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皆様、お変わりございませんか?夏本番を間近にして蛍の便りがあちこちから届くようになり ました。源氏物語や小泉八雲のお話にも登場する蛍。儚げに光る蛍の姿に子どもの頃を思い 出します。「ほ、ほ、ほたるこい♪」あっちのお話、こっちのお話。さて、今宵は蛍をお供に どんな昔語りをいたしましょうか。それでは会報をお届けします。(千) ☆活動報告と活動予定 日程 内容 1月24日(土) 新年会 アトリウム長岡 3月 10周年記念誌「私の民話かたり」発行 4月25日() 平成27年度総会 会場:坂之上コミュニティセンター 出席者:23名 委任状:6名 6月14日(日)・15日(月) “伝説の地”研修旅行 (長野県上田:塩田平の旅) 10月31日(土)・11月1日(日) 第10回長岡民話百物語 会場:アオーレ長岡 参加申込:〆切8月22日(土) 塩田平の旅は、塩田平民話研究所の皆様のおかげで素晴らしい旅でした。また、 塩田平民話研究所と長岡民話の会の違いについても考えさせられた有意義な旅 となりました。 民話の会も創立10年を経て、次の10年を考える時がきた様に思います。 今冬から来春にかけて、「市民芸術文化活動助成事業」に助成交付の申請をして、 「昔話入門講座」(仮題)と開きたいと思います。いろいろなお考えをお寄せ下 さい。 -長岡民話の会-会報第 23 号 平成 27 7 月発行-

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皆様、お変わりございませんか?夏本番を間近にして蛍の便りがあちこちから届くようになり

ました。源氏物語や小泉八雲のお話にも登場する蛍。儚げに光る蛍の姿に子どもの頃を思い

出します。「ほ、ほ、ほたるこい♪」あっちのお話、こっちのお話。さて、今宵は蛍をお供に

どんな昔語りをいたしましょうか。それでは会報をお届けします。(千)

☆活動報告と活動予定

日程 内容

1月24日(土) 新年会 アトリウム長岡

3月 10周年記念誌「私の民話かたり」発行

4月25日(土)

平成27年度総会

会場:坂之上コミュニティセンター

出席者:23名 委任状:6名

6月14日(日)・15日(月) “伝説の地”研修旅行

(長野県上田:塩田平の旅)

10月31日(土)・11月1日(日)

第10回長岡民話百物語

会場:アオーレ長岡

参加申込:〆切8月22日(土)

塩田平の旅は、塩田平民話研究所の皆様のおかげで素晴らしい旅でした。また、

塩田平民話研究所と長岡民話の会の違いについても考えさせられた有意義な旅

となりました。

民話の会も創立10年を経て、次の10年を考える時がきた様に思います。

今冬から来春にかけて、「市民芸術文化活動助成事業」に助成交付の申請をして、

「昔話入門講座」(仮題)と開きたいと思います。いろいろなお考えをお寄せ下

さい。

-長岡民話の会-会報第 23 号 平成 27 年 7 月発行-

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昔話の森 (21)

放屁の効用 高 橋 実

人間の体内から放出されるガスは「屁」や「おなら」と呼ばれて匂いが伴う。放屁は不作

法で、人前で「屁」をこくことは戒められる。人体から放出される生理現象で嫌われるもの

には、「こく」という動詞がつく。「小便こく」「あっぱをこく」「屁をこく」のごとくである。

新津の笠原甚威さんは「屁をふる」と呼んでいた。「こく」という言葉以外に「ふる」という

言葉が下越地方に広がっているのか。「屁をひる」というのが一般的な使い方か。ともかくこ

れが昔話に登場する。

よく知られているのは「屁っこき嫁」であろう。嫁さんが大きな屁をこいて、姑婆さんが

天井まで飛ばされてしまう。こんな嫁は家に置いておけないと離縁されるはめになる。夫が

付き添って実家に帰る途中、嫁の屁の風で梨をばらばらと落とし喜ばれる。米をたくさん積

んだ船が動かないでいたので、嫁の屁の力で船を動かし、褒美に米をもらって、あらためて

屁の力に驚いた夫がこんな力を持った嫁は離縁するどころでないと家に連れもどされる話と

なる。そして嫁が遠慮なしに「屁」をこける場所を作ってやった。それが「へや」の起こり

であるというのだ。

最近出た『たけんかうちの話』原刀利松さんの本に「ダッダー屁の権」という話が載って

いる。昼も夜も見境なくでる権の屁は厄介者であった。村の旦那さまは泥棒が家をあらすの

で、番をする人を探していた。そこで権の屁が役立って泥棒を撃退する話である。

権の屁が「ダッダー」と聞こえるので見つかったかとびくっとするがそれは権の屁の音だ

った。権は知らずに寝ている。そこで泥棒は権の尻に燃えさしのローソクをねじ込んで家の

中を物色始めた。そのうちに権の腹の中にたまったガスが一度に吹き出して「ダツダー」を

大きな音を立てるので、泥棒はびっくりしてひっくりかえり家の者に取り押さえられてしま

った。権の屁が泥棒の取り押さえに役立ったというのである。

また屁で上手に歌を歌う男がいて、その話が殿様の耳に入り、屁で歌を歌ってたくさんの

褒美をもらう。それを聞いたよくばり男が俺も褒美をと殿様の前で屁をひろうとするが、屁

は出ず、中身が出て殿様の顔に掛かり、怒った殿様に腹を切られてしまう隣の欲張り爺さん

の失敗話につながっている。

臭いといって人に嫌われ、不作法だといって人前でひるのを遠慮する屁が思いがけない効

用を発揮する。屁の風で船を動かすなどはありもしない大話に属するがこれが聞く人に受け

るのである。

「草刈った」咄は爺様が山に薪切りにいっていると家にのこった婆様の屁が山まで匂って

きて、帰ってき来た爺様に婆様が薪を刈ったかと聞くと爺様が「草刈った」(臭かった)と答

える話になっている。こうした駄洒落はある一方では昔話のだいじな笑いを構成している。

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塩田平の伝説の地を案内していただいて・・・ 今井 七重

6月14日と15日にかけて塩田平民話研究所様との交流の旅に参加させて戴いた。到着

するとすぐに研究所の斎藤さんよりいろいろと案内していただき、その中で今も続く「岳の

幟」という行事にまつわる民話を教えて戴いた。

500年前、別所が大干ばつの時、夫神岳に雨乞いをした所、恵みの雨が降った。そこで

お礼に山の上に九頭竜権現様をお祀りし、毎年、幟をあげようと決めた。

ところで夫神岳の向こう側は青木村で、ここも雨の少ない所だった。そこでお宮の向きを

別所側にするか青木側にするかで揉めることになり、その決着をつけるため牛と馬を競走さ

せた、という。斎藤さんが言われた「峠がとなり村との暮らし向きの差」というのが納得で

きた。

この話のように塩田平の民話は地域に結びついている伝説が豊富のようだ。夜の交流会で

市川和枝さんの語り「しだれ榎」の榎は、その接ぎ木が現在も大切にされているし、坂井弘

子さんの語り「甲田池のかっぱ」は、ため池の民話で、塩田平では用水を引くために、平安

時代から江戸時代の終わりまでため池を造成し、今でも100以上残っているという。甲田

池もその一つだ。

塩田平は、気候に恵まれ、「塩田三万石」ともいわれた耕作地だけれども、年間に1000

ミリ下と降水量が少なく、古代より水不足に悩まされてきたそうだ。水にまつわる民話が多

いのだろうか?

翌朝は、稲垣さんより青木村の大宝寺と「小泉小太郎」伝説の地、“くらふち”を案内し

ていただき、最後に塩田平に戻り、「舌喰池」のほとりで、この地の伝説を教えて戴いた。

この池が造られた頃、直しても直しても土手から水が漏れて、充分に水を溜めることがで

きなかった。その時、土手に「人柱」を入れなければ水が溜まらないという話がどことなく

伝わった。結局、くじ引きでひとりを決めることになり、そして、村はずれに一人で住んで

いる美しい娘が人柱に選ばれた。ところが人柱に立つ前の晩に、その娘は、舌を食い切り、

この池に身を投げた。このような悲しいことがあってから、村人たちはこの池を「舌喰池」

と呼ぶようになったという。

娘がかわいそうで印象深い話。でも、もっと心に響いてきたのは稲垣さんの考えを聴いて

からだった。稲垣さんは、「ひょっとしたら、人柱の人選は差別意識の下に行われてきたので

はないだろうか。古い“村社会”では、村はずれに住むことや若い娘が一人で暮らすことは、

何か事情のある人ゆえではなかったか、その事情のために村の内側の人々から差別されてい

たのではないか。また、人柱選びも一応くじ引きの形は採ってはいても、あらかじめこの娘

に決められていたのではなかったのか、さらに、舌を噛み切るという苦痛の大きい方法を選

び、あえて人柱にされる前日に自ら命を絶つという行動は、人柱にされることに対して抗い

たいという娘の強い思いを村人に示す為の唯一残された手段だったのではなかったのか。」と

語って下さり、この話しについてはまだまだ調べたり、考えたりしなくてはいけないともお

っしゃっておられた。

塩田平の風土が感じられる民話の数々と深いアプローチを教えて戴けて、とても勉強にな

りました。

いきいき☆活動報告

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三味線石 番場 仙司

これは、長岡からの玄関口に当たる山古志の虫亀地区に伝わる伝説です。

山古志の虫亀に利兵衛という強欲な金貸しが住んでいたてや。利兵衛は、村一番の金持ち

でありながら、自分の金儲けのためなら、義理も人情もわきまえない男で、貸した金が取ら

んねとなると寝ている重病人の布団までもハギ取って来るという手荒な事を平気で行ない、

村の衆(しょ)からも「鬼の利兵衛」と呼ばれて恐れられていたてや。

ある冬の雪の降りしきる晩方。

二人の瞽女さんが、長岡の蓬平からその山古志めざして、せっせと登っていたてや。二人

の背中には紺の風呂敷にくるんだわずかな荷物と、油紙に包まれた商売道具の三味線が、し

っかり結び付けられており、二人が進むにつれ、山は雪と風が強くなり吹雪となると頼りの

杖は道をそれ、雪の中に沈むたびに何度も倒れそうになりながらも必死に登っていくと、急

に踏み固められた広い道に出合い、誘われるように大きな家(うち)の広い玄関にたどり着

いたてや。二人の瞽女さんは吹雪をのがれた安堵感から疲れがドッと出て、玄関の隅っこに

もたれて眠ってしもうたと。

しばらくすると、中から玄関に現われたのが、あの鬼の利兵衛で、この豪邸は利兵衛の家

(うち)らったがらてや。みすぼらしい恰好で眠っている二人を見た利兵衛は、不機嫌にな

り、タタキ起すと、「土間でも良いので吹雪の一夜の宿を」という二人の願いを断り、荒れ狂

う吹雪の中へ追い返してしもうたてや。

利兵衛に追われた二人は仕方なく次の宿を求めて五・六歩 歩(い)んでは倒れ、四・五

歩行っては倒れ、這うように進んでいたが、ついに力尽き、一歩も歩(いー)ばんねなり、

雪の上にうずくまってしもうたと。

それでも(そっでも)二人は、本能的に背中の三味を取り出すと、糸を合せて、いつもは

来たことを知らせる「門付け唄」を助けを求めるように声を振りしぼって“うめと桜を両手

に持てば・・・。”だろも長くは続かず、唄声がやみ、三味が手から離れると同時に二人の

魂は天に昇ってしもうたてや。

その夜、雷が落ちたような大きな音がして、天からでっこい石が往来をさえぎるように、

道の真ん中に落ちて来たと。

それから毎年、吹雪の晩になると、その石の下から、三味の音に乗って“咲いた花より咲

く花よりも・・・”と門付け唄が聞えてくるようになり、村の衆(しょ)は、この石を「三

味線石」と呼んだと。

特に利兵衛は、二人の瞽女さんの霊の祟りを恐れ、今までの自分の行いを恥じ、人が変わ

ったように金貸し証文をンーな焼き捨て、困っている者(モン)には金品を惜しみなく分け

与えてやり、鬼の利兵衛が「仏の利兵衛」と呼ばれるようになったてや。

この三味線石は今も虫亀の集落に奉られてありますので、心改めたい方は、一度訪ねられ

てはいかがでしょう。

長岡の伝説 (第4回)

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雑談

伝説の多くは、場所、物、行動など現実とかけ離れた夢物語り的に語られていることが多

い中、この「三味線石」は、瞽女さん、三味線、門付け唄などあまり遠くない時代の事柄が

現実的に模写されている。話の中に登場する山古志へのルートも、他に小千谷、魚沼、栃尾

とある中で、長岡からの玄関口である虫亀集落に三味線石が存在することからこの話が長岡

ルートの話であることを裏付けている。

また、長岡には「長岡瞽女」といわれる程、瞽女さんが多かったことから、信憑性も高く、

調べれば二人の瞽女さんの身元まで明らかになりそうで、伝説ではなく実話ではないかと思

うほど、身近に感じる。

その一方で、三味線石が実際には、岩のように大きいことや瞽女さんの道中が遠距離であ

りながら、“手引き”と呼ばれる目の見える方との三人一組の行動でないなど、現実的では

ないところもあるが、何より利兵衛が利殖のための「鬼」のような行動を「仏」のような生

き方に改心したことがこの悲しき伝説の救いであろう。

門付唄

咲いた花より咲く花よりも、

咲かぬお主のイヨ

そばが良い

梅と桜を両手に持てば

どれば梅やらイヨ

桜やら

上を見るには限りがないが

下を見て咲くイヨ

百合の花

ヘ 芋の焼きたて火事より怖い

胸が焼けたりイヨ

屁が出たり

君の寝姿窓から見れば

牡丹芍薬イヨ

百合の花

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ちょっと一息

ある子どもの話 外山 種治

一、 神さまから授かった名前

あったてんがの。

ある大きな町の隣に小さな村が、あったてんがの。今から七十年以上昔の太平洋

戦争の頃の話らてんがの。

ある家の主と妻が、人目につかぬようにして、村の神社へお参りに行ったと。雪

が消えて春も温かくなった五月の早朝、あたりが明るみ始めたころだったてんがの。

すじ俵の上に座布団をのせ、その上にこの間生まれた男の赤児をあげ、供物にお酒

にどぶろくを奉納し、「どうか元気に育ちますように」とお参りをしたてんがの。

ほうしたら拝殿の奥がポワーっと明るくなり白衣をまとった白髪の老人が現われ

「その赤児の下の俵は何か」と聞かれたてんがの。「はい。種もみを入れる『すじ俵』

と申します。どうか今年も豊作になりますようお願い申し上げます。」と震いながら

言うたてんがの。

するとその老人が「そうか、それではその赤児が無事育つように名前に『種』と

いう文字を用いるがよい。きっと豊作になるであろう。」と言って消えてしまったて

んがの。

上三人が女で男の子が中々育たなかった老親は、この子を大事に育てたてんがの。

そいで、この子はすくすく育ち、三人の姉たちに子守りされながら遊ぶようになっ

たと。姉達は、人形のように可愛がり、新聞紙で着物をつくり、着せ替え人形のよ

うにしたり、赤い帽子をかぶせて、地蔵様お祭りごっこをしたりして、子守りをし

ていたと。そして、女の子の髪型に赤いリボンをつけ、姉の古下がりの着物を着せ

ていると、村のしょが「四人も女の子だねぇ」と笑っていかれるんだと。

名前は神さまの命名どおり「種」という字に「子」をつけて「しゅうこ」と呼ん

でいたが、いつの間にか「しょっこ」になったてんがの。

二、 小糠三合

しょっこが託児所に通うようになったある日のこと。

母親が箪笥の引き出しの中の小さな袋を見つけ「だれだかの、箪笥の中にこんな

のを入れたのは。」と家族みんなの前にその袋をぶらぶらさせて見せたと。するとし

ょっこは、「それ俺んのだ。小糠三合入ってるんだ。」と叫んだと。

母親は、「おこっこ、この子、この間の隣のかあさんとの話、聞いていたんだね。」

女ごしょの立ち話、長話をしょっこは母親の手にぶら下がったり、走り回ったりし

ながら聞いていたんだと。「小糠三合持っていれば婿にならなくてもよい」婿は気苦

労が多いと昔は言われてたんがの。

「すじ俵」や「小糠三合」などは今ではもう昔話の世界での言葉でしょうか。

発行者:長岡民話の会

連絡先:0258(34)5240(安部)