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91 Tennessee Williams The Long Good-bye 現在、過去、大過去を通してみた家族の崩壊、 The Long Good-bye から The Glass Menagerie 91 第一章 劇の「場所」:段階的情報開示の重要性 93 第二章 劇の「時間」:現在、過去、大過去 96 第三章 語る MOTHER と語らない父 109 語る MOTHER 109 語らない父 115 第四章 The Glass Menagerie The Long Good-bye 120 家族の崩壊と再生への暗示 134 Tennessee Williams の一幕劇、The Long Good-bye の初演は、1940 年、New York New School for Social Research1919 年創立の私立大学、現在、九学 部、学生数一万人弱、以下、NSSR)であった。この初演は、二月九日、十日、 そして、十四日に、行われたが、これは、この劇の初演であるだけではなく、 彼の劇が、New York で上演されたのは、これが初めてであり、彼にとっては、 記念すべき上演であった。さらに、この劇は、This Property Is Condemned もに、1941 年二月、1942 年六月に、NSSR の学生たちによる、ワークショッ プで、再演された。その後、1946 年に、Massachusetts Nantucket 島にある

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Tennessee Williamsの The Long Good-bye―現在、過去、大過去を通してみた家族の崩壊、

The Long Good-byeから The Glass Menagerieへ―

落 合 和 昭

 序 91

第一章 劇の「場所」:段階的情報開示の重要性 93

第二章 劇の「時間」:現在、過去、大過去 96

第三章 語るMOTHERと語らない父 109

語るMOTHER 109

語らない父 115

第四章 The Glass Menagerieと The Long Good-bye 120

結 び  家族の崩壊と再生への暗示 134

 Tennessee Williams の一幕劇、The Long Good-bye の初演は、1940年、New

York の New School for Social Research(1919年創立の私立大学、現在、九学

部、学生数一万人弱、以下、NSSR)であった。この初演は、二月九日、十日、

そして、十四日に、行われたが、これは、この劇の初演であるだけではなく、

彼の劇が、New York で上演されたのは、これが初めてであり、彼にとっては、

記念すべき上演であった。さらに、この劇は、This Property Is Condemned と

もに、1941年二月、1942年六月に、NSSR の学生たちによる、ワークショッ

プで、再演された。その後、1946年に、Massachusetts 州 Nantucket 島にある

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落 合 和 昭

Straight Wharf Theatre でも上演された。その初演から、二十六年後、1966年に

なって、初めて、この劇は、一幕劇集 27 Wagons Full of Cotton and Other One-

Act Plays の中に収められて、出版された。

 この初演の年、1940年の時点では、第二次世界大戦(1939-45)は、ヨー

ロッパで始まっていたが、日本軍による、1941年の十二月七日(日本時間で

は、十二月八日)のハワイの Pearl Harbor 攻撃(1941)はまだ行われていなか

った。次の上演のとき、1941年二月の時点でも、Pearl Harbor 攻撃は行われて

いなかったが、1942年六月の時点では、すでに、Pearl Harbor 攻撃が行われた

あとであり、アメリカが第二次世界大戦への参戦を決めてから、まだ、間もな

いときであり、アメリカも、その歴史上、 も危機的な状況に置かれていると

きであった。このような世界的な規模の危機に見舞われている状況下にあって

も、劇作家 Williams の関心は、危機的状況下にある国家や社会ではなく、国

家や社会そのものを形成する、いわば、 小の集団である、家族や、その家族

を形成する個人の危機や崩壊に向けられている。それは、彼が国家や社会に無

関心であったという意味ではない。当然のことながら、彼にとっても、第二次

世界大戦は、大きな出来事であったろう。それは、間違いないと思われる。し

かし、それでもなお、劇作家としての、彼の関心は、明らかに、国家や社会そ

のものよりも、その中で生きる、名もない、平凡な家族や個人に向けられてい

る。この劇、The Long Good-bye における、彼の関心は、当時のアメリカにお

いては、それ以前には、それほど顕著には見られなかった兆候、一般家庭の崩

壊に向けられている。よく言われていることであるが、犯罪と同様に、家族、

それを構成する個人にも、その国が置かれている状況が如実に反映される。

国々が、戦争に向かいつつあるとき、しばしば、その国の、伝統的な古い秩序

の中では、いたるところで、矛盾が噴出し、顕在化してくる。いわば、秩序の

たががゆるむか、外れるかしてくる。そして、程度の差はあるものの、それ

が、何らかの形を通して、破局へ向かっていく。その破局のあと、再び、新し

い秩序が模索され、収まるところへと収まっていく。劇作家としての Williams

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

に関心があったのは、戦争や国家の、それではなく、従来の、一般的で、伝統

的な家庭の中にも、様々な矛盾が生まれ、家庭はその矛盾に荒波のようにもま

れながらも、新しい秩序を模索している姿であった。Williams にとっては、国

家よりも、家庭、家庭よりも、個人であった。個人が、すべての面で、出発点

であるということは、ある意味では、Williams は極めてアメリカ的な劇作家で

あると思われる。

第一章 劇の「場所」:段階的情報開示の重要性

 Williams は、この劇の「場所」について、冒頭の「ト書き」の中で、

Apartment F, third fl oor south, in a tenement apartment situated in the washed-out

middle of a large mid-western American city. (p203)

(下線は筆者)

と書いているだけで、その土地がどこであるかを明記していない。彼は、こ

の家族が住んでいる家については、“Apartment F, third fl oor south, in a tenement

apartment”、「共同住宅の三階の南側、F 号室」と、かなり写実的に、詳細な

書き方をしているが、その土地となると、“the washed-out middle of a large mid-

western American city”、「中西部の大都会の活気のない中心部」というように、

曖昧にしている。中西部の大都会と言えば、すぐに思い出すのは、Chicago で

あるが、 同じ「ト書き」、

From the apartment next door comes the sound of a radio broadcasting the baseball

game from Sportsman’s Park.(p203)(下線は筆者)

の中では、アパートの隣の部屋から、“Sportsman’s Park”からの、ラジオに

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落 合 和 昭

よる野球中継が流れてきていると書かれている。ということは、この「場所」

は、Chicago ではないことになる。この“Sportsman’s Park”がある場所は、

Chicago ではなく、St. Louis である。“Sportsman’s Park”は、1933年から 1953年までの二十年間、大リーガーの American League に属する St. Louis Browns

と、National League に属する St. Louis Cardinals という、二つの球団のホーム

グランドであり、この劇が書かれた 1940年当時も、この二つの球団のホーム

グランドであった。

 劇がさらに先に進むと、主人公 JOE の「台詞」、

JOE: The Cards (Cardinals) won a doubleheader. Joe Medwick hit a homerun with

two men on in the second.... (p211)

(下線及び括弧内は筆者、点線部分は省略部分)

の中に、“The Cards”、「カージナルス」が出てくるだけではなく、1937年に、

三冠王に輝いた、カージナルスの Joe Medwick がスリーラン・ホームランを打

ったことまで書かれている。さらに劇が進むと、JOE の妹 MYRA のボーイフ

レンド BILL の「台詞」、

BILL: Whatsamatter? Aren’t you (MYRA) the little freestyle swimming an’ fancy

diving champion of St. Louis? (p219)

(下線及び括弧内は筆者)

の中で、初めて、St. Louis という名前が出てくる。このときは、すでに、劇は、

残すところ、三分の一ぐらいまで進んでいる。

 Williams は、 初から、この劇の「場所」を St. Louis にすることを決めてい

たので、冒頭の「ト書き」で、劇の「場所」を、St. Louis と書けばよいのにと

思われる。それを、わざわざ、“a large mid-western American city”、「アメリカ

中西部の、ある大都会」と書いている。彼は、 初から、読者(観客)に、劇

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

の「場所」が、St. Louis であることを、不明瞭にするために、St. Louis に関す

る情報を、一度に出さずに、少しずつ、劇全体の中に、ばらまくように、小出

しにしている。まず、“Sportsman’s Park”からのラジオの野球中継を流しなが

ら、JOE の「台詞」の中に、“Cards (Cardinals)”という野球チームの名前や、

“Joe Medwick”という選手の名前を出し、この劇の「場所」が St. Louis では

ないかと思わせておいて、 後に、BILL の「台詞」の中で、St. Louis という、

劇の「場所」を、初めて、明らかにしている。この「場所」の名前が出てくる

のは、劇がかなり進んでからであり、けして、劇の早い段階ではない。少々、

手の込んだ、いやらしい手を使っているように見えるが、この種の方法は、彼

が、この劇に限らず、その他の劇の中でも、しばしば使う、劇作術であるの

で、この機会に、そのことに触れてみた。

 「場所」に関する、彼の、このような書き方は、彼が、明らかに、「場所」

を、劇を先に進めるための、一種の動力源、観客をこの劇に引きつけるため

の、一つの装置として使っていることを示している。小説は、「筋」を先へ進

めるための動力源として、「登場人物」の会話 (劇で言う「台詞」) よりも、叙

述(小説の地の文)を、その動力源として使うことができるが、劇の場合、

「筋」を進めるための動力源は、観客にとっては、あくまで、「台詞」ものであ

る(もちろん、劇を読む人にとっては、「ト書き」も動力源であるが)。そのた

め、小説においては、「登場人物」の会話に、駆動する力が無くても、小説の

「筋」を先へ進めることは可能であるが、劇の「台詞」から、その駆動力をと

ってしまうと、劇の「筋」は先へ進んでいくことができない。

 観客は、観劇のとき、心の片隅で、劇の「時間」はいつか、劇の「場所」

は、いったい、どこだろうかという思いを持ちながら、劇を見ている。そし

て、「時間」や「場所」に関して、断片的に、小出しに出されてくる情報を、

絶えず、拾い集め、それを手掛かりとして、「場所」を特定しようと試みてい

るからである。そのため、St. Louis という名前が、「登場人物」を通して、耳

に入ると、ああ、やっぱり、劇の「場所」は St. Louis であったのかというこ

とになり、あらためて、観客は、劇の「場所」について、確信を持つ。このよ

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落 合 和 昭

うな、劇に組み込まれた装置、それは、一見すると、あまり重要でない装置よ

うに見えるかもしれないが、このような類の装置が、いくつか、複雑に組み合

わせられ、融合させられる過程を通して、観客は、知らず知らずのうちに、劇

の世界の中へ導かれていくのである。

第二章 劇の「時間」:現在、過去、大過去

 この劇は、テキストでは、p203から p227まで、二十五ページにわたって

いる、短い一幕劇である。劇の「時間」は、大きく分けて、現在と過去から

成り立っているが、ここからが現在、ここからが過去というように、あるとこ

ろで、明確に、二分されているわけではない。劇においては、通常では、時系

列に、劇は進んでいく。まず、過去があり、次に、現在があるのが普通であ

るが、ときには、現在の中に、過去が、部分的に、回想の形で、割って入るこ

ともある。その場合でも、現在を取り扱っている劇であるならば、現在の「時

間」が長く、過去が短いのが普通である。

 この劇でも、主として、現在の「時間」の中で、進行していくが、過去の

「時間」が、突然、観客 (読者) には、ほとんど気づかれないような形で、現在

の「時間」の中に、こっそりと、まるで、忍び込むかのように、入り込んでく

る。そして、しばらく、過去の「時間」が続いたあと、突然、ほとんど気づか

れないような形で、再び、現在の「時間」へ戻って、劇は進行していく。その

ため、現在の「時間」と過去の「時間」の垣根が、極めて低く、その境目が不

明瞭にされている。この形式、すなわち、主なる「時間」である、現在の「時

間」の中に、過去の「時間」が、ふと顔を出すような形で、入り込んでくる形

式が、計四回にわたって、繰り返される。そのため、この劇は、現在の「時

間」と過去の「時間」を、繰り返し行き来するような形で、進行していき、

後は、現在の「時間」で終わり、 初と 後の場面が、現在の「時間」で、締

めくくられていることになる。すなわち、劇の「時間」は、簡略化してみる

と、

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

「現在 (1)」→「過去 (1)」→「現在 (2)」→「過去 (2)」→「現在 (3)」→

「過去 (3)」→「現在 (4)」→「過去 (4)」→「現在 (5)」

となる(現在と過去の後の数字は、それぞれの時系列的な順番を示している)。

このように、現在の「時間」と過去の「時間」が、交互に、現れ、それが、何

度も繰り返されると、それぞれの時間が、その度ごとに、寸断されるのではな

いかと思われるが、この劇の「時間」の中では、現在と過去が、明確に、切り

離されたものではなく、現在と過去という、二つの「時間」が溶け合い、混じ

り合って、同じ一つの「時間」になって、流れているように感じられる。

 

 この劇の、この四回にわたる過去の場面の挿入を具体的に見ることによっ

て、Williams が、この劇の中で、どのように、現在の「時間」と過去の「時間」

を取り扱っているのか、さらに、詳しく見てみよう。

 第一回目の過去の場面、「過去 (1)」から、順次、見ていくことにする。劇

が始まると、 初は、現在の場面、すなわち、「現在 (1)」である。その場面

が、テキストでは、 初から六ページ半近くまで進んだところで、「過去 (1)」が現れてくる。そのときの「ト書き」には、

 Joe stands as if entranced as the Movers pass through to the rear. (p209)

(下線は筆者)

と書かれている。この日、家族が誰もいなくなった、アパートから引っ越しを

しようとしている JOE は、依頼した「運送屋」が目の前を通り過ぎて、奥に

向かっているときに、突然、ぼっとして、何かに我を忘れているように立ちつ

くす。彼は、この少し前に、友人 SILVA との会話の中で、妹 MYRA は、今、

Detroit に住んでいて、ヨットのクラブハウスが写っている、一枚の絵葉書を

送ってきたが、彼女が、そこで、いったい、何をして暮らしているのかわから

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ないという話が出たので、おそらく、そのことが、家を出て行った彼女のこと

を思い出すきっかけとなったのだろう。兄として、彼女のことが急に心配にな

り、彼女のことに思いをはせて、ぼんやりしているのだと思われる。このこと

は、MYRA が、現在は、失踪中であり、現在の「時間」の中には、登場して

こないということを暗示している。

 この、MYRA の絵葉書についての言及のあと、SILVA が、傍らにあった雑

誌を取りあげ、そこに載っている、E. M. Hemingway (1899-1961) について言

及したあと、その記事を読み始める。そのときの「ト書き」には、

Silva begins to read. Myra comes quietly into the room-young, radiant, vibrant with

the glamor that memory gives. (p209)

(下線は筆者)

と書かれている。この「ト書き」の中には、どこまでが現在の「時間」であ

り、どこからが過去の「時間」であるかについて、何も明記されていない。し

かし、よく見てみると、SILVA が雑誌を読んでいるのは、現在の「時間」内、

すなわち、「現在 (1)」の時間内であり、次の文、すなわち、JOE の妹 MYRA

(現在の「時間」の中では、失踪中)が静かに部屋の中に入ってくるのは、過

去の「時間」内、すなわち、「過去 (1)」の時間内であることがわかる。わず

かに、「ト書き」の中の“memory gives”、「記憶がもたらす」が、MYRA の登

場が「過去 (1)」の「時間」内の出来事であることを物語っている。この場面、

現在から過去への移行の場面において、Williams は、現在と過去の境目、本来

なら、現在から過去に移る場合、「時間」としてみれば、その境目は明確であ

るはずである。しかし、彼は、意図的に、現在の「時間」と過去の「時間」の

境目を曖昧にして、その二つの「時間」が、それぞれに、別の「時間」に属す

るものではなく、あたかも、同じ「時間」内に属しているかのように、一つに

溶け合って、流れているような描き方をしている。テキストから見れば、この

「ト書き」の中には、「照明」や「スポットライト」等に関する指示が、何も書

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

かれていないので、それらによる、過去への移行は示されていないことにな

る。この場面では、現在の「時間」のまま、過去への移行を示すものが何もな

い状態で、そのまま、横滑り状態に、過去の「時間」へ移行している。テキス

トには、「ト書き」に、“memory gives”という表現が入っているので、現在か

ら過去への移行は、ある程度は、推測できるが、テキストを持たずに、劇場内

で、この劇を観ている観客にとっては、SILVA が雑誌を読んでいるときに、入

ってくる MYRA は、じっさいに、現在は、ここにいないで、Detroit に住んで

いて、そこから、絵葉書を送ってきたという事実を知りつつも、こっそり入り

込んでくる MYRA は、一瞬、現在の「時間」内に、MYRA が、一時的に、帰

ってきたようにも、感じられるかもしれない。それほどまでに、現在から過去

への移行には、いわゆる、段差がなく、スムーズである。

 この MYRA の登場を持って、「時間」は「現在 (1)」から「過去 (1)」へ移

っていく。「過去 (1)」の場面は、テキストのページでは、p209から p213ま

で、四ページばかり続く。現在の「時間」が、いわば、中断される形で、過去

の場面が始まっているが、この現在の「時間」から過去の「時間」への移行の

引き金となっているのは、MYRA が送ってきた絵葉書である。この絵葉書を

見るという、視覚的な感覚が、瞬時に、JOE に過去を思い出させ、そのことが

引き金になって、現在から過去への移行を促している。視覚という感覚が過去

の「時間」への入り口になっている。ある感覚が、人を現在の「時間」から切

り離し、過去の「時間」へ誘い、現在から過去への移行が、ほとんど何の障害

もなく、何の不自然さも感じさせずに、スムーズに行われていくという書き方

は、フランスの作家、Marcel Proust (1871-1922)が『失われた時を求めて(全

七部)』(1913-1927)の中で用いた、現在から過去へ移行するときに用いた手

法と酷似している。ここに、Williams への Proust の影響を見ることができる。

 この「過去 (1)」の場面は、MYRA が、ボーイフレンドの BILL とデート

に出かけるために、支度をしているところから始まる。兄の JOE は、近頃の

MYRA の言葉遣いの悪さ、下品な服装、付き合っている相手の男のことが気

にかかっている。デートの相手である BILL は、裕福な地区に住む、金持ち

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落 合 和 昭

の息子であるが、JOE は、彼が MYRA の支度を待っている間、彼と話をする

が、その男の横柄な態度や、口のきき方が、気に入らない。支度が終わった

MYRA が BILL とデートに出かけていくところで、この 「過去 (1)」は終わる。

この「過去 (1)」の場面が終わるとき、p213の「ト書き」で、Williams は、

 They (MYRA and BILL) go out. The Movers come in with a dresser. (p213)

(括弧内は筆者)

と書いている。MYRA と BILL がデートに出かけるのと、ほぼ入れ替わるよう

な形で、「運送屋」がドレッサーを運んでくる。すなわち、二人が舞台から立

ち去ったところで、過去の「時間」が終わり、「運送屋」の登場を持って、現

在の「時間」、「現在(2)」が始まる。Williams は、この「ト書き」の中でも、

ここまでが過去の場面であり、ここからが現在の場面であると明記していな

い。一つの「ト書き」の中で、「時間」に関して、何の説明もなしに、過去の

場面から現在の場面への移行が行われている。彼は、現在の場面から過去の場

面へ移行するときも、過去の場面から現在の場面へ移行するときも、同じよ

うに、現在の「時間」と過去の「時間」の垣根を極端に低くして、いや、ほ

とんど、それらの「時間」を同じ次元で、描いている。この劇では、現在の

「時間」と過去の「時間」が、切り離すことができずに、一体となっているが、

Williams は、「登場人物」の登場(このときは、「運送屋」)をもって、過去の

場面から現在の場面への切り替えを行っている。

 第二回目の過去の場面、「過去 (2)」は、p213で、「過去 (1)」の場面の後、

テキストで、「現在 (2)」の場面が、約一ページ強進んだところ、p214から始

まっている。「過去 (1)」の場面から「過去 (2)」の場面の間、すなわち、「現

在 (2)」が、約一ページとは、かなり短い。主人公 JOE と友人の SILVA が、

外で遊んでいる子供たちの声がきっかけとなって、子供時代を思い出しなが

ら、話をしているときに、

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

The sound of roller skates on the sidewalk rises in the silence, as the light fades.

Only the door to the bedroom on the right is clear in a spotlight. (p214)

という「ト書き」が入る。舞台全体の「照明」が暗くなるにつれて、そのとき

まで、歩道で遊んでいた子供たちのローラースケートの音がしだいに消えてい

く。それとともに、舞台の右側にある寝室のドアに「スポットライト」が当た

り、JOE の、ガンを患い、借金を苦に、自殺した母親が、

 MOTHER [softly from the bedroom] : Joe? Oh, Joe! (p214)

という、低い声で、JOE を呼ぶ「台詞」とともに、登場してくる。この時点

で、現在の「時間」から過去の「時間」への移行が行われている。「過去 (1)」の場面と異なる点は、この「過去 (2)」では、「照明」が過去の「時間」から

現在の「時間」への移行を表しているだけではなく、「現在 (2)」の中で、聞

こえていた、子供たち声やローラースケートの音が聞こえなくなることによ

って、現在から過去への移行を表している。「過去 (1)」が絵葉書という、視

覚的な感覚が、現在から過去への移行のきっかけとなっていたが、この「過去

(2)」の場面では、「照明」という舞台装置、子供たちの声やローラースケー

トの音という聴覚的な感覚、すなわち、「音響効果」が、現在から過去への移

行において、重要な役割を果たしている。この「過去 (1)」と「過去 (2)」で

は、視覚、聴覚という、五感のうちの二つの感覚を通して、現在から過去への

移行がなされている。

 「過去 (2)」は、テキストで、p214から p217までの間、正味、三ページ半

ばかり続く。「筋」の面から見ると、この過去の場面は、「過去 (1)」の場面の

続きの形をとっている。母親が、彼女の娘であり、JOE の妹である MYRA の

近の言動が気になり、くれぐれも、よく面倒を見てくれるように、彼に頼み

込む。そして、p217になると、二人の「運送屋」がフロアーランプを運びだ

そうと入ってきたときの、次の「ト書き」と「台詞」、

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落 合 和 昭

Her (MOTHER’s) voice fades out and two of the Movers come in carrying a fl oorlamp.

JOE [clearing his throat] : Where’s the shade to that lamp?

Mother slips quietly out as the sunlight brightens. (p217)

(括弧内は筆者)

にあるように、母親の声がしだいに小さくなり、母親が退場する。現在の「時

間」における、二人の「運送屋」の登場、過去の「時間」における、母親の退

場をもって、「時間」は、突然、過去の「時間」、「過去 (2)」から現在の「時

間」、「現在 (3)」へ移っていく。ここでも、「過去 (1)」の場合と同様に、「運

送屋」の登場が、過去の「時間」から現在の「時間」へ戻るきっかけとなって

いる。「過去 (1)」では、「運送屋」が運び出すものがドレッサーであったもの

が、「過去 (2)」では、フロワーランプに変わっている。JOE が咳払いをして、

二人の「運送屋」に「そのランプの傘はどこ?」と言うと、過去の「時間」に

属している母親は、何も言わずに、こっそりと、舞台から立ち去り、「照明」

も現在の「時間」を表す、明るい日の光の「照明」に戻っていく。「照明」に

よっても、過去の場面から現在の場面への移行が示されている。

 この「過去 (2)」の中で、さらに、注意をしておく必要があるのは、ある日

曜の午後、家族がそろって、田舎にドライブに行ったときのことが、JOE と母

親の間で、思い出話として語られている場面のことである。その思い出は、二

人の間の、次の「台詞」のやりとり、

JOE: Yes. I know. [Now he speaks to himself.] Those Sunday afternoon rides in the

country, the late yellow sun through an orchard, the twisted shadows, the crazy old-

beaten house, vacant, lopsided, and you pointing at it, leaning out of the car, trying

to make Dad stop―

 

MOTHER: Look! That house, it’s for sale! It oughta go cheap! Twenty acres of

apple, henhouse, and look, a nice barn! It’s rundown now but it wouldn’t cost much

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

to repair! Stop, Floyd, go slow along here!

JOE: But he went by fast, wouldn’t look, wouldn’t listen! The snake-face darted away

from the road and a wall of stone rose and the sun disappeared for a moment. Yor face

was dark, your face looked desperate, Mother, as though you are starvng for something

you’d seen and almost caught in your hands― And then the car stopped in front of a

roadside stand. “We need eggs.” A quarter, dime-you borrowed a nickel from Dad. And

the sun was low then, slanting across winter fi elds, and the air was cold. (p216-p217)

の中に描かれている。この場面は、過去の場面の中での思い出話なので、過去

の中の過去ということになり、ここでは、過去の場面が上層の過去であるとす

ると、この思い出話はもう一つ下の、下層の過去ということになり、過去が二

重構造になっている。フランス語で言う、’plus-que-parfait’、すなわち、「大過

去」を連想させる。この、近い過去から、さらに、遠い過去、過去から大過去

へという描き方も、Proust を思い出させるのに十分である。

 「過去 (3)」は、「過去 (2)」の場面から、「現在 (3)」が、テキストで、

p217-p219、わずか、一ページ強、進んだところで、再び、

....He (JOE) removes the stopper from a perfume bottle and sniffs. The light in the

room dims again and the front door is caught in a spotlight. Myra’s voice can be heard

in the hall outside. (p219)

(括弧内は筆者、点線部分は省略部分)

という「ト書き」とともに、現在の「時間」から、過去の「時間」となる。こ

の「過去 (3)」は、テキストでは、p219-p221、二ページ半ばかり続く。ここ

では、JOE が、「運送屋」に運んでもらうものを選り分けるときに、偶然、香

水 (おそらく、MYRA が使っていた香水) のビンを見つけ、その蓋を取り、匂

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落 合 和 昭

いを嗅ぐと、突然、その部屋の「照明」が暗くなり、玄関のドアの上に「スポ

ットライト」が当たる。この「照明」と「スポットライト」の変化に導かれる

ように、玄関の外で、MYRA の声が聞こえ、現在の「時間」から過去の「時

間」へ、瞬時に、移っていく。まるで、JOE が香水の匂いを嗅いだことが、現

在から過去への移行の引き金になったかのようである。ここでは、MYRA の

香水の匂いが、JOE に、彼と彼女の間で交わされた、過去の会話を思い出させ

ている。「過去 (1)」の場面は、絵葉書を見るという視覚的感覚が、「過去 (2)」の場面は、ローラースケートの音という聴覚的な感覚が、現在から過去への

移行の引き金となったが、「過去 (3)」では、香水の匂いという、臭覚的な感

覚がそのきっかけとなっている。ここまで見てきたところから判断しても、

Williams が、現在から過去への移行に際しては、JOE の感覚、五感を媒介にし

ていることがよくわかる。現在から過去への入り口が五感になっている。

 この「過去 (3)」では、MYRA のボーイフレンドである BILL が彼女に強引

に性的関係を迫るのを見て、兄である JOE が出てきて、彼を追い払う。BILL

が帰ったあと、MYRA は、昼間は、Werber & Jacobs で、コルセットに“hooks

an’ eyes”、「ホックと通し輪 (服の二つの部分を締めるために用いる)」をつけ

る仕事(おそらく、彼女にとっては、単純で、退屈な仕事)をしているので、

夜ぐらいは、いろいろな場所へ出かけていって、パッと派手に、楽しい思いを

したいと弁解する。そのとき、二人の話を聞いたのか、母親が二人を呼ぶ声が

かすかに聞こえ、続けて、彼女の、苦しそうな、うめき声が聞こえてくる。次

の「台詞」と「ト書き」、

JOE: It’s Mother, she’s sick, she’s- [Myra runs out hall door and the lights come up

again.] -dead! (p221)

にもあるように、病気の母親が死んだという JOE の声ともに、MYRA が玄関か

ら走り出す。そのとき、「照明」が、再び、明るくなる。現在の「時間」の中で、

そばにいた SILVA が、過去における、JOE の、その叫び声を聞いたかのごとく、

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

 SILVA:What? (p221)

と尋ねるところで、再び、過去の「時間」、「過去 (3)」から現在の「時間」、

「現在 (4)」に戻る。この「過去 (3)」では、「過去 (1)」と「過去 (2)」のと

きのように、過去の場面から現在の場面への切り替えと同時には、「運送屋」

は登場してこないが、やはり、そのすぐあとに、「ト書き」、

 The Movers crowd in again. (p221)

にも書かれているように、登場してくる。

  後になる、「過去 (4)」の場面は、「過去 (3)」の場面から、「現在 (4)」が、わずか一ページ半ばかり進んだ後、p223から p225まで、二ページ強ば

かり、続く。引っ越しのものを片づけながら、JOE は壁から一枚の写真を取り

外す。それは、MYRA が写っているグラビア写真である。彼女は、水泳大会、

Mississippii Valley relays で、新記録を出し、スタイルもよかったので、グラビ

ア写真に載ったのだろう。次の「台詞」と「ト書き」は、JOE が、その写真を

見ている SILVA に、それを返してくれるように言うときの「台詞」と、それ

に続く「ト書き」である。

JOE: Year? Gimme that picture. [He bends over his suitcase to pack the photograph

with his things and as he does so the lights dim a little and Myra comes in. She is

appreciably cheaper and more sophisticated and wears a negligee she could not have

bought with her monthly salary.] (p223)

JOE が、SILVA から受け取った写真を、他のものといっしょに、スーツケース

の中へしまい込んでいるときに、再び、「照明」が少し暗くなり、現在の「時

間」から過去の「時間」へと移行していく。「過去 (1)」の場面では、視覚が、

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落 合 和 昭

「過去 (2)」では、聴覚が、「過去 (3)」では、臭覚が、現在の「時間」から過

去の「時間」への誘いになったが、この「過去 (4)」では、MYRA が写って

いる写真を見ること、すなわち、再び、「過去 (1)」の場合と同様に、視覚を

通して、過去の「時間」へ移行している。

 この「過去 (4)」の「時間」になると、MYRA は、かなり安っぽい感じが

する女になって登場し、彼女の給料では、とても買えそうもないネグリジェを

着ている。この「ト書き」は、すでに、彼女が給料以外の金、しかも、かなり

の金を手に入れていることを暗示している。MYRA は、すぐに、JOE の友人

である SILVA の悪口を言い始め、彼に対する嫌悪感を露わにする。それを聞

いた JOE は、MYRA が、彼女自身の 近の生活ぶりを棚に上げて、彼の友人

を非難していると感じたのか、それに対する反論として、彼女が付き合ってい

る男たちについて、強い口調で、非難を始める。彼によれば、その男たちの首

の後には、性病にかかっている証拠でもある、膿が出ている腫れ物ができてい

るはずである。彼は、おそらくは、彼女も、性病にかかっているかもしれない

ので、血液検査をしてもらったほうがいいと言う。さらに、彼は、続けて、彼

女が、“like a greased pig”、「脂ぎったブタのように」なって、破滅に向かって

いると言い、“you looked like a whore―like a cheap one”、「おまえは、売春婦の

ように見えた、しかも、安っぽい売春婦」とまで言っている。それに対して、

彼女も、JOE の生活ぶりを攻撃して、反撃に出る。彼女によれば、JOE は、誰

も読みもしないような、くだらないものを、一日中、書いているが、それが、

一セントにもなっていない。二人とも、相手に対して、言いたいことは、すべ

て言い尽くしたと感じたのか、「ト書き」と「台詞」、

She (MYRA) laughs and goes out. The lights come up. 

JOE [to himself] : Yeah.... [The 1st and 2nd Movers come back and start rolling

the carpet. Joe watches them and then speaks aloud.] Every stick a furniture out―

before me! [He laughs.] (p225)

(下線は筆者)

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

ともに、MYRA はその場を離れ、「照明」が、再び、明るくなり、「時間」は

過去から現在へ移っていく。この「過去 (4)」の場面から現在の場面に戻って

くるときも、やはり、二人の「運送屋」が登場してきて、カーペットを運び出

すために、巻き取り始める。このことから、「過去 (1)」から「過去 (4)」ま

で、すべての過去の場面で、過去の場面から現在の場面へ引き戻すきっかけと

して、「運送屋」の登場が用いられていることがわかる。

 この場面を 後に、二人は、それぞれ、別れて暮らすことになるが、「ト書

き」の中で、MYRA について、“She laughs”、「彼女は笑う」と書かれ、JOE

についても、“He laughs”、「彼は笑う」と書かれている。この兄妹の気持ちは、

二人とも、別れるに当たって、「ト書き」の中で、並列的に、同じ表現、「笑

う」で、言い表されている。家族の完全なる崩壊を前にして、この「笑う」と

いう動詞の中には、二人にとって、どんな意味が隠されているのだろうか。何

故、二人は笑ったのであろうか。おそらく、彼女が、

MYRA: ....If I was Papa―I’d kick you out of this place so fast it would―Ahhhh!

[She turns away in disgust.] (p225)

(点線部分は省略部分)

父がいたら、すぐにでも、JOE を追い出すだろうと言ったとき、追い出されな

くても、二人とも、もうすぐ、このアパートを出て行くことになっているのだ

から、そう言っても無駄であることがわかっていたので、笑ったのだろう。こ

の笑いの中に、家族は崩壊したものの、何らかの救い、希望のようなものは感

じられないだろうか。いずれにしろ、この時点で、一つの家族は崩壊した。

 この劇の、現在の「時間」は、もちろん、時系列に進んでいる。過去の「時

間」も、四回にわたって、現在の「時間」の中に、顔を出してくるが、その四

回の過去の「時間」も、過去は過去なりに、時系列に進んでいる。五回の現在

の「時間」と四回の過去の「時間」を、テキストから、ページをもとにして、

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落 合 和 昭

順番に選び出して、もう一度、整理するという意味で見てみると、

となる。

 この表からはいくつかのことがわかってくる。第一には、この劇は、全体

で、二十五ページであるが、過去の場面は、第一回目から四回目まで、ページ

数の合計で見ると、十二ページ半である。ということは、全二十五ページのう

ち、十二ページ半は、まるで、量ったごとく、ちょうど半分であり、この一幕

劇では、過去の場面は、全体の半分を占め、過去の「時間」と現在の「時間」

が占める割合が同じであるということになる。現在の「時間」の中に、過去の

「時間」が顔を出すという形式の場合、通常は、現在の「時間」が長く、過去

の「時間」の方が短い場合が多いと思われるが、Williams は、この劇の中では、

現在の「時間」と過去の「時間」が、長さにおいて、均衡するような形にして

いる。さらに、上の表の「現在の場面のページ」と「過去(及び、大過去)の

場面のページ」の欄を見ると、一回目の過去の「時間」は、冒頭から六ページ

半を過ぎたところで始まり、四回目の過去の「時間」の後は、現在の「時間」

が二ページ半続いたのち、この劇は終わるが、一回目と二回目、二回目と三回

目、三回目と四回目の、過去の場面間のページは、約一ページから一ページ半

現在・過去 現在の場面のページ 過去 (及び、大過去) の場面のページ

一回目p203~ p209

(六ページ半) p209~ p213(約四ページ)

二回目p213~ p214

(約一ページ)

p214~ p217(約三ページ半)

(p216~ p217には、大過去が挿入

されている)

三回目p217~ p219

(約一ページ)p219~ p221(約二ページ半)

四回目p221~ p223

(約一ページ半)p223~ p225(約二ページ半)

五回目p225~ p227

(約三ページ)

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

であり、一つの過去の場面が終わると、比較的短い現在の「時間」が入ったあ

と、すぐに再び、過去の場面が始まるというように、過去の場面と過去の場面

の間隔が極めて短い。そのため、前の過去の場面が終わったかと思うと、すぐ

に、次の過去の場面が始まるという具合に、一度、過去の場面が始まると、ほ

ぼ、立て続けてと言っていいほどに、四回の過去の場面が続く。そのためか、

一見すると、この劇は、現在の「時間」が主であり、過去の「時間」が従であ

るように感じるが、じつは、その反対で、過去の「時間」従であり、現在の

「時間」が従であるかのようにも感じられる。

第三章  語るMOTHERと語らない父

語るMOTHER

 母は、過去において、自殺しているために、現在の場面には、一度も、出て

こない。彼女の夫の FLOYD も、過去において、失踪しているので、現在の場

面には出てこない。彼女は、夫が失踪した後に、自殺している。そのため、夫

は、家族三人、妻、息子、娘を残したまま、失踪したことになり、母は、息子

と娘を残したまま、自殺したことになり、 後の残されたのは、息子と娘だけ

ということになる。その娘も、結局、家を出て行く。

 JOE は 、自殺した母について、「現在 (1)」の場面の中で、

JOE: She killed herself. I found the empty bottle that morning in a wastebasket.

It wasn’t the pain, it was the doctor an’ hospital bills that she was scared of. She

wanted us to have the insurance. (p206)

と言っている。彼によれば、病気の母は自殺をしたが、彼女が恐れていたの

は、病気の苦痛ではなく、病院の支払いだった。彼女は、一度、手術をした

が、よくはならなかった。その支払いも、まだ、終わっていなかったため、彼

女の自殺による保険金で、その支払いをするように言い残していた。

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落 合 和 昭

 母が、「過去 (2)」の場面で、舞台上に、初めて登場してきたとき、「ト書き」

には、

Mother appears in the door-a worn, little woman in a dingy wrapper with an

expression that is personally troubled and confused. (p214)

と書かれている。彼女はすり切れた、みすぼらしいドレッシング・ガウンを着

て、悩み苦しみ、困り果てているように見える。この場面で、苦痛を訴える母

親に対して、JOE は、もう一度、病院で検査をしてもらうように、強く勧める

が、母は、もうこれ以上、狭い空間に閉じこめられることを嫌って、

MOTHER: No. This is the way I looked at it, Joe. Like this. I’ve never liked being

cramped. I’ve always wanted to have space around me, plenty of space, to live in the

country on the top of a hill. I was born in the country, raised there, and I’ve hankered

after it lots in the last few years. (p216)

と言って、それを拒絶する。

 彼女は、以前から、狭い場所に閉じこめられるのが嫌いで、いつも、自分の

周りに、空間、しかも、広々とした空間を持ちたいという望みがあり、いつか

は、遙か彼方まで見渡せる、田舎の丘の上に住みたいと思いながら、生活を送

ってきた。というのは、彼女は、高いビルが林立する大都会 St. Louis の中心

部にある、周囲から取り残されたような、活気のない、干からびた一角にあ

る、粗末で、人がひしめき合って暮らしている、共同住宅に住んでいたからで

ある。彼女は、今では、St. Louis に住んでいるが、もともとは、広々とした田

舎で、生まれ育った。そのため、彼女の心の中には、原風景として、果てしな

く広がる土地、見渡す限りの広々とした空間があったのだろう。彼女は、どこ

を見渡しても、高いビルが続き、多くの人々が行き交う雑踏の中で暮らしなが

ら、広く、果てしなく続く空間に憧れを持っていた。彼女は、特に、死ぬまで

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

の数年間は、広大な空間を持つ田舎に住むことに、強い憧れを持っていた。彼

女が、田舎にいかに強いあこがれを抱いていたかについては、続く JOE と母

の「台詞」のやりとりの中で、活写されている。

JOE: Yes. I know. [Now he speaks to himself.] Those Sunday afternoon rides in the

country, the late yellow sun through an orchard, the twisted shadows, the crazy old-

beaten house, vacant, lopsided, and you pointing at it, leaning out of the car, trying

to make Dad stop―

MOTHER: Look! That house, it’s for sale! It oughta go cheap! Twenty acres of

apple, henhouse, and look, a nice barn! It’s rundown now but it wouldn’t cost much

to repair! Stop, Floyd, go slow along here!

JOE: But he went by fast, wouldn’t look, wouldn’t listen! The snake-face darted away

from the road and a wall of stone rose and the sun disappeared for a moment. Your

face was dark, your face looked desperate, Mother, as though you are starvng for

something you’d seen and almost caught in your hands― And then the car stopped

in front of a roadside stand. “We need eggs.” A quarter, dime-you borrowed a nickel

from Dad. And the sun was low then, slanting across winter fields, and the air was

cold. (p216-p217)

 家族は、しばしば、日曜日の午後になると、田舎へドライブに出かけること

があったが、あるとき、車を走らせていると、夕方の太陽が射し込んで、いた

るところに、捻れた陰をつくっている果樹園が目に入ってきた。そこには、ひ

どく古びて、野ざらし状態の家があった。誰も住んでいない様子で、その家は

傾いていた。それを見た母は、ひどく興奮した様子で、その家を指で指し、車

から身を乗り出さんばかりにして、夫に車を止めるように言ったあと、「見て、

あの家は売りに出ているわ、きっと安く買えるわ、二十エーカーもある、りん

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落 合 和 昭

ご園、鶏小屋、それに、あんなにすばらしい納屋もあるわ、今は、傷んでいる

が、手を加えるには、それほどお金はかからないわ、止めて、フレッド、ゆっ

くり行って」、と叫ぶ。しかし、夫は、それを見ようともしなければ、彼女に

耳をかそうともしないで、妻の呼びかけも無視し、さらにスピードをあげて通

り過ぎてしまった。ヘビのように曲がりくねった垣根は、矢のように、遠ざか

り、石の壁のために、太陽が一瞬見えなくなった。彼女は、目にしたもの、も

う少しで、手に入るかもしれないものを必死で求めていたが、ついに、それ

はけして手に入らないことを悟ったかのように、彼女の顔は、急に、暗くな

り、絶望的に見えた。でも、その表情は長続きしなかった。それから、しばら

く行くと、道路際にある、出店の前で止まり、「タマゴを買いたい」といって、

二十五セント、十セント、五セントを夫から借りた。そのときは、もう太陽が

沈みかけていて、太陽の光が冬の野原に射し込んでいたが、空気はもう冷たか

った。

 ここには、St. Louis という混雑した大都会を離れて、広々とした、田舎に住

みたいという母の強い憧れが感じられる。また、その、彼女の憧れに、目を向

けようとも、耳をかそうともしないで、無視し続ける夫の姿も見える。しか

し、彼女は、このような絶望の下にあっても、まるで何もなかったかのごと

く、帰る途中、毎日の食事に必要なタマゴを買う。彼女は、心の中に、田舎、

広々とした空間への憧れ、けして実現することのない憧れを抱きながら、それ

を、胸の底に押し込んで、何もなかったごとくに、生活を続けなければならな

かった。彼女は、その憧れを表に出すことすら許されてこなかった。たとえ、

それを言ったところで、いとも簡単に、無視されてきた。彼女は、単に、空間

的な広さ、自由だけを求めているように見えるが、それは、同時に、閉塞感の

まっただ中にある、大都会での生活から逃れて、広々とした空間へ、心の自由

さを求めていたのかもしれない。というのは、彼女は、

MOTHER: Some people think about death as being laid down in a box under earth.

But I don’t. To me it’s the oposite, Joe, it’s being let out of a box....But I do feel like

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

there’s lots of room out there and .... There’s freedom, Joe, and freedom’s the big

thing in life. It’s funny that some of us don’t ever get it until we’re dead. But that’s

how it is and so we’ve got to accept it. (p217)

(点線部分は省略部分)

と言っている。一般的に、死ぬことは、地下の狭い箱の中に埋められることで

あり、狭い空間に閉じこめられると考えられているが、彼女にとっては、そう

ではなく、むしろ、反対である。彼女にとっては、死ぬことは、現在、彼女が

置かれている空間、狭い箱の中から抜け出ることであり、下に降りていくこ

とではなく、上に向かっていくことである。彼女には、上には、果てしない、

広々とした空間が広がっているように感じられる。そこには、人生の中で、

も大切なものである自由がある。生きているときは、自由を手に入れることが

できずに、死んで、初めて、自由を手に入れることができる人がいる。彼女自

身が、この言い方をしているところから判断すると、おそらく、彼女もその一

人であると感じているのだろう。また、彼女は、死ぬまで、自由になれないと

しても、もしそれが人生なら、それを、あるがままに、受け入れなければな

らないと言っている。彼女は、それも、この世に生まれてきたからには、しか

たがないことであると考えている。ここには、生きているときに、自由を得る

ことができなければ、死こそが、自由へ至る道であるという考えがある。この

ような考えを抱きながら、母は自らの命を絶ったのであろう。死ぬことが自由

になるということは、反対に、生きるということがいかに絶望的であったかを

物語っている。1930年代という、「奇妙な時代」を生きた、母であり、妻であ

る、女性の姿である。

 アメリカの『独立宣言』 (正式には、「1776年 7月 4日、連合会議における

13のアメリカ連合諸邦による全会一致の宣言」)の、いわゆる前文の中には、

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落 合 和 昭

 われわれは、次の真理は別に証明を必要としないほど明らかなものである

と信じる。すなわち、すべての人間は平等につくられている。すべて人間は

創造主によって、誰にも譲ることのできない一定の権利を与えられている。

これらの権利の中には、生命、自由、幸福の追求が含まれる。これらの権利

を確保するために、人々の間に政府が設置されるのであって、政府の権力は

それに被治者が同意を与える場合にのみ、正当とされるのである。いかなる

形体の政府であれ、こうした政府本来の目的を破壊するようになれば、そう

した政府をいつでも改変し廃止することは国民の権利である。

(下線は筆者)

と書かれている。この『独立宣言』の中には、「すべての人間は平等につくら

れている」と書かれているが、この『独立宣言』を作成した人々の多くが、じ

っさいに、奴隷を所有していたことも、先住民である、ネイテイブ・アメリカ

ンも、その「すべての人間」の中に加えられていなかったことも、よく知られ

ている。そのため、アメリカは、その出発点からして、自己矛盾を抱え込んで

いたことになる。すべての人間の平等を謳いながら、じっさいには、奴隷を所

有し、‘Louisiana purchase’、「ルイジアナ購入」(1803)等の土地の売買に関し

ても、長い間、そこに住んでいたネイテイブ・アメリカンの同意を得ることな

どなかったからである。また、この中では、生命、自由、幸福の追求は、すべ

ての人が神から与えられた権利であると明記されている。言うまでもないこと

であるが、生命、自由、幸福の追求は、人が生きている間の生命、自由、幸福

の追求であり、けして、死後の生命、自由、幸福の追求ではない。この劇の

中の母は、病苦と金のために、また、自由になるために、自らの命を絶ってい

る。生きている間に、自由を得ることができずに、死んで、自由を得ようとし

ている。生きている間に、幸福の追求も許されず、自殺しなければならない状

況に追い込まれている。この『独立宣言』で、高らかに謳われている、個人の

権利である、生命、自由、幸福の追求が、この劇の中では、無惨にも、すべて

奪われている。母の自殺は、これらの理念に対する、ある種の抗議の様相がか

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

いま見られる。

 ここには、理念先行型国家として、国家を出発させたアメリカ合衆国が抱え

る矛盾が、如実に、現れている。はるか高くに聳える理想、あまりにも惨めな

現実、その間に存在する歪みが、人々を両極端の状況へ追い込んでいく。しか

し、母は、声高に権利を叫ぶことなく、彼女が置かれた状況を、そのまま受け

入れて生きてきた。『独立宣言』の中には、「これらの権利を確保するために、

人々の間に政府が設置されるのであって、政府の権力はそれに被治者が同意を

与える場合にのみ、正当とされるのである。いかなる形体の政府であれ、こう

した政府本来の目的を破壊するようになれば、そうした政府をいつでも改変し

廃止することは国民の権利である。」と書かれているが、彼女には、じっさい

には、その中の「国民の権利」を行使する術が与えられていないも同然である。

『独立宣言』に書かれている理念の恩恵に、何一つ、浴することなく、死んで

いく人々に対する思いは、Williams が、 後まで、持ち続けたものであった。

語らない父

 父親は、この家族の中では、真っ先に、家族のもとを離れ、失踪する。そ

のため、彼は、一度も、「登場人物」としては、登場してこない。ただ、他の

「登場人物」の「台詞」の中で、断片的に語られているだけである。そのため、

父親像をできるだけ正確に把握するためには、劇の中に、点在している、その

断片的な言及をできるだけ、寄せ集めることから始めなければならない。

 彼に関する、 初の言及は、「過去 (1)」の場面の中で、MYRA は、ラジオ

について話をしているときに、父親のことを思い出して、

MYRA: ....I get so tired of it (radio). Pop’s got it on all the time. He gripes my soul.

Just setting there, setting there, setting there! Never says nothing no more. (p210)

(括弧内は筆者、点線部分は省略部分)

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落 合 和 昭

と言っている。彼女によれば、父親は、いつもラジオをつけっぱなしにして、

何も言わずに、いつも、じっと座っているだけである。彼女自身は、そのよう

な父親に魅力を感じていた。しかし、父親の、このような姿は、一見すると、

一日の仕事のあと、静かな雰囲気の中で、ラジオに耳を傾けて、安らかな憩い

のひとときを味わっているようにも見える。しかし、その反面、MYRA の「台

詞」、“ Just setting there, setting there, setting there! Never says nothing no more”、「(父

は)ただそこに座っているだけ、そこに座っているだけ、そこに座っているだ

け。たったの一言も言わずに」(括弧内は筆者)の中では、“setting there”が、

三回も繰り返されて、そこに座っていることだけが強調されると、ラジオを聞

いているという行為そのものを、一種の隠れ蓑として使い、家族に向かって、

固く口を閉ざし、けして話そうともしないで、一人、何かに深く思い悩んでい

る、父親の姿が見えてくる。これは、母が、自分の閉塞感を、何らかの形で、

口に出し、広々とした空間へ憧れを語っていたのと比べると、まさに、正反対

である。父は、自分の悩みや憧れを、誰にも、たとえそれが家族であっても、

けして語ることはない。そのため、父の悩みや夢については、誰も知ることは

できない。彼は貝のように口をつぐんでいる。父には、たとえ、誰かに話した

ところで、それは無駄なことであり、誰も理解してくれるはずはないという思

いがあるのかもしれない。それは、母が、悩みや希望を語るが、結局は、ある

がままの現実を受け入れる生活をしてきたのと同様に、父も、また、語るのを

やめて、あるがままの現実を受け入れているように見える。そこには、語る母

と無言の父の姿があるが、底辺では、つながっているように見える。しかし、

二人は、生涯にわたって、あるがままの現実を受け入れることができなかった。

母は、自殺、父は、失踪という形で、 終的には、あるがままの現実と決別し

ている。まるで、二人には、これ以外に何も、解決策がないかのようである。

 「過去 (1)」の場面で、父親が言及されているのは、この MYRA の「台詞」

の中だけである。この「過去 (1)」の場面では、まだ、父親は家を出ていない

ことがわかる。

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

 父親は、「過去 (2)」の場面の中でも、言及されている。それは、JOE と母

親の「台詞」のやりとり、

JOE: She (MYRA) wanted things―money, clothes―you can’t blame her. ’S Dad out?

MOTHER: Yes. . . . She’s given up her swimming. (p215)

(括弧内は筆者)

の中に出てくる。この中では、JOE が、母親に向かって、MYRA の話をして

いるとき、何気なく、父は出かけているのかと聞いたとき、母親は、どこか気

乗りのしないような返事をしているだけではなく、父がどこへ出かけているの

か語ろうとしない。いや、彼女の「台詞」、Yes の後の、「....」は、息子に、父

がどこへ行ったかについて語るのを躊躇しているかのように見える。母は、す

ぐにまた、話を MYRA の話に戻している。ここでは、母は、MYRA のことが

より心配で、彼女に話を戻したようにも考えられるが、その一方で、父親、す

なわち、彼女にとっては、夫に話が及ぶのを避けようとしているようにも思え

てくる。そうであるとすると、この時点で、夫は、じっさいに、外出中で、ど

こにいるのかわからないか、すでに、失踪してしまっている可能性がある。

 さらに、この「過去 (2)」の場面には、もう一箇所、父親に関する言及が出

てくる。そこでは、JOE と母親が、ある日曜の午後、家族全員でドライブをし

たときのことを思い出す (この場面は、過去の場面の中での、思い出話になっ

ているので、過去の過去、大過去になり、過去が二重構造になっていること

になる。この描き方も、Proust の過去の描き方を思い出させる)。そのときの、

二人の「台詞」、

JOE: ..., and you pointing at it, leaning out of the car, trying to make Dad stop―

MOTHER: ....Stop, Floyd, go slow along here!

JOE: But he went by fast, wouldn’t look, wouldn’t listen!....A quarter, a dime―you

borrowed a nickel from Dad. (p216)

 (点線部分は省略部分)

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落 合 和 昭

の中で、母は、気に入った農家が見つかったので、父に、車を止めてくれるよ

うに、必死で、頼んだが、彼は、母の願いをまったく無視するがごとく、より

速度を上げて、そこを立ち去る。この場面には、大過去における、一つのエピ

ソードであるが、そこには、父と母の価値観の違い、考えの違い、思いの違い

等が、如実に表れている。

 「過去 (3)」の場面では、父親に関する言及はない。

 「過去 (4)」の場面では、MYRA が、激昂のあまり、JOE に向かって、

MYRA: You―you―you can’t insult me like that! I’m going to-call-Papa―tell him

to― (p224)

と叫ぶ。ここでは、彼女は、JOE からあまりにも侮辱的なことを言われたの

で、父親に電話をかけて、言いつけると言っている。この時点では、父親は会

社などの仕事場にいるのか、それとも、もう家を出てしまって、その居場所を

MYRA が知っているのか、どちらかであると思われるが、そのどちらかであ

るのかは、明確には、断定できない。さらに、彼女は、

MYRA: ....If I was Papa―I’d kick you out of this place so fast it would―Ahhhh!

[She turns away in disgust.] (p225)

と言っている。彼女自身が父親なら、この家から JOE を追い出してやると言

っている。彼女は、このように言ったものの、母が死んでしまったので、二人

は、もう、このアパートを出て行かなければならないことはわかっている。過

去の場面における、父親に関する言及は、これで、すべてである。

 

 次に、父に関する言及が出てくるのは、過去の場面ではなく、現在の場面で

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

ある。「過去 (4)」の場面に続く、「現在 (5)」の場面の中で、SILVA と JOE の

「台詞」のやりとり、

SILVA: ....I wonder where your old man is.

JOE: Christ. I don’t know.

SILVA: Funny an old bloke like him just quittin’ his job and lamming out to God

knows where―after fi fty ―or fi fty-fi ve years of livin’ a regular middle-class life.

JOE: I guess he got tired of living a regular middle-class life.

SILVA: I used to wonder what he was thinking about nights―sitting in that big

overstuffed chair. . . .

JOE: So did I. I’m still wondering. He never said a damn thing.

SILVA: Naw?

JOE: Just sat there, sat there, night after night after night. Well, he’s gone now,

they’re all gone now. (p225)

(点線部分は省略部分)

の中で、父親に関する言及が出てくる。

 現在の場面で、父親に関する言及が出てくるのは、この箇所のみである。こ

の中で、SILVA が、JOE の父親は、今、どこにいるのだろうかと言うと、JOE

はわからないと答えている。SILVA から見ると、五十年から五十五年以上にわ

たって、中産階級の生活をしてきたあと、突然、会社を辞めて、どこか見知ら

ぬ土地へ行って、行方不明になってしまった、JOE の父親の考えや気持ちが理

解できないのである。それは、JOE にとっても同じで、彼も、父親は、中産階

級の生活にあきてしまったと言う他はない。SILVA によれば、JOE の父親は、

大きな、ふかふかしすぎるほどのイスに座って、幾晩も、幾晩も、一言も言わ

ずに、イスに座って、考えごとをしていた。そして、彼は家を出て行った。そ

して、今は、このアパートから、家族全員が出て行ってしまい、ここに、一つ

の、アメリカの中産階級の家族、アメリカの価値を代表する価値観が崩壊し、

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落 合 和 昭

消滅してしまった。

 父に関する、断片的な言及は、これですべてである。この中には、じっさ

いに、父が発した、生の声は、いっさい、出てこない。父は、他の「登場人

物」を通して語られるだけである。父について言及する、三人の「登場人物」、

MYRA、JOE、SILVA に共通しているのは、毎晩のように、イスに座って、何

も言わずに、考えごとをしていて、やがて、家を出て行った父である。そのた

め、父が何を考え、いかなる理由で、家を出て行ったのか、皆目わからない。

そして、母は、父に関しては、「過去 (2)」の場面で、JOE からの、父は出か

けているのかという問いかけに、肯定の返事をするだけで、それ以外には、何

も語らない。父に関して言及している、三人の「登場人物」は、父の家出に関

する事情は何も知らないが、母は、父に関しては、何も語ってはいないが、彼

について、何かを知っているようにも感じられる。失踪した夫を責める、妻の

言葉は、この劇の中には、いっさい、見あたらない。

第四章 The Glass Menagerieと The Long Good-bye

 この劇を読んだり、観たりした人の中には、すぐに、Williams の代表作

である、The Glass Menagerie (1945) を思い出す人も多いことだろう。それ

は、この劇と The Glass Menagerie の間に、劇の「時間」 (現在と過去)、「場

所」 (Missouri 州 St. Louis の安アパート)、家族構成、失踪中の父等、いくつか

の共通点や相似が見られるからである。この劇の初演が、1940年、The Glass

Menagerie の初演が 1945年 (前にも触れたが、この二つの劇の間の五年間は、

第二次世界大戦 (1939-1945) とほぼ重なり合う) であることを考えると、こ

の二つの劇の間には、五年の月日しか流れていないので、結果として、この劇

が元になり、それが、さらに発展して、The Glass Menagerie が生まれたように

も感じられる。もちろん、そのような見方は可能であり、正しいと思われる。

しかし、それと同時に、彼の関心が家族の崩壊そのものにあったと考えると、

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

別の見方も入り込む余地が生まれてくるかもしれない。特に、二十世紀になっ

て、世界の歴史においても、そうであるが、伝統的に、家族を重要視してきた

アメリカにおいても、家族の崩壊が目立つようになり、Williams は、家族の崩

壊そのものを、二つの家族を通して、それぞれ、少し角度を変えた形で、見て

いるとも考えられる。そのため、この二つの劇には、似ているところも多くあ

るが、異なるところも、また、多くある。

 The Glass Menagerie の冒頭の場面で、主人公であり、「ナレーター(解説者)」

でもある、TOM が、家族の追憶の場面となる、過去の、時代的背景を、観客

に向かって、語りかける。その中で、彼は、

 

To begin with, I turn back time. I reverse it to that quaint period, the thirties, when

the huge middle class of America was matriculating in a school for the blind. Their

eyes had failed them, or they had failed their eyes, and so they were having their

fi ngers pressed forcibly down on the fi ery Braille alphabet of a dissolving economy.

In Spain there was revolution. Here there was only shouting and confusion. In Spain

there was Guernica. Here there were disturbances of labor, sometimes pretty violent,

otherwise peaceful cities such as Chicago, Cleveland, Saint Louis...

と言っている。この劇の追憶の場面となり、彼自身が、「奇妙な時代」と呼ん

でいる、1930年代は、アメリカの中産階級に属する人々の多くが、1929年の

“Great Depression”、「大恐慌」後、崩壊し続ける、アメリカの経済を目の当た

りにして、まったく先が見えない状態の中で、否応なしに、手探り状態で、生

きていかなければならない時代であった。そこには、その時代のアメリカ中産

階級の崩壊がかいま見られる。The Glass Menagerie の家族、Wingfi eld 家も、そ

の崩壊の余波から逃れることはできない。アメリカ国内では、経済の混迷が原

因で、怒号や混乱があり、Chicago、Cleveland、Saint Louis のような、静かな

大都会でも、ときには、かなり暴力的な労働争議が頻発していた。アメリカ

は、まだ、その程度でおさまっていたが、スペインでは、さらに、激しい様

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落 合 和 昭

相を呈していた。そこでは、革命があり、Guernica 爆撃 (Guernica の爆撃は、

1937年、スペイン内乱中に、スペイン北部にある Guernica の町が、ナチス・

ドイツ軍よって行われた。その、あまりにも、無差別的な爆撃に抗議する形

で、P. Picasso (1881~1977) が、すぐに、大作『ゲルニカ』 (1937) を描き上げ

たことは、あまりにも有名な話である) があった。

 Williams は、The Glass Menagerie の中で、まず、「ナレーター(解説者)」で

もある、TOM を通して、その「背景」となる、過酷な時代状況について、ア

メリカだけではなく、世界の状況についても、触れている。そして、そののち

に、その時代に生きている、アメリカの一家族に焦点を当て、その家族の崩壊

と、彼らの生き方を描いている。このことは、彼が、アメリカだけではなく、

世界全体の、経済的、社会的、さらには、国家的な動向さえも、視野に入れた

うえで、アメリカの大都会 St. Louis の安アパートに住む、名も無き、平凡な

一家族の崩壊を描いていることがわかる。

 ある国に、何らかの変化が訪れると、その変化は、何らかの形で、そこに住

む、個々の家族の中にも、表れてくる。国に起こった変化が、そこに住む、名

もない、平凡な家族に、何ら影響を及ぼさないというのは考えられない。むし

ろ、社会の底辺に住む人々や、一般の、名もない、平凡な人々の上に、その影

響は、さらに、大きな牙をむいて、襲いかかるものである。社会の底辺に近け

れば、近いほど、経済的、社会的、国家的な影響は顕著に表れる。逆の言い方

をすれば、伝統的な家族形態の中に、従来には見られなかった、歪みや崩壊が

起こっているということは、それは、とりもなおさず、伝統的な国の形態の中

にも、歪みや崩壊が起こっているということである。それは、人間の身体に置

き換えてみると、さらによくわかる。特に、不摂生な生活を送り続けたりして

いると、器官や心が病むことがある。また、たとえ、不摂生な生活を送ってい

なくても、置かれている状況に、大きな変化が起こりつつあるときには、心身

が適応しきれずに、器官や心が病む。そのとき、その痛みは、その器官や部分

だけにとどまらず、身体全体に広がり、身体全体、精神全体に影響を及ぼす。

国と家族の関係も、同じではないだろうか。Williams は、戦争状態に近づきつ

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

つある国、戦争をしている国においては、家族においても、危機が迫ってい

ると感じ、それに関心を持ち続けたのではないだろうか。むしろ、家族の崩壊

は、アメリカ全体だけではなく、世界の姿をも映し出すカガミ、または、リト

マス試験紙のように思えたのではないだろうか。

 The Glass Menagerie の中には、四人の「登場人物」、雑誌の定期購読の契約

をとる仕事をしている、母 AMANDA、専門学校で、タイプライターの習得を

目指していたが、途中で、挫折し、引きこもりがちになっている、脚が少し不

自由な娘 LAURA、詩人志望であるが、今は、仮の仕事として、製靴会社の倉

庫担当をしている、息子 TOM、そして、高校時代の花形フットボールの選手

であったが、プロのフットボール選手になる夢に破れ、今は、TOM と同じ製

靴会社で働いている、同僚であり、アイルランド系の友人、JIM が登場してく

る。さらに、じっさい、「登場人物」としては、一度も、舞台上に登場してこ

ないが、マントルピースの上に、実物大以上の、大きな写真の形で、終始、登

場している、AMANDA の夫がいる。彼 (実名は不明) は、電話会社の社員で

あったが、理由はわからないが、今は、失踪中である。

 息子の TOM は、「登場人物」として登場するが、彼は、それ以外にも、も

う一つの顔を持っている。彼は、この七つの SCENE からなる、劇の、SCENE

1, 3, 6の三つの SCENE (残りの四つの SCENE である、SCENE 2, 4, 5, 7で

は、彼は、「登場人物」としては、登場するが、「ナレーター (解説者)」とし

ては、登場しない) においてのみ、短い間であるが、劇の「ナレータ(解説

者)」として登場して、直接、観客に向かって、語りかける。SCENE 1の冒

頭で、TOM は、 初、「ナレータ (解説者)」として登場してきて、前に触れ

たように、この劇の時代的背景に触れながら、家族を一人ずつ、彼自身、母

AMANDA、妹 LAURA、友人の JIM、そして、写真だけの父を紹介するが、

その中で、彼は、“The play is memory.”、「この劇は追憶である」と言ってい

る。それは、現在の「時間」の中にいる彼が、断片的に、過去の場面を思い出

し、その断片的な過去の場面が重なり合って、一つの劇として、構成されてい

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落 合 和 昭

ることを意味する。そのために、劇は、七つの短い、断片的な場面に分かれ、

それが重なり合って、一つの劇、過去の追憶になっているのである。それは、

また、現在の場面で、「ナレーター (解説者)」として登場している、TOM の

「台詞」や「ト書き」の部分を除いた、劇の残りの部分(これは、劇の大部分

であるが)は、過去の場面であることを意味している。劇の全体は、テキスト

では、全 95ページ(p143~ p237)であるが、「ナレーター (解説者)」とし

ての TOM の登場は、SCENE 1では、p144~ p145、ページ数では、一ページ

強、SCENE 3では、p159、約一ページ、SCENE 6では、p190~ p191、一ペ

ージ強だけであり、そのすべてを合わせても、三ページ半ばかりの、短い間で

ある。これが、この劇の、現在の「時間」である。劇全体として見ると、過去

の場面 (追憶の場面) が 91.5ページ分、現在の場面が 3.5ページ分であり、そ

の比率は、27対 1であり、この劇では、現在の場面に比べて、過去の場面が

圧倒的に多い。そのため、この劇は、現在の「時間」と過去の「時間」からな

る劇ではあるが、全体としては、過去の場面からなる劇(追憶の劇)と言って

いい。

 ここで、この The Glass Menagerie と The Long Good-bye を比較してみると、

劇の「時間」:現在、過去、大過去 の中でも、詳しく見てきたように、前者

とは違って、後者の過去の「時間」と現在の「時間」の比率は、半々である。

Williams は、五年後の The Glass Menagerie においては、過去の「時間」を大幅

に拡大し、反対に、現在の「時間」を大幅に縮小していることがわかる。

 The Glass Menagerie では、息子の TOM は、主人公である、「登場人物」以

外に、「ナレーター (解説者)」の役目も担っているが、The Long Good-bye で

は、息子の JOE は、直接的には、「ナレーター (解説者)」の役割を担ってい

ないので、単なる主人公であり、「登場人物」の一人にすぎないように思われ

る。しかし、彼の場合は、前に触れたように、彼の五感を通して、劇が、現在

の場面から過去の場面へ移っているので、彼は、いわば、現在と過去の間に立

つ者、現在と過去の「仲介者」の役目を担っている。JOE における、「仲介者」

としての役目は、読者 (観客) には、ほとんど気づかれないような形で、果た

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

されている。そして、彼においては、TOM のような、「ナレーター (解説者)」

の役目、すなわち、「台詞」による説明の役割は負わされていない。それに対

して、「ナレーター (解説者)」の役目も担っている TOM は、明確な形で、示

されている。TOM においては、現在の場面から過去の場面への「仲介者」と

しての役割も、「ナレーター (解説者)」の役割も、「台詞」によって、明確に、

前面に押し出されている。この二つの劇では、もともと、父、母、息子、娘と

いう、四人家族の息子である、JOE と TOM は、家族の中では、同じ位置を与

えられているが、それぞれの劇において、「登場人物」としての働きが異なる。

 The Long Good-bye では、妹の MYRA が家を出て、兄 JOE のもとを去って

いるが、The Glass Menagerie では、兄 TOM が家を出て、妹 LAURA のもと

を去っている。兄と妹の行動が入れ替わっている点も、異なっている。さら

に、Williams は、The Long Good-bye の主人公、息子の名前を、JOE から、The

Glass Menagerie では、息子の名前を、Williams の本名である、Thomas Lanier

Williams の愛称、TOM に変えて、自伝的色彩を強くしている。

 それぞれ、家族の構成は、父、母、兄、妹の四人であり、同じであるが、

「登場人物」として登場してくるのは、前者では、家族は、失踪中の父 (実名

は不明) を除けば、母 AMANDA、兄 TOM、妹 LAURA の家族三人である。そ

の他には、TOM の友人であり、同僚の JIM だけであり、「登場人物」は四人

である。それに対して、後者では、やはり、失踪中の父、FLOYD を除けば、

MOTHER (実名は不明)、兄 JOE、妹 MYRA であり、家族は三人である。こ

の他に、JOE の友人である、イタリア系の SILVA、MYRA のボーイフレンド、

BILL、そして、「四人の運送屋」である。「登場人物」は、The Glass Menagerie

では、家族以外の「登場人物」は、TOM の友人である JIM 一人だけである

が、The Long Good-bye では、家族以外の「登場人物」は、JOE の友人である

SILVA、MYRA のボーイフレンドの BILL、そして、「四人の運送屋」が増えて

いることになる。いや、じっさいは、The Long Good-bye のほうが、The Glass

Menagerie よりも、先に上演されているので、時系列に見れば、前者では、

JOE の友人、SILVA が、後者では、TOM の友人、JIM に当たるので、SILVA

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落 合 和 昭

を除くと、BILL と「四人の運送屋」が削られていることになる。Williams は、

The Glass Menagerie では、「登場人物」の数を、 小限と言ってもいいほどま

でに減らしている。

 The Long Good-bye に登場する、MYRA のボーイフレンドの BILL は、資産

家の息子であることを鼻にかけたような、横柄な男であり、MYRA に対して

も、強引に性的な関係を迫るような男であるので、彼女も、彼に対して、愛

想を尽かして、別れる。それに対して、The Glass Menagerie に登場する、兄の

TOM が妹 LAURA のデートの相手として選んだ、彼の同僚・友人で、夕食に

招待される JIM は、Williams が、その THE CHARACTERS の中で、

 A nice, ordinary, young man. (p129)

とのみ書いているように、文字通りの「ナイス・ガイ」である。彼には、すで

に、婚約者がいるので、彼女とは、付き合うことができないが、閉じこもり

がちな LAURA を励まして、これからは、外へ出て行くように促す。横柄で、

MYRA に強引に性的関係を迫る BILL。「ナイス・ガイ」で、LAURA を思いや

りながらも、離れていかなければならない JIM。JIM は、BILL とは、正反対

の人物である。Williams は、内向的で、引っ込み思案な妹 LAURA には、典型

的な「ナイス・ガイ」を、外向的で、奔放で、ふしだらな妹 MYRA には、横

柄で、鼻持ちならない男をあてがっている。Williams は、The Long Good-bye

では、妹 MYRA を描き、The Glass Menagerie では、LAURA を描いている。

この二つの劇の、二つの家族を比較したとき、妹の描き方が、その他の父、

母、兄の描き方に比べて、お互いに、 も異なっている。異なっていると言う

よりも、正反対であると言える。

 The Long Good-bye には、家族以外の、主なる「登場人物」として、この

BILL のほかに、JOE の友人の SILVA が登場してくるが、彼は、BILL に比べ

ると、はるかにまじめな男であることには間違いないが、彼については、あ

まり詳しく書かれていない。ただ、彼に関する、わずかな情報は、MYRA が、

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

JOE と言い争いをしたとき、彼について、

MYRA: Party headquarters! You better try to associate with people that will do you

some good instead of ―radical dagoes and niggers an’― (p223)

と言っていることから、ある程度、得られる。彼は、ある政党の本部と関係を

持ちながら、急進的な政治活動 (黒人の差別撤廃運動?) を、急進的なイタリ

ア系アメリカ人や黒人とともにしているようにみえる。彼は、当時の南部、公

民権運動が激しくなる 1950年代、60年代の二十年以上も前の南部において、

公民権運動の先駆けのような運動に従事しているのではないかとも感じられ

る。不良への道を進みつつある、MYRA から見れば、彼の、あまりにも、そ

のまじめさゆえか、急進的な政治活動に専心しているためか、それとも、そ

の両方からか、彼女はこの SILVA を毛嫌いしている。しかし、この SILVA を

通して、アメリカにとっての、何か新しい動きが感じ取れるのではないだろ

うか。そして、MYRA は、この新しい動きの意義をまったく理解していない

か、また、理解していながら、そのような動きを否定的に見ているように感

じられる。The Glass Menagerie では、兄 TOM の友人である JIM に対して、妹

LAURA は好意を持ち、JIM も、また、彼女をいたわっているが、The Long

Good-bye では、兄の友人 SILVA に対して、妹 MYRA は激しい嫌悪の念を抱い

ている。SILVA が MYRA をどのように思っていたかについては、はっきりと

描かれていないので、想像することはむずかしい。MYRA の横柄極まりない、

ボーイフレンドと、この SILVA の代わりに、The Glass Menagerie では、典型

的な「ナイス・ガイ」である、JIM が登場してくる。

 この他に、The Long Good-bye には、端役として、四人の“mover”、すなわ

ち、「運送屋」が登場するが、その「運送屋 その一」から「運送屋 その四」

にも、「登場人物」としての名前が付けられていない(しかし、この四人の

「運送屋」は、劇の「時間」:現在、過去、大過去の中で見てきたように、過去

の場面から現在の場面に切り替わるときに、大きな役割をしている)。息子の

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落 合 和 昭

JOE が現在の場面から過去の場面への「仲介者」になっているのに対して、こ

の四人の「運送屋」は、過去の場面から現在の場面への「仲介者」となってい

る。

 The Long Good-bye には、現在の場面には、登場しないが、過去の場面のみ

に登場し、重い病気(病名は不明)に罹り、やがて、病院の支払いが苦痛にな

り、子供たちに、保険金を残すために自殺をする、母、MOTHER が登場する。

彼女は、過去の場面で、病気になり、自殺しているので、過去の場面のみに登

場し、現在の場面には、一度も、登場してこない。彼女の実名は明かされてい

ないので、「登場人物」としても、名前ではなく、MOTHER として、登場して

くる。主なる「登場人物」の中では、彼女だけが、名前ではなく、MOTHER

になっている。彼女の職業も明かされていないので、確かなことはわからない

が、専業主婦である可能性が強い。

 この MOTHER と、The Glass Menagerie の母、AMANDA と比較してみると、

AMANDA は、その THE CHARACTERS の中で、

Amanda, having failed to establish contact with reality, continues to live vitally in

her illusions,... (p129)

(点線部分は省略部分)

と書かれているように、現実の生活から逃れるかのように、過去における、

個人的な栄光に囚われて、過去ばかり振り返っているようなところがある反

面、現実生活では、勝ち気で、絶えず、積極性を持ち、雑誌の定期購読の契

約をとる仕事に従事しがら、参加している、D.A.R (Daughters of the American

Revolution、実在の団体)、「アメリカ革命の娘たち」という愛国主義的な婦人

団体の幹部に立候補しようとしている。彼女は、内気で、引っ込み思案の娘、

LAURA のデートの相手のことを心配する一方、彼女から見れば、自ら道を切

り開いていく力に欠けているように見える、息子の TOM を、彼から愛想をつ

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

かされながらも、叱咤激励して、生活している、強い女性である。この二人の

女性は、ともに、夫が失踪中であり、残された、息子と娘とともに、三人家族

で生きているという共通点があるが、性格的には、大いに異なることがあり、

MOTHER に比べると、AMANDA は、はるかに強い女性の部類に入る。

 前述の語るMOTHER の中で、詳しく述べたが、MOTHER は、結婚以前は、

田舎の広々とした所に住んでいたため、自由を思い存分満喫することができ、

開放的な気分を味わうことができた。しかし、結婚後は、不慣れな都会生活の

こともあって、閉塞感に囚われ、晴れ晴れとした気分を味合うこともなく、彼

女の望みは、何一つ、かなえられることはなかった。すべてが、夢の夢で終わ

ってしまった。AMANDA にとっても、独身時代の生活は、男性にも、人気が

あり、彼女なりの満足のいくものものであった。しかし、彼女の結婚生活は、

彼女にとっても、望んだものとは、ほど遠かった。そのため、彼女は、ことあ

るごとに、独身時代の栄光に触れ、そのときの自分へ戻ろうとする。この二つ

の劇に登場する母は、二人とも、独身時代には、それなりの幸福感に浸ってい

るが、結婚生活は、二人にとっては、満ち足りたという状況からは、ほど遠か

った。

 The Long Good-bye の MOTHER は、過去の場面において、重い病気になり、

自殺しているので、現在の「時間」には、一度も、「登場人物」として、登場

してこない。彼女は、完全に、過去の「時間」内の人である。しかし、彼女

は、さらに、JOE の、過去の場面から、さらに、その先の過去の場面へと誘う

「台詞」によって、大過去の場面の、ある出来事を語る。The Glass Menagerie

の母、AMANDA も、TOM の追憶の中に出てきているので、過去の「時間」

の中の人である。その過去の「時間」の中にいる彼女も、また、さらに、彼

女の過去、彼女が若かりし頃の思い出話をしばしばする。これは、過去のおい

て、過去のことを話しているのであるから、過去の過去、大過去である。この

二人、過去のおいて、過去を語る、すなわち、過去と大過去の橋渡しの役割、

「仲介者」の役割を果たしている点では、同じ役割をしていると言える。ま

た、二人は、現実を逃れるために、大過去の世界へ逃げている点でも、同じで

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落 合 和 昭

ある。しかし、この二人の母の大きな違いは、MOTHER は、自殺して、現在

は、生きてはいないが、AMANDA は、自殺することなしに、LAURA ととも

に、どこかで、生きていることである。Williams は、The Long Good-bye では、

MOTHER を自殺させているが、五年後の The Glass Menagerie では、母は自殺

をすることなく、生きる道を選んでいる。ここには、わずかではあるが、家族

の再生が暗示されていないであろうか。

 The Glass Menagerie の妹、LAURA も、追憶の場面のみに出てくる「登場人

物」で、現在の場面には、一度も、登場してこない。Williams は、The Glass

Menagerie の THE CHARACTERS の中で、妹、LAURA について、

.....A childhood illness has left her crippled, one leg slightly shorter than the other, and

held in a brace....Stemming from this, Laura’s separation increases till she is like a piece

of her own glass collection, too exquisitely fragile to move from the shelf. (p129)

(点線部分は省略部分)

と書いている。彼女は、脚が少し不自由なこともあって、内向的で、引きこも

りがちであり、デートもしたことがない。彼女は、あまりにも長く、引きこも

り状態が続いているために、今では、ガラス細工の動物のように、すぐに割れ

てしまうような、弱々しい存在になってしまっている。

 The Long Good-bye に登場する妹、MYRA は、現在の場面の中で、兄の JOE

と友人の SILVA とのやりとり、

 SILVA: Where is Myra now?

 JOE: Last I heard, in Detroit. I got a card from her. Here. (p208)

にも書かれているように、父のように、現在は、失踪中であるが、父とは違っ

ている点は、父は、失踪後、何の連絡もしてこないが、彼女は、Michigan 州

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

の Detroit にある、ヨットクラブの絵葉書を送ってきている。絵葉書を送って、

自分の居場所を、漠然とではあるが、知らせているという点では、Mexico の

Mazatlan から絵葉書を送ってきた、The Glass Menagerie の、失踪中の父と似て

いる。また、彼女も、過去の場面にのみ登場し、現在の場面の中には、一度

も、登場してこないということでは、LAURA と同じである。また、LAURA

は、引きこもりという形で、現実から逃れているが、MYRA は、失踪という

形で、現実から逃れている。性格によると思われるが、その現れ方は異なって

いるが、現実逃避という点では、二人は似ている。また、この二人の現実逃

避は、二人の母たち、AMANDA は、現実から過去の栄光への逃避、MOTHER

は、自殺による現実からの逃避と、相似の形になっていると思われる。母親た

ちも逃避、娘たちも逃避、父親たちも逃避である。

 MYRA は縫製工場で働いていたが、彼女にとっては、退屈な仕事であるせ

いか、夜には、その気分から解放されたいという思いが強く、派手な繁華街に

出かけていって、ぱっと楽しみたいと思っている。じじつ、彼女は、しばし

ば、そうしている。そこでは、当然のことながら、よからぬ連中に出会う可能

性は大きい。そこで、彼女は、金持ちであることを鼻にかけ、遊び回っている

BILL と出会って、付き合い、強引に性的関係を迫られたりした。それだけで

はなく、彼女は、彼女自身の給料では、とうてい買うことができないような、

高価なネグリジェを着たりしているので、兄の JOE から見れば、どうも、彼

女は、売春まがいのこともしているようにみえる。挙げ句の果てに、彼女は、

縫製工場を辞めて、失踪してしまった。彼女は、LAURA とは異なり、外向的

であり、勝ち気なところがあるため、引きこもりという形にはならず、失踪と

いう形をとっている。

 Williams は、The Long Good-bye の中で、四人家族の中の妹として、 初、

MYRA のような女性を描き、その五年後に、LAURA のような女性を描いてい

る。五年後には、妹の描き方が、まさに、正反対であると言ってもいいほどに

変わっている。 初は、妹を失踪する女性として描き、その五年後には、妹を

引きこもる女性として描いている。

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 The Glass Menagerie の父は、失踪中であるので、当然のことながら、現在の

場面には、一度も、登場してこない。それだけではなく、過去の場面でも、す

でに、そのときは、彼は、失踪してしまっているので、登場してこない。す

なわち、彼は、大過去において、すでに、失踪してしまっているのである。

TOM が、「ナレーター(解説者)」として、冒頭の場面であり、かつ、現在の

場面の中で、

TOM: This is our father who left us a long time ago....The last we heard of him

was a picture postcard from Mazatlan, on the Pacifi c coast of Mexico, containing a

message of two words:“Hello ―Goodbye! ” and no address.... (p145)

(点線部分は省略部分)

と、大きな写真を見ながら、言っている。父は、かなり以前に、失踪した

らしい。そして、 後の絵葉書は、Mexico 中西部、太平洋岸にある、港町、

Mazatlan から“Hello―Goodbye!”と書かれているだけである。彼も、The Long

Good-bye の父と同様に、ほとんど何も話すことなく、失踪したと思われる。

その後も、この絵葉書にも書かれているように、挨拶程度しか語らず、肝心な

ことについては、何も語っていないと思われる。そのため、彼がどのようなこ

とに悩み苦しんでいたかは、観客には、皆目わからない。彼の肉声による、彼

の真意が描かれている箇所がどこにもない。彼は、長い間、失踪中であるが、

TOM の“The last we heard of him”、「彼について、 後に聞いたのは」という

「台詞」にもあるように、ときどきは、何らかの形で、家族と連絡を取ってい

るような印象を与える。彼は、絵葉書を送ることによって、彼が、今、どこで

生活しているのかについて、住所は書かれていないものの、家族に、具体的な

情報を与えている。さらに、そこに書かれている、“Hello―Goodbye!”の中に

は、どこかユーモアがあり、彼の失踪の深刻さを和らげている感がある。もち

ろん、残された家族から見れば、無責任で、いい気なもんだという思いはある

だろう。絵葉書は、見てきたように、The Long Good-bye の中でも、失踪中の

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

MYRA から、Michigan 州の Detroit にある、ヨットクラブの絵葉書を送ってき

ている。この二人、The Glass Menagerie の父と The Long Good-bye の、失踪中

の MYRA も絵葉書を送っている。前者は、Mexico の港町、後者は、Michigan

州 Detroit、ともに、St. Louis から見れば、かたや、南、かたや、北である。そ

れだけではなく、ともに、港湾都市である。Detroit のヨットクラブからは、

船で、Detroit 川を横切れば、そこは、もう、Canada である。MYRA が Detroit

のヨットクラブから絵葉書を送ったということは、彼女は、そこから、Canada

に渡ろうとしているとも考えられる。The Glass Menagerie の父は Mexico にい

るのに対して、The Long Good-bye の MYRA は Canada に向かおうとしている

と考えると、二人とも、アメリカから逃れようとしているとも考えられる。少

なくとも、前者は、すでに、アメリカを離れている。

 The Long Good-bye の父は、毎晩、毎晩、大きなイスに腰を下ろし、何も語

らず、何か物思いにふけってのち、突然、失踪している。この点では、彼と

The Glass Menagerie の父はよく似ている。ある意味では、The Glass Menagerie

の父以上に、頑なに口を閉ざして、何も語らない。というのは、彼は、The

Glass Menagerie の父や、The Long Good-bye の MYRA のように、絵葉書を送

ってこない。そのため、まったくと言ってもいいほど、彼についての情報は

得られない。彼は、現在、どこに住んでいるのかもわからない。少なくとも、

The Glass Menagerie の父の場合は、住んでいるところだけはわかる。The Long

Good-bye の父は、絵葉書だけではなく、彼の言葉が、他の「登場人物」の「台

詞」の中にも、一度も、出てこないので、彼が、心の中で、何を考え、何を感

じていたのか、知る手掛かりが皆無である。ただ、毎晩、大きなイスに座り、

何も語らず、物思いにふけっている姿、また、家族で、田舎をドライブ中に、

母が、ある、売りに出されている、古い家を見たいといったとき、黙って、車

のスピードを上げて、そこを立ち去ったときの姿を思い浮かべるだけである。

しかし、彼は、家族とともに、ドライブに出かけているので、ある程度は、い

わゆる、家族サービスと言われているものをしていると思われる。

 The Long Good-bye の父は、何も語らずに、失踪し、その後、絵葉書も送っ

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てこないので、彼の居場所はについては、皆目見当がつかない。その五年後に

書かれた、The Glass Menagerie の父も、何も語らずに、失踪した。しかし、彼

は、ときどき、絵葉書を送ってくるので、居場所だけは、ある程度、見当がつ

く。この絵葉書を送るという行為が、五年後に描かれた家族の中に、わずか

に、希望が見いだせる。

結び 家族の崩壊と再生への暗示

 今まで見てきた、The Glass Menagerie の「登場人物」と The Long Good-bye

の「登場人物」を、具体的に見るために、簡略した表を作ってみた。

 The Glass Menagerie の「登場人物」については、  

である。The Long Good-bye の「登場人物」については、

登場人物 (関係) 現在・過去・大過去 そ の 他(性格、職業等)

AMANDA(母)

過去・大過去

(過去から大過去

への仲介者)

雑誌の定期購読の販売員、過去の栄光に

囚われて生きているが、実生活では、た

くましい

LAURA(妹)

TOM(兄)

(兼ナレーター)

過去

現在・過去

内向的で、引きこもり

タイプ・ライターの専門学校退学

詩人志望、過去では、靴製造会社の元倉

庫係 現在、商船の船員、失踪中

JIM(兄の友人) 過去

高校時代フットボールの花形選手、

TOM の同僚、アイルランド人系、

典型的なナイス・ガイ

(写真のみで登場)過去・大過去

電話会社の元社員

過去に、失踪中(居場所は Mexico)絵葉書を送る

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

である。

 この二つの劇の「登場人物」を、少し厳密に比較してみると、家族構成は似

ているものの、多くの違いも見えてくる。まず、家族全体から見てみると、前

者、The Glass Menagerie では、男たち、すなわち、父、TOM の二人とも、失

踪してしまう。まず、父が大過去において、そして、息子の TOM が、過去に

おいて、失踪する。残されたのは、母 AMANDA と娘 LAURA だけであり、結

局、Wingfi eld 家を支えているのは、女たちである。男たちは、家庭を、自ら

放棄しているので、無責任と言えば、あまりにも、無責任である。この五年前

に書かれた、The Long Good-bye では、まず、父 FLOYD が失踪、母 (MOTHER)

が自殺、妹 (MYRA) が失踪している。前者では、父と息子、すなわち、男た

ちが失踪しているが、後者では、父と娘が失踪している。母が自殺しているの

登場人物 (関係) 現在・過去・大過去 そ の 他(性格、職業等)

MOTHER(母)

過去・大過去

(過去から大過去

への仲介者)

専業主婦、病気や金のことで、苦労し、

子供に保険金を残すために、自殺

MYRA(妹)

JOE(兄)

過去

現在・過去・大過去

(現在から過去へ、

過去から大過去の

仲介者)

外向的、奔放、元縫製社員、売春婦(愛

人)現在、失踪中 ( 居場所は Detroit) 絵葉書を送る

作家志望、過去も、現在も、牛乳配達人

SILVA(兄の友人)

現在JOE の友人、急進的な政治運動 (?) に従事、イタリア系

BILL(MYRA の

ボーイフレンド)

Floyd(「台詞」

内のみで、登場)

四人の運送屋

過去

過去・大過去

過去から

現在への仲介者

資産家の息子、 横柄な男

職業不明、現在、失踪中、絵葉書なし

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落 合 和 昭

で、結局は、息子だけが残されることになる。失踪する者たちが、二つの劇の

中では、異なっている。前者では、母と娘が残され、後者では、息子が一人だ

けが残される。そして、一人残された兄 JOE は、 後には、引っ越して出て

行く。この二つの家族を比べた場合、 初に書かれた The Long Good-bye では、

彼らが住んでいた家から、様々な理由で、 後には、家族全員がいなくなって

しまう。家族の完全な崩壊であると言える。家族全員がバラバラになり、一つ

の小さな、しかも、 も大切であると思われる家族自体が崩壊し、そこには、

誰もいなくなったという感が強い。The Long Good-bye では、家族の完全な崩

壊を描き、それから、五年後の The Glass Menagerie では、父と息子の TOM は

失踪したが、母 AMANDA と妹 LAURA は家に残り、生活を続ける。Williams

は、家族の完全なる崩壊を描いてから五年後、女たちによってのみ維持されて

いる家庭を描いている。家族という単位で見れば、五年後には、家族は、完全

には、崩壊していないので、少しは、家族というものに、希望を持たせてい

る。

 この二つの劇では、父たちは、彼らなりに、悩みや苦労はあったと思われる

が、家族の中では、真っ先に、失踪してしまい、まったく無責任な存在として

描かれている。母に関して言えば、The Long Good-bye では、子供たちに保険

金を残すために、重い病気を患った、MOTHER は自殺をする。しかし、五年

後の The Glass Menagerie では、母 AMANDA は、自殺することなく、生き続

ける。母に関しては、 初に、自殺する母を描き、五年後には、自殺をしない

母を描いているので、少しは、希望があると言えば、あると思われる。次に、

息子たちだであるが、The Long Good-bye では、家族の中で、 後まで残って

いたのは、息子の JOE であるが、The Glass Menagerie では、 後には、兄の

TOM は、父同様に、家族を捨てて出て行くので、兄に関しては、希望できる

度合いは、明らかに、減っている。娘に関して言えば、The Long Good-bye で

は、MYRA は、両親がいなくなったこともあるが、失踪する。それに対して、

The Glass Menagerie では、母が生きていることもあって、家を出ることなく、

母と暮らしている。おおざっぱに言えば、家族の完全なる崩壊を描いている

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

The Long Good-bye と、家族の半崩壊を描いている The Glass Menagerie を比べ

てみると、家族という単位で見れば、後者の方が、少しは、希望が持てるとい

うことになるのだろうか。

 この劇では、父は失踪、母は自殺、妹も失踪して、兄の JOE だけが、一人

残される。そして、 後には、その兄もアパートを出て行き、事実上、そのア

パートには、誰もいなくなる。彼は、友人の SILVA に言う「台詞」、

JOE: ....You’re saying good-bye all the time, every minute you live. Because that’s what

life is, just a long, long good-bye! [with almost sobbing intensity] To one thing after

another! Till you get to the last one, Silva, and that’s―good-bye to yourself! (p227)

(下線は筆者、点線部分は省略部分)

 

の中で、「人生は長い、長い別れである」と言っている。彼は、父、母、妹と

も別れ、そして、今、引っ越しに当たって、友人 SILVA とも別れなければな

らない。まさに、別れ、別れ、別れの連続である。

 彼が、 後に、家族がともに暮らしたアパートを去るとき、通りから、子供

が、

CHILD [calling in the street]: Olly―olly―oxen-free! Olly―olly―oxen-free!

....Olly―olly ―oxen-free! .... (p227)

と叫ぶ声が聞こえてくる。この子供の叫び声は、子供の遊びである、かくれん

ぼなどで、もう見つけられた子供がいるので、みんな出てきてもいいよ、もう

見つけられる心配がないから、という意味で使われる言い方である。すなわ

ち、かくれんぼが終わり、もう一度、あらたに、かくれんぼが始まるから、出

ておいで、という意味である。一つのかくれんぼが終え、もう一度、同じかく

れんぼを 初からやり直すときの言い方である。Williams は、この子供の言い

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方を、この劇を締めくくるための、 後の「台詞」として使っている。ここで

の、この叫び声の使われ方の背後には、この家の者たちは、みんな出ていって

しまい、誰もいなくなったので、一つの家族は、完全に、終わってしまった、

さあ、もう一度、新しい家族を始めようではないかという意味が隠されている

ようにも感じられる。すなわち、ここには、一つの家族が崩壊し、消滅して

も、また、新しい家族が生まれてくることを暗示しているのかもしれない。身

体にたとえれば、古い細胞が死んで、再び、新しい細胞が生まれてくるような

ものである。Williams にとっては、古い細胞が、この The Long Good-bye であ

り、五年後の The Glass Menagerie が新しい細胞であるかもしれない。そして、

この The Glass Menagerie という古い細胞が死ぬと、再び、別の細胞である、

家族が生み出されていくと考えているのかもしれない。

おわり

 The Long Good-bye のテキストとしては

 The Theatre of Tennessee Williams VI : 27 Wagons Full of Cotton and Other Short Plays

 New Directions Publishing Corporation 1981 The Long Good-bye p201-p227

を用いた。また、The Glass Menagerie のテキストとしては、

 The Theatre of Tennessee Williams 1: The Glass Menagerie 

 New Directions Publishing Corporation 1971 p123~p237

を用いた。

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Tennessee Williams の The Long Good-bye

参考文献

1. Critical Companion to Tennessee Williams: A Literary Reference to His Life and

Work by Greta Heintzelman and Alycia Smith-Howard Facts on File, Inc. 2005

p136~p138

2. The Tennessee Williams Encyclopedia edited by Philip C. Kolin Greenwood

Press 2004 p168~p1693. The Kindness of Strangers: The Life of Tennessee Williams by Donalto Spoto Little,

Brown and Company 1985 Chapter Three In Transit (1938-1944) p63~p1034. Tennessee Williams: A guide to Research and Performance edited by Philip C.

Kolin 27 Wagons Full of Cotton and Other One-Act Plays by Neal A. Lester

p1~p125. The Cambridge Companion to Tennessee Williams edited Matthew C. Roundané

1. Early Williams: the making of a playwright (p11~p28) by Allean Hale

2. Entering The Glass Menagerie (p29~p44) by W. W. E. Bigsby 

6. 『アメリカを知る辞典』(新訂増補) 平凡社 2001年 p 634~p6367. 『史料で読むアメリカ文化史』第四巻 一九二〇年代~一九五〇年代

2006年 東京大学出版会