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平安京右京三条一坊六町・七町跡の調査現地説明会資料 第1調査区 平成23年 (2011) 5月28日 (財) 京都市埋蔵文化財研究所 1 経過 調査地は、平安京右京三条一坊跡の六町北東部と七町南東部にあたります。調査は、第1調査区 から順に第2調査区・第3調査区へと進める計画で、4月初旬から第1調査区の調査を実施して います。重機で現代盛土を約1.4m掘り下げ、現在平安時代の建物や溝・池の他、江戸時代の溝な どを調査中です。 2 遺構 検出した主な遺構を、調査区の南端から順に説明します。建物1は、平安時代前期の掘立柱建物 で、南北4間、東西2間以上の規模があります。建物の柱穴は、南北0.8m、東西1.4mと東西方 向に長く、東側に柱を抜くために掘られた「抜取穴」があります。抜取穴の埋土には焼土や炭が 含まれており、周囲で火災があった後に掘られたようです。この建物1は、身舎が梁行2間、桁 行3間で、南と東に庇の付く南北建物と推定されますが、それを確認するためには西側の柱穴の 配置を確認する必要があります。建物2は、建物1の北東部にある柱穴4基から復元しました。 規模や構造は不明ですが、東西の柱間が広いため、南北方向の廊であった可能性もあります。溝 43は建物2の下に掘られており、若干湾曲するところから、池へ導水する遣水であったかもしれ ません。 三条坊門小路に伴う遺構として、南側溝(溝113)と北側溝(溝114)を検出しました。溝113は、 南側溝を踏襲する位置に掘られた江戸時代前期の溝107・溝110によって大半が壊され、わずかに 南肩の一部が残存する程度でした。三条坊門小路路面も後世の耕作による撹乱が著しく、残存し ていませんでした。 溝115は、北築地想定位置の約2m北側にあるところから、七町側の内溝であったとみられます。 溝内の埋土には粗い砂が充満し、相当の水流があったようです。その北側には池状の堆積がみら れますが、七町内ではこれまでの調査で同様の池状遺構が見つかっており、これが調査区内にも 及んでいたようです。 3 まとめ 右京三条一坊六町は平安時代前期の公卿、藤原良相(813~67)の西三条第(通称「百花亭」) の推定地であり(『拾芥抄』西京図)、平安時代中期には大江公仲の宅地となっていました。検出 した建物1は、六町の中心付近に位置することや西側に池が広がっていることから、池を望む施 設として宴会や儀式などで利用されたことが想定されます。 北側の七町は穀倉院の敷地(『拾芥抄』西京図)とされますが、池の遺構が見つかるなど、邸宅 の様相も備えており、実際には様々な土地利用があった様子がうかがえます。このように、比較 的平安宮(大内裏)に近い六町・七町の状況が徐々に明らかになり、今後の調査を含め、平安京 を復元するうえで貴重な成果が期待できます。 よしみ おおえのきみなか こくそういん - 1 - 十五町 十四町 十三町 十二町 十一町 図1 平安京条坊全体図(黒点部分が調査地) 『平安京提要』角川書店 1994年 P104 図2 町の数え方と町内の四行八門 『平安京提要』角川書店 1994年 P105 十六町 右 京 40丈 40 北一門 北二門 北三門 北四門 北五門 北六門 北七門 北八門 東四行 東三行 東二行 東一行

平安京右京三条一坊六町・七町跡の調査現地説明会 …平安京右京三条一坊六町・七町跡の調査現地説明会資料 第1調査区 平成23年 (2011)

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Page 1: 平安京右京三条一坊六町・七町跡の調査現地説明会 …平安京右京三条一坊六町・七町跡の調査現地説明会資料 第1調査区 平成23年 (2011)

平安京右京三条一坊六町・七町跡の調査現地説明会資料第1調査区

平成23年 (2011) 5月28日(財) 京都市埋蔵文化財研究所

1 経過 調査地は、平安京右京三条一坊跡の六町北東部と七町南東部にあたります。調査は、第1調査区から順に第2調査区・第3調査区へと進める計画で、4月初旬から第1調査区の調査を実施しています。重機で現代盛土を約1.4m掘り下げ、現在平安時代の建物や溝・池の他、江戸時代の溝などを調査中です。2 遺構検出した主な遺構を、調査区の南端から順に説明します。建物1は、平安時代前期の掘立柱建物で、南北4間、東西2間以上の規模があります。建物の柱穴は、南北0.8m、東西1.4mと東西方向に長く、東側に柱を抜くために掘られた「抜取穴」があります。抜取穴の埋土には焼土や炭が含まれており、周囲で火災があった後に掘られたようです。この建物1は、身舎が梁行2間、桁行3間で、南と東に庇の付く南北建物と推定されますが、それを確認するためには西側の柱穴の配置を確認する必要があります。建物2は、建物1の北東部にある柱穴4基から復元しました。規模や構造は不明ですが、東西の柱間が広いため、南北方向の廊であった可能性もあります。溝43は建物2の下に掘られており、若干湾曲するところから、池へ導水する遣水であったかもしれません。三条坊門小路に伴う遺構として、南側溝(溝113)と北側溝(溝114)を検出しました。溝113は、南側溝を踏襲する位置に掘られた江戸時代前期の溝107・溝110によって大半が壊され、わずかに南肩の一部が残存する程度でした。三条坊門小路路面も後世の耕作による撹乱が著しく、残存していませんでした。溝115は、北築地想定位置の約2m北側にあるところから、七町側の内溝であったとみられます。溝内の埋土には粗い砂が充満し、相当の水流があったようです。その北側には池状の堆積がみられますが、七町内ではこれまでの調査で同様の池状遺構が見つかっており、これが調査区内にも及んでいたようです。3 まとめ右京三条一坊六町は平安時代前期の公卿、藤原良相(813~67)の西三条第(通称「百花亭」)の推定地であり(『拾芥抄』西京図)、平安時代中期には大江公仲の宅地となっていました。検出した建物1は、六町の中心付近に位置することや西側に池が広がっていることから、池を望む施設として宴会や儀式などで利用されたことが想定されます。北側の七町は穀倉院の敷地(『拾芥抄』西京図)とされますが、池の遺構が見つかるなど、邸宅の様相も備えており、実際には様々な土地利用があった様子がうかがえます。このように、比較的平安宮(大内裏)に近い六町・七町の状況が徐々に明らかになり、今後の調査を含め、平安京を復元するうえで貴重な成果が期待できます。

よしみ

おおえのきみなか

こくそういん

- 1 -

十五町

十四町

十三町 十二町

十一町

十 町

九 町 八 町

七 町

六 町

五 町 四 町

三 町

二 町

図1 平安京条坊全体図(黒点部分が調査地)  『平安京提要』角川書店 1994年 P104

図2 町の数え方と町内の四行八門『平安京提要』角川書店 1994年 P105

十六町

右 京40丈

40丈 一 町

北一門北二門北三門北四門北五門北六門北七門北八門

東四行 東三行 東二行東一行

Page 2: 平安京右京三条一坊六町・七町跡の調査現地説明会 …平安京右京三条一坊六町・七町跡の調査現地説明会資料 第1調査区 平成23年 (2011)

右京三条一坊七町 二町

右京三条一坊六町

三町

三条坊門小路

路大門嘉皇

路小城坊西

姉小路

図3 周辺調査位置図(1:1,000)『平安京右京三条一坊六町跡』(『京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告2006-13』)を改変。

2006年度調査(20次)

2001年度調査(17次)

1994年度調査(7次)

1997年度調査(13次)

溝 溝

2002年度調査

2004年度調査(19次)

2001年度調査(16次)

第1調査区

第2調査区

第3調査区

柵 建物

建物 7次1区

7次2区

建物 建物

井戸 池

1993年度試掘調査

溝(江戸時代)4区

4区

1区

2区

3区

5区

建物

溝 建物路面

池溝

柵 溝

1区

2区

16次2区

16次1区

築地

築地

洲浜

洲浜

洲浜

1995年度調査(8次) 8次2区8次1区

1998年度調査(14次)14次4区

2000年度調査(15次)

建物

14次5区

2003年度調査(18次)

築地

2009年度調査(古代文化調査会)

X=-109,750

X=-109,800

Y=-23,700Y=-23,750

X=-109,600

X=-109,650

X=-109,700

Y=-23,720 Y=-23,715

Y=-23,720 Y=-23,715

X=-109,680

X=-109,690

X=-109,700

X=-109,710

X=-109,720

X=-109,730

X=-109,740

溝115

溝114(平安中期)

推定北築地

推定南築地

溝107(新、江戸前期)

溝110(古、江戸前期)

柱穴109

柱列4

柱穴105

土坑92

溝43

建物1

柱列3

建物2

コンクリート    基礎

ビル撹乱

104 103 102 101

292751

50 30 28

54 53

56 55

644157

42

111

112

23

24

77

76

87

75

三条坊門小路 (路面消滅)

溝113(平安前期)

路小門坊条三

0 10m

図4 遺構配置図(1:200)