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‐2011.11.11‐ 6 セントラルパークにある池から望む美しい貴婦人、“ザ・プラザ”。1907年に建築された19階建てのランド マーク的存在のホテルで、ニューヨーク市の歴史的建造物に指定されている ザ・プラザ The Plaza 世界にはまだまだ日本人が訪れていないホテルがある。このコーナー ではホテリエが知っておくべき「世界のリーディングホテル」を紹介する。 これまで多くのホテル紹介本が出版されてきたが、そのほとんどが現 地のホテルと事前に取材の連絡を取り合い、プロのカメラマンや通訳、 そのほか大勢を連れ立っての大名取材であり、宿泊は省略といったこ とも多々であった。本連載では、著者自身が長年にわたる個人旅行中 に自分の目で感じ取り、コメントを書き込み、自分のカメラで思いのま まを撮ってきた写真を掲載する。 ※本連載は毎月2・4週号掲載 世界のリーディングホテル VOL11 筆者 小原康裕 ホテルジャーナリスト。慶応義塾大学法学部 法律学科卒。74年Munich Re入社。85年 築地原健㈱代表取締役。2001年投資顧問 会社原健設立、代表取締役CEO。 ※現在、著者のホームページで「世界のリー ディングホテル」を連載中。多くの美しい写 真と興味深いコメントで、世界中のホテルと それら関連都市を紹介。ホテルだけにとど まらず、オリエントエクスプレスなど鉄道関係 の掲載、季節刊行で世界遺産の案内などさ まざまな情報が得られる。 www.jhrca.com/worldhotel セントラルパーク側にある超高級レジデ ンスのエントランス。アテンダントの紳士 が常時待機している グランドアーミープラザに建つ“シャーマン将軍と女神像”から俯瞰した ザ・プラザ。ホテルの名前はこの広場(プラザ)から名付けられた 大型の国旗や美しいホテル旗がたなびく正面ファサード。キャノピーを 飾る金色の紋様が太陽に反射して美しい 豪華なシャンデリアと美しい生花に迎えられるロビー。アーチ型のドア の向こうに見えるのがプラザの顔である「Palm Court」である レセプションに行く途中 にあって、気軽に相談に 乗ってもらえるコンシェ ルジュデスク 1907年より続くプラザ の顔として世界的に有名 な「Palm Court」のエン トランス。天井の豪華な ステンドグラスの装飾は 注目だ フランス、コーダリー社 の最高峰スパ「Caudalie Vinotherapie Spa」のス イートルーム 豪華なシャンデリ ア が 耀 く、フラン ス・ルイ15世スタ イル(ロココ様式) のリビングルーム。 筆 者 に は イタ リ ア・ルネッサンスの 趣に感じられる ‐2011.11.11‐ 7 1985年9月22日、セントラルパークに面した 豪華シャンデリアの耀く高級ホテルの一室で 重要会議が開かれていた。人目を避けるよう に集まってきた日・米・英・独・仏、通称G5の大 蔵大臣と中央銀行総裁が、一つの声明を出す ため秘密裏に会合をしていたのだ。これが後 にホテルの名を冠して「プラザ合意」と呼ばれ て歴史を揺るがす声明である。その後、世界 経済・金融の行く末はご存じの通りであるが、 会議を主催した米国は実にふさわしい舞台を 用意したものだと思う。 20世紀初頭、世界経済で頭角を現してきた アメリカがヨーロッパに負けない「世界で一番 豪華なホテル」を合言葉に、フランス・ルネッサ ンスのシャトーを模したプラザを1907年10月 に開業させた。設計にはワシントンDCのウィ ラードやジョンレノンで有名なダコタ・アパー トを手掛け、当時一流の建築家として知られて いたヘンリー・J・ハーデンバーグを起用した。 インテリアの装飾品はすべてヨーロッパから 最高のものが輸入され、ボサール様式で装飾 された19階建て総客室数800を超えるホテル であった。有名人も多くプラザを定宿とした が、中でも「近代建築の三大巨匠」の一人フラ ンク・ライト・ロイドは最後までプラザを愛し、 暮らし続け、ここで没している。晩年この大建 築家は「私がこのプラザを設計したかった」と、 その思いを吐露している。 プラザは最近の買収劇やホテル身売りの話 でも世間の注目を大いに集めた。1988年バブ ル絶頂期に日本の青木建設(2001年に民事再 生)が傘下にプラザを持つウェスティン・グル ープを買収したが、わずか10日後に今度はド ナルド・トランプ氏に転売してしまう。90年後 半にはトランプ氏にも陰りが見え始め、97年 にはサウジの王子アルワリード氏とシンガポ ールのCDLに売却する。アルワリード氏がフェ アモントホテルズのオーナーであったことか ら、運営はフェアモントグループに委ねられた。 そして2005年にプラザは劇的変化を迎えるこ とになる。再びオーナー権は移行し、実に時 価の2倍の値段で買い取られたがそれでも充 分利益の出るものだった。その真意はホテル を分譲マンションとして売却すれば、さらに巨 額の利益が出る「打ち出の小槌」にあった。し かしこの計画はNY市民の猛反対にあい頓挫し てしまう。結局、建物の約三分の一をホテル として残すことで和解し、3年間の大リノベー ションを経て08年にフェアモント・マネージド ホテルとして再オープンしている。 現在のプラザは102室のスイートを含む全 282室のホテルとなり、セントラルパーク側は すべて超高級コンドミニアムとなっている。し かし3年に及ぶ贅 ぜい を尽くした大改造で、館内は より磨きが掛かり新築時の輝きと自信を取り 戻している。大きな注目と希望を持って迎え た再出発だけに、従業員のモチベーションも 上がり動きが機敏になったように感じる。ニ ューヨーク市の歴史的建造物にも指定されて いる美しき貴婦人、“ザ・プラザ”。その美しき 姿は永遠に輝き続けると信じたい。 客室階のエレベーターホール。絵画や家具、調度品 などセンスを感じさせるレイアウトである ゆったりと時が流れる優雅な「The Champagne Bar」。ロビーの一部としての役割も持っている 巨大で荘厳な雰囲気のファンクションスペース「The Terrace Room」。プラザの宝石と言われ、その美し さに圧倒される 優雅なモザイクタイルで表現・構成されたバスルーム。 どんな大理石使用の壁面より豪華で手が込んでいる 表現する言葉に窮するような美しさのベッドルームである。ゴールド枠のベッドヘッドと優雅なシャンデリア との相性が見事だ。この部屋はエドワード・スイートと呼ばれ、約100㎡の広さを誇る

1985年9月22日、セントラルパークに面した ザ・プラザ The …ohtapub.co.jp/wlh200/WLH011.pdf6 ‐2011.11.11‐ セントラルパークにある池から望む美しい貴婦人、“ザ・プラザ”。1907年に建築された19階建てのランド

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Page 1: 1985年9月22日、セントラルパークに面した ザ・プラザ The …ohtapub.co.jp/wlh200/WLH011.pdf6 ‐2011.11.11‐ セントラルパークにある池から望む美しい貴婦人、“ザ・プラザ”。1907年に建築された19階建てのランド

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セントラルパークにある池から望む美しい貴婦人、“ザ・プラザ”。1907年に建築された19階建てのランドマーク的存在のホテルで、ニューヨーク市の歴史的建造物に指定されている

ザ・プラザThe Plaza世界にはまだまだ日本人が訪れていないホテルがある。このコーナーではホテリエが知っておくべき「世界のリーディングホテル」を紹介する。これまで多くのホテル紹介本が出版されてきたが、そのほとんどが現地のホテルと事前に取材の連絡を取り合い、プロのカメラマンや通訳、そのほか大勢を連れ立っての大名取材であり、宿泊は省略といったことも多々であった。本連載では、著者自身が長年にわたる個人旅行中に自分の目で感じ取り、コメントを書き込み、自分のカメラで思いのままを撮ってきた写真を掲載する。 ※本連載は毎月2・4週号掲載

世界のリーディングホテル VOL11

筆者 小原康裕ホテルジャーナリスト。慶応義塾大学法学部法律学科卒。74年Munich Re入社。85年築地原健㈱代表取締役。2001年投資顧問会社原健設立、代表取締役CEO。※現在、著者のホームページで「世界のリーディングホテル」を連載中。多くの美しい写真と興味深いコメントで、世界中のホテルとそれら関連都市を紹介。ホテルだけにとどまらず、オリエントエクスプレスなど鉄道関係の掲載、季節刊行で世界遺産の案内などさまざまな情報が得られる。www.jhrca.com/worldhotel

セントラルパーク側にある超高級レジデンスのエントランス。アテンダントの紳士が常時待機している

グランドアーミープラザに建つ“シャーマン将軍と女神像”から俯瞰したザ・プラザ。ホテルの名前はこの広場(プラザ)から名付けられた

大型の国旗や美しいホテル旗がたなびく正面ファサード。キャノピーを飾る金色の紋様が太陽に反射して美しい

豪華なシャンデリアと美しい生花に迎えられるロビー。アーチ型のドアの向こうに見えるのがプラザの顔である「Palm Court」である

レセプションに行く途中にあって、気軽に相談に乗ってもらえるコンシェルジュデスク

1907年より続くプラザの顔として世界的に有名な「Palm Court」のエントランス。天井の豪華なステンドグラスの装飾は注目だ

フランス、コーダリー社の最高峰スパ「CaudalieVinotherapie Spa」のスイートルーム

豪華なシャンデリアが耀く、フランス・ルイ15世スタイル(ロココ様式)のリビングルーム。筆者にはイタリア・ルネッサンスの趣に感じられる

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1985年9月22日、セントラルパークに面した豪華シャンデリアの耀く高級ホテルの一室で重要会議が開かれていた。人目を避けるように集まってきた日・米・英・独・仏、通称G5の大蔵大臣と中央銀行総裁が、一つの声明を出すため秘密裏に会合をしていたのだ。これが後にホテルの名を冠して「プラザ合意」と呼ばれて歴史を揺るがす声明である。その後、世界経済・金融の行く末はご存じの通りであるが、会議を主催した米国は実にふさわしい舞台を用意したものだと思う。20世紀初頭、世界経済で頭角を現してきた

アメリカがヨーロッパに負けない「世界で一番豪華なホテル」を合言葉に、フランス・ルネッサンスのシャトーを模したプラザを1907年10月に開業させた。設計にはワシントンDCのウィラードやジョンレノンで有名なダコタ・アパートを手掛け、当時一流の建築家として知られていたヘンリー・J・ハーデンバーグを起用した。インテリアの装飾品はすべてヨーロッパから最高のものが輸入され、ボサール様式で装飾された19階建て総客室数800を超えるホテルであった。有名人も多くプラザを定宿としたが、中でも「近代建築の三大巨匠」の一人フランク・ライト・ロイドは最後までプラザを愛し、暮らし続け、ここで没している。晩年この大建築家は「私がこのプラザを設計したかった」と、その思いを吐露している。プラザは最近の買収劇やホテル身売りの話

でも世間の注目を大いに集めた。1988年バブル絶頂期に日本の青木建設(2001年に民事再生)が傘下にプラザを持つウェスティン・グループを買収したが、わずか10日後に今度はドナルド・トランプ氏に転売してしまう。90年後半にはトランプ氏にも陰りが見え始め、97年にはサウジの王子アルワリード氏とシンガポールのCDLに売却する。アルワリード氏がフェアモントホテルズのオーナーであったことから、運営はフェアモントグループに委ねられた。そして2005年にプラザは劇的変化を迎えることになる。再びオーナー権は移行し、実に時価の2倍の値段で買い取られたがそれでも充分利益の出るものだった。その真意はホテルを分譲マンションとして売却すれば、さらに巨額の利益が出る「打ち出の小槌」にあった。しかしこの計画はNY市民の猛反対にあい頓挫してしまう。結局、建物の約三分の一をホテルとして残すことで和解し、3年間の大リノベーションを経て08年にフェアモント・マネージドホテルとして再オープンしている。現在のプラザは102室のスイートを含む全

282室のホテルとなり、セントラルパーク側はすべて超高級コンドミニアムとなっている。しかし3年に及ぶ贅

ぜい

を尽くした大改造で、館内はより磨きが掛かり新築時の輝きと自信を取り戻している。大きな注目と希望を持って迎えた再出発だけに、従業員のモチベーションも上がり動きが機敏になったように感じる。ニューヨーク市の歴史的建造物にも指定されている美しき貴婦人、“ザ・プラザ”。その美しき姿は永遠に輝き続けると信じたい。

客室階のエレベーターホール。絵画や家具、調度品などセンスを感じさせるレイアウトである

ゆったりと時が流れる優雅な「The ChampagneBar」。ロビーの一部としての役割も持っている

巨大で荘厳な雰囲気のファンクションスペース「TheTerrace Room」。プラザの宝石と言われ、その美しさに圧倒される

優雅なモザイクタイルで表現・構成されたバスルーム。どんな大理石使用の壁面より豪華で手が込んでいる

表現する言葉に窮するような美しさのベッドルームである。ゴールド枠のベッドヘッドと優雅なシャンデリアとの相性が見事だ。この部屋はエドワード・スイートと呼ばれ、約100㎡の広さを誇る