9
39 住友化学 2008- II は、分子の結合情報や配座情報が視覚的・数値的に 多面評価できる結晶構造と、その他の分析情報が揃っ ていることが望ましい。特に、3 次元の分子配座情報 は結晶構造解析でしか得られない貴重な情報で、直感 的な理解を促すという点で優れている。だが、単結晶 解析に適した結晶性や大きさに至らない有機結晶は、 結晶構造解析以外の分析法により多形の分類・帰属は 実施されているものの、未だ結晶構造は不明である。 医薬品の分野において結晶構造情報は、著しく薬効 が変わる場合には特許化による新しいビジネスチャン ス創出に大きく寄与する。そのため、先行医薬品メー カーは、特許期間中にも関わらず新薬開発費用の回収 前に市場競争にさらされるリスクを伴うことになる。 そして、先行医薬品メーカーの特許期間が終了したと き、逆に後発医薬品メーカーの新しい特許により先行 医薬品メーカーのビジネスは制限される。 たとえ単結晶解析に適した大きさにならない有機 結晶であっても、十分に良質な粉末X線回折データ が得られる試料は存在する。そのため粉末X線回折 データから結晶構造を決定したいというニーズは以 前からあった。文献では、粉末X線回折データを用 粉末X線回折法を用いた Bicalutamide結晶多形の構造解析 -密度汎関数理論計算と リートベルト解析を用いた 構造モデルの検討- はじめに 有機化合物が結晶化するときに多形現象を示すこ とは、固体物性の一つの現象として広く観測されて いる。特に、医薬品においては結晶形の違いにより 薬としての有効性・安全性が異なることは珍しくな く、極めて重要な管理項目の一つである。結晶の多 形現象は、水と賦形剤との相互作用、溶解性、融解 温度、安定性等の物理的および化学的性質が異なる ことに起因すると考えられる。多形現象の本質を理 解するために結晶構造を熟知することは重要である。 結晶多形は、X線回折法(単結晶、粉末)、熱分析 法(DSCTG-DTA、熱量測定等)、分光法(FT-IRラマン、固体NMR 等)により分類 1) される。そのう ち結晶構造の決定は、通常、単結晶X線回折法で実 施される。単結晶法は結晶構造を高い精度・確度で 決定できる優れた手法である。特に、放射光により 高輝度X線や異常分散光が利用可能になったため、 短時間で数ミクロンオーダーの微小結晶の結晶構造 が決定可能 2) になり画期的な発展を遂げている。 結晶多形の物理的・化学的性質を理解するために Structure Determination of Bicalutamide Polymorphic Forms by Powder X-ray Diffraction: Case Studies Using Density Functional Theory Calculation and Rietveld Refinement 住友化学(株) 基礎化学品研究所 精密化学品研究所 Sumitomo Chemical Co., Ltd. Basic Chemicals Research Laboratory Masamichi I NUI Fine Chemicals Research Laboratory Masafumi UEDA Structure determination from powder X-ray diffraction data (SDPD) has been developing dramatically. A large amount of SDPD work is reported in the field of crystallography and material science. However, SDPD is not easier than that from single crystal X-ray diffraction data due to intrinsic overlap reflections in powder XRD data. In this report, SDPD of Bicalutamide form-I and form-II is performed by the Rietveld refinement in combination with density functional theory (DFT) calculations. The effectiveness of the DFT optimization for SDPD is discussed.

粉末X線回折法を用いた Bicalutamide結晶多形の構造解析 ...2008/02/03  · 40 住友化学2008-II 粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析

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39住友化学 2008-II

は、分子の結合情報や配座情報が視覚的・数値的に多面評価できる結晶構造と、その他の分析情報が揃っていることが望ましい。特に、3次元の分子配座情報は結晶構造解析でしか得られない貴重な情報で、直感的な理解を促すという点で優れている。だが、単結晶解析に適した結晶性や大きさに至らない有機結晶は、結晶構造解析以外の分析法により多形の分類・帰属は実施されているものの、未だ結晶構造は不明である。医薬品の分野において結晶構造情報は、著しく薬効

が変わる場合には特許化による新しいビジネスチャンス創出に大きく寄与する。そのため、先行医薬品メーカーは、特許期間中にも関わらず新薬開発費用の回収前に市場競争にさらされるリスクを伴うことになる。そして、先行医薬品メーカーの特許期間が終了したとき、逆に後発医薬品メーカーの新しい特許により先行医薬品メーカーのビジネスは制限される。たとえ単結晶解析に適した大きさにならない有機

結晶であっても、十分に良質な粉末X線回折データが得られる試料は存在する。そのため粉末X線回折データから結晶構造を決定したいというニーズは以前からあった。文献では、粉末X線回折データを用

粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析

-密度汎関数理論計算とリートベルト解析を用いた構造モデルの検討-

はじめに

有機化合物が結晶化するときに多形現象を示すことは、固体物性の一つの現象として広く観測されている。特に、医薬品においては結晶形の違いにより薬としての有効性・安全性が異なることは珍しくなく、極めて重要な管理項目の一つである。結晶の多形現象は、水と賦形剤との相互作用、溶解性、融解温度、安定性等の物理的および化学的性質が異なることに起因すると考えられる。多形現象の本質を理解するために結晶構造を熟知することは重要である。結晶多形は、X線回折法(単結晶、粉末)、熱分析

法(DSC、TG-DTA、熱量測定等)、分光法(FT-IR、ラマン、固体NMR等)により分類1) される。そのうち結晶構造の決定は、通常、単結晶X線回折法で実施される。単結晶法は結晶構造を高い精度・確度で決定できる優れた手法である。特に、放射光により高輝度X線や異常分散光が利用可能になったため、短時間で数ミクロンオーダーの微小結晶の結晶構造が決定可能2)になり画期的な発展を遂げている。結晶多形の物理的・化学的性質を理解するために

Structure Determination of Bicalutamide Polymorphic Forms by Powder X-ray Diffraction:Case Studies Using Density Functional TheoryCalculation and Rietveld Refinement

住友化学(株) 基礎化学品研究所乾   昌 路

精密化学品研究所上 田 正 史

Sumitomo Chemical Co., Ltd.

Basic Chemicals Research Laboratory

Masamichi INUI

Fine Chemicals Research Laboratory

Masafumi UEDA

Structure determination from powder X-ray diffraction data (SDPD) has been developing dramatically. Alarge amount of SDPD work is reported in the field of crystallography and material science. However, SDPDis not easier than that from single crystal X-ray diffraction data due to intrinsic overlap reflections in powderXRD data. In this report, SDPD of Bicalutamide form-I and form-II is performed by the Rietveld refinementin combination with density functional theory (DFT) calculations. The effectiveness of the DFT optimizationfor SDPD is discussed.

Page 2: 粉末X線回折法を用いた Bicalutamide結晶多形の構造解析 ...2008/02/03  · 40 住友化学2008-II 粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析

40 住友化学 2008-II

粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析 -密度汎関数理論計算とリートベルト解析を用いた構造モデルの検討-

いた未知構造探索の研究は1940年頃 3)から報告が見られる。1998年4) と2002年5) にSDPD Round Robin

として粉末X線回折データから結晶構造を決定するコンテストが行われた。Le Bail はその報告書4) のなかで「粉末法による結晶構造の決定は、単結晶法のようなボタンをクリックするだけのルーティンワークではなく、まだ沢山の努力が必要である」と述べている。まだ幾つかの問題はあるが粉末X線回折データによる結晶構造の決定は十分可能であると読み取れる。実際に、Kennethら6) は実験室X線装置の回折データから複数の有機物質の結晶構造決定に成功した事を報告している。つまり良質の粉末試料さえ手に入れば、実験室にいながら結晶構造の決定が可能になったのである。筆者らは市販のCu Kα1高分解能粉末X線回折装置

を導入し、定量測定やリートベルト法による精密構造解析だけではなく、有機化合物のSDPDを検討してきた。2005年頃より、単結晶育成ができなかった有機物Bicalutamideの2つのラセミ体結晶多形(form-I、form-II)をきっかけに、本格的にSDPDに取り組んできた。Bicalutamideの化合物情報をTable 1に示す。

Bicalutamideは、抗アンドロゲン作用を有する化合物として有用であり、主に抗がん剤として医薬用途に用いられている。Bicalutamideの製剤は、錠剤等として提供されているが、化合物の薬効を安定して発揮させるため、その原体規格は厳重に管理されている。特に、結晶形・結晶粒度・比表面積は、薬効や副作用に大きく影響するため重要である。当初、我々は 2つのラセミ体結晶多形(form-I、

form-II)の粉末X線結晶構造解析に成功し結晶構造データを所有していた。最近になってVegaら7) により2つのラセミ体結晶多形(form-I, form-II)の単結晶構造解析 8) が報告された。そこで、我々の結晶構造

とVegaらによって報告された結晶構造とを比較したところ、格子定数や空間群は同じものの、部分的な分子配座が異なることや末端基が入れ替わっていることが新たに判明した。元々の物質が異なっているのか、あるいは、構造解析に問題があったのか非常に興味深い。ここでは、不斉炭素を持つBicalutamideの結晶多形

form-Iとform-IIの構造決定における結晶構造の検証方法について報告する。一般的な構造解析手順について有機物の結晶構造解析に関するものを中心に参考文献2), 3), 6), 9)–13)に挙げた。詳しく記載されているのでそれらを参照されたい。

実験と考察

1.試料の測定

2種類の粉末試料をW. Müller社製 1.0 mmボロシリケートガラスキャピラリーに封管した。ブルカーAXS社製高分解能粉末回折装置D8 ADVANCE Vαrio1

(λ= 1.540593Å, Cu Kα1)に1次元高速位置敏感型検出器(VÅNTEC-1)を組み合わせた擬似Debye-Scher-

rer光学系により粉末XRDデータを得た。測定条件の詳細はTable 2, 3に示す。なお、透過法測定であることから試料のX線透過

率の実測値を用いて線吸収係数を次式より求めた。Ix = I0 exp(–μt)

ここで、μ: 線吸収係数, t : 試料厚さ,

Ix : 試料透過X線強度, I0 : X線強度である。

Table 1 Sample information

Chemical name

Structure formula

Molecular formulaMolecular weightCAS No.

(RS)-N-[4-cyano-3-(trifluoromethyl)phenyl]-3-[(4-fluorophenyl)sulfonyl]-2-hydroxy-2-methylpropanamide

C18 H14 F4 N2 O4 S430.37

90357-06-5

Compound name Bicalutamide

NH SN

F

F F

O

O

O

F

CH3

OH

Table 2 Experimental data of Bicalutamide form-I

Wavelength λ/ÅSpecimenAbsorption coefficient μRotation speed2θ range /°Step size (2θ) /°Time per step /sec

1.540593 (Cu Kα1)capillary 1.0 mm

0.6760 r.p.m

3.0000 – 70.01570.0016696

723

Compound name Bicalutamide form-I

Table 3 Experimental data of Bicalutamide form-II

Wavelength λ/ÅSpecimenAbsorption coefficient μRotation speed2θ range /°Step size (2θ) /°Time per step /sec

1.540593 (Cu Kα1)capillary 1.0 mm

1.1560 r.p.m

3.00 – 79.99620.016696

723

Compound name Bicalutamide form-II

Page 3: 粉末X線回折法を用いた Bicalutamide結晶多形の構造解析 ...2008/02/03  · 40 住友化学2008-II 粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析

41住友化学 2008-II

粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析 -密度汎関数理論計算とリートベルト解析を用いた構造モデルの検討-

2.指数付けと初期構造の探索

(1)Bicalutamide form-I

まずプログラムDICVOL9114) により35本のピークを用いて指数付けを行い、更に、消滅則を調べたところ空間群がP 21/cと定まった。次に、描画ソフトChemSketch15) を用いて平面分子モデルからmolファイルを作成し、実空間法であるSimulated annealing

法(SA法)を用いて構造探索を行った。SA法による構造解析にはプログラムパッケージDASH16) を使用した。プログラムの制約から d ≥ 2.8Å を探索範囲としモデル探索を行った。先に求めた空間群・格子定数を用いてPawley法による積分強度の抽出を行い、Profileχ2 値が最も低くなった結晶構造を初期構造モデルとした。

(2)Bicalutamide form-II

form-Iと同様にプログラムDICVOL0417) により20

本のピークを用いて指数付けを行った。DICVOL04

に追加された角度2θの零点補正と不純物ピークの推定機能が解の探索に有効であった。結果、格子は三斜晶系であると判明したが、粉末回折法の原理から対称中心の有無が判別できないため、初期段階では便宜的に対称心をもつ空間群 P -1を選んだ。form-I と同様の方法でSA法を用いて直接探索を行った。この解析では d ≥ 2.5Åを探索範囲とした。

3.リートベルト法による構造精密化

リートベルト解析はプログラムRIETAN-FP18) を用いた。長波長での透過法実験であるため精密化では線吸収係数も考慮した。ボロシリケートガラスキャピラリーによる非晶質からの散乱は、こぶ状のバックグラウンドとして測定データの精密化の妨げとなる。そのため、11次のルジャンドル直交多項式を重畳した複合バックグラウンド関数で全体のバックグラウンドを見積もった。そのとき初期のバックグラウンドデータはプログラムPowderX19)にて近似した。プロファイル関数には虎谷の拡張分割Pseude-Voigt

関数を使用した。精密化された構造モデルの視覚化にはプログラムVESTA 20)を用いた。form-I, form-IIの各々におけるリートベルト解析の結果をTable 4およびFig. 1~4に示す。

Table 4Structure refinement of Bicalutamide form-I and form-II

Rwp

RB

RF

0.16090.06080.0451

Compound name Bicalutamide form-II(m1)

0.07980.02440.0211

Bicalutamide form-I(±syn – clinal)

Fig. 1 Difference plots of Bicalutamide form-I (±syn–clinal) after the Rietveld refinement. The observed diffraction intensities are represented by plus (+) marks (red), and the calculated pattern by the solid line (blue). The curve (dark blue) at the bottom represents the weighted difference, Yio–Yic, where Yio and Yic are the observed and calculated intensities of the i th point, respectively. Short vertical bars (green) below the observed and calculated patterns indicate the positions of allowed Bragg reflections.

Inte

nsity

2θ/°

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42 住友化学 2008-II

粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析 -密度汎関数理論計算とリートベルト解析を用いた構造モデルの検討-

4.結晶構造の検証

(1)Bicalutamide form-I

リートベルト解析により、信頼度因子Rwp , RB , RF

が下がることで結晶構造は確からしくなるが、結合距離・結合角・ねじれ角等が妥当であるか更に検討する必要がある。特に粉末回折法で行う最小二乗近似は、観測点数が決定するパラメータ数と比較して極端に少ないために偽の解に陥りやすく 3) 検証が欠かせない。結晶構造データベースを用いて結合距離・結合

角・ねじれ角等を検証することは効果的であるが、この検証だけでは十分ではないことがある。特に、

Bicalutamideが不斉炭素を持っており form-I には2つの立体異性体の可能性があったことから詳細に比較、検討した。SA法では、ほぼ同じ構造を持つ立体異性体が先に見つかった場合にはそのモデルで収束する。よく似た立体異性体のため結合距離・結合角・ねじれ角を注意深く検証しないと、偽の解と真の解を見分けるのは困難である。もちろん、Grid search法 3)

のような全探索法を十分なデータ分解能で実施すれば回避できるが計算時間が現実的ではない。例えばSA法のSeed数(スタートモデル)を大幅に増やすことやPallarel tempering法21) で十分時間をかける方法も考えられる。

Fig. 2A single molecule diagram of Bicalutamide form-I (±syn – clinal)

● : C ●: N ● : O ● : H ● : F ● : S

a

b

c

Fig. 3 Difference plots of Bicalutamide form-II (m1, See 4. (2)) after the Rietveld refinement

Inte

nsity

2θ/°

Fig. 4Packing diagram of Bicalutamide form-II (m1, See 4. (2))

● : C ●: N ● : O ● : H ● : F ● : Sa

b

c

Page 5: 粉末X線回折法を用いた Bicalutamide結晶多形の構造解析 ...2008/02/03  · 40 住友化学2008-II 粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析

43住友化学 2008-II

粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析 -密度汎関数理論計算とリートベルト解析を用いた構造モデルの検討-

ンを用い、2つの立体異性体を比較した。このときH

原子の温度因子は一定値に固定した。2つの立体異性体の結晶構造を区別するために

Klyne–Prelog配座表示法を用いた。SA法で得られた分子モデルはO – C – C = O のねじれ角は ±86.82°で± syn–clinal 体(± sc体)と呼ぶ。それに対して–OH,

–CH3 の位置を入れ替えた立体異性体モデルのO–C–C=O のねじれ角は ±156.01°で anti–preplaner

体(ap体)と呼ぶ(Fig. 6)。

リートベルト法による ap体の構造精密化から、Rwp = 0.0690, RB = 0.0188, RF = 0.0167と ± sc体より良好な値を得た(Fig. 7, Fig. 8)。以上の結果から、正しい結晶構造はap体と判断できる。得られたap体の構造モデルは、Vegaらの報告と一致した(Table 5)。

今回、プログラムの制約から d ≥ 2.8Å を探索範囲としたため、Pawley法による積分強度に–OH, –CH3

を見分けるに充分な高次の構造情報が含まれておらず、偽と真の解は見分けが難しい。このデータ分解能に関する検討はKennithら22) の報告に詳しく記載されている。更に、立体異性体の不斉中心を挟む–OH, –CH3 の各電子数は9個で同数である。X線回折法では、電子数と電子の広がりによる回折波を観測値として利用するため、電子数差がほとんど無い場合には、SA法からリートベルト解析までの一通りの操作で真偽を見分けるのはきわめて困難である。本事例では異なる2つの立体異性体が存在すること

は既知である(Fig. 5)。そこで、リートベルト解析で得られた結晶構造を

基に –OH, –CH3 を交換してもう一つの立体異性体モデルを作成した。–OH, –CH3 の違いを見分けるためにデータ分解能 d = 1.3Å(2θ= 70°)までの回折パター

Fig. 5Tree diagram of stereoisomer in Bicalutamide crystal (*See 4. (1))

(RS)-Bicalutamide

form-IIform-I

Racemic compound

Polymorph

ap*± sc*

Fig. 6A single molecule diagram of Bicalutamide form-Ileft : ±syn – clinal, right : anti – preplaner

● : C ●: N ● : O ● : H ● : F ● : S

±syn – clinal anti – preplaner

Fig. 7 Difference plots of Bicalutamide form-I (anti – preplaner) after the Rietveld refinement

Inte

nsity

2θ/°

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44 住友化学 2008-II

粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析 -密度汎関数理論計算とリートベルト解析を用いた構造モデルの検討-

Fig. 8A single molecule diagram of Bicalutamide form-I (anti – preplaner)

● : C ●: N ● : O ● : H ● : F ● : S

a

b

c

Table 5Crystallographic data of Bicalutamide form-I

Chemical formulaSpace group

a / Åb / Åc / Åβ/ °

Unit-cell volume / Å3

Formula unit ZRietveld analysis

Rwp

RB

RF

S

C18 H14 F4 N2 O4 SP21/c (No. 14, setting 1)

14.9064 (4)12.2234 (3)10.4876 (3)

104.7790 (14)1847.7 (7)

4

0.06900.01880.01671.4061

Compound name Bicalutamide form-I(anti – preplaner)

Fig. 9A single molecule diagram of Bicalutamide form-IIleft : m1(exclusion of H atom), right : m2

● : C ●: N ● : O ● : F ● : S

a b

c

Table 6Crystallographic data of Bicalutamide form-II

Chemical formulaSpace group

a / Åb / Åc / Åα / °β/ °γ/ °

Unit-cell volume / Å3

Formula unit ZRietveld analysis

Rwp

RB

RF

S

C18 H14 F4 N2 O4 SP – 1 (No. 2)

7.7875 (3)11.0355 (4)11.2888 (5)87.968 (3)77.050 (3)78.012 (6)924.8 (8)

2

0.08720.01980.01971.6705

Compound name Bicalutamide form-II(Rietveld refinement of m2)

Fig. 10 Difference plots of Bicalutamide form-II (m2) after the Rietveld refinement

Inte

nsity

2θ/°

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45住友化学 2008-II

粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析 -密度汎関数理論計算とリートベルト解析を用いた構造モデルの検討-

ap体の両構造モデルのエネルギー差は ∆0.0697 Ha

(=182.99725242 kJ/mol)と大きな差が見られ、form-I

(ap体)の方が、エネルギー的に安定という結論に至った。これは、リートベルト解析結果と整合性があり、DFT法により明確に区別できた。

form-IIについては、拘束条件付きの構造精密化で得られた結晶モデルm1 と、拘束条件を緩和して得られた結晶モデルm2を比較した場合、部分的に構造が異なることからエネルギー収束値の差が期待された。m1を用いた場合、結晶構造は変化せずエネルギー収束値は –3802.1855665 Haであった。またm2を用いた場合も、結晶構造は変化せずエネルギー収束値は–3802.1990037 Haであった。DFT計算によってm1から真の解であるm2は予測できないが、2つのモデルのエネルギー差は ∆0.0134372 Ha(= 35.2793417256

kJ/mol)となり、この計算条件ではm2がエネルギー的に僅かに安定という結論に至った。リートベルト解析では明確な差が見られたが、リートベルト解析結果と整合性はあるもののDFT計算による各モデルのエネルギー収束値は僅差であった。これはDFT法における分子間の相互作用の力が過小評価された事に起因すると考えられる。

DFT法を用いる場合、分子間相互作用を過小評価する事や、本田ら2)が述べているようにエネルギー最安定の結晶が常に真の解とならない本質的に厄介な問題も残る。しかし、form-Iのような不斉炭素による立体異性体を見分ける場合、リートベルト解析法では僅差だったものが、DFT法によるエネルギー計算では明確な差が見られた。分子の立体配座の評価にはDFT法が有効に機能する。

おわりに

不斉炭素を持つBicalutamideの結晶多形 form-Iとform-IIの構造決定を用いた結晶構造の評価について、リートベルト法とDFT法による構造最適化を併用した構造モデルの検討が有効であることを報告した。今回用いたDASHに代表されるような実空間法プ

ログラム統合パッケージは、良質なデータさえ得られれば、単結晶解析のように半自動的に結晶構造解析が進む。詳細や一部分を除くと比較的近い結晶構造までマウスのクリックだけ得られるようになった。しかし、Le Bail が総括したように粉末法を用いた結晶構造の検証を含めて、単結晶の持つ確からしさに到達するには、まだ多くの問題が残っている。結晶構造解析において単結晶法・粉末法というのは単なる手段の違いであり、結果の確からしさが異なって良い訳ではない。解析者が物質に対しての理解を深め、他の評価方法を積極的に利用する事で正しい解

(2)Bicalutamide form-II

リートベルト解析からRF = 0.0451と比較的良好な値を得たものの Rwp = 0.1609 は決して満足できるものではない(この結晶モデルをm1とする。Fig. 4参照)。そこで、原子間距離・結合角の拘束条件を大きく緩和させてリートベルト法の共役方向法にて精密化したところ、結晶内の分子配座が部分的に異なる構造モデル(m2)が見つかった(Fig. 9)。さらに、歪んだ原子間距離・結合角・ねじれ角を

修正するために構造モデルm2をDFT法 によりGeom-

etry optimizationを実行し(5. 参照)、得られた構造モデルを初期構造としてリートベルト解析を行ったところ、Rwp = 0.0872, RB = 0.0198, RF = 0.0197と劇的に改善した(Table 6, Fig. 10)。この構造は、Vegaらの報告と一致した。

5.密度汎関数理論計算(DFT法)の有効性

H. R. Karfunkelら 23)は半経験的分子軌道計算とDFT法を駆使し有機分子の結晶構造予測を行い、リートベルト解析の初期モデルとして用いて結晶構造解析に成功した。本田らは、現状の計算化学的手法にも課題があり、有機分子のみから結晶構造を求めることは容易でないことを指摘している2)。しかし、結晶構造のエネルギー評価が効果的な場合もあり、SA法からリートベルト解析に至る一連の結晶構造解析において、真の構造モデルに近い分子の立体配座で異なる解が得られた場合、それが正しいかどうかを判別するための解決手段となるものと期待した。ここで、form-Iでは不斉炭素の官能基 –OH, –CH3 が交換されている場合を比較し、form-IIでは分子配座の一部が異なるm1とm2を評価した。form-Iの場合には、各々の分子配座のエネルギー安定性に着目しているのに対し、form-IIの場合には、分子間の相互作用に着目する違いがある。使用したプログラムは、統合パッケージMaterials

Studio24) のDFT法プログラムDMol3を用いた。計算条件はGeometry optimizationにて、数値基底関数として6-31G∗相当のDouble Numerical basis set with

polarization function(DNP)、交換相関相互作用には一般化勾配近似による Perdew-Burke-Ernzerhof

(PBE)汎関数を用いた。全原子のR–cutoff値を 3.3Å

として全ての計算を実行した。DFT計算によりform-I(± sc体)結晶の立体構造は、

リートベルト解析で得られた構造モデルからは変化せず、エネルギー収束値は –7604.3481872 Ha(Ha =

2625.4986 kJ/mol)となった。一方、リートベルト解析から得られた form-I(ap体)の構造モデルから計算した場合でも結晶の立体構造は変化せず、エネルギー収束値は –7604.4178405 Ha となった。± sc体と

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46 住友化学 2008-II

粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析 -密度汎関数理論計算とリートベルト解析を用いた構造モデルの検討-

に近づくものと考える。豊富な3次元の逆空間情報を持つ測定点(ラウエ斑

点)が得られる単結晶X線回折データは、1次元の重なった逆空間情報しか得られない粉末X線回折データ(デバイリング)から見れば非常に羨ましい限りである。それ故、回帰分析論から単結晶解析法が結晶構造決定には優れている事は明白である。単に試料を単結晶化する苦労が軽減するという安易な理由で、最初に粉末法の結晶構造解析を選択するのは適切ではない。やはり最初は単結晶解析を試みるべきである。それでもなお単結晶化が困難な材料は多数存在し、

粉末状態(多結晶体)の評価がどうしても必要なことがある。その場合は、粉末法による結晶構造解析が唯一の解決方法である事を強調しておく。最近、粉末X線解析法の環境は、測定機器・プログラムが長足の進歩を遂げている。粉末法の長所・短所を理解した上で適切に利用することが、粉末法による結晶構造解析の信頼性を向上させ、普及を促進させると考える。本報告が粉末X線解析法の技術発展と材料開発の一助となることを願う。

謝辞

有機化合物の異性体構造と結晶化学に関する考察は、独立行政法人 産業技術総合研究所テクニカルセンター 後藤みどり氏に、また粉末X線構造解析に関する技術的考察については同研究所コンパクト化学プロセス研究センター主任研究員 池田拓史博士に御助言頂いた。ここに深く謝意を表する。

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粉末X線回折法を用いたBicalutamide結晶多形の構造解析 -密度汎関数理論計算とリートベルト解析を用いた構造モデルの検討-

P R O F I L E

乾 昌路

Masamichi INUI

住友化学株式会社基礎化学品研究所主任研究員

上田 正史

Masafumi UEDA

住友化学株式会社精密化学品研究所主席研究員