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永 瀬 唯 の サイエンス・ パースペクティブ - Hitachi29 試作第1号機 1947年 木の桶、3本脚の手づくり洗濯機 角形攪拌式1号機SM-A1 1952年 日立洗濯機1号機は米軍向け

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Page 1: 永 瀬 唯 の サイエンス・ パースペクティブ - Hitachi29 試作第1号機 1947年 木の桶、3本脚の手づくり洗濯機 角形攪拌式1号機SM-A1 1952年 日立洗濯機1号機は米軍向け

永瀬唯(ながせ・ただし)

1952年生まれ。1987年、サイバー

パンクムーブメントを契機として、

技術文化史、SF思想史を中心と

した評論活動を開始。明治大学

理工学部講師。著書『宇宙世紀

科学読本 スペース・コロニーと

ガンダムのできるまで』(角川書店)、

『腕時計の誕生』(廣済堂出版)、

『京極夏彦の世界』(青弓社)、『欲

望の未来 機械じかけの夢の文

化誌』(水声社)ほか。

永 瀬 唯 の

サ イ エ ン ス・

パースペクティブ

28「ビートウォッシュ」写真◎川本聖哉

「 洗 う マ シ ン 」 の 進 化 論

Page 2: 永 瀬 唯 の サイエンス・ パースペクティブ - Hitachi29 試作第1号機 1947年 木の桶、3本脚の手づくり洗濯機 角形攪拌式1号機SM-A1 1952年 日立洗濯機1号機は米軍向け

29

試作第1号機 1947年木の桶、3本脚の手づくり洗濯機

角形攪拌式1号機SM-A1 1952年日立洗濯機1号機は米軍向け

日立家電の歴史の始まりを告げた

電気洗濯機

 常磐線常陸多賀駅のすぐそば、東に太平洋

をのぞむ海岸と常磐線にはさまれた一画に、

日立グループの家電製品部門を担当する日立

多賀工場はある。

 この工場を運用するのは、2006年春、株

式会社日立空調システムと日立ホーム&ライフ

ソリューション株式会社が合併してできた日立

アプライアンス株式会社多賀事業所だ。

 洗濯機をはじめ、電子レンジや電気掃除機、

ジャー炊飯器、それに小型の汎用ポンプなど、多

賀工場ではさまざまな製品がつくられている。

 日立製作所が洗濯機を初めて商品化したの

は1952(昭和27)年。日立グループにおける

生活家電製品の歴史はここに始まる。

 以来54年を経た現在、海外工場でも電気洗

濯機をつくっているが、日立の洗濯機の代表と

もいうべき高機能の最新製品は今なお、ここ多

賀工場で製造されている。

 多賀工場の歴史に詳しい富岡則夫(家電事

業部

商品計画本部

知的財産権部

部長)は

語る。

 「実は、日立の電気洗濯機への取り組みは、

1946年にはすでに始まっていました。開発開

始は夏ということですから、終戦から丸一年の

後のことです。翌'47年には完成した試作品は、

3本脚の台にモーターをとりつけ、これを動力

源として、上に置かれた木の桶の中の攪拌装置

を駆動していました。まだまだ技術が未熟だっ

たこともあり、商品化には至りませんでしたが」

 そして5年、米軍からの受注により、商品と

しては日立製作所最初の電気洗濯機が世に出

ることとなった。

 「ただし、1号機と同じ木製の桶を洗濯槽に

した試作2号機による研究開発は進められて

いたものの、商品としての実績はまだありませ

んでした。商品化に向けての本格的な開発は、

この発注を受けて開始されたのです」(富岡)

 多賀工場では不眠不休で開発が進められ、

1952年5月、ついに100台の洗濯機が構内

に勢ぞろいした。型式名をSM-

A1というこの洗

濯機は、民間向けにも市販されたが、まだまだ

重く、値段も高かった。しかも、アメリカ製を手本

としたこの洗濯機には攪拌式という、日本の風土

に最適とはいいがたい方式が採用されていた。

「移動渦巻き式」の開発で

洗浄方式のせめぎ合いに終止符

 終戦後、日立を筆頭に電気洗濯機を商品化

した国内メーカーは、まず、アメリカから学んだ

攪拌方式を採用した。しかし、そこへ英国フー

バー社製の噴流式洗濯機が輸入された。

 主管技師の大杉寛(家電事業部

多賀家電

本部)の解説を聞こう。

 「洗濯機にはいくつもの方式があります。大

きく分ければ、攪拌式とドラム式、そして渦巻

き式の三つです。現在でも国や地域により洗濯

の方式は違っていて、アメリカでは攪拌式、ヨーロッ

パではドラム式が、そして、アジア地域では日本

にならって、いわゆる渦巻き式が好まれています。

 攪拌式の洗濯機では底いっぱいの大きさのア

ジテーターという装置を使います。大きな羽根

をつけたこのアジテーターは、120度回転した

ところで逆転します。ガクンガクンと回転方向

を変えるたびに、水に浸かった洗濯物はゆさぶ

られ、洗われます。

 一方、ヨーロッパのドラム式は円筒を横倒しに

した形のドラムを回転させます。洗濯物は回

転のたびに頂点から下へと落ち、その衝撃で洗

濯が行われます。

 英国で採用された噴流式は、アジテーターよ

り小さなパルセーターという装置が槽の壁面に

あり、これを高速で回転させるというものでし

た。噴流式は高速回転のため、洗濯時間も短

くすむうえに機構的にもよりシンプルで、製造

コストを抑えることもできました」

 しかし、こういった長所にもかかわらず、いまだ

にアメリカでは攪拌式、ヨーロッパではドラム式が

好まれている。なぜ、地域によって異なった方式が

採用されているのか、富岡は「それにはわけがあ

る」と言う。

 「まず、水が違います。ヨーロッパで使われる水

道の水はいわゆる硬水で、洗剤も溶けにくいの

です。これに合っているのがドラム式で、使う水

を少なくできる。しかも、洗濯物の生地が傷み

にくいという長所があるのですが、ただし、きわ

めて重い。当時のドラム式は、ゆうに100kgは

あるのです。アメリカでは、硬水と軟水と地域に

よって使える水の性質が異なっていることもあっ

て、ドラム式と同じく生地が傷みにくい攪拌式

が採用されましたが、これも重く、逆回転を間

欠的に繰り返すため、内部の機構が複雑にな

り、製造コストも高くつきました」

 日立では、最初の攪拌式に続いて、ドラム式

も発売、さらに、1953年には、初の小型機、

攪拌方式のRA-

1を発売した。さらには、攪

拌式とドラム式、噴流式をめぐる各社のせめぎ

合いのさなかの1955年、日立製作所は、噴流

式を改良した渦巻き式、厳密には「移動渦巻

き式」

の洗濯機SH-

PT1を市場に投入、こう

した競争に終止符を打つこととなった。

一般家庭への普及、

そして1槽式全自動と

2槽式共存の時代へ

 移動渦巻き式では、噴流方式と同じ小型の

パルセーターで水をかき回し、回転する水流を

つくり出す。パルセーターは洗濯槽の下面の端

に配置されており、高速の水流を渦としてつく

り出す。製造コストも安く、しかも、高速運転

のために洗濯時間も短く、ドラム式や攪拌式に

は及ばないものの、噴流式よりは生地の傷みも

ずっと少ない方式が実現したのである。

 これをきっかけに、日本では、アメリカの攪拌

式やヨーロッパのドラム式に代わって、日立にな

らった渦巻き式が主流となった。

 1957年になると、洗濯機の普及率はつい

に10%を超える。白黒テレビや冷蔵庫に洗濯

機を加えて「三種の神器」

と呼ぶようになった

のはまさにこの年のことだった。

 そして迎えた1960年、日立は二つの革新

技術を洗濯機の世界で実現する。

 一つ目は脱水機と洗濯槽が一体になった全

自動洗濯機SC-

AT1(愛称スキャット)であり、

もう一つは、脱水機構と洗濯部分を横に並べて

連結した2槽式洗濯機SC-

JT1だった。

 2槽式のSC-

JT1の技術は、1963年に

発売された2槽式「ペア」

に受け継がれ、その後

しばらくは2槽式が主流の時代が続く。

 ちょっと考えると、1槽式全自動のほうが2

槽式よりも格段に優れているように思える。

しかし、1槽式全自動洗濯機は、構造上の問

題から、この時点では攪拌式を採用せざるをえ

なかった。また、洗濯できる量も少なかった。2

槽式ではこの容量も多いうえに、脱水と洗濯

とを同時並行で行える。つまり、洗濯物がたく

さんある場合には、2槽式のほうが便利だった

のである。そうした変化のさなかの1965年、

攪拌式の1槽式全自動か渦巻き式の2槽方式

かという問題への回答が、この年に発売された

渦巻き式全自動洗濯機PF-

500(愛称ノン

タッチ)によって形となった。

 さらに、洗濯機の普及率がついに86%となっ

た1968年には、日立は2槽式のPSシリーズ

「青空」

を発売、ベストセラーとなった。こうして、

こののちしばらくの間は、高級機としての1槽

式全自動と2槽式との共存の時代が続く。

日本人の洗濯習慣を変えた

「からまん棒」

 ところで、この時代も、そして現在も、アメリ

カやヨーロッパでは相変わらず、それぞれ攪拌式

とドラム式が大きなシェアを占めている。これに

は生活習慣の違いも影響しているのだという。

 「世界的にみると、洗濯を頻繁に行うという

習慣は必ずしも一般的ではありません。清潔

さに対するこだわりも違ううえに、下着まで

まとめて業者に出すという風習がある地域も

あります。

 たとえばタイなどでは、20人とか30人とか集

まって需要ができてくると、洗濯屋さんをやると

いう人間が出てきて、アパートや集落の汚れ物を

下着までまとめて、その業者がやっていたりする

そうです。日本だと、下着までまとめてクリー

ニングに出すという習慣はありません。

 ただし日本でも、江戸や明治の初めまでは、

よほど汚れるまでは洗濯しなかった。ところが、

明治時代に、画期的な道具、つまり、洗濯板が発

明され、たらいと洗濯板とで揉み洗いをするよ

うになったのです」(家電事業部

家電事業企画

本部

事業企画部

部長代理 三好庸一)

 洗濯には、押す、叩く、揉むという三つの方法

がある。江戸時代までの日本では文字どおり

石に叩きつけて洗濯していた。しかし、洗濯板

かくはん

Page 3: 永 瀬 唯 の サイエンス・ パースペクティブ - Hitachi29 試作第1号機 1947年 木の桶、3本脚の手づくり洗濯機 角形攪拌式1号機SM-A1 1952年 日立洗濯機1号機は米軍向け

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移動渦巻き式(手動ローラー絞り機付)SH-PT1 1955年日立独自の移動渦巻き式で洗濯機ブーム

2槽式「ペア」SC-PT200 1963年2槽式洗濯機時代の幕開け

「ノンタッチ」PF-500 1965年世界初の渦巻き式全自動洗濯機

「スキャット」SC-AT1 1960年脱水機と洗濯槽を一体化した全自動洗濯機

を少なくできる。しかも、洗濯物の生地が傷み

にくいという長所があるのですが、ただし、きわ

めて重い。当時のドラム式は、ゆうに100kgは

あるのです。アメリカでは、硬水と軟水と地域に

よって使える水の性質が異なっていることもあっ

て、ドラム式と同じく生地が傷みにくい攪拌式

が採用されましたが、これも重く、逆回転を間

欠的に繰り返すため、内部の機構が複雑にな

り、製造コストも高くつきました」

 日立では、最初の攪拌式に続いて、ドラム式

も発売、さらに、1953年には、初の小型機、

攪拌方式のRA-

1を発売した。さらには、攪

拌式とドラム式、噴流式をめぐる各社のせめぎ

合いのさなかの1955年、日立製作所は、噴流

式を改良した渦巻き式、厳密には「移動渦巻

き式」

の洗濯機SH-

PT1を市場に投入、こう

した競争に終止符を打つこととなった。

一般家庭への普及、

そして1槽式全自動と

2槽式共存の時代へ

 移動渦巻き式では、噴流方式と同じ小型の

パルセーターで水をかき回し、回転する水流を

つくり出す。パルセーターは洗濯槽の下面の端

に配置されており、高速の水流を渦としてつく

り出す。製造コストも安く、しかも、高速運転

のために洗濯時間も短く、ドラム式や攪拌式に

は及ばないものの、噴流式よりは生地の傷みも

ずっと少ない方式が実現したのである。

 これをきっかけに、日本では、アメリカの攪拌

式やヨーロッパのドラム式に代わって、日立にな

らった渦巻き式が主流となった。

 1957年になると、洗濯機の普及率はつい

に10%を超える。白黒テレビや冷蔵庫に洗濯

機を加えて「三種の神器」

と呼ぶようになった

のはまさにこの年のことだった。

 そして迎えた1960年、日立は二つの革新

技術を洗濯機の世界で実現する。

 一つ目は脱水機と洗濯槽が一体になった全

自動洗濯機SC-

AT1(愛称スキャット)であり、

もう一つは、脱水機構と洗濯部分を横に並べて

連結した2槽式洗濯機SC-

JT1だった。

 2槽式のSC-

JT1の技術は、1963年に

発売された2槽式「ペア」

に受け継がれ、その後

しばらくは2槽式が主流の時代が続く。

 ちょっと考えると、1槽式全自動のほうが2

槽式よりも格段に優れているように思える。

しかし、1槽式全自動洗濯機は、構造上の問

題から、この時点では攪拌式を採用せざるをえ

なかった。また、洗濯できる量も少なかった。2

槽式ではこの容量も多いうえに、脱水と洗濯

とを同時並行で行える。つまり、洗濯物がたく

さんある場合には、2槽式のほうが便利だった

のである。そうした変化のさなかの1965年、

攪拌式の1槽式全自動か渦巻き式の2槽方式

かという問題への回答が、この年に発売された

渦巻き式全自動洗濯機PF-

500(愛称ノン

タッチ)によって形となった。

 さらに、洗濯機の普及率がついに86%となっ

た1968年には、日立は2槽式のPSシリーズ

「青空」

を発売、ベストセラーとなった。こうして、

こののちしばらくの間は、高級機としての1槽

式全自動と2槽式との共存の時代が続く。

日本人の洗濯習慣を変えた

「からまん棒」

 ところで、この時代も、そして現在も、アメリ

カやヨーロッパでは相変わらず、それぞれ攪拌式

とドラム式が大きなシェアを占めている。これに

は生活習慣の違いも影響しているのだという。

 「世界的にみると、洗濯を頻繁に行うという

習慣は必ずしも一般的ではありません。清潔

さに対するこだわりも違ううえに、下着まで

まとめて業者に出すという風習がある地域も

あります。

 たとえばタイなどでは、20人とか30人とか集

まって需要ができてくると、洗濯屋さんをやると

いう人間が出てきて、アパートや集落の汚れ物を

下着までまとめて、その業者がやっていたりする

そうです。日本だと、下着までまとめてクリー

ニングに出すという習慣はありません。

 ただし日本でも、江戸や明治の初めまでは、

よほど汚れるまでは洗濯しなかった。ところが、

明治時代に、画期的な道具、つまり、洗濯板が発

明され、たらいと洗濯板とで揉み洗いをするよ

うになったのです」(家電事業部

家電事業企画

本部

事業企画部

部長代理 三好庸一)

 洗濯には、押す、叩く、揉むという三つの方法

がある。江戸時代までの日本では文字どおり

石に叩きつけて洗濯していた。しかし、洗濯板

なら、揉み洗いが手軽に個々の家庭でできる。

こうしたこともあって、日本では洗濯を頻繁に

行う風習が定着していったのだという。

 「戦後は、そこに洗濯機が登場し、洗濯する

ことへの日本人のこだわりは加速されていきま

す。しかし、1980年代以前にはまだ、そのこ

だわりは、衣料が汚れたら着替えし、汚れ物が

たまったら洗うという域にとどまっていた。とこ

ろが、1980年代には、それが一度着たものは

すぐに着替えし、即座に洗濯するようになって

いくのです」(三好)

 そのきっかけになったのが、1982年に日立

が発売した「からまん棒」

を代表とする全自

動洗濯機だった。

 「からまん棒では、槽の底のパルセーターを大

型化し、攪拌方式のアジテーターに近いものに

しています。ただし、アジテーターが120度で

反転するのに対して、従来の渦巻き式と同じ

く360度の回転を行っている。加えて反転ま

での時間は従来の渦巻き式よりは短く、ほんの

数回転で逆転します。しかし、これを実現する

ためには、従来の2倍以上の伝達トルクが必要

とされ、また、短時間での反転を可能にする、

まったく新しいタイマー機構も実現しなければ

なりませんでした。しかも、槽の底の中心に新

方式のパルセーター(パルジテーター)を置くた

め、渦が固定されることになり、衣類が絡みや

すくなってしまうという問題も生じたのです」

(家電事業部

多賀家電本部

家電第一設計部

部長 鍛治信一)

 高速で回転する水流をつくり出す渦巻き式

は、短時間で洗濯をすませることができるが、

生地は傷みやすい。その原因は洗濯物が絡み

やすいことにあった。

 「それを解決したのが、槽の中心に『棒』を

立てることだったのです。底部に配置したパルジ

テーターの羽根とともに、この棒の部分でも水

流をつくり出し、衣類の絡みを防止する。結局、

発売された商品は、パルセーター(パルジテーター)

の羽根の直径が従来の1・8倍と大きいうえに、

真ん中に突き出た棒で絡みを防止するという

画期的なものとなりました」(大杉)

 この「からまん棒」

あたりを境に、日本人の

洗濯にまつわる習慣は、「汚れたから洗う」か

ら、「一度着たら、すぐに洗濯する」というよう

に変わっていく。

 「たとえば、ずっと以前には、手ぬぐいやタオル

で体を拭いていたのが、バスタオルを使うように

なり、さらに一人一人別々のバスタオルを使うよ

うになりました」(大杉)

 そうなると当然、洗い物の量も増えていく。

しかし、日本の家屋の事情から、洗濯機本体の

大きさは変えられない。そんなきびしい条件の

もとで、洗濯機の容量は1980年代から'90年

代にかけて着実に増えていく。

 「'80年以前の洗濯機の主流は2・5

kgでした。

これが、'80年代から'90年代にかけて、3kgから4

kg、5kgと増えてゆき、今ではコンパクトでも8kg

とか、最大では10

kgのものもあります。縦横高

さ合わせて同じという条件でも3・6

kgが限界

だった容積で今は9kgの洗い物ができるのです

ね」(鍛治)

次世代型「ビートウォッシュ」と、

「洗うマシン」の行方

 1980年代には、こうした新方式に加えて、

マイコン(マイクロプロセッサー)を内蔵すること

により、より精密で複雑な制御ができるよう

になり、また、1987年の「静御前」

を端緒と

して、今までとは桁違いの静音化が追求されて

いった。

 ここに至ってようやく、全自動機のシェアは伸

びはじめ、1990年にはついに、2槽式を追い

抜くことになる。

 そう、1990年代は、ほぼ完成された技術

が深化してゆく、静かなる革新の時代となった。

エレベーターや新幹線の回で紹介したように、

1980年代の後半から'90年代にかけては、交

流電流をいったん直流にかえてから交流に変換、

きわめてなめらかな制御が行えるインバーター

技術が普及、電気製品にも革命をもたらした。

この技術は、まだ一部の機種ではあるが、洗濯

機にも実装された。また、節水技術も驚異的

なレベルに達している。

 むしろ、今、注目すべきは、乾燥機が一体化

された洗濯乾燥機だろう。2001年には、従

来の全自動洗濯機と同じ形、同じ容積の洗濯

乾燥機が登場、5年後の現在では年間需要の

25%を超えるにいたっている。

 こうした変革を象徴しているのが、最新製

品の「ビートウォッシュ」シリーズだ。

たた

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「からまん棒」KW-10L 1982年商品特性を伝える画期的なネーミング

2槽式PSシリーズ「青空」 1968年大容量・高機能のベストセラーモデル

「静御前」KW-S421 1987年高速脱水機能と静音性能を同時実現

「お湯取物語」NW-60RS1 1994年風呂水利用という新しいコンセプト

を少なくできる。しかも、洗濯物の生地が傷み

にくいという長所があるのですが、ただし、きわ

めて重い。当時のドラム式は、ゆうに100kgは

あるのです。アメリカでは、硬水と軟水と地域に

よって使える水の性質が異なっていることもあっ

て、ドラム式と同じく生地が傷みにくい攪拌式

が採用されましたが、これも重く、逆回転を間

欠的に繰り返すため、内部の機構が複雑にな

り、製造コストも高くつきました」

 日立では、最初の攪拌式に続いて、ドラム式

も発売、さらに、1953年には、初の小型機、

攪拌方式のRA-

1を発売した。さらには、攪

拌式とドラム式、噴流式をめぐる各社のせめぎ

合いのさなかの1955年、日立製作所は、噴流

式を改良した渦巻き式、厳密には「移動渦巻

き式」

の洗濯機SH-

PT1を市場に投入、こう

した競争に終止符を打つこととなった。

一般家庭への普及、

そして1槽式全自動と

2槽式共存の時代へ

 移動渦巻き式では、噴流方式と同じ小型の

パルセーターで水をかき回し、回転する水流を

つくり出す。パルセーターは洗濯槽の下面の端

に配置されており、高速の水流を渦としてつく

り出す。製造コストも安く、しかも、高速運転

のために洗濯時間も短く、ドラム式や攪拌式に

は及ばないものの、噴流式よりは生地の傷みも

ずっと少ない方式が実現したのである。

 これをきっかけに、日本では、アメリカの攪拌

式やヨーロッパのドラム式に代わって、日立にな

らった渦巻き式が主流となった。

 1957年になると、洗濯機の普及率はつい

に10%を超える。白黒テレビや冷蔵庫に洗濯

機を加えて「三種の神器」

と呼ぶようになった

のはまさにこの年のことだった。

 そして迎えた1960年、日立は二つの革新

技術を洗濯機の世界で実現する。

 一つ目は脱水機と洗濯槽が一体になった全

自動洗濯機SC-

AT1(愛称スキャット)であり、

もう一つは、脱水機構と洗濯部分を横に並べて

連結した2槽式洗濯機SC-

JT1だった。

 2槽式のSC-

JT1の技術は、1963年に

発売された2槽式「ペア」

に受け継がれ、その後

しばらくは2槽式が主流の時代が続く。

 ちょっと考えると、1槽式全自動のほうが2

槽式よりも格段に優れているように思える。

しかし、1槽式全自動洗濯機は、構造上の問

題から、この時点では攪拌式を採用せざるをえ

なかった。また、洗濯できる量も少なかった。2

槽式ではこの容量も多いうえに、脱水と洗濯

とを同時並行で行える。つまり、洗濯物がたく

さんある場合には、2槽式のほうが便利だった

のである。そうした変化のさなかの1965年、

攪拌式の1槽式全自動か渦巻き式の2槽方式

かという問題への回答が、この年に発売された

渦巻き式全自動洗濯機PF-

500(愛称ノン

タッチ)によって形となった。

 さらに、洗濯機の普及率がついに86%となっ

た1968年には、日立は2槽式のPSシリーズ

「青空」

を発売、ベストセラーとなった。こうして、

こののちしばらくの間は、高級機としての1槽

式全自動と2槽式との共存の時代が続く。

日本人の洗濯習慣を変えた

「からまん棒」

 ところで、この時代も、そして現在も、アメリ

カやヨーロッパでは相変わらず、それぞれ攪拌式

とドラム式が大きなシェアを占めている。これに

は生活習慣の違いも影響しているのだという。

 「世界的にみると、洗濯を頻繁に行うという

習慣は必ずしも一般的ではありません。清潔

さに対するこだわりも違ううえに、下着まで

まとめて業者に出すという風習がある地域も

あります。

 たとえばタイなどでは、20人とか30人とか集

まって需要ができてくると、洗濯屋さんをやると

いう人間が出てきて、アパートや集落の汚れ物を

下着までまとめて、その業者がやっていたりする

そうです。日本だと、下着までまとめてクリー

ニングに出すという習慣はありません。

 ただし日本でも、江戸や明治の初めまでは、

よほど汚れるまでは洗濯しなかった。ところが、

明治時代に、画期的な道具、つまり、洗濯板が発

明され、たらいと洗濯板とで揉み洗いをするよ

うになったのです」(家電事業部

家電事業企画

本部

事業企画部

部長代理 三好庸一)

 洗濯には、押す、叩く、揉むという三つの方法

がある。江戸時代までの日本では文字どおり

石に叩きつけて洗濯していた。しかし、洗濯板

なら、揉み洗いが手軽に個々の家庭でできる。

こうしたこともあって、日本では洗濯を頻繁に

行う風習が定着していったのだという。

 「戦後は、そこに洗濯機が登場し、洗濯する

ことへの日本人のこだわりは加速されていきま

す。しかし、1980年代以前にはまだ、そのこ

だわりは、衣料が汚れたら着替えし、汚れ物が

たまったら洗うという域にとどまっていた。とこ

ろが、1980年代には、それが一度着たものは

すぐに着替えし、即座に洗濯するようになって

いくのです」(三好)

 そのきっかけになったのが、1982年に日立

が発売した「からまん棒」

を代表とする全自

動洗濯機だった。

 「からまん棒では、槽の底のパルセーターを大

型化し、攪拌方式のアジテーターに近いものに

しています。ただし、アジテーターが120度で

反転するのに対して、従来の渦巻き式と同じ

く360度の回転を行っている。加えて反転ま

での時間は従来の渦巻き式よりは短く、ほんの

数回転で逆転します。しかし、これを実現する

ためには、従来の2倍以上の伝達トルクが必要

とされ、また、短時間での反転を可能にする、

まったく新しいタイマー機構も実現しなければ

なりませんでした。しかも、槽の底の中心に新

方式のパルセーター(パルジテーター)を置くた

め、渦が固定されることになり、衣類が絡みや

すくなってしまうという問題も生じたのです」

(家電事業部

多賀家電本部

家電第一設計部

部長 鍛治信一)

 高速で回転する水流をつくり出す渦巻き式

は、短時間で洗濯をすませることができるが、

生地は傷みやすい。その原因は洗濯物が絡み

やすいことにあった。

 「それを解決したのが、槽の中心に『棒』を

立てることだったのです。底部に配置したパルジ

テーターの羽根とともに、この棒の部分でも水

流をつくり出し、衣類の絡みを防止する。結局、

発売された商品は、パルセーター(パルジテーター)

の羽根の直径が従来の1・8倍と大きいうえに、

真ん中に突き出た棒で絡みを防止するという

画期的なものとなりました」(大杉)

 この「からまん棒」

あたりを境に、日本人の

洗濯にまつわる習慣は、「汚れたから洗う」か

ら、「一度着たら、すぐに洗濯する」というよう

に変わっていく。

 「たとえば、ずっと以前には、手ぬぐいやタオル

で体を拭いていたのが、バスタオルを使うように

なり、さらに一人一人別々のバスタオルを使うよ

うになりました」(大杉)

 そうなると当然、洗い物の量も増えていく。

しかし、日本の家屋の事情から、洗濯機本体の

大きさは変えられない。そんなきびしい条件の

もとで、洗濯機の容量は1980年代から'90年

代にかけて着実に増えていく。

 「'80年以前の洗濯機の主流は2・5

kgでした。

これが、'80年代から'90年代にかけて、3kgから4

kg、5kgと増えてゆき、今ではコンパクトでも8kg

とか、最大では10

kgのものもあります。縦横高

さ合わせて同じという条件でも3・6

kgが限界

だった容積で今は9kgの洗い物ができるのです

ね」(鍛治)

次世代型「ビートウォッシュ」と、

「洗うマシン」の行方

 1980年代には、こうした新方式に加えて、

マイコン(マイクロプロセッサー)を内蔵すること

により、より精密で複雑な制御ができるよう

になり、また、1987年の「静御前」

を端緒と

して、今までとは桁違いの静音化が追求されて

いった。

 ここに至ってようやく、全自動機のシェアは伸

びはじめ、1990年にはついに、2槽式を追い

抜くことになる。

 そう、1990年代は、ほぼ完成された技術

が深化してゆく、静かなる革新の時代となった。

エレベーターや新幹線の回で紹介したように、

1980年代の後半から'90年代にかけては、交

流電流をいったん直流にかえてから交流に変換、

きわめてなめらかな制御が行えるインバーター

技術が普及、電気製品にも革命をもたらした。

この技術は、まだ一部の機種ではあるが、洗濯

機にも実装された。また、節水技術も驚異的

なレベルに達している。

 むしろ、今、注目すべきは、乾燥機が一体化

された洗濯乾燥機だろう。2001年には、従

来の全自動洗濯機と同じ形、同じ容積の洗濯

乾燥機が登場、5年後の現在では年間需要の

25%を超えるにいたっている。

 こうした変革を象徴しているのが、最新製

品の「ビートウォッシュ」シリーズだ。

 日立では1994年の「お湯取物語」

により、

風呂の残り湯を洗濯に使う節約技術を実現

しているが、ビートウォッシュでは、その残り湯を

乾燥用にまで用いている。いずれの場合も、風

呂水の汚れは、洗剤を使うため衣類に付着す

ることはないし、すすぎ洗いには水道水を使う

ので、洗浄能力を損なうことはない。

 また、洗い水(洗い湯)は循環され、上から繰

り返しシャワー状などにして注がれるため、水

の量も極端に少なくすむ。使う水の量があま

りにも少ないので故障ではないかと勘違いする

ユーザーもいるという。

 水の量が少なくすむのには、もう一つの理由

がある。

 「従来とはまったく異なる形状のパルセーター

によって、洗濯物を跳ね上げては戻し、つまり、

ドラム式のような『叩く』洗い方が採用されて

います」(家電事業部

多賀家電本部

家電第

一設計部

主任技師 宮野譲)

 このため、衣類の絡みという難問も、ドラム方

式なみに改善されている。そのうえに、ビート

ウォッシュでは次代を先取りした乾燥機一体型

となっているのだ。

 では、このビートウォッシュこそ、次の時代の洗

濯機のさきがけそのものなのだろうか?

 日立の技術陣は、そうとは限らないと言う。

確かに、年々、洗濯乾燥機のシェアは伸びており、

このままの勢いが続けば、2010年代には、従

来の全自動洗濯機を抜くことになる。しかし、

どういった方式の洗濯乾燥機が、最終的に主流

となるかはまだはっきりとは見えていない。ま

た、ここまで普及した乾燥機能も、洗濯ごとに

必ず使っているユーザーの数は少ない。雨が続く

ときなど、干しにくい場合に限って使うユーザー

のほうがまだまだ多いのだ。

 ここでも鍵となるのは、使用者側の意識の変

化だろう。集合住宅などで、天日に干しにくい

環境に住む人の数は増えており、また、女性の

下着など、外から見えるところに干すのをいや

がる層は確実に増えている。

 ただし、自然の太陽で干した洗濯物の、あの

心地よさが失われはしないかと嘆くことはな

い。新しい技術が普及したからといって、自分が

選んだライフスタイルを変える必要はないのだ。

たとえば、あの2槽式の洗濯機はそれを望む消

費者が多いからこそ今なお売られており、新製

品も投入され続けている。また、2006年11月、

同社の自社開発では初めてとなるドラム式洗

濯乾燥機を発売。業界最大の直径60

cmのドラム

槽を搭載し、ドラム式の常識を打ち破る仕上

がりを追求しているという。

 ユーザー側の意識の変化に応じて、新しい世

代の洗濯機は製品化されてきた。しかし、それ

ぞれの方式を好む層が無視できない率で存在

する限り、「

古い技術」

であろうとも、滅びるこ

とはない。

 技術がライフスタイルを変えるのでない。ユー

ザーが主体的に選ぶライフスタイルこそが、技

術のありかたを決めてゆくのだ。

しずか

ぜん

けた

Page 5: 永 瀬 唯 の サイエンス・ パースペクティブ - Hitachi29 試作第1号機 1947年 木の桶、3本脚の手づくり洗濯機 角形攪拌式1号機SM-A1 1952年 日立洗濯機1号機は米軍向け

32

「ビートウォッシュ」BW-D9GV 2004年ダントツの洗浄力と節水を実現した第3世代の洗濯乾燥機

「白い約束」NW-D8AX 2001年イオン洗浄で「白さ」を追求

 日立では1994年の「お湯取物語」

により、

風呂の残り湯を洗濯に使う節約技術を実現

しているが、ビートウォッシュでは、その残り湯を

乾燥用にまで用いている。いずれの場合も、風

呂水の汚れは、洗剤を使うため衣類に付着す

ることはないし、すすぎ洗いには水道水を使う

ので、洗浄能力を損なうことはない。

 また、洗い水(洗い湯)は循環され、上から繰

り返しシャワー状などにして注がれるため、水

の量も極端に少なくすむ。使う水の量があま

りにも少ないので故障ではないかと勘違いする

ユーザーもいるという。

 水の量が少なくすむのには、もう一つの理由

がある。

 「従来とはまったく異なる形状のパルセーター

によって、洗濯物を跳ね上げては戻し、つまり、

ドラム式のような『叩く』洗い方が採用されて

います」(家電事業部

多賀家電本部

家電第

一設計部

主任技師 宮野譲)

 このため、衣類の絡みという難問も、ドラム方

式なみに改善されている。そのうえに、ビート

ウォッシュでは次代を先取りした乾燥機一体型

となっているのだ。

 では、このビートウォッシュこそ、次の時代の洗

濯機のさきがけそのものなのだろうか?

 日立の技術陣は、そうとは限らないと言う。

確かに、年々、洗濯乾燥機のシェアは伸びており、

このままの勢いが続けば、2010年代には、従

来の全自動洗濯機を抜くことになる。しかし、

どういった方式の洗濯乾燥機が、最終的に主流

となるかはまだはっきりとは見えていない。ま

た、ここまで普及した乾燥機能も、洗濯ごとに

必ず使っているユーザーの数は少ない。雨が続く

ときなど、干しにくい場合に限って使うユーザー

のほうがまだまだ多いのだ。

 ここでも鍵となるのは、使用者側の意識の変

化だろう。集合住宅などで、天日に干しにくい

環境に住む人の数は増えており、また、女性の

下着など、外から見えるところに干すのをいや

がる層は確実に増えている。

 ただし、自然の太陽で干した洗濯物の、あの

心地よさが失われはしないかと嘆くことはな

い。新しい技術が普及したからといって、自分が

選んだライフスタイルを変える必要はないのだ。

たとえば、あの2槽式の洗濯機はそれを望む消

費者が多いからこそ今なお売られており、新製

品も投入され続けている。また、2006年11月、

同社の自社開発では初めてとなるドラム式洗

濯乾燥機を発売。業界最大の直径60

cmのドラム

槽を搭載し、ドラム式の常識を打ち破る仕上

がりを追求しているという。

 ユーザー側の意識の変化に応じて、新しい世

代の洗濯機は製品化されてきた。しかし、それ

ぞれの方式を好む層が無視できない率で存在

する限り、「

古い技術」

であろうとも、滅びるこ

とはない。

 技術がライフスタイルを変えるのでない。ユー

ザーが主体的に選ぶライフスタイルこそが、技

術のありかたを決めてゆくのだ。

外装工程。 モーター。検査。空気の抜けたゴムボールを入れてわざと負荷をかけて運転し、それでも停止しないかを確認する。

バスケット。ステンレス製バスケットは日立が初めて開発した。

独特の形状をもつビートウィング。

外槽にバスケットとビートウィングをはめ込む。

外枠に外槽を取りつける。四隅をバネつきの棒で吊るして固定。宙吊り状態の外槽だけが振動するしくみ。

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「ビッグドラム」BD-V1 2006年業界最大槽(直径60cm)。自社開発初のドラム式洗濯乾燥機