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平成31年4月 中野区区民部産業観光課

平成31年4月 中野区区民部産業観光課 · 中野区区民部産業観光課. 中野区認定観光資源とは 中野区の都市観光を推進することを目的に、区内の地域資源等

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平成31年4月 中野区区民部産業観光課

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中野区認定観光資源とは 中野区の都市観光を推進することを目的に、区内の地域資源等(旧跡、建築物、文化財、商店街、特産品、イベント など有形無形の資源)のなかから、中野区の魅力を表す地域資源として認定されたものです。平成26年2月に129件が認定され、その後見直し、平成31年4月1日現在124件が存在しています。 中野区認定観光資源ロゴマーク 中野区紋章と同じ青色を使用し、 中野区が誇るさまざまな観光資源が 織りなされ、区全体の魅力が形成さ れていること、また区の4つのエリ アを多重線により表現しています。 ロゴマークは、設置が可能な資源に看板や、シール等で掲出しています。

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No 区分 資源名称 所在地 No 区分 資源名称 所在地

1 多田神社 南台3-43-1 45 歴史・旧跡 貞源寺 沼袋2-19-28

2 宝福寺 南台3-43-2 46 禅定院 沼袋2-28-2

3 第六天堂 弥生町1-4-6 47 百観音明治寺 沼袋2-28-20

4 正蔵院 弥生町4-12−1‎ 48 清谷寺 沼袋3-21-7

5 川住行教の墓所 弥生町4-12−1‎ 50 哲学堂公園 松が丘1-34-28

6 神明氷川神社 弥生町4-27-30 51 北野神社(松が丘) 松が丘2-27-1

7 百度石 弥生町4-27-30 52 江古田古戦場の碑 松が丘2-35 江古田公園内

8 成願寺 本町2-26-6 53 整地碑 松が丘2-36

9 鍋島家の墓所 本町2-26-6 54 野方配水塔 江古田1-3

10 鈴木九郎宝篋印塔 本町2-26-6 55 蓮華寺 江古田1-6-4

11 象小屋跡 本町2-32 朝日が丘公園内 56 井上円了の墓 江古田1-6-4

12 福寿院 本町3-12-9 57 東福寺 江古田3-9-15

13 本郷氷川神社 本町4-10-3 58 江古田氷川神社 江古田3-13-6

14 本郷道改修記念碑 本町4-10-3 59 北江古田遺跡 江古田3-14

15 宝仙寺三重塔跡 中央1-41 60 野方第二公園西の地蔵 野方2-14 野方第二公園西

16 明徳稲荷神社 中央2-52-1 61 二十三夜塔 野方3-7

17 白玉稲荷神社 中央2-8-24 62 野方町役場跡 野方5-3-7

18 宝仙寺 中央2-33-3 63 大和町八幡神社 大和町2-30-3

19 中野町役場跡 中央2-33-3 64 福蔵院 白鷺1-31-5

20 堀江家の墓所 中央2-33-3 65 鷺宮八幡神社 白鷺1-31-10

21 慈眼寺 中央3-33-3 66 御嶽神社 鷺宮5-12

22 中野氷川神社 東中野1-11-1 67 杉山公園 本町6-15

23 中野史跡碑 中野4-8-1 中野区役所内 68 城山公園 中野1-44

24 中野の犬屋敷 中野4-8-1 中野区役所内 69 紅葉山公園 中野2-5

25 北野神社(中野) 中野5-8 70 中野四季の森公園 中野4-12、4-13

26 龍昌寺 中野6-3-7 71 平和の森公園 新井3-37

27 青原寺 上高田1-2-3 72 新井薬師公園 新井4-15、5-4

28 朱楽菅江の墓 上高田1-2-3 73 丸山塚公園 沼袋2-40

29 源通寺 上高田1-2-7 74 江古田公園 松が丘2-29、2-35

30 河竹黙阿弥の墓 上高田1-2-7 75 江原屋敷森緑地 江原町3-32

31 高徳寺 上高田1-2-9 76 みずのとう公園 江古田1-3

32 新井白石の墓 上高田1-2-9 77 江古田植物化石層発見の地 江古田1-43

33 松源寺 上高田1-27-3 78 江古田の森公園 江古田3-14

34 宗清寺 上高田1-27-6 79 醤油屋のしいの木 江古田4-3-4

35 保善寺 上高田1-31-2 80 桃園川緑道 中央1-50~中野3-13

36 境妙寺 上高田4-9-3 81 追分 中央4-7

37 桜ケ池不動尊 上高田4-32-3 82 新道橋 新井3-38

38 上高田氷川神社 上高田4-42-1 83 オリーブ橋 若宮3-57、白鷺1-14

39 東光寺 上高田5-21-5 84 かせいチャンモニュメント 都立家政商店街内(若宮3-17付近)

41 新井天神 北野神社 新井4-14-3 85 石森製粉の石臼 本町1-32-27

42 新井薬師 梅照院 新井5-3-5 86 山政醤油醸造所(浅田醤油)レンガ塀 中央2-32

43 沼袋氷川神社 沼袋1-31-4 87 石臼塚 中央2-33-3 宝仙寺内

44 道灌杉 沼袋1-31-4 次ページへ

中野区認定観光資源一覧

みち・街並み

商業施設(工場跡等)

自然・景観

歴史・旧跡

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No 区分 資源名称 所在地 No 区分 資源名称 所在地

中野ブロードウェイ商店街 中野5-52-15(ブロードウェイ) 123 中野区伝統工芸展 中野2-9-7(会場)

中野サンモール商店街 中野5-67-1(サンモール) 124 中野チャンプルーフェスタ 中野4-1付近(会場)

89 梅若能楽学院会館 東中野2-6-14 125 起創展街 中野にぎわいフェスタ 中野4-1付近(会場)

90 神田川歌碑 中央1-13-9 126 東北復興大祭典なかの 中野4-1付近(会場)

91 なかのZERO 中野2-9-7 127 中野通り桜まつり 中野通り、新井5-4、4-15など(会場)

92 ポケットスクエア 中野3-21、3-22 128 江古田獅子舞 江古田3-13-6

93 中野サンプラザ 中野4-1

94 なかの芸能小劇場 中野5-68-7スマイル中野2階

95 たきびの歌発祥の地 上高田3-26-17

97 山﨑記念中野区立歴史民俗資料館 江古田4-3-4 ※40、49、96、118及び119は欠番である。

98 中野体育館 中野4-11-14

99 平和の森公園多目的運動広場 新井3-37

100 哲学堂運動施設 松が丘1-34-28

101 あぶまた味噌 本町3-32-19102 鍋横最中(むさしの玉屋) 本町4-30-14103 うの花(神宮豆腐総本店) 中央4-1-20

104アップルパイ、ジンジャー入りバナナブレッド 計2件(PINの店)

中央5-1-2 伊藤ビル 1F

105 黄玉満(虎月堂) 中央5-40-15-103106 柿の種(かきもち処 はやしや) 東中野3-1-1

107特製細麺トマトつけスパゲッティー(ビストログラート)

東中野4-9-1 第一元太ビル 1F

108イリュージョンのナポリタン(Bar ILLUSIONS)

中野2-12-11 飯尾ビルB1F

109 ごぼうポタージュのオムライス(kurumari) 中野2-28-1 中野JMビル 2F110 いちごのトライフル(クロシェットカフェ) 中野4-3-1 中野とうきゅう1F

111深辛チキンカレー(BAR&RESTAURANT 天)

中野5-36-1

112 肉まん(手作り点心 また明日。) 中野5-52-15 中野ブロードウェイB1

113 うなぎ燻製(味治) 中野5-57-10

114 ラーメン コテ丸(薬師の大番) 上高田3-41−3

115 キャロットケーキ(Kyle’s Good Finds) 新井2-7-10116 つけそば(麺彩房) 新井3-6-7

117沼チョコ、王様ポテト、思い出プリン、バンブー 計4件(手作り菓子 アビニヨン)

沼袋1-37-11

120 自家製手造りメンチカツ(中島屋精肉店) 若宮1-27-9

121中野みやげ噺(フランス菓子ふじの木)※現在閉店中

若宮3-17-6

122 生フルーツゼリー 鷺宮3-1-16 第5ヒラノビル1階

食・特産品

鷺宮囃子白鷺1-31-5 福蔵院内(鷺宮囃子保存会)

まつり・集客イベント

芸術・文化施設

運動施設

129

88 商業施設

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1タダジンシャ多田神社

南台3-43-1多田神社の大絵馬(中野区指定有形民俗文化財)等

多田神社は、源頼光や頼信の父であり、文武両道に秀でた多田満仲公を御祭神とした神社です。寛治6(1092)年、 源義家が大宮八幡宮(現・杉並区大宮2丁目)に参詣して神鏡を献じ、別当宝仙寺を建立するとともに、雑色村(現・南台)に満仲公の祠を建てたことが始まりと言われています。同社は雑色村の鎮守となり、そのため雑色の地は大宮八幡宮と強いつながりを持つことになりました。天正19(1591)年 の検地帳にも「多東郡大宮之内雑色村」と記され、大宮領に含まれていたことがわかります。また、鎌倉街道と伝えられる古道が両神社から雑色地域の間に通じていたともいわれています。

2ホウフクジ寳福寺

南台3-43-2 戸村塾筆塚碑等

寳福寺は真言宗のお寺で、ご本尊は聖徳太子です。聖徳太子が諸国を巡遊した時、この地を霊地として堂を建立し如意輪観音(にょいりんかんのん)を安置して、国家安穏を祈ったことに始まるといわれています。また、昭和新選江戸三十三観音札所の第17番札所にもなっています。境内にある「筆塚」と書かれた碑の文字は「筆塚」の字は戸村直衛が書いたもので、明治の初めに建てられたと考えられます。戸村氏は明治3(1870)年、雑色村に「戸村塾」を開いた人で、中野区最初の公立校「桃園学校」の教師も勤めました。家塾開業願や小学校設立伺書などによれば、若い頃に幕府の関係者から、数学・書道・洋学を学んだ知識人だったことがうかがえます。明治4年当時、戸村塾の生徒は25名で、教場は寳福寺や村内の民家をあてていました。明治5(1872)年の学制発布後も存続し、私立戸村小学校から桃園小学校雑色分校へと引き継がれました。この筆塚は、師弟の使用した毛筆を納めて供養して学業上達を願ったものと考えられ、中野の初等教育を物語る記念碑です。

3ダイロクテンドウ第六天堂

弥生町1-4-6

第六天堂では、山手通りに面したドーム状屋根の祠に小さな観音像が祀られています。これは、中野開拓者の鈴木九郎が成願寺を建立した際、土地の恵みと人々の幸福を願って奉安したものです。約600年の間、周辺住民の人々に親しまれてきましたが、山手通りの拡張に伴い平成8(1996)年に現在の場所に移されました。「たから第六天」と書かれたのぼり旗が目につきますが、この第六天堂は成願寺の境外の堂であり、成願寺の山号が「多宝山」であることからそのように呼ばれています。

4ショウゾウイン正蔵院

弥生町4-12−1‎

六地蔵(中野区登録有形文化財)、地蔵(中野区登録有形文化財)、庚申塔2塔(中野区登録有形文化財)、川住行教の墓所等

川島通りを方南通りに向かって歩くと右側の参道入り口に7つのお地蔵さんが並んだ「川島地蔵尊」が安置されています。台石には享保10(1725)年に、旧川島村内の善男善女が一人も欠けずにこれを建てた、と刻まれています。参道を進むと、正蔵院が見えます。真言宗豊山派の寺で、ご本尊は聖観音菩薩です。寺院の中にはこのほか中野区登録有形文化財となっている庚申塔が2塔あります。

5カワスミ ユキノリ ボショ川住行教の墓所

弥生町4-12−1‎ 正蔵院

川島通り近くの正蔵院の墓地には、川住行教が眠っています。川住行教は文政8(1825)年三河国西尾藩に生まれ、藩主松平乗全および乗秋に仕えて藩の改革に努めました。明治維新後は新政府から三河国の大参事に任命され、その名声は高かったと伝えられています。明治9(1876)年に職を去り、以来中野雑色村で隠居生活を送った後明治17(1884)年に亡くなりました。後世「中野長者の伝説」の調査をした、元陸軍中尉川住鋥三郎は、この行教の子です。

資源名NO

中野区認定観光資源一覧

写真

 歴史・旧跡

詳細同一敷地内の他の資源所在地

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

6シンメイヒカワジンジャ神明氷川神社

弥生町4-27-30 百度石等

神明氷川神社は文明元(1469)年に太田道灌が江戸城鎮護のため武蔵大宮氷川神社より勧請したことに始まるとされています。昭和20(1945)年に、戦災により焼失しましたが、昭和33(1958)年に再建されました。また同社の境内にはお百度参りと深い関わりを持つ「百度石」があります。

7ヒャクドイシ百度石

弥生町4-27-30 神明氷川神社

神明氷川神社の境内にはお百度参りと深い関わりを持つ「百度石」があります。お百度参りとは、もとは百日続けて参詣することを指しました。それがいつしか、拝殿や本堂と境内に建てられた百度石との間を、はだしで人目を忍びながら一日に百往復し、願をかけるというものに変わりました。百度石は、百度参り起点の石としてだけではなく大願成就のお礼として建てられることもあり、同社に建つ百度石は、その形や大きさから、後者ではないかと思われます。

8ジョウガンジ成願寺

本町2-26-6

鈴木九郎宝篋印塔(東京都指定旧跡)、川庵宗鼎像(中野区指定有形文化財)、釈迦如来坐像(中野区指定有形文化財)、地蔵(中野区登録有形文化財)、鍋島家の墓所等

中国風の山門に目が惹かれる成願寺は、山号を多宝山と称し、曹洞宗のお寺です。600年ほど前、中野長者と呼ばれる鈴木九郎が夭折した娘を弔うお堂を建て、娘の法名をとって正観寺としたのが、今の成願寺のはじまりといわれています。本尊は鎌倉期につくられた釈迦牟尼仏で高さ60㎝の座像、左右に文殊観音像を配しています。江戸時代に現在地に移設され、園通閣(百観音堂)、龍鳳閣(開山堂)などのお堂が建ち並んでいます。また、山手通りを挟んで第六天が祀られています。成願寺では、四季折々の年中行事、坐禅・写仏・仏像彫刻の会などの活動も盛んで、広く門戸を開いています。このほか成願寺には、中野長者にまつわる伝説が伝えられています。伝説によれば、財を成した中野長者は、人知れずその財宝を埋蔵しようと財宝を下僕に背負わせ出かけましたが、その秘密が漏れることを恐れて下僕を殺してしまいました。ところが長者が人を殺した報いによるものか、愛娘の姿は蛇身となり、その不幸に苦しんだ娘は自ら命を絶ってしまいました。長者は自らの行いを悔い、仏道に帰依したとのことです。この伝説は、日本各地にある朝日長者伝説の流れを汲むもので実話ではありません。九郎と娘の遺骨は境内に祀られており、遺骨調査の結果、娘は14歳くらいの病弱な女性だったと判明しています。

9ナベシマケ ボショ鍋島家の墓所

本町2-26-6 成願寺

成願寺には大名・蓮池鍋島家の墓所があります。中野区在来の寺院の中で大名家の墓所があるのはここだけです。蓮池(佐賀市東部)の鍋島家は、鍋島直純が寛永16(1639)年、5万2千6百石を与えられ、佐賀鍋島家から分家したのが始まりです。墓域には十基の墓石が立ち並んでいて、また、墓地の右の奥に鍋島地蔵とよばれる地蔵姿の墓碑があります。

10スズキ クロウ ホウキョウイントウ鈴木九郎宝篋印塔

本町2-26-6 成願寺

今から約650年前、中野の地を開拓し中野長者と呼ばれた鈴木九郎の墓で、成願寺の本堂手前左側に安置されています。成願寺は、鈴木九郎が小田原大雄山舂屋宗能禅師の教えをもとに出家し開創したのが成願寺のはじまりといわれています。宝篋印塔とは墓・供養塔などに使われる仏塔の一種で、身分の高い人に対して用いられるといわれており、中野長者ゆかりの寺であることを偲ばせます。現在建っているものは、昭和20(1945)年5月の米軍空襲による焼損後に、再建されたものです。

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

11ゾウゴヤアト象小屋跡

本町2-32 朝日が丘公園

江戸名所図会に「中野に象厩を立ててそれを飼おせられし」とある象小屋は、写真の辺りにあったといわれています。当時、象は大変珍しい動物で人々の好奇心をそそり、書物や象にちなんだ調度品などが盛んに作られました。中野の象は、享保13(1728)年、中国人貿易商鄭大威が安南(今のベトナムあたり)から連れて来たもの。京都で中御門天皇と霊元法王の謁見を受け、江戸で将軍吉宗が上覧した後、しばらく浜御殿に飼われていました。後にこの像を下げ渡された中野村の源助は、成願寺近くに象小屋を建てて飼育を続けました。寛保2(1742)年に病死した後、皮は幕府に献上され、牙一対は源助に与えられました。この牙は、宝仙寺(現、中央2丁目)に保存され、戦災にあいました。

12フクジュイン福寿院

本町3-12-9庚申塔(中野区登録有形文化財)等

元応元(1319)年、本町5丁目あたりに薬師堂があったと伝えられていますが、明和年間の火災で焼失し、のちに現在地に移り、福寿院となりました。福寿院には文和3 (1354) 年、貞治4 (1365) 年、文安年間の三期の板碑(鎌倉、室町時代に流行した卒塔婆の一種)があり、文和3年の板碑は区内でも古いものです。

13ホンゴウヒカワジンジャ本郷氷川神社

本町4-10-3本郷道改修記念碑(中野区登録有形文化財)、御嶽神社、稲荷神社、庚申塔等

本町4丁目の氷川神社は、文明元(1469)年に太田道灌が江戸城を築く際、鎮護のために大宮氷川神社より勧請し、創建したといわれています。御祭神は素戔鳴尊(すさのおのみこと)。江戸時代には、かつて本郷村と呼ばれていた地域の鎮守でした。社の正面にある一対の狛犬のうち、阿(あ)形の狛犬は、授乳している姿となっています。境内の奥には、同じく中野区認定観光資源の本郷道改修記念碑があります。

14ホンゴウドウカイシュウキネンヒ本郷道改修記念碑

本町4-10-3 本郷氷川神社

本郷道改修記念碑は、本郷氷川神社境内の奥にあります。本郷道は、かつて同社の傍らを通っていた、馬車や荷車が行き来する道でした。この道が損壊した際に、有志土方平吉が発起人となり、賛成者8名と水車所有者、近辺の住民との寄附金によって、明治33(1900)年4月から改修工事を開始。2年余で完成したと碑に記されています。発起人以下賛同者のほとんどは、当時の村の有力者です。この記念碑は、旧村の生活を物語るなごりといえるでしょう。

15ホウセンジサンジュウノトウアト宝仙寺三重塔跡

中央1-41

宝仙寺三重塔は、現在の区立第十中学校の校庭に建っていました。旧地名の塔山は、これにちなんだものです。寛永年間(17世紀前期~中期)の建築で、高さ24メートル、屋根は檜皮葺。江戸近郊で唯一の三重塔でしたが、昭和20(1945)年5月の大空襲で焼失しました。残されている写真や実測図から、池上本門寺五重塔や上野寛永寺五重塔と並んで、江戸時代初期の典型的な建造物だったことがわかります。古記録には、中野村の飯塚惣兵衛夫妻が施主になって建立したとあり、かつては夫妻の木像が塔内に安置されていました。

16メイトクイナリジンジャ明徳稲荷神社

中央2-52-1

明徳稲荷神社は、江戸時代に中野村の名主を務めた堀江家の敷地(2万1000㎡)の北東の隅にあります。北東の方角は鬼や災難が入ってくる鬼門として忌み嫌われ、堀江家では神を祀って鬼門除けとしました。堀江家文書によれば、中野宿で市場の繁栄と安全のために祀った市神という神社の記録があり、これが明徳稲荷なのではないかとも考えられます。大正時代に地元の人たちが堀江家から稲荷神社を譲り受け、現在に至っています。建造物や古記録は残っていませんが、狐の彫り物のある慶応3(1867)年の手水鉢にわずかながら往時をしのぶことができます。この神社には明徳稲荷のほか、火伏せの秋葉神社と雨乞いの榛名神社とが合祀されています。

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

17シラタマイナリジンジャ白玉稲荷神社

中央2-8-24 鳥居等

白玉稲荷神社は、もとは宝仙寺境内にありましたが、明治維新後に分社されて以後、この地であがめられてきました。白玉稲荷神社の裏に残されている石の鳥居には、「奉納 歳豊饒 小下中」「明治十四年 巳十月」、そして願主として浅田甚右エ門以下50人の氏名が刻まれています。青梅街道に面した家々は江戸時代末期、半商半農の生活を営んでいて、村内は上・中・下の3宿にわけられていました。「小下中」とは、下とされた家をさらに大・小にわけた小下組中という意味。この文は明治の初め頃の漢学者・南摩綱紀の依頼によって成瀬大域が書いたもので、区内の金石文の中でも風格のある名筆といわれています。

18ホウセンジ宝仙寺

中央2-33-3

中野町役場跡、堀江家の墓所、三重塔、引導地蔵、六地蔵、五輪塔(中野区指定有形文化財)、山門、石臼塚、堀江家伝来の朱印状(中野区指定有形文化財)等

中野区でも屈指の広大な寺院で、千年近くの歴史を誇ります。著名人の葬儀・告別式も多く執り行われることでも有名な寺院です。本尊の不動明王は奈良東大寺の開山で有名な良弁の作と伝えられています。寺院内には忿怒形相の阿吽の仁王が立つ山門や、堀江家の墓所、中野町役場跡などもあります。宝仙寺は、御府内八十八ケ所12番札所、関東三十六不動霊場第15番札所にも指定されています。

19ナカノマチヤクバアト中野町役場跡

中央2-33-3 宝仙寺

中野の古刹でもある宝仙寺。その境内には3重の塔をバックにして立派な石碑がたっています。そこにはよく見ると「中野町役場」の文字が刻まれているのですが、明治時代から昭和初頭まで、中野町役場が、その後中野区役所がこの宝仙寺境内に置かれていたそうです。中野町(なかのまち)とは、かつて東京府豊多摩群に存在した街の一つで、明治30(1897)年に生まれました。現在の中野区の南部にあたる地域で、現在の地名では、中央、中野、本町、南台、弥生町、上高田の一部にあたります。明治時代中期まで青梅街道沿いを中心として産業が発展し、甲武鉄道の開通、中野駅ができると、徐々に住宅化が進み、さらには関東大震災以降、市街化が進みました。産業化と言えば、中野には現在でも様々な伝統工芸の工房があるのですが、当時、江戸の中心部から人々とともに職人も移ってきたと言われています。その後、昭和7(1932)年には、中野町、野方町が合併し、東京市中野区となりました。

20ホリエケ ボショ堀江家の墓所

中央2-33-3 宝仙寺

十二代重賢の徳川幕府への届出書によれば、越前(福井県)から堀江家の先祖・兵部が農民十数名とともにこの地に来て、弘治元(1555)年に中野の開発に着手した、とされています。当時関東を支配していた小田原北条氏から小代官に、閉幕後も歴代の当主は中野村の名主に任命され、有力な指導者となりました。堀江家の業績により、中野村は次第に発展。その聞の村政及び幕府との関係文書は「堀江家文書」として東京都立大学に保管され、研究に供されています。堀江家は将軍鷹場の村々への御用触次、青梅街道中野宿の問屋場役人、組合村寄場役人のほか、江戸城内への種物・なす苗の上納など各方面に事跡を残しました。明治以後の業績も大きく、中野区の発展の礎といえます。

21ジゲンジ慈眼寺

中央3-33-3地蔵他2体、庚申塔5体(左記、全て中野区登録有形文化財)等

東京メトロ丸ノ内線「新中野」の駅を降りて新宿方面に青梅街道を歩いていくと、左側に慈眼寺があります。このお寺は天文13(1544)年の創建と伝えられ、以前は、現在地から北東の中央3-7付近にあったのが、江戸時代にこの地に移転しました。入口付近には金色に輝くパゴダ(仏塔)が置かれていますが、この中にはタイ国の寺院から寄贈された仏舎利が安置され、東京における東南アジアの仏教徒の信仰を集めています。また、寺院内には地蔵や庚申塔など多くの石仏があります。

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

22ナカノヒカワジンジャ中野氷川神社

東中野1-11-1

庚申塔、中野公園の記、覚順の敷石記念碑、鍋屋勘右衛門寄進鳥居(左記、全て中野区登録有形文化財)、狛犬、手洗鉢、石橋供養塔、力石(左記すべて中野区指定有形文化財)、日露戦争の機雷等

長元3(1030)年平忠常の乱を征討する時、源頼信が大宮氷川神社の神霊を勧進し祠を建てたのが起源といわれています。また、文明9(1477)年、太田道灌が豊島一族討伐の折、戦勝祈願をし、その凱旋後、社殿を造営したとも伝えられています。社内には、祭礼の時、村の若人達によって競われた重量挙げの力技に使われたと思われる力石や、7~800年前の作と言われている狛犬など数多くの中野区指定有形文化財があります。また、毎年9月に行われる例大祭は、区内最大級のお祭りで、山手通りを練り歩くお神輿はとても迫力があります。

23ナカノ シセキヒ中野史跡碑

中野4-8-1 中野区役所

昭和43(1968)年、区役所新庁舎がこの地に整備されたことを記念して建てられました。かつて、区役所周辺では、徳川五代将軍綱吉が御囲いを設けていたことや、八代将軍吉宗が桃の木を植えて御立場を設けたこと、明治に入って中野電信隊・鉄道隊が創設されたこと、陸軍中野学校が整備されたことなど時代とともに役割を変えていった土地の変遷が見られます。

24ナカノ イヌヤシキ中野の犬屋敷

中野4-8-1 中野区役所

犬屋敷は徳川五代将軍綱吉が設けた幕府による犬の保護施設で、「お囲い御用屋敷」ともいいました。中野4丁目あたりの旧町名「囲町」はこれに由来します。綱吉は生類憐みの令によって殺生を制限し、特に犬は厳重に保護。江戸郊外の中野に最も大規模な犬屋敷をつくり、多数の役人や医者を置いて飼育にあたらせました。元禄8(1695)年末に収容を開始し、綱吉の死去により宝永6(1709)年に廃止されるまで、15年間存続しました。敷地は現在の区役所を中心に約30万坪。5つの犬囲には犬小屋・餌場・日除場・子犬養育場など様々な建物があり、幕府の公式記録によると、収容を始めてすぐに10万頭もの犬が集まったそうです。莫大な費用は、江戸の商家や天領の農民たちが負担しました。この犬屋敷があったことを示す犬の像が中野区役所前に設置されています。

25キタノジンジャ ナカノ北野神社(中野)

中野5-8

如意輪観音講塔(中野区指定有形文化財)、庚申塔2塔(中野区登録有形文化財)等

保存樹林により形成される緑と古の拝殿や鳥居等でつくりだす神聖な雰囲気が感じられます。本殿の東側に並ぶ如意輪観音講塔と、庚申塔2体の石仏は、かつて北野神社の前の道路際にあったもので、青梅街道から新井薬師へ参詣する人の安全を祈り、道しるべもかねてつくられたと考えられています。この3体の石仏は中野区登録有形文化財または指定有形文化財となっています。

26リュウショウジ龍昌寺

中野6-3-7鐘突堂、地蔵尊、永徳稲荷等

早稲田通り沿い、多くの寺が並んでいる一角にあります。青松寺(東京都港区)の七世瑞翁俊鷲(しゅんさく)大和和尚により、天正6(1578)年に開山されましたが、明治維新後、四谷塩町より当地へ移転しました。境内には境内に稲荷社、鐘突堂、地蔵尊があります。

27セイゲンジ青原寺

上高田1-2-3朱楽菅江の墓(中野区登録有形文化財)

早稲田通り沿い、多くの寺が並んでいる一角にあります。永正10年、太田道灌の師で、芝青松寺の開山である雲岡瞬徳(うんこうしゅんとく)禅師によって創建されました。もともとは青山北町にありましたが、明治42(1909)年に当地に移りました。

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

28アケラカンコウ ハカ朱楽菅江の墓

上高田1-2-3 青原寺寺院には江戸寛政年間の有数な狂歌師、朱楽菅江(あけらかんこう)の墓があります。菅江は蜀山人などと並んで狂歌をもって名声をあげた人です。朱楽菅江の名前は“あっけらかん”に由来するともいわれています。

29ゲンツウジ源通寺

上高田1-2-7

河竹黙阿弥の墓(中野区登録有形文化財)、親鸞聖人像(中野区指定有形文化財)、聖徳太子像(中野区指定有形文化財)、浄土七祖像(中野区指定有形文化財)等

早稲田通り沿い、多くの寺が並んでいる一角にあります。慶長15(1610)年、松本城主小笠原長時の子・長隆により開設され、はじめ湯島南ヶ岡に建立されましたが、火災等による数度の移転の後、明治41(1908)年この地に移ってきました。寺院には江戸末期から明治中頃に活躍した劇作家河竹黙阿弥の墓(中野区登録有形文化財)があります。

30カワタケモクアミ ハカ河竹黙阿弥の墓

上高田1-2-7 源通寺

江戸末期から明治中頃に活躍した大劇作家、河竹黙阿弥(本姓吉村、二代河竹新七、1816~1893)の墓所が、上高田の源通寺墓地にあります。黙阿弥は鼠小僧次郎吉を義賊にした作品をはじめ、「三人吉三」「白浪五人男」など盗賊を主人公とした生世話狂言で世相を写実的に描く近代演劇への道を開きました。しかし幕府が写実的傾向を禁じて勧善懲悪を奨励したため、作風の転換を強いられます。その後、幕末・維新期の激動の中、江戸後期の歌舞伎の創作法を整理・集大成し、「真に江戸演劇の大問屋」と坪内逍遥に評されました。また作品は、四代市川小団次をはじめとする歴代の名優に演じられました。明治41(1908)年、源通寺とともに黙阿弥の墓も浅草から移転しました。

31コウトクジ高徳寺

上高田1-2-9新井白石の墓(東京都指定旧跡)等

早稲田通り沿い、多くの寺が並んでいる一角にあります。建仁元(1201)年、信州粟原(長野県)に正行寺として釈了智によって開山されました。その後、群馬県、千葉県、江戸八丁堀、浅草北松山町と移り渡り、明治41(1908)年にこの地に移ってきました。寺院には徳川六代将軍に仕えた新井白石の墓(東京都指定旧跡)があります。

32アライハクセキ ハカ新井白石の墓

上高田1-2-9 高徳寺

新井白石(明暦3(1657)年~亨保10(1725)年、満68歳没)は江戸中期の朱子学者であり政治家です。本名は君美(きんみ)、通称は勘解由(かげゆ)といい、白石は号です。木下順庵に朱子学を学び、その推挙により徳川綱豊(後の家宣)の儒臣となります。宝永6(1709)年、家宣が将軍になると、幕臣として間部詮房とともに家宣を補佐。正徳の治を開き、教学と政治の一致に努めました。主な事績として、武家諸法度改訂、貨幣改鋳、海舶互市新令の施行、儀式典礼の整備などが挙げられます。学者としては、合理性と実証を重んじ、朱子学的思考と実践の結合した合理主義者で、日本古代史に合理的解釈を試み、外国事情にも意を用いました。著書には「藩翰譜」「読史余論」「西洋紀聞」「采覧異言」「折たく柴の記」などがあります。

33ショウゲンジ松源寺

上高田1-27-3 稲富直賢の墓等

早稲田通り沿い、多くの寺が並んでいる一角にあります。臨済宗妙心寺派の寺院で、当初麹町四番町に創建されましたが、牛込神楽坂に移転後、明治41 (1909) 年に現在の地に移りました。門前に「さる」の石像があります。さる寺との呼び名は、元禄の頃4代目住職・徳門和尚が渡船に乗ろうとした時、猿に法衣を咥え引き止められたため、乗船できませんでしたが、その船が目の前で沈没したことから、猿のおかげで難を免れたという伝えがあるためです。また、松原寺は、山の手三十三観音霊場第2番札所、東京三十三観音霊場第19番札所となっています。

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

34ソウセイジ宗清寺

上高田1-27-6 水野忠徳の墓等

早稲田通り沿い、多くの寺が並んでいる一角にあります。曹洞宗のお寺で、山門前の石柱には「宗清寺通称なが寺又たつ寺と云」と刻まれています。宗清寺は大正2(1913)年に松雲寺と合併して、当時の東京府都市計画に伴い芝松坂町より現在の地に移転してきました。

35ホゼンジ保善寺

上高田1-31-2 依田家の墓等

早稲田通り沿い、多くの寺が並んでいる一角にあります。三代将軍家光が立ち寄って獅子のような猛犬を与えたことから、獅子寺とも呼ばれています。文禄2 (1593) 年、武田信玄の従弟に当たる和尚による開山で、以前は牛込通寺町にありましたが、明治39(1906)年に現在地に移転してきました。和尚は武田信玄の従弟に当たる関係から、信玄公家臣末裔(まつえい)の墓が多くあります。また、本堂正面の「獅子窟」の額は、江戸時代の高僧・月舟禅師(げっしゅう)の書です。

36キョウミョウジ境妙寺

上高田4-9-3

上高田4丁目周辺の神社仏閣等が集積している一角にあります。元は日蓮宗に属していましたが、元禄11(1698)年に天台宗に改宗しました。一説には、日蓮宗不受不施派弾圧によるものと言われています。高台にあるため、境内からは堂宇を眺めると背景に大きな空が広がりとても清々しい気持ちになります。安永年間には紀伊公邸霊堂の別当に命ぜられたことから今でも、本堂の瓦には葵の紋があり、徳川家ゆかりの寺などに見られる黒門が寺門となっています。

37サクラガイケ フドウソン桜ケ池不動尊

上高田4-32-3 耕地整理完成記念碑等

上高田4丁目周辺の神社仏閣等が集積している一角にあります。この辺りには昔から豊かに湧出する清水と不動様があり、村人はお不動様の清水、桜ヶ池の不動様と呼んで大切に守ってきました。江戸中期ごろから、榛名講、大山講などへの参拝のため、この清水で禊清めを行い道中の安全の祈願したとの伝承があります。現在も、豊かな清水が湧出し、多くの参拝者が訪れています。

38カミタカダヒカワジンジャ上高田氷川神社

上高田4-42-1 大神輿等

上高田4丁目周辺の神社仏閣等が集積している一角にあります。古くから上高田一円の鎮守社で、祭神は素戔嗚尊です。享徳2(1453)年に村人たちが武蔵大宮の氷川神社より勧請(かんじょう:分霊を他の神社に移すこと)したと言われています。また、現在は残っていませんが、長禄年間(1457~60)太田道灌がこの社に詣で、松一株を植栽したと伝えられています。都内でも有数の大神輿が見られる例祭日には、この土地に昔から伝わる「上高田囃子」が氏子によって奉納されています。

39トウコウジ東光寺

上高田5-21-5庚申塔(中野区登録有形文化財)、地蔵(中野区登録有形文化財)、聖観音等

上高田村に住む農民たちの菩提寺として江戸時代初期に創建されたと伝えられています。ご本尊は薬師如来です。寺院内にある寛文3(1663)年に作られた後背が舟の形をしている庚申塔は、地蔵とともに、中野区登録有形文化財となっています。また、豊島八十八ヶ所霊場87番札所となっています。

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

41アライテンジン キタノジンジャ新井天神 北野神社

新井4-14-3撫で牛、力石(中野区指定有形文化財)、稲荷神社等

新井にある北野神社の御祭神は、菅原道真公と保食神です。天正年間(1573~1591)には既に新井の里の鎮守でした。11月の酉の市では縁起物の熊手などが売られるため、多くのお客さんでにぎわいます。境内には、名前や重さが刻まれた十数個の「力石」があります。娯楽が少なかった時代、祭りの日に若者たちは大きな石を持ち上げて力を競い合い、持ち上げた石に重量や姓名を刻んで奉納しました。刻まれている銘文から二拾五貫目(約93kg)~四拾八貫目余(約180kg)の石を持ち上げて奉納していたことがわかります。力くらべの行事は、単なる娯楽ではありません。力石の多くが神社の境内にあることからも本来は神事儀礼であったと考えられます。重い石を持ち上げることにより社会に一人前として認められる、当時の通過儀礼のひとつだったようです。

42アライヤクシ バイショウイン新井薬師 梅照院

新井5-3-5地蔵2体、庚申塔、本堂再営供養塔(左記、全て中野登録有形文化財)等

新井薬師梅照院は中野区唯一の参詣寺院で、宗派は真言宗豊山派です。御本尊は、薬師如来と如意輪観音の二仏一体の黄金仏。鎌倉時代の代表的な武将・新田家代々の守護仏でした。鎌倉時代から南北朝にかけての戦乱の最中、御尊像は消えてしまいますが、天正14年(1586)に梅の木の穴から発見されました。それを安置するために新たに建立されたのが、この寺院だとされています。境内にある新井薬師再建供養塔は、新井薬師の再建に尽くした住職・運樹の業績と信徒の信仰心に応えるため、安永8年(1779)に後継者の英俊が高野山延命院の引導地蔵尊を模して建立したものです。また、梅照院は、徳川二代将軍秀忠の子・和子の方が失明した時、当薬師如来に祈願して治癒したことから、治眼薬師(ちがんやくし)と呼ばれています。毎月8のつく日には縁日が開かれ、賑わいを見せています。御府内八十八ケ所霊場第71番札所となっています。

43ヌマブクロヒカワジンジャ沼袋氷川神社

沼袋1-31-4

力石(中野区指定有形文化財)、燈籠(中野区指定有形文化財)、沼袋氷川神社の絵馬(中野区指定有形民俗文化財)、中野七福神、神楽殿、道灌杉等

沼袋の氷川神社は、正平年間(1346~1367) の頃、武蔵国の一の宮である埼玉県さいたま市(旧大宮市)の氷川神社から須佐之男命の分霊を奉祀したことで始まりました。太田道灌の戦勝祈願成就の古社として知られ、境内には道灌ゆかりの「道灌杉」をはじめ、御神木として祀られている「三本願い松」や福の神が一堂に会した「中野七福神」、また3回撫でると安産のご利益があると伝わる「子育て狛犬」などがあり、多くの信仰を集めています。

44ドウカンスギ道灌杉

沼袋1-31-4 沼袋氷川神社

沼袋の氷川神社内にある道灌杉は、文明9(1477)年4月、太田道灌と豊島泰経が江古田原沼袋で戦った際、道灌が境内に本陣を布き、社殿の前に杉の苗木を植え勝利を祈願したことからこの名で呼ばれるようになりました。名物になっていましたが、昭和19(1944)年頃に枯れてしまいました。この木がそびえ立っていた当時の写真を見ると、高さ30mに達する巨樹であったようです。

45テイゲンジ貞源寺

沼袋2-19-28阿弥陀如来立像(中野区指定有形文化財)等

沼袋2~4丁目周辺に寺院等が集積している一角にあります。慶長6(1601)年、徳川家康の信任の厚い三河国(愛知県東部)の東正寺の住職である春公上人(しゅんこうしょうにん)によって開かれた寺院です。家康が帰依していたことから、家康の天下取り後、江戸に招かれて開基しました。

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

46ゼンジョウイン禅定院

沼袋2-28-2庚申塔(中野区登録有形文化財)、薬師如来立像等

禅定院は沼袋2~4丁目周辺に寺院等が集積している一角にあります。南北朝時代の中期、貞治元(1362)年に開かれたと伝えられる真言宗豊山派の寺院です。山門をくぐると、区内では一番大きく樹齢600年といわれるイチョウの大木があります。また、春には色とりどりの見事な牡丹の花が見られます。御府内八十八ケ所霊場第48番札所、豊島八十八ケ所霊場第48番札所となっています。

47ヒャッカンノンメイジデラ百観音明治寺

沼袋2-28-20 百観音公園等

百観音明治寺は沼袋2~4丁目周辺に寺院等が集積している一角にあります。西国霊場三十三観音、板東三十三観音、秩父三十四観音をこの地で巡ることができる様、札所の本像を模した観音石像が配置されています。これは、草野栄照尼(くさのえいしょうに)が明治天皇のご病気の平癒を祈願するために観音像を祀ったことにはじまりました。東京三十三観音第20番札所となっています。

48セイコクジ清谷寺

沼袋3-21-7

十三仏板碑(中野区指定有形文化財)、六地蔵(中野区登録有形文化財)地蔵(中野区登録有形文化財)、庚申塔(中野区登録有形文化財)等

沼袋2~4丁目周辺に寺院等が集積している一角にあります。創建年代は不詳ですが、かつて地蔵堂屋敷だったものを一寺として興したと言われています。庭先には清谷寺の十三仏板碑は室町時代初期(1399)のもので、梵字により十三仏と菩薩が刻まれている十三仏板碑があります。石質は秩父から産出する緑泥片岩です。金剛界大日を主尊とし、右側上から胎蔵界大日・勢至・薬師・地蔵・文珠・不動、左側上から具足胎蔵界大日・阿弥陀・観音・弥勒・普賢・釈迦が刻まれ、中央に「応永六年巳卯十月十五日逆修心信結衆十敬白」と記されています。銘文から、約600年前に信仰の厚い人々が逆修供養のために造立したことがわかり、当時の民間信仰の一端が窺えます。逆修とは、造立者が生前にあらかじめ死後の供養を自ら行うこと。死後の菩提を弔う追善供養に比べて、はるかに功徳が勝っているという「七分全得」の教義に基づいたものといわれています。

50テツガクドウコウエン哲学堂公園

松が丘1-34-28

唯心庭、唯物園、四聖堂、六賢堂、無尽蔵、宇宙舘、絶対城等11棟(左記、全て中野区指定有形文化財)

妙正寺川のほとりにあり、東京都の名勝に指定されている文化財公園です。明治37年(1904)に哲学者の井上円了博士が、哲学をテーマに創設しました。園内には、孔子・釈迦・ソクラテス・カントを祀る「四聖堂」や、聖徳太子・菅原道真・荘子・朱子・龍樹・迦毘羅仙を祀る「六賢台」など、さまざまな古建築物があります。

51キタノジンジャ マツガオカ北野神社(松が丘)

松が丘2-27-1

松が丘の北野神社は「天満宮」とも呼ばれ、新編武蔵風土記稿にも掲載されている古い神社です。御祭神は菅原道真公で、学業成就、合格祈願、五穀豊穣、子孫繁栄などの御利益があるとされています。この神社では昔から「おびしゃ」(御歩射、備射)が行われてきました。弓で的を射てその年の農作物の豊凶を占う、春の神事です。いつ頃からか直会の宴(神事の最後に参加者全員で供物を飲食する行事)のような色合いが濃くなり、大正時代には日光の「強飯式」(山伏が大盛りにしたご飯を食べる行事)に似た行事に変わったそうです。2月の初午の日と秋の例祭の2回行われ、当番と両隣りの家が本膳を用意し、大人は祝いのうたを歌い、子どもは豊年祈願の文章を読むのが恒例でした。現在では行われなくなり、伝統を語る古老も少なくなってしまいました。

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

52エゴタ コセンジョウ ヒ江古田古戦場の碑

松が丘2-35 江古田公園

江古田公園

哲学堂公園から野方6丁目に至る新青梅街道沿い一帯で、享徳の乱(1454~1482)の最中の文明9(1477)年、太田道灌、豊嶋泰経らが激しい合戦を繰り広げました。この合戦がおきたことを示す碑が、江古田公園に建っています。享徳の乱は、古くからの豪族に支持された関東公方足利成氏と、太田氏が仕える関東管領上杉氏とが対立する中、結城・武田氏により管領上杉憲忠が殺害されたことがもとで起きました。この乱で関東は二分されました。そのとき江戸城を根拠地とした道灌は、武蔵国の領主たちを支配下にまとめて戦を有利に進める重要な役割を果たします。ここでの合戦は武蔵野を開発してきた豊嶋氏に代わり、太田氏が武蔵野支配を確立する上で大きな意味を持っていました。

53セイチヒ整地碑

松が丘2-36

写真の碑は、区画整理組合が河川改修、道路整備、土地、耕地の交換による区画整理などの事業を行った記念に建てた整地碑です。区画整理が行われたのは、「大東京市」を実現する都市計画のためです。日本資本主義が確立したといわれる日清・日露両戦争の頃に、東京の人口密集化と郊外の市街化に拍車がかかりました。特に関東大震災以降は、東京市と隣接する近郊との連携の取れた都市計画が必要となり、区画整理が行われました。こうした東京の広がりに対して、郊外側から整備を進めて対応した農村の区画整備事業の実態がよくわかります。この事業によって江戸時代からの農村の景観は大きく変化し、街の機能を持つ東京市の近郊農村へと生まれ変わりました。

54ノガタ ハイスイトウ野方配水塔

江古田1-3

野方配水塔は、みずのとう公園内にある荒玉水道の給水場につくられた塔です。荒玉水道は関東大震災後、東京市に隣接した町村の急激な都市化による水の需要に応じるため、13の町村が合同で設立しました。塔の高さは33.6メートル、基部の直径は約18メートルの鉄筋コンクリート造り。設計は「近代上水道の父」と呼ばれた中島鋭治博士によるものです。着工は昭和2(1927)年で完成は同4年。昭和41(1966)年まで使われていました。解体計画もありましたが、災害用給水槽として平成17(2005)年まで使われ、現在は国の登録有形文化財として大切に保存されています。ドーム型の屋根が、地域の特徴ある景観をかたちづくり、江古田の水道タンク・みずの塔・給水塔などと呼ばれ、地域のランドマークとして親しまれてきた東京近郊都市化のシンボルです。

55レンゲジ蓮華寺

江古田1-6-4

井上円了の墓(中野区登録有形文化財)、お腹こもり清正公、生髪鬼子母神、庚申塔、芭蕉塚、哲学堂動物霊園等

本尊は日朗の作とされる日蓮座像です。池上本門寺の末寺で、元は神奈川県星川村にありましたが、元文5(1740)年に現在地に移転したといわれています。境内の左側にある墓地には、哲学堂の創始者である井上円了の墓があります。その他、蓮華寺には、像の腹の中に小さな同型の像が納めてある「お腹こもり清正公」と言われる加藤清正像があり、その昔関東地方に天災地変がおこるたび、「身代わり清正公」と称して災難調服の祈願をされたと言われています。また、約7万人にのぼる女性から3本づつ提供受け、生髪を植え付けた生髪鬼子母神像(なまがみきしもじん)があります。

56イノウエエンリョウ ハカ井上円了の墓

江古田1-6-4 蓮華寺

江古田の蓮華寺には、井上円了の墓所があります。円了は安政5(1858)年、新潟県の寺に生まれ、哲学者・教育者として明治中頃から大正にかけ多彩な活動を繰り広げました。特に既成仏教の革新、キリスト教の批判や迷信打破の運動は、日本文化史に特筆されるものです。また哲学館(後の東洋大学)と哲学堂を創立し、円了が提唱する「護国愛理」をもとに学校教育と社会教育の振興を図りました。こうして国民道徳の普及と「考える人」の養成を目指し、国家への報恩を願ったそうです。円了は大正8(1919)年、巡回講演の旅行中に中国で病死し、蓮華寺の先々代住職と親交があったことにより当寺に葬られました。井桁の上に円形の石を置いて名前を表現した墓石は、生前の発意といわれています。

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

57トウフクジ東福寺

江古田3-9-15

徳川将軍御膳所跡、六地蔵(中野区登録有形文化財)、庚申塔2塔(中野区登録有形文化財)等

新義真言宗豊山派のお寺で、ご本尊は弘法大師の作と伝えられる不動明王です。東福寺は将軍家の御膳所(ごぜんしょ:休憩場所のこと)となったほどの格式の高い寺院で、三代将軍家光や、八代将軍吉宗が鷹狩をした時の休息場所として指定されていました。そのため旧本堂には「お成りの間」と呼ばれる一段高い部屋がありましたが、昭和40(1965)年に取り壊されてしまいました。その後、この事実を伝えるため現在は徳川将軍御膳所跡の碑が建てられています。御府内八十八ケ所霊場第2番札所となっています。

58エゴタ ヒカワジンジャ江古田氷川神社

江古田3-13-6

神楽殿(中野区指定有形文化財)、力石(中野区指定有形文化財)、江古田の獅子舞(東京都無形民俗文化財)等

江古田氷川神社は、寛正元(1460)年に素戔嗚尊(すさのおのみこと)をここに祭ったことに始まると伝えられています。神楽殿は、弘化4(1847)年に建立され、昭和7(1932)年まで本殿として使われていました。屋根は寄棟造りで、正面は四枚立ての引違い戸が入っています。内部は床面が板張りで、天井は色彩豊かな花鳥画が描かれた格天井になっています。同神社は神楽殿の他、同じく中野区認定観光資源に認定されている江古田獅子舞が有名です。

59キタエゴタ イセキ北江古田遺跡

江古田3-14

江古田の森公園の東側、つまり沼袋丘陵の東端一帯には、妙正寺川に沿って広がる低湿地遺跡の北江古田遺跡があり、縄文時代のほぼ全期の遺物が発掘されました。特に中期(約4500年前)に属する、貯蔵穴などに使われた土坑から、カゴやクルミなど貴重な遺物が出土しました。また祭祀に使われたと思われる一群の土器も注目され、その中には植物の繊維を撚ってタガをかけた、赤塗の珍しい浅鉢があります。このほかに、投網の先に付ける、土器の破片でつくったオモリ(土錘)が多量に発見されました。この時代の人々が植物や動物のほかに妙正寺川あたりの魚を獲って暮らしていたことが窺われます。

60

ノガタダイニコウエンニシ ジゾウ野方第二公園西の地蔵

野方2-14住宅街の小さな公園に、右側に子育て地蔵、左に庚申塔が置かれている祠があります。この二体の石仏は以前野方2丁目56番付近にありましたが、周囲の交通が激しくなってきたので、現在地に移転したものといわれています。

61ニジュウサンヤトウ二十三夜塔

野方3-7

二十三夜の碑は昭和初期、このあたりで疫病がはやったことがあり、祈祷師から以前にこの地にあったはずの二十三夜塔を再建するようにとのお告げにより、建てられたものと伝えられています。これは、この地に生活する人々の間に、二十三夜講(人々が集い、飲食を共にしながら十三夜の月を待ち無病息災を祈る行事)の行事があったことを示すものです。碑の隣にある祠の中には、太陽と月、青面金剛、三匹の猿、にわとりなどが彫られた庚申塔があり、台石には、「右中村道左さぎのみや道」と記され道しるべの役をはたしていました。バス通りに面した、三叉路にあります。

62ノガタマチヤクバ アト野方町役場跡

野方5-3-1

江戸末期、上・下鷺宮、上・下沼袋、新井、江古田、片山、上高田の各村は、野菜類の栽培を主とした江戸近在の農村でした。これらの村が明治22(1889)年に576戸で合併し、江戸時代の地域編成名「野方領」にちなんで野方村となりました。その後人口が増加し、関東大震災によりさらに急激に宅地化、大正13(1924)年には戸数約4000戸となり町制が敷かれました。野方の役場は村制時代には村長宅に置かれていましたが、後に町役場が設けられ、昭和4(1929)年に当時としては近代的な庁舎に建て替えられました。昭和7(1932)年に中野区制が敷かれるまで野方町役場があった場所には、写真の「野方WIZ・野方区民活動センター」があり、中庭の隅に記念碑が建てられています。

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

63ヤマトチョウハチマンジンジャ大和町八幡神社

大和町2-30-3

乃木希典直筆の忠魂碑、日露戦役記念碑、文政13(1830)年の丁髷・丸髷の狛犬、庚申塔(中野区登録有形文化財)、手洗鉢(中野区指定有形文化財)等

大和町八幡神社の御祭神は応神天皇で、永承年間(1046~53)源義家が奥州征伐の途中に陣を敷き、石清水八幡の遥拝所(ようはいしょ)を設け軍陣祭を行った跡地を、村人たちが義家の武勇を慕い、その跡に八幡社を建立したといわれています。社内には髷(ちょんまげ)・丸髷(まるまげ)の狛犬などがあります。

64フクゾウイン福蔵院

白鷺1-31-5

福蔵院十三仏、福蔵院五輪塔、庚申塔(中野区登録有形文化財)、十一面観音菩薩立像(中野区指定有形文化財)、難陀龍王立像(中野区指定有形文化財)、雨宝童子立像(中野区指定有形文化財)、地蔵(中野区登録有形文化財)等

福蔵院は真言宗豊山派の寺院で、僧頼珍が大永元(1521)年に創建したとされています。江戸時代には隣接する鷺宮八幡神社の別当寺を務めていました。御府内八十八ヶ所霊場の十四番札所です。山門をくぐった右側には、不動明王(初七日)、釈迦如来(二七日)、文珠菩薩(三七日)、普賢菩薩(四七日)など、石造の十三仏があります。この十三仏は死後の忌日をつかさどるもので、冥界で生前の審判を受ける死者の救済を願って江戸初期のころ奉られたものです。

65サギノミヤハチマンジンジャ鷺宮八幡神社

白鷺1-31-10

稲荷神社・御嶽神社・八雲神社・北野神社・粟島神社・疱瘡神社の6社が祀られている支社、日露戦役祈念碑、鳥居(中野区指定有形文化財)、力石(中野区指定有形文化財)等

鷺宮八幡神社の創建は康平7(1064)年。源頼義が東国平定後、鎌倉街道に面した当地に社殿を建て、八幡神の御神霊を奉祀したのが始めであると伝えられています。かつて境内には鷺が多く住んでいて、里人はこの神社を「鷺宮大明神」と呼ぶようになりました。これが一帯の地名「鷺宮」の由来になったそうです。慶安2(1648)年以降に江戸幕府から御朱印7石余を寄進されており、中野区においては唯一の、朱印を付与された神社となっています。また本殿の左手には、稲荷神社・御嶽神社・八雲神社・北野神社・粟島神社・疱瘡神社の六社が祀られている支社があります。

66ミタケジンジャ御嶽神社

鷺宮5-12

鷺ノ宮駅北口から中杉通り沿いに進み、新青梅街道を左に折れ400mほど進むと右側に小さな祠が見えます。ここは「つげの木地蔵」と言って、昭和20(1945)年ごろまで大きなつげの木が地蔵を覆うほどに生えていたことからそのように呼ばれていたようです。新青梅街道を南西に300メートルほど向かっていくと、両側に石仏が建っている十字路にでます。右手に曲がると、すぐに御嶽神社が目に入ります。その手前脇にある地蔵には、宝暦9(1759)年銘と書かれており、施主の上鷺宮村の大野弥三郎が、子どもが育たないのでこの社を建てたといわれていることから「子育て地蔵」の名で親しまれています。

67スギヤマコウエン杉山公園

本町6-15 杉山地蔵尊等

東京メトロ新中野駅のすぐそばにある公園で、青梅街道と中野通りの交差付近にあり、広さが面積約1,295㎡あります。かつて、ここは北海道開拓に携わった明治の実業家、杉山栽吉の邸宅でした。公園の一角には杉山にちなむ親子三体の「杉並地蔵尊」を彫った石碑が立てられています。

 自然・景観

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

68シロヤマコウエン城山公園

中野1-44 東京府立農事試験場跡等中野中学校やもみじやま保育園の近くにある公園です。園内は運動ができる広場と、遊具があるスペースに分かれています。遊具はブランコやすべり台、複合遊具やスプリング遊具、砂場など。たくさんの緑に囲まれているのも魅力のひとつです。

69モミジヤマコウエン紅葉山公園

中野2-5

中野区による東京百年記念事業の一環としてできた公園で、なかのZERO(もみじ山文化センター)に隣接しています。大正時代は私有地で、もみじが多く植えられていたことから「紅葉山」と呼ばれており、それが公園名になっています。園内にはさまざまな樹木、遊具、池などがあり、付近には蒸気機関車の展示もあります。

70ナカノシキ モリコウエン中野四季の森公園

中野4-12、4-13

中野4丁目の警察大学校等跡地にできた再開発地域「中野四季の都市」の中央部に位置する防災公園です。大規模災害に対応できるよう、防災施設が備わっています。近隣のオフィスビルで働く人や大学生など、さまざまな層に利用されています。「中野にぎわいフェスタ」などのイベントでは、多くの人々でにぎわいます。

71ヘイワ モリコウエン平和の森公園

新井3-37多目的運動広場、中野刑務所跡等

区内でも有数の大きさを誇る防災公園です。再整備により約6,900㎡の多目的運動広場があります。また「平和の森」の園名にふさわしく、公園西側妙正寺川沿いには広島・長崎からの記念樹が植えられています。

72アライヤクシコウエン新井薬師公園

新井4-15、5-4 ひょうたん池等

中野通りをはさんで新井4丁目と5丁目にまたがっている公園です。4丁目の敷地には大きな池があり、散歩コースに最適。5丁目の敷地は、新井薬師梅照院に隣接しています。毎年春には「中野通り桜まつり」の会場になり、また夏季に開設されるじゃぶじゃぶ池は、子どもたちに大人気です。

73マルヤマヅカコウエン丸山塚公園

沼袋2-40

江古田小学校や緑野小学校の近くにある公園で、ブランコやすべり台、鉄棒などの遊具があります。夏には涼しげな木陰をつくり秋には美しく色づく大きなケヤキが、園内に立ち並んでいるのもポイントです。公園の片隅に太田道灌と豊島泰経が戦った江古田ヶ原・沼袋の戦の犠牲者を祀る豊島二百柱社があります。沼袋区民活動センター・障害者福祉会館に隣接しています。

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

74エゴタコウエン江古田公園

松が丘2-29、2-35

江古田古戦場の碑等

敷地の中央に川が流れ、2つに分割された公園です。北側には広場と子ども向けの遊具があり、親子で運動することができます。南側には樹木が茂り、緑を楽しむことができます。またこの公園には江古田ヶ原・沼袋古戦場の碑が建っており、文明9(1477)年に太田道灌と豊嶋泰経らが激戦を繰り広げた場所であることが示されています。

75エハラヤシキモリリョクチ江原屋敷森緑地

江原町3-32目白通りから一歩入ったところに、緑豊かな散策スポットとして、江原屋敷森緑地があります。この地は江戸時代から続く旧家の庭の一部を、都市の自然的環境の保全ならびに改善、都市景観の向上を図るために設けられる都市計画緑地として中野区が整備しました。

76.コウエンみずのとう公園

江古田1-3 野方配水塔等みずのとう公園には、ドーム型の屋根が特徴の地域のランドマークとして親しまれてきた野方配水塔があります。

77

エゴタ ショクブツ江古田植物カセキソウハッケン チ化石層発見の地

江古田1-43

江古田植物化石層は、江古田川や妙正寺川の流域に広がる最終氷河期(16000~11000年前・先土器時代)の植物化石を多数含んでいます。江古田1丁目付近では地下2m前後にある厚さ2mほどの土層です。昭和11(1936)年、新青梅街道の江古田大橋付近で水道管埋設工事が行われた際、当時江古田(現・松が丘1丁目)に住んでいた早稲田大学の直良信夫博士が発見しました。江古田植物化石層には、カラマツ、チョウセンゴヨウ、トウヒなどの針葉樹の化石が含まれていることから、当時は今よりも5~10度も気温が低く、寒冷な気候だったことがわかりました。東橋付近では、昭和29(1954)年に野生稲の種子や、キツツキやカミキリムシの食い跡がある樹木の化石が見つかっています。

78エゴタ モリコウエン江古田の森公園

江古田3-14 北江古田遺跡等

旧北江古田公園が区域と名称を変更し、平成19(2007)年に開園した新しい公園です。旧国立療養所中野病院跡地の既存樹林を生かし、保健福祉施設とも調和した、中野区北部の防災公園となっています。園内には芝生広場、多目的広場、保存樹林、池(ビオトープ)などがあり、豊かな自然に親しむことができます。

79ショウユヤ キ醤油屋のしいの木

江古田4-3-4 中野区立歴史民俗資料館

歴史民俗資料館に続く敷地には、都内では珍しいくらいの大木で中野区指定文化財となっている樹齢おおよそ500年のしいの木があります。歴史民俗資料館の土地を区に寄贈された山﨑氏が、かつて醤油の製造販売業を営んでいたことから「醤油屋のしいの木」と呼ばれ、多くの人に親しまれてきました。

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

80モモゾノガワリョクドウ桃園川緑道

中央1-50 宮前公園等

杉並区に源を発した旧桃園川は現在暗渠化されており、杉並区から中野区にかけて、約2.3キロの遊歩道となっています。中野区内は大久保通りと並行して走り、神田川につきあたるまで続いています。緑道には様々な樹木や草花が植えられており、1年中植物が楽しめる美しい公園となっています。また、様々な趣向が凝らされており、水辺の動植物や昔話がタイルで表現されていたり、児童公園があったり、モニュメントなどがあったり。植物の写真を撮ったり、毎朝のウォーキングをしたり、子供とモニュメントやタイル絵を探しに行ったり・・と楽しみが尽きなさそうです。細くてかわいらしい道・・緑に囲まれ花々があふれる道はちょっと隠しておきたいような秘密の小道と言った風情もあります。途中には緑に囲まれたカフェ・モモガルデンもあり、ほっと一息のお楽しみも。堀越学園などの学校もいくつかあり、地図を片手にお散歩を楽しめること間違いなしです。末広橋で神田川に合流。南北に続く神田川四季の道も緑あふれる緑道になっています。

81オイワケ追分

中央4-7

青梅街道から斜めに北に入り中野通りにつながる道は、かつて大きな道の分かれるところを指す「追分」の地名で呼ばれていました。現在の追分公園の前の道は、江戸時代には石神井道と呼ばれ、青梅街道からここで分かれて北上し鷺宮で現在の新青梅街道と合流する、江戸と西郊の村々をつなぐ道でした。幅2間(約3.6m)の道に、野菜や肥料を積んだ荷車が行き交い、追分は人々で賑わいました。明治以降は近辺に映画館なども建ち、繁華街ができました。杉並区の高井戸からこの追分へ出てさらに板橋へ至る中世の古道、鎌倉街道があったとする江戸時代の文献もあり、この辺りが古くから交通の要衝の地であったことが窺われます。

82シンドウバシ新道橋

新井3-38、4-32

新道橋は、沼袋駅の南口から平和の森公園に向かう途中、妙正寺川に架かる橋です。江戸時代、このあたりで取れた赤蛙が食材として幕府に上納されていたことから、漢方薬の材料として用いられていたという言い伝えがあります。それにちなんで、この新道橋には蛙の絵が橋の欄干などに描かれています。

83バシオリーブ橋

若宮3-57、白鷺1-14

オリーブ橋は、小説「二十四の瞳」の作者・壷井栄が近くに住んでいた縁で、小説の舞台・小豆島にちなんで名づけられた妙正寺川に架かる橋です。この付近の妙正寺川沿いは、ウォーキングコースとしてもお勧めです。

84かせいチャンモニュメント

若宮3-16(都立家政商店街)

都立家政商店街振興組合が平成14年に商店街の新しい街路灯と道路舗装が完成したのを記念し、漫画家のちば てつや氏に依頼して誕生しました。モニュメントは、平成23年7月「かせいチャン」の誕生10周年を記念して、製作されたものです。さまざまなイベントに合わせ衣装を身に着けるなど、地域に愛されるキャラクターとなっています。

 みち・街並み

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

85イシモリセイフン イシウス石森製粉の石臼

本町1-32-27

その昔、神田川の水力と青梅街道の物流が交差する中野坂上付近では製粉業が発展し、幕末から大正のはじめにかけて6社が製粉業を営んでいたといわれています。その中でも石森製粉は現在まで存続し、そば粉の製造販売を行っています。東京メトロ中野坂上駅近くの本社正面には、大きな石臼が残されており、以前青梅街道沿いにあった製粉業の名残を感じさせます。

86

ヤママサショウユジョウゾウジョ山政醤油醸造所 アサダショウユ ベイ(浅田醤油)レンガ塀

中央2-32

明治から大正にかけて、青梅街道沿いには多くの産業が栄えていたと言います。山政家は当時の中野の資産家で、この土地で醤油醸造所を営んでいました。広大な施設であったらしく、このレンガ塀の辺りから青梅街道を越えた桃園小学校辺りまで続いたと言われています。醸造所の創業は明治5(1872))年、このレンガの塀は明治32(1899)年に建てられたもの。セメントがなかった時代の初期の洋風レンガの構造物で、石灰や海藻、砂などで固める日本古来の漆喰の技術に、レンガを交互に重ねていくフランス積という工法を組み合わせたものとなっています。醤油の醸造は当時、味噌の醸造やそば粉の製造とともに中野の中心的な産業でした。中野で醤油が醸造されていたなんて不思議な気がしますが、中野近くの新青梅街道の西落合(新宿区)にはごま油の製造所跡もあり、当時はこのあたりはそういった食品産業の中心でした。当時の面影を想像しながら歩くのもまた楽しい中野散歩です。

87イシウスヅカ石臼塚

中央2-33-3 宝仙寺

中野区でも屈指の広大な寺院である宝仙寺内には、中野区指定有形文化財となっている文化財が多くあります。その文化財のひとつが、石臼塚です。昔この辺りは製粉業が盛んでしたが、機械化が進むにつれ使われなくなった石臼が放置されていました。この石臼塚は、当時の宝仙寺住職が石臼を大切に供養すべきであるとして、境内に建てたものです。

商業施設

88

ナカノ中野ブロードウェイショウテンガイ商店街、ナカノ中野サンモールショウテンガイ商店街

中野5-52-15(ブロードウェイ)中野5-67-1(サンモール)

中野ブロードウェイ商店街は昭和41(1966)年にオープンした商業施設です。地下1階と地上4階まで約300件に及ぶ店舗が営業しており、生鮮食品から衣料品、マニア向けグッズまで多くの店舗が集結しています。中野サンモール商店街はJR中野駅北口を降りてすぐ、個性的なモニュメントが際立つアーケードの中に100店舗以上店舗が連なる商店街です。両者が相乗効果を発揮して、平日の来客数は約2〜4万人、土日では約3〜5万人。年間で約1千万人にものぼる中野を代表する商店街です。

89ウメワカノウガクガクインカイカン梅若能楽学院会館

東中野2-6-14

初心者でも能の謡や仕舞を習える各種学校で、見学・入学は随時受付中。8月を除く第3日曜には能公演が開催され、誰でも気軽に普段着で鑑賞できます。舞台建築や能面、衣装、鼓の音の美しさなどを体感しながら、日本文化の粋を味わって。能楽堂には日の光が差し込み、季節や時間帯によって舞台の印象が変わります。

 商業施設(工場跡等)

 芸術・文化

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90カンダガワカヒ神田川歌碑

中央1-13-9

桃園川緑道を新宿方面に歩いていくと、神田川と交わる末広橋にたどりつきます。この橋のたもとには、昭和48(1973)年に南こうせつとかぐや姫が歌い160万枚のセールスを記録する大ヒットとなった『神田川』の歌碑が置かれおり、作詞者喜多條忠、作曲者南こうせつの名前と一番の歌詞が刻まれています。

91 なかのZERO 中野2-9-7プラネタリウム、中央図書館等

中野区の生涯学習の拠点として、コンサートや講演会に利用できる大ホール、小ホールや、多目的練習室、学習室など多彩な機能・設備を備えています。 また、プラネタリウムや生涯学習に関する情報の提供や相談業務を行う「生涯学習活動・支援コーナー」もあります。

92 ポケットスクウェア中野3-21、3-22

ザ・ポケット、劇場MOMO、テアトルBONBON、劇場HOPE

JR中野駅すぐそばにある小規模な劇場(ザ・ポケット、劇場MOMO、テアトルBONBON、劇場HOPE)館集積した「ポケットスクエア」と呼ばれる劇場群です。小劇場ながらも「観やすさ」「使いやすさ」にこだわり、すべての劇場がハイクオリティな設備がそろっているため、多くの劇団から支持されています。

93 中野サンプラザ 中野4-1-1

ホテル、結婚式場、コンサート会場、大規模イベントホール、カルチャーセンター、スポーツ施設(テニス、フィットネス、プール、ボーリング場)、レストラン等さまざまな機能がある施設です。なかでもコンサートホールは音響家が選ぶ優良ホール100選に選ばれており、数多くのアーティストのコンサートが開催されています。

94ゲイノウショウゲキジョウなかの芸能小劇場

中野5-68-7 スマイルなかの2階

座席数は110席、客席最後部から舞台まで9mと近いため、ライブのような一体感のある空間が楽しめます。邦楽・日本舞踊のほか、落語やお笑いライブ、朗読会・演劇公演・講演会など多目的に活用されている施設です。 多くの芸人がなかの芸能小劇場でのライブを経験しており、次代のスターを発掘する場でもあります。

95ウタハッショウ チ「たきび」の歌発祥の地

上高田3-26-17

西武新宿線新井薬師駅の南、上高田3丁目にひときわ目立つ長い竹の垣根を持つお屋敷があります。ここは「たきび」のうた発祥の地。「かきねのかきねのまがりかど~」という歌詞のように、当時の面影を残す長い垣根と広いお屋敷には、堂々とした見事な欅の大木もあり、圧倒されるほど。「たきび」のうたを作詞した巽聖歌(たつみせいか)がこの地に住み、このあたりを散歩しながら作詞したと考えられています。

 

化施設

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

97

ヤマザキキネン ナカノクリツ山﨑記念中野区立レキシミンゾクシリョウカン歴史民俗資料館

江古田4-3-4醤油屋のしいの木(中野区指定記念物)、山﨑家の庭園、茶室、書院等

中野区立歴史民俗資料館は、郷土の文化遺産を保存し、展示活用していくことを目的として、平成元(1989)年に開設されました。同館が建っている場所は、かつて文化人の社交クラブである「ポプラ俱楽部」のテニスコートがあったところです。昭和59(1984)年に名誉都民である山﨑喜作氏から土地を寄贈され、建設されました。同館には常設展示室と特別展示室、企画展示室の3つの展示室があります。常設展示室ではさまざまな物品や再現ジオラマなどを展示し、原始から現代までの中野の歴史を知ることができます。特別展示室と企画展示室では年に3、4回、テーマを変えて様々なものを展示しています。また中野の歴史に関する様々な刊行物を閲覧、購入することもできます。さらに歴史民俗資料館に続く敷地には、都内では珍しいくらいの大木で中野区指定文化財となっている樹齢おおよそ500年のしいの木があります。

98ナカノタイイクカン中野体育館

中野4-11-14

各種の室内競技に対応できるスポーツ施設として、昭和45(1970)年に開館しました。テニス、バスケットボール、バレーボールは各2面、バドミントン、パドルテニスは各8面とれるなど、さまざまな室内競技に対応できるスポーツ施設として、多くのスポーツ大会が開催されています。

99

ヘイワ モリコウエン タモクテキウンドウヒロバ平和の森公園多目的運動広場

新井3-37 平和の森公園

平和の森公園内には、多目的運動広場があります。広さ約6,900㎡で人工芝の運動広場となります。団体登録をすることで練習・試合などの利用ができる一方、予約の入ってない時間帯や毎週水曜日と土曜日の13時から閉園までは自由利用となり、譲り合ってボール遊びや運動が行えます。

100テツガクドウ ウンドウシセツ哲学堂運動施設

松が丘1-34-28 哲学堂公園

哲学堂運動施設は、明治37年(1904)に哲学者の井上円了博士が、哲学をテーマに創設した公園に併設しています。 野球場、テニスコート、弓道場などを備えており、老若男女問わず多くのスポーツ愛好者に利用されています。

101 ミソあぶまた味噌

本町3-32-19

青梅街道が生産地と消費地を結ぶ重要な役割を果たしていた明治時代、この地は農産物の集散地として発展を遂げ、みそ、しょうゆ、ソバなど、地の利を活かした製造所が点在するにぎやかな場所でした。 あぶまた味噌は江戸時代から続く『江戸甘みそ』の醸造メーカーで、青梅街道沿いの地場産業であった醸造業の中で現在も創業する数少ない企業です。東京都から「東京都地域特産品認証食品」にも認証されています。

102

ナベヨコモナカ鍋横最中タマヤ(むさしの玉屋)

本町4-30-14「鍋横最中」は、鍋の中にあんこを入れ、「ぎゅうひ」をのせ蓋をするという、鍋そのものの形を模したユニークな形で、味はこしあん、つぶあん、黒ごまあんの3種類です。「鍋横最中」は中野の逸品グランプリ2008で最優秀逸品賞を受賞しています。

 運動施設

 食・特産品

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

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ハナうの花ジングウトウフソウホンテン(神宮豆腐総本店)

中央4-1-20

人参、ネギ、ゴボウなど栄養満点、地域に愛される「うの花」。すこし甘めの「うの花」は、おからの湿り具合を見極め、毎回量を調節しながらちょうどいいしっとりふんわり感での家庭の味を醸し出しています。 「うの花」は中野の逸品グランプリ2011のおみやげ部門で第3位を受賞しています。

アップルパイ(PINの店)

しっとりサクサクとしたパイ生地と、シャキッとした長野産のリンゴの食感がたまりません。くるみが入っているのが特徴です。「アップルパイ」は中野の逸品グランプリ2015のおみやげ部門でグランプリを受賞しています。

ジンジャ―入りバナナブレッド(PINの店)

ケーキに匹敵! バナナブレッドバナナにジンジャー、シナモンを加え、しっとりおしゃれな味わい。生クリーム、ブルーベリージャム、ハチミツなどのトッピングが合います。「バナナブレッド」は中野の逸品グランプリ2013のおみやげ部門で第3位を受賞しています。

105

コウギョクマン黄玉満 コゲツドウ(虎月堂)

中央5-40-15-103

従来の栗まんじゅうのイメージを一新させる、品質のよい大きな栗がまるごと1個入った、食べ応えのある栗まんじゅうです。長年に渡って良質の栗を仕入れ加工している一業者との信頼関係に支えられ、この質の良い栗の供給を維持しています。「黄玉満」は中野の逸品グランプリ2009で最優秀逸品賞を受賞しています。

106

カキ タネ柿の種トコロ(かきもち処 はやしや)

東中野3-1-1

原材料の米は東北地方の一級米から極力有機栽培のものを厳選し自社で研いでいます。ふっくら、サクッの歯ごたえは、通常のお米ではなく「もち米」を使用しているから。柿の種の常識を覆す食感、ひと味違う柿の種です。「柿の種」は中野の逸品グランプリ2008で最優秀逸品賞を受賞しています。

107

トクセイホソメン特製細麺トマトつけスパゲッティー(ビストログラート)

東中野4-9-1 第一元太ビル 1F

パスタ料理なのに、スープにつけていただくつけ麺スタイルの新しいスパゲッティーです。野菜の甘みがスープに溶け込み、割りスープだけでも美味しくいただけます。「特製細麺トマトつけスパゲッティ―」は中野の逸品グランプリ2012で食いしんぼ部門で第1位を受賞しています。

104中央5-1-2 伊藤ビル 1F

 

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資源名NO 写真詳細同一敷地内の他の資源所在地

108イリュージョンのナポリタン(Bar ILLUSIONS)

中野2-12-11 飯尾ビルB1F

もちもちした生パスタに厚切りベーコンの旨みと酸味がマイルドなオリジナルトマトソースが絡み合うナポリタン。お酒と一緒に楽しみたい一品です。 「イリュージョンのナポリタン」は中野の逸品グランプリ2011で食いしんぼ部門で第1位を受賞しています。

109ごぼうポタージュのオムライス(kurumari)

中野2-28-1 中野JMビル 2F

くせになるおいしさ「ごぼうポタージュのオムライス」ごぼうの味と香りが生きたポタージュと、卵、ライスとのバランスが絶妙。マイルドでありながらくどくなり過ぎず、くせになるおいしさです。「ごぼうポタージュのオムライス」は中野の逸品グランプリ2013の食いしんぼ部門で第1位を受賞しています。

110いちごのトライフル(クロシェットカフェ)

中野4-3-1 なかのサンクォーレ1F

絶妙なハーモニー「いちごのトライフル」スポンジにスライスしたアイスを重ねました。ココアの苦味、いちごの酸味で深い味わい。いちごの旬が終わるとミックスベリーを使用します。「いちごのトライフル」は中野の逸品グランプリ2013で食いしんぼ部門で第2位を受賞しています。

111

フカカラ深辛チキンカレー(BAR&RESTAURANT 天)

中野5-36-1

「深辛チキンカレー」は、辛さの中に深い味わいあり、スパイスの香り高いカレーです。十種類以上のスパイスをブレンドし、野菜や果物からの旨みが溶けだしたルーに大ぶりのチキンがのっています。「深辛チキンカレー」は中野の逸品グランプリ2011の食いしんぼ部門で第3位を受賞しています。

112

ニク肉まんテヅク テンシン アシタ(手作り点心また明日。)

中野5-52-15 中野ブロードウェイB1

ジューシーだけどあっさり「肉まん」厚めのモチモチ皮にジューシーな具。ボリュームたっぷりなのにクドくない肉まんです。店長が長年の感覚で練る生地は、毎日微妙に味が違うそう。「肉まん」は中野の逸品グランプリ2013のおみやげ部門で第2位を受賞しています。

113

クンセイうなぎ燻製ミハル(味治)

中野5-57-10

中野でうなぎの名店、と知られたうなぎ串焼き店の味を受け継いだ「うなぎの燻製」です。うなぎの旨みがのった脂にちょうどいい塩加減、皮部分の歯ごたえは、お酒はもちろんビールやワインにも合ううまさです。「うなぎ燻製」は中野の逸品グランプリ2010で最優秀逸品賞を受賞しています。

 

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マルラーメン コテ丸ヤクシ オオバン(薬師の大番)

上高田3-41−3 共同ビル1F

ラーメン激戦区の中野で、地元の方から愛される「ラーメン コテ丸」は、濃厚なのに後味スッキリな豚骨スープ、店主の心温まるトークも併せての一品です。 「ラーメン コテ丸」は中野の逸品グランプリ2011の食いしんぼ部門で第2位を受賞しています。

115キャロットケーキ(Kyle’s Good Finds)

新井2-7-10 サンハイツ中野

ヘルシーなにんじんと数種類の自家挽きスパイス、フルーツが入ってしっとりふっくら。キャロットケーキを覆うクリームチーズもたっぷりな本格アメリカンケーキです。 「キャロットケーキ」は中野の逸品グランプリ2008の最優秀逸品賞を受賞しています。

116つけそば メンサイボウ(麺彩房)

新井3-6-7豚骨と鶏のベースにした濃い目の汁と固く太めの麺がよく合います。製麺屋が作る麺だけあって、麺はしこしこ、つるっと、麺の美味しさが十分堪能できます。 「つけそば」は中野の逸品グランプリ2010の最優秀逸品賞を受賞しています。

ヌマ沼チョコテヅクリカシ(手作り菓子 アビニヨン)

チョコレートのスポンジ生地に、クルミが入ったアーモンドクリームと、二層のチョコレートクリームがサンドされ、しっとりふわふわ、スイスから取り寄せた3種類のチョコレートがブレンドされた濃厚な味が楽しめます。「沼チョコ」は中野の逸品グランプリ2009で最優秀逸品賞を受賞しています。

オウサマ王様ポテトテヅクリカシ(手作り菓子 アビニヨン)

サツマイモの生地はしっとり、でもふっくらなめらか。サツマイモそのものの味や甘みが感じられる、シンプルかつ奥の深い一品です。「王様ポテト」は中野の逸品グランプリ2011のおみやげ部門で第1位賞を受賞しています。

 

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沼袋1-37-11

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オモ デ思い出プリンテヅクリカシ(手作り菓子 アビニヨン)

卵と牛乳の旨みが、ギュッと凝縮したプリンです。濃厚な味わいは、手でつまんでも黄身が割れないくらい新鮮な卵を使用しているから。プリンの美味しさを改めて感じられます。「思い出プリン」は中野の逸品グランプリ2012のおみやげ部門で第1位を受賞しています。

バンブー テヅクリカシ(手作り菓子 アビニヨン)

サクサク上品な風味「バンブー」カスタードクリームを詰めたパイコルネ。甘さ控えめメープルシロップでコーティングした、時間が経ってもサクサクの食感と、上品な風味が秀逸です。「バンブー」は中野の逸品グランプリ2013おみやげ部門で第1位を受賞しています。

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ジカセイ  テヅク自家製手造りメンチカツナカジマヤセイニクテン(中島屋精肉店)

若宮1-27-9

玉ねぎのシャキシャキとした歯ごたえと、サクッと揚がった衣との食感がたまらない。入間ポークをふんだんに使用したジューシーでソース無しでもおいしいメンチカツです。「自家製手造りメンチカツ」は中野の逸品グランプリ2012おみやげ部門で第2位を受賞しています。

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中野ナカノ

みやげ噺ハナシ

(フランス菓子カシ

ふじの

木キ

) ※現在閉店中

若宮3-17-6

柚子やオレンジの風味のするケーキや、ガレットやフィナンシェなど、14種類の焼き菓子に中野の歴史や地名にちなんだ名前がつけられています。お菓子を食べて中野のまちめぐりを楽しんでみて。「中野みやげ噺」は中野の逸品グランプリ2011おみやげ部門で第2位を受賞しています。

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ナマ生フルーツゼリー(フルーツパーラー サンフルール)

鷺宮3-1-16 第5ヒラノビル1階

ツルン、トロンの食感と、旬な季節の生のフルーツがぎっしり。控えめな甘さだから、フルーツの味が活きています。「生フルーツゼリー」は中野の逸品グランプリ2010で最優秀逸品賞を受賞しています。

 

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123ナカノクデントウコウゲイテン中野区伝統工芸展

中野2-9-7(会場)

中野区伝統工芸展は、中野区伝統工芸保存会が主催する、区内在住の伝統工芸職人などが匠の技を実演し、使う程に美しさと愛着の増す工芸品の魅力の数々を紹介する催しです。例年6月上旬に開催されており、令和元(2019)年度には第28回を迎えるほど歴史があります。中野区伝統工芸保存会は展示会の他、伝統工芸の体験講座の開催や、中学生へ伝承する活動をおこなっています。

124ナカノ中野チャンプルーフェスタ

中野4-1付近(会場)

沖縄伝統芸能”エイサー”を中心としていろいろなものをチャンプルー(ごちゃ混ぜ)したプログラムが楽しめる中野駅北口を中心としたお祭りで、中野駅北口路地裏などで繰り広げられるエイサー隊の練り歩きが特徴です。平成18(2006)年度、東京都主催の第2回東京商店街グランプリを受賞しました。 毎年7月中旬に中野サンプラザ前をメイン会場として開催されます。

125

トウホクフッコウダイサイテン東北復興大祭典なかの

中野4-1付近(会場)

東日本大震災及び熊本地震で被災された地域への継続的な復興支援をするとともに、地域振興を推進することを目的に、平成24年度から開催されているイベントです。東北6県及び熊本県の特産品、グルメの販売や、ねぶたの運行をはじめとする東北絆まつり関係市の観光や文化などを紹介しています。平成30年度は2日間で延約28万人を集客する大規模イベントとなりました。令和元年度は10月下旬に中野サンプラザ前をメイン会場として開催されます。

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キソウテンガイ起創展街ナカノ中野にぎわいフェスタ

中野4-13付近(会場)

中野駅周辺を会場として毎年10月に開催される大型イベントです。中野が持っている特有の個性や魅力を発信するため、老若男女が楽しめる企画が多く、東京の新しい顔としてのにぎわいを創出しています。年々会場・イベント数を増やし、多彩な魅力を発信するイベントへと発展し、平成30(2018)年度の来場者数は約6万2500人となるなど、多くの人が訪れています。

127ナカノ トオ サクラ中野通り桜まつり

中野通り、新井5-4、4-15など(会場)

毎年4月初めに、中野駅北口から新青梅街道(哲学堂付近)まで、約2km、約300本の桜並木を楽しむため、新井薬師公園を会場とし、多種多様なイベントが開催されます。中野通りを両側から覆いかぶさるように咲く姿は、まるで桜のトンネルです。 また、さくら色の提灯でライトアップし夜桜も楽しめるようになっています。

128エゴタシシマイ江古田獅子舞

江古田3-13-6 江古田氷川神社

江古田獅子舞は中野区指定無形民俗文化財に指定されていて、古より病魔退散の祈とうに演じられ、徳川三代将軍家光の上覧にも供したと伝えられています。現在では10月第1日曜の例祭日に、江古田氷川神社の神楽殿の前で江古田獅子舞保存会の人々により奉納されています。平成29(2017)年2月に東京都指定無形民俗文化財にも指定されました。

 まつり・集客イベント

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129サギノミヤバヤシ鷺宮囃子

白鷺1-31-5 福蔵院内(鷺宮噺子保存会)

鷺宮囃子は江戸の末期頃から鷺宮の地域に伝わるもので、笛・太鼓、小太鼓、鉦の5人で演奏されるのが一般的で、中野区登録無形民俗文化財に指定されています。毎年福蔵院で行われる節分などの行事の際に披露されています。