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平成 17 ~ 19 年度 科学研究費補助金研究 基盤研究 C課題番号 17520253 認知言語学的観点を生かした 日本語教授法・教材開発研究 ~1年次報告書~ 研究代表者 森 山 新 (お茶の水女子大学) 2006 年3月

認知言語学的観点を生かした

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Page 1: 認知言語学的観点を生かした

平成 17 ~ 19 年度

科学研究費補助金研究 基盤研究(C)

課題番号 17520253

認知言語学的観点を生かした日本語教授法・教材開発研究

~1年次報告書~

研究代表者

森 山 新

(お茶の水女子大学)

2006 年3月

Page 2: 認知言語学的観点を生かした

科研1年次報告書

目次

1年次(平成 17 年度)の研究概要

【研究論文】

1.英語教育

英語コミュニケーション能力を養成する言語リソースの研究 6

田中 茂範・水野 邦太郎

認知意味論に依拠した学習辞典の分析 -『E ゲイト英和辞典』の検討- 14

水口 里香

認知言語学を生かした語彙学習書『Word Power』教材分析 25

白 以然

2.日本語教育

視点についての認知言語学的考察 28

森山 新

文法化の方向性に反映される談話の顕現法と談話標識 33

-認知類型論的観点からみた「可能」のモダリティ-

黒滝 真理子

日本語「の」の意味構造について -Langacker の of の研究を参考に- 43

李 惠淑

場所を表わす助詞「ニ」と「デ」 -認知言語学の日本語教材への援用- 47

石井 佐智子

中国人日本語学習者の陳述副詞「きっと」の意味知識 -認知言語学観点から- 51

王 冲

認知言語学からの日本語教育への提言 56

森山 新

3.中国語教育

中国語の指示詞“这”“那”について -中国語教育への応用- 64

新沼 雅代

1

3

Page 3: 認知言語学的観点を生かした

【文献・論文レビューと日本語教育への応用】

コミュニケーションに関する認知言語学的研究 69

遠山 千佳

認知言語学の日本語教育への応用可能性 75

小浦方 理恵

認知アプローチ言語教育における頻度効果の役割 80

岡嶋 裕子

認知文法における相(aspect)のとらえ方 87

-スル・シテイルの使い分けの説明への応用-

峯 布由紀

用法基盤理論と発達心理学における言語獲得論 92

岡嶋 裕子

使用依拠モデル誕生の背景と幼児の言語習得初期の特徴 100

-第二言語習得への応用-

橋本 ゆかり

メタファー意識の日本語教育への応用可能性 108

小浦方 理恵

編集後記 112

2

Page 4: 認知言語学的観点を生かした

1年次(平成 17 年度)の研究概要

<研究グループ>

研究代表者 森山新(お茶の水女子大学)

研究分担者 黒滝真理子(日本大学)

遠山千佳(立命館大学)

研究協力者 水口里香(韓国・聖潔大学校)、大澤理恵(韓国・高麗大学校)、峯布由紀

(お茶の水女子大学院生)、王冲(同)、李惠淑(同)、白以然(同)、橋本ゆ

かり(同)、佐野香織(同)、石井佐智子(同)、新沼雅代(同)、小浦方理恵

(同)、岡嶋裕子(同)、チュオン・トゥイ・ラン(同)

<研究の目的>

(1) 英語教育の分野において、認知言語学的観点からの第二言語教育研究や教材(教

科書、辞書など)研究・開発がどのように開始されているかを明らかにする。

(2) 現在日本語教育で用いられている教材(教科書、辞書など)や教授法を認知言

語学的観点から再検討する。

(3) 認知言語学のパラダイムを日本語やその習得に応用する際の問題点を探る。

(4) 認知言語学的観点からの言語習得観を、第二言語としての日本語習得に応用し、

日本語教育における教材開発や教授法へと結びつけることを試みる。

<第1年次(平成 17 年度)の研究実施計画>

(1)英語における SLA・教材研究の文献調査

日本語教育の分野においては、認知言語学的な観点からの第二言語教材開発や教授法

の研究はもちろん、第二言語習得研究すらも十分であるとは言えない。従ってまずは英

語教育において、どのような第二言語習得研究や教材研究が行われているのか、先行研

究の文献を収集して明らかにし、その応用可能性を検討するところから始める(教授法

研究は英語教育でもまだ研究されていない)。

(2)英語教育における教材分析

英語教育においては認知言語学的な観点が生かされた辞書や教科書がいくつかできて

3

Page 5: 認知言語学的観点を生かした

いる(例:アルク「文法マラソン」、ベネッセ「E-Gate English-Japanese Dictionary」

など)ので、これを収集し、認知言語学的な観点がどこにどのような形で生かされてい

るのかを分析し、その効果や問題点などについて考察する。

(3)認知言語学的観点からの日本語・日本語教育研究の文献調査

日本語教育の分野においては、まずは認知言語学的な観点からの日本語・日本語教育

研究にはどのような先行研究があるのかを収集するところから始める。また認知言語学

のパラダイムを日本語やその習得・教育研究に応用する際の問題点を探る。

(4)日本語教育における教材分析

現在用いられている代表的な日本語教材(教科書・辞書)を選定し、それらについて

認知言語学的観点から分析し、その問題点やどのように改善すべきかについて、検討を

加えていく。なお教科書の分析は、新出語彙などの順序、イラスト活用のしかた、文法

学習の方法(規則からのトップダウン的アプローチ中心か、用例からのボトムアップ的

アプローチが用いられているかなど)などについて検討を加える。また辞書の分析は、

意味・用法の配列がそれぞれの語彙が形成するカテゴリー構造と合致しているか、プロ

トタイプ、スキーマ形成に役立つか、図式が用いられているかなどを中心に検討を加え

る。分析する教材の選定は各自が日頃用いている教材の中から選び、検討は定例研究会

を積み重ねながら行う。

<認知言語学研究会>

本研究は新たに認知言語学研究会を立ち上げ、研究活動を進めた。

<第1回研究会>

◆日時 2005 年6月11日 14:00 から

◆場所 お茶の水女子大学共通講義棟3号館 102 号室

◆内容 今後の研究活動の方向性について 森山・黒滝・遠山ほか

<第2回研究会>

◆日時 2005 年8月5日 10:30 から

◆場所 お茶の水女子大学共通講義棟3号館 102 号室

◆内容 第9回国際認知言語学術大会の報告 森山

日本認知言語学会第6回全国大会の研究発表 森山・王・大澤

4

Page 6: 認知言語学的観点を生かした

日本認知言語学会第6回全国大会の打ち合わせ

<第3回研究会>

◆日時 2005 年 10 月 11 日 16:40 から

◆場所 お茶の水女子大学共通講義棟1号館 404 号室

◆内容 視点についての認知言語学的考察(森山新)

<第4回研究会>

◆日時 2005 年 11 月 8 日 16:40 から

◆場所 お茶の水女子大学共通講義棟1号館 404 号室

◆内容 英語前置詞 of/日本語格助詞ノについての認知言語学的考察(森山新)

<第5回研究会>

◆日時 2005 年3月 14 日(火)13:00~18:00

◆場所 文教育学部2号館3階 302 号室

◆講師 水野邦太郎先生(慶応大学 SFC)

◆テーマ コアを活かした語彙力と文法力の養成

5

Page 7: 認知言語学的観点を生かした

英語コミュニケーション能力を養成する

言語リソースの研究 田中 茂範・水野 邦太郎

要 旨

本稿は,2006年 3月 14日に開かれた認知言語学研究会 第5回研究会「認知言語学をいかに外国語教育に応用しうるか」

での講義内容をまとめたものである.英語コミュニケーション能力を養成するために,ベネッセ『E ゲイト英和辞典』の

どこにどのような形で認知言語学的視点が活かされているか,その辞典の編集主幹である田中(1990, 2003, 2004, 2005)

の考え方を,辞典の執筆者の一人である水野が要約したものである.

【キーワード】言語リソース,認知的スタンス,多義語,コア,コア図式

1. 英語コミュニケーション能力

英語教育の目標は「英語コミュニケーション能力

(以降,“communicative competence”と呼ぶ)」の養

成にある.これまで,communicative competence に

ついて様々な定義が試みられてきたが(Savignon

1972, Canale and Swain 1981, Backman 1990),そ

うした試みに共通しているのは,いずれも構成要素

を分類的に定義したものにすぎなく,このような定

義では,(1)要素が列挙されているが,要素間の有機

的な関係が見えない,(2)実際に英語を使うという場

面が捨象されてしまう,といった問題があるため,

肝心の communicative competence の定義も英語教

育の指針とはなりえなかったというのが実状である.

そこで,我々は,communicative competence とい

う概念を「行為と知識の相互作用」として以下のよ

うに特徴づけることを提案する.

すなわち,ここでは,行為としての「タスク処理能

力(task handling) と知識としての「言語リソース

(language resources) 」 の 相 互 運 動 と し て

communicative competence を捉えている.

あるタスクを言語的に処理するためには,利用可

能な言語知識が必要となるが,それをここでは「言

語リソース」と呼ぶ.言語リソースは,表現の駒に

あたる「語彙」「機能表現」と,それを並べる規則に

あたる「文法」から成り立っていると考えることが

できる.

語 彙

文 法 機能表現

以下では,『Eゲイト英和辞典』において,語彙力・

文法力・機能表現力がどのように捉えられ,その定

義を行うために「認知的スタンス」をもつ言語理論

がいかに有効かについてみていきたい.

2. 語彙力(individual words) : 使い分けつつ,使

い切る力

われわれは,語彙力とは,1 つの語に注目した場

合,「使い分けつつ,使い切る力」のことをいい,特

に基本語を使い分けつつ,使い切る力が,表現力,

ひいては英語力一般の鍵となる,と考える. タスク処理能力 [task handling]

言語リソース [language resources]

2.1. 使い分ける力

「使い分ける」とは,意味的に関連した基本語の

中から状況にふさわしい語を選択することができる

かどうか,という選択能力のことをいう.例えば,

see, look, watchの違い,keep とholdの違い,broad

と wideの違い,every と eachの違いをふまえて「使

い 分 け る 」 こ と が で き る “ inter-lexical

competence(語彙間能力)”のことをいう.

こうした似た意味の語の違いを説明するのに,

『E-Gate』では,その単語の「コア」となる中核的

意味を記述し,動作動詞と前置詞に関してはコア図

式を用いて説明している(コア理論については 2.2

6

Page 8: 認知言語学的観点を生かした

で詳述する).例えば,look, see, watch のコア図

式は次のように描くことができる.

上記のようなイメージをとらえることは,「形が違

えば意味も違う」という「認知的スタンス」をもち,

それぞれの語の「持ち味」をつかむことにつながる.

そして,「どうしてこの場合はこの動詞が使われるの

か」ということを理解することにつながる.

2.2. 使い切る力

ある単語を使い切るためには,具体的にどういう

知識が必要になるか.以下では,break を取り上げ

て示しておきたい.

break の意味は「こわす」と理解している場合が

多いが,英語の break に相当する日本語の対応語は,

次のように複数個ある.

「やぶる」 例) to break one’s oath

「わる」 例) to break eggs

「ちぎる」 例) to break the leaves

つまり,「break=こわす」という理解だけでは無理

があることがわかる.すなわち,母語との対応関係

に依拠して対象語の意味を習得しようとするとネガ

ティブな効果が大きくなる.そこで,この学習上の

問題に対応するための教育的工夫(pedagogical

device)として提示されたのが,コア理論である.

break のコアは「力を加えることによって本来の形

や機能を損じる,または,連続している状態を絶つ」

であり,次のような共通のイメージがあることがコ

ア図式で示すことができる.

コア(core meaning)は学習の産物であり,文脈を

捨象した場合の意味のあり方である.Langacker

(1987)は,ここでいうコアに当たる「超図式

(super-schema)」を立て,それが包含するものとし

て,基本的で典型的な意味タイプを表す「プロトタ

イプ」とプロトタイプからの拡張を示すモデルを提

案している.それに対して田中(1990)は,学習にお

ける一般化の過程に着目し,文脈依存から脱文脈化

に至る,次のようなモデルを提案している.

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© Benesse Corporation 2003 © Benesse Corporation 2003 © Benesse Corporation 2003

© Benesse Corporation 2003

© Benesse Corporation 2003

© Benesse Corporation 2003

Ⅰ.損じる

Ⅱ.絶つ

Page 9: 認知言語学的観点を生かした

言語の使用は,完全に文脈依存であり,それは

context-sensitive と呼ぶことができる.私たちは,

日々の言葉のやりとりにおいて文脈に依存した意味

づけを行う.しかし,上記の図のように,言語の使

用体験を通して,文脈横断的(trans-contextual)あ

るいは,脱文脈的(de-contextual)な意味内容を獲得

する.

コアは,一般化・抽象化が進むところまで進んだ

結果としての産物とみなすことができるが,通常は

意識されることはない.ここで,2 点に留意してお

きたい.第一に,A, B, C という3つの意味タイプ

にクラスタリングされた場合,意味タイプ間にプロ

トタイプ効果が認められ,いずれかの意味タイプを

タイプとしての典型とみなすことができる.また,

それぞれのタイプ内の用例の中にもプロトタイプ効

果が認められることがある.その場合,同じ意味タ

イプの中でもある用例がプロトタイプ性が高い,と

いうことになる.

第二に,コアは抽象度が高いため,分析を通して

抽出されるものである.仮定されたコアの妥当性は,

論理的妥当性と心理的妥当性の観点からチェックす

る必要がある.論理的妥当性とは,説明内容に論理

的な整合性があるかどうかを問う基準である.一方,

心理的妥当性とは,母語話者がコアとその説明を示

されたとき,妥当と判断するかどうかの基準である.

これはともに言語学的な妥当性問題である.さらに

重要なのは,教育的に有効であるかどうかである.

2.3. コアを媒介としたコア学習法

コア学習法とは,以下の図で示しているように,

コアを媒介に英語―日本語の関係をとらえていくこ

とにより,英語の本来の意味をつかむというやり方

である.英語の用例と日本語の訳を直接結びつけよ

うとするのではなく,コアを導きの糸として利用し,

英語の用例群の中に関連性を見出す ― 意味世界を

つむぎだす―,というやり方である.そうすると,

日本語訳に惑わされることなく,なぜ一つの単語が

かくも多様な使われ方をするのかが理解できるよう

になるはずである.

【コア】

【英語表現群】 【邦訳群】

idea の例で考えてみよう.idea は日常的には「思

いつき」と訳され,一方で,学問用語の「思想」と

して訳出され,まるで関連がないように受け止めら

れがちである.しかし「形が同じなら共通の意味が

ある」という認知的スタンスから捉えると,idea は

「頭の中で思いめぐらされたこと(core meaning)」

という点で類似性が見出される対象に幅広く適用さ

れる.そして,様々な語義の意味的関連性は,観念

対象がもつ「断片性・局所性・特殊性」と「体系性・

総体性・一般性」との間の「連続的な流れ」の中で

捉えることができ,次のような「単純な意味構造」

をしている.

頭の中で思いめぐらされたこと(コア)

① ⑤

①思いつき(A wonderful idea suddenly sprang to

mind./ I wish I could come up with a good idea.)

→ ②推量 (I have no idea what could be wrong,

but.../ I have an idea somehow that he will come.)

→ ③意見 (Tell me your ideas on the subject

without any reserve./ willingly support the idea

that S + V…) → ④概念(the idea of democracy) →

⑤ 思 想 (the ideas advanced in this present

article) というような系列を考えてみると,次第に

知的行為を多く帯びて論理化・抽象化が進行してい

るという意味の拡張の推移が感じとれる.ideaのよ

断片性 局所性 特殊性

体系性 総体性 一般性

意味の拡張

8

Page 10: 認知言語学的観点を生かした

うに,語義を確定するには文脈依存性が高く,意味

が不透明な「あいまい」な基本語は,学習英和辞典

においては,「意味の構造(連続性)」が見えるように

語義を配列し意味空間を構造化して,その語の意味

世界をわかりやすく示すべきである.

3. 語彙力(collocations)

1 つの語に注目した場合,「使い分けつつ,使い切

る力」のことを語彙力と規定したが,語彙の「意味

領域」あるいは「話題の幅」を考慮に入れると「概

念・分野ごとの名詞(キーワード)を中心としたコロ

ケーションの知識」も,語彙力に含める必要がある.

コロケーションは,既存の辞典では,リストする

だけの記述レベルでの扱である.これは,言語とい

うものを「そうなっているからそうなっているのだ」

としか言えない恣意的な性格として捉えている.認

知言語学は,言語表現は人間の身体性を反映する

様々な認知能力によって十分に動機づけられており,

「なぜそうなっているのか」を「説明」できるとい

うスタンスをとる.

そこで,以下,「思考」という概念領域における

idea という抽象名詞の語り方の背後に,人間のどの

ような「認知の営み」が影を落としているかという

観点から,idea の意味世界について考察を行ってみ

たい.

idea は観念対象であるため,知覚対象のように

文字通り指で対象を示して語ることができない.す

なわち,非指示的に語るしかない.そこで,観念対

象の相互理解の一手段として,実体の見えない idea

を 形 あ る モ ノ と し て な ぞ ら え ( モ ノ 化 :

reification),Understanding is seeing [grasping]

というメタファーによって idea が語られることが,

次のような語り方から読み取れる: My ideas

finally took shape. / illustrate an idea / polish

an idea / get a vivid [clear, definite] idea / I

haven't the foggiest [remotest, least,

slightest] idea. / The idea eludes my grasp /

catch the main idea / pursue the original idea

さらに,私たちは「心を idea を入れるための容

器(The mind is a container for ideas)」としてイ

メージし,容器の内側・外側・境界を設定すること

で次のような「容器のイメージ・スキーマ」を形作

り,idea に関する多数の物語(言説)を紡ぎ出してい

る.

idea

ある考え(an idea) が私の観念空間 (in my mind)

に生まれ(conceive an idea/ I’ve got a good idea),

Out

ある考え(an idea) が私の観念空間 (in my mind)に生まれ(conceive an idea/ I’ve got a good idea),

論理的に整った形へと作り上げられていく(put my

ideas into shape / My idea has been shaped).そ

の形成過程で,未知の世界(Out)から新たなものが取

り入れられ(take an idea/ accept a new idea/

borrow the idea for X from Y),不必要なものは除

去され(get rid of an idea/ give up an idea),さ

まざまに展開・深化・拡大される(develop [explore,

expand] an idea).長期的にとどめられるものもあ

れば(keep [stick to] an idea/ The idea that S +

V… is firmly rooted./ The idea haunted me day and

night),消えていくものもある(The idea died at

birth).内から外へ出し(give an idea/ put my idea

across to / plant an idea in someone’s mind/ sell

an idea to a publishing company/ I’ve run out

ideas),他者と共有し(share an idea with),コミ

ュニケーションを通じて(exchange ideas with X on

Y) 拡充していく.そして,観念空間(In)から現実の

世界(Out)へ移され実践される(put an idea into

action/ implement an idea).こうした行動スクリ

プトの中で,多様な idea の物語(語り方)が紡ぎ出

される.このような「言語表現の背後に人間の認識

の仕方がどのようにかかわっているか」という観点

についての説明を辞書の中に盛り込み,生徒の思考

力・知的好奇心に訴えながら言語現象を見るための

正しい概念づくりを行うことは,教育的価値がある

と考える.

4. 機能表現力

コトバを使うこと,それは「意図」を持った行動

である.発話者の意図は状況に依存していることが

多いが,同時に,言語機能の中には意図と表現が慣

用的に結びついたものがあり,それが日常の言語活

入手 Take an idea

表出 交流 In my mind 実践 an idea 誕生

形成 展開・維持

入手

除去

Out

9

Page 11: 認知言語学的観点を生かした

動で重要な役割を果たす.そこで,慣用化された機

能表現を単語・コロケーションと同じ英語のコマと

して捉え,機能表現力をlanguage resourcesに含め

る.例えば“Why don’t you …?”は「提案」の意

図か「助言」の意図を読み取ることができる.同様

に,“I see what you mean, but …”とくればなん

らかの反論を試みる,“I’d appreciate it if you

could …”とくれば何かを丁寧にお願いすることが

表出される.このように,機能表現力とは,自己に

向けた「こうしたい」という意思,他者に向けた「こ

うして欲しい」という意思を表現することができる

力ということになる.そこで,意思表示のためのレ

パートリーを持っていることと,丁寧さなどの指標

に従って場面に応じて使い分ける選択能力を持って

いることが,機能表現力ということになる.

機能表現のレパートリーにおいては,その数と,

それをどのように分類するかが問題となる.発語行

為論の分野では専門的な分類方法が提案されている

が,われわれの目的からすれば,大きく次の3つの

分類で十分であろう.①日常的なやり取りにおける

機 能 (Daily Functions) ② 感 情 を 表 す 機 能

(Expressing Emotions) ③会話の流れを調整する機

能(Expressions for Strategic Management).個々

のカテゴリーの具体例は,田中(2005, pp.100-104)

を参照.

機能表現の選択に関わる変数として,基本的には,

社会的距離(地位,年齢,立場など)と心理的距離(相

手への親しみ)の度合いが重要な変数となる.対人関

係では,相手の顔をつぶさないような表現の選択が

求められる.相手の間違いを指摘する際にも,I

think you are wrong. と直接的に言うよりも,I may

be missing the point, but...や,I’ve probably

misunderstood you, but...などと前置きするほうが

相手に対して丁寧である.また,提案する場合には,

If I were you, I would .../ It might be a good idea

if you...と前置きすると,控えめな言い方になる.

そして大切なことは,どういう表現を選ぶかは相手

との関係によって決まるが,表現の選択にあたって,

語彙と機能(上記の例では,“may”“might”“would”

の「助動詞」と「丁寧さの度合い」の相互関係),文

法と機能(上記の例では, “were”“might”“would”

の「過去時制」,“be missing”の「進行相」,“I’ve

misunderstood”の「完了相」と「丁寧さの度合い」

の相互関係)が,機能表現選択の重要な要因となる.

5. 文法力

文法能力をコミュニケーション能力の中心に据え

るためには,教育文法(pedagogical grammar)という

観点から,文法とは何であるかを定義し,さらに,

文法指導のあり方,教材開発,文法力の評定に整合

的に示唆を与えるものでなければならない.われわ

れは,情報単位としてのチャンク(chunk)の形成の仕

方と,チャンクをつなげるチャンキング(chunking)

の仕方が,文法の本質であると規定する.そして,

このような文法観から現行の学校文法の問題点を乗

り越え,新しい学校文法の内実化を図っていくため

にわれわれが依拠するのは,「認知的スタンス」であ

る.この理論的スタンスは,「言語は私たちが世界を

知覚し概念化する仕方を反映している」という前提

に立つものであり,文法現象の背後に意味的な動機

づけがあること,すなわち,構文と意味との間には

不可分の関係があることを示唆するものである.そ

して,こうした理論的枠組みの中で,日英語比較の

観点も重視しなければならないと考える.

教育文法は,以上のことを考慮した上で,以下に

示す4つの観点から構成され,説明されると考える.

①規則の文法

②語彙文法 チャンクを形成する力

チャンクをつなげる力 ― ④チャンキング文法

③表現文法

この 4つは,あくまでも文法情報を整理し,情報間

の有機的な関連を示すための分類であり,4 つの異

質な文法が必要であるということを意味するもので

は決してない.以下に,個々のタイプについて,そ

れぞれがどのような観点から文法を捉えているか,

そのポイントを示す.

①規則の文法 (Grammar of Rules) とは,英語に

は固有の決まり事があり,そうした決まり事の集合

を「規則の文法」と呼ぶ.語順,時制の一致,数の

一致,活用など,純粋に規則に関わる知識が含まれ

る.また,英文編成の情報単位である「断片として

の意味のかたまり(チャンク)」の作り方には,規則

の文法が機能している.チャンクの分類としては,

名詞的な情報を伝える名詞チャンク,動詞的な情報

を伝える動詞チャンク,そして,副詞的な情報を伝

10

Page 12: 認知言語学的観点を生かした

える副詞チャンクがある.英語を運用する際に求め

られる文法は,そうした情報をチャンクとして作り

出す能力である.

②語彙文法 (Lexically-based Grammar)とは,

have, be, get, make などの動詞,to, -ing などの

機能語(接尾辞),疑問詞,冠詞など「語」に注目し,

その語の意味から文法情報を理解しようとするもの

である.その際の前提は,「文法情報は語彙項目に内

在している」というものである.語彙文法の特徴は,

語あるいは接尾辞の意味・機能に注目し,そこから,

用法の単なる分類ではなく,統一的な説明を行うと

ころにある.例えば,現在進行形,分詞構文,現在

分詞形を伴う後置修飾,動名詞にはすべて doing の

形で-ingが用いられるが,この-ingの機能的な特徴

に注目しながら,4 用法に共通した説明を示すこと

が語彙文法の役割である.

③表現文法では,「慣用表現(conventional

expressions)」に着目し,意味分類することが課題

となる.認知言語学では,慣用表現のことを

“constructions (構文)”と呼ぶ(Taylor, 2002).

そして,言語には「慣習化された構文の集合」とし

て捉えることのできる側面があるということを強調

している.さらに,構文の集合といっても,それは

単にランダムな集まりではなく,意味的動機づけに

よってnetworking を形成するとされる.

表現文法の項目として,例えば,①現実的な状況

設定をする(even if …./ unless…/ now that …/as

long as…/no matter what…) ②仮想の状況設定を

する(if …were to/if it were not for…/) ③結果・

目 的 を 表 す (only to…/so that…/for fear

that…/never to…)があげられるが,「表現としての

文法」を構築するには,どういう意味的働きに対し

てどういう表現が使用されるかを徹底的に明らかに

していくことが必要である.そして,ここで大切な

ことは,何かを言おうとするとき,例えば,仮想の

状況設定をする場合,複数の表現の駒の中から必要

に応じて適切なものを引き出すことができるように

しておくことができれば,表現活動にそのまま利用

することができるということである.

④チャンキング文法とは「英文編成の情報単位は,

断片としての意味のかたまりであるチャンクであり,

チャンク同士をつなげる(配列する)作業がチャンキ

ングである」というのが,ポイントである.従来の

学校文法では,文法の単位は文であり,「文―文法」

の規範に従って文を作り出し談話を構成するという

考え方を生み出す.この考え方は,文章英語では有

効なものである.しかし,文を単位とした文法を,

日常の会話のやり取りに適用させると問題が出てく

る.すなわち,“grammar in interaction”の実相は,

「文―文法」では捉えることができないのである.

日常のやり取りでは,以下の例に見られるように,

文が完結しない発話に直面することが度々みられる.

A: It’s much more fun before they fall in love

with you, isn’t it? When you’re trying to get

them. (相手が自分のことを好きになるまでのほ

うが,はるかに面白いよね.なんとかこっちに振

り向かせようとしているときがね)

B: Right. You do a lot of good things for her, you

know-and she’s just like, not giving you the

time of day. (そうそう.彼女にいろいろなこと

をしてあげてさ― それなのに,彼女のほうはま

るで,時間を聞いても答えてくれないくらい冷

めたかったりね)

ここで,“When you’re trying to get them”だ

けを取り出せば,従属節であり文としては完結して

いない.しかし,それは,先行情報から判断して

“before they fall in love with you”と同格の関

係にあることがわかる.ここでの発話は,文を単位

とした分析では「不完全な文」とみなされることに

なる.しかも,“before they fall in love with you”

と“When you’re trying to get them”とでは,主

語が“they”から“you”に変更されている.Bの応

答にしても,“and she’s just like…”と“not giving

you the time of day”は,ピッタリとは文として収

まらない.しかし,それぞれの断片自体は,文法的

に正しく構成されている. A が発言した断片の「内

部構造」を見れば,“much more fun”“fall in love

with you”という“conventional expressions”が

使用され,“before S+V…”“When S+V…”と

ういう従属節が正しく形成されている(規則の文法).

さらに,“try”の「語彙文法」として“try to”が

使われ,“to”が「主体(you)の思考・感情が“get them”

に向かう状況」を映し出している(認知的スタンス).

文を全体的(global),断片を局所的(local)だとす

ると,日常会話において,文法は局所的に強く働く

11

Page 13: 認知言語学的観点を生かした

が,全体的には―チャンキングのプロセスにおいて

は―自由度が高いということになる.すなわち,日

常の会話は「慣用表現」「語彙文法」「規則の文法」

を組み合わせながら,「断片」としての意味のかたま

りであるチャンクを,連鎖的につなげていく表現活

動(チャンキング)を行っているのである.

6. ハイパーリンクを活かした言語リソース・データ

ベースの構築

以上,英語コミュニケーション能力の知識面に焦

点を当て,言語リソースを構成する語彙・文法・機

能の3つの部門についてみてきた.『Eゲイト英和辞

典』は,特に語彙力を養成することに力点を置いて

編纂されている.今後は,3 部門から構成され,そ

れぞれが相互にどういう関係にあるのかを示すこと

ができる言語リソース・データベースを作成する必

要がある.そして,その言語リソース・データベー

スは,以下の3つの「狙い」―つまり,どういう意

図を込めて作るかに関する観点―をもつ.

① awareness-raising (気づき ; 意識の高揚)

② networking (項目の関連化)

③ automatization (知識の自動化)

① 気づき・意識の高揚については,この言語リソ

ース・データベースを通じて,学生たちに「どんな

ことに注意を向けさせたいか」「何を気づきの対象に

するか」が重要なポイントとなる.このポイントを

決めるには,データベース作成者の見識が直接反映

されることになる.気づきの対象としては,認知的

スタンス―人間の言語表現には,人間の認識の仕方

が反映されている―に依拠し,形が同じなら共通の

意味があること(多義語のコアを捉え,その単語が持

つ独自の発想法を探求する),言葉の世界は「経済性

の原理」と「分業の原理」から形成されていること,

英語の語彙,文法,語用論的な特性,日・英表現の

違い (日本語は述語中心,英語は名詞中心)などが含

まれる.

②項目の関連化とは,この言語リソース・データ

ベースを通じて,学生たちが,部分的で累加的な授

業内容を相互関連的で有機的な内容にしていき,分

断された知識を統合していけることが狙いとなる.

例えば,see と look と watch の意味的関連性,look のネットワーク―glance, gaze, stare, peep, 多義語の語

義の連続性と全体像,後置修飾の 9 つのパターン(1.関係代名詞 2. 関係副詞 3. 現在分詞 4.過去分詞 5. to 不定詞 6.同格節 7. 副詞 8.形容詞(句) 9.前置詞

句)とそれぞれの特徴は何であるかを押さえること,

-ing の構文ネットワーク(動名詞と現在分詞の関係),前置詞の toと to不定詞の toの関係, BE動詞の存在・

進行・受身の関係,HAVE の所有・経験・完了・使

役・受益・被害の関係などが含まれる. ③ 言語知識の自動化においては,次の 4 種類の慣

用表現(conventional expressions)の自動化が重要

であり,これらが,運用能力(native-like selection & native-like fluency) に直接関与し母語干渉を抑える

と,Lewis(1993)は唱えている. 1. Collocation: a successful idea / entertain an idea 2. Short, hardly grammaticalised utterances: Any other ideas?

3. Sentence heads or frames ― most typically the first words of utterances, serving a primarily pragmatic purpose: It might be a good idea to …..

4. Full sentences, with readily identifiable pragmatic meaning, which are easily recognized as fully institutionalized: It seems like a good idea to me.

言語リソース・データベースを通じて,このよう

な慣用表現の型に学生たちが多く触れ記憶に蓄え,

TPO にふさわしい慣用表現を引き出し,必要に応じ

て語彙を入れ替えたり,組み合わせたりしてアレン

ジしていく訓練をすることで言語知識の自動化は進

む,ということが予想される. 以上のような,① 気づき・意識の高揚による知識

の生成,②知識同士の関連のネットワークの形成,

③知識の自動化は,人間の学習能力のあり方そのも

のであり,言い換えれば,知識のネットワークとし

てモデル化される脳の処理能力に倣うものであろう.

そうした知識のネットワークである脳による言語習

得を補助する道具メディアとしては,紙媒体ではな

く,ハイパーリンク構造を持ったデータベースの活

用が有効であると考える.さらに,このデータベー

スは閉じたものではなく,学生ひとり一人がこのデ

ータベース作りに参加しインタラクティブに創り上

げていく「学習コミュニティ全体の脳」のごとく,

日々更新され,ネットワークが生成され続けるもの

であることが望ましい.

12

Page 14: 認知言語学的観点を生かした

参照文献

Bachman, L. (1990). Fundamental Considerations in

Language Testing. Oxford: Oxford University

Press.

Canale, M. and Swain, M. (1981). A theoretical

framework for communicative competence. In Palmer,

A., Groot, P. and Trosper, S. (Eds.), The

construction validation of tests of communicative

competence. Washington, DC: TESOL.

Langacker, Ronald W. (1987). Foundations of

Cognitive Grammar Vol.1. Stanford University

Press.

Michael Lewis. 1993. The Lexical Approach.Language Teaching Publications.

Savignon, S. (1972). Communicative competence: An

experiment in foreign language teaching.

Philadelphia: The Center for Curriculum

Development, Inc.

Taylor, J. (2002) Cognitive Grammar. Oxford University

Press.

田中茂範 (1990)『認知意味論 : 英語動詞の多義構 造』

三友社.

田中茂範 編集主幹 (2003)『Eゲイト英和辞典』ベネッセ.

田中茂範 (2004)「基本語の意味のとらえ方」『日本語教育』

121号.

田中茂範 (編集主幹) (2005). 『幼児から成人まで一貫し

た英語教育のための枠組み』リーベル出版.

水野邦太郎 (2005). 「Idea の物語 ~ 認知言語学的分析

とその英和辞典への応用」『英語教育』12 月号,

pp.66-68.

田中 茂範/慶応大学SFC教授 認知意味論,英語教育

水野 邦太郎/慶応大学SFC研究所 上席研究員 英語教育

[email protected]

13

Page 15: 認知言語学的観点を生かした

認知意味論に依拠した学習辞典の分析 - 『Eゲイト英和辞典』の検討-

水口 里香

要 旨 本稿は、外国語学習用教材のひとつとして辞書を取り上げて、従来の辞書の問題点を考え、認知意味論に依拠した学習

辞典(『E ゲイト英和辞典』)を検討したものである。従来の辞書は語の意味と用例を列挙したに過ぎないものが多く、意

味の連続性などを含む語の本質を理解するまでに至れないものが多い。このような問題点に対し『E ゲイト英和辞典』で

は、語の本質を理解させるための「コア」や「ネットワーク」を掲載し、学習者が語を使いきり、使い分けることができ

るような記述が試みられている。しかしながら、コアを日本語学習者用の辞書に取り入れるためには、コアの有効性と限

界を検討しなくてはならず、また辞書という形態と認知言語学的な知見との関係も十分に考慮しなくてはいけないと考え

られる。 【キーワード】外国語学習辞書、コア、ネットワーク、多義語 1. はじめに

近年、外国語教育の分野において認知言語学的な

観点からの研究が行なわれるようになり、それに伴

って認知言語学的な研究の成果を生かした外国語学

習用教材が徐々に開発されてきている。外国語学習

用教材といっても様々なものがあるが、本稿では、

辞書に焦点を当てる。それは、従来の学習辞典は語

義と用例を列挙したに過ぎないものが多く、学習者

から度々「辞書を引いてもわからない」という声が

聞かれること、また辞書は独学の場面で使用される

ことが多いので、他の種類の教材よりも一層、学習

者の視点に立ったものが求められるからである。し

たがって、従来の辞書の問題点を指摘したり、認知

言語学的な観点からの辞書を検討したりする必要が

あると言える。 そこで本稿では、まず、従来の辞書の問題点を指

摘する。次に、日本人英語学習者用に出版されてい

る英和辞典『E ゲイト英和辞典』(2003)を対象とし、

どのような形で認知言語学的な観点が生かされてい

るのか、またどのような問題点があるのかといった

有効性と限界について分析する。そして、分析によ

って得られた知見を日本語教育にどう活かすことが

できるかについて論じていく。 2. 学習辞典の問題点

2.1 二言語併用辞典

第二言語学習者が初級レベルの段階から使用でき

る辞書として、まず初めに頭に浮かぶもの、そして

実際に多くの外国語学習者が使用しているものは、

学習者の母語と目標言語とが併記されている二言語

併用辞典であるだろう(Summer1995)。日本語を学

習している韓国人学習者の場合ならば日韓辞典や韓

日辞典、中国人学習者の場合ならば日中辞典や中日

辞典、そして英語を学習している日本人学習の場合

ならば英和辞典や和英辞典などがこれに当たる。こ

のタイプの辞書は当該語に関する説明が母語で記さ

れているので、初級レベルの学習者でも手軽に使用

できるという長所はあるものの、母語を介した理解

にとどまり、語の本質を理解するまでには至らない

だけでなく、複数の意味を持つ多義語の場合、意味

同士のつながりを把握することができず、実際の使

用場面において、その語を使い切ることができない

という短所があると言える。また数十項目もの意味

が列挙されていると、自分が探している意味が一体

どれに当たるのかを突き止めるのは容易くなく、

「辞書を引いたけど、どんな意味なのか分からなか

った」ということも十分あり得るであろう。 筆者は、数種の日韓辞典を対象に多義動詞「と

る」の記述について分析を行なったのだが、その結

果、以下のような問題点が明らかになった。

まず、「とる」の意味の項目数が非常に多いことで

ある。ほとんどの辞書に、30 から 40 もの意味が記

載されていた。そして、ひとつの項目の中に複数の

語義を含んだ項目も多かった。たとえば、「天下を

とる」のような[獲得1]を表わす語義と「席をと

る」のような[占有] を表す語義がひとつの項目と

して纏めて提示されていた。これらの問題点は、国

語辞典にも共通していることだと言える。しかし、

日本語母語話者が国語辞典を引く理由として「漢字

を確かめるとき」が最も多かったという沖森(1994)14

Page 16: 認知言語学的観点を生かした

の調査を考慮に入れると、母語話者の場合、意味を

知っているが漢字がわからなくて辞書を引くことが

多く、また複数ある意味から、自分の探している意

味がどれなのかを直観的に探し当てることができる

と推察される。しかし、日本語学習者は母語話者と

違い、漢字を確かめるためよりは意味やその語の使

い方を知りたいから辞書を引くという場合が多いで

あろう。また学習者にとっては、意味や用例が書い

てあれば十分だとは言えない。特に多義語の場合、

自分が知りたい意味が数多く提示されている中のど

れなのかを一目で探し当てられるような直観を持っ

ているとは考えがたい。そして、たとえ意味を探し

当てられたとしても、複数の語義を含んだ項目があ

る場合には、意味相互間の関係を捉えてネットワー

ク構造を頭の中に構築することを阻害してしまい、

母語を介した一面的な理解にとどまってしまうので

はないだろうか。その他の問題点としては、不適切

な類義語による説明が多い点である。例えば[把握]

を表す項目に「=つかむ」と表記してあった。これ

を見た学習者は、把握という語義の時には「つか

む」という類義語と常に置き換え可能だと推測し

「つかむ」が使えない文脈においても「つかむ」を

使い、誤用をおかす可能性があると言えるだろう。

結局のところ、二言語併用辞典によって、学習者は

常に「母語-目標言語」をペアで覚えることになり、

意味の連続性をとらえることはできず、意味の習得

にネガティブな効果がもたらしてしまう可能性が大

きいと言える。

2.2 日本語学習者用辞典

次に、日本語学習者用に出版されている辞書で、

二言語併用でもなく、国語辞典とも違うタイプの辞

書を取り上げる。 このタイプの辞書は、説明及び説明に使われてい

る語を学習者に理解しやすいよう平易にしてある辞

書のことで、学習者の母語による説明が全く記述さ

れていないものもあれば、説明部分と用例に母語に

よる対訳が付されているものもある。また難解な文

法用語や凡例もできるだけ使用しないような工夫が

されていたり、動詞の場合、活用形の一覧が記述さ

れているものもある。 このタイプの日本語辞典の特徴は、以下の 4 点で

ある。 1. 語義の説明は短めで、用例を数多くあげて

いる。

2. 用例に使われている単語や文法は、初級レ

ベル終了程度の単純なものを採用している。 3. 活用のある品詞には、文型情報も記されて

いる。 4. 類義語(同義語)や対義語も記されている場合

が多い。 この 4 点から、初級レベル終了程度の学習者なら

ば、母語を介さずに語の意味や使い方を知ることが

できるというのがこのタイプの辞書の長所のように

思われる。しかしながら、問題が無いわけではない。

まず一番の問題点は、語義がある程度グルーピング

さえていても、それぞれがばらばらで、二言語併用

辞書と同じく、語のネットワーク構造を頭の中に構

築することができない記述になっていることである。

もう一つの問題点は、記述されている類義語(同義

語)や対義語が不適切な場合もあるにもかかわらず、

それらに関する情報が全くない点である。

2.3 国語辞典

最後に、国語辞典について簡単に述べる。日本

語学習がかなり進んだ段階の学習者ならば、日本語

母語話者と同じく国語辞典を使用して、語の意味を

調べることがあるだろう。国語辞書によって母語を

介することなく語の意味を探し当て、語の使い方を

知ることができるという点では、語彙習得にとって

効果的であるように思われる。しかしながら、佐竹

(2000:47)が「国語辞書は日本語学習者を使用者の対

象としていない」と論じているように、日本語学習

者が国語辞書を使用する場合には様々な問題が生じ

る。まず一つ目は、国語辞書の「定義の循環、堂々

巡り (国広 1997)」の現象である。これは、語の定

義に使われた言葉の定義をさらに求めていくことを

繰り返すと、結局は元の語に戻ってしまうという現

象のことで、日本語母語話者ならば、定義の循環が

ほとんど問題にならない場合もあるが、日本語学習

者にとっては厄介な問題になるのである。そして 2つ目は多義語の語義の配列についてである。一般の

国語辞書では意味や用例を関連の強さに基づいて階

層的に記述するという方法が試みられている(柏野

他 1998)ものの、「関連の強さ」という基準が明確

ではないために、意味の連続性を捉えにくい配列に

なっているものがほとんどであるといえよう。結局、 国語辞書も二言語併用辞書と同様、意味と用例を列

挙しているに過ぎず、意味の体系化を再検討する必

要のあるものが多い。

15

Page 17: 認知言語学的観点を生かした

最後は用例であるが、田中(1990)で「辞典による

用法の記述は網羅的ではなく、語義の可能性を記述

し尽くしているとは限らない」と言われている通り、

国語辞書における用例を絶対的なものとして扱うこ

ともできないのである。 以上のことから、現段階では、日本語学習者に

とって「理想の日本語辞典」というものは存在しな

いと言っても過言ではないだろう。では、認知言語

学の観点を取り入れた辞書はこれらの問題にどう対

処しているのだろうか。そこで、次章では認知意味

論に依拠した英語辞典について概観する。 3. 『E ゲイト英和辞典』とは

3.1 辞書の概要

『E ゲイト英和辞典』(以下、『E ゲイト』)とは、

2003 年にベネッセコーポレーションから出版され

た辞典で、編者は田中茂範をはじめとする認知意味

論の専門家 3 名である。収録語数は 75000 語であり、

学習辞典としては十分な語数だと考えられる。この

辞書の特徴として第一に挙げられることは、「コア

(core meaning)」によって意味展開や語の意味の全

体像を示し、さらには用法や語法解説もコアに根差

した発想で説明してあるという点である。これ以外

にも、①随所に「ネットワーク」を設け、類義語の

意味の違いを示した点、②日本人学習者にとって使

い方の分かりにくい句動詞や述語については、極力、

全文用例を示すようにして、用例を充実させている

点、③「わかりやすく、見やすく、役立つ」ように

工夫を凝らしている点(紛らわしい文法用語は避け

るなど)などがこの辞書の特徴と言える。 以下では、『E ゲイト』の特徴である「コア」、

「ネットワーク」、そしてこの辞書の基盤となって

いる「語彙能力を構成する知識」について概観する。 3.2 コア

上述の通り、「コア」はこの辞書の全体像を理解

するのに欠かせない重要な概念である。この辞書で

扱っているコアには、図式的なもの、基本義的なも

の、原義的なもの、機能的なものという 4 種があり、

この中でも「図式的なもの」がこの辞書の最大の特

長とされている。この「図式的なコア」とはコア図

式で表現することが可能なものを指し、この辞書で

は計 110 語[前置詞 18 語、動詞 69 語、形容詞 19語、冠詞・副詞・接続詞・代名詞各 1 語]にコアのイ

メージイラストが掲載されている。 「コア」とは、辞書編者である田中の一連の研究で

提示されている概念であるが、これは 認知意味論

的な研究が盛んになる以前から Bolinger(1977)やMiller(1978) などの研究者によって論じられてきて

ものである。田中の提示している「コア」とは、 Bolinger(1977)の“single overarching meaning(ひと

つの全体を包括するような meaning)”を指し、「学

習の産物であり、具体的な文脈を捨象した場合の意

味のあり方」である。そして、コアの定義は以下の

通りである。 コアは、理論上、文脈に依存しない(英語で言えば、

“context-free”あるいは “context independent”であ

る ) 意味を指す。ここでいう「文脈」とは、 break(X,Y)のような命題構造を基本単位としてお

り、X と Y の変数に具体的な値(ことば)が入った状

態を、context-sensitive な状態と呼んでいるわけであ

る。(田中 1990:21) この定義をより明示的に言うならば、コアは、

(1)用例の最大公約数的な意味であり、(2)語の意味

範囲の全体を捉える概念である(田中 1990:22)。コ

アがどのようにして導き出されるかというと、可能

な限り用例を収集し、収集された用例の集合から帰

納的に推測していくという方法が取られている。 このコアを想定する考えを「コア理論」と呼び、

これは辞書的アプローチの前提を否定するところか

ら出発した理論である。コア理論の主張は、次の 2点に集約されている(田中 1990:24)。 A.「かたちが変われば、意味も変わる」 B.「かたちが同じであれば意味も一定である」 つまり、コア理論では語の完全な同意性を排除

すると同時に、同じ言葉が使われている以上、語義

間になんらかの接点を見出すことができるというこ

とを示唆しているのである。したがって、break や

take といった数十個の意味を持つ基本動詞を分析す

る際、コアを用いることで「基本動詞の意味は単純

であいまいであり、あいまい性があるからこそいろ

んな状況へ応用が利く(田中 2004:10)」という考え

が引き出され、動詞のさまざまな意味現象を統一的

に説明することができるのである。しかしながら、 特に多義語の場合には、コアが引き出されたとして

も、不明瞭であるという事態が生ずる。break の他

16

Page 18: 認知言語学的観点を生かした

動詞を例に挙げると、<Y において X が外的な力

(鋭利なものによる手段を除く)を加えることで、Yの本来の機能を損じる>というコアが引き出される

ものの、これだけでは非常に抽象的で、手続き的な

定義が要求される。そこで、具体的に、変数 Y に

2つのパラメータをつける必要が生じるのである。

break には、パラメータ A<Y が動きを感じさせな

いもの>とパラメータ B<Y が動きを感じされるも

の>が設定されるわけであるが、これにより A の

場合には<損傷のイメージ>が際立ち、B の場合に

は<動きを断つイメージ>が際立つのである田中他

(1989:397)。したがって、パラメータをつけること

により、多義動詞が持つ意味の世界を体系化するこ

とができ、また多義動詞を系統的に指導することも

十分可能になると示唆されている。 次に「コア」と「プロタイプ」の関係について

簡単に触れる。「コア」は、「プロトタイプ」と類似

した概念であるように感じられるが、「コア」は具

体的な文脈を捨象して文脈に依存しない意味、つま

りそれが規定するカテゴリーすべてのメンバーに完

全に適合する抽象的なものであるのに対し、プロト

タイプとは、あくまでもカテゴリー内で最も典型的

なものであり、文脈を捨象するものでもなく、カテ

ゴリーすべてのメンバーに完全に適合するものでも

ない。したがって、プロトタイプだけでは多義動詞

の語義の接点を説明することができず、プロトタイ

プ事例から拡張事例を連想することが困難な場合も

あり得る(田中 1987)。このような説明上のギャップ

を埋めるが「コア」であり、「コア」は「プロトタ

イプ」を包含するものと言えるだろう。このことか

ら、籾山(2001)が述べているように、「コア」はラ

ネカーの提示している「スキーマ」に相当するもの

と考えられる。 以上は、田中の一連の研究で論じられている

「コア」についてまとめたものだが、『E ゲイト』

記述されているコアは、学問的な厳密さよりも、教

育的な効果に力点を置いているものである。その例

として、以下に break を取り上げる。 田中の一連の研究において、break のコアは「外

的な力を加え、ある活動、過程、情報を中断する」

と記述されている(田中 1987:138)。そして、そのイ

メージ画として、図1が提示されている。

図1 田中(1987)に提示されているコア図式

一方、『E ゲイト』では、コアは「力を加えるこ

とによって本来の形や機能を損じる、または連続し

ている状態を断つ(p.194)」と記述されており、コア

図式には、図2が挿入されている。

図2『Eゲイト』におけるコア図式

また、このコア図式だけでなく、次のようなイ

ラストが採用されている。

図3-1「break an egg」のイメージ図

図3-2「The sad news broke his heart」のイメージ図

17

Ⅰ.損じる

Ⅱ.絶つ

Page 19: 認知言語学的観点を生かした

図 3-3「He broke the bad news to her」のイメージ図

図 3-4「They broke their journey to Tokyo at Nagoya」のイ

メージ図

図 3-5「He broke his promise to help me」のイメージ図

そして上にも記したことだが、『E ゲイト』では

4 種類のコア(図式的なもの、基本義的なもの、原

義的なもの、機能的なもの)が採用されている。コ

アはゲシュタルト的全体性を重視する概念であり、

また動作動詞の場合、繰り返される動作の経験に基

づいて、その動作の図式のようなものが身体知とし

て作られるという(田中 2004)ことを考えると、コア

は本来ならば、コア図式に限定されるべきであろう。

しかし図式的なものに限らず、多様なコアを採用し

ているのも、教育的な工夫によるものであると推察

される。 日本語教育においても、基本語の指導にコア図

式を導入し、コアの有効性を示唆している研究があ

る。松田(2004)では、上級日本語学習者でも習得の

難しい複合動詞「~こむ」のコア図式を提案してい

る。そしてこのコア図式を「~こむ」の指導に用い

ることによって、学習者の中に「~こむ」の身体感

覚のようなものが得られ、「入る」と「入りこむ」

の違いなどが実感をともなって了解できるようにな

る可能性があると述べている(松田 2004:187)。 朴(2004)では、多義動詞「とる」のコア図式と

TPR 教授法を用いた「とる」の指導方案を提示し、

このような指導を行なうことによって、多義動詞の

様々な意味を体得できる可能性があると論じている。 「コア」を用いた日本語学習に関する研究はまだ数

少ないものの、この 2 つの先行研究から、コアは日

本語学習にも応用可能な概念だと推察される。

しかしながら、田中他(1989)に提示されている品

詞は全て動詞であり、また田中自身(2004)が、コア

理論は英語の場合、動作動詞と空間詞の多くにおい

て有効であるが、名詞や接続詞などの他の意味領域

へコア理論を適用させることについては、慎重な検

討を要すると述べている通り、コア理論の適用はま

だ一部の動詞に限られているように思われる。 3.3 ネットワーク

3.2 にあげたコア理論の主張のうち、「かたちが変

われば、意味も変わる」は「ネットワーク」と関連

の深い主張である。なぜ「コア」だけでなく「ネッ

トワーク」も重要なのかというと、単語同士の関係

にも目を向けていかなければ、意味の本質をとらえ

たことにならないからである。つまり、語の学習と

は、それぞれの語の意味の可能性を過不足なくとら

え、さらに語同士の意味的なつながりを示す「ネッ

トワーク」を自分の頭の中に構築していくことなの

である(田中 1990:121)。以下では、コアと同様、『Eゲイト』にとって重要な概念であるネットワークに

ついて述べる。 認知言語学では、人は語をばらばらに記憶して

いるのではなく、似ているもの同士をまとめあげ、

カテゴリーを形成していると考えている。これをカ

テゴリー化と呼ぶが、カテゴリー化によって入力し

た情報の記憶への効率的な貯蔵と創造的な再利用が

可能になるのである(辻編:2002)。しかし、外国語の

場合には、無意識にうちにカテゴリー化が起こると

いうことはめったになく、カテゴリー化が十分進ん

でいないままの状態に留まってしまうこともあり、

また母語でのカテゴリー化の影響を受けてしまい、 母語話者とは異なった不自然なカテゴリーが形成さ

れるということもあるだろう。このことは、意味的

に類似している 6 つの前置詞の意味境界について英

語学習者と英語母語話者の認識を比較した

Ijaz(1986)や、「割る」「こわす」「くずす」という基

本動詞の意味境界について日本語学習者と日本語母

語話者の認識を比較した松田(2000)などの先行研究

でも、明らかにされていることである。 田中の研究におけるネットワークもこのカテゴ

リー化のひとつで、具体的には「動詞間の意味的な

つながりはどう捉えられるか」と「基本動詞を軸に

どういった動詞を派生させていけばよいのか」とい

うことを問題にしているものであり、このネットワ

ークを想定する考えを「ネットワーク理論」と呼ん

18

Nagoya Tokyo

図 3-4「They broke their journey to Tokyo at Nagoya」の

イメージ図

Page 20: 認知言語学的観点を生かした

でいる。語のネットワークを引き出すためには、語

彙をグループ化していくのであるが、これは「シソ

ーラス」と似たような手法であるように感じられる。

しかし、田中(1990)は、シソーラスの情報はネット

ワーク作りの基礎データにはなるものの、人間の認

知を反映しているとは言えないので、実証研究を通

してネットワークを明らかにしなくてはいけないと

いう立場を取り、ネットワーク構造に関する研究を

提示している。実証研究によってシソーラスの情報

だけではわからない「ネットワークの軸」が理解で

きるのである。また田中の一連の研究におけるネッ

トワーク理論の特徴は、ネットワークは少なくとも、

縦と横の関係をとらえていかなければならず、さら

にひとつの動詞が2つ以上の基本動詞と関連する場

合、斜めの関係も見ていく必要があるという点であ

ろう(田中 1990:126)。この縦・横・斜めの関係につ

いて、田中(1990)では、基本動詞 take を例に横の関

係として hold、縦の関係として seize、斜めの関係

として hold と seize の関係を挙げている。このよう

な関係を明らかにしていくことによって、従来の研

究では等価のように扱われてきた類義語同士に階層

ネットワークを見出すことができるのである。 『E ゲイト』に記述されているネットワークは、

上述の実証研究から導き出されたもので、似た意味

を持つ語との比較をまとめたものである。コアのと

ころで例に挙げた break のネットワークは、以下の

ように記述されている。(p.194) break:「物の形をこわしたり、機能をだめにす

る」の意の一般語で、動作結果に焦点がある tear:「薄いものを引き裂く」の意。切り口はぎざ

ぎざとなり、また無理に引くので、紙や布な

どの場合、びりびりと音がするイメージがあ

る smash:「強い力を加えて、粉々に打ち砕く」の

意。強い力を勢いよく加え、粉々にしたり、

ぺしゃんこにしたりするという感じ crush:「大きな力を加えて押しつぶす」の意。小

さな物にも使われる。勢いよりも、重さでつ

ぶす場合に用いる break のネットワークは、「縦の関係」のみが記述

されているが、take などの他の基本動詞の場合、

「縦の関係」だけでなく「横の関係」も記述されて

いる。また、動詞に限らず、形容詞、名詞、副詞、

助動詞など様々な品詞に関するネットワークが記載

されており、学習者に分かりやすい形で記述されて

いる点は、この辞書の魅力のひとつであるだろう。 3.4 語彙能力を構成する知識

この節では、『E ゲイト』の基盤となっている語

彙能力を構成する知識について考えてみたい。 田中他(1989)では、語彙能力をコミュニケーショ

ン能力2の一部に位置づけており、大きくは語彙内

能力と語彙間能力に分かれるとしている。語彙内能

力とは個々の単語の意味の広がりについての体系的

知識のことで、語彙間能力とはそれぞれの単語間の

つながりについての体系的知識のことである。この

考えに従えば、単語を丸暗記して単語数を増やすだ

けという学習では語彙能力を養うことは出来ないし、

単語を学習する際、母語との対応を探り、常に母語

を介して語の意味を覚えていくことは、語彙習得に

おいてプラスの効果よりもマイナスの効果をもたら

してしまう可能性が大きいと考えられる。 以上のことから、語彙内能力と語彙間能力を習

得することにより、学習者は語の本質が理解でき、

その語を「使い切る」こと・「使い分ける」ができ

ると同時に、「使い残し」や「使い過ぎ」を最小限

にとどめることができるというわけである。この

「使い切る・使い分ける」というのは、その語がど

の場面に適用されるのかについて知っていてこと、

またその語の典型例が何かを知っていること、さら

には類似した意味を持つ他の語と境界を知っている

ことを言う。すなわち「使い切る」ことは「コア」

と、「使い分ける」は「ネットワーク」と対応して

おり、これは「概念形成理論」に基づく考え方であ

る。ここで、概念形成理論について簡単に触れてお

く。

「概念形成理論」とは深谷他(1996)で提案され

ている理論で、「差異化」「一般化」「典型化」の

相互作用を強調するものである。ここでいう相互作

用とは、差異化しつつ一般化を図り、一般化と共に

典型化が図られ、そして典型化が差異化を支えると

いった相互に関連しあった作用を指しており、意味

知識は、語の概念であれ行動の手続き的知識であれ、

この相互作用を通して形成されるという。この理論

を動詞の概念形成に当てはめると、次のようになる。

まず、差異化によって他の動詞との意味境界を保持

でき、一般化によって、具象領域だけでなく抽象領

19

Page 21: 認知言語学的観点を生かした

域にも分け入っていくというような個々の動詞が持

つ意味領域を拡張することができ、典型化によって、

動詞の「典型的な使い方」に関する直観を得ること

ができる。つまりこれらの相互作用が自動化されれ

ば、動詞を使いきり、使い分けることができるよう

になると考えられる。しかし、外国語の概念を形成

することは決して容易いことではない(特に成人学

習者)。というのも、すでに母語で形成された概念

が存在するからである。一般的に母語と外国語とで

は概念を組織化する方法が異なっており、外国語学

習の際は、母語での組織化の方法を変えなくてはな

らないし、また成人学習者の場合、母語で確立して

いる概念境界を外国語に当てはめるのを抵抗するこ

とさえあるのである(E,Bialystok&K,Hakuta 2000)。この問題に対し、『Eゲイト』のコアとネットワー

クは、「差異化」及び「一般化」を図るのを手助け

するという働きがあり、これにより学習者の認知過

程の中に「典型化」が図られると考えられる。

4. 『E ゲイト』の有効性と限界

4.1『E ゲイト』の有効性 3 節で『E ゲイト』特性について概観したが、そ

の中でも「ネットワーク」は日本語学習者用の辞書

でもその有効性が発揮できると考えられる。という

のも、日本語教育の現場で、「A と B の違いは何で

すか。」や「どうして、B は使えませんか。辞書に

は A と同じだと書いてありますけど。」といった類

義語に関する質問が学習者からよく出されるからで

ある。また先行研究においても、学習者の語彙的な

誤りをもとに、類義語の指導方法が模索されている

ものが多い(倉持 1986,Sonaiya1991 など)。 そこで、『E ゲイト』に掲載されているようなネッ

トワークを日本語の辞書にも採用することによって、

学習者は語同士の違いを認識することができ、どん

な時にどんな語を使えばいいのかに関するメタ知識

が形成されると推察される。数多くの用例から自分

自身で語同士の違いを見つけることも大切であるだ

ろうが、類義語の使い分けにとってメタ言語が有効

である(水口 2002)ということから考えて、比較的早

い時期にこうしたメタ知識を形成することにより、

それぞれの語の適応範囲を理解し、その結果として

「差異化」を引き起こすことができるであろう。概

念形成理論の概観部分でも述べたように、差異化に

よって一般化や典型化が図られ、また差異化が「意

味場」を次々と生成したり修正したりできるのであ

る。したがって『E ゲイト』の「ネットワーク」は

認知言語学的に考えて、理にかなった記述であると

言えるであろう。 また語同士の違いが一目で分かるような説明と

なっているので、独学でも語同士の違いを見出だす

ことができ、記憶への保持が強くなると思われる。 しかしながら、「コア」を辞書に記述することに

関しては、まだ検討の余地があると思われる。この

ことについて以下で論じていく。 4.2 「コア」の検討 4.2.1 コア と学習スタイル

コアは、語の意味の全体的・ゲシュタルト的で

あり、複数の視点を含み得るものである。そのため、

分析的なものだけでなく、絵画などを用いイメージ

的にとらえることも必要になる。イメージ的なもの

は印象に残りやすく、こういった印象的な特徴があ

ればこそ、一見異なった用例群を全体的イメージ

(=コア)として集約できると、田中(1988)で主張さ

れている。したがって、コア図式を利用する際には、

学習者自身で図式のある部分に焦点を当てたり(焦点化)や図式を回転させたりして (回転) 、具象から

抽象領域に投影したり(投影)、あるいは図式同士を

癒合したりして(図式融合)、静的な図を心の中で動

かすことでダイナミックな図式にしていき、それを

身体化することが必要になってくる。そのためには、

静止画の動態化と身体化を促すようなエクスサイズ

をしなくてはいけないと言う。エクスサイズの方法

として、田中(2004)では、動詞“run”を例にあげ、

自動詞用法を提示し他動詞用法に移行させることに

よって、“run”の持つ連続性を読み取ることができ

ると述べている。このようなエクスサイズによって、

同じ図式が様々な用法の背後にあることを示せると

いう点は、認知言語学の「図と地の分化」という人

間が持つ基本的な認知能力が活かされているもので

あると考えられる。しかしながら、学習者一人一人

が持つ学習スタイルいうものを考慮しなくてはいけ

ないだろう。語を分析的に理解しようとする学習者

もいれば、語をゲシュタルト的に理解しようとする

学習者もいるのである。これは、学習ストラテジー3に関する研究でも明らかにされていることである

が、学習者がどのようなストラテジーを用いている

のかを調査した上で指導を行なっていかないと、教

師によって導入されるストラテジーに抵抗を感じて

20

Page 22: 認知言語学的観点を生かした

しまうことがあるからである。したがって辞書に提

示されているコア及びコア図式を「語の意味範囲の

全体を捉える概念」として理解できない学習者もい

るのではないだろうか。

また、『E ゲイト』を授業の中で使用できる環境

ならば上述のエクスサイズを授業の中で行なうこと

ができるが、独学用としてこの辞書を使う場合には、

個々にエクスサイズをするということは考えがたい。

そうなると、語の持つ連続性を読み取ることができ

ず、従来の辞書と同じように意味を調べるだけの道

具として使用されることも有り得るだろう。以上の

ことから、日本語教育の場でこのような辞書を用い

る際には、学習者の学習スタイルを十分考慮に入れ

ること、また授業の中で使うにしても、学習者の独

学の場で使わせるにしても、辞書の使い方(コアの

捉え方)をエクスサイズなどによって理解させた上

で使用することが必要であると思われる。 4.2.2コア図式とプロタイプ図式

認知意味論では、多義語の扱いに関して 2 つの

アプローチが存在している。一つは『E ゲイト』

の基盤となっているコアと同様に、多義的語義は

共通的意味に到達できるはずであるという前提に

立ち、全体を包括するような共通の図式(コア図

式 ) を想定するものである。もう一つは

Lakoff(1987)などの考え方で、多義的語義は一つ

のプロトタイプ的語義から周辺的語義への拡張し

た「放射状カテゴリー」と捉え、語義間の関係は

「プロトタイプ図式」が基盤となって拡張した語

義の連鎖図式をその語義の数だけ描くことができ

るとするものである。この 2 つの考え方には抽象

度による違いがあり、コアの説明の部分で記した

通り、コア図式はプロトタイプ図式よりもさらに

抽象度の高いものであると言える。抽象度が高く

なればなるにつれて曖昧性が増すが、コア図式は

曖昧性があるがゆえに、様々な状況に応用可能に

なると捉えられている。それに対して、プロトタ

イプ図式のほうは、多義性を持つ語の意味は複雑

で多岐にわたると捉えられている点が、両者の考

え方の際立った違いだと考えられる。松田(2004)では、この 2 つの考え方のうち、コア図式のほう

を採っている。その理由として、教育的観点に立

つと複数の図式では学習者への負担が大きいこ

と・プロトタイプ図式では隣接語との意味境界の

説明がつかないことを挙げている。この松田

(2004)の指摘は的を射ていると言えるが、コア図

式だけでは、語のプロトタイプ的な意味を捉える

ことが難しいのではないだろうか。その例として、

3 章で取り上げた break を挙げてみる。break のコ

アは<損傷>と<動きを立つ/中断>という2つ

のイメージを持っているのだが、田中他(1989)によると、<損傷>が基本的なイメージであるとい

う。日本人英語学習者が break と聞けば、まず

「こわす」という訳語を思いつくだろうことから、

<損傷>が基本であるという主張は分からなくも

ない。しかし「力を加えることによって本来の形

や機能を損じる、または連続している状態を断

つ」というコアを見て、英語を学習し始めたばか

りの学習者は「損傷が基本的な意味だ」と捉える

ことができるであろうか。またこの問題は前置詞

の場合にも当てはまるであろう。over を例に挙

げると、「(弧を描くように)…覆って」とコア

が提示されているが、このコアからプロトタイプ

的な意味を引き出すことは容易なことではなく、

たくさんの用例に接しない限り、この漠然とした

意味やコアのイメージイラストに縛られたままの

状態になってしまうことも十分に考えられる。し

たがって、コア図式だけではプロトタイプ的意味

と周辺的意味を含めた意味ネットワークを形成す

るには時間を要するであろう。このことと関連し

て、我々の認知能力の一つに連想というものがあ

るが、これは、似通っているところを探す心理で

あり、メタファーやメトニミーなどを支える心理

である。この認知能力を考慮に入れると、プロト

タイプ図式が複雑なものであるといっても、我々

には意味拡張を関連付ける能力が備わっており、

意味の習得はプロトタイプ的意味の習得から始ま

るということからも、プロトタイプ的意味が何な

のかを提示しておくことも必要であると言える。

また今井(1993)で明らかにされているように、外

国語学習者の場合、語の意味拡張がなかなか習得

できないことからも、プロトタイプ的意味とその

拡張関係に関する記述が求められるだろう。上述

の指摘通り、プロトタイプ図式だけでは似た意味

を持つ語との意味境界の説明がつかないであろう

が、このことに対しては、コアとネットワークと

プロトタイプの折衷案なるものを備えることで、

この問題を解決できるのではないだろうか。 したがって、日本語学習者用の辞書を考案する

21

Page 23: 認知言語学的観点を生かした

場合、コア図式とプロトタイプ図式のそれぞれの

長所と短所を十分に検討したうえで、語の意味を

記述していくべきであろう。 4.2.3コアと辞書という形態

最後に、辞書という形態とコアの関係を考え

てみたい。コアの出発点は「辞書で定義されて

いる複数の語義の接点を探る」ことであり、こ

れは多義語の習得にとって有効な考え方であろ

う。しかしながら、ここで考えなければならな

い問題がある。それは、「外国語学習において、

辞書は語彙を習得するために使われるものなの

だろうか」という問題である。

辞書と語彙習得の関係を追究した研究では、

読解作業における意識的な辞書使用は語彙の定

着度を高めるということを実証している研究も

ある(投野 2000)。しかし、学習者が辞書の中の一

部の情報に焦点を当てすぎると、情報の特定に

失敗するというケースもあり(Summer1995)、ま

た Luppescu and Day(1993)では、辞書の使用は語

彙の学習に効果的であるものの、複数の意味を

持つ語(多義語)の理解を促進することはできな

かったという結果も提示されている。この理由

として、辞書を引くことによって認知資源が消

費されてしまうことが考えられる (吉澤 2005)。

Nation (2001)によると、外国語学習者が辞書を

引く場合、文脈から対象語の情報を得て、辞書

で対象語の見出しを見つける、そして掲載され

ている情報から適切な意味用法を特定し、それ

が文脈にどうかどうかを判断するといった複雑

なプロセスを経なければならないという。つま

り、外国語学習者が辞書を引くのは、読解の最

中に未知語に出くわし、その場でその意味を知

りたいからであり、語彙習得を第一の目的とし

て辞書を引くということはあまり多くないと考

えられるだろう。このことから、コア図式はそ

の場で意味を知りたいという学習者のニーズに

合ったものだとは言い難いと思われる。それよ

りも、少しでも認知資源を消費しにくく、語の

意味を把握できるような辞書が求められるので

はないだろうか。この問題に対処できるような

辞書として『英語語義イメージ辞典』(2002)があ

る。この辞書は、「意味の真の理解はイメージに

尽きる」という信念をもとに作成された辞書で、

訳語と用例だけでなく、原義そしてイメージ(言

葉によるもの)が記されている。break(p.56)を例に

挙げると、以下のように記されている。 原義:砕く イメージ:突然に壊す⇒破壊(粉々)・切断(ぷ

っつん)・散逸(ばらばら)が生じる/突然平静を壊す⇒突発する

またイメージの下には、似た意味を持つ語について

解説が書かれている。この辞書には『E ゲイト』の

ような句動詞に関する記述がほとんどなく、見出し

語が 3000 語しかないという欠点があるものの、コ

ア図式を動態化したり身体化したりするような複雑

なプロセスを要しない点で、辞書という形態に適し

ていると考えられる。またイメージがコアに比べ具

体的であるので、学習者自身でそのイメージを広げ

ていきやすいのではないだろうか。 しかし、本稿はコアを否定するものではない。

コアはプロトタイプやネットワークを取り入れるな

どして検討を加えることにより、学習者の語彙習得

の質的な面の向上に有効に作用するものであると考

えている。したがって、コアは辞書という形態より

も、その他の学習用教材としてその有効性を十分に

発揮できると思われる。また教師がコアを活かした

指導を行ない、学習者の語に対する発想を豊かにて

いくことも重要であろう。 5. 結論

本稿では、従来の辞書の検討及び認知意味論に依

拠した『E ゲイト英和辞典』の概観とその有効性と

限界について論じたが、今後の課題として「辞書で、

多義語を説明することは可能なのか。」という疑問

が浮かび上がった。佐竹(2000:44)で「自分の知りた

いことが辞書に記載されていて、その問題が即座に

解決されるとき、満足感が広がって「この辞書は使

いやすい」という思いが生まれる」とあるように、

即座に問題解決ができるような記述が必要であるが、

外国語学習者の場合は「辞書によって理解できた」

というような多義語の本質を捉えるための記述もあ

るに越したことはないだろう。したがって、学習者

が辞書に求めることと多義語の習得との関係につい

て様々な調査を行い、辞書に記述する内容を吟味し

ていかなくてはいけないだろう。そのひとつの方法

として、すべての学習者に使いやすさを提供する日

22

Page 24: 認知言語学的観点を生かした

本語学習辞典を考案するのではなく、特定の学習者

(たとえば、初級レベルの学習者用・ゲシュタルト

的に語を捉えることを得意とする学習者用など)を想定した辞書を考案し、それぞれの辞書に取り上げ

る情報を限定していくことが考えられる。このため

に、既存の辞書(日本語学習辞典、国語辞典)を徹底

的に分析するとともに、認知言語学的な観点をどの

ような形で取り入れていくことができるのかについ

て、今後、追究していきたい。

注 1 ここで使用した語義略記は、国広(1997)に提示されてい

たものである。

2. 田中他(1989)におけるコミュニケーション能力とは、

「異文化間でのコミュニケーションにおいて外国語を

自然にかつ適切に使って意思伝達を行う能力」である。 3. 本稿での学習ストラテジーとは、「学習者が言語を習得

するために自律的に使ういろいろな行動(ネウストプニ

ー1999:3)」を意味している。 参照文献 今井むつみ(1993)「外国語学習者の語彙学習における問題

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23

Page 25: 認知言語学的観点を生かした

みずくち りか/聖潔大学校(韓国) 日語日文学科 専任講師

[email protected]

Analysis of the dictionary which based on cognitive semantics - The validity and the limit of "E-Gate English-Japanese dictionary." -

MIZUKUCHI Rika

Abstract

This paper considers the problem of the dictionaries and discusses the validity and the limit of a study

dictionary ("E-Gate English-Japanese dictionary") which were based on cognitive semantics, taking up a dictionary as one of the teaching materials for foreign language learning. General dictionaries do not lead learners to understand the essence of a word because of being nothing but list the meanings and examples of a word. For such a problem, "E-Gate English-Japanese dictionary" takes "core-meaning" and "network" for making the essence of a word understand and tries to let learners to use words properly. However, in order to take the core-meaning in the dictionary for Japanese language learners, we must not only examine the validity and the limit of a core-meaning but also consider the relation between the form which dictionary is and concepts of the Cognitive Linguistics well. 【Keywords】 Dictionary for foreign language study, core-meaning, network, polysemy

(Department of Japanese language and Japanese literature, Sungkyul University)

24

Page 26: 認知言語学的観点を生かした

認知言語学を生かした語彙学習書 『Word Power』教材分析

白 以然

要 旨 本書は認知言語学の枠組みを使って、多義語の意味拡張に基づく語彙の提示を試みた教材である。特に上級の学習者に

も難しいとされてきた particle の含む phrasal verb をわかりやすく説明することを目標とした本である。この本には総 16個の particle が基本用法と様々な拡張用法に分けられ、図と一緒に意味別に整理されている。それで、1つの particle を使

いながらも一見関連なさそうに見える様々な言葉を1つの概念で把握できるように工夫されている。しかし、動詞と

particle でなされた phrasal verb を整理しながら、意味の分類と説明を particle のみに依存しすぎていて、全体意味の理解が

難しいところも目に付く。もっと様々な角度からの補足が求められると考える。 【キーワード】認知言語学、語彙学習、particle、phrasal verb 1. はじめに 言語を習得するということは結局、1つ1つの

語彙を一定の規則に従って述べるようになるという

ことである。言い換えれば、言葉の仕組み(文法)

を覚えると同時に、できれば多くの語彙を正確に使

えるようになることが言語習得の核とも言えるだろ

う。それにもかかわらず、今まで第2言語の習得の

研究において語彙の研究が軽視されたことも事実で

ある。語彙習得というものは体系性に欠けており、

科学的な分析よりは単純な暗記が必要な分野として

思われたからである。それで、語彙学習はもっぱら

学習者の個人的な努力と暗記に任せられてきた。 本書はこのような語彙の習得を、単に暗記する

こととは違う、論理的で体系的な作業になるように

して、学習者が語彙の意味を容易く受け入れるよう

に新しい方法を試みた教材である。特に、学習者に

難しいとされてきた英語の多義的な particle(不変

詞:over, in, down, around, back などの前置詞や副詞)を中心として整理している。ここで意味の解説とグ

ルーピングのために援用される枠組みが認知言語学

の観点を入れた分析である。 多義語の研究において認知言語学は、様々な場

面で使われる1つの言葉の用法を辞書のように羅列

するよりは、その意味間のネットワークを明らかに

しようとしている。多義には中心的でプロトタイプ

的な意味があり、それがさまざまな意味へと拡張さ

れていて、中心的な意味と拡張された意味の間には

何らかの関係がある。認知言語学では特に、このよ

うな拡張過程をその言葉を使う人間の経験と身体か

ら説明しようとしている。 また、認知言語学は語彙的要素と文法的要素を厳

密に区別しない。今まで文法的な要素として研究さ

れた前置詞なども1つの語彙として、それが使われ

る様々な意味を研究し、意味間のかかわりを探る。

実際、レイコフなどの認知言語学の先駆者たちが最

初に注目した意味要素に over などの前置詞があっ

たこともそのためである。この教材もその流れを継

いでいると思われる。すなわち、認知言語学でなさ

れた意味の多義構造の分析の成果を、第2言語習得

に応用して学習者にわかりやすい説明を提供し、語

彙の習得を手助けしようとするものである。

2. 本書の全体内容と理論的枠組み 本書は今までの英語学習でいわゆる「熟語」と

して提示されるもの-動詞+前置詞または副詞で構

成されている turn over、put out のような phrasal verb と、outline、inject など、前置詞を含む合成語

を扱っている。両方共に方向を表す言葉と動詞の2

つの言葉が1つの意味を表すようになる「熟語」で

ある。 このような合成語において問題になるのは、2

つの要素の意味を知っていても必ずしも合成された

言葉の意味を正しく推測できることではないという

点である。例えば、初級の段階から出る「give up」のような言葉を見ると、なぜ「give 」と「up」が

つながって「諦める」という意味になるか、説明が

つかない。それで、このような「熟語」の勉強は今

まで「論理的」説明とはあまり関係なく行われてき

25

Page 27: 認知言語学的観点を生かした

た。なぜそのような意味として使われるかを分析し

たり、説明したりするよりは、時間をかけて1つ1

つ覚えなければならないつらいタスクであったので

ある。そのゆえ「熟語」は上級の学習者もうまく操

ることのできない難しい項目として扱われてきた。 この本はparticleを含んだ様々な言葉に関して、無

条件的な暗記を強いるよりは、該当言葉が持つ意味

要素を、似ている項目同士をグルーピングして提示

する一方、意味間のつながりを、図を用いて説明し

ている。著者によると、このような熟語の意味にお

いて、基本的な意味に近く、推測が比較的しやすい

空間的・具体的な意味の場合はあまり問題にならな

いと言う。問題になるのは抽象的でメタファー的に

拡張された、原義から遠いところにある意味である。

(1)からわかるように同じくoutが入る言葉だとして

も、run out はそのまま理解できるが、broke outの場合、「break」と「out」のどちらにも「発生する」

という意味は入っていない。 (1)When the fire broke out, people run out of the

building. 本書はout、in、overなどのparticleをそれぞれ中心

的で具体的な移動の意味を提示した後、様々な方向

へと拡張された抽象的な意味を、似ているものを集

めて提示している。このようにその言葉の持つ多義

の構造と意味間のリンクを説明して、互いに関係な

さそうに見える意味も基本義とつながっていること

を見せる。上のbroke outの例も、一見「外への移

動」とは関係なさそうに見える「発生」の意味であ

るが、実際の移動はなかったとしても、何もなかっ

たところから何から「出た」、不在の状態から存在

の状態へ移動が前提されていることがわかる。どち

らのoutもそれがoutである以上、意味は繋がってい

ることである。 このように、意味の拡張の説明において著者は

今まで認知言語学で言及されてきた様々なメタファ

ーを挙げる。「人体と心を容器として見做す」「感情

を垂直なもので見る-up はいい感情、down は悪い

感情」などのメタファーの拡張によって様々な意味

の拡張と繋がりは説明できる。これに加えて、この

本が採用している認知言語学の概念は「ランドマー

ク」と「トラジェックター」である。移動の背景と

なる空間が「ランドマーク」、移動されるものが

「トラジェックター」であり、この2つの関係を表

現した図が、例文の先に提示される。

3. 各章の内容と問題点 本書は扱われている particle は総 16 個で、out, in,

into, up, down, off, away, on, over, back, about, (a)round, across, through, by, along がそれである。章

ごとにこれら particle を1つずつ上げて、その言葉

を含んだ phrasal verb を意味別にまとめて並べてい

る。まず、認知言語学の意味分析に基づいて、プ

ロトタイプ的で具体的な意味合いを持つグループ

を提示する。基本的で具体的な意味に続いて、

様々な拡張された意味を図と例文で提示し、最後

には言葉のみ集めたページを置いて、復習もでき

るようにしている。各意味の項目は説明と図を見

てイメージを理解した後、例文は学習者が該当の

particle と動詞を入れて自ら完成するようにして工

夫されている。 ここで、意味の分類は上述した通り、そのランド

マークとトラジェックターの性格による。in の例

を見ると、ランドマークによって6つの項目に分類

されている。1番目が具体的な容器(コンテイナ

ー)のある基本的な意味で、2番目以下は雰囲気・

時間・状況など抽象的なものがコンテイナーとされ

る拡張した意味である。 (2)She rushed in with good news. (具体的な空間がコンテイナー)

(3)We got lost in the dark. (「暗闇」という環境をコンテイナーとする)

(4)Mary fell in love with John. (感情をコンテイナーとする)

このような例を追って、意味の拡張を感じなが

ら、同じ in として表される様々な意味を受け入れ

るようになっている。しかし、必ずしも具体的な意

味がやさしくて、意味の推測がしやすいとは限らな

い。 (5)It’s already midnight, it’s high time to turn in.

(もう真夜中で、ベッドに入る時間だよ) (5)のような文は、ランドマーク、トラジェック

ター、移動が共に具体的な性質を持つプロトタイプ

の in として、もっとも基本的な意味である最初グ

ループに入っている。しかし、turn と in のどちら

を見ても正しい意味の推測は難しい。これは in が

基本的な意味だとしても、turn という動詞も多義

を持っているためである。実際、turn in 自体が多義

語で、(6)のように、コンテイナーの「状況」への

拡張にも登場する。

26

Page 28: 認知言語学的観点を生かした

(6)If you don’t want these tickets, turn them in. (このチケットが要らなかったら、払い戻しできます)

即ち、turn in という言葉を完全に理解するためには、

in だけではなく、turn の多義的な意味もわからない

といけない。本書は動詞と前置詞/副詞でなされた

phrasal verb を扱いながら、前置詞/副詞のみに頼っ

て意味の拡張を整理したので、全体的に動詞の性格

に関する顧慮が足りないところが目立つ。 繰り返されて出る多義的で基本的な put(put out,

put off, put on)のような動詞を別の章を立てて説明

するなど、動詞の説明を補足することも、particleに関する理解を深める方法ではないかと思われる。

また、簡単に触れる事にとどまっている up/down, in/out などの対立語を対照させるなど、中心に

particle を置きながらも、もっと多様な示し方をし

たらワンパタンが繰り返される形式からの退屈さも

減るし、新しい気づきもあるのではないかと思う。

4. おわりに

語彙を使用頻度の高いものと低いものに分けて

みると、頻度の低い「難しい」語彙は、その定義が

簡単で内部構造が単純な単義語の場合が多い。反面、

頻度が高く、初級の段階から導入される言葉は複雑

な構造を持っていて、様々な場面と文脈で使われる

ので、学習者としては母語話者のように語彙の使わ

れる領域をつかむことが極めて難しくなる。 この教材の particle がそのようなもので、out、on、over、up などは初級から出る言葉であるが、学習

者としてその意味と使い方を完全に把握するのは不

可能に近い至難のわざにさえ思われる。 そのような頻度の高い多義語を意味別に分類し、

その意味間のかかわりを示しながら体系的に提示し

ようとしたことは今後の語彙教材に示唆するところ

が多いと思う。しかし、「熟語」を示しながら

particle のみを手がかりとして分類して、全体的に

同じパタンが繰り返されているので単調な感じもす

る。学習者がわかりやすく意味を受け入れるために

は、まだ様々な角度からの補足が求められると考え

られる。 <参考文献>

Brygida Rudzka-Ostyn(2003) Word Power: Phrasal verbs and

compounds :A Cognitive Approach, Mouton de Gruyter,

Berlin/New York.

河上誓作(1996)『認知言語学の基礎』研究社

田中 実(1994)「語彙の習得」『第二言語習得研究に基

づく最新の英語教育』、70-88、大修館書店

松本 曜(2003)『認知意味論』、大修館書店

ベク イヨン/お茶の水女子大学大学院人間文化研究科国際日本学専攻応用日本言語論講座

[email protected]

27

Page 29: 認知言語学的観点を生かした

視点についての認知言語学的考察

森山 新

要 旨 日本語が「主観的把握型の言語(言語化に際し認識の原点を話者に置くことを基本とする言語。池上(2000)参照)」で

ある点に注目し、授受動詞や「行く・来る」の使い分け、受動態など、視点に関する学習者の様々な疑問に対し一貫性あ

る説明が可能なことを示す。

【キーワード】認知言語学、視点、授受動詞、行く・来る、受動態

1. はじめに 例えば、私という人間が、遠くに富士山を見て

いるとしよう。これを言語で表すとどうなるであろ

うか。英語なら「I see Mt. Fuji over there.」というこ

とになるであろう。しかし日本語の場合、「私はあ

そこに富士山を見る。」とはならず、「あそこに富士

山が見える。」というのが普通である。このように

両言語の表現には把握(perspective)のしかたに違

いが生じることがある。英語の表現では、富士山だ

けではなく、私自身を客観的に描写の対象に含め、

「私」という存在が、「富士山」という山を見てい

るといった表現で描き出している。言いかえれば、

私とは別のところにもう一人の私(客観的な認知主

体1)を置いて、その認知主体としてのもう一人の

私が、「私が富士山を見ている」という事態を表現

している(これを「客観的把握」と呼ぶことにす

る)。これに対し、日本語では私自身が認知主体と

なり、私の目に映ったままの情景を描写しているた

めに私自身は表現の対象から外れている(これを

「主観的把握」と呼ぶ)。これらを図1に表す。 左が英語の視点の置き方、右が日本語の視点の

置き方である。図で四角い枠は、「私が富士山を見

る」という事態を見ている認知主体のスコープ(視

界)を示している。英語の場合は、「富士山を見る

私」と別に第二の私として「認知主体の私」を設定

している。これに対し日本語の場合には、私は「私

が富士山を見る」という事態の参与者でありながら、

認知主体でもあるため、認知主体の描写の対象、表

現の対象からは半ば外れている(「私」が認知主体

の視界を表す四角の境界線上に書かれているのはそ

れを示している)。「半ば」としたのは、普通は視界

から外れるが、「私には、あそこに富士山が見え

る。」というように表現に含めることもできるから

である。

図1 客観的把握と主観的把握

このような傾向は、主語が1人称だけではなく、

3人称の場合にもあてはまる。有名な川端康成の

『雪国』の冒頭で、「国境の長いトンネルを抜ける

と雪国だった。」という川端の表現は英語の訳本で

は以下のようになっている。 The train came out of the long tunnel into the snow

country. ここでの参与者は3人称の人物であるが、日本

語で書かれた川端の表現では、3人称のその人物が

表現の対象から外れ、無主語化することで、3人称

主語の表現までも、あたかも1人称主語のように語

られている。言いかえれば3人称主語を話者(1人

称)に引き付け、感情移入を行い、あたかも1人称

の私がそこにいるかのような表現をしている。これ

に対し、英語では、客観的な視点から、3人称の人

物を含め、遠くトンネルを抜け出る汽車を描き出し

ている。 このように日本語は、主観的把握から物事を描

写する傾向が強い。日本語の場合、1人称主語は省

28

Page 30: 認知言語学的観点を生かした

略することが多いのは、私が基本的に見る主体(認

知主体)であるため、見る対象、言いかえれば、描

写・表現の対象からは外れることが多いためである。

一方の英語は客観的把握から物事を描写する傾向が

強い。英語の場合には1人称も含めて、主語を省略

しないのはこの反映であるといえる(池上 2000)。 そもそも言語とは何であろうか。自分(話し

手)が感じたことを概念化したり、思考したり、表

現したりするものであると同時に、他人に伝達した

りするための道具であろう。前者がモノローグ的な

言語の働きであるとすれば、後者はダイアローグ的

な言語の働きであると言える(池上 2000)。日本語

のように視点を話し手自ら(1人称)に置くという

のは、言語の働きのうち、前者、すなわち自分(話

し手)が感じたことを概念化したり、思考したり、

表現したりする道具としての側面が反映したものと

考えられる。これに対し、言語をコミュニケーショ

ンの道具とした場合には、1人称(話し手)ととも

にコミュニケーションの相手としての2人称(聞き

手)というものが登場し、それらを対等な立場に立

たせる必要があるが、そのためには、1人称中心の

視点でも2人称中心の視点でもない、第3の立場で

ある「客観的把握」を選択することになる。英語の

視点の置き方は、これを選択したのである。 こうした視点の置き方の違いは言語表現のいろ

いろなところに現れる。以下、「行く・来る」、授受

動詞、ヴォイス(受動態)に関してそのことを述べ

る。

2. 先行研究 「行く・来る」、授受動詞、ヴォイス(受動態)

と把握の主観性について触れたものとしては、大江

(1975)、池上(2000)などがある。

3. 具体的表現と把握のしかた

3.1 行く・来る

動詞「行く・来る」には話し手の視点が内包さ

れている。

行く:話し手(または話し手が視点を置いている場

所)から遠ざかる移動

来る:話し手(または話し手が視点を置いている場

所)に近づく移動

(1)は話し手の領域から遠ざかる移動であるため

「行く」が用いられている。

また(2)では、話し手の視点が、相手(聞き手)の

家に置かれており、そこに近づく移動であるため、

「来る」が用いられる。(3)(4)は空間的な移動では

なく、時間的な移動が問題になっている。時間的な

移動では、過去から現在への変化は、話し手に近づ

く移動であるので、「てくる」が用いられ、現在か

ら未来への変化は、話し手から遠ざかる移動である

ので、「ていく」が用いられる。もちろん、この場

合にも、視点を1年前の時点におけば、(5)のよう

に過去から現在への変化は、話し手が視点を置いて

いる時点=1年前)から遠ざかるので、「ていく」

を用いることができる。

(1)明日君の家に行ってもいい?

(2)明日君の家に、だれか来るの?

(3)最近、だんだん物忘れが激しくなってきた。

(4)これから、僕の運命はどうなっていくのだろう。

(5)1年前から、ぼくはだんだん太っていった。

次に、日本語の「行く・来る」と英語の

「go/come」の用法の違いがなぜ生じるのかを、上

の把握の主観性の観点から述べてみたい。

図2 日本語の「行く・来る」と英語の「go/come」

(a)(b)が英語、(c)(d)が日本語の場合である。

(a)(b)で左が私、右が相手を指すが、客観的把握で

は、私も相手も客体化(3人称化)され、その結果、

私と相手とは対等な参与者と見なされることから、

同じ白丸で表されている。(a)(c)は私が相手(2人

29

Page 31: 認知言語学的観点を生かした

称)のほうへ向かう動作で、(b)(d)は逆に相手(2

人称)が私のほうへ向かう動作である。日本語では

(c)は行く、(d)は来ると使い分けられるが、英語で

は(a)(b)どちらも come である。この理由は、図の

ように、客観的把握と主観的把握を区別して書いた

図で見ると一目瞭然である。英語のように客観的把

握をした場合には、私も相手も対等な参与者として

扱われ、そうなると認知主体としての第2の私から

の見えは、(a)と(b)でほとんど同じものとして把握

される。これに対し、主観的把握をした場合には、

認知主体としての私からの見えは全く逆の意味合い

を示している。同じものとして把握される英語では

同じ動詞(come)で表しても問題ないが、反対のもの

として把握される日本語では、同じ動詞では表しに

くく、反対の意味を持つ「行く・来る」で区別され

るわけである。

3.2 授受動詞 どこに視点を置いて事態をとらえるかにより、

異なった言語化がなされる言語表現がいくつかある。

日本語の場合には、上述の「行く・来る」のほか、

ヴォイス(受動態)と授受動詞などに視点が関わっ

てくる。また日本語の場合、視点の統一は談話にお

ける結束性を高めるなどの重要性も持っている。

「太郎が次郎をなぐった。」のほうが、「次郎は

太郎になぐられた。」よりも普通に用いられるのは

なぜか。「私は彼にプレゼントをもらった。」とは言

えても、「彼は私にプレゼントをもらった。」とはあ

まり言わないのはなぜか。また、この場合には「私

は彼にプレゼントをあげた。」というのが普通なの

はなぜか。ここには、視点に関してのルールがある

からである。以下、日本語の場合の視点の置き方の

ルールをまとめてみる。なお、視点が向けられる対

象は主語になるのが普通である。

<視点のルール>

① 参与者に話し手が含まれる場合には、話し手

に視点が置かれやすい。

話し手ではないが、話し手にとってウチの人物

や、話し手が心を寄せる参与者がいれば、そこに視

点が置かれやすいのも同様である。「私は彼にプレ

ゼントをもらった。」とは言えても、「彼は私にプレ

ゼントをもらった。」とは普通言わないこと、「彼は

私にプレゼントをもらった。」とは言わず、「私は彼

にプレゼントをあげた。」ということはこの原則で

説明できる。

② 被動作主より動作主のほうに視点が置かれや

すい。

一般に人間の認知は、動力連鎖の流れの順で視

点を移動する傾向があるため、動作主と被動作主と

があれば、動力連鎖の上流にある動作主に視点が置

かれやすい(Langacker 1991)。この点は英語も同

様である。能動態の「太郎が次郎をなぐった。」の

ほうが、受動態の「次郎は太郎になぐられた。」よ

りも用いられやすいのはそのためである。

③ やりもらいの事態において、客観的把握をと

るか、主観的把握をとるかは、言語により異

なる

英語は客観的把握でとらえる。図3は英語の場

合で、授受動詞を表す二重矢印(⇒)の左側の○が

話し手(1人称)である。

図3 英語の授受動詞の把握のしかた

(a)の場合には、①のルールでも話し手に視点が

向けられ、②のルールでも動作主(あげ手)に視点

が向けられるので、「話し手=あげ手」が主語にな

り give で表現される(視点(注目)が向けられて

いる○が太線になっている)。(b)の場合には、①と

②のルールに矛盾が生じるため、どちらかのルール

が優先されることになる。①のルールが優先される

と、話し手に視点が向けられ、「話し手」が主語に

なりreceiveで表現されるが、②のルールが優先さ

れると、(b’)のように、動作主(あげ手)に視点

が向けられるので「あげ手」が主語になり give で

表現される。

これに対し日本語では、図4のように主観的把

握を用いる。(a)の場合には、①のルールからも話

し手に視点が向けられ、②のルールからも動作主

(あげ手)に視点が向けられるので、「話し手=あ

げ手」が主語になりgiveで表現される。(b)の場合

には、①と②のルールに矛盾が生じるため、どちら

かのルールが優先される。①のルールが優先される

と、話し手に視点が向けられ、「話し手=もらい

30

Page 32: 認知言語学的観点を生かした

手」が主語になりreceive で表現されるが、②のル

ールが優先されると、(b’)のように、動作主(あ

げ手)に視点が向けられるので「あげ手=相手」が

主語になり give で表現される。客観的把握をとる

英語では、私と他者とは同じように客体化される結

果、私と他者との区別はなくなり、その結果、図3

の(a)と(b’)とで、「認知主体としての私」からの

見えはほぼ等しくなるので、同じ give という動詞

を共有してもよさそうである。ところが日本語の場

合には、図4で(a)と(b’)とを比べると、「認知主

体としての私」からの見えはあまりに異なっており

((a)ではモノが私から遠ざかり、(b’)ではモノが

私に近づいてくる)、同じ動詞で表すには問題があ

りそうであろう。かといって(b’)は「あげ手」を

主語としているため、「もらう」で表現することも

できない。そのため日本語では「あげる」でも「も

らう」でもない、第3の動詞「くれる」が必要にな

ったわけである。

図4 日本語の授受動詞の把握のしかた

図5 中国語の授受動詞の把握のしかた

ついでに述べると韓国語の場合は英語と同様で

あると考えられる。中国語の場合は、把握の主観性

は客観的把握で、①のルールが適用されず、②のル

ールだけが適用されるので、英語で見られた(b)の

場合がなくなり、(a)(b’)だけとなり、「認知主体

=私」からの見えも同じであるため、必要な動詞は

give(給)1つで済むことになる。

日本語、英語、韓国語、中国語の視点のルール

と授受動詞の関係を表1にまとめた。

表1 日英韓中国語の視点のルールと授受動詞の関係

日本語 英語 韓国語 中国語

視点の

主観性 主観的 客観的 客観的 客観的

ルール① ○ ○ ○ ×

ルール② ○ ○ ○ ○

動詞の

種類

あげる、も

らう、くれる

give,

receive

주다,

받다 給

さらに談話レベルで考えると、視点のルールは

もう一つ加わる。

④ 視点はできるだけ固定させ、移動させない

談話レベルの原則として重要なのは、視点は不

必要に移動させないということである。視点の固定

は談話の結束性を高める。

英語のように客観的把握型の言語では、①のル

ールはあるものの、それ以外ではすべての参与者が

対等に扱われる。このため、どの視点からながめる

かという点に関しては、話し手、または話し手が気

持ちを寄せた人物が相対的に多くなることはあって

も、それに固定されるということは少ない。

これに対し、日本語のように主観的把握型の言

語では、どの視点からながめるかという点において

は、特別な理由がない限り、話し手、または話し手

が気持ちを寄せた人物ということになり、視点が固

定される。もちろん、これは原則であり、話し手の

何らかの動機づけにより、視点は移動する可能性が

ある。例えば、犯人探しの場面において、あるAと

いう人物に注目が集中している場合などは、話し手

以上にAに視点が置かれ、そこに視点が固定される

可能性が出てくるため、「Aは私に現金をもらっ

た。」という言い方も出てくる可能性がある。

さらに授受動詞は補助動詞として行為のやりと

りを表す用法がある。用法の原則は同じであるが、

ただここで注意すべきことは、行為のやりとりでは

恩恵の授受が問題となり、この授受の方向性は、モ

ノや行為の方向性と異なることがある。(1)では、

恩恵の授受の方向性が、モノや行為の方向性と一致

(お隣さん→私)するので問題なく「~てもらう」

が用いられるが、(2)ではモノや行為の授受は「お

31

Page 33: 認知言語学的観点を生かした

隣さん→私」であるが、恩恵の授受は「私→お隣さ

ん」であるため、「~てあげる」が用いられる。(3)

は(2)と反対の場合で、モノや行為の授受は「私→

お隣さん」であるが、恩恵の授受は「お隣さん→

私」であるため、「~てもらう」が用いられる。

(1)お隣さんに犬を譲ってもらう。

(2)お隣さんから犬をもらってあげる。

(3)お隣さんに犬を受け取ってもらう。

3.3 受動態

最後にヴォイス(受動態)について、視点とい

う観点から述べてみたい。また日本語になぜ間接受

身があるのかについても論じる。

英語の能動態・受動態の場合には、図6のよう

に客観的把握がなされ、(a)のように動作主に視点

を向ければ能動態、(b)のように被動作主に向けれ

ば受動態になる。客観的把握では、参与者は同等の

存在としてほとんど区別なく用いられるため、非情

物も主語になれる。

図6 英語の能動態・受動態

これに対し、日本語の能動態・受動態では、図

7のように、私を認知主体とした主観的把握が用い

られる。そして日本語のヴォイスでは本来的に、能

動態は私が働きかける事態を表し、受動態は私に働

きかけられる事態を表す。もちろん主語は私に限ら

ず、さまざまなものが主語に来るが、いずれの場合

にも非情物が主語になりにくい。これは私の代わり

(拡張)として主語になっていることによる。

また(b)は直接受身、(c)は間接受身である((c)

は「父に死なれた。」の場合)。図7の(c)を見れば

わかるように、間接受身は、私が「父が死ぬ。」と

いう事態の被動作主ではなく、その事態から間接的

に被害を受けたという立場に置かれている(図では

破線の縦の矢印で描かれている)。間接受身は私と

は直接関わりのない事態(動力連鎖)に関する記述

であるが、それが私に何らかの影響を及ぼす場合、

「(間接的にではあるが)私に働きかけられる事

態」となり、その結果受動態となる。その場合、項

が一つ増えることになるが、その項は、原則として

影響を受けることになる私である。しかし、それに

代わる人などの有情物である場合もあるが、それは

日本語が主観的把握型の言語であることから説明で

きる。

図7 日本語の能動態・受動態

以上見てきて明らかなように、視点は、さまざ

まな言語表現に関わっている。そしてそれらの表現

に見られる英語と日本語との違いは、両者が拠って

経つ把握の主観性の違いが関わっているのである。

【付記】本論文は、『日本語教育研究』5:5-14(高麗大学

校日本語教育研究会)に掲載された。

1 視点研究では「視点人物」と言われる場合もある。

参考文献

池上嘉彦(2000)『日本語論への招待』講談社.

大江三郎(1975)『日英語の比較研究:主観性をめぐっ

て』南雲堂.

Langacker, Ronald. W. (1991) Foundations of

cognitive grammar. Vol.2. Stanford

University Press.

もりやま しん/お茶の水女子大学 国際教育センター

morishin@cc.ocha.ac.jp 32

Page 34: 認知言語学的観点を生かした

文法化の方向性に反映される談話の顕現法と談話標識

-認知類型論的観点からみた「可能」のモダリティ-

黒滝 真理子

要 旨 従来言語普遍的に文法化の一方向性仮説(unidirectionality)が存在するとされてきた。しかしながら、日本語のモダリティ

をはじめ他言語にも文法化の方向性の反例がみられるとの指摘があることから、類型論的研究を生産的に行うことによっ

て、そこに反映される個別言語の特異性を見出すことができると考えられる。そこで、本稿では、特異な文法化経路を辿

る日本語モダリティは epistemic modality をプロトタイプとした体系であるという仮説を検証した上で、日英語モダリティ

の文法化の相違が文法化の背後で認知的に動機付けられた話し手と聞き手の談話における振舞い方の差異に関連すること

を論考していく。本研究の目的は、個別の文法化現象に見られる言語変化が談話の顕現法に反映されることを考察するこ

とにある。

【キーワード】epistemic /deontic /non-epistemic modality、文法化、discourse-marker、politeness、 モノローグ/ダイアローグ

1. はじめに

文法化とは、それまで文法の一部ではなかった

形が歴史的変化の中で文法体系に組み込まれるプロ

セスのことであり、従来通時的変化の帰結と考えら

れるものに限られていた。よって、歴史的な文献資

料を豊富にもつ言語(日本語や英語など)での伝統

的研究の貢献度が高かった。しかしながら、黒滝

(2005)において、文法化は言語により異なるとする

認知類型論の具体的な可能性が示唆された。文法化

の方向性の反例と考えられる諸言語の現象を考察す

ることで、典型例はもとよりその周辺例や境界例へ

の着眼が重要になってくることが考えられる。中国

語、ヘブライ語(Livnat 2002)や韓国語(Choi 1995)にも文法化の方向性の反例がみられるとの指摘がある

ことから、類型論的研究を生産的に行うことによっ

て、そこに反映される個別言語の特異性を見出すこ

とができよう。本研究の第一の目的は、従来言語普

遍的に存在するとされてきた unidirectionality(‘一

方向性仮説’Traugott 1995)の有効性のあり方に提

言を行うことにある。 次に、個別の文法化現象に見られる言語変化が

談話の顕現法(話し手と聞き手の振舞い方)に反映

されることを考察してみたい。さらに、日本語の可

能表現としての modal-marker は、通言語的に指摘

される文法化の方向性と異なる経路をみせているこ

とから、可能表現の特異性が浮き彫りになる。また、

英語において deontic 用法の「許可」を表す can は

epistemic 用法の「可能性」よりも遅く現れ、荒

木・宇賀治(1984:422)はその出現を17世紀末とす

る。これらは文法化の一方向性仮説への反例のよう

に思われる。これらの modal-marker に共通する機

能は politeness の談話標識としての discourse-markerである。そこで、本稿では日英語のモダリティ体系

に反映される politeness 論を展開してみたい。 よって、本研究の第二の目的は、認知言語学的

観点からみた文法化理論と社会言語学観点からみた

politeness 論とのインターフェイスの可能性を探る

ことで、social cognition という新たな研究分野への

貢献を結実することにある。 2. モダリティの文法化 認知言語学的アプローチを通して文法や意味の

歴史的変化を説明するために応用された「文法化」

(Heine 1993)は、ある要素が文法構造に組み込まれ

何らかの機能領域を実現するとき、どこからどのよ

うな経路で発達してきたのかというプロセスを表す。

概して、文法化とは、内容語(content word:世界

に存在するものや事態・出来事を表す名詞や動詞な

どの語彙的意味を担うもの)から機能語(functional word:接続詞、時制、相や助動詞などの文法関係

を表すもの)へと変化する言語現象のことをいう。

The term “grammaticalization” refers to the processes whereby items become more grammatical

33

Page 35: 認知言語学的観点を生かした

through time. content item > grammatical word > clitic >

inflectional affix (Hopper and Traugott 1993:2,7)

内容語と機能語とは全く無関係に存在するので

はなく、明らかに派生関係を持っているとみなせる

例が多く観察される。例えば、機能語に属する、英

語の未来を表す will は,同時に「欲する」「望む」

の内容語としても用いられる。両者には類縁関係が

成立している。というのは、何事か行うことを意図

する場合、その行為は起こるとすれば必ず未来に起

こるからである。 この派生に関して、何を source にして文法化が

起こるかということに対し偶発性はなく、文法化の

方向性も必然的に決まっているとされる。したがっ

て、派生プロセスは Lexical item > Syntax >

Morphology (Hopper&Traugott 1993:95)へと不可逆的

に進むといわれている。通常,内容語から機能語へ、

具体的なものから抽象的なものへの一方向的性を示

し、その過程で客観的な意味から主観的意味への変

化が付随して起こる (Hopper and Traugott 1993)。その文法化が進む過程で、統語上の独立性や語彙的

意味の消失、さらには音声的摩擦などを通常伴う。 この「一方向性仮説(unidirectionality)」といわれ

る文法化プロセスの制約によると、①具体的意味>

抽象的(スキーマ的) 意味、②語彙的内容>文法的

内容 、③命題的機能>談話機能、客観的意味>主

観的意味、④動作の主体(統語的主語) >話し手、

⑤開いたクラス(動詞や名詞)>閉じたクラス(助詞

や助動詞)、⑥文法内の位置において相互作用なし

>相互作用あり1といった方向性で、文法化の度合

いは高くなる。これらの規則を英語モダリティに適

用させると、 deontic modality 2 から epistemic modalityの方向へと文法化が進んでいることが窺え

る(Bybee 1985:166)。英語の場合、通時的にみても、

epistemic modalityがdeontic modalityから派生したこ

とは明白である(Traugott 1989)。

具体的に、モダリティに伴う言語現象に触れつ

つ、文法化のメカニズムを考察してみよう。 ⒜意味の漂白化(semantic bleaching):本来の実質

意味が弱まり抽象化していく。同時に、修飾語

や項の選択制限も弱体化する。Bybee et

al.(1994)は漂白化を文法化の必須条件とみなし

ている。例えば、日本語の動詞につくテ形式

(「Vもいい」、「Vテはいけない」や speech act的に依頼を表す「Vテください」など)の場合、

複合動詞>補助動詞>助動詞へと確立していく

変化パターンがみられる。これも具体的意味が

希薄になる点から漂白化と呼べよう。意味が抽

象的になると同時に新たな文法機能が獲得され

る一つの現れとみなさる。 ⒝脱範疇化(decategorization):元来備わっていた

屈折(活用)の形態的特徴や統語的制約が薄

れ、本来の品詞から逸脱していく。それと共

に、語形が短縮されたり、前後の語と融合し

音韻的に弱まる。

⒞多層化(layering):ある機能を表す領域で、新

しい層(layer)である新たな要素が既存の要素

(古い層)の他に付け加わっても、既存の要

素は廃用にならずに、新しい要素と相互に共

存して残存する(Hopper&Traugott, 1993:125)。文法化の進む過程に随伴する多義的様相が共

時的に現れるのは、このメカニズムに依るも

のと考えられる。但し、往々にして新しい層

が優勢になり,新しい意味が広がることで、

やがてそれが取って代わることになる。未来

を表す用法にwill, be going to3, shall4, be –ing, be toなど複数共存するのはその例である。日本

語モダリティにはこの多層化(重層化)が生じ

なかった。その為職能分化というような現象

が現れ、モダリティが体系化されていったと

考えられる。

⒟保持化(persistence):ある形式が語彙的機能か

ら文法的機能を担うようになる際、その文法

的機能と矛盾しない限りにおいて、元来の語

彙的意味の痕跡が残存し、その形式の分布に

ある種の文法的制約を課す。例えば、will, be going toにおける未来用法の相違は元来の語彙

的意味5の相違に起因する(Bybee and Pagliuca 1985:74-5)。

⒞と⒟の原理から、ある文法機能を担う語が複

数存在する場合、根源となる語彙的意味の相違によ

って異なる分布の制約が課され共存するというよう

な事態が起こり得ることが予測される。さらに、文

法化の道筋の違いをはじめとする日英語の体系的な

34

Page 36: 認知言語学的観点を生かした

相違点に説明的妥当性を与えるのが多層化現象であ

る。即ち、英語モダリティの文法化には「多層化」

(Hopper and Traugott 1993)が生じ、それにより多義

性がもたらされる。一方、日本語モダリティの場合、

多層化現象は生じにくく非多義性が認められると考

えられる(黒滝 2005)。

3. 文法化における一方向性への反例 秋元(2005:12-13)によれば、一方向性に関して

次のような疑問点があげられている (Newmeyer 19986, Campbell 2001, Lass 1990)という。

A. 語が文法的要素に文法化するのであれ

ば、必ず元の語はなければならないは

ずだが、実際元の語にたどれない文法

的要素も存在するのではないか。

B. 文法化と呼ばれる現象はなく、他の変

化(例えば、再分析)として説明でき

るものに対して与えられた名称にすぎ

ないのではないか。

C. 反例として、脱文法化、語彙化、外適

応が考えられるのではないか。

この Newmeyer の批判に答える形で Hopper and Traugott (2003:130-138)は一方向性を擁護している

と秋元(2005:12)は示唆する。但し、Hopper and Traugott (2003:209-216)は、parataxis>hypotaxis>subordination の よ う な 一 方 向 性 に 対 し て 、

‘although’の‘however’に類する使い方を反例と

して認めている (秋元 2005:13)という。また、東

泉(2006)では英語の‘ because’及び日本語の

‘kara’の発達を一方向性への反例とみなし論じら

れている。

黒滝(2005)には、日本語のモダリティにおい

て多層化現象が生じにくく非多義性が認められると

いう考察がある。即ち、非多義性と意味の漂白化・

多層化の言語現象が確認されにくい特性が挙げられ

ている。よって、epistemic modalityがプロトタイプ

であり、そこからnon-epistemic用法7へと意味拡張

していくとする考察結果が得られている。

以下、文法化の方向性の反例と考えられる諸言

語の現象をみてみよう。

渋谷(2005:43-44)の論考を一部取り上げると、

「日本語の可能表現をめぐる文法化の実態を取り上

げて、その変化のあり方を総覧すると次のようにな

る。(a)日本語の可能形式の起源となった形式には、

完遂形式と自発形式がある。いずれも世界の言語の

可能形式と共通する点ではあるが、自発形式の種類

が多様である点に日本語の特徴がある。(b)日本語

可能表現の内部では状況>能力>心情といった変化

の方向が観察される。このことは日本語の可能形式

が動作主体の外部に行為実現の条件を認める自発形

式を起源とすることと関連するかもしれない。」と

ある。ここでの日本語可能表現の「状況>能力」と

いった意味変化の方向性からも、日本語モダリティ

の文法化の場合、英語のような時代の流れに沿った

通時的な経路(deontic modality>epistemic modality)は描けないことが窺えよう。

原田(1999)は、「なければならない」と「にちが

いない」に関して、英語の must にみられるような

deontic modality から epistemic modality への派生関

係はないことに論及する。

高橋&新里(2005)は、タイ語の出現動詞 dây がど

のような文法化経路を辿って可能モーダル形式へと

発展していったかを通時的調査によって論証してい

る。それによると、可能モーダルへの意味変化の方

向性は「状況可能>能力可能」であることが主張さ

れている。これは、epistemic possibility から non-epistemic 用法への意味変化を表すといえよう。

Livnat(2002)によると、聖書のヘブライ語 ǜlay

という法副詞には、 perhaps を表す epistemic possibility から、suggestive を表す speech act 的な

non-epistemic 用法への意味変化がみられるという。

王(2005)では、「推量」「意志」「依頼」「確率」

と多義的に解釈されることの多い陳述副詞「きっ

と」に関して、認知言語学的観点から「きっと」の

多義的用法の意味構造を探っている。そこでは、

「きっと」のスキーマとして「事柄が成立すること

への話し手の強い思い」が抽出され、推量用法をプ

ロトタイプとし、「意志」「依頼」「確率」用法は

「推量」が拡張した結果の非プロトタイプであると

いう考察結果が得られている。この結果から、

epistemic から non-epistemic 用法への派生関係が考

えられよう。法副詞は副詞として捉えると一見して

多義のように思われるが、それは補文の結びとの共

起関係にあり結びの多様性ゆえそれにひきつられる

ように多義的に見えるだけであって、実は単義とい

えるのではないだろうか。

35

Page 37: 認知言語学的観点を生かした

さらに、Choi(1995)は韓国語母語話者の子供の

L1習得に関して調べ、「epistemic modality は早

い時期に現れ、その習得は非公式の日常会話におい

て促進される。形式ばった口語や文語では習得しづ

らい。そこには話し手の既知情報と新情報の同化度

が関わっている。」と考察している。日本語同様、

韓国語も deontic から epistemic への派生関係はなく、

両者は別個のものである。したがって、epistemic modality の方が早く習得されることも当然のことと

してあり得よう。

玉地(2006)では、習得の観点からであるが、「中

国語母語話者の日本語習得の調査において、中級者

では「べきだ」(deontic modality)が正解の時も「は

ずだ」(epistemic modality)を選んでいる。これは、

中間言語の発達であり、その原因として古代語「べ

し」が「はずだ」と「べきだ」に分化し、epistemic modality の出現の方が deontic modality よりも早か

ったという影響があるのではないか。」といった中

間言語における発達過程を文法化経路とパラレルに

考えている。また、玉地(2006)はその習得結果をき

っかけに中国語のモーダルマーカー「应该 yī ng

gā i」、「要 yào」の文法化を考察した結果、「要

yào」においては epistemic 用法と deontic 用法が分化

していて、epistemic と non-epistemic 用法との間に

派生関係はないと主張する。

4. 日本語モダリティの文法化 前節では、文法化の一方向性への反例と思われ

る諸言語のモダリティ現象について触れた。次に、

個別の文法化現象に見られる言語変化が談話の顕現

法(話し手と聞き手の振舞い方)に反映されること

を考察してみよう。具体的には、特異な文法化経路

を辿る日本語モダリティは epistemic modality をプ

ロトタイプとした体系であるという仮説を検証する。

その上で、日英語モダリティの文法化の相違は、文

法化の背後で認知的に動機付けられた話し手と聞き

手の談話における振舞い方の差異に関連することを

論考していく。ここでは、とりわけ「可能」を表す

モダリティに焦点をあてて論じることにする。

現 代 日 本 語 に は deontic modality と epistemic modalityとで異なる類型が存在し、両者間に意味拡

張や多義性といった関連性は少ない。現代日本語の

epistemic modalityとしては、推量の「ウ/ヨウ」と

蓋然性の「カモシレナイ」・「ニチガイナイ」が挙げ

られる。それらを通時的にみると、中古語のモダリ

ティ(ベシ,ム,マシ)には、以下に示すように、

多義性があり、一文法形式にdeonticとepistemicの両

義があった8。即ち、「ベシ」が推量や義務、「ム」

が推量や意志というように、deontic modalityとepistemic modalityの両義を併存させていたのである。

ところが、現代日本語になると、これらの中古語モ

ダリティ体系は受け継がれず、かなりが消失してい

った。結局のところ、deonticとepistemic のモダ

リティが異なる形式(スルコトガデキル、シナケレ

バナラナイ、スルニチガイナイ、スルツモリデアル、

ダロウ)へと分化していったのである。よって、古

くはファジーであったものがすみ分けられてきたと

いえよう。また、少なくとも平安末期以降に意志を

表す用例が増加している点から、deontic>epistemicといった文法化の方向性を確証することは甚だ困難

であると考えられる。

ここで、日本語モダリティも英語モダリティと

同様多義性を担っているかを確認するために、中古

語の「ム」の変遷過程を辿ってみよう。speaker-oriented用法(話し手の意志を表しepistemicの一種)、

agent-oriented(deontic) 用法(意図)とepistemic 用法

(推量)という多義性を兼ね備えていたことが窺え

る。その中核的意味は非現実性9に対する話し手の

推量であると考えられる。そして、素材的に「やが

ては実現することが予想される単なる未来の事態」

に用いられることが多い点からepistemic用法が優勢

であるといえよう。3 用法あった「ム」は、現代初

期になってspeaker-oriented用法とepistemic 用法の 2

用法になる。さらに、現代日本語では、「アラム」10の代用として「ダロウ」が現れ、それはspeaker-oriented用法(epistemicの一種)だけしか機能しな

くなっていく。即ち、新たな要素(「ダロウ」)が加

わることによって、既存の要素(「ウ/ヨウ」)は残

っていたとしても、使用頻度も低く、その意味で残

存しにくくなる傾向にある。この言語事象から、日

本語モダリティにおいては、文法化のメカニズム内

の「多層化」現象(Hopper&Traugott 1993:125)が生じ

にくく、非多義的であると考えられる。また、中古

語(平安時代 9 世紀~12 世紀頃の言葉)には

epistemic の用例が多く、推量の助動詞として多様

な形式を発達したという点ではepistemic がプロト

タイプといえよう。

さらに、意味変化の過程で、文末用法の弱化に

36

Page 38: 認知言語学的観点を生かした

よる擬似モダリティ化が起こる。消滅していく部分

を相互に補完するかのように現代語では「カモシレ

ナイ、ニチガイナイ」といった複合文末形式が登場

する。これは、おそらく室町時代~江戸時代初期に

かけてであろうと推測される。この時点で、一形式

における epistemic と deontic の多義性は解消され、

non-epistemic 用法(テモイイ、ナケレバナラナイ)

を生じることで役割分担が成立する。このような複

合文末形式出現の萌芽も、多義性解消による分極化

に付随した一つの現象と考えられる。

次に、可能表現にみられる文法化の諸相をみて

みよう。可能文に働いている意味素性も「可能性」

にあり、「当該事態が潜在的に存在する可能性があ

る」というプロトタイプの「潜在的可能性」と、あ

る事態成立が動作主にとって必要な状況で自己制御

性の関与によりもたらされる非プロトタイプの「意

志的実現の可能」の意味とがある。「潜在的な事態

成立の可能性」が「実際に実現させる意向を示す実

現可能」へと連続的移行をなしたと考えられる。但

し、「可能性」は命題全体の事態レベルであるのに

対し、「可能」は命題の中の述語レベルに関わるも

のである。ここで、池上(1982)の<コト/モノ>的観

点11から両者の対立する言語現象を捉えてみると、

述語レベルは<モノ>的、事態レベルは<コト>的とい

えよう。上述で、日本語においては、後者の<コト>

的な事態レベルの傾きが強いことが確認された。こ

のことが、「日本語モダリティにおいてはepistemic 用法がプロトタイプである(黒滝:2005)」という

考究と深く関わることは言うまでもない。

これらの考察の傍証となる示唆が 3 節であげた

渋谷(2005:43-44)の論考にある。渋谷(2005)も、可

能を表す日本語モダリティの「状況(epistemic 用法)」>「能力(non-epistemic用法)」といった、文

法化の方向性を示している。また、渋谷(2005)の指

摘する自発形式とは、まさに池上(1999)のいういわ

ゆる「〈なる〉的言語(BECOME language、BE言語)」12や「自発(物事が『自ずから然る』ように表

現しようとする傾向、動作主の働きを消去するこ

と)」(池上、1999:85)と相通ずるように思われる。

さらに、池上(1999:92)には「日本語の「デキル」

は〈出来(しゅったい)する〉つまり〈(あること

が)成る〉という〈自発〉を連想させる意味の表現

に由来している」13といった指摘がある。

ここで、日本語モダリティの特異な文法化の方

向性をまとめておこう。日本語モダリティは通時的

派生から生じる多義性とは捉え難く、一形式が一用

法を担っている。「推量」、「意志」や「勧誘」の3用

法は「(事態成立の可能性がある)推量」から、また

「可能」は「可能性」からというように、語彙に元来

備わっている単元的な epistemic 概念に基づき、文

脈により語用論的に多様な解釈を顕現化し得る。語

用論的意味拡張がみられるという点では、一種の共

時的文法化と考えられよう。この場合の「文法化」

の経路は一方向にはなく、例えば「推量」から「意

志」、「推量」から「勧誘」というように epistemic 用

法をプロトタイプとし多方向に派生していく。即ち

共時的に放射状に連鎖していき、その際類似性が確

認される。その類似性のみられるカテゴリー間で、

典型的なプロトタイプのものと周辺的な非プロトタ

イプのものがある。

5. 文法化の方向性に反映される談話の顕現法の

差異 それでは、なぜ日本語モダリティにおいては、

non-epistemic 用法(テモイイ、ナケレバナラナイ)

のような複合的な表現が近世になって多様化されて

いったのであろうか。そこには「話し手と聞き手と

の interaction」という概念が関わっていると考えら

れる。おそらく時代の変遷と共に、遂行の必然性と

可能性を話し手の視点のみで捉えるような話し手側

からの一方通行表現だけでは通用しなくなったので

あろう。そして、やがて話し手の聞き手との対人関

係を重視する姿勢が多くみられるようになるにつれ、

聞き手との相互関係の維持・構築からといった視点

を含む必要性というものも口語体の発達と共に現れ

たと思われる。さらに、心理的かつ社会的・構造的

要因によって複合文末形式の普及が尚一層促進され

ていったのであろう。

ここで、小野(2005)の「情報構造と人間の精神

活動」に関する指摘を挙げておこう。小野(2005:

1-2)は「形態的に埋め込み節をとる動詞には、対人

的、対社会的な働きかけを持つ動詞と、精神活動を

表す動詞があると言える。対人的な働きかけと、精

神活動という区別は、日本語モダリティ研究の、聞

き手目当てと、事態目当てという考え方に通じるも

のである」と記述している。即ち、聞き手目当てと

いう伝達レベル言語活動と、事態目当てという認識

レベル精神活動の2つの機能があると考えている。

37

Page 39: 認知言語学的観点を生かした

この捉え方をモダリティの 2 分法(deontic/epistemic)に援用すると、聞き手目当てで対人的働

きかけをする伝達レベルが deontic modality、事態目

当てで精神活動に関わる認識レベルが epistemic modality に相当するといえよう。前述したように、

事態レベルは<コト>的で epistemic modality に関わ

るものである。

さらに、池上(2000:253)には次のような指摘があ

る:「〈聞き手にとって復元可能〉というのは、話し

手と聞き手がいて、その間で〈ダイアローグ〉

(dialogue)、つまり〈対話〉が進められるような場

合に典型的に前提として働く原則である。これに対

し、〈話し手にとって復元可能〉というのは、いわ

ば〈モノローグ〉(monologue)、つまり、話し手だ

けの〈独白〉の場合に働く原則と考えることが出来

る」。上述の小野説と池上説を融合させると、聞き

手目当てで対人的働きかけをする伝達レベルの

deontic modality は〈ダイアローグ〉的談話で、事態

目当てで精神活動に関わる認識レベルの epistemic modality は〈モノローグ〉的談話で顕現化されやす

いといえよう。

以上を踏まえ、さらに前述した文法化の方向性

と複合させて考察すると以下のようになる。

英語モダリティの文法化経路[deontic modality>epistemic modality]から概観するに、英語の談話は

対人的な〈ダイアローグ〉から発達し、〈モノロー

グ〉的な認識モードというのは後になって生じたも

のと考えられる。一方、日本語モダリティの文法化

経路[epistemic modality>non-epistemic modality]から推察されることは、日本語を言語化する際には、

まず話し手自身で construe する〈モノローグ〉的な

認識モード が強く、対人機能を配慮した〈ダイア

ローグ〉は後に発達するものであるということであ

る。それと共に、対人機能的な終助詞も発達してき

たのであろう。池上(2000:253)にも「日本語の談

話には、本来〈モノローグ〉を特徴づけるはずの原

則に基づくと思われる振舞いが多かれ少なかれ入り

込む傾向があり、しかもそれがかなり許容されうる

ということである」と記述されている。

6. 丁寧さ(politeness)を表す discourse-marker と

してのmodal-marker :canと「できる」

4 節で日本語モダリティの non-epistemic 用法を表

す「能力」も遅くなって発達したことに論及した。

その際、 英語 can の許可と日本語の能力を表す可

能表現「できる」の modal-marker とは、共に発達経

路の後期段階に現れることについて触れた。英語と

日本語の modal-marker の文法化経路が一致してい

ないことに関しては黒滝(2005)で論考してある。そ

れでは、なぜ、deontic modality にカテゴリー化され

る英語 can の許可と non-epistemic 用法の日本語「で

きる」の可能表現においては、意味変化が起こる上

で同じ経路を辿っているのであろうか。

柏本(1983)は、可能表現を含む英語の deontic modality に関して、「命題を離れて、その事態を支

配する談話の聴者もしくは話者を指向する」(柏本

1983:17)と述べ、とりわけ deontic modality で表す

談話行為的な機能を deontic modality の本質的性格

と考えている。

例えば、許可を表す deontic modality の can は依

頼表現に使われる疑問文などで、丁寧さ(politeness)を示す discourse-marker として認識される(例

(1))。

(1)Can I help you? (手伝いましょうか。)

Can I carry your bag? (かばんをお持ちしましょうか。)

英語のみならず、日本語の可能表現も、統語構造

こそ異なるが、丁寧さの機能を担っていることを、

ここで指摘しておきたい。例えば、「~できます

か」に丁寧さを付加すると「~できましょうか」、

さらにはより文法化の度合いを高くすると授受表現

の「~していただけますか」のようになる。このよ

うに、日本語でも丁寧な依頼表現には可能形が使わ

れていると考えられる。したがって、日本語の可能

表現も、丁寧さ(politeness)の discourse-marker とし

て機能しているといえよう。

discourse-marker は、話し手と聞き手のインター

アクションを調整するための表現として機能する。

まさに、社会的・対人的領域を意味構造に反映させ

ているのである。これは、おそらく時代の変遷と共

に発達し、話し手の視点のみで捉えるような話し手

側からの一方通行表現だけでは通用しなくなってい

ったからであろう。前述したように、やがて話し手

の聞き手との対人関係を重視する姿勢が多くみられ

るようになるにつれ、聞き手との相互関係を維持・

構築するといった視点を含む必要性も口語体の発達

38

Page 40: 認知言語学的観点を生かした

と共に現れたものと考えられる。かくして、心理的

かつ社会的・構造的要因によって丁寧さを表す

discourse-marker の普及が尚一層促進されていった

と思われる。そのようなプロセスを考慮に入れると、

英語 can の許可や日本語の能力を表す可能表現「で

きる」のような discourse-marker は発達経路の後期段

階に現れたことも自ずと理解できよう。

7. 文法化にみられる modal-marker と discourse-

markerの相関関係

4節でも述べたように、日本語モダリティにお

いては epistemic modality がプロトタイプである。

また、epistemic modality は話し手指向(speaker-oriented)である。したがって、日本語の認知スキ

ーマにおいては2人称の聞き手よりも1人称の話し

手の方が上位にあると考えられる。また、日本語モ

ダリティにおいて、プロトタイプの「推量」や「可能

性」などの epistemic modality が語用論的論拠に基

づいて多様に様変わりし、非プロトタイプの「意志」、

「能力」、「勧誘」や「許可」といった non-epistemic 用

法を派生していく。まさに、この意味変化は通時的

文法化ではなく共時的文法化といえよう。即ち、日

本語モダリティは通時的派生から生じる多義性とは

捉え難く、一形式が一用法を担う「単義性」の様相

をなしているのである(黒滝 2005)。そこで、本節

では、この「単義性」という日本語モダリティの体

系が日本語の敬語の使用行動と深く関わっているこ

とを考察してみよう。

Politeness を簡潔に定義すると「円滑な人間関係

を確立・維持するための言語ストラテジー」

(Brown & Levinson 1987)、あるいは「相手や自分の

フェイスを立てたり、守ったりするような言語スト

ラテジー」となる。この広義の politeness の捉え方

には、日本語のような敬語を有する言語の丁寧表現

や敬語使用も含まれると考えられている。しかしな

がら、厳密に言うと、日本語の敬語と politeness と

は概念的にも異なるものなのである。

即ち、敬語とは、会話の参与者間の、もしくは

参与者とその言及される事物/人との間の相対的な

社会的地位が直接コード化されたものであり、話し

手・聞き手・同席者・話題の人物相互間の、上下関

係およびウチ・ソトの関係によって形式が決定され

る。したがって、敬語がタテ配慮表現とすると、

politeness はヨコ配慮表現といえる。

敬語使用は、日本社会の判断によって動かされ

るものであって、個人の判断で決められる規範では

ない。また、社会的地位や年齢によって、ひとたび

使用コードが決められると替える必要もなく、話し

手にとっては楽なものであり、一方聞き手自身の理

解の多様性に解釈が委ねられる。巷ではファースト

フード店の個々の状況に対応していないマニュアル

応対が問題視されているが、これも日本語の「マニ

ュアル敬語」の影響のように思われる。これらのこ

とから、敬語においては単義的傾向がみられるとい

えよう。まさに、日本語モダリティ体系の単義性を

反映していることが窺える。

一方、英語のような敬語体系を持たない言語で

は、politeness 表現が複雑多岐にわたっている。い

わゆる日本語の敬語のような常套語がないので、

個々に考え、その場その場に応じて specific な

politeness 表現を使用する。その意味では多義的で

あるといえよう。また、個別に考える分相手をより

意識し配慮する言語行動となり、その点からも、英

語の認知スキーマにおいては1人称の話し手よりも

2人称の聞き手の方が上位にあると考えられる。こ

の認知言語学的解釈は、5 節で述べた「英語の談話

は対人機能を配慮した〈ダイアローグ〉の発達が際

立っている」という仮説と深く関わってくるものと

思われる。要するに、politeness 表現の多義性は、

英語モダリティの多義性に要因があるといえよう。

即ち、英語モダリティが多義的であるがゆえに、

politeness 表現も多義性を担っていると考えられる。

8. おわりに 本稿で得られた考察をまとめると、以下のよう

になる。

英語モダリティは通言語的な文法化経路を辿り、

[deontic modality>epistemic modality]のようになる。

deontic modality をプロトタイプとすることから、英

語の談話は対人的な〈ダイアローグ〉から〈モノロ

ーグ〉的な認識モードへと発達していくものと考え

られる。一方、日本語モダリティの文法化経路は

[epistemic modality>non-epistemic modality]である。

この日本語モダリティの文法化には多層化現象が確

認されにくく、非多義的である。このような特異な

文法化経路から、日本人の認知メカニズムは

epistemic の意味概念をプロトタイプとして捉える

ことが示唆された。そして、日本語を言語化する際

39

Page 41: 認知言語学的観点を生かした

には、まず話し手自身で construe する〈モノロー

グ〉的な認識モード が強く、対人機能を配慮した

〈ダイアローグ〉は後に発達するものであることを

指摘した。

また、本来、英語と日本語の modal-marker の文

法化経路は一致していないはずなのに、許可を表す

英語の can や能力を表す日本語の可能表現「できる」

の modal-marker は、共に発達経路の後期段階に現

れる。この言語現象から、本稿では、deontic modality にカテゴリー化される can の許可と可能表

現「できる」が、なぜ意味変化においては同じような

経路を辿っているのかを解明した。

さらに、許可を表す英語の can や能力を表す日本

語の「できる」といった modal-marker は discourse-marker であり、それらの文法化経路から観察され

る諸相から politeness 論に新たな見解を提示した。

即ち、単義性という日本語モダリティの体系が日本

語の敬語の使用行動に、多義性という英語モダリテ

ィの体系が politeness 表現に反映され、両者は相関

関係にあることについて論証した。

文法化という現象が「言語変化」を捉えている

以上、今後は、典型例はもとより周辺例や境界例

を探究することが益々重要になってくるであろう。

また、文法化の後期段階に観察される「相互主観化

(intersubjective)」(Traugott and Dasher 2002:40)をさ

らに探究していくことが重要であるように思われる。

そ の 意 味 で は 、 研 究 分 野 も 「 文 法 化

(Grammaticalization) 」 か ら 「 語 用 化

(Pragmaticalization)」へと進化することで、social cognition へと展開されていくことが期待されよう。

注 1. 「相互作用なし」とは、日本語で複数を表すとき名詞

に「達」を付けても動詞は変化しない。一方、英語の

場合は、名詞も動詞も複数標示が成されるので「相互作

用あり」といえる。 2. 主語指向で義務/許可を表す言語表現を deontic

modality、話者指向で可能性/必然性を表す言語表現を

epistemic modality と呼ぶ。

3. will と be going to の未来用法の語用論的相違は元来の語

彙的相違(will:「意志」、be going to:「予測」)に起因

する。

4. 現代英語において、shall で表す未来用法は稀である。

5. shall の元来の意味は「義務」、will は「希望、意志」、 12. 〈なる〉的言語とは、表現される事態を全体として捉

え、そこに動作主として人間が関与していてもなるべ

くそれを際立たせず描かない傾向のある言語である。

be going to は「予測」である。 6. Newmeyer(1998:263-275)の一方向性に対する反例の具体

例とそれに対する批判に関しては秋元(2002:9-10)を参照。

7. 日本語においては deontic modality は実質的には存在せ

ず、deontic modality のように思われてきた用法は実は

epistemic modality の非プロトタイプであるとする立場

(黒滝 2005)から、non-epistemic 用法という用語を使

うことにしたい。 8. 山口(1991)によると、その昔即ち古代語においては現実

密着型だったために推量辞の形態は も多様だったと

いう。それは、事態の現実的なあり様に含まれる時制

的側面や反実性などの区別を推量辞の働きに持ち込ん

でいたためと説明されている。 9. 高山(2002:229-239)は、「ム」と「マシ」の意味的対立

を考究した結果次のように論じている。それは、「ムと

マシは語源的のみならず、推量以外に希望(意志)の働き

を担うという点でも共通性がある。しかし、マシは事

態の〈非現実〉面だけに関与し、ムは〈現実〉〈非現

実〉の両面に関与するといった差異も確認される」と

いった興味深い考察である。但し、高山の述べる「ム」

の〈現実〉は、意志という非事実的なものに対して

「マシ」よりもより現実的な意味領域を表す。 10. 高山(2002:207)には「ときに、現代語ダロウを中古語

ムと対応させる安易な説明を目にするが、現代語ダロ

ウと対応するのは、ムではなくアラムなのである」と

いう記述がある。 11. 池上(1982:93)では、〈モノ〉志向的な言語と〈コト〉

志向的な言語という類型的な対立が論じられている。

ここで、この卓越した理論の枠組みを援用すると、「個

体」とは〈モノ〉的であり、「場」とは〈コト〉的とい

うことになろう。さらに、この対立を日英語モダリテ

ィに当てはめると次のようになる。日本語の epistemic modality の表現形式である「カモシレナイ」「(デア

ル)ニチガイナイ」などは、本質的には元来〈コト〉

という〈場・事態〉についての把握を表している。例

えば、「トムはそこへ行く」〈コト〉が「カモシレナ

イ」のであって、「トム」自身が「カモシレナイ」ので

はない。一方、英語のように〈モノ〉志向的な言語で

は、本来ならば〈コト〉志向的に表現されて然るべき

epistemic modality が、人間という〈モノ〉の典型を主語

として選択する法助動詞(may, must etc.)によって表示さ

れる。例えば「トムはそこへ行くかもしれない」に対

して、“Tom may go there.”“It is possible that Tom will go there.”の2通りの表現がある。後者の that 節を伴う表

現はまさに〈コト〉的といえよう。しかしながら、英

語では、この〈コト〉的表現よりも法助動詞を使った<モノ>的な表現の方が好まれる傾向にある。これは、法

助動詞が元来人間という〈モノ〉的な項を主語として

とった本動詞から発達し文法化してきたものだからと

考えられる。例えば、can(~のやり方を知っている)、

may(~する能力を有している)。無論、英語のモダリ

ティ表現では人間以外の項が主語になり得る。

40

Page 42: 認知言語学的観点を生かした

一方、英語のように、事態に関与し動作主として行動

する人間に認識上の重点を置き、それをとりわけ際立

たせるような表現形式をとる傾向のある言語を「〈す

る〉的言語(DO language、HAVE 言語)」と呼ぶ。この

動作主性による差異は認知言語学的な類型論における

対立して捉えられ、その対立の中に、幅広い日英語の

差異(例えば、使役動詞対状態変化動詞の対立や名詞の

数の違い等)が収斂されている。 13. 日本語モダリティは本来〈コト〉と関わる表現である

のに対し、英語モダリティは〈人間⇒モノ〉を主語と

する本動詞の文法化によって生じた。例えば、〈可能〉

を表す英語の法助動詞は、元来人間の力(~する力を有

する)や知識(~する仕方を知っている)を意味する本

動詞から派生した。よって、日本語と英語はかなり対

照的であるといえよう。 参照文献 秋元実治(2002) 『文法化とイディオム化』ひつじ書房 秋元実治(2005)『文法化-新たな展開-』英潮社 荒木一雄・宇賀治正朋 (1984) 『英語史ⅢA』大修館書店

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する一考察-「应该 yīng gāi」と「要 yào」の例-」

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Page 43: 認知言語学的観点を生かした

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くろたき まりこ/日本大学法学部

[email protected]

42

Page 44: 認知言語学的観点を生かした

日本語「の」の意味構造について

―Langacker の of の研究を参考に―

李 惠淑

要 旨 本稿で紹介する論文はラネカーが認知言語学的観点に基づき、従来意味のない形態素として見なされてきた「of」の意

味について述べたものである。前半には「on」、「to」と比較することで「of」の有意味性を立証し、また、「of」のプロト

タイプ的意味とスキーマ的意味を定義している。後半には名詞化した動詞が「of」を用いて意味上の主語か目的語、ある

いは、両方を随伴する際、作用する統語的な制約とその制約に反映される「of」の意味について述べている。本稿では、

ラネカーの「of」の意味分析から日本語教育への応用可能性を探る。 【キーワード】ノ、of、プロトタイプ、スキーマ、統語的制約 1. 「of」の有意味性 従来「of」は統語的なルールによって操作される

意味のない形態素であるという生成文法理論の考え

方が支配的であった。しかし、最近ラネカーにより

認知言語学という新しい視点を取り入れた「of」の

意味分析(Langacker2000)が行われるようになっ

た。 ラネカーは「すべての言語形式には意味があ

る」という認知言語学の前提から、統語的に「of」と類似している前置詞「on」、「to」との比較分析を

行うことによって「of」の有意味性を立証している。

例 1)から例 3)はラネカーが挙げている用例であ

る。 例 1)the bottom of the jar 例 2)the label on the jar 例 3)the lid to the jar ラネカーは二つの存在物に成立する関係を「内在

的関係」(intrinsic relationship)と「外在的関係」

(extrinsic relationship)に分類している。その中で

「of」の意味は例 1)のような先行名詞が後続名詞

の一部である関係を含め、「二つの存在物における

内在的な関係を表す」ことであると述べている。従

って、例 2)と例 3)のような密接な関係ではある

が、分離可能な「外在的な関係」の場合は「of」が

用いられず、例 2)の二つの独立した存在物が密着

関係を成している場合は「on」で、例 3)の独立し

た二つの存在物が一つの統合体を構成している関係

にある場合は「 to」で表している。すなわち、

「of」は名詞と名詞の間に成立し得る関係の中で

「内在的な関係」のみを表し、「外在的な関係」を

表す「on」や「to」とはその意味が明確に異なるの

である。

2. 「of」のプロトタイプ的意味とスキーマ的意味 上述したように「of」の意味は「二つの存在物に

おける内在的な関係を表す」ことであり、その「内

在的関係」には例1)the bottom of the jar のような

「部分と全体の関係」だけでなくほかにも数多く存

在するため、多義語であると言える。ラネカーは多

義語「of」の複数の意味の中で何が「of」のプロト

タイプ的意味で、何が「of」のスキーマ的な意味な

のかについても述べている。 ラネカーによると、「of」のプロトタイプ的意味

は「一つの存在物(トラジェクッター1)がもう一

つの存在物(ランドマーク2)の内在的で制限的な従属

部を構成する関係、すなわち、部分と全体の関係を

プロファイル3すること」である。代表的な用例と

しては例 1)と例 4)が挙げられる。 例 4)the tip of my finger 続いて、ラネカーは「of」のスキーマ的な意味は

「二つの存在物の間における内在的な関係をプロフ

ァイルすること」であると述べており、以下のよう

な用例は「of」のプロトタイプ的意味ではないが、

「内在的な関係」という「of」のスキーマ的意味が

共有されていると述べている。 例 5)the chirping of birds; the consumption of

alcohol; the destruction of the Iraqi army

43

Page 45: 認知言語学的観点を生かした

例 6)a ring of gold; a book of matches; a man of integrity

例 7) the state of California; the crime of shoplifting;a distance of 10 miles

例 8)an acquaintance of Bill; the chief of this tribe; the father of the bride

ラネカーによると、例 5)のようなあるイベント

とそのイベントの構成要素である参与者(名詞化さ

れた動詞における意味上の主語と目的語)、例 6)のようなある存在物を構成する物理的、あるいは抽

象的なもの(原料や本質)、例 7)のような同じ存

在物に対する二つの表現(同格)、例 8)のような

ある関係を前提とする名詞とその前提に当てはまる

名詞(人間関係)が「内在的な関係」であることは

明らかなので「of」で表される。 図 1 はラネカーが「of」のプロトタイプ的意味と

スキーマ的意味を図で示したものである。

図 1「of」のプロトタイプ的意味と

スキーマ的意味 (Langacker 2000 :74)

すなわち、全体を示すランドマーク(lm)とそ

の全体における部分を示すトラジェックター(tr)が内在的な関係を表す二重線で結ばれている(a)が「of」のプロトタイプ的意味であり、全体と部分の

関係ではないがランドマーク(lm)とトラジェッ

クター(tr)が二重線で結ばれている(b)が「of」の

スキーマ的意味である。

3.「of」の統語的制約に反映されている意味的側面

―動詞の名詞化された表現において

ラネカーは名詞化された動詞が「of」を用いて意

味上の主語や目的語を随伴する際、作用する統語的

な制約とそれに反映されている「内在性」という

「of」の意味について説明している。例 9)から例

11)はラネカーによって提示された用例である。

例 9)chanting of slogan 例 10)chanting of demonstrators 例 11)chanting of slogan by demonstrators

ラネカーはまず、動詞における主語や目的語は動

詞で表されるイベントとそのイベントを構成する参

与者の関係であるため、意味上の主語であれ、意味

上の目的語であれ、イベントにとっては内在的関係

にあると述べている。従って、例 9)と例 10)のよ

うに名詞化された動詞が意味上の主語か目的語を

「of」を用いて随伴することは疑問の余地がないの

である。 ただし、例 11)をみるとわかるように名詞化さ

れた動詞が意味上の主語と目的語を両方とも随伴す

る際には意味上の目的語のみに「of」で結ばれ、意

味上の主語は「of」ではなく、「by」で結ばれてい

る。これは名詞化された動詞が意味上の主語と意味

上の目的語という二つの項を随伴する際には「能

格」パターンという統語的な制約に支配されるとい

うことを表す。 ラネカーは「能格」パターンという統語的な制

約によるこのような配列は偶然のものではなく、

「内在性」という「of」の意味が反映されているの

であると述べている。つまり、名詞化された動詞に

随伴されている二つの項の中で意味上の目的語のみ

が「of」で結ばれているのは名詞化された動詞によ

って表されるイベントにおいて概念的に自立的な核

を構成する意味上の目的語が意味上の主語に比べて

より内在性の高い成分であるためである。

4.日本語教育への応用可能性 4.1「of」と「の」の類似性

日本語の格助詞「の」と英語の前置詞「of」は名

詞と名詞の間に挿入され、それらの意味関係を表す

ものであり、統語的にも意味的にもかなり類似して

いると言える。しかし、いずれも意味論的観点から

分析されることが少なく、単に名詞と名詞を繋ぐ機

能語として扱われるなど統語的な特徴のみが強調さ

れることが多い。それは、「の」と「of」が表す意

味がどのような意味の名詞と名詞の間に挿入される

かによって多様に解釈されるし、そもそも意味関係

というのは抽象的な概念であるため、意味分析する

ことが容易ではないからであると推測される。 それでは従来「の」についてどのような研究が

44

(a) Prototypical Value (b) Schematic Value

Page 46: 認知言語学的観点を生かした

行われており、どのような問題点を抱えているのか

について触れてみる。 4.2 「の」の意味に関する先行研究の問題点 名詞と名詞の意味関係によって多様に解釈され

る多義語の格助詞「の」についてその複数の意味か

ら共通性を抽出し、カテゴリー化を行った研究とし

て鈴木(1972)と朴(1997)が挙げられる。 鈴木 (1972)は「名詞の名詞」(以下「N1の

N2」)における「の」について N1 と N2 の性格に

よってさまざまな関係を表現するという前提で、

「の」の意味を複数の下位項目を備えた 6 つの上位

項目―属性、所属先・もちぬし、ものの推量・値段、

人間関係の基準、動き・状態の種類、状況的な事柄

―に分類した後、さらに内容、作者、同格、形式名

詞との組み合わせという 4 つの意味項目を加えてい

る。 朴(1997)も鈴木と同じく、「の」は N1と N2 の関

係により多様な意味を表すという前提で、13 項目

―主体、対象、関係の起点、場所、時、推量・順序、

性質・状態・程度、関与物・内容、材料、選択の範

囲、同格、慣用表現、特殊用法―に上位分類した後、

その中の 4 つの項目―主体、対象、関係の起点、場

所―においてはさらに下位分類を行っている。 意味の共通性によるカテゴリー化から「の」の

意味分析を行った鈴木と朴は、いずれも「の」の全

体的な意味構造が把握できるような意味分類の規準

が提示されず、個々の意味を局所的に羅列されてい

ると指摘される。 一方、西山(2003)は「N1 の N2」の多様な意味を

解釈の仕方によって①N1 と関係 R を有する N2、②N1 である N2、③時間領域 N1における N2 の指

示対象の断片の固定、④非飽和名詞 N2 とパラメー

タの値 N1、⑤行為名詞 N2 と項 N1という 5 つの

タイプに分類している。5 つのタイプの中で特に①

は語用論的な状況によって自由変項(free variable)R に多様な解釈を許容し、従来分類できなかったた

くさんの意味を収めることができる。すなわち、西

山は「の」の複数の意味を単に羅列しているのでは

なく、「N1 の N2」に対して語用論的な状況を考慮

した上で意味分類を試みている点が高く評価される。

しかし、意味分類の際、「の」の全体的な意味構造

に対する一つの一貫した分析基準からではなく、

N1 が叙述的であるか、N2 の名詞が飽和名詞か非飽

和名詞か、また、N1 と N2 が項構造であるかなど、

タイプごとに異なる分析基準が適用されているので、

「の」の全体的な意味構造が掴めない点だけでなく、

設けられた分析基準に当てはまらない用例や複数の

タイプに重なって分類される用例が存在する点が問

題として挙げられる。 以上からわかるように、従来行われた「の」の

意味研究は「の」の全体的意味構造より、局所的な

意味に注意が向かれ、日本語を第 2 言語とする学習

者にとってはむしろ難解で複雑な意味をもつ格助詞

「の」というイメージを持たせてしまう恐れが予想

される。 4.3 「the meaning of of」(Langacker 2000)の日

本語教育への応用可能性

上述したように Langacker(2000)は「の」と統

語的かつ意味的類似している「of」に対して認知

言語学的観点を用いて「of」の有意味性と、

「of」のプロトタイプ的な意味とスキーマ的な意

味といった「of」の全体的な意味構造、さらに、

名詞化した動詞が「of」を用いて項を随伴する際、

作用する統語的な制約とその制約に反映されて

いる「of」の意味にまで明確に分析しており、局

所的な意味研究に偏っている従来の「の」の研

究に一つの有効な分析方法を提案していると考

えられる。 すなわち、Langacker(2000)から提案された認

知言語学という新しい観点を「の」の意味研究

に応用することは日本語教育に次のように貢献

できるのであろう。 ① 統語的かつ意味的類似している「of」と

「の」の比較分析を通し、それらの類似

点と相違点を解明することで、英語を母

語とする日本語学習者に起こりえる言語

転移を予測することが可能になる。 ② 認知言語学的観点に基づき、「の」のプロ

トタイプ的意味とスキーマ的意味といっ

た全体的意味構造や「の」の統語的制約

を提示することで、英語以外の母語話者

も積極的に「の」の習得に取り込めるよ

うに誘導し、日本語習得を促進させる。 注 1. 認知的際立ちの最も大きい部分を示す認知言語学の用

語(「認知言語学キーワード辞典」) 2. trajector 以外の認知的際立ちの大きい部分を示す認知言

語学の用語(「認知言語学キーワード辞典」) 3. 認知的に際立たせるという意味を表す認知言語学の用

45

Page 47: 認知言語学的観点を生かした

語(認知言語学キーワード辞典参照) 参照文献 鈴木重幸(1997)『日本語文法―形態論』むぎ書房 汁幸夫(編)(2004)『認知言語学キーワード辞典』研究社 西山佑司(2003)『日本語名詞句の意味論と語用論』ひつじ

書房 朴在権(1997)「ノと UI」『現代日本語韓国語の格助詞の

比較研究』81-110. Langacker, Ronald W. (2000) the meaning of of, in Grammar

and conceptualization, Mounton de Gruyter, 74-90.

イ ヘスク/お茶の水女子大学大学院 国際日本学 応用日本言語論講座

[email protected]

46

Page 48: 認知言語学的観点を生かした

場所を表わす助詞「ニ」と「デ」 -認知言語学の日本語教材への援用-

石井 佐智子

要 旨 トラジェクター、ランドマークを的確に捉えることは、言語を理解する上で重要である。日本語の場所を表わす格助詞

「ニ」、「デ」のトラジェクター、ランドマークを教材で示すには、「ニ」と「デ」の多義性を考慮する必要があると考え

られる。管見の限り、従来の認知言語学を取り入れた教材に初級者向けのものはない。多義性を考慮した上で、初級から

上級まで認知言語学を援用した教材で日本語学習ができる教材を考案していくことも課題として挙げられる。 【キーワード】場所、格助詞、ニ、デ、トラジェクター、ランドマーク、教材 0. はじめに 本稿では、場所を表わす前置詞に着目した

Rohlfing(2001)の研究を概観し、日本語の場所を表

わす格助詞「ニ」、「デ」を取り上げる。「ニ」、

「デ」の使い分けに関する研究(寺村 1987, 森田

1982)、認知言語学の立場から「ニ」、「デ」を整理

した研究(森山 2005)をまとめる。そして、認知言語

学を援用した教材で、「ニ」、「デ」を提示するにあ

たっての課題を提起する。

1. Rohlfing(2001)の研究 1.1 研究の背景 認知意味論の立場から、場所を表わす前置詞には、

重要な役割があるといわれる。これは、場所を表わ

す前置詞から人は空間的な関係を理解すると考えら

れている為である。 認知科学の分野においては、普遍的な位置関係が

最初に習得されるのか、あるいは場所を表わす前置

詞と普遍的な位置関係が結びついてから位置関係が

出現するのかが最も関心の寄せられるテーマの 1 つ

でもある。 なお、発達心理学の分野では、英語とドイツ語の

場所を表わす前置詞 IN と ON / AUF の習得順序に

着目した研究がある。一連の研究で IN 及び ON の

位置関係は普遍的であるため、他の場所を表わす前

置詞より早く習得されると報告されている。 また、近年の研究によると、子どもは生後 18 ヶ

月から 23 ヶ月で言語上の空間的な分類感覚が芽生

えるという。しかし、子どもは生後 18 ヶ月になる

前に、空間、物体、出来事に関する広範囲の知識を

身につけるという指摘もある。 以上の研究、論議を踏まえて、Rohlfing は位置関

係を理解するにあたり、非言語ストラテジーが用い

られると述べている。 Clark(1972, 1973)や Sinha(1982, 1983)も子どもは

場所、位置関係を理解する際、非言語ストラテジー

を用いると報告している。Clark によると、2才前

後の子どもの場合、意味論的知識で位置関係を理解

するには、意味論的知識はまだ不十分であるとも指

摘している。 また、Clark(1973)は子どもが物体の特徴から位置

関係を判断するという非言語ストラテジーを報告し

ている。物体の特徴から位置関係を判断するには以

下のルールがあると述べている。 (1)ランドマーク(以下 LM)が容器なら、トラジェ

クター(以下 TR)はその中にある。 (2)LM に平らな表面があれば、TR はその上にある。 しかし、Clark の研究に対し、Sinha(1982, 1983)は

この物体の特徴の捉え方を文化や個人の背景知識に

よって異なるものだと指摘している。 一連の研究を踏まえて、Rohlfin は物体の特徴を

捉えること自体が文化的側面に関係する主観的行為

であり、子どもは新たな物体を見たら、各自の文化、

経験から得た既知の情報を用いて、物体の機能的特

徴を関連付けると述べている。 すなわち彼女は、子どもが位置関係を理解する際、

各自の文化や経験から得た既知の情報から物体の特

徴を捉える非言語ストラテジーを用いると推測して

いる。 1.2 研究目的

Rohlfing の研究目的は、子どもが場所を表わす前

置詞に反応するか否か、そして、その前置詞を通し

て特定の情報を得るか否かを明らかにすることであ

る。

47

Page 49: 認知言語学的観点を生かした

彼女は、心理言語学の立場から場所の関係を理解

するための前置詞の役割を調査した。 1.3. 調査概要 1.3.1 調査対象者 調査対象者は、平均生後 23 ヶ月のポーランド語

ネイティブ・スピーカー24 名である。そのうち女

子は 13 名、男子は 11 名であった。なお、一番幼い

子どもが生後 20 ヶ月、一番年上の子どもが生後 26ヶ月であった。 1.3.2 調査装置

Rohlfing は、子どもに 2 つの物体の関係、つまり

TR と LM の関係を定めさせた。 この課題を行うことで、子どもはどの物体が TR

か、どの物体が LM かを決定し、2 つの物体間の適

当な関係、LM に対する TR の適切な動き、または

動きの方向、種類を決定する。 この課題を施行するにあたり、2 つの状況を用意

した。1 つの状況は、子どもがよく知っている、馴

染みのある状況であり、もう 1 つの状況はと子ども

にとって馴染みがない、抽象的な状況であった。 馴染みのある状況では、子どもが日常的に見かけ

ると思われる 2 つの物体が使用された。この状況で

は、以下の 3 組が用意された。 (3)ポット(TR)とテーブル(LM) (4)カップ(TR)とプレート(LM) (5)レゴの馬(TR)と橋(LM) 馴染みのない抽象的な状況では、子どもが過去に

見たことがなく、物質的な特徴から特定の関係を捉

えることもないように配慮された。その結果、2 つ

のボールを使った装置が用意され、特に ON の関係

が想起させないように設置された。 1.3.3 調査手順 上記の 2 つの状況が用意され、それぞれの状況で

前置詞 NA のある指示と前置詞 NA が省かれた指示

を子ども 1 人 1 人に提示し、子どもは指示に従って

物体を動かした。 順序は、最初に抽象的な状況、次に馴染みのあ

る状況が与えられた。馴染みのある状況では上記に

あるセット 1、2、3 の順で調査された。 2つの状況の順序であるが、Rohlfing は馴染みの

あるものに触れた後で抽象的なもので遊ぶかが疑わ

しかったため、抽象的な状況を先に調査したと述べ

ている。

1.3.4 調査された前置詞 今回、選択された場所を表わす前置詞は、ポーラ

ンド語の NA(英語の ON にあたる)である。 前述したように英語とドイツ語では、IN 及び

ON / AUF が早い段階で習得される。ポーランド語

も同様で、英語の IN にあたる DO と NA が早い段

階で習得されるため、2 才前後の子どもを対象にし

た今回の研究に用いられた。 習得順序が同様でもポーランド語の DO、NA と

英語の IN、ON とでは性質が異なる。ポーランド

語の DO、NA にはそれぞれ動詞の動き等を考慮し

た静的か動的かといった条件が加わる。 静的、動的という条件を踏まえた上で、統語的な

複雑さ、女性語、男性語のようなポーランド語の特

徴を考慮した結果、動的な NA のみが扱われること

になった。 1.4 課題解決の判断基準 与えられた課題が解決できたか否かを判断するに

あたり、一定の基準が設けられた。 馴染みのある状況においては、前置詞のない指示、

前置詞のない指示共に、組(ポットとテーブル、カ

ップとプレートなど)を守り、2 つの物体が TR、LM の関係でありながら、尚且つ NA の位置関係で

物体を動かした場合、課題を解決できたと見なされ

た。具体的には、プレート(LM)の上にポット

(TR)が接触した状態で置かれた場合、解決と判

断された。 しかし、組を守り、2 つの物体が TR、LM の関

係でありながらも、NA ではない位置関係に物体を

動かした場合は、解決出来なかったと見なされた。 なお、組の異なる道具を使った場合(テーブルと

馬)、指示の前に行動を取った場合は、結果無効と

された。 馴染みのない抽象的な状況において、前置詞のな

い指示で、子どもが装置に付いているボールに、も

う 1 つのボールを NA の位置、つまり接触させた場

合には、解決と見なされた。また、前置詞がある指

示でも子どもが装置のボールにもう 1 つのボールを

TRNA の位置に動かした場合には解決と見なされた。 しかし、ボールを装置の上に置く等、2 つのボー

ルの接触が見られなかった場合は、解決できなかっ

たと見なされた。 1.5 調査結果 調査の結果、馴染みのある状況において、前置詞

48

Page 50: 認知言語学的観点を生かした

のある指示を受けても、前置詞のない指示を受けて

も、子どもは 2 つの物体を NA の位置関係に動かす

様子が見受けられた。 一方、馴染みのない抽象的な状況においては、前

置詞のない指示を受けて、子どもが 2 つの物体を

NA の位置関係に動かした様子が見受かられたが、

前置詞のある指示を受けて、子どもが NA の位置関

係に物体を動かした様子は見受けられなかった。 1.6 考察 馴染みのある状況で、1人の子どもがプレートを

カップの上に置く様子が観察された。そして、後に

この子どもの母親は茶を入れるとき、カップにお茶

を入れてからプレート(ソーサー)でカップを覆う

習慣が明らかになった。 子どもが既知の情報を用いて位置関係を捉える

という結果と先行研究を踏まえて、Rohlfing は、非

言語ストラテジーと経験の関係性を考察している。 1.7 結論 調査結果から、子どもが場所を表わす前置詞に反

応して物体を動かさないこと、前置詞から位置関係

に関する情報を得ていないことが窺えた。 そして、子どもは言語知識ではなく、非言語スト

ラテジーを用いては課題を解決していることから、

非言語ストラテジーが子どもの判断の一助であるこ

とも見受けられた。 さらに、Rohlfing の推測どおり、非言語ストラテ

ジーには物体の特徴の捉え方や子どもの経験といっ

た文化的側面が含まれることも考えられた。

2. 日本語への援用 2.1 TR、LM の把握の必要性

Rohlfing は、ポーランド語の場所を表わす前置詞

NA を取り上げ、2 才前後の子どもが TR、LM を含

む位置関係を言語ではなく、非言語ストラテジーを

用いて捉えていることを報告している。そして、こ

の研究結果から、位置関係を捉える際、各自の文化

や経験が大きく寄与していることが明らかになった。 各自の文化や経験から位置関係を捉えることや

TR、LM に着目している点から、彼女の研究には

認知言語学の視点が取り入れられていることが考え

られる。 何が TR で、何が LM であるかをつかんで、位置

関係を把握することは重要であろう。これは第二言

語学習でも同様で、主要な要素(TR)と周縁的な

要素(LM)を的確につかむことは肝要だろう。 2.2 日本語の場所を表わす格助詞「ニ」、「デ」 日本語には場所を表わす助詞が複数存在するが、

ここでは「ニ」、「デ」を取り上げることにする。

「ニ」と「デ」を取り上げるのは、それぞれの使い

分けが日本語教育の現場で頻繁に話題に上がるため

である。 日本語の場所を表わす助詞「ニ」、「デ」の使い

分けの研究には、寺村(1987)や森田(1982)などがあ

る。ここで挙げる寺村と森田の見解は、ほぼ一致す

るものであると考えられる。 寺村、森田によると、「ニ」は事物が存在する場

所、あるいは移動の到達点を表わす。そして「デ」

は動作・作用が行われる場所を表わす。 存在を表わす場合、(6)のように「ニ」と「デ」

を置き換えることはできない。 (6)彼は食堂にいる。 しかし、(7)と(8)、(9)と(10)のように、「ニ」と

「デ」を置き換えることができる場合もある。 (7)私は新宿に土地を買った。 (8)私は新宿で土地を買った。 (9)屋根の上に石を投げた。 (10)屋根の上で石を投げた。 森田は、(7)と(8)の置き換えが可能であっても意

味が異なり、この場合、「ニ」は「主体の動作・作

用を受けた結果、そこに存在するようになった」こ

とを表わすと指摘している。(7)では、私が土地を

買ったことを受けた結果、買った土地は新宿に存在

する。一方、(8)では新宿の不動産屋などで土地を

買うことにしたのだろうが、「買った土地がどこに

存在するか」はわからない。つまり、主体の動作・

作用を受けて、そこに存在していない。 寺村も(9)(10)の違いを森田と同様の観点から述べ

ている。 また、(7)と(8)、(9)と(10)と同様に(11)と(12)も

「ニ」と「デ」を置き換えることができる。 (11)彼はあのベッドに寝ている。 (12)彼はあのベッドで寝ている。 森田は、(11)と(12)の場合、「ニ」は「主体の動

作・作用を行った結果、ある場所に存在する」こと

を表わすと述べている。(11)は、彼が寝た結果を受

けて、彼はベッドに存在している。そして、(11)の場合、「彼がベッドにいること」が主要であるのに

対し、(12)の場合、「彼が寝ること」が主要である

49

Page 51: 認知言語学的観点を生かした

と指摘されている。 2.3 認知言語学から見た「ニ」と「デ」 森山(2005)は、場所を表わす「ニ」と「デ」の使

い分けに関する一連の研究を踏まえた上で、認知言

語学の立場から「ニ」と「デ」の違いを述べている。 森山の研究の特徴は、認知言語学の立場に立ち、

「ニ」と「デ」の格表示から、それぞれを「前景」、

「後景」と捉えたことであろう。 前景とは TR、後景とは LM である。 森山は(13)を挙げ、「デ格」は「前景を構成する

動作連鎖の参与者には含まれず、その背景としての

Setting を形成する背景格の 1 つである。」と述べて

いる。つまり「デ格」のベランダは、「眺めてい

た」という主体の動作に直接関わる要素ではなく、

「花子が星を眺めていた」ことに対する周辺的な要

素、背景であることを意味している。 (13)花子がベランダで星を眺めていた。 これに対し、森山は(14)を挙げ、「ニ格」は「主

格に対峙し、前景の参与者の 1 つである」と述べて

いる。(14)で電車が「着くこと」が重要ではなく、

「電車が駅に着き、そこに存在する」ことが重要で

ある。つまり、「ニ格」の駅は「ガ格の」電車に対

峙し、「バスが着く」という前景に直接関わる参与

者であることを意味している。 (14)電車が駅に着く。 森山は、ニとデに関する一連の研究を整理し、

認知言語学の立場で格表示から TR、LM を提起し

ている。しかし、研究結果を日本語教育の教材等へ

援用することについては触れられていない。 2.4 認知言語学の視点を取り入れた教材 認知言語学の視点を取り入れた日本語教材は、

管見の限り、ほとんど見られない。しかし、認知言

語を援用した英語教材は見られる。 『英文法マラソン―英文法 Q&A80―』は、コア

理論が教材に援用されている。 この英語教材は、動詞 come の心理的視点や~ing(動名詞)と to(不定詞)の相違点等を扱ってい

ることから、一定の学習時間と英語の文法知識を有

する学習者を対象にしていると考えられる。 2.5 教材への援用 管見の限り、認知言語学を援用した教材は、一

定の知識を獲得した学習者を対象にしており、初級

レベルの学習者に向けた教材は見られない。 「ニ」と「デ」の使い分けは、初級レベルから

求められる項目である。 今後の課題として、森山が提起した格表示による

TR、LM の相違を援用し、初級レベルから認知言

語学の視点を活かせるか否か、そして初級レベルか

ら認知言語学の視点を導入し、学習をすることは効

果的であるか否かを検討することが挙げられる。 また、「ニ」と「デ」は場所以外にも意味を持つ 多義語である。多義的な意味を考慮せずに、場所の

「ニ」と「デ」だけに着目して初級の学習者に提示

しては知識を積み上げていくことは困難だろう。今

後の課題として、多義語「ニ」、「デ」の中の場所を

表わす「ニ」、「デ」を捉えて、教材に援用していく

ことも挙げられる。

参照文献 田中茂範・佐藤芳明(2001)『英文法マラソン―英文法

Q&A80―』アルク 寺村秀夫(1992)「[場所]デと[場所]に」寺村秀夫・鈴木泰・

野田尚史・矢澤真人編(1987)『ケーススタディ日本文

法』おうふう 12-17 森田富美子(1982)「『に』と『で』と『を』<場所>」日

本語教育学会編(1982)『日本語教育事典』大修館書店

454-455 森山新(2005)「格助詞ヘ・カラ・マデの意味の認知言語学

的特徴づけ」『認知言語学的観点を取り入れた格助詞

の意味のネットワーク構造解明とその習得過程(平成

14 年~平成 16 年度科学研究費補助金研究 基盤研究

(C)(2) 研究成果報告書』102-110 Rohlfing, K. J. (2001) No preposition required. The role of

preposition for the understanding of spatial relations in language acquisition, Applied Cognitive Linguistics Ⅰ:Theory and Language Acquisition, Mouton de Gruyter, 229-247

いしい さちこ/お茶の水女子大学大学院人間文化研究科言語文化学専攻日本語教育コース

50

Page 52: 認知言語学的観点を生かした

中国人日本語学習者の

陳述副詞「きっと」の意味知識

―認知言語学観点から―

王 冲

要 旨 本研究は認知言語学的観点から学習者がもっている「きっと」の意味知識の発達及びその発達が起こるプロセスやメカ

ニズムについて考察しながら、有効な陳述副詞指導法を模索する。まず、日本語の「きっと」とそれに相当する中国語の

「一定」それぞれの「スキーマ」「プロトタイプ」「拡張関係」を示し、アンケート調査の結果によって中国人日本語学習

者がもっている「きっと」の意味知識を明確に示した。その上で、中国人日本語学習者がもっている「きっと」の意味知

識の発達過程にはどのような認知的要因があるのかについて分析し、「きっと」の指導において、言語間の違いの説明だけ

ではなく、その言語の背後にある認知体系も明示するべきと指摘した。

【キーワード】習得、プロトタイプ、スキーマ、認知体系、意味知識

1. はじめに

陳述副詞「きっと」は学習の初級段階で学習され

る項目である。しかし、その反面、多様的な的用法

で様々な文脈に用いられ、また中国人学習者の母語

の意味とズレがあることから、十全な習得は難しい

であろうことが推測される。以下の①~④は王

(2006)のアンケート調査の中で中国人日本語学習

者が表出した誤用文である。

①私はきっと通訳者になりたいです。(中級)

②もうすぐ期中(→中間)テストが来るから、き

っと復習をしなさい。(中級)

③私はきっと勉強しなければならない。(上級)

④テストの時、問題の内容にきっと気をつけてく

ださい。(上級)

これらの誤用文は中国語に訳した場合「我一定想

当翻译」「马上期中考试了,你一定要复习」「我一定要

学习」「考试时一定要注意问题内容」のようにすべて

「一定」を用いることができる。したがって、我々

はこれらの誤用を目にしたとき、母語中国語の負の

転移によるものであると考えるであろう。王(2005)

の結果によれば、確かに中国人日本語学習者がもっ

ている陳述副詞「きっと」の意味知識(中間言語)

には母語の転移があることがわかる。しかし、こう

した誤用文が表出される原因は母語の転移だけに帰

されることでいいのか。また学習者がもっている「き

っと」の意味知識はどのように発達していくのであ

ろうか。

本稿では、中国人日本語学習者がもっている「き

っと」の意味知識の発達過程には、言語の背景に存

在する認知的な要因が深く関わっていると考え、認

知言語学的観点から学習者がもっている「きっと」

の意味知識の発達及びその発達が起こるプロセスや

メカニズムについて考察しながら、有効な陳述副詞

指導法を模索する。

本稿は次の順序で展開する。まず、日本語の「き

っと」とそれに相当する中国語の「一定」それぞれ

の「スキーマ」「プロトタイプ」「拡張関係」を示し、

アンケート調査の結果によって中国人日本語学習者

がもっている「きっと」の意味知識を明確にする。

その上で、中国人日本語学習者がもっている「きっ

と」の意味知識の発達過程にはどのような認知的要

因があるのかについて見ていく。

2. 先行研究

本稿の直接の先行研究となっているのは王(2004、

2005、2006)である。

王(2005)では、認知言語学での「プロトタイプ」

「スキーマ」「拡張」などの概念を用いて、「きっと」

の「推量」用法、「意志」用法、「依頼」用法、「確率」

用法を構造的に捉え、「きっと」の特徴を明らかにし

ている。王(2004)では、日本語の「きっと」と中

国語の「一定」の意味構造の違い及び各用法の使用

制限などを比較している。そして、王(2006)では、

51

Page 53: 認知言語学的観点を生かした

アンケート調査を通じて、中国人日本語学習者が形

成している「きっと」のプロトタイプに注目し、王

(2004、2005)の結果を用いて、学習者がもってい

る「きっと」の意味知識に与えている要因を分析し

ている。

しかし、王(2006)の結果では、学習者がもって

いる「きっと」の意味知識に与えている要因は母語

の転移までしか分析しておらず、その言語の背景に

ある認知的体系の違いに関しては触れられることは

多くなかった。森山(2002)は韓国人日本語学習者

の「なる」「会う」「乗る」などの動詞の習得につい

て実験し、韓国人日本語学習者のこれらの動詞に対

する中間言語発達の停滞現象と学習者の持つ認知的

なスキーマとの関係について明らかにしている。そ

こで、本稿では、中国人日本語学習者がもっている

「きっと」の意味知識の発達過程には、言語の背景

に存在する認知的な要因が深く関わっていると考え、

学習者がもっている「きっと」の意味知識の発達及

び、その発達が起こるプロセスやメカニズムについ

て解明したい。

3. 日本語の「きっと」と中国語の「一定」の意味構

3.1 日本語の「きっと」の意味構造(王2005)1

王(2005)では、まず、日本の文学作品に現れて

いる「きっと」の例文を挙げながら、「きっと」を用

いる構文を分析し、「きっと」の意味を次のように

分析した。

推量:話し手の事柄が成立することへの強い確信

意志:話し手の事柄を成立させることへの強い意 3.2 中国語の「一定」の意味構造

依頼:話し手の事柄が成立することへの強い期待

確率:ある条件下での話し手の既定の事柄が成立

することの断言

そして、これらの用法から「話し手の事柄が成立

することへのう強い思い」というスキーマを抽出し

た。つまり「きっと」のすべての用法はこの意味を

具体化したものであると言っている。

次にプロトタイプ的意味について考察している。

プロトタイプ的意味とは、複数の意味の中で最も基

本的なもののことである。王(2005)では使用頻度

の高さ、最初に想起されるという二つの観点から分

析を行ったところ、これらの両方で「推量」用法が

85%を超える極めて高い頻度を示すことを述べて

いる。このことから「きっと」のプロトタイプ的意

味は「推量」用法であると言っている。

さらに各用法の相互関係を分析している。例文の

分析から各用法は次のように定義している。

推量:話し手の事柄が成立することへの強い確信

意志:話し手の事柄が成立することへの強い確信

+話し手自身にかかわること

=話し手の事柄を成立させることへの強い意志

依頼:話し手の事柄が成立することへの強い確信

+聞き手にかかわること

=話し手の事柄が成立することへの強い期待

確率:話し手の事柄が成立することへの強い確信

+ある条件にかかわる事実

=ある条件の下で話し手の既定の事柄が成立す

ることへの断言

このことからプロトタイプの用法は「推量」用法

であり、その他の用法は「推量」用法から拡張され

たものであると述べている。

「確率」用法については工藤(1982)、森本(1994)

から「現在の日本語では書き言葉に限定されている」

という指摘があり、小林(1992)も「きっと」の「確

率」の用法は廃れつつある意味であると指摘してい

るため、本稿では分析対象としない2。また、「推量」

用法、「意志」用法、「依頼」用法は話し手の意志に

かかわるかどうかによって、「きっと」を大きく「推

量」用法と「意志」用法(「依頼」用法を含む)に分

ける。したがって、「きっと」の「推量」用法はプロ

トタイプであり、「意志」用法は拡張用法であると考

えられる。

中国語の「一定」は「語気副詞」(陳述副詞)であ

る。『现代汉语八百詞』、香坂(1988)などによると、

「一定」の意味用法は次のようにまとめられる。

A表示意志的坚决。(意志の固いことを表す)

你明天一定来啊!(明日きっと来てくださいね。)

B必然,确实无疑。(まちがいなく、確実で疑いの

ないことを表す)

他一定会同意。(彼はきっと同意するはずだ。)

このように、「一定」のこれらの二つの用法は「意志

にかかわるかどうか」によって、分けていると考え

られるため、「きっと」と同じように、「一定」には

「推量」用法と「意志」用法があると考えられる。

王(2004)では、中国語母語話者にとって「一定」

の「意志」用法は使用頻度が高く、最初に想起され

52

Page 54: 認知言語学的観点を生かした

やすいことから、「意志」用法がプロトタイプであ

ると判定している。

また、先行研究によれば、英語の「will」「must」

「can」などの法助動詞には、「意志」用法(deontic

modality)と「推量」用法(epistemic modality)

があり、「意志」用法(deontic modality)が「プ

ロトタイプ」であり、「意志」用法から「推量」用法

(epistemic modality)へメタファー的に拡張して

いることがわかる(黒滝2003など)。ここでSweetser

(1990)の英語の法助動詞「must」の分析の仕方に

基づき、次の⑤、⑥の例文で「一定」の各用法の拡

張関係を見てみたい。

⑤十点以前你一定得回家。(十時前に帰宅しなさ

い。)

⑥昨天晚上你一定是十点以前回的家。(昨夜君は

10時前に家に帰ったに違いない)

⑤の「一定」の「意志」用法は、「お母さんの命令」

などの強制的な力が主語にその行為を行わせている

と解釈できる。一方、⑥の「推量」用法の場合は、

なんらかの根拠が真であるという前提から、話し手

を強制的に問題の結論へと導いていると解釈できる。

このように、⑤、⑥から「事柄が確実に成立するこ

と」を共通している意味として抽出することができ

る。⑤の「意志」用法の場合、事柄は「社会的規則」

などの物理的な力によって成立することに対し、⑥

の「推量」用法の場合、事柄は「話し手の心理的推

測」などの心理的な力によって成立すると考えられ

る。したがって、「一定」は「現実世界の物理的な力

→心的内面世界の心理的な力」というメタファー的

写像を通して、その推量用法へ拡張していると言え

る。

3.3 日本語の「きっと」と中国語の「一定」の相違

以下、日本語の「きっと」とそれに相当する中国

語の「一定」の違いを表1で示す。

表 1「きっと」と「一定」の相違

きっと 一定

スキーマ

話し手の事

柄が成立す

ることへの

強い思い

事柄が確実

に成立する

こと

プロトタイプ 推量用法 意志用法

拡張関係 推量→意志 意志→推量

このように目標言語(日本語)と学習者の母語(中

国語)のプロトタイプは異なることがわかる。第二

言語習得において、こうした場合、学習者の母語の

プロトタイプは目標言語に転換されやすいため、学

習者がもっている「きっと」の意味知識では「意志」

用法がプロトタイプとして形成されていると推測さ

れる。また、王(2004)によれば、中国語「一定」

の「意志」用法は日本語「きっと」の「意志」用法

より使用範囲が広く、時制、述語のタイプ、人称の

制限がないという。これらのことから、中国人日本

語学習者は日本語「きっと」の「意志」用法の習得

が遅くなり、化石化しやすいと推測できる。

4. 中国人日本語学習者がもっている「きっと」のプ

ロトタイプ

まず、中国人日本語学習者の「きっと」のプロト

タイプは日本語母語話者の「きっと」のプロトタイ

プと相違があるかを見るため、自由産出法を使用し

てアンケート調査を実施した。調査対象は母語話者

30 名と学習者 60 名である。母語話者は北海道から

九州までの出身で20代から 60代の男女である。学

習者は中国の各地の出身で、天津の大学で日本語を

専攻している 2 年生、3 年生の 19 歳から 21 歳の男

女である。そのうち、上級者は 30 名(3 年生)、中

級者は30名(2年生)である。調査協力者に「きっ

と」について「すぐに思いつく例文を10個書いてく

ださい。」と指示を与えて、調査を行った。そして、

調査協力者によって産出された「きっと」の900個

の例文を「推量」用法であるか、「意志」用法(「依

頼」用法を含む)であるかについて分類し、「きっと」

の各用法の使用割合をパーセンテージで表した。さ

らに、母語話者、学習者にとって「きっと」におい

て、どの用法が最初に想起されやすいかを知るため、

10 個の「きっと」のうち最初に書かれた一つについ

て、どの用法かを調べた。

表 2は母語話者、学習者の「きっと」の各用法の

使用割合と「きっと」について最初に書かれた用法

の使用割合を示すものである。

53

Page 55: 認知言語学的観点を生かした

表2「きっと」の文の産出の結果

調査項目 調査対象 推量 意志

母語話者 90% 10%

上級学習者 70% 30%

各用法の使用

割合

中級学習者 45% 55%

母語話者 97% 3%

上級学習者 50% 50%

最初に想起さ

れやすい用法

の使用割合 中級学習者 40% 60%

母語話者と上級学習者、中級学習者それぞれにお

ける「きっと」の各用法の使用割合と最初に書かれ

た用法の使用割合の傾向はほぼ一致し、母語話者と

学習者とでは「きっと」の各用法の使用割合が異な

っていることがわかる。母語話者は、「きっと」に対

して「推量」用法を 90%使用し、最初に想起される

用法にも「推量」用法が 97%を占めており、母語話

者の「きっと」に対するプロトタイプは「推量」用

法であることを示唆している(王(2005)の結果と

一致)。それに対して、学習者は「推量」用法を最初

に想起する人と「意志」用法を最初に想起する人に

分かれ、プロトタイプは一定していない。上級者で

は、「推量」用法を最初に想起する人(15人)と「意

志」用法を最初に想起する人(15人)の数は同じで

ある。また、学習者は上級に進むにつれ、母語話者

の各用法の使用割合に近づいていくように見えるが、

依然として母語話者より「意志」用法を多く使用し

ている。特に、中級者では、「意志」用法を55%使用

しており、最初に想起する用法では「意志」用法が

60%と過半数を占めている。

また、はじめにであげた誤用文をみると、「意志」

用法の誤用文が多く見られる3。

5. 考察

日本語の「きっと」に相当する中国語は「一定」

であるが、厳密に言うと両者は「スキーマ」が似て

いるだけに過ぎない。その似ている「スキーマ」は

具体化され、それぞれ「きっと」と「一定」の「推

量」用法と「意志」用法になるが、どの用法が慣習

的に活性化されやすいのかには大きな違いがある。

日本語の「きっと」の場合、「推量」用法が活性化

されやすく、プロトタイプになり、一方中国語の「一

定」の場合、「意志」用法が活性化されやすく、プ

ロトタイプとして定着している。その結果、似た「ス

キーマ」でも、その人が持っている母語により活性

化され用いられるプロトタイプに違いが生じる。森

山(2002)などによれば、習得は、「認知→母語→

目標言語」と、母語を経ずに「認知→目標言語」と

いう二つのプロセスを経る。最初のプロセスにおい

ては、母語で目標言語を考える癖があるため、学習

者は「きっと」の「意志」用法を多く使っているだ

ろう。このプロセスでは、母語から目標言語への言

語的な変換過程であるため、両言語の違いを考慮す

れば、母語の転移で起こされている誤用を減らすこ

とができる。しかし、次のプロセスに入ると、両言

語間の変換ではなく、認知体系がそのまま第二言語

の表出に用いられており、もし母語の認知的な意味

構造をそのまま用いてしまえば、それがそのまま目

標言語に変換されることになる。これが、上級にな

っても、「きっと」の「意志」用法を多く使ってお

り、誤用が起こりやすい原因と考えられる。 したがって、第二言語習得にあたっては、新しい

言語体系と共に新しい認知的体系を習得しなければ

ならない。「きっと」の場合、これまで母語の「一

定」の中で慣習的に「意志」用法が活性化されて多

く用いていたのを、「推量」用法が活性化されるよ

うに慣習化しなければならない。このことが遅れて

しまい、「認知→目標言語」という習得プロセスに

入ってしまうと、母語の認知体系から変換が行われ、

その結果、「きっと」の意志用法が多く使われ、学

習者がもっている「きっと」の言語知識は化石化を

引き起こすこととなる。このような化石化を防ぐに

は、学習の最初の段階から、「きっと」という言葉の

背景にある認知体系、いわゆる「きっと」の認知的

な意味構造を習得させなければならない。しかし、

どのように「きっと」の認知的な意味構造を提示し

たほうがいいのだろうか。スキーマは、人間の生活

経験などに基づいて抽出された共通する意味である

ため、「きっと」の習得にあたって、「きっと」の様々

な言語的事例に触れることがまず最も大事なことで

あろう。それらの具体的事例に対し、構造を持った

全体として見つめ、そこからスキーマを抽出し、こ

の抽象的なスキーマはどのような経路を経て、具体

化されたのかを理解させること、具体的な用法の中

の最も活性化されやすい用法を理解して慣習化を通

じて定着させることも重要である。また、日本語の

「きっと」のスキーマと中国語の「一定」が似てい

るため、母語スキーマが借用されてしまう危険性が

54

Page 56: 認知言語学的観点を生かした

あり、注意するべきである。具体的言うと、「きっと」

の指導において、 ①「きっと」の具体的な例文を示した上、文脈を

理解させること ②母語「一定」との認知的な意味構造の違いを明

示すること ③「きっと」という言葉の背景にある認知的体系

を説明することなどに注意すべきであると思われる。

6. まとめ

中国人日本語学習者の陳述副詞「きっと」の意味

認識には母語中国語の負転移があると先行研究の中

で言われている。しかし、学習者の「きっと」の意

味知識の発達過程における化石化などについて、母

語の転移だけでは説明仕切れない部分がある。本稿

では、認知言語学的観点から、中国人日本語学習者

の陳述副詞「きっと」の意味知識の発達に与えてい

る要因には母語と目標言語の背後にある認知体系が

あると分析した。

今までは陳述副詞「きっと」の指導において、母

語中国語と目標言語日本語の言語間の違いを説明す

ることによって、学習者たちに注意を喚起している

が、これだけではなく、言語の背後にある認知体系

を明示する指導法はより効果的ではないかと提言し

たい。

1. 詳しくは王(2005)を参照。

2. 本稿の調査 1 の日本語母語話者と中国人学習者の「き

っと」の産出文にも「確率」用法は現れなかった。

3.詳しくは王(2006)を参照。

参考文献

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副詞―』凡人社

兪暁明(1999)『現代日本語副詞研究』大連理工大学出版

王冲(2004)「日本語陳述副詞「きっと」と中国語語気副

詞“一定”との対照研究―日本語教育における陳述副

詞「きっと」の指導のために―」『お茶の水女子大学大

学院人間文化研究科人間文化論叢』7 325-334

王冲(2005)「陳述副詞「きっと」の意味構造と日本語教

育への応用可能性―認知言語学観点から―」『日本認

知言語学会予稿集6』掲載予定

王冲(2006)「副詞『きっと』の習得に関する研究―中国

人日本語学習者における典型的用法から考えるー」

『日本語教育論集』22 19-31

大堀壽夫(2002)『認知言語学』東京大学出版会

河上誓作(1996)『認知言語学の基礎』研究社出版

工藤浩(1982)「叙法副詞の意味と機能―その記述方法を

もとめて―」『国立国語研究所報告71 研究報告集3』

45-92秀英出版

黒滝真理子(2003)『Deonticから Epistemicへの普遍性と

相対性―日英対照モダリティ研究―』お茶の水女子大

学大学院人間文化研究科国際日本学専攻 博士学位

論文

香坂順一(1988)『初学者も使える中国語虚詞辞典』光生

小林典子(1992)「「必ず・確かに・確か・きっと・ぜひ」

の意味分析」『筑波大学留学生センター―日本語教育

論集』7 1-17

松本曜(2003)『認知意味論 シリーズ認知言語学入門 (第

3巻)』大修館書店

森本順子(1994)『話し手の主観を表す副詞について』く

ろしお出版

森山新(2002)「認知的観点から見た中間言語発達に関す

る実験的研究」『総合的日本語教育を求めて』146-168

国書刊行会

Langacker, Ronald W.(2000)「動的使用依拠モデル」(井

栄治郎訳)坂原茂編『認知言語学の発展』ひつじ書房

61-143

Sweetser, Eve E.(1990)from Etymology to Pragmatics:

Metaphorical and Cultural Aspects of Semantic

Structure. Cambridge: Cambridge University Press.

ワン チョン/お茶の水女子大学大学院人間文化研究科国際日本学専攻応用日本言語論講座

[email protected]

55

Page 57: 認知言語学的観点を生かした

認知言語学からの日本語教育への提言

森山 新

要 旨 森山(2005)では認知言語学的観点から日本語の格助詞の意味構造と習得との関係が考察されている。本稿はこの成果を

日本語教育へ応用することをめざしたものである。多義語に関する認知言語学的研究は、現在の教科書や辞書が示しえて

いない語のプロトタイプ的意味やスキーマ的意味などの意味構造を明示的に示すことができ、その習得や教育に役立つで

あろう。意味・用法が類似の格助詞の違いを教えるには、まず各々のプロトタイプ的意味をはっきりさせ、違いを明確に

し、その上でそれらの意味拡張がどのように動機づけられ、どの程度まで行われているかを明らかにするとよいであろう。

また、認知言語学ではプロトタイプ的な意味・用法の習得が早いとされていることから、これを日本語教育に応用し、

プロトタイプ的な用法を先に提示し、それが定着した後に、拡張的用法へと進んでいくことが望ましいと推測される。さ

らに、拡張的用法を教える際に、拡張の動機づけや共有する意味(スキーマ)を提示しつつ教えることが望ましいであろ

う。

【キーワード】認知言語学、日本語教育、格助詞、意味構造、第二言語習得

1. はじめに

森山(2005)は、平成 14 年度~平成 16 年度の科学

研究費補助金による研究(基盤研究(C)(2))「認知

言語学的観点を取り入れた格助詞の意味のネットワー

ク構造解明とその習得過程」(課題番号 14510615 研

究代表者:森山新)の成果報告書であり、認知言語学

的な観点から日本語の格助詞の意味構造と習得のプロ

セスを考察したものである。第一部では認知言語学及

びその格に対する考え方の紹介を行い、第二部ではま

ず、日本語の格助詞全体を体系的に特徴づけた後、デ、

ヲ、ニ、ガ、ヘ、カラ、マデの意味構造を考察し、こ

れらをふまえて類似の意味・用法を有する格助詞(場

所のデとニ、対象のヲとニ、着点のニとヘ、起点のヲ

とカラ、着点のニとマデ、対象のヲとガ)の意味・用

法の違いを考察した。そして第三部では日本語教育に

生かすための提言を行うに際し、まずもって意味構造

と習得との関係について、格助詞デなどを例に明らか

にした。これらの研究結果を日本語教育に応用してい

くためには解決しなければならないことが多々残され

ていることは事実であるが、ここではこれまでの研究

を締めくくる意味から、あえて、日本語教育へいくつ

かの提言を行ってみたい。

2. 格助詞の意味構造 2.1 意味構造分析の日本語教育への応用

格助詞や前置詞などの格標識は、文法形態素、または

機能語などと呼ばれ、一般的に意味が抽象的(機能的意

味)であり、かつ多義であることから習得が容易でない。

学習者はこれらの格標識を教科書や辞書などで学ぶこと

になるが、教科書では、動詞の学習と共に、それに共起

する格助詞を個別に学習することになる。例えば国内外

で広く使用されている『みんなの日本語』(スリーエー

ネットワーク刊)では、格助詞デは5課と7課で道具・

手段、6課、21 課で場所、12 課で時間の用法が個別に提

示されている。巻末付録には、格助詞デの意味・用法が

以下のようにまとめられてはいるものの、これを用いて

授業で格助詞の意味・用法が体系的に教えられていると

は考え難い。

8.〔で〕

A: 1)タクシーで うちへ 帰ります。(5)

2)ファクスで 資料を 送ります。(7)

3)日本語で レポートを 書きますか。(7)

B: 1)駅で 新聞を 買います。(6)

2)7月に 京都で お祭りが あります。(21)

C: わたしは 1年で 夏が いちばん 好きです。

(12)

言いかえれば、教科書での格助詞の学習はテキスト

文中に用いられた各々の用例に基づき、個別的に行わ

れ、それを一くくりにして体系化し、多義語という観

点から見つめ直し、その全体像が示されるなどという

ことは比較的少ない。

一方辞書の場合には、一つの格助詞を引けば、その用

法が列挙されている。辞書の場合、当然のことながら上

述した教科書とは異なり、語の意味・用法が個別的にで

はなく、網羅的に示されている。しかしその配列が必ず

中心的意味(プロトタイプ)から周辺的意味へと順序良

56

Page 58: 認知言語学的観点を生かした

く配列されている保証はないため、その語のプロトタイ

プ的な意味が何であるかは明白ではない。また仮に配列

が中心的意味(プロトタイプ)から周辺的意味へと順序

良く配列されていたとしても、個々の意味の関係(どの

ような動機づけに基づいて意味が拡張したか)が示され

ることはない。また全体を一つのカテゴリーとしてまと

めあげている共通のイメージやスキーマが何であるかが

示されることも少ない1。

しかしもしこうした教科書や辞書が、その語のプロ

トタイプ的な意味やスキーマ、さらにはさまざまな意

味・用法の関係を何らかの形で具体的に示してくれた

とすれば、一般に暗記に頼ることの多い語彙習得とり

わけ抽象的意味で多義性の高い格助詞の習得は促進さ

れることが期待できるであろう。その意味で森山

(2005)が示した意味のカテゴリー構造研究は、現在

の教科書や辞書が示しえていない語のプロトタイプ的

な意味やスキーマ的意味をはじめとする意味構造を明

示的に示すための基礎研究となり、その習得や教育に

役立つであろう。

森山(2005:13)で体系的にまとめられた日本語の

格助詞ガ、ヲ、ニ、デ、ヘ、カラ、マデの特徴づけは

以下のようになる(これだけではわかりにくいので、

より詳しくは森山(2005)を参照のこと)。

ガ:ガには「プロセス的用法」と「存在論的用法」と

がある。プロセス的用法ではプロファイルされた

動力連鎖の最上流にあって、最大の際立ちが与え

られた参与者を表す。プロトタイプとしては動作

主を表す。存在論的用法では、プロトタイプとし

て、ニ格で表される場所に位置づけられる存在物

(モノ)を表す。ガの用法は「表現の対象として

プロファイルされた部分の中で、最大の際立ちを

与えられた参与者(tr)」というスキーマを共有

している。

ヲ:ガ格で表された参与者(プロトタイプとしては動

作主)を起点とした動力圏の内に存在する受動的

な参与者を示す。プロトタイプとしては被動作主

(PAT)や移動主(MVR)を表すが、知覚、所有、

能力、感情などの経験的な事態では経験対象を表

す。

ニ:ガと同様、「プロセス的用法」と「存在論的用

法」がある。プロセス的用法では、ガ格で表され

た参与者(プロトタイプとしては動作主)を起点

とした動力圏の外にある能動的な参与者を示す。

存在論的用法では、ガ格で表される存在物(モ

ノ)が位置づけられる場所を表す。「経験の主

体」用法は、存在の位置を表わすニの用法からの

拡張的用法である。ニの用法は、「ガ格で表され

た参与者に対峙する」というスキーマを共有して

いる。

デ:前景を構成する動力連鎖全体に対し、ある背景

(事態成立の基盤やさま)を補足的に示す「背景

格」である。プロトタイプとしては背景としての

場所を表す。時間、道具、原因、様態などの用法

はプロトタイプとしての場所用法からの拡張的用

法である。

ヘ:プロセス的に把握された事態においてのみ用いら

れ、移動のプロセスをベースとし、その経路をプ

ロファイルする。

カラ・マデ:プロセス的に把握された事態で用いら

れ、移動のプロセスをベースとし、カラは起点、マデ

は着点をプロファイルする。

2.2 個々の格助詞をいかに教えるか 一般的に語の意味構造においてプロトタイプ的な意

味は、その語の意味の中心的意味であり、意味が具体

的で使用頻度も高いことが多い。またその習得も早い

とされている。従ってそれぞれの格助詞を教える際に、

プロトタイプ的な用法を先に提示し、その定着をはか

った後に、徐々にその拡張的な意味へと進んでいくこ

とが認知的負荷も少なく、望ましいのではないかと推

測される。さらに、できれば、プロトタイプ的な意味

から拡張的な意味を教えていく際に、それらがどのよ

うな動機づけにより拡張され、放射状カテゴリーを形

成したか、さらにプロトタイプ的な用法と様々に拡張

された用法とが共有する意味(スキーマ)はどのよう

なものかを、学習者が理解しやすいように何らかのヒ

ントを提示しつつ教えることが望ましいであろう。ヒ

ントと言ったのは、言語を習得することは、原則的に

は学習者がさまざまな用例に接し、その中に潜んでい

るプロトタイプやスキーマを発見するボトムアップの

プロセスであり、トップダウンのプロセスはどこまで

もボトムアップの「助け」にしかならないと考えるた

めである。言いかえれば、教師や教材がヒントを示す

ということは、学習者自らがその言葉のプロトタイプ

やスキーマがどのようなものであるかを習得し、カテ

ゴリーとそのラベルとしての言葉を習得することの補

足的な促進材料として提示すべきであるということで

ある。従って格助詞のいくつかの意味・用法をある程

度学び、その使用例にも慣れ親しんだ段階で、上で述

57

Page 59: 認知言語学的観点を生かした

べたような①プロトタイプ的な意味、②スキーマ的な

意味、③放射状カテゴリー構造(拡張の動機づけや拡

張の範囲などを含めて)を一くくりにして提示するこ

とが望ましいと考えられる。

さらに学習者の母語に意味的に対応する語がある場

合、両者のプロトタイプ的な意味やスキーマ的意味、

意味構造のどのようなところが共通し、どのようなと

ころが異なっているかを示してあげられればなおのこ

といいであろう。今井(1993)では、wear について、英

語母語話者と英語学習者の脳内の意味構造が実験的に

示されているが、それらを見比べることで、英語の

wear が日本語の「着る」とどこが違うかを容易に知る

ことができるし、また拡張的な用法にはどのような意

味・用法があるのかも、比較的簡単に知ることができ

る。

ここで注意しなければならないことは、使用に慣れ

親しんだあとでこのようなことを行うのは、認知言語

学が言語習得のプロセスを基本的にボトムアップ的な

プロセスであると考えているためであるが、大人の第

二言語習得では、認知能力の発達により、子供とは違

い、学習したルールをトップダウン的に活用したり、

それをボトムアップ的なスキーマ抽出に活用し、習得

を速めることも可能であるため、語の多義構造をトッ

プダウン的に示すことがまったく無意味であるとは言

わない。しかしながら多くの用例に触れる中でボトム

アップ的に意味構造を構築していくことの重要性がな

くなったわけではない。従って授業では、意味構造の

構築のボトムアップ的なプロセスを促進するようなタ

スクと、プロトタイプやスキーマなどへの気づきを促

進するようなトップダウンの指導とをうまく組み合わ

せながら行うことが有効であると思われる。ボトムア

ップのプロセスを促進するタスクとは、例えば、格助

詞デの様々な意味・用法を一度に見せ、それをカテゴ

リー分けしてもらうタスクなどを通じて、学習者はデ

の意味構造を体感的に体系的に習得する道が開かれる

であろう。

では具体的にどのように個々の格助詞を教えていっ

たらいいのであろうか。基本的には上記の①~③の3

点について、森山(2005:7-26)で体系的にまとめら

れたような内容(前節で簡単に紹介した内容)が述べ

られることになる。しかしこれは用語や説明、図式の

理解などに認知言語学の専門知識が前提となっており、

それらを有していない学習者には理解することは困難

である。そのため学習者にわかりやすい用語や説明、

図式化を試みなければならないであろう。

例えば格助詞のデでは、以下のようなことが述べら

れることになる。

①プロトタイプ的な意味:中心的(プロトタイプ)

な用法が、事態(動作や出来事)が成立する「背景と

しての場所」を表す用法であることを用例と共に示す。

抽象的な場、範囲、動作主などの拡張的な用法がある

こと、それらがどのように派生していったかについて

も示す。

②スキーマ的な意味:デの全ての用法は共通して、

事態が成立するための「背景」を示すものであること

を示す。その上で「背景」には「具体的な背景(場所、

時間)」と「機能的な背景(道具、原因、様態)」と

があることを用例と共に示す。

③放射状カテゴリー構造:デのそれぞれの用法は、プロト

タイプの用法から動機づけられて拡張したものであること

を、図1のような図(拡張の動機づけについてはよりわか

りやすい表現で説明)を用い、用例も示しながら提示する。

図1 デの意味構造(森山(2005:47)より転載)

また格助詞ヲについては、①対格の用法がプロトタ

イプの用法であること、②ヲの様々な用法(対格、場

所、状況、時)が共有している意味(スキーマ的意

味)、③場所や時間などの拡張的な用法が対格の用法

とどのような動機づけと共通性を持って拡張したか

(放射状カテゴリー構造)を、用例や図式なども用い

てわかりやすく示す。

格助詞ニやガについてはさまざまな拡張的な意味を

広範囲に持っており、説明がやや難しくなるかもしれ

ないが、両者に「プロセス的な用法」と、「存在論的

な用法」が存在することをまず明確にしたあと、デや

58

場所 場

動作主

時間 期間

範囲

時限定

数量限定

道具・手段 材料・要素

原因 理由 根拠・目的

様態(動作主→被動作主・作用・できごと)

場所の抽象化

場所の抽象化/境界の焦点化

場所の背景化

メタファー

メタファー メタファー

境界の

焦点化

ドメイン主観化

ドメイン主観化

ドメイン主観化

内在化

主観化 主観化

Page 60: 認知言語学的観点を生かした

ヲと同様、①プロトタイプ的意味、②スキーマ的意味、

③放射状カテゴリー構造を、用例や図式と共にできる

だけわかりやすく示していくことになる。

格助詞ヘ、カラ、マデなどについても、前節で

簡単に紹介したようなことを、具体的な用例や図式

と共に示せばよいであろう。その際に移動のプロセ

スがベースとなっていることや、どこがプロファイ

ルされるかなどについても示す必要がある。 2.3 類似の意味・用法を持つ格助詞をいかに教えるか

森山(2005:102-121)では、類似の意味・用法を持

つ格助詞の意味分析(意味・用法の違い)を行った。

例えば対格のヲと与格のニの違いは図2のように示さ

れている。すなわちヲは、ガ格で表された参与者を起

点とした動力圏の内に存在する「受動的な参与者」を

示すのに対し、ニはガ格で表された参与者を起点とし

た動力圏の外にある「能動的な参与者」を示すが、こ

のことを図2のような図と具体的な例文を持って示す

のがよいであろう。ヲとニにはこのほか場所格、時格

の用法があるが、それらの用法はその延長線上に考え

ることができる(詳しくは森山(2005:112-118)を参

照のこと)。

図2 格助詞ヲとニの違い(森山2005:55)

また場所のデとニ、着点のニとへ、起点・着点のカ

ラ・マデとヲ・ニの違いは以下のようになる。

<場所のデ>

デは動力連鎖が展開する背景としての場所を表す

「背景格」を表す。

<場所のニ>

ニはプロセス的事態では「移動の着点」、存在論的

事態では「存在の位置」を表す。

<ニ>

①プロセス的事態と存在論的事態の双方に用いられる。

②プロセス的事態では着点がプロファイルされ、存在

論的事態ではガ格で表された存在物が位置づけられる

場所がプロファイルされる。

<ヘ>

①プロセス的事態のみに用いられる。

②着点よりもそこに至るプロセス(経路)がプロファ

イルされ、そのプロセスの向かう方向を表す。

<起点のカラ・着点のマデ>

①プロセス的事態のみに用いられる。

②移動のプロセスをベースとしている。

③移動の起点や着点がプロファイルされる。

<起点のヲ・着点のニ>

①プロセス的事態に用いられる。

②ガ格を起点とした動力連鎖をベースにしている。

③動力連鎖の起点や着点がプロファイルされている。

またヲ、ガには共に(1)、(2)のように対象を表す用

法がある。(1)では動作対象(アイスクリーム)に最大

の際立ちが与えられ、ガ格で表されている。普通プロ

セス的事態の把握では、動作対象より動作主に最大の

際立ちが与えられるが、この場合には話者=動作主が

スコープから外れ、動作対象に焦点が当てられている。

これは、事態を動作主も含めて客観的に把握しようと

いう「客観的な把握」ではなく、話者=動作主が知覚

したままを述べる「主観的な把握」がなされているた

めである。

これに対し(2)では、動作対象(日本語)がヲ格で

表されている。言いかえればガ格の動作主は(省略さ

れてはいるが)スコープ内には含まれていることを意

味する。つまり動作主としての自分を客観的に把握す

る冷静さを残しているということで、(3)に比べてそれ

だけ「客観的な把握」をしていることを意味している。

(1)アイスクリームが食べたい。

(2)日本語を勉強したい。

(3)日本語が勉強したい。

「~ガ~タイ」が生理的な願望を表すことが多く、「~

ヲ~タイ」が理性的な願望を表すことが多いと言われるの

は、前者が「主観的把握型」であり、後者が「客観的把握

型」であるという理由によって説明することが可能である。

類似の格助詞同士では用法が似ている場合もあろう

が、まず何よりも、それぞれのプロトタイプ的な意味

が何かをはっきりさせ、それらの意味において、その

59

Page 61: 認知言語学的観点を生かした

違いを明確にすることが第一であろう。プロトタイプ

的な意味のコントラストは、類似の意味・用法を持つ

格助詞の違いを理解する上で大いに役立つと思われる

からである。

次に両者のプロトタイプ的な意味の違いが明らかに

なったら、それらの意味拡張がどのように動機づけら

れて、どの範囲まで行われているかを明らかにする。

この点は類似するそれぞれの格助詞の拡張の動機づけ

に伴う意味の違いや、意味の使用可能な範囲の違いを

明確にしてくれるであろう。しかもこの点はそれぞれ

の格助詞の意味における周辺部分であり、使用の頻度

も少ないために習得が難しく、習得されないまま放置

される危険性の高い部分であるため、その点を明確に

しておくことは重要である。これにより、それぞれの

格助詞の拡張的な意味の微妙な違いや、意味拡張の守

備範囲の違いといった部分までも学習者の頭の中に明

確に理解させることができるようになり、母語話者に

似たカテゴリーを形成することになるであろう。

具体的には、上で簡単に紹介した類似の格助詞の意

味・用法の違いを、学習者が理解できるような平易な

用語、説明、図式で説明することになる。

例えば格助詞デ、ニには場所の用法があるが、その

違いは、それらのプロトタイプ的な意味を比べること

が第一である。すなわち、デの場合には「事態が成立

する背景としての場所」であるのに対し、ニの場合に

は「プロセス的な場所としての着点」と「存在論的な

場所としての存在位置」を表す用法があることを示し、

その違いを明確にしていく。続いてデとニの拡張的意

味の違いであるが、デとニの間で相互に重なり合い、

類似している意味は何か、また相互に異なっている意

味は何か、意味の違いは動機づけなどの観点からどの

ように説明できるのか、意味の守備範囲はどのように

異なっているのか、といった放射状カテゴリー構造の

共通点と相違点を明らかにしてあげる必要がある。具

体的な例を挙げれば、格助詞デ、ニにはいずれも時間

の用法がある点では共通している。しかしデの場合は、

「事態(動作や出来事)が成立する背景としての場所

用法」が時間へとメタファー的に拡張した用法である

ため、「その事態が成立する舞台としての時間的な背

景(すなわち「場面」)」を示すことになるが、ニの

場合には、「空間的な存在位置」を表す用法が、時間

へとメタファー的に拡張された用法であるため、「事

態(動作や出来事)が成立する時間的な位置(すなわ

ち「時点」)」を示すことになり、そういった用法の

違いを平易な用語や説明、図式などで示していくこと

になる。

また、上で見たように、ニとヘ、ヲとカラ、ニとマ

デ、ヲとガのように、意味の違いがそのベースやスコ

ープの違いに由来している場合もあるので、そのよう

な違いを例文や図などでわかりやすく説明することも

必要であろう。

3. 格助詞の意味構造と習得との関係

森山(2005:136-143)では、格助詞デを例に、言

語の意味構造(放射状カテゴリー構造)と習得との関

係を考えた。言語(語)とはカテゴリーに貼られたラ

ベルであると考えると、言語の習得とはカテゴリー化

のプロセスと表裏一体のものであるといえる。また基

本的にカテゴリー化がその内部においてプロトタイプ

からその拡張へと進むわけであるから、言語習得もま

たプロトタイプ的な意味が先で、拡張的な意味は習得

が遅れると考えることができる。

このような傾向は、母語(第一言語)習得のプロセ

スではカテゴリー化の認知プロセスと並行した形で言

語の習得が行われるため、言語習得のプロセスがかな

りはっきりとプロトタイプからその拡張へと進むこと

が確認できるかもしれないが、第二言語習得の場合に

は、学習者の頭はすでに母語の処理のために特化され、

最適化した状態にあり、母語習得時に一度完了したカ

テゴリー体系がメタ知識として潜在的知識を形成して

いる。第二言語(目標言語)の新しいカテゴリー体系

が母語のそれと全く同じであるとは考え難いため、第

二言語習得時には、母語のカテゴリー体系は概念変化

のプロセスによって、第二言語の新しいカテゴリー体

系に作り変えられなければならない。しかしその場合

には、転移など、母語のカテゴリー体系が第二言語の

カテゴリー化にどのように関わっていくのかが問題と

なる。

今井(1993)、Shirai(1995)、Ijaz(1986)などによれ

ば、プロトタイプが母語の影響を受けやすいこと、周

辺的意味の習得が困難なこと、意味表象が拡散的で放

射状構造を持たないことなどが指摘されている。これ

からわかることは、第二言語習得に伴って進むカテゴ

リー化のプロセスは、大まかに言えばプロトタイプか

ら周辺的な拡張例へと進むであろうと推されるが、そ

れはすでに学習者の脳内に確立されている母語のカテ

ゴリー体系の影響を受けつつ行われるということであ

る。従って第二言語習得のプロセスは母語習得時ほど

60

Page 62: 認知言語学的観点を生かした

には、プロトタイプから拡張へといったカテゴリー化

のプロセスをきれいに反映しない可能性がある。別の

言い方をすれば、第二言語習得のプロセスを決定する

要因には母語の影響、教科書や教え方の影響、学習環

境などさまざまなものが考えられ、プロトタイプ効果

はその一つに過ぎない。そのため、他の要因が同一ま

たは無視できるような場合に限り、習得のプロセスが、

放射状カテゴリー構造にそってプロトタイプからその

拡張へと進むことが期待できると言わなければならな

い。

格助詞デの場合、学習者の母語に関わらず、プロト

タイプ的な意味・用法である場所用法の習得が早いな

ど、意味構造と習得との間に密接な関係があることが

示された。但し、これは格助詞デの場合であり、その

他の語の習得について同じようになる保証はない。

しかしながら他の条件が(ほぼ)同一であるならば、

プロトタイプ的な意味の習得が早いということは言え

る可能性があり、そのことは日本語のカリキュラムや

教材作りに何らかの示唆を与えてくれると期待される。

最後に言語教育への応用を考える場合、気をつけな

ければならないことは、意味構造と習得との間に何ら

かの関係があり、プロトタイプ的な意味・用法が拡張

的な意味・用法に比べて習得が早いということがわか

ったとしても、それがただちに、プロトタイプ的な意

味・用法を先に教えるべきことを意味することにはな

らない。この点については今後の検討課題としなけれ

ばならないであろう。

4. 認知言語学が第二言語教育へ提言すること

最後に、単に格助詞習得のみならず広く言語習得に関し、

認知言語学の掲げる用法基盤モデルが第二言語習得教育に

提言できることをまとめてみたい。

(1)ボトムアップのプロセスの重視

認知言語学を教材開発や教授法に応用したとしてい

るものを見ると、よく語の意味をイメージ図式で示し

ているものが多い。確かにイメージ図式は明示的で直

感的に意味を感知することができるメリットがある。

しかしながら逆にそのイメージにとらわれてしまって、

思ったように習得が進まない可能性もある。本来それ

ぞれの語についてその言語の母語話者が有している、

その語のプロトタイプ的なイメージやスキーマ的なイ

メージは、習得のプロセスの中で抽出されてできたも

のであり、相当に抽象的かつ柔軟性をもっており、そ

れを具体的で固定的な図に表すには無理があることを

忘れてはいけない。言いかえれば母語話者が習得のプ

ロセスで獲得した個々の語のプロトタイプやスキーマ

のイメージは、相当にトポロジカルなものであり、

個々の具体的な意味と融合できるだけの柔軟性を有し

ている。このようなトポロジカルなイメージは、多く

の用例に触れる中からボトムアップ的に獲得していく

ものである。逆に言えば、多くの事例に触れて獲得し

たイメージでなければ、イメージの柔軟性は保証でき

ない。従ってこれを教師がトップダウンで示した場合、

そのイメージ形成を促進する反面、その図が柔軟性を

持ちえず、逆に習得を阻害する危険性もあるというこ

とである。

従って授業では、そのイメージをトップダウン的に

示すこと以上に、学習者をして出きるだけ幅広い用例

に触れさせ、自らそれらの用法からプロトタイプやス

キーマ、意味構造のイメージを見出していくことをサ

ポートすることが大切であると思われる。またイメー

ジを図で示す際に、本来抽象的で、学習者が習得の結

果として最後に獲得するはずのスキーマを図示すべき

か、それとも、それ(スキーマ)よりは具体的で、学

習者が最初に獲得しやすいプロトタイプのイメージを

図示すべきかについても検討していく必要があろう。

(2)言語運用重視

ボトムアップのプロセスとは、具体的には、言語を

実際に繰り返し運用(使用)する中で、文法などの抽

象的、スキーマ的な言語知識を習得することにほかな

らない。生得主義では生得的な言語能力が言語習得の

主役であったため、言語運用はそれほどの役割を担っ

ていなかったが、認知言語学では、実際の運用の中で

それに依拠して語彙を習得し、スキーマとしての文法

を抽出していくため、反復的な言語の運用は言語習得

において何よりも重要である。認知言語学の言語習得

のモデルを「usage-based model(「用法基盤モデル」

とか「使用依拠モデル」とか訳される)」と呼ぶのも

そのためである。

(3)意味のカテゴリー構造の明示

言語は意味のカテゴリーに貼られたラベルであり、

言語習得はカテゴリー化のプロセスと表裏一体に進行

する。従って第二言語習得とはカテゴリー再編成のプ

ロセスであるということができる。カテゴリー再編成

のためには、カテゴリーのプロトタイプ、スキーマ、

意味構造が再構成されなければならない。そのために

は目標言語のカテゴリー構造や目標言語と母語のカテ

61

Page 63: 認知言語学的観点を生かした

ゴリー構造との異同を明示的に示すことは効果的であ

ろうと思われる。

従ってそれらを提示する、あるいはボトムアップ的

に習得するのをサポートする教材や教授法が求められ

る。

(4)言語学習の語彙学習的側面の重視

これまでの言語学習は、どちらかというと文法など

のルールを学ぶことに重点が置かれ、そのためどうし

ても「ルールから具体的な文へ」とトップダウンの教

育が多かった。その一方、個々の語については、各自

の暗記に任せてしまう傾向もあった。認知言語学では

言語学習を基本的に語彙学習としてとらえており、ル

ールはそれらの中からボトムアップ的に抽出されるも

のであると考える(もちろん大人の第二言語習得では

次に述べるように、トップダウンにルールを示すこと

もそれなりに有効性を持っている)。

従ってこれを日本語教育に生かすとすれば、ただ一

方的に文法知識を提示するトップダウン的な方法だけ

ではなく、具体的な語や文の例を豊富に学習者に与え、

その上でスキーマとしての文法が自分の力で容易に帰

納できるように手助けしてあげられるような、教材や

教授法を用いることが重要である。また言語学習にと

って語彙学習が重要であるということは、よりよい辞

書の開発も進められなければならないことも意味する。

(5)認知能力の発達に対する配慮

認知言語学は、言語の能力や習得は認知能力と密接

な関係があると考えている。母語習得の過程では、認

知能力がいまだ未発達なため、語彙や文法(ルール)

の習得はもっぱらボトムアップ的なプロセスによらざ

るをえないが、大人の第二言語習得では、認知能力の

発達により、ボトムアップのプロセスとともに何らか

のルールや母語の知識などをトップダウンで適用する

ことも可能となるため、言語習得においてもその両者

を効果的に活用することが有効であろうと思われる。

(6)百科事典的な背景知識の重視

言語学習において語の意味はとかく辞書的意味への

言及にとどまることが多かった。しかしながら子供の

母語習得を見ると、語の習得はコンテクストに埋め込

まれながら一つ一つ意味の習得が行われていく。また

それぞれの語には少なからず文化的意味を有している

場合もあり、そのような意味は辞書的意味よりは、百

科事典的な意味に反映されていることが多い。従って

語の意味の習得は、辞書的意味だけでは不十分であり、

コンテクストを有する具体的な文例や語の用例の蓄積

の中から、コンテクストに埋め込まれながらボトムア

ップ的に習得することも必要であろう。そうしないと

学習者は、辞書的意味は新たに学ぶが、文化的な知識

などの背景知識は母語からそのまま借用してしまい、

負の転移を引き起こす可能性もある。

また 2.3 節で見たように、格助詞の習得でも、ニと

ヘ、ヲとカラ、ニとマデなどでは、その背景知識(ベ

ース)が意味・用法の違いとなっていた。意味が類似

するこれら格助詞の習得に際しては、その背景知識

(ベース)にも目を向ける必要があり、こういった背

景知識の獲得には多くの用例に触れさせながら、ボト

ムアップ的なプロセスを踏むことが重要であろう。

(7)言語の類型論的特徴の重視

認知言語学は、言語活動は認知活動の一つであり、

認知主体としての人間が外界を概念化するプロセスと

密接な関係があると考えている。従って言語表現は、

格助詞デ、ニ、ガなどのところで見たように、認知主

体としての人間の主体的要因(パースペクティブな

ど)も反映していると考える。またそういった要因が

どのように、またどの程度言語表現に反映するかは、

言語により異なり、また言語にある程度一貫性がある

ようである。例えば日本語は「主観的把握」をするこ

とが多い言語であるのに対し、英語は「客観的把握」

を主とする言語であることは何度も述べた。こうした

観点は、今回の本書の分析で既に明らかなように、日

本語の言語体系の特徴や他の言語との違いを総合的に

理解したり、その成果を言語教育に生かしたりする際

に大きく役立つといえる。

5. おわりに

以上、認知言語学の観点から、日本語教育への提言

をいくつか挙げてみた。認知言語学は本来理論言語学

の一つであるが、今世紀に入り、応用言語学の分野に

足を踏み入れ、いよいよ言語教育への研究である「応

用認知言語学研究」を開始した。2000 年には、国際認

知言語学会の学術誌『Cognitive Linguistics』11 で、

はじめて言語習得の特集が組まれた。さらに 2001 年

『Cognitive Linguistics Research』19(Mouton de

Gruyter)では「応用認知言語学(Applied Cognitive

linguistics)」がテーマとして扱われ、言語習得理論

や教授法が論じられた。2004 年には『Cognitive

Linguistics, Second Language Acquisition, and

Foreign Language Teaching』(Mouton de Gruyter)

が出版されるなど、いくつかの著作が刊行された。し

62

Page 64: 認知言語学的観点を生かした

かしその内容を見ると、言語習得や言語教育につなが

る応用言語学的な研究はまだその途についたばかりで

あることが一目瞭然となる。日本認知言語学会の全国

大会でも、近年、言語教育に関する発表が出始めてい

るものの、その数はまだ少なく、日本語に関するもの

はさらに少ない。その意味で、認知言語学が今後、果

たしていかなければならない言語習得・言語教育分野、

とりわけ日本語教育への拡大という面において、微力

ながら本書が先駆的な役割を果たしていくならば幸い

である。

認知言語学が言語習得や言語教育に様々な有益な観

点を提示してくれていることは、紛れもない事実であ

る。その意味でこうした研究がさらに積み重ねられ、

今まで研究の遅れがちであった習得や教育に関する研

究がさらに進んでいくことが期待される。

【付記】本論文は、『同日語文学研究』21:63-80

(韓国・同日語文学会)に掲載されたものを加筆修

正したものである。

注 1. 最近、英語に関する辞書では、コーパスに基づき訳語

を配列したりすることが多くなった。また、一部の辞

書、例えば『E ゲイト英和辞典』(Benesse)では、基

本語彙について、その語のイメージを図で示すものが

出てきた。しかしここで用いられている図はコア図式

(本書のスキーマ図式にほぼ相当する)であり、図が

抽象的なものであるため、学習者がどれだけ参考にで

きるかは未知数である。また『英語語義イメージ辞

典』(大修館書店)では、その語のイメージが言葉で

説明されている。日本語に関してはそのようなものは

管見の限りでは見当たらない。後注はこの文書ファイ

ルの最後に付加される。そのテキストをここに手作業 参照文献 今井むつみ(1993)「外国語学習者の語彙学習における問題

点:意味表象の見地から」『教育心理学研究』41,

pp.243-253. 森山新(2005)『認知言語学的観点を取り入れた格助詞の意味

のネットワーク構造解明とその習得過程(平成 14

年度~平成 16 年度科学研究費補助金研究(基盤

研究(C)(2))課題番号 14510615 研究代表者:

森山新)成果報告書』. (http://jsl.li.ocha.ac.jp/morishin1003/でも

ダウンロード可) Ijaz, I. H.(1986) Linguistics and cognitive

determinants of lexical acquisition in a

second language. Language Learning., pp.36-4.

Shirai, Y.(1995) The Acquisition of the basic

verb PUT by Japanese EFL Learners:

Prototype and Transfer.『語学教育研

究論叢』12, pp.61-92.

もりやま しん/お茶の水女子大学 国際教育センター

morishin@cc.ocha.ac.jp

63

Page 65: 認知言語学的観点を生かした

中国語の指示詞“这”“那”について ―中国語教育への応用―

新沼 雅代

要 旨 中国語における指示詞は主に“这”(zhè)と“那”(nà)に二分される。本稿は、“这”は近称指示、“那”は遠称指示

と一般に説明されているが、空間的な距離の他に、心理的な距離も“这”と“那”の使い分けにおおいに影響しているこ

とを指摘し、さらに、“这”と“那”が時間を指す場合の違いを図式化するなど、中国語学習者の指示詞に対する理解を

促進できる説明を試みたものである。 【キーワード】ダイクシス、近称指示、遠称指示、空間的距離、心理的距離、这、那 1. ダイクシスとは ダイクシス(deixis)とは、主に話し手と聞き

手の時間的、空間的関係で、その指示内容が変化

するという言語表現の特質である。そして、ダイ

クシスを示す言語形式には、人・場所・時間を表

す代名詞などがある1。以下に、Achin Eschbachの「Deixis」というレビュー論文を参考にダイクシ

スについて概観してみる。 2.“Deixis” 2.1 心理的距離

deixis という用語は、従来言語学者達によって

いわゆる「異質」なものに括られてきたが、現在

では、deixis を扱うにあたり、その指示対象と、

話し手・聞き手の関係を無視することはできない

と考えられている。 それは、指示する対象が、空間的に話し手・聞

き手から近いところにあるか(proximal)、或い

は遠いところにあるか(distal)によって指示詞

(deictics)が使い分けられていると考えられて

いるからである。その距離は空間的なものに限ら

ず、話し手・聞き手のその指示対象に対する「心

理的距離」も関係する。指示対象を話し手が自分

に近いものと認識していれば、それが空間的に遠

くにあっても、近位置を表す指示詞を用いるので

ある。 2.2 経験的結びつき 当該論文では指示詞とその指示対象の結びつき

は、自然的経験からも割り当てられる、としてい

る。つまり、特定の対象を指示するのに、特定の

指示詞が使われるということである。これが成り

立つ場合は、話し手と聞き手が、その指示する対

象を含めた情報を既知のものとして共有している

場合や(例えば、A:「田中さんの、ほら、あの

件なんだけど。」B:「ああ、あの件ね。大変だっ

たわね。」のやりとりの「田中さんのあの件」が、

AとBにおいて共有された旧情報である、といっ

たように。)、さらに、唯一の存在物などには絶対

指示が用いられるような場合である しかし、その他の場合は、聞き手は単なる指標

(index)である指示詞を聞き手自身の力でそれ

が何を指しているか推しはからなければならない、

としている。つまり、指示詞の使用は、多分に話

し手中心的であり、聞き手にとってはその対象を

捉えがたい場合がある。 2.3 筆者の考察 当該論文では、変形文法によって指示詞の照応

を説明するのは不完全であると指摘し、さらに

Peirce,Charles の言葉を引用し、ダイクシスの本

質は、自我と非我の衝突から出現し、現場性と現

在性を無視した一般化はできない、と結論付けて

いる。 一つの文内で、指示詞が何を指しているかは、

変形文法によって前方照応をうまく説明できるが、

後方照応や、談話という相手とやり取りが行われ

る文より大きなスペックでは、その現場性

・現在性を生成文法では(新たにルールを作らなけ

れば)それらを説明しきれない。さらに、指示詞の

使用には、話し手の主観(対象に対する態度)が介

在するため、ダイクシスは語用論的に考えなければ

64

Page 66: 認知言語学的観点を生かした

ならない。 以上を踏まえ、次に、中国語における指示詞

“这”と“那”の使用について考察し、中国語学習

者にどのように説明すれば効果的か考えてみたい。

3. 中国語の“这”“那” 中国語における指示詞“这”“那”は、各初級中

国語の文法書をみるとそれぞれ「this」「that」に相

当するなどと説明されており、辞書的説明 2では、

“这”は「①この・その・こんなに・そんなに、と

いう意味で、話し手に近い人や事物を指す。②こ

れ・それ・こちら・この人、という意味で、近くの

人や事物に代えて用いる。」また、“那”は「①あ

の・その・あんなに・そんなに、という意味で、比

較的遠い場所や時間、または話題の人や事物を指す。

②あれ・それ・あの人・その人、という意味で、比

較的遠くの人または話題の人や事物を指す。」とさ

れている。 実際には、話題の人や事物を指す時に“这”を

用いる場合もある。さらに、人や事物が「話題」つ

まり「主題として焦点化」されているときは“那”

を使う、と学習者が過剰一般化する恐れがある。そ

して、話し手の指示対象への「心理的距離」による

影響については触れられていない。そして、“这”

“那”両方が中称指示(「そ」)に用いられる点につ

いても、日本語など指示詞を「こ・そ・あ」(不定

称指示を除いて)の三項対立でとらえる言語を母語

とする学習者は必ず“这”“那”の使用で誤りをお

かすと予想できる。そこで、以下に、徐默凡の

「“这”、“那”研究述评」というレビュー論文を参

考に中国語の“这”“那”について概観しつつ、中

国語学習者にどのように“这”“那”を説明すれば

理解しやすいか考えてみたい。 3.1 心理的距離と定冠詞 当該論文では、中国語の“这”は近称指示、

“那”は遠称指示を表し、その使い分けは空間的距

離の他に心理的距離に因り、そして、話し手・聞き

手の間に「暗黙の了解」があれば(つまり、情報が

既知かつ双方で共有されていれば)、“这”“那”の

「距離」に因る使用のルールは曖昧になるとしてい

る。また、中国語の指示詞は“这”と“那”に二分

されるが、方言の中には中称指示を表す語を持つも

のもある。それは、中称指示を表す語がもともと存

在したのではなく、“这”と“那”が弱化してでき

たものである、としている。 3.2 意味の稀薄化 北京語の口語では、話し手の空間的或いは心理的

距離を表すという“这”“那”の本来の意味が薄れ

た“这”“那”の用法がみられる。例えば、「这老

婆」(この類いの奥さん)「这机器人」(この類いの

ロボット)などの“这”は、「この奥さん」「このロ

ボット」のように、後ろの名詞を指しているのでは

なく、「このような類いの人/事物」と広く対象一

般を指しており、“这”が広範なものを意味する単

なるマーカーになっていると考えられる。さらに、

「那熟练那专业」(とても熟達している)のように

性状の程度の高さを表す場合もある。 一方で、例えば「我这舞跳得也够灰心的」(私は

踊っても全然楽しくない)のように、“这”はフレ

ーズの前におくことができ、“这”それ自体がまっ

たく意味を持たないマーカーである場合もある。 以上のように、“这”“那”が何らかの成分と連用

されて用いられる場合だけでなく、“这”“那”が目

的語の位置にある場合にも、やはり意味の稀薄化が

起こっている。例えば、「怕这怕那」(あれもこれも

なんでも怖がる)のような場合、“这”“那”は具体

的に何かを指しているのではなく、不確定のものを

広く指している。このような場合は、“这”と

“那”が相前後してあらわれる場合がほとんどであ

る。 さらに、“这”“那”の意味の希薄化により、

“这”“那”が接続詞的用法を持つ場合がある。例

えば、「跑?那算他交了运了。」(逃げた?なら彼は

運が良かったってことだね。)ここでの“那”は前

文を受けて次の文へと接続しており、“那”が具体

的に何かを指しているとは考えられない。 しかし、“这”“那”が同一文内に何らかの成分と

連用した形で共起したとき、それは“这”“那”そ

れぞれが指す対象の「指示と区別」という意味が生

じ、“这”“那”は具体的に何らかの対象を指す。例

えば、「这间屋子通着那间屋子」(この部屋はその部

屋に通じている)「这间屋子住得下这么多人吗?」

(この部屋にこんなに大勢の人が住めますか?)の

ようにである。 3.3“这”“那”の不均衡 “这”は“那”よりも、使われる頻度が高く、

適用される範囲も広い。以下に、“这”“那”の違い

について当該論文の考察をまとめる。

65

Page 67: 認知言語学的観点を生かした

① その場・その目の前の事物を指す場合は

“这”がよく使われる。 ② “这”は全体を、“那”は局部を表す。つま

り、“这”が指すものは“那”が指すものを

包括する。 ③ 中国文学作品は、読者に臨場感を与えるた

め、“那”より“这”をよく使う。 ④ “这”は話し手の主観的な感情、特に不平

や不満といった負の感情を表すのに用いら

れる。 ⑤ “这”“那”はほとんど同じように、前文に

現われた人物や事物を受けて、前方照応を

表すことができるが、“这”のほうがよく使

われる。 ⑥ “这”“那”は、文内の位置する場所によっ

て異なる働きをする。例えば、「这/那我去

战争」(私は戦争に行きます)「我这/那去

战争」(私は戦争に行きます)“这”“那”は

前者では「話題」、後者では「判断」を表す

ことになる。 ⑦ 後方照応について、“这”“那”ともに用い

られるが、“这”のほうがはるかに使用され

る頻度が高い。 ⑧ 「“这”+時間詞」は現在・過去を表すこと

ができるが、「“那”+時間詞」は過去しか

表せない。 3.4 結論 人間は、自分を「内」とし外界を「外」といっ

たように、自分を中心に物事を認識する。そして、

中国語においては「内」が“这”で、「外」が

“那”で表され、言語の形態として多く“这”が無

標、“那”は有標として表される。 3.5 筆者の考察

3 章で取り上げた徐論文はレビュー論文であり、

引用している論文は、実際の“这”“那”の事例を

もとに、帰納的に結論を導いている論文が多い。そ

の為、言語の実際には各論文の結論に当てはまらな

い事例が出てくる。その一つが、3.3 の⑧「“这”+

時間詞」は現在・過去を表すことができるが、

「“那”+時間詞」は過去しか表せない、というも

のである。正確には、「「“这”+時間詞」は過去・

現在・未来を表すことができる。」「「“那”+時間

詞」は過去・未来を表すことができる。」」とすべき

で、つまり、「「“那”+時間詞」は現在を表すこと

ができない」のである。これは、“这”“那”が距離

の影響も受けるという要因の他に、話し手の視点の

移動が関係するからであると筆者は考え、以下の図

1,2 のように表す。 過去 現在 未来

例えば、同じ「過去の一時点」を表す場合にそ

れぞれ“这”“那”を使っても同じ「過去の一時

点」を表すことができる。例えば、「1999 年 12 月

31 号,这时候我跟他在一起……」(1999 年 12 月 31日、この時私は彼と一緒にいて…)「1999 年 12 月

31 号,那时候我跟他在一起……」(1999 年 12 月 31日、その時私は彼と一緒にいて…)。“这”を用いた

場合、話し手の視点は「1999 年 12 月 31 日」に移

動している。一方で、那”を用いた場合は、話し手

の視点は問題にしているその「過去の一時点」に移

動することはできず、発話している「現在」に立ち、

問題の「過去の一時点」について発話しているので

ある。これは「未来の一時点」の場合にもあてはま

る。“这”“那”両者における、この時間的な制約か

らも、“那”は、あくまでも対象を話し手から「離

れたもの」として捉えた場合の表現であることを確

認することができる。話し手がその「時間的な対

V V

这 这 这

図 1 “这”の時間性

過去 現在 未来

図 2 “那”の時間性

那 那

66

Page 68: 認知言語学的観点を生かした

象」に「思い入れ」があり話し手に近いと捉えてい

るため“这”を使うとも考えられるので、対称に対

する「親疎」という観点で、この「時間的距離」を

「心理的距離」に含めることもできるが、本稿では、

話し手の視点の移動を経ることによって、“这”を

使うことができるようになるのではないか、と考え

るため、心理的距離に時間的距離を含まないとして

いることをお断りしておきたい。 また、当該論文の考察が言語の実際と異なるも

う一点は、話し手の指示する対象への心理的距離の

判断についてである。例えば、①「我的课本在小明

那儿」(私の教科書は明ちゃんのところにある)の

ように心理的距離が遠ければ、遠称指示の“那”を

用いる。(※ちなみに“这儿・那儿”は人や事物を

表す名詞のすぐ後ろについて場所を表す。“这儿・

那儿”は“这里・那里”より口語的。)しかし、次

の②を参照されたい。②「他们这里也讨论这个问

题」(彼らのところもこの問題について議論してい

る。)①と②を比較すると、同じように空間的距離

が離れているのだが、“这里”と“那儿”が使い分

けられている。①の「彼ら」を話し手が比較的近い

存在だと捉えているためだと考えられるが、それだ

けでなく、彼ら「も」(“也”)話し手と「同じ問題

を議論している」という共通点により、話し手が

「彼ら」を近い存在だと認識している、と考えられ

る。 つまり、中国語では、話し手(書き手)の対象

に対する距離(親疎の感覚)は、文内の指示詞以外

の成分や、文を超え、前後の文脈に表される場合が

あるため、そこから聞き手(読み手)は話し手(書

き手)が指示対象をどのように捉えているかを判断

しなければならない。 最後に、“这”“那”の両方が中称指示(「そ」)

に用いられるという点についてだが、中国語教育に

おいて、中国語は“这”“那”、つまり「内」か

「外」かという二項対立の言語を、日本語のような

「こ・そ・あ」という三項対立(不定称指示を除い

て)である言語と比較するがゆえに、「そ」は“这”

“那”のどちらにあたるのか、といった疑問が生ず

るのであり、中国語は、日本語で「そ」を用いて表

現するような場合でも、話し手が対象をどのように

捉えているかによって“这”“那”を使い分け、

「そ」にあたるものを指示する言語である、という

ことを指示詞導入の際に学習者にはっきりと説明す

るべきだと考える。 そして、中国語教育において、指示詞“这”“那

の使用決定要因について、以下のように分類して学

習者に説明すると理解促進に効果的であると考える。 中国語の指示代名詞は“这”“那”に二分され、

その使い分けは話し手側の以下の要因によって決ま

る。 ① 空間的距離。(実際の遠近) ② 心理的距離。(親疎の感覚) ③ 時間的距離。(視点の位置、親疎の感覚) ④ 構文的使用。(例)「怕这怕那」) ⑤ 慣用的使用。(マーカー的、接続詞的用

法) 注 1. 現代言語学辞典(成美堂)の記述を参考にして

いる。 2. 中日辞典(小学館)の記述を参考にしている。 参照文献 劉月華 他 相原茂 監訳(1996)『現代中国語文

法総覧』 Achim Eschbach: Deixis In: Papers In Honor Of Yoshihiko

Ikegami, The Locus Of Meaning (1997) 115-122 Kurosio. 徐默凡(2001)「“这”、“那”研究述评 」『汉语学

习』第 5 期

にいぬま まさよ/お茶の水女子大学大学院人間文化研究科言語文化専攻

[email protected]

67

Page 69: 認知言語学的観点を生かした

The Use of the Demonstrative Pronouns "zhe"and "na": Application to Chinese language edecation

NIINUMA, Masayo

Abstract

In the common language presently spoken in China (Putonghua or Mandarin), there are two main

demonstrative pronouns: “zhe”and “na”. Usually, the use of “zhe” refers to proximal objects, whereas the use of

“na” refers to distal objects. In this paper, it is pointed out that besides the local distance, the use of “zhe” and

“na” is influenced according to the psychological distance between the speaker and the objects. In addition, this

paper suggests that the schematization of “zhe” and “na” in the cases than those indicating a time matter, try to

help the learners of Mandarin the better understanding of demonstrative pronouns. 【Keywords】deixis, proximal, distal, local distance, psychological distance, zhe, na

(Department of Chinese Language and Literature, Graduate School, Ochanomizu University)

68

Page 70: 認知言語学的観点を生かした

コミュニケーションに関する認知言語学的研究 -大堀壽夫編『認知コミュニケーション論』より-

遠山 千佳

要 旨 本稿は、大堀壽夫編『認知コミュニケーション論』から、コミュニケーションを認知言語学的に捉えるアプローチを紹

介した。同書は、コミュニケーションを支える要素を、語彙や文法レベルから発信者・受信者間の相互行為レベルにまで

わたり、発話者が事態をどう捉えるかという視点から分析しており、コミュニケーションに関わる幅広い分野が、認知言

語学の視点を軸にまとめられている。 【キーワード】認知主体、相互行為、語用論、レトリック、社会的行為 1. はじめに 「認知」という言葉は現在さまざまな分野で使用さ

れており、「思考、記憶、知覚、認識、分類などに

おいて用いられる心的過程(Richards, et al. 1988、訳は山崎他 p.56)」と定義されている。「認知言語

学」は、そのような心的過程から説明された言語学

であり、「あることばが使われるとき、それはどの

ような感じ方や考え方を反映しているのか」という

角度から言葉について考えていく(p.ⅳ)分野である。

メイナード(2000)は、認知言語学で理論化される場

や視点は、あくまで主体と外界であり、主体の意図

表現やそれに影響を受ける相手との交渉を理論の射

程に入れていないとしている。つまり、認知言語学

で取り上げられるのは、主体とモノとの関係までで

あり、対人コミュニケーションは射程に入っていな

いとしている。しかし本稿でとりあげる『認知コミ

ュニケーション論』は、コミュニケーションを主体

がどのように捉えているか、或いは聞き手に対して

どのような配慮を行っているかという点にまで、認

知言語学的なアプローチで踏み込んだものである。 第1章を導入部分とし、第2章から第4章は語

彙・文・談話レベルで言語の仕組みを認知言語学的

に解釈し、第5章と第6章は語用論的な観点からレ

トリックを論じている。ここまでは主に主体がどの

ように事態を解釈しているかという認知言語学的視

点によって理論化されてきた部分である。第7章

「ディスコースと文化の意味」では社会・文化にお

ける対人コミュニケーションに関して、第8章「物

語の構造と発達」は会話や語りの能力やその発達を

とりあげている。これらは従来の認知言語学ではあ

まり取り上げられてこなかった部分であり、認知言

語学の視点を拡張した内容であるともいえる。

本稿では、第2章から第8章の各研究分野が認知

言語学のどのような観点から分析しうるかを『認知

コミュニケーション論』(大堀壽夫編、大修館書店、

2004)からとりあげる。 2. 語用論とコミュニケーションの仕組み

2.1 語用論の基本 第1章では、コミュニケーションを2つの段階

に分けている。1つは言語表現そのものの意味を知

る作業段階、もう1つはコンテクストに照らして、

言われたことを理解するための作業段階である(p.6)。前者は「文(sentence)」、後者は「発話(utterance)」と

して分けられており、言語学では前者を「意味論

(semantics)」、後者を「語用論(pragmatics)」と呼ぶ。

相手の発話の意図を理解するためには、文の意味だ

けではなく語用論的な能力が必要である。 では語用論的な能力とはどのような能力であろう

か。その重要な能力として、推論(inference)する

能力と、一般的な常識、個別的な知識が挙げられて

いる。発話を解釈するためには推論が行われ、コン

テクストの知識が参考にされる(p.10)ことになる。

たとえば、次のような例が示されている。 (路上でAがBを呼び止めて) A:この辺に、電話がありますか? B:そこの大通りを左に折れるとコンビニがありま

す。(p.11) BはAが単に電話の有無を尋ねているのではなく、

電話をかけたいので場所を教えて欲しいという意図

を持っているのだ、という推論をはたらかせており、

そのBの答えは電話については言及していないが、

69

Page 71: 認知言語学的観点を生かした

そこへ行けば電話があるということが意図されてい

ると推論できる。これはグライスの「会話の原則

(Maxims of Conversation)」のうち、発話を関連性の

あるものにすること、という「関係の原則」を利用

している。「会話の原則」は、グライスの、発話は

現在参加している会話の目的や報告に沿うように貢

献をはかるべきだという「協調の原理(Cooperative Principle)」を詳しく述べた原則であり、現在の語用

論の土台になった原理である。このような会話の原

理や原則に基づいた推論の結果、得られる言外の意

味が、会話の含意(conversational implicature)である。 更にコミュニケーションにおいては、この会話

の原則が故意に破られることがあり、その場合はま

た別の方法で推論が行われる。アイロニー(irony)や比喩(metaphor)、婉曲語法(euphemism)という理解の

仕方がそれにあたる。 2.2 語用論の応用

2.1 でみたような語用論の基本をもとに、コミュ

ニケーションの仕組みがいくつかの理論で説明され

るようになった。 その中で、現在まで数多くの研究が続けられて

いる代表的な研究分野が、発話を理解する観点を言

語的なものから社会的な行為へと移行させた、オー

スティン(Austin, John)やサール(Searle, John)による

発話行為に関する研究である(p.17)。 発話行為には、「感謝いたします」「お詫び申し上

げます」のように言語自体に行為を表わす語彙を含

める直接的なものと、「寒いですね」と言って暗に

窓を閉めて欲しいという依頼の意図を示すような間

接的なものがある。語用論的能力が関わってくるの

は、後者の間接的発話行為である。なぜ発話者はわ

ざわざ「寒いですね」と言ったのかを推論する過程

で、2.1 で挙げたような会話の原則が関わってくる。 発話行為以外には、Lakoff(1973)、Leech(1983)、

Brown and Levinson(1987)などによって打ち立てら

れた対人関係に関わるポライトネス(politeness)の研

究、文化ごとの違いをテーマとした研究(Keenan 1976)などがある。更に言語使用を対象とした語用

論の視野は広げられ、認知言語学的なアプローチと

しては、語の意味や文法構造が語用論的な問題設定

と結びつけられて分析される(p.21)ようになった。

3. 語彙や文法の話し手視点 3.1 指示語 第2章では、談話における it と that という指示

語の使い分けを取り上げている。談話用法では、itと that はどちらも命題とも名詞句とも照応し、日本

人学習者にとってその使い分けは難しい問題である

とされている。この章では、この2つの指示語の使

い分けを、語用論と機能言語学のアプローチによっ

て分析し、更にそれを認知言語学の「具体性の度合

い」「際立ち度」「記憶の領域」という視点から説明

している。この認知言語学による分析方法を用いる

と、it と that の意味価値を「イメージ・スキーマ」

として例示でき、それを利用することによって語用

論と機能言語学からの分析が説明できるとしている。

語用論の分析が主に聞き手の解釈を中心としてきた

のに対し、認知言語学では話し手の立場に力点がお

かれているというのがそれぞれの特色である。 ここで日本人学習者にとって、なぜ it と that の

使い分けが難しいのか、「それ」と「あれ」の比較

も認知言語学的視点から分析されている。その結果

It は「それ」と訳されることが多いが、it と「そ

れ」は、実はあまり対応していないことがわかる。

その理由として、「それ」は it よりかなり抽象度が

低いこと、it は短期記憶を扱うが「それ」は狭い即

時記憶しか扱えないことが挙げられている。また、

that が「あれ」に対応するのは直示用法のみであり、

that が「それ」に対応しやすい理由として、that と

「それ」は抽象度がつりあうこと、どちらも即時記

憶を扱えることが挙げられている。 It も that も日本語に訳すと「それ」ということが

あり、その点が日本人学習者にとって使い分けの難

しい点である。教示の際は日本語訳だけではなく、

このような認知言語学的視点を導入することにより、

効果的な教示ができるのではないかと考えられる。 3.2 相・時制・法 第3章では、英語の節構造が取り上げられ、そ

れを構成する相(aspect)、時制(tense)、法(modality)の仕組みやそれぞれの役割に焦点が当てられている。

ここでは、相、時制、法の解釈について、なぜ幅が

生まれるのかが認知言語学的に説明されている。 まず相についてであるが、perfective な事態と

imperfective な事態を客観的に分けることよりも、

話し手が描写の認知対象としてどのように意識する

かという点から分析することの重要性が述べられて

70

Page 72: 認知言語学的観点を生かした

いる。Perfective と imperfective の相の対立は、進行

形とは独立した概念で、「変化の意識の有無」によ

って規定できるという。また時制についても、物理

的には同じ事態でも、私たちは異なるイメージで捉

え、それに応じた表現を選ぶことができるとし、言

語が表現するのは一定の捉え方としてのイメージで

あるとしている(p.80)。最後に法についてであるが、

must と have to、will、can などの助動詞、また助動

詞を使う場合と使わない場合などは、やはり日本人

学習者にとっては使い分けが難しい項目である。例

えば、次の2例(p.89)の違いなどは日本語母語話者

にとってどう違うのか説明が難しいのではないだろ

うか。 a. Oil floats on water. (油は水に浮く) b. Oil will float on water. (油というのは水に

垂らせば浮く) 英語では現実/非現実を異なる形式で区別するが、

日本語にはそのような区別があまりなく、どちらも

同じル形で表現することによる難しさである。これ

は物事の捉え方の違いが言語に反映されていると考

えられる。また、仮定法における would の使用など

も、時間的な捉え方が日本語と英語で違うため、そ

のズレに留意することが必要であると指摘されてい

る。 3.3 情報構造 第4章では、英語の条件文、日英語の時制、パ

ラグラフの日英対照を考察することにより、情報構

造がどのようになっているか、認知言語学的に説明

されている。 まず複文には、「図」と「地」という認知上の区

分が反映されているとされている。認知言語学では、

何らかの点で認知的な際立ちをもち、話者の注意が

向けられるものを「図」、図を特定するための参照

点となるものを「地」と呼んでいる(p.102)。そして

客観的には同じ事態に対しても、話し手の認知や解

釈の違いが、ある対象に目を向けるための基準、つ

まり「参照点(reference point)」を何にするかに反映

される。 話し手の一般的な捉え方は、複文では、主節が

事態で、従属節が参照点となる事態であるとされて

いる。情報構造(information structure)の観点からは、

新 情 報 (new information) が 図 、 旧 情 報 (old

information)が地となるという。それはコミュニケ

ーションが旧情報に新情報を加える形で進行するた

めであるとされている。 また、発話行為の場合には、条件節が発話行為

が適切に行われるための条件を述べるというような、

聞き手との関係に配慮した対人機能(interpersonal function)ももつことがあるとされている。たとえば

「差し支えなければ、お名前と住所を教えてくださ

い」といったような文の条件節である。これも従属

節が参照点となる例であるといえる。 次に日英語の時制であるが、英語では過去の行為

は全て過去形を取るのに対し、日本語では状況によ

りル形を使用することもあることが指摘されている。

特に次のような文では、過去の行為であっても必ず

ル形になる。 a. 昨日は、ジョーが帰{る/*った}前にロンが

来た。 b. Ron came before Jo {*comes / came} yesterday.

(p.116) この違いは、英語の時制が常に発話時という固定的

時点を軸として、事態を時間上に位置づけるように

はたらくのに対し、日本語の時制は基本的に話し手

と事態との相対的な位置関係を表し、事態を認識し

ている認知主体としての話し手やその時間的位置に

ついてはコンテクストで補う仕組みになっているか

らである(p.116)。つまり英語では時制選択の基準が

固定的であるのに対し、日本語では可動的であると

説明されている。 最後に日英の言語パタンであるが、言語により、

情報のどこまでを言語化すれば適切かという程度に

はパタンがあるとされている(p.130)。たとえば“I love you”というか、「愛しているよ」というかであ

る。この場合のように日本語では、主語や目的語な

どコンテクストや常識で見当がつく部分は言語化さ

れないのが普通である(p.130)。またこのような違い

は文レベルに限らず、談話においても英語ではトピ

ックセンテンス(topic sentence)があることが期待さ

れるが、日本語ではそれほど期待されないなどの違

いも見られる。

71

Page 73: 認知言語学的観点を生かした

4. レトリック 4.1 レトリックに基づく言語表現 私たちの使う言語は、「真か偽か」という判断だ

けでは行われない(p.137)。効果的なコミュニケーシ

ョンを行うにはどのような表現方法をとればよいか

選択しながら言語を使用する。それがレトリックの

問題である。第5章では命名を題材に、レトリック

について考察されている。 命名(naming)には、言語による捉え方の多様性が

端的に表れる(p.138)。夏目漱石の『坊ちゃん』では、

主人公が、薄ひげのある、色の黒い、眼の大きい校

長に「狸」というあだ名をつけている。これは類似

性(similarity)を利用したメタファーによるものであ

る。また年中赤いシャツを着ている教頭につけられ

た「赤シャツ」というあだ名は、赤いシャツと教頭

に隣接性(contiguity)があると主人公が感じたことに

よる命名法で、メトニミー(metonymy)に基づいてい

る。イヌのような一般的な名称が恣意的(arbitrary)であるのに対し、このようなメタファーやメトニミ

ーといったレトリックを用いた名づけは、有契的

(motivated)であるという。幼児語の「ワンワン」

「ニャーニャー」、セミの種類の「ツクツクボーシ」

「カナカナ」、植物名である「オジギソウ」「サギ

(鳥の種類)ソウ」なども有契的な命名の典型的な例

である。 このようなレトリックを用いた名称からは、命名

に携わった人間の対象に対する知覚、理解、感情、

美的関心などの認知活動が見える。そしてレトリッ

クを用いた言語表現は言語発信者の認知を反映し、

また受信者にイメージを思い浮かばせる創造的な力

を持っている(p.146)とされている。 4.2 メタファー 第6章では、第5章のあだ名の命名に利用され

たメタファー、メトニミーといったレトリックの仕

組みが具体的に述べられている。まずメタファーで

あるが、メタファーに関わる類似性は、単に物理的

性質に存在する客観的な類似性ではなく、身体をも

ち、感性を備えた人間が事物を知覚し、認識すると

いう経験を通して得た心的構成物のレベルで見られ

る類似性である(p.168)。この心的構成物についての

審美的価値観、情緒的評価によって発信者は意図を

効果的に表現し、受信者が解釈する意味の成立に重

要な役割を果たすとされている。 4.3 メトニミー

次にメトニミーであるが、事物を捉えるときに

その事物の中で際立った特徴的な部分に真っ先に注

目するという知覚の方法が関わっている (p.170)。メトニミーについては Langacker(1995)の引用がそ

の仕組みを的確に表現していると考えられる。それ

によると、表現の直接の指示対象は参照点であり、

その参照点は意図された対象物(ターゲット)との

心的接触を作り出している。参照点になりうるもの

は、ターゲットとの関わりにおいて認知的に際立っ

たものでなければならない、というものである。ま

た、参照点として認知的に際立つというのは、話し

手の情緒的評価に基づいたものであるとされている

(p.174)。 4.4 対義結合 効果的なコミュニケーションのために用いられ

るレトリックに、「対義結合(oxymoron)」という、

一見矛盾した表現を結びつけるレトリックがある。

たとえば、「若年寄」「負けるが勝ち」「慇懃無礼」

などである。これらの語句の成立に関わる認知的プ

ロセスには、二つの概念の対立の中に思いがけない

発見があることを示している。話し手はある対象の

属するカテゴリーの概念的特徴が自らの認識と矛盾

する場合、本来その概念内容とは相容れない要素を

結び付けようとする(p.178)。このように矛盾を包含

するような概念を言語化したものが対義結合である

(p.178)。 4.5 シネクドキー シネクドキー(synecdoche)は、日本語では「提

喩」と呼ばれている。伝統的には、指示対象物と意

味との間に「全体(whole)」と「部分(part)」の関係

がある場合と、指示対象物と意味との間に「類

(genus)」と「種(species)」の関係がある場合がある

とされている。前者はメトニミーの下位分類に入る

という見解があるため、ここでは後者を取り上げら

れている。 後者は、たとえば「お花見」というときの「花」

は「桜」を指すというレトリックである。「犬を飼

っています」というときの「犬」は何であろうか。

コンテクストがなくても「花」は「桜」と理解され

るが、「犬」と言われてもコンテクストがなければ

どのような犬かは想像できない。なぜコンテクスト

がなくても、「花」といえば「桜」なのかについて、

Lakoff(1987)のプロトタイプ効果(prototype effect)の主要な要因としてのメトニミー・モデルが挙げられ

72

Page 74: 認知言語学的観点を生かした

ている。メトニミー・モデルとは、あるカテゴリー

全体を理解するために、その一部に注目したり、そ

のカテゴリーの1メンバーや下位カテゴリーの状況

を表示したりする認知モデルである(p.183)。「花」

を例にすると、「花」には「花を添える」などのよ

うに、あでやかな美しさという情緒的評価がはたら

いており、その理想が、日本の文化社会で生きる人

にとっては「桜」である、という認知プロセスに基

づいている。つまり、カテゴリーの概念に対する情

緒的評価と、その評価を典型的に担うプロトタイプ

としての例という関係(p.184)が、シネクドキーのレ

トリックを支えている。 4.6 転移修飾語 最後に転移修飾語(transferred epithet)と呼ばれるレ

トリックを紹介する。下の例文の「形容詞+名詞」

がその例である。

a. He was now smoking a sad cigarette. (彼はそ

のとき悲しい煙草を吸っていた。) b. She tapped Bruton Street with a testy foot. (彼

女はブルートン通りを不機嫌な足取りでコ

ツコツ歩いた。) (p.184) これは、形容詞の与える情報が被修飾語に内在す

るものではなく、発話者がその指示対象(被修飾

語)をどのように理解しているか(p.185)、というも

のを表わすレトリックである。言語によって伝達さ

れる情報は、外界そのものに関するものではなく、

「私たちが経験した外界」に関する情報である

(p.186)という、まさに認知言語学的なレトリックの

1つであるといえる。 5. ディスコースと文化の意味 第7章は、これまでの認知言語学ではあまり扱わ

れてこなかった領域であると考えられる。言語を相

互行為的な「社会行為」とみなし、言語と人間、言

語と文化への複眼的なアプローチを検討している。

ここで今日の研究の流れの特色として主張されてい

るのは、文化や民族性が最初から先験的なものとし

て存在するのではなく、コミュニケーションのプロ

セスにおいて構築されるものであるという見解であ

る(p.222)。これらの考え方は言語人類学の流れを汲

んでおり、ハイムズ(Hymes 1964)が提唱した「こと

ばの民族誌」によって、言語が相互行為的な「社会

行為」として確立された。「ことばの民族誌」の枠

組みでは、言語とは言語構造というよりも言語使用

であり、人々のコミュニケーションにおける推論や

意味解釈の行為、その行為によって作られる意味を

示している(p.230)。 1970 年代には、ガンパーズ(Gumperz, John)が人

類学の視点から異文化間コミュニケーションを取り

扱い、対人コミュニケーション、つまりコミュニケ

ーションの相互作用におけるダイナミックな諸相に

基づいた研究を行っている。Gumperz(1982a, 1982b)では、多文化社会の中で起こるコミュニケーション

の過程で、どのように文化的、民族的なステレオタ

イプが作られていくのかという民族性(ethnicity)を重要視している。ガンパースは、現象学的社会学の

伝統を背景にした会話分析(conversational analysis)の具体的、微視的視点をディスコース分析に取り入れ

ながら、母語の異なる人同士のコミュニケーション

上の問題に取り組んでいる(p.234)。このような会話

分析の手法では、ディスコースが予め決められた構

成にしたがって展開するのではなく、意味が会話の

参加者によって共同構築される(p.237)という前提に

立っている。 6. 物語の構造と発達 第8章は、物語を成り立たせる要因を考え、続

いて物語が日常の活動の中でどんな意味をもつのか

を認知言語学的アプローチによって考察している。 物 語 らし さは 時 間性 (temporality) と因果 性

(causality)から作られている(p.251)。物語の語り方

を分析すると、主筋となっている部分は、時間の軸

に沿った、因果性によって結ばれた出来事であり、

物語の前景となる。一方、時間的な順序性のない、

物語の進行にとって二次的な部分は背景となる

(p.254)。文レベルで見たときと同様、前景‐背景と

いう区別は物語の素材の段階で常に決まっているも

のではなく、言語による語り方によって作り出され

る(p.254)。 ホッパー(Hopper, P.J.)とトムソン(Thompson, S.A)

は、どのような語りの部分が前景となり、どのよう

な部分が背景となるのかをミクロ構造から論じてい

る。それによると、他動性の高い節が前景と対応し、

低いものが背景と対応するという仮説を提案してい

る。 また物語る能力の発達についても述べられている。

73

Page 75: 認知言語学的観点を生かした

発達の初期の幼児は、聞き手との関係はお構いなし

に思いつきで語ることが多いという傾向があるが、

発達が進むと、聞き手の中に自分の語る物語が再現

されていることを認識しているため、相手との相互

関係の中で語るようになる(p.269)という。語るとい

う相互作用の根本には、出来事を経験した自分と、

それを回想する自分との内なる対話がある(p.275)。そういった意味で物語ることの分析は認知言語学的

アプローチであるといえる。 7. さいごに 『認知コミュニケーション論』では、コミュニ

ケーションを構成するさまざまな要素を認知言語学

的に分析している。これらは認知主体の経験を通し

て、主体が物事や事態をどう捉えているかを言語化

しているという視点に基づいている。その捉え方は、

語彙や文レベルにとどまらず、今後更に、談話レベ

ル、相互行為としてのコミュニケーションレベルに

も応用されていくと考えられ、本書はその第一歩を

踏み出したものであると考えられる。 更に、ここでは、言語表現のみ扱ったが、イン

トネーションやポーズなどのパラ言語的表現、視線

などの非言語的表現も、認知主体がどのように捉え、

話し手と聞き手の間でやりとりしているのか、今後、

認知言語学的に捉えなおしていく試みも重要であろ

う。

参照文献 大堀壽夫編(2004)『認知コミュニケーション論』大修館

書店

メイナード・K・泉子(2000)『情意の言語学』くろしお出

Brown,P and Levinson,S.C.(1987)Politeness: Some universals in language usage, Cambridge: Cambridge University Press.

Gumperz,J.J.,ed.(1982a)Language and social identity, Cambridge: Cambridge University Press.

Gumperz,J.J.,ed.(1982b)Discourse strategies, Cambridge: Cambridge University Press.

Hymes,D. (1964)Introduction: Toward ethnographies of communication, American anthropologist, 66, 1-34.

Keenan,E.O. (1976)The university of conversational postulqtes, Language in society,5, 67-80.

Langacker,R.W.(1995)Raising and transparency, Language, 71, 1-62.

Lakoff,G.(1987)Women, fire, and dangerous things: What categories reveal about mind. Chicago: University of Chicago Press, (池上嘉彦・河上誓作他訳『認知意味

論』東京:紀伊国屋書店) Lakoff, R.(1973)The logic of politeness; or, minding your p’s

and q’s, Chicago linguistic society, 9, 236-287.

Leech,G.N.(1983)Principles of pragmatics, London: Longman,

(池上嘉彦・河上誓作(訳))1987『語用論』東京:紀

伊国屋書店)

Richards,J., Platt,J., & Weber,H.(1985) Longman dictionary of

applied linguistics, (山崎真稔・高橋貞雄・佐藤久美

子・日野信行(訳)1988『ロングマン応用言語学用

語辞典』南雲堂)

とおやま ちか/立命館大学 法学部

[email protected]

74

Page 76: 認知言語学的観点を生かした

認知言語学の日本語教育への応用可能性

小浦方 理恵

要 旨 本稿は Cognitive Linguistics, Second Language Acquisition, and Foreign Language Teaching の内容をまとめ、日本語教育への

応用について述べたものである。Cognitive Linguistics, Second Language Acquisition, and Foreign Language Teaching に収めら

れている 12 本の論文は、認知言語学観点から第二言語習得研究や言語教育について述べているものである。それらの研

究内容を概観したのち、日本語教育への応用可能性を持つ日本文化への理解、語彙教育について考察した。特に、語彙教

育への応用については、意味知識の整理、動機付けの提示、図の提示について、研究で得られた知見を日本語教育にどの

ように応用できるのか考察した。 【キーワード】認知言語学、語彙教育、意味知識の整理、動機付けの提示、図の提示 1. はじめに

1980 年代から、Lakoff や Langacker などを中心 に、認知言語学という分野において、意味論を言 語研究の中心にすえた研究がなされている。また、 認知言語学の研究に伴い、最近ではそれを言語習 得や言語教育に応用しようという研究も英語教 育の方面から始まっている。 日本語教育において考えると、認知言語学の日 本語教育への応用は、未だなされていない。認知 言語学からの観点が日本語教育にどのように応用 することができるのかを、研究が進められている 英語教育の分野の文献をまとめ、そこから得られ た知見を日本語教育に応用できるのか、できると したら、どのような方法であるか考察することを 本稿の目的とする。 そのために、認知言語学と第二言語習得、また

認知言語学と外国語教育について述べられた文献

で あ る Cognitive Linguistics, Second Language Acquisition, and Foreign Language Teaching の内容

を概観し、そこで述べられていたことをいかに日

本語教育に応用できるか考察する。 2. Cognitive Linguistics, Second Language

Acquisition, and Foreign Language Teaching Cognitive Linguistics, Second Language Acquisition, and Foreign Language Teaching は、認知言語学とい

う観点から、英語における第二言語習得と外国語

教育について述べられた 12 本の論文をまとめた

ものである。以下、論文ごとの内容と、その研究

によって得られた知見を簡単に紹介する。

2.1 Achard and Niemeier(2003) この論文は認知言語学と言語習得、そして、教

授法についての導入として書かれたものである。

第二言語習得研究と、第二言語教育に対し、認

知言語学の視点を導入することの有効性を示すこ

とを目的とし、認知言語学を中心に、言語習得、

言語教育について概観し、互いのつながりを説明

している。

まず、Achard and Niemeier は認知言語学の観点

から認知言語学の重要な概念をまとめている。認

知的観点から見ると、言語研究の目的はその意味

機能を記述することにある。Langacker(1987)では、

言語体系を 1)表現に出現する意味的、音韻的、記

号的かたまり、2)構造のスキーマ化、3)構造間の

関係のカテゴリー化として捉えているが、これが

認知言語学における言語体系の捉え方ということ

ができる。

この分野では、意味についての研究が主に行わ

れ、その結果、Langacker(1987)の「認知的ドメイ

ン」、Fillmore(1982)の「フレーム」、Lakoff(1987)の ICM、Wierzbicka(1988)の「文化的スクリプ

ト」などの知見が得られている。

言語習得の観点から見ると、認知言語学では、

Usage based model の考え方が有力である。このモ

デルは Tomasello(2000)で詳しく述べられている。

Usage based model の特徴として、話され、理解さ

れ、使われるといった言語のダイナミズムを考慮

していることが挙げられる。 認知言語学的観点から見た第二言語習得と第二

言語教育について考えると、まず、第二言語教育

75

Page 77: 認知言語学的観点を生かした

を行う教師にとって、言語における意味の中心性

を認識することは言語体系を認識することに非常

に重要であり、そのことによって、教師の教育方

法論に重要な示唆を与えられると述べている。そ

して、言語体系の記号的特徴と、語彙論、形態論、

統語論の厳密な記述を行うことによって、第二言

語教育方法論に有効な示唆が得られることを示唆

している。 2.2 Oadierno(2003)

Oadierno は、認知的、類型学的観点から、第二

言語学習者は動的な事象をどのように表現するの

かについて研究したものである。 類型学的に異なる言語であるスペイン語とデン

マーク語について、第二言語で表現するときには、

動的な事象の表現をどのように把握し、表現する

のかについて実験を行った。 実験内容は、ある絵を見ながら、その事態のナ

レーションをするというものであり、スペイン語

母語話者とスペイン語学習者(学習者は全員デン

マーク語母語話者)でその言語表現の違いを分析

した。 その結果、スペイン語母語話者とスペイン語学

習者は異なった表現を用いることがわかった。そ

の原因として、母語の影響が考えられる。スペイ

ン語学習者たちは自分の母語であるデンマーク語

でよく用いる表現方法をスペイン語に転移させた

と見られるデータが多かったからである。 しかし、それはすべての項目についてではなか

った。デンマーク語ではよく使われる表現であっ

ても、それをスペイン語で表現するスペイン語学

習 者 が い な い 項 目 が あ っ た の で あ る 。

Oadierno(2003)ではこれを Kellerman(1978,1986)で述べられていた心理類型論によるものだとしてい

る。 2.3 Warra(2003)

Warra では、どのように学習者は母語話者とは

「少しだけ異なった」表現をするのか、という疑

問を出発点に、学習者言語の構造を調査した。 データは英語母語話者と英語学習者(すべてノ

ルウェー語母語話者)を対象に行ったスピーキン

グテストのコーパスを用いて、動詞 get について、

どのような意味で get を用いているか、認知言語

的意味分析をもとに分析した。 その結果、学習者の意味構造と母語話者の意味

構造ではいくつかの点で異なる部分があることが

分かった。そして、その違いの原因は概念の混合

や母語転移の影響、そして過剰一般化によるもの

だということが示された。 2.4 Lowie and Verspoor(2003) Lowie and Verspoor は、第二言語習得において、

インプットと母語の転移のどちらが強く影響を与

えるのかを英語前置詞について実験を行った。イ

ンプットは頻度とし転移は母語との類似性におい

て判断した。 被験者はオランダ語を母語とする英語学習者 75名である。最初に、25 の前置詞を 4 つのグループ

に分けた。一つ目のグループは、母語であるオラ

ンダ語に似た前置詞があり、またその前置詞に触

れる頻度が高いものである。二つ目のグループは

類似した前置詞はあるが、頻度が低いグループ、

三つ目は母語に似た前置詞がないが、接する頻度

が高いグループ、四つ目は似た前置詞もなく、頻

度も低いグループである。これらの前置詞を用い

て穴埋めをするテストを行った。 テストの結果を分析すると、初級、中級レベル

の学習者には類似性と頻度によって、正答率の差

が見られたが、上級の学習者にはその影響がほと

んどなかった。類似性と頻度を比べると、類似性

は影響を与えたのに対し、頻度はあまり影響を与

えなかった。 したがって、母語における対応語との形式的類

似性は初級と中級レベルの学習者にある前置詞の

使用を促すことが明らかになった。これは、学習

初期の段階では、第二言語の語彙項目を学び、使

用する際に、学習者は自身の母語に頼ることを示

している。 2.5 Niemeier(2003) Niemeier は外国語教育において、言語と文化の

相対性がいかに重要であるかを示したものである。

そして、概念が言語表現に反映すると考える認

知言語学を外国語教育に応用する二つの方法を提

案している。一つ目はカテゴリー化や典型性の考

え方を用いて、学習者に言語への興味と異文化の

違いに興味を起こさせることである。そして二つ

目は、メタファーやメトニミーの考え方を対照言

語学的に示すことで、言語意識を強め、母語と第

二言語の 1 対 1 の意味対応をさせないようにする

ことである。

76

Page 78: 認知言語学的観点を生かした

そして、認知言語学的観点は、語彙教育と異文

化教育に応用可能なこと、さらにメタファー的な

前置詞などについては文法教育にも応用できる可

能性があると述べた。

2.6 Grundy(2003) Grundy は、項目シラバスではなく、図と地のゲ

シュタルトのように、語用論的に地のある談話を

示すことの重要さを主張している。特に、前提、

含意、指示などの理解において、文脈、つまり意

味のある背景を示すことが必要であり、その

「地」によって、言語理解が深いレベルにまで働

くと述べている。また英語教科書の例を示すこと

で、文脈の必要性を示した。

2.7 Goddard(2003) Goddard は、民族語用論の教示において、「文化

的スクリプト」を用いることの有効性を示した。

これは、ある言語に特有の文化やそれに伴う翻

訳不可能な表現をキーワードや文化的スクリプト

を用いることで説明できることを、英語とマレー

語を例に述べている。そして、文化的スクリプト

を用いることによって、広い文化的テーマや重要

な語彙項目、ことわざ、格言、慣習を表すことが

できるとした。

文化的スクリプトによって、学習者は文化的な

談話の慣習はどれほど文化の価値観と前提に根ざ

しているかを学ぶことができ、また広い視点から

考えると、異文化言語教育と語彙教育の融合とい

う可能性も見えてくる。

2.8 Achard(2003) Achard は、ナチュラル・アプローチのようなコ

ミュニカティブな教授法において、認知文法の観

点を援用することで、コミュニカティブという原

則を保ちながら、文法を導入することができると

いうことを示し、ナチュラル・アプローチにおい

て、認知文法を用いて文法指導を行うことを提案

している。

2.9 Athanasiadou(2003) この論文は、英語の時間を表す接続詞について 、

認知言語学的分析を行い、その習得について考察

したものである。Athanasiadou は接続詞 when, as long as, as soon as, as, since, while のニュアンスと、

基本的意味から拡張した時間的意味を表さない意

味について分析を行った。

そして、その意味分析を踏まえて、これら時間

を表す接続詞の習得について考察を行った。

2.10 Boers(2003) Boers は、語彙習得にメタファー意識がどのよう

に役に立つのかを述べている。

まず、メタファーについて説明を与えることが

語彙習得にどのように影響するのかについて実験

を行った。その結果、一度のみのメタファーにつ

いての提示は、長期の記憶保持によい影響をもた

らすとは言えなかった。 次に、学習者の属性によるメタファー意識の応

用可能性、そして、メタファー意識を示すことの

有効性は語によって異なることについて考察した。 2.11 Csabi(2003) この論文は多義語の動機付けを示すことが、語

彙習得に有効であるかについて実験したものであ

る。多義動詞 hold と keep について、動詞の意味、

句動詞、イディオムの 3 つのレベルにおいて、認

知的なアプローチが有効であることを示した。

実験の内容は、被験者は hold と keep の中心的

意味は学習済みの英語学習者(ハンガリー母語話

者)である。実験群は hold と keep について、動

詞の意味、句動詞、イディオムの 3 つのレベルに

おいて、認知的なアプローチによる提示が行われ

た。

認知的アプローチとは、キーワードを示したり、

例文と共に図を提示したりするものである。統制

群にはそれぞれの表現に対応する母語が与えられ

た。その後、どちらの群も語と意味をそれぞれ記

憶し、テストが行われた。後日、ポストテストが

行われ、二つのテスト結果が分析された。

その結果、実験群と統制群には有意差が見られ、

実験群が統制群よりよい成績を示したことが明ら

かになった。

したがって、動機付けの明示的知識は、母語訳

よりも学習者の多義語学習を助けることがわかっ

た。また、学習者の興味という面からも、この活

動は意義があると述べている。

2.12 Tyler and Evans(2003) Tyler and Evans は、over について認知意味論的分

析を行い、その結果を教室活動へどのように利用

するかについて記述したものである。

Tyler and Evans は、学習者が多義語の意味は恣

意的なものだと捉え、英語教師と英語学習者の多

くは多義語を難しいものと捉えているのに関わら

77

Page 79: 認知言語学的観点を生かした

ず、英語教科書には多義語についての記述がない

ことを問題点とし、それを解消するため、認知言

語学の観点を取り入れ over を分析した。

まず、over の意味をプロト・シーンなどで記述

し、用法間のつながりをネットワークとして提示

した。そして、このネットワーク図は学習者にと

って視覚的説明となるとし、また、拡張した意味

の裏にある動機づけを理解することは習得に有用

であるとしている。さらに、プロト・シーンなど

の図式や、ネットワーク図は、学習者が見慣れな

い用法に会ったとき、その用法を説明するために

信頼できる基礎を与えるとし、これらは教師と学

習者両者にとって有効なものであると述べた。

次に、Winke and kim(2002)で over の多義性につ

いてパイロット的に行われた教室活動を紹介して

いる。これは over の中心的用法を知っている中級

の学習者に対して行われた活動で、①プロト・シ

ーンなどの視覚的図式を提示し、トラジェクター

とランドマークの空間配置を強調する、②over の

軌道に沿って図式を動かし、そのポイントごとに

動きを止め、説明する、③文例を示しながら、動

的な意味ではない、over の「完遂」の意味を提示

する、④実際に自分がものを移動させることによ

って、over の「移動」の意味を提示する、という

4 つの手順で行われた。この活動の利点として、

専門用語や文法的説明が必要ないこと、文脈の中

で、現実世界の動的な動きを用いて理解を進めら

れることなどの利点があると述べている。

3. 日本語教育への応用可能性

以上、 Cognitive Linguistics, Second Language Acquisition, and Foreign Language Teaching に収め

られた論文の内容をまとめた。これら 12 本の論

文は、認知言語学のさまざまな領域に渡って、言

語教育への可能性について述べていた。以下では、

これらの論文での知見が、日本語教育にどのよう

に応用できるかを考える。 3.1 日本文化への理解

まず、Goddard(2003)では、ある言語に特有の文

化やそれに伴う翻訳不可能な表現をキーワードや

文化的スクリプトを用いることで説明できること

を示し、異文化言語教育と語彙教育の融合という

可能性を述べていた。認知言語学では、人の概念

や思考様式が言語に反映されると考えられている。

したがって、文字通りの意味から推測しにくい特

殊な語彙項目や、ことわざや格言を、文化的スク

リプトを用いて記述することで、より理解しやす

く、また記憶に残りやすく提示することを可能に

すると考えられる。しかし、この場合、教師によ

る説明が必要になるので、学習者の母語による説

明、あるいは、ある程度の日本語能力が必要であ

る。

文化的スクリプトを用いることで、語彙教育だ

けではなく、異文化教育にもつなげることができ

る点は興味深く、また学習者の興味を引くことも

できると考える。 3.2 語彙教育への応用

Athanasiadou(2003) 、 Boers(2003) 、 Csabi(2003) 、Tyler and Evans(2003)では、認知言語学は語彙教育

に有効であることが述べられていた。また、認知

言語学研究で得られた知見は、特に語彙教育に有

効であるという記述は他の論文にも書かれていた。

以下では語彙教育への応用として、どのようなも

のが考えられるかを考察する。

3.2.1 意味知識の整理 Athanasiadou(2003)では、認知意味論的分析を行

うことによって、類似表現の意味ニュアンスの違

いを説明していた。また、Tyler and Evans(2003)では、多義語の用法間のつながりについて述べてい

た。認知意味論では、多義語の用法間のつながり、

それを統合するスキーマを明らかにする研究や、

類義語との差異を記述する研究が行われている。

これらの研究で得られた知見は、言語教師が意味

の提示、類義表現の使い分けを示す際に非常に有

効なものになると考える。

また、ある程度学習が進んだ学習者にとって、

自身の知識を整理することを可能にする。学習者

向けの解説書や辞書に、研究で得られた知見をわ

かりやすく記述することは、学習者の理解、そし

て習得を促すものになると考えられる。

3.2.2 動機付けの提示

Boers(2003)、Csabi(2003)では、意味の間にある

動機づけを明示的に学習者に提示することによっ

て、用法と意味を結びやすくし、語の習得を促す

ことが述べられていた。

これを日本語教育へどのように応用するかを考

えると、確かに、用法間のつながりを提示するこ

とは、理解を促進させると考えられる。しかし、

78

Page 80: 認知言語学的観点を生かした

提示方法によっては、学習者はより混乱してしま

う可能性がある。また、つながりを説明するため

には、学習者の母語を使用するか、またはある程

度の日本語能力が必要である。

また、動機付けの提示に適した学習者のレベル

に つ い て 考 え る と 、 Csabi(2003) 、 Tyler and Evans(2003)では、被験者は基本的な意味を習得し

た学習者であった。これは基本的な意味は自身の

母語での対応語を示した方がイメージしやすいか

らだと考えられる。動機づけを示すことが特に有

効に働くのは、拡張的な用法や、母語とのずれが

ある用法を提示するときであり、ダイレクトメソ

ッドで、しかも初級の学習者には、この方法は適

さないとも考えられる。

3.2.3 図の提示

Tyler and Evans(2003)では、多義語の意味分析と

共に、over の多義的な用法をどのように提示する

のかについて具体的な方法を示していた。

図を示す方法、そして、実際の身体経験を用い

て理解することは、学習者にとって、イメージし

やすく、理解を促進させる効果があると考える。

しかし、これには提示方法が非常に重要な役割を

持っている。ただ提示するだけではなく、その際

の具体的な説明方法、活動方法によって、学習者

の理解度が非常に変わってくることが予想される。

また、Boers(2003)で述べられていたように、学

習者の属性も大きく関わってくる。図を示し、イ

メージする活動を好む学習者、文法的な説明を好

む学習者など、さまざまである。学習者によって、

図の提示の効果は大きく変わってくることが考え

られる。

4. まとめ

以上、 Cognitive Linguistics, Second Language Acquisition, and Foreign Language Teaching につい

てまとめ、また、そこで得られた知見の日本語教

育への応用可能性について述べた。日本語におけ

る認知言語学研究はまだ新しい分野だといえる。

言語研究の成果を応用するには、まだ研究が必要

である。しかし、Csabi(2003)には、ある多義語を

表すキーワードや、スキーマを図示することによ

って、類義語の使い分けが促進されるという実験

結果が出た。認知言語学が日本語教育に応用され

るためには、言語研究と共に、Csabi を日本語の

類義語に応用するような研究を積極的に進めてい

く必要がある。また、先程も述べたように、キー

ワードの提示や、図の提示による効果実験は、提

示方法が実験結果に大きく影響すると考えられる。

Winke and kim(2002)のような実践報告など、提示

方法についての研究も必要だと考える。

参照文献 Achard, Michel. Niemeier, Susanne. (2003) Cognitive

Linguistics, Second Language Acquisition, and Foreign Language Teaching , Mouton.

Fillmore, Charles. (1982) Frame Semantics. In The Linguistic Society of Korea (ed.), Linguistics in the Morning Calm. Seoul: Hanshin Publishing Co.

Kellerman, E. (1978) Transfer and non-transfer: where are we now? Studies in Second Language Acquisition 2: 37-57.

Kellerman, E. (1986) An eye for an eye: crosslinguistic constraints on the development of the L2 lexicon. In E. Kellerman & M. Sharwood Smith. (eds), Cross-linguistic influence in second language acquisition. Oxford: Pergamon.

Langacker, Ronald W. (1987) Foundations of Cognitive Grammar.,Vol.1: Theoretical Prerequisites. Stanford University Press.

Lakoff, George. (1987)Women, Fire and Dangerous Things: What Categories Reveal about the Mind. Chicago/London: University of Chicago Press.

Tomasello, Michael. (2000)“Do young children have adult systematic competence?”Cognition 74: 209-253.

Wierzbicka, Anna. (1988) The Semantics of Grammar. Amsterdam and Philadelphia: John Benjamines.

Winke, Paula. and YiYoung Kim. (2002) Poster presented at Second Language Research Forum. Toronto, Canada. (Octorber 2002)

こうらかた りえ/お茶の水女子大学大学院人間文化研究科日本語教育コース

[email protected]

79

Page 81: 認知言語学的観点を生かした

認知アプローチ言語教育における頻度効果の役割

Ellis,N.(2002) の日本語教育への応用

岡嶋 裕子

要 旨

Ellis, N. (2002) は、膨大な構文を少しづつ学習し、その中から頻度に基づいて規則性を抽象化することによって言語が

獲得されるとし、音声学、読解、語彙、形態構文、文法性、文産出、統語などにおける頻度効果に対する学習者の関心が

どうであるかを見ることによって、明示的、暗示的学習理論の示唆を得ることができるとした。本レポートでは Ellis の

この論文を概観し、その知見 を実際の日本語教育現場でいかに応用できるかを考察する。 【キーワード】頻度、日本語教育、繰り返し練習、流暢、スキーマ

1. Ellis,N.(2002) 要旨 言語習得を決定する鍵となるのは、頻度

frequency である。なぜなら、言語規則は学習者が

インプットを日常的に分析することによって現れる

からである。頻度は表記,音声、形態素の形の習得

に貢献し、また学習には繰り返し練習が必要である。

1.1 頻度学習 frequency learning

頻度過程を経ることによって、言語を処理しよ

うという意識も意図も持たず、ほとんど努力さえ要

しない言語の自動処理過程に入ることができる

(Hasher, & Chromiak,1977)。我々はコミュニケーシ

ョンを行おうと意図しているのであって、言語ユニ

ットがいくつあるか数えたりはするのではないが、

会話の過程で自然に言語要素の出現頻度や、そのマ

ッピングの知識を得ている。暗示的学習がまず行わ

れ、それに基づいて明示的判断がなされることは諸

研究が明らかにしている。 人間の優れた点は暗示的な記憶にある。我々は、

鳥やカップや文法的文について定義を教えられなく

とも、これらの外界要素をすばやく正確に分類する

ことができる。それは、カテゴリー化能力において

顕著である。 例:・家族的類似性に基づく“ゲーム”のカテ

ゴリー化。 ・プロトタイプによる鳥の判断。

カテゴリー化能力についてはコネクショストモ

デル、意味ネットワークモデル、プロトタイプモデ

ルなどさまざまなモデルがあるが、コネクショ二ス

トモデルではカテゴリーと形状とのコネクションは

繰り返しの増加によって強められるとする。カテゴ

リー化に影響を与えるのが、トークンの頻度である

のかタイプの頻度であるのかということが長い間、

問題になっている。 1.2 音声学と音声戦術 PHONOLOGY AND PHONOTACTICS 学習者は音声戦術を学んだりするのではない。

音声能力は、目標言語を使う中で、また母語におけ

る既知の言語データの中から生まれてくるのである。

学習者は最初の一年の間にインプットの分析結果か

ら、ネイティブの母韻空間、子音カテゴリー、音声

戦術規則、音声学的規則性、頻出共起音を学ぶ。 また、幼児は語と語の間の境界を見つけるため

に自分たちが耳にした言葉のデータを自動的に分析

している。 1.3 読みとスペリング

音読における記号と音声の結びつきにはマッピン

グの頻度と一貫性に対する学習者の意識が関係して

いる。流暢な成人英語話者は規則的なスペル音

spelling –sound を持つ語を不規則な語よりもすばや

く間違えずに読む。表記と音韻を共有する規則的な

語はいつも仲間内で同じに発音されるので、不規則

な語よりもいかに読むべきか速やかに確定されるか

らである。 1.4 語彙 LEXIS 頻度の高い語は、頻度の低い語よりも速く習得さ

れる(Balota & Chumbly,1984)。ヒアリング、読み

などで語彙を認識する際にも、またスピーキングや

記述などで語を産出する際にも、語の頻度は正確さ

と速さの上で、L1 と L2、また成人と子供の違いに

関わらず大きな影響力がある。一般的に認知スキル

80

Page 82: 認知言語学的観点を生かした

の獲得には練習が必須であるからである。 1.5 形態素統語論 MORPHOSYNTAX さまざまな要素が入り混じり不規則な表記は、信

頼性が高く確定的なものよりも理解しにくい。しか

し頻度効果が認められるのは不規則な形態素の形を

生成する時だけであり、規則的な語尾変化の際には

見られない。Pinker(1990)の実験では、規則動詞で

は出現頻度が高いか低いかで過去形産出速度に違い

が見られなかった。しかし、不規則動詞では、過去

形出現頻度が高い動詞(e.g., went)は出現頻度の低い

動詞(e.g., slung)よりも産出が速かった。 幼児の英語での過去形の形態素習得では、同じ

語に異なった過去形が同時に共存していた。「(言

語)体系の中には単に基本形と過去形が機械的に結

びついたセットが貯蔵されているに過ぎず、新たに

応答する際にはその貯蔵された用例から一般化され

たものを“オンライン”で呼び出している可能性が

ある(Rumehart and McCelland,1986)。」この過去形モ

デルは大きな影響を及ぼし、コネクショ二ストによ

る言語研究の基礎を築いた。 形態素もまた、推測を用いて統計的規則性を抽

象化して分類し、単純な結合学習を行うことによっ

て習得される。 1.6 定型的言語産出

定型表現は頻度の高いコロケーションが結びつ

いてできた語彙のチャンクである。拡大解釈して言

うと、言語はパターンが混じり合ってできたコロケ

ーションの連鎖からなる限定的文法であるといえる。 話者は労力の節約、会話場面での必要性からハ

ーフメイドのフレーズを用いるので、コロケーショ

ンは、書き言葉より、話し言葉に多く見られる。規

則にしたがって談話を構成しないで、記憶の中から

古い言葉をひっぱり出して現在の文脈に合うよう少

し作り変えて用いている。 頻度の高いコロケーションほど語句として発達

している。頻度の高いイディオムは、字句どおりで

はない意味を持ち、そちらのほうが元の意味より重

要性が高いと認識されているので、字句どおりの解

釈を求められる頻度の低いイディオムよりも理解し

やすい。母語話者に馴染みのあるコロケーションは

膨大にあり、母語話者のような言語能力、流暢さ、

慣用性を得るためには語の定型語句を大量に獲得す

る必要がある。 1.7 言語理解 LANGUAGE COMPREHENSION

コーパス言語学はイディオムの重要性を強調し、

言語に内在する大量のチャンクと意味項目のパター

ン処理の方法を分類した。最近20年間を見ると、

言語学では統語を語彙に含ませる傾向がますます強

くなり、規則性に由来させることは少なくなってき

た。 心理言語学では文を解釈する際の意味キューの

役割を強調している。流暢な成人話者は語の意味項

目の振舞いについて過去のインプット経験から膨大

な統計的知識、すなわち頻度情報を持っている。彼

らは、文の意味があいまいなときには、その知識を

用いてすばやく検索し問題解決している。 たとえば、“The plane left for the East Coast.”とい

う文では plane は平野、飛行機、かんなと3つの解

釈が可能である。また、left は能動的に用いられて

いるか、受動的に用いられているか二つの解釈が可

能である。しかし、plane は飛行機であることの頻

度が最も高く、left は受動よりも能動で用いられる

頻度が高いという頻度制約がある。したがって、

「飛行機は東海岸に向け離陸した。」と理解される。 解釈はまた、意味情報の組み合わせによっても

変わってくる。“The spy saw the cop with the binoculars.”という文では“with the binoculars.” は

動詞 saw を修飾しているとも直接目的語 cop を修飾

しているとも解釈できる。しかし、コーパスデータ

によると、60%が直接目的語を、40%が動詞を修飾

しているので、この文は「スパイは双眼鏡を持った

警官を見た。」と解釈される。このようにして、あ

いまい性は頻度傾向によって解決される。 1.8 文法性の不定性 THE VARABLE NATURE OF ”GRAMMATICALITY” ある文が文法的であるか,言い換えればネイティ

ブ・スピーカーが許容できるかどうかという判断は、

言語使用者個々人によって異なる。個々人はそれぞ

れの限定された偶然の経験から得た言語情報を抽象

化しそれに基づいて文法性判断をしている。また、

個人の判断自体も一定したものではなく、頻出パタ

ーンは経験が積み重なるにつれて変化し、新しい経

験が加わることによってパターン力が強められると

いう常に変化する性質を持っている。話し手や聞き

手は文法を固定的であるとは思っておらず、自らの

言語経験とうまく調和させることによって発話ごと

に少しずつ変化する統計的なものだと思っている。

言語使用者が文法性判断をする際には、頻度の高さ

81

Page 83: 認知言語学的観点を生かした

や、その当時の経験によって判断する傾向がみられ

る。 1.9 統語論 SYNTAX 使用頻度の高いパターンの形態統語 morphosyntax、

言語理解、産出、文法性に注意を向けることによっ

て、文法構造についての示唆を得ることができる。 チョムスキーは文法的な発話の産出や、文法性判

断は統計的なアプローチに基づくわけではないので、

普遍文法は言語の統計にはまったく関心を払う必要

がないとした。そして、文法的であることと有意味

であることとは別のことであるとした(Chomsky,1957)。(しかし、その論文の補足説明でチョムスキ

ーは言語使用については、統計的な研究が有効であ

ると述べている。) 先に述べたとおり、頻度効果については心理言語

学がそれを証明し、認知心理学がその理論的な発展

を促した。文法のコンピューター処理によって大量

な文の構文分析が行われているが、統語分析とそれ

に呼応する意味解釈の組み合わせは、人間の自然言

語を実際に分析する際には問題があった。そこで、

自然言語処理においては、確率文法 stochastic grammars が用いられるようになった。ここでは、

所与の表現を細かく分解して断片にし、新しい発話

を分析するためにそれらの断片を再構成する。その

際、断片にいかなる制約を与えても、適切な文構造

を予測するのに必要な統計上の独立性を妨害してし

まう。このことから、自然言語の産出単位は極小ル

ールや、制約、原理によって定義されるのではなく、

サイズにおいても複雑さにおいても何の制約もない

以前に経験した豊富な構文との関係で定義される必

要があることが示唆される。 1.10 タイプ頻度対トークン頻度

音声学的、形態論学的および統語パターンにおけ

る生産性はトークン頻度よりもタイプ機能によると

ころが大きい。 1.11 L2 習得理論への示唆

言語を流暢に操る能力の基礎となるのは抽象的な

規則や構文という意味での文法ではなく、過去に経

験した発話記憶の膨大な蓄積である。 学習者が、誤りなく流暢に話せるようになるた

めには、必要十分な手本が必要である。学習者の言

語経験は偶発的で限られているが、その限られた言

語経験が、目標言語集団の言語、その目標言語集団

に関する概念の相対的出現頻度、形式と機能のマッ

ピングを真に代表する手本となることが必要である。 普遍文法では、構文というものは高次の原則と

パラミーター、低次のレキシコンとの相互交渉の結

果生じた付帯現象にすぎないとして、構文を否定し

てきた。しかし、認知言語学と構文文法では、構文

の相互作用によって生じるのは高次の体系であると

して再評価する。構文は言語集団内で慣習として受

け入れられ、個々の話者の頭の中で文法的知識とし

て築かれた慣習的な言語単位である。使用基盤アプ

ローチでは、文法は膨大な構文を少しずつ学び、そ

の規則性を頻度に依拠して抽象化することによって

獲得されると考える。また、Goldberg は複雑で抽

象的な構文は、文中の語に意味を付与すると述べて

いる。 構文基盤理論 construction-based theories では、子

供は具体的な手本を少しずつ習得しながら言語を獲

得するとする(Tomasello,1999,2000)。子供の初期の

言語では、語はそれぞれ意味的に孤立しており、あ

る語を他の語と結びつける能力はあっても、その語

と意味的に関連する語を平行的に処理する能力は伴

っていない。また、子供の初期の発話は slot-and-frame のパターンセットで産出されるが、これらの

パターンはチャンクを基礎にしており、子供はいろ

いろの言葉をそのパターンの中のスロットに入れて

いる。Tomasello は動詞島仮説を提起し、幼児の組

織されていない文法システムでは動詞は孤立した島

であるとした。 しかしながら、L2 および外国語習得は L1 習得と

多くの点で異なっている。第 1 の相違は概念の発達

である。子供の言語獲得では言語知識と外界につい

ての知識が同時に発展するが、成人 SLA ではすで

に確立された知識の上に言語が構築される。さらに、

成人学習者は言語を明示的学習の対象とすることが

できる。第 2 の相違点はインプットである。 L1の言語パターンは保育者の自然な発話から習得され

るが、L2 および外国語教授のための教室環境が発

話、機能、手段、社会的交渉のパターンを歪める可

能性がある。第 3 の相違は L2 習得では L1 からの

転移がある点である. 1.12 社会言語学

社会言語学は、コミュニケーション状態の違いに

よる言語の地域的社会的変異、歴史的変化、個人内

多様性を対象とする。個人間の相違はインプット経

験の相違の結果である。

82

Page 84: 認知言語学的観点を生かした

1.13 体系的多様性 THE SYSTEMATICITY OF VARIABILITY 個人の文法の体系的変異は個人の社会的背景の中

での個人的な言葉のやり取りと結びついているので、

文法は個人内のものではない。変異ルールはそのル

ールが応用される言語的社会的文脈に条件付けられ

る。 1.14 言語変化

個々の学習者の文法内で変異は合体される。また

変異は言語集団の中で普遍的に使用されて行く中で

変化していく。言語集団内で一般化された変化は、

話者の文法の心的表象内で確立し、その結果、歴史

的な変化へと結びついていく。頻度が言語変化を促

進させる。 1.15 明示的、暗示的学習理論への示唆

言語のプロセスは頻度と予測知識に基づいている

ので、言語学習は意識的にではなく、暗示的に行わ

れる。言語学習がバランスよく行われるためには、

2 つの条件が必要である。ひとつは言語表現を記憶

することであり、ひとつは明示的な教示をすること

である。 第一の条件:言語表現は注意と気付きによって

よりよく記憶される。強い気付き仮説によると、心

的表象が形づくられる前に刺激環境のある面に注意

が払われなければならない。しかし、一度表象が強

固に形づくられると再び注意を払う必要はなくなる。

注意によって、記憶へのコード化が強制的、不可避

的に行われる。 第二の条件:第一の条件で述べたことは、明示的

教示の役割を否定するものではない。明示的教示は

言語習得を促進する。 実際の言語習得は形式と機能のマッピングとそこ

での規則性をゆっくりと獲得していく過程である。 この能力獲得には膨大な練習時間を要する。コミュ

ニカティブアプローチはインプット、タスクを与え

るが、focus on form や consciousness raising がなけ

れば、形式の正確さは得られず、発話内容の理解も

遅くなる。 1.16 応用言語学における頻度:LADO and LATER 言語の変異要因が頻度であるとするのは、新し

い説ではなく、アメリカ構造言語学の基本概念であ

った。Harris(1955,1968)は連続しているように見え

る語間の不連続箇所で文の境界を識別するに際して

の 頻 発 依 存 プ ロ セ ス に つ い て 述 べ た 。

Skinner(1957,1969) は行動心理学において行動の頻

度の違いが及ぼす影響について徹底した調査を行っ

た。 Lado は行動主義論に基づく第二言語習得理論で、

文法構造は習慣の体系であるとした。Lado は言語

学習は表現形式やそれらの関係のパターンを学ぶこ

とから、すなわち経験から起こるとした。彼は言語

学習が自動化によって注意集中から無意識の過程へ

と移行することを強調した。Lado の言語学習理論

は驚くほど認知言語学的アプローチを想起させる。 「この理論は統語的というより辞書的、意味的で

ある。人間は語、名前、表題,叙述,形式を同じ

辞書的アイテムとして最初に習得し学ぶのであ

る。」「組み合わせは最初あいまいであるが、パタ

ーン化し、やがて新しい語と文を生み出す規則に

進化する。文法的意味は、語順や語尾変化、派生

などと結びついている。それらは、学習者が発話

のやり取りの経験から得た意味豊富な手本から習

得したものである。そして、そのパターンと規則

は新しい句と文を創造し理解する際に応用され

る。」Lado (1990)

彼の理論があまり影響力を持たなかった理由は

2つ考えられる。1つは、行動主義理論はチョムス

キーが徹底的に批判したスキナーの言語行動理論

Verbal Behavior の流れをくんでいたためである。2

つには、オーディオリンガルメソッド(ALM)に

おいて Lado の理論の実践に対する反論が起き、行

動主義言語学は応用言語学の支持を失ったからであ

る。ALM は模倣と暗記のパターンドリルを含み、

言語形式の機械的産出と自動的応答を強調した。

ALM の最も悪い点は動機を持たない学習者が現実

の素材とはかけ離れたティーチング・マシーンとや

りとりし、思慮なき反復 Mindless repetition と、意

味のないドリルを含んでいた点である。目標とすべ

きは、動機を持った学習者によるコミュニカティブ

な文脈の中での思慮ある反復 Mindful repetition であ

る。 頻度は、長い間省みられなかったが、ここ 10 年

ほどの間に SLA 研究において再導入されている。 1.17 結論と今後の展望

頻度は言語習得とその過程にとって不可欠の要

素であるが、すべてを説明するものではない。習得

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Page 85: 認知言語学的観点を生かした

には意味が基本的であること、重要性、伝達意図、

知覚的に顕著であること、関連性など、他の主だっ

た決定要因がある(Slobin,1997)。 認知言語学が強調するように、言語は我々の経験

と我々独自の世界の表象の基盤の上に成立する。し

かし、我々の肉体的、社会的、認知的な遺伝的共通

性が我々に作用し、言語経験のプロセスを共通なも

のに緩和し、普遍的に言語を習得させる。これらと

は別に言語習得を共通なものとする要因として、頻

度効果がある。頻度の及ぼす影響について現在、コ

ーパス言語学、心理言語学、子供・L2学習者の言

語習得研究者と認知言語学者の協同などさまざまな

分野で研究が行われている。 頻度の役割については、40 年以上にわたって理

論言語学、応用言語学によって無視されてきたが、

今正当に評価されつつある。 2. 認知言語学的アプローチから頻度効果を日本語

教育に応用する可能性。 1 では Ellis(2002)を概観してきた。それに基づき以

下では頻度効果を日本語教育に応用していく可能性

について私見を述べる。 2.1 スキーマの形成

語学教育の究極目標は、目標言語の使用が自動

化し、学習者が言語使用に際して負担を感じること

なく自分の表現したいことを自由に表現できるよう

になること、すなわち流暢に言語を操れるようにな

ることである。Ellis は、流暢さのためには必要十

分な用例 exempler が不可欠であり、その用例から

の言語経験により、言語形式と機能のマッピング及

びその規則性を獲得することができるとしている。

森山(2006)は、それをスキーマの形成であるとし

ている。

問題は目標言語に関するスキーマはどのように

して形成されるのだろうかということである。それ

に対して、Ellis は“繰り返し練習”の再評価を提

案している。コネクショニストモデルによるとカ

テゴリーと形式とのコネクションを強めるのは繰り

返しの増加である。“繰り返し練習”は、オーディ

オリンガルメソッド(ALM)のパターンプラクテ

ィスが非難を浴びる中で否定的に受け止められてき

た。ALM のパターンドリルに対する非難は、言語

形式が機械的産出と自動的応答を強調しているとい

う点にある。動機を持たない学習者による“思慮な

き反復”である。それに対し、Ellis は“思慮ある

反復”を提案する。動機を持った学習者がコミュニ

カティブな文脈の中で、伝達意思を持って行う反復

である。その“思慮ある反復”をいかに学習の中で

具体化していくか、どのような教室活動の中で実現

していくのかまでは、Ellis は述べていない。

“思慮ある反復”をいかに行うのかは今後の課題で

あるが、どのような質の反復練習を行えばよいのか

について、Ellis の論文の中からいくつかの示唆が

読み取れる。

第1は、チャンキングを促すような指導を行うこ

とである。用法基盤モデルによると、子供は言語パ

ターンをチャンクを基礎にして獲得する。L2 習得

の際にもチャンクを念頭に置いた用例で学習すれば

スキーマの形成に役立つのではないだろうか。語の

コロケーションの習得のためにも優れた方策である

と思われる。また、Ellis は母語話者は、労力のむ

だを省くため、ハーフメイド・フレーズを活用して

いるという。L2 学習の際には意識的にハーフメイ

ド・フレーズを取り入れる方策を探ることが流暢な

会話に結びつく可能性も考えられる。 第2は気付き notice と注意喚起 consciousness

raising である。言語学習は意識的にではなく、暗示

的に行われる。しかし、気付きと注意喚起によって

言語表現はよりよく理解され、記憶される。「Focus on Form や Consciousness Raising がなければ、形式

の正確さは得られず、発話内容の理解も遅くなるか

らである。」。

第 3 は教室学習に明示的学習を正しく位置づけ

ることである。成人学習者は言語を明示的学習の対

象とすることができるので学習に際して、明示的教

示を受けることは言語習得を促進する。しかし、言

語習得が Ellis の言うようにあくまでも暗示的なも

のであるならば、現在多くの日本語学習の教室現場

で行われている文法解説が授業の主柱となるような

ことは、避けなければならない。

第 4 に頻度効果についての諸研究成果の学習へ

の応用である。1 例として、英語の不規則動詞の習

得における研究がある。英語の動詞を習得する際、

頻度効果が認められるのは不規則な形態素の形を生

成する時だけであり、規則的な語尾変化の際には見

られない Prasada, Pinker, and Snyder(1990)。日本語

の動詞活用などにおいてもこの結果がなり立つかど

うか検証し、成り立つのならば、頻度効果の認めら

84

Page 86: 認知言語学的観点を生かした

れるものに対してそれを考慮した学習を行うなどが

考えられるのではないだろうか。 第4にトークン頻度と、タイプ頻度の違いに考

慮することである。Ellis は、語自体の生産性につ

いて、タイプ頻度のほうがトークン頻度よりも生産

性が高いと述べているだけである。しかし、J2 習

得で繰り返し練習をする際にはどうだろうか。トー

クン頻度を高くした場合と、タイプ頻度を高くした

場合とでは習得に違いが見られるのだろうか。 2.2 明示的説明だけでは解決できない問題

既に述べたように、目標言語において学習者が母

語話者と同じスキーマを持てればほとんどの問題は

解決する。そこにいたることを目指す教室現場では、

言語習得を正確に、より速やかに行うために明示的

学習が組み合わされる。しかし、明示的説明では対

処できない問題がある。 第 1 は言語産出において、学習者は文法的には

間違いではないが日本語としてどこか変な表現をし

ばしば行うことである。例を共起表現に見てみよう。

日本語には共起する語の制約が多い。たとえば「反

感」という語は「反感を抱く」「反感を買う」と言って

もけっして「反感を売る」「反感がある」とはいわず、

定型的な表現を持っているが、学習者はしばしば

「私はあの人に反感があります。」などと表現する

ことがある。文法的には間違いではないが、不自然

である。このような語は無数にある。語の意味に関

しては明示的教示、記憶によってある程度習得が可

能であるが、このような語の用法の諸制約のすべて

を明示的に学習することは不可能である。Ellis は

「定型表現は頻度の高いコロケーションが結びつい

た結果の語彙のチャンクである。」「母語話者のよう

な能力、流暢さ、慣用性を得るためには語の定型を

大量に獲得する必要がある。」と述べている。 また、中国人の学習者では、作文などの文章作

成において漢字で表される中国語の語をそのまま日

本語に当てはめることがしばしば見られる。意味は

通じるが日本語としては不自然である。 Long & Robinson (1988)は「明示的学習は規則が

複雑な場合はむしろ弊害となる。」と述べている。

「暗示的学習はデータ駆動型の学習」(小柳、

2005)であるので、上に述べたような学習者が不自

然な日本語を産出する問題は、多くの適切な用例を

用いて繰り返し練習し、日本語らしい表現のイメー

ジを学習者の中に内在化することによって解決でき

るのではないだろうか。 第 2 の明示的説明では対処できない問題として

理解における、あいまい文の解釈の問題がある。

Elliss は The plane left for the East Coast. という例

文を挙げ、plane は平野、飛行機、かんなと3つの

解釈が可能であるが、plane は飛行機で用いられる

ことの頻度が最も高いとしている。流暢な成人は文

の意味があいまいなときには過去の経験からの制約

に照らしてすばやく問題を解決するが、その際、強

い制約となるのは頻度の制約である。このような語

彙の振る舞いにおける頻度的制約について、統計的

な知識を有することがすばやい理解には必要である。

そのための特性を持ったインプットを学習者に与え

ることができるのかどうかは検討に値すると思われ

る。 2.3 学習者の負担を軽減し、限られた時間で効率よ

近年、コーパス言語学の進展とともにたくさん

のコーパスデータにより、会話、記述双方における

言語表現の頻度傾向が明らかになっている。頻度の

高い項目の導入などで教育現場でそれらを有効に活

用する方策を求めることも考えられる。もちろん、

言語習得は Ellis も述べているとおり、頻度がすべ

てを解決するものではない。意味の基本性、重要性、

伝達機能などを考慮に入れた上で、頻出度の高い表

現を集中的に学習することによって限られた時間で

効率よく、学ぶことが可能になるのではないだろう

か。Ellis の述べるように言語学習が意識的ではな

く暗示的学習であるならば、必要度の高い表現項目

を繰り返し提示することにより偶発付随的に学習を

進めるならば、学習者は負担を感じることなく言語

の習得を行うことができる。もちろんその際、

Forcus on Form, Consciousness Raising による意識化

が必要であることはいうまでもない。

参照文献 小柳かおる(2005)「言語処理の認知メカニズムと第二言語

習得―記憶のシステムから見た手続き的知識の習得

過程―」『第二言語習得・教育の研究最前線―2005 年

版―』,12-36 早瀬尚子・堀田優子(2005)「認知文法の新展開 カテゴリ

ー化と用法基盤モデル」研究社。

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Page 87: 認知言語学的観点を生かした

森山新(2006)「認知言語学から見た日本語格助詞の意味

構造と習得-日本語教育に生かすために-」

Ellis, N. (2002) Frequency effects in language processing. A

review with implication for theories of implicit and explicit language acquisition: Study of Second language Acquisition: 24, 143-188

おかじま ゆうこ/お茶の水女子大学大学院 人間文化研究科 言語文化専攻

[email protected]

THE ROLE OF FREQUENCY EFFECTS IN A LANGUAGE EDUCATION OF COGNITIVE APPROACH

-Suggestions from Ellis,N.(2002) FREQUENCY EFFECTS IN LANGUAGE PROCESSING.

A Review with implications for Theories of Implicit and Explicit Language Acquisition -

Okajima Yuko Abstract

Ellis.N(2002) observed languages are acquired by the piecemental learning of many thousands of constructions and the frequency-biased abstraction of regularities within them. And he also said that learners’ sensitivity to frequency in phonology, reading, lexis, morphosyntax, garammaticality, sentence production, and syntax has implications for theories of implicit and explicit learning. In this report, I review Ellis’s paper and examine how we can apply this knowledge to the Japanese education field. 【Keywords】frequency, Japanese education, repetitious practice, fluency, schema (Japanese Education Course, Graduate School, Ochanomizu University)

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Page 88: 認知言語学的観点を生かした

認知文法における相(aspect)のとらえ方 -スル・シテイルの使い分けの説明への応用-

峯 布由紀

要 旨 Langacker(2001)では、英語の完成相(perfective)、進行相(progressive)、状態相(imperfective)を図示し、現在時制

における、それぞれの相(aspect)の使用を説明している。 本稿では、この論文の概要を述べるとともに、Langacker(2001)の相の捉え方で、日本語のスル、シテイルの統語的

なふるまいも同じように説明可能であることを示す。そして、更に、反復を表すスル、シテイルの違いについても考察を

行った。 【キーワード】完成相、進行相、状態相、現在形、スル、シテイル、反復 1. はじめに 認知文法では,形式の違いは意味の違いを反映し

ていると考える。表面上は同じ意味を表しているよ

うに見える形式でも,形式が異なる構文は,話者の

事態に対する異なる見方や解釈の違いが生じた結果

ととらえるのである。 通常、動詞で表される動作というのは、動作の開

始、継続、終了、これらすべてを含む完結した過程

(perfective process)である。そして、同じ出来事

であっても、その過程のどの時点(開始前、開始時、

継続時、終了時、終了後、全体)を表現するかは、

話者あるいは書き手に委ねられる。そして、それを

指定するのが相である。 Langacker(2001)は、英語の完成相(perfective)、

進行相(progressive)、状態相(imperfective)を図

を用いて説明し、特に現在形に焦点を当て、実際の

言語使用と相の関係を説明している。 本稿では、この Langacker(2001)を紹介すると

ともに、日本語のスル、シテイルの使い分けについ

ても同様の説明が可能であることを示す。 以下、本稿の構成であるが、2節で Langacker

(2001)の概要を述べ、3節で Langacker(2001)が英語の言語現象について行った説明を日本語のス

ル、シテイルで検証した上で、更にこれを発展させ、

反復を表すスル、シテイルの使い分けについて説明

を試みる。そして、4節でまとめ、今後の課題につ

いて述べる。

2. 概要 2.1. 完成相、進行相、状態相のとらえ方 まず、英語の動詞は、大きく二つのタイプに分別

される。一つは、動作や状態変化など、動的な事象

を表す運動動詞(perfective verb)で、もう一つは、

静的な事象を表す状態動詞(imperfective verb)で

ある。運動動詞の例として、run(走る)、build(建

てる)などが、状態動詞の例としては、know(知

っている)、like(好きだ)などが挙げられる。 通常、運動動詞は、次の(1)a のように、そのまま

の形では発話時現在に起こっている出来事を表現す

ることはできす、進行相を用いて表さなければなら

ない。一方、状態動詞は、そのままの形で現在の有

り様を表現できるが、その代わりに、(1)b’のように

進行相を用いると奇異な表現となる。 (1)a. *He builds a house. a'. He is building a house. [perfective] b. He knows the truth. b'. *He is knowing the truth [imperfective]

―――Langacker (2001: 11) そして、このような言語現象は、それぞれの相を

次頁の図1のようにとらえることで可能となる。 まず、この図1について説明する。これは、(a)

現在完成相、(b)現在進行相、(c)現在状態相の認知

図式である(Langacker 2001)。(a)は運動動詞で表

され、(c) は状態動詞で表される。図1の外枠の

MS(Maximal Scope)は、表現される出来事の背景

を含む全体を示し、内枠の IS(Immediate Scope)は、出来事全体から取り立てて表現される部分を示

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Page 89: 認知言語学的観点を生かした

(a)現在完成相 (b)現在進行相 (c)現在状態相

図1.現在時制におけるアスペクト

Langacker, R. W. (2001) Cognitive linguistics, language pedagogy, and the English present tense. In: M. Pütz, S. Niemeier and R. Dirven (eds.), Applied Cognitive Linguistics I: Theory and Language acquisition. pp.3-39. Berlin/New York: Mouton de Gruyter.より抜粋.

す。言うならば、MS は演劇の舞台であり、IS はス

ポットライトで照らされた部分である。そして、中

央の線が出来事を表す。(a)現在完成相および(b)現在進行相の出来事の線の左端は開始点を、右端は終

了点を表す。この図からもわかるように、(c)の現

在状態相には、開始点も終了点も無い。そして、

(b)現在進行相は、(a)現在完成相を拡大し、開始点

と終了点を除いた部分を取り立てたものである。下

の右向きの矢印は時間軸を示し、それに重なる波線

の箱の部分が発話時を表す。(b)現在進行相は IS が

二つあるが、まず、IS1 で開始点と終了点を除いた

プロセス(進行相)が取り出され、IS2 で「発話時

現在」を示しているのである。 では、この図1を用いて、上で見た(1)の言語現

象を説明する。図1からもわかるように、(a)現在

完成相は、発話時と動作の開始点および終了点が一

致しなければならない。通常、現在進行中の出来事

というのは発話時よりも前に開始しており、そして、

発話が終わっても継続しているため、現在継続中の

出来事は、(a)現在完成相で表しえず、(1)a’のよう

に現在進行相で表される。そして、この(b)現在進

行相で表される出来事は,開始点,終了点を含まな

いという点で(c)現在状態相に共通する性格をもつ

が,背景には開始点および終了点が存在し、完成相

の出来事であるという意味が含まれ。つまり、上述

したように進行相というのは、完成相の開始や終了

を除いた、プロセスの部分を拡大(“zooming in”)し、内的視点(“internal view”)でとらえたもので

あり、その表現の背景、MS(Maximal scope)に、

開始点および終了点のある完成相的事象が前提とし

て無ければ成立しない相なのである。従って、状態

相のものを(1)b’のように進行相で表すと非文となっ

てしまう。 さて、次の(2)の Live(住む)という動詞である

が、この動詞はそのままの形で状態相を表すにもか

かわらず、進行相でも現在の状態を表しうる。 (2) I {live / am living} in Chicago.

―――Langacker (2001: 131) 一見、上の説明と矛盾する言語使用のように見える

が、この二つの相には意味の違いが反映されたもの

として説明される。つまり、状態相で表現される場

合は、開始点も終了点もなく継続する状態を示し、

進行相で表現される場合は、その背景に開始点と終

了点が含まれることとなり、一時的という限定され

た期間であることが、その意味に含まれるのである。 2.2. 英語の現在形 2.2.1. 現在完成相で表される出来事と発話時の関係 (1)a で見たように、現在完成相では、現在進行中

の出来事を表現することは、通常、できない。その

理由は,先にも述べたが、現在完成相で表される出

来事は、発話時と開始点および終了点が一致しなけ

ればならないためである。これは、出来事(発話内

容)が発話とともに始まり、発話と同時に終了する

というようなケースが少ないからである。 ところが、promise(約束する)や、beg(お願い

する)、sentence(宣告する)のような遂行動詞の場

合は、次の(3)に示すように、問題なく、現在完成

相で表される。 (3) a. I promise to cooperate. b. I beg you to give me another chance. c. I hereby sentence you to 30 years in prison.

―――Langacker (2001: 27) これは、現在完成相の例外的な使用のようにも見え

るが、これも図1(a)を用いることにより、簡単に

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Page 90: 認知言語学的観点を生かした

説明が可能となる。これらの動詞は、波線の箱で示

される発話時と表現される動作(出来事)時が一致

するため、現在完成相を用いることに何の矛盾も生

じないのである。 このほか、料理教室などでの動作をやりながらの

説明や、スポーツの実況中継なども同様である。こ

れらもまた、発話時と出来事時が一致しているので、

現在完成相が用いられるである。 2.2.2. 仮想空間と現在時制 英語では、現在時制で未来や過去の出来事を表現

することがある。このような使用については、現実

世界の生起ではなく、仮想空間での生起を表現して

いるととらえることで解決される言語現象である。 例えば、動詞の現在形で表現されるのは、次の例

からもわかるように予定された未来に限られる。つ

まり、次の(4)b のような時間表現の無い文では、計

画性が欠け不自然となる。また、(4)c のように計画

できない事に関しては、発話者が神様や専門家でな

いかぎり不自然である。一方、(4)d は実際のバスの

出発予定であり、現在完成相で表現可能となる。 (4) a. Our new furniture comes tomorrow. b. ?? Our new furniture comes. c. ?? An earthquake strikes next week. c. There it is on the monitor-our bus leaves at noon..

―――Langacker (2001: 31) 実際の時間軸に置けば未来に起こる出来事が、

4(a)(c)のように現在完成相で表現されるのは、仮想

空間において生じている出来事だからである。つま

り、その出来事は発話と同時に、仮想空間において

開始し、そして、終了する。こう考えることにより、

現在完成相で表現可能な理由が説明可能となる。 また、歴史的現在と言われるような、(5)のよう

に過去の出来事を現在時制で表現したものも、仮想

空間において再生し、その順に述べていると考える

ことで、説明がつく。 (5) I’m driving home last night and I hear a siren. I pull

over and stop. This cop comes up and starts writing me a ticket.

―――Langacker (2001: 22) 更に、同じように、現在時制は、現実世界ではな

く、仮想空間で生起する出来事を表現すると考える

ことにより、現在完成相で表現される恒常的な出来

事や習慣、また、従属節での現在時制の使用も説明

可能となる。

3. 日本語への応用 ここでは、前節で見てきた Langacker(2001)の

英語における説明を、日本語に置き換えてみていく。 まず、日本語の完成相、状態相、進行相は、運動

動詞(食べる、落とす、落ちる、等)、状態動詞

(いる、ある、等)のスル形式で、それぞれ完成相、

状態相を表し、進行相は運動動詞のシテイル形式で

表される。また、シテイルは、進行相の他に、次の

(6) (7) (8)の例にあるように、単なる状態や、完了、

そして反復(habitual/ repetitive)も表す。 (6) 道が曲がっている。 [状態] (7) その本は、もう読んでいる。 [完了] (8) 毎日、本を、読んでいる。 [反復] 当然ながら、(6) (7)で表される出来事は、図1で

示される進行相でとらえることはできない。しかし、

反復のシテイルについては、後述するが、この進行

相の拡張の用法として捉えることが可能である。 ここでは、まず、3.1 で、進行相のシテイルと完

成相スルに焦点をあて、2 節で見た Langacker(2001)の説明が日本語のスル、シテイルの使用も

説明可能か検証する。そして、3.2 で、日本語のス

ル、シテイルの基本的意味を Langacker(2001)で

示された完成相、進行相のモデルでとらえ、これを

もとに、反復を表すスル、シテイルの違いについて

説明を試みる。 3.1. Langacker (2001)の日本語での検証 まず、2節で見た次の英語の3項目の言語現象

について、日本語で見ていく。 ①. 発話時と進行相 英語同様、通常、完成相のスルでは現在生起して

いる出来事を表現することはできない。シテイルを

用いなければならない。 (9) a.*ちょうど今、ビルを建てます。 b. ちょうど今、ビルを建てています。 また、状態相の存在を表す「ある」「いる」は進

行相シテイル形式をとらない。 ②. 遂行動詞と完成相 日本語も遂行動詞は完成相で表現される。

(10) a. 明日必ず来るって約束します。 b. お願いします。 また、英語同様、料理教室での料理手順の説明や、

スポーツの実況中継など、現在完成相が用いられる。 ③. 仮想空間と現在時制 未来の予定については、日本語には未来時を表す

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Page 91: 認知言語学的観点を生かした

特別な形態素や助動詞がないため、仮想空間が想定

されているかどうかについては、検証ができないが、

日本語も、(11)の下線部のように過去に起こったで

きごとを、臨場感をもたせるために現在形で表現さ

れることが多々ある。 (11) 昨日、運転してたら、後ろからサイレンの音

が聞こえてくる。それで、私は車を端に寄せて

止める。すると、警官がやってきて、こう言う

んだ。「免許証を見せてください」ってね。 これも、仮想空間で出来事が再現され、その順に述

べていると考えることで、なぜ、現在完成相で表現

可能か、そして、臨場感を感じることができるのか

まで説明が可能となる。 また、次でもみるが、英語同様、日本語において

も恒常的な出来事や習慣については現在完成相で表

現される。 以上、日本語でも英語と同様の言語現象が見られ

ることから、Langacker(2001)で述べられている、

完成相、進行相、状態相に関する説明は日本語も説

明可能と考えられる。 3.2. 反復を表すスルとシテイル 反復とは、ある時間をおいて繰り返される出来事

を意味し、恒常的な出来事や習慣などを含む。次の

ように、日本語ではシテイルとスルで表される。 (12) a 私はこの頃10時に寝ている

図2.現在反復シテイル 図3.未来反復スル

b 私は今日から10時に寝る

c 私はいつも10時に寝る。 (12)a のようなシテイルで表される反復は、進行相

からの派生的意味と考えられている(工藤 1995)。そして,結論を先取りして述べると,本稿ではス

ルで表される反復について,(12)b のような未来反

復を未来完成相からの派生,(12)c のような反復を

現在完成相からの派生と考える。 ここでは、それぞれの基本的意味から、反復を

表すスル、シテイルの違いについて考察する。

3.2.1. シテイルで表される反復性:限界性 寺村(1984)は,反復を表すシテイルとスルの

違いは,動作を線(幅のある事象)として表すシテ

イルと,点として表すスルの基本的な意味の違いに

あるとした。つまり,シテイルが表す反復は、反復

される動作を、連続体である「線」とみなした表現

で,「発話時以前のあるときに始まり,それが発話

時に終わらずに続いている(が,いずれ終わる)と

いうふうに理解される」。これに対し,スルで表さ

れる反復は,点として捉えられる動作が繰り返され

ることを表したもので,「『ある以前に始まった』

という意識もないし,また『いずれそのうち終わ

る』という感じもしない,ただあることが規則的に

繰り返し行われることを述べているにすぎない」と

述べている。 しかし、この説明では、どうしてシテイルで表

される反復において、開始点や終了点が意識される

のか説明ができない。 ここで、冒頭に示した図1(b)に示される進行相

を想起されたい。進行相は、もともと完成相で表さ

れる出来事の開始点および終了点を背景化し、間の

動作の継続している部分を表現したものである。反

復を表すシテイルが進行相シテイルの意味の拡張で

あるというのは、これまでの研究において一致した

考え方である(金水・工藤・沼田 2000,工藤 1995,寺村 1984,吉川 1976)。とすれば、反復を表すシテ

イルは、下の図2のように図示することができるで

あろう。つまり、背景化された情報として、開始点

および終了点があるため、シテイルの場合は、言外

に「ある以前に始まった」あるいは、「いずれその

うち終わる」という意味が含まれると考えられる。 3.2.2. スルで表される反復 スルで表される反復には二種類のものが考えられ

る。一つは,未来の反復を表す未来完成相的反復で

あり,もう一つは,恒常的な反復である。

90

Page 92: 認知言語学的観点を生かした

①未来反復

図4.恒常的反復スル

未来完成相から派生した未来反復を表すスルは

完成相故に,開始点や終了点を表す。 (13) a 今日から、毎日腹筋をする。 b 来年まで、毎日学校に通う。 この未来反復を図示したのが図3である。この

反復は繰り返される出来事が一つに凝縮された表現

である。 ②恒常的反復 b 姉はこれからもずっと歩いて学校に行く。 スルで示される恒常的反復は、仮想空間で生起

する出来事を現在完成相で述べていると考えられる。

これは、上の図4で示されるように、波線の箱で示

される発話時と仮想空間での出来事時が一致するた

め、現在完成相で表される。そして、実際の現実世

界(actual)への時間的釘付けは、「今年」や「毎

日」や「二日に一度」などの副詞句によって行われ

る。

c*姉はずっと歩いて学校に行く。

4. まとめ 以上、Langacker (2001)で提示されているアス

ペクトの説明される英語の完成相、進行相、状態相

が日本語の言語使用も説明可能なことをみてきた。 そして、完成相を表すスル、そして進行相を表す

シテイルの基本的な意味を見ることにより、反復を

表すスル、シテイルの違いの説明を試みた。 今後は、更に多くの用例を集め、上で述べた説明

の検証と考察を深めていきたいと考えている。

この恒常的反復を表すスルと,上で述べたシテ

イルで表される現在反復やスルで表される未来反復

との大きな違いは二つある。 一つは,恒常的反復を表すスルは、次のように,

反復事象全体の開始点や終了点と共起しえないこと

である。共起した場合は,未来反復として解釈され

る。

参照文献 金水敏・工藤真由美・沼田善子(2000)『時・否定と取立

て』岩波書店 工藤まゆみ(1995)『アスペクト・テンス体系とテクスト―

現代日本語の時間の表現』ひつじ書房 (14) 今週から、腹筋をする。[未来] ( cf.今週から、腹筋をしている。[現在]) 寺村秀夫(1984)『日本語のシンタクスと意味Ⅱ』くろしお

出版 もう一つの違いは,スルで表される恒常的反復

で想起される出来事は、連続する出来事ではなく、

1回の出来事であるということである。従って,た

とえ仮想空間での生起であっても、次の(15)c に見

られるように、「ずっと」のような発話時を超える

事態存続を表す副詞との共起は不整合となる。

吉川武時(1976)「現代日本語のアスペクトの研究」金田一

春彦編『日本語動詞のアスペクト』むぎ書房,155-327. Langacker, R. W. (2001) Cognitive linguistics, language peda-

gogy, and the English present tense. In: M. Pütz, S. Niemeier and R. Dirven (eds.), Applied Cognitive Linguis-tics I: Theory and Language acquisition, 3-37. Berlin/ New York: Mouton de Gruyter. (15) a 姉はずっと歩いて学校に行ってる。

みね ふゆき/お茶の水女子大学大学院人間文化研究科国際日本学応用日本言語論講座

[email protected]

91

Page 93: 認知言語学的観点を生かした

用法基盤理論と発達心理学における言語獲得論

Tomasello,M.(2003)と内田 (2004) との比較考察

岡嶋 裕子

要 旨 Tomasello(2003)の執筆目的はチョムスキーの普遍文法のアンチテーゼとしてA Usaged-Based Theory

(用法基盤理論)をパラダイムとして構築することであり、その方法を幼児が言語を創造する実際の過程を

観察して、帰納的に本質を見出すことに求めるものであると捉え、その特徴が最も顕著に現われている1章

と2章を概観する。その上で言語発達を発達心理学の側面から捉えた内田(2004)と Tomasello(2003)を

比較し考察する。

【キーワード】言語獲得、 共同注意、 意図の読み取り、 パターン発見、 言語シンボル 1.用法基盤言語学 第 1章要旨

人間と他の動物の伝達行動の間には以下のような

大きな相違がある。 (1)人間にはできるのに他の動物にはできないこ

と。 ・相手の注意を外界の事物に向けさせる。

・相手にいなくなった犬について話す。

・新しい意味を創造するために伝達要素を結合す

る。

(2)人間にはできないのに他の動物にはできること。 ・ 自分の種に属する”すべて”の成員と意思疎通

を図る。(人間は同一言語共同体の成員としか

意志疎通できない。)

こうしたアンバランスが生ずるのは進化上 の理由による。人間は他の動物と異なり、特別なコ

ミュニケーション行動セットを持って生まれないの

で、幼児は個体発生の過程で、多くの年月をかけ、

膨大な語、表現、構文などの自分の周囲で使用され

る言語慣習を学ばなければならないからである。 子供の言語習得について、Skinner(1957)は、幼

児は結合原理に基づいて、道具として言語を学び、

帰納原理に基づく刺激の一般化によって、新事例に

適用していくとする。

第 1 点は、子供は単純な結合と盲目的な帰納以

上に強力な習得原理で言語処理を行っているという

ものである。人間の成長の初期に“意図の読み取り

Intention-reading”および、“パターン発見 pattern-finding”の二種類の認知的スキルが現れ、言語の習

得に大きく関わっている。 Chomsky(1959)は Skinner を批判し、文法規則の

中には、抽象的で恣意的なものがあるので、結合と

帰納原理だけでは、子供は言語を習得できないとし

た。Chomsky(1968,1980a,1986)は、いわゆる“刺激

の貧困”論を述べ、人間は生まれながらに抽象的原

理を含む生得的な普遍文法を持っており、それが人

を言語習得過程に導くという仮説を立てた。 Chomsky の“刺激の貧困”説は、1960 年代から

70 年代にかけて、幼児の言語習得研究に大きな影

響を及ぼした。“刺激の貧困”論争当時、子供の発

話と成人の言語との落差を見て、“You can’t get there from here.”(e.g. Gleitman and Wanner,1982)といわ

れたが、いわゆる連続仮説 continuity assumption が

大勢を占めるようになり、この問題は沈静化した。

連続仮説というのは、基本的な言語表現は、同じ一

つの普遍文法に起因するので、子供のすべての言語

発達段階を通して変わらないというものである

(Pinker,1984)。 しかしながら、最近20年間の心理学、言語学、

認知科学の発達は、“Children can get there from here.”であるとし、問題の再提起を行っている。基

本点は二つある。

“意図の読み取り”スキルは 9-12 ヶ月児に出現

し(Tomasello,1995a)、子供が複雑な表現、構文を

含む言語シンボルを適切に使用するために必要であ

り、人間独特の人間の進化に関わるスキルである。 例・互いに関心のある物や出来事を他者ととも

92

Page 94: 認知言語学的観点を生かした

に注意を分け合う能力。 ・その場でのやり取りの対象ではない物事に対

する他者の注意やジェスチャーに従う能力。 ・指差しなどの非言語的ジェスチャーを用いて

他の人の注意を物に向けられる能力。 ・伝達行動を含む他の人の意図的行動を文化的

に(模倣的に)学ぶ能力。 “パターン発見”スキルは、カテゴリー化スキ

ルのことである。大人が異なった発話で使用する言

語シンボルの中にパターンを発見し、子供が文法的

(抽象的)言語能力を構築するのに必要なスキルであ

る。 例・類似の物や出来事の知覚的、概念的カテゴ

リーを形成する能力。 ・知覚や動作の周期的なパターンから感覚神経

スキーマを形成する能力。 ・知覚および行為の流れを分析して統計的に処

理する能力。 ・複数のものから、共通する機能的な要素の役

割に基づいてアナロジーする能力。(マッピ

ング) 等 第 2 点目は“You can’t get there from here.”論を否定

する最近の進展として、成人の言語能力と子供の言

語とのつながりを、生成文法よりも、妥当かつ適格

に説明する言語原理があるということである Chomsky の普遍文法では自然言語は形式言語

formal languages であり、以下に 2 分されるとする。

(1)それ自体にも、また結び付けられた要素にも意 2.言語の起源 第 2章要旨

味のない抽象的な代数ルールの集合。

(2)意味のある言語的要素を含んだレキシコン。

潜在的に代数処理を行う“コア core”言語能力は

普遍文法を組み立てる。“周辺 periphery”はレキシ

コン、概念システム、不規則構成、イディオム、実

用を含む。このコアと周辺との二分裂によって、言

語習得の二重プロセス dual process アプローチが導

きだされる。

しかしながら、近年、言語と人間の言語能力につ

いて新しい見解が出てきた。用法基盤言語学

Usage-Based Linguistics である。用法基盤言語学

は 、 言 語 構 造 は 言 語 使 用 に よ っ て 出 現 し

(Langacker,1987a,1991,2000)、言語の本質は文法

派生を伴うシンボル的な次元であると主張する。生

成文法と異なり、用法基盤言語学では、文法は、

「文法化」という歴史的かつ個体発生的過程の産物

であり、文法構造は意味のある言語シンボルそのも

のであると考える。

用法基盤言語学は、言語能力は項目 item と構造

structure の習得からなり、生成文法における“コア

文法”よりも言語的に複雑で多様なものであると考

える。言語能力は、コアのような規則性のある中心

部と特異な周辺部及びそれらの中間にある多くのも

のから成る連続した一覧、A structured inventory of construction のようなものである。生成文法の二重

プロセスと異なり、言語は《同一の過程=「意図の

読み取り」と「パターン発見」》を経て習得される。

成人の言語習得の到達点が A structured inventory of construction であり、以前考えられていたよりも、

より子供の言語習得と親密な関連があるという事実

から、“children can get from here to there”と結論付

ける。したがって普遍文法なしには存在できない原

理や構造は存在しない。即ち、“刺激の貧困”、およ

び生得普遍文法の提起する以下の未解決の二大習得

問題仮説も、用法基盤言語学においては存在しない。

(1)言語の多様性(リンク)問題:

子供は自分の抽象的な普遍文法をいかにして自

分が学んでいる特定の言語にリンクさせるのか。

(2)発達変化の問題:

普遍文法が常に同一であるならば、子供の言語

発達の過程で起こる変化をどのように理解した

らよいのか。

人の言語コミュニケーションと他の動物のコミ

ュニケーションとは2つの点で大きく異なる。

1)人間の言語コミュニケーションはシンボル的で

ある。

2)人間の言語コミュニケーションは文法的である。

2.1 系統発生の起源

生成文法は文法にのみ焦点を当て、人類は遺伝に

基づく普遍文法を発展させてきたと断言する。生成

文法は人間の言語的コミュニケーションにおけるシ

ンボル分野には関心がない。それとは反対に、用法

基盤観は人間にとって、シンボルを使用することは

最も重要なことであり、人類は系統発生的に言語シ

ンボルの使用技能を進化させてきたと考える。文化

上歴史的出来事である文法の出現は進化の歴史では

ごく最近のことであり、言語の出現には、遺伝的要

素は何ら関係していない。

93

Page 95: 認知言語学的観点を生かした

2.1.1 霊長類のコミュニケーション

ベルベット・モンキーのアラーム・コールに見

られるように、人間以外の他の霊長類がコミュニケ

ーションのためのシグナルを使用するのは、人間と

違って意味や情報を伝えたり、物を指ししめしたり、

他者の注意を操るためではなく、相手の行動や動機

に直接的に影響を与えるためである。

2.1.2 シンボルと文法化

人間の言語のコミュニケーション・シンボルは

霊長類のコミュニケーション・シグナルと比べると、

習得方法と使い方の点で明確に区分される。

・ 人間言語のコミュニケーション・シンボルは

社会的に,文化によって習得される。

・ 言語シンボルは対話者同士で相互主観的に理

解される。

・ 言語シンボルは 2 項的に社会的相互交渉を直

接的に規制するためには使われず、外のもの

に対する他者の注意や心の状態を方向付ける

ために参照的に述べられる中で使用される。

これらの人間の特性はすべて他者の心理状態を理

解することを可能にする社会的認知適応によるもの

である。

言語シンボルは人間に種固有の認知概念形式をも

たらした(Tomasello、1999)。人間は歴史的に文化

の中で他者の注意を操作するために多様に進化して

きたので、今日では状況に応じて異なった解釈をす

るさまざまな言語シンボルと構文がある。

例:・粒状特性(物、家具、椅子、デスクチェア)

・観点(追うー逃げる、買うー売る、来るー行

く)

・ 機能(父,弁護士、アメリカ人;coast, shore, beach)

人は言語シンボルの使い方によって知覚認知し、

意思伝達目的に便利なように外界を見るのである。 2.2 個体発生起源

文法の進化について異なった仮説が導き出され

論争を引き起こしている。生成文法論者は、人類は

すべての人々に共通する遺伝に基づく普遍文法を進

化させたとし、現代言語の多様性は単なる表面上の

ことだと信じている。彼等は世界中のあらゆる言語

の基盤となる文法的カテゴリーと文法関係は普遍文

法という生物学的な装置から生ずるとする。

それに対し、新しい立場である使用依拠観では、

文法化と構文化は文化的・歴史的なプロセスであり、

生物学的なものではないと考える。言語特有の

item や構文は一度に作られたものではなく、人間

が長い歴史の中で互いにそれを使い、可変的な言語

環境内で用いる中で、出現し、進化し、修正されて

いった。さまざまな会話プロセスを経て、削られた

り付加されたりして編成された構文は、語レベルと

構文レベルの双方において、きっちりと無駄の無い

構造に凝縮していった。

例:[語レベル] in the side of → inside of going to → gonna [文レベル] He pulled the door and it opened.

→ He pulled the door open. 文法化と構文化の歴史的プロセスを引き起こす

要因は3つあげられる。

(1)心理的、社会的会話プロセス:予測性が高い

ものほど音韻削減がおこりやすい。

例;自動化 going to → gonna (2) 頻度:頻度の高い語は短縮化される。また

頻度の高い構文はよく用いられるので

不規則性が維持されやすい。

(3)機能再分析とアナロジー:高度な語用論的推

測や機能再分析,アナロジーによって言語シンボル

の産出が速やかになり、文法化が行なわれた。

文法化理論によって、世界言語の共通性と相違

の両方を説明することができる。

2.1.3言語の普遍性

すべての言語に存在する文法的カテゴリーや構

文などはほとんどないと、現在、多くの言語学者が

言っている。しかし、それはヨーロッパのカテゴリ

ーや構文を東南アジアやオーストラリアなどの非ヨ

ーロッパ言語に当てはめるからである。勿論,言語

の普遍性は存在するが、それは言語シンボルや文法

カテゴリー、構文という形式ではなく、コミュニケ

ーション、認知、人間の生理の上での普遍性である。

人がシンボルを用いてコミュニケーションを始め

るのはどんな言語でもだいたい1歳ごろである。シ

ンボルを用いたコミュニケーションは、 新しく獲

得された社会認知スキルと関連して出現する。その

認知スキルというのは、言語習得にとって最も重要

な共同注意フレームの確立、意思伝達意図の理解、

そして役割反転模倣の文化学習である。これらのス

キルは、その根底にある基礎的社会認知力である

「意図の読み取り」スキルに帰するものである。

話せるようになる以前の幼児は、驚くべきパタ

94

Page 96: 認知言語学的観点を生かした

ーン発見能力を持っていることが最近明らかになっ

た。このパターン発見能力は文法構造習得を準備す

るものである。

2.2.1話せるようになる以前の幼児

子供がなぜ1歳直後から言語を理解し産出し始

めるのかについては何も明らかになっていない。不

思議なことに、子供は少なくとも4,5 ヶ月までに

発話しうる単純なモノやデキゴトの概念を形成して

おり、また語のような音のパターンを認識できるよ

うである。しかし、5 ヶ月児は言語を理解も産出も

しないので、概念や発話ユニットなどは十分ではな

いようである。

1歳前後の言語の出現に伴って、幼児は言語獲

得に必要な世界を概念化する能力や発話区分能力を

さらに発達させそうだが、そうでもない。1 歳の誕

生日に、子供を言語習得能力獲得へと押し上げる質

的な変化が起きているという提言はない。

それに代わる説明となるのが、幼児の社会的意

思伝達スキルである。この発達時期に子供の言語出

現と関連ある重要なことが起きている。子供は人間

の顔のスキーマ画像を他の知覚パターンと峻別した

り、他者を動く存在として物理的物体と区別して認

識したり、大人と”原始的会話 protoconversation”をしたり、体の動きを模倣したりと、社会的な生き

物であることを示すが、こうしたことは他の霊長類

と変わらない。しかし、1 歳の誕生日近くなると、

新たなことが起こる。子供は他者と関係するように

なるのだ。現在の時点では、これが言語習得がなぜ

1歳前後に始まるかを説明している。

言語の習得に必要な共同注意、意図の読み取り

能力、文化学習は生後1年目ごろに現れるので子供

はその時期に言語習得を始める。子供の初期の言語

理解産出能力は母親との共同注意行為と大きな関連

がある。そもそも人は他者の注意を操作し、影響を

与えるために言葉を使用するのである。

2.2.2 初期の意図読み取り能力

9~12 ヶ月の頃、子供は大人の視線を追ったり、

大人を社会の参照点として利用したり、大人がする

のと同じやり方で物に働きかけたりし始める。これ

らの振る舞いは二項的ではなく、子供と大人とモノ

またはデキゴトの三項関係である。これらの振る舞

いは他者を自分と同じ、目標を持ち目標達成のため

の行動選択をする動く存在である意図的主体として

理解していることの表れである。

このような社会理解レベルである時には、言語

習得に重要な意味を持つ次の3つが出現する。

(1)共同注意フレームjoint attentional frames(=

コミュニケーションが行われる共通グラン

ド)の確立

(2) コミュニケーション意図 comunicative intentions の理解

子供は他者のコミュニケーション意図を共同

注意フレームの枠内で理解する。

(3)反転役割模倣conreversal imitationにおける文

化学習

他者を意図的主体と理解することによって種特

有の社会的学習、すなわち文化学習を行なうこ

とが可能になる。その文化学習が子供の言語

産出の基礎となる。自分と同様に他者が世界

に対して意図的関係を持っていると理解して

いる子供は、人がある目的を達しようとして

とる行動を模倣できるように大きな注意を払

っている。初期の子供は face-to -face に二項的

に行動を模倣するが、9ヶ月の子供は三項的に

外部のモノに対する大人の意図的行動を模倣

する。この過程は、道具や人工物そして言語

シンボルを恒常的に使用し始める可能性を開

く。1歳を過ぎると子供は単に人の動きだけ

でなく人の意図的な行動をも再生産しようと

し始める。新しいおもちゃを扱うようなわか

りやすい意図的な行動の模倣学習の場合は、

子供は単に大人の補助として並行的に行為を

行うのだが、大人がコミュニケーション・シ

ンボルを用いて子供の注意を方向付け、子供

がこのコミュニケーション行為を見習おうと

思った場合は状況が変わる。言語シンボルで

伝達意図を表す時には、大人は子供の注意状

態に向けて意図を述べているからである。そ

の結果、もし子供が大人の代わりをしようと

するならば、子供はそのシンボルを自分自身

に向けることをやめることになる。会話にお

いてコミュニケーション・シンボルを学ぶた

めには、子供は役割交換をしなければならな

い。これは明らかに、子供が目標と目標に達

する手段の双方の関係において、自分自身を

大人と同列に置く見習い学習過程である。こ

の場合子供は役者として自分自身が大人の代

役をしなければならないばかりでなく、意図

95

Page 97: 認知言語学的観点を生かした

的行動の目標として大人に自分自身の代役も

させならなければならない。

反転役割模倣のこのプロセスの結果、双方か

ら相互主観的に理解される言語シンボルが産

出されるのである。

2.2.3初期のパターン発見スキル

言語コミュニケーションのシンボル性を子供が

理解する前提として、言葉を話す前の幼児は、言語

コミュニケーションの文法性の理解に必要不可欠な

パターン発見スキルをはっきりと示す。

例:連続刺激音の中からパターンを発見する。

しかし、パターン発見スキルだけではコミュ二

ケーションの際に必要な文法構造を取り扱うことは

できない。なぜなら、子供はこの構造のシンボル性

を理解していないからである。1歳の誕生日ごろに

子供が言語シンボルを一度理解すると、文法の使用

準備が整う。

2.3 子供の最初の発話

子供は大人と共同注意フレイム joint attentional frames 内で、同じ土俵で協同できるようになると、

大人の発話内の伝達意図を知ろうとして、言語シン

ボルを理解し始める。この意図読み取りと社会学習

スキル(反転役割模倣を含む文化学習スキル)が連

携することによって、子ども自身が慣習的言語シン

ボルとシンボリックに組みたてられたジェスチャー

を習得することが可能になる。1歳ごろの子供は、

ジェスチャー手段と言語手段の両方を組み合わせて、

言語シンボルを使用する。これを動機付けているの

は、他者と意思疎通を図りたい、他者のようになり

たいという人間独自の社会的文化的願望である。

2.3.1初期のジェスチャー

人間の子供は主に以下の3つのジェスチャーを産

出する。

(1)儀式化 ritualizations: 例;抱き上げてもらうために大人が近づくと腕を

頭上に上げる。

子供が単に何かの結果を得るために行為がなさ

れることを目的としたジェスチャー。子供は模

倣によってではなく直接的にこのジェスチャー

を学ぶ。儀式化は互いに了解された意思伝達行

為を伴って他者の注意に影響を及ぼそうとする

ものではないので、シンボリックなジェスチャ

ーではない。

(2) 指 示 ジ ェ ス チ ャ ー deictic gestures :

例;目的物を手に取り、指差し示す。

さらに子供は大人の表現をホロフレーズとして、い

わゆる塊り語として学習する。

大人の注意を外のものに方向付けるもの。

儀式化ジェスチャーが 2 項関係であるのに対し、

指示ジェスチャーは 3 項関係である。子供は単

に他の種類の儀式化として指差しを行なうこと

もあるので、指示ジェスチャーはシンボリック

であるともないともいえる。

(3)シンボリックジェスチャーsymbolic gestures: 例;飛行機を示すために腕を広げる、犬を示すた

めにハアハア言う。

メトニミー的、象徴的に指示されるコミュニカ

ティブな活動。子供は大人の模倣を通して、慣

習的な形でシンボリックジェスチャーを学ぶの で、シンボリックジェスチャーは発話シンボル

と非常に共通性がある。

このように、多くの子供は自分のコミュニケーシ

ョン意図を最初、ジェスチャーで伝え、初期の言葉

へとつなげて行く。

2.3.2初期のホロフレイズ Early Holophrases 1 歳の誕生日に言語シンボルを口にし始めるまで

の数ヶ月、子供たちはジェスチャーや音声を用いて

他者と意思疎通する。こうした非言語的コミュニケ

ーションの前段階形式の中で、言語を学び、使用す

る。

子供の初期の一語文は全体的で区分されていな

いコミュニケーション意図を伝えるホロフレイズで

ある。それは、大人の発話と同じにコミュニケーシ

ョン意図を伝えるものである。多くの子供の初期の

ホロフレイズはその子特有のものであり、安定した

ものではなく、時とともに使い方が変わり、進化す

る。

例;Rockin; 最初はロッキングチェアで揺らす

ことに用い、それからそうしてくれるよう

に頼むこと、次に物の名前に用いられる

Tomasello,1992a。 子供が大人の言葉のどの部分を主にホロフレイズ

として選択するのかというのは、子供が学ぶ言語や、

子供が大人とする談話の種類により、また大人の話

の中の語や節の知覚的際立ちにもよる。

子供が最初に学ぶ語の例;

<英語>up, down, on (relational words)

<韓国語、北京語>脱ぐ(動詞)

96

Page 98: 認知言語学的観点を生かした

例; I-wanna-do-it, Lemme-see. その後、子供が言語要素を他の発話、他の文脈

で使うようになると,子供は分割処理を行い、話の

流れだけではなく、コミュニカティブな意図にも関

与するようになる。英語の場合は the part-to-wholeで、またエスキモーの言葉のように英語よりも自立

性が少ない多重合成語 polysynthetic の場合には the whole-to-parts でと、子供はそれぞれの方向性で言

語区分を経験し、表現や構文の中のいろいろな言語

要素を学んでいく。 なぜ子供がたった一語で発話を始めるのかは、現

在のところはわかっていない。おそらく、子供は大

人の発話の限られた部分にだけ参与しているのか、

一度にひとつの言語単位しか使用できないからだろ

う。

構文的観点から見ると、子供は初めに語を学びそ

れをルールに基づいて結びつけ文にすると言われる。

しかし、機能的観点からすると、子供は発話全体を

聞き、産出しており、子供は発話を構成部分に分解

し、それらが発話全体の中でどんな機能的役割を果

たしているのかを理解している。ホロフレイズを産

出しているときには、子供は発話機能をひとつの言

語単位に割り振っているだけだが、将来は同じよう

な発話で他の言語要素にその機能を割り振る。この

ようにして子供は自分の言語表現を大人と同じ慣習

的なものに合わせていくのだ。

2.4 まとめ

【言語の系統発生的・個体発生的起源仮説】

(1)言語のシンボル性は物事を文化として捉える

人間独特の生物学的適応に由来する。その適応によ

り、他者は自己と同様に意図と心情を有しているこ

とを理解し、その意図や心情を社会慣習を通して操

作したいという願望によって、言語が生まれる。

(2)言語の文法性は、人々が個人間の意志伝達の

目的のために言語シンボルを歴史的に繰り返し、パ

ターン化して用いることに由来する。文法が生物学

的に獲得されるということはない。

9~12 ヶ月の頃、子供は他者を発話意図を持つも

のとして理解する。そして、1 歳になって、意図読

み取り基礎能力がしっかりと固まってから言語が現

れる。

子供の最初のシンボル産出はさまざまなジェスチ

ャーとホロフレーズと、それらが組み合わさった表

現である。言語コミュニケーションの前にシンボル

的なジェスチャーが存在することは、人間のシンボ

ル化能力が言語のみに限定されないことを示してい

る。

言葉を学ぶ中で、子供は大人が用いた文脈で発話

を記憶し、必要な文脈の中でその発話を分析なしに

再生産する。しかし、すでに獲得しているカテゴリ

ー化スキルと文法化の過程で得た発話の統計的知識

を用い、子供は聞いた発話を分析し、構造的に、機

能的に発話を分類しようと試みる。

この過程で子供は文法の二側面に関する分析を同時

に行う。

1 全体としての発話の中での語、形態素、節の伝

達役割を分類し、発話から抜き出す。

2 発話から似ている構文や機能をパターンとして

見分けること。

発話の過程で、子供は構成パターンを型板とし

て、その中にすでに抜き出していた語や形態素、節

を入れ、創造的にしかしながら慣習的に発話を産出

する。重要なのは、語彙と文法の習得は同一の発展

過程にあるということである。

3 発達心理学との比較考察

Tomasello(2003)の執筆目的はチョムスキーや

ピンカーの普遍文法のアンチテーゼとして A

Usaged-Based Theory (用法基盤理論)をパラダイ

ムとして構築することであり、方法として幼児が言

語を創造する実際の過程を観察して、帰納的に本質

を見出すことだとされる。そうであるならば幼児の

言語の発達を心理学の側面から捉えた発達心理学の

研究成果を参照し、Tomasello の用法基盤理論と比

較考察することは有意義であると思う。そこで、以

下、Tomasello を内田(1999)『発達心理学』の言語

習得論との異同から対比的に捉え、考察したい。

3.1.1 言語獲得の生得性

Tomasello は、言語習得に関して生成文法論の主

張する普遍文法という形での生得性を完全に否定し、

使用依拠理論によってすべてが解明できるとする。

Tomasello は人間独特のシンボル性により、他者を

意図を持つ存在として理解し、他者の意図や心情を

社会協約を通して操作したいという願望から言語は

生まれるとし、言語の形成は生成文法論者の主張す

るような生物学的なものではないとしている。

それに対し、内田(2005,p.55、56)は次のよう

に述べ、普遍文法の存在を消極的に認める立場をと

97

Page 99: 認知言語学的観点を生かした

っている。

文法規則の獲得は大人の発話を手がかりに自発

的に自分なりの規則を生成し、適用していくこ

とによって生ずる。しかも短期間のうちに規則

を正しく使えるようになるということから、文

法の獲得は・・・何らかの制約や原理にもとづ

く生成的な学習によって達成されるものである

ということを想定せざるを得ない。文法の効率

のよい獲得が起こるためには、このような言語

の規則性を生成する(チョムスキーの普遍文法

のような)原理の存在を想定せざるを得ない。

しかし、言語獲得が生物学的要因によるものかどう

かということに関しては、内田は生成論の立場のよ

うに生物学的要因に帰するのでもなく、Tomaselloのように生物学的要因を否定するのでもなく、「言

語獲得には生物学的・認知的な内部要因と生活世界

から与えられる環境要因が影響を与えている。」

(p.72)と述べている。生物学的要因に関しても、

内田は「子供の言語発達に見られる普遍的な規則性

は単一の神経組織に拠っているのではなく、おそら

く言語を学習する人間の神経システムのきわめて抽

象的な能力に由来」(p.72)していると述べ、生得

論のような言語獲得装置とは違う形の想定をしてい

る。

3.1.2 子供の言語獲得における認知の役割

子供の言語の獲得において認知が果たす役割の

重要性は、Tomasello も内田もともに強調している。

Tomasello は「人間の成長の初期に現れる『意図の

読み取り』と『パターン認識』が子供の言語習得に

大きく関わっている。」と述べているのに対し、内

田は「共同注意、社会的参照などの行動の出現と、

この行動の背景にあって、何かを別なもので代用し

て表象として頭の中に持つことができるようになる

こと、即ち象徴機能の成立が、親子のやり取りを可

能にする。」(p.39)と述べ、両者とも幼児の言語獲

得の前提として認知能力の確立の重要性を説いてい

る。

しかしながら、Tomasello は子供の言語習得を認

知能力によってすべて説明できるとするのに対し、

内田は認知的な要因に加え生物学的な要因も挙げて

おり、両者に食い違いが見られる。

3.1.3 言語の普遍性

言語の普遍性について、Tomasello は人間認知の

普遍性をあげるのに対し、内田は成熟の生物学的共

通性を上げる。Tomasello は「言語の普遍性は、人

間にとってのコミュニケーションの必要性、人間の

音声・聴解過程に基づいた普遍性に存する。」とす

る。一方、内田は「(すべてのどの国の子供も同じ

ような発達過程を経るという)言語獲得に規則性が

あるのは、成熟の生物学的な過程が規則的に生ずる

ため」であるとしている。

3.1.4 統語規則の獲得

Tomasello は普遍文法の存在を完全に否定し、用

法基盤理論によって統語規則の習得を説明している。

人間が互いのコミュニケーションのためにシン

ボルをつなぎ合わせて連続的に使用するとき、

使用パターンが現われ、文法構造が確立する。

歴史的活固体発生的な過程の産物として「文法

化』がある。 (P.5)

それに対し内田は消極的な形ではあるが普遍文法の

役割を認めている。

文法の獲得は大人の発話を手がかりに自発的に

自分なりの規則を生成し、適用していくことに

よって生ずる。しかも、短期間のうちに規則を

正しく使えるようになるということから、文法

の獲得は、単に連合学習や環境からの入力だけ

に依存する学習によるのではないということ、

つまり、大人の発話模倣することによって文法

の効率のよい獲得が起こるためにはこのような

言語の規則性を生成する(チョムスキーの普遍

文法のような)原理の存在を想定せざるを得な

い。 (P.55)

3.1.5まとめ

Tomasello はチョムスキーの言語生得説を完全に

否定し、普遍文法の存在を認めず、人間の言語獲得

は一般的な認知能力に由来するものだとする。これ

に対し、内田はチョムスキーの想定するような生物

学的制約が存在することは否定できないが、言語獲

得は認知発達と相互作用しながら進むとしている。

言語獲得はチョムスキーの言うように生物学的なも

のなのか、あるいは Tomasello の主張するように生

物学的要因は全く存在しないのか、どちらの説が正

しいのかは今後の研究に待たなければいけないと思

う。しかし、内田のような発達心理学の主張と

Tomasello の主張との比較検討の中に答を見出す糸

口が探せるのではないだろうか。

Tomasello(2003)は 1 章の最後で、普遍文法論

がこれまでに掲げてきた未解決の諸問題の破棄を宣

98

Page 100: 認知言語学的観点を生かした

言した。“刺激の貧困論”や繰り上げ構文問題を巡

る論争はこの書によって一定の結節点を迎え、使用

依拠理論のパラダイムとしての確立がもたらされ、

新たな時代が展開されるのであろうか。

参照文献 内田伸子(2004)「発達心理学」『岩波書店』

Tomasello,M. (2003) Constructing a language:a usage-based theory of language acquisition, First Harvard University Press paperback edition.

おかじま ゆうこ/お茶の水女子大学大学院 人間文化研究科 言語文化専攻

[email protected]

Constructing a Language Tomasello, M. 2003(an abstract of the 1 & 2 chapter)

& the comparison with Developmental Psychology

Okajima Yuko

Abstract

Tomasello(2003) was written to establish a new paradigm as a antithesis of Chomsky’s Universal Grammar. For

the sake of this, he took the way to watch the process how children learn language, and find the essence of language

inductively. In this report I made an abstract of the first & second chapters of his book which I think shows his theory

typically. Then I compared Tomasello(2003) with Uchida (2004) which viewed a language development from the aspect

of Developmental Psychology. 【Keywords】language acquisition, joint attention, intention-reading, pattern finding, language symbol

(Department of Japanese Education, Graduate School, Ochanomiz )

99

Page 101: 認知言語学的観点を生かした

使用依拠モデル誕生の背景と 幼児の言語習得初期の特徴

ー第二言語習得への応用ー

橋本 ゆかり

要 旨 第二言語の習得メカニズムを考えるには、第一言語習得研究において明らかとなった知見を援用することが有意義では

ないかと考える。近年、第一言語習得研究において使用依拠モデルが提唱され、生成文法的アプローチに相対するものと

して 2 大柱になりつつある。本稿では、まず第一に、使用依拠モデルの 2 点について、Tomasello の著書「Constructing a

Language」(2003)の内容をまとめる。1 つめは、どのように使用依拠モデルが誕生したのか、そして 2 つめは、幼児が習

得初期に何に基づいてどのように言語習得するのかである。そして第二に、その内容に基づいて第二言語習得との関わり、

日本語教育への応用を検討する。

【キーワード】使用依拠モデル、語結合、スキーマ、動詞島仮説 1. はじめに 第一言語(以下、L1 と称す)習得と第二言語(以下、

L2 と称す)習得研究は、それぞれ別分野として研究

が進められているが、そもそも人間がどのように言

語を習得しているのかといった基本に立ち返り、

L1 習得研究の知見を L2 習得研究において援用する

ことは有意義ではないかと考える。 近年では、L1 研究において、使用依拠モデルが

提唱され、生成文法的アプローチに相対する 2 大柱

になりつつある。本稿では、この使用依拠モデルに

ついて知見をまとめ、L2 研究、日本語教育への応

用を検討する。

2. 本稿の目的 本稿では、どのように使用依拠言語学派が誕生

したのか、そして L1 習得中の幼児(以下、L1 幼児

と称す)は初期にどのように言語を習得するのかに

ついて明らかにするために、さまざまな研究成果が

紹介されている Tomasello の著書「Constructing a Language」(2003)の内容をまとめる。さらに、それ

らの知識を踏まえ L2 研究、日本語教育への応用に

ついて検討することを目的とする。

3. 本稿の構成

まずは、本稿の構成について述べる。次章の第 4

章では、「Constructing a Language」の著者である

Tomasello について簡単に紹介し、言語習得につい

ての基本的な考え方を説明する。第 5 章では使用依

拠モデル誕生の背景、第 6 章では使用依拠モデルの

理論的特徴、第 7 章では L1 幼児の初期の言語発達

について、「Constructing a Language」の内容をまと

める。第 8 章では、L2 習得研究との関わり、及び

日本語教育への応用について検討する。

4. Tomasello の紹介と基本的な考え方

4.1 Tomasello の紹介

「Constructing a Launguage」(2003)の著者である

Michael Tomasello について簡単に説明する。

Tomasello は、主にチンパンジーやオラウンター、

ゴリラといった大型類人猿の知性に関する研究を行

うと共に、こういった霊長類との比較研究を行うこ

とで人間の言語を生み出す認知能力について研究を

行っている。本書の中にも紹介されているが、多く

の実験研究の成果を発表し、有名な著書「First verb(1992)」では、自分の子どもの言語発達を縦断研

究で詳細に調査している。ここでは動詞中心にそし

て動詞(島)ごとに習得が進んでき、その個別の知識

が抽象化されることで文法ルールが徐々に確立され

ていくという島仮説を提唱しており、この研究で得

られた知見も本書に盛り込まれている。

100

Page 102: 認知言語学的観点を生かした

4.2 Tomasello の基本的な考え方

使用依拠言語学派の考え方は、生成文法的アプ

ローチとは異なるものであった。生成文法とは、

1950 年代にチョムスキーによって提示された理論

であり、人間は皆、どのような母語であれ、生まれ

ながらに共通の言語獲得装置を備えているというも

のである。Tomasello は、人間の生得的な言語能力

の存在を否定する使用依拠モデルの立場をとってい

る。使用依拠モデルに基づく言語習得の考え方は、

実際に聞いたり使用することで習得がなされていく

というものである。具体的には、幼児は、大人の発

話より語を抽出しながら、言語表現や構文を固まり

として学ぶということであり、パターン・ファイン

ディング(パターンの発見)と意図の読み取りにより

言語習得が行われるという。つまり、意味を意図の

読み取りから学習し、形式をパターン・ファインデ

ィングにより習得し意味と形式のマッピングを行う

ということになる。パターン・ファインディングは、

認知言語学においては従来より提唱されている考え

方であるが、発話者の意図の汲み取りは Tomaselloの新しい考え方であり、例えば母親と子どもといっ

た対話者の共同注視(joint attention)により成り立つ

ものである。Tomasello が人間と人間との関わりの

側面を重要視していることがわかり、こうした社会

語用論的アプローチも取り入れられている。

Tomasello は、「Constructing a Language」の中で、生

成文法との相違点を対照比較しながら、使用依拠モ

デルの考え方の正当性を主張している。

5. 使用依拠的アプローチ誕生までの歴史的背景

まずは、使用依拠的アプローチ誕生の歴史的背

景を以下にまとめる。 5.1 幼児の言語獲得に関する研究-1950 年代初頭、

1960 年代 1950 年代初頭から 1960 年代にかけて、幼児の言

語獲得における有名な研究成果が報告されている。

その代表例として Braine(1963)の軸文法が挙げられ

る。L1 幼児の発話データの分布分析に基づくもの

で、1つの語(軸語)と様々な語が結合するという言

語獲得理論であった。ここでは、以下の 3 つの文型

が提示されている。

① Pivot + O (More juice. More milk) ② O + Pivot (Juice gone, Mommy gone)

③ O + O (Ball table, Mommy sock. (軸なしの発

話) ところが、この軸文法において問題が指摘され

た。それは次の 3 点で、(1)同じ軸語を同じ位置で

使用するわけではない、(2) 2 つの軸語を使用する

ことがある、(3)文型③は規範的でない、というこ

とであった。つまり、子どもがどのように大人の統

語カテゴリーに辿り着くのかといった点が不明であ

るという問題であった。 5. 2 大人の言語モデルの適用-1960、1970 年代

1960 年代から 1970 年代は、大人の言語モデルを

子どもの言語獲得データへ適用するという研究がな

されるようになった。代表例が生成文法、格文法、

生成意味論などである。しかしながら、子どもが大

人の文法を使用しているという根拠がないとの指摘

がなされるようになる。また Slobin(1973)も、類型

論的に様々な言語に適用可能な唯一の文法などあり

えないと述べた。 5. 3 子どもを中心に据えた言語獲得 こういった問題点が指摘され、子どもを中心に

見据えた言語発達の観点に再び戻ることになった。

それが意味関係アプローチ (Semantic relations approach)といわれるものである。これは、「基本的

な統語関係は感覚運動1認知により得られるカテゴ

リーと一致する」という考えに基づく。以下に示す

ように、非言語的な関係が言語的スキーマへ対応し、

投射されるというものである。

非言語的 言語的スキーマ Agent, Action, Object の関係 ⇒Agent-Action-Object

しかし、子どもがピアジェの感覚運動カテゴリ

ーと一致しないことも話すという事実から、具体

的な意味カテゴリーから抽象的な大人の統語カテ

ゴリーへと繋がっていくのかという問題は解決さ

れないまま残った。 5. 4 大人の文法中心の考え方-1980 年代 そこで、1980 年代になると再び大人の文法に基

づいて研究が進められるようになった。GB理論

(Government and binding theory)、語彙機能文法(LFG)などがその代表的理論とされる。子どもの言語から

大人の言語へと繋がっていかないという、学習可能

性2の問題により、子どもの言語と大人の言語との

101

Page 103: 認知言語学的観点を生かした

間には繋がりがあり、子どもは大人と同じ言語カテ

ゴリーとルールを使っているという言語生得説が主

張されるようになる。Chomskyの普遍文法(UG)がこ

れに相当する理論である。しかしながら、ここでも

問題が浮上した。それは、言語間にバリエーション

があり、発達途上に変異性があるのはなぜなのか、

そして抽象的で常に一定の普遍文法を個別の言語構

造にどのようにあてはめていくのかという疑問であ

った。このような経緯を経て、やはり子どもの言語

は大人の言語と違うのではないかという考えに落ち

着いたのである。 5. 5 失敗から誕生した使用依拠モデルのアプローチ

これまで失敗に終わった試みは、以下に示すよう

に、軸文法、形式文法、意味関係アプローチによる

ものであった。

・ 子どもが大人の発話から抽象化を行う。

(軸文法) ・ 初から大人の抽象的な言語を持ってい

る。(形式文法) ・ 意味認知的抽象から始める(意味関係アプ

ローチ) いくつかの失敗を重ねた結果、使用依拠モデル

のアプローチが誕生したというわけである。使用依

拠モデルに基づく言語発達理論は、言語的抽象から

ではなく、かなり限定された具体的なものから言語

習得を始めるという考えに基づく。それはゆっくり

と 1 つ 1 つ断片的に行われるというものであった。 再び、こういった子どもの断片的かつ具体的な言

語使用からどのように大人の文法へと繋がっていく

のかという問題が浮上するが、これまでの考え方と

は次の点で異なっていた。つまり、インプットに基

づいて、ゆっくりとかつ不均等に適正な一般化を行

うという点である。単純で具体的、そして低レベル

の抽象化がその特徴とされる。なぜならば、子ども

は言語経験が少ないし、言語経験に見合った発達し

か行わないからである。このようにして、発達心理

学を包含した使用依拠言語学派の新しい言語発達ア

プローチが誕生した。 6. 使用依拠モデルの特徴

6.1 生成文法との違い 使用依拠モデルは、生成文法的アプローチと以

下のように対照させることができる。

生成文法 使用依拠

-特定の言語要素と構

造が同時に出現す

る。 -規則、つまり文法ル

ールが即時に語彙、

文法全体に生産的に

適用される。

-漸進的、断片的(つま

り 1 つずつ)、語彙ベ

ースに学習される。 -子どもがさらされてい

る個別言語に基づく。

つまり普遍的なもので

はない。 -経験に基づくために、

かなりの量の言語材料

を獲得した後で、一般

化がなされる。 6.2 Construction(構文)の性質

使用依拠言語学派の代表的な研究は、構文文法、

認知文法である。これは、限定されたものだけでは

なく、すべての言語の使用パターンを説明すること

を追求する。つまり、ほとんどの形式文法のように

抽象的な構文などの核文法だけを対象とするのでは

なく、すべての言語要素、構造(イディオム、不規

則構文、混合構文、メタファー的拡張)を説明する

ことを目的としている。 言語獲得は、意味のない言語ルールや要素を所有

している(形式主義)というのではなく、意味のある

言語構造をもつ構造化されたインベントリ

(Structured Inventory)をマスターすることであり、形

態素、語、句、統語アセンブリ(要素)は、意味のあ

る連続体であると考えられている。幼児は、言語イ

ンベントリの中に、具体的な単語、拘束形態素、固

まりとして習得されたフレーズ、項目依拠構文(筆者訳)を所有している。要するに、内容のない規則

に基づいて単語を組み合わせて文を創るのではなく、

大人の発話から、多様な形や大きさ、様々な抽象度

をもつ言語構造を学習し、多くのばらばらなユニッ

トを 1 つずつ繋ぎ合わせることで発話を作るという

ことである。 重要なことは、複雑な言語構造が、抽象的なカ

テゴリーではなく、具体的な言語項目に基づいてい

るということである。つまり、言語能力の大部分が、

日常的な決まり文句、固定あるいは半固定表現、イ

ディオム、連語のマスターから成るということであ

る。生成文法では、単語(レキシコン)と規則(ルー

ル)とが分かれる二重メカニズムを想定しており、

102

Page 104: 認知言語学的観点を生かした

以下のような問題があると指摘される。 問題 1 その中間に値する、どちら(暗記の産

物か、規則によるものか)に帰属するか

わからないものがある。 Ex.) let alone 構文

-文法的に説明できない。 er 構文

-文法的に説明できない。 名詞語句外置構文

-通常の語順と異なる。 there 構文

-通常の語順と異なる。

問題 2 規則が適用される範囲が非常に限られ

ているものがある。 Ex.) This hairdryer needs fixing.

-他の動詞ではこういった使い方をしな

い。

問題 3 特異な例がある。 Ex.) Him be a doctor!

-語順が違う。 My mother ride the train! -3 人称単数なのにsがつかない。

つまり、規則にあてはまらない言語用例がたく

さん存在するということである。したがって、生産

的な構文は、耳から聞いて獲得したものから、共通

パターンを抽出し一般化されたものであるというこ

とになる。 使用依拠モデルでは、概して、トークン頻度(延

べ語数)が具体的な語や形態素をもつ表現の定着度

を示し、タイプ頻度(異なり語数)が、抽象性とスキ

ーマ度、つまり、創造性、生産性を示すとされてい

る。したがって、発話において産出数が多ければ定

着していることを示し、言語要素のバリエーション

が豊富であれば、生産的な産出を行っているという

ことになる。 6. 3 インプットの重要性 使用依拠モデルに基づく考え方は、生成文法のよ うに環境がトリガ(引き金)となるのではなく、言語 環境は言語インベントリ構築のための言語材料を提 供してくれるところである。生成文法の考え方であ

る環境がトリガとなるというのは、環境に触れた瞬 間に言語獲得装置が母語に適合した装置として作動 し始めるという意味である。よって、子どもの言語 獲得を理解するには、子どもの聞く言語を知る必要 がある。そこには 2 つの問題がある。1 つめは、マ ザリースで、大人が子どもに向けて行う発話調整の 方法と、それが言語獲得のために必要なのか、とい う問題である。2 つめは、インプットの種類と量に ついてである。母親の使用と子どもの使用に相関関 係があるのかといった点である。しかしそこには、 大人の言語カテゴリーを用い行われているという大 きな問題がある。子どもが理解し産出する複雑で創 造的な発話は、ほんの少しの言語体験から得られた、 ほとんどの場合、頻度の高い、そして単純な項目依 拠の発話である。 7. 初期の言語発達

初期の言語発達は、シーンの概念化と言語表現と

の関係、構文獲得プロセスと動詞中心の発達につい

てまとめる。

7.1 シーンの概念化と対応する言語表現 L1 習得の多語期は生後 18-24 ヶ月といわれてい

る。発話は、社会生活を形成する様々なシーンを理

解 す る こ と か ら 始 ま る 。 シ ー ン は 参 与 者

(participants)の事態や状態を含む一纏まりの概念で

あり、子どもは、1 歳までに日常生活からいくつか

の特定シーンを概念化することができるようになる。 例えば、次のようなシーンである。 Ex.: 「操作活動のシーン」(manipulative activity scenes)

押す、引く、物を壊す 「図と地3のシーン」(figure-ground scenes)

対象物があがる、下がる、中に入る 「所有のシーン」(possession scenes)

物をもらう、あげる、持つ

子どもは、発達が進むにつれて、このような(1)特定シーンを様々な構成要素にわけ、そして異なっ

た言語シンボルで、こういった要素を表すようにな

り、(2)構成要素がシーンにおいて果たす役割を特

定するために、語順、格表示といった統語シンボル

を使用するようになる。その後で類推により言語的

に分割し表示される様々な種類のシーンへ、特定シ

103

Page 105: 認知言語学的観点を生かした

ーンをカテゴリー分けするようになる。 7.2 発話構文

子どもの 初の多語発話は、発話行為4目的と視

点を含む社会的コミュニケーションの目的に基づい

ている。シーンに直接対応する言語が発話構文であ

るがゆえに、発話構文は比較的一貫したコミュニケ

ーション機能を備えた、ほとんどルーチン化された

一貫した動詞表現といえる。発話構文は、子どもに

とって、全体を一つのユニットとした、経験シーン

をシンボル化した、既にまとまった意味・語用論的

パッケージである。シーンの意味は、ディスコース

の視点やコミュニケーションの目的によって異なる。 語結合は、18 ヵ月頃からできるようになる。例

えば、テーブルの上のボールをさして ball table と

産出するようになる。シーンをシンボル可能なユニ

ットに分け、具体的な言語要素を結合させたもので

ある。 子どもは、生後 14 ヶ月~18 ヶ月に、非言語行動

において問題解決を行うことができるようになる。

さらに、生後 14 ヶ月の子どもは、積み木などにみ

られるように、大人が行う 2~3 のステップからな

る一連動作の模倣学習ができるようになる。この非

言語行動において概念の組み立てができるようにな

ることが語結合の基礎となっている。 実際には、1 歳になる頃に、子どもは、ディスコ

ースから語結合を学ぶ。この学習方法は 2 種類あり、

1 つには、1.垂直構造(vertical structure)で、もう 1つは、2.置き換え(replacement)である。 垂直構造は、子どもがイベントのある側面を語

彙化し、大人が別の側面から語彙化して答えるとい

う手法である。次に例を示す。

Ex. 子ども: More! 大人: You want some grapes?

⇒ more grapes

大人: Do you want your shoes? 子供: On! ⇒ shoes on

つまり、ディスコースのターンを通じ、両者の

産出語彙を取り込むことで語結合(多語構造 Ex. More juice! Shoes on!)を学ぶというものである。

置き換え(replacement)は、子供の発話を大人が拡

張し、子どもが表現方法を瞬時に学習するというも

のである。

Ex.子ども: More! 大人: Do you want more grapes? ⇒ More grapes やがて具体的な言語要素の結合から、抽象化が

進み言語抽象の 初の型ができあがる。例えば、

More milk, More grapes, More juice といった具合

に、1 つのイベントを表す語と様々な対象物との結

合の形を産出する。子どもが言語獲得する際の広範

かつ生産的なストラテジーである(Braine 1976)。中

には、Allgone sticky のように、大人では産出され

ない例も見られる。 一貫した語順パターンは、子どもが大人の話で

もっとも頻度の高いパターンを直接再産出したもの

である。例えば Gone juice, Juice gone は、語を入れ

替えているだけで、新しい話し方を創造しているの

ではない。このように 1 語を軸としたスキーマは、

個々の語結合の抽象化を通して形成されるが、これ

は 1 歳児の感覚運動スキーマを形成する方法と非常

に似ている。幼児は、同じ行動を様々な対象物に対

して行い、感覚運動スキーマを形成する(Piaget)。感覚運動スキーマは、(1)様々な行動のすべてに一

般化されること (2)様々な要素のためのスロット の 2 つから成る。例えば Throw X の場合、X は

「投げられるもの」と、役割に基づいて定義されて

いる。 2 歳前後の子どもは、語順に基づいて正しい意味

を理解するようになると報告されている。このころ

になると、統語機能が備わった項目依拠の構文が産

出できるようになる。項目依拠構文の統語標識は、

動詞ごとに異なり(verb-specific)、どのように使用さ

れているのか、耳にした通りに産出されているとい

うことである。これが島仮説と呼ばれるもので、動

詞により構文の型の種類が異なることを意味する。

ここでは発達に連続性があり、前と同じ使用を繰返

した後、次に 1 つの小さな追加あるいは修正を行う。

子どもは、シンタグマティックなカテゴリー

(syntagmatic categories)、つまり、動作主(agent)、被

動作主(patient)、受益者(recipient)、場所などの分類

は持っていない。子どもの視点では、「キスする人」

104

Page 106: 認知言語学的観点を生かした

「キスされる人」「壊す人」「こわされるもの」と、

シーンごとに捉えられている。 Tomasello(1992)は、動詞中心に発達する初期構文

の特別な役割を明らかにした。非常に多くの大人の

文法、特に抽象的なものは、動詞とその項を中心と

しており、動詞島構文は、大人の文法能力へと繋が

っていく。 も基本的な英語の動詞-項構文(与格

構文)は、1 つあるいは複数の基本動詞―「軽動

詞」(Light Verb)を中心に発達している。動詞は、項

目依拠構文の構造化のために必要な全ての要素を提

供しないが、大人の統語能力へと移行させる重要な

役割を果たしている。 幼児が統語標識をどのように学習するのかは、

はっきりわかっていない。幼児がここで学習しなけ

ればならない事は、言語シンボルが世界について述

べるために使用されていながら、語順を含む他のも

のは、より文法的な機能のために使用されていると

いうことである。文法機能は、数も種類も多く、世

界について述べるという役割を実際に果たすシンボ

ルに寄生するという性質がある。

以上、使用依拠モデルのアプローチについての 2つ の 課題 に対 し 、 「 Constructing a Language 」

(Tomasello 2003)を翻訳し内容をまとめた。

8. 使用依拠モデルのアプローチと L2 習得との関わ

り及び、日本語教育への応用について

本章では、以上の内容を踏まえて、L2 習得との

関わり、及び日本語教育への応用を検討する。 8.1 L2 習得との関わり

子どもの言語使用がどのように大人の文法へと繋

がっていくのか、このことをうまく説明することが

使用依拠モデルに基づく習得理論発達のキー概念で

あった。 も興味深かったことは、この繋がりが、

人間の非言語期における事象の理解と学習へと遡る

ということである。つまり、言語発達が、言語を産

出し始めてから始まるのではなく、非言語期におけ

る経験の積み重ねから始まるということを意味する。

言語産出が、言語に直接関わる器官のみではなく、

五感やあらゆる器官を通じて刺激を受け学習したこ

とに基づき、全ての利用可能な能力を駆使して辿り

着くことが指摘されている。Tomasello の提唱する

島仮説、つまり動詞を中心として項構造が発達する

という段階も、生まれてからの継続的かつ発展的な

学習の延長線上に位置づけられることが説明されて

いた。このように言語発達について考えるには、発

達心理学の知見をも包含する学術的境界線を越えて

人間の発達の1つとして統合的に捉えることが大切

なのであろう。 使用依拠モデルの特徴として一番に挙げられる

のが、生成文法のトップダウン的アプローチと異な

り、経験からボトムアップ的に習得されるというこ

とである。つまり、 初は場面と結びついた形で言

語表現が獲得されていくということであり、分析ま

で至っていない表現と場面とのマッチングから習得

が始まるということになる。そういった具体的な用

例に基づいて、認知的操作の介在によりルールが抽

出されるということが強調されている。 それでは、こういった L1 習得プロセスは、L2 習

得にもあてはまるのであろうか。L2 習得においては、

橋本(2004)が使用依拠モデルを援用し L2 習得中の子

どものボトムアップ的な習得プロセスを説明してい

る。成人の L2 習得の場合、母語話者と共通した具

体的経験をしながら言語を学習していくという機会

はかなり少ないと考えられる。勿論すべてではない

が、かなり限られており、目の前の現実世界の具体

的な事象についてではなく、話のやりとりから構築

される両者のイメージの世界の中で発話がなされる

ことが多いのではないだろうか。特に、教室学習者

の場合、先にルールが教え込まれ、トップダウン的

に習得が進むことが想定される。また、成人の L2学習者は、シンタグマティックなカテゴリーやパラ

ディグマティックなカテゴリーが既に出来上がって

いる可能性が高い。成人学習者が自分の母語に対し

て貼り付けていたラベルを L2 にも同様に貼ってい

くという操作が考えられる。L2 習得の場合、L1 と

の言語による場面の切り取り方の違いが関係してく

るとすれば、どの程度母語の知識を頼りに習得を進

めていくのか、類型論的な L1 と L2 の違いがどのよ

うに L2 の言語習得に反映されているのかについて

検討する必要があるであろう。 1970 年代の L1=L2 仮説が示すように、L1 と L2

それぞれにおいて文法形態素などの習得順序が存在

し、しかもその習得順序が類似しているということ

が提唱された。このことは、L1 と L2 の違い、イン

プットの違い、年齢差、認知能力の違いといったさ

まざまな相違点を超えて共通する習得プロセスがあ

るということを示唆しており、それは人間の脳の機

105

Page 107: 認知言語学的観点を生かした

能、認知の仕方に依拠していると考えられている。

L1 の習得における認知的操作に基づく習得プロセス

がどの程度 L2 においても共通しているのか、そし

てその差異は何かを検討していく必要があるであろ

う。 8.2 日本語教育への応用

学習者が初期に場面と言葉をセットにして言語

表現を蓄積しルールを獲得していくことを考えると、

言語の発達には、多くの重複するインプットが必要

であろう。さらに、学習者がその意味を正確に特定

できるようになるためには、微妙に異なる表現にも

遭遇し、その差異について気づくことも必要であろ

う。複雑な表現を習得するには、複雑な経験を積む

ことが基礎となるはずである。子どもの L2 学習者

は習得が早く習得熟達度が高いといわれる。このこ

とは、L2 習得中の子どもが、学校で母語話者と長

い時間を過ごし、生活に密着した言語を学習してい

き、さらには子ども同士の微妙な気持ちや感情のや

りとりを頻繁に行うことに起因するのかもしれない。

このように L2 習得中の成人に対しても、使用依拠

モデルの理論に基づいて教育方法を考えると、なる

べく具体的な場面で具体的な作業を行いながら、数

多くの会話を取り交わすことが言語習得の近道であ

るといえよう。 L1 習得の発話意図の読み取り、協同注視といっ

た言語習得のアプローチを考えれば、学習者と対話

者の密接なコミュニケーションが重要である。教師

が学習者の発話意図を十分に理解した上で、理解可

能なフィードバックを丁寧に与えることが大切であ

り、学習者と真に心の通った対話を行うことこそが

言語習得を促進していくと考える。言語教育におい

ても Tomasello が強調する人間と人間との関わりを

もっと重要視していくべきであろう。

注:

1. 自分が行う身体的活動から外界について知るようにな

る。たとえば、やりとりゲームをして行為主と行為の

受け手といった文法的役割について子どもは学習する。 2. どのようなインプットでどのようなメカニズムで規則

を学ぶのかが問題となり、この問題が解決できれば、

学習可能性があるという。学習可能性がない場合、学

習者がある規則を学ぶという仮定が間違っており、そ

の規則そのものが間違いであるか、あるいはその規則

はインプットではなく、生得的な知識に基づいている

ということになる。 3. 人間は知覚において相対的に重要なものとそうでない

ものとに分ける。前者を図、後者を地という。 4. 発話によって遂行される行為

参照文献 橋本ゆかり(2004)「幼児のテンスアスペクト習得に関する

縦断研究-第二言語におけるアスペクト仮説と定式

表現-」お茶の水女子大学大学院修士論文(未公刊)

Braine, M. (1963) The ontogeny of English phrase structure.

Language 39, 1-14.

Braine, M. (1976) Children’s first word combinations.

Monographs of the Society for Research in Child

Development 41(1) .

Brown, R. (1973) A first language: The early stages. Cambridge,

MA: Harvard University Press.

Slobin, D. (1973) Cognitive prerequisites for the development of

grammar. In C. Ferguson and D. Slobin, eds., Studies of

child language development. New York: Holt, Rinehart,

Winston.

Tomasello, M. (1992) First verbs: A case study of early

grammatical development. New York: Cambridge

University Press.

Tomasello, M. (2003) Constructing a language: A usage-based

theory of language acquisition, Cambridge, MA: Harvard

University Press.

はしもと ゆかり/お茶の水女子大学大学院人間文化研究科国際日本学専攻応用言語論講座

[email protected]

106

Page 108: 認知言語学的観点を生かした

The background of Usage-based model and language acquisition at early stages -Application to L2 acquisition-

HASHIMOTO Yukari Abstract

It is useful to apply the knowledge of L1 to the process of L2 acquisition. In this report, I review Constructing a

Language (Tomasello 2003) to clarify how the Usage-based model appeared and how young children acquire a

language at early stages, and examine how the acquired knowledge can be applied to the field of L2 acquisition.

【Keywords】Usage-based model, word combination, schema, verb island hypothesis

107

Page 109: 認知言語学的観点を生かした

メタファー意識の日本語教育への応用可能性

Bores, F. (2003)を読んで

小浦方 理恵

要 旨 本稿は Bores(2003)の内容をまとめ、その日本語教育への応用可能性を述べたものである。Bores は、学習者がメタファ

ー意識を持つことは、語彙習得に有益である、という立場に立ち、メタファー意識が学習者にどのような影響を与えるの

か、その方法に適した学習者はどのような学習者であるのか、その方法に適した語彙はどのような語彙なのかなどについ

て考察している。その研究結果を踏まえ、メタファー意識をどのように日本語教育に応用できるかを考察した。 【キーワード】語彙習得、メタファー意識、比喩表現、イディオム 1. はじめに

今回取り上げる Bores(2003)は、認知言語学の知

見を応用した語彙習得についての研究である。

Bores は比喩的な用法の根底に存在するメタファ

ーを学習者に気づかせること(メタファー意識)

によって、語の習得が進むと考え、メタファー意

識と語彙習得についての実験とその考察を行った。

以下、Bores の研究について概観し、その結果を

どのように日本語教育に応用できるかを考察する。 2. Bores(2003) 2.1 比喩表現習得に有効な学習ストラテジー

認知意味論の主要な考えの一つに、比喩的なイ

ディオムなど、慣習的比喩表現の多くの意味は恣

意的ではなく、動機付けられている、というもの

がある。 伝統的な考え方では、ほとんどのイディオムは

無規則で、無計画に記憶することによって学ぶと

いう方法のみである。しかし、認知意味論では、

新たな学習ストラテジーの可能性を示唆している。 新たな学習ストラテジーとは学習者のメタファ

ー意識の強化を支えるものである。この強化され

たメタファー意識は以下の点において関係してい

る。 1)日々用いる言語における共通の要素として

のメタファーを理解すること 2)比喩表現の裏側にある概念メタファーやソ

ースドメインなどの比喩的テーマを認識する

こと 3)多くの比喩表現は恣意的ではないという性

質を理解すること 4)異文化間の比喩的テーマが異なるという可

能性を理解すること 5)比喩的テーマを言語的に例示することによ

って、異文化間の比喩的テーマの多様性を理

解すること 外国語教育において、慣習的な比喩表現の習得

について考えると、その応用は以下の 3 つに大分

される。 1)イディオムの裏側にある比喩的表現は、文

字通りの(又はもとの)意味を述べることに

より、明確になりうる 2)学習者はイディオムの意味を自主的に理解

する際に、認知的成果を備えうる 3)イディオムを同じ比喩的テーマにグループ

分けすることができる 2.2 メタファー意識と語彙保持

学習者は多くの表現において、その文字通りの

(またはもとの)意味を述べることによって、比

喩的な性質に気づくことができるという考えを支

持する研究は、Boers (2000), Bores and Demecheleer (2001)などがあり、Bores(2003)もその立場に立っ

ている。 Bores(2003)は、 1)現実的に望める語彙習得研究の展開方向 2)もっとも適している学習者の属性

108

Page 110: 認知言語学的観点を生かした

3)メタファー意識に触れるのに適した語彙の種 類 について考察している。 2.2.1 メタファー意識が学習者に与える影響

まず、どのくらいの時間や努力が学習者のメタ

ファー意識向上に必要なのかを調査するために、

実験を行った。 初めに、学生を 2 つのグループに分けた。そし

て、大学の英語の授業の 30 分を使い、異なる教

師によって、異なる処遇を与えた。最初のグルー

プの 30 名は、実験群として、up-down の比喩表現

における比喩の性質について 1 度提示した。もう

一つのグループの 19 人については、統制群とし

て、今まで行われてきたとおりの授業を行った。

事後テストは、1 年後に行われ、グラフを入れた

短いエッセイを書かせるものであった。このエッ

セイで、1 年前に学んだ up-down 表現を使うか使

わないかを調査した。 調査の結果、実験群と統制群の間には有意な差

は現れなかった。したがって、一度のみのメタフ

ァーの性質についての提示は長期の保持によい影

響をもたらすとは言えなかった。しかし、何度も

提示することによって、記憶の保持に影響をもた

らすかもしれない、と考え、メタファー意識の転

移可能性についての最終的な結論のためには、こ

れからの研究が必要であると述べている。 2.2.2 受容という点から見たメタファー意識の可

能性 ここでの調査のリサーチクエスチョンは英語母

語話者は、慣れ親しんだ比喩的テーマではあるが、

慣習的ではない例を理解し、許容することができ

るかである。 バーミンガム大学の英語教師 9 名に対し、慣用

的ではない“Breatheing flames”、“Being a flame-thrower”、“Unchaining one’s anger” 、“Letting anger out of a cage”という表現を受容できるかどうかを

調査した。 その結果、すべての項目で受容できるという反

応が得られた。したがって、全く新しい表現例で

あっても、確立された比喩的テーマであれば、容

易に母語話者に受容されるということが示された。 2.4 語の種類

よって、語彙習得の受容の領域において、メタ

ファー意識を用いることは可能であることが示唆

された。学習者は創造的な比喩表現を通じて、目

標文化に普及している比喩的テーマの理解するこ

とによって、学習が促進させられる可能性が示さ

れた。 2.3 学習者の属性

ここでは、レベル別、認知スタイル別にメタフ

ァー意識を強化するのに適した学習者の属性につ

いて述べている。

2.3.1 レベル別

メタファーは詩的な文学作品に関係する修辞的

なものである、と考えている教師にとって、メタ

ファー意識は上級の学習者に対して指導するもの

だと考えられている。しかし、メタファーは言語

現象の根源にある基本的認知的プロセスである。

したがって、すべてのレベルにとって、同じよう

に価値があると考えられる。メタファーは学習者

に単純で具体的な語の意味をより複雑で抽象的な

概念に拡張するための道具となりうるのである。 2.3.2 認知スタイル 様々な表現の裏側にあるソースドメインを明確

に区別することは、記憶の保持を促進する語彙の

組織化に影響を与える。また、イメージ化と具体

化もまた、記憶の保持を促進させる。よって、メ

タファー意識を強化させることによって、語彙の

習得を促進させることができると考えられる。 しかし、同じレベルの学習者であったとしても、

学習者個人すべてにメタファー意識は適している

のだろうか。それを確かめるために、空間的に前

を示す語と後ろを示す語における学習者の意味拡

張についての調査を行った。被験者は個人の認知

スタイルによって、分析型と全体型、言語型とイ

メージ型に分けられた。 その結果、分析型は全体型と比べて、具体的な

ソースドメインとメタファーを明確に区別するこ

とができた。また、文字通りの意味と比喩的意味

も分けて認識していた。また、イメージ型は言語

型と比べて、具体劇な状況を述べることによって、

メタファーを言葉で説明することができた。 したがって、分析型とイメージ型の認知スタイ

ルを持つ学習者はメタファー意識を強化させるこ

とが示唆された。

以下では、メタファー意識に触れるのに適し た語彙の種類について述べている。 第二言語習得では、わかりにくいイディオムよ

109

Page 111: 認知言語学的観点を生かした

り、わかりやすいイディオムの方が推測しやすい

と言われている。同様に、意味的な動機付けがわ

かりにくいものより、意味的な動機付けがわかり

やすいものの方がわかりやすいことが予想される。

イディオムがわかりにくいものになればなるほど、

学習者は文脈上の手がかりに頼らなくてはならな

い。 イディオムの意味的わかりやすさは様々な要素

の相互作用によって決定される。イディオムを動

機付ける完全な方法は、その語源をたどることで

ある。例えば、教室で船と汽車が蒸気で推進する

時代について述べれば、すぐに“under one’s own steam”の意味が明らかになるだろう。しかし、

“under way”のようなその起源が不明瞭なイディオ

ムだと、その起源をたどることは EFL の教室の中

では有益ではないことが予想される。 2.5 曖昧さの度合い

メタファー意識強化の利点の一つに、比喩的な

インプットを心的枠組みに組織化できることにあ

る。共通の比喩的テーマをもとに、イディオムを

分類することは、一見恣意的で非体系的な比喩表

現に構造を与えることである。

SLA では、独特な比喩的テーマにはっきりと比

喩表現を合わせることは難しく、学習者の混乱を

よんでしまう可能性がある。比喩表現の複雑な世

界に、ある秩序をもたらすという利点が消滅して

しまう。これを避けるためには、初期の段階では

わかりやすい例で学習者の注意を引くことが賢明

である。また、特殊な比喩的テーマを与える前に、

より一般的な比喩的テーマを与えることが妥当で

ある。

3. 日本語教育への応用可能性

以上、Bores(2003)をまとめたが、これを日本語

教育に応用すると考えると、いくつかの問題点が

考えられる。 3.1 時間の制約

まず、そもそも語彙指導が重視されていない点

がある。日本語教育では文型が重視される傾向が

あり、語彙指導についてあまり多くの時間を使う

ことができない。しかし、メタファー意識の強化

のためには、ある程度の説明する時間が必要であ

る。短時間で、いかに学習者のメタファー意識を

強化することができるか、今後はその具体的方法

を考えることが必要である。 3.2 言語の制約、レベルの制約 次に、メタファー意識の強化のためには、ある

程度の説明が必要なことも日本語教育にとっては

問題点である。環境が JFL、つまり外国語学習の

環境であるなら、学習者の母語による説明が可能

であるかもしれないが、環境が JSL、つまり第二

言語習得の場合、学習者の国籍は様々であり、授

業中に説明するために使える言語が日本語しかな

いからである。この場合、授業中に教師による提

示ではなく、教科書などの教材による説明の方が

適していると考える。特に、Bores(2003)では、メ

タファー意識の強化にはどのレベルにも応用可能

であると述べていたが、JSL の環境における日本

語教育の場合、初級の学習者は理解できる語彙も

限られているため、また、初級で出てくる語彙は

イディオムが少なく、イディオムや慣用表現は中

級以上のレベルから出てくることもあり、メタフ

ァー意識強化の指導を行うのは、中級以上の学習

者が適していると考えられる。

3.3 メタファー意識について メタファー意識の強化が語彙習得に有益だとい

う研究結果がまだ少ないので、これを即教室活動

に応用することは難しいと考える。また、2.2.1 で

述べられた実験についても、詳しい実験手順が示

されていないので、これを応用して教室活動に利

用するのは難しい。 また、メタファー意識とは、ある比喩表現の裏

側にあるプライマリーメタファーに対する気づき

のようなものだと考えらえるが、プライマリーメ

タファーについてもいくつかの考え方があり、ま

た、数も多い。さらに、これを語彙習得に応用す

るのであれば、ある一つのプライマリーメタファ

ーについて、複数のイディオムなどの比喩表現を

導入するのでなければ、語彙習得の効率はよくな

らない。一つのイディオムに一つのプライマリー

メタファーを示すのでは、かえって、学習者の理

解の負担を増やすだけになる可能性がある。 もし、イディオムをメタファー意識にからめて

提示するのであれば、 【怒りは火である】

・ Those are inflammatory remarks. ・ She was doing a slow burn. ・ He was breathing fire. ・ Your sincere apology just added fuel to the

fire. ・ After the argument, Dave was smoldering

for days.

110

Page 112: 認知言語学的観点を生かした

・ That kindled my fire. ・ Boy, am I burned up! ・ He was consumed by his anger.

【怒りは危険な動物である】

・ He has a ferocious temper. ・ He has a fierce temper. ・ It’s dangerous to arouse his anger. ・ That awakened my ire. ・ His anger grew. ・ He has a monstrous temper. ・ He unleashed his anger. ・ Don’t let your anger get out of hand. ・ He lost his grip on his anger. ・ His anger is insatiable.

のように、まとめて提示することが必要である。

また、学習者の負担をできるだけ減らして、メタ

ファー意識に集中させるためには、提示する語彙

は既習のものであり、母語訳を付けることも必要

だと考えられる。

3.4 語源をたどることについて

Bores(2003)で述べられたように、語源をたどる

ことは語の抽象的な意味を具体的なものにするた

めに有益なことである。しかし、全ての語に語源

学的な研究がなされているわけではなく、全ての

語について語源までさかのぼって、指導する時間

はない。これは語源を辿ることができる語である

こと、また、語源を辿ることがその語の意味を習

得する際に有益であることなどの条件を満たした

語にのみ行ったほうがいいと考える。しかし、語

は恣意的でなく、動機付けられて新たな意味を獲

得するという考え方を自然に示すためには、語源

からのアプローチは新たな意味提示方法の一つと

して考えられる。 3.5 イディオムについて

イディオムは慣習化された表現であり、しばし

ば詩的表現や、文学作品の中に登場するものであ

る。また、他のことばで言い換え可能だというこ

ともあり、日本語教育の中ではあまり授業中に指

導されることはなく、学習者の自学に任されるこ

とが多い。また、語彙学習自体にかける時間の少

なさもある。したがって、イディオムの学習のた

めにメタファー意識を強化するのであれば、これ

は単語帳などの教材に生かしたほうがいいと考え

る。教師からの説明を学習者の母語訳にすること

によって、無規則で恣意的で、丸暗記するしかな

いと考えられていたイディオムを動機付けられた

ものとして認識することができると考える。 また、メタファー意識をプライマリーメタファ

ーのみで捉えるのではなく、そのイディオムの持

つ動詞の具体的なプロトタイプ的意味から派生し

たものと考える説明も考えられる。その場合、イ

メージスキーマを絵として提示し、それを媒介に

学習者自身の持っている語彙知識とつなげること

も考えられる。この方法は、2.3.2 で述べた認知ス

タイルのイメージ型に対して効果があると考える

ことができ、また、認知スタイルが言語型の人に

は理解できないメタファー意識を、視覚的に提示

することによって、より理解しやすくすることも

考えられる。

4. まとめ

以上、Bores(2003)についてまとめ、また、その

日本語教育への応用可能性について述べた。

Bores(2003)で述べられているように、まだこの分

野は研究が始まったばかりであり、されている実

験も探索的なものである。これからは認知意味論

からの言語学的研究も必要であり、また、それを

応用するために多くの調査、実験が必要だと考え

る。

参照文献 Bores, Frank. (2000) Metaphor awareness and Vocabulary

retention. Applied Linguistics 21(4):553-571. Bores, Frank. (2003) Expanding Learners’ Vocabulary

Through Metaphor Awareness: What Expansion, What

Learners, What Vocabulary, Studies on Language

Acquisition, Mouton, 211-232.

Bores, Frank and Murielle Demecheleer (2001) Measuring the impact of cross-cultural differences on learner’s comprehension of imaginable idioms. English Language Teaching Journal 66(3):355-262.

こうらかた りえ/お茶の水女子大学大学院人間文化研究科日本語教育コース

[email protected]

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Page 113: 認知言語学的観点を生かした

編集後記

科研1年次の報告書がついに完成した。今回の科研からは、研究を着実に推し進め

ることを目的として、毎年年次報告書を発行することにした。今回は、研究計画に基

づき、認知言語学的観点から作成された英語教材分析、認知言語学的観点からの日本

語教育研究に加え、認知言語学的観点からの中国語教育研究に関する論文も掲載され

ている。また、英語教育の成果を日本語教育に生かすため、認知言語学的観点からの

英語教育に関する文献や論文のレビューも掲載した。最終報告書は、これらの研究を

土台に、実りある結果を残せれば幸いである。

(研究代表者 森山)

平成 17~19 年度科学研究費補助金研究 基盤研究(C)

(課題番号 17520253)

認知言語学的観点を生かした日本語教授法・教材開発研究

~1年次報告書~

発行年月日 2006 年 3 月 31 日

研究代表者 森山 新(お茶の水女子大学)

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