12
- 72- 王政復古時代における宮廷と演劇 ヅョンソン (SamuelJohnson) は, (Lives 01 the English Po-i m 84) でとりあげている 7 名の貴族詩人の中で, ランズダウン男 (GeorgeGranville BaronLandsdowne 1667 1735) とリトノレトン男 (GeorgeLyt t1 eton 1st Baron Lytt1eton 1709-73) を除いて,他の 5 名の 貴族1)を ,1660 年以降の一時期に活躍期と青春時代を過した者として紹介し ている O 乙れは比較的に短い期間の割には,詩人(および劇詩人〉の出身階 級としそは,他の准男爵以下のジエントリ ー及びその他の庶民階級出身の作 者(ジョンソンの扱っている総数は 52 名〉 に比して, 貴族の占める比率が 高い乙とを示している 。 王政復古時代の戯曲とりわけ喜劇の特徴のーっとして,貴族趣味を語る乙 とは, 早くから常套的表現となっているが, ジョンソンも貴族作家を幾ノ か言及する乙とによって, 乙の時代特有の文学的状況を暗示しているようで ある O それは,乙の時代において貴族の存在が,文学の世界の中で看過でき なかったということでもあり , また, 乙れらの人物を語る以外に他に問題 となる作家が多く現われなかったという乙とでもあろう o 事実, ミノレトン (JohnMilton) やドライ デン (JohnDryden) なと、数人を除けば,エ リザベ ス朝時代の戯曲や 18 世紀の小説などにみられるような,多くの作者が才能を 競い合うという現象は,17 世紀後半ではほとんどみられない。 宗教がらみの政治的分裂 と, 宗教的・哲学的懐疑に明け暮れた 17 世紀の中 でも ,1649 年以後の空位時代 (Interregn um) に続く約半世紀聞の,と りわ けチャーノレズ二世 (Charles11 1630 85) の在位 25 年間 (1660-85)の,精 神的・社会的安定とは程遠い時代に, 時代の鏡 ともい うべき戯曲が,比較的 多くの貴族作家によって創 られたということ はどういうことであるのか。当 時の貴族の社会的位置,時代をチャーノレズ二世在位期間に限定して, 2 〉その 時期に活躍した貴族作家 とそ の作品,この時代固有の状況をも た らし た前の 時代からの流れ,乙 のi 時代にみられ る貴肢の生態 と行動,お よび貴校作支持 (444 )

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- 72-

王政復古時代における宮廷と演劇

山 田 利 秋

ヅョンソン (SamuelJohnson)は,w英国詩人伝~ (Lives 01 the English

Po-i m ・84)でとりあげている7名の貴族詩人の中で, ランズダウン男

爵 (GeorgeGranville, Baron Landsdowne, 1667・1735) とリトノレトン男

爵 (GeorgeLytt1eton, 1st Baron Lytt1eton, 1709-73)を除いて,他の 5名の

貴族1)を,1660年以降の一時期に活躍期と青春時代を過した者として紹介し

ている O 乙れは比較的に短い期間の割には,詩人(および劇詩人〉の出身階

級としそは,他の准男爵以下のジエントリ ー及びその他の庶民階級出身の作

者(ジョンソンの扱っている総数は 52名〉 に比して, 貴族の占める比率が

高い乙とを示している。

王政復古時代の戯曲とりわけ喜劇の特徴のーっとして,貴族趣味を語る乙

とは, 早くから常套的表現となっているが, ジョンソンも貴族作家を幾ノ

か言及する乙とによって,乙の時代特有の文学的状況を暗示しているようで

あるO それは,乙の時代において貴族の存在が,文学の世界の中で看過でき

なかったということでもあり , また, 乙れらの人物を語る以外に他に問題

となる作家が多く現われなかったという乙とでもあろうo 事実, ミノレ トン

(John Milton)やド ライ デン (John Dryden)なと、数人を除けば,エ リザベ

ス朝時代の戯曲や18世紀の小説などにみられるような,多くの作者が才能を

競い合うという現象は,17世紀後半ではほとんどみられない。

宗教がらみの政治的分裂と, 宗教的 ・哲学的懐疑に明け暮れた17世紀の中

でも,1649年以後の空位時代 (Interregn um)に続く約半世紀聞の,と りわ

けチャ ーノレズ二世 (Charles11, 1630・85)の在位25年間 (1660-85)の,精

神的 ・社会的安定とは程遠い時代に, 時代の鏡ともいうべき戯曲が,比較的

多くの貴族作家によって創 られたということはどういうことであるのか。当

時の貴族の社会的位置,時代をチャーノレズ二世在位期間に限定して, 2〉その

時期に活躍した貴族作家とその作品,この時代固有の状況をもたらした前の

時代からの流れ,乙 のi時代にみられる貴肢の生態と行動,および貴校作支持

(444 )

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王政復古時代における宮廷と演劇 -73 -

有の価値観などについて,以下順を追って簡単に述べてみたい。

E

乙の時代の有爵貴族の数は, 1633年に 122名3) であったのが, 1661年の

上院議員数は 170名, 1685年には 181名4) であったとされている。数の増加

は,質の低下と爵位の価値の下落を意味するものであろう。 11年間の空位時

代は上院の威信を失墜させ,その上,王政復古に際して若年で爵位を継ぎ議

席を得た貴族が多くいた乙とも,乙の階級の権威を次第に失わせる要因とな

-r~

"'? /.._。

しかし, 18世紀以後の市民社会の到来を迎えようとしている過渡的時代に

ありながら,未だに貴族はいくつかの特権が認められており ,庶民に比して

法的にも厚く保護されていた。庶民は貴族に対して対等に権利を主張できな

かったし,貴族であれば,自 己の犯した殺人行為に対する法的制裁を免れる

乙とも可能であった05〉もっとも,乙の法的特権にもかかわらず,実際に貴

族が庶民を殺害した実例が少なかったのは,往時のように気(必勝手にふるま

えぬ乙とを十分承知していたためと思われる。軌道をはずれた行動があって

も,後で述べるように,主として貴族 ・宮廷人の閉鎖的社会の中に限られて

い?こD

乙のように幾分の制約を受けながらも,少くとも名目上は特権階級であっ

た貴族は,清教徒革命の刺戟に触発されてか行動的となり,多方面に才能を

発揮する者が多かった。議員,宮廷人であるのはもとより,あるいは活動的

な政治家であり,ほとんど全員が軍籍を有するといったように,多面的な活

躍を示し,その上さらに,目下考察の対象となっているように,芸術に強い

関心を抱き,自ら詩文等の創作に情熱を傾ける者も相当数いたのであるO 乙

のjZ-今,彼らを詩人 ・劇詩人と全面的に称する乙とは無論できない。創作は

彼らにとって全く趣味の問題であり,経済的報酬は度外視されていた。専門

的作家では支配階層の多くの素人たちが作劇を行なったという事実は,前の

n !j:代との関連において王政復古時代演劇の特質を示すものである。

岡山

1660年から1685年までの間に実際に戯曲の創作を行なった貴族は,一組の

( 445)

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- 74一

夫妻を含めて 9名を数える O ハーベ ッジ (AlfredHarbage)の, 作家 と作

品に関する精級な調査によ る と , 6〉乙 の25年間 ~L , 戯曲の創作に何らかの関

与をした者で,名前がわかり作品と の関係が一応明確になっている者の寸欽

は約120名である。 7) ちなみに,ハーベ ッジが,I専門的劇作家J(play¥vright)

と規定 した作者13名,I詩人J(poet)と規定 した作者13名,合計26名。微 少な

表現ながら,唯一人 “dramatist"と規定 した ハワー ド (EdwardHoward)

を含めて,ナ イト ・ジエン トリー等23名O 貴族とジエン トリー層を合計する

と, 名前の判明 した作者全体の2596強を占める 乙と になるO

9名の貴族の名は次の通りである。 バ ッキンガム公爵 (GeorgeVilliers,

2 nd Duke of Buckingham, 1628-87), ニューカ ースノレ公爵 (William

Cavendish, Duke of Newcastle, 1593・1676), ニュー カースノレ公爵夫メ

(Margaret Cavendish, Duchess of Newcastle of, 1623・73), ブ リス ト

ノレ伯爵 (George Digby, 2nd Earl of Bristol, 1612-77), ドーセ ット伯爵

(Charles Sackville, 6th Earl of Dorset, 1638骨 1706) ゴドノレフィ ン伯爵

(Sidney Godolphin, 1st Earl of Godolphin, 1645-1712), オーラ リー伯爵

(Roger Boyle, 1st Earl of Orrery, 1621・79), ロチェスタ ー 伯爵 (John

Wilmot, 2nd Earl of Rochester, 1647-80)フォ ーク ラン ド子爵 (Henry

Cary, 4th Viscount Falkland, d. 1663)0さらに 1685年以降 1700年までの

聞には, 2名の貴族が作品を発表するにすぎなし、。 ウイ ンチノレシー伯爵夫人

(Anne Finch, Countess of Winchilsea, 1661・1720)および ランズダウン男

爵であるO

ちなみに,18世紀については, ニコ ノレ (AllardyceNicoll)によると,前

後半ともに 6名ずつの貴族の作品がみられる。 ただし, 前半50年間は, 17

世紀以来の 3名を含み, その上, マノレグレーヴ伯爵 〈後にバッ キンガム公

爵) (John Sheffield, 3rd Earl of Mulgrave, afterwards 1st Duke of

Buckingham, 1648・1721)のように, 作品を書いたのは 18世世.紀でで、あつても,

後iにζ述べるいわゆる

活躍した者も合まれているので,純粋に18世紀の戯曲作者として考え られる

貴族はどく僅かであるo 8)少くとも,単純な人数の比較の上からでは, 王政

復古時代の特色として, 戯曲に貴族が深 く関与していたとい うこ とができ ょ

う。 1660年以前の時期 との比較については,後に改めて行なうととにする。

先に記した 9名の貴族の作品を次に示してみよう。 9)

バ ッキンガムの作品一-The Chances (1667 , 喜劇~, フレッチ ャーの改

(446 )

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王政復古時代における宮廷と演劇 - 75 -

作); The Country Gentleman (1669,喜劇,上演禁止);Thp. Rehearsal10)

(1671,バーレスク ,合作)

ニューカースノレの作品--The Humorous Lovers (1667,喜劇); Sz.r

Martin Mar-all, or The Feigned Innocence (1667,喜劇,フランス劇の

改作,ドライデンと合作); The Triumρhant Widow, or The Medley

01 Humoursll) (1674,喜劇, 改作,シャドウ エノレと合作〉

ニューカースノレ夫人の作品一一Plays12) (1668年フォリオ版として出版,

次の 4篇および断片 1篇を含む,寸劇的内容。 TheBridals; The Convent

01 Pleasure; T he Presence; T he Sociable Comρanions, or The

Female Wzts)

ブリス トノレの作品--Elvzra,or The Worst Not Always True (1663,

喜劇, カノレデロンの改作); 'Tts Better Than It Was (1664,喜劇,カノレ

デロンの改作); Worse and Worse (1664, 喜劇,カノレデロンの改作〉

ドーセ ットの作品 Pomρey the Great13) (1663,悲劇, コノレネ イユ

の翻訳,第 4幕を担当)

ゴドノレフィ ンの作品--po的 eythe Great (向上,第 5幕を担当〉

オーラリ ーの作品14)ー -TheGeneral (1662,悲喜劇); Henry V(1664,

悲喜劇); Mustaρha, Son 01 Solyman the Magnilzcent (1665, 悲劇);

The Black Prince (1667,悲喜劇); Tryρhon (1668,悲劇) ; Guzman

(1669,喜劇); Mr. Anthony (1669,喜劇) ; Herod the Great (1672,

悲劇); Ktng Saul (1676,悲劇); Zoroastres (1676, 悲劇)

ロチェスタ ーの作品- -TheConquest 01 China (1670,悲劇(?),ロ

ノてート ・ハワー ドと合作, 断片のみ現存, 上演されず); Lucina' s Raρe

or Valentinian (1678, 悲劇, フレッチャ ーの改作); Sodom, or The

Quintessence 01 Debauchery (1678,喜劇,フイッシ ュボーンの作(?))

フォ ークランドの作品--TheMarriage Nzght (1663,悲喜劇〉

乙れらの作品全体にみられる特徴は,次の諸点において,乙の時代の演劇

一般の特質を忠実に反映している。すなわち,スペイン・フランスおよび前

時代の英国劇の改作が多い乙と。悲喜劇が前時代同様比較的多い乙と (60年

代を中心として〉。全体的に喜劇が多い乙と。オーラリ ーなどの例外を除い

て,概して寡作である乙 と。その他,合作が多いなど,王政復古時代演劇の

様相を明確に示している。比に短期間である割には,乙れら貴族作者および

その作品はかなりの数に達している と言えよう。また作品と して,後世の評

( 447)

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- 76一

価を受けるに価するものも,バッキンガムの作品な どいくつか数える乙とが

できる。

N

貴族(まれには王族)によって作劇が行なわれる乙とは,古くからのdtれ

があり ,と りわけ王政復古時代の下地をつくり上げた前段階として,チャー

ノレズ一世 (Charles1, 1600--49)時代の演劇的風土を考察する必要があるO

ハーベッジがすでに CavalzerDrama 15) において論じているように,1630

年凶か5劇場閉鎖令の施行される1ω年頃までの英国演劇jには,当時の宮廷

の影響が強く及んでいたo 乙の時代に,演劇における貴族趣味の横溢や宮廷

入山劇を促した大きな要因 として, 王妃ヘンリ エッタ ・マリア (Hen似 t

Maria, 1609・69)の存在とその熱烈な演劇愛好心があるo 公開の劇場におい

てではないにせよ ,王妃白身がモンタギュ ー (W山 rT¥1ontague, 1603?-77)

の作品『羊飼いの楽園~ (Sheρherd's Paradise)に出演し (1633), また

自ら『フ ロリ ミ ーヌ ~ (Frorimene)と題する FrenchPastoralを創作して

いる (1635)0 乙の王妃の 態度に影響されてか, ウエストモアランド伯爵

(Mildmay Fane, 2nd Earl of Westmorland, d. 1666) をはしめとして,

多くの貴族 ・宮廷人が続々 と戯曲を書く o ブリス トノレも既にこの時代に書い

ているし,その他,トマス・キリグリュー (TholnasKilligrew" 1612-83) ,

サ ックリング (SirJohn Suckling, 1609・42), モンタギュ 一等が輩出するo

また他に,ハーベ ッジが “sub-courtier"とよんでいる一群の人物16)やオッ

クスフォード大学の教師16)などが,多くの戯曲を書いてい るo これら宮廷ノ

たちに職業的似域を侵されて,専門の劇作家たちが作風などの点で影答を受

けた乙とは恕像に難くないo 自ら創作を乙 乙ろみずとも, パ トロンとして

劇作家の活動を物心両面で援けたペンブローク伯爵 (PhilipHerbert, 4th

Earl of Pembroke, 1584・1650)やウインター (SirJohn ¥Vinter, 1600?-73?)

の場合も,専門家に対する一種の干渉と写えられよう。

乙のような状況が,続いておとずれる空位時代の劇湯閉鎖と相侠って,エ

リザベス朝時代にっくり出された裾野の広い多様な観客を減少させ,一時期

ではあ るが,演劇を大衆の関心から遠ざけた乙とは事実である。専門家たち

の沈滞と後退が,素人集団の活躍を招いたのか,それと も,賞放的要Nの;笠

宮で強力な介入が,一般大衆の好みに合った演劇の衰退をもたらしたのか。

(448 )

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ー・ー政復古時代における宮廷と演劇 - i7ー

いずれにせよ, 1660年以前の演劇が多分iζ宮廷人の好みを反映したものであ

り,ロマンス風の悲誌側にせよ,ウイット KZfんだ対話を特徴とする喜劇に

せよ,質的なつながりにおいては,王政復古時代の演劇と密接な関連を持つ

乙とは明らかであるので,乙の民衆と11-;族の関係、は,二つの時期(ζ またがっ

て克明に観察されるべき事柄であろう。王政復古時代におけるバ ッキンガム

やロチェスターの活躍も,乙 のような歴史的背景に照らして考察されるべ

である。

V

これまで述べてきたような状況から , 劇場再開後の舛-台H:~ -f'I:を披露した

のが,一昨の221.延人たち一一ブ リスト ノレ,オーラリー, フォークランド,ロ

ノイート ・ハワード (SirRobert .Ho¥vard, 1626-98), ウィリアム ・キリグリ

ュー (SirWilliam I<illigrew, 1606・95),テューク (SirSamuel Tuke, d.

1674) , ステイプノレ トン (SirRobert Stapleton, c. 1600?・69)など一一ーであ

ったとしても,主極当然な ζ とであろう。王政復古時代の当初は,これらの

作者・たちによって,革命以前のJffi¥ii;VJとほぼ問機,C,ロマンス風の比較的認や

かな内容と作風の戯曲:1が1:1:1心となっていたようである。

しかし,大体1664年頃から状況は次第に変化し,いわゆる「王政{狂言1・時代

的」作品が,とりわけ菩劇を1:1:1心として出現しはじめる。それは,チャーノレ

ズニi仕の宮廷文化が花を咲かせは じめ,先に挙げた宮廷人K加えてさらに多

くの者が本絡的lζ創作活動を始めたためであるが, 1664年,c,大陸帰りの若

冠17i誌の ロチェスターが王宮ホワイトホーノレ (Whitehal1)H:現われて, 才

L燥~な宮廷久として活躍を始めた乙とも看過できない要因の一つである。

彼はその「王政復古時代的」個性によって, ドーセ ットをはじめとする多く

の白浪 ・宮廷久を周囲に芯きつけ,チャーノレズ、二世を中心とした特有な集団

をおり成する ζ とに大きく Zi-献した。それは秘密結社のような性;協を持った

“coterie" の結成のようなものであった。彼らの行動の湯は第一{ζ宮廷であ

り,次いで宮廷の延長線上~C J i遊び」の場としての 劇場が位置づけられた

のである。

J3笑乙の時イ℃の宮廷人たちは遊ぶ乙とが好きであった。その遊ぶ姿は狂態

にも似て,まるで清氏徒革命lζよって辛酸を嘗めさせられた過去の経歴を一

種の免罪符・のように考-えているが如くにふるまった。乙れlζ比例して演劇愛

(449 )

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- 78一

好熱も強ま り,機会あるごとに二つの公開劇場に出かけ,チャーノレズ一世時

代の宮廷 ・荘園の邸宅などでの観劇とは異なって,芝居好きの遊ぶ貴族の姿

を公然と 人々の眼に焼きつけた。 ピープス (Samuel Pepys, 1633・1703)

は,彼の観劇の折に目撃した貴族たちの姿をしばしば記録しているが, エサ

リッジ (SirGeorge Etherege, 1635?・91)の新作を観賞に,さ ながら応援団

のよう に,国王をはじめ としてバ ッキンガム, ドーセットなどが大挙 して押

しかけている有様を描写している。 17)乙の時代の貴族は,乙 のようにその行

動が衆目を集める乙 とが多く ,そのため前の時代に比して与える影響力が一

層大きかった と思われる。

貴族の影響力は,演劇に関して,一般の好みや評価の定着などの問題にま

で及んだようであるO 例えば,デニス (JohnDennis, 1657・ 17~4) が記して

いるように, バ ッ キンガムは『下稽古~ (前出〉によって, 一般の“heroic

drama"愛好熱に水をさし,人々がこれまで軽率にも賞讃していたものを改

めて侮蔑する ことを教えたい18)またウイ ッチャリー(WilliamWycherley,

1640?・1716) の『率直な男~ (The Plain Dealer, 1676) に対する一般の

評価が定まらなかっ た際に, 宮廷人たちの声高な讃美の合唱によって永続

的な好意的評価が決定づけられたりした018〉デニスは, 18世紀の視点で乙

の時代を回顧して次のように述べている。 “Butthen there were several

extraordinary men at Court who wanted neither Zeal nor Capacity,

nor Authority to sett them right again. There was Villers (sic)

Duke of Buckingham, Wilmot Earl of Rochester, the late Earl of

Dorsett, the Earl of Mulgrave who was afterwards Duke of Buck-

inghamshire, Mr Savil, Mr Buckley, Sir John Denham, Mr Waller &c."

デニスは更に続けて,当時の底部j湯が乙のような具眼の士に委ねられていたこ

とを,18世紀の状況に対する批判を乙めて記している。 “Atthe Restoration

The Theaters were in the Hands of Gentlemen, who had Done particular

services to the Crown... They had Honour, learning, breeding,

Discernment, Integrity, Impartiality and generosity."19)いささか好意、的

な見方である点を差し引いて参照するとしても,王政復古時代における宮廷

人の戯曲に対する強い指導的影響力を認める一端とはなり得ょう。

逆iζ,貴族の勤きが人自 につくがあまりに, 世人のひんしゅくを買った

点についても, ピープスが具体的なエピソードを豊富に紹介している。ロチ

ェスターの,王の面前でのトマス・キリグリュー殴打事件, 20〉ドーセットと

( 450)

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1

1

(

王政復古時代における宮廷と演劇 - 79ー

セドレー (SirCharles Sedley, 1639?-1701)の起した一夜の騒動,21〉さら

に当代随一のスキャンダノレとして世間をさわがせたバッ キンガム対シュノレー

ズペリー伯爵 (FrancisTalbot, Earl of Shrewsbury)の同伯爵夫人をめ

ぐる決闘沙汰22)などが,非難の口吻を交えて記されている。その他,ロチェ

スターを中心にして,風間も含めて,多数の乱行の例が伝えられているが,

乙れら PrinceHalもどきの振舞いに対して国王は厳罰をくだす乙となく ,

先のキリグリュー殴打の場合も,事件の翌日に国王とロチェスターが親しく

述れ立って散策している姿をピープスによって 目撃されている。 23)

乙れらの記録から知り得る限りの,国王の仲間意識的寵愛と与えられた特

権をかさに着て気俸に行動する貴族たちの姿は,乙れより数十年後のコング

リーヴ (WilliamCongreve, 1670・1729)の作品にまでつづく 「王政復古時

代的J登場人物である「放蕩者J(“rakes")のモデノレである。乙れらの登場

人物の性格分析が提示するこ面的性格が,実在の宮廷人にも認められること

は,以上の事実から明らかであろう。すなわち,一面において高い教養と洗

錬された趣味また適格な判断力を具えながら,他面では好き放題に生きて,

白由と快楽を享受しようとする姿勢がみられる。まさに乙れと同じ生き方

が,乙の時代の喜劇作品の一部の登場人物にもみられるが,そとには前者の

姿がかなり忠実に投影されていると考えることができょう。その場合,王政

復古時代の戯曲(特に喜劇〉の本質は,乙れら宮廷人の生活と密接な関係、を

持っととになる。ヒューム (Robert D. Hume)も,“rake"の存在を王政

復古時代喜劇の研究者に注目させる一つの明確な理由として,チャーノレズ二

世の宮廷が,バッキンガム,ロチェスター, ドーセ ット,セドレーその他多

くのいわゆる“CourtWits"すなわち “literary rakes"で満たされていた

ためであろう と述べているが,24〉妥当な見解というべきであろう。

'.

W

“Court Wits"についての克明な研究を行なったウイノレソン(JohnHarold

Wilson) 25) は, 14名の才人を階級別に区分して, 5名の有爵貴族一一バ

ッキンガム, ドーセット, ロチェスター, マノレグレーヴ, カーペリー伯爵

(John Vaughan, 3rd and last Earl of Carbery, 1640・1713)ーーに次い

で,セドレー, エサリッジ, ウイ ッチャリーなど主としてジエントリ一階

居出身者 4名,史にサヴィノレ (HenrySavile, 1642・87)など“thelesser

( 451)

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- 80-

Court Wits" 5名の名を挙げている O 26〉 しかし, 乙れら14名 の い わ 川

“inner circle"の中には,当代の代表的詩人として後代同を残すドマイア

ンの名は見当らないo ドライデンを乙の“白 me川 gang"27) から遠お

た理由乙そ,乙れら “CourtWits"の集団的特質を明確にするものであ.),

ひいては “CourtWits"を含めた貴族作家の本質を示すものでもあるよう

だn

で、はドライ デンを “CωrtWits"からわけへだてたものは何で、あったかo

それは一言で言えば,洗錬された自然らしさに裏打ちされた喜劇精神でめっ

た。ド ライ デン自ら, 喜劇(ζ対する才能の欠如を認めているが,28〉乙れは

乙ゐ特異な “coterie"同する乙とを望む者にとっては,致命的な欠陥とい

わねばならないo 比較的時表作品の少ない“CourtWits"がその知的優

位性を社会iζ誇示する乙とができたのは,彼らが日常的に対話や書簡によっ

て示す軽妙で才気あふれる表現を世人の耳目に触れさせたからであるが,も

しドライデン 自らが認めている通りに,彼が "slo¥vand d ull" 28) であるな

らば,乙 の選ばれた者の世界に入る資絡はないと言わねばなるまい。

反対に,ウイ ッチャリ ーやエサ リッジがロチェスタ ーなとの厚誼を3277尋たのは, ドライ デンに欠けていた乙の「徳目」を備えていたからにすぎな

い o エサリ ッ ジは , 自らの代表作 r当世風の男~ (The Man 0,1 MO,de, 0,

Sir Fo'ρling Flutter, 1676)の主人公 ドリマン ト (Dorimant)について,

他の登場人物の口を通して, "all he does and says is so easy and natu-

ral" (111. iii. 25) 29) と描写しているが,乙の “easy"と“natural"の二つの

語が表わ しているもの乙そ,“easyEtherege"と称された本人に とっても,

また王政復古時代の貴族に とっても,人間として,また芸術家としても,最

重要の 「徳目」 なのである。それは, 作風の上では王政復古喜劇jの究極的

作品とも い う べ き コ ング リー ヴの 代表作『世間の道~ (Tlze Way 0,1 the

Wo'rld, 1700)のミラ マント (Millamant)のことばである “Naturaleasie

Suckling" (IV. i. 106) 30)に示されている価値観に行きつくよう である。ウ

イットの場合と同級に,万事にさり気ない 「自然さJこそ,王政復古時代の

宮廷人が,彼らの社会的地位を次第に脅かしつつあった “socialclimbers"

に対して,唯一誇り得る特有の 「美徳Jであったといえよう。それは,遠

16世紀のはじめに,イ タリアのカスティリ オーネ (.Baldassare Castiglione,

1478・1529) が 『廷臣論~ (11 Co'rtegiano', 1528)において示した, 宮廷 i

の伝統的規範31)の忠尖な継承と遵守でもあった。

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王政復-古時代における宮廷と演劇 - 81一

乙のようにして,チャーノレズ二世の在位期間を中心にして,一群の貴族作

家や “CourtWits"そして国王自身が, 演劇を深く愛好し, 直接 ・間接に

その価値観を自他の作品に反映させてきた乙とは,これまで述べた乙とから

明らかであろう。比較的に小人数な集団であ るにもかかわらず,彼らが大き

な影響力を持ち得たのは,宮廷の頚廃に全く??を向けた人々は別として,か

なり多くの者が, しばしば批判的な態度をとりながらも,次第に光でを弱め

ていく流星のようなスチュワート王家の宮廷文化の最後に,何か不思議な魅

力を感じたためでもあろうか。不自然な模倣を貴族たちに期笑されながら

も,多くの 「亜流」たちが,それらしく 生き,またそれらしく 書乙うと努め

たのであった。王政復古時代演劇とり わけ喜劇の本質を正確に理解する上

で, 当時の宮廷人の存在が霊要な鍵になっていると言わねばなるまい。

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1) ドーセット伯爵(本稿第E章参照、),ロチェ スター伯爵(同),マノレクーレーヴ伯爵(同)

ロスコモン伯爵(WentworthDillon, 4th Earl of Roscommon, 1633?-85),ハリフ

ァックス伯爵 (CharlesMontague, Earl of Halifax, 1661-1715).

2) 乙の時代区分は,文学史的理由からではなく, チャーノレズ二世を中心とした宮廷

の特異な環境に重きを置くからに他ならない。

3) E.W. Ives編, 京都大学西洋史学科訳 『英国革命 1600-1660J (ミネノレヴァ書

房,昭和49年) 7 -8ぺージ参照。 •

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4) Cf. David Ogg, England in the Reign

University Press, 1956), Vol. II, p. 466.

5) Ibid., pp. 137-8.

6) Alfred Harbage, Annals 01 English Drama 97 5 -1700 (London: Methuen,

1964)

7)ハーベッジによれば, 乙の25年間に作者不詳の戯曲81篇が創られ, 無名作家は17

名である。合作・共訳なども-多い。

8)ニコノレが,History 01 ~English Drama 1 660-1 900の各巻末 Appendix.に記

している“Handlistof Plays" によ ると, 1700-1750年に関しては,“Unknown

Authors" を除いて,延べ255名の作者に対して貴族の作者 6名。また1750-1800年

については,同じく 555名の作者に対して貴族は 6名である。

9)作品の発表年(原則的に上演年),ジャンノレ, その他付記事項については, 主とし

01 Charles 11 (London: Oxford

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てハーベッジに依り,あわせてニコノレも参照した。

10)共作者は,Martin Clifford, Thomas Sprat,他lζ, Samuel Butler? Edmund

Wal1er? Abrahanl Cowley? (Cf. Harbage, p. 168)

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11) The Heiress (1669,喜劇) は TheTriumρhant Widowと同じ内容であり

おそらくニューカースルの作品と思われる。

12) 1662年にも,14篇の作品を含むフォリオ版が出版されているが,これは 1660年以

i)iJ lζ警かれたものと忠われる。1668年出版の分は,1662年以後に書かれたものであ

ろう。いずれも全て closetdran1aである。

13)翻訳の分担は次の通りである。 Edn1und¥¥T aller (..L¥ct 1); Sir Ed ¥va rd Filn1er

(i¥ct 11); Sir Charles Sedley (人ct11I); Earl of Dorset (i¥.ct I¥T); Earl of

Godolphin (Act V)

14)こζ に記した作Iill以外に, 乙の時・代に脅かれたものとして,The Widotv (1665,

王室jai- ミドル トンの翻案〉が,オー ラリーの作品ではないかと思われている。

15) Al fred Harbage, Cavalier Drama: An Historical and Critical Suρρ/ement

to the Study of the Elizabethan and Restoration Stage(Ne,,' i.""ork : Russcll

& Russell, 1964)

16)いわゆる "sub courtier play¥vrights" としては, Joseph Rutter (f1. 1635),

Abraham Co¥vley (1618-67) I Francis Quarles (1592-1644), Henry Killigre¥v

(1613-54)などが,また "Oxfordplay\,~rights" としては, ¥iVilliam Cart¥yrigh t

(1611-43), Jasper 1Aayne (160~-72) などがい る。

17) Cf. The D切りげSamuelPeρIys, eds. Robert LathalTI & Wil1ianl I\Iatth~\vs (Berkely ~& Los J¥ngels: Uni¥'"ersity of California Press, 1976), Feb. 6,

1668.

18)John DeI111is,eThe Causes of tile Decay and Defects of Dran1atick Poetry,

and of the Degeneracy of tile Public Taste,(1725?),The criticaf mrorhs o/

]ohn Dennis, ed. Ed¥vard Kiles Hookel・ (19J3;rpt. Baltimore: The Johns

Hopkins Press, 1967), ¥"01. II, p. 277.

19) 1 bid.. V'o]. 11, p. 278.

20) Pepys, :Feb.;17, 1669.

21) Pepys, Oct. 23, 1668.

22) Pepys, ]an. 17, 1668.

23) Pepys, Feb. 17, 1669. "...but this very 11101・njng the King did publickly

1vail〈 upand down,and ROChester I sa1vwithhim,as free as ever,to tile

King's everlasting shame to ha ve so idle a rogue as his COffiDanion."

24) Cf. Robert D. Hume, The Rak川 S勾 e:Studies in Englishムrama,1660

1800〈C訂 bon帥 ,I11. : Southern Il1inois U ni yersity Press, 1983), p凶

25) John H訂 OidWilson,TM Court wits q/the Restoration (1948;rpt.New

York: Octagon Books, 1967)

26) 1 bid,., pp.. 7-8.

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王政復古時代における宮廷と演劇J - 83一

27) Cf. H. M. Margoliouth (ed.), The Poenzs & Letters 01 Andrew Marvell

(1927; rpt. London: Oxford U. P., 1952), Vol. 11, p. 329.

28) John Dryden, IA Defence of an Essay of Dramatic Poesy: Prefixed to

the Second Edition of The lndian Emρeror', ]ohn Dryden: 01 Dramatic

Poesy and Other Critical Essays, ed. George Watson (London: J. M.

Dent and Son, 1962), Vol. 1, p. 116.

HMy conversation is slo¥v and dul1; n1y hUlTIOUr Saturnine and reserv'd: 1n

short, 1 am none of those who endeavour to break Jests in Company, or

lnake reparties."

29) W. B. Carnochan (ed.), George Etherege: The Man 01 1¥ダode(London:

Ed ward Arnold L td ., 1967)による。

30) Bonan1y Dobr・ee(ed.), Comedies by William Congreve (London: Oxford U.

P., 1957)による。

31) Cf. George Bull (trans.), Baldassare Castiglione: The Book 01 the Courtier

(Harmondsworth, Middlesex: Penguin Books Ltd., 1967), pp. 67 -68..

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