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2006年4月、日本財団の助成により開設されたこのプログラムでは,最先端の深海科学の教育、研究の 場をつくり、世界をリードする研究者・技術者・行政者を数多く育てることを目的としています。研究プログラ ムでは、英国のアバディーン大学と超深海についての研究をすすめています。教育プログラムでは、東京大 学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻において「深海科学概論」、アバディーン大学におい ても ” Abyssal and Hadal Environments” コースが開講され、世界をリードする若手海洋研究者の育 成にも力を注いでいます。多くの人材がここから世界に羽ばたくことによって、私たち人類のもつ深海への 理解が大幅に進むことはまちがいありません。 表紙写真:東京大学海洋研究所 塚本勝巳 連絡先: 〒164-8639 東京都中野区南台1-15-1 東京大学海洋研究所 HADEEP事務局 塚本久美子  TEL:03-5351-6822 FAX:03-5351-6822 メールアドレス : t u k a m o t o @ o r i . u - t o k y o . a c . j p HADEEPホームページ HADEEPブログ 教育プログラム 研究プログラム *日本財団リサーチフェロー 新領域創成科学研究科 農学生命科学系研究科 理学系研究科 大学院教育システム 学位取得時日本財団リサーチフェロー 深海科学教育プログラム HADEEP 事務局 海洋研究所 事務部 HADEEP運営委員会 (委員長:コーディネ ーター) 物理、化学,地学, 生態,生命,資源の 各研究分野から1名 計6名 (研究分野) 教授×1 講師×1 リサーチマネージャー×1 PD ×1 Aberdeen大学 プログラムリーダー(所長) HADEEP 事務局 日本財団 コーディネーター 研究スタッフ リサーチマネージャー ×1 *日本財団リサーチフェロー PD-5 (生命) PD-6 (資源) PD-1 (物理) PD-2 (化学) PD-3 (地学) PD-4 (生態) 教員スタッフ 教授 × 2 准教授 × 5

深海科学教育プログラム 大学院教育システム...2006年4月、日本財団の助成により開設されたこのプログラムでは,最先端の深海科学の教育、研究の

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Page 1: 深海科学教育プログラム 大学院教育システム...2006年4月、日本財団の助成により開設されたこのプログラムでは,最先端の深海科学の教育、研究の

 2006年4月、日本財団の助成により開設されたこのプログラムでは,最先端の深海科学の教育、研究の場をつくり、世界をリードする研究者・技術者・行政者を数多く育てることを目的としています。研究プログラムでは、英国のアバディーン大学と超深海についての研究をすすめています。教育プログラムでは、東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻において「深海科学概論」、アバディーン大学においても ”Abyssal and Hadal Environments” コースが開講され、世界をリードする若手海洋研究者の育成にも力を注いでいます。多くの人材がここから世界に羽ばたくことによって、私たち人類のもつ深海への理解が大幅に進むことはまちがいありません。

表紙写真 : 東京大学海洋研究所 塚本勝巳

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連絡先: 〒164-8639 東京都中野区南台1-15-1 東京大学海洋研究所 HADEEP事務局 塚本久美子  TEL:03-5351-6822 FAX:03-5351-6822 メールアドレス : [email protected]

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深海科学教育プログラム

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物理、化学,地学,

生態,生命,資源の

各研究分野から1名

計6名

(研究分野)

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リサーチマネージャー×1

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Aberdeen大学

プログラムリーダー(所長)

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コーディネーター

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*日本財団リサーチフェロー

PD-5*(生命)

PD-6*(資源)

PD-1*(物理)

PD-2*(化学)

PD-3*(地学)

PD-4*(生態)

・ ・ ・

教員スタッフ

教授 × 2 准教授 × 5

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32

0m 0m

12,000m

12,000m

4,000m

8,000m

8,000m

4,000m

マリアナ海溝(11,000m)

海の平均の深さ(3,800m)

陸の平均の高さ(840m)

富士山(3,776m)

エベレスト山(8,850m)

(水深)

(標高)

4,000m

6,000m

0m

1,000m

2,000m

3,000m

5,000m

0 5 10 15 20 25 30 35℃

相模湾(温帯)

赤道直下(熱帯)

(水温)

(水深)

海水

塩類

100% 0 20 40 60 80

塩分35g 水 965g

Cl- 19.0g Na+ 10.5g

SO42+ 2.7g Mg2+ 1.3g

Ca2+ 0.4g

その他 0.6g

HCO3- 0.1g

K+ 0.4g

私たちの住む地球。水の惑星といわれるように、地球の表面の70%が海です。しかし、私たちは海全体のほんの一部しか目にしていません。海は深く、海底には山も谷もあります。世界で一番深い海は、日本の南東に位置するマリアナ海溝です。水深は約11,000mで、世界一高い山であるエベレストも沈みます。地球全体の海の深さを平均すると、平均の深さは、約3,800m。富士山が沈むほどの深さです。また、海底は3,000mから6,000mの深さのところが最も広く、全海洋の70%、地球の全表面積のほぼ半分を占めています。

海水にはいろいろな成分が溶けています。海水の塩分は、場所によって多少の差はありますが、約3.5%です。海水1kgに、約35gの塩類が溶けていることになります。海水に溶けている塩類の中でもっとも多いのは、食塩のもとになるナトリウムイオンと塩素イオンで、全体の約86%を占めます。海水に含まれる主要な成分の比率はどこの海水でもほぼ一定です。図にしめした7種類のイオンで溶けているすべての成分の99%をカバーします。

全海洋をめぐる海水の大循環があります。北大西洋北部のグリーンランド沖と南極海で冷やされた海水が沈みこみ、冷たく重い深層水になります。深海底を移動した深層水は、インド洋北部と北太平洋でわき上がり、海流の一部となって出発点にもどります。この大循環はベルトコンベアー循環とよばれ、グリーンランド沖で沈んだ海水が北太平洋にたどりつくには約2000年かかります。この循環は、ただ海水が移動するというだけではありません。海水中にふくまれる栄養分を運ぶ大切な役目も果たしており、海の生物の生活にも大きく影響しています。

海の基礎知識 

■海水の成分

■光、水温、圧力

■海水の大循環

海で光の届くのは、汚染のない外洋でさえ、表面のたった200mだけです。それより深い海は、光のほとんど届かない、暗黒の世界です。温度も、深さとともに下がります。赤道直下の熱帯の海でも、1,000mを超すと5℃以下になります。圧力は、10mごとに1気圧あがります。11,000mの海では、1,100気圧の圧力がかかります。そんな暗黒、低温、高圧にさらされる深い海にも生物は生きています。それぞれの生物は、生きる環境により独自の進化をとげています。海底からわきでる硫化水素を利用する細菌を共生させているシロウリガイのように、真っ暗な深い海では太陽の恵みをまったく受けずに生きる生物もいます。

■陸の高さと海の深さ

(Brocker 1991, Oceanography, 4, 79-84)

海洋のベルトコンベアー循環

赤道と相模湾の水温の垂直分布

海水1kgに含まれる塩類陸と海

私たちが見ている海は、実はほんの一部です。「深海を探る」まえに、海について少し知っておきましょう。

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■海の食物連鎖

植物プランクトンが栄養を作ります。陸の植物のように、海では植物プランクトンが太陽の光と海水に溶けているリンや窒素を使って栄養を作り出します。その栄養を、動物プランクトン、そして魚が利用します。海の中には私たちの目に見えない微生物もたくさん生きています。細菌や原生動物も栄養の循環の一翼を担っています。このように海に生きるすべての生物がつながりあって海の生態系は成り立っているのです。

54

ネクトン

ウイルス

細菌

動物 プランクトン

植物 プランクトン

10~100 m

10~10 m

10 cm~ 1 m

1~10 cm

1~10 mm

0.01~ 0.1∫*

0.1~1.0 ∫

1.0~10 ∫

10~100 ∫

100∫~ 1 ∫

*∫ :マイクロメートル(1,000 ∫=1 mm)

海底はいつも動いています。世界でもっとも深い海はマリアナ海溝ですが、すべての海溝は、海底でプレート同士が衝突して地球内部へと沈み込むところに作られます。プレートは、リソスフェア(岩石圏)からできています。地球表面は何枚かのプレートで構成されており、このプレートがお互いに動いていると説明している学説が、プレートテクトニクスです。プレートの動きは、アセノスフェア以深の、年間数cm程度の、ゆっくりとした物質の流れにより生じていると考えられています。

生命は38億年前に海で誕生したといわれています。現在も、さまざまな生物が海で生活しています。海底で生活する貝のような底生生物と呼ばれる仲間、海にただようプランクトン、そして海を泳ぐ魚やクジラなとはネクトンと呼ばれます。1mmの十万分の一しかないウイルスから、数十メートルになるクジラまで、海の生物の大きさはさまざまです。

海の基礎知識

■海の生物とその大きさ

リ ン 窒素

植物 プランクトン

植食性動物 プランクトン

肉食性動物 プランクトン

溶存態有機炭素

細菌 原生動物

生食食物連鎖

微生物ループ

■動く海底

海底の概念図

(Press, Understanding Earth, 2003)Lithosphere(リソスフェア):岩石圏 Asthenosphere(アセノスフェア):リソスフェアの下にある流動的な層

海溝

生物の大きさ(ウイルスからクジラまで)

栄養の流れ

海の細菌(顕微鏡写真) プランクトン クラゲ

チョウチンアンコウ属の稚魚 ネンブツダイ

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ランダー ~超深海の観測機器~

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地球表面の70%を占める海。その海全体の98%が「深海」です。「深海」とは、太陽の光の届かなくなる200m以深のすべての海をさし、暗黒、低温、高圧が世界を支配します。私たちHADEEPの研究プログラムでは、深海の中でも特に「超深海」を対象として研究をすすめています。「超深海」とは、6,000m以深の海域をよび、主に海溝で構成されています。

「超深海」は、世界のなかでも特に、海底でプレートの沈み込みがおこる日本近海に集中しています。図では、赤色の海域が超深海(6,000m以深)です。海の部分の青色は、濃くなるほど深さが増すことを表しています。

研究プログラムでは、イギリスのアバディーン大学オーシャンラボラ

トリーと共同研究をしています。共同製作した海底設置型長期観察シ

ステム(ランダー)を使って、超深海域の物理、化学、地学、生態,資源

の総合的調査をしています。ランダーに深海環境に耐えるカメラやビ

デオを取り付け、超深海に生きる生物を撮影し、そのデータを解析しま

す。また、フィッシュトラップを使って深海魚の捕獲もめざしています。

研究プログラム

■超深海域の分布

0m200m

3000m

6000m

epipelagic (表層)

(中深層)

(漸深層)

(深海層)

(超深海層)

Abyssopelagic

Hadal zone

mesopelagic

Bathypelagic

1000m 深海 > 200 m

超深海 > 6,000 m

最大深度=11,000 m

2% 2%

70%

26%

研究船から海へ降ろされるランダー。船上のクレーンで吊りおろします

■海の垂直区分と割合

ランダーとよばれる超深海の観測機器。

カメラやビデオを設置し超深海におろします。

(Smith, W. H. F. and D. T. Sandwell, Science, v. 277,p. 1957-1962, 26 Sept., 1997)

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毎年、東京大学海洋研究所とアバディーン大学の研究者が、学術研究

船の研究航海に乗船し、超深海の研究にいどみます。今までに、生物が

いる海域や水深に関して、いくつかの発見をしました。また、超深海で

生物が行動している映像の撮影にも成功しています。捕獲した魚や画

像から、新しい生物種や深海魚の生態が明らかになると考えています。

超深海の生物について、正確な情報は世界でもまだごくわずかしかあ

りません。これからの研究航海でも、超深海の研究調査をすすめていき

ます。

98

研究プログラム

周囲を海に囲まれた私たちの国。しかし、海洋研究は沿岸にかたよっており、地球最後のフロンティアである深海の研究者はまだまだ不足しています。 教育プログラムでは、深海研究者を養成することに力を注いでいます。 ここからは、研究者をめざし日々研鑽をつんでいる若手博士研究員の研究成果を紹介します。

教育プログラム

学術研究船:「白鳳丸」 全長:100m、幅:16m、総トン数:3,991トン、定員:89名 学術研究船:「淡青丸」 全長:51m、幅:9m、総トン数:610トン、定員:38名

ソコダラの仲間

マリアナ海域5574mで撮影された深海魚(Coryphaenoides yaquinae)イルカの死体に群がる魚たち

学術研究船

ランダーのカメラで撮影した魚たち

写真:東京大学海洋研究所 亀尾桂

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1.「ナメクジウオ-頭索動物の生物学-」安井金也・窪川かおる・東京大学出版会2.「潜水調査船が観た深海生物-海洋生物研  究の現在-」藤倉克則・奥谷喬司・丸山正・東海大学出版会

10 11

る、3)雌雄はペアを作らないが、多くのナメクジウオが集中して産卵する時間帯があるなど、ナメクジウオの産卵の様子が明らかになりました。深海や極限環境でも同じように産卵するのか、それとも違うのか、更なる興味もわいてきます。さらに、ナメクジウオの産卵をコントロールする体の仕組みが、私たちヒトを含む脊椎動物への進化の歴史の一部を見せてくれました。その例が、卵や精子の成熟と産卵に関わる性ステロイドホルモン(以下、性ホルモン)です。性ホルモンは、私たちヒトをはじめとして、哺乳類から魚類までが広く使っている生殖に重要なホルモンです。ナメクジウオ以外の無脊椎動物は性ホルモンをつくれません。つまり、脊索動物の誕生とともに性ホルモンをつくる仕組みが備わり、今はナメクジウオと脊椎動物に受け継がれているということです。しかし、この性ホルモン合成を調節するもう一つのホルモンは、ナメクジウオは持っていません。調節ホルモンは、私たち脊椎動物ならではの複雑なものなのです。私たちへの進化の背後には、このような生殖をコントロールする仕組みの進化があったのです。動物の最も基本的な子孫を残すという仕組みの進化の歴史。ナメクジウオは私たちにそれを語ってくれる、魅力的な「ご先祖さま」なのです。

ナメクジウオ属の生息地 カタナメクジウオ属、オナガナメクジウオ属の生息地

ナメクジウオ カタナメクジウオ オナガナメクジウオ ゲイコツナメクジウオ

(例)  ナメクジウオ   (右写真、♂、バーは1cm)

特徴:生殖腺(精巣や卵巣)が腹側に左右対称にある

ナメクジウオ属

(例)  カタナメクジウオ

特徴:生殖腺(精巣や卵巣)が腹側の 右側にだけある

カタナメクジウオ属 (例)  オナガナメクジウオ      ゲイコツナメクジウオ

特徴:生殖腺(精巣や卵巣)が体の右側にだけある、 体の後部が尖っている(糸状突起)

オナガナメクジウオ属

水田 貴信

ナメクジウオが語る私たちへの進化のみち

夏で、雌から卵が、雄から精子が海水に放出され、体外受精します。24時間以内に孵化(ふか)し、約1ヶ月間はプランクトン幼生として海水中で生活します(図3)。成体になると海底に降り、底生生活を始めます。海底にすむ動物なので皆さんが目にする機会はなかなかないかもしれません。ところで、日本近海の4種のうちの1種は、2004年に発見された新種です。ゲイコツナメクジウオとよび、水深230m、死んだ鯨を海底に沈めた場所で、鯨骨の真下の砂や骨の中にいたのです。鯨骨は腐ると硫化水素やアンモニアを発生し、まわりの海水の酸素濃度が少なくなります。このような環境は極限環境とよばれ、他に深海底の熱水噴出孔が知られています。ゲイコツナメクジウオは、深海や極限環境にも適応できる生命力の強さを私たちに示すとともに、ナメクジウオの生活史、生態を見つめなおすきっかけを与えてくれた存在です。

'ナメクジウオが語る進化とは?

私たちは渥美半島沖で採ったナメクジウオを飼育室で産卵させることに成功しました。さらに、赤外線照明を使った暗視野ビデオ撮影を毎日行い、世界で初めて産卵行動を観察することに成功しました。その結果、1)突然砂から猛スピードで泳ぎ出て水中産卵する、2)一日の最初は必ずオスが出てく

'ナメクジウオって何?

約46億年の地球の歴史の中で、生命は原核生物から真核生物へ、単細胞生物から多細胞生物へ、そして無脊椎(せきつい)動物から脊椎動物へと進化を続けながら、地球環境に適応して生きてきました。そして現在、私たちは様々な動物たちを目にすることができます。私たちヒトを含む脊椎動物への進化を考えるとき、無脊椎動物たちの中でも、もっとも脊椎動物に近い動物として、ホヤやナメクジウオが注目されます(図1)。脊椎動物、ホヤ、ナメクジウオの3者は、一生のうち少なくとも一時期、脊索(せきさく)という器官を持つ「脊索動物」として分類され、共通の祖先から進化したと考えられているからです。脊索を持つ動物の誕生は、カンブリア紀の地層で化石が見つかったことから約5億3千万年前であったことがわかっています。現在地球に生きる脊索動物の中でもっとも原始的で、脊索動物の誕生と脊椎動物への進化を解き明かす鍵を握る動物、それがナメクジウオです。

'ナメクジウオの生活

ナメクジウオは100mより浅い砂質の海底にもぐって生活し、プランクトンを食べて生きています。世界中で約30種、日本近海では4種が知られています(図2)。産卵期は

刺胞動物

頭索動物

尾索動物

脊椎動物 節足動物

軟体動物

環形動物

棘皮動物

動物門

動物亜門

無脊椎動物

脊索動物

ホヤ

ナメクジウオ

エビ、カニ

サンゴ、イソギンチャク、 クラゲ

ゴカイ

貝類、ウミウシ、タコ ウニ、ヒトデ、ナマコ

海洋(表層)

海底(砂質)

図1 生物の系統樹

図3 ナメクジウオの生活環(ライフサイクル)

図2 ナメクジウオの生息地

より詳しく知りたい人に

初期発生産卵、受精

成熟

着底

浮遊幼生期(1ヶ月~)

ふ化(~24時間)

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図4 魚類250種の系統樹と配置変動

佐藤 崇

深海魚とミトコンドリアゲノム遺伝子配置の進化

遺伝子配置を持つ生物は近い種類だと考えることができます。遺伝子配置変動が生じるメカニズムについては、注目を集めてはいますが、データが不足しており未だ解明には至っていません。私は魚類を対象に、ミトコンドリアゲノム

の遺伝子配置変動の研究を行っています。魚類は、脊椎動物全体の半分近くの種(約27,000種)を含み、他の脊椎動物と比べてもっともデータが充実しています(2007年までで約400種)。この魚類のミトコンドリアに、どの程度の配置変動が生じ、どのようなタイプのものが多いかなどの解明を目指しています。これまでのところ、魚類では40以上のさまざまなタイプの遺伝子配置変動が新たに見つかりました。そしてその半数以上が、チョウチンアンコウやリュウグウノツ

'ミトコンドリアゲノムとは?

「ミトコンドリア」と言う言葉は、よく耳にすると思います。ミトコンドリアは、ほぼ全ての真核生物の細胞に存在する細胞内の小器官で,細菌からヒトに至るまで、生物が生きていくために不可欠なエネルギーを合成しています。このため「細胞の発電所」とも呼ばれます。ミトコンドリアは、細胞の核の遺伝子とは別に、ミトコンドリア独自の遺伝子を持っています。これをミトコンドリアゲノムと呼んでいます。遺伝子は、アデニン、チミン、グアニン、

シトシンの4つの塩基が対(つい)を作って成り立っています。動物のミトコンドリアゲノムは,長さが16,000~20,000塩基対で、輪になった二本の鎖から構成されます。普通は13個のタンパク質、2個のリボゾームRNA(rRNA)、22個の転移RNA(tRNA)の計37個の遺伝子が、ほとんど隙間なく並んでいます(図1:中央)。1980年にすべての生物の中ではじめて、ヒトのミトコンドリアゲノムの塩基の配列がすべて決定されました。それ以来、さまざまな動物のミトコンドリアゲノムの塩基配列が決定され、ミトコンドリアゲノムに並んでいる37遺伝子の種類は、どのような生物でもほぼ共通であることがわかってきました。また、これら37遺伝子の並び順(遺伝子配置)が、ヒトを始めとしてマウスやウシなどの哺乳類、イグアナなどの爬虫類、ツメガエルなどの両生類、コイなどの魚類を含む脊椎動物では、全く同じ順番で並んでいることが判明しました。そのため、比較的初期の段階では、脊椎動物のミトコンドリアゲノム遺伝子配置は,非常によく保存されていると考えられてきました(図1)。

'魚のミトコンドリアゲノムの遺伝子配置

しかし近年、ミトコンドリアゲノムの全塩基配列データが充実し、脊椎動物の中でも違う並び順(遺伝子配置変動)を持つものが見つかってきました(図2)、この遺伝子配置変動という進化イベントは、生じる頻度がとても低いため、同じように変わった

図3 ソコダラ科魚類で見つかった多様なミトコンドリアゲノム遺伝子配置

図2 脊椎動物の典型的な遺伝子配置変動

図1 脊椎動物のミトコンドリアゲノム配列

哺乳類爬虫類

両生類

魚類

マウス

ウシ

ヒト

イグアナ

カモノハシ

ツメガエル

コイ

深海魚と遺伝子配置変動の間には関連性がある?

ごく稀に遺伝子配置変動が報告されている

1.「魚の自然史(水中の進化学)」松浦啓一、宮正樹編著。北海道大学図書刊行会

2.「ミトコンドリア・ミステリー驚くべき細胞小器官の働き」林純一著。ブルーバックス

3.「生と死の自然史ー進化を統べる酸素」ニック・レーン著、西田睦監訳、遠藤圭子訳。東海大学出版会

より詳しく知りたい人に

カイなど、一般に「深海魚」と言われる魚種から発見されました。図3では、魚類でみつかった配置変動の一例として、代表的な深海魚であるソコダラ科のミトコンドリアゲノム遺伝子配置を示しました。このように、同じ科に属するとても近い間柄の種類でも、ミトコンドリアゲノムのさまざまな位置で、配置変動が生じていることが明らかになりました。

'ミトコンドリアゲノム遺伝子配置変動と深海魚

これらの遺伝子配置データをもとに、魚類という大きなグループの進化の過程で、遺伝子配置変動がどの時期におこり,どのように伝わってきたのかを知ることが可能です。そのために、魚類全体の系統樹を作成し、これに遺伝子配置変動の情報を重ね

合わせてみました(図4)。その結果、遺伝子の配置変動は系統樹の先端に多く見られ、深海魚類とほぼ重なりあうことがわかりました。これはまだ想像の域を超えませんが、系統樹の先端部分に多くの配置変動があることから、それほど古くない時期に、魚類が深海という極限環境に適応するため、細胞の発電所であるミトコンドリアに何らかの変化をまねいた結果なのかもしれません。以上のように,深海魚類のミトコンドリアゲノムを調べることによって、その魚種の進化の道筋はもちろんのこと、遺伝子配置変動という興味深い進化イベントのメカニズムにも迫れるものと考えています。

脊椎動物の遺伝子配置は非常に保存的

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14 15

ホソヌタウナギ

硬骨魚類

ゼブラフィッシュ

フグ

メダカ

ニジマス

図3 浸透圧調節ホルモン(アドレノメデュリン)の系統樹

黄 國成 (Wong M. Kwok Shing)

ホソヌタウナギから人へと進化した浸透圧調節ホルモン

アドレノメデュリンは、私たち哺乳動物も持つ重要なホルモンで、血管や気管支の拡張、利尿など多くの働きをすることから、現在医学的にも注目されています。硬骨魚類の中にも、ホソヌタウナギのものとは少し形のちがったアドレノメデュリンを持つものが見つかっています。それぞれの遺伝子を比較した結果、ホソヌタウナギのアドレノメデュリンは、硬骨魚類のアドレノメデュリンの祖先であることがわかりました(図3)このように、環境に適応するためのホルモンであるアドレノメデュリンが、魚類の中に、あるいは私たち哺乳動物へどのようにひろがってきたかを研究することによって、私たち生物がそれぞれの地球環境にどのように適応してきたかという進化の道筋も理解することができそうです。

'海水で生きるために必要な浸透圧調節

海の水が塩からいのは、食塩として使用する塩化ナトリウムをはじめとして、マグネシウムやカルシウムなどの多くの塩類が溶けているためです。私たち人間や多くの脊椎(せきつい)動物の体液は、約0.9%の塩類を含んでいますが、海水はその3倍以上(約3%)を含みます。濃い食塩水の中に野菜を入れるとしなびてしまうことは知っていますか? 塩類の多い環境にさらされると、浸透圧*の関係で、薄い体液を持つ生物はからだの中から水分が奪われてしまいます。ですから、海で生活する生物たちは、濃い塩分の海水のなかで体内の水を奪われないように、様々な戦略をとりながら生きています。*浸透圧とは、膜で2つに仕切った容器のそれぞれに濃さの異なる溶液を入れた場合、濃いほうから薄い方へ溶液の成分が移動する時に、膜にかかる圧力のことです。

'浸透圧を調整するホルモン

魚類には、硬骨魚類(骨の大部分が、硬骨と呼ばれる硬い骨)と軟骨魚類(骨がすべて軟骨。サメ、エイなど)がいます。ほとんどの硬骨魚類の体液は、他の脊椎動物と同じく海水の1/3ほどです。ではなぜ体液の3倍もの塩類を含む海水にかれらは生きていられるのでしょうか。彼らは飲んだ海水の成分を体内で海水より濃く濃縮し、浸透圧によって余分な成分を鰓や腎臓から海へ排出することで、体液

鰓 (えら)

腎臓

海水

水 Mg2+、Ca2+ など

Na+、Cl+

図1 浸透圧調節に関係する器官と、水と塩類の出入り 図2 ホソヌタウナギ

1.「浸透圧的適応」井上広滋。「海洋生の機能‐生命は海にどう適応しているか」竹井祥郎編。海大学出版会

2.「海は不思議の玉手箱」竹井祥郎。「16歳からの東大冒険講座{1}記号と文化/生命」東京大学教養学部編。培風館

3.「カルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP)ファミリーの分子進化」御輿真穂、竹井祥郎。生体の科学57、436-438、2006

より詳しく知りたい人に

を1/3に保っています(図1)。このように浸透圧を調節することは、

魚が海で生きていくのに欠くことのできない機能です。浸透圧の調整には、体内で作られる「浸透圧調整ホルモン」が大きく関係しています。浸透圧調整ホルモンには、アンギオテンシンやコルチゾルと呼ばれるホルモンなどがあります。

'ホソヌタウナギは海水と同じ濃度の体液をもつ!

実は、魚には硬骨魚類や軟骨魚類のほかに無顎類(むがくるい)とよばれる魚(下あごのない魚。ホソヌタウナギ、ヤツメウナギなど)がいます。無顎類は、もっとも古い脊椎動物だといわれています。ホソヌタウナギ(図2)は、通常深い海にすみ、他の動物の死体を食べて生活しています。硬骨魚類と違い、ホソヌタウナギの体液は海水と同じ濃度です。ホソヌタウナギは、硬骨魚類よりずっと昔、地球上に誕生しました。その頃の生物にはまだ浸透圧調整ホルモンを作る機能がなく、ホソヌタウナギは体液を海水の1/3にすることができないのです。しかし分子生物学の進歩が、興味深い事実を発見してくれました。最近になって、ホソヌタウナギにも浸透圧調節ホルモンらしい遺伝子がいくつもあることがわかったのです。ホソヌタウナギの遺伝子も、体液を1/3にする準備をしていたのですね。ホソヌタウナギが持っていた浸透圧調節ホルモンらしき遺伝子の中に、アドレノメデュリンというホルモンがありました。

エビスダイ(硬骨魚類) ホウボウ(硬骨魚類) ヒラタエイ(軟骨魚類)

写真:京都大学フィールド科学教育研究センター 益田玲爾

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図3 アカウミガメの回遊経路(和歌山県南部町)

和歌山県南部町で産卵後、アカウミガメ5頭(各印がそれぞれ1頭を表します)を人工衛星で追跡した結果。海は青色が濃いほど深いことを表します。

図4 アカウミガメの回遊経路(鹿児島県上屋久町)

鹿児島県上屋久町で産卵後、アカウミガメ2頭を人工衛星で追跡した結果。海は青色が濃いほど深いことを表します。

畑瀬 英男

ウミガメの生活史

先に書いたような一生を送っていると考えられてきました。しかし最近の人工衛星を使った追跡の結果から(図1と2)、産卵後のカメの中に、浅い海へ向かわずに、水深が1,000mを越えるような外洋でずっと生活し続けているカメがいることがわかってきました(図3と4)。このような個々のカメによる産卵後の生活の違いは、それらカメたちの産んだ卵の成分から明らかになりました。卵黄の成分を詳しく測定したところ、浅い海で生活していたカメは主に底生生物を食べていた値を示し、外洋へ向かったカメは主に浮遊生物を食べていた値を示しました。全体的にみると、大人のアカウミガメの雌の8割が主に浅い海で生活し、残り2割が主に外洋で生活していたことがわかりました。アオウミガメの雌では、7割が主に浅い海で生活し、3割が主に外洋で生活していました。特にアカウミガメの場合、小型の雌ほど外洋で生活し、大型の雌ほど浅い海で生活する傾向がありました。

'何故、異なる生活をするのか?

ではなぜ成熟前の子供の時のように外洋で生活を送る大人のカメがいるのでしょうか? アカウミガメとアオウミガメが大人になると浅い海に戻ってくるのは、外洋より浅い海により栄養価の高い餌が多いため、そこでより良く成長するためであると考えられています。この考えにもとづけば、大人になっても外洋で生活し続けて

いるカメは、なんらかの原因で外洋でも充分に成長できたため、わざわざ浅い海に移ってこなくてもよかったのではと思われます。このように、大人になるまでの成長の良し悪しで、今まで知られていたものとは異なる生活をおくるカメも出てくるのかもしれません。このように一般とは異なる生活をする仲間を持つ生物には、カメ以外にも、サケ、ウナギ、サンショウウオなどが知られています。今後は、同じ種類のカメなのにどうしてこのように違う生活をするようになったのかを明らかにしていきます。遺伝的な違いがあるのか、生活の違いにより生き延びる力や子孫を残す力にどのような影響があるのかなどを調べなければなりません。

'ウミガメの一生

現在、世界には7種のウミガメが生息しています。そのうち日本で産卵するのは、アカウミガメ、アオウミガメ、タイマイの3種です。中でもアカウミガメとアオウミガメが、日本のウミガメの産卵のほとんどを占めています。春から夏の夜に砂浜で産み落とされた卵は、約2ヶ月かかって孵化(ふか)します。夜中に巣穴から約100匹もの子ガメが一斉に這い出し、大海原へと旅立ちます。海に入った子ガメは一目散に泳ぎ続け、天敵の多い浅い海を離れます。外洋へ出た子ガメは、そこで主に動きのにぶいゼラチン質プランクトンなどの浮遊生物を食べて、数年から数十年、外洋で生活します。成長して大きくなると、カメは再び浅い海へ戻ります。この時から海底にいるカニや貝などの底生動物や海藻などを食べるようになります。さらに成長して成熟すると、カメは春に生まれた砂浜近辺に戻ります。そこで雄と雌が出会って交尾します。雌は約2週間ごとに砂浜に上陸して1~6回の産卵を行います。繁殖を終えると、カメは浅い海の餌場へ戻ります。このように季節による餌場と産卵場の間の行き来を、カメは数年ごとに繰り返します。

'知られていた一生とは異なる生活をおくるカメがいた!

いままではアカウミガメもアオウミガメも

図1 人工衛星用電波の発信機を背中に取り付けられたアカウミガメ 図2 人工衛星用電波発信器

1.「海の生物資源」海洋生命系のダイナミクスシリーズ第4巻。渡邊良朗編。東海大学出版会2.「海の環境100の危機」東京大学海洋研究所DOBIS編集委員会編。東京書籍

より詳しく知りたい人に

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積み重なって新しい海底を作ります。海底の様子は写真で撮ることが出来ないので、海中に音波を送受信する機械を用いて観察します。ここでご紹介するのは、グアム西方沖に広がる「マリアナトラフ(図3)」にある海嶺を観測した結果です。マリアナトラフは背弧拡大系の一つで、とても特徴的な弓形の地形をしています。図4は海嶺で重ねて起こっている火山活動を捉えた画像です。この画像からは、海底火山から噴出したばかりの溶岩流の様子と、複数の断層がさまざまな走向で発達している様子がわかります。この研究の結果、弓形のマリアナトラフでは海嶺から西側に広大な海底が作られているように見えるのに(図3参照)、海嶺のごく近傍では世界中の他の海嶺で普通に見られるごく対称的な海洋底生産があることがわかりました。つまりマリアナトラフで海嶺は、左右同じように海底を生み出すものの、その後、海溝へ向かって位置を変えていたのです。

'研究課題は盛り沢山

海嶺研究を概観すると、海底がうまれる場所の研究には一見筋の通った理解が得られたかに見えます。しかし少し細か

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図3 マリアナトラフ周辺の地形図

白点線で示した枠内が「マリアナトラフ」。黒点線は海嶺の位置を示します。(Etopo2*データを使用)

図4 観測データ

右:観測データ。色が薄いほど固い海底、即ち新しい溶岩流の存在を示します。左:データの解釈図。青矢印は南北走向、緑矢印は北西-南東走向の亀裂、赤矢印は最新の溶岩流。赤枠内にはさまざまな走向の断層が重なっている様子が見えます。

浅田 美穂

「生きている地球」の証し--動く海底

く「海嶺でプレートを両側に押し出して海底を造る」との印象が生まれがちなのですが、どうやら「プレートが離れていくから、海嶺が出来る」ほうが現実に近いようです。海嶺の気持ちになって事象を観察すると、「プレートが離れて行くから海底に隙間があき、そこへ地球内部物質が上昇してきて埋まって、新しい海底ができる」という、とても受動的なシナリオが見えます。受動的だからこそ、海嶺はプレートと共に動き、時には海溝で沈み込んだりもします。アメリカ西海岸のカリフォルニア州を南北におよそ1,000kmにもわたってつらぬくサンアンドレアス断層は、沈み込んだ海嶺が大陸に影響をもたらしてできた大断層です。海嶺には、「中央海嶺」と呼ばれ太平洋や大西洋など大きな海の底を造るものと、「背弧拡大系」と呼ばれるより小規模なものがあります(図2)。背弧拡大系は海溝で沈み込む別のプレートの影響を受けて活動する海嶺で、中央海嶺よりも短命で不安定です。

'海嶺で生まれたばかりの海底の様子

そんな海嶺で、海底はどのようにして作られるのでしょうか。殆どの海嶺では、火山活動によってもたらされる溶岩流が

'プレートテクトニクス

私達が暮らす地球が、生きている惑星と呼ばれる理由。それは、地球内部でマントルが循環し、地表ではたくさんの火山が活動しているためです。地球上の火山活動の多くは、プレートテクトニクスがあるために起こります。地球表面の陸だけでなく海底をもおお

う固い岩盤は、「プレート」と呼ばれる幾つかのパーツに分かれるれています。プレートは、「海嶺」と呼ばれる海底の大山脈で作られます。海嶺は、全長8万キロにもおよぶ火山列を形成します(図1)。ここで作られたプレートは、地表全体を様々な方向に様々な速度で移動し、「海溝」と呼ばれる深い溝で地球内部へと戻って行ったり、またはヒマラヤのように高くせり上がったりします。私が研究対象としている深度6,000m以上の超深海環境が存在するのも、高さ8,000m級の山々がそびえたつのも、この地球上にプレート・テクトニクスがあるからです。

'海嶺の基本的な性質

海嶺は、プレートが動き離れる場所に発生します(図2)。海嶺については、よ

図1 地形図

右:赤線は海嶺を、青線は海溝を表します。(Etopo2*データ使用)

図2 海底の概念図

海嶺で離れるプレートの間を埋めるようにマントルが上昇し、火山活動となって、新しい海底を作ります。

1.「深海生物学への招待」長沼毅著。NHKブックス内容は地球科学分野ではありませんが、深海底への興味をかき立てられるとても面白く読みやすい本です。2.「生きている深海底海底2万哩地球科学の旅」小林和男著。平凡社海洋底地球科学の研究内容を網羅しているのに親しみやすいこの本です。小林先生は現在でも名誉教授として時々海洋研究所にいらして、研究を続けておられます。

より詳しく知りたい人にい事象に目を向けてみると説明出来ない事柄が数多く残されています。ご紹介したマリアナトラフでも、海嶺付近の詳細な火山活動を明らかにしたのは本研究結果が初めてですし、なぜ海嶺が位置を変えるのかはまだ分かりません。生きている地球のより確かな姿を探すべく、これからも世界中の海嶺を対象に、研究を続けて行こうと思います。

*Smith, W.H.F., and D.T.Sandwell, Global seafloor topography from satellitealtimetry and ship depth soundings, Science, v.277,p. 1957-1962, 26 Sept., 1997.

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図3 新種の火山「プチスポット」の形成メカニズム

Hirano博士らにより、2006年7月28日付の米科学誌サイエンス電子版に発表されたプレートは、海溝から沈み込む前に大きくたわみます。最も新しい火山が発見された三陸の800km沖(図2(b)および(c))は、ちょうどプレートがたわみ始める場所に相当します。

図4 地球上層部の構造と火山の下でマグマが作られる様子

上部マントルには、過去に沈み込んだ海洋プレートや剥がれ落ちた大陸プレートに由来するリサイクルされたプレートの断片が数多く存在しています。オレンジの四角は、プチスポット火山のマグマが作られる様子を示しています。一方、青と赤の四角は、それぞれ太平洋の中央海嶺とインド洋などの中央海嶺の下でマグマが作られる様子を示しています。

町田 嗣樹

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新種の火山「プチスポット」はリサイクルの先輩!?

2006年7月28日、ある一つのニュースが新聞各紙の紙面を賑わせました。

それは、「今まで地球上で知られていなかった全く新しいタイプの火山が、

三陸沖800kmの太平洋の深海底に見つかった」というものでした。

この新種の火山活動は「プチスポット」と名付けられ、

地球がどの様な構造でどの様な物質でできているのか?

地球を構成する物質がどの様に循環しリサイクルされているのか?

を理解するための鍵として注目を集めています。

山活動」という現象のことを「プチスポット」と呼び、その結果作られる火山のことを「プチスポット火山」と呼んでいます。

'プチスポットは地球内部を覗くための新しい窓

地球内部の物質を調べるにはどのような方法があるのでしょうか? その答えは、地球表面の火山が握っています。火山を作るマグマは、地下のある深さの岩石が融けることによって作られます。したがって、マグマを分析することによって地球深部の物質に関する情報を得ることができるのです。中央海嶺で噴出するマグマは、地球の

浅い部分の上部マントルが溶けて作られます(図4)。一方、ホットスポットで噴出するマグマは、地球の深い部分から上昇してくるマントルプルームがプレート直下で溶けて作られます(図4)。したがって、中央海嶺の溶岩が上部マントルを、ホットスポット火山が下部マントルの組成を反映していると考えられます。では、プチスポットはどうでしょうか? プチスポット火山をつくるマグマは、地下90km以深で作られたと考えられています(図3)。そこはちょうどプレートの直下の上部マントルですので、プチスポットは「上部マントルを覗くための新しい窓」ということになります。

'プチスポット火山は昔のプレートのリサイクル!

中央海嶺で作られたプレートは、海溝で地球内部へ沈み込んでいます(図1、4)。プレートは、地球が誕生した頃から作られ続けているので、地球深部には、何億年前という遠い昔に作られて沈み込んでしまったプレートが、たくさん蓄積され

ています。また、大陸を作っているプレートも、大陸が分裂したり成長したりする時に一部(主に深いところ)が剥がれ落ちることがあります。それらのプレート物質は、マントルプルームと一緒に上昇し、ホットスポット火山活動の元となります(図4)。このようにホットスポット火山は、昔のプレートをリサイクルして作られているのです。しかし、中央海嶺の溶岩からは、プレートがリサイクルされている証拠はほとんど見つからず、太平洋の上部マントルには、昔のプレートは存在していないと考える研究者がほとんどでした。プチスポット火山から得られた溶岩の

化学組成を詳しく調べた結果、実はプチスポット火山活動のマグマも、プレートをリサイクルして作られたものであることがわかりました(図4)。すなわち、プチスポット火山のある太平洋の下の上部マントルにも昔のプレートの断片は確かに存在していたのです。この驚くべき結果から新たに浮かび上がった問題は、どんなプレート物質が、いつどの様に太平洋の下に運ばれてきたのか?ということです。これは、地球全体の循環メカニズムにも関連する大変重要な問題です。現在、より詳しくプチスポットの溶岩を解析することによって、この問題を解明しようとしています。

'プチスポットってどんな火山活動?

今までのプレートテクトニクスに関する理論では、地球上で火山ができる場所は次の3カ所だと考えられてきました(図1)。(1)プレート同士が離れて新たなプレー

トが作られるところ(中央海嶺:東太平洋中央海膨、大西洋中央海嶺など)

(2)一方のプレートがもう一方のプレートの下に沈み込むところ(島弧または陸弧:日本列島、アメリカ大陸西岸など)

(3)プレート内の地球深部から熱い岩石の塊(マントルプルーム)が上昇してくるところ(ホットスポット:ハワイ諸島、ガラパゴス諸島など)しかし、プチスポットが発見された三陸

沖(図2)は、これら3つのどの場所にもあてはまりません。そこは、太平洋プレートの北西部にあたる、約1億2千-6千万年前に作られた古くて冷たいプレートです。今までは、この様な古い海底の上に活発な新しい火山活動など「あるわけが無い」と考えられ、注目されていませんでした。プレートは、海溝から沈み込む前に大

きくたわみます(図3)。火山が発見された三陸の800km沖は、ちょうどプレートがたわみ始める場所に相当します。プチスポット火山は、プレートがたわんだときにできた亀裂に沿って、プレートの下のマグマが染み出してできたと考えられています。プチスポット火山の特徴は、山の最も長い部分(長径)が2km以下で高さが数百mというとても小さい山だということです(図2)。もともと「プチスポット」という名前は、火山が海底上の小さな(プチ)点(スポット)のように分布していた、その分布の様子から名付けられました。ただし今は、「プレートの屈曲に伴った火山活動」あるいは「マントルプルームに関連しないプレート内火

図1 地球上の三種類の火山

今まで、地球上で火山が作られる場所は、中央海嶺、島弧、ホットスポットの三カ所だと考えられていました。

図2 新種の火山「プチスポット」が発見された三陸沖の海底地形と、プチスポット火山の地形

(a):人工衛星による観測データで作成した三陸沖の海底地形図。(b):船を使った地形調査のデータで作成したプチスポット火山周辺の海底地形図。

図中の赤い指マークは火山であることが確認された高まり、黒い指マークは火山である可能性のある高まりを示しています。赤い四角は、(c)の範囲を示しています。

(c):典型的なプチスポット火山の地形。山の大きさは、南北の幅(長径)が約2 km以下で、海底面からの高さが約100 mです。

1.「海洋プレートと島弧の深部構造-IODP超深度掘削へ向けて-Ⅰ」月刊地球, 2007年9月号。海洋出版

1-1.「北西太平洋で発見された新種の火山-プチスポット火山-」平野直人。p. 540-547.

1-2.「プチスポット産アルカリ玄武岩の同位体組成が示す北西太平洋上部マントルの不均質性」町田嗣樹、平野直人、木村純一。p. 554-560.

1-3.「プチスポット総合調査」馬場聖至、阿部なつ江、平野直人、富士原敏也、市來雅啓、町田嗣樹、高橋亜夕、山本順司、山野誠、濱元栄起、杉岡裕子、志藤あずさ。p. 548-553.

より詳しく知りたい人に

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朝日 博史

海底に降り積もる雪

所によってはすごく細かい日記のような情報が記されている(時間解像度が高い)場合も有りますし、おおざっぱな情報しか記されていない(時間解像度が低い)場合も有ります。

'海の歴史の記録-海底堆積物-

「海底堆積物を使って昔の海の環境を知る(環境復元)」研究(古環境学とか古海洋学と呼ばれています)には主に二つのアプローチがあります。(1)現在の海洋の環境とプランクトンの関係を調べることと、(2)海底堆積物に含まれる微化石の情報から、過去の海洋環境を調べることです。現在の海洋環境とプランクトンおよび

その死骸である微化石の関係を調べることは、環境の変化への地球の対応を知る上でとても重要な知識を与えてくれます。海洋環境と微化石に残される情報の関係は、海の底に記録された巻物を読み解くための翻訳作業や、辞書の作成に相当します。

その辞書と海底堆積物中の微化石を使った研究によって、過去の地球環境の変動が明らかになってきました。代表的な研究の成果として(1)過去百万年間、地球は10万年の周期で氷河期と温暖期を繰り返して経験してきたことや、(2)昔、恐竜が絶滅したのは隕石衝突による急激な地球の寒冷化によるものだったことがわかりました。環境復元の研究は日進月歩です。新し

い解析方法が開発されるたび、新しい地球の歴史が明らかになっていきます。私たちは、海の底にたまった微化石から地球の歴史を解明するために、日々、新しい手法の開発や解析法を研究しています。現在、環境復元の研究は世界中の海を対象としており、それぞれの地域で起こった地球環境変動の解析が行われています。

'海底堆積物でできる未来の予測

過去の地球の環境の変動を知ることは、私たちの地球が今後経験するであろう環境変動を予測するときに大きな力になり

'海に降る雪?

皆さん、海にも雪が降っていることはご存知ですか? 漆黒の闇の中に静々と降る雪は、何万年、何億万年もの長い間海の底に降り続け、海底を厚くおおっています。この雪はマリンスノーと呼ばれています。このマリンスノーは、もちろん本物の雪ではなく、実は海の上層から沈んできた生物の糞や、死骸などです。潜水艦で海に潜ると、マリンスノーが雪のように降る様子がとても美しく見えます。マリンスノーに含まれる生物の死骸の中でも、特に、殻を持った小さな小さなプランクトンの死骸(微化石)には、彼らが生きていた当時の環境情報が克明に記録されています。その死骸が海の底に降り積もってできた堆積物(たいせきぶつ)を詳しく調べると、昔の海がどんな環境だったのかを知ることができます。このことから、海底堆積物は、海の歴史を記録した“巻物”とか“テープレコーダー”と呼ばれています。この巻物は、場

図2 海洋底堆積物は過去の環境情報を記録したテープレコーダー

海洋表層に生息するプランクトンは、それらが生きていた当時の環境情報を記録しています。プランクトンの死骸が沈んでいく過程の「沈降粒子」の研究から現在の海洋環境とプランクトンを知ることができます。海底堆積物に残された化石の情報から、過去の海洋環境変遷を知ることができます。これら微化石は1mm以下の小さな生物の遺骸で、いろんな形や構成物質があります。写真には、微化石のうち浮遊性有孔虫という炭酸カルシウムのからを持った生物の代表的な4種類を示しています(a: Globigerinoides sacculifer, b: Globigerinoides rubber, c: Globigerina bulloides, d: Globorotalia truncatuli-noides)。

1.「図解入門 最新地球史がよくわかる本」川上紳一、東條文治著。秀和システム

2.「海と環境―海が変わると地球が変わる」日本海用学会編。講談社サイエンティフィク

3.「第四紀学」町田洋、大場忠道、小野昭、山崎晴雄、河村善也、百原新編。朝倉書店

より詳しく知りたい人に

ab

c

d

ます。過去には、私たちの住んでいる現在

よりもずっと温暖な時期があったことが知られています。この時期のさまざまな場所での海洋環境を知ることにより、私たちが現在直面している人為的な地球温暖化によりのために、今後の気候がどうかわって変わっていくかを予測することが可能になります。また地球環境の変動の歴史や、それをコントロールする原因を知ることから、私たちが今後どうやって生活していくべきかを考えることができます。皆さん、ただの泥だと思って甘く見て

は行けません。深海底につもるマリンスノーには、私たちの未来を知る大きな手がかりが隠されているのです。深海底に

クラゲとマリンスノー

マリンスノーに特殊な染色をして撮影した顕微鏡写真。構成物質により異なる色に染まります。

降り積もる雪が人類の未来への手がかりになるってすてきだと思いませんか?これらの微化石は、海の底だけでなく海岸や川の底にも存在しています。海岸の砂をルーペで観察してみてください。地球の歴史が見えるかもしれません。

写真:東京大学大学院農学生命科学研究科 古谷研

どの情報が記録されるか

記録

今を知る”沈降粒子”

過去を知る”堆積物”

読み取り

読み取った情報から正確な環境の復元

0.1mm

微化石の一種浮遊性有孔虫の電子顕微鏡写真

図1 マリンスノー

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教育プログラムに所属した若手研究者のうち、現在までに10名がHADEEPを巣立ち、また新たな博士研究員が加わりました。新メンバーの研究成果を紹介します。

教育プログラム (追補)

2009年4月発行

研究プログラム成果報告

本プログラムでは、東京大学海洋研究所と英国アバディーン大学オーシャン

ラボの研究者が国際共同研究を行っています。2008年10月の学術研究船白

鳳丸HADEEP研究航海で、房総・茨城沖の日本海溝7,703mより、これまで

このような超深海では生息しないと考えられていた大量の魚の映像を撮影す

ることに、世界ではじめて成功しました。撮影は、ランダー(本誌7ページ)に

ビデオカメラを取り付け、深海に降ろし、行われました。

今回、映像を撮ることに成功したシンカイクサウオは、餌として使用したサ

バに集まる無数のヨコエビ類を活発に摂食していました。このシンカイクサウ

オの仲間は、これまで、6000m以深の海溝でのみ発見されており、超深海層

に生息する種と考えられます。

シンカイクサウオについては、繁殖生態、行動生態など生態的な情報がほと

んどありません。今回得られた映像で、初めてその採餌行動の一端が明らかに

なりました。また、超深海の低い水温に適応し、少ない食べ物から得られるエ

ネルギーをより効率よく使うために動きがゆっくりしているだろうと予測され

ていましたが、意外に迅速に動くこともわかりました。今回17匹の非常に活

発に活動する魚が同時に撮影されたことは、生息数もこれまで考えられていた

よりも多いことを示しているのかもしれません。今後、撮影された映像を使っ

て、さまざまな解析を進めていく予定です。

日本海溝7,703mでの“シンカイクサウオ(仮称)”の群れ

(現在、分類の専門家に同定を依頼している。シンカイクサウオである可能性は高いが、違う種である可能性もある。)

新世紀を拓く深海科学リーダーシッププログラムHADEEP_HADal Environmental science/Education Program

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有孔虫の殻の分析だけでは、これが一体、いつどの海の環境を反映しているのかを正確に判断することができません。その点、室内で水温をコントロールして飼育している有孔虫の殻を分析すれば、ある水温で生育した時の殻の化学成分を正確に知ることができるのです。室内での飼育実験をはじめてから、飼育

でしか得られない、これまで知られていなかった新しい発見がたくさん見つかっています。例えば最近話題の、海洋酸性化と有孔虫の関係です。大気中の二酸化炭素増加とともに海のpHはどんどん低くなると言われていますが、現在の海洋のpHは世界中ほぼ変わらないので、飼育実験なしでは、もし地球の海水のpHが低くなった場合、有孔虫がどのような反応をするのか検証できません。飼育することによって、未来の酸性化した海で有孔虫がどのように生きるのか、水槽の中で見ることができるのです。浮遊性有孔虫の一つ一つはとても小さ

く(大きくても数百マイクロメートル)、生きている時には殻の周りにトゲなどを持っているため肉眼でやっと見ることができます(図5)が、詳しく観察するには顕微鏡が必要です。しかし、この小さな小さな有孔虫が海洋環境の過去から現在だけでなく、飼育することによっては地球の未来までをも私たちに知らせてくれるのです。これは驚くべきことではありませんか?今皆さんがこの文章を読んでいる間に

も、浮遊性有孔虫が、海の中で現在の環境を殻に記録し、海の底に降り積もっていることでしょう。

黒柳 あずみ

有孔虫を飼う意味

の種類を見る事です。地球が暖かい時には、暖かい海水が好きな種類が増えます。地球が寒くなったり、また冷たい海流が強くなったりすると、冷たい海水を好む種類が増えます。この種類の変化を同じ地点でずっと観察すると、その場所がどの時期に寒くなり、どの時期から暖かくなったのかがわかります。これを応用すると、寒暖の記録だけではなく、海の詳しい構造(専門用語で言いますと水柱構造や成層化の強弱など)も推測することができます。

'さらに詳しい環境を知るためには飼育実験が有効!

より詳しい環境の変化を調べるためには、有孔虫が持っている殻の化学分析をします。最近の研究で、この分析によって、海水温だけでなく、海水の塩分やpHなども、より細かい数値までわかるようになってきました。これら、殻の化学分析から過去の数値を推測する時に重要になってくるのが、有孔虫の実験室での飼育です。残念な事に、浮遊性有孔虫の実験室内での飼育はなかなか難しく、数十年前から飼育手法が研究されてきていますが、今でもわからないことはたくさんあります。私たちは、この難しい浮遊性有孔虫の飼育にチャレンジしています。有孔虫の飼育は、まず、海に潜って有孔虫を採ることから始まります(図3)。そして採取した有孔虫を実験室にもちかえり水槽で飼育します(図4)。有孔虫を室内で飼育することができる

と、特定の条件での殻の化学成分を知ることができます。例えば、海水温との関係を考えてみましょう。飼育ができるようになる前は、実際に海にいる有孔虫を採ってきて、その殻を分析していました。しかし、私達の一日を考えてみてもわかるように、海でも朝と夜、昨日と今日では海水温が変化します。このように、外で採ってきた

'過去の海の環境を知るためには?

まだ人類が誕生する以前、例えば恐竜がいたころの海は、今の地球の海と同じだったのでしょうか? この疑問に答えるための実験材料として、生物を使う方法があります。しかし生物と言っても、例えば恐竜では、生きていた場所や時代が限られてしまい、過去から現在までの地球や海の変化を知る材料としては不適当です。過去から現在までの長い期間の海の変化を知るためには、その期間ずっと継続して海に生息している生物を使うことが必要です。そして、この目的にぴったりなのが、世界中のどこの海でもよく見られて、サイズが小さくて扱いやすく、数も多い、プランクトンです。プランクトンの中でも、固い殻を持たないものは化石として残りにくいので、昔の環境を調べる時には、殻を持つ種類のプランクトンを使います。過去の環境を推測する時に使うこれらのプランクトンの中の一つが有孔虫です(図1)。有孔虫には大きく分けて、海底に生息

する「底棲(ていせい)有孔虫」と、浅い海水中(主に水深200mまで)に浮かんで生息する「浮遊性有孔虫」(図2)という2つのグループがあります。これらを詳しく調べることによって、底棲有孔虫からは海底の環境の変化を、そして浮遊性有孔虫からは海の浅い所の変化を知ることができます。また海の浅い部分は、地球の気候と密接に関係しているため、浮遊性有孔虫からは、海洋ばかりでなく地球全体の気候変化も知ることができます。

'浮遊性有孔虫からわかる海洋環境

では、過去の海洋環境を、彼らからどのようにして知ることができるのでしょうか?まず一番簡単な方法は、浮遊性有孔虫

図1 浮遊性有孔虫の殻

過去の海洋環境を調べるためには、いくつかの方法がありますが、

その一つに、「有孔虫」という炭酸塩の殻を持つプランクトンを使う方法があります。

「有孔虫」はほとんどが体長1ミリメートル以下のとても小さなプランクトンですが、

私達人類が生まれる前からの、過去の様々な海洋環境を記録しているのです。

「有孔虫」を使い、より詳しく過去の海洋環境を推定するために、

飼育実験という手段はとても有効です。

1.「海と環境」日本海洋学会(編) 講談社

2.「海洋地球環境学 生物地球化学循環から読む」川幡穂高著 東京大学出版会

3.「地球科学に革命を起こした船グローマー・チャレンジャー号」ケネス・J.シュー著、高柳洋吉訳東海大学出版会

より詳しく知りたい人に

1.Globigerinoides sacculifer 2.Globigerinoides ruber。a、b、cはそれぞれ異なる方向から撮ったもの。白線は100マイクロメートル。

図4 飼育実験装置(南カルフォルニア大学Wrigley研究所) 図5 飼育用バイアル瓶に入った浮遊性有孔虫

図3 浮遊性有孔虫の採取風景

飼育実験に使う浮遊性有孔虫は、ダイビングにより採取します。

図2 生きている浮遊性有孔虫(Orbulina universa)

殻の直径は約数百マイクロメートル。

指でつまんだバイアル瓶。矢印の先に浮いている白い点が有孔虫。

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ジェンキンズ ロバート

海底に湧くメタンで生きる生物たち

物群集が、熱水が出ていない海溝などからも発見されたのです(図1)。実は、プレートの沈み込む海溝付近には、熱水ではなく、メタンを含む湧水(「メタン湧水」と呼ぶ)があったのです。メタン湧水の温度は深海底とほとんど変わらず低いため、冷湧水とも呼ばれています。メタンが海底近くまで上昇してくると、海水中の硫酸と反応して硫化水素が作られます(図2)。もともと熱水から見つかった生物が生きるには、熱水ではなく、熱水と同時に噴出するメタンや硫化水素が重要だったのです。生物にとって猛毒のメタンや硫化水素が湧き出る深海は、それらを栄養源とする彼らにとって、敵(捕食者)もほとんどいない、まさにパラダイスなのかも知れません。私たちが依存する光合成生態系とは別のアナザーワールドが深海底に広がっていることを考えるとワクワクしますね。

'化石から探るメタンを利用する生物の進化

ところで、このメタンを利用する生物は、猛毒である硫化水素が蔓延する“超”極限環境にいつごろから進出し、進化してきたのでしょうか? その答えを探るには彼らの先祖の化石や、地層に残った過去のメタン湧水の痕跡を探し出す必要があります。彼らの起源を探っていくと、なんと、

生命の起源にまでさかのぼります。 35億年前や32億年前の地層から、メタンや硫化水素を利用(もしくは生成)していたと考えられる微生物の化石が発見されています。その後地球上では微生物だけの時代が約6億年前まで続き、約5.4億年前から動物が繁栄し始めました。俗にカンブリア紀の大爆発と呼ばれる生物事変で

'深海熱水周辺に群がるメタン・硫化水素を利用する生物の発見

深海は、暗黒、低温(約4℃以下)、高圧の、生物にとっては極限環境です。エサ(有機物)もほとんどありません。海の表面で光合成生物によって作られた有機物は、海底に沈んでいく間に、水深200メートルぐらいまででほとんど生物に食べられてしまうため、深海にもたらされる有機物はごくわずかです(数%以下)。そのため、20世紀の中頃までは、深海底は生物のほとんどいない “深海砂漠”が広がっていると考えられていました。ところが、1977年にアメリカの潜水

艇アルビン号が、東太平洋のガラパゴス沖水深2,500メートルで、地下のマグマに熱せられて海底から噴出する熱水に群がる、おびただしい数の二枚貝などの生物を発見したのです。驚くべきことに、彼らは、熱水に含まれる硫化水素やメタンを栄養源にして生きていたのです。正確にいうと、硫化水素やメタンをエネルギー源とする化学合成細菌というバクテリアを体内に共生させ、そのバクテリアから栄養をもらっています。彼らの中には、口や消化管さえ捨て去り、共生細菌にだけ頼って生きるものもいます。彼らは、普通の生物にとって猛毒である硫化水素を無毒化させるどころか、エネルギーとして利用していたのです。生物進化のすごさを見せつけられます。

'海底湧水周辺のメタンを利用する生物

1977年の熱水性生物の発見以降、似たような生物群集が世界各地の海底熱水に存在する事が明らかになってきました。しばらくして、熱水性生物によく似た生

す。このときの動物はメタンを利用していませんでした。それが、約4.2億年前(シルル紀)に二枚貝や腕足(わんそく)類などの生物が、メタン湧水に進出し始めました。そして、今から 約1億年前(白亜紀中頃)に彼らが大繁栄を遂げるのです(図3-5)。現在のメタン湧水に生きる生物の祖先のほとんどが白亜紀に出現したのです。それはなぜでしょうか? 白亜紀は北極や南極に氷がない“超”温暖化時代で、プランクトンの種類や量も増えました。メタン湧水に含まれるメタンは、実は海底に降り積もったプランクトンの死骸から作られていることが多いのです。つまり、白亜紀に海底に降り積もったプランクトンの死骸が増えたおかげで、海底から湧くメタンも増えていったのです。その証拠に、プランクトンの死骸から作られる石油も、その多く(約60%)は白亜紀に作られました。どうやら、超温暖化時代のプランクトンの増加がメタン湧水活動を活発化させ、その結果としてメタンを利用する生物が繁栄し、現在の姿になったようです。深海底で繰り広げられるアナザーワールド、実は私たちの住む光合成の世界と密接につながっているのかも知れません。

生物がほとんどいない深海に、まるでオアシスのように生物が群がる場所があります。

海底からメタンが湧きだす「メタン湧水」です。

そこには、湧いてくるメタンや硫化水素をエネルギー源とする、特殊化した生物が生きています。

彼らは、体内にメタンや硫化水素をエネルギー源とする細菌を共生させて、栄養を獲得していたのです。

深海の、しかもメタンが噴き出すような極限環境に進出した生物の歴史を見てみましょう。

1.「深海生物学への招待」長沼毅著 NHKブックス

2.「極限環境の生命」D.A.ワートン著 堀越・浜本訳 シュプリンガーフェアラーク東京

3.「潜水調査船が観た深海生物」藤倉克則ほか編著 東海大学出版会

4.「南海トラフの生物と地質」月刊海洋 395号(2003年5月号)海洋出版

より詳しく知りたい人に

図1 沖縄県黒島沖の水深約600メートル付近から発見されたメタン湧水

おびただしい数のシンカイヒバリガイ(二枚貝)がメタンを栄養源にして生きています。下:黒島沖シンカイヒバリガイ群衆の拡大写真。彼らは体内に共生させた細菌から栄養をもらって生きています。体内の共生細菌は、シンカイヒバリガイからメタンや硫化水素、酸素の提供を受けてエネルギー源とし、逆にシンカイヒバリガイに栄養を与えています。(提供:独立行政法人海洋研究開発機構)

メタン湧水があった場所の堆積物は炭酸塩岩になるので、メタン湧水の痕跡はこのように地層に残りやすいのです。

二枚貝化石(断面で白く見えている)が密集しているのがわかります。

図3 アメリカサウスダコタ州に広がる白亜紀の地層

から顔を出す白亜紀のメタン湧水の痕跡

図2 メタン湧水における化学反応と生態系のイメージ図

地下から湧いてきたメタン(CH4)が海底近くで硫酸(SO42-)と反応して、炭酸(CO32-)と硫化水素(H2S)ができます。メタンや硫化水素は化学合成細菌という細菌のエネルギー源となり、炭酸は海水中のカルシウムと結びついて炭酸塩鉱物となり堆積物中に沈殿します。シロウリガイやシンカイヒバリガイなどの特殊な二枚貝は、化学合成細菌を共生させて栄養を得ています。

図4 サウスダコタ州の白亜紀メタン湧水堆積物の断面

図5 北海道夕張市に分布する白亜紀メタン湧水堆積

物から発見されたツキガイ(二枚貝)の仲間の化石

共生細菌からもたらされた豊富な栄養によって、長さ20cmを超える巨体になったと考えられます。ツキガイの仲間は、現在のメタン湧水にも広く生息しています。

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北沢 公太

深海にひっそりと咲く花 ウミユリ

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ユリ、シダ、リンゴ、ツボミ、・・・

植物の名前を並べて、深海と何の関係があるのか、と思われるかもしれません。

実はすべて、「ウミ」をつけると海の生き物の名前になるのです。すなわち、

ウミユリ、ウミシダ、ウミリンゴ、ウミツボミ・・・などなど。

中にはすでに絶滅してしまったものもいます。

さて、タイトルにあるウミユリはどのような生き物なのでしょうか。

彼らは浅い海で繁栄しています。最古のウミユリの化石は、約5億年前の古生代オルドビス紀の地層から見つかっており、古生代の浅海は「ウミユリの花園」と呼ばれるほど大繁栄したようです。しかし、現在のウミユリは100mより深い海にしか分布していません。これはなぜでしょうか?実は中生代白亜紀の中ごろの浅い海

では、それまで平和に暮らしていたウミユリのような生物たちを餌にする、魚類やカニが増加しました。ウミユリは動きが遅く、敵から逃げたり隠れたりすることができません。唯一の対抗手段は、強い再生能力によって失った体を復元するくらいです。こうして浅海のウミユリ

は、次第に激しくなる彼らの攻撃に抵抗しきれず姿を消しました。しかしその中から比較的安全な深い海に落ちのびたウミユリの子孫が、現在のウミユリになったと考えられています。そんなウミユリですが、棘皮動物の祖

先形を最もよく保存している生物として「生きている化石」のひとつにも数えられています。日本近海は、世界的に見てもウミユリ類が豊富で、地球生命の進化史を探るうえで重要な分類群である彼らを研究するには、ベストと言える海域なのです。

'何を食べているのか?

ウミユリも動物ですから、エサを食べないと生きていけません。彼らは茎で冠部を持ち上げ、冠部で海水中の小さな粒子をろ過して食べています。粒子の大きさはほとんどが長径150マイクロメートル(1マイクロメートルは、1ミリメートルの1/1000)以下で、単細胞生物、生物体の破片、不定形有機物などを食べています。またそのほかに、栄養にならない鉱物片なども取り込んでいます(図3)。

'植物?それとも別の生物?

みなさんはウミユリを知っていますか? きっとほとんどの方はご存じないのではないでしょうか。ウミユリは漢字でも「海百合」と書くように、植物のユリのようなかたちをした深海の生き物です(図1、2)。しかし、光の届かない深海に植物がいるはずはありません。結論からいうと、ウミユリは動物で、ヒトデやウニなどの棘皮(きょくひ)動物の仲間なのです。ウミユリ類は、花のような部分(冠部

(かんぶ))と茎を持ちます。ウミユリ類のなかでも、進化の過程で茎をなくした仲間はウミシダ(海羊歯)と呼ばれ、現在

図1 実験室で飼育中のトリノアシ(赤外線写真) 図2 真紅のウミユリ ムーランルージュ

沖縄近海の水深1800mで撮影されたウミユリ。この写真では、全部で4個体います。このほかにも、日本近海には多様なウミユリが生息しています。(提供:独立行政法人海洋研究開発機構)

図4 ウミユリの形態とエサの関係左の2種類のウミユリは腕が少なく、右の2種類は腕が多いです。消化管に入っていた粒子の数を数えると、左の2種のほうが多く見られました。このことは、腕の数がろ過効率に影響することを示します。一方、背の高い2種類はケイソウの破片をとりこみ、背の低い2種類はクロロフィルを含む有機物を取り込んでいました。つまり茎の長さが異なると、食べている有機物が異なるのです。

図3 ウミユリがろ過して取り込んだ粒子の写真a:実体顕微鏡で撮った写真。小さい点のすべてが鉱物片です。黒線は100マイクロメートル。

b:蛍光顕微鏡で撮った写真。赤い部分は、クロロフィルの一種が蛍光で励起されて光っていることを示します。白線は10マイクロメートル。

c:電子顕微鏡で撮った写真。中央の網目状の物体と、右の丸い物体はケイソウの破片です。白線は20マイクロメートル。

世界で最も浅い海に生息するウミユリ。可視光線に弱いため、普段は水槽を真っ暗にしておきます。実験中は赤外線の見えるゴーグルやビデオカメラを使って観察します。

冠部の大部分は、多数の腕で構成されています。ウミユリ類は腕から伸びる管足(かんそく)という触手で小さな粒子をつかまえます。ですから彼らの食事は、腕を広げて作った網で粒子をこしとっている、というイメージになります。いっぽう、植物にも背の高いものや低いものがいるように、ウミユリ類も茎の長さによって背の高さが決まります。また、化石種でも現生種でも、腕の数や茎の長さは非常に多様です。これらの形態の違いは食性に影響していると考えられていましたが、生きているウミユリではきちんと検証されていませんでした。そこで私たちは、同じところに生息していて、腕の数や茎の長さが異なるウミユリ類を採集し、食べているエサを比較しました。その結果、腕の数、つまり冠部の網目の密度が異なると、得られる粒子の数が異なるということが示されました。同じ流速のなかでは、網目の密度が違うと、ろ過効率も変わる、ということになります。いっぽう、茎の長さが異なると、食べている有機物そのものが異なるということも分かりました。海底面からの高さが違

うと浮遊している粒子も異なるため、背が高いものと低いものでは、得られるエサに違いがあるのです。この結果は、化石や現生ウミユリの形態の多様性を理解するためのひとつの回答になると考えています(図4)。

'せめて、動物らしく

ウミユリもゆっくりですが動きます。最近、深海底を這い歩くウミユリの映像が公開されました。とはいえ彼らのスピードで逃げ切れる相手は、彼らを餌にするウニくらいです。やはり動く目的はエサを食べることではないかと考えた私たちは、水槽でウミユリを飼育して行動を観察しました。使ったウミユリはトリノアシ(鳥の足)

と呼ばれる種で、駿河湾から採集したものです(図1)。彼らに粒子を与えると、腕を曲げて、さらにその腕をスイングし続ける行動が見られました。ウミユリが水流の強さや方向の変化に従って姿勢を変えることは知られていましたが、粒子が原因で姿勢を変えることは新発見でした。さらに、彼らはエサとなりうる

粒子を「におい」で識別しているらしいこと、そして有機物を選んで口に入れているらしいこと、が判明しつつあります。現在は、ウミユリの行動によってろ過効率がどのように変化するのか、ということも調べています。海底にたたずんで、ときおり流れてく

る粒子を食べ、外敵にもさしたる対抗手段を持たないウミユリ。まるで仙人のような生き方ですが、このやり方で生き馬の目を抜く地球生命史を5億年も生き延びてきた、実はしたたかな生き物なのかもしれません。

1.「ヒトデ学 棘皮動物のミラクルワールド」本川達雄編著 東海大学出版会

2.「ゾウの時間 ネズミの時間 サイズの生物学」本川達雄著 中公新書

より詳しく知りたい人に

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