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Title ツガン=バラノフスキー恐慌論にかんする一考察
Author(s) 佐藤, 博
Citation 北海道大學 經濟學研究, 5, 137-154
Issue Date 1953
Doc URL http://hdl.handle.net/2115/31003
Type bulletin (article)
File Information 5_P137-154.pdf
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
ツ
ガ
ンh
パラノ
7
スキ
i恐慌論にかんする一考察
イ左
藤
博
自
次
で
は
し
が
き
二、再生藤表式
一一一、生産の無政府性
問、恐慌論と崩壊現論との漣繋
五
、
給
論
-137-
一
は
し
が
き
ツガン日パ一フノアスキーの恐慌論を、彼の崩壊理論との間接に烏いて、考察するととを目的とする。
て、ツガンの恐慌に沿ける週期性の解明やわれわれO恐慌論に関する積極的主張は本稿。範囲外に属する。
われわれは就にツガン日パ一ブノアスキーの崩壊理論の理論構成を紹介し、それが科問中的た崩壊理論を放棄し、倫理的
崩壊理論に導かざるを得なかったととを明らかにした。
本稿は、
従そコ
綴務態研究
ミ五:
ツガン日パラノアスキー恐慌論にかんする一考察
佐除
資本主義枇合に出有な過剰生産法悦は、資本主義社合の「基本的矛活」の週期的爆設であるから、その「基本的矛
盾」の窮極的止揚は資本主義枇ん引の崩壊を意味する。
ツガンが、資本主義一位九切にゐける恐慌な如何に説明するかというととは、被の崩壊現論が、如何なる訓刊誌勝成をも
っかと関連する。
故に
ツガンの、
(
2
J
V
いわゆる不比例設的恐慌論の中心をなす再生産表式と生産の無政府性を取り上げ、
それらをツガ
ンは如何に理解し、
またその理解は、如何なる恐慌論を生むか友明らかにするであろう。
それと同時に~資本主義枇合の「基本的矛盾」を、
ツガンが如何に理解するかによって、
役の恐慌論と崩壊理論と
の謹撃が一不されるであろう。
なゐ
ツガンの恐慌皐読史上の位置については、今夏いうまでもないが
「近代的景気理論の父」として、多くの
-138ー
恐慌論日景気現論に影響を凱(えている。今日程慌論が盛んに論議されているが、科簡単的な恐慌論に封立するものとし
あらためて吟味する慎値があると忠う。
て
いわば一つの「原型」として、
設(2) (1)
拙稿「ツガン口パラノアスキー『闘氏経済調よ嗣より見た資本制秩序の崩壊』について」円北海道大感総務必ず研究』
2参照。
「きて、ッガン日パラノアスキーにおける、彼が慾慌の問問題およびその他の会領域の問題を解明する出滋絡をなすところの、務絞
問題の大際な解決のための詮則的は如何なるものであろうか?それは信じかたくはあるが、しかしそれを縫認しておくことは、
それだけに?セう重姿である、
ilツガンの澄明はただもつばら扱張再生産にかんするマルクスの表式にあるのだ。それ以上で
も、それ以下でもない。」
mg但
pg向。
sσロ司関口町)目。
krrrdgHM}胆位。出品目国間ぷ】
Mgz-Hhmw山富山ぬ
GNrmω-M∞ulM∞中・
ェ
、
再
生
産
表
式
ツガン刊パ一ブノアスキーの恐慌論は「恐慌をその会連関に沿いて科接的に解明するとと」乞課題としている。
その場合に、「その産業の琵展に沿いて、循環的性質が故も明瞭に現われているイギリノスの産業恐慌」が研究の封象
である。故に、ツガンの研究封象とせる「恐慌」は資本主義に悶有な週期的語科生産部慌でるるととは明らかである。
とのような活慌友「科事的に解明」するために、ツガンは何故「再生産表式」左用ヤるか?
恐慌の「個々の原因」を明らかにすることは「恐慌の挺史」に沿いてなされる。だが、「恐協の一般的原因」乞解明する
ためには、「資本主義経済に公ける生産〔物〕の史捌を支配する諸法則すなわち販路の諸法則貯即日。ぽ含印伝
gSF官
をよく理解するととが必妥であ山ごと、
ツガンはいう。
すなわち、「興えられた一商品の販路の全体」をとの商品の「市場」と呼ぶならば、「市場とそは現代経済生前のも
ろ/¥の糸が集散する結び目である。生産を支配するものは市場であって、市場乞支配するものが生産ではない。と
こに資本主義制度の核心に憐れる事賓がある。資本主義経済は、その一部分のみが用いられるととろの莫大な生産力
の議備をもっ。すべての資本主義閣は、もしその生産力の全部を働かせえたならば、著しくその生産乞増加するとと
ができる。然らば、資本主義経済に沿いて社合的生産の殻展を妨げるものは何か?それば生産物を貰捌くことの困
難、換言すれば、販路の依乏に他ならない。」とのような「生産物乞賢捌くととの困難、」「販路の吠芝」の原
-139-
故iZ:
闘はどこにあるか、
という開題とそ「販路の問題」である、
というのである。
「販路の問題を充分に解明するためには、先十資本議杭過科の科接的分析笠間ハえねばならみy、斗申出たとの
分析は個々の私的資本のみならや、吐合的資本の総体友も取扱わねばならぬOi---との社合経済の総体を研究せるケ
ネl必よびマルクスの方法を採用せやには、資本蓄積過視の科態的分析や祉合的の資制友支配する法則の純定は
ハ5d
不可能である己
ととろ台、
ととでいう「ケネl沿よびマルクスの方法」なるものが「再生産表式」なのである。
経済祭研究
三五こ
ツガン日パラノアスキー恐慌論にかんする一考察
佐穂
ツガンが、いわゆる「ロシアにゐける-資本主義論争」に、その恐慌論をもって登場したのは、
産物佐賀捌くととの困難」、「販路の扶乏」、「市場の不足」の故に、外岡市場なしには、ロシア資本主義の琵展が不可
シスモンヂイルナ口、i
ドニキの「市場の理論」乞反駁するためであった♂そのために、「ケネlh桐よ
ロシアに沿いては「生
能であると説く
びマルクスの方法」を採用せやには、科墜的な「市場の理論」を臨(えるととも出来ないが、
ツガンは、果して「資本
論』第二容の科接的分析を利用し得たであろうか?
ツガンは「マルクスの分析は未完成のまL
であり」、「「資本論」第三容の根本をなす販路現論は、第二容の山市で興え
られた枇合的資本の再生産の表式と完全に矛盾している」となして、「周知のマルクスの吋資本論ゐ第二容の表式をKM
手本にして構成された」と稿ずるツガン自身の表式で、
以下の表式を、
マルクスの分析友「完成」しようとする。
ツガンは「枇合的資本の単純再生産」の「表式第一蹴」と名づけるげ
同時間
3
同議ヨ
園出由一“一凶
同
mM柑4wm時shmM叩
海閣時総湿器殿山市m抑
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umM(〕℃十日∞D間十}∞O司
日
吋MO
Um山()同)十}∞O間十{∞口一時日吋MO
-140-
(との表式にないで、
Pは「生産手段の慌値」、
rは「剰徐生産物の慣値」であり、
それを、簡略化のために、吾々は資本家の利潤と同一視する。」)
aは「蛍該州労働者の持賃の憤値」、
「ロードベルトゥスの意味で初。ロ件。であり、
ツガンは結論する、
!i
「すべての商品に封ずる需要は供給に等しい。作り出された生産手段の償値l尽きlは、同じ段階での社合的総生産
物の更新のために必要な生産手段の債依に等しい。州労働者。泊費手段の債億
l誌。!は努賃の総額(話。+話。+居。)に
また資本家の泊費手段の憤値i芯φiは利潤の鱒額
(ωき+器。+器。)に等しい。各部門の商品は一部分は同一
との表式から、
等しく、
かっ消費され、一部分は他の二つの部門の高口mと交換される。」
ツガンにあっては、単純好生産の表式第一統は、時一巾姿と供給の均衡を説明するためのものである。それ
故、「資本論』第三巻の「百一現の僚件」は「相異なる生保諸部門間の均衡により、また枇合の泊費力によって制限され
ていり己となす「買現理論」と、ツガンの理解する表式第一蹴と「完全に矛盾している」ととになり、「生産と消費と
の間に見られる関係についての古典沃経済撃の問中設とγ
ルクスの社合的資本の再生産の分析との綜合の試み」を意捌
部門内部で交換され、
すなわち、
せしめる。
このととは、
ツガンと同じ「合法的マルクシスト」たるストゥル1ヴェと同様に、
ツガンが科問中的「z
賢現理論」を、
ハ日)
「均街的配分の理論」と誤解するが故に他ならない。けだし、社令的生産物の安現の抽象的理論としての「社合的総
読本の再生産と流通」の分析は、「生産に沿いて泊耗される資本はその民組から見て如何にして年々の生産物から補填
されるか、またとの補填の運動は資本家による剰徐償値の泊料〈必よび州労働者による努貨の消費と如何にからみあって
SM}
いるか」というととを明らかにするものでるるからである。
との遇税乞「表式」は「同解す何日記
SZBgごにすぎや川~「単純再生産にあっては、商品資本ーのうちぐ
+Eな
-141-
る依値観は(したがって総商品生産物ーのうちとれに封臨ずる比例的部分も)、部門
Hの総商品生産物中の同じく比
ハ日J}
円(〈十自)日闘のでなければならぬ」
倒的部分として選り出される不援資本
ECに等しくなければならぬ。すなわち
という一つの「結論」が、償法他則の貫徹の結果として導き出される。それ故、二部門間の均備は必然的に「蝦定」
ツガンのように、表式が「説明」ずるものではない。
マルクス以と良一?なる「謬見」の一つであるととは肢に「指摘」
3れている匂な
されているのであって、
ツガンの表式の「基礎範時」が、
会ととで二、一一…の鮪bL吟味して見ょう。
経抑制態研究
三万C
ツガンHパ一フノアスキー恐慌論にかんする一考察
f&o ß~さ
此合的総資本の一品生産と流通に沿いては、資本家と境問者の「偶人的泊費」が如何にからみあっているかをも明ら
ハ叩)
かにするために、枇合的生産物を「その使用慎組、その史料的安能どに従って、ー、生産手段、目、消費手段、に分
け、それに路じて、位合的生産没、
I、生産手段生産部門、目、治投手段生産部門、の二部門に分説するととが「資
(叩J)
本主義枇ん叩けにh
掛ける生産物の民現についての論議の山内設貼とたる0
1
一
然るに、ツガンは「マルクスの公手本にならって椛成された」と稿する「去式第一一蹴」では、
I、生産手段の生産、
E、川労働者用泊投手段の生産、開盤、資本家用泊投手段の生産、
の三部門に分け
その極分の論擦を全然説明していた
ν、O
一位九四的生産物が交換されねばならぬのは、生産的泊料(によってのみす一現される生産手段と、間人的消費によっては
笠現されるが、生産的消費にむけられない治投手段とが存在するからである。従って、「との分割は笠は、椴設ではな
くて、事宜の表現に他ならないのであ手
J故に、ツガンの如く、資本家の治投手段の生産乞滴立の一部門にするとと
-142
lヱ
との交換乞佐らに複雑にじ、位値と使用慣値との国別を班解し符ないで、ゴ一部門に分割しているとしか忠われな
¥,,-, 。分
乞
V
と
mとに還元するというアダム・スミスのドグマは
「表式の基礎範時」の第二の問題鞘は、枇合的生産物乞「慣値腕鮪」からの+ぐ十自に分割するととである。との
c部
マルクスによって始めて克服されたのである。
ツガンは、
とのマルクスの州市訟を我がものにし
スミス、
リカァド、
シスモンディ、
J-S・ミル等を批判する。だ
が、その表式にh
引いては、祉命的生産物をHV!?白g
十円に分ける。そしてその理由友戎のように説明する0
1
1
「私はマルクスの沈H
泊の柄引川(不一秘資本・可琵託本・制締約、値)を用いない。というのは、私はマルクスの刺徐慎値
誌に立脚するものではないから、私見によれば、制徐生産物の生産に沿いては
l従って問。ロなに必いてもl
人間
の附労働力と死せる掠働手段との間には全然高別がない。ひとは機械乞人間の間労働力と同等の模利をもって可礎資本と
呼ぶべきである。げだし雨者とも対能生産物乞生み出すからでる
枇合的生産物をぶμ瀧溺サ十品部出サーγ
それは、枇合的生産物
がすべて所得に解消するというスミス以来の経済阜の誤謬乞明らかにするためには、科路一白押一現の現論は、吋資本論』
の第一容にゐける個別的資本の生産過程の分析と論理的に結びつかねばならぬというととである。しかも科接的貿現
の現論に沿いては、可器禁本を郁悶(ずる生産物は、持働者誌の治究手段と交換されねばならや、不竣春一本を補填ナる
生産物は、結局に沿いて生産手段と交換されねばならぬことを明らかにする。「このゆえに、不建資本と可経費本との
国別は、校一現の別論に沿いて、ル川…保件に必要なのである。」
に匝分ずるととの根擦はどとに占あるか?
ととろが、ツガンは、機械も利能生産物を生むと主張し、マルクスの剰接憤値誌を担否するととによって、セーの、
〈
UJ
¥「生産手段の生産的奉仕」という俗流的見解に立ちMWる。そして、「スミスと同誌に社合的総生産物をば、同労賃と「レ
ハ刊JU
ンテ」(彼の用語によれば、「レンテ」とは、利能債値すなわち、利潤と地代と安一絡にしたもの)に誤って分割」せ
るロードベルトゥスのレンテ設を掠用ずるο
とのようなツガンの「表式第一斑」ば「需要と供給の形而上墜的均街」
-143-
を「説明」ずる以外の何ものでもない
といい得るであろう。
北に、「践張段階での社合的資本の再生成(資本の蓄積)ござ不す「表式第二粧〕に移ろう。
戦
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経済的学研究
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ツガンHヴフノアスキー恐慌論にかんする一考察
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との表式は「祉合的生産はそれ自身で一つの市場を作り出す」という「それ自身では組めて単純な原盟乞明白に説
明」し、更に、「枇合的資本の単純再生産と披張された規模にたける再生産との比較から、ひとは訟も主要な結論を引
きだすととが出来る、すなわち資本主義経済にム沿いては、向品に封する需要は、或る意味に沿いて、社合的消費の合
範国から調立している、
1iというととは、それは「常識』の翻酷から見て如何に不合却であろうとも、一杭ん判的消費
の全範闘が誠悲し、しかも同時に商品に封する枇合的需要が増大するととは可能であねよというととを示す。
ツガンの「原理レすなわち「枇合的生産はそれ自身で一つの市場を作り出す」という命題は、「設展しつつある資本
主義的生産そのものが、消費手段ではなくて、主として生産手段にかんして自分のために市場乞つくり出町〕という意
味に沿いて正しい。その意味ならば、ロシアにゐいて市場の狭陸のために、外国市場なしには、資本主義的生産が不
可能である主主張するシスモンディ日ナロ
1ドエキの見解に釘立するものとして意味乞もつであろう。
だが、「生産手段。生産的挙仕」というセーの俗流的見解を「取しいじとするツガンの表式は「生産物の販路をひら
mm判〉
くものは、とれひとり生産のみである」と主張するセーの「販路設」と如何に自分を匝別しているであろうか?
また、需要が泊費から「滴立」しているというツガシの「最も軍要な結論」は一止しくない。何故なら、ツガン自身
の「表式第二続」にたいても野働者及び資本家の偶人的消費は絶封的増加を不、じてい切
-144-
ツガンは「持貨の不断の、しかも著しい減退訟よび資本
J
誕の泊授に何ら増加のない場合の資本の
一不ず「去式」を作製しているかげ例人的治史の減退と同時の生産の増大ということ「担問に京本主誌のもとに丸山いて
Ar部)
は、とのととは可能であり¥また九時となわれている」にもかかわらや、そとでは資本主義的生産が、生産と治安との
間になんら矛障がないのでなく、現官に矛盾が存在するから行われていることを示す。すなわち、資本主義的生誌は、
のあとについてゆく」ととを示す。
それで、
をご
生産手段の生産と消費乎段の生底とは令「間接的」に「連関」して、
ツガンはとの「諮問問い友純一蹴するととによって「現世一の恐慌のお似の原悶」としての「大衆の窃J
乏と治資制限」の
「泊費が
椴乞全く見失うに至った。
さて、ツガンは「資本主義経済全体の表式的研究」の「結論」として「一般的法則として、枇令的生産が均街的に
配分されている時は、消費ゐよび泊費釘象の如何なる減退も市場に沿いて何らお嬰におする供給の過剰を惹却しえな
会刊)
いのである」と主張する。
-145-
との命題から資本主義吐んWHO
恐慌の必然性を論詮するために、ツガンは、「枇令的生産が均衡的に配分されている時
は、」という前提乞取り去り、資本主義枇合では「生産の無政府性」が支配しているから「枇合的生産の均衡的配分」
が保設されないというととを開け加えるだけでよいととになる。
ツガンは「生産のい政政院性」を如何に理解しているであろうかが北部の問題である。
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すougan-Baranowsky:ibidづ pp.189 et 191.
ibid., pp. 202-203. 沼*~?s~r 1 ffi;-9γ戸、静淫i。
Tougarト.Baranowsky:ibid., p. 203 et note r AJ Q 村小とよ L 小 0~λ=スホヘハ刊壮一世ゴ s 量i;l~1tI ~f 制~úR~l2r-1~';.t~ .;
.,c, QAJ務会4234ヨ.'..0Q 0 J Lenin: Sochineniya. 4. izd. Tom. IV., str. 43‘ 「怪号事 S 警f程!d.~ミヘミト心~~翌 (Q~杓J Cト決入口
~ II¥ヘ円.¥I'-;~",'~'r--,弐~ t1 \\!雲せ:í Q 程緩1:!(ì~ド〉
e Tugan忍aranowky:Studien. u.s.w., S. 18.
c'富 a.a息, S. 18.
3: a.a.O., SS. 19-20.
霊 Marx:Das Kapital. b巴sorgtvon M-E司LInstitut. Bd. II!, 8. 272.
e: Tugan-Baranowsky: Studien. u.日.w.,S. 27, Anm., Vgl. Vorwort. 8. IV
2I Lenin: Sochineniya. Tom. IV. str. 61-62. rl注~~司祭£野諜1:!兵へとか t(lê:g;習1:!叫が νJ
:g Marx; Das Kapital. Bd. 11, S. 396. 室 Lenin: 80chin巴niya.Tom. IV, str. 48. r担$~Q 害~?1~ k! 兵ヘミかのê:~ c Q~実用コーl
8: Marx: Das Kapital. Bd. II, S. 40弘
35 モ:i:E!l悠~Si' )会副長老害者~~~4;:\魚\t1企程, 111 Jγ-".;,~)ムや\\~~O
~ Marx: Das Kapital. Bd. II, S. 397.
室 Lenin:Sochineniya. 4. izd. Tom. !I, str. 134.
~ Marx: Das Kapital. Bd. III,S. 891. ~ Tu只'an忍aranowsky:Studien. U.s.W., S. 18, Anm. 湾 Lenin: 80巴hineniya.Tom. IV, str. 65. rはわ斜苦~Q 切手~i.-L長、ミかの宣言毅i:!.r4かい」
事 r.¥Q ,心さのね-lHìi符ミ~<~斜線~/害事 Q~認後*~,~:コ ~.Q ー ト吃'"r< Q E主 112母:i1:!~吋包 F 定盟ささ経(;:z1:! 斗引い j記誌が~~t(l QAJ~
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~土をみj よさ ~\J .; の' ぺ式パ午;~ 0 ν++がコド 237福竜zミ主制衡さま Q lÞ: ~Q 弘司絡会j箆密J サ!.! 0 J a.a.O., S. 228.
Lenin: Sochineniya. 4. izd. Tom. II. str. 147-148. ,号5慾織を~ 0ート λ利管理 Q:;lj::題。引な Q;L!:Q:1J
Tugan-Baranowsky: Studien. U.s.w., SS. 21-22. -N';~ 'J Q総4,{¥'J tHコ*採決>¥-'Q ~露ω好点史民む$~ぎがの.\j~{終 J ド.; 1'00
a.a.O., S. 25.
Lenin: Sochineniya. Tom. IV, ftr. 41.
;I;!L~1おEゃい
J.-B. Say: Oeuvr色sdivers巴s.1833, p. 158.
対~~'ii;;幸' てl~~援対'~烈皇室部揺さ語家, 1同一if〈γ-",;'。
Tugan-Baranowsky: Der Zusmmenbruch der kapitalistis巴henWirtschaftsordnung im Lichte d白rnationalokonomis巴hen
Theori巴. Archiv fiir Sozialwissenschaft und Sozialpolitik Bd. XIX, 1904. SS. 284-285. !j Q 11% 4,{ Q mた護よさ魚$:10';い
土;2'ヨ沼生霊+1,怪, je;*' 11 0夜 γ-",;,~}ム蜘淫~O
醤・茎 Lerun: Sochineniya. Tom. IV, str. 145-146. rγ ・'~~ '1;:t, ~ヘ1'\ Id:( ( Q @l裂に1
~ Tougan忍al'anowsky:L巴sCrises industriel1es en Anglet白rre.p. 218.
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「再さif' Çì~l2'弱~とかの棺恥担 Q) 古宕必:稔R525主三~~ょう司初J~' 結語刊誌記~恕ろい盤竪:g;l2除去型~tO鵡夜宕必強
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IJ Q)イ小必需翠G 晴名~,,'<d~寺町写会 Q if' 明 Q;冨令52記寝付制悩Q~基当W~*.l+1部宕.Lfi i写能部川 Q :;;ëì Qt終組手J ぬ ~00機
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J明震2畿勢窓生月
ツがンHパ一フノアスキー恐慌論にかんする一考綜
1te ßZ~
形態乞とり、他方で、商品生産乞支配しているの摂政府性」が、阪抗日訟則の貫徹の給品ベ与例の
ける生産を一粧台的生産として昂拐し組職ずること」を生み出す。かくて「社合的生産と資本主義的山引との出の矛盾
ハ2V
は、悩々の工場に沿ける生庄の組織化と金枇んV
けになげる生産のい山政府性との間の封立として再生産されるのである。」
これらの諮矛障は、商品生産が支配的生産絞式である資本主義社合にむいて、一そう激しくなり、恐慌乞必然たら
しめ、恐慌が、「現存する諸矛活の一時的な暴力的解決にすぎない」以トハ、一居激烈な弐の恐慌乞準備し、いわゆる景
気循環を生み出しつつ、「より高度の他の有機体による一五の右機体の交替」の物質的基礎と主体的保件そ形成して行く
こ、Jd
fuよ
のである。
再生産表式は、枇八円的総資本の再生産と流渇の過程に占ぶいて如何に行われるか乞「同解」し℃いるのである。そし
て、その過程にゐける生産と消費との聞の矛照もまた示されているのであって、枇合的生産が均的的に行われるとと
しかるに
(3J
ツガンも、「経前部慌に必いてとそ、資本主義的経済松式の誌も深刻な諾矛慣があらわになる」とと乞認
-148-
を「詑明」するものではない。
め、その「諸矛居」伝次のように理解する。
「入問。欲求の充足のための一つの手段としての生涯と、資本の創出にゐける一つの技術的契機と
Lての、
自己目的としての生産との聞の矛活は、資本制経済秩序の基本的矛盾である。」
このような「基本的矛盾」の型鮮の中に、ツガンの「マルクスの現論の新カント
すなわち
われわれは
による受精作用」
(レ
13ン)左見るととが出来る。すなわち
ツガンは安本主義枇ん仰の
「一品官(」
の中に
「基本的矛庶」
乞見るのではな
くて、生産が「目的」か「手段」かということに「基本的矛盾」乞見出すのである。
ツガンは、前協の引用文に続けていう、
111「との矛盾は、
その社合的表現を、
生産の管説者
ll生産手段の所布
者
iiは世誌に
に参加せや、ほ接的生産者は生産手段乞何も所有せや、
それに従って生涯に封して何らの統制乞
というととに見出す。けれどもとのようなお樹の矛盾は、治民本主義的生産誌式の何ら特殊な問自性でほ
とい与のほとのような矛庄は、奴想秘的ゐよび封建制的生産税式の如き利能生産物のい内有に基づくあらゆる生
産様式に共通しているからである。だが資本主義的生産のそれらと異なる賠は弐の町初である。すなわち間労働者が一位
ももたない、
ない、
の同単なる生産手段の役割に挺されるのみならや、
ある程度まで資本家自身ずら恭一本誌杭O
一筒白川平なる手段になると
いうととである。」
ツガンの経済史の出併については、今は問わぬとして、資本主義社合に必いては、問労働者が生産手段になり、資本
家も皆川税の「手段」になるとすればベプロレタリアートとブルジョアジーとの間の釘立」などありえない答であり、
逆に、労働者は資本家と協力して、生践をつ日己日的」ではなくて、「手段」にしなければならぬという笈践的邸結友
生まねばなら友くたる。
-149
廷に、ツガンは「話一の矛清〔以上。ツガンの斑併する「基本的矛盾」乞指す
li引用者〕と一位誌に閥述じて資本
主義的経済秩序の第二の矛活が後生ずる」と述べて、「側々の寸ム一訓切にたe
ける生産の組織化と会社人Wに'ぬける生産の俗…
ハ54
政府性との聞のお立を脱出
J
げる。
その「闘迩」が如何なるものであるかは、ツガンは全然説明していない。
ゃご
2、
半山
4μ
以上の如き「基本的矛盾」(第一の矛盾)と
の一契披として必然ならしめる」といい、それらの矛尻と恐慌の関控乞衣のように説明する、
li
「資本主義の基本矛庶が枇合的消費の吐合的生産に到する統制の扶如でるることは上越せる如くである。資本制生産
は一つの手段から自己目的になる。とこから資本主義的経心的の諸恐慌が我生ずる。
ツガンは、
二の矛活」は「一般的過剰生産を資本主義的経済の渡良
々は枇合的生産の均備的配
出阿波間平研究
五:
ツガンHヴフノアスキー恐慌論にかんする一考終
1~ E長
分の下では需要は商品の供給自体によって創出されるととを知った。しかしながら完全な均衡の誌成には克服し難い
困難をそれ自身の中にもっている。枇合的資本のそれぞれの配分が均衡的配分から議離すると、二一一一の商品の過剰生
産に相場く、だがすべての生海部門は相互に・報提な器開の下にあるので、二三の商品の部分的な過剰生産は一般的商品
過剰生産に特化する、商品市場は畏れない商品で充ち溢れる、かくて債格の崩落が起る。」
ととでは、資本主義の「基本的矛盾」が「社合的治野、の枇合的生産に封する統制の扶如」に置き換えられている。
だが、とのような生産の無政府性は商品生産に国有の範院でるって、資本主義に特有のものではない。
また、生産の無政府性が支配するが故に、不均衡が生やるというならば、
「そのととは資本主義的生産の内部では
個々の生産部門間の均衡は不均衡から生じる絶えざる過程として現われるというとと以外に何も意味しない、
1iと
いうのは、との場合には総生産の関訟は、官目的法期として生産代現者たちに自己友強制するのであって、彼らの協
ハ7》
同的理性によって把掘され従って支閉された法則として生深過程乞枯らの共同的絞御に給わやるのではないから。」
すなわち、生産の無政府性だけでは不均衡は説明出来るが、「撹乱された均衡かL
問脱出的に再建する暴力的な保護」
としての恐慌が説明出来ない。それ故、生産の駐合的性格と資本主義的占有形怒との開の矛盾が定立されねばならぬ
ツガンのように「基本的矛盾」を理解するならば、それは
-J50-
のでるる。
しかも、
の無政府性と何ら「直接にmm控」
ずるものではあり得ないととになる。
設(5) (4) (3) (2) (1)
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前掲拙稿、一六二ページ。
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閥、恐慌請と崩壊理論との連繋
われわれは、
以上に公いて、
ツガン恐慌論の核心友なす再生産主式と
の知政府一紅白内容を明らかにした。
再生産表式は、
ツガンにあっては、批合的生産の配分が均衡してゐれば、
なんら過剰生産物を生み出さないごとを
「設明」する。均街を保設するものが恐慌である。恐慌によって枇合的生産が均約的に配分される限り、一杭合的生注
ハー一)
は個人的治安から「猫立」に増大する。かくてベ資本主義はどんな場合でも市場の依乏からは崩壊しないであろう」
しかしながら
ツガンの崩壊理諸の結論の一つが輿えられる。
ツガンは資本主義が「無限にr
存続」するとは考えない。何故なら、資本主義祉人川口ば、
--151.-
という、
「人間はそれ
ハ2JV
自体で日的である」というカントの道徳律に矛附するから、必然的に崩壊しなければならぬ、とツガンは考える。と
のような考えは、ツガン白「基本的矛盾」の理解につながる。
一方、ツガンは、恐慌が共第にその性質を鎚化して行くとと佐示認する。資本主義の滴占段階に沿いて、
週期的出現の危険性を排除した」と主張するベルンシでグイン等の見解を反駁して、
(
3
)
止揚するととは全くできないと考える」と述べ、
(4J}
る」という。とのような恐慌の性質の経化は、
「恐慌の
「五日々はカルテルが産業循壊を
「現在では、恐慌はもはやな性の病気ではなくて、慢性の病気であ
「生産様式が交換様式に叛諮し、生産力はもはや生産様式の手に負え
ぬまでに成長してとれに叛逆するいとと注意味する。
しかるに
ツガンのように「基本的矛盾」を現解し
の無政府性」乞理解するならば、
その恐慌論は、必然
制限溶接研究
ミ百こ
ツグンリパラノアスキー恐慌論にかんする一考察
伎一時
的に
ヒルフアディング
フハ
lリン
の「組織された資本主義」論につながる。
すなわち、
ツガンはいう、
ii
「国民経消の組織は、今日私経済が椛成されている如く、討議的・日的立識的であり、かっその主体、すなわち例入
の利抗↑になっているのとる一く同誌に、明単一の思考によって計設的に山巡行され、しかもその主体、すなわち祉作の利ぷ
とのような経消和械は社合主義と呼ばれるο」
になるように秘成されねばならぬ。しかしながら、
設(日)(5) (4) (3) (2) (1)
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前抑制拙稿、一六一一ページ内部弔問。
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-152-
革、結
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E爾
ツガンの恐慌同時半読史上の立誌を明らかにする。
ツガンの思慌日一州は、再生産去式と生産の無政府性とからなるο
すなわち、羽生十除去式ば社合的生産の均術的配分を
説明するものであり、生
r
庄の無政府性は結えや均締役撹乱する。それ故に、資本主義社台に必いて「恐慌の必然性」
とツガンは説明する。
結論として、
われわれは、
これまでの叙越を要約し、
がある、
「基本的矛盾」
このようなツガンの恐慌論は、で、「組織された資本主主一日「社合主義」論に?ながり、他なでは、資本主義心
カント汲的な倫現的矛活と却解する結果として、「基本的矛首」と恐慌の
、また
恐慌論と何の控紫もない道徳的崩壊論に導く。
われわれは、ッガンが、ナ口
1ド一二丁シスモンディの内論
!iロシアにおいては関内市場の狭脳なため資本、主誌の
議長が不可能であると説く!ーを反駁ずるため、科準的経消早から再生産去式を借りて来たが、その民の立義を則一併
せや、不援資本も可鑓資本と同総に制徐的組を生むというセーの俗流的見併をとり入れ、再生花去式は、枇令的生産
の均備的配分注説明するものであると主張するととを明らかにした。
円
41
一〉
とのような再生産去式の意義
ρ誤解は、オット1・パウェルを経て、グロ1スマンにひ
ツガンと還に、パウェルの去式を計算してゆくと三十五年日には荒川誌が不可能になるととによって、崩壊を「詮明」
した。
れ
グロiスマンば
〔
3
)
(
d
d
ツガンの恐慌論に必ける偵値論及び剥徐位杭読の俗流的見解は、ブ
1一一アチアン及びカッセルの、主間前川杭説的恐
慌論、或いは慎値論なき長試槌劫論に惑っている。
ツガン恐慌論の一核心友なす「生誌の無政府性」は、資本主義の「基本的矛活」から切断され、ツガンの恐慌論は「組
織された資本主義」論とは控議中どもつが、科準的な崩壊川町論となんら迩紫をもたやノ、ツガンの誤って迎鮮やる「基本
的矛盾」から、道格的崩壊理論を生む。
疋しい立味での「基本的矛活」と迩繋をもたぬツガン白恐慌論は、シュピ
lトホブによって探用され、シュピ
lト
ホブは、「法慌論」乞「景試技勤論」に再編成ずるととによって、資本主義の「矛盾」はどとかに行ってしまい、「恐
慌論」と「崩壊理論」との諮禁は完全になくなった。
とのよ〉うふなシ品ピ1トホフの
はいわゆる近代経済皐に必ける「非貨幣的過判投資説」として一つの主流乞
なす。
綴溶接研究
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-153-
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I¥ "f戸 斗 r根ャム λ'i~ k¥トVQ ~:\!f 1.1.込先J4l1話制よ!:¥!1 i謡総a::..)1だ〈咋 Q 還さ~Q 缶詰部議ペ,-H C¥ ;l! 0 J Tougan-Baranowsky: Les Crises industrielles en Angleterre. p. 277, note. ;J Q 持~!d. 0~λ:\!綴 il l1a ..) νL の主主, .}.:6~:手, ,;," ',-,-ム長 h ぺF、~
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