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コーリン・ロウを読むために 課題図書:コーリン・ロウ著『マニエリスムと近代建築』(1981,彰国社,伊東豊雄+松永安光訳) 1.本レジュメの説明 本書は建築論選集であるからして、それぞれの論文が様々な意図のもとに書かれている。各論文はそれぞれにつなが りを持っていることは明白であるが、これらの論文を統一的な視点から読むことが非常に難しいことであることも確か である。もしこれらの論文を統一的に読み解く視座があるとすれば、それはコーリン・ロウという人間の存在そのもの を読み解くための視座であろう。これらの論文を一つの意図のもとに読み解くことは、コーリン・ロウ自身を読み解く ことに他ならない。逆にいえばコーリン・ロウを知ることによってこれらの論文はある程度統一的に読むことができる のである。 本レジュメは読書会の趣旨に反するかもしれないが本書をどう読むかではなく、コーリン・ロウという人間を知るた めに作られている。少しでも『マニエリスムと近代建築』が読みやすくなれば幸いである。本書がシニフィエとシニフィ アンの間の自由な行き来を促すためのものならば、このレジュメはひたすらにシニフィエとシニフィアンのつながりを 強めるためのものである。 2.メモ 2.1近代建築の巨匠の自己認識 ロウが近代建築の巨匠たちをどのようなコンテクストの中に位置させたかを理解したかを知る。基本的に彼の考えで は近代建築家の巨匠たちの自己認識を位置づけるにはルネサンス時代(詳細に見れば起源はキリスト教、ユダヤ教の救 世主思想にまで)にまでさかのぼらなければならない。 紀元前 キリスト教ユダヤ教 救世主思想 救世主による王国の建設つまりこの後西洋に生き続けることになるユートピア思想のもととなる 思想。 16世紀 ルネサンス 新プラトン主義 ルネサンスによりイデア論を中心にプラトン主義が読み解かれる。プラトン主義と救世主思想が結 びつくことにより、ユートピア思想が誕生する(cf.トマス・モア)。「社会の可能性の隠喩」(1)してのユートピア。 17世紀 自然哲学 ニュートン物理学 自然を注意深く観察し、物質世界を合理的な構築を論証し、未来が予測可能であることを示す。人間 の自然を注意深く観察しえたなら、人間の精神活動をも予測できるのではないか。「来るべき社会 の処方箋」(2)としてのユートピア思想の登場。 19世紀 ドイツ観念論哲学 ヘーゲル弁証法 歴史の存在に対しての絶対的な肯定。歴史は弁証法的な構造をもつため、歴史は「ハッピーエンド を目指す自動推進機のついたドラマ」(3)という考え方が登場。 大まかにみるとロウは近代建築の巨匠たちがこの流れのなかで自分たちの立ち位置を固定していったと考える。近代 建築の巨匠たちは、自らを世紀末に現れこの世にユートピアを実現せしめる救世主ととらえる。ユートピアを実現させ る道具は建築、その道具は自然と歴史によってその効力が保障されているのである。ニュートンの自然ヘーゲルの 歴史によって作られた建築が約束するユートピアの到来。そしてそれらを実現する建築家たち。これが近代建築の巨 匠たちが抱く自己像である。しかしロウはこのような巨匠たちの自己認識が間違っていることを指摘するのである。巨 匠たちの自己認識に反してそこにはもう一つの流れが存在している。また、ニュートンの自然哲学的視点から導き出さ れるのが構造である。それは極めて客観的であり合理的なものと考えられている。 2.2構成 ロウが掲げる、近代建築史上に流れ込むもう一つの流れが、主観的な感覚を重視する建築家たちのものである。こち らがわの詳しい経緯は「固有性と構成」に詳しく書かれているので省略する。「固有性と構成」ではとらえどころのな い構成という言葉を固有性という言葉とセットにして歴史的に見ることで、その意味の深みを明らかにしている。

マニエリスムと近代建築(ワタナベ)

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歴史サイドのレジュメ

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Page 1: マニエリスムと近代建築(ワタナベ)

コーリン・ロウを読むために課題図書:コーリン・ロウ著『マニエリスムと近代建築』(1981,彰国社,伊東豊雄+松永安光訳)

1.本レジュメの説明 本書は建築論選集であるからして、それぞれの論文が様々な意図のもとに書かれている。各論文はそれぞれにつながりを持っていることは明白であるが、これらの論文を統一的な視点から読むことが非常に難しいことであることも確かである。もしこれらの論文を統一的に読み解く視座があるとすれば、それはコーリン・ロウという人間の存在そのものを読み解くための視座であろう。これらの論文を一つの意図のもとに読み解くことは、コーリン・ロウ自身を読み解くことに他ならない。逆にいえばコーリン・ロウを知ることによってこれらの論文はある程度統一的に読むことができるのである。 本レジュメは読書会の趣旨に反するかもしれないが本書をどう読むかではなく、コーリン・ロウという人間を知るために作られている。少しでも『マニエリスムと近代建築』が読みやすくなれば幸いである。本書がシニフィエとシニフィアンの間の自由な行き来を促すためのものならば、このレジュメはひたすらにシニフィエとシニフィアンのつながりを強めるためのものである。 2.メモ

2.1近代建築の巨匠の自己認識 ロウが近代建築の巨匠たちをどのようなコンテクストの中に位置させたかを理解したかを知る。基本的に彼の考えでは近代建築家の巨匠たちの自己認識を位置づけるにはルネサンス時代(詳細に見れば起源はキリスト教、ユダヤ教の救世主思想にまで)にまでさかのぼらなければならない。

紀元前 キリスト教ユダヤ教 救世主思想“救世主による王国の建設”つまりこの後西洋に生き続けることになるユートピア思想のもととなる思想。

16世紀 ルネサンス 新プラトン主義ルネサンスによりイデア論を中心にプラトン主義が読み解かれる。プラトン主義と救世主思想が結びつくことにより、ユートピア思想が誕生する(cf.トマス・モア)。「社会の可能性の隠喩」(1)としてのユートピア。

17世紀 自然哲学 ニュートン物理学自然を注意深く観察し、物質世界を合理的な構築を論証し、未来が予測可能であることを示す。人間の自然を注意深く観察しえたなら、人間の精神活動をも予測できるのではないか。「来るべき社会の処方箋」(2)としてのユートピア思想の登場。

19世紀 ドイツ観念論哲学 ヘーゲル弁証法歴史の存在に対しての絶対的な肯定。歴史は弁証法的な構造をもつため、歴史は「ハッピーエンドを目指す自動推進機のついたドラマ」(3)という考え方が登場。

 大まかにみるとロウは近代建築の巨匠たちがこの流れのなかで自分たちの立ち位置を固定していったと考える。近代建築の巨匠たちは、自らを世紀末に現れこの世にユートピアを実現せしめる救世主ととらえる。ユートピアを実現させる道具は建築、その道具は自然と歴史によってその効力が保障されているのである。“ニュートンの自然”と“ヘーゲルの歴史”によって作られた建築が約束する“ユートピア”の到来。そしてそれらを実現する建築家たち。これが近代建築の巨匠たちが抱く自己像である。しかしロウはこのような巨匠たちの自己認識が間違っていることを指摘するのである。巨匠たちの自己認識に反してそこにはもう一つの流れが存在している。また、ニュートンの自然哲学的視点から導き出されるのが“構造”である。それは極めて客観的であり合理的なものと考えられている。

2.2構成 ロウが掲げる、近代建築史上に流れ込むもう一つの流れが、主観的な感覚を重視する建築家たちのものである。こちらがわの詳しい経緯は「固有性と構成」に詳しく書かれているので省略する。「固有性と構成」ではとらえどころのない構成という言葉を固有性という言葉とセットにして歴史的に見ることで、その意味の深みを明らかにしている。

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 2.3ヘーゲル弁証法 ロウが論文内でよく用いる図式が弁証法的な対立構造である。基本的な弁証法の図式はある命題(テーゼ)とそれに対立、矛盾する反対命題(アンチテーゼ)、そしてそれらふたつを本質的に統合した合命題(ジンテーゼ)からなる。テーゼ、アンチテーゼ、そしてジンテーゼが何であるかを見極めることで文章の読解が容易になる。この図式をもちいてコルビュジェの建築作品を評論したのが「ラ・トゥーレット」であり、“構成”と“構造”の弁証的な対立構造が歴史の中に存在したと指摘するのが「マニエリスムと近代建築」および「固有性と構成」である。そしてこの弁証法的な対立構造をジンテーゼとして建築に組み込むのが曖昧性という概念である。

 2.4意味を喚起させる宝庫としての歴史 ロウの論文の独特さは弁証法だけに由来するものではない、彼の歴史に対する意識もまた彼の論文を特異なものに仕立て上げている。一般的な歴史論文はある様式が誕生する過程を描くもの、言い換えればシニフィエ(記号内容)が誕生しある一つのシニフィアン(記号表現)と結合し、一つの関係性を築くものだとしたら、ロウはその先を描く。シニフィアンがあらたなるシニフィエを人々に喚起し、シニフィエとシニフィアンの新しい関係性を作り出す過程を描くのである。「新『古典』主義と近代建築Ⅱ」ではミースの建築が周囲にパラディオ様式に対する嗜好を意図せずして引き起こし、それが新たな文脈となって、新しい建築群が登場する過程を描いた。「理想的ヴィラの数学」では、類似した二つのシニフィアンから新しい意味を次々と見つけ出していく。ウェルギリウスの夢という二つの共通項を論拠として話を進めていくのだが、伊東豊雄が冒頭でも書くとおり、もっともこの論文で重要なのは、この新しい意味を読み解いていく過程である。「マニエリスムと近代建築」でも、近代建築のなかで生まれた手法というものが定義されると同時に、ルネサンスマニエリスムが定義されるという。歴史発見のストーリーである。 このようにして、ロウは歴史がどういうものであったのかではなく、歴史がその時代においてどのように使われたのかを描くのである。彼の興味は常に歴史を今にどう生かしていくかということなのである。 「透明性」ではシニフィエとシニフィアンの関係があいまいなものを定義しなおし、自らその実践を行う。 「シカゴ・フレーム」では、ライトがフレームを使わなかった理由を“シカゴ・フレーム”というシニフィアンを用いることで、フレームという言葉の持つ意味を再編し、その謎を解き明かしていく。これはシニフィエとシニフィアンが逆にその多様性を失っていったことを指摘する文章であり、「固有性と構成」にも通ずるものである。

 2.5『コラージュ・シティ』 読むといいと思う。

3.批判・疑問 針で支えられたホットケーキって何だ。クリストファー・レンの引用の意味とは。ユートピアの建築における自然の扱い。4.引用(1)本書p.279(2)本書p.278(3)C・ロウ F・コッター『コラージュ・シティ』p.49(鹿島出版会、2009)