視察、維新後は政商、実業家とし

て活躍。本資料は五代が森有礼に宛

てた書翰。九月八日に森が「登京」

と聞き、「別封」の手紙とともに一八

日に五代も「登京」することをを伝

える。

■奈良大学史学科資料室

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展示資料一覧

1『日本畧史圖中山忠光公・吉村寅太郎重郷』

■奈良大学図書館蔵【閉架】紙媒体資料-2F 210.58/H36

2 大和書状 ■奈良大学史学科蔵

3 和州高取城下天誅組関係写本 ■奈良大学図書館蔵【閉架】奈良-1F 210.58/W44

4 天誅組吉野図 ■奈良大学図書館蔵【閉架】紙媒体資料-2F 210.58/Y92

5「大和御固御陣所」 ■奈良大学図書館蔵【閉架】紙媒体資料-2F 210.58/Y45

6『大和日記』 ■奈良大学図書館蔵【閉架】奈良-1F 210.58/Y45

7「大和徒党騒動記」 ■奈良大学図書館【閉架】216.5/Y45

8 三条実美書幅 ■奈良大学史学科蔵

9 三条実美書翰 ■奈良大学史学科蔵

10「南都御役録」 ■奈良大学史学科蔵

11『甲子兵燹圖』上・下 ■奈良大学図書館蔵【閉架】和図書-1F 210.58/Ma27/1・2

12『洛中大火夢物語』 ■奈良大学図書館蔵【閉架】和図書-1F 910.25/R12

13「神功皇后三韓征伐御調練之図」 ■奈良大学史学科蔵

14 京都・大坂風聞書 ■奈良大学史学科蔵

15 品川弥二郎書翰 ■奈良大学図書館蔵【閉架】保存庫 210.6/Sh58

16 岩倉具視書翰 ■奈良大学図書館蔵

(京都府知事北垣国道来翰集のうち【閉架】保存庫 210.6/Ky6)

17 伊藤博文書翰 ■奈良大学史学科蔵

18 五代友厚書翰 ■奈良大学史学科蔵