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グループホーム大道
春を感じながら、みんなで楽しくさるき (歩 き)ませんか?お子様やお年寄りの方も、お友達やご家族を
お誘い合わせのうえ、ぜひ参加ください
【日 に ち】平成25年 3月 9日 (土)※雨天中止当初 10日 を予定 していました /DI、 9日 となり讀した
【集合場所】グループホーム大道 駐車場
【参 力0料】無料
【コ ー ス】
。のんびリコース (約 l km)。しつかリコース (約 2.7km)
【時間&ブログラム】※予定
~10:○○ 集合・受付
○ :40 開会、準備運動、コース説明1
1 ○ :45 スタート、昼食、クイズこたえ合わせ、お楽しみ会
13:30 閉会
【その他】
・駐車場は馬見塚コミュニティのみとなります。
・馬見塚にお住意い以タトの方でも参力0できます。
。昼食 (お l_ぎり、姫さんだご汁、とちこ豆)や飲み物には、
数に限りがあります (loo名分)。 ご容赦<ださい。
保険加入の為、当日受付時にお名前と年齢をお尋ねします。
歩きやすい服装でおこし<ださい。②要紡 は眼鏡をご持参ください)
シールラリーとは
地図をもとに通過ポイントでシールをもらいなが
ら歩いていくことです。(途中、クイズや歴史案内
も楽しめますよ♪)
「みんなが安心 して暮 らせる馬見塚」をめざして
馬見塚さるこうシールラリーの特徴
その① “顔なじみになろう"
顔なじみになり、日頃から支え合い・助け合えるご
近所関係を築きましょう。この機会に、区長さんや、
民生委員さん、大道校区認知症サポー トリーダーの
方々、消防団の方々のお顔も覚えてみませんか?
その② “認知症を知ろう1_
現在85歳以上の高齢者のうち、4人に1人は認知症です (平
成 19年度厚生労働科学研究費補助金研究分担報告書)認知 症 の 方 が 安 心 して
暮らすには、子供も大人も認知症をより理解 し、地域全体で
協力しあう気持ちを共有することから始めましょう。
その③ “子供は地域の宝"
子供たちに馬見塚の歴史を伝えることは、子供たちが馬見塚
を大切に思う気持ちにつながります。また、シールラリーを通
じて、子供達に危険な場所は無いかもチェックをし、子供達を
地域で守つて行きましょう。
ご協力ありがとうございます
方保田区長 野田信一部様、鹿本農業高校様、サンエイメディカル様、シルバーバック山鹿
店様、大道校区認知症サポートリーダーの皆様方、大道小学校様、美容室02様、フラワー
ショップ フクヤマ様、日置区長 内村寛様、馬見塚神社様、馬見塚こども会 岸岡咲子様、
馬見塚消防団の皆様方、馬見塚区長 福山孝様、馬見塚福祉協力員 福山恵子様、馬見塚
美笑会・弥生会の皆様方、馬見塚老人会長 福山英彰様、馬見塚老人会の皆様方、富地嶽神
社様、民生委員 長尾辞子様、山鹿市議会議員 永田紘二様、山鹿市教育委員会様、山鹿市警
察署様、山鹿市社会福祉協議会様、山鹿市地域包括支援センター様、若杉キク子様、若杉久
様、若杉秀純様、若杉勝治様、 他ポランテイアの皆様方 ※アイウエオ順
グルーブホーム大遭は
羮口時の趣●●
「
としても 【お問い合わせ】
グループホーム大道
〒861-0832山鹿市万保田828-2電話&F∧× :46-6553
まつもと いとう
担当 : 松本 ・ 伊東
馬見塚さるこうシールラリーは「平成24年度熊本県認知症サポーター活動活性化事業」の補助金を受けて行います
馬見塚麗出ものがたりなまず
●馬見塚氏と鯰
肥後の国 (熊本)の山鹿の城主に、
馬見塚左馬介市正という殿様がいた。
城は平地にあり、周りを大きな堀で
鵬まれていた。その為、故から攻め
られても、なかなか落ちるような
ものではなかつた。
ある年、隣の麟と戦が始まつた。どう攻めても馬見塚機の城が落ちないので、
敵の兵隊達は、夜にこつそりと堀の上手を切 り、水を抜いて攻め入ることにした。
しかしその時、この端に住んでいた沢山の鯰が敵に土手を切られていることに
いち早く気付いた。
「おい、何か音がせんかい ?」
「ほんなこつなぁ。水も減 りよるごたる !」
「敵が堀ば切 りよるとじゃなかろうか ?重
「そんならおおごつばい。早よ殿様に知らせにゃ IJ
と、鯰の主は、殿様の枕もとへと急いだ。
「殿様、起きてください。一人事です IJ
「何ごとじゃ :そ ちは何者じゃ ?」
「わたしは、堀に住む鯰でございます。今、敵の兵隊達が堀の上手を切つて、城
に攻め込もうとしよります。早よここを逃げてください。さあ、今すぐ私の背中
にのつてください I」
「なんと I攻められるようなこつがあるうか !J
「お急ぎください !今なら無事にこの城から逃げれられます。どうか私を信じて
ください。」
「そうか、お前は堀の主だつたな。うそはあるまい。たのむ :」
「さぁ、お早く !」 と、殿様を背
中に乗せ急いで泳ぎ、難をのがれ
たそうな。
次の日、堀はずつかり干あがり、
馬見塚城は攻め落とされてしまつた。
その堀のあとには、たくさんの鯰が
傷つき死んでいたそうな。
自分達を助けてくれた鯰をあわれ
に思つた馬見塚の兵隊たちは、死んだ鯰たちを堀から引き上げ、丘の上に鯰塚を
作って、大切に葬った。
一方、鯰の主は、殿様を挟間の鬼崎 (大分県曲布市)へ連れてきた。
多くの武士も他の鯰に乗つて助かり、鬼崎へとたどりついたそうな。
その後、馬見塚の殿様tま この鬼崎の地で暮すこととなつたが、馬見塚氏は、こ
の鯰の思を決して忘れることはなかつた。
そのため、今でも鬼崎では、鯰を食べない人が多いそうな。
はさまの伝説と民話 (由布市鷹史民俗資料館元館長二富修二氏監修)よ り ※一部編集、熊本弁にアレンジ
けいこうでんのう
●景行天皇 (第 12代天皇)と馬
その昔、景行天皇が 巡 狩 (古 fヽ 中国で、天予が諸国をも視
したこと)の時、この地で馬を見られたという伝説がある。
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その昔、戦により斃れた馬を葬 り、塚を作つて馬を
弔ったことから、この付遁を馬見壕と言うようになつた
という説もある。
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0馬への弔 い
グループホーム大道 馬見塚さるこうシールウリー 平成25年 3月 9日
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