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アジアフォーラム21 ANNUAL REPORT 1 第6回アジアフォーラム21 東南アジアから見たASEAN 拓殖大学 国際学部教授 岩崎 育夫 拓殖大学の岩崎です。皆様は企業や研究所関係の方で しょうから、東南アジアとか ASEAN の経済や企業、こ れから ASEAN 経済共同体がどうなるのかということに 関心を持っているかもしれません。 今日のタイトル、『東南アジアから見た ASEAN』。こ れは何か分かったような、分からないような、と思うか もしれません。例えば、EUがあります。EUとは何か というと、もちろん共同体の中身があるのですが、ヨー ロッパの国々が創った地域機構です。ASEAN も当たり 前のことですが、東南アジアの 11 カ国が創った地域機構です。ASEAN 経済共同体が注目 されていますが、 ASEAN とは一体何なのか、これからどういう方向に向かうのかというこ とを考える際に、東南アジアの 11 カ国の政治や経済、歴史文化を知っておく必要があるの ではないか、そこで、『東南アジアから見た ASEAN』というタイトルを付けたわけです。 最初に、東南アジア 11 カ国はそもそもどういう特徴を持った国なのかということをお話し した後、二番目に ASEAN はどういうふうに創られて、どういうふうに発展してきたのか、 三番目に現在 ASEAN にはどういう問題があるのか、四番目は課題と展望で、東南アジア ASEAN を絡めながら、課題は何か、どこに行こうとしているのか、という順番で話を進 めていきたいと思います。 .東南アジア11カ国の概要 最初に「東南アジア 11 カ国の概要」です。東南アジアには 11 カ国あります。表に国名が 書いてありまして、シンガポールが1番上で、1番下がカンボジアとなっています。普通こ んな表の作り方はしないのですが、これは何の表かというと、一番左「一人当たり国民所得」、 要するに豊かさですね、豊かさのランク付けです。普通、地域の国のリストを作るときに面 積や人口が多い順番に作る、そうするとインドネシアが一番上にくるのですが、この表から 11 カ国は経済的にかなり違うことが読み取っていただけると思います。

東南アジアから見たASEAN...アジアフォーラム21 ANNUAL REPORT 1 第6回アジアフォーラム21 東南アジアから見たASEAN 拓殖大学 国際学部教授 岩崎

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アジアフォーラム21ANNUAL REPORT

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第6回アジアフォーラム21

東南アジアから見たASEAN

拓殖大学 国際学部教授

岩崎 育夫

拓殖大学の岩崎です。皆様は企業や研究所関係の方で

しょうから、東南アジアとか ASEAN の経済や企業、こ

れから ASEAN 経済共同体がどうなるのかということに

関心を持っているかもしれません。

今日のタイトル、『東南アジアから見た ASEAN』。こ

れは何か分かったような、分からないような、と思うか

もしれません。例えば、EUがあります。EUとは何か

というと、もちろん共同体の中身があるのですが、ヨー

ロッパの国々が創った地域機構です。ASEAN も当たり

前のことですが、東南アジアの 11 カ国が創った地域機構です。ASEAN 経済共同体が注目

されていますが、ASEAN とは一体何なのか、これからどういう方向に向かうのかというこ

とを考える際に、東南アジアの 11 カ国の政治や経済、歴史文化を知っておく必要があるの

ではないか、そこで、『東南アジアから見た ASEAN』というタイトルを付けたわけです。

最初に、東南アジア 11 カ国はそもそもどういう特徴を持った国なのかということをお話し

した後、二番目に ASEAN はどういうふうに創られて、どういうふうに発展してきたのか、

三番目に現在 ASEAN にはどういう問題があるのか、四番目は課題と展望で、東南アジア

と ASEAN を絡めながら、課題は何か、どこに行こうとしているのか、という順番で話を進

めていきたいと思います。

1.東南アジア11カ国の概要

最初に「東南アジア 11 カ国の概要」です。東南アジアには 11 カ国あります。表に国名が

書いてありまして、シンガポールが1番上で、1番下がカンボジアとなっています。普通こ

んな表の作り方はしないのですが、これは何の表かというと、一番左「一人当たり国民所得」、

要するに豊かさですね、豊かさのランク付けです。普通、地域の国のリストを作るときに面

積や人口が多い順番に作る、そうするとインドネシアが一番上にくるのですが、この表から

11 カ国は経済的にかなり違うことが読み取っていただけると思います。

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「大きく異なる国土面積と人口」を説明しますと、国土面積が一番大きいのがインドネシ

アで 191 万平方キロメートル。といわれてもイメージが浮かばないでしょうから、参考と

して日本を挙げておきました。38 万平方キロメートル。ですから日本の5倍くらいになり

ます。一番小さいのがシンガポールで、700 平方キロメートル。どのくらいかというと東京

23 区です。要するに東南アジアは、国土面積がまったく違い、大の国から小の国までバラ

バラです。人口も一番多いインドネシアが2億 6058 万人。世界でも四番目ですね。中国、

インド、アメリカ、インドネシアの順。ということは、インドネシアは世界的に見ても、人

口大国なのです。人口が一番少ないのはブルネイで 43 万人しかいない。このように東南ア

ジアの国々は国土面積と人口がかなり違います。 民族と言語、宗教も異なります。仏教の国、これは東南アジアの大陸部、タイやミャンマ

ーがそうです。イスラーム教の国はインドネシアやマレーシア。キリスト教の国はフィリピ

ン。それからあまり知られていませんが、東ティモールの人口はそんなに多くないのですが、

国民の 99%がキリスト教徒です。東南アジアでキリスト教国というとフィリピンが思い浮

かぶのですが、フィリピンは 90%しかいません。残りの 10%は、南部のインドネシアに近

い地域はモロというのですが、これはイスラーム教徒です。ということで東南アジアは宗教

の点でも全くバラバラです。東アジアは日本や中国、韓国などですが、これは儒教が宗教か

と言われると困りますが、仏教や儒教という点で東アジアは共通性がある。南アジアはイン

ドのヒンドゥー教、それとパキスタンのイスラーム教があり、この二つが大きな宗教です。

その点で東南アジアは世界の様々な宗教が密集している地域なのです。 なぜこんなに宗教が違うのか一言で言うと、歴史過程ですね。中東からイスラーム教が伝

わってきた、そしてヨーロッパに植民地化されてキリスト教が伝わってきた。その前、植民

地化される前に、インド、正確にはスリランカから仏教が伝わってきたというふうに、東南

アジアは外からの影響がものすごく強い地域です。これは話が地域研究にいってしまいま

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すが、中国は儒教など中華思想、要するに自分の国の歴史文化が中心になって国が創られま

した。インドもイスラーム教が途中から入ってきますが、ヒンドゥー教を中心に南アジアの

歴史文化が展開されてきた。これに対して、東南アジアはインドの影響を受ける、中国の影

響を受ける、中東の影響を受ける、ヨーロッパの影響を受ける、要するに世界中から影響を

受けたわけで、宗教の点でも東南アジアはバラバラだということが分かっていただけると

思います。 次に「異なる政治と経済」です。 最初に言っておきますと、現代は民主主義があらゆる国の原理です。東南アジアにも民主

主義の国があり、本当にそれが民主主義なのかという疑問が起こるし、最後のまとめの展望

のところで言ってみようと思いますが、形の上ではインドネシアやミャンマーは民主主義

の国に分類されます。社会主義の国が、ベトナムやラオスです。軍政の国は、軍が権力を握

っているもので現在のタイがそうですし、王制の国は、中世のように王様が絶対的権力を握

っているもので、これはブルネイです。シンガポールは権威主義体制の国ですが、これは話

がこんがらがるので止めます。要するに、ヨーロッパの国は基本的に民主主義の国がほとん

どですが、東南アジアは何でもありなので、政治体制もバラバラだということが分かってい

ただけると思います。 経済は、東南アジアは経済発展が著しく基本的にほとんどの国が工業国になりましたが、

農業が中心の国もまだあります。カンボジアとラオスがそうです。産油国はブルネイと東テ

ィモールです。これはあとでまた言いますが、ブルネイは東南アジアでは2番目に国民が豊

かな国です。なぜかというと、石油があるからです。一人当たり国民所得のランクからする

と、東ティモールは4番目で、インドネシアよりも豊かです。その理由は簡単で、石油と天

然ガスがあるからです。そのため、東ティモールも産油国ということがいえます。シンガポ

ールは工業国あるいは金融センターですが、歴史的には貿易で発展してきました。東南アジ

アの国は全て海に面していて、歴史的に貿易を中心に発展してきたのですが、ラオスだけは

内陸山岳国で、山に閉じ込められて資源もほとんどなく、貧しい国です。要するに、東南ア

ジアは経済活動も、歴史的にも現代も本当にバラバラなのです。 さきほど 11 カ国の国別序列を付けましたが、今みたようにシンガポールが一番豊かで、

ブルネイ、マレーシア、タイと続きます。ここからどういうことが言えるかというと、小国

です。人口が少なく面積が小さい国ほど、東南アジアは豊かなのです。現代では経済が発展

するには、資源や人口がある国が有利なのですが、1番人口が多いインドネシアは真ん中で

す。2番目に人口が多い国はフィリピン、ベトナムは3番目に多い国ですが、この辺の国も

真ん中辺りにウロウロしています。ですから、東南アジアは、小国、国土面積が小さくて人

口が少ないほど実は国民が豊かで、一般的に考えられている国土が広くて人口が多い国は、

東南アジアでは真ん中辺りに固まっている、という特徴があります。 11 カ国の概要をまとめますと、今みたように、国土面積や人口や政治、経済社会の特徴

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という点で、東南アジアの国は本当にバラバラなのです。一人当たり国民所得も一番高いシ

ンガポールと、一番低いカンボジアを比べると、カンボジアはシンガポールの 50 分の一し

かなく、経済力がまったく違うことがわかります。 今日のテーマは ASEAN ですが、ASEAN はこの全く基礎構造が異なる 11 カ国が創った

ものなのです。では、なぜ ASEAN を創ったのかということと、歴史文化や政治、経済が全

く違う 11 カ国がつくった地域機構の ASEAN は、活動においてどういう特徴や問題がある

のかが、今日の話のポイントになりますが、それはこれからの話の中で説明してみたいと思

います。 以上が東南アジア 11 カ国の概要です。次に ASEAN の発展過程にいきます。

2.ASEANの発展過程

1967 年8月8日にインドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンの5カ

国が ASEAN を創り、これが今日の ASEAN 経済共同体に至ったものです。なぜこの5カ

国が ASEANを創ったのかということですが、4段階過程を経て現在に至ったものなので、

それを簡単に話してみたいと思います。 なぜ 1967 年に5カ国が ASEAN を創ったのか、レジュメに、東南アジアは独立後、自由

主義国と社会主義国に分裂して対立したと書いてあります。再び歴史の話になりますが、東

南アジアは 11 カ国のうち、タイを除いた全ての国がヨーロッパ諸国に植民地化されて、第

2次世界大戦後に独立したのですが、独立国家になったからそれで全てうまくいったとい

うことではなく、ご存知のように冷戦が始まりました。冷戦が始まると 11 カ国は、アメリ

カの自由主義陣営の国と、ソ連、中国の社会主義陣営の国に分かれて対立します。ASEANはこの冷戦の中から生まれたものです。直接的な具体的なきっかけは何かというと、1965年のアメリカのベトナム介入です。ベトナムは、北ベトナムの共産主義国と南ベトナムの反

共自由主義国に分裂して対立したのですが、アメリカは北ベトナムによってベトナムが統

一されるのを防ぐために介入した。これがベトナム戦争です。ベトナム戦争が始まると、イ

ンドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンの反共国は、ベトナム戦争にお

けるアメリカの軍事行動を支援する、後方支援するために組織を創りましょうということ

になり、1967 年 8 月に ASEAN が発足しました。言い出したのはタイです。なんでタイか

というと、タイはベトナム・カンボジア・ラオス、いわゆるインドシナ三国に国境を接して

います。そのためベトナム戦争が始まると、タイが一番危機意識を持ちまして、もしベトナ

ムで共産主義が勝ち、カンボジア・ラオスが共産主義化したならば、次に必ずタイに共産主

義化が及んでくる、それはなんとしても防がなければいけないということで、他の4カ国に

呼びかけまして、ASEAN を創ったのです。ASEAN はベトナム戦争におけるアメリカの軍

事行動を支援する組織、反共同盟として創られたものなのです。それが最大の目的、かつ唯

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一の目的でした。現在でこそ、経済協力とか経済開発とか、ASEAN 共同体などと言ってい

ますが、当初は経済協力なんて話は一切ありませんでした。これが第1段階です。 このように、結成当初は組織だった活動はなかったのですが、ご存知のように 1975 年に

アメリカがベトナムから撤退すると、ベトナムが統一されます。ベトナムが社会主義国にな

っただけではなくて、カンボジアとラオス、これは旧フランス植民地ですが、一緒に共産主

義政権が誕生した。そうするとタイを始めとして ASEAN5カ国が危機意識を持ちまして、

自分たちの国の共産主義化を防ぐにはどうしたらいいか、軍事力を強化してベトナムに対

抗するのではなくて、経済開発を進めて豊かになれば、国民が共産主義に惹かれることはな

いだろうということで、経済開発に力を入れます。そのためには、各国が頑張るだけでなく、

5カ国が協力して経済開発を進めようということになった。ベトナムの統一を受けて、1976年に ASEAN は経済協力機構に転換したのです。これが現在の ASEAN の実質的な始まり

です。 もう一つ言っておくと、ここ 10 年くらい、ASEAN は首脳会議や何々会議とか、毎年覚

えられないくらい、会議がたくさん開かれていますが、ASEAN5カ国の首脳―大統領や首

相―が集まった会議は第1段階では一度も行われていない。経済協力機構に転換したときに、

これから緊密な経済協力を進めるにはお互いに知らなければいけないということで、初め

て首脳会議が 1976 年にバリで開催されたのです。また、5カ国が緊密な協力をするには、

活動を調整する事務局が必要だということで、ASEAN 中央事務局が 1976 年に初めて創ら

れました。どこにあるのか、インドネシアのジャカルタです。最初の首脳会議がバリ島、

ASEAN 中央事務局がジャカルタということは、ASEAN は表向きは5カ国が対等な組織で

すが、実際には影のリーダーはインドネシアといえます。なぜインドネシアなのか、これも

簡単です。表で見たように、国土面積が最大で、人口も最大ですよね。もちろんアジアや世

界のなかでみると、インドネシアは別に大国ではないのですが、東南アジアのなかでは超大

国です。ということで、インドネシアを軸にして ASEAN の組織化が始まりました。これが

第2段階です。 1990 年前後になると冷戦が終わります。これによって、アメリカの自由主義陣営国とソ

連の社会主義陣営国の対立が終わり、ソ連が崩壊してロシアになった。これが東南アジアに

も波及します。それまで ASEAN にとって最大の脅威は、ベトナム、ラオス、カンボジアの

社会主義国だったのですが、冷戦が終わるとベトナムは 1995 年に、ラオスが 1997 年に、

カンボジアが 1999 年に加盟します。この間に、ミャンマーも 1997 年に加盟しています。

このように冷戦が終わると、それまで ASEAN の自由主義国と対立していた社会主義国が

一斉に加盟したのです。これらの国が、なぜ加盟したかということは後で説明するとして、

その前にもう一つ。ASEAN は、ご存知のようにブルネイと東ティモールも加盟しています。

ただし、東ティモールは加盟国ではなくてオブザーバーですが。ブルネイは 1984 年に加盟

しましたが、どうして 1984 年なのか。ブルネイがイギリスから独立したのが 1984 年だか

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らで、独立するとすぐ加盟したのです。東ティモールは 2002 年とかなり遅いですが、なん

で遅いかというと、東ティモールの植民地宗主国はポルトガルだったのですが、ポルトガル

は 1974 年に民主化が起こると、植民地の独立を認めます。東ティモールはこれで独立でき

ると喜んだのですが、植民地化前はインドネシア世界に属していたので、インドネシアが強

制的に東ティモールを併合してしまいました。その後、1997 年の経済危機でインドネシア

が困窮に陥り、IMF などから支援を受けなくてはならなくなると、IMF や国際社会から支

援の見返りとして、東ティモールへの抑圧を止めなさいと言われ、インドネシアは東ティモ

ールの独立を認め、2002 年に独立したものです。ただ、先程みたように、東ティモールは

豊かさでは東南アジアでは5番目ですが、政治は本当に混乱しています。そのため正式の加

盟国ではなくオブザーバーです。現在 2017 年ですから、もう 15 年近く、正式メンバーに

なるだろうと言われながらも未だにオブザーバーが続いているのです。東ティモールは経

済的には石油資源があって豊かなのですが、政治社会は混沌としているために、ASEAN か

ら一人前として認められていないのです。ともあれ、冷戦が終わると ASEAN は東南アジ

ア 11 カ国全ての国が加盟する地域機構になりました。これが第3段階です。 最後に第4段階です。これは 2000 年以降の現在です。皆さん関心をお持ちで知っている

かと思いますが、現在 ASEAN は「ASEAN 経済共同体」が前面に出ていて、世界的に注目

されています。ASEAN 経済共同体は 2015 年 12 月 31 日に発足したものですが、それは後

で話すことにして、ここでは別の話をします。ASEAN はかなり野心的でして、経済共同体

だけではなくて、ASEAN 安全保障共同体、それに ASEAN 社会文化共同体、将来はこの3

つの共同体と目指そうということで、経済共同体はそのうちの一つなのですが、安全保障と

社会文化共同体は名目的に言っているだけで実態はほとんどありません。これもあり、現在

世界で注目されているのが ASEAN 経済共同体なのです。 以上が、ASEAN の簡単なこれまでの経緯です。ASEAN は 1967 年に創設されたときか

ら経済協力機構として頑張ったのではなくて、本当に経済が前面に出てきたのは過去 15 年

ほど、2000 年以降になってからなのです。ASEAN が経済共同体としてどういう特徴や問

題があるのかは、後でお話しします。

3.ASEANの現状

次に「ASEAN の現状」です。とはいえ、まだ ASEAN にはいかないで、周りの東南アジ

アの話が中心になります。 最初に、なぜ冷戦が終わると加盟国が拡大したのかということです。ASEAN 後発国は

1990 年代に加盟したベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー。そして 1967 年に ASEANを創った5カ国―これは ASEAN ファイブと呼ばれます―、これが先発国です。話がすこし

横道に逸れますが、先発国は経済が発展している、これに対して後発国は貧しいという対比

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が顕著です。 なぜ、加盟国が拡大したのかですが、後発国が加盟した理由からいきます。冷戦が終わっ

た 1990 年代になると、ベトナムは共産党支配の政治体制は変えないが、社会主義の計画経

済を止めて、資本主義型開発を目指します。これはカンボジアとラオスも同じです。ミャン

マーはまだ軍政が続いていたのですが、ミャンマーでも軍政は支配を正当化するために、資

本主義型開発を進めて豊かになる、だから軍政でいいのだ、というふうに国民を納得させよ

うとしました。このように、冷戦が終わると、カンボジア、ラオス、ベトナム、ミャンマー

は経済開発に力を入れたのですが、自国には資本も技術も、開発を進めるノウハウもない。

そのためアメリカや日本などに依存しますが、考えてみると、すぐ隣のシンガポール、タイ、

インドネシアなどは資本主義型開発によって既に発展しています。だから自分たちの経済

開発を進めるために ASEAN 先発国の投資を期待して、自分たちも ASEAN に入りたい、

ということで後発国が加盟したのです。 次は先発国の理由です。インドネシア、タイ、シンガポールなどがどうして後発国の加盟

を受け入れたのか、2つ理由があります。一つは、インドシナ社会主義国の取り込みによる

安全保障問題の軽減です。これはどういうことかというと、1967 年の創設の経緯から分か

るように、タイやインドネシアにとって最大の脅威はベトナムなどの社会主義国です。この

社会主義国がいつ武力攻撃、自分たちの国を攻撃してくるかということが一番問題でした。

それを防ぐには軍事力を強化すればいいのですが、そうではなくてベトナム、カンボジア、

ラオスを ASEAN に取り込むことによって、仲間の一員とすることによって、安全保障問

題を軽減しようと考えて加盟国に受け入れたのです。これは東南アジアの知恵ということ

ができますが、考えてみると、これは東南アジアだけではないのです。EU、これはヨーロ

ッパが創ったヨーロッパ共同体ですが、EU も第二次世界大戦後、冷戦の中でイギリスやフ

ランスやドイツなどの自由主義国とソ連などの社会主義国が対立すると、アメリカが支援

して、イギリスやフランスやドイツなどは、1949 年に NATO という軍事機構を創りまし

た。この体制の下で、ソ連などと軍事的にも政治的にも対峙していたのですが、冷戦が終わ

ると、ソ連が崩壊してロシアになり、東欧の国々も共産党政権が潰れて民主化されました。

するとヨーロッパの自由主義国、イギリスやフランスやドイツはどうしたかというと、ロシ

アを別にして、東欧の国々を次々とEUに取り込んでいったのです。その狙いの一つは、E

Uを拡大することによって経済発展に弾みをつけることにありましたが、本当の狙いは安

全保障問題です。ヨーロッパの自由主義国は敵対していた東欧諸国を取り込むことによっ

て安全保障問題を軽減しようとしたのです。東南アジアも全く同じです。このようにして、

インドシナの後発国が加盟したのです。 もう一つの理由は、中国や日本など国際社会における発言力の強化です。どういうことか

というと、アジアでは大国として日本、中国、インドがあり、世界ではアメリカ、ヨーロッ

パの自由主義国、ロシアなどがあります。東南アジアの国は今みたようにインドネシアは人

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口大国・地域大国ですが、世界でみると中小国の集まりです。そのため、東南アジアがこれ

らの大国と、政治でも安全保障でも経済でも交渉する際に、小国であるために相手にされま

せん。しかし ASEAN が 1967 年に創設されたときは5カ国だけでしたが、5カ国がまとま

って日本などと交渉して、これは単にインドネシアだけでなく、東南アジア5カ国の共通の

意向や希望であると主張すると、日本に対して交渉力が強まります。これは中国に対しても

そうです。そして、東南アジア5カ国だけでなく、東南アジア全ての国の意向や希望である

と主張した場合には、交渉力が更に強まります。要するに、どうして先発国が後発国の加盟

を認めたのかというと、一つは、東南アジアの社会主義国を ASEAN に入れることによっ

て安全保障問題を解決することですが、しかし私に言わせるともっと大きな狙いは、東南ア

ジアは中小国が多いですが、まとまると人口6億4千万人になるので大国になり、世界の主

要国と交渉する際に交渉力が強まることになる。この2つの理由で ASEAN が 10 カ国に拡

大したのです。この点からすると、東南アジアは国際社会の中で生き残るための術を知って

いることになります。 次に「ASEAN 経済共同体」です。先ほど言いましたように 2015 年末に ASEAN 経済共

同体が発足しまして、人口6億4千万人、中国とインドのちょうど半分くらいの市場ができ

たのですが、ではなぜ ASEAN 経済共同体を創ったのか、その理由として4つの目標を掲

げています。それが、単一の市場と生産基地、競争力のある経済地域、公平な経済発展、グ

ローバルな経済への統合です。これらはいかにももっともらしい目的ですが、私に言わせる

と、一番の狙いは「単一の市場と生産基地」にあります。これが ASEAN 経済共同体を創っ

た、唯一というと言い過ぎになりますが、最大の理由です。なぜ、単一の市場と生産基地を

言い出したのかというと、その遠因は 1997 年のアジア経済危機にあります。危機はタイで

始まったもので、タイでバブルが起こってバーツが暴落すると、IMF や日本などいろいろ

なところから支援を受けました。タイだけでなくフィリピンやインドネシアもおかしくな

った、また、韓国もおかしくなりました。要するに、1997 年のアジア経済危機、タイから

発した通貨危機によって東南アジア全体がおかしくなった。おかしくなるってどういうこ

とかというと、東南アジアは基本的に自国に開発資金があるのではなくて、日本やアメリカ

など世界からの投資を受けることによって経済発展の梃子にしてきたのですが、1997 年の

経済危機を原因に東南アジアはおかしいということになり、世界の投資が中国やインドに

向かうようになった。東南アジアが発展するには、日本、アメリカ、ヨーロッパなどからの

投資が不可欠ですが、投資を呼び込むためにはどうしたらいいか、小さな国が1カ国でちま

ちまやるのではなく、ASEAN 経済共同体を創ると6億4千万人になるので、日本、アメリ

カ、ヨーロッパの眼からすると投資市場として魅力的になる、これを誘引にして、投資を呼

び込む、これが最大の狙いなのです。すなわち、その狙いとは、中国やインドとの投資獲得

競争で優位に立つことにあり、その出発点が 1997 年のアジア経済危機だったのです。災い

を転じて福となす戦略です。

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次に少し話が変わりまして、世界各地の地域機構との比較で見た ASEAN の特徴です。

地域機構としての ASEAN の運営原理は2つあります。一つは、「内政不干渉」です。これ

はどういうことかというと、現代世界は民主主義がグローバルスタンダードとなっていて、

アメリカを中心に世界の全ての国は民主主義でなければいけないと言われていますが、東

南アジアではタイが現在軍政です。ミャンマーはアウンサン・スーチーが指導者となり民主

主義国になりましたが、それまで長いこと軍政が続いていました。しかし、ASEAN は加盟

国の政治体制、内政問題について一切お互いに干渉しないということを原則にしているの

です。なぜかというと、理由は簡単です。例えば、タイは軍政でけしからん、ミャンマーは

軍政でけしからんというと、自分の国も権威主義体制とか軍政的な要素がありますから、自

国に跳ね返ってきます。最悪の場合は、ミャンマーは軍政でけしからんというと、ミャンマ

ーがそれならば ASEAN を脱退しますと言い出しかねない。先ほど言ったように ASEANを創った目的の一つは、東南アジアが結束することによる域外に対する交渉力の強化です

が、それが崩れてしまいます。そのため内政についてはお互いに一切言わないということを

原則にしているのです。 もう一つの運営原理が、「全会一致方式」です。これは、ASEAN の決議やある政策を決

める際に、一カ国でも反対したならば ASEAN の方針にはしないこと、これが全会一致方

式です。具体的にどういうことかというと、南沙諸島を巡るカンボジアの対中国姿勢を取り

上げて説明します。南沙諸島は南シナ海に浮かぶ島ですが、現在、中国が南沙諸島は中国の

領土であるとして、軍事基地を建設して問題になっています。東南アジアでは、ベトナム、

フィリピン、マレーシア、ブルネイが自国の領土だと主張して、アジアにおける領海・領土

紛争の一つです。フィリピンがオランダの常設仲裁裁判所に、中国の南沙諸島の領有権主張

は不当だとして提訴すると、去年の7月だったと思いますが、常設仲裁裁判所は中国の領有

権を否定する判決を出しました。判決直後に ASEAN 外務大臣会議が開催されたので、普

通ならば ASEAN が一致して中国の領有権の主張を非難して、常設仲裁裁判所の判決を尊

重しろという声明を出すはずですが、どういうことが起こったかというと、会議の議長国は

カンボジアでした。後で中国との関係を説明しますが、現在カンボジアは中国からの援助で

経済が持っています。そのため、カンボジアは中国批判をしたくありません。カンボジアが

わが国は非難決議に賛成できないというと、ASEAN はこの問題に対して一切発言が出来な

かったのです。見方によっては、これは ASEAN の弱点なのですが、これは後で説明します

が、同時にこれが ASEAN の特徴でもあるといえます。 それでは、内政不干渉と全会一致方式を原理にする ASEAN は一体どういう組織なのと

いうと、「ゆるやかな地域機構」ということになります。これはどういうことかというと、

例えとして、EUの話をするとよく分かると思います。去年の6月か7月にイギリスがEU

からの離脱を決めました。その理由は何かというと、中東からの移民や域外からの労働者の

受け入れ枠についてイギリスには決定権がなく、EUで決めて配分してくる。これが不満で

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イギリスはEUを離脱したのです。これに対して ASEAN は、ASEAN 憲章で加盟国の国家

権限の委譲を決めていないし、ASEAN 首脳会議などでも権限の委譲を求める動きがない。

これが「ゆるやかな地域機構」の意味です。要するに、加盟国が一致する範囲内で協力・協

調するというもので、加盟国の国益や、歴史文化というと少し漠然とした言い方ですが、そ

れに関わるようなことについては、加盟国は拒否権を発動できる、加盟国の差しさわりのな

い分野だけで、合意できる範囲内で行動する、これが「ゆるやかな地域機構」の意味であり、

ASEAN の特徴でもあるのです。 ただ、これは地域機構としての ASEAN の限界だと言うのは簡単ですが、最近のヨーロ

ッパの動きをみると、そうとも言えないように思います。イギリスだけではなく、今年のフ

ランスの大統領選挙、少し前にもオランダで総選挙があり右翼勢力が台頭して、EU離脱の

声が大きくなっています。最悪の場合、EUが分解する可能性があります。しかし ASEANは分解することはないと思います。なぜか、各国の内政に手を突っ込まないからです。国益

や国家権限に手を突っ込まないから、ASEAN が分解することはないわけで、これがゆるや

かな地域機構が持つ意味です。最近のEUの動きを見ていると、この ASEAN の原則も悪

くはないと言えるかと思います。

4.課題と展望

これまで一般的な話をしてきましたが、これから課題と展望に移り、いくつか具体的な話

をしたいと思います。 ASEAN 経済共同体が華々しく発足したとはいえ、本当に実効性のある組織なのかと思っ

ている人が少なくないかもしれません。ここでは ASEAN 経済共同体は必ずしも実効性の

ある組織ではありませんよ、という話をしてみたいと思います。 現在、ASEAN 域内では出稼ぎ労働者が顕著です。受入国はシンガポール、タイ、マレー

シア、送り出し国はインドネシア、ミャンマー、フィリピンです。これだけですと国を並べ

ただけで、だから何だということになりますが、具体例としてタイを取り上げます。タイは

東南アジアで4番目に国民が豊かな国です。現在、タイの労働事情はどうなっているかとい

うと、外国人労働者は家族も含めてですが、ミャンマーから 174 万人、カンボジアから 85万人、ラオスから 28 万人の未熟練労働者が滞在を認められています。ということは、タイ

の労働力は、専門労働者は違いますが、建設労働者や未熟練労働者は近隣国の人たちが支え

ていることになります。では、なぜタイにこんなに集まっているかというと、その理由は簡

単です。月収、米ドルですが、一ヶ月の収入はタイが 363 ドルです。これに対してカンボジ

アは 113 ドル、ラオスは 111 ドル、ミャンマーは 127 ドル、ちなみにベトナムは 180 ドル

です。近隣国の貧しい人から見ると、タイは所得が全然違います。そのため、多くの人たち

がタイに出稼ぎ労働者として合法・非合法を含めて来るのです。これは東南アジアの大陸部

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の話ですが、島嶼部はシンガポール、マレーシア、インドネシアがそうです。島嶼部でもマ

レーシアに 200 万人ぐらいの外国人労働者がいるのですが、そのうちの 45%がインドネシ

アからの合法・非合法含めた出稼ぎ労働者です。いうまでもなく、都市社会シンガポールも

いろいろな国から外国人労働者が集まっています。 次に送り出し国の話をすると、フィリピンは人口が1億人を超えて東南アジアで二番目

に多い国ですが、先程、表でみたように国民所得が低い。そのため国民は、国内で仕事がな

いからどこか外国に出稼ぎに行かなければいけない。一つは、メイドの仕事で、シンガポー

ルや香港に行く。もう一つが中東で、オイルマネーがありますから、建設が盛んで建設労働

者として働く。もう一つが、アメリカです。要するに、フィリピンの出稼ぎ労働者は、メイ

ドは女性、建設労働者は男性、アメリカは女性も男性もいますが、特徴は大卒が多いことで

す。大卒者は専門技術を持っていますが、フィリピンにはそれに見合った仕事がないため、

続々とアメリカに行ってしまうのです。しかも、出稼ぎ労働者として働くだけでなく、大卒

などはアメリカに定住してしまうのです。 このように、現在東南アジアは、出稼ぎ労働者を受け入れているシンガポール、マレーシ

ア、タイと、出稼ぎ労働者を送り出しているミャンマー、カンボジア、ラオス、インドネシ

ア、フィリピンと大きく二つに分かれており、これが実は東南アジアの大きな問題の一つな

のです。 これで、ようやく話が本筋に来たのですが、ASEAN 経済共同体は、弁護士や会計士など

専門労働者の移動の自由は認めていますが、いまみた未熟練労働者の移動の自由は一切認

めないと言っているのです。認めるつもりもないし、自由化もしない、そのために、現実に

非合法による移動が多く起こっているのです。 もう一つ例を取り上げると、EU は全ての国がそうではないのですが、ユーロという共通

通貨が導入されて、それなりに経済が円滑に進んでいます。これに対して、ASEAN 経済共

同体が発足しましたが、共通通貨は求めないとはっきり言っています。そのため、通貨面で

もそんなに実効性がないし、一番肝心な労働者の移動の面でも現状を大きく変えるつもり

はない、というのが ASEAN 経済共同体の実態なのです。ですから私に言わせると、華々し

く打ち上げたけれど中身が本当にあるかどうか疑問だということになります。 少し話を変えまして、これは東南アジアの多様性ということに係るのですが、「経済統合

と東南アジア」の話をします。これも大学の授業のようになって恐縮ですが、ASEAN 経済

共同体、EU、NAFTA もそうですが、経済共同体は見方を変えると、地域統合ということ

ができます。地域統合とは何かというと、第1段階が経済協力で、投資や貿易の自由化です。

第2段階が、今みたように人の移動の自由や共通通貨です。第3段階が政治統合で、これは

議会や大統領。第4段階が国家統合で、これは一つの国になることです。世界の地域統合の

モデルはEUとみなされています。EUは問題があるとはいえ、現在、大統領や議会があり

ますから、第3段階まできました。ただ、先程みたようにイギリスやフランスやオランダな

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ど離脱の動きがあるのでどこまでいくか分かりませんが、でもここまで来たということは、

第4段階の国家統合を念頭に置いているということは確かです。 これに対して ASEAN は、現在、第1段階です。第2段階の人の移動の自由や共通通貨な

どの経済統合を求めないと言っているので、はっきりと第1段階だけでいいと言っている

ことになります。そうすると、東南アジアは地域諸国の協調意識が薄いということになりま

すが、私に言わせるとそうではありません。最初に言いましたように、東南アジアの 11 カ

国は歴史文化も国土面積も経済も政治も全然違います。そんな地域が自国の歴史文化など

の特徴を放棄して一つの国になるということは、自殺行為に等しいことです。無理して第 2段階や第3段階にいっても実効性が期待できないので、いつまでか分かりませんが、当分は

第1段階に留まっているように思います。1967 年に ASEAN が出来たのですが、50 年経っ

てもまだ第1段階にいるわけで、東南アジア諸国を巡る状況や条件が変わらない限り、

ASEAN は経済統合の第1段階で留まっているのではないかというのが私の見方ですし、こ

れでいいのではないかなとも思います。

あと大きな問題が2つあります。一つは「リーダーシップの不在と長期戦略の不在」です。

また話が戻ります。1980 年代の東南アジアは経済成長が目覚しく、地域機構としての

ASEAN が勢いを見せていた時です。インドネシアはスハルト、シンガポールはリー・クア

ンユー、マレーシアはマハティールと権威主義的な指導者ですが、これらのカリスマ指導者

の下で ASEAN は協調を進めて、日本や世界に向けて自己主張をしていました。しかし、現

在東南アジアでリーダーシップをとる指導者は誰もいません。これは別に、政治家が小粒に

なったということではなくて、主要国が国内問題で手一杯ということに原因があると私は

思います。具体的に言うと、先ほど ASEAN は形の上では加盟国が対等だとしながらも、実

質的リーダーはインドネシアだと言ったのですが、現在のインドネシアはジョコ大統領で

す。彼はジャカルタ州知事だった人で実務型の指導者です。たぶん彼は国内の政治安定と地

域開発に手一杯で、ASEAN をどうしようとか、東南アジアをどうするかというところまで

は全然目が届かない、頭も回らないというのが現状だと思います。 大陸部のリーダーの国はタイです。しかし、これもご存知のように現在タイは軍政下にあ

り、政治社会はバンコクの都市中間層と農村の対立が起こりまして、もう7~8年続いてい

ます。しかも、社会が政治的に分裂しているだけでなく、去年 10 月にプミポン国王が亡く

なりまして、これから王制はどうなってくるかという課題も加わり、タイも国内の政治社会

問題で手一杯です。ASEAN をどうしようとか、東南アジアをどうしようというところまで

意識が回らないのです。その点でマレーシアはわりと安定していて国民所得も豊かなので、

東南アジアや ASEAN に対して発言力があると思うかもしれませんが、じつはマレーシア

のナジブ首相は、現在、国内で厳しい批判にさらされています。汚職腐敗がそうで、何百億

円という国家資金を自分の懐に入れたということで、野党やマハティール前首相から辞め

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ろという大合唱がもう2、3年ずっと続いています。外から見たマレーシアは安定している

ようにみえますが、国内は分裂しているのです。 フィリピンは去年7月にドゥテルテ大統領が就任しました。前任のアキノ大統領の時に、

さきほどみた中国の南沙諸島問題を常設仲裁裁判所に提訴するなど、中国に対して批判的

でしたが、ドゥテルテ大統領は中国との融和路線を追求しています。言ってみれば、東南ア

ジア諸国の意向を無視してでも、中国とうまくやればいいということで、現在、フィリピン

は中国に積極的にアプローチしています。そのため、東南アジアや ASEAN に対してどう

しようという考えはあまりないようです。 シンガポール、これは東南アジアで一番豊かで政治も安定しているのですが、極端な言い

方をすると、インドネシアなどは、シンガポールは国じゃないということで、シンガポール

がリーダーシップを取ろうとしても他の加盟国には相手にされないという問題があります。

ミャンマーも、一年前にアウンサン・スーチーが指導者に就任して世界的に華々しく注目さ

れていますが、数日前の新聞に出ていたように、アウンサン・スーチーは現在国際社会から

眉をひそめられています。国内を安定させるには軍と融和するしかないという事情はある

のですが、軍に寄り添っている、融和政策をとっている、また、ロヒンギャ人のイスラーム

教徒が仏教徒によって圧迫されているのですが、それに対して何の対応もとらないという

ことで批判を浴びている。ミャンマーも内政で手一杯なのです。要するに、東南アジアの主

要国は内政に没頭していて、東南アジアや ASEAN をどうするかという戦略を出せる人が

いない、という問題があり、これがリーダーシップと長期戦略の不在の意味です。 次に「中国の接近・中国への接近」です。第二次世界大戦後、1980 年代から 1990 年代

まで東南アジアと一番経済的に密接だったのは日本でした。しかし、ここ 10 年くらい中国

がすごいですよね。投資でも貿易でも援助でも、現在、圧倒的に中国が東南アジアに接近し

ています。また、東南アジアは経済開発のために資金や技術が必要だということで日本にア

プローチしていましたが、現在は中国に向いているのです。中国からすると、自国の南にラ

オス、カンボジア、ベトナムがあり、タイやミャンマーもあります。カンボジアは違います

が、これらの国は基本的に中国と陸続きです。現在、中国と経済が緊密化しているのはこれ

らの国ですが、次の段階としてインドネシアやシンガポールやマレーシアが考えられます。

中国と地理的に近い大陸部の国と経済関係を緊密化して、その次に島嶼部の国と行う、これ

が中国の戦略なのです。 東南アジアが中国にアプローチしている例を、一つ挙げてみたいと思います。アジア開発

銀行は、1966 年に日本が主導してアジアや東南アジアの経済開発資金援助をするために創

ったものですが、ご存知のように、2015 年に中国が主導してアジアインフラ投資銀行が創

設されました。日本とアメリカはアジアインフラ投資銀行における中国の運営や関与が不

透明だと言うことで参加していないのですが、東南アジアの国は全て発足メンバーとして

加盟しています。なぜ加盟したのか、その理由は日本からも中国からも援助を得るためです。

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具体例を挙げてみます。インドネシアは首都ジャカルタとバンドンを結ぶ高速鉄道を建設

するプロジェクトがありまして、日本のODAでという話が進んでいたのですが、ジョコ大

統領が登場すると話が変わりました。ジョコ大統領が高速鉄道に国の資金を投入しないと

いう政策をとると、日本はODAで支援するのだから、国がきちんと責任を持って保証して

欲しいということで国の関与に拘ったのですが、中国は、中国の政府系企業とインドネシア

の企業との合弁形態にして 75%を中国の民間銀行が合弁企業に融資するとしたのです。そ

のため、インドネシア政府は一切国のお金を使わなくていいということになり、中国に決め

たのです。技術の安全性という点では日本が優れているかも知れないが、中国は政府の保証

など細かい注文は付けない、しかも資金が豊富にあります。なぜ資金があるかというと、第

2次世界大戦後の長い間、アジアで最大のGNPの国は日本だったのですが 2010 年に逆転

して、現在、日本は中国のGNPの半分ですよね。中国はお金を持っていて、そのお金を戦

略的な援助や投資に使っているのです。東南アジアからしてみると、中国は技術的問題や政

治の不透明さの問題はあるかもしれないが、うるさいことは言わないし、近年は技術力も向

上しているので、中国に援助を期待しても何の問題もない。このように中国と東南アジアの

思惑が一致して、中国と東南アジアの経済結合が強まっているのが実情です。

最後にまとめと展望です。東南アジアのキーワードは「多様性の中の統一」にあります。

これはどういう意味かと言うと、東南アジアは最初にみたように、政治や経済、歴史文化な

ど各国の特徴が全く違います。ASEAN はインドネシア、タイ、カンボジア、ミャンマーな

どが、それぞれの歴史文化を捨てて、同じ政治経済・社会構造になって協調して頑張るので

はなくて、それぞれの国の特性を認めた上で、その範囲内で協調しましょうというものです。

これが東南アジアから見た ASEAN という時の「多様性の中の統一」の意味です。各国の歴

史文化、独自性を認めた上での協調、これが ASEAN の原則ですが、そういう東南アジア諸

国にとって ASEAN は一体どういう意義を持っているかというと、東アジアや南アジアと

比べるとよくわかります。東アジアは、中国、日本、韓国、北朝鮮などの地域です。東アジ

アの軸になっているのは、中国・日本・韓国ですが、中国と韓国は日本に対して、従軍慰安

婦問題や軍国主義復活の問題があり、時々対立するし、まとまりが全然ない。南アジアは、

インド、パキスタン、ネパール、バングラデシュ、スリランカなどの地域ですが、国土面積、

経済力、人口などの点で、インドとパキスタンがナンバー1とナンバー2の国です。しかし、

問題はインドがヒンドゥー教、パキスタンがイスラーム教の国であることです。二千年以上

の歴史の中でインドとパキスタンは一つの国だったのですが、1947 年のイギリスからの分

離独立に際して、ヒンドゥー教の国とイスラーム教の国に分離し、この対立が今でも続いて

います。そのため ASEAN に倣って、1985 年に SAARC という地域機構を創って、南アジ

アも発展しようとしたのですが、地域のナンバー1とナンバー2の国が宗教や政治などを

原因に対立しているため、名目的存在に留まって全然実効性がないのです。

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これに対して、東南アジアは ASEAN を創ることによって、いちおうは地域内部の対立

が収まりました。外に対しても、一つ一つの国は中小国なので発言力はないが、ASEAN と

して一つにまとまり、日本や中国やアメリカやヨーロッパに向き合うことで、東南アジア諸

国の国益を確保しているのです。要するに、ASEAN 経済共同体の実効性の問題があるとは

いえ、東南アジアにとっては域内の民族対立などの問題を凍結・棚上げにして、アジアや世

界の国々と交渉するうえで ASEAN は使い勝手がいい、有効な組織なのです。経済共同体

の動きは遅々として進まないかもしれないが、東南アジアにとって ASEAN は極めて有効

なのです。加盟国の国益や自立性を侵さない範囲でという運営原則のために、外から見ると

50 年も経ったのに全然進んでないではないかというイライラ感はあるかもしれないけれど、

ゆるやかな地域組織という性格による、ASEAN のゆっくりとした歩みはこれからも続くの

ではないか、ということで私の報告とします。

(平成 28 年 3 月 29 日開催)