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注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

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Page 1: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

大阪産業大学産業研究所所報第二号

凡個

○小稿は宮内庁書陵部蔵「百人一首抄」の翻刻・注・索引である。

○翻刻にあたっては

㈹通用の仮名・漢字に改めた。

回ミセケチの字は八vでかこんだ。

、本文右に付された補入の字は()で示した。

目桁字は八Vでかこんで示した。

鮒歌番号を付した。

○注を付すにあたっては、応永十三年以前のものを参照することを原則にした。

引用文献には番号を付し一覧表をかかげた。

○索引は次のように分類した。

⑩批評用語索引

②和歌修辞用語索引

③人名索引(注釈内容と関連あるもの)

側引用作品索引(注に作品名を名記せるもの)

⑤その他(伝受・流派に関するもの)

(1オ)山椋山庄色紙和歌

右百首は京極黄門小倉山庄色紙和歌也それを世に百人一首と号する也

セン

これをえらびかきをかる■事は新古今集の撰定家卿の心にかなはすそ

キヤウカイ

のゆへは歌道はいにしへより世をおさめ民をみちびく教誠のはしだ

翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)

注と索引を付す

吉田

り然は実を根本にして花を枝葉にすへき事なる老此集ひとえに花をも

と扮して実をわすれたる集たるにより本意とおほさぬなろへしきれは

黄門の心あらはれかたき事を口惜おもひ給ふゆへに古今百人の歌をえ

シツ

らひて我山庄にかきをき給ふ(1ウ)物也此撰の大意は実を宗として花

ノチョク

エーフ

をすこしかねたるなりその後後堀川院御時勅を承て新勅撰ろ彼集の心

〔、。Ⅳ塞照〕

此百首と相おなしかろへし十分のうち実六七分花一二四分たるへきにや

古今集は花実相対の集也とそ後撰は実過分にすとかや拾遺は花実相か

コンリウ

ねだるよしをそ師説申されし能々その一集ノーの建立を見て時代の風

マナフ

を覚へき事也新古く「集をはAおV隠(肢)国上皇あらためなをきせ結び

し事は御心にも御後悔の侍ろなろへしきれは黄門の心はあきらかなる

物也抑此百首の人数のうち世(2オ)にいかめしく思ふものそかれ叉さ

せる作者ともみえぬもいり侍ろふしんの事にやた』し定家卿の心世の

人思ふにかはれろなろへし古今の歌よみかすを知らす侍れは世にきこ

えたる人もろへき事またかびなしそれは価の人の心にゆつりてきしを

かれ侍れはしゐておとすにはあらさろへしさて世にそれとも恩はねを

〔ね参照〕

入らろ笠もその人の名誉あらはろ』間尤ありかたき事とそ申へからむ

此百首黄門の在世には入あまねくしらさりけるそれは世の人の恨おも

禅ゆへ也又主の心に随分とおもふ歌ならぬも(2ウ)入へけれはかたく

密せ■ろにや為家卿の世に入あまねくしる事にはなれろとそ当時も彼

ママ

色紙のうち少々世にのこりて侍あり此歌は家に口伝する事にて諸義す

ママ

ろ事は侍らきりけれと大かたのおもむきはかりは諸事になれりしゐて

テンシユ

は伝受あろへき事也此うちあろは譜代あろは歌のめてたきあろは徳有

人の歌入らろ径也此百首は二條の家の骨目也以此歌俊成定家の心をも

ざはりしろへきとそ説侍し

(3オ)天智天皇

秋の田のかりほの庵の笘をあらみ我か衣手は露にぬれつみ

一一ハ

Page 2: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え

コロモカヘ

侍るやうにしらさろ人は恩ふ(4オ)へきにや此歌は更衣の歌也其故は

天のかく山は高山にて春の間は霞ふかふお■ひかくしてそれともみえ

ぬか春過ぬれはかすみも立ちらして夏の空に此山さたノーと明白にみ

ゆろを白妙の衣ほすとはいふなりほすは衣のえむ也いかてか明にみゆ

れはとてしろたへの衣といふそといふ人あり春は霞のころもにおほは

れたる山其霞の衣をいきたろやうなれは白たへの衣とはいへりかすみ

2春過て夏来にけらし白妙の衣ほすてふあまのかく山

かりほの庵とは一説は苅穂の庵一説にはかり庵のいほ也苅穂の時も

かりをとよむへきとそ但猶かり庵よるしかろへきにや古の歌はおなし

ことをかさねよむ事常の儀也さて歌の心は秋の田の庵のその時過て秋

も末に成って笘なとも朽はて露をふせぐ事もなきまき露のたうノーと

シユツクハイ

をきあまりたることく我か袖のぬるきよし也是は王道の御述懐の御歌

注仙

也此君九州におはします時世をおそれ(3ウ)給てかろかやの関をすへ

往侠の人をなのらせとをし給ふし事あろは天子の御身にて御用心の事

あろは王道もはや時すきたるかりほの庵にて可覚悟とそ猶たつねへし

此歌は上代の風也上古は心たに能思入れは詞は巨細になきおほかろへ

し能々よせいをおもふへき事とそ

注⑩『奥義抄」①に「あきくらやきの丸殿に我をれぱなのりをしつきゆくは

たが子ぞ是は天智天皇の御歌也。よにつきみ給ふ事有りて、筑前国上座

郡あきくらと云ふ所に、山中にくろき屋をつくりて、おはしましける老

木のまる殿といふ。まるきにてつくれるゆゑ也。用心をし給ひければい

りくる人とはねになのりをしつ■いりける也。」とある。この伝説の混

入あるか。『俊頼髄脳』等にも同様の話がある。

チエン

持椀天主

タクイ

此歌は田子の浦の無類をたち出てみれは眺望かきりなくして心詞もたと

よはぬに富士のたかね(5ウ)の雪を見たろ心の思入て吟味すへし海辺

のおもしろきことをも高嶺の雪のたえなる事をも詞にいたすことなく

〔補注1〕

此歌はことなる儀なとは、さらになした■足引の山とうち出たるより

山とりのをのしたりをといひてなかlく~し夜といへろさまいか程もか

きbなき夜の長さなり(5オ)詞のつ掻き妙にして風情尤たけたかしか

浸る歌老は眼を付て数返吟してそのあちわびを心見侍ろへし無上至極

注③

ケイキ

の歌にや侍らん人丸の歌は心を本としたろ歌とそ詞景気←笹のつからそ

トツホ

なはれる事天然の歌仙の徳也古今の間に独歩すといへる此ことはh“に

注③「人丸の作は第一其心かぎりなく景気又殊勝也。ことばのつ目きと出の

たまき

ほり、建立たくみ也。環のごとくしてはしなし。」『古今和歌集両度間

書』③

山辺赤人

4たこの浦にうち出て見れは白妙のふしの高嶺に雪はふりつ■

の衣をもていへる詞也されは春過てといふも夏来にけらしと云もみな

用に立て大切の詞也此歌新古今集(4ウ)の夏巻頭に入更衣の歌の故也

注②

如比事尤心中にこめて人にあらはすへからすとそ侍し此歌を取て大井

川かはらぬゐせきをのれさへ夏来にけりと衣ほすなり(定)家卿此歌は

ゐせきにかきろ浪老衣といへる此等にて可得其心也

注②『拾遺愚草』(上・内裏百首・夏)已巴②

柿本人丸

3足引の山とりのをのしたりをのなかノーし夜をひとりかもねん

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注い

てその様はかり}乞いひのへたろ事尤奇異なろにこそ赤人の歌老は古今

にも歌にあやしくたへなりといへり玄妙の心也猶此雪はふりつ』とい

へるによせいかきりなし当位即妙の理をおもふへし

注⑨「山辺赤人といふ人あり。歌にあやしく妙なりけり。」「古今和歌集』

此歌おく山にといへろ所尤以肝心也秋ふかく成行(て)はは山(6オ)

シュンエ注⑤

なとはあらはなる比深山の陰をたのみてしかはある物なり俊恵歌に立

田山梢まはらになるま』に深くも鹿のそよぐなるかなといへろにて心

得へし惣の心はいかにも秋ふかく成はて■太山の紅葉のちりしける老

ふみ分て鹿のうちわひ啼比の秋にいたりてかなしき心也此秋は世間の

秋也こゑ間人にかきへろからすされは余情かきりなきにや侍らん此歌

注⑥

いつれの先達の儀にか侍らん月やあらぬほとの歌にこそといはれける

5おく山に紅葉ふみ分なく鹿のこゑきく時そ秋はかなしき

とそ注⑤『新古今和歌集』(巻第五・秋下)急]⑤

此かき掻きのはしの事七夕にいへる儀には相運せるにやかやうのこ

とはきかれは事外大事きけはあまりやすく心うろにより人の信もあさ

くなれる事也されはかきあらはし侍らす此歌の心は冬深く成て目もな

く雲も晴たる夜霜は天にみちてさえにさえたる深夜なとにおきいて■

モチ

中納一一一国家持(6ウ)

・力一フスノコト

6鵲のわたせる橋に左一く蒲のしろき老みれは夜そ更にける

注⑤『新古今和歌集』(巻笙五・秒下)吟臼c

注⑥「古今和歌集』(巻第十五・恋歌五)『令④

(仮名序)④

猿丸大夫

此歌をおもは匙感情かきりあろへからすとそ

(7オ)是は仲丸をもろこしへ物ならはしにつかはきれけるか帰朝の時

めうしうといへる所にて彼国の人別おしみける時目をみてよめろとそ

注②

ヒツサケテ

ふりさけみれはとはふりあふのきて見る儀也但当流には提てといふや

カラ

うに心得也ふりあふく儀は勿論也されとも此心唐人のなこりおしむ此

月は明にすみわたりて天津空もくもりなきころ我朝の三笠山をなかめ

つシけたろ心万手裏に入たるやうなれはかくいへり暮々此歌は唐人の

なこりをも本より天の原をも我か国の事をも能思入て見侍へき事とそ

だけたかく余情かきりなし

注、「此ふりさけと云にあまたの義あり。先ふりあふぎて見る心、叉引さげ

ひっさげ

と一云儀もあり。提の心なり。ひっさげは手に取ばかりの心也。ふりあふ

ぎ見る老木として、ひつきぐろの儀莚ば心に持くし。」『古今和歌集両度

間書』③

注⑥

此歌は犬か尤明なh/宇治山といへともわれは住えたろさまの心也古

今にはしめおはりたしかならすといへろは世を宇治と人はいへともと

あろへき歌老人はいふなりといへる所をさして云也秋の月を見るに暁

の雲にあへろとかける事終夜晴たる月俄に雲のか■りたろをはしめお

はりたしかならすとはいへりしかも此雲か出りたろさまなをかすかに

おもしろき所あり是にて此歌の心を思ふへし

7あまの原ふりさけみれは春日なる三笠の山に出し月かも

キセン

(7{ソ)喜撰法師

我か庵は都のたつみしかそ住世を宇治山と人はいふ《覧》(なり)

■■■■■■■■■■■■■、

マル

安部仲麿

Page 4: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

此歌の事書にあふ坂の関に庵室をつくりて住侍りけるにゆきかふ人

をみてとあり是や此とはあふ坂の関におち付五文字也おもては旅客の

往来のざまの儀明也したの心は会者定離(9オ)の心なりゆくもかへろ

もろてむの心也関は関をまねかろ畠儀也万法一如に帰すろことはりと

注⑨

〔補注2〕

そ此蝉丸延富の御子のよしいへる事大に不可然古今集に此人の歌いれ

注⑩

ヂョク

リ是にてさとろへし一目目といへろは見濁老はなる出儀也

旧これや此行もかへろも別てはしろも知らぬもあふ坂の関

春いたり花のさくへき比はかならすだつね見ろへき心老思ひ来ぬる

にいたつらにた■我身世にふろましはりのひまなきにうちすぐしノー

するになか雨さへふりねれははや花のいろはうつりにけりななといへ

る也したの心は花の色はと小町か身のざかりのおとろへ行さまをよめ

り我か身世にふるなかめせし間にとは詠する儀也世にしたかひ人にな

ひき人をうらみ(8ウ)世をかこちなとするにより物なけかしくうち詠

しなとしてすぐる間に我か身の花なりしかたちはおとろへゆくのこ■

ろ也人ことに思ふへき身のうへ老わする畳物此ことはり侍へきにこそ

小野小町

9花の色はうつりにけりないたつらに我身世にふるなかめせしまに

注③「宇治山の僧喜撰は、ことばかすかにして、初め終りたしかならず。い

はば秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし。」『古今和歌集』(仮名

序)④これをうけて『両度間書』③では、「此末の句、人はいへどもと

あるべきを、いふ也とよめる所すこし物のたがへるやうなり。始終たし

かならぬさまなり。」と云う。

蝉丸

是は仁明天王の御時隠岐の国になかざれけろ時に船にのりて出立と

て京なる人のもとにつかはしける心はわたの原といひ出たるにあはれ

カイp

ルニン

深きにや大方(9ウ)の人たに海路の旅はかなしかろへきをまして流人

クヘ

と成てしらね波路に槽はなる■心は堪かたきざまなり八十鴫かけてと

はあらぬさかびへ行を此世の外のやうの心する儀也されは我か思ひの

程を海士の釣舟にことつくる也尤■いまわれに対するものはつり舟は

注⑪

かり也、Uなき物にかく恩ふをのふる事作者の本儀にや余情かきりなき

物也注⑪『和歌体十種』⑨では〈余情体・是体詞標一片、義寵万端〉の一首に挙

げろ。

五節の事は彼袖ふろ山の事より出くれはたち今(Ⅷオ)の舞姫を天乙

注⑫

めに(よ)みなせり心詞たくひなき物也遍照の歌にはかや炉うなるはまれ

ヘンゼウ

僧正遍照

尼天津風雲のかよひ路吹とちよおとめのすかたしはしと』めか

注⑨「ある人の云、蝉丸は延喜第四の宮にておはしけろゆへ垣此関のあた

りを四宮河原と名付けたりといへり。」『東関紀行」⑥という伝説が行わ

れていたが、『東野州間書』に「蝉丸之事、延喜の御子に非ず。古今の時

分までは名なくして、仙人一人有りと人思ひけるなり。卒て後岬丸と名

を付、可し秘云々。至二後撰一名有り。」と云う。⑦

注⑩「会坂蝉丸盲目道心者、常不断除、故世人号翁、或云一一仙人一。」『和歌

色葉』③

ツゲ

わたの原やそ鴫かけて漕出ねと人には生□よ海士の釣舟

クワウ

参議篁

Page 5: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

心はほのかに恩そめし事の深き恩となろを水かすかなるかつもりて

ジヨ

渕と成にたとへいへり惣は序歌也歌の心は是まて也さて君の御歌にて

おもしろき故侍る也天子の御心より少の事もおほしめす事によき(、

ウ)は天下の徳也あしきは天下のうれへと成也大かたの人も此心を思

旧つくはねの峯より落ろみなの川恋そつもりて渕と成ける

なるにこそ価定家の心にかなへりとそかならす此舞姫に心をかくろに

は侍らすた尹舞の事をほめてかくよめりける也

注⑫『両度間書』③には「此歌遍照の歌に尤心詞たぐひなしとぞ。」とある。

定家の心にかなった事情は、同書に「後鳥羽院、定家に此六人(注・六

歌仙)の事を御尋ねありしに、遍照を挙レ之申されき。其時、まことのな

からんに、と仰せられしに、定家卿、それを歌とは申侍、と申されけり

と云々」と記されていろ。

河原左大臣

川みちのくのしのふもちすり誰ゆへに乱そめにし我ならなくに

注⑬

上の二句はみたるシの序也惣の心は誰ゆへにみたれ初し君ゆへにこ

そといへる心也

注⑬『顕注密勘』に「わが心はたれゆへにみだれんぞ、君にこそみだれそめ

旧君かため春の野に出て若菜つむ我衣手に雪はふりつ公

ふへきにや

『顕注密勘』に「わが心はたれゆへに

たれ」と解す。『両度間書』③も同様。

クワウコウ

光孝天王

ヤウジヤウ

陽成院

注⑭

〈ママ〉

是は有心体の歌也ある心とはこ■ろの残を一云也詞のた』ぬと一五歌に

はかはろへし能々分別すへし心は(、オ)雪はくるしみの方へとろ也君

を恩ふ心ざし一にくろしかろへき事をたへしのぐよし也此歌のことか

ら能おもふへし

注⑭『東野州間書」に「此の歌有心体の由被レ申侍りし也」とある。但し『両

度間書』には「内に王道も老のづから侍りてこそ有し心体とも申べけれ。

是又予が聞く事を、かく直し給へり」とあり、常縁の有心説に宗祗は必

ずしも承服しているとは限らない。本性ではむしろ定家の『毎月抄』⑩

の秀歌観「上手のわざとここまでと詞老いひさす歌侍るなり。あきらか

ならずおぼめかしてよむ事、これ己達の手柄にて侍るべし。それをうら

やましと思ひて、まなびえぬものから、未練の人のよめろは、何にもつ

かぬ片腹痛き事にてぞ侍る。」に回帰しようとする注釈態度である。

注⑮

此歌俊成の儀にあまりにくさり過てよるしからす侍ろを〈「かへりこ

むといひなしたるところ幽玄なりとそ心は明也猶まつ人たにあらはや

かて帰りこんと云心也待人もあらしと恩ふ心をいへるよし也此歌のこ

とからを能々おもふへし

注⑮『古来風体抄』⑪において、俊成は「このうたあまりにぞくさりゆきた

れど、すがた莚かしきなり。」とのみ評する。

中納言行平

旧立別いなはの山のみねにおふろ松としきかは今帰りこむ

nちはやふろ神代もきかす立田川から紅に水くごろとは

心は秋の暮又神無月なとに龍田川の流もなきまてちりしける木葉に

(、ウ)業平朝臣

Page 6: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

此難波かたとは大やうにいひ出たる五もし也五もしに君臣の五もし

あり是は君の形なりひしといひつめて詮となるも有能々可分別歌の心

は恩初しより此かた人にもえむをもとめ詞をもつくし心をもくたき

(皿ウ)あるはたのめてすぐしある(は)叉かけもはなれすして年月をか

さねぬれはざてもいか■せむなと思ひあまりたる上にうち歎て云いだ

(Lオ)上二句は序歌也よるざへやといひ侍らんため也心はうつ畳の

事こそ忍ろ中は人めをよくろさはりのかなしくもあれ夢にはやすくあ

はひと思へは夢のうちにも人めをよくろやうの事見ゆれはかくよめる

なりうるはしき歌とそ

伊勢

円難波かたみしかきあしのふしのまもあはて此世をすぐしてよとや

注⑬

水はくれなひをくみりたるさま輿を神世に46か浸ろ事はきかすといへ

ろ業平の歌は大略心あまりて詞はたらいを是は心詞かけたる所なきゆ

へに入らろ出也これを以此百首のおもむきをも見侍ろへきにそ

注⑯『頭注密勘」③に「水く出ろとは紅の水の葉の下を水のくきりてながる

出といふ嗽。潜字をく出ろとよめり。」とあり、定家は異論を説えていな

い。有吉保氏蔵『小倉山庄色紙和歌』⑫にも「もみちのかせにふきをと

されて、こすゑに一ものこらすしてのち何にちりしきて、そのした老み

つのなかれけるか」とある。『経厚抄』⑬にも「紅葉の下を行水の体をい

くれなひくぐ

へはく茂ると云専用也」とあるの一忽参考にすると、ここは「紅を潜る」

と訓むべきか。

トン

藤原敏行朝臣

すみの江の岸による波よるざへや夢のかよび路人めよぐらん

是はうだの御門の御時京極宮す所に忍てかよびけろあらはれて後又

つかはしたる歌也わびぬれ(は)とはよるつ思のつもりてやるかたなき

を云也されは(昭オ)いまはあはすとも立にし名はおなし名にこそあれ

身をつくしてもなをあはんとそおもふといへりみほつくし難波のえむ

注⑰

也此欲は幽玄体の歌とそ歌はた公、心はいふに老よはすうちなかめなと

してよきあしきしらろへきやうを能々吟味すへき事にこそ

注⑰『定家十体』⑭に、この歌を〈幽玄様〉の頭歌として挙げろ。『三五記鷺

本』⑭にも〈第一・幽玄体〉の頭歌とされていろ。『慈鎮和尚自歌合(十

禅師政)』⑮において俊成は「もとより詠歌といひて、ただ詠みあげたる

にも、打ち詠じたるにも、何となく艶にも幽玄にもきこゆろことの有る

べし。」とのべたという。

したる歌なりみしかきあしのふしのまもとはいさ■かはかりもと云心

也おほかたにかやうの歌老は見侍ろへからすそと

20

別いまこむといひしはかりに長月の在明の月を侍いてつるかな

在明の月を侍いつる心一夜の儀にあらすたのめて月月を送行に秋さ

注⑬

へ長月の空に成行、心を能思入てあちはふへき歌也定家卿の注にも一夜

の事(⑬ウ)にあらすと侍る仁や

注⑱『顕註密勘・定家注』③に「今こむといひし人を月ころ待程に秋もくれ、

月さへ在明に成ぬるとぞよみ侍けん。こよひばかりは猶心づくしならず

や」とある。

わびぬれは今はたおなし難波なるみをつくしても

あはんとそおもふ

一一一

ノフ

ー兀良親王

ソセイ

素性法師

Page 7: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

注⑳

大かたの理明也猶口河は陰の気なれはうちなかめても(uオ)心すみあ

はれすシひろ物也されはち■に物こそかなしけれといへる下旬は我か

身も一のやうに覚る心老いはんとて身ひとりの秋にはあられとシいへ

注倒

ろ也長明か我身一の峯の松風此心也

注②「月は陰の気なる故に云々」と『両度間書』③に見えろ。

注⑫「ながむればち百に物思ふ月に叉わが身ひとつの峯の松風」『新古今和

注⑲

此歌は古今「にもこと葉たくみなるたくひにいへり心は明なり山風を

注倒

あらしと云に付て文字の儀を一五は当流不用尤扮山風はあらき物なれは

あらしといへり吹からにとは別の心なり

あきひと

注⑲「文屋康秀はことばたくみにて、そのざま身におはず。いはは商人のよ

きぬ

き衣着たらむがごとし」『古今和歌集』(仮名序)④但し、作者は『改観

抄』に考証する如く、文屋朝康である。

注⑳藤原公任によって「下品上・わずかに一節あるなり」『九名和歌』⑯とさ

れて以来、「文字の儀」のみによる解釈が行われていた。なお『悦目抄」

(二条家流・伝基俊著)⑰にも、「梅lエヘ毎」などの例とともに「上下か

けあうて侍る」歌とされていろ。

距吹からに秋の草木のしほるれはむく山風をあらしと云覧

23

四此度はぬさもとりあへす手向山紅葉の錦神のまにノー

大江千里

月みれはちみに物こそかなしけれ我身一の秋にはあられと

歌集』(巻四秋上)砦「⑤

ヤス

文屋康秀

カンケ

菅家

名にしほは畳とは相坂とされかつらとをかけたることはなりきねか

つらは是を引とろにしけみなとにある物なれはいつくよりくるともみ

えぬ物なれはそのことくおもふ人世にしられすしてくるよしもかなと

チヨク

いへる也此歌は詞つよくして更になまみなく待て-体の歌とみゆ新勅

撰なとに此風体の歌おほく入侍り能々(妬オ)工夫をめくらすへし

27 是は亭子院大井河に御幸ありて行幸もありぬへき所也とおほせ給ふ

に事のよし奏せんと申て此歌をよめり心は行幸のことを申さんはその

おそれあれはもみちにおほせいへる事尤珍重にや歌のざま凡俗をはな

れていかめしくきこゆ

記をくら山峯のもみち葉心あらは今一たひの御幸またなむ

25 是は宇田の御門ならへ御幸の時御ともにてよみたまへり此たびは旅

の字と云儀ありてその心もたかふへからすといへと度の字能侍ろへき

とそいざもとりあへすといふに御幸のさはかしき心こもれりされは

(Ⅲウ)山の紅葉をそのま■に神にまかせて手向ろ心也君につかふる道

よりわたくしをかへりみぬ心也手向山は南都にあり又相坂をもいへろ

なろへし

三条大臣

名にしほは畳あふ坂山のされかつら人にしられでくるよしもかな

中納言兼輔

みかの原わきてなかる■いつみ川いつみきとてか恋しかろらむ

サ.タジン

貞信公注働

Page 8: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

おらはやおらむとはかさねこと葉也いつれもあらまし事也惣の心は

白菊のおもしろくさかりなるはたくなふおほゆろに初霜のいたふふり

たろあしたなとうちなかむれは一しほあはれと思ふよし也霜をも菊を

もならへて(略ウ)あびしたる歌なろへし

此歌は先秋のさびしさをよめる也されは秋の蟇なとは猶(略オ)木草

の色にも玉さかの人めも侍を冬に成ては木葉もおち草も枯行此いと尹

人めたえたるざまを恩ふへくそ又云春秋ともにさひしき心を能思つ夢

釦有明のつれなくみえし別より暁はかりうき物はなし

(妬ウ)わきてなかるみはいつみのえむの字也いつみ川はいつみきと

いはんため也是も序歌也心はふかくみしやうの人は今はたえはて出お

ぼえぬはかりなろをなをおもひやます恋わびて我心をせめていへる也

又一向あひみる事もなき人を年月へて思ひわひてうち返しいつあび見

しならびにてかくこふろそと我心に云儀そといつれも歌のざまたくひ

なし注倒『改観抄』⑬には「此歌もよみ人しらすなろを、新古今に誤て兼輔の歌

とて入られたろを、今はそれによりたまへるなり。」と考証する。

けて(み)侍へきともいへり

29 28

ミツネ

凡河市川凶躬恒

心あてにおらはやおらひ初霜のをきまとはせる白菊のはな ソウカン

源一不干朝臣

山さとは冬そさびしさまさりける人めも草もかれぬとおもへは

一ミフノタ、ミネ

壬生忠峯

注㈲

此歌は彼地の時の眺望とみ侍ろへきなり里にふれるしら雪とはうす

き雪に侍ろへし有明の月といへるに能かなへり心をつけて見侍ろへき

注⑬「うすき雪」との解は『両度間書』③に「薄雪の、月にまがふ心、おも

しろくや、」とある。

32 此歌はあはすして帰る心をよめり在明はひさしく残る物なれはつれシウ

なくといひ侍り此つれなくみゆろは人の事也心は人のもとにゆきて終

夜心をつくしていかてあはんと恩ふに人はつれなくてはてぬれはいか

■せむと立別ころ有明の月のあはれもふかきをなかめつ畠帰ろさまな

りたとひあふ夜のかへろさなりともか■ろ空はかなしかろへきに結句

あはてわかる■を恩ひ(Ⅳオ)わびて今夜の暁はかり世にうきことはあ

注例

らしと恩ふよし也古〈「集にいつれの歌かすくれたろと後羽院定家々陸

にたつね給ひけるにいつれも此歌を申されたろとそいひつたへ侍る定

家卿はこれ程の歌よみて此世の思出にせはやとのたまひしとそ

注⑭『両度間書』③に「後鳥羽院の御時、古今第一の歌はいづれぞと定家・

家隆に御尋有けるに、二人ながら此歌を申されけろとぞ。又定家卿、か

やうの歌一首よみ出たらんは此世のおもひ出に侍るべしとの給けるな

り。」とある。又、『顕注密勘・定家注』③には「此詞つどきは、をよば

ず。えんに老かしぐもよみて侍かな。これほどの歌、|よみ出たらん、

此世の思出に侍ぺし。」とのべろ。

別あさほらけ有明の月とみるまてに吉野賢里にふれる白雪

レツシユ

(Ⅳ{ソ)春道列樹

ツーフキ

山川に風のかけたるしからみはなかれもあえぬもみちなhソけり

三一

坂上是則

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心は我年老て後古よりざまノー~になれにし人もある(肥ウ)は此世に

なからへたるもあろは先立てとまらぬもいるノーに成てた■ひとり朋

〔補注4〕

友の、心しろもなき時高妙の松こそ古より年たかき物なれとおもへ此松

も又昔の友ならねはうちなけきて誰荏かも知人にせんと云也下の心は

世のすゑのおとろへたる老歎てよめりとある人は皆当時の今めかしき

釧誰をかも知人にせむ高妙の松もむかしの友ならなくに

心は大方風のざそふ花なりともいたうちらんは花のうらみもありね

〔補注1〕

クンシ

ヘきをまして春の日のゆふノーと照して久堅の空も霞わたれる此鳥群

木草の色ものとかなるに花のちろをうらみて《賎》(しe心なく花のち

注⑰

一つ覧といへる也此歌工夫すへきとそ師説侍し

注勵『両度間書』③には「風の音せず、はるの郭

くはん

そがはしくちる花をうらむろ、心也。猶観ず一

此歌は志賀の山こえにてよめる歌也心は山川なとに落葉のひまなく

ふりみたれてなかれもせきかへすはかりなろを興にして風のかけたる

しからみそと先いひなしてさて下旬にてかくみゆるしからみはなかれ

もあへねもみちなりけりとことはれる也なかれもあへねと云はさらに

ひまなくおつる木葉をいへる也惣の心はた■山と川との眺望なろへし

注㈱

風のかけたるしからみは誠にはしめて一玄出したる妙虚也

注㈱『両度間書」③に「風のしがらみと云詞めづらしくつかひたる也。」と

ある。

調久かたの光のとけき春の日にしつ心なく花のちろ覧

はるのひかりものどけき折しも、

くは人

猶観ずべき、しあり。」とある。

紀友則(肥オ)

藤原輿風

し、

37 是はた■夏の夜のとりあへす明ぬる事を能よめる也(四ウ)心はまた

よびそとおもへは明ぬる程に月はいまた半天にもある覧とみれは月も

入ぬれはかくよみなせり雲のいつくにとは必雲に用にはなけれとも詞

の縁にいへり価歌のざまめてたきにや

記夏の夜はまたよびなから明ねろを雲のいつくに月やとろらむ

事書に初瀬にまうてつろことにやとりける人(四オ)の家に久しくや

とらて程へて後にいたりけれは彼家のあるしかくさだかになむやとり

はあるといひ出し侍りけれはそこにたてりけろ梅の花をおりてよめり

けろかくざたかになとはひさしくをとつれねはたしかにあらぬやとり

注倒

もそあるらむとうたかびいへる心なり歌の、心は明也つらゆきの歌には

余情尤おほき歌也此古郷はた畳やとり付たる所をよめる也

注㈱「近代秀歌』⑲に「むかし貫之、歌の心たくみに、たけおよびがたく、

ことばつよくすがたおもしろき様をこのみて、余情妖艶の体をよまず。」

とめろ。『両度間書』③には「此故郷は久しくなれ来し所」とある。

35

にのみ心老と出ひろ折節なれはなり

〔補注3〕

風の吹しくはしきりの儀也あらき風を一云也つらぬきとめぬ玉とは玉 ヤス

女屋朝康

しら露に風の吹しく秋の野はつらぬきとめぬ玉そちりけろ

紀貫之

人はいき心もしらす古郷《の》(は)花そむかしの香ににほひけろ

フカヤウフ

清原深養父

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注働

是はた』入のち畳の社を引かけてかはらは〈叩もたえなむとちかへたる

人のかはりたる時よめる心は明也但かく契れる人のわすれゆく老うら

みすしてなをその人を思ふ心尤あはれにや侍らん

注倒『大和物語・八四』⑳に「おなじ女、巷とこの「わすれじ」とよるづの

ことをかけてちかひけれど、わすれるのちにいひやりける」としてこの

歌が続く。

はいとにてつないく事ありそれをみたしたろよといへる也惣の歌の心

は秋の野の所せはきまてをきみちたる朝の露のおもしろきに(別オ)俄

なろ風のあらノー~と吹たるにをもきはかりなる木草の露はらノー~とち

りみたれたろ当意をかくよめり能景気を心にふくみ《て》侍ろへき歌也

上は例の序の歌也しのふれとあまりてといへる尤心切なろ恋の儀也

かやうにやすノー~ときこえたる歌を能思入事尤その入たるへしあまり

注例

てなとかによく、心を付へし定家卿のなをさりのを野掻あさちに老く露

も草葉にあまる秋の夕暮此歌をとれる也

注例『拾遺愚草』(下・部類歌・秋)巴会。

39 3840

ヒトシ

参議等(別{ソ)

あさちふの老野のしの原忍ふれとあまりてなとか人の恋しき

右近

わすらろ出身をは思はすちか《ヘヌイ)てし人の命の借も有かな

平兼盛

しのふれ《は》(と)いるに出けり我恋は物やおもふと人のとふまて

注⑪

此歌46尤尹心はまへにおなし此両首は歌合のつかひ也おくはすこしま

注倒

さhノけるとそ誠にこと葉つかび無比類にやまたきはまたはやき也詠歌

(Ⅲオ)壬生忠見

刎恋すてふ我名はまたき立にけり人しれすこそ恩初しか

此歌も儀は明也だ■人のとふまてにも成けろよと打なけきだろ心あ

はれふかきにや

岨契きなかたみに袖をしぼりつみすゑの松山波こさしとは

事書に心かはりて侍りける女に人にかはりてとあり心はきてもかく

あたにかはろ物老だかひに袖をしほりて浪こ(Ⅲウ)さしと契けるよな

とすこしはちしむろやうにいへる心也かたみに袖をしほるはたかいに

の心也なを心のかはる老中ノーうらみすしてちきりしをうらむろ心也

43

一体に前の歌をなをほめいへろなろへし

注Ⅷ『天徳四年内裏歌合』⑳(恋廿番)左に虹番歌、右に仙番歌が番わきれ

リニヲダハヲニゼシム

ていろ。なかなか勝負がつかず、「少臣頻候二天気一。未し給二判勅「密詠二右

ノヲ

シラハクシクヘルニレバテニニテヲストリフ

方歌一。源臣密語一口、天気若在レ右歎者、因し之遂以レ右為し勝。有し所し恩、

ラクーーフ

ダシ

暫持疑也。左歌甚好芙」と歯切れの悪い判詞を残す。

注倒『詠歌一体』⑳には前の虹番歌をあげて「これらは秀歌とて褒美せられ

たり。」とある。又『三五記鷺本』⑭にも「これらは秀歌とも褒美せら

れけるとかや。げにもよろしきたぐひなり。」とある。

ヘアツ

権中納一一一一口敦忠

あひみての後の心にくらふれはむかしは物をおもはさりけり

清原元輔

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是もた■ありのま■何となくいへはあちわびさらになかろへし此心

は人を恩ひ初てあはれいかにとおもへとも人はつれなくして年月を過

るにからうして玉ざかにあへる人の叉たえはて■いと■やら人方なき

注⑭

恩ひのあまりに房うち返したえてしなくは中ノー~にといへる也古の歌あ

まりにやすくみろはロ惜侍なり又やうもあらん(助ウ)とくせノーしく

よるつの事をとりそへいへろはことにうたてしく侍也呉々すきを先と

してざるへき人にとびたつねへきにこそ

注倒ここにこの注釈者の基本的な態度が表明されていろ。『毎月抄』中の「有

心体」の詠作態度とあるいは照応しているかとも思われろ。

老余にやすくみ侍らんはほいなきことにこそ侍らん

人をいまだあびみぬ程はた■いかにしてか一度の契もとおもふ心一

注倒

のおもひにてすきぬる老あびみて後はなをその人をあはれと思、心もま

さり又世の人めもいか■なと恩又はその人の心もいか■恩ふ覧うつる

ひやせんとやあらんかくやあらんと思ふ心そへはむかし一すちにあは

れいか畳なと(助オ)思ひしは数ならぬ事をかくよめるなりかやうの歌

44

ママ

此いふへき人のおもほえてとは公界の他人の事也かくいへプハ)はあは

れと思ふへき君は忘れはてぬれは其外に世人に誰かさやうにあらんと

妬あはれともいふへき人はおもほえで身のいたつらに

注倒「落書露顕』⑳に「是は逢レ不遇恋の心なるべし。」とある。

トモ

中納一一一一口朝忠

あふことのたえてしなくは中,く-に人をも身をもうらみざらまし

なりねへきかな

ケントク

謙徳公

由良のとは波あらき所なり心は大海をわたる舟梶のなか覧たよりを

うしなふへき事也その舟のことく我恋路のたのむ便もなくうかびて行

ゑなき心也ゆらのとをなとうちいていふよりたけことからいかめしき

歌なり能々可有思慮者也

おもひわびていへる也能々吟味すへしとそわひあびてをはおもほえて

といふにたらす侍にや

事書に河原院にてあれたる宿に秋来ると云心を(路ウ)人々よみけろ

にと侍り此事書にて心はくもりなく侍れといにしへ此おと■のさかへ

し時世の人あふきし事は夢のやうにて昔をわすれぬ秋のみくる心をあ

はれうちことはりたるざまたくひなくや能々河原院の昔を思ひつ星け

注倒

て此歌をはみ侍へき也つらゆきかとふ人もなき宿なれとくる春は八重

むくらにもさわらさりけりと云歌にかはろ事侍らすむかしはかやうに

も読侍ろにや今は等類にて侍へし貫之か歌よりはなをそのあはれふか

きにや

注倒『貫之集」(第二)]「一層「一一一十六人撰』にも。

4647

岨風をいたみ岩うつ波のをのれのみくたけて物老思ふころかな

ソノヨシ

(別オ)}胃目禰好忠

ゆらのとをわたる船人かちをたえ行えもしらね恋の道かな

エケイ

恵慶法師

やえむくら茂れるやとのさびしきに人こそみえね秋は来にけり

源重之(別オ)

一一一ハ

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是は後朝なとの歌なろへし一度あふこともあらは命にもかへむと恩

ひしを引かへていつしかなかくもとよめる心明には侍れとも思ひける

かなと云詞尤見所なり人をおもふ心の切なろ様なり我心引返しかくも

侍事にといへる所を能見侍ろへき事にこそ

衛士とは大内にて節会なとの時火を焼役人也歌は是も序歌也ひろは

きえとは恩ひにふしだるさま也むねにみちたる恩のせむかたなきをざ

注鯛

らはもゆろにもまかせすして人めをつ出む恩けちたろ(別ウ〕心猶くる

ママ

ママ

しきざまざるやくやよるといひびろといひ思ひのくるしきさまをよく

思入てみ侍ろへき事にこそ

注㈱古活字本『宗祗抄』には「なをくるしさまさろへくや」とある。

心はうこかぬいはほに人の心によそへくたけやすき八やすきV波を

我身になすらへていへる序歌には侍れと是は心こまやかに侍おもしろ

くこそ

50

注⑪

さし46草は此山によみならはせりもゆろ思ひにたとへいへろ事也か

くとたにえやはいふきとはむねにあまる恩ひをえいひやらねはさしも

5 49

藤原義孝

君かため惜からさりし命さへなかくもかなとおもひけるかな

サネカタ

藤原実方朝臣(妬オ)

かくとににえやはいふきのさしも草さしもしらしなもゆろ恩を

おほなかとみヨシノフ

大中臣能一旦

みかきもり衛士のたく火のよるはもえひろは消つみ物老こそ恩へ

事書に入道摂政まかりたりけるに門をそくあけられ(けれ)は立わつ

らひねと云入て侍けれはよみていたしける心は此事書に明也是又五文

字の歎つ■といへる甚深なろ詞也能々か様の所をみ侍ろへき也其上此

歌は当座の頓作にか夢ろ歌出来の事天然の作者の儀あらはれて侍るに

52是は後朝の恋の心也明ぬれはくろ■物とは後の夕をもたのひへき事

には(侍る老)たみいまの別の切なろ(妬ウ)恩ひに明ぬれはくろ■とこ

とはりをわすれたる心おもしろくや

人はいかてかしらんと我か恩ひの切なろ事のやるかたなきをいひのふ

ろ也えやはいふきえもいひかたき也

注㈱『奥義抄」①に「いぶきのだけはつねに火のもゆろなればかくよむなり」

とあり、『和歌色葉』③ではこれを引用して更に「さしも草は蓬をいふ。

又よもぎに似たる草なりともいへり。さしもといはむとてそへてよめる

也」と続けろ。

54 53事書に中関白道隆かかよび初ける比よめろとあり是も明也なを人の

ミチノフ

藤原道信朝臣

明ぬれはくろ■物とはしりなからなをうらめしき朝ほらけかな

右大将道綱母

歎つ■ひとりぬる夜のあくろまはいかに久しき物とかはしる

儀同三司母(妬オ)

わすれしの行すゑまてはかたけれは今日をかきりの命ともがな

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事書にわらはより友たちに侍ける人とし比へて行あびたるかほのか

にて七月十日比月にきほひてかへりけれはとあり我友たちを月によそ

へていへる心は事かきに明也たみこと葉つかひ凡慮のおよふ所にあら

すみえたり月にきほふは月にあらそふ心也

是は大覚寺の瀧をよめる歌也此瀧殿はさしもいかめしく作をきしあ

との古はてたるをうちなかめて名のみ残さまを思入てよめる歌也下旬

名こそ流て(恥ウ)猶きこえけれといへるうちに人はた■名のとまる道

老思ふへき心も侍にやおもてはいかにもさらノーといひくたして心に

観心の侍所能々吟味すへし

57 事書にこ■ち例ならす侍りける比人につかはしけろとそありけろい

のちをもともにと恩ふ人をもをきて我身みたり心ちあらむ其思の切な

ろ心を恩やりてみ侍へき也尤さもありねへき心にやあはれふかき歌也

二一句ことに無比類こそ

56 55ことは頼かたけれは一夜を思出にしてきえもうせんといへる心尤切な

るざま也能々詞つかびをみ侍へし暮々やきしき歌の体也

(〃オ)紫式部

めぐりあびてみしやそれとも分いまに雲かくれにし夜半の月影

和泉式部

あらさらむ此世のほかの思出にいま一たびのあふよしもかな

トウ

大納一一一口公任朗詠撰者

瀧の音はたえて久しく成ぬれと名こそなかれてなをきこえけれ

事書に和泉式部保昌にくして丹後国に侍りける(路ウ)比都に歌合の

ありけるに小式部内侍歌よみ侍りける老中納言定頼つほねのかたにま

うて来て歌はいか■せきせ給らん丹後へ人つかはしけむや使はまうて

此歌は我いもうとにある人のかよびけるかたのめてこさりけろ時い

もうとにかわりてよめる歌也やすらはてとはやかてもれすもしやと侍

やすらひねる老云也惣の心はあ尤人をまちふけてさりともと恩ふに月

さへかたふきたらんをみむきまけにいと思ふらろへし

60 59 ことかきに枯々なろ男のおほつかなくなと云たりける(Ⅳウ)をよめ

る歌は序歌也同序なれと上の心もその歌に用に立も侍也是はたみそよ

といはんためはかりの序也古歌に如此昔の歌のたけありてきこゆろは

序歌の故也そのざかびにいらすしてはかやうの心弁かたき事なろへし

さて此歌の心いてとは我心をおこしてつかふこと葉也いて人はことの

みそよきいて我を人なとかめそとよみならはせりいてそよ人老忘やは

するとは枯々なろ思のかへりておほつかなきなといへる老恨て我心老

のへいたせる也かくいへるうちに人を忘ろ出物にやと男にあたりてい

へる心也

58

小式部内侍

大江山いく野の道のとをけれはまたふみもみぬあまの橋立

(別オ)赤染衛門

やすらはてねなまし物をさ夜深てかたふくまてに月をみしかな }一

大弐一二位

ありま山ゐなのさ」原風ふけはいてそよ人をわすれやはする一

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一条院の御時奈良のやえ桜を人に奉り侍けろを御前に侍りけれは其

花老給て歌よめと仰られけれはよめる歌也心は古郷のさくらの又都の

春にあびかたきか(羽ウ)けふ君の御覧してこたび時にあへる心たくひ

なき心也しかもやえ桜とをきてけふ九重といへる当座のことわざに奇

特の粉骨也かやうの事は天生の道と平生のたしなみとのいたす所也道

こすや心もとなくおほす覧とたはふれたちける老ひきとめてよみける

是は小式部か歌のよきは母の和泉式部によませて我歌にするなといふ

事の侍りけろを口惜も恩ひける比定頼卿かくいへる時よめる歌也此歌

よますは兼のうたかびにされはこそともいはろへきにかくよめるによ

りて人のうたかひもはらし我か名誉したる(四オ)ありかたき事にやた

とひ叉当座によめろともなをさりことはかびなかろへきを既めい歌な

れは尤其徳無類こそ侍らめれ大江山いく野みな橋立への道すからの名

所也またふみもみすはゆきてもみぬ儀也少文の心もあり事書の使と云

事によれる也

事書に大納言行成物語して内の御物忌にこもれろとていそきかへり

てつとめて鳥のこゑもよほされてといひけれは夜ふか出りけろ鳥のこ

ゑは画(別オ)谷の関の事にやといひつかはしけるはかるとは仁はかる

心也相坂の関はゆるさしとはあふことをゆるさしとなり惣の歌は明也

62

にたつさはらんともからは是老思ふへきにや

曰いにしへのならの都の八重桜けふ九重ににほひぬろかな

清少納言

夜をこめて烏の空音ははかるとも世に相坂の関はゆるさし

ユウ

伊勢大輔

さて耐谷と相坂とをやすらかに一首によみいたすこと是又上手のしわ

きなり人の歌をみるに我心に一道おもしろきと恩ふを心にしめて其外

には心をやらぬゆへに古人のいかめしき老もかたはらになす物也され

は我云事も道ひろからす侍にや其体に心をめくらして道のた」すまひ

を思事とそ承侍りし猶よにあふ坂の関といふは詞の字也古歌に此詞の

字おほし

注御

此歌は人丸の武士の八十うち川のあしろ木にい、さよふ(Ⅲオ)波のゆく

えしらすもといへる老取てよめる歌とそ心は宇治は山ふかきわたりに

て川上の霧も晴かたき所也あきほらけのおもしろきおりしも詠やりた

るにほのlく~とあらはれつ又かくれつしてあるはなくなきはあらはれ

注⑩

たろ心眼前の眺望たるにやな←を此歌師説をうぐへしお4℃てはあしろの

M朝ぼらけ宇治の川霧たえノーにあらはれわたる瀬々の網代木

此歌は伊勢の斎宮わたりよりのほりて侍る人に忍てかよびけること

を大やけきこしめしてまもりめなと付て侍りけれはしのひにもかよは

注倒

す成にけれはよみ侍ける歌の、心は明に侍れと猶此事書にて-しほあは

れふかく侍にや

注倒『袋草子』⑳は「大様一一染ぬろ事ニハ宜歌出来者歎。然者道雅三位ハい

と歌仙とも不レ間。斎宮秘通間歌多秀逸也」としてこの歌を挙げ、「此外

不レ間者也。恩ま■の事をば陳、自然に秀歌にして有也。是志は有し中、

詞顕レ外之謂歎。」と注す。

63

タイクマサ

(釦占/)左京大夫道雅

いまはた尹思ひたえなむとはかりを人ってならて云よしもかな

mサタョリ

権中納一一一一口定頼

Page 15: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

恋に朽なむ名こそをしけれとはもるともに思程の心ちならは名にた

み荘もせめてなろへきをたのみか(Ⅲウ)たき人なとをはかなふ契初て

うき名のくちん事を恩あまりにほさね袖尤にある物とはよめり袖はく

ちやすき物なるにそれさへあろをといへろあはれふかきにや

66

開うらみわびほさね袖たに有物を恋に朽なむ名こそ借しけれ

興なろへし

注倒『新古今和歌集』(巻十七・雑中)]①盆⑤。公任『一一一十六人撰』にも出

ろ。

注⑩平間長雅『百人一首秘訳』⑳になると「有為転変に比してあそはしたる

歌也。……人丸明石浦の朝霧にも其心こもれり瀬々の網代木を人界の如

くに見たて出有るとみれはなし無とみれは又顕れ出るか如く生死輪廻の

体此眺望の眼前也といへる歌也」というような「秘説」に展開するが、

ここでの「師説」とは本来は、「明石の浦の朝霧」歌(古今和歌集二s)

に『両度間書』③が注するごとく「此歌を当流に秘する事は心詞と畠の

ほりてしかも幽玄にだけたかく、余情あればなり。歌□大切不し過し之。

専可レ仰し之とぞ。」に類するものであったろうと考えられろ。仏番歌の

注にも「又やうちあらんとくせノーしくよるつの事をとりそへいへろは

ことにうたてしく侍也呉々すきを先としてさろへき人にとひたつぬへき

にこそ」とある。

事書に大峯にて恩ひかけす桜のさきたりける老みてよめる大峯に行

タイソウ弱

大僧正行尊

もろともにあはれと思へ山桜花よりほかにしる人もなし

サカミ

相模

事書に例ならすおはしまして立さらんとせさせおはしましてける比

月のあかかりけろを御覧してとあり歌の心は明也御門はれいせん院の

第二の御子也御位もわっかに五ヶ年にて行末とをくもとおほしめすへ

人に物語して侍けるに周防内侍よりふして枕もかな(皿ウ)と云をき

■て大納言忠家是を枕にとてかいなを御簾のうちへさし入て侍りけれ

は読侍りけるかひなをは手枕にもたせてかいなを立入たると見れはさ

まあしく侍也此歌かく取あへねおりふしかシろ歌の出来する事ありか

注㈹

注⑬

たきにや道綱母のいかに久しきといひ小式部内侍かまたふみもみすと

注㈹

よみ伊勢大輔かけふ九重とよみ此内侍かびなくた■ひといへろはみな

時にのそみての詠作也女の身としてかやうに侍こそありかたく侍れ

性仙田番歌注⑫帥番歌注倒田番歌

閉心にもあらて此世になからへは恋しかろへき夜半の月かな(羽オ)

者入事順逆の峯とて春入を順の案といひ秋入老は逆の峯といへり当時

はた浄秋のみ入侍にや是は順のみねの時なろへしおもひかけぬ桜と侍

ろは卯月はかりのこと出みゆ歌の(胡オ)心花よりほかに知人もなしと

はた出今我老は花より外にしる人もなしといひて心に又花をも我より

ママ

外に知る人あらしと云心こもる也此行尊は古一条院御孫にて円満院の

門跡也やことなき人の身をやつし此峯に入てをこなひ給ふおりしもか

みろ桜をみ結びける時のやうを能思入てみ侍ろへし惣歌は時のざま所

のやう人程にてその心ふかくなる事也能々しりよすへき事也

67

周防内侍

春〈春〉の夜の夢はかりなる手枕にかびなくた』む名こそ借けれ

三条院御製

Page 16: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

此歌は田家の秋風と云事をよめる芦のまるやはさなから芦はかりに

て作を云也其門田のいな葉に夕暮の秋風そよノーとおとすろをきみも

刊夕ざれは門田の稲葉音信てあしのまろやに秋風そふく

し猶本の歌かん深かろへしとこそ

注㈹『拾遺愚草』②(上・歌合百首・建久四年秋・秋夕)麗国

心は大かた明也猶いつこもおなし心にあろへし我か宿のたえかたき

まてさびしき時恩わひていつくにもゆかはやなと云いて■うちなかむ

れはいつこも又我心のほかの事は侍らしわれからのさびしさにこそと

うちあんしたる心也かやうの事はかくいはすして心にこめて見れはな

注倒

をかんふかく余情かきりなし定家卿の歌に(弘オ)秋よた扮詠すて詮も

いてなまし此里のみの夕とおもは出と侍れは此歌をとれる心も又おな

70 此歌はかくれたる所なしたみおりふしのけいきと所のざまをよく恩

あわせて見侍へき也是は誠に上古の(冊ウ)正風体なろへしかやうの歌

は末代の入やすく恩ふへした■そのま■なる所真実の道と可心待とそ

朋嵐ふくみ室の山のもみち葉は立田の川の錦なりけり

きをおりゐきせ給はんの御心誠御名残惜くおほしめすへきにこそ其心

能々あんして此歌老は見侍へし

セン

良暹法師

さびしさに宿を立出て詠れ《と》(は)いつくもおなし秋の夕暮

ツネ

大納一一一一口経信

ノイン

能因法師

注㈹

此歌は人しれす恩ひあ胴リその浦風に波のよるこそいはまほしけれと

云歌のかへし也あだなみとはあた人と云心なりたかしの浜とはかくれ

もなくきこえたるあだ人と云儀也かけしとは契をかけしと也か■ろあ

た人に契をかけはかならす物おもひと成へきと云事を袖のぬれ46こそ

すれといへる《歌》也心詞かきりなくいへる寄也よはき所侍らす女の歌

にはおもしろくこそ

注㈹『金葉集」(恋下巴])に「中納言俊忠」の歌として見えろ。

注倒

あへすやかて芦の丸尾に吹たる》ごま也夕されは夕暮におなし但すこし

風情をもつ心あるや此五文字五句にわたりておかしぐ(狐ウ)侍ろへし

かやうの所老はいかにもあちはふへきとそ

注㈹『両度間書』③筐「歌注に「夕されは、ただ夕暮程の事にや。夕去と書

●●

は万葉に書也。去字の心はなし。私云、夕されはすこし風情を持にや。」

とあり、宗祗の「私云…」と本庄との関連が注目されろ。

74

注㈹

心は明也た拐詞つかひきはやかにたけある歌也正風なh/但能因か歌

よりは少いるへたろ所あり

注㈹能因の的番歌においては、「上古正風体なろへし」と評した。

73 72

、マサフサ

(閲オ)権中納一一一一口匡一房

〔補注4〕

高砂のおのへの桜開にけり外山の震たみず談じあらなむ

ユシシン

祐子内親王家紀伊

音にきくたかしの浜のあた波はかけじゃ袖のぬれ4℃こそすれ

トシユキ

俊頼朝臣

うかりける人老はっ瀬の山おろしはけしかれとはいのらぬ物を

一一一

Page 17: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

事書に僧都光覚唯摩会の講師の請老申ける老度々もれにけれは法性

寺入道前大政大臣に恨申ける老しめちか原のと侍ける又の年ももれ

注倒

(刑オ)くもれ〉にけれはよみてつかはしけろ、心はなをたのめといへる老

取て契をきしさせもか露をいのちにてといへる也下句はことしも又も

れぬる心の愁也歌のさまなまみなく詞ことに金石のことくなる風体也

しかも又あはれふかき歌なろへし

注㈹法性寺入道・藤原忠通が引用した「なほ頬めしめじが原のさせも草われ

世の中にあらむ限りは」(『新古今和歌集』(巻第一一十・釈教歌)ご』「に

収録)を指す。

注㈹

此歌は祈不逢恋と一五題をよめり初瀬に恋いのる事は住吉の物語にみ

えたり泊瀬は山中にて風はけしき所也惣の心はうかりける人をはけし

かれとはいのらぬ物←ぜと云心也泊瀬の山おろしははけしき(妬ウ)枕詞

也いのれとも人の心ははけしけれはた■はけしかれといのりたるやう

なれはそれをかくはけしかれとはいのらぬ物をといへり定家(卿)の

注㈹

近代秀歌に此歌を、Uふかく詞心にまかせてまなふともいひつ』けかた

く誠に老よふましきすかたなりといへり

75 注㈹『住吉物語』(群書類従本・巻三百十)には「中納言はおもひあまりて。

今一たびこの世にてみせ給へとぞいのり給ひけろ。」・「中将(中納言卜同

人)はそれとも恩はで◎ひとへに神仏の御前に参りても。ひめ君のあり

どころしらせ給へとぞいのり給けれども。させるしろしもなかりけり。」

と「祈不逢恋」の表現は見えるが「初瀬」の名は見えない。

注⑲『近代秀歌」(遣送本)⑲

基俊

契をきしざせ4℃か露老いのちにてあはれことしの秋もいねめり

注倒

われてもとはわhノなふ4℃と云心也わかる畠とわりなきとかねたる歌

也惣の心は水こそわれてもやかてあふ物なれつらき人の別て後は相か

たき心なりけりとおもひ返して身をせめたる歌也あはんとそ恩と云う

注⑫

ちに此心あり能工夫して余情を恩ふへしわれて46とは伊勢物語にもわ

りなふもと云心にいへり

注㈹『両度間書』③』&①歌注に「われて恩ふ、こなたかなたに成心、又わり

なう物思ふ義也。」とある。

注㈹『伊勢物語』⑳(六九段)に「二日といふ夜、おとこわれてあはむとい

ふ。」とあり、『経厚講伊勢物語間書』⑳にはこの部分「男われてトハワ

リナクト云心也」と注する。

関路の千鳥をよめり是はすまの浦に旅ね老して彼嶋より千鳥のうち

わびてかよび来るおりから所はすまの浦なれは一しほ旅ねのかなしさ

のたえかたき心より関守の夜ろノーのね党をあはれむ心也尤あはれふ

78 海上遠望をよめり心は明也我舟にのりていつろ心也歌さまたけあり

て余情かきりなし眺望なとにかくれたる所はあるましき也た■風情を

思ふへきにこそ

77 76

カネマサ

源兼昌(町オ)

あはちかたかよふ千鳥のなくこゑに幾夜ね党《を》(ぬ)すまの関守

シユ0F〃〃

]不徳院

瀬をはやみ岩にせかるみ滝川のわれても末にあはんとそ思

法性寺入道前関白大政大臣

わだの原こきいて公みれは久万の雲ゐにまかふ奥津しら狼

=--

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暁郭公を間と云心也心は待々つる時烏の一こゑなきて夢とも思ひ分

す行ゑなき空をうちなかむれは在明の月ほのかなろさまおもかけ身に

しむやうにて侍さま能思入て見侍ろへし時烏の歌はいるノーに心をく

たきてしかも心つくしたる所かきりなくこそ

是は後朝の歌也ちきりをく人《の》末とをくかはらさらん心もしらす

夢斗なろあふことゆへ恩ひみたる田心をはかなやと恩ひわびぬる心也

女の歌にてなをあはれふか■ろへし又詞のくさりたくひなくや

ノチノトク

後徳大寺左大臣(銘オ)

別郭公なきつる方をなかむれはた出有明の月そのこれろ

80

き歌とそ

心は明也但此さやけざといへろは清天の月のさやかなるよりはすこ

し心かはれろあらたにさやかにしておもしろき心侍也いつれもけたか

79き人とははかりかたき事也黄門の心を能あふくへき物也

かき歌なろへし此兼昌は堀川院後百首の作者也されとも此百首に入へ

タイケンホリ

待賢門院堀川

長からむ心もしらすくろかみの乱てけさは物老こそおもへ

左京大夫顕輔

秋風にたなひく雲のたえまよりもれいつる月の影のさやけさ(師ウ)

道因法師

心まことに明也た二世の中の人たのむましきゆくゑをたのむ物也此

歌老観すへき物にこそ人のため教諭のたよりなろへし歌にはことはり

をつめすして心にもたせていへるつれの事也又か様にことはりをせめ

ておもしろきも一体の事なろへし

開夜もすから物おもふ比は明やらいねやのひまさへつれなかりけり

色々世のうさをおもひ取て今はと恩入山のおくに鹿の物かなしけに

うちなくを問て山のおくにも世のうき事はありけりと思ひわびて世の

中にのかれ行へき道こそなけれとうちなけく心也世に道あらはか■ら

んやはとおもひわびぬる儀とそおもひ入は山にいりても又心に先たつ

にても侍へし

84 83 おもひわひとはさりともと思ふ人はつれなく成はて■きはまり行お

もひの心也かみるおもひには命も消うせ(冊ウ)ねへきをきてもな老い

のちはある物をうきことに堪忍せねは涙なりけりと心をことはりてう

ちなけく心也

距思わびざても命はある物をうきにたえぬはなみたなりけりノ

(胡オ)藤原清輔朝臣

なからへは又此ごろやしのはれんうしとみしよそ今は恋しき

皇大后宮大夫俊成

世中に道こそなけれ思ひ入山のおくにも鹿そなくなる

二一

シユンエ

俊恵法師

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目の前の恋の心也終夜月にひかびてうちなかむろに物かなしくてだ

」月の心をいたましむろやとうらめしきを恩ひ返してかくいへり少平

懐の体なり是西行の風骨也さらにつくろふ所なきは上手の(側オ)もの

なろへし

船歎けとて月やは物老思はするかこちかほなろ我なみた哉

心は明也な老ねやのひまさへつれなかりけりといへる詞(羽ウ)心め

つらしく思の切なろ所も見え侍にやうらむましき物老なつかしかりそ

のおも影にする事恋の道のならび也能々ねやのひまさへとうちなけき

たる所老思ふへき物也

此歌をある入ま木の葉にふれるむら雨のおもしろかりしに又魔のを

きわたしてたくひなきをまたその興もはてぬに霧たちのほりて色々の

風情をつくしだるさまそといへり当流の心はざも侍らす太山の秋の夕

のさまにて此歌を見侍ろへきとそそのゆへは槙の葉は太山にある物也

秋の夕に村雨そ■きてきらノーとしてま木の葉のしめり(判ウ)たるを

りふし霧立のほるざまを能々恩へし誠におもしろくもさびしくも又あ

はれふか■ろへきにや筆舌つくしかたしとそ

Ⅳむら雨の露もまたひね槇の葉に霧立のほる秋の夕暮

(蛆オ)皇嘉門院別当

肥難波江の芦のかりねの一夜ゆへ身をつくしてや恋渡ろへき シヤク

寂蓮法師

西行法師

心は忍ふあまり思を出し返しノー~月日をふろにかくてもなからへは

必しのふろ事もよはりこそせめと思わひて玉のをよたえなはたえねと

いへりあらはれはいかなろ名もやなとふかくしのふ心也猶々よはりも

そすろ詞おかしぐや侍らん

心は老しまの海士の衣はぬれやうの物なれはそれを(蛆ウ)みよとも

いはまほしけれとそれもぬる扮斗にこそあれ我袖は紅涙なれはた畳我

袖をみせはやといへりなをねれにそいれしと云詞はめつらしく云出た

る物也

是は旅宿にあふ恋の心也心は難波わたりの旅ねはさらてもあはれふ

か■ろへきを思はすの契にあかぬなこりのかなしさを思わひてあしの

かりねの一夜ゆへとをきて身をつくしてやといへるざまゆうなろへし

能々所のざま人の名残なとを思入て見侍へきにや

ことはりにおゐては明也尤尹養《の貢と)云よりひとりかもねむまて

ことノーく金言のみなり此五句いつれの詞もめつらしくせんとしたろ

事もなくつ』けやうのめてたきにより詞の字ならぬ養さ(妃オ)筵も妙

90 8991

インフ

穀富門院大輔

見せはやなをしまの海士の袖たにもぬれにそいれし色はかはらす

シヨク

式子{旧凹親王

玉の緒よ絶なはたえねなからへはしのふろ事のよはりもそすろ

々グイ・ノコクゥグ

後京極摂政大政大臣

きりIく~す嶋や霜夜のざ筵に衣かたしき独かもねむ

Page 20: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

注倒

注倒

此歌は何にたとへむ朝ほらけの歌と浦こぐ舟のつなてかなし46一一首

をとれる心はあとのしら波をとり詞はしほかまのう尤老とれり惣の心

は世の中は何事も跡のしら波の理《を》そとつれなき世を観しうちなか

注⑰

むろをh/ふし海士のをふれのおjbしろく網手引行をあかすうちみるに

やかて引すきてはいつちもしらぬを詠只今目のまへにみゆろ物もあと

なき事を恩ひて世の中はつねにもかもなとよめるにやけに常住あらま

ほしきことはり也

注岡『拾遺集』(一

93

ママ

寄合恋を、よめり心は我袖の夜ろびるかはく事なく思ふかきり我身の

程をさらに恩ふ人にしられぬ事をしほひにみえぬおきの石とたとへい

注脚

たせる也しか4℃歌様つよくして物にうてぬ所あり此作者当時の女房の

中には定家卿執したる欲よみなりとそ

注倒「愚秘抄鵜本』⑳には「一一条院讃岐…などぞ、女歌にはすぐれておぼえ

侍る。此人々の思入りてよめらん歌をば、有家…などもよみぬきがたく

や。」とある。

92

注倒

にきこえ侍る也彼山鳥の一忽のしたりをと云をとれるにや

注倒三番歌参照

注倒『拾遺集』(巻第二十・哀傷)]缶『「世中を何にたとへむ朝ぼらけこぎ

行くふれのあとのしら波・沙弥満誓」。

注㈹『古今和歌集』(巻第二十・東歌)ご缶「みちのくはいづくはあれどし

●カマウニフノウ

鎌倉右大臣(蛆{ソ)

世の中はつねにもが4bな渚こぐ海士の小舟の綱手かなしも サンノキ

ー一条院讃岐(蛆)

我袖はしほひにみえぬ沖の石の人こそしられかはくまもなし

うき世の民におほふとは延喜聖代の心老思て一切衆生(妬ウ)の陽フヘ

に法衣をおほふとの給ふ心也おほけなくは卑下の心也民と云字おほく

は延喜の心をとる故也心はたき衆生の事なろへし和尚の御心十二時中

此外はあろへからすとそ

96

注国

是は山のしら雪つもるらし古郷さむく成まさるなりといふ古く「の歌

をとれる心也心はかくれたる所もなく詞つかび妙にしてその感侍にや

注国

かやうの歌をいかに46あふき信すへきにや侍覧養鳴や霜夜なとやうの

詞つかひにおなしかろへきにこそ

注⑬『古今和歌集』④(巻第六・冬歌)色、初句は「みよしの出」

注倒Ⅲ番歌参照

開おほけなくうき世の民におほふかな我立杣の墨染の袖

94

ほがまの浦こぐ舟のつなてかなしも」を引く。

注㈱「顕注密勘』(定家注)③にはご缶歌に関して「うらこぐふれのなくて

かなしもとは、まことに悲歎にはあらず。おもしろしもという様なろ詞

也。あはれにも、うらがなしくもと侍、叫愚意候。」とあり、「両度聞書』

も「綱手かなしもは愛する心也」と注する。

入道前大政大臣

花さそふ嵐の庭の雪ならてふり行物は我身なりけり (閉オ)参議雅経

みよし野の山の秋風さ夜更て古郷さむく衣うつなり

シエン

前大僧正慈円

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此川にみそきよめろは万葉よりの事なろへし心はならの小川を奈良

の葉に取なして川辺の夕暮の更にだ■秋の心になりはてたる所老いは

んとて御喫そ夏のといへる誠にいつもある詞を以めつら敷したてうち

注⑪

吟するにもす出しくなる、心のし侍にや此百首にも新勅撰にも入られ侍

り心およはすともさゆへあらんとは思へしな老詞すかたた(妬オ)くひ

なくこそ

注側『

其心老さくり知ろへきにこそ

注㈹『万葉集」⑳(巻第六上

来ぬ人を松ほの浦とは昔の事には侍へからすや侍らんなきとをけろ

は波の風もなき夕なとはしほやく煙もたちそへろを我思のもゆるさま

注剛

切なろをよそへいへる也松帆の浦に端焼事は万葉の長歌にみ』え侍り惣

の歌はこい人を松帆の浦のゆふなきにと云てやくやもしほのといひつ

』け身もこかれつ夢凡俗をはなれたる詞つかび也黄門の心にわきて此

百首にのせらろ掻上は恩はかる所に侍らんやしきりに眼を(必ウ)付て

98 97 心はちりはてたる花の雪はいたつらなる物也はや時過て人のいかに

とみし花なれと雪となりはて畳はあはれむ人もなくなれろを此雪老を

きていたつらにふり行物は我身成けりとよめるにや尤肝心する歌とそ

イカリユウ

従一一位家隆

風そよぐならの小川の夕暮は御喫そ夏のしるしなりける

(必オ)権中納言定家

こい人をまつほの浦の夕なきに焼やもしほの身もこかれつ■

『新勅撰和歌集』⑳(巻第三・夏歌)巴、

『万葉集』⑳(巻第六・雑歌)田切笠朝臣金村

も■しきやとうち出たろ五文字(は)大かたみ吉野やを泊瀬やなと云

にはかはれりよろつの心こもれる也心は王道のすたれゆくをなけきお

ほしめす儀也すゑの世になれはむかしを忍はならびなるに王道おとろ

えては一身の御うへならす天下万民のためなれはしのふといふにもな

をあまりあるといふ心宣給へる也此御歌と巻頭の御(妬オ)歌はいつれ

も王道の心をよみたまへりその内に上古の風と当世の風とのすかたか

とそ侍し

100 此御歌は王道老かろしめよこさまの世に成行事をおほしめして御述

懐の御歌也人もをし人もうらめしとは世の中人とりノーにて世もおさ

まりかたきをよみたまへるにや又ひとりのフヘにても是はよるしと恩

人《も》(の)又あしき事ある心也よき所は借く又あしき所はうらめしき

をとりあはせてあちきなくと読たまへる也誠世のおさまりかたきは君

の御(妬ウ)物おもひなろへき事にそ侍らん

99

も■しきやふるき軒端のしのふ《草》(にも)猶あまりある

昔なりけり

後鳥羽院

人も老し人もうらめしあちきなく世を思ふゆへに物おもふ身は

応永拾三仲夏下旬藤原満基

一一一一ハ

シユントク

順徳院

Page 22: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

〔補注1〕枕詞について伝定家箸『僻案抄』(群書類従・巻浸の)は「愚説には、

ただ山をぱあしびき、空をぱ久かたとよむばかりにて、凶日来、足を引

〔補注2〕蝉丸の古今集歌について、『僻案抄』は

「世中はいつれかさしてわかならん行とまるをそ宿と定むろ(巻第十八

雑歌下・題しらず。よみ人しらず①田)

相坂の嵐の風はさむけれとゆくゑしられはわひつ出そぬる(同と謡)

風の上に在所定めぬ塵の身はゆくゑもしらすなりぬへら也(同と$)

此歌三首は、蝉丸がよめりけろを、古今には作者をあらはき百りけり。

膝の形などいふことはしらず。」とのべろ。

〔補注4〕『僻案抄』に「高妙、はりまの名所なれど、すべて山をば高さごと

いふ。…中略…おのへとはおのうへという也。」とあり、この説は『経

厚抄」以下に更に詳述されてゆく。

〔補注3〕『僻案抄』には「しきりにふく風を、吹しく共、風ぞしくめろとも

いふ也。」とある。

後撰には作者を書ろなりとぞ金吾(基俊)申されけろ。古今さづけられ

けろ時のものがたりの内なれば、指事ならねど書一一付之一。」とのべろ。

Page 23: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

いあ

いああああああああああ 明かろやりららふちち}よはなめ心しかまたくははれれりし:くたほに:ふひ深

:16苧呰髻高市亡琶78P47117650(序)::

26..

4(序)師94::87115M79538●●

46 7144

60号苔88306M9川41055●●

67:: 406530855716629379

[ⅢⅢU批評用語索引

凡例

○「百人一首抄」注釈本文より、和歌の批評に関す

る語を採った。

○活用の終止形・語の基本形で採り、現代かなづか

い順に配した。(例・幽玄↓ゆうげん)

○複数の語から成るものは、全体からも、部分から

も引けるようにした。

○「詞」・「心」の項は中間の助詞を省略した。

(例・心はくもりなし↓心・くもりなし)

○下欄は「百人一首」の歌番号を示す。傭は序文を

示す。

477538916222

567840 6323

638843 6835

659644 7038

75 45 7340

力)おえう

花か力>おおおおおお大お大おえうう歌ういい--古古実くきももももももやほかかもるたへたろつ体体のの相れりふひひてしかうせたしいはて④のへものの風歌対たなへ切い:ろけにいに:ひししきこたあ事歌::

、雫;i:ニドドニド:二;識:老蟇上諌ii“Ⅲ●●

4451:18

477488464848;ろら25512715:

81吾す7369 56

58587871385 し

199216

6871321933797 19

798153948

11164952

70286662

72597664

心心心心心心心

こぐ奮治看衾詮

iii弩鱗蟄り?紙117芒:、

4847852 40

かすかにおもしろし…8

歌仙の徳…3

かなし・・・5、旧皿別冊別朋朋

観心…閃

肝心・・・5肥

観す。:朋朋

感情限りなし…6

かん侍る・・・例

かん深し・・・、

き奇異なり…4

奇特の粉骨…田

教諭・・・序別

吟味すへし・・・4別妬聞

くくさり過…肥

くさりたくひなし・・・別

口惜し・・・序糾帥

工夫す・・・羽而

工夫をめくらすへし…Ⅲ

け景気…3〃的

けたかし…ね

玄妙の心…4

13

Page 24: 注と索引を付す 翻刻「百人一首抄」(応永十一一一年奥書)右歌春すきて夏来にけらしといへる勿論の事にてよろしからす聞え コロモカヘ

心。こめて見る刀…

、こもれろ・・・触船川

、・さくり知ろへし…W

心・しむ・・・田

心たくひなし・・・Ⅲ

心。つく…皿羽

心・残(ろ)…旧

心ふかし…船刊

心・ふくみて見ろ…師

心めつらし…朋

心・本とす…3

心・もたせて言ふ…別

心尤あはれなり…羽

心・やらぬ…他

心・能思ひ入る…1

心詞かきりなし…氾

心詞かけたる所なし…Ⅳ

心詞たくひなし…皿

心詞も老よはぬ…4

ことから…巧珀妬

詞・縁…柘

詞。おかし…的

詞・くさりたくひなし…別

詞景気…3

詞心にまかす…刊

詞心めつらし…朗

詞。巨細なし…1

詞ことに金石のことし…布

こと葉たくみなり…皿

詞すかたたくひなし…朋

詞・た出す…旧

詞。たらす…Ⅳ

詞つかひさはやかなり…乃

詞つかひ妙なり…別

こと葉つかひ無比類…虹

詞つかひ凡俗のをよふ所にあらす…印

詞つかひ老見ろへし…別

詞・つ出き妙・・・3

詞つよし…妬

詞めつらし…卯Ⅲ

詞尤見所なり…別

ことなる儀なし…3

理(0・ろ)…349n羽釦

別別咄

巨細なし…1

こまやかなり…蛆

ささかひに入る…開

作者の本儀…u

さはやかなり…ね

ざひし…町

さま…34茄〃羽刈拓

6756178

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さやかなり・・・刃

し実・・・序く

時の風・・・序く

下の心・・・9、別

幹したり…肥

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ちたせす

珍たたただたただ妙大体詮切正正すす信甚真可上上上上上辻〈けけけけ:切:とな風風きかす深実有手手代古古懐

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とてつひはな>

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65

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マ」砺熟霞=:繊…岸川‘●●●

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63

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6992

用はなし…胡

余情…1457、

よそへていふ:・印師

よはき所…犯

よみならはせり…Ⅲ

よろし…12焔

よるつの心こもれろ…川

を老よふましき姿…弧

ええむ…2別町柘

お同じことをかさねよむ…1

かかけたる詞…あ

かさね詞…羽

き金言…Ⅲ

く君臣の五文字…四

こ詞の字…田Ⅲ

し序・・・u銘記

序(の)歌…田旧翫胡

な名所…的

ま枕詞…刊

か家隆・・・釦

一」後鳥羽院(隠岐国上皇)…序く

さ西行・・・船』

し俊成・・・序蛆

回回

和歌修辞用語索引

人名索引

(注釈内容と関連をもつ人名)

35

483070 四

4976

5877

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(こと

=当条流家:

害ケ目22

(序)87

て伝受

せ説

く口伝

し師説

新古今集…

新勅撰集…

回歌論近代秀歌…

詠歌一体…

㈹物語伊勢物語…

住吉の物語

㈹歌集万葉集

た為家

て定家(黄門)

回l

付四I

(序)

後撰集

古今集(序) (序)(序) (序)

その他、伝受・流派に関するもの

引用作品索引

(注に作品名を名記せるもの)

no川云

no〈、

j序、Ⅲ釦河犯囲W

(序)(序)97(序)(序)

252

98

774174 48,皿卯孤

74 98

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⑳『万葉集』(国歌大観)

⑳『新勅撰和歌集』(同)

⑳『経厚講・伊勢物語』(曼殊院蔵・京都大学国語国文資料叢書五)

⑳『愚秘抄鵜木』(日本歌学大系・巻第四)

⑳『伊勢物語』(古典文学大系)

⑳『百人一首秘訣』(大阪府立図書館蔵)

⑭「袋草子』(同・巻第二)

⑳『天徳四年内裏歌合』(類聚歌合とその研究・堀部正二箸)

⑳『詠歌一体』(八雲云口伝・日本歌学大系・巻第三)

⑬『落書露顕』(同・巻第五)

⑲「近代秀歌』(日本歌学大系

⑳『大和物語』(古典文学大系)

⑰『悦目抄』(同・巻第四)

⑬『百人一首改観抄』(契沖全集第六巻)

⑲「近代秀歌』(日本歌学大系・巻第三)

⑭『定家十体』・「三五記鷺本』(日本歌学大系・巻第四)

⑮『慈鎮和尚自歌合。+禅師駁』(同・巻第二)

⑯『九品和歌』(同・巻第一)

⑪『古来風体抄・初撰本』(同・巻第二)

⑫『小倉山庄色紙和歌』(有吉保氏蔵・新典社刊)

⑬『百人一首抄』(経厚抄)(国立国会図書館蔵)

⑩『毎月抄』(同・巻第三)

⑨『和歌体十種』(同・巻第一)

③『色葉和歌』(同・巻第三)

⑥『東関紀行』(群書類従・巻第三百三十一)

⑦『東野州間書」(日本歌学大系・巻第五)

⑤『新古今和歌集』(国歌大観)

①『奥義抄』(日本歌学大系・巻第一)

②『藤原定家全句集索引』(赤羽淑編)

③『古今和歌集全評釈・古庄七種集成』(竹岡正夫編・箸)

④『古今和歌集』(奥村恒哉校注)

引用文献一覧

l昭和五十三年十二月七日

一十三年十二月七日原稿受理l

(よしだきわむ・大阪産業大学教養部)

四一