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30 線虫 C. エレガンス麻酔剤応答異常に関わる遺伝子群 岡山大学理学部生物学教室 は じめ に 1974 年,Genetics 誌にttTheGeneticsof Caenorhabditiselegans"1) とい う 20 ペー ジ余 りの論 文が発表された。著者 S.Brennerは当時既 にバ クテ リオファー ジによる分子生物学の創設者 とし て知 られた人であったが,その Brenner が 当初 か ら目的 とした問題 とは,高等な多細胞生物の発生 過程 の仝機構 の解 明 とい う遠大 な ものであ った。 彼が理想 とした実験系 とは,複雑 に分化 した高等 生物 か ら特定 の組織 を培養 した り,特定 の機能 に 関 わ る神 経 回路 を再構築す るための ものではな く, あ くまで個休 まるご と理解 といった立場 に沿 うも のでなければならなかった。20 数年前にケンブ リ ッジの英国医学研究委員会 (MRC) 分子生物学研 究所において,Brenner は理想的な実験動物の条 件 として,「生活環が短 く ,」 「大量培養 がで き ,」 「発生 の追跡が容易 で,」 「遺伝学的解析 に適 した もの」であ る とした上 で,線 虫 C. エ レガ ンス を用 いた研 究 申請 を行 なってい る以来,Brenner 期待通 りに研究は発展 し,現在 までに受精卵か ら 成虫に至 るまでの全細胞系譜2) や全 シナプスの連絡 様式の解明3) がなされた上,全 ゲ ノムの クロー ン化4) が ほぼ達成 されてい る。また,卵細胞- の DNA注入技術 の確 立5)によ りクロー ン化 した遺伝子の変 異部位が生体 内で実際に与える影響 を観察す るこ とが可能 となった。遺伝学 を基礎 とし分子生物学 的な解析 が適用 される他 の重要 な高等実験生物 (マ ウス ・シ ョウジ ョウバエ ・シロイヌナ ズナ ・酵母 守)同様,現在 は世 界 中で C. エ レガ ンス を用 いた 積極的な研究が展開されている本稿 では C. エ レガ ンスを用 いた筋 ・神 経系 の興 奮伝達機構 の研 究例 を報告す る。個体丸 ご と解析, とい うC. エ レガ ンスでの研 究理 念 は,一般 に行 な われ る電気生理学的なネ ッ トワー クの構築法 とは 趣 を異にす るか もしれ ない。反面, C. エレガンス を用 いれば, ひ とたび 目的の現象 を特定 の生物学 的機能上に位置付けることができた場合,関与す る遺伝 子 の構造解析 を通 して対応す る蛋 白質分 子 の解析 が効率 的 に進め られ る以上 の よ うな実験 系は, ヒ トをは じめ とす る高等生物 を分 子 レベ ル で理解 す る上 で以外 に直接 的 なや り方 ではないか と思 われ る1.C. エ レガ ンスの筋肉収縮機構 C. エレガンスは固形培地上で美 しい正弦波の軌 跡を描いて進む。運動は体の長軸沿いに走る 4 の体壁筋の調和 された伸縮によってなされ,その 収縮は筋肉細胞膜に分布するコリン受容体にアセ チルコリン(以下 ACh) 様の伝達物質が結合する こ とで誘起 され る6・7) 。従って,運動不調和 (uncoor- dinatedmovement; 以下 Unc)を示す突然変異体 の中には コ リン受容体 に異常 を持つ ものが含 まれ るはずで,実際変異 に よ りUnc 形質 を もた らす 7 種 の遺伝 子が, こ うした コ リン受容体 の正常 な機 能に関わっていることが生化学的に証明された8・9) 脊椎動物の骨格筋などの場合, ACh の受容体への 結合は細胞膜の電気的興奮 をもたらし,続いて細 胞 内の カル シウム イオン濃度 を上昇 させ るカル シウムイオンは筋肉フィラメン トの収縮阻害機構 を解除す る働 きを持 っているので,結果的に筋収 縮がおこる。著者は,以上に述べた筋収縮に至る 過程の中で,最 も上位 レベルに位置す るステップ で よ く調べ られ てい るコ リン受容体 に よる膜興奮 系以外 の過程 に関わ る遺伝 子 とその機能 を明 らか にす るこ とを 目的 として研 究 を行 なっている2. 麻酔剤ケ ク ミンの筋 肉弛緩作用 C. エレガンス体壁筋に分布するコリン受容体は 薬理学的に脊椎動物のニコチン性神経節タイプの

線虫 C.エレガンス麻酔剤応答異常に関わる遺伝子群ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20750/...30 線虫C.エレガンス麻酔剤応答異常に関わる遺伝子群

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30

線虫 C.エレガンス麻酔剤応答異常に関わる遺伝子群

安 藤 秀 樹

岡山大学理学部生物学教室

は じめ に

1974年,Genetics 誌 にttThe Genetics of

Caenorhabditiselegans"1)という20ページ余 りの論

文が発表された。著者 S.Brennerは当時既にバ

クテリオファージによる分子生物学の創設者とし

て知られた人であったが,その Brennerが当初か

ら目的とした問題とは,高等な多細胞生物の発生

過程の仝機構の解明という遠大なものであった。

彼が理想とした実験系とは,複雑に分化した高等

生物から特定の組織を培養 したり,特定の機能に

関わる神経回路を再構築するためのものではなく,

あくまで個休まるごと理解 といった立場に沿うも

のでなければならなかった。20数年前にケンブリ

ッジの英国医学研究委員会 (MRC)分子生物学研

究所において,Brennerは理想的な実験動物の条

件として,「生活環が短 く,」「大量培養ができ,」

「発生の追跡が容易で,」「遺伝学的解析に適した

もの」であるとした上で,線虫C.エレガンスを用

いた研究申請を行なっている。 以来,Brennerの

期待通 りに研究は発展し,現在までに受精卵から

成虫に至るまでの全細胞系譜2)や全シナプスの連絡

様式の解明3)がなされた上,全ゲノムのクローン化4)

がほぼ達成されている。また,卵細胞-のDNA微

注入技術の確立5)によりクローン化した遺伝子の変

異部位が生体内で実際に与える影響を観察するこ

とが可能となった。遺伝学を基礎 とし分子生物学

的な解析が適用される他の重要な高等実験生物(マ

ウス ・ショウジョウバエ ・シロイヌナズナ ・酵母

守)同様,現在は世界中でC.エレガンスを用いた

積極的な研究が展開されている。

本稿ではC.エレガンスを用いた筋・神経系の興

奮伝達機構の研究例を報告する。個体丸ごと解析,

というC.エレガンスでの研究理念は,一般に行な

われる電気生理学的なネットワークの構築法とは

趣を異にするかもしれない。反面,C.エレガンス

を用いれば,ひとたび目的の現象を特定の生物学

的機能上に位置付けることができた場合,関与す

る遺伝子の構造解析を通して対応する蛋白質分子

の解析が効率的に進められる。 以上のような実験

系は,ヒトをはじめとする高等生物を分子レベル

で理解する上で以外に直接的なや り方ではないか

と思われる。

1.C.エレガンスの筋肉収縮機構

C.エレガンスは固形培地上で美しい正弦波の軌

跡を描いて進む。運動は体の長軸沿いに走る4本

の体壁筋の調和された伸縮によってなされ,その

収縮は筋肉細胞膜に分布するコリン受容体にアセ

チルコリン (以下 ACh)様の伝達物質が結合する

ことで誘起される6・7)。従って,運動不調和(uncoor-

dinatedmovement;以下 Unc)を示す突然変異体

の中にはコリン受容体に異常を持つものが含まれ

るはずで,実際変異によりUnc形質をもたらす 7

種の遺伝子が,こうしたコリン受容体の正常な機

能に関わっていることが生化学的に証明された8・9)。

脊椎動物の骨格筋などの場合,AChの受容体への

結合は細胞膜の電気的興奮をもたらし,続いて細

胞内のカルシウムイオン濃度を上昇させる。 カル

シウムイオンは筋肉フィラメントの収縮阻害機構

を解除する働きを持っているので,結果的に筋収

縮がおこる。著者は,以上に述べた筋収縮に至る

過程の中で,最 も上位レベルに位置するステップ

でよく調べられているコリン受容体による膜興奮

系以外の過程に関わる遺伝子とその機能を明らか

にすることを目的として研究を行なっている。

2.麻酔剤ケクミンの筋肉弛緩作用

C.エレガンス体壁筋に分布するコリン受容体は

薬理学的に脊椎動物のニコチン性神経節タイプの

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ACh受容体 と似た特異性を持つ川 )。代表的なACh

受容の阻害剤 (メカミルア ミン,ヘキサ メトニウ

ム,ア トロピン等)はニコチン性アゴニストで誘

発される体壁筋の収縮を効果的に抑える■o)0

簡単に考えて,ACh受容に関係がない作用を持

つと思われる薬剤の中に同様な筋収縮阻害効果を

発揮するものかあれば,受容体より下流の収縮過

程のどこかに阻害部位を持つ可能性がある。さま

ざまなカテゴリーの薬剤をスクリーニングした結

莱,非バルビタール系の全身麻酔剤であるケタミ

ン (2-(0一クロロフェニル)12-(メチルア ミ

ノ)シクロ-キサ ノン)が強い筋収縮阻害効果を

有することかわかった。ケタミンlmM が共存す

ると,ニコチン性アゴニスト(1mM ニコチン,

5JLM レバ ミソール, lmM カルバ ミルコリン)

で誘発される筋収縮ばか りでなく,イオンポンプ

阻害剤であるlmM ウアバインに誘発される筋収

縮をも効果的に阻害した(図 1,表 1)Oまた,線

1mM Nicotine

,-i / I -

1mM Nicotine/1mN KetarTllne

虫はケタミン溶液から回収されれば可逆的に筋弛

緩作用から回復 した。

3.ケクミン応答様式異常 (KRA)突然変異体の

単離

具体的なケタミン作用部位 を知る手掛 りを求め

て,ケタミンに対して異常な様式の応答(Ketamine

ResponseAbnormal;KRA 形質)を発現する突

然変異体の単牡を行った。一般的に薬剤感受性に

基づいて単離される抵抗性変異株は,薬剤作用に

関わる特定の機能か丸ごと失活して現れる例が多

い。 しか し,異常な形であれ,薬剤に対する応答

が現れるということは不完全ながら機能は働いて

いることを示唆 し,抵抗性では捉えられないよう

な特定の部位に生 じたデ リケー トな変異をひろえ

る機会を与えてくれるかもしれない。

50mM エチルメタンスルホン酸 (EMS)で化学

的な突然変異誘発処理を施 した集団内から3種類

B 1nM Ouabain

1mM Ouabaln/3nN Ketamne

㌔ - ノ ・

図 1 N2(野生株)カットワーム体壁筋の筋収縮薬剤への感受性とケタミンの阻害効果。(A,lmMニコチン(+lmMケタミン)溶液アプライ後4分経過,B:1mM ウアバイン (+3mM ケタミン)溶液アプライ後20分経過)

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表 1 1mM ナタミン及びコリン性阻害剤 1mM メカミルアミンの,野生株カットワーム体壁筋を収縮させる薬剤に対す

る阻害効果

アゴニス ト 膿度(nlM)体壁筋収縮に要する時間 (令)

未処理個体 ケタミン処理個体

ニコチン性神経節 クfブ

ニコチニ 1 4

し ′ヾ ミソール 0.005 3

カノL/、ミリコリ, 1 15

イサンポンプ阻害剤

ウアバイン 1 1H

ノウミルア ミン処理個体

図2 30mMケタミン溶液中で発現するkyla-1(kh30)株

のけいれん発作 (矢印)0

の遺伝子 (unc-22,kyla-1,及び未同定の 1遺伝

千)変異に起因する16株の突然変異系統を確立し

た。野生株 (正常個体)は30mM ケタミン溶液中

で徐々に動 きが鈍 り,30分程度で麻酔に陥いるが,

KRA株はすべて麻酔に陥いる前に激しいけいれん

発作を発現するという点が特徴的である (図2)O

変異遺伝子が染色体上に位置付けられた2例の内,

第川染色体上の unc-22という遺伝子はTwitchin

と命名された筋肉収縮制御系蛋白質をコー ドする

ことが最近になって報告されている11)。著者はもう

一方の新たに同定された遺伝子であるk71a-1の機

能をさらに詳しく解析することをテーマとし,kyla

-1産物の機能がケタミンの作用 とどう関連 し,筋

神経系のどのステップに働いているのかを薬理学

的に限定することを試みた0

4.kra-1変異株の表現型

C.エレガンスは遺伝学を基礎 とした実験動物で

ある。基本的な遮伝子マッピング技術は Brenner

により完成されている1)。特定の表現型をもたらす

変異遺伝子は,まず 6対ある各染色体 を代表する

変異遺伝子 (Linkagemarker)のいずれと挙動を

共にす るか を追跡 され,属す染色体 (Linkage

group)を明らかにされる。次いで同じ染色体上の

他の遺伝子との間の距離か両者間での組換え頻度

(p)に基づいて算出される。最後に,近傍に位置す

る他の遺伝子変異との相補性(Complementation)

が調べ られ,アイデンテ ィティが確認される。こ

うした遺伝解析の結果,16系統の KRA株の中で

1株 (kh30)のみが第五染色体上の未同定の遺伝

子に変異を持つことが示され この遺伝子を kyla

-1と命名し登録 した12)O近傍のマーカー遺伝子 dpy

-21間での2ファクタ一組換え分析及び複数の染

色体欠損株 との相補性検定を行った結果,bra-1の

遺伝子座位は第5染色体中央部の非常に限られた

領域 (p-0.08%)の中にあることがわかった (図

3)。この領域には既に mec-1,unc-68等,複

数の遺伝子が位置付けられてお り,bra-1はこれ

らの遺伝子とクラスターを形成 している可能性が

示唆された。

kh30株個体の表現型を説明しよう。薬剤不在の

通常条件 (20℃)下で多くの kh30株個体は野生株

と見分けのつかない運動性を保持するが,よく観

察すると集団内に一部,麻樺や運動障害 (Unc形

質)を伴った個体 を見ることができる。いずれの

運動障害も自然に回復するが,これらの麻痔個体

をひろい上げ,30℃の培養器に入れて静置すると,

短時間 (40分)の内に野生株の50%までの運動性

を回復させることができた。このような様式の可

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LGV

0し」1mu一〇+

unc・62 unc・46 dpy・11unc・68unc・42sma・1

2・Factorcross(fromdpy・21)SDI36 (CoverI

~エ l sDI26 (Cover)

巨⇒ nDf18 (Cover)

「 こ~∃ sDt20 (Uncover)

nDt32 (Cover)

Sqt・3

図 3 第5染色体上の遺伝学的にマップされた kr;a-1座位 (幅0.08mapunit(二0/.recombination))0

変性の運動性をもつ変異体は著者の知る限りでは

C.エレガンスでは他に例を見ない。

もともと kh30株は KRA株の 1つ として,30

mM ケタミン溶液でけいれん発作を発現する株 と

して単離された。30mM ケタミン溶液中で Kh30

株個体は野生株 と同様に麻酔に陥いるので薬剤抵

抗性ではない。最大の特徴は,ケタミン溶液にア

プライ後15分以内に現れる体の屈伸運動様のけい

れん発作である。 このけいれんは,検定を行なっ

たいくつかのカテゴリーの薬剤(コリン関連物質,

NMDA関連物質,カテコールア ミン関連物質,ア

ミノ酸関連伝達物質等)の内,ケタミンによって

のみ明瞭に発現された。従って,Kh30株の変異が

もたらすけいれん発作 とはC.エレガンス-のケタ

ミンの特異的な作用を反映している可能性があっ

た 。

5.kra-7機能の位置付け

k71a-1産物の機能を薬理学的にある程度限定し

てお くことは,あとに続 くべ き遺伝子のクローン

化戦略や,遺伝子構造から推定された産物の考察

に有益な情報を与えることになるだろう。 そのた

めにはまず krall産物が C.エレガンスの筋肉上

で働 くのか,それとも別の系 (神経系や結合組織

守)で働 くのか, という疑問に答えることが大切

であろう。

カットワーム (切断個体)分析 という方法を用

いてkh30株個体の筋肉が正常な収縮応答性を保持

しているか否かが調べ られた。図 1や図4に示す

ように,尾部をシリコンコー トしたカミソリで切

断した線虫 (カットワーム)を筋肉収縮作用をも

つ薬剤溶液にアプライし収縮が完了するまでの時

間を指標 として筋肉の感受性を調べた。水溶性薬

剤にアプライしたカットワームの筋肉収縮は,薬

剤の筋肉細胞膜への直接的な作用を反映すると解

釈されている10)。 従って,この分析に用いられるカ

ットワームはそのまま体壁筋標本であるとの解釈

が可能であろう。この分析の結果,野生株体壁筋

の場合,1mMニコチン溶液中で4分以内,lmM

ウアバイン溶液中で20分以内に収縮が完了した(図

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Bra-1(kh30)

unc・74(x19)

図 4 k71a-I(kh30)株及びコリン受答体欠損株 unc-74 (×19)か ソトワームの lmM ニコ+ン, lmM ウアバインへ

の感受性 (ニコチン溶液アプライ後 4分経過,ウアバイン溶液アプライ後20分経過)∩

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表 2 N2 (野生株),bra-1(kh30)秩,unc-74 (×19)株カッ トワーム体壁筋の筋収縮薬剤への感受性O

体壁筋収縮に要す る時間 (分)アゴニス ト 濃度(mM)

N2(野生株) kra-I(kh30) unc-74(×19)

ニ コチン性神経筋タイプ

ニコチン

レノヾ ミソール

カルバ ミルコリン

イオンポンプ阻害剤

ウアバ イン

4

3

10

0

4

8

1

1

2

0

0

0

9

9

6

>

>

>

表 3 kraJ (kh30)株カッ トワームがケタ ミンにより誘発 されるけいれん発作に対するコ リン性阻害剤の効果

けいれん発現期間 (分)薬剤 (濃度 :mM)

終了(麻酔)

3mM ケタミン

3mM ケタミン/1mMd-ツボ クラ ])ン

3mM ケタ ミン/1mM -キサ メ トニウム

3mM ケタ ミン/lmM メカ ミルア ミン

3mM ケタミン/1mM プロカイン

2

3

2

3

5

1

1

1

1

1

0

0

0

0

nU

9

2

0

7

00

4

(ソリ

1上段)。対照的に,kh30株体壁筋は同じ時間内に

両薬剤に対して不完全な収縮しか示さなかった(図

4)。 また,収縮不応性は体壁より頭部にいっそう

顕著に現れ,不自然に屈曲した 「カギ型」の形状

(図 4矢印)を呈する。 kh30株がニコチン性アゴ

ニストとイオンポンプ阻害剤 (ウアバイン)の両

方に同レベルの不応性を持っていたことは,コリ

ン受容体の変異株 (unc-74(×19))がウアバイ

ンに正常な感受性を示したことと対照的である(図

4,表 2)。kh30株の変異がニコチン性アゴニス ト

とウアバイン両方に対する正常な感受性を阻害し

たことは,ちょうど野生株でケタミンが両薬剤の

作用を等しく阻害した結果 と一致し,bra-1産物

がケタミン受容体 として筋肉上に存在する可能性

が示唆された。また,偏光顕微鏡による観察の結

莱,kh30株の体壁筋構造に異常は見出されなかっ

た。

6.筋収縮におけるコリン受容体とケタミンの関

ケタミンの作用 とkh30株の変異はいずれも C.

エレガンス体壁筋の収縮を阻害した。これまで筋

収縮 とその阻害については,筋肉細胞膜上のコリ

ン受容体及び共役するイオンチャンネルに作用す

る薬剤を用いた研究が先行 してきた8・9,10・13)。しかし

ケタミンが一般にコリン性阻害剤が阻害しないウ

アバインの筋収縮効果を阻害することや,kh30株

がニコチン性アゴニス トばか りでなくウアバイン

にも低い感受性を示すこと,それにコリン性阻害

剤でけいれんを発現しないことなどから,両者の

作用 (機能)部位はコリン受容系以外にある可能

性が高い。

コリン性阻害剤 とケタミンの作用の競合性分布

を行った結果,野生株カットワームはコリン性阻

害剤共存下でケタミン溶液中での麻酔の進行があ

る程度阻害されることがわかった。そこで,kh30

株のけいれん発作をケタミンの作用の指標として,

より詳細なコリン性阻害剤 との相互作用の動態を

追跡した。表 3に掲げるように,コリン性競合的

阻害剤 (1mM ツボクラリン, lmM-キサメト

ニウム)は kh30株カットワームのけいれん継続時

間を有意に延長した。反面,非競合的阻害剤 (1

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(関与する遺伝子)cha-Iunc117

ace-1,2,3

unc-29leu-1

unc-68

unc-22leu-ll

(機 構)

興奮性運動ニューロン

Na十一K+ATPアーゼ

J ,

コリン受容体 (ニコチン性)

電位依存型イオンチャンネル

筋 小 胞 体

(Ca2+)J

筋フィラメン ト

(機 能)

ACh放出

膜電位維持

ACh受容隈脱分極開始

膜興奮

Ca2+貯蔵 ・放出

収 縮

図 5 筋肉収縮過程における kra-1機能の位置付け

mM メカミルア ミン, 1mM プロカイン)はその

ような効果は示さなかった。以上の結果は, コリ

ン性競合的阻害剤が C.エレガンスが完全な麻酔状

態に陥いるまでの前過程 (けいれん発作)を延長

したと解釈でき,ケタミンの麻酔作用にある程度

阻害する可能性を示唆する。 ケタミンの作用部位

(またはkh30株の変異部位)が, コリン受容体 と

機能的に関連している可能性に対 しては,両者が

まったく独立した機能系に属 しているのではなく,

筋肉の興奮から収縮に至るまでの共通のカスケー

ド上の異なる過程に位置していると推察するのが

自然であろう。 図 5は,本稿で論 じた薬理学的な

実験結果を総合 して著者が示す C.エレガンス筋神

経系におけるケタミン作用部位 とkra-1産物の機

能部位のモデルである。 本研究の結果は,ケタミ

ンとkyla-1産物がいずれも筋肉上に存在 し筋収縮

過程の最初 (コリン受容系) と最後 (筋フィラメ

ン ト構造)のステップを除いた,膜興奮一収縮の連

関に関わるシグナル伝達過程に働 く可能性が高い

ことを示唆する。

ま と め

C.エレガンスの微ノJ、な体は,電気生理学的な解

析には向かない。従って,中枢神経系のシナプス

伝達の解析等の実験動物 として最適なものとはい

えない。一方,発生学的な神経回路の形成過程を

分子レベルで調べるためには最適な生物の一つで

あろう。多くの神経回路異常突然変異体が単離さ

れ,遺伝子の構造解析から関与する重要な蛋白質

が明らかにされている14)0

本稿で紹介 した,神経筋接合部を介 した筋肉興

奮一収縮機構の解析 もか ソトワームが有効な筋標本

であることから,C.エレガンスで今後発展すべ き

分野であろう。 C.エレガンスの筋肉膜に分布する

ACh受容体 (レバ ミソール受容体)の分子構造は,

遺伝子構造を明らかにすることで本稿で述べた内

容 と類似 した方法で解明されつつある。 転 じて本

研究はさらに下位 レベルの機能に焦点をあてた。

筋肉細胞膜の電気的興奮から筋フィラメント収縮

に必要な化学的シグナル-の情報変換過程は興奮

一収縮連関 (Excitation-ContractionCoupling)

と呼ばれ,・最近になり急速に解明が進められてい

る分野である。 脊椎動物骨格筋の例 では,E-C

Couplingに関与する二種のカルシウムチャンネル

の分子構造からその機構が明らかになってきた15,16)0本研究の展開は,線虫の E-CCouplingの理解の

みならず進化的考察にも一助になると期待 してい

る。

今後の展望

本稿は昨 (1990)年 6月30日に岡山実験動物研

究会にて講演させていただいた内容を中心に総説

したものである。 従って,薬理学的な話を柱 とし

た現象論主体の内容 となったが,現在はもっぱら

k71a-1の遺伝子クローニングという,分子生物学

的実験にとりくんでいる。 C.エレガンスではゲノ

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ムライブラリーが整備され,それらをつなげると

全ゲノムの大半をカバーする。幸いにも,k71a-1が

マップされた領域付近は複数のコスミド,YAC(醍

母人工染色体)ライブラリーが完全にカバー して

いる。 当面はサザン-イブ リダイゼ-ションを中

心に行ない,kh30株及び近傍の遺伝子変異株の

DNAが制限酵素断片サイズの多型性(Restnction

FragmentLengthPolymorphism:RFLP)を現

すライブラリー断片を検索してシー クェンシング

し,krla-1を含むクラスターの具体的構造を解析

する予定である。 しか し現実には,いきなりスペ

ーサー領域 と思われるモチーフの大規模な反復塩

基配列 と出くわしたりと,DNAレベルでの新たな

展開にできるだけ早 く順応 しなければ, と考えて

いる昨今である。

謝 辞

本稿の執筆に関して御尽力いただきました岡山

大学農学部の佐藤勝紀先生,また著者に研究会で

の発表の機会を与えて下さいました岡山大学薬学

部の田坂賢二先生に感謝いたします。

参 考 文 献

1)Brenner,S.(1974)ThegeneticsofCaenorhabditis

elegans.Genetics77:71194.

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