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目次

俳句紀行

1

父の写真

平成二十四年

1

列車の旅

平成二十五年

5

上手になりたい

平成二十六年

19

九死に一生

平成二十七年

33

仲間

平成二十八年

47

勲章

平成二十九年

61

秀句ギャラリー鑑賞

67

あとがき

93

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父の写真

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平成二十四年

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列車の旅

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平成二十五年

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上手になりたい

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平成二十六年

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九死に一生

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平成二十七年

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仲間

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平成二十八年

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勲章

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平成二十九年

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秀句ギャラリー鑑賞

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り長田民子

切り大根は初冬の日の中、寒風にさらされ

ながら乾燥して切干となる。その形を「風掴

むごと縮む」ととらえた措辞は新鮮で詩情が

ある。

乾燥してゆく切干がまるで意志を持つごと

く、風を掴み縮んだのである。作者の俳句へ

の精進をうかがわせる秀句である。

ず川奈はる絵

寒い日には魚の煮汁が固まって煮凝ができ

る。厳しい冬の暮らしが続く。

一方、黒潮は遥か南方の海から日本列島に

沿って北上し、滔々と流れている。その暗い

藍色は時間により日により時々刻々と変わり、

一度として同じではない。煮凝と黒潮がどこ

かで響き合い、人生の時間を象徴する。

葛湯して透きゆくまでのもの思ひ

西川青女

葛湯が透けるまではほんのわずかの時間で

ある。そのあいだに作者はもの思いに耽った

という。それは、多分葛湯にふさわしい淡い、

儚いもの思いであろう。

いい匂いをさせて透明になっていく葛湯、

胸の中をよぎる微かな思い、その思いに作者

はしばし身をまかせる。

曲独楽の紐を走りて止まりけり小

野啓々

大きな曲独楽が、ピンと張った紐の上をス

ルスルと伝って走り、回転の極みになった時

止まったように見えたのである。

独楽を操る曲芸師と見守る観客。観客の拍

手、お囃子の音楽、小屋のざわめきが聞こえ

るようである。的確な写生が生きている。

帽川西ふさえ

作者は「大笑いしてゐる遺影」と先ずあげ

る。遺影の人は、作者の肉親で山登りする人

だったのであろう。山男らしい朗らかな笑顔

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を写真に残して、早逝した。

笑顔の写真と愛用の登山帽、この二つのも

のが提示されるだけだが、作者の深い哀惜の

気持ちが伝わってくる。

手応へのなき恋のごと葛湯かく市

川和子

思いが届いたかどうか分からぬ恋、手応へ

のなかった恋を、作者は葛湯をかきまわしな

がらふと思い出した。

葛湯をかくのは、なんだか手応ない恋のよ

うでいくらかき混ぜても甲斐がないと作者は

思う。

「手応へのなき恋のごと」の修辞が生きてる。

横顔が好きと言はれて雑煮食ふ溝

「横顔が好き」とは、なんとも巧みな褒め

言葉である。こんな言葉をはけるのは、成熟

した美しい女性に違いない。主人公はその言

葉を片方の耳に聞きながら雑煮を食べるので

ある。大ぶりの椀に盛られた豪華な雑煮。少

し燗酒も飲み、気のきいた会話をする。至福

のひと時。

横顔を突き出しスキージャンプかな

後藤

スキージャンプの選手は、ジャンプ台を踏

み切って空中に飛び出す。両腕でバランスを

とり、スキー板をハの字開きに、思いきった

前傾姿勢で滑空する。観客席から見ると正に

「横顔を突き出し」という表現そのまま。思

い切り前に倒した胴体の上に横顔が突き出し

ている。

御僧の被風につけたる飾り紐

穴井梨影女

この僧は作者の親しい人らしい。寛いで色

々話をした。もとより有徳の僧である。あり

がたい話があったであろう。それを受ける作

者もまた。被風を召すからには、外出先でで

もあったか。ふと見ると被風についた美しい

飾り紐が眼にはいったのである。

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ねんねこや母子を結ぶおぶい紐高

橋敏惠

赤ん坊をおぶい紐でしっかりと背中にくく

りつけ、その上から防寒のためのねんねこ半

纏を着る。おぶい紐は母と子を結ぶ絆で、そ

してねんねこ半纏で寒さから赤ん坊を守るの

である。

なつかしい昭和の光景である。

に平田節子

冬の日は短い。そのなかで弥勒菩薩像の右

手を頬のあたりに挙げ、思考にふけっていら

っしゃる横顔は少し淋しげでいらした。

というのは飛躍のし過ぎか。横顔の人は作

者の身近な人か、はたまた美しい若い女性か

いろいろな解釈が考えられる。

筵中嶋美知子

切干の戻し加減を逃がさずに宮

川洋子

切干や年老いてから味うまし牧

野直樹

農村では、稲の収穫が終わると大根を引き

多量の切干を作った。保存食として欠かせな

い。作る量が半端でないので、筵に干すこと

なる。広げられた切り大根は、陽を浴び時間

をかけて良い匂いのする切干になるのである。

作者の住む地方では、今も作り続けられてい

るという。

切干は水に浸し過ぎると、旨みが水と共に

失われる。戻し加減にコツがある、ちょうど

よい戻し加減の切干を煮て味をつける。台所

によい匂いがたちこめる。まさにおふくろの

味。確

かに、切干は若い時や壮年期にはあまり

好まれない。句のように、老年期にはいって

から切干をしみじみと旨いと思う。

河豚刺と煮凝当てに酌み交はす篠

﨑代土子

河豚刺しと煮凝が肴とはまことにうらやま

しい豪華な宴会である。とある料亭の座敷、

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料亭で調整した煮凝はさぞかし美味でありま

しょう。

他にもご馳走が供されたに違いない。上等

の酒を温め、仲間と心ゆくまで酒を酌み交わ

した。鰭

し鎗水稔子

夫に鰭酒を温めて供した。彼は喜んで鰭酒

を飲みだんだん酔いが廻ってきた。すると、

普段は寡黙な夫がいつもと違って盛んにおし

ゃべりを始めた。そんな夫の一面に驚きなが

らも、愛情をこめて見ている作者である。

鱒酒の鰭まで喰うて仕舞ひけり阿

部鴫尾

旨い鰭酒をちょこで一杯また一杯と飲むう

ちにいい気持ちになり、そのうち鰭酒はなく

なってしまった。ふと徳利を見ると、こんが

り焼き色のついた河豚の鰭が残っていた。鰭

も旨そうだと作者は思わず鰭まで食べてしま

った。作者の茶目っけが楽しい。

横顔の左右がちがふ寒さかな吉

田みゆき

人の顔は、右の半分と左の半分が違う。や

さしい横顔と厳し横顔。美しく見える方とそ

うでない方など。

ある朝、作者は鏡に写った自分の顔をつく

づくとながめた。寒さの中、右と左の横顔の

差異がいつもより際立った。作者によれば自

分の左半分の顔は円やかに、右半分の顔は厳

しいという。そこから、作者は深い内省に沈

んだのである。

且小野京子

去年のスポーツ界では、羽生結弦、錦織圭

などの若い選手が活躍した。また大村智、梶

田隆章の両教授がノーベル賞を受賞され、日

本人に夢を与えてくれた。

作者の傍らにも夢を語るひとがいる。その

人の横顔を見ながら作者は希望に胸を膨らま

す。ましてそれが元且ならばなおのことめで

たい。

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り松村れい子

宮沢賢胎の「風の又三郎」には、又三郎は

風と共にやって来る赤い髪をした少年として

描かれている。北風を又三郎になぞらえるの

は、北国の人ならではの感覚である。

毎日、毎夜、北風が吹き、又三郎が窓から

覗いているようだと思っていたが、こう寒く

てはかなわない。とうとう北窓を塞いでしま

った。暮

し向き変はらずにゐて北塞ぐ貞

永あけみ

わが家も村の他の家も暮らし向きは変わら

ない。経済的特に豊かにならないが、高望み

をせず、分相応に暮らしてゆけばよいと思っ

ている。

今年も北窓を塞ぐ頃になり、北窓を塞いだ

のである。自足した人々の北国の暮らしが偲

ばれる。

ふうふうと息をのせつつ葛湯のむ

光山治代

出来たての葛湯は舌を焦がすほど熱い。猫

舌の人でなくても、吹きながら葛湯を飲む。

吹いた息で窪みができる様子を「ふうふう

と息をのせつつ」と表現したのである。息を

のせつつに実感がある。

葛湯のむ母の手小さくなりしかな

川さち子

おいしい葛湯をお母様に作ってさしあげる

と、喜んで両手で茶碗を包みながら啜ってい

る。そうしてゆっくり二人で過ごす中で、し

みじみと母を観察した。気がつくと母は、手

も体も小さくなり老いが目立っている。改め

て母をいとおしく思った。

数へ日のするりするりと逃げてゆく

山口慶子

年末近くになると、女性はすることが山積

で、焦ってしまう。家中の掃除をし、正月の

-72-

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飾りつけ、餅の用意、おせち料理の調理と体

が二つほしいほどである。焦れば焦るほど一

日一日が早々に過ぎ、仕事は捗らない。「す

るりするりと逃げてゆく」という表現のとお

りである。

北窓を塞ぐには惜し今日の晴れ中

川英堂

北国の人にとって快晴の日はなにより貴重

である。それもどんよりとした冬日が続き、

ぼつぼつ北窓を塞ごうかと思っていた頃のあ

る日である。雲一つない青空が広がり、山野

を町を照らした。(こんないい日に北窓を塞

いで暗い家に閉じこもることもないよね)と

呟く作者。青空に感動した人は、北窓を塞ぐ

日を伸ばしたに違いない。

り濱

佳苑

夫は、北窓を全部塞いで任地に旅立って行

った。女手で北窓を塞ぐ大変さを思いやって

のことである。

単身赴任の夫が今度帰るのは、いつのこと

か。家族が離れ離れに暮らす厳しい東北の冬

である。妻は夫を恋しく思いながら留守を守

るのである。

数笠村昌代

杉田久女の有名な句に〈花衣ぬぐやまつわ

る紐いろいろ〉があるが、この句は、趣を異

にした好ましさがある。一つは春の句、一つ

は秋の句、一つは華やかな、一つは爽やかな

世界である。

秋晴れのある日、秋袷を着て外出した作者。

帰宅し、「佳き会だったわ、でも少し疲れた

…」などと呟きながら「さらりと」と脱いだ

秋袷。その音質から、秋袷は柔らかな絹物よ

り紬のようなものが想像される。足元に落ち

た幾本かの紐には、艶やかさも漂っている。

古飯野亜矢子

靴紐を結ぶと言うからには短距離走や、長

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距離走あるいは野球であろうか。

コーチと選手たちが集まって寒稽古を始め

た。まず靴紐をしっかり結び直し、走り込み

をするのである。若者たちの吐く息が白く見

える。一

人居を訪へば笑顔や冬ぬくし下

城たず

一人居の方は、作者の友人か親族であろう

か。しばらく会わないので気になって訪問す

ると、相手も待っていてくれており、笑顔で

迎えた。そして時の移るまで親しく語り合っ

たのである。

折りしも温かい冬の日のことだった。いえ

いえ、温かい交流は冬の寒さを忘れさせたの

かも知れない。

揺り椅子と暖炉にピアノそんな夢

高橋敏惠

こんな情景を思い描いた。

広々とした冬館には暖炉が燃えている。そ

の前に置いた揺り椅子に掛けて時を過ごす。

空想に耽ったり、本を読んだり。

火が衰えれば薪をたし火の勢を守る。炎の

色は心を和ませる。

部屋にはピアノがあり人に弾いてもらって、

時には自分で弾いて楽しむ。これが私の夢で

ある。数

へ日やわたしの一日残しをく小

野京子

今年もあと数えるほどの日を残すだけにな

った。忙しいが上にも忙しい年末までの日々

だが、その中の一日だけを自分のために残し

ておこう。

雑事から自分を解放して、美しく装い、音

楽を聞きながらコーヒーを飲む。「忙中閑あ

り」大切な自分のための時間である。明日か

らまた力を得て働くのである。

せ橋本やち

四月の議会で安保法制の整備について審議

が行われたが、十分に納得できない。戦争に

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巻き込まれる恐れは本当にないのだろうか。

「日本の存立が脅かされ、国民の生命、自

由及び幸福追求の権利が根底から覆される明

白な危険がある場合」集団的自衛権が行使で

きるというが、明白は危険とはどうにでも解

釈できる。自衛隊の同盟軍への後方支援、海

外派遣も問題の多いものを含む。

庶民の声を無視した四月議会は始めから審

議をやり直すよう要求する。

八ケ岳見上げるロビー暖炉燃ゆ佐

藤裕能

ここは八ケ岳の麓にあるホテルである。ロ

ビーには大きな暖炉が燃え、ソファーには客

たちが思い思いに寛いでいる。広い窓からは

雪を被った八ケ岳の山々を仰ぎ見ることがで

きる。

作者は、この地方よく知り尽くし、毎年冬

になるとこのホテルにやって来る。目の前に

聳え立つ八ケ岳の雄姿、音をたてて燃える暖

炉なんと心地よい時間だろう。

暖炉燃ゆ夫在ありし日のごとく燃ゆ

福田久子

暖炉が赤く燃えている。作者は暖炉に当た

りながら回想にふける。夫と過ごした何十年

かの歳月、いろいろな事があった。子どもが

誕生し、成長し、巣立っていった。

楽しい時も苦しい時も手をたずさえて共に

生きて来た夫は、先に逝ってしまった。暖炉

は、夫と過ごした冬と同じように暖かく燃え

ているのだが。

吊るされし鮟鱇の罪如何程に住

田至茶

鮟鱇が吊るされ、これから捌かれる運命に

ある。顎を鉤に掛けられ巨体をだらりと垂ら

している。大きな口、扁平な胴体、暗褐色で

柔らかな魚体。やがて料理人が来て、尖った

刃物で皮をはぎ、身を切り分けるのだ。

これまで鮟鱇は深海でひっそりと生きてき

たのに、吊るし切りにされるような罪をおか

しただろうか。いや、そのような罪を犯して

はいない。

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鉤勝浦敏幸

鮟鱇は全長一メートル以上の大きな魚であ

る。また、魚体がブヨブヨして切りにくいの

で吊るし切りという方法で捌く。太い支柱を

三角錐に組み、頂点に先の尖った大鉤が下が

っている。この鉤に鮟鱇の顎を引っ掛けて吊

るすのである。

鮟鱇はその巨体のその重さで、地球の引力

に引かれてぶら下がる。よく出来たしかも非

情な吊るし鉤であることよ。

小狸が厩に寝たるあとらしき佐

藤須磨子

近ごろ作者の住む地方は過疎化が進み、野

生の狸や猪等が出没するようになった。村人

はそんな獣たちと共存して暮らしている。

狸の親子を見かけるようだと思ったある日、

厩に行くと敷き藁が窪んでいた。二つある窪

みのうち小さい方は小狸が寝た跡であろう。

チラリと見た子狸は可愛いらしかった。狸に

親近感を感じる作者であった。

殿

飴貞永あけみ

七五三詣での男の児。袴などをつけ親に手

を引かれてやって来た。桃のように柔らかな

頬、あどけない歩きぶり、晴れの日だと思う

のかよそ行き顔をしている。近ごろは祖父母

もついて来る。彼らには、目のなかに入れて

も痛くない若殿である。

千歳飴を買っても

らい、持ってやると言われても手放さず引き

ずりながら歩いていることだ。

千歳飴晴れ着脱ぐ間も握りしむ利

光幸子

七五三詣での一情景。お参りが終わり、晴

れ着を脱ぐ段になった。子どもにとってほっ

と緊張のゆるむ時間である。しかし、買って

もらった大切な千歳飴は手放すわけにはいな

かいので、しっかり握りしめているのである。

頭中田麻紗子

鮫の群れが泳ぎ廻っている。鋭い歯をもっ

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た巨大な鮫である。あるいは水面を泳ぎ、あ

るは深く潜り、海をわがもの顔に占領してい

る。そ

のうち強風が出てきたのか波頭が尖って

きた。いやそうではない、鮫の群れが一斉に

潜ったせいなのだ。

影倉田洋子

鮫の泳ぎまわる海。繁殖のためか餌が豊富

にあるせいか、鮫が群れる。ここは鮫のため

の海なのである。折しも上空をジェット機が

飛行機雲を引いて飛び去った。鮫はそれに関

わりを持たず、飛行機の乗客も鮫の海を知ら

ない。矢

春橋本喜代志

人生は始めからどう生きるか決められるも

のではない。

小林一茶は幼くして母を亡くし、継母に苛

められ十四歳にして江戸へ出た。苦労し紆余

曲折の末俳諧師として身を立てることになっ

た。そして中年を過ぎて故郷に帰るも財産分

与の訴訟を起こさねばならなかった。

波乱の多い彼の人生だったが、彼の句集

「おらが春」は突き抜けた明るさがある。私

も一茶にならって明るくあるがままに生きた

いものだ。

請加藤和子

年も押し迫ったある日、急ぎの用があって

外出すると道路工事のため通行止めになって

いた。迂回路の矢印が立っている。矢印に沿

い脇道をたどって行った。他の場所には片側

通行の矢印があった。年の暮れの気忙しい時

期によりにもよって道普請ばかり、迷惑なこ

とである。

波河野キヨ

新年、恵方にあたる神社に詣でた。大変な

人出で、それをさばくための矢印が処々に立

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っていた。人の波にもまれながら、やっと本

殿に着くことができた。拝礼をし、柏手を打

ち願いごとをした作者である。どうぞこの一

年恙なく幸せでありますように。

る佐々木素風

二〇一一年三月、巨大地震と大津波が東北

地方を襲った。津波が街や家や人を押し流す

凄まじい光景を忘れることはできない。夥し

い数の人々が犠牲になった。心からご冥福を

お祈りする。

あれから五年、復興が進みつ

つあるとはいえまだ十分ではない。半分壊れ

た鉄筋の建物が残り、それには、津波の到達

した高さが印されている。冬の寒々とした風

景の中に。

「それから」の未知の歳月漱石忌平

田節子

漱石の小説「それから」。三年前、代助は

友人平岡への義侠心から自分の想いを断ち切

って美千代を彼に譲った。だが、彼の前に現

れた平岡は失職し、美千代も幸福ではなかっ

た。彼は愛する人を自分の胸のとりもどそう

と決意する。

が、それは二人が社会から追放されること

を意味する。二人の「それから」を漱石は述

べない。

誰にも人生の岐路がある。人はそれからの

未知の歳月に向かって歩く他はないのである。

十二月九日は夏目漱石の忌日である。

暖炉の火節くれし手をかざし合ふ

佐藤テル子

暖炉と言っても農家にしつらえた質素なも

のである。秋のうちに用意した薪を焚いて暖

をとるのである。雪に閉じ込められた冬は比

較的ゆっくりと過ごすことができる。家族は

暖炉の前に集まって農作業で節くれた手をか

ざし、ぽつりぽつりと話をする。ささやかな

団らんの時である。そんな時しみじみと幸せ

を感じるのである。

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む上田雅子

入院している母の面会に行った。老母は、

作者の行くのを楽しみに待っている。話をし

たり、果物を勧めたり、背中さすったり少し

でも病人を慰めたい作者なのである。

そうこうする内に早くも短い冬の日は暮れ

かかった。母と過ごす面会の時間を大切に思

う作者である。

埋み火や峠越えゆく人もなし佐

々木紀昭

寒さ厳しい冬の夜、作者は火鉢の火に灰を

かけ寝る仕度をした。床に入って聞くと木枯

しが吹きすさび瀬川の荒い音が聞こえる。

こんな夜には近くの峠を越えてゆく人もな

いであろう、普通でも静かなこのあたりなの

だから。埋み火は静かに火種を保って、灰の

中にある。

汁水野すみこ

ある事柄について一同で協議することにな

った。しかし、あちらの利害、こちらの都合、

いろいろ言い立てる者が多く協議は紛糾した。

これでは後にしこりを残しかねないと判断し

た調停者は、話を白紙に戻すことにした。

まあまあ、皆で熱い旨い汁でも食べて機嫌

を直そう。出されたのは狸汁だったかもしれ

ない。小

春日や故人ばかりの映画観る藤

井隼子

春に似た暖かな日、作者は友人と映画を観

にいった。昔胸をときめかした名画である。

しみじみとしたストーリー、名優たちの演技。

映画は小津安二郎監督のものか、はたまた他

の監督のものであろうか。ふと考えてみると

映画の出演者はみな故人ばかり。

作者は感動と少しばかりの淋しさを胸に帰

途についたのである。

かたくなに守り継ぐべし雑煮味敷

波澄衣

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正月に、作者は姑から受け継いだ家に伝わ

る雑煮を作った。毎年、心をこめて家族のた

めに作るのである。雑煮は出しのとり方、味

付けの方法、中に入れる具まで考えると無数

の種類ある。関東と関西、その他各地方によ

っても異なる。

各家庭にはその家に伝わる味がある。大事

な行事食だから、是非しっかりとその味を守

り継いでいただきたい。

ひ永福倫子

正月に若夫婦が幼子を連れて帰ってきた。

大人の視線は幼子に集中する。歩いたり、

転んだり、片言をしゃべったり、玩具を握っ

てガンガンと打ちつけてみたり。いつまで見

ても見飽きない。そのうち幼子が思いがけな

いある仕草をした。その可愛い仕草に家中が

笑った。

幼子のもたらしてくれた幸福な初笑い。

隣溝口

暖かな冬の日作者は散歩にでかけた。気の

赴くままに歩いて行った。道の脇の自然は、

春の近いことを感じさせた。

作者は来し方を振り返った。希望のあふれ

た十代の頃、学問に励んだ二十代の頃、壮年

期の働き盛りの頃、そして退職して悠々と過

ごす今。

これまでの人生で何度か岐路があった。そ

の度先輩の意見も聞き、熟慮し進べき「矢

印」を見つけ、その矢印のままに生きてきた。

今春真近のような穏やかな心境である。

匙触れてゼリーぷるんと目を覚ます

佳苑

夏、小奇麗な喫茶店でゼリーを注文した。

よく冷やされガラス器に盛られたゼリーが運

ばれて来た。半透明な色の美しさ、冷蔵庫で

固められた優美な形。夏の嗜好品として最高

のものだ。

食べようと匙を触れると、プルンと弾力を

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感じた。まるで匙に触れてゼリーが眼を覚ま

したように。

椿

に平田節子

赤い椿が落ちてゆく。果てしなく深い無明

の闇の奥に次々と落ちていく。無明とは人が

悟りに達するのを妨げる無知、煩悩の闇であ

る。生

きている限り私たちは煩悩から逃れられ

ない。煩悩の闇を逃れ澄んだ悟りの世界に達

したいものだ。また、一頻り椿が無明の闇に

向かって落ちてゆく。

小満や端枝の伸びのおそるべし西

川青女

五月も半ばすぎた小満のころ、若葉が生い

茂り、日によっては汗ばむほどの陽気である。

我が家の庭も周りの自然も生気に充ち溢れて

いる。

四五日、走り梅雨のような雨が続いたが、

雨があがって庭にでてみると端枝がおそろし

いほど伸びていることだ。

食堂車小躍りしてるゼリーかな住

田至茶

列車での旅の一日、食堂車に行って食事を

すると最後にゼリーが供された。車窓には新

緑に覆われた田園の風景が展開し、列車のサ

ービスも申し分ない。

ゼリーは列車の振動にあわせて小躍りする

ように揺れ、心楽しい旅を祝福しているよう

だ。

ワインゼリー「

受胎告知」

を見しあとに

倉田洋子

ダ・ヴィンチの「受胎告知」。左手に純潔

の証しの白百合を持った大天使が、聖母に

「精霊によって神の子を身ごもった」と告げ

る。その言葉に驚く若く美しい聖母マリアを

画家は生き生きと描いている。

「受胎告知」を見た感動の余韻を胸に作者

は、ワインゼリーを食べようとしている。聖

母マリアの衣の色に似た深い赤色をしたワイ

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ンゼリーを。

老庭師ゼリー手つかずタバコ喫ふ

佐藤辰夫

春先、庭木の枝がひどく伸びたので出入り

の老庭師を雇った。剪定鋏の音をさせ、高い

ところには梯子をかけ見る見る庭木が整えら

れていく。

休憩の時間になり、縁側にお茶とゼリーを

出したが甘いものは好まないのかゼリーには

手を出さず煙草を喫い茶を飲んだばかり。職

人気質の老庭師なのである。やがて腰をあげ

仕事にもどっていった。

戦死せる叔父の遺影に冷し瓜大

塚そうび

戦死した叔父の遺影が仏壇に祭られている。

軍服姿の若く凛々しい写真である。

あれから七十余年も経ったが、戦死の知ら

せに涙した日のことがついこの間のように思

われる。やさしい良い叔父だったのに、あま

りにも若い死が悼まれる。叔父の好きだった

冷し瓜を供え、手を合わせる作者であった。

瓜武末和子

深井戸には夏も冬も清冽な水が湧き出てい

る。その深い井戸に笊を吊るして瓜を冷やす

のである。長い綱をつけた笊を遥か下の水面

まで下ろし、瓜を浸けておく。冷えるのが待

ち遠しい。冷えたら引き上げて切って皆で食

べるのである。あの冷し瓜をなつかしく思い

出す。戦

後てふ貧しきを生き砂糖水城

戸杉生

終戦直後の生活と今を較べると隔世の感が

ある。おいしい食べ物もなかった、流行の衣

服もなかった、住宅事情もひどかった。

今思うとぎりぎりの貧しさだった。が、人

々はそれに屈しないでたくましく生き抜いた。

やっと手に入った砂糖を水にといて飲んだ。

随分と美味しく感じたものだ。

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駄菓子屋の色濃き砂糖水五円佐

志原たま

昔、駄菓子屋に色のついた(多分人工着色

料で色づけされた)砂糖水が売られていた。

赤や黄や緑に濃く着色され、ビニールの細い

筒に入っていた。端を切って飲むのである。

よくお小遣いを握りしめて買いに行ったが、

確か五円だったように思う。

砂糖水と言え

ばこれを思い出すのである。

白寿まで生きて天晴れ梅酒のむ杉

野正依

白寿の方は作者の身近な肉親か、あるいは

もしかしたらご自身のことかもしれない。い

ずれにして、九十九歳の今も矍鑠として生命

力充実しているのである。そして、梅酒をお

いしく飲むのである。何と天晴れな、めでた

いことではないか。私も是非あやかりたいも

のである。

な市川和子

台所の棚の隅に何本かの梅酒の瓶が並んで

いる。毎年庭の梅の木に生る実を収穫し、梅

酒をつけるのである。飲まないまま忘れて歳

を経た梅酒はよい色に熟成し、ラベルも古び

ている。メモを読むと作ったのは今から十数

年も前、何と二十世紀のことだった。

棚の隅に大事に貯えられ、長い間私と共に

あった梅酒なのである。

退

く牧

一男

四十二年間の会社勤めを今年三月で退職し

た。思えば長いサラリーマン人生、色々なこ

とがあった。ユニットバス関連の会社に就職

し、まず浄化槽の資格を取ったりユニットバ

スの墨出しを勉強した。マンションにユニッ

トバスを納入する仕事、大和ハウスなどの住

宅メーカーを担当した時期もあった。

社内、社外の多くの人たちとりわけ妻や娘

に御世話になった。やがて桜が咲き始めよう

かとする時期であった。

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布川奈はる絵

母の日が来るといつも亡き母のことが思い

出される。母は縫物が上手で、よく着物を縫

ってくれた。幼い頃そんな母の傍らで縫物の

まねごとをしたものだ。そんな時母が力布の

ことを(力がかかる箇所の裏につける布の小

片)

教えてくれた。記憶の底にあったそんなこ

とをふっと思い出した。

ね古城由紀子

目の前の梅酒は何年も年を重ねたもので美

しい琥珀色をしている。人生もまた豊かな年

月を重ねることにより、この芳醇な梅酒のよ

うなよい色合いを出すのではないだろうか。

私もそのような人生を送りたいと思う。

闇笹原景林

子どもの頃叱られてお仕置きに蔵に閉じ込

められたことがあった。酷く叱られた原因は

何だったかよく思い出せないが、当時の親た

ちのしつけの厳しさはそんなものだった。

しかし三月とはいえまだ寒く、蔵の闇が怖

かったことを憶えている。

り篠﨑代士子

なんともメルヘンチックな句である。

黄砂と烈風吹きすさぶ中国大陸の奥地、な

にやら怪しげな風体の男たちが風に乗ってや

って来た。髭の男、小男、強面の男、長身の

男。彼らは闇商人たちで、今から近くの街に

あくどい商売をしに行く所なのである。

と思っていると時空はワープして戦後日本

の闇市場になっていた。

小満やリハビリの足二歩三歩荒

木輝二

自然の生気が充ち溢れる小満の季節、長い

病もようやく癒えた。生い茂る緑の木々の間

を五月の風を感じながら、リハビリの足を一

歩また一歩と進める。

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病を治してくれた病院関係者や支えてくれ

た家族に感謝の心がわいてくる。美しい自然

の風景に励まされ元気になる日も近いであろ

う。

か佐藤一歩

人生老境に達し、悟り澄ましている自分だ

と思っていた。然るにあることで人をせめて

いるのに気づいた。なんとしたことだろう。

飲む梅酒の味も錆ついたように苦く感じる。

人間心の奥底まで悟りを開くのは容易なこ

とではない。私もまだまだ修行しなければな

らない。

遠き日の麦藁ストロー砂糖水河

津悦子

子どものころ砂糖水を飲んだ。当時は今の

ようなプラスチックのではなく麦藁のストロ

ーだった。麦畑の黄色く熟れた風景、乾いた

匂いのする麦藁のストロー、砂糖水の甘い味。

どれもこれも懐かしい郷愁を誘う。もう遥

かにむかしのことだ。

赤ちゃんをあやせば泣きし山笑ふ

安武くに子

よその赤ちゃんをあやすと泣きだされてし

まった。人みしりの時期だったのか顔をくし

ゃくしゃにして声をあげて泣くのである。可

愛いのでついあやしたのだが泣かれしまい、

おろおろする作者と微苦笑する母親。

おりしも色々な木々の若葉が芽生え、山笑

う春のさなかであった。

女松村勝美

少女は濡れた黒髪を胸に垂らして立ってい

る。今、海から上がったところなのである。

形よく隆起した胸や健康的な肢体が輝いて見

える。青春真っ盛りの美しい少女。

夏空のもとこの穏やかな海岸で、彼女は又

人魚のように泳ぐらしい。

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初音らし身を乗り出して聞き直す

福田久子

初音を聞いたと思った。もう一度鳴かない

かと身を乗り出して耳を澄ますが、なかなか

鳴いてくれない。見渡すと早春のよく晴れた

空と新緑の山野があるばかりである。

かはほりや橋桁の闇深まりぬ吉

田みゆき

日が暮れかかった川沿いをなにやら盛んに

飛ぶ生き物がある。鳥かなと思って見つめる

と、急反転したり宙返りする独特の飛び方で

蝙蝠だと分かった。

こんなに身近に蝙蝠がいるのかと驚いた。

ねぐらにしている橋桁付近の闇は深まってい

く。蝙蝠は、ますます妖しく飛び交い虫など

を捕食するらしい。

敗戦の闇をくぐりて夜が明けし北

里信子

昭和二十年八月十五日、いわゆる「玉音放

送」によって太平洋戦争は終わった。終戦と

いう言葉で美化したが、あれは敗戦そのもの

だった。戦後、物資が極端に不足し、食べる

ものにも事欠く大変な時代を庶民は懸命に生

き伸びた。

また連合軍の占領下に置かれ、それまでの

価値観が百八十度変わる目にもあった。

そんな敗戦の闇をくぐってようやく明るい

時代が訪れたのである。

下萌えやスイッチバック峠越え永

福倫子

春が訪れ、たくさんの草が萌え出した山の

斜面を列車がスイッチバックで登っていく。

スイッチバックとは列車が急な斜面を上るた

めの仕掛けで、ジグザグに線路を敷いて勾配

をゆるめ列車が方向を変えながら登るのであ

る。列車がスイッチバックで斜面を切り返し

ながら登っていく。それを見ているとなんだ

か勇気が湧いてくる。

この沿線はスイッチバックで有名で鉄道マ

ニアも大勢訪れる。

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会鎗水稔子

人の生き方にはどうすべきという道標はな

い。迷い悩みながら懸命に生きるか、あるい

は流されるままに生きるのもよいかも知れな

い。いずれの場合も人生の浮沈、幸不幸があ

る。私もこれまでの人生を振り返ると実にい

ろいろな事があった。

今日、釈尊の誕生を祝う仏生会に来合わせ

た。美しく飾られた花御堂の下には小さな仏

陀の像、寺は参拝の人々で賑わっている。仏

生会に来あわせた幸運に感謝しつつ釈尊の像

に手を合わせて祈る私である。

顔佐藤裕能

電灯に照らされた夜店の光景を懐かしく思

い出す。あれはまだ昭和の時代だった。祭と

もなれば、裸電球がぶら下がった中、綿飴、

焼き烏賊、金魚すくい等々の夜店が連なった。

祭礼の笛や太鼓の音、夜店で焼くとうもろ

こしや烏賊の匂い、がやがやとして賑やかで

そして少しさみしかった。

電灯に照らされて夜店の主人も行き交う人

たちも顔が赫らんで見えたものだ。

す牧

一男

山頂を目指し、一心に登って行く。麓を過

ぎ林を抜ける。鳥の声、木々を吹く風、渓流

が見え隠れする。山仲間と会話を交わす。急

な勾配を息をきらせてなおも登った。

やがて眺望がひらけ、美しい山々が見渡せ

る場所に出た。そこに立っている道標に登山

帽をかけ一服した。実にいい気持ちだ。涼風

が吹き抜けてゆく。

取山田洋子

田草取は重労働である。炎天下、水田に入

って稲の間の雑草を取り除くのである。青田

となった頃から実りの時まで繰り返し水田の

雑草を手でとるのである。

麦わら帽をかぶり、地下足袋をはいて、稲

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の葉の間を雑草をとりながら進むと、ちくり

と脛に蛭が喰いついた。しかも何度も喰いつ

くのである。その蛭を剥がし、「こいつめ」

と一喝して放り捨て再び草取りを続けた。辛

かったが一方懐かしい思い出である。

り篠﨑代士子

身近な若者に蛭を知っているかと尋ねた。

「なにっ、それ」「水田にいる平たいぬる

ぬるしたやつで噛みついて血を吸う。田植え

の時喰いつかれて困ったものだった」「田植

えをしたこともないのに知るはずない」

「では戦争を知っているか?

太平洋戦争

では大勢の人が亡くなり、広島・長崎に原子

爆弾が落とされた。戦後は食べるものにさえ

事欠く大変な時代だった」「ふ~ん、でも僕

たちは平成の生まれだよ。戦争のなんて知っ

てるはずない」と彼は嘯いた。

石楠花や千古の石に言葉あり佐

藤一歩

由緒ある寺院に石楠花が今を盛りと咲いて

いる。山門を経て寺院の庭にいたるまでおよ

そ数十本はあるであろうか。このように見事

な石楠花は初めて見た。実に幸運である。

石楠花の根本には年を経た巨石があり、な

にやらありがたい言葉が刻まれている。近寄

って判読しようとしたが風雨にさらされ、は

っきりとは分からなかった。

し牧野直樹

短い夏の夜の明け方、夢をみた。生き生き

と懐かしい夢のなかにどのくらい遊んだであ

ろうか。

目覚めてああ夢だったのかと思う。

夢の中で感じた快い気持ちが残っているばか

りだ。夢の全体像を思い出そうをするが、捕

え所がなく、ただ夢の欠片が心のなかを遥曳

するばかりだった。

目覚めたくなきこと多し明易し溝

今の夜の中を見ていると気がふさぐことば

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かりである。テロ、改憲問題、相次ぐ地震。

東北大震災の復興が済まないうちに熊本の震

災が起こった。

少子化、いじめなど問題が

多発している。そして隣国のごりおしに対し

て対抗処置も辞せずというきな臭い話も聞こ

えてくるのである。

いっそ目覚めずにいたいが、短い夏の夜は

早くも白々と明けてきた。

走り梅雨棘のひとつの抜けぬまま

中田麻沙子

梅雨のシーズンに先駆けて雨の降り続く日

が四、五日続いている。その雨を眺めながら、

もの思いに耽った。心に棘が刺さったような

出来事が一つあり、心が浮き立たない。ごく

ささいな事から始まったのだが、人の心の微

妙さですぐには解決しそうにない。

虫高松くみ

電灯の灯りに誘われてたくさんの虫達が飛

んで来たものだ。兜虫、くわがた虫、かなぶ

ん、大小の蛾など。蛾が翅を広げて止まると

大きな丸い模様があり、何かに当たると盛大

に燐粉を撒らした。

はるか昔のなつかしい

記憶、そしてなぜか電灯の傘は少し歪んでい

るのだった。

緑なす爆心の地に立つオバマ佐

藤年緒

今年の五月二十七日、アメリカのオバマ大

統領が広島を訪れた。現職のアメリカ大統領

の訪問は実に彼が最初である。

持参した自作の四羽の折鶴のうち二羽を、

代表として参列していた小中学生に贈り、二

羽を原爆資料館に寄贈した。その後被爆者代

表と懇談した。

原爆資料館の前で行われた

彼の演説は、核廃絶を唱えながらも混迷する

世界情勢のなかで思うに任せない苦悩が窺え

た。最後に彼は「核廃絶への長い努力を続け

なければならない。そしてそれは私の生きて

いるうちには実現しないかもしれないが」と

結んだ。

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峰冨岡賢一

雄大な入道雲が立っている。それを見ると

血が沸き立ってくるような気がする。

昔読んだ小説の数々、シェイクスピアから

スタンダール、二十世紀文学まで時を忘れて

読み耽ったものだ。

夏の浜辺で儚い恋もしたような気がする。

どれもこれも遥か昔のことだが、この白い雲

の峰を見るとロマンへの道標であるような気

がする。

日佐竹白吟

遥かな昭和の時代を懐かしくを思い出す。

柔らかな電灯の灯の元、父母や祖父母や兄弟

達と暮らした。卓袱台を囲んでの質素な食事

だった。

卓袱台は時には勉強机にも母の縫物台にも

なった。今のように家具や電化製品などが溢

れる時代ではなかったが、却って心豊かで穏

やかな時代であったように思う。

ゴム印の「よくできました」桜咲く

長田民子

生徒たちの提出物に、毎日目を通していた

現役教師の頃が懐かしい。それらを確認しな

がら生徒の顔を思い浮かべていた。個性ある

生徒達。皆な「よくできました」の桜のマー

クのついたゴム印を押して返してやった。

それから何回か桜のシーズンを過ごし、教

え子が高校合格の報告にやってきた。

音の無き水の世界やあめんぼう飯

野亜矢子

水の上をあめんぼうが滑っていくのを見る

と、どうして沈みもしないで水の上を移動で

きるのか不思議に思う。あの長い六本の脚を

水面に広げ、音もなく動いてゆく。

きっと、何やらあの細長い体を浮かす仕掛

けがあるに違いない。

地震鎮め給へと牡丹にも祈る穴

井梨影女

四月十四日、十六日から熊本を大地震が襲

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った。十六日の地震は震度6・4。その時、

大声で叫びながら倒れる家具などの間をぬっ

て玄関に飛び出していた。何とさけんだかさ

え憶えていない。それは恐ろしいうねりのよ

うなものだった。

その後、震度4程度の地震は絶えずあり、

心身の休まる暇もない。あれからもう二カ月

以上も経つが地震は終わらない。

神仏は勿論、庭に咲いている牡丹にも「地

震を止めてください」、そう祈りたい気持ち

である。

飯佐志原たま

子ども達が巣立ち、夫婦二人になった。長

い間連れ添い、気心のしれた者同士のんびり

と暮している。瓜漬がつけ上がったので、食

卓に出した。簡素な食事だが、皆な手作りで

健康的である。

今日の瓜漬は良くできていておいしい。ぱ

りぽりぱりぱり瓜漬を噛む音。さりげない食

事に幸福を感じた。

姿

る貞永あけみ

私の育ったこの村も昔は子ども達がたくさ

んいて賑やかなものだった。が、いつの頃か

らか過疎化が進み、子どもの声が聞こえなく

なった。

久しぶりに里に帰って、遠い蛙の鳴き声が

聞いているとと懐かしいようなもの寂しいよ

うな気持ちになる。折から日も暮れてきた。

あつと叫びてゴム風船は手を離る

小野啓々

赤い風船を持った女の子が母親といっしょ

に街を歩いていた。街路樹には新緑が燃え、

ショーウィンドウは美しく飾られている。

その時何かにつまづきそうになったか、女

の子は風船を持った手を離してしまった。

「あっ!」と叫んだが後の祭り、風船は女の

子の手を離れぐんぐん青空に吸い込まれてい

ったのである。

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新茶汲む平穏なるを良しとして石

塚未知

新茶が出たので早速買い求めて、お茶を汲

んだ。温めておいた急須に茶葉を入れ、適温

にさました湯を注いでしばらく待つ。心安ら

ぐひと時である。茶葉が開いた頃をみはから

って、湯呑につぎ分ける。よい香り爽やかな

味、心から寛ぐ。平穏無事な暮らしをありが

たいと思う。

日の本の男の子育てん綜結ふ上

田雅子

男の孫が生まれた。丸々と肥り元気な産声

をあげた。なんと嬉しい目出度いことだろう。

今日は端午の節句、張り切って綜を作るこ

とにしよう。青々とした笹を三枚敷きひろげ、

中央に糯米粉と米粉を混ぜたものを置き、イ

グサできりきりと三角に巻きあげる。これを

蒸すのである。

この赤子がすくすくと育ち、

やがて立派な日本男子となると期待している。

****

四回にわたり、拙い句評にお付き合いくだ

りありがとうございました。紙面の都合で秀

句を載せられなかったり、私の力不足で作者

の得心のいかない鑑賞になったこともあった

かも知れません。寛恕のほどお願いいたしま

す。私

としましては、この稿を書くにあたりい

ろいろと勉強させていただきました。こんな

機会を与えてくださった眸子主宰に深く感謝

いたします。

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あとがき

私が「少年」に入会したのは平成二十四年九月だから、いまから足かけ六年前になる。

東京の夏行の折り眸子主宰にお会いしたのがご縁で「少年」に入れて頂いた。

以後、隔月に刊行される「少年」を楽しみに待って読み、投稿することになった。

主宰からメモリアルヒストリーのお話があった時、自分の俳句や随筆を一冊にして人様

に読んでいただくには早いと思ったが、主宰の再度のお勧めで、現在の有りのままという

ことで参加させていただくことにした。

私は今、俳句を始めて九年目だが、まだまだ初心者、俳句の奥深さ感じるばかりである。

季節に先だった兼題の作句に苦労している。随筆もどんなテーマを選びどう文章にするか、

まだまだ努力しなければならないことが多い。

六年間の歩みを振り返ると、主宰が温かい眼で導いてくださったのを感じる。心から感

謝申し上げる。また、大分の句会の皆様、とりわけ平田節子様には初学の時より大変お世

話になりました。この場を借りお礼を申し上げる。

平成二十九年五月吉日本

田蟻

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本田 蟻(ほんだ・あり)

本名 本田幸子

昭和21年(1946年)1月31日生まれ

平成21年9月より高崎公民館の句会(平田節子主宰)に参加、

同時に「蕗」に入会

平成24年 大分県俳句連盟新人賞受賞

平成24年9月 「少年」に入会

平成27年 公益社団法人 俳人協会会員となる

どうして「蟻」という俳号にしたのかとよく聞かれる。

俳句を始める随分前だったと思うが〈墓の前強き蟻ゐて奔走す〉

の句がある小説の冒頭に掲げられていた。死者を葬った墓の前を黒

光りする大きな蟻が勢いよく走りまわる。なぜかこの句が鮮やかに

胸に残っていた。

幼い頃、身の回りには多くの蟻がいた。列をなして進む蟻、大き

な獲物を運ぶ蟻、地下の巣で社会生活を営む蟻など。蟻は最も身近

な昆虫の一つ。

内気な子どもであった私は、その昆虫に親しんだのかも知れない。

現住所

〒870-0872 大分市高崎4丁目10の7

TEL:097-544-5240 e-mail:[email protected]

*俳句とエッセイ集 父の写真 少年叢書

初版第一版=平成29年5月20日

著 者=本田 蟻

装 幀=稲田眸子

制 作=稲田眸子

発行者=稲田眸子

発行所=少年俳句会

住 所=〒341-0018 三郷市早稲田7-27-3-201

電 話=0489-59-5765

印刷所=キュービシステム