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-1- 4 社会 シジジ・アグ・イナカは、コンピュータをつかってインターネットにログインしたり、ファックスを送 ったり、携帯電話を使ったことさえなかった。こんにちのハイテク世界において、これらの事実は 十分に珍しいことであるかもしれない。しかし、これはどうだろう。イナカもかれの家族のだれも、 テレビを見たこともなければ、新聞を読んだこともない。 これらの人びとは、べつの星からやってきた訪問者なのであろうか。どこかの離島の収監者な のだろうか。ぜんぜん違う。かれらは、われわれがマリとして知っている国のティンブクツ市の北 にある、西アフリカの広大なサハラ砂漠を移動するツアレグ遊牧民である。男性も女性も着てい る青い衣服をなびかせていることから「砂漠の青い人びと」として知られているツアレグは、ラク ダ、山羊、羊などの世話をして、砂塵が舞い、日中はしばしば華氏120度にも達するところで野営 して暮らしている。生活は厳しいが、ほとんどの人びとは伝統的なやり方を守っている。イナカは きっぱりと言う。「私の父は遊牧民だったし、その父も遊牧民だった。私も遊牧民だ。子どもも遊 牧民になるだろう」。 ツアレグは世界で最も貧しい民族のひとつであり、単純で困難な生活をしている。雨が降らな ければ、かれらとその動物たちは生命の危険にさらされる。イナカとかれの民族は、隔離された 社会であり、他の人類から切り離されており、事実上、近代の考え方と先進技術に接触していな い。多くの人びとにとって、疑いもなく、かれらは奇妙にも過去に後戻りしているようにみえる。し かしイナカは不満に思っていない。「これが私の先祖の生活だ。これがわれわれの知っている生 活だ」(Buckley 1996; Matloff 1997; Lovgren 1998)。 ********************************************************************************* 多くの種類の人間社会が過去に存在した。そして、われわれはいまなお、かなりの多様 性を見つけている。しかし、社会とはなんだろうか。社会は人間の歴史をつうじて、どの ように変化し、またなぜ変化してきたのだろうか。 社会とは、一定の領域(テリトリー)において相互作用し、文化を共有している人びと .................................. を指している。本章では、この一見簡単そうな用語を 4 つの異なる角度から検討しよう。 われわれは、ゲアハルト・レンスキのアプローチからはじめる。かれは、過去 1 万年におよ ぶ人間社会の特徴の変化を記述している。レンスキは、どんな社会の特徴を定義するにも 技術の重要性を強調している。つぎに、われわれは、3 人の社会学の創始者にむかう。.. ール・マルクスは、レンスキと同様に、人間社会を長くて複雑な過程として理解した。し かし、マルクスにとって、社会の物語は、人びとがどのように物財を生産するかというこ とから生じる社会闘争をめぐって回っている。マックス・ウェーバーは、べつのアプローチ .... をとった。かれは、理念の力も社会を形成することを示した。ウェーバーは、単純な社会 .. の伝統的思考を、われわれの近代的生活様式を支配する合理的思考と対比させた。最後に、 エミール・デュルケムは、伝統社会と近代社会では結合様式が異なることを、われわれが理 解する助けとなった。 社会にかんする 4 つの見解はすべて、重要な問題に答えるものである。サハラ砂漠のツ

4 章社会 - SPIRIT · -1-第4 章 社会 シジジ ... そのため、かれらはほんの少数の人びとしか支える ことができない。技術が複雑な社会は、かならずしも「より良い」社会とはかぎらないが、

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Page 1: 4 章社会 - SPIRIT · -1-第4 章 社会 シジジ ... そのため、かれらはほんの少数の人びとしか支える ことができない。技術が複雑な社会は、かならずしも「より良い」社会とはかぎらないが、

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第 4 章 社会

シジジ・アグ・イナカは、コンピュータをつかってインターネットにログインしたり、ファックスを送

ったり、携帯電話を使ったことさえなかった。こんにちのハイテク世界において、これらの事実は

十分に珍しいことであるかもしれない。しかし、これはどうだろう。イナカもかれの家族のだれも、

テレビを見たこともなければ、新聞を読んだこともない。

これらの人びとは、べつの星からやってきた訪問者なのであろうか。どこかの離島の収監者な

のだろうか。ぜんぜん違う。かれらは、われわれがマリとして知っている国のティンブクツ市の北

にある、西アフリカの広大なサハラ砂漠を移動するツアレグ遊牧民である。男性も女性も着てい

る青い衣服をなびかせていることから「砂漠の青い人びと」として知られているツアレグは、ラク

ダ、山羊、羊などの世話をして、砂塵が舞い、日中はしばしば華氏120度にも達するところで野営

して暮らしている。生活は厳しいが、ほとんどの人びとは伝統的なやり方を守っている。イナカは

きっぱりと言う。「私の父は遊牧民だったし、その父も遊牧民だった。私も遊牧民だ。子どもも遊

牧民になるだろう」。

ツアレグは世界で最も貧しい民族のひとつであり、単純で困難な生活をしている。雨が降らな

ければ、かれらとその動物たちは生命の危険にさらされる。イナカとかれの民族は、隔離された

社会であり、他の人類から切り離されており、事実上、近代の考え方と先進技術に接触していな

い。多くの人びとにとって、疑いもなく、かれらは奇妙にも過去に後戻りしているようにみえる。し

かしイナカは不満に思っていない。「これが私の先祖の生活だ。これがわれわれの知っている生

活だ」(Buckley 1996; Matloff 1997; Lovgren 1998)。

*********************************************************************************

多くの種類の人間社会が過去に存在した。そして、われわれはいまなお、かなりの多様

性を見つけている。しかし、社会とはなんだろうか。社会は人間の歴史をつうじて、どの

ように変化し、またなぜ変化してきたのだろうか。

社会とは、一定の領域(テリトリー)において相互作用し、文化を共有している人びと..................................

を指している。本章では、この一見簡単そうな用語を 4 つの異なる角度から検討しよう。

われわれは、ゲアハルト・レンスキのアプローチからはじめる。かれは、過去 1 万年におよ

ぶ人間社会の特徴の変化を記述している。レンスキは、どんな社会の特徴を定義するにも

技術の重要性を強調している。つぎに、われわれは、3 人の社会学の創始者にむかう。カ..

ール・マルクスは、レンスキと同様に、人間社会を長くて複雑な過程として理解した。し

かし、マルクスにとって、社会の物語は、人びとがどのように物財を生産するかというこ

とから生じる社会闘争をめぐって回っている。マックス・ウェーバーは、べつのアプローチ....

をとった。かれは、理念の力も社会を形成することを示した。ウェーバーは、単純な社会..

の伝統的思考を、われわれの近代的生活様式を支配する合理的思考と対比させた。最後に、

エミール・デュルケムは、伝統社会と近代社会では結合様式が異なることを、われわれが理

解する助けとなった。

社会にかんする 4 つの見解はすべて、重要な問題に答えるものである。サハラ砂漠のツ

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アレグのような単純な民族を、われわれになじみ深い社会とこれほど異なったものにして

いるものはなんであろうか。すべての社会は、どのように変化し、なぜ変化するのか。ど

のような力が社会を分裂させるのか。どのような力が社会を結合させるのか。最後に、時

間とともに変化する趨勢を見たのちに、われわれは、社会が良くなっているのか、悪くな

っているのかを問うことによって、本章を結ぶ。

ゲアハルト・レンスキ――社会と技術

われわれの社会の成員は、電話やテレビだけでなく、学校や病院も当然のことと考えて

いるが、サハラ砂漠の遊牧民については不思議に思うに違いない。かれらは、先祖が何世

紀もまえにやっていた単純な生活をおくっている。ゲアハルト・レンスキの研究(Lenski,Noan, and Lenski 1995; Noan and Lenski 1999)は、人間の歴史をつうじて繁栄し衰退した

社会のあいだの大きな違いをわれわれが理解する助けとなる。

レンスキは、社会文化的進化という用語をつかって、社会が新しい技術を獲得するにつ...............

れて生じる変化を指している。ツアレグのような単純な技術をもっている社会は、自然に.......

たいする統制力をほとんどもたない。そのため、かれらはほんの少数の人びとしか支える

ことができない。技術が複雑な社会は、かならずしも「より良い」社会とはかぎらないが、

高度に専門化した生活をおくる何億もの人口を支える。

新しい技術は、社会の生活様式全体をとおして変化の波紋を広げる。われわれの先祖が

最初に帆をつかって風力を利用する方法を発見したとき、かれらは帆船を建造する段階に

いたり、それがかれらを新しい土地に連れて行き、交易を刺激し、軍事力を増大させた。

さらに、社会がより多くの技術をもつようになると、その変化も早くなる。技術が単純な

社会の変化は、たいへんゆっくりとしている。シジジ・アグ・イナカは、かれが「先祖の

生活をおくっている」と述べている。他方、近代のハイテク社会では、変化はたいへん急

速であるので、劇的な転換がひとりの一生のなかで起こりうる。わずか 2 ~ 3 世代まえの

だれかに、ポケベル、テレフォンセックス、人工心臓、試験管ベビー、遺伝子工学、電子

メール、スマート爆弾、スペースシャトル、核による滅亡の脅威、性転換、コンピュータ

ハッカー、そして「なんでも話題にする」トークショーについての意見を聞くことを想像

してみよ。

レンスキの研究にもとづけば、われわれは、技術によって 5 つの社会類型を記述するこ

とになる。狩猟採集社会、農耕牧畜社会、農業社会、工業社会、脱工業社会である。

狩猟採集社会

あらゆる種類の社会のなかで最も単純なのは、狩猟と採集によって生活する社会である。

狩猟採集とは、単純な道具をつかって動物を狩り、植物を集めることである。いまから 300........................

万年まえにわれわれの種が出現して以来、1 万 2 千年まえまで、あらゆる人間は狩猟・採....

集民であった。1800 年においてさえ、世界には多くの狩猟採集社会があった。しかし、

こんにち、ごくわずかが残っているだけである。そのなかには、中央アフリカのアカピグ

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ミー、南西アフリカのブッシュマン、オーストラリアのアボリジニ、北西カナダのカスカ

・インディアン、そしてマレーシアのバテクとセマイなどがある(Endicott 1992; Hewlett1992)。

環境への統制力はほとんどないものの、狩猟採集民はほとんどの時間を食用の獲物を探

し、植物を採集することに費やす。食物が豊富な緑の多い地域においてのみ、狩猟採集民

に余暇の時間があった。さらに、ごくわずかの人口を支えるのにも、多くの土地が必要で

あった。そのため、狩猟採集社会は、数十人の成員からなる小規模な一団であった。かれ

らはまた、遊牧的で、ある地域の植物を食いつぶしたり移動する動物を追いかけたりしな

がら移動しなければならない。周期的に好ましい場所に戻ってくるものの、かれらはめっ

たに永住地を形成することはなかった。

狩猟採集社会は、親族を基礎につくられている。家族は食糧を獲得し分配して、成員を

保護し、子どもに教える。すべてのひとの人生は、ほとんど同じで、つぎの食事にありつ

くことに関心を集中させている。年齢と性別に関係するいくらかの専門化がある。子ども

と高齢者は、自分たちのできることについて貢献する。その一方で健康な成人は、食糧の

ほとんどを確保する。女性は、植物――食糧源としてより頼りになる――を採集し、男性

は、狩猟というそれほど確実ではない仕事に就く。男性と女性は異なる仕事を遂行するが、

ほとんどの狩猟採集民は、おそらく性別を同じ社会的重要性をもつものとしてみているで

あろう(Leacock 1978)。狩猟採集社会には、ほとんど公式の指導者がいない。大半はシャーマン、つまり精神的

.....

指導者を認めており、シャーマンは、威信を享受しているが、物質的報酬をより多く受け

取ることはなく、他の人びとと同じように食糧を見つけるために働かなければならない。

要するに、狩猟採取社会は平等主義的である。

狩猟採集社会は、単純な武器をつかっている。槍、弓矢、石包丁などである。しかし、

戦争をすることはほとんどない。かれらの真の敵は、自然の力である。嵐と日照りは、か

れらの食糧供給を破壊することがあるし、事故や病気の場合にかれらができることはほと

んどない。このような脆弱性は、協力と共有を奨励し、その結果、各人の生き残りの確率

を高める。それにもかかわらず、多くの人は子どものときに死亡し、20 歳に達する者は

半分もいない(Lenski, Nolan and Lesnki 1995: 104)。20 世紀のあいだに、技術的に複雑な社会が徐々に残り少ない狩猟採集社会を取り囲み、

食糧供給を減少させた。レンスキは、いまでは狩猟採集社会は地球上から消えつつあると

主張している。幸運にも、その生活様式の研究は、人間の歴史と、自然と人間の基本的な

つながりについて、価値ある情報を生みだしてきた。

農耕牧畜社会

1 万 2 千年から 1 万年まえ、新しい技術が人間の生活を変えはじめた(表紙の裏に綴じ

込まれている年表を参照)。人びとは、農耕を発見した。農耕とは、手でもつ道具を用い.........

て食物を育てることである。鍬をつかって土地を耕し、棒をつかって土に穴を掘って種を......... くわ

植えることは、単純で自明なことであるが、農耕は、人びとが採集をやめて「自分自身で

育てる」ことができるようになるための発明であった。人類は、最初に中東の肥沃な地域

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に農園をつくり、つぎにラテンアメリカとアジアにつくった。約 5 千年のあいだに、文化

の伝播によって、農耕の知識は世界のほとんどの地域に広がった。

すべての社会が農耕を好んで、狩猟と採集を放棄したわけではなかった。豊かな植物と

獲物のなかで暮らしている狩猟民や採集民は、新しい技術にほとんど注意を払わなかった

(Fisher 1979)。また、当時、乾燥地域(西アフリカのサハラ砂漠や中東のような)や山

岳地帯に住む人びとは、農耕にほとんど価値を見いださなかった。そのような人びとは(ツ

アレグをふくめて)牧畜にむかった。牧畜とは、動物を家畜化することである。こんにち、..........

農耕と牧畜を混合させている社会は、南米、アフリカ、そしてアジアで盛んである。

植物の栽培と動物の飼育は、食糧生産をおおいに増大させた。その結果、社会は何十人

ではなく何百人もの人口を支えることができた。牧畜民は、遊牧的でありつづけ、家畜の

群れを新鮮な放牧地に連れて行った。これとは対照的に、農耕民は、定住地を形成し、地

味が消耗した場合にのみ移動した。交易に加わることによって、これらの定住地は人口が

何千にものぼる社会を形成した。

ひとたび社会が、物質的余剰――日々の生活を支えるのに必要とされる以上の資源――.....

を生産することができるようになると、すべての人が食糧を確保する必要はない。なかに

は、職人になったり、交易に従事したり、理髪師になったり、刺青を彫ったり、牧師とし

て仕えたりする者もいる。したがって、狩猟採集社会にくらべて、農耕牧畜社会はずっと

専門化しており、複雑である。植物の栽培と動物の飼育は、より単純な社会をより生産的

にする。しかし、技術の進歩は、すべての面で恩恵をあたえるわけではない。レンスキの

指摘によれば、狩猟民と採集民にくらべて、農耕民と牧畜民は、社会的に不平等で、多く

の場合、奴隷制度、長期にわたる戦争、食人の風習などにかかわっている。

家族によっては他よりも生産する食糧が多いので、かれらは相対的に権力と特権のある

地位に就く。かれらは、他のエリート家族と、婚姻をふくむ同盟を形成して、社会的優位

を何世代も持続させる。社会的階層秩序にくわえて、武力に裏づけられた単純な政府が農

耕牧畜社会に出現し、エリートの支配を強化する。しかしながら、遠距離の通信や移動が

できなければ、支配者はごく少数の人びとしか統制できず、そのため、ほとんど帝国形成

はされない。

狩猟民や採集民は、多くの精霊が世界に住んでいると信じている。しかし、農耕民は、

祖先を崇拝し、神を創造者であるととらえている。牧畜社会はこの信念をさらに強くいだ

いていて、神を全世界の幸福に直接かかわるものとみなしている。神についてのこの見解

(神は私の羊飼いである)は、われわれ自身の社会の成員のあいだに広がっている。なぜ

なら、キリスト教、イスラム教、そしてユダヤ教は、すべて中東の牧畜民の宗教としては

じまったからである。

農業社会

約 5 千年まえに、もうひとつの技術革命が中東で進行し、結果的に世界のほとんどを転

換させることになった。それは農業の発見である。農業とは、動物やもっと強力なエネル............

ギー源を装着した犂をつかって大規模な耕作をすることである。動物がひく犂やその他の......................... すき

この時期の技術革新――灌漑、車輪、筆記、数字、そしてさまざまな金属の利用をふくむ

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――の社会的意義はとても大きかったので、この時代は「文明の曙」とみなされる(Lenski,Nolan, and Lenski 1995:177)。

農民は、動物がひく犂をつかって、農耕民によって耕された庭くらいの大きさの区画よすき

りもはるかに大きな農地を耕作することができた。犂には、生産力を増大させるために土すき

壌を掘り返し空気をとおすという追加的な利点がある。その結果として、農民は同じ土地

を何世代も耕すようになる。それはつぎに、永続的な定住を促進する。いまや食糧の余剰

を生産し、動物を動力とする車をつかって財を輸送することができるようになって、農業

社会はその土地と人口をおおいに拡大させる。たとえば、紀元 100 年ごろに、農業的なロ

ーマ帝国は、2 百平方マイルにひろがる 7 千万の人口を誇っていた(Stavrianos 1983; Nolanand Lenski 1999)。

いつものように、生産の増大は、いっそうの専門化を意味していた。土地の清掃や食糧

の確保のような、かつてすべての人びとによってなされていた仕事は、独特の職業になっ

た。専門化は、初期の物々交換のシステムを衰退させ、貨幣が交換の基準になった。貨幣

は交易を容易にしたので、都市が成長し、その人口は何百万人にも急増した。

農業社会は劇的な社会的不平等を呈している。多くの場合、初期の時代の米国もふくめ、

農民や奴隷は人口の重要な割合を代表している。手仕事から解放されたエリートたちは、

哲学、芸術、文学の研究に従事することができる。これは、「高級文化」と社会的特権と

の歴史的関連という第 3 章で述べたことを説明している。

狩猟民と採集民のなかで、そして農耕民のなかでも、女性は食糧の基本的な供給者であ

る。しかし、農業は、男性を社会的に優位な地位に進ませる(Boulding 1976; Fisher 1979)。コラムでは、社会文化的進化過程のこの時点で、女性の地位が低下したことを詳しく見て

いる。

多くの社会において、宗教は、仕事を道徳的な義務であると定義することによって、農

業エリートの権力を強化する。中国の万里の長城やエジプトのピラミッドのような「古代

世界の不思議」の多くは、皇帝やファラオが絶対的権力を振るい、人民を賃金なしの生涯

労働に従属させたことによってはじめて可能になった。

それゆえ、農業社会において、エリートたちは圧倒的な権力を獲得している。巨大な帝

国にたいする統制力を維持するためには、広範な行政官の奉仕を必要とする。こうして、

経済の成長にともなって、政治システムが独特の生活領域として出現する。

これまで述べてきた社会のうちで、農業社会は最大の専門化を有しており、社会的に最

も不平等である。農業技術はまた、人民により大きな生活選択の範囲をあたえている。そ

れは、農業社会が、農耕牧畜社会よりも相互に異なっている理由である。

コラム:多様性――人種、階級、ジェンダー*********************************************

技術と女性の地位の変化

最も初期の人間社会において、女性は男性よりも多くの食糧を生産していた。狩猟民と

採集民は、肉に高い価値をおいていたが、男性の狩猟は不可欠の栄養源ではなかった。そ

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れゆえ、女性が採集した植物は、生存を保証するための基本的な手段であった。同様に、

農耕で用いられる道具と種を担当したのも女性であった。男性のほうは、交易に従事し、

動物の群れの番をした。収穫の時期にだけ、男性と女性はいっしょに働いた。

その後、約 5 千年まえに、人間は金属の製造法を発見した。この技術は、文化伝播によ

って、基本的には男性が支配する交易ネットワークにそって、広がった。こうして、金属

製の犂を発達させたのは男性であった。そしてかれらはすでに動物を管理していたから、すき

器具を牛につなぐことを考えた。

金属製の犂は農業のはじまりの画期となるものであった。そして、はじめて、男性は食

糧生産で支配的な役割を獲得した。エリス・ボールディングは、この技術的突破がいかに

女性の社会的地位を掘り崩したかを説明している。

犂で耕すことと牛の世話という農業にかんする男性のふたつの専門化が起こるやいな

や、女性の農民の地位の変化は、急速に生じたかもしれない。この状況は、女性にあら

ゆる補助的な仕事を残すことになった。そのなかには、草むしりや畑に水を運ぶことも

ふくまれる。新しい畑はより大きなものであったから、女性は以前と同じくらい長時間、

働かなければならなかった。しかしいまや彼女たちはもっと二次的な仕事についてい

た。...このことはさらに女性の地位の浸食に寄与した。

出典)Boulding(1976)と Fisher(1979)による。

********************************************************************************

工業社会

米国、カナダ、そのほか世界の豊かな国々に見いだされる工業とは、大きな機械を駆動........

させる先進的なエネルギー源を利用する財の生産である。工業の時代が到来するまで、主......................

要なエネルギー源は、男性と他の動物の筋力であった。しかし、1750 年ごろ、工場が水

力を使いはじめ、つぎに蒸気ボイラーがより大きな機械の動力となった。

工業技術とともに、社会は、図 4-1 に示したように、より急速に変化しはじめた。工業

社会は、1 世紀にあいだに、過去千年間よりも変化した。第 1 章(「社会学的視点」)で説

明したように、この驚くべき変化は、社会学それ自体の誕生をうながした。19 世紀のあ

いだに、鉄道と蒸気船が輸送に革命を起こし、鉄のフレームによる摩天楼が、以前の時代

を象徴する伽藍を小さく見せた。

20 世紀には、自動車がさらに西洋社会を変化させた。そして電気が照明、冷蔵庫、エ

レベータ、洗濯機のような近代の利器の動力源になった。電話、ラジオ、テレビ、コンピ

ュータをふくむ電気通信がそのあとを追いかけ、世界がますます小さく思われるようにな

った。

労働もまた変化した。農業社会では、ほとんどの男性と女性は自宅か近くの畑で働いて

いる。しかし、工業化は、人びとを自宅から、エネルギー源(炭田など)の近くにある大

きな機械でいっぱいの工場に引き離した。もちろん工場労働者は、はるかに生産的であっ

たが、この過程で失ったものは親密な労働関係、強力な親族の紐帯、そして、農業生活を

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みちびく多くの伝統的価値、信念、習慣である。

職業的専門化はかつて以上に顕著になった。事実、工業的な人びとは、(非工業的な人

びとがする)親族紐帯にしたがってたがいを評価するよりも、しばしば仕事との関連で評

価する。急速な変化と、場所から場所への移動もまた、第 3 章(「文化」)で述べたように、

匿名性、文化的多様性、そして数多くの下位文化と対抗文化を生みだす。

工業技術は家族も作り直し、社会生活の中心であるという伝統的な意義を減少させる。

もはや家族は、経済的生産、学習、宗教的礼拝の基本的な環境としては役に立たない。そ

して第 18 章(「家族」)で説明するように、技術的変化はまた、伝統的家族から離れて、

独身者、離婚した人びと、ひとり親家族、そしてステップ家族〔子連れの再婚者の家族〕

の数を増大させる傾向の基礎となる。

レンスキが説明するように、工業化過程の初期には、人口のごく一部だけが進歩しつつ

ある技術の恩恵を享受している。しかしながら、やがて富が広がり、より多くの人びとが

より長く、もっと快適な生涯を過ごすようになる。貧困はこんにちでも工業社会の深刻な

問題でありつづけているものの、生活水準は最後の世紀に 5 倍に上昇し、社会的不平等は

減少した。第 10 章(「社会階層」)で述べる、この社会的平準化のひとつの理由は、工業

社会が教育と技能のある労働力を必要としているからである。非工業社会のほとんどの人

びとは字が読めないけれども、工業社会は、国家が資金を出す学校を供給し、数多くの政

治的権利をほとんどすべての人に授けている。事実、工業化は政治的発言権への要求を強

める。それは、最近では、韓国、台湾、中国、東欧諸国、そして旧ソ連に見られるようで

ある。

脱工業社会

多くの工業社会は、米国もふくめて、いまやもうひとつの技術的発展段階に入った。そ

してわれわれは、レンスキの分析を拡張して、近年の趨勢を考慮に入れる。1 世代まえに、

社会学者のダニエル・ベル(1973)は、脱工業主義という用語をつくった。これは、情報..

を基盤とする経済を支える技術を指している。工業社会における生産は、物財を生みだす..............

工場と機械を中心にすえているが、脱工業的生産は、情報を生産・加工・貯蔵・応用する

コンピュータとその他の電子機器を基礎としている。それゆえ、工業社会の成員は機械技

能を学び、応用するが、脱工業社会の人びとは、コンピュータやその他の形態の高度技術

をつかって仕事をするために、情報を基盤とする技能を発達させる。

このような鍵となる技術の移行と脱工業主義の出現とともに、社会の職業構造も劇的に

変化する。第 16 章(「経済と労働」)が説明しているように、脱工業社会はますます工業

生産のために労働力をつかうことが少なくなる。同時に、事務労働者、経営者その他の情

報を処理する人びと(学問の世界や広告からマーケティングや広報まで)は増大する。

情報革命は富裕な国で最も目立っているが、新しい技術は世界全体に影響をおよぼして

いる。第 3 章(「文化」)で論じたように、新しい、世界規模のモノ・人・情報の流れは、

諸社会を結びつけて、グローバルな文化を生みだす。そして、ちょうど工業技術が地域コ

ミュニティを結合させて国民経済を生みだしたように、脱工業技術は諸国を結合させてグ

ローバル経済を構築する。次頁の表 4-1 は、技術が社会文化的進化の異なる段階の社会を

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いかにかたちづくるかを要約している。

4-1 社会学的進化:要約

社会類型 歴史時代 生産技術 人口規模

狩猟採集社会 約 1 万 2 千年 原始的武器 20 ~ 40 人

前までの社会

にのみみられ

る類型。数世

紀前まではあ

りふれていた。

今日残存して

いる数少ない

例は絶滅する

おそれがある。

農耕牧畜社会 約 1 万 2 千年 農耕社会は植物を 数百人の定住地。交易

前から。紀元 耕作するために硬 の紐帯で結ばれて、数

前 3 千年頃以 い道具を使用。 千人の社会を形成。

降減少。 牧畜社会は動物の

飼育を基礎とする。

農業社会 約 5 千年前か 動物がひく犂 何百万人

ら。今日、数は

多いが減少へ。

工業社会 1750 年頃から 先進的なエネルギー 何百万人

今日まで。 源。機械化された生産。

脱工業社会 最近何十年間 情報を基盤とする 何百万人

に出現 経済を支えるコン

ピュータ

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4-1 社会学的進化:要約(つづき)

社会類型 居住パターン 社会組織 例

狩猟採集社会 遊牧的 家族中心。専門化は 中央アフリカのピグミー、

年齢と性別に限られて 南西アフリカのブッシュマン

いる。社会的不平等は オーストラリアのアボリジニ

少ない。 マレーシアのセマイ

カナダのカスカインディアン

農耕牧畜社会 農耕民は、小規模 家族中心。宗教システ 紀元前 5 千年頃の中東社会

な永続的定住地を ムが発達し始める。中 ニューギニアとその他の太平

形成。牧畜民は、 くらいの専門化。社会 洋諸島のさまざまな社会。

遊牧的。 的不平等の増大。 今日の南米のヤノマモ族

農業社会 都市がありふれた 独特の宗教的・政治 巨大ピラミッドを建設した

ものとなる。しか 的・経済的システムの 時代のエジプト。

しそれらは概して 出現によって、家族は 中世ヨーロッパ

人口のわずかな部 独特の意義を失う。広 今日の世界における数多く

分を占めるだけ。 範な専門化。社会的不 の圧倒的に農業的な社会。

平等の増大。

工業社会 都市が人口の大半 独特の宗教、製磁、経 ヨーロッパと北米のほとん

をかかえる。 済、教育、家族システ どの社会、オーストラリア、

ム。高度の専門化。特 日本。これらは世界の工業生

徴的な社会的不平等が 産のほとんどを生みだす。

持続するも、いくらか

減少する傾向。

脱工業社会 人口は都市に集中 工業社会と類似。情報 上記の工業社会は、いまや脱

し続ける。 処理とその他のサービ 工業段階に入りつつある。

ス労働がしだいに工業

生産にとってかわる。

技術の限界

技術は、生産性を上げることによって、人間のかかえる多くの問題を改善する。感染症

を減少させたり、ときにはたんに退屈から解放してくれたりする。しかし、技術は社会問

題の即効薬ではない。たとえば、貧困は、米国の何百万の男性と女性の(詳しくは第 11章「アメリカ合衆国の社会階級」)、そして、世界規模で 10 億人の(第 12 章「グローバル

な階層化」)苦境でありつづけている。さらに、技術は、われわれの祖先(と本章の冒頭

の記事にあるこんにちのシジジ・アグ・イナカ族のような人びと)がほとんど想像できな

かったような新しい問題を生みだす。工業社会は、もっと多くの個人的自由をもたらすが、

しかししばしば工業以前の生活に特徴的であったコミュニティ感覚を犠牲にする。さらに、

Page 10: 4 章社会 - SPIRIT · -1-第4 章 社会 シジジ ... そのため、かれらはほんの少数の人びとしか支える ことができない。技術が複雑な社会は、かならずしも「より良い」社会とはかぎらないが、

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世界の最も強力な諸国は、めったに全面戦争にかかわらないものの、それらの国々は核兵

器を備蓄しており、われわれを技術的に原始的状態に戻すことができる。そもそも生存す

ればの話だが。

技術の進歩はまた、環境をふくむ主要な社会問題にも寄与してきた。社会文化的進化の

各段階で、より強力なエネルギー源が導入され、地球資源へのわれわれの欲求が増大した。

第 22 章(「人口、都市化、環境」)で論じる生命にかかわる問題は、われわれが地球に永

続的な損害をあたえずに、物質的繁栄を追求しつづけることができるかどうかである。

それゆえ、いくつかの点において、技術的進歩は生活を向上させ、世界の人びとをより

緊密にして、「地球村」をもたらした。しかし、平和を確立し、正義を追求し、安全な環

境を維持することは、技術だけで解決できる問題ではない。

カール・マルクス――社会と闘争

社会にかんするわれわれの古典的な見方の第 1 のものは、カール・マルクス(1818-1883)から来ている。かれは、社会学の分野における初期の巨人である。ヨーロッパの工業的転

換の鋭い観察者であるマルクスは、成人期の生活のほとんどを、当時の大英帝国の首都で

あったロンドンですごした。かれは新しい工場の生産力に畏敬の念をいだいた。英国とそ

の他の工業国は、かつてないほどに財を生産し、世界中の資源が目もくらむような勢いで

工場に注ぎ込まれていた。

マルクスを驚かせ悩ませたのは、工業の豊かさが少数の人に集中することであった。ロ

ンドンを歩き回ると、すばらしい豊かさと悲惨なみすぼらしさが鋭い対照をなしていた。

ひとにぎりの貴族と工場主が、召使いのいるすばらしい邸宅に住んでおり、そこでかれら

は贅沢と特権を享受していた。しかしながら、ほとんどの人びとは、低賃金で長時間働き、

スラムに住み、路上で寝泊まりすることさえあった。そこでは、多くの人びとが、栄養不

良によってもたらされた病気のために結局、死んでいった。

マルクスは、根本的な矛盾と戦った。社会がこれほど豊かであるのに、どうしてこれほ

ど多くの人がこんなに貧しいのか。それと同じくらい重要なこととして、どうしてこの状

態が変えられないのかと、マルクスは問うた。しかし、マルクスは深い同情によって動機

づけられており、ひどく分裂した社会を新しい公正な社会秩序にする助けとなるように努

めた。

マルクスの思考の鍵となるものは、社会闘争の考えである。それは、価値ある資源をめ........

ぐる社会の部分間の闘争である。もちろん、社会闘争は、多くの形態をとりうる。諸個人..............

は言い争いをするかもしれない。長期間スポーツでライバル関係にある大学があるかもし

れない。国々はときとして戦争をはじめる。しかしながら、マルクスにとって、最も重要

な社会闘争の形態は、社会が物質的財を生産する様式から生じる階級対立であった。

社会と生産

19 世紀に生きたマルクスは、ヨーロッパの工業資本主義の初期段階を観察した。この

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経済システムは、人口の少数部分を資本家、つまり利潤追求のために工場やその他の企業.................

を所有し経営する人びとにする。資本家は、生産物を生産費用以上の価格で売ることによ...........

って利潤を追求する。資本主義は人口の大半を、工場労働者にする。マルクスはかれらを

プロレタリアートと呼んだ。それは、賃金のために生産的労働を売る人びとである。マルク

スにとって、資本家と労働者の闘争は、資本主義的生産システムにおいて不可避である。

利潤を高く維持するために、資本家は賃金を低くする。労働者は、しぜんに、より高い賃

金を望む。利潤と賃金は、資金の同じ蓄積からくるので、その結果は闘争である。マルク

スが見たように、この闘争は資本主義自体が終わってはじめて終わりを告げる。

あらゆる社会は、社会制度によって成り立っている。社会制度とは、人間の必要を満た........

すために組織化された社会生活の主要な領域、つまり社会の下位体系として定義される。...............................

マルクスは、社会の分析において、ひとつの制度――経済――が他のすべての制度を支配

し、その社会の特徴を規定すると論じた。人間が物財をどのように生産するかが、かれら

の経験をかたちづくるとする唯物論という哲学的教条にもとづいて、マルクスは、政治シ...

ステム、家族、宗教、そして教育が、がいして社会の経済を支えるように作用すると信じ

ていた。ちょうどレンスキが、技術は社会をかたちづくると論じているように、マルクス

は、経済が社会の「現実的土台」であると論じた(1959: 43; orig. 1859)。マルクスは、経済システムを社会の下部構造(インフラストラクチャー)であると考え

....

た(インフラとは、ラテン語で「下部」という意味)。他の社会制度は、家族、政治シス

テム、宗教をふくめ、この土台のうえに築かれ、社会の上部構造を形成している。これら....

の制度は、経済的原則を他の生活分野に適用している。それは、図 4-2 によって描かれて

いる。たとえば、社会制度は、資本家の富を保護し、財産をある世代から次の世代に家族

をとおして法的に継承させることによって、支配的な地位を維持する。

がいして、工業資本主義の社会の成員は、自分たちの法システムや家族システムを社会

闘争の温床とは考えない。それとは反対に、諸個人は私有財産への権利を「自然」なこと

と考えるようになる。米国の国民は、富裕な人びとが富を稼ぎ、貧困な人びとや失業者は、

技能か動機が欠如していると容易に考えるようになる。マルクスは、このような推論を拒

絶し、巨大な富と過酷な貧困との衝突は、人間の可能性のひとつ――資本主義によって生

みだされたもの――にすぎないと論じた(Cuff and Payne 1979)。それゆえ、マルクスは、資本主義的な常識を、虚偽意識として拒絶した。虚偽意識とは、

社会問題を社会の欠陥ではなく個人の欠点によるものとする説明のことである。マルクス.............................

は、結局、工業資本主義自体が、多くの社会問題の原因であると言っていた。虚偽意識は

社会問題の真の原因を覆い隠すことによって、人びとに損害を与えると、マルクスは続け

て述べている。

闘争と歴史

マルクスは、ほとんどの社会が時代とともに徐々に進化すると信じていた。しかし、と

きとして、それらの社会は急速で革命的な変化によって爆発する。マルクスは(レンスキ

と同様に)、変化は部分的には技術的進歩によるものであると観察していた。しかし、ほ

とんどの変化は、社会闘争の結果であると、マルクスは主張した。

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レンスキの分析をマルクス的な用語で述べると、初期の狩猟・採集民は原始共産社会を

形成していた。共産主義とは、人びとが多かれ少なかれ食糧その他の物財生産において平....

等に分かち合うシステムである。狩猟採集社会においては、資源は、乏しいけれども、私

的に所有されるのではなく、全員によって共有されていた。くわえて、各人はほとんど同

じ仕事をしていた。それゆえ、社会闘争の可能性は少なかった。

農耕は、社会的不平等を導き入れた、とマルクスは書き留めた。農耕、牧畜、そして初

期の農業社会――マルクスは「古代世界」として一括していた――では、戦争がしばしば

あり、勝者は捕虜を奴隷にした。少数のエリート(「主人」)とその奴隷は、妥協の余地

のない社会闘争のパターンに閉じこめられた(Zeitlin 1981)。農業は、さらに多くの富をエリート成員にもたらし、それが社会闘争をさらに煽った。

農奴は、12 世紀から 18 世紀までヨーロッパ封建制の底辺を占めていたが、奴隷とほとん

ど変わらなかった。マルクスの見解では、教会と国家の双方が、封建システムを神の意志

として弁護した。こうして、マルクスにとって、封建制は、「宗教的・政治的幻想によっ

て覆い隠された搾取」にほかならないものであった(Marx and Engels 1972:337; orig. 1848)。徐々に、新しい生産力が封建的秩序を浸食した。交易がしだいに増加するにつれて、都

市における商人と熟練職人が階級を形成した。ブルジョアジー(フランス語で、「都市の」

という意味をもつ)である。交易の拡大は、ブルジョアジーをますます裕福にした。1800年以降に、ブルジョアジーは工場も支配し、古代の、土地を所有する貴族の権力とたちま

ち敵対するようなる権力をもった真のブルジョアジーになった。貴族にしてみれば、この

成り上がりの「商業的」階級を見下していた。しかし、やがてヨーロッパ社会の支配権を

獲得したのは資本家であった。それゆえ、マルクスの考え方では、新しい技術は産業革命

の一部でしかなかった。それはまた、資本家が古い農業エリートを転覆させる階級革命で

もあった。

工業化はまた、プロレタリアートの成長もひきおこした。英国の土地所有者は、それま

で農奴によって耕作されていた農地を、紡績工場のための羊毛を生産する羊の放牧地に転

換した。土地から追い出されて、何百万もの人びとが都市に移住し、工場で働いた。マル

クスは、これらの労働者がいつか団結して統一的な階級を形成し、こうして歴史的対決の

準備がととのうと想像した。階級革命は、こんどは搾取されている労働者を、抑圧する資

本家のうえにひきあげるものとなろう。

資本主義と階級闘争

「これまで存在したすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」。こうした言葉をつ

かって、マルクスとかれの協力者であるフリードリッヒ・エンゲルスは、最もよく知られ

ている宣言である『共産党宣言』(1972: 335; org.1848)を書き出した。工業資本主義は、

社会の初期の類型と同様に、ふたつの主要な社会階級をふくんでいる。支配階級と抑圧さ

れた階級である。それは、生産システムにおけるふたつの基本的な位置を反映している。

古代世界における主人と奴隷のように、そして封建制における貴族と農奴のように、資本

家とプロレタリアはいまや階級闘争にかかわっている。こんにち、過去と同様に、一方の

階級が他方の階級を生産財として支配している。マルクスは、階級闘争(そしてときとし

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て階級闘争[class struggle])という用語を、社会の富と権力の分配をめぐる全階級間の闘....

争を指すのに用いていた。

階級闘争は新しいものではない。資本主義社会における闘争を特徴づけるものは、それ

がいかに公然となされているかということである、とマルクスは指摘した。農業的貴族と

農奴は、どんなに違っていても、長年の伝統と相互の義務によってともに縛りつけられて

いた。工業資本主義は、そうした縛りを解き放ち、忠誠と名誉は「むきだしの自己利害」

に取って代わられた。抑圧者との個人的な紐帯がなくなって、プロレタリアが自分たちの

状態に我慢する理由がなくなったとマルクスは考えた。

工業資本主義は、階級闘争を公然のものとしたものの、それにつづいて革命が容易に起

こるわけではないことを、マルクスは理解していた。第 1 に、労働者は自分たちの抑圧を

自覚し、資本主義をその真の原因として理解しなければならない。第 2 に、かれらは自分

たちの問題に取り組むために、組織化して行動しなければならない。このことは、労働者.......

が虚偽意識を階級意識に置き換えなければならないことを意味している。階級意識とは、

自分たちが、資本家と究極的には資本主義それ自体に対立する統一された階級であるとす........................................

る労働者自身の認識のことである。初期の資本主義の非人間性は、理解しやすいものであ.........

ったから、マルクスは、工業労働者はまもなく資本主義を打倒するために立ち上がるであ

ろうと結論づけた。

では、資本家はどうなのか。資本家のもっている巨大な富は、かれらを実際に強くして

いる。しかし、マルクスは資本家の 鎧 に弱点をみていた。個人的な利得への願望によっよろい

て動機づけられた資本家は、他の資本家との競争に脅かされている。それゆえ、資本家は、

たとえかれらが共通の利害を分かちもっていたとしても、団結するのが遅れる、とマルク

スは考えた。さらにかれはこう推論する。資本家は利潤を最大化するために従業員の賃金

を低く抑えるから、労働者の反乱はさらにいっそう強くなる、と。長い目で見て、資本家

は墓穴を掘ることに貢献するとマルクスは信じていた。

資本主義と疎外

マルクスはまた、資本主義社会は疎外を生みだすと非難した。疎外とは、無力からくる......

孤立と悲惨の経験である。資本家に支配された労働者たちは、任意に雇われ解雇される商........

品――労働の源泉――以上のものではない。仕事(とくに単調で反復的な工場労働)によ

って非人間化された労働者たちは、ほとんど満足を見つけることがなく、自分たちの状況

を改善することができないと感じる。ここにわれわれは、資本主義社会のもうひとつの矛

盾を見いだす。人びとが技術を発展させ世界にたいする力を獲得するにつれて、資本主義

経済はますます人びとへの統制力を獲得する。

マルクスは、4 つの点で資本主義が労働者を疎外することを指摘した。

1.労働という行為からの疎外 理想的には、人びとは直接的な必要を満たし、個人的な潜

在能力を発展させるために労働する。しかし、資本主義は、かれらがなにをつくるか、そ

れをどうつくるかについての労働者の発言権を否定する。さらに多くの労働は退屈であり、

決まりきった仕事のいつまでも変わらない繰り返しである。こんにち、われわれが、可能

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な場合にはいつでも労働者を機械に置き換えているという事実は、マルクスを驚かせるも

のではない。かれが懸念していたかぎりでは、資本主義ははるかまえから人間を機械にし

ていたのである。

2.労働の生産物からの疎外 労働の生産物は労働者にではなく、利潤のためにそれを売

る資本家に帰属する。それゆえ、労働者は労働に打ち込めば打ち込むだけ、より多くのも

のを失う、とマルクスは推論した。

3.他の労働者からの疎外 労働をとおして、人びとはコミュニティの結合を打ち立てる。

しかし、工業資本主義は、労働を協力的なものよりも競争的なものにする。コラムが例示

するように、工場労働は人間の親交のための機会をほとんどもたらさない。

4.人間の潜在能力からの疎外 工業資本主義は労働者を人間的な潜在能力から疎外する。

マルクスが論じるところによると、労働者は「自分の労働に満足せず、自分自身を否定し、

幸福よりも悲惨を感じ、自分の肉体的精神的エネルギーを自由に発展させることがなく、

身体的に消耗し、精神的に品性を落とす。それゆえ、労働者は、余暇の時間にのみ安らぎ

を感じ、仕事中は、安心できないと感じる」(1964a: 124-25; org. 1844)。

マルクスは、さまざまな形態の疎外を、社会変動の障害であるとみていた。しかし、か

れは工業労働者が、真の社会階級に結合し、自分たちの問題の原因を自覚し、社会変革の

準備をすることによって疎外を克服することを望んでいた。

コラム:社会学の応用**************************************************************

疎外と工業資本主義

スタッズ・ターケルによる『仕事』という本からのこれらの引用は、退屈で反復的な仕

事が、男性と女性をいかに疎外するかを例証している。

フィル・スターリングは、シカゴのフォード組み立て工場に務める 27 歳の自動車労働

者である。

私は自動車を、最初は溶接からはじめるんです。そこから、つぎのラインに行く。そ

こでは床をとりつけ、屋根、トランク、ボンネット、ドアだ。つぎにフレームの組付け。

何百ものラインがある。...私は、ひとつの場所に立つ。だいたい 2 ~ 3 フィートのエリ

アだ。一晩中だよ。唯一、人が止まるのは、ラインが止まったときさ。われわれは、ユ

ニットあたり、ひとつの車に 32 の仕事をする。1 時間に 48 ユニット、一日 8 時間だ。32かける 48 かける 8 ってこと。つまり、何回私がこのボタンを押すかってことさ。

騒音、ああ、そいつはすさまじいね。口を開けてりゃ、火花でいっぱいになる。[腕

を見せて]これはやけどだ。これもやけど。騒音には勝てないね。溶接しなければなら

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ないところでは、叫ぶと同時にめいっぱい銃をつかっているようなもんさ。

いらいらしている連中がいる。やつらはつきあいが悪い。乱暴すぎるんだ。ひとりで

いたほうがいいぞ。ひとりで熱中するんだ。夢を見て、自分がやったことについて考え

るんだ。私はいつも子どもの時分に戻って、自分ときょうだいがしたことに戻るんだ。

一番好きなことは、振り返ることだよ。

そいつは止まらない。そいつは動いて動いて、動いていく。私は、そこで生きて死ん

だ男たちがいると思うね。ラインの終わりをみることなくね。かれらはラインの終わり

をみたいとは思わないよ。なぜって終わりなんてないんだから。そいつは蛇のようなも

のさ。それは全部、胴体で、しっぽがない。そいつは人に大きな影響を与えるね(1974:221-22)。

24 歳のシャロン・アトキンズは、大学を卒業して、中西部にある大企業の電話受付係

として働いている。

私は、あまり人びとと接触しません。その人たちと会うことはできないのです。かれ

らが笑っているかどうか、風刺的であるか親切であるかは分からないのです。だから会

話は、とても無愛想になります。わたしは、人びとと話しているときに、それに気がつ

いています。私の会話は、とても短く、早口で、文が短くて、一日中電話で人と話して

いるような話し方です。

時間をつぶすのに、べつのことを考えようとしています。週末になにをしようかとか、

家族についてとか。想像力をつかわなければなりません。とても良いものが思いつかな

ければ、容易に退屈してしまい、困ったことになります。時間をつぶすのと同じように、

私は本当に下手な詩をかいたり、自分やだれかに手紙を書いたりしています。けっして

送りませんけれど。手紙はファンタジーです。私がどう感じているかとか、どれくらい

落ち込んでいるかとか、だらだら書いているようなものです。

私は、けっして家で電話に出ません。(1974: 58)*******************************************************************************

革命

資本主義の罠から抜け出す唯一の方法は、社会を作り直すことである、とマルクスは論わな

じた。かれは、もっと人間的な、万人の社会的必要のために供給する生産システムを想像

した。かれは、このシステムを社会主義と呼んだ。マルクスは、社会主義革命への障害を....

よく知っていたものの、それにもかかわらず、生きているあいだに、英国で労働者が蜂起

するのを目の当たりにすることがなかったことに失望していた。それでも、資本主義は不

道徳であると確信していたかれは、そのうちに、労働者の大多数が、自分たちがより良い

将来への鍵を握っていると悟るであろうと、確信していた。この変化は、たしかに革命的

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であり、ことによると暴力的なものでさえあるだろう。結局、社会主義社会は、階級闘争

を終わらせるであろうと、マルクスは信じていた。

第 10 章(「社会階層」)は、マルクスの時代以降の、工業資本主義社会における変化に

ついて、そしてなぜかれが望んでいた革命が起こらなかったのかをさらに説明している。

くわえて、第 17 章(「政治と政府」)で説明するように、マルクスはかれが想像していた

革命が、ソ連のスターリン政権のように、何千万もの人を殺すことになるような抑圧的な

体制の形態をとることがありうると予測していなかった(Hamilton 2001)。しかし、かれ

自身の時代に、マルクスは希望をもって将来を予測していた(Marx and Engels 1972: 362;org. 1848)。「プロレタリアは鉄鎖のほかに失うものはなにもない。かれらが勝ちとるのは

全世界である」。

マックス・ウェーバー――社会の合理化

法律、経済、宗教、そして歴史の知識をもっていたマックス・ウェーバー(1864-1920)は、社会学に個人として最大の貢献をしたと多くの人によってみなされるものを生みだし

た。ドイツの裕福な家庭に生まれたこの学者は、広範な考えを生みだしたので、この議論

のなかでは、われわれは近代社会が以前の社会組織の類型とどのように異なるのかにかん

するかれの見解に触れることができるだけである。

理念主義という哲学的アプローチの線にそって、ウェーバーは人間の観念が社会をいか....

にかたづくるかを強調した。かれは、技術の力を理解し、社会闘争についてのマルクスの

考えの多くを共有していた。しかし、かれはマルクスの唯物論的分析に反対して、社会は、

主として、その成員が世界についてどのように考えるかによって異なってくると論じた。

ウェーバーにとって、理念――とくに信念と価値――は、社会を理解する鍵であった。ウ

ェーバーは、近代社会を、新しい技術と資本主義の産物であるだけでなく、新しい思考様

式の産物であるとみなした。生産に焦点を当てたマルクスとは対照的に、このように理念

を強調したことによって、学者たちは、ウェーバーの研究を「カール・マルクスの亡霊と

の論争」として描くことになった(Cuff and Payne 1979: 73-74)。ウェーバーは、異なる場所と異なる時代の社会的パターンを比較した。比較のために、

かれは理念型、つまりある社会現象の本質的な特徴にかんする抽象的な言明に頼った。た........................

とえば、かれは宗教を研究するのに、理念的な「プロテスタント」と理念的な「ユダヤ教」

「ヒンズー教」「仏教」を比較し、これらのモデルが厳密にはどのじっさいの個人を記述

するものでもないことを承知していた。ウェーバーの「理念的」という用語の使用は、な

にかが「良い」とか「最良である」とかを意味するものではないことに注意しよう。われ

われは、聖職者だけでなく犯罪者も理念的な用語で分析することができる。われわれはす

でに「狩猟採集社会」を「工業社会」と比較し、「資本主義」を「社会主義」と比較する

なかで、理念型をつかっていた。

ふたつの世界観――伝統と合理性

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社会を技術や生産システムによってカテゴリー化するのではなく、マックス・ウェーバ

ーは、人びとが世界をみる見方に焦点を当てた。単純な言葉で、ウェーバーは、前産業社

会の成員は伝統的であるが、工業資本主義社会の人びとは合理的である、と言った。... ...

伝統によって、ウェーバーが意味していたのは、世代から世代へと受け継がれる感情と.................

信念であった。換言すれば、伝統的な人びとは、過去によって導かれている。かれらは特..

定の行為を、まさに長年受け入れられてきたという理由で正しくて適切であると考える。

しかし、近代社会の人びとは、合理性を好むとウェーバーは論じた。合理性とは、特定..

の課題を達成するのに最も効率的な手段にかんする慎重で、事実に即した計算を強調する........................................

思考様式である。感情は、合理的な世界観に場所をもたない。合理的な世界観は、伝統を....

たんに一種の情報として扱う。典型的には、近代人は現在と将来における帰結をもとに思

考し行為を選択する。仕事や学校教育や関係でさえも、かれらがそれにつぎ込むものと、

お返しにかれらが受け取ると期待しているものによって評価する。

ウェーバーは、産業革命と資本主義を双方とも合理性の高まりの証拠であるとみなして

いた。かれは、人間の思考の支配的様式が伝統から合理性へ歴史的に変化していくことを................................

意味するために、社会の合理化という言葉をつかった。かれはさらにつづけて、科学的思

考と技術が過去との感情的な絆を一掃するにつれて、近代社会は「脱呪術化」してきたと

述べた。

それゆえ、最新の技術を喜んで採用することは、ある社会がどのくらい合理化されてい

るかを示すひとつの指標である。合理化のグローバルなパターンを例証するために、次頁

世界地図 4-1 は、世界のどこにパーソナル・コンピュータがあるかを示している。がいし

て、北米とヨーロッパの高所得国は、最もパーソナル・コンピュータを使用しているが、

低所得国ではまれである。

ウェーバーの比較の視点――と地図にみられるデータ――を用いると、さまざまな社会

が技術的進歩に異なる価値をあたえているということができる。ある社会が突破と考えて

いるかもしれないことが、べつの社会では重要ではないとみなされ、第 3 の社会では伝統

を脅かすものとして強く反対されるかもしれない。本章の最初で述べたツアレグ遊牧民は、

電話をつかうという観念を払いのけている。どうしてそのようなことを砂漠でやろうと思

うのだろうか。米国では、アーミッシュ派が宗教的な理由から、自宅に電話をひくのを拒

絶している。

それゆえ、ウェーバーの見解では、社会における技術革新の程度は、人びとが世界をど

のように理解しているかに左右される。多くの人びとは歴史をつうじて、新しい技術を採

用する機会があったものの、西欧の合理的な文化的風土においてのみ、人びとは科学的発

見を利用して、産業革命をひきおこした(1958; org. 1904-5)。

資本主義は合理的か

工業資本主義は合理的な経済システムなのであろうか。ここでもまた、ウェーバーとマ

ルクスは、対立する。ウェーバーは、工業資本主義を合理性の本質と考えた。なぜなら、

資本家は、自分たちができる方法ならどんな方法をもってしても利潤を追求するからであ

る。しかし、マルクスは、資本主義は非合理的であると信じていた。なぜなら、資本主義

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は、ほとんどの人びとの基本的必要を満たしていないからである(Gerth and Mills 1946:49)。

ウェーバーの大命題――プロテスタンティズムと資本主義

ウェーバーの分析をもっと詳しくみるために、われわれは、工業資本主義がどのように

して最初に出現したのかを考えなければならない。ウェーバーの主張は、工業資本主義は

カルヴィニズム――宗教改革から生じたキリスト教の宗教運動――の遺産であるというも

のであった。カルヴィン派は、高度な規律をもった合理的な方法で生活にアプローチした

とウェーバーは説明した。さらに、ジョン・カルヴィン(1509-1564)の宗教教義の中心

は、予定説、すなわち全知全能の神が、救済される民と破滅する民の運命を決めていると...

いう考えである。各人の運命は生まれたときから決まっており、人びとは自分たちの運命

を変えることはできないと、カルヴィン派は信じていた。さらに悪いことに、かれらは自

分たちの運命がどうなるかを知ることすらない。それゆえ、カルヴィン派は、精神的な救

済という希望に満ちた展望と、永遠の破滅という不安に満ちた脅威のあいだを揺れ動いた。

自分の運命がわからないのは耐え難い。そして、カルヴィン派は、しだいに一種の決断

にたどりついた。来世の栄光のために選ばれた民は〔正確にはむしろ「この世に神の栄光

を増すために選ばれた民は」とすべき〕、なぜ神の恩寵の印を現世に見いだせないのだろう.

か〔見いだせるはずである〕、とかれらは推論した。そのような結論によって、カルヴィ

ン派は、現世の繁栄を神の恩寵の印として解釈するようにうながされた。この確証を獲得

しようと熱心だったカルヴィン派は、成功の探求に自己を投入し、合理性、規律、勤勉を

自分たちの仕事に適用した。かれらの富の追求は、自分自身のためではなかった。なぜな

ら、身勝手な出費は明らかに罪であったからである。カルヴィン派は、貧者と富を分かち

合うようにはならなかった。なぜなら、貧困は神によって拒絶されている印であったから

だ。かれらの義務は、神から個人的な天職として保持しているものを前進させることであ..

った。そのような配慮された活動のなかで、カルヴィン派は資本主義の基礎を築いた。富

をつかってさらなる富を生みだし、金銭を節約し、熱心に新しい技術を採用したのである。

富の合理的な追求は、カルヴィン派を他の世界宗教から区別するものであった。たとえ

ば、カトリック教は、ヨーロッパのほとんどで伝統的な宗教であったが、受動的で「来世

的」な見解をひきおこした。つまり、この世で謙虚になされた行いは、あの世で報われる、

というものであった。カトリック教徒にとって、物質的富は、カルヴィン派を動機づける

ような精神的意義をなんらもたなかった。そのために、工業資本主義は、基本的にヨーロ

ッパのカルヴィニズムが強かった地域で発達した、とウェーバーは結論づけた。

カルヴィニズムにかんするウェーバーの研究は、観念が社会を形成する力をもつという

印象的な証拠をもたらした(観念は、たんに経済的生産過程を反映するものにすぎないと

いうマルクスの主張にたいして)。しかし、ウェーバーは単純な説明を受け入れていたの

ではなかった。かれは工業資本主義には多くの原因があることを知っていた。事実、ウェ

ーバーの研究のひとつの目的は、近代社会にかんするマルクスの狭い、厳密に経済的説明

に反対することであった。

のちの世代のカルヴィン派は、これほど宗教的ではなかったものの、かれらによる成功

Page 19: 4 章社会 - SPIRIT · -1-第4 章 社会 シジジ ... そのため、かれらはほんの少数の人びとしか支える ことができない。技術が複雑な社会は、かならずしも「より良い」社会とはかぎらないが、

- 19 -

の追求と個人的な規律は残り、宗教倫理はたんなる労働倫理になった。換言すれば、工業.. ..

資本主義は「脱呪術化した」宗教とみなしうるものであり、富はいまではそれ自体で価値

があたえられている。それは「会計」の慣行に現れている。それは、初期のカルヴィン派

にとっては道徳的行いの記録を毎日つけることを意味していた。やがてそれは、たんに金

銭の出入りを追うものになった。

合理的な社会組織

それゆえ、ウェーバーによれば、合理性が産業革命と資本主義をひきおこし、それが近

代社会を規定した。ウェーバーは、7 つの合理的社会組織の特性を特定することにむかっ

た。

1.独特の社会制度 狩猟採集民のなかでは、家族はあらゆる活動の中心である。しかし、

徐々に、宗教、政治、経済システムをふくむ、他の社会制度が家族生活から分離してくる。

近代社会においては、新しい制度――教育と保健――もあらわれる。社会制度の分離は、

人間の必要を効率的に満たすための合理的方法である。

2.大規模組織 近代の合理性は、大規模組織の普及に最も明らかである。早くも農耕時

代に、政治的役職者は宗教の遵守、公共事業、戦争を監視していた。中世のヨーロッパで

は、カトリック教会は何千もの公職者を抱えた巨大な組織に成長した。われわれの近代的

合理的社会では、連邦政府は何百万もの人を雇用し、ほとんどの人びとはなんらかの大組

織に勤務している。

3.専門化された仕事 伝統社会の成員とちがって、近代社会の諸個人は、広い範囲にわ

たる専門化された仕事を遂行している。どの都市の電話帳の分類ページを見ても、こんに

ち、多くの異なる職業がそこにあることが示されている。

4.個人の規律 近代社会は自己規律を重視している。初期のカルヴィン派にとって、規

律は宗教的信念に根ざすものであった。いまでは宗教的起源から離れてしまったものの、

規律は依然として、達成、成功、効率のような文化的価値によって奨励されている。

5.時間の意識 伝統社会において、人びとは太陽と季節のリズムにしたがって時間を測

定していた。近代人は、これとは対照的に、時間刻み、分刻みで正確に出来事をスケジュ

ール化している。興味深いことに、時計は約五百年まえにヨーロッパの都市でみられるよ

うになった。ちょうど商業が拡大しはじめた時代である。やがて、人びとは(ベンジャミ

ン・フランクリンの言葉を借りて)「時は金なり」と考えはじめた。

6.技術的能力 伝統社会の成員は、相手がだれであるか――かれらは他者と親族網でど..

のようにつながっているか――をもとに互いに評価する。近代の合理性は、われわれが人

びとをかれらがなんであるか、つまりかれらの技能や能力を考慮して判断するようにうな..

Page 20: 4 章社会 - SPIRIT · -1-第4 章 社会 シジジ ... そのため、かれらはほんの少数の人びとしか支える ことができない。技術が複雑な社会は、かならずしも「より良い」社会とはかぎらないが、

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がす。

7.非人格性 最後に、合理的社会においては、技術的な能力が親密な関係よりも優先し、

それゆえ、世界は非人格的になる。人びとは、個人として幅広くたがいにかかわるのでは

なく、専門家として特定の仕事との関連で相互作用する。感情は統制することが難しいの

で、近代人は情緒の価値を低く評価しがちである。

これらすべての特徴は、近代合理性のひとつの重要な表現である官僚制に見いだすこと

ができる。

合理性と官僚制

中世の教会は、大きく成長したものの、基本的に伝統的で、変化に抵抗しつづけていた

とウェーバーは説明した。効率的で変化に開かれた真の合理的組織は、この数世紀のうち

にあらわれたにすぎない。ウェーバーが官僚制という言葉で呼んだ種類の組織は、近代社...

会をかたちづくる合理性の表現として、資本主義とともに生じた。じっさい、官僚制と資

本主義には多くの共通点があるとウェーバーは説明した。

こんにち、公行政の公式の職務が正確に、明確に、継続的に、かつできるだけ迅速に

果たされるべきであると要求しているのは、基本的に、資本主義市場経済である。通常、

非常に規模の大きい資本主義企業は、厳密な官僚的組織のまたとないモデルである

(1978:974; org. 1921)。

第 7 章(「集団と組織」)で説明するように、われわれは、こんにちの企業、政府機関、

労働組合、そして大学に、官僚制の側面を見いだす。ウェーバーは、官僚制を高度に合理

的なものと考えた。なぜならその要素――役職、義務、方針――は、特定の目標をできる

だけ効率的に達成する助けとなるからである。こうして、ウェーバーは、近代社会を定義

する要素――資本主義、官僚制、科学――は、すべて同じ基礎的要因である合理性の表現

であると結論づけた。

合理性と疎外

マックス・ウェーバーは、工業資本主義の効率性を認識している点において、カール・

マルクスと同じである。ウェーバーはまた、近代社会が広範な疎外を生みだしていること

にも同意した。もっともかれは、異なる理由を提示したが。マルクスは、疎外の原因は経

済的不平等にあると考えたが、ウェーバーは、官僚制の無数の規則と規制がもたらす息の

詰まる効果のためであるとした。官僚制は、人びとを、唯一無二の個人ではなく一連の事

例として扱う、とウェーバーは警告した。くわえて、大規模組織のための労働は、高度に

専門化され、しばしば退屈な型にはまった仕事を必要とする。結局、ウェーバーは、近代

社会とは巨大で成長しつつある規則のシステムであり、すべてを規制しようとして、その

ために人間の精神を押しつぶそうとしているものであると想像した。

マルクスと同様に、ウェーバーは、近代社会――人間性に奉仕することを意味していた

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――がその制作者にたてついて、かれらを奴隷にすることを皮肉であると気づいていた。

マルクスが工業資本主義の人間的代価を記述したように、ウェーバーは近代の個人を「無

限につづく固定され型にはまった行進を命じる絶えず動いている機械装置の小さな歯車に

すぎない」と描き出した(1978: 988; orig. 1921)。ウェーバーは、近代社会の利点を理解

することができたものの、その将来についてははなはだ悲観的であった。かれは、結局、

社会の合理化が人間をロボットに還元してしまうことを恐れた。

エミール・デュルケム――社会と機能

「社会を愛することは、われわれを超えたなにかを愛することであり、われわれ自身のな

かにあるなにかを愛することである」。これらは、もうひとりの社会学の創始者であるエ

ミール・デュルケム(1858-1917)の言葉(1974: 55; orig. 1924)である。この言葉のなか

に、われわれは人間社会についてのもうひとつの有力な見方を見いだす。

構造――われわれ自身を超えた社会

エミール・デュルケムの偉大な洞察は、社会がわれわれ自身を超えたところに存在して

いると認識していたことである。社会は、それを構成する個人以上のものである。社会は、

われわれ自身の個人的経験を超えて伸びていくそれ自身の生命をもっている。社会は、わ

れわれが生まれるずっとまえからここに存在した。それは、われわれが生きているあいだ

じゅう、われわれをかたちづくる。そしてそれはわれわれが死んだあとまで残るであろう。

人間行動のパターン――文化的規範、価値、信念――は、確立された構造として存在し、

それゆえ、個々人の生命を超えた客観的現実をもつ社会的事実である。.....

社会は、われわれのだれよりも大きな姿を現すので、われわれの思考と行為をみちびく

力をもっている。このことは、(心理学者や生物学者のように)個人だけを研究しても人

間経験の本質をつかむことができない理由である。社会は、その部分の合計以上のもので

ある。つまりそれは、われわれの集合生活に根ざす複雑な有機体として存在する。数学の

試験を受ける 3 年生の教室、食卓を囲んで食事を分け合う家族、診療所で静かに順番を待

つ人びと――これらはすべて、そこに参加した特定の個人とはべつに、見慣れた組織をも

つ無数の状況のなかの例である。

ひとたび人びとによって生みだされると、つぎに社会はそれ自身の生命をもち、それを

生みだした人びとにある程度の服従を要求する。われわれは、生活の秩序のなかに、ある

いは誘惑に直面して、道徳性の引っ張りを感じるので、社会の現実性を経験する。

機能――システムとしての社会

デュルケムは、社会が構造をもっていることを立証すると、機能の概念にむかった。社..

会的事実の意義は、個々人が直接的な生活のなかで理解する以上のものである。社会的事

実は社会全体の作用を助ける。

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例として、犯罪を考えてみよう。もちろん、個々人は、犯罪の結果として苦痛や喪失を

経験する。しかし、デュルケムは、より広い観点をとって、犯罪は社会それ自体の生活の

進行にとって必要であると考えた。第 8 章(「逸脱」)で説明するように、ある振る舞いを

犯罪的であると定義することによってのみ、人びとは道徳性を構築し防衛する。それはわ

れわれの集合生活に目的と意味をあたえる。この理由から、デュルケムは、犯罪を「病理」

とする常識的な見解を拒絶した。それとは反対に、かれは、犯罪のない社会はありえない

という最も基本的な理由から、犯罪は「正常」であると結論づける(1964a, orig. 1893; 1964b,orig. 1895)。

パーソナリティ――われわれ自身のうちにある社会

社会はたんに「われわれ自身を超えている」だけではなく、「われわれ自身のうち」に

もある、とデュルケムは主張する。われわれがいかに行動し、考え、感じるかは、われわ

れを育む社会からひきだされる。社会は、べつの方法でもわれわれをかたちづくる。社会

は、われわれの行動を規制し、われわれの願望を抑制する道徳的規律として役に立つ。デ

ュルケムは、人間は社会による抑制を必要としていると主張する。なぜなら、飽くことの

ない欲望があると、われわれは、自分自身の願望によって圧倒されるという危険をつねに

はらんでいるからだ。かれによれば、「持てば持つほど、欲しくなる。なぜなら、得られ

た満足は、必要を満たすかわりに必要を刺激するから」(1966:248; orig. 1897)。それゆえ、

社会はわれわれに生命をもたらすが、社会はわれわれを抑制もしなければならない。

第 1 章(「社会学的視点」)で述べたデュルケムの自殺研究ほど、社会による規制の必要

をうまく例証したものはない。ジャニス・ジョプリン〔シンガー、ヘロイン中毒で 27 歳で

死亡〕からジム・モリソン〔ミュージシャン、27 歳で謎の死を遂げる〕、ジミー・ヘンドリ

ックス〔1942-1970、ギタリスト、催眠薬の飲み過ぎにより 27 歳で死亡〕からカート・コベ

イン〔1967-1994、ギタリスト、27 歳で自殺。日本では“コバーン”で通っている。この 4 人

のミュージシャンはいずれも 27 歳で死んでいることからよく引き合いに出される〕まで、な

ぜロック・スターが自己破壊的な傾向があるように見えるのだろうか。デュルケムは、だ

れかが電子音楽をつくるずっとまえから、その答えを出していた。かつてと同じように現

在でも、自殺率が最も高いのは、社会による規制が最も少ない人びとのカテゴリーのなか

で見いだされる。要するに、若者、富裕者、有名人のとてつもない自由は、自殺のリスク

との関係において高い代価を要求する。

近代性とアノミー

伝統社会と比較して、近代社会はだれにたいしてもわずかな制約しか課していない。デ

ュルケムは、近代の自由の利点を認識していた。しかし、かれはアノミーの増大を警告し

ていた。アノミーとは、社会が諸個人にほとんど道徳的な導きを提供しない状態のことで.........................

ある。多くの有名人が「名声のゆえに自殺する」パターンは、アノミーの破壊的効果を良

く例証している。突然の名声は、人びとを家族から、そして慣れ親しんだ日課から引き裂

く。それは確立された価値と規範を崩壊させ、個人にたいする社会の支えと規制を崩壊さ

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せる。それはときとして致命的な結果をともなう。それゆえ、デュルケムは、個人の願望

は社会の要求と導きによってバランスを保たなければならないと説明する。このバランス

は、ときに近代世界において困難である。

進化する社会――分業

マルクスやウェーバーと同様に、デュルケムは、19 世紀のヨーロッパ社会の急速な転

換をじかに見ていた。しかし、デュルケムはこの変化を独自に理解した。

デュルケムの説明によれば、前産業社会においては、伝統は人びとをまとめる社会の接

着剤として作用する。事実、かれのいう集合意識はとても強いために、コミュニティは因....

習的な生活様式にあえて挑戦しようとする者ならだれにたいしても、これを罰するために

迅速に動く。デュルケムは、機械的連帯という用語をつかって、共通の感情と共有された...........

道徳的価値にもとづく、前産業社会の成員のあいだでの強い社会結合を指し示した。実際...............................

には、機械的連帯は類似性から生じる。デュルケムがこうした結合を「機械的」と呼んだ...

のは、人びとがぎっしりとつながり、多かれ少なかれ自動的に共属意識をもっているから

である。

工業化にともなって、機械的連帯はますます弱くなると、デュルケムはつづけた。そし

て、人びとは伝統によって結合するのをやめる。しかし、これは社会が崩壊することを意

味するものではない。近代生活は、新しいタイプの連帯を生みだす。デュルケムは、この

新しい社会統合を有機的連帯と呼ぶ。それは、専門化と相互依存にもとづく、工業社会の...................

成員のあいだでの強い社会結合と定義される。かつて類似性に根ざしていた連帯は、いま..............

や、自分たちの専門化された仕事――配管工、コンサルタント、助産婦、社会学の教師―

―のために、日常的欲求の多くをたがいに頼ることになることを知った人びとの相違にも..

とづくものである。

それゆえ、デュルケムにとって、社会の変化の鍵となるものは、分業、すなわち専門化...

された経済活動の拡大である。マックス・ウェーバーは、近代社会は効率的になるために.......

専門化すると述べたが、デュルケムは、近代社会の成員が、毎日必要とする財とサービス

のために、何万人もの他者――そのほとんどは見知らぬ人――に頼っていると示すことに

よって、その姿を描いた。すなわち、近代社会の成員として、われわれはますます信頼し

なくなっている人びとに頼っている。なぜわれわれは、自分たちがほとんど知らず、自分

たち自身と異なる信念をもつ人びとに頼るのか。デュルケムの答えは、「われわれはかれ

らなしには生きていけないからである」というものであった。

だから、近代性は、道徳的合意にもとづくことが少なく、機能的相互依存にもとづくこ..... .......

とが多い。ここにわれわれが「デュルケムのジレンマ」と呼んでよいようなことがある。

つまり、近代社会の技術力と個人的自由の拡大は、道徳性の衰退とアノミーのリスクの増

大を代価としている、ということである。

マルクスやウェーバーと同様に、デュルケムは社会のむかっている方向について心配し

ていた。しかし、3 人のなかで、デュルケムは最も楽観的であった。かれは、われわれの

自由とプライバシーが拡大していることを賞賛する一方で、われわれが自分たちの行動を

規制する法律やその他の規範を作ることができるであろうと望んでいた。

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最後に、われわれはデュルケムの見解を情報革命に適用することができるだろうか。コ

ラムは、かれとわれわれが本章で考察してきた他の理論家が、こんにちの新しいコンピュ

ータ技術について多くを語るであろうということを示唆している。

コラム:社会学の応用*************************************************************

情報革命――デュルケム(および他の社会学者)ならば、どう考えたであろうか

新技術は、急速にわれわれの社会を作りかえている。本章で論じた社会学の創始者たち

がこんにち生きていたとしたら、現在の光景についての熱心な観察者であったろう。コン

ピュータ技術が社会におよぼす影響について、エミール・デュルケム、マックス・ウェー

バー、カール・マルクスが問いかけたかもしれない種類の問題をちょっと想像してみよう。

近代社会における分業の増大を強調したエミール・デュルケムは、おそらく、新しい情

報技術が分業をさらに推し進めるのではないかと考えるであろう。そう考えるもっともな

理由がある。電子的コミュニケーション(たとえばウェブサイト)は、だれにたいしても

広大な市場をもたらす(すでに、6 億人がインターネットにアクセスしている)ので、人

びとは限られた地理的領域に閉じこめられている場合よりも、はるかに専門化できる。た

とえば、ほとんどの小さな町の法律家は、総合的な業務をするが、情報時代の弁護士は、

どこに住んでいても、たとえば婚前の契約や電子著作権法についての専門的な指導を提供

することができる。じっさい、電子時代に入るにつれて、あらゆる分野の高度に専門化さ

れた小規模事業――なかには非常に大規模なものになっていくこともある――が急増しつ

つある。

デュルケムはまた、インターネットがアノミーを増大させる恐れがあると指摘するかも

しれない。その理由のひとつは、コンピュータの利用が、人びとを他者との個人的関係か

ら孤立させがちであるということにある。それゆえ、また、インターネットは、洪水のよ

うな情報を提供するものの、なにが真実で知る価値があるのかについての道徳的指導の点

では、ほとんどなにももたらさない。

マックス・ウェーバーは、近代社会は成員が合理的な世界観を共有している点に特徴が

あり、そしてもちろん、この世界観を例証するのに官僚制ほどよいものはないと信じてい

た。しかし、官僚制は 21 世紀の社会的光景を支配しつづけるのであろうか。ここには、

そうではないかもしれないと考えるひとつの理由がある。それは、工業時代にありふれて

いたような型にはまった仕事を遂行する労働者を調整する組織としては意味があるもの

の、脱工業時代における仕事の多くは、想像力がかかわっているということである。住宅

設計、作曲、ソフトウェア作成のような「新しい時代」の仕事を考えてみよう。そこに関

与する創造性は、たとえば組み立てラインでの自動車の組み立てと同じように調整できな

い。ことによると、このことは多くのハイテク企業が服装規定やタイムカードを廃止した

理由であるかもしれない。

最後に、カール・マルクスなら情報革命をどのように考えたであろうか。マルクスは、

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かつての産業革命を、産業の所有者が社会を支配する階級革命であると考えたから、かれ..

はおそらく、新しい象徴エリートがわれわれにたいする権力を獲得しつつあるのかどうか

と考えるであろう。たとえば、ある分析者が指摘するように、映画やテレビの作家、制作

者、そして出演者が、いまでは巨大な富、国際的威信、そして膨大な権力を享受している

(Lichter, Rothman, and Lichter 1990)。同様に、工業的な技能のない人びとが、過去数十

年間、階級システムの底辺に留まったのと同じように、象徴的技能のない人びとは 21 世

紀の「アンダークラス」になりやすい。

デュルケム、ウェーバー、そしてマルクスは、工業社会にかんするわれわれの理解をお

おいに向上させた。われわれはひきつづき脱工業時代に入っていくことになるので、社会

学の新世代が研究する余地はおおいにある。

*********************************************************************************

批判的評価――社会にかんする4つの見解

本章では、社会についてのいくつかの重要な問いからはじめた。われわれは、社会にか

んする 4 つの見解のそれぞれが、これらの問いにどう答えているのかを要約することによ

って、結びとする。

なにが社会をまとめているのか

社会のような複雑なものが可能であるのはどうしてなのか。レンスキの主張によれば、

社会の成員は共有された文化によって結合しているが、文化的パターンは、社会の技術的

発展の水準にしたがって変化する。かれはまた、技術が複雑になるにつれて、不平等が社

会をますます分裂させるが、工業化は不平等をいくらか減少させると指摘している。

マルクスは、結合ではなく階級的位置による社会的分裂を見ていた。かれの観点からは、

エリートは不安定な平和を強いるかもしれないが、しかし真の社会的結合は、生産が協同

的な努力となったときにはじめて生じるであろう。ウェーバーにとっては、社会の成員は

世界観を共有している。過去において伝統が人びとをまとめていたように、近代社会は合

理的で大規模な組織を生みだし、それが人びとの生活を結びつけた。最後に、デュルケム

は、連帯をかれの研究の焦点にすえた。かれは道徳性の共有にもとづく前産業社会の機械

的連帯を、専門化にもとづく近代社会の有機的連帯と対比させた。

社会はどのように変化してきたか

レンスキの社会文化的進化モデルにしたがえば、社会は、基本的に技術的変化によって

異なる。近代社会は、この点で、巨大な生産力が卓越している。マルクスも、生産システ

ムの歴史的違いを強調したが、社会闘争の持続を指摘した(ことによると、単純な狩猟採

集社会は例外であるが)。マルクスにとって、近代社会は、闘争をあからさまにしている

点においてのみ独特である。ウェーバーは、変化の問題を人びとが世界をどう見るかとい

う視点から考察した。前産業社会の成員は、伝統的な見解をもっているが、近代人は合理

的な見解をとる。最後に、デュルケムにとって、伝統社会は道徳的類似性にもとづく機械

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的連帯によって特徴づけられる。工業社会においては、機械的連帯は生産の専門化にもと

づく有機的連帯にとってかわる。

なぜ社会は変化するのか

レンスキが言うように、社会変動はまず技術革新の問題であり、技術革新がやがて社会

全体を転換させる。マルクスの唯物論的アプローチでは、階級間の闘争が、社会を革命と

再組織化にむかわせる「歴史のエンジン」として強調される。他方、ウェーバーは、理念

が社会変動にいかに寄与するかを指摘した。かれはいかに特定の世界観――カルヴィニズ

ム――が、産業革命を推進し、つぎにそれが社会全体を再形成したかを示した。最後に、

デュルケムは、分業の拡大を社会変動の鍵となる側面として指摘した。

これら 4 つのアプローチが非常に異なっているという事実は、そのうちのどれかが絶対

的な意味で正しいとか間違っているとかいうことを意味するものではない。社会は、こと

のほか複雑であり、社会にかんするわれわれの理解は、最後のコラムで示したように、4つの見解すべてを応用することから利益が得られる。

コラム:論争と討論*****************************************************************

社会は良くなっているのか、悪くなっているのか

楽観主義は、米国文化の特徴であった。時間がたつにつれて、生活は良くなるとわれわ

れは考えがちである。そう考えるもっともな理由がある。まず、前世紀をつうじて、米国

の平均所得は、インフレを考慮に入れても 4 倍になった。高等教育の機会もおおいに拡大

した。1900 年以降、大学を卒業した米国の成人の割合は 10 倍になったことをわれわれは

経験してきた。

これがすべてではない。1900 年に戻ると、電話のある家はまれで、大都市の外には電

気がなかった。テレビについて聞いたこともなく、利用可能な「馬力」は四つの足のある

馬そのものだった。こんにち、ほとんどすべての家庭にすくなくとも 1 台の電話があり、

たくさんの電器製品があり、テレビ受像器があり、ビデオカセットレコーダがあり、DVDプレイヤーがある。ほとんどの米国の家庭にはエアコンがあり、インターネットがつなが

っており、1 台以上の車がおけるガレージがある。じっさい、生活が良くなっただけでな

く、それ以上のことがある。1900 年に生まれた人びとは、平均寿命が 47 歳であったが、

こんにち生まれてくる子どもの平均寿命は 80 歳に達することが予想されている。

しかし、近年、われわれの歴史的な楽観主義は、衰退しつつあるのかもしれない。近年

の全国調査では、米国の成人の 67 パーセントが、平均的な人にとって生活は良くなって

いるのではなく、悪くなっていることに賛成した(30 パーセントは反対し、3 パーセント

は意見を言わなかった。NORC 2003: 208)。たしかに、経済不況は悲観主義の上昇に重要

な役割を果たしている。ニュースは、企業最高経営者による横領や倒産、解雇、年金契約

の解消などの記事でいっぱいである。さらに人びとは、勤勉に働けば報われるという信頼

感を失いつつある。つぎのことについて考えてみよう。たとえ、二人以上の労働力がいる

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世帯がかつて以上に多くなっているとしても、平均世帯収入はほとんど上がっていない。

他にも困った趨勢がある。1960 年以降、離婚率は急上昇した。そして犯罪率も上昇した。

調査研究者がわれわれに告げるところによれば、人びとはかつてほど幸福ではない。統計

が示すところでは、自殺率は上がっている(Myers 2000)。近代社会は、われわれに多くのモノをあたえているかもしれないが、しかしわれわれは

それらを保持するのにこれまで以上に一生懸命働いており、それらのモノが幸福への切符

であることは確かなことではなくなっている。われわれがかつて以上にさらに遠くまで動

くようになったので、コミュニティの感覚が失われているように思われる。最近数年の経

済的スキャンダルが示唆しているように、われわれの文化的個人主義は、純粋な利己主義

になっているように見える。それゆえ、悲観主義が台頭し、米国の成人の大多数が「人び

との相手をするのに注意するに越したことはない」と信じていると主張しているのも驚く

にあたらない(NORC 2003: 181)。それゆえ、証拠はまちまちである。ある点では、生活は良くなってきているが、べつの

点では生活は悪くなってきている。この複雑な問題をわれわれはどのように理解するのだ

ろうか。

われわれが本章で検討してきた理論家たちの考えは、われわれの役に立てることができ

る。「ハイテク」を「進歩」と同等とみなして、技術的発見が生活を向上させつづけると

期待するのは容易である。しかし、レンスキが説明するように、歴史がわれわれに示して

いるのは、技術的進歩は現実の利点を提供するかもしれないが、より良い生活を保証する

ものではないということである。マックス・ウェーバーとデュルケムは、近代社会がます

ます生産的になったので、個人主義への危険な傾向があると注意している。マルクスにと

って、資本主義は被告人であり、貨幣を神のような地位にまで高め、利己主義の文化を育

むものである。ウェーバーの分析においては、合理性という近代的精神が、親族と近隣社

会の伝統的紐帯を浸食する一方で、官僚制を拡大させるが、これは人びとを操作し孤立さ

せるものであるとかれは警告する。デュルケムにとって、近代社会の成員は相互に必要と

しているが、しかしかれらはますますたがいに見知らぬ人となり、正邪を判断する道徳的

規範をほとんど共有していない。

本章では、技術的進歩がたしかに社会を変化させることを示してきた。しかし、この種

類の発明は、われわれを苦しめる多くの問題を解決するものではない。それとは反対に、

証拠が示唆しているのは、新しい技術がいくつかの問題を悪化させ、満足のいく公正な社

会を構築するという仕事にさらに一生懸命取り組まざるをえなくしているということであ

る。

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