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1 中核的漁業者協業体等 取組支援事業 北海道・道東の浜中町に、 エゾバフンウニの完全養殖を目指す グループを訪ねた。 コンブ生産日本一の町で なぜ、ウニ養殖を目指すのか。 上:JF浜中うに養殖研究会の主要メンバー。前列 真ん中が山崎漁業士。その後ろに立つのが成田会長 左:エゾバフンウニは独特のオレンジ色をしている 浜中漁港。建物はJF浜中の荷さばき所

中核的漁業者協業体等 取組支援事業 · 2005. 4. 5. · 2 ウ ニ は 、出 荷 サ イ ズ ま で に 成 長 す る の に 二 年 か か る 。 昨 年 は 十

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中核的漁業者協業体等取組支援事業

新しい

漁業づくりへの挑戦

北海道JF浜中うに養殖研究会

「中核的漁業者協業体」の活動事例を

三回シリーズでご紹介します。

漁村の未来を担う青年漁業者グループの

取り組みは、毎日がチャレンジの連続です。

北海道・道東の浜中町に、エゾバフンウニの完全養殖を目指すグループを訪ねた。コンブ生産日本一の町でなぜ、ウニ養殖を目指すのか。

上:JF浜中うに養殖研究会の主要メンバー。前列真ん中が山崎漁業士。その後ろに立つのが成田会長左:エゾバフンウニは独特のオレンジ色をしている

浜中漁港。建物はJF浜中の荷さばき所

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ウニは、出荷サイズまでに

成長するのに二年かかる。

昨年は十勝沖地震の被害も受け、

苦労が絶えない。

沖合に設置している養殖カゴの点検に向かう研究会メンバー

エゾバフンウニの種苗づくりを急ぐ釧路管内水産種苗センター。ウニ資源復活の願いを込める

上:引き揚げられた円筒型養殖カゴ。4つに仕切られているのがわかる下:養殖カゴの中で育つウニ。食欲おう盛で、エサのコンブが少なくなっていた

上左:殻長8ミリまで育ったウニ。年を越すと出荷サイズになる 上右:出荷サイズまでに成長したウニ 下:試験飼育中の稚ウニ(種苗生産センター)

稚ウニを入れた角型養殖カゴ。

沖合で育成される

試験出荷ができるまでに成長したウニの養殖カゴは、港近くの海域に移される 

中核的漁業者協業体等取組支援事業

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村 上 保

表紙は鯨の図鑑に載っていた、「十七世紀

の鯨と捕鯨の版画」と書かれた図版の一部分

を参考にしたものである。おそらくヨーロッ

パの版画だろう。資料探しで図書館から借り

てきたその図鑑をパラパラめくっていると、

鯨が原料となっているたくさんの日用品が写

真入りで載っていて、興味を引いた。

鯨のひげで作ったヘアブラシ、床ブラシ、

煙突掃除ブラシ、髪をとかすクシ、せっけん、

鯨油や肝油…など枚挙にイトマがない。でも

これらは今まで見聞きしたことがあって大体

分かった。ところが、マーガリン、アイスク

リーム、ろうそく、歯で作ったネックレスま

では知らなかった。さらに、こうもり傘の骨、

靴ひもまで鯨が原料だったとは、もうびっく

りである。

そして、驚いたあとで気づいたのだが、こ

れらのほとんどは、現在石油を原料としたも

のである。もう限りなく鯨イコール石油だ。

そうなったのは石油のほうがより安いコス

トだからというのがその理由だが、石油がい

ずれ地球上から無くなることを考えれば、深

刻な話である。そうかといって、また鯨を原

料にする時代に逆戻りすることもおそらくで

きないだろう。そう考えると、深刻を超えて

ぞっとする話になる。

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特集

漁協くみあい 2004.11 NO.112

すごいぞ!水産業・漁村の多面的機能

カラーグラビア・中核的漁業者協業体等取組支援事業―夢・未来・仲間とともに新しい漁業づくりへの挑戦 北海道JF浜中うに養殖研究会

表紙の言葉 村上 保〈彫刻家・イラストレーター〉

NEWS WIDE 話題動き出来事■アワビへのタグ装着について――JF強化本部 漁政部■JF合併構想の完遂に向けて――2004年度合併等推進全国会議・合併実務研修会開催される――JF強化本部 合併推進部■小型機船底びき網(板びき網)漁業 新潟県下で係船休漁と海底清掃を実施――日本海北部マガレイ・ハタハタ資源回復計画――渡部勝弘〈新潟漁業調整事務所資源管理計画官〉

■統合信漁連によるワーキンググループ開催される――JF強化本部 信用・組織経営部

カラーグラビア・第24回全国豊かな海づくり大会

中核的漁業者協業体等取組支援事業―夢・未来・仲間とともに(解説編)新しい漁業づくりへの挑戦〈北海道JF浜中うに養殖研究会〉土井全二郎〈水産ジャーナリスト〉

アンバサダー赤尾信敏の地球鳥瞰第4回中国のWTO義務不履行問題――紛争解決手続きの活用でビジネスライクに解決を 赤尾信敏〈日本アセアンセンター事務総長〉

エッセイ海へ、そして海に生きる人たちへ魚の美味しい理由鍋島雅治〈漫画原作家〉

すてきな女性たち 漁業も生き方もわたし流第16回 永田留美さん 山本和子〈ジャーナリスト〉

共済コーナーJF女性部向け共済推進冊子「FACE TOFACE」作成 JF共水連香川県で『全国漁協交流集会』を開催――災害等への備えとして「ぎょさい」の重要性をあらためて認識 漁済連

もやいづな 櫻庭武弘〈JF全漁連代表理事副会長・JF北海道信漁連代表理事会長〉

編集後記5050

49

45

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40

35

33

5

3

新企画1

「水産業の多面的機能答申」の経緯と結果について多屋勝雄〈東京海洋大学教授〉

都市漁業の物質循環 大野一敏〈漁師〉

女性部による海の環境保全活動 お魚殖やす植樹運動――100年かけて、100年前の前浜をつくろう北崎初恵〈北海道漁協女性部連絡協議会会長〉

汽水域は最良の教室 畠山重篤〈牡蠣の森を慕う会代表〉

水産物の機能性成分とその高度利用について山本 久〈マルハ株式会社化成食品事業部化成品課課長代理・農学博士〉

漁業者による海難救助 近藤修史〈毎日新聞社和歌山支局記者〉

漁労文化継承装置としての漁村――漁村文化を見直そう森本 孝〈周防大島文化交流センター参与〉

高齢者の定住空間機能に着目して地井昭夫〈広島国際大学教授〉

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1518

2022

2528

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アワビ等の高級水産物は、〝割が良い〞

ため密漁の対象物となりやすく、毎年多大

な被害が発生している。特に、組織的密漁

では、密漁から売りさばきまで巧妙なルー

トが存在すると指摘されている。一方、こ

れまでの密漁対策は、密漁現場での監視、

取り締まりを中心

とした活動が行わ

れ、相応の成果を

あげてきた。しか

しながら、水際主

義の対策には、一

定の物理的限界が

あることは否めない。取り締まりの目を逃

れて密漁されたアワビは、何らかのルート

を通じて流通・販売されていることは明ら

かである。こうしたことから、今後の密漁

防止運動としては、これまでの水際主義に

加え、流通段階での対策も視野に入れ取り

組んでいく必要がある。そこで、JF全漁

連では、対策の一環として、正規に漁獲さ

れたアワビへのタグ装着推進運動をスター

トした。

アワビは一度陸上へ上がってしまうと、

それが正規に取られた物か不法に取(盗)

られた物(密漁物)かの見分けはつかない。

そこで、正規漁獲物に何らかのマークを付

け、生産地から消費地に至るまで流通段階

での識別を容易にすることにより、密漁物

の流通にプレッシャーを与えようという取

り組みである。また、昨今、食品に対する

消費者の安全・安心を求める意識が高まっ

ている中で、流通段階での適正な表示が求

められているが、これへの対応も視野に入

れている。

こうした対策のため、JF全漁連では、

特に被害の大きいアワビに着目し、ツール

としてアワビ識別用タグの開発を行った。

製作にあたっては、いくつかクリアすべき

話題●動き●出来事

アワビへのタグ装着について

JF強化本部 漁政部

タグに関するお問い合わせは最寄りのJF、JF漁連、JF全漁連まで

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JF全漁連は九月一日、二〇〇四年度合

併等推進全国会議を開催した。本会議は合

併構想の確実な実現と情報交換等の目的で

開催され、本年度で五回目となる。会議で

は①JF合併構想の完遂に向けた取り組み

方針について、②二〇〇五年度合併・漁協

対策関連予算概算要求の概要について、③

JF合併にともなう今後の共済事業等のあ

り方についてなどを協議テーマとした。ま

た、後半は合併推進事例として①JF北さ

つま(鹿児島県)の野村義也組合長による

「合併の経緯と合併後の事業展開」、②JF

大阪漁連の森光俊之専務と近畿大学農学部

の榎彰徳助教授による「大阪府一漁協に向

けた取り組み」、「府下JF組合長アンケー

トによる漁協の経営・存続への意識」、③

高知県海洋局水産経営指導課漁協基盤強化

班の竹内真澄班長による「高知県の組織改

革の取り組み」が報告された。

JF合併構想の完遂に向けた取り組み方針

合併は平成九年度末の一八九〇JFから

一四七六JF(平成十六年八月一日現在)

まで進展し、県一JFを目指す一九都府県、

複数自立JFを目指す二一道県が、漁協合

併促進法の期限(平成二十年三月)内での

合併構想の完遂と合併を通じたJF改革の

実現に向けた全国運動を強化する。

JF全体では平成十四年度末において、

る表示が印刷できる。効果としては、先に

述べた密漁対策のみならず、産地イメージ

の向上やブランド化も期待できる。あるJ

Fで、タグ付きアワビを産直市場へ出荷し

たところ、数店の小売店でタグ付きアワビ

の方が消費者の受けが良かったとの例もあ

課題があった。例えば、再利用防止、ニセ

モノ防止対策など。これらの課題に対して

は、タグを外そうとするとシールが破ける

仕組みや、特許申請などで対応した。また、

価格的には、安価で製作可能である。シー

ル部分には、産地名、連続番号など希望す

る。今後、JF全漁連では、モデル的に実

施するのをはじめとして、普及活動を行っ

ていく。アワビの密漁対策、産地表示、ブ

ランド化などを推進しようとの考えをお持

ちのJFのお問い合わせをお待ちしてい

る。

二〇〇四年度合併等推進全国会議・合併実務研修会開催される

JF合併構想の完遂に向けて

JF強化本部 合併推進部

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事業利益の赤字幅や繰越欠損金が拡大して

いる。その上組合員の減少が進んでおり、

今後は事業縮小による影響も考えられ、将

来を見据えた合併が必要である。

市町村合併に対応した漁業振興策への意

見反映、付加価値販売の強化や漁業経営コ

ストの削減を指示するなど、合併JFの改革

を通じて組合員の期待に応えることが重要。

正組合員数が法定要件を辛うじて満たす

零細JF(平均三五人)がJF全体の四分

の一を占め、組織運営上、中規模以上のJ

Fとの併存による問題が発生していること

から県域合併構想に沿ったJF合併への参

加を促進していくことが重要となる。本方

針は九月十六日のJF全漁連総合政策部会

において協議・決定した。

組合員に安心感が与えられるJFをめざし

JF北さつまの野村義也組合長による事

例発表では「JF北さつまは平成十五年四

月一日に五組合の合併により誕生した。合

併が成立したのは『健全なJFを残してほ

しい』という若い組合員の合併に対する姿

勢が積極的であったこと。そして何よりも

参加組合間での信頼関係が築けたことが大

きい。合併により職員間のモチベーション

も大きく上がった。また産地価格と末端価

格の格差の解消を図るため、直販流通部の

設置と、株式会社北さつまを設立し、今年

七月には組織改編を行った。そして一番の

課題は一元集荷体制の確立である」と報告。

さらに「合併して間もなく、まだ合併効果

について言える状況ではないが、組合員に

はJFがわれわれを支えてくれるという安

心感を与えられるJF作りに取り組みた

い」と語った。

九月二日には合併実務研修会が行われ、

JA全中組織経営対策部の明田作上席専門

職による「合併

税務にかかる諸

課題」について、

株式会社水土舎

の乾政秀代表取

締役による「事

業改革を核とした合併ビジョンの構築」に

ついて講演が行われた。

乾氏は、「魚価は川下主導の価格形成と

なり、流通コスト増のしわ寄せも産地がす

べて負う構造になり産地価格が大幅に下落

している。農産品は生産者による直売所が

スーパーを脅かす存在になっている。魚価

の向上のためにもJFはこうした存在を目

指すべきである。そのためにもJF合併が

必要条件となる。流通改革への取り組みは

合併JFの最大の役割で、その基本方向と

しては①消費地市場への共同出荷、②飲食

店および小売店との直接取引、③消費者へ

の直接販売等消費者にできるだけ近づく販

売事業へ転換することが重要である」とJ

Fによる新たな流通への取り組みの重要性

を強調した。

二日間にわたる合併推進の協議、研修は

参加者からも各県の合併に対する認識の高

さ、緊張感を確認し合う場となり、今後の

合併推進におおいに参考にしていきたいと

の意見が多く寄せられた。

全国から約100人が参加した合併等推進全国会議・合併実務研修会(東京・千代田区)

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マガレイ資源回復計画への取り組み

平成十三年六月、水産基本法が制定され、

平成十四年三月、国は同法に基づき水産基

本計画を策定した。

同計画では、「水産に関し総合的かつ計

画的に講ずべき施策」として、水産資源の

適切な保存および管理を推進するために、

緊急に資源の回復を図ることが必要な魚種

に対し「資源回復計画」を作成し、推進す

ることとしている。

日本海北部海域においても、平成十三年

より北海道の日本海側から富山県の海域に

至る漁業資源について、行政、研究機関お

よび漁業者で検討を始めた。

広域にまたがる漁業資源を検討するにあ

たり、各道県において漁業者協議会を地区

および漁業種類ごとに催し、各地域の悪化

資源は何か、重要な資源は何かが話し合わ

れ、各地区での検討の末、候補として出さ

れた一六魚種につい

て、再度各地域に持ち

帰り検討を行った。

その結果、昭和五十

九年に七八八トンの漁

獲があったが、平成四

年には二九九トンと漁

獲が四割弱まで減少しているマガレイと秋

田県等による管理措置で回復傾向にはある

ものの、最盛期の昭和四十年代に比べると、

依然として一〇分の一程度(平成十二年)

しか漁獲のないハタハタの二魚種を対象と

することとなり、平成十五年七月、国は

「マガレイ、ハタハタ資源回復計画」を作

成し公表するに至った。

新潟県の取り組み

資源回復計画に基づいて、マガレイ、ハ

タハタの資源を回復させるために、従来の

資源管理型漁業で行ってきた自主的管理

に、追加して行う漁獲努力削減の取り組み

を検討するため、新潟県下四地区(上越、

中越、下越および佐渡)において、平成十

三年度から平成十五年度の間に、のべ五五

小型機船底びき網(板びき網)漁業 新潟県下で係船休漁と海底清掃を実施

日本海北部マガレイ・ハタハタ資源回復計画

新潟漁業調整事務所 資源管理計画官 渡部勝弘

上:休漁漁船を使った海底堆積物の除去作業。揚げた網の中にはさまざまなゴミが入っている下:網に入った木ゴミ

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回の漁業者協議会が開催された。

特に、マガレイの主要漁場を抱える下越

地区を中心に、小型機船底びき網(板びき

網)漁業者の話し合いの推移が同計画を左

右することになるため、新潟市五十嵐地区

から山北地区の八JFの漁業者において話

し合いが続けられた。

同地区の協議会では、漁具を改良し網目

を拡大することにより、小型魚の保護に努

めることは、早い段階で関係漁業者間の意

見の一致をみたが、マガレイ資源を回復さ

せるためには、それ以上の漁獲努力量削減

措置の必要性を痛感していた漁業者たち

は、係船休漁の実施についても検討を継続

した。

検討当初は、漁業者から「漁に出てこそ

生活ができる」「漁師が陸に上がって何を

するのか」等漁業経営に直接影響を与える

ため、係船休漁の実施は困難とする意見が

多く出された。

しかし、何度も協議会を開く中で、徐々

に理解が得られ、最終的には補助事業によ

る支援を受けつつ、マガレイの盛漁期に一

定期間、底びき網の操業を中止する休漁の

取り組みを実施することで漁業者の合意が

図られた。

また、沖合底びき網漁業者と刺し網漁業

者も、板びき網漁業者が休漁中には、マガ

レイの操業海域を保護区域とする等、下越

地区の漁業者が一体となってマガレイ資源

の回復に取り組むこととなった。

事業内容

①休漁

下越地区の板びき網漁業者六七隻が、七

月八月の禁漁期間に引き続き、九月一日か

ら十五日まで係船休漁を行った。

②海底清掃

休漁漁船の内四七隻が、休漁期間中に漁

場環境の改善を図るため、漁場環境保全創

造事業(公共事業)により、新潟県水産海

洋研究所の考案した海底清掃用具を使用し

て、新潟県下越海域約七〇〇〇ヘクタール

で海底堆積物の除去を行った。

③保護区域の設定等

九月一日から十五日の板びき網漁業者の

休漁期間中、沖合底びき網漁業者、板びき

網を除く小型底びき網漁業者および固定式

刺し網漁業者ら七五隻は、板びき網の操業

区域を保護区域として操業を控えた。

なお、係船休漁終了後および保護区域の

設定解除後に、マガレイに対する漁獲努力

量を増大させないため、資源管理法に基づ

くTAE(漁獲努力可能量)管理を実施した。

マガレイ資源の回復への期待

青森県から富山県にかかる海域の中でマ

ガレイの漁獲は、新潟県が約七割を占める

が、新潟県におけるマガレイの漁獲量は、

昭和五十一年の五六〇トンをピークに、平

成十五年は一五六トンと三分の一以下まで

急激に減少している。

このような状況の下、マガレイ資源の回

復に向けて、初の試みとして新潟県下越地

区の沖合底びき網漁業者、小型機船底びき

網漁業者、固定式刺し網漁業者ら一四二隻

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が、前記のような係船休漁や保護区域の設

定を行うことは、夏場に浅場に移動し秋口

に深場へ移動するマガレイへの漁獲圧力を

低下させることが期待される。

また、魚体を傷つけたり選別の妨げとな

る古タイヤやビニール類などの海底堆積物

を除去することで、漁場生産性の向上を図

るとともに、マガレイの生息環境を浄化、

保全することが期待される。

最後に

新潟県における支援事業は、今年度から

始まったばかりであるが、佐渡と新潟県下

越海域の越佐海峡は、マガレイの産卵場と

想定されていることから、下越地区漁業者

によるマガレイ資源の回復計画への取り組

みが、さらに広域的な資源回復への拡大に

向けた端緒となることを期待する。

統合信漁連によるワーキンググループ開催される

JF強化本部 信用・組織経営部

二〇〇四年九月六日統合信漁連による事

業推進にかかるワーキンググループが開催

された。

本ワーキンググループの設置は、二〇〇

三年十月二十三日開催の信用部会専門員会

においてJFマリンバンク中期推進方策

(平成十五年〜平成十七年)に基づき統合

信漁連・一県一JF・複数自立JFそれぞ

れの組織形態に応じた推進方策を検討する

としたことを受けて開催するものである。

さらに二〇〇四年六月三日開催した業務企

画作業部会(信用部会専門員会の下部組織)

において、統合信漁連の検討を先行させる

としたことを受けて、今般一府九県の統合

信漁連を組織形態とするメンバーが集まり

問題点ならびに改善策について検討するこ

ととなった。

主な検討内容は、JFがJF信漁連に信

用事業を譲渡したことにより今まで組合が

果たしてきた利便性や事業推進活動の構

築、また組織再編後の効率的な店舗、AT

M政策、職員のレベルアップ向上方策などメ

ンバーにより問題点を掘り下げて議論した。

今後の予定としてワーキンググループで

対応方向を整理した後、業務企画作業部会

において検討を重ね、組織形態ごとの相違

点や共通点などを議論した後、最終取りま

とめを行う予定である。

(メンバー府県:

岩手県、千葉県、福井県、愛知県、

三重県、京都府、兵庫県、島根県、広島県、沖縄県)

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すごいぞ!水産業・漁村の多面的機能

特集

去る8月3日、日本学術会議は、農林水産大臣に対し「地球環境・人間生活にかかわる水産業及び漁村の多面的な機能の内容及び評価について」の答申を提出した。幅広い学問分野の知見を結集し、精力的な審議が行われた成果であり、これを機会に国民生活にとって重要でありながら社会的認識が浸透しているとはいえなかった「水産業・漁村の果たしている多面的機能」について、国民の理解と関心が深まることを期待したい。また、JFグループとしても、多面的機能の担い手としての認識を新たにし、水産業や地域づくりのための実践活動の一助としたい。特集では、今回の答申にいたる経緯と結果を水産業ワーキンググループ委員である多屋勝雄東京海洋大学教授にまとめていただき、さらにさまざまな分野でご活躍されている方々から実践報告や提案をいただいた。

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WTOにおける

補助金問題と多面的機能

農業では農畜産業の多面的機能が議論さ

れてきた。そしてWTO(世界貿易機関)

では、まず農業の保護や農産物の輸出に補

助金を付けることは、世界の経済の発展に

好ましくないことだと議論されてきた。例

えば米国でさまざまな補助金によって小麦

を安く生産し、EU(欧州連合)に輸出し

たためEUの農業にダメージを与えた。一

方EUも同様にして米国農業にダメージを

与えた。このように補助金が入った農産物

の輸出は、相手国にダメージを与え不公正

であるとされたのである。

そのためWTOでは農業の価格支持や、

低利融資などの保護政策を実行してはいけ

ないことにした。このような議論の中で、

農業コスト削減とは異なった

性質の保護があることが主張

されてきた。それが農畜産業

等の多面的機能である。

具体的例を上げると、スイ

スの牧場経営者は採算が悪く

やっていけない。しかしスイ

スの牧場の牧歌的風景は、観

光客を呼び込む観光景観とし

て役立っているのが多面的機

能である。景観の提供は多面

的機能であるから、それへの

補助金は許されるというのである。そこで、

二〇〇万円の所得ではやってゆけない牧畜

業者に、政府はさらに二〇〇万円の多面的

「水産業の多面的機能答申」の

経緯と結果について

東京海洋大学 教授

多屋勝雄

祭りは地域住民が支え、そして次世代へと伝えられていく。

伝承文化は今また改めて見直されている

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機能維持のため補助金(直接所得補助)を

支払って牧場を維持することによって、同

時に観光景観を維持しようとするものであ

る。こ

の場合、保護政策を続けるには農業の

多面的機能の評価が必要であった。すでに

農業では、どのような多面的機能があるか

研究されてきたのである。分かりやすいも

のでは、水田の洪水調整としてのダム機能

の役割を評価するなどである。さらに、田

園景観の提供、土壌の浸食や崩壊を防ぐ機

能、森林景観やレクリエーションの場の提

供機能などこれまでさまざまな機能が評価

されてきた。

水産業と漁村の多面的機能

農林水産大臣からの日本学術会議への諮問

水産業分野での多面的機能の研究は、農

業に比べて圧倒的に事例が少ない。個別研

究も少ししかないが、組織的なものとして

は①「わが国周辺漁業の公益的機能の解明

に関する調査」(平成八年、全国沿岸漁業

振興開発協会)、②「漁業漁村多面的機能

調査業務報告書」(平成十五年、北海道開

発局、

漁港漁村建設技術研究所)、③

「多面的機能にかかる調査報告書」(平成十

五年、㈱水土社)などである。それぞれの

特徴をあげると、①は魚の供給は牛肉供給

等と代替できるので、牧場などの土地を節

約したとして代替される土地価額で評価し

ている。②の報告では水産物の優れた特性

(DHA〈ドコサヘキサエン酸〉等)で評

価したり、漁船の沿岸での遊漁者救助、国

境監視機能などを評価している。③では保

養・交流・学習機能を旅行費用などで評価

している。これまでにこのような多面的機

能の評価があって、平成十五年十月八日に

農林水産大臣から日本学術会議に「地球環

境・人間生活にかかわる水産業および漁村

の多面的な機能の内容および評価につい

て」の諮問があった。

そこでは、水産業および漁村は、水産物

を供給する機能以外にも、物質の循環、環

境の保全、海難救助等による国民の生命財

産の保全、保養・交流・学習の場の提供、

漁村文化の継承等、多面的な機能を有して

いて、国民生活および国民経済の安定に重

要な役割を果たしているが、これまで幅広

い学術分野からの横断的な研究は乏しいと

報告している。

このため、多面的な機能の内容を明らか

にするとともに、その定量的な評価を含め

た手法や今後の調査研究の展開方向のあり

方などを中心に、幅広い見地から「地球環

境・人間生活にかかわる水産業および漁村

の多面的な機能の内容および評価」につい

て学術的な調査審議をしてほしいといった

内容である。

これを受けて学術会議では、水産業の多

面的機能に関する委員会が結成されて作業

が進められた。それでは幾つかの検討事項

を述べてみよう。

水産物の本来機能について

わが国の動物性タンパク質供給におい

て、水産物の役割は大きい。これを含めて

すごいぞ!水産業・漁村の多面的機能

特集

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水産業の本来の機能については国民によく

理解してもらえるよう、魚食や漁業、漁村

についての本来的機能を第一部に書き込む

ことにした。青魚の脂に含まれるDHAは、

生活習慣病予防に効果があるといわれてい

る。この効果は多面的機能であるとする意

見と、消費者はそれも期待して買っている

のであるから本来的機能であるという意見

が出された。さらに保養・海洋レクリエー

ションについては海と民宿などがセットに

なって提供されており、海については自然

の持つ機能、民宿についてはそれへの対価

が支払われていて多面的機能に入らない。

しかし漁村伝承文化などは多面的機能に当

たるなど議論された。

魚介類供給による土地節約効果

レスター・ブラウンは『誰が中国を養う

のか』(ダイヤモンド社刊)において、日

本人は動物タンパク質供給の半分を海に依

存してきた。これは人口が多く土地が少な

い日本では賢明なやり方だったと評価して

いる。水産

業による農

地や牧草地

の節約効果

は絶大なも

のである。

しかし牛肉

など輸入品

にたよって

いるわが国では、土地節約といっても海外

の土地節約となってしまいわが国の水産業

の機能に限定できない問題が残った。

国民の生命・財産保全機能

水産業の生命・財産保全機能はそれが最

もシンプルに発揮されるところである。国

連海洋法条約が批准されて、わが国も二〇

〇海里の経済水域を管理しなければならな

くなった。そこでは海上での汚染物質の投

棄、外国船の密漁やさらには北朝鮮籍の武

装船が進入、密入国者を乗せた船が入り込

むなどさまざまな問題が生じている。しか

し広大な海域を監視するにはわが国の海上

保安庁、海上自衛隊、水産庁の取締船など

の官庁船は数が少なく、全域をカバーする

のはほとんど不可能である。これらの海域

で操業している漁船がネットワークを作

り、国境監視の役割の機能を果たしている

のである。

このような経過であるが、筆者の感想を

述べれば、漁業の多面的機能は海の持つ機

能と密接不可分で、切り離すことが難しい

ことを感じた。やはり水産業は海の持つ生

産力を恵みとして受けている訳で、農業の

ように、農業自体が擬似的自然空間を作り

出し、それが多面的機能をもたらすという

のとは違っていると考えた。自然の恵みを

生かす産業であるから、海の環境保全が前

提で、それは漁場保全につながるが漁業の

みならず人類自身のために行わなければな

らないのである。このような生態系での政

策こそが水産業の保護政策につながると思

われるのである。このように水産業保護政

策論議は始まったばかりである。

海からの風を感じ、海と戯れる。そんな身近な癒し空間を人々は求めている

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船橋浦の漁業は江戸時代から盛んになっ

た。それは幕府の政策で純漁村の佃島、芝、

金杉、品川、大井林、羽田、深川、船橋の

各浦を御お

菜さい

浦のうら

と称し、江戸城へ毎日副食

物として魚を納めさせたためである。これ

らの漁村を本浦または立浦と呼び半農半漁

の磯付百姓村と区別し特別に保護した。J

F船橋市には当時の古文書、御菜通帳が残

っている。終戦後の食料難の時代にマイワ

シの大漁が続き湾岸人の生命維持と復興に

貢献した。この時沿岸漁業日本一は「ノリ」

生産の盛んだった東京都だった。

船橋市は東京湾最北端に位置し、人口五

七万の大都市だ。東京駅よりJR総武線快

速で二五分で到着する。もともと船橋は江

戸から成田詣に通じる御お

成なり

街道の一宿場

で、街道の南が海に面し漁師街が軒を連ね

ていた。船橋村は天領として家康の狩りの

折には必ず立ち寄る場所であり、今も市中

に御殿の地名と東照宮が存在する。船橋港

は街中を流れる海老川河口にあって、江戸

時代はもちろん、終戦直後まで広大な干潟

の海が広がっていた。国道一四号線から南

は葦あ

原と干潟で人口も約四万人ほどで、J

R線の北側には沼沢池や田が続き傾斜林が

うっそうと取り巻き、標高二〇メートルほ

どの丘陸地帯には農地と雑木林が連なって

いた。そこを二分するように海老川が流れ、

川底からは地下水が湧き出ていた。田の畦あ

道の水道にはゲンゴロウやメダカ、アカガ

エル等が群れていた。昭和三十八年東京都

漁業は漁業権を放棄し終焉をとげた。それ

から一〇年後の昭和四十八年JF船橋市は

昭和三十年代に始まった埋め立てが、三番

瀬海域約一七〇〇ヘクタールほどの海面に

迫り、漁場の全面放棄を決定した。がこの

時は、まき網三、底びき網二八、雑魚三、

計三四許可漁業が残存することを決め、県

と契約を結んだ。一方漁業権放棄の時期が

第一次石油危機に直面し、埋め立てが中座

した。この間転業がおぼつかず、約半数の

七〇〇人ほどが埋め立てが行われるまでと

いうことで、一年更新の短期免許によって、

先の見えない、極めて不安定で希望の無い、

漁業権漁業が三番瀬海域を舞台に展開する

こととなった。このころ政府の政策は海洋

国から工業立国へと脱皮することとなり、

臨海工業建設のために沿岸の浅海域が次々

と埋め立てられていった。同時に後背地の

広大な農地が宅地化し集合住宅が建設され

急激な人口の増加を促した。昭和四十年代

都市漁業の物質循環

漁師

大野一敏

すごいぞ!水産業・漁村の多面的機能

特集

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には公害の勢いが強く、

PCB、水銀と東京湾漁

業に暗い影を落とした。

また急激な農地の宅地化

と埋め立て浚

しゅん

渫せつ

は地下

水を枯らし、農薬の普及

によって、田や河川、湖

沼の生物を殺し、湾の生

態系も破壊した。

当時の友納武人千葉県

知事は「昭和五十年代に

は公害で内湾漁業は困難

になる」と漁業者に転業

を説得して回った。この

背景には遠洋漁業に比重

がおかれた国策があっ

た。しかし昭和四十八年

の石油危機は石油資源と

魚資源の有限性を強く印

象づけた。そして図らず

も二〇〇海里経済水域の

設定となり、工業後進国

である資源保有国、例えばアルゼンチンや

チリ等が経済水域内の魚は自国のものと、

入漁料を要求するようになり、遠洋漁業は

原油の高騰と合わせてコスト高になり、撤

退を余儀なくされた。そして沖合へまたま

た沿岸へと政策が転換された。この時川上

紀一千葉県知事は「東京湾漁業を後退させ

ない」と宣言した。このために対応したの

が「ノリ」漁業だった。

これは湾岸の人々の増加にともなう富栄

養化に対応する格好の漁業だった。かつて

は湾奥でしか生産されなかったが、海況の

変化は浦賀水道に面する竹岡付近まで「ノ

リ」の産地に変えた。冬期は「ノリ」が、

夏期には植物性プランクトンを大量に繁殖

させて海面を茶褐色に染め、三番瀬におい

てはアサリがこのプランクトンを餌として

他浦に勝る早さで成育する。昨平成十五年

は冷夏で貧酸素水の出現量が例年以下で、

二〇年ぶりのアサリの豊漁年となった。あ

まりに資源量が濃く、間引かれ有明海や福

島県の松川浦等に種貝として移殖したほど

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だ。今年も強風日数が例

年以上で、これが幸いし

てアサリの豊漁が続いて

いる。リン、チッソは

「水クラゲ」の大発生も

引きおこし、「アオサ」

の大発生の原因ともな

る。「アオサ」は一部だ

がNPOやボランティア

団体の定期的な人海戦術

によって、稲作の肥料や

鶏の餌料にと取り組んで

いる。また内湾に生息するサッパやカタク

チイワシは漁獲対象でないため、植物性プ

ランクトンを餌にし、大漁群を形成する。

これがスズキの餌となる。そこでスズキの

漁獲が一〇年前より伸びている。この統計

資料をみてスズキが増えていると学者が発

表した。が事実はマイワシの減少、そして

底物のカレイ類の減少がまき網も底びきも

刺し網もスズキ漁に駆り立てているだけな

のだ。

閉鎖性海域の漁業の振興に一番重要なの

は海面面積と総水量の確保だ。これ以上の

埋め立ては漁業を壊滅させる。そして河川

の流れが必要だ。これらは溶存酸素の供給

を促進し、湾の水流を活発にし、海水交換

を高進する。

閉鎖性海域の軽視は沖合漁業の不振を招

く、また元気な漁業者になるために一生の

半分を過ごす漁船が快適空間でなければな

らない。合わせて東京湾は漁業者の職場な

ので景観を改善する必要がある、今それに

取り組んでいる。

すごいぞ!水産業・漁村の多面的機能

特集

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北海道漁協女性部連絡協議会(JF北海

道女性連)は、昭和三十三年六月十三日に

創立された北海道沿岸の浜に暮らす女性た

ちの組織であり、仲間とともに女性の地位

を高め、漁業の発展と地域に貢献する活動

を行っている。今年で四六周年を迎え、現在

は全道八二女性部で、一万二七〇〇余人の

部員が、生活の基盤である漁業と家事を支

えながら、それぞれの地域で活躍している。

特に環境運動には設立当初より力を入れ

ており、昭和四十六年に採択した「日用品

購買運動」では日本生活協同組合連合会

(日本生協連)との提携洗剤、環境にやさ

しい〝コープセフター〞の使用を推進し、

同時に合成洗剤と海洋汚染の関係について

広く周知を図った。これがJF北海道女性

連の合成洗剤追放運動の始まりである。現

在この運動はJF全国女性連の推奨品であ

る〝わかしお製品〞の普及拡大の取り組み

へと引き継がれている。

昭和四十七年には「北海道漁婦連(旧名

称)第七回大会」で「海をきれいにする運

動」が決議された。

これは、全道の海浜での清掃活動を中心

に、海をきれいにする取り組みを、積極的

に展開しようとしたものである。この取り

組みの過程で見直されるようになったもの

に、海と山との関係がある。日本では江戸

時代から、海岸近くの森林に魚が寄りつく

ことから、それを「魚つき林」として保護

してきた歴史があるが、海を再生するため

には、見た目だけのきれいさだけではなく、

魚つき林を生態系の重要な部分としてとら

え、沿岸流域すべての森林を守ることが必

要だとの声が徐々に高まりを見せたのであ

る。これが後の「お魚殖やす植樹運動」の

端緒となった。

三〇年ほど前、すでに国内では大規模な

宅地開発などにより、森が失われ、土砂崩

れや河川、海への泥水汚染などが沿岸地域

に深刻な被害をもたらしていた。また二〇

〇海里経済水域設定により漁業者にとって

海は狭く、限られたものとなっていた。限

られた海域で資源を再生し、大切に守り育

てて行くことが将来の漁業にとって重要な

女性部による海の環境保全活動

お魚殖やす植樹運動――一〇〇年かけて、一〇〇年前の前浜をつくろう

北海道漁協女性部連絡協議会 会長

北崎初恵

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課題となっていたのである。海浜清掃から

一歩前進して、昭和六十三年、北海道漁婦

連創立三〇周年記念事業として「お魚殖や

す植樹運動」の活動が始まった。

またこの活動を始めるに当たって、前年

に各地で勉強会が開催されたが、その勉強

会のひとつで当時のある森林組合組合長よ

り「浜を昔のようにニシンでわき返らせる

ためには、一〇〇年ぐらいかけてあせらず

にやることだ」とアドバイスを受け、それ

が〝一〇〇年かけて、一〇〇年前の自然の

浜を〞という全道漁協婦人部の合言葉にな

った。無理せず、気負わず、出来ることを

コツコツと実践する。まさに協同運動の原

点である二宮尊徳のいう報徳の教え〝積小

為大〞の精神で、浜のお母さんたちは、豊

かな海を取り戻すべく全国に先駆けて、植

樹運動を展開したのである。

現在も、各JF女性部、JF地区女性連

は毎年春と秋に地元、あるいは近隣町村の

山で植樹活動を継続しており、平成十六年

度も総面積一六ヘクタールにおよぶ植樹を

予定している。

平成十年に植樹活動一〇周年を記念して

設置された「お魚殖やす植樹運動記念の森」

への年一回の植樹も現在では、生協・森林

組合・PTA・新聞社など幅広い参加

と支援を得て行われている。また、平

成十六年には北海道木材産業協同組合

連合会の働きかけにより、農・林・水

の一次産業関係者が一堂に会して植樹

実践をする集いが開催されるなど、植

樹の輪は着実に広がってきている。

昭和六十三年の当初から数えると、

延べ六四万本の苗木を道内の各山々に

植えたことになる。豊かな環境、豊かな海、

そして豊かな生活を願う浜のお母さんたち

の、地道な取り組みがあってこそできたこ

とである。これからも全道の女性部では、

植樹活動を事業計画の大きな取り組みの一

つとして継続し、各地区女性連を軸として、

地域に植樹を通じた海の環境保全を訴えて

いきたい。そのためにも何よりも漁業者の

理解と関心をさらに高めること、そして次

世代にもこの植樹活動を受け継がせ、なぜ

われわれが毎年全道の浜で活動しているの

かを広く世間一般に伝えていくことも、と

もに重要であると考えている。近年は沿岸

地域の学校教育の一環として地元女性部と

児童による植樹実習が実施されるなど、そ

の効果も徐々に見えはじめている。

またこの運動が全国的に広がり、行政な

ど各方面の理解と支援を受けられるように

なったことは大変喜ばしいことである。

これは漁業者ばかりの問題ではなく、全

国で生活するすべての人々に関わる問題な

のである。

すごいぞ!水産業・漁村の多面的機能

特集

上:

「お魚殖やす植樹運動」記

念の森(石狩管内当別町道民の

森)JF北海道女性連と事務局

のみなさん 下:

急勾配の難

所での植樹に精を出す女性部

のみなさん

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はじめに

カキの養殖を生業としている気仙沼湾の

漁業者が立ち上げた、「森は海の恋人運動」

は一六年が経過した。

一口に一六年というが、一六年前に植え

たブナの苗は、大人の背丈の三倍にも生長

し、その後に植えた三万本の若木を見下ろ

すようにひときわ高く聳そ

えている。

植林とほぼ同時に始めた、体験学習も、

初めて招いた子供たちは大学を卒業し社会

に巣立ちはじめた。

今までわが舞も

根ね

湾を訪れた子供たちは六

〇〇〇人を超えた。

振り返って、森は海の恋人運動とは、三

つの森をつくることだったのではないかと

思っている。

山の森、子供たちの心の森、そして海の

森である。その中で最も大切なのは心の森

であった。

漁業者は、心の森づくりができる場に暮

らしているのだ。

赤潮の海

昭和三十六年、宮城県立気仙沼水産高校

を卒業した私は家業であるカキ養殖業に従

事した。

当時の気仙沼湾は遠洋、近海漁業の基地

として活況を呈していた。

また、湾奥から大川が注ぎ汽水域である

がゆえに、ノリ、ワカメ、カキ、などの漁

場としても優れており、特に丸葉浅草海苔

は味が良いとして有名であった。

しかし、昭和三十九年の東京オリンピッ

クのころを境に工業優先の時代となり、生

産活動のツケは沿岸域の海に集中したので

ある。

各地の海で赤潮が頻繁に発生し、沿岸漁

業や養殖業に大きな被害が出るようになっ

た。気

仙沼湾も例外ではない。あれだけの隆

盛を誇っていたノリ養殖が、あっという間

に壊滅してしまったのである。

カキも、最も汚れた海で発生するプロロ

セントラルミカンスという赤潮プランクト

ンの大発生で、白いはずの身が、赤くなっ

たのである。血液の色に似ているので、血

牡蠣と呼ばれたのである。

当然商品にはならず、廃棄処分されてし

まった。

カキ養殖漁業者は苦境に立たされたので

汽水域は最良の教室

牡蠣の森を慕う会 代表

畠山重篤

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ある。

赤潮の海をなんとか青い海に取り戻した

い、そんな願いから始まったのが、森は海

の恋人運動である。

海から森へ

気仙沼湾は三陸リアス式海岸の中央に位

置している。

南隣は志津川湾、追お

波ぱ

湾。北隣は岩手県

の広田湾、大船渡湾、越お

喜き

来らい

湾と続く。

これらの湾に共通していることは、湾奥

から必ず川が流入していることである。

そもそも、リアスという言葉はスペイン

語で「潮入り川」の意味で、リアスは、リ

オ(川)からの派生語だったのである。

つまり、これらのギザギザの湾はもとも

と川が削った谷だったのである。川の源は

森である。

森林の腐葉土層を通った水の中に、カキ

の餌となる植物プランクトンを育

はぐく

む養分が

含まれている。だから、カキが育つのであ

る。

日本全国の沿岸域を見回してみればその

ことは一目瞭然である。

北海道オホーツク沿岸は流氷が森の恵み

を届けている。流氷は、極東最大のアムー

ル川の河川水が凍ったものだ。サケ、カニ、

ホタテなどは大陸の大森林の恵みである。

コンブの産地も、海際まで森が垂れ下が

っている。

青森のホタテは、むつ湾を取り巻く

ブナと雪の産物だ。雪解け水は無数の

川となって森からむつ湾に流入してい

る。白

神山地のブナは、ハタハタを育ん

でいる。

富山湾のブリは立山連峰の雪と、標

高八〇〇メートル付近にあるブナの森

が育んでいるのだ。ブナの森の腐葉土

層が雪解け水を地下に浸透させ二〇年

の年月を経て海底から湧き出してい

る。そこには、植物プランクトン、動

物プランクトンが発生し、白海老が群

がっている。その延長にブリがいるの

だ。江

戸前の名で知られる東京湾には、主な

川が一六本流入している。あの巨大な湾が

二年で真水になってしまうほどの水量だ。

つまり東京湾も汽水域なのだ。日本の食文

化の原点である江戸前のすし、てんぷらも、

汽水の産物なのである。

すごいぞ!水産業・漁村の多面的機能

特集

今ではめずらしい和船に子どもたちを乗せて、環境や海について説明する

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水産物の流通は、一般消費者のイメージ

としては、魚売り場における切り身、刺し

身であり、加工した食品ではちくわ、かま

ぼこ、ソーセージ、缶詰などである。この

ような食品としての流通以外にも、近年、

医薬品、化粧品、健康食品などの素材とし

水産物の機能性成分とその高度利用について

マルハ株式会社 化成食品事業部化成品課 課長代理 農学博士

山本 久

有明海は日本最大のノリの産地

である。

筑後川を代表に、大小の河川水

が注ぐ汽水域である。諫早湾の潮

受け堤防だけが注目されている

が、有明海のノリ問題の原点は、

筑後川河口堰なのである。大量の

水を福岡に送っているのだ。

このように沿岸域の漁場には必

ず川が注いでいる。問題は、流域

に暮らす人々が汽水域まで視野に

入れて生活してくれるかどうかである。

川からは、良いものも悪いものも流れて

くる。このことを指摘できる最適なポジシ

ョンに生活しているのが漁業者なのであ

る。し

かし、〝川を汚すな〞という対決型の

主張では憎しみを増幅させるだけだ。

海辺の学習という、漁業者ならではのボ

ランティア活動が最大の武器となる。

それは、人の心に森をつくる武器でもあ

る。

最も大切な森は「心の森」と説く筆者

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る。今回は水産物由来の医薬品(診断薬を

含む)、化粧品、健康食品について簡単に

紹介してみたい。

医薬品

フカヒレという食材があるが、その原料

であるサメは軟骨魚類に属することからわ

かるようにほとんどが軟骨でできている。

その軟骨からコンドロイチン硫酸ナトリウ

ムという原料が一九六〇年代から製造され

ている。コンドロイチン硫酸ナトリウムは、

内服薬、目薬、注射薬などの原料として年

間数百トンの国内市場があり、特に近年は

高齢化社会を反映してドラッグストアなど

で販売される関節痛鎮痛薬として大きな伸

びをみせている。またマルハでは、臨床診

断薬としてカブトガニの血液成分を利用し

たものも販売している。日本ではカブトガ

ニは保護地区があり、原料としての調達は

難しいが他のアジア地域や北米地域で広く

生息している。カブトガニは、人間が持つ

抗原抗体反応による免疫とは異なる独自の

て水産物由来の成分が多く出回るようにな

ってきた。この大きな要因としては、何と

いっても日本とアメリカでのBSE(牛海

綿状脳症、いわゆる狂牛病)の発生による

牛由来原料の流通量の減少が挙げられる。

使用が禁止になった分野はもちろん、安全

なものであれば使用は可能な分野でも消費

者の敬遠により、メーカーが使用を控える

ようになったのである。その代替原料とし

ては、豚、魚、植物があるが、豚も口こ

蹄てい

疫えき

などの病気の心配があるので原料素材とし

て求められているのは水産物由来・植物由

来に対する期待が非常に大きい。

マルハ株式会社では、古くは前身の大洋

漁業株式会社時代からさまざまな水産物か

ら有効成分を取り出しての高度利用をして

きた歴史がある。捕鯨をしていた時代には、

クジラは捨てるところがないぐらいさまざ

まな原料としての利用価値があったが、捕

鯨禁止、二〇〇海里の導入で以前とは、漁

獲高も魚種も変わった。その影響で水産物

の利用は大きく様変わりしてきたのであ

すごいぞ!水産業・漁村の多面的機能

特集

カブトガニの血液成分を利用した臨床診断薬。写真は測定試薬キット

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免疫系を持っており、カビ類(真菌)に反

応する成分を利用すると、深在性真菌症と

いう体の中にカビが生える病気の補助診断

に非常に有効である。ふつう健康なヒトで

は免疫系により体内にカビが生えたりはし

ないが免疫力が弱った状態では、カビが生

えてしまうことがあり早めに抗菌薬による

除菌をするためにはこの補助診断が有効で

ある。その有用性の評価が各学会で年々高

まっており、補助診断への使用が飛躍的に

伸びている。また、エンドトキシンという

物質にも反応する系も同時に持っており、

この成分を利用したエンドトキシン除去剤

(吸着体)も開発、販売している。エンド

トキシンは血中濃度が高まればショック症

状を起こす発熱性物質で大腸菌の細胞壁に

存在している。注射用水や半導体洗浄の超

純水などとてもきれいな水が必要な分野で

はエンドトキシンの除去は重要な問題であ

る。このようにカブトガニはとても人の役

に立っているのであるが、いわば献血をし

てもらっているようなもので実際に、必要

な分の採血が終わればまた海に戻してい

る。

化粧品

前述のサメ軟骨から製造されるコンドロ

イチン硫酸ナトリウムは保湿成分であるこ

とから化粧品原料としても使用されてい

る。また、深海ザメの肝油の成分も皮膚に

塗るととても伸びのある成分で化粧品の基

材として利用されている。スクワランとい

う成分を精製しての使用であるが、現在は

その他の肝油成分などの水産物由来成分で

化粧品に使える可能性のある成分について

色々と検討中である。

健康食品

この市場は、高額納税者にこの業界の社

長がランクインしていることを考えても右

肩あがりの急成長市場であり、マルハも複

数の水産物由来の原料を市場に販売してい

る。まず油類の原料としては、マグロ魚油

からDHA(ドコサヘキサエン酸)、カツ

オ魚油からEPA(エイコサペンタエン

酸)、深海ザメ肝油からスクワレン、ジア

シルグリセリルエーテルを抽出精製してい

る。また、その他の原料としては、食品用

コンドロイチン硫酸・たんぱく質複合体

(販売シェア一位)をサメ軟骨から、コラ

ーゲンペプチドをティラピアから抽出精製

し、販売している。さらにはカキ肉エキス

パウダーというカキ由来の素材も扱ってい

る。時代の流れで食品原料でもさまざまな

有効性データが必要になってきており、マ

ルハは、「データのマルハ」を業界に知ら

しめるために、現在は原料販売と共にデー

タ提供を特に積極的に進めている。

このように、マルハでは医薬品、化粧品、

健康食品の各分野に水産物由来の有効成分

を販売提供し、水産物の高度利用の一端を

担っているとの自負を持ちながら、今後も

新規の有効成分の探索を継続していきたい

と考えている。そのアクションが水産業界

全体の活性化につながれば幸いである。

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に打ちつける波は約八メートルの高さがあ

り、時には防波堤を越え、堤防に設置され

た灯台の先端まで洗った。

転落を目撃した男性によると、三人は漁

港の駐車場から続く防波堤の上で、間断な

く押し寄せる高波を避けながらはしゃいで

いたという。和歌山北署の調べでは、和歌

山県中部の有田市などから和歌山市内に車

で買い物に来て、帰り際に高波見物に繰り

出したらしい。

畔取さん所有の全長約一〇メートルの小

型漁船は港に係留していた。海の男といえ

ども、大荒れの海に船を出すのはためらう。

しかし、三人を助けるには、消防などの救

助隊を待つ時間の猶予はなかった。「怖か

ったが、とにかく助け出さないといけない

と思った」。大津さんら二人は、港にいた

防波堤にいた男たちが

高波にさらわれた

平成十六年六月二十一日午後一時四十分

ごろ、和歌山市加太の加太港。この日、近

畿地方に台風六号が最も近づいていた。高

波見物に来ていた二五〜三二歳の会社員ら

三人が高波にのまれ、海に転落。これを港

近くの道路から波の様子を見ていた男性が

目撃し、近くにいた漁業者の大津喜勇さん

(六三歳・加太漁業協同組合所属)にこわ

ばった表情で知らせた。大津さんは一緒に

いた漁業者仲間の畔く

取とり

玄たかし

さん(六一歳・

同)とともに車で港に駆け付けた。

海は台風の影響で大荒れに荒れていた。

六月としては和歌山市で過去最高となる最

大瞬間風速四二・二メートルを記録。岸壁

別の知り合いの漁業者にも声を掛け、三人

で畔取さんの漁船に乗り込んだ。大津さん

は救助中に転覆する最悪の事態に備え、港

漁業者による海難救助

毎日新聞社和歌山支局 記者

近藤修史

すごいぞ!水産業・漁村の多面的機能

特集

高波見物をしていて男性ら3人が落下した防波堤(6月21日午後2時半ごろ、和歌山市加太で)

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にあった発泡スチロール

二箱を積み込んだ。浮き

輪替わりにするためだっ

た。海

は見た目以上に荒れ

ていた。大きく船が揺れ

る。必死に捜したが、男

性らの姿が見えない。だ

が、波間に浮かぶ藻のよ

うな物が三人の目に入っ

た。投下した網を回収す

る竹製の棒で、物体を引

き上げた。藻のように見

えたのは、茶色に染めた

男性の頭髪だった。男性

に意識はなく、顔に血の

気は全くなかった。港に

戻る途中、大津さんは船

上で必死に心臓マッサー

ジを施した。港で待機し

ていた救急車に引き渡さ

れた男性は、ようやく意

識を取り戻した。

大津さんらはふたたび海に繰り出した。

船上で、今度は遠くから「おーい、おーい」

と呼びかける声が聞こえた。転落場所とは

別の防波堤に掛けてあったロープにつかま

り、男性が助けを求めているのが見えた。

救助された二人は無事だった。しかし、

和歌山北署や和歌山市消防局、田辺海上保

安部などが一〇〇人態勢で懸命に捜索した

が、あと一人の男性の行方は分かっていな

い。事

故から四日後の六月二十五日、救助に

当たった大津さんら三人と、港で心肺蘇生

などをした他の漁業者二人の計五人は、和

歌山市から感謝状が贈られた。大橋建一市

長は「皆さんの冷静沈着な行動が尊い人命

を救った」と五人をたたえた。大津さんは

「以前、所属していた消防団で一度だけ心

肺蘇生などの講習を受けたことことがあっ

たのが役に立った」と笑顔を見せた。

大津さんや畔取さんらJF加太の漁業者

は普段、加太の名物、タイの一本釣りやア

行方不明の男性を捜索する和歌山市消防局の隊員ら(6月21日午後4時ごろ、和歌山市加太で)

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ジ、サワラ、メジロなどの漁にいそしむ。

二人とも真っ黒に日焼けした顔に、六〇歳

代とは思えないほど盛り上がった腕の筋肉

が印象的だ。ともに中学を卒業後、漁業者

になった。

二人とも、これまで一〇回以上は漁船で

水難者を助けたことがあるという。「毎年

のように水難事故が発生しているように思

う。そのたびに救助に出ている」。水難者

はサーファー、海水浴客、釣り人……。共

通しているのは「海を甘くみていることだ」

と語る。

何も今回の三人だけではない。台

風の際は「高くなった波を求めてサ

ーファーも集まってくる」と、地元

住民は口をそろえる。事故があった

日も、いつものようにサーファーが

沖合に流された。目撃した漁業者ら

が救助のために船を出したが、潮の

流れを知っていたサーファーは、ボ

ードに乗って波打ち際まで悠然と戻

ってきたという。

現在、JF加太や和歌山北署など

が、台風時に堤防に近づけないよう

にする新たなゲートの設置を検討し

ている。設置費用や管理方法の問題

をクリアーしなければならないが、

関係者の一人は「何らかの対策をと

らなければ事故は繰り返される」と危機感

を募らせている。

今回の救助は、海を熟知した漁業者だか

らこそ可能だった。畔取さんは「荒波でも、

どこまで進むのは大丈夫か、どこまで行け

ば転覆の恐れが出てくるかは熟知してい

る。長年の経験から海の怖さも知っている」

と話す。通報を受けて現場に着くまで一定

の時間がかかってしまう警察や消防、海上

保安庁の救助には限界がある。現場に到着

しても慣れない海の上では作業は進まない

はずだ。ましてや台風で荒れる海では身動

きが取れなかっただろう。大津さんは「私

たち加太の漁師はお人好しだから危険を顧

みずに救助に向かったのかもしれない」と

振り返る。

事故後、救助された男性二人は、大津さ

んらの自宅を訪ねてきた。二人は平謝りし、

救助への感謝の言葉を繰り返した。大津さ

んは「人に迷惑をかけず、世間に役に立つ

人間になってほしい」と諭さ

し、見送ったと

いう。

救助した当時の状況を話す大津喜勇さん(左)と畔取玄さん(和歌山市加太で)

すごいぞ!水産業・漁村の多面的機能

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漁業はこの列島が誕生してから今日ま

で、農耕とともにこの列島に暮らす人々を

支えてきた生業だけに、漁村には古くから

の伝統的な祭りや行事、生活技術、慣習な

どが伝わっている。それらをまとめて漁村

文化と呼ぶが、漁村文化にはこの列島の漁

村とその海に生きる民が、海とその恵みを

巧みに取り込んで暮らしてきた歴史が濃縮

されて詰まっている。

漁村文化というと誰でもが思い浮かべる

のは祭りや神事であろう。毎年、雪の舞う

二月四日に行われる秋田の金浦神社の掛魚

祭り(鱈祭り)や、南国沖縄の糸満市で旧

暦五月四日に行われる糸満の爬龍船競争を

思い出す人もいることだろう。あるいはま

た、三重県鳥羽市の菅島の海女が白い衣装

に身を包み、海に潜ってとった雌雄のアワ

ビを初穂として神に捧げる厳かで華やかな

「しろんご祭り」を思う人もいることだろ

う。祭りや神事の形態、時期は異なるもの

の、漁村地区では、それぞれに海にかかわ

る祭りや神事、行事が続けられている。海

上での漁獲活動が、人知の及ばぬ大自然と

の格闘であるだけに、豊漁や漁獲活動の安

全を神々や仏のご加護を願う気持ちが強い

からであろう。浦々で執り行われている

「えびす祭り」や「金比羅祭り」はその典

型ということができるし、大晦日の晩に

家々でタイなどの魚を一対として神棚に掛

ける「掛魚」行事や正月二日の乗り初めな

どの行事などは、それらがすでに失われた

漁村地域はあるものの、まだ綿々として伝

えられている漁村も多い。そしてそれらの

祭りや行事を通して、漁村は共同体として

の結束を強め、協力精神を育成し、相互に

助け合って生きてきたし、漁労という生業

や技術の継承を行ってきた。華やかさだけ

が取りざたされる全国の浦々の船競争も、

単に早さを競っているのではなく、豊漁を

占い、祈願する奉納神事の一環でもあるし、

また櫓ろ

櫂かい

を巧に漕ぐための漁労技術を継承

する場でもあったのである。

漁村がその特有の文化として継承してき

たものは祭りや行事だけでない。祭りと行

事に歌われることの多かった各地の「大漁

漁労文化継承装置としての漁村

漁村文化を見直そう

周防大島文化交流センター 参与

森本 孝

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節」や「櫓漕ぎ歌」、

あるいはニシン漁の労

働歌として全国に知ら

れる「沖上げ音頭(ソ

ーラン節)」などの芸

能や、行事に付き物の

各地独特の魚料理もそ

のひとつだし、生業に

直結した漁労技術や漁

具・漁法、あるいは観

天望気などの伝統的な

技術も漁村特有の優れ

た民俗文化に上げられ

る。古

代からこの列島の

海辺の民は魚介の加工

に優れた知恵を発揮し

てきた。それは魚介が

律令制の時代から貢納

物として朝廷や神社に

貢納されたことにも、

関係があるであろう。

遠路を運ぶため、塩づけ、醗酵、乾燥など

保存のための処置をとり、それでいて味の

落ちない工夫がなされた。採取した魚介を

無駄なく使う工夫もした。それらの中には

日本料理を代表する鮨す

や、秋田のショッツ

ルなどの有名なものもあるが、例えばナマ

コの腸をコノワタとして加工食品化し、ボ

ラの卵をカラスミに加工したのも、この列

島に暮らす漁業者以外には想像できなかっ

た優れた知恵や工夫であった。それらの中

には例えば山形県飛島のイカの魚醤などの

ように、その地方だけでしか使われないも

のもあるが、先人の優れた魚食文化が、列

島の浦々には継承されてきている。

漁労技術はより多く、より効率よく漁獲

をなすために日進月歩で進歩してきた。そ

の結果、この列島の漁業者は乱獲による資

源枯渇と、漁業の衰退の憂き目に遭遇して

いる。資源枯渇の原因は、乱獲だけでなく

工業化や干潟の干拓など、多くの他の原因

も加味してのことであるが、漁具・漁法、

漁船の大型化などが真の意味で沿岸漁村の

海神祭の一環として行われる糸満の爬龍船競争

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振興に貢献してきたのか

どうか、謙虚に振り返っ

てみる必要もある。私は

今、かつては瀬戸内有数

の一本釣り漁村であった

ある島に仮住まいしてい

る。この島の漁業者はタ

イ、アジ、ハマチ他、手

釣りで一本一本の高級魚

を釣ることにかけては巧

みな漁労技術を有してい

た。その卓越した技術が

あればこそ、櫓櫂の時代

から九州方面や戦前には

朝鮮海峡や台湾、ハワイ

までも漁労に出かけるこ

ともできた。この島の漁

業者の小さな釣り道具に

かけた工夫は実に巧みで

あった。季節と魚種に応

じて、錘の数や目方を変

え、生餌や疑似餌を変え、

釣針、釣り糸の種類や太さを選び、また漁

期ごとの潮流の変化に応じて網代や釣り方

を変えた。また、「冬の南南東風

は雨」、

「九月十日の明け暮れたたえ(夜明けと夕

方に満潮)」などの天候予測や潮流を読む

技術も優れていた。海底の天然の魚礁を引

き回す強力な漕ぎ網船などが、漁場を荒ら

さなければ、旧来の伝統技術で島の漁業者

はまだ生活を続けられるのである。

漁村はこれまで、海の生業にかかる実に

多くの生活文化・技術を継承してきた。そ

れらはこの国を形作ってきた基層文化の一

つであるといってよい。しかし、漁村の文

化は社会情勢の急変とともに、無価値、無

用と見なされ、忘れ、捨て去られようとし

ている。だが人が海や漁業から離れつつあ

る今日こそ、漁村文化の価値が見直される

べきではないだろうか。漁村はその伝統文

化の継承活動と、文化的価値の再発見を通

してこそ、初めて未来が開けてくるのでな

いかと思う。

船霊祝いの日には神棚に模型の船や紙の切りイカを飾った(山形県飛島)

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はじめに

ここでは、紙幅の関係もあり、漁村にお

ける高齢者の多様な就業や雇用の前提とな

る「定住のための集落とその空間」という

観点から、その概要に触れることにしたい。

なお本誌にこのテーマに関連する拙論

(「高齢者が生き生きと働く漁村づくり――

日本の歴史的なローカルコモンズに学ぶ」

第八四号・二〇〇〇年三月)があるので、

ご参照いただければ幸いである。

漁村集落の空間と高齢者

日本の漁村は、そこで産出される豊かな

水産物の規模や質ばかりではなく、そこで

働く漁業者とその家族の住む優れた空間に

おいても世界に冠たる位置にある。およそ

五〇〇〇を超える漁村集落は、日本の海岸

線の七キロに一カ所の割合で、土地条件の

厳しい中で分布して、国民に優れた水産た

んぱく質を提供し続けてきた。

二〇〇〇年国勢調査の結果によれば、こ

うした漁村に働く漁業就業者数は二五万三

〇九七人であり、その中で六五歳以上の高

齢者の割合は二三・八%(六万二四五人)

を占めている。この高齢者比は、農業者の

四七・七%に比しても、きわめて低い水準

である。しかし、一方でその高齢就業者の

対一九八五年比の増加率は、農業の一二

八・〇%に対して、漁業では一八二・八%

となり、漁村の高齢化は厳しい状況に置か

れていることがわかる。

高密度空間の意味

さて日本の漁村の特質は、海岸線に高密

度に分布していることだけではない。もう

ひとつの特質ともいうべき事実は、その

「高密度な居住」という点にある。これは、

例えば、一ヘクタールあたりの人口密度と

いう尺度でも表せるが、筆者が中国・瀬戸

内海地方で、広く抽出して調べた結果では、

平均人口密度は、一ヘクタール当たり一五

〇人という高密度であった。中には、なん

と一ヘクタール当たり一〇〇〇人近い漁村

も見られた。ちなみに、この一〇〇〇人と

いう密度は、例えば大都市の二〇階建てア

パートの団地の人口密度に相当する値であ

る。日本(やアジア)の漁村の不思議の一

高齢者の定住空間機能に着目して

広島国際大学 教授

地井昭夫

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つである。

この人口密

度の高さは、

普段は日照、

通風不足やプ

ライバシー阻

害などの欠点

を持つが、こ

と高齢者や子

どもに関する

限り、そのコ

ミュニケーシ

ョン(接触)密度の高さという点で、

きわめて大きなメリットをもたらすも

のとなる。例えば、介護ケアなどにお

いては、この高密度性が高い介護サー

ビス効果(介護コストの低減効果)を

もたらすことはいうまでもない。おお

げさにいえば、集落全体が日常的にあ

たかも〝デイサービスセンター〞の観

を呈するからである。

いま世界的に未来都市論では、〝効

率の良いコンパクトタウン化〞が話題とな

っているが、漁村は昔から〝効率の良いコ

ンパクトビレッジ〞だったのである。

高齢者支援型の環境整備を

さて、こうした日本の漁村が、これから

も優れた水産たんばく質を提供する場であ

り続けるための課題は多いが、中でも高齢

者の多様な就労や暮らしを支援する生活環

境整備が求められる。そして高齢者に優し

い生活環境は、子どもにも女性にも優しい

のである。この子どもと女性に優しい生活

環境は、若年世代を引き付ける潜在的な条

件でもある。筆者の住む中国地方の漁村に

おいても、定年Uターン者がJFの役員と

なって活躍している事例も多い。これから

の漁村では、茨城県日立市・JF会瀬のI

ターン組合長のように、農村に比しても、

この定年Uターン者の占める割合は急速に

高まるものと思われる。

最後に筆者が三〇年ぶりに訪れた京都・

丹後半島の漁村の〝高齢者に優しい環境整

備〞の事例を紹介して稿を閉じたい。それ

は写真のような、近代化された共同の舟小

屋の風景である。三〇年前は藁葺きの舟小

屋群であったが、近代建築として更新され

機械化されるとともに、快適で多様な就労

を可能とする作業空間として整備されてい

た。というよりも、仲良く海へ向かって並

び、〝豊かな海の幸を共有する集落のシン

ボル〞という方がふさわしいのかもしれな

い。

近代化された共同の舟小屋は快適で多様な就労が可能となった

約三〇年前の舟小屋は藁葺きだった

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全国豊かな海づくり大会

香川県高松市2004年10月3日(日)

海は多種多様な生命を育み、人々に豊かな海の幸と安らぎをもたらしてきた。なかんずく、我が国は四面を海に囲まれ、どの国よりも多くその恩恵を受けてきたが、身近さ故に、その大切さを忘れがちであった。漁村に住む人々は、古くからその活動や存在を通して、交流・保養の場の提供や環境保全など、多くの人が海の恵みを享受できるための様々な役割を果たしてきた。このような多面的機能の重要性について、国民一人ひとりが認識を深め、取組の輪を拡げていかなければならない。本日、世界に誇る、美しく豊かな瀬戸内海のここ香川県で、第24回大会が開催されるにあたり、「青い海 守る心に 豊かな未来」を合い言葉に、豊かな海の恵みを未来につなげていくことをここに決議する。

平成16年10月3日

大会決議

第24回

全国豊かな海づくり大会

1

大会決議を読み上げる

植村正治大会推進委員会会長

qタケノコメバルなどを放流される両陛下w開会を宣言する服部郁弘JF香川漁連会長e表彰を受ける功績表彰団体 r漁業後継者夫妻へ託すアマモを受け取る両陛下 t漁業後継者による誓いの言葉 y台風被害を受けた香川県民を気遣われた天皇陛下のおことばu最優秀作文「おじいちゃんのいりこ飯」を読み上げる石井裕子さん(小学5年)

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全国豊かな海づくり大会第24回

全国豊かな海づくり大会 i海の上から両陛下を歓迎する庵治町舞台船獅子舞 o漁船パレードでは香川の魚をしっかりアピール !0衣装も化粧もバッチリ!だんじり子供歌舞伎 !1何がいるのかな?干潟の生物にタッチング !2海の泡はシャボン玉 !3海藻押し葉、どうやって並べようかな

!4漁船パレードに手を振る両陛下 !5漁船パレードでは浜の母ちゃんも大きく手を振った !6お魚バルーン隊によるパレード !7マスコットは小さな子供の人気者 !8華やかで勇壮な豊浜ちょうさ祭の御輿

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ない。春から夏、沖合を交差する

暖寒流によって発生する海霧(ガ

ス)が流れ込む。冬には結氷、流

氷を見る。そんな浜でエゾバフン

ウニの完全養殖をめざす画期的な

試みが続けられ、企業化をめ

ざしている。「新技術の導入」

「新規漁業の開発」が中核的

漁業者協業体等取組支援事業

として認められた。北のマチ

ならではの切実な願いを込め

た事業への取り組みでもあ

る。

予想を上回った生残率

エゾバフンウニ養殖の試み

は平成十三年十一月にスター

トしている。殼長約五ミリの

エゾバフンウニの

完全養殖を目指して

北海道浜中町はその中心地・霧

多布の地名の方が全国区かもしれ

種苗九万粒を網目(目合い)三ミ

リの角型カゴ九個に分散して入れ

て海中に垂下した。越冬後の十四

年四月から六月にかけ、殼長約一

〇ミリのサイズまで成長した稚ウ

ニを網目一〇ミリの円筒型カゴ四

五個に二〇〇〇粒ずつ収容した。

十四年十一月、さらに大きくなっ

たところで網目二四ミリの円筒型

カゴ九〇個に一〇〇〇粒に分けて

育成した。

エサは浜に寄ってくる生の拾い

コンブだった。冬は生コンブのほ

か、乾燥物や冷凍物を給餌した。

ウニの食べ具合をみて「おおむね

週に一度」の割りで与えている。

「うれしい誤算」があった。当

初の計画では、この養殖カゴによ

る育成期間を三カ年とみていたの

だが、育成二カ年後の平成十五年

夏には大きいもので出荷サイズの

殼長四五ミリに達したことであ

る。同年九月、さっそく試験出荷

が行われている。

もちろん、すべてが同じ大きさ

で順調に育ったわけではない。選

別作業により、成長サイズに合わ

せてカゴの収容期間を調節してい

る。出荷されたウニのうち、殼長

四五ミリ以上が八〇%、それ未満

のサイズは二〇%だった。

こうした結果、地域差はあった

ものの、生残率は全体で七二・

四%と、当初予想の「六〇%程度」

を上回る結果が得られたのだっ

た。試験出荷重量は三五七八キロ、

浜中町全景。真ん中の町並みが霧多布地区。手前は浜中湾。奥が琵琶瀬湾(写真提供:浜中町役場水産課)

中核的漁業者協業体等取組支援事業

新しい漁業づくりへの挑戦北海道JF浜中うに養殖研究会

水産ジャーナリスト

土井全二郎

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販売金額一二四三万円だった。種

苗購入費はじめ諸経費を差し引い

た漁業者一人当たりの収入は一八

万円。ただし、人件費やエサのコ

ンブ代は自前とあって計算に入っ

ていない。

この十三年度から始まったバフ

ンウニ完全養殖事業は二年間をサ

イクルとして、翌十四年度以降も

毎年実施されている。十七年度ま

でに多くのデータを蓄積する予定

だ。一方、今年、十六年度からは

種苗数を増やすとともに養殖設備

の改良・整備をすすめ、本格的に

「企業化」をめざす新三カ年計画

もスタートさせたところでもあ

る。

コンブの町に吹く不景気風

北海道の釧路から東へ、浜中町

を経て根室に至る海岸線は「昆布

森海岸」と呼ばれている。全国有

数のコンブ生産地なのである。ウ

ニは海藻類、とくにコンブを好む。

だからコンブ漁が盛んなところで

はウニが取れる。全国一のコンブ

生産を誇る浜中町の場合もウニ漁

は盛んなのだが、その肝心のウニ

漁獲も資源減少でめっきり減って

きた。

そこで、釧路市や浜中町ら一市

四町とJF浜中など近隣七組合が

資金を出し合い、平成六年、厚岸あっけし

町にウニ資源復活をめざす水産種

苗生産センターがつくられた。主

としてエゾバフンウニの種苗放流

に目的があったのだが、今回の浜

中町におけるウニ養殖事業に使わ

れた種苗はこのセンターから購入

したものだった。

さて、そんな具合でウニの漁獲

は芳しくない。浜で一番の稼ぎ頭

である「はまなかコンブ」にして

も中国産や韓国産の輸入物に追い

上げられている。地元漁業のサ

ケ・マス、サンマ、タコ、カニ、

ホッキ貝漁あたりにしても魚価低

迷が続いている。このため、「閑

漁期となる冬場」ともなると、漁

業者の多くが道内や東京などに出

稼ぎに出るというのが一般的にな

っていた。その出稼ぎも、このと

ころの冷たい不景気風に吹かれて

いる。

浜中町役場水産課の野崎好春係

長(48歳)によれば、浜中町は

「北海道の中でも典型的な第一次

産業のマチ」であり、漁業と酪農

で成り立っている。対比は七〇〇

戸対二〇〇戸で漁業者の方が圧倒

的に多い。漁業ではコンブ漁の占

める割合が大きく、漁業者の九

五%がかかわっている。ここらあ

たり、JF浜中の業務報告書によ

ると、平成二年度の水揚げは三万

二〇〇〇トン、四六億円だったの

だが、一〇年後の平成十二年度に

は一万トン、三一億円にまで落ち

込んでいる。明らかに前浜資源は

減少傾向をたどっていることが分

かる。

このうえ、主力のコンブが輸入

自由化ともなれば壊滅的打撃を受

けることになる。このため、「少

なくとも漁家一〇〇戸がやってい

けなくなるだろう」といった悲観

的な数字も出ていた。後継者確保

の問題もある。JF浜中組合員四

五七人のうち、二〇歳代以下はわ

ずか二人。六〇歳以上が四割近く

を占めているのである。(十五年

度事業報告書)

親としてのプライドかけ

「なんとか漁業を立ち直らせた

い。出稼ぎに行かないで済むよう

な、一年を通じて操業ができるよ

うな、新しい漁業はないものか」。

こんどのエゾバフンウニ完全養殖

の試みには、そんな地元事情なら

ではの悲願が込められていたのだ

った。

そうはいっても、そう都合のい

い話が転がっているわけはない。

JF浜中では「通年操業を確保す

べく新規漁業の模索」を続けた。

Page 37: 中核的漁業者協業体等 取組支援事業 · 2005. 4. 5. · 2 ウ ニ は 、出 荷 サ イ ズ ま で に 成 長 す る の に 二 年 か か る 。 昨 年 は 十

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ウニ養殖を思い立ったのは、同じ

浜中町のJF散布ちりっぷ

で成功例があっ

たからだった。

ここには火散布

しちりっぷ

沼という内陸部

に深く入り込んだ水域があって、

水温・塩分は外海と全く変わらな

いが、浅い水深と静かな水面がみ

られる。これに対してJF浜中の

前浜は外海に面しており、夏季は

シケの日が多く、冬季は海面が一

部凍結し、オホーツク海からの流

氷の漂着さへ見られるのである。

火散布沼の場合と条件が全く違

う。

このため、ウニ養殖事業をやろ

うと決まったのはいいが、出だし

から「果たして荒れる外海での養

殖は可能なのだろうか」といった

不安に包まれての発足となってい

る。メンバー結成に当たっては組

合員たちに公募を呼びかけた。真

っ先に手をあげたのは一五人。平

均年齢四五・七歳。全員がコンブ

漁師だった。

ここらあたりについて、研究会

長の成田祐一さん(48歳)は「六

月から十月にかけてのコンブ漁が

終わると、あとは出稼ぎという生

活では、息子

たちに後を継

げとはいえな

い。こんどの

ウニ養殖事業

は、漁業者た

ちが親として

のプライドを

かけ、危機感

でもって立ち

上げたものだ」。北海道指導漁業

士の資格を持つ山崎貞夫さん(51

歳)も「他地域の漁業士仲間の助

言を受けながら、やっと船出がで

きた。本格的な『育てる漁業』の

スタートであり、試験段階から企

業化まで、しっかりとした意識改

革の下に頑張る」と話すのである。

メンバーは現在、五三人となっ

ている。

十勝沖地震にも見舞われ

それにしても、苦しい試行錯誤

の連続だった。

養殖カゴは漁網を利用した手づ

くりだった。円筒型のカゴは稚ウ

ニの成長具合を比較してデータを

取るため、直径六〇センチ、長さ

三メートルのものと直径は同じで

長さ一・二四メートルのものを用

意した。両端のロープを幹縄に結

び、横長のかたちで海中に垂下す

る。内部は小部屋で仕切ってフタ

をつけ、外から給餌しやすいよう

「親父のプライドにかけ、後継者のために」と語る成田祐一会長

300㎝

50㎝ 70㎝

70㎝

50㎝

上部はゴムバンドによる開閉式

筒網を捻ると入り口がゆるみ開放状態となる

中仕切ザル ゴムバンド 外網(トリカルネット) 外網

(トリカルネット)

外枠

外枠ザル

37㎝60

円筒型育成カゴ(3mタイプ) 角型育成カゴ

中核的漁業者協業体等取組支援事業

夢・未来・仲間とともに

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に工夫した。

ウニは海水温が二〇度以上にな

ると大量に死んでしまうおそれが

ある。そこでカゴをつるす幹縄に

自動記録式水温計を設置して定期

的に点検することにした。また長

雨で塩分が薄まると、これもダメ

になる。事前に察知して養殖カゴ

を移動させなければならない。そ

のカゴの清掃も新しい仕事となっ

ている。カゴは五カ所に分けて設

置した。養殖の適した海域探しと

リスク回避のためだった。それぞ

れに責任者(主任)を決め、地区

別に五人一組のグループをつくっ

て輪番で給餌とカゴや水温計など

の点検に当たった。

釧路地区水産技術普及指導所の

専門担当員を囲んでの勉強会、研

修会もたびたび開いている。専門

担当員の吉田聡さん(37歳)は

「外海でのウニ養殖は初めての試

みだった。ウニは外部からの刺激

に敏感だから、高水温や低塩分化、

さらにシケなどを考えると、リス

クの多い困難な事業になることが

予想された」。同、佐々木隆浩さ

ん(33歳)もまた「初めはどうな

ることか、と。でも、漁業者のヤ

ル気がそれをカバーした。なんと

か成功させたいという熱意には指

導所の方がプレッシャーを感じる

くらいでした」と話している。

それでも、地区によっては水温

計が壊れて慌てさせられている。

シケでカゴがねじれたり、破損し

たところもあった。流氷や結氷の

時期には総出で警戒に当たってい

る。おしまいには試験出荷準備中

の平成十三年九月二十六日、十勝

沖地震の津波によってカゴの一部

が流失してしまっている。

そんなこんなの大苦労を経て、

当初投入したウニ種苗総数九万粒

のうち、試験出荷まで漕ぎつけた

のは、じつに六九%に当たる六万

二四四〇粒にのぼった。未出荷分

を含めると、先に記したように生

残率七二・四%を記録したことに

なる。

この成果について、ウニ種苗を

提供した側の水産種苗生産センタ

ー所長・三上敬市さん(52歳)も

「予想以上の成績だった。さらに

養殖技術、管理法を確立していけ

ば、現在の地元漁業との組み合わ

せにより、浜に活気が戻ってくる

だろう。センターとしても積極的

に協力していきたい」といってい

る。

企業化の実現めざして

沖合の養殖カゴの点検作業に向

かう漁船に乗った。

五カ所に設置されたカゴは、静

かな海域から外海の水深二・六〜

九メートルのところに垂下されて

いた。海域別や水深別としている

のは、もちろん比較実験のためだ

った。はえ縄式に太い幹縄に二〜

十勝沖地震による津波で、養殖カゴも被害を受けた。地震直後、状況をチェックする研究会メンバー(写真提供:JF浜中)

平成十五年九月二十七日、十勝沖地震

による津波で浜中漁港も被害を受け

た。いまだに復旧工事が続いていた

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形のエゾバフンウニがたくさん入

っていた。濡れて光る体色は黄褐

色や緑褐色、暗緑色とさまざまだ

が、トゲ(棘)が三〜五ミリと、

ほかのウニ類より短いところに特

徴があるようだった。

同じ北海道でも道南海域の暖流

系水に生息するキタムラサキウニ

のトゲはずっと長く、大トゲで三

センチ前後もある。だが、食料に

する実(生殖巣)はエゾの方がウ

ニ独特のオレンジ色が濃く、「味

もこちらがいい」と、これは地元

料理屋で聞かされた話だった。

海上には海霧もなく、穏やかだ

三メートルの間隔を開けてカゴ二

〇個がつるされていた。幹縄はア

ンカーで固定され、海面には赤い

フロート(浮き玉)が浮いていた。

サイズの小さい時期には稚ウニ

が食べるプランクトンが多い沖合

で育成する。その後、成長に合わ

せて漁港近くに移している。「盗

難防止」という面もあるというこ

とだった。余計な苦労をさせられ

るものだ。

船上に引き揚げられたカゴのフ

タを開けてみると、エサのコンブ

にくるまれたような格好で、ころ

ころと、丸いマンジュウのような

った。この海霧のことを地元では

「ジリ」という。大粒で霧雨に近

く、じとーっと湿っぽくて、夏季

でも低温をもたらす。このため、

釧路から道東の土地は牧畜くらい

で耕作に適さず、原野の広がりが

みられるのである。ただ、沖合に

は暖流と寒流が流れていることか

ら好漁場が形成されている。そこ

で沿岸で漁業が発達してきたのだ

が、そのせっかくの漁業も資源減

少とあっては――。

船の中ほどに腰を下ろし、そん

なことを考えていると、同行のJ

F浜中指導部長の大矢賢次さん

(48歳)が話しかけてきた。この

ウニ養殖事業のJF浜中担当者で

ある。

「漁業者たちは企画立案から実

行まで自分たちの力で頑張った。

中核的漁業者協業体に認知されて

助成金が出るようになったから事

業を始めたのではなかった点、大

いに評価されます」「これまでの

共同作業で全員の意思がまとまっ

ている。メンバーを増やし、コン

ブ漁と並ぶ浜の主力産業として、

ぜひ、企業化を成功させたい」

* * *

浜中町の背後に有名な霧多布湿

原が広がっていた。ラムサール条

約登録湿地であり、国の天然記念

物指定の植物群落が見られる。白

い帽子をつけたワタスゲ、黄色い

エゾカンゾウ、紫色のノハナショ

ウブの花。高い気温が続いたこと

から一斉に咲いたという。振り向

くと、ちょうど海の方から一面に

海霧が渡ってくるのが見えた。見

る間に広い湿原を覆っていった。

今年はジリの日が多い。この分で

は冬の到来は早いんでねぇべ

か――

「四季が旬しゅん・味覚宝庫・きりた

っぷ」と町役場の観光資料にあっ

た。いつまでも、そうあってほし

いと、願わずにおられなかった。

中核的漁業者協業体等取組支援事業

青年漁業者が中心となって漁業経営改善のために意欲的な取り組みをみせる漁業者グループ(中核的漁業者協業体)、あるいはJF女性部員を中心として水産物加工・販売などで起業的活動を行うグループ(漁村女性起業体)に対する育成・支援事業。都道府県知事の認可を受けたあと、JF全漁連が決定する。水産庁による「漁業の担い手確保・育成対策総合推進事業」の一環。助成金はJF全漁連を通じて交付される。平成15年度は50グループが交付対象となった。窓口はJF全漁連・都道府県水産主務課。

中核的漁業者協業体等取組支援事業

夢・未来・仲間とともに

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赤尾信敏(日本アセアンセンター事務総長)

二〇〇一年末に中国のWTO

(世界貿易機関)加盟が実現して

三年になるが、中国の義務不履行

問題が注目を集めている。中国は

WTO加盟によって他の加盟国か

ら最恵国待遇を享受するなどの特

権を得た。同時にWTO加盟には

種々の義務をともない、「タダ乗

り」は許されない。WTOのあら

ゆるルールに縛られ、加盟承認時

に行った自由化や国内法令の整備

などの約束を誠実に履行する義務

を負う。これを怠ると、他の加盟

国から提訴され、早急に是正措置

を取らないと報復措置を受けるこ

とになる。

一四年間におよぶ加盟交渉で中

国が行った約束は膨大でここに列

挙できないが、第一に七〇〇〇品

目余りの輸入関税の引き下げ、第

二に自由職業(法律、会計など)、

建設、電気通信、流通、金融、運

送、観光など広範なサービス分野

の自由化、第三に中国企業と外国

企業双方への国内法令の無差別適

用、外国企業の支店設置、土地利

用、人の移動など国内制度上の約

束がある。さらに、これまでばら

ばらだった貿易制度の中央・地方

双方の統一的運用、外国企業によ

る貿易権取得の段階的承認、ロー

カルコンテンツなど貿易関連投資

措置の廃止、知的財産権の保護強

化(各種法令の改正・整備、運用

の抜本的改善、司法・行政各部門

での執行・取り締まり強化など)、

関係法令の透明性の確保などさま

ざまな約束を行った。

では中国の義務履行状況はどう

か。日本からみた問題を例示すれ

ば、フィルムの関税引き下げを従

価税で約束しながら現在も従量税

を適用し、その税率は約束した税

率(譲許税率)を大きく上回って

いる。自動車の輸入ライセンス発

給手続きが不透明で、約束した輸

入枠の未達が半分近い。サービス

分野でも多くの問題ないし不透明

性がある。日米欧が重視する知的

財産権保護では、法令の整備はお

おむね進展しているものの、執行

面は不十分極まりない。実態はW

TO加盟後さらに悪化したとの日

本企業からの調査報告もある。法

令の効果的運用、司法・行政各部

門での取り締まり強化など運用面

での取り組み強化が大きな課題で

ある。以上は諸問題のほんの一部

の例示に過ぎない。

中国加盟の条件として、その義

務履行状況を毎年検討するための

経過的検討制度の設置が合意され

た。各国とも不満を抱えつつも寛

大に対応してきたが、加盟後三年

経っても多くの義務違反があり、

地 球 鳥 瞰赤 尾 信 敏 の

第4回

アンバサダーアンバサダー

中国のWTO義務不履行問題

―紛争解決手続きの活用で

ビジネスライクに解決を―

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問題が深刻化している。これを放

置すればWTO制度の信用問題に

もかかわってくる。

GATT(関税貿易一般協定)

時代に比べてWTO体制下では、

小国を含めて各国が強化された紛

争解決制度を頻繁に利用するよう

になった。感情論を交えず淡々と

問題提起をし、二国間協議で解決

できなければパネルの設置を求

め、その判定結果を尊重するとい

う風土が定着している。中国もい

つまでも例外扱いを期待すべきで

なく、他国もこれを許すべきでな

い。わ

が国では「日本が最初の対中

提訴国になることを避けたい、中

国の違反追及は日本の関係業界へ

の報復措置を招きかねない」とし

て静観する傾向がみられる。しか

し、そのような二国間関係に配慮

した遠慮は不要かつ禁

物である。WTOは多

数国間で合意したルー

ルに基づくビジネスラ

イクの世界である。か

つて激しい感情的、政

治的問題に発展した日

米経済問題も、WTO

体制下ではルールに従

って淡々と冷静に処理

可能になった。相手の

報復を恐れる必要もな

い。WTO協定ではそ

のような報復は認めら

れていない。

中国のWTO違反措

置を無視・放置するこ

とは長年の交渉で構築されたWT

Oルールの形骸化につながりかね

ない。過渡的検討制度の記録をみ

ても、中国側の説明は的を外れ、

不誠実な対応が多い。腫は

れものに

触るような特別扱いをやめ、二国

間でキチンとその義務の履行を求

め、協議が整わなければパネルの

設置を求めるべきである。WTO

の場でさえ率直な関係になれなけ

れば、成熟した二国間関係はあり

得ない。

米国は本年三月中国の半導体の

国内税制度をWTO違反として提

起し、パネル設置前の二国間交渉

で解決に達したと報じられた。わ

が国も、中国の知的財産権保護制

度の欠陥、フィルムの関税引き下

げの不履行、自動車・携帯電話な

どに対するローカルコンテンツ要

求など、現存の諸問題を順次WT

Oの紛争解決制度の下で提起し、

解決を図る時期にきている。日本

政府の決断を促したい。

中国加盟後最初の公式会合出席前に記帳する孫振宇中国WTO大使。

後方はマイク・ムーアWTO事務局長(当時)〈写真提供:

WTO事務局〉

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海へ、

そして海に

生きる人たちへ

漫画原作家

鍋島雅治

魚の美味しい理由

はじめまして、私は小学館の漫画雑誌

『ビッグコミック』で連載中の『築地魚河

岸三代目』という漫画の原作を担当してお

ります、鍋島雅治と申します。

『築地魚河岸三代目』とは、東京の台所、

築地魚河岸を舞台に、毎回一種類の魚介を

取り上げ、これにまつわる物語が繰り広げ

られるという「お魚漫画」です。

主人公は、築地魚河岸にある老舗

の仲卸

の三代目なのですが、実はこの三代目、元

はサラリーマン。魚河岸のことも魚のこと

も、なぁんにも知らないズブのシロウトだ

ったのです。

なんで、そんな奴が魚河岸に? といい

ますと、この三代目、人があきれるくらい

の食いしん坊。魚河岸で働けば、きっと

美味

しい魚が食べられるに違いない!

と、嫁さんの実家の家業である仲卸を継ぐ

ことにしたわけです。

魚のプロである皆さんには「魚をなめん

なよ!」って、お話かもしれませんね。

案の定、わが主人公の三代目は、シロウ

トゆえに数々の魚河岸の洗礼を受けます。

右も左も分からないまま、悪戦苦闘の毎

日、失敗の連続。

でも、この三代目、むやみに明るいんで

す。そして魚が大好きなんです。

食いしん坊だけに、美味しい魚に出会う

と、たくさんの人に食べてもらいたくてし

ょうがなくなる。そういう性

しょう

分ぶん

です。

お客さんに、旨う

い魚を勧めたいのだけれ

1963年 長崎県佐世保市生まれ。1987年 中央大学文学部文学科卒。

原作家小池一夫に師事。1993年 独立。現在に至る。

趣味:スキー。ダイビング。料理。

連載中の作品ビッグコミック(小学館)「築地魚河岸三代目」/画・はしもとみつお漫画ゴラクネクスター(日本文芸社)「火災調査官紅蓮次郎炎のプロファイル」/画・田中つかさ週刊漫画ゴラク(日本文芸社)「六本木特命刑事COOL」/画・檜垣憲朗

なべしままさはる 漫画原作家

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ことを学び、自分の糧か

としていきます。

つまり、この漫画は、美味しいお魚を一

般消費者の方々に紹介するグルメ漫画でも

あり、主人公の三代目が、奮闘しながら少

しずつ魚のプロになっていく成長の物語で

もあります。

この漫画を作る上で、私たちは、まさし

く三代目がそうであるように、毎回さまざ

まな魚のプロにお会いして、お話を聞かせ

ていただいています。築地はもちろん、産

地に足を運ぶことも少なくありません。漁

業関係者の皆さんには大変お世話になって

いる漫画なのです。

今まで取材にご協力いただいた皆さん

は、どなたもそれは熱心にお話をして下さ

いました。断られたり嫌がられたりしたこ

とは、ほとんどありません。最初は、どう

してだろう? と不思議に思ったものでし

た。魚に携わる人たちは、なんでこんなに

いい人たちばかりなんだろう? と、その

答えは、とても簡単なものでした。

皆さん、自分が取っている魚、育ててい

る魚、扱っている魚に、愛情と誇りを、お

持ちになっているからだったのです。その

証拠に、最初はどんなにつっけんどんな風

でも、こちらの本気でその魚のことを知り

たいのだという熱意が伝わると、とたんに、

にこっと笑われて、本当に熱っぽく魚のこ

とを語って下さいます。

お話をうかがうたびに思い知るのは、皆

さんの仕事にかける情熱や矜

きょう

持じ

、はらっ

ておられる努力のすごさです。われわれ、

消費者が普段口にする魚に、どれだけ多く

の方々のご苦労があるのか、プロの技術と

心意気が込められているのか、毎回、感動

の連続です。だから魚はこんなにも美味し

いんだと、ただただ頭が下がる思いです。

美味しい魚を食べると私たちは、ああ、

生きていてよかったと思います。

こんな美味しいお魚をまた食べられるよ

うに、明日もがんばって働こう、生きてい

こうと、そう思います。本当に美味しい魚

には感動があります。その感動は漁業・流

通・販売、魚に携わるすべての人々による

ど、そのためには、魚の知識が必要です。

シロウトである三代目は、魚を扱うプロ

の人々の中に飛び込んで、教えを請こ

います。

魚河岸や産地の方々に話を聞き、漁師さ

んの船に乗せてもらったりして、魚のプロ

から、魚のことや魚を取り巻く事情などを

学びとっていきます。また魚の知識だけで

なく、同時に仕事や人生についての多くの

『築地魚河岸三代目』(作・鍋島雅治 画・はしもとみつお)は『ビッグコミック』(小学館・毎月10・25日発売)で好評連載中

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いいますと、さらにうれしい。

魚の美味しさと感動とドラマを消費者

である読者に伝えたい。そう願って、私、

原作の鍋島と、作画のはしもとみつお、

プロデューサーである編集者の御木基宏、

監修の築地魚河岸三代目の小川貢一、そ

の奥様で声優の平野文。以上からなるわ

が「チーム三代目」は常に誠心誠意取材

し、真剣に協議しながら作品を作ってお

ります。

漁業関係者の皆さんには、どうかこれか

らも温かいご支援ご指導をいただけますよ

う、お願い申しあげます。

取材で、皆様の所にお邪魔することもあ

ろうかと思います。その時はどうか気安く

お声をかけて下さい。その際、魚を投げつ

けていただいても美味しくいただきます。

もうお気づきかと思いますが、私たちは主

人公同様に、魚が大好きなんです。

最後になりましたが、皆さん! いつも

美味しいお魚を、本当にありがとうござい

ます!

「魚のリレー」によって作られるのだと、

取材を通して知ることができました。その

最も源流にいる漁業関係者の

皆さんに、このたびこのよう

に、ご挨拶する機会をいただ

きまして大変にうれしく思い

ます。

最近、取材のおり、魚のプ

ロの皆さんに「読んでるぜ!」

と声をかけられることが多く

なりました。こんなにうれし

いことはありません。時々

「これ持ってけや!」と魚をいただくこと

などもありまして、心苦しいながらも正直

下:

キビナゴの取材風景。ビデオを持っているのが筆者

左:立派なヤガラを手にする筆者

海へ、そして海に生きる人たちへ

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「五島ぶり子です」。永田留美さん(二八

歳)は一風変わった営業用の名刺を配る。

父親の永田勉さんが、長崎県の五島列島で

養殖するブリに少しでも関心を持ってもら

いたいからだ。「五島のブリのおいしさを

わかってもらいたい」と東京に営業所を開

設、全国を飛び回る。

永田さんは父親の経営する養殖業、株式

会社松福水産の副社長だ。一人娘だが、二

五歳になるまで、後を継ぐ気などまったく

なかった。夢は英語を駆使して国際的な仕

事をすること。福岡の英語専門学校に入学、

アメリカのコロラド州デンバーに語学留学

した。その後、愛知県の大学に転学し、英

文学を専攻、念願かなって、外資系企業に

就職した。

仕事は面白かった。ところがささいな驚

きが、父の五島ぶりを世に出したいという

情熱へ変わっていく。

父親のブリのおいしさを

みんなに知ってもらいたい

友人と居酒屋に行った時のことだ。

「このハマチの刺し身おいしくないね」

と思わずつぶやいた。

「えっ?ハマチってこんなもんじゃな

い?」。

ショックだった。ハマチやブリがおいし

くないと思われているなんて。

父のブリはずっとおいしい。脂がのって

いるのに、身はしまって甘みがある。ブリ

の味がこの程度だと思われたことが悔しか

った。

「今度、五島からブリを送ってもらって

今回の女性

永田留美さん(五島ぶり子さん)

―第16回―

文:山本和子(ジャーナリスト)

「独自ブランドを確立してますます販売先をふやしたい」

と話す永田留美さん

『五島ブリ』が大好き

―めげずにまっすぐな思いを大切に

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ごちそうするわ」

これが大好評だった。

「ブリがこんなにおいしいとは

思わなかった」

「脂がのっておいしいのに、意

外にさっぱりしている」

松福の養殖場は外海にある。海

流にもまれて、身が引き締まる。

当たり前だと思っていたことが、

すごい技術に支えられていること

が実感できた。

みんなが絶賛してくれた。鼻が

高かった。

「すごくうれしかったですよ。

改めて父のブリってすごいんだと

思いました。すっかり病みつきに

なって、何かあるたびにブリを送

ってもらうようになりました」

喜びは大きな疑問に変わる。

「父のブリを、みんながおいし

いと、喜んで食べてくれるのに、

なぜ、東京で売れないの?」

「そりゃ、営業力がないからだ」と父の

答えは単純だった。

「だったら私が売ってみる」。娘の思いも

まっすぐだった。

故郷を離れてみて

五島の良さを実感

留美さんは故郷を離れてみて、五島の良

さをしみじみ感じるようになったという。

「福岡にいたころは、どこの出身と聞か

れても〝長崎〞と答えていました。田舎者

だと思われるのがイヤで、島の出身だとい

えませんでした。ところが東京ではむしろ、

五島列島の出身というと、『いいね。きれ

いなところなんでしょ。遊びに行きたい』

と言われることが多くなったのです。自慢

できました」

養殖場を遊び場代わりに育った。いけす

に落ちたこともある。勤め先に不満があっ

たわけではないが、やりたいとなったら一

直線。

外海にある養殖場は、海流にもまれ身の引き締まったブリが育つ

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かい出すな」。取引停止をにおわされた。

留美さんのすごいのはめげないことだ。

「怖かったですよ。うまくいかなければ、

もちろん、落ち込みます。でも同時に負け

るもんかというファイトがわいてくるんで

す」

水産関係の記者クラブに

試食会のお誘いを出す

「食べてもらえば、おいしさをわかって

もらえる。もっと五島ぶりを知ってもらい

たい」との一念から、留美さんは、

水産関係の記者クラブに試食会の

お誘いを出す。

「若い女性が売り込みに行った

のが珍しかったこともあるんです

が、一〇社以上の人が来てくださ

って。大好評でした。記事にもし

ていただいて」

そのころから風向きが変わりだ

す。

「父は驚いていましたよ。うれしさと心

配が半々だったんじゃないでしょうか」

二〇〇二年の十月のことだった。

養殖ハマチを「五島ぶり」として売り出

すようになったのは、留美さんが営業担当

になってからだ。

父の紹介で取引のあった水産卸会社で修

行をすることになった。ジーンズにTシャ

ツに長靴姿。長い髪は邪魔にならないよう

に束ねて市場を走り回る。〝質問魔〞とか

らかわれながらも、一から勉強した。

「今も勉強の最中です。本当に奥が深い」。

なかなか売れない現実

半年は営業成績ゼロ

最初の半年は鳴かず飛ばずだった。スー

パーに行ったら「あんたは魚のことは何に

も知らない」と言われた。いいものならわ

かってもらえるという情熱だけでは動いて

もらえない現実があった。

営業成績ゼロの日々が続いた。

ホテルに営業をかけた時のことだ。卸か

ら怒鳴り込まれた。「うちのお客にちょっ

「おいしい五島ぶりをよろしく」二人三脚で五島ぶりを売り込む

「もっともっと五島ぶりを知ってもらいたい」とますます営業に力の入る永田留美さん

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現在、片腕となって一緒に営業に回って

いる、山内由美さんと出会ったのもそのこ

ろだ。趣味のサーフィンに出かけた浜で意

気投合した。山内由美さんは五島ぶりにほ

れ込んでしまって、会社を辞めて手伝って

くれることになった。

「すごいと思いました。今ま

で食べたどのハマチよりおいし

かった。そんなおいしい魚が育

ったところが見たくてすぐに五

島にも行きました」

取引先が一つ増えるごとにケ

ーキでお祝いした。

「魚河岸三代目」に売り込み

店先のポップにも一工夫

スーパーの店先で買ってもらえるよう

に、ポップ広告も工夫した。料理提案もす

る。人

気漫画『築地魚河岸三代目』(「ビッグ

コミック」連載中・小学館)には自分で売

り込みに行った。

日本経済新聞などマスコミでも、若い女

性が保守的な漁業の世界で活躍していると

いうことで取り上げられるようになった。

留美さんが営業に回るようになって一年

半、売り上げは着実に伸びてきた。売り上

げももう少しで一億円に届く。

「もっともっと五島ぶりを売りたい。ブ

リだけでなく、五島にも来てもらいたい」。

今、留美さんは「スーパーマーケットの

コンシェルジェ」を目指している。魚売り

場だけではない。自分たちが女性の視点で

気付いたことを、レポートにして担当者に

報告して重宝がられている。

「いいものを育てても、その価値が伝わ

らなければ高く買ってもらえません。これ

からの漁業は独自ブランドで販路を開拓し

ていかなければいけないと思います」

「五島ぶり」を使ったさまざまな創作料理を考えるアリステラスのシェフと永田留美さん(右)と山内由美さん

東京・青山にある創作料理の店「アリステラス」の「ぶり御膳」

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共済コーナー

ぎょさい 香川県で「全国漁協交流集会」を開催災害等への備えとして「ぎょさい」の重要性をあらためて認識

漁済連は7月26日、香川県高松市の全日空ホテルにおいて平成16年度「全国漁協交流集会」を開催。この集会には全国15道県から「ぎょさい」加入推進に携わっているJF役職員のほか、水産庁、香川県庁の担当官など総勢約70人が参加。加入先進地の香川県で、「ぎょさい」加入の重要性についての講演に熱心に耳を傾けるとともに、情報交換などを通じ、「ぎょさい」への認識を一層深めました。集会は、主催者、来賓からの挨拶、事務局からの事業概要の説明の後、特別講演が行われ、まず、嶋野勝路JF庵治組合長(全国かん水養魚協会会長、香川県漁業共済組合長)が「魚類養殖業とぎょさい」と題し、「わが県の魚類養殖業は県全体の生産量の半分以上を占め地域社会経済の重要な産業に成長した。しかしながら現在、デフレや低価格の外国産養殖水産物の増加などにともない厳しい経営を強いられている。一方、消費者の食の安全性、安心できる食品への志向が高まり、生産物の情報公開等消費者から生産者の顔が見えるより良い関係の構築や海の環境保全などの整備が求められている。また、昨今、生産者の自助努力だけでは解決できない異常気象に

ともなう自然災害が多発し、漁業経営が一段と厳しさを増している。このような中で一助となるのが『ぎょさい』である。備えて守る意識を持ちこの厳しい状況を『ぎょさい』で乗りきろう。漁業を継続してこのすばらしい産業を後継者に橋渡しするため、国民に貴重なたんぱく源を供給するという誇りを胸に明日への第一歩をともに歩んでいこう」と熱く呼びかけました。引き続いて、服部郁弘JF香川漁連会長(JF引田組合長)が「香川県の漁業とぎょさい」と題し、「香川といえば養殖、養殖といえばハマチ。瀬戸内海は潮流が早く、季節風も強く冬場の水温が8度まで低下する等、養殖に厳しい条件の中で、生産者と関係者のたゆまぬ努力と技術革新により苦難を乗り越え、ハマチ養殖発祥の地として魚類養殖の礎を築き基幹産業となった。昨年、大きな赤潮被害があったが、『ぎょさい』の共済金によって生産者の被害が最小限に食い止められ、再生産が可能となった。今後は、生産者はもとよりJFグループ全体に『ぎょさい』の重要性をより一層広くアピールしていきたい」と力強く締めくくりました。

JF共済 JF女性部向け共済推進冊子「FACE TO FACE」作成

JF共水連では、JF女性部向けに、共済についての認識を深めていただくことを目的とした冊子「FACETOFACE(フェイストゥフェイス)」を作成しました。本冊子には、JF共済をご理解いただくために、

大きく3つの内容が盛り込まれています。その内容は次のとおりです。1.そもそも共済とは何なのか共済とは、組合員相互の助け合いによって、組

合員のくらしの経済的リスクを保障する制度です。JF共済は、事業活動を通じて、豊かで暮らし

よい漁村づくりに貢献することを使命としています。その役割は、①組合員の暮らしを守り、豊かで健全な漁家経済を助長させ、福祉漁村の建設に貢献する、②JFの経済基盤の強化に寄与する、③長期的に資金の系統外流出を防止し、共済資金を系統資金として活用させる、ということです。2.JF女性部がどのような形で共済事業の支援をしていけばよいのか共済の普及は組合職員が行うだけでは、すべて

の組合員や地域住民の方の日常を把握することは困

難です。JF女性部の皆様方のご協力により、すべての組合員や地域住民の方にいま一度生活保障を考えていただくことで、JF共済が組合の事業として浸透していきます。そこで、JF女性部

の皆さんが知っている情報を担当職員に伝えてくださるよう協力を要請するため、ご提供いただく情報の種類と提供事例を記載しています。3.共済の仕組みの概要生命共済「チョコー」、長期の建物共済「くらし」

の概要についてポイントを記載しています。JF共水連は、本冊子を研修会や大会等で活用

し、JF女性部の共済事業への協力を要請し、新たな共済事業実施体制の構築を図っていくことをめざします。この冊子についてのお問い合わせはJF共水連まで。

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JF北海道信漁連の会長に六月

に就任しました。JFマリンバン

クとして重要なことは他の金融機

関にはない組織力や特色を最大限

に生かしながら、地域に信頼され

るJFの経営基盤強化を図ってい

くことと考えています。

北海道の各JFには、マリンバ

ンク推進委員会という独自の組織

があり、「協同運動を正しく理解

し、金融情報・知識を伝えながら

貯蓄・融資の推進や浜の相談役と

して活躍する」二六八二人のマリ

ンバンク推進委員がいます。

委員は組合員、JF女性部、J

F青年部の人たちで、一〇人前後

の担当漁家を持ちながら、沖から

帰った疲れた体にむち打って各漁

家を回り、常会を開催したり、ま

さにマリンバンクの屋台骨として

活躍する人たちです。

北海道では、特に六月の春のふ

れあい運動と九月〜十月の全道漁

協みな貯金運動で、委員が先頭に

立ちその推進に当たります。

ある委員は家業であるホタテの

操業が終わったあとに、虹のシン

ボルマークのついた帽子と組合ジ

ャンパーを身にまとい、JFの職

員とともに車で一時間ほどの距離

にある道北の街に出かけ、マリン

メイト(員外のお客様)に貯金の

推進、あるいはホタテ商品のPR

をして回ります。足を棒にしても

何度でも出向きます。

その情熱と実直さが貯金者の心

をとらえ、JFマリンバンクとし

ての信頼を築き上げてきたもの

で、全道のJFに集められている

四〇〇〇億円を超える貯金は、委

員の推進努力の結晶といっても過

言ではありません。

来年四月からペイオフが全面解

禁されます。委員が懸命に推進し、

信頼され集められた貯金。また貯

金者にとっては命、家族の次に大

切なお金です。

JF・JF信漁連の運営を預か

ったものの義務として、JFはマ

リンバンク安心システム、農林中

金を頂点としたセーフティーネッ

トでしっかりと守られており、貯

金者保護に万全な取り組みを行っ

ていることを、貯金者にPRし、

安心していただく必要があること

を実感しております。

s「能登はキリコ半島・祭りの国」というそ

うだが、石川県・能登半島に転勤中、祭りの

国であることを実感した。巨大キリコ(切子

燈篭)や山車、あるいは漁船・ご神木・火な

ど様々の祭りが、切れ間なく各地で開かれる。

嬉しいことに、転勤者にも優しい能登の皆さ

んが次々に招待してくれた。東京生まれで、

生活に密着した祭りと縁遠く育った私にとっ

て、かけがえのない財産となった。s祭りの

日は、離れて生活する家族も集結し、ハマは

突如過密化する。何と大切な行事なのだ‥‥

祭りは人生の彩りのように感じる。s四面を

海に囲まれた日本。この特長と漁業・漁村が

果たす多面的機能を、最大限に生かさなくて

はもったいない。機能を十二分に果たしてい

くには、元気の出る政策と国民の共感、そし

てJFグループの頑張りが必要だ。

(舟)

JF全漁連代表理事副会長JF北海道信漁連代表理事会長

櫻庭 武弘

信頼されるマリンバンク推進委員とセーフティーネットPRの徹底