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418 22 © 2013 Journal of the Japan Society of Colour Material 1.はじめに 前回の解説では,軌道概念を利用して物質の構造-機能相関 について紹介した。その中で,物質の電子配置やフロンティア 軌道を理解することで,その機能発現のメカニズムを定性的に 説明してきた。量子化学計算に基づいた定性的な理解は,もち ろん新規材料設計において重要な位置をしめる。しかし,計算 科学と実験化学のインタープレーを有効に進めるうえでは,計 算科学の手法を用いて化学現象を定量的に予測することが求め られる。とくに,表面や表面上に存在する分子の情報を原子レ ベルで取得することは,精密な材料設計を行ううえでの第一歩 になる。このとき,量子化学計算で得られる物質の全エネルギ ーや電子状態の信頼性が問題になる。この計算結果の信頼性 は,シュレディンガー方程式を解く際,どの程度電子間の相関 を取り込むかにかかっている。実際,電子相関効果を取り込も うとする試みは,量子化学の発展の過程にみることができる。 本稿では,まずシュレディンガー方程式がどのように解かれ るかに触れる。そこでは,電子相関を取り込む方法や,電子相 関がポテンシャルエネルギー曲面に及ぼす影響を簡単に説明す る。その後,実際の量子化学計算の例としてカーボンナノチュ ーブの化学修飾に関する研究を取り上げ,計算科学が材料設計 のうえでどのような役割を演じるかを紹介する。 2.Born-Oppenheimer 近似 時間に依存しないシュレディンガー方程式は ······································································· 1···· 2で与えられる 1-6。式(2)の右辺第一項は電子の運動エネルギ ーに対応する演算子,第二項は核の運動エネルギーの演算子, 第三項は電子と核の間のクーロン引力,第四項と第五項はそれ ぞれ電子間と核間の斥力をあらわしている。 一般に原子核は電子に比べてはるかに重いので,電子に比べ てゆっくり運動する。このため,波動関数 Ψ は,原子核の波動 関数 Ψnucl R)とある原子核の座標における電子の波動関数 Ψel τ;R)の積(Ψel τ;RΨnucl R))で近似される。これを Born- Oppenheimer 近似という。この近似のもとでは,式(1)は以下 のような二つの式に分離できる(変数分離)。 ············ 3············· 4式(3)は,原子核を R に固定したときの電子の状態を求める 式である。この電子の問題を解いた後,核の運動は式(4)を 用いて解くことができる。実際,Born-Oppenheimer 近似におい て,核は電子の問題(式(3))を解いて得られるポテンシャル エネルギー曲面 Eel R)の上を運動する。 3.種々の計算法 量子化学計算では,原子や分子の中で動く電子の動き,すな わち電子状態を式(3)を用いて計算する。式(3)の第四項は + ( ) ( ) = ( ) = 1 2 1 M R E A A A N el nucl nucl Ψ Ψ E R R + + ( ) = ( ) ( ) = > > 1 2 1 1 Ψ Ψ i i n A iA i,A n,N ij i j n A B AB A B N el el el Z r r ZZ R τ τ ; ; R E R R ˆ H M Z r r ZZ R i i n A A A N A iA i,A n,N ij i j n A B AB A B N =− + + = = > > 1 2 1 2 1 1 1 ˆ H Ψ Ψ = E 表面における計算科学(2)密度汎関数法(第一原理計算) 湯村尚史 ,† 京都工芸繊維大学工芸科学研究科 京都府京都市左京区松ヶ崎橋上町1 番地(〒606-8585† Corresponding Author, E-mail: [email protected] 2012 12 10 日受付,2013 4 25 日受理) 要    旨 本稿では,密度汎関数法を中心にした第一原理計算においてどのように電子相関が取り込まれるかを説明する。次に,この電子相 関の取り込みが,表面の構造および電子特性を決定するうえでどのような役割を演じるかを論じる。また,計算精度に影響を与える計 算パラメーターについても簡単にまとめる。これらの背景を踏まえ,密度汎関数法計算を用いた研究例としてカーボンナノチューブの 化学修飾について説明する。カーボンナノチューブの化学修飾として,ナノチューブ表面と共有結合を生成するものとそうでないも の,また,修飾されるのが内部表面か外部表面かに分類し,それぞれのタイプ別に説明する。さらに,密度汎関数法の最近の発展とし て分散力補正を行った汎関数が開発されたことにも触れ,その応用例を紹介する。 キーワード:第一原理計算,ハートリー・フォック法,密度汎関数法,電子相関,カーボンナノチューブ 最新表面科学講座XVIII J. Jpn. Soc. Colour Mater., 8611〕,418–4272013〔氏名〕 ゆむら たかし 〔現職〕 京都工芸繊維大学工芸科学研究科生命物質 化学系物質工学部門 助教 〔趣味〕音楽鑑賞(クラシック),ホルン演奏,読書 〔経歴〕 1998 年,京都大学工学部卒業。2003 年,京 都大学大学院工学研究科分子工学専攻修了。 2003 2007 年まで日本学術振興会特別研究 員。この間,名城大学理工学部材料機能工 学科研究員,産業技術総合研究所ナノカー ボン研究センター協力研究員,ジョージタ ウン大学(米国)博士研究員として従事。 2007 年から現職。

最新表面科学講座 第XVIII 講 - 一般社団法人 色材協 …œ€新表面科学講座(第XVIII 講) J. Jpn. Soc. Colour Mater., 86〔11〕,418–427(2013) 〔氏名〕ゆむら

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-22-© 2013 Journal of the Japan Society of Colour Material

1.はじめに

前回の解説では,軌道概念を利用して物質の構造-機能相関

について紹介した。その中で,物質の電子配置やフロンティア

軌道を理解することで,その機能発現のメカニズムを定性的に

説明してきた。量子化学計算に基づいた定性的な理解は,もち

ろん新規材料設計において重要な位置をしめる。しかし,計算

科学と実験化学のインタープレーを有効に進めるうえでは,計

算科学の手法を用いて化学現象を定量的に予測することが求め

られる。とくに,表面や表面上に存在する分子の情報を原子レ

ベルで取得することは,精密な材料設計を行ううえでの第一歩

になる。このとき,量子化学計算で得られる物質の全エネルギ

ーや電子状態の信頼性が問題になる。この計算結果の信頼性

は,シュレディンガー方程式を解く際,どの程度電子間の相関

を取り込むかにかかっている。実際,電子相関効果を取り込も

うとする試みは,量子化学の発展の過程にみることができる。

本稿では,まずシュレディンガー方程式がどのように解かれ

るかに触れる。そこでは,電子相関を取り込む方法や,電子相

関がポテンシャルエネルギー曲面に及ぼす影響を簡単に説明す

る。その後,実際の量子化学計算の例としてカーボンナノチュ

ーブの化学修飾に関する研究を取り上げ,計算科学が材料設計

のうえでどのような役割を演じるかを紹介する。

2.Born-Oppenheimer近似

時間に依存しないシュレディンガー方程式は

·······································································(1)

····(2)

で与えられる 1-6)。式(2)の右辺第一項は電子の運動エネルギ

ーに対応する演算子,第二項は核の運動エネルギーの演算子,

第三項は電子と核の間のクーロン引力,第四項と第五項はそれ

ぞれ電子間と核間の斥力をあらわしている。

一般に原子核は電子に比べてはるかに重いので,電子に比べ

てゆっくり運動する。このため,波動関数Ψは,原子核の波動関数Ψnucl(R)とある原子核の座標における電子の波動関数Ψel

(τ;R)の積(Ψel(τ;R)Ψnucl(R))で近似される。これをBorn-

Oppenheimer近似という。この近似のもとでは,式(1)は以下

のような二つの式に分離できる(変数分離)。

············(3)

·············(4)

式(3)は,原子核をRに固定したときの電子の状態を求める

式である。この電子の問題を解いた後,核の運動は式(4)を

用いて解くことができる。実際,Born-Oppenheimer近似におい

て,核は電子の問題(式(3))を解いて得られるポテンシャル

エネルギー曲面Eel(R)の上を運動する。

3.種々の計算法

量子化学計算では,原子や分子の中で動く電子の動き,すな

わち電子状態を式(3)を用いて計算する。式(3)の第四項は

− + ( )⎛

⎝⎜⎞

⎠⎟( ) = ( )

=∑ 1

21 MR E

AA

A

N

el nucl nucl∆ Ψ ΨE R R

− − + +⎛

⎝⎜

⎠⎟ ( )

= ( ) ( )= > >∑ ∑ ∑ ∑1

2

1

1

∆ Ψ

Ψ

i

i

nA

iAi,A

n,N

iji j

nA B

ABA B

N

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el el

Z

r r

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=− − − + += = > >∑ ∑ ∑ ∑ ∑1

2

1

2

1

1 1

∆ ∆

H Ψ Ψ= E

表面における計算科学(2)密度汎関数法(第一原理計算)

湯村尚史*,†

*京都工芸繊維大学工芸科学研究科 京都府京都市左京区松ヶ崎橋上町1番地(〒606-8585)† Corresponding Author, E-mail: [email protected]

(2012年12月10日受付,2013年4月25日受理)

要    旨

本稿では,密度汎関数法を中心にした第一原理計算においてどのように電子相関が取り込まれるかを説明する。次に,この電子相

関の取り込みが,表面の構造および電子特性を決定するうえでどのような役割を演じるかを論じる。また,計算精度に影響を与える計

算パラメーターについても簡単にまとめる。これらの背景を踏まえ,密度汎関数法計算を用いた研究例としてカーボンナノチューブの

化学修飾について説明する。カーボンナノチューブの化学修飾として,ナノチューブ表面と共有結合を生成するものとそうでないも

の,また,修飾されるのが内部表面か外部表面かに分類し,それぞれのタイプ別に説明する。さらに,密度汎関数法の最近の発展とし

て分散力補正を行った汎関数が開発されたことにも触れ,その応用例を紹介する。

キーワード:第一原理計算,ハートリー・フォック法,密度汎関数法,電子相関,カーボンナノチューブ

最新表面科学講座(第 XVIII講)J. Jpn. Soc. Colour Mater., 86〔11〕,418–427(2013)

〔氏名〕ゆむら たかし〔現職〕京都工芸繊維大学工芸科学研究科生命物質

化学系物質工学部門助教〔趣味〕音楽鑑賞(クラシック),ホルン演奏,読書〔経歴〕 1998年,京都大学工学部卒業。2003年,京

都大学大学院工学研究科分子工学専攻修了。2003~2007年まで日本学術振興会特別研究員。この間,名城大学理工学部材料機能工学科研究員,産業技術総合研究所ナノカーボン研究センター協力研究員,ジョージタウン大学(米国)博士研究員として従事。2007年から現職。