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80 アメ リカと日本の労働組合 チャールズ ・ウェザーズ 19 世紀初頭以降,労働組合は大部分の先進工業民主主義国において,重要な経済的,政治的役割 を担 って きた。19 世紀か ら 20 世紀初頭 にかけて,労働組合は多 くの国で民主主義的な制度の確立や 労働 者権利 の保護 に役立 った。特 に,西 ヨー ロ ッパや ラテ ンアメ リカで はそれが当てはまるだ ろ う。 1945 年以降,労働組合は先進工業民主主義国の中で,生活水準の上昇や労働条件の改善において重 要な役割 を演 じて きた。 しか し,1970 年代以降の低成長,産業構造の変化,市場指向的な規制緩和 によって,労働組合の力は弱まっている。 アメリカと日本の労働組合の活動は,おそらく先進工業民主主義国のなかで も最 も弱い ものであ ろう。アメリカの労働組合組織率は13%であ り,民間部門だけなら 8.9%となる. 日本の組織率 は 18.2%とアメリカと比べ高いが1) ,組合員の多 くは組合 の活動 に関 してほ とん ど興味 を持 っていな 2) 。この両者の組合活動が相対的に弱いのは,一つには西 ヨーロッパに比べて階級意識が低いこ とや企業の影響力が とて も強いということがあるだろう。そのほかに,アメリカと日本の組合は衰 退局面 に対 して消極 的であ った ことも原 因だ と,多 くの専 門家 は考 えてい る。 しか し 1990 年代に,アメリカと日本の組合活動はその影響力を復活させ るべ く新たな戦略を模索 しは じめた。なかで も重要な ものは組織化活動の強化であ り,非正規労働者や移民を含め,不利な 立場の労働者を代表する取 り組みを強めている。アメリカの主要な労働組合は強い危機意識を持 っ てい ることか ら,過去 の伝統 と決別す ることや よ り攻撃 的な戦略 を採 ろ うとしてい る。他 方 日本で は,危機意識は弱 く,伝統的な協調関係の意識が強いため,組合活動は漸進的な戦略にならざるを 得な くなっている。両国とも労働組合は困難な状況にあるが,歴史的な経緯や企業の経営戟略によ り,組合の戦略 はか な り異 な って現れてい る。 1 労働組合 労働組合は資本主義社会において,労働者組織の重要な形態である。組合の賛成派は,労働組 合 は労働 者 を保護 し,彼 らの利益 を向上 させ る とい う点で,重 要 な役割 を果 たす と考 えてい る。 労働組合の弱体化が,アメリカや 日本でみられる所得格差の拡大や貧困な労働条件の主要な原因 であると多 くの専門家は考えている。たとえば,両国の労働時間は先進工業民主主義国の中で最 1) 組織率は,厚生労働省の統計 (http://www.mhlw.go.Japan/toukei/itaran/roudou/roushi/kiso/06/ kekka.html)を参考 に した。 2) 高橋 ( 1998) ,20-24 ページ。

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  • 80

    アメリカと日本の労働組合

    チ ャールズ ・ウェザーズ

    19世紀初頭以降,労働組合は大部分の先進工業民主主義国において,重要な経済的,政治的役割

    を担ってきた。19世紀から20世紀初頭にかけて,労働組合は多くの国で民主主義的な制度の確立や

    労働者権利の保護に役立った。特に,西ヨーロッパやラテンアメリカではそれが当てはまるだろう。

    1945年以降,労働組合は先進工業民主主義国の中で,生活水準の上昇や労働条件の改善において重

    要な役割を演 じてきた。しかし,1970年代以降の低成長,産業構造の変化,市場指向的な規制緩和

    によって,労働組合の力は弱まっている。

    アメリカと日本の労働組合の活動は,おそらく先進工業民主主義国のなかでも最も弱いものであ

    ろう。アメリカの労働組合組織率は13%であり,民間部門だけなら8.9%となる.日本の組織率は

    18.2%とアメリカと比べ高いが1),組合員の多 くは組合の活動に関してほとんど興味を持っていな

    い2)。この両者の組合活動が相対的に弱いのは,一つには西ヨーロッパに比べて階級意識が低いこ

    とや企業の影響力がとても強いということがあるだろう。そのほかに,アメリカと日本の組合は衰

    退局面に対して消極的であったことも原因だと,多くの専門家は考えている。

    しかし1990年代に,アメリカと日本の組合活動はその影響力を復活させるべく新たな戦略を模索

    しはじめた。なかでも重要なものは組織化活動の強化であり,非正規労働者や移民を含め,不利な

    立場の労働者を代表する取 り組みを強めている。アメリカの主要な労働組合は強い危機意識を持っ

    ていることから,過去の伝統と決別することやより攻撃的な戦略を採ろうとしている。他方日本で

    は,危機意識は弱く,伝統的な協調関係の意識が強いため,組合活動は漸進的な戦略にならざるを

    得なくなっている。両国とも労働組合は困難な状況にあるが,歴史的な経緯や企業の経営戟略によ

    り,組合の戦略はかなり異なって現れている。

    第 1節 労 働 組 合

    労働組合は資本主義社会において,労働者組織の重要な形態である。組合の賛成派は,労働組

    合は労働者を保護 し,彼らの利益を向上させるという点で,重要な役割を果たすと考えている。

    労働組合の弱体化が,アメリカや日本でみられる所得格差の拡大や貧困な労働条件の主要な原因

    であると多 くの専門家は考えている。たとえば,両国の労働時間は先進工業民主主義国の中で最

    1) 組織率 は,厚 生労働 省 の統計 (http://www.mhlw.go.Japan/toukei/itaran/roudou/roushi/kiso/06/

    kekka.html)を参考にした。

    2) 高橋 (1998),20-24ペー ジ。

  • アメリカと日本の労働組合 81

    も長い3)。また,賃金や労働条件は, トラック輸送をはじめ多 くの職種において,急速に悪化 して

    いる4)。しかし他方で,労働組合は生産性を引き下げ,市場原理を歪めると考えている専門家 もい

    る。アメリカ自動車産業の問題は労働組合こそが主な原因であると非難する者さえいる。在米の日

    産工場のある経済開発局専務理事は 「最近の GM の苦境をみて,労組は経済発展を阻害するとい

    う国民の意識が広がっている」5)と述べている。組合批判派の多 くは,西 ヨーロッパ諸国では組合

    が過度な賃金上昇要求や柔軟性のない雇用慣行 (労働時間など)の保護のために運動を展開してい

    ることによって,アメリカや日本よりも低成長と高い失業率に晒されることになったと考えてい

    る6)0

    組合の拡大は,労働者が不平等あるいは不当な扱いを受けた場合,また経営者側の影響力が弱 く

    なった場合,社会政治的環境が不安定な場合に起こる。このことは,アメリカと日本の事例を見れ

    ば明らかであろう。アメリカの組合の拡大は大恐慌期 (1930年代)であ り,日本では占領期初期

    (1945-47年)である。それらの時期には,政治的,経済的な危機が経営者側の影響力を弱め,労働

    者が組合に参加する機会を作 り出した。

    1970年代の困難な経済状況下で,多 くの国の組合活動が弱体化 した。経済成長が減退 したために,

    労働者は賃金上昇やその他利益を得ることが困難になった。技術革新による製造業の持続的な雇用

    減少は,組合組織率低下の主要な原因となった。さらに,効率性を重要視 しないケインズ主義政策

    に代わって,アメリカやイギリスの政策決定者は,コス ト競争をあおるような新自由主義政策によ

    る経済成長を模索しはじめた。

    ユニオニズムの歴史的背景

    最初の労働組合は,近代工場があらわれた産業革命期のイギリスで登場 した。19-20世紀におけ

    る製造業労働者の急速な増加によって,労働組合は拡大した。ブルーカラー労働者は,他の職業集

    団よりも組合に加盟する意欲が高い。また,ブルーカラー労働者のなかに階級意識が形成された。

    というのも,ブルーカラー労働者は,ホワイトカラー労働者との階級や所得の違いを明確に認識す

    るのが容易であったためである。

    第二次大戦後,労働組合は先進工業民主主義国において大きな影響力をもった7)。西ヨーロッパ

    においては,組合は名声を得ていた。その理由は,組合は戦期にファシズムと闘ったことにあ り,

    また多 くの人々が一般の労働者の代表として彼らを高 く評価 していたことにあった。組合の影響力

    は高い成長率に支えられて強まり,ケインズ主義の出現によって,貸金の上昇や労働条件の改善な

    どももたらされた。ケインズ主義は政府に雇用拡大をうながす支出の増大を鼓舞 し,賃金の引き上

    げは経済成長をもたらすという組合の主張を支えた。

    3) 中野 (2006),110ページ,の統計を参照されたい。

    4) タクシー運転手については,中野 (2006),21-22,30,および34ページ,を参照されたい。 トラック運

    転手については,『日経 ビジネスj(2005),30-33ページ,を参照されたい。アメリカの トラック運転手に

    ついては,Milkman(2006),97-100ページ,を参照されたい。

    5) 『日本経済新聞』2006年 1月15日, 4ページ。

    6) 組合のメリットとデメリットについては,フリーマン,メドフ (1987)を参照されたい。日本の組合の

    メリットとデメリットについては,中村 ・佐藤 ・神谷 (1988)を参照されたい。

    7) Luebbert(1991).

  • 82 経済学雑誌 第112巻 別冊 ・前期 (講義資料)

    組合の種類

    先進民主主義国においては,労働組合は主に3種類ある。すなわち,① 職業別組合 (配管工や

    電気工のような特定の職業における労働者を代表する),② 産業別組合 (自動車や小売業のような

    一つ以上の産業における労働者を代表する),③ 企業別組合 (単一企業の労働者を代表する)であ

    る。

    職業別組合は,かつては主要な熟練労働者を代表していて,しばしばエリー ト主義的,差別的で

    あった。しかしその後,ウェイトレスや トラックドライバーなど一般の低い地位の職業においても

    職業別組合が結成されている。なかには,職業訓練や職場斡旋のような重要なサービスを提供して

    いる組合もある。

    多くの専門家は,民主主義の重要性を擁護するためには職業別組合よりも産業別組合の方が良い

    と信 じている。これは一つには,労働市場の規制よりもむしろ大規模な労働者の組織のほうが強い

    力を持つからである。ヨーロッパの,特にスウェーデンの産業別組合は,低い地位の労働者にも賃

    金を引き上げる平等主義的な賃金システムを主張している。1930年代アメリカにおける組織化を促

    したのも産業別組合であった。しかし,職業別組合は21世紀の不安定な職場においては,労働者を

    代表する点でより強い影響力を持つと思われる8)0

    企業別組合は単一企業の労働者だけで構成される。企業別組合は日本において,支配的な組合で

    あるが,その他の先進工業民主主義国では稀である。日本の企業別組合の固有の特徴は,混合組合

    (ブルーカラー労働者とホワイトカラー労働者が混合している組合)ということにある。また企業

    別組合では,賃金の引き上げや労働条件改善というよりも雇用の保護を主張している。日本の企業

    別組合は,協調的な労使関係を重視し,強力な経済成長を支えているとしばしば賞賛されている。

    しかしその一方で,多くの批判者は,企業別組合は経営者側にべったりで,ほとんど労働条件の改

    善をしていないと考えている。

    第 2節 アメリカ労働組合の興亡

    アメリカの組合は,西ヨーロッパの組合に比べてより困難な政治的,経済的環境に直面 してい

    る。ヨーロッパでは社会民主政党は労働組合を強く支持するが,アメリカでは経済的自由主義や

    個人主義,小さな政府という伝統が強いため,組合への支持は弱い。経営者は基本的に労働組合

    を嫌う傾向があるが,アメリカの経営者は特に敵対的であることで有名である。というのも,市

    場における激しい競争がコス ト削減に対する強い圧力になるためである。ヨーロッパの経営者は

    労働組合に歩み寄 りをみせ,競争を減少させるカルテルやビジネス団体の形成のような政策にも

    取 り組む。

    19世紀から20世紀初頭にかけて,敵対的な経営者および非友好的な政府との関係は,アメリカの

    組合運動の弱体化を決定付けるものだった。しかし,大恐慌によってアメリカの伝統的なビジネス

    向けの態度は弱められ,これまで経営者から粗末に扱われていたブルーカラー労働者に対する共感

    が生まれた。そ して1930年代には,フランクリン・D・ルーズベル ト政権によって,「ニュー

    ディール (NewDeal)」(初めて社会保障システムの拡張や組合を支援するなどの一連の政策)がとられることになった。

    世論の支持と法的な保護によって,労働者の代表は積極的に組織化活動に取 り組みはじめた。

    8) 職業別組合と産業別組合の比較については,Milkman(2006),26-76ページ,を参照されたい。

  • アメリカと日本の労働組合 83

    1940年代や50年代では,労働組合はアメリカ経済に強い影響を与えた。1955年には,アメリカ労働

    総同盟 (AmericanFederationofLabor:AFL) と産業別労働組合会議 (Congressoflndustrial

    Organization:CIO)が合併 し,AFL-CIOが誕生した。

    しかし不運にも,労使関係は依然として多くの欠点を抱えていた。つまり,労使関係は依然とし

    て困難で敵対的であったのである。労使関係を安定させるためのシステムは複雑で官僚主義的で,

    悪いことには生産性を減退させてしまった。経営者側はしばしば組合の認定選択への干渉といった

    反組合戟略をとった (アメリカでは,職場で組合を設立するためには労働者が参加する承認投票が

    必要である)。さらに1950年代には,多くの企業が人間関係管理 (HumanRelationsManagement:

    HRM)を使用しはじめた。人間関係管理は,満足のいく賃金や付加給付を提供 し,従業員意識に

    応える管理政策を含んでいる。多くの経営者は従業員に社会的な責任を負うことを求め,人間関係

    管理は労働者の組合加入を弱めることにもなった。

    1970年代半ばには,アメリカは失業とインフレーションに激しく見舞われた。これに応じて,政

    策決定者は経済成長を高める自由市場政策 (新自由主義政策)を強調しはじめた。そして,アメリ

    カは多くの経済部門,特に運輸や通信部門の規制緩和が進められた。結果として,労働組合を持た

    ない企業の設立が容易となり, トラック輸送や航空輸送,建設などの部門で,組織率は劇的に低下

    した。また,輸入が急速に増大し,特に東アジア諸国からの輸入が顕著になった。これは,製造業

    における技術発展による合理化と雇用者数の減少 (と組合加入者の減少)をもたらした。それらの

    変化によって,価格競争がより重要となり,経営者と共和党政権の反組合戦略がより強められるこ

    とになった。

    組織率の持続的な低下にもかかわらず,大部分の労働組合はビジネスユニオニズムを実行しつづ

    けた。これはユニオニズムに対する貧困なイメージに起因している。

    「ビジネスユニオニズムは,組合内部の狭義の経済要求を優先 し,労働者としてのより普遍的な

    社会的 ・政治的要求を取 り上げない。意思決定権や交渉は組合幹部が行い,一般組合員は,組合幹

    部や専従組合員のいわばビジネスクライアントとしてサービス提供を受ける」9)というものであっ

    た。

    第 3節 日本の企業別組合

    日本では,1890年代に労働組合が形成されはじめたが,多くは経営者や政府からの圧力によって

    すぐに潰された。日本ではじめて長期に生き続けた組合は友愛会であり,その設立は1912年である。

    友愛会は労働者の地位向上や経営者との協調に努めた。1921年に,友愛会は日本労働総同盟へと改

    称し,労働者の不満に応えるような政策の実現や政治意識の向上にも努めた。しかし,経営者や不

    信感を抱いている政府からの圧力によって,1920年代と戦時期を通じて,組合活動は弱められた。

    さらに,1920年代半ばにマルクス主義政党は友愛会から離脱した。それ以降,日本の労働組合運動

    は労使協調的組合の団体とマルクス主義的な団体に分かれることになった。

    1945-47年の時期,GHQの占領政策はニューディールによって強く影響を受けており,GHQは

    日本の脱軍事化と民主化を重要視した。労働組合は民主主義の推進にとって重要であると考えられ

    ていたため,GHQは日本政府に対 し,労働組合を支援する法律を成立させるように圧力をかけ,

    労働者による組合設立をうながした。

    9) 戎居 (2005),29ページ。

  • 84 経済学雑誌 第112巻 別冊 ・前期 (講義資料)

    日本の労働者はそれを積極的に受け入れ,何百万もの人々が組合に参加した。労働組合は,経営

    者に対して差別的措置の撤廃やブルーカラー労働者の尊重を要求するなど,重要な役割を果たした。

    1946-47年の頃には,経営者側の影響力は弱くなり,代わって組合の影響力は強くなった。多くの

    組合が経営者と非解雇規約について交渉した。

    企業別組合は日本において支配的な組合の形態となった10)。これは一つには,歴史的にみると

    日本の労働者は職場を中心に組合をつ くってきたことによるだろう。それに加え,日本政府の戦

    時期政策は企業を単位とした組合を促 したことも考えられる。さらに,戦後の厳 しい経済条件の

    下で,ひとつの仕事を維持することが何百万もの人々にとって死活問題であったことも関係 して

    いる。

    1947年には,占領政策は冷戦のために民主主義化から経済再建の強化へと移っていった。アメリ

    カは,ソビエ トに対して,戦う政策ではなく,西ヨーロッパ諸国や日本など同盟国での経済成長を

    促進させることによる 「封じ込め」政策をとることに努めた。また,GHQはあまりにも強くなり

    すぎた組合闘争に不満を抱きはじめ,経営側の影響力を回復させるために,政府と企業の取 り組み

    を支援しはじめた。

    1948年には,GHQ の支援を受けながら,政府と経営者は組合の影響力 (特に左翼系の組合の影

    響力)を弱めていった。この年,政府は公的部門の労働者の団体交渉権やストライキ権を無効なも

    のにした。公的部門の労働者権利の剥奪は,民主主義国のなかでは必ずしも一般的ではない。政府

    はまた1949年に労働組合法を改正し,組合の権利を弱体化させた。そして,アメリカはドッジ ・ラ

    イン (インフレを抑える金融引締め政策)を実施した。 ドッジ ・ラインはインフレーションを即座

    に沈静化させたが,それはまた組合に打撃を与える厳しい景気後退をもたらした。何十万という労

    働者が失業し,解雇をめぐって労働組合と経営者との間に激しい対立が起こって,全国でストライ

    キが発生した11)0

    こうして,組合活動は急速に弱体化した。1949年に組織率は歴史的な高水準である56%に達した

    が,1950年には46%に低下した.左翼系の労働組合からなる全国組織の全日本産業別労働組合会議

    (産別会議)は,1949年までに影響力は完全に失われた。そして,日本労働組合総評議会 (総評)

    が1950年に結成された。総評には労使協調的組合と左翼系組合のどちらも入っていたが,1950年の

    朝鮮戦争の勃発によりイデオロギー対立が激しくなり,多くの労使協調的組合はすぐに総評を離れ

    ていった。そして,かれらによって,1964年に別の全国組織である全日本労働総同盟 (同盟)が結

    成された。

    1949年から1960年までの多くの組合闘争のなかで,左翼系労働組合は大幅に弱体化した。それに

    かわって,労使協調的な組合の影響力は広がった。1949年の東芝争議や1953年の日産争議,そして

    戦後日本の最も激しい労働争議であった1960年の三池争議がその代表例である12)。このような組合

    の交代劇のなかで,労使協調的な組合のリーダーは製造業などの大規模な職場での組合の執行部を

    おさえた13)。また,企業は,労働者の企業へのかかわり合いを強めるために,企業慣行の改善に取

    10) 仁村 (1994)0

    ll) ハルバースタム (1987),183ペ-ヂ0

    12) 日産争議については,ハルバースタム (1987)185-265ページ,三池争議については,小野道 ・中野 ・大

    塚 ・河上 ・沢田 (1989)75-104ページ,を参照。

    13) 木下 (1992)0

  • アメリカと日本の労働組合

    り組んだ。それは労働者をより平等に処遇 し,昇進の機会をさらに与えることであった14)0

    85

    生産性向上と春闘

    労働組合は,雇用確保や賃金引き上げのために,しばしば生産性の改善を擁護する15)。しかし,

    日本の労働組合は特に生産性向上に協力的である。組合はしばしば急激な合理化が雇用を奪うこと

    を恐れるが,日本企業の雇用保護に対する取 り組みは協調的であった。

    左翼系労働組合は,1955年に賃金引き上げの-年毎の活動として,春闘をはじめた。春闘は,企

    業別組合の弱体化を打破 し,多くの組合活動に共同歩調をとらせることで経営側に強い圧力を加え

    るものして計画された。しかし,日本の労働者は組合指導部が期待するほど闘争的ではなく,民間

    部門においても闘争的な春闘はほとんどなかった。春闘への取 り組みを過大に盛 り上げようとする

    傾向もあったが,春闘はかなり協力的な活動になった16)。経済学者は一般的に,高成長,高いイン

    フレーション,労働需要不足,組合圧力がなかったことが高度成長期の賃金引き上げに寄与したと

    主張する。

    低成長期

    ほとんどの組合は賃金の引き上げをそれほど強く要求はしなかったが,春闘は労働者の利益を維持

    するためには,毎年の重要な取 り組みであった。ロナルド・ド-アは,ほとんどの組合員は通常組

    合会議にあまり参加 しないが,「賃金交渉が行われている時は,週二,三回も集会がもたれるのに,

    出席率はほとんど100%である」17) と書いている。 しか し1975年から賃上げ率が減 り続け,結局

    1999年までに実際にはマイナスの賃上げ率になる場合もあった。1975年以降,組織率も同時に低下

    した。

    労使協調的組合は,賃上げ要求を抑制して,労働者の生活水準の改善に代えて政策決定への参加

    を主張することを決めた。協調的組合は,政府に働きかけて審議会にも精力的に参加 し,減税や労

    働時間の縮小,育児支援の改善,その他労働者の利益となる政策の要求を行った。しかし,これは,

    さまざまな論議を呼ぶこととなった。中には,賞賛するものもいれば18), 非効率であり,労働者の

    役に立たないと主張する論者もいた19)0

    さらに,労組の協調主義は,製造業部門において,日本企業の強力な競争優位を維持することに

    貢献 したが,新技術の登場は製造業での雇用減少をもたらした。また,政府はアメリカやイギリス

    の新自由主義政策を採用した。そして1985年に,政府は電電公社や国鉄を民営化 し,総評の影響力

    を弱めた。政府は民営化を拡大 し,公的部門のサービスにも適用 した。その結果,日本の公的部門

    の労働人口は相対的に減少した。多 くの国では公的部門が組合活動強化の拠点 となっているが,日

    本では民営化によって組合活動は弱体化した。

    組合活動を復活させるために,総評 と同盟は1989年に合併 し,ナショナルセンターである連合

    14) 戸塚 (1964)0

    15) 日本の生産性運動についてウェザーズ ・海老塚 (2004)に参照されたい。

    16) 千葉 (1998)0

    17) ド-ア (1987),190ページ。

    18) 例えば,蓮見 (1994)0

    19) 例えば,五十嵐 (1994);『朝日新聞』2006年12月28日, 3ページ及び12月29日, 2ページ。

  • 86 経済学雑誌 第112巻 別冊 ・前期 (講義資料)

    (組合員は800万人にも及ぶ)が結成された。ただ,組合員の積極的な参加が見えないので,「大衆

    行動が目立たないため,幹部による申し入れと紙の運動といった印象」という批判がしばしば出て

    いた 20)0

    第 4節 組合運動の復活に向けて

    アメリカ

    1970年代後半以降,多くの先進民主主義国では,経済成長率が低下し,またサービス部門の比重

    が増大した。そのため,経営側に対する組合の影響力が及ばなくなり,また組織化が困難となり,

    労働組合は弱体化している。アメリカと日本の組合運動は特に急速に弱体化したが,両国の組合の

    多くは,やむを得ず新たな戦略を採用している。

    しかも,1990年代半ばには,AFL-CIOの主導権を改革派が振ることになった21)。それによって,

    急速に組合の活動が変化した。AFL-CIOは積極的に政府や経営側の政策を非難し,女性やマイノ

    リティ,移民労働者などの権利を第-に支援しはじめた。何年ものビジネスユニオニズム指向の組

    合主義の後,組合の主流派は左寄りの政策を支持している。

    1995年以降,AFL-CIO とその活動的組合のいくつかは,組織化活動を強めていった。通常,級

    合はビルメンテナンス職や福祉職,移民の低賃金労働者や低い地位の労働者を組織化しようとす

    る22)。組合は社会正義を主張することで世論の支持を得ようと努めている。また,組合は賃金引き

    上げや労働条件の改善のメリットがあるので,低賃金労働者は組合に参加する意思があることが多

    いことを組合側も理解している。しかし,アメリカの複雑な組合法を使って,経営者側は組織化を

    妨害することが容易にできる23)。そのため,組織率と組合員総数は低下し続けている。

    日 本

    連合は組織率低下をくい止めようとして,組織化活動を強化している24)0 AFL-CIOのように,

    彼らは不利な条件の労働者,特に女性の非正規労働者をターゲットにしている。近年,UIゼンセ

    ン同盟はスーパーマーケットのパートタイム労働者の組織化にある程度成功している25)0 2006年に

    は,かれらにとって重要な賃金の引き上げを得ることができた。

    しかし,連合の大部分の組合は,組織化活動にあまりモチベーションがない。さらに,多くの組

    合は非正規労働者を代表していない。この点で,連合がアメリカの組合よりも危機意識が欠如して

    いることは明白である26)。これは依然として協調的な労使関係の伝統が強いためである。また,不

    平等は拡大しているが,貧困のレベルはアメリカほど厳 しくはない。そのため,連合は,社会正義

    に対する認識については,アメリカの組合よりも低いのであろう。

    日本のコミュニティ・ユニオン (communityunions)など個人加盟ユニオンは別の組合モデルを

    )

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    2

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    2

    2

    2

    『朝日新聞』ウェザーズ

    ウェザーズ

    『ビジネス ・

    鈴木 ・早川

    『朝日新聞』

    の1992年11月19日の社説は五十嵐 (1994)23ページ,に引用されている。

    (2006)0

    (2006),72-76ページ ;ウォン (2005);Milkman(2006)0

    レーバー ・トレン机 (2005).(2006)0

    2006年12月29日,2ページ。

    連合役員との聞き取 り調査,東京,2006年11月1日。

  • アメリカと日本の労働組合 87

    提供 している27)。コミュニティ・ユニオンは通常,企業単位ではなくむしろ個人単位で組織をつく

    る。そして,彼らは,連合と違って個人のもつ不満を取 り上げ,経営側に対抗 しようとする。彼ら

    の活動は効果的であるように見えるが,彼らは資金や人材に乏しく,現在のところ3-4万人程度

    しか組織しえていない28)0

    結 論

    1970年代半ば以降,低成長,新技術による合理化,規制媛和は,すべての民主主義諸国において

    労働組合を弱体化させている。弱体化はとくにアメリカと日本において著しいものである。両国の

    組合は,低賃金や低い地位にある労働者を新たなメンバーと考え,組合組織に参加させようと活動

    を強化している。

    しかし,危機意識は日本の労働組合よりもアメリカのほうが強い。それはアメリカの労働組合が

    ワーキング・プアに代表される不公平や貧困に対して強い関心をもっているからである。それは,

    日本の主流派組合が協調主義に高い価値を置いているのとは異なっている。結果として,アメリカ

    の労働組合は日本の組合よりも政治的となり,組織化運動をさらに強化することになる。アメリカ

    の組合は不利な立場にある労働者を支援したり,基本的な雇用慣行に挑戟するための政治的なキャ

    ンペーンを強めているのに対して,日本の連合は政策決定への参加を強め,経営側との村立を回避

    している。しかし,現状では,両国の組合活動の長期的な弱体化を逆転させるまでには至っていな

    い。

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