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沸騰プノンペン 沸騰プノンペン 発掘こぼれ話 駐在妻・美食探訪紀 Issue No.11 2010 Issue No.11 2010 時空を超えた旅情報誌 マップ付 Discovery Series 崩壊と略奪の大寺院 崩壊と略奪の大寺院 初凪 初凪号 — とことんアンコール 11 — とことんアンコール11 — Discovery Series 西参道修復物語 西参道修復物語 発掘こぼれ話 駐在妻・美食探訪紀 バンテアイ・チュマール バンテアイ・チュマール

D.A.C Issue #11

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特集 王道の果てにⅢ:バンテアイ・チュマール遺跡

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Page 1: D.A.C Issue #11

沸騰プノンペン沸騰プノンペン

発掘こぼれ話

駐在妻・美食探訪紀

Issue No.11 2010

Issue No.11 2010時空を超えた旅情報誌

マップ付

Discovery Series

崩壊と略奪の大寺院崩壊と略奪の大寺院

初凪号初凪号

— とことんアンコール11 —— とことんアンコール11 —

Discovery Series

西参道修復物語西参道修復物語

発掘こぼれ話

駐在妻・美食探訪紀

バンテアイ・チュマールバンテアイ・チュマール

Page 2: D.A.C Issue #11

Discover The World With Us!

ベトナムラオス

ミャンマー

Page 3: D.A.C Issue #11

Discovery View

Discovery Season

Discovery Series

Travel Triangle/定点観測

沸騰プノンペン・奇跡の復活劇

とことんアンコール第11弾

「崩壊と略奪の大寺院」

・プノンペン          P. 37

・シェムリアップ P. 63

・シハヌークビル P. 97

・全国図            P. 17

・アンコール遺跡群       P. 21

・カンボジア西北部・国道6号線地図  P. 23

・バンテアイ・チュマール P. 34

・歴史地図:アンコール王朝最盛期

・プノンペン市街図       P. 48

・シェムリアップ市街図     P. 69

・シェムリアップ国立博物館& P. 84

 シハヌーク博物館・案内図

・コーケー遺跡群地図 P. 85

・レアム国立公園        P.109

・シハヌークビル地図      P.104

・カンポット/ケップ地図  P.110

お勧めの一冊

一期一語     

    

折込地図

読者の皆さんへ

 情報誌:D.A.Cの発行は今号で11号目を迎えます。アンコール・

ワットの国・カンボジア、ガイドブックを片手に訪れた皆さんが

出会うD.A.C.。 「もう一歩踏み込んだカンボジア」を伝えたいと

発行しているものです。自在な視点でのびやかに、時に鋭く貪欲

にカンボジアの魅力を伝えられたら、幸いです。ちょっとディー

プな話題の提供で、皆さんの新たな旅のはじまりにつながること

を願っています。

 D.A.C.では、毎号新たな地図が追加されています。いずれも本邦

(日本語)初公開という地図で読者のお役にたつものと思います。

寄稿:発掘こぼれ話

寄稿:西参道修復物語   寄稿:駐在妻・美食探訪紀

寄稿:水辺便り

P.118

時空を超えた旅情報誌

ISSUE No.11

グラビア

歳・時・季

P. 6

P. 25

P. 26

P. 40

P. 33

P. 83

P. 44

P.115

P. 39 P. 96

*ローカル乗り物料金表掲載(P.12)

旅の基本情報

本書掲載内容(写真・地図・記載等)の無断転載・複製を禁じるThis book may not be reproduced, in whole or in part, in any form, except by reviewers for the public press, without written permission from the publisher.

KEP NATAYA RESORT

ルポ:新春釣り紀行        

P. 35

*プノンペン市場案内図(P56-57),

シェムリアップ市場案内図(P76)

P.102

Page 4: D.A.C Issue #11

レストラン“四季”のマスター平岩さん

ヒット!!!

船縁まで寄せたバラクーダを、ギャフを持って待ち構える

この日のヒットルアーはブルーの 「ラパラ・カントダウン・マグナム」だった

SIEM REAP

Kompong Som

KAMPONG THOM

PHNOM PENH

トローリングでヒットした

1mオーバーのバラクーダ

Page 5: D.A.C Issue #11

大物狙いには“生餌”が効果抜群

このクラスのメジナが上がれば

引きも強く十分楽しめる

クボタ建設藤谷さん

ヒラメをゲットしたクボタ建設佐藤さん、

この日は美味しく煮つけでいただいた特別参加の篠原前大使はこの日、

アジをゲット!

“糸ヒキアジ”の引きは強烈、水面に魚影が見え

た時の興奮は何とも言えないものがあった

こりゃ大物だ!!

Page 6: D.A.C Issue #11

 一朝、事ある時、寺院は城塞と化す。

 古今東西、その例に事欠かない。日本の城下町にあっては、城

を守る最後の拠点として、ある区画に寺院を集め寺町を造った。

また、奈良の今井町のように真宗寺院を中心に街を造り、環濠を

巡らせた中世自治都市の例もある。ヨーロッパにおいては、教会

が城塞と化すのは*中世以来の街造りの常であった。近い例では、

第二次世界大戦時にドイツ軍が立て籠もった*モンテカッシーノ修

道院の爆撃が知られている。

 *バンテアイ・チュマールもまた、一朝、事ある時、大城塞とな

る。既に本誌No6で触れた大プリア・カーンもまた、アンコール・ト

ムの規模を超える大城塞で若き日のジャヤヴァルマン7世(在位

1080頃-1107年)はここに拠って、王都アンコール・トムを占領し

たチャンパ軍に抵抗している。後世、チュマールをバンテアイ

(砦・城塞)と冠したのも故あることである。

*チュマール:フランス語読みで現地語ではチュマー、「猫」が一般的です

       が、「小さい」と言う意味もあります。「小さい」もカンボ

       ジア語で一般的な「トゥーチ」(ちっちゃい)ではなく、釣

       り餌のみみず、赤虫のような形状を指す時に使うとのことで

       す。

*モンテカッシーノ修道院の爆撃:イタリア半島南部からローマにつながる

                要交の街カッシーノを見下ろす山頂にあ

                る修道院。1944年、修道院城壁下にドイ

                ツ軍は陣を設けたが、山頂にある修道院

                 をアメリカ軍が盲爆した。

 

 東の大城塞:大プリアカーン、王道は東に向かって*サンボー・プレイクック、プノン・サントゥクの麓を経て、コンポンチャムの

ワット・ノコール、さらにメコン川を越えてプレイ・ノコールに到る。*プレイ・ノコールこそ、アンコール王朝がチャンパや東北の高

原に住む高地人に備えた最前線の城塞と言える。現にプレイ・ノコールは東西南北の各辺が約2.4㌔の方形で幅80mの環濠に囲まれている。

当時、アンコール王朝は、チャンパとの死闘を繰り広げていたが、ジャヤヴァルマン7世(在位1181-1215頃年)の遠征によるチャンパ占

領(1203-20年)で終息する。

 西に眼を転ずれば、*アンコール・トムに続く大城塞:バンテアイ・チュマール、遠く*ピーマイ寺院も城塞都市として位置付けられ

る。当時、チャオプラヤ-水系に向かう主要な王道は二つあったようだ。王道の一つは王都:アンコール・トムから北西に向かいピー

マイに到り、そこから西に折れて現在のロッブリーに向かい、チャオプラタヤ水系のヨム川沿いを遡りスコータイ地方に到る。もう一

つは西バライ南の土手を通って現在のアランヤプラテート付近に到る王道で、遠くアユタヤ、さらにバガン王朝の勢力と接するムアン・

シンの街に通じる。*アンコール=ピーマイ間にはジャヤヴァルマン7世が建造した寺院は、実に13を数える。バンテアイ・チュマール

は二つの主要王道を外れて、その中間に位置している。このことは、バンテアイ・チュマールの南南東7.5㌔、バライ(聖池)の南に隣

接する*バンテアイ・ト-プという環濠を持つ寺院遺跡が「軍隊の砦」という言い伝えがあるように、その立地に何らかの軍事的な意味

があったことを物語っているようだ。それにしても王都アンコールを頂点にピーマイに到る240㌔の直線を一辺とし、もう一つアランヤ

プラテートを経る王道に同距離の直線による二等辺三角形を描けば、ジャヤヴァルマン7世造営の寺院遺跡は実にアンコール王朝の寺院

遺跡25のうち23を数え、そのなかでの最大の寺院遺跡がバンテアイ・チュマールである。

チャンパの脅威が去った王の晩年には、シャム族の自立化の動きが見られる西に眼が転じ

られたかのようである。

*上記の地名・遺跡名:本書P17-18の全国地図、P35の12-13世紀歴史地図を参照。

*プレイ・ノコール:アンコール王朝創始者ジャヤヴァルマン2世(在位802-835頃年)の最初の王都跡

          といわれる。環濠とともに中心部に2基、そこから少し離れたところに1基のレン

          ガ造りの祠堂が残っている。(P17-18の全国地図参照)

*アンコール・トム:ジャヤヴァルマン7世が造営した王都。一辺3.25㌔の方形で環濠をめぐらす。

*ピーマイ:ジャヤヴァルマン7世の造営。東西0.56㌔、南北1㌔の外壁を持つ。周囲を環濠で巡らして

      いる。中心にピーマイ寺院遺跡の他、環濠やバライ(聖池)の一部が残っている。

*アンコール=ピーマイ間:「神々の寺院 バイヨン」(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)を参

              照。同書はバイヨンインフォメーション・センターで手に入ります。

*バンテアイ・トープ:ジャヤヴァルマン7世時代の造営。中心部の丘に寺院遺跡。方形環濠をめぐらし

           ている。寺院遺跡の中心には5基の祠堂があったが現在は3基のみ塔の形を残す。

           祠堂には創建当時のものと思われる蓮弁を彫った天井版が残っている。

 

 

 2006年、ビザの切り替えでシェムリアップから国境の街ポイペトに向かったことがある。

シソフォンの街に到る国道6号線の悪路には辟易した。乾ききったラテライトの道に砂利

が撒かれた跡であろうか、小刻みの振動で乗合のマイクロバスが全壊するのではないか、

と思った。*シソフォンからポイペトの間は一応舗装してあるが、到るところが陥没して

                     

-バンテアイ・チュマール寺院遺跡-

王道の果てⅢ 崩壊と略奪の大寺院

西の大城塞:バンテアイ・チュマールは

     王都・アンコールを守る最後の拠点か

発見当時を彷彿させる森に沈む四面仏の塔

-タ・スックー

   バンテアイ・チュマール内陣神々にかしずかれるシバ神の彫刻が見える

かつては辺境の地

(P34 地図・上図⑦)

(P34 地図・内陣図④)

とことんアンコール第11弾

Page 7: D.A.C Issue #11

おり、かえって危ない。陥没箇所はアスファルトの割れ目の断面を見せ、場所によっては50㌢を超える穴もある。車は陥没地を避けて

進むノロノロ運転、実にシェムリアップ-ポイペト間に7時間を要した。思えば、シソフォン北方60㌔のバンテアイ・チュマール、さ

らなる悪路が予想され、一泊覚悟の辺境の地であった。かつてはポル・ポト派支配地域、*治安や地雷の撤去状況も気になった。

*1993年頃、タイの支援で舗装化されたが、その後のメンテナンスがなく放置された状態だった。

*この国道沿いでは1993年にアメリカ人観光客2名が殺害され、また、PKO活動に参加した警察官・高田晴行氏がポル・ポト派の待ち伏せ攻撃で殺害されてい

 る。(P17-18の全国地図参照)

 

 2009年、シェムリアップ-ポイペト間の道路は劇的に改善された。途中の街中を除けば、100㌔走行が可能である。雨季に立ち往生

した仮橋の光景が嘘のように消えていた。シェムリアップ-シソフォン間が実に1時間半、シソフォンから北上する国道56号線はラテ

ライトの道だが、かつての国道6号線よりはよい。北上1時間ほどで突然、バンテアイ・チュマールの環濠に突き当たる。環濠の向こう

は低い森に覆われている。あたかも日本の古墳を見るようだ。*地図を見るに道は環濠南西角から環濠南側を走り、左折して東正面に

到るところが入り口になる。

*シェムリアップ-チュマール間は途中休憩をいれても片道・車で所要3時間以内。(本書P17-18の全国地図参照)

 

 今回の取材には上智大学の三輪悟氏のご好意でカンボジア文化省とフランス極東学院共同調査による地図を持参した。バンテアイ・

チュマールを中心寺院とする遺跡、外濠は東西2㌔、南北1.7㌔の巨大なもので、中心寺院の環濠は東西0.9㌔、南北0.8㌔で環濠幅は

65mほどである。東に東西1.7㌔、南北0.8キロの巨大なバライ(聖池)を設け、中心部に濠を持つ*メボン(中心寺院)の祠堂が残る。

全体の軸は、やや北に偏り、バンテアイ・チュマール寺院の東西軸とバライの東西軸は一致せず、バライの東西軸は平行して北にずれ

ている。遺跡全体の形状は大プリアカーンに似ている。が、大プリアカーンが外濠に三重の濠を穿ち、さらにバライを抱え込むような

形状に対して、バンテアイ・チュマールのそれは防御の面で薄い。が、グーグル・アースや遺跡地図を見るにバライ南西部に南北に走

る土塁跡が2本見える。一方、北側は1本である。思うに南側の二本目と見える土塁跡は、防御面に不安を感じた新造の土塁跡ではない

だろうか。

 バンテアイ・チュマール遺跡の特色は、環濠に囲まれた中心寺院の東西南北の軸上に七つの小寺院を設けていることである。その内

二つは外濠の外にある。

 車では突然、中心寺院の環濠に突き当たり、外濠の遺構は確認できなかったが、一説によると外濠に囲まれた地域に10~20万人の居

住が推定されるという。

*メボンの祠堂:現在、バライは水田化されているが、雨季は冠水のためメボンへたどれない。中央祠堂は半壊状態である。中央祠堂は作成地図のような濠

を設けてあるが、プリアカーンのバライ(ニャック・ポアン)や大プリアカーンのバライ(聖池)のメボン

のように東西南北に四つの池を配した説もある。グーグル・アースを見るに四つの池の説よりも文化省-フ

ランス極東学院の共同作成地図の地形が正しいと思え、作成地図(本書P34)のようにした。

 東正面の参道橋はほぼ原形を留めない。乳海撹拌のナーガを引く神像と阿修羅像が一体づ

つぽつねんと置かれている。頭部は明らかにレプリカ(模造)である。参道橋の向こうには

東外塔門の壁の一部がわずかに残っている。壁面には一体のデバター像、連子の偽窓と壁龕

には仏座像の浮彫が見られる。ジャバルヴァルマン7世の死後、バラモン僧の反撃によって

吹き荒れた*廃仏毀釈はここでは行われていなかったようだ。

 かつてここにはアンコールのプリアカーン寺院遺跡と同様に三基の塔の堂々たる外塔門が

あったはずである。外塔門を過ぎると右手にダルマシャーラ(宿駅:宿泊所)、碑文によれば、

ジャヤヴァルマン7世時代には王道の整備と共に121の宿駅、121の施療院を設け、アンコール・

トムと王宮の整備以外に著名な寺院遺跡24を数え、小寺院建立となると無数となる。まさに

「建寺王」の面目躍如たるものがあり、その熱狂は注目に値する。

*廃仏毀釈:ジャヤバルマン8世(在位1243頃-1295年)は、ジャヤヴァルマン7世の子インドラヴァルマン2

      世の後、王位を継ぐ。ヒンドゥ・シバ神信仰派のバラモン僧の言を入れ、廃仏に乗り出す。バ

      イヨン、プリアカーン、バンテアイ・クディ寺院では組織的な廃仏による破壊、改変が行われ

      た。が、バンテアイ・チュマール寺院では壁龕や回廊屋根の部分に多数の座仏像を見ることが

      できる。

劇的に改善された道路状況

先ずは全体の景観を確認・・・居住10万人を超える都市遺跡

廃仏毀釈を免れた仏教寺院はいぶつ きしゃく

ー第一回廊・西塔門付近から内陣を望むーバンテアイ・チュマールは熱帯樹に沈む寺

バンテアイ・トープ寺院遺跡

(チュマール寺院南南東7.5㌔)

(P34 地図・内陣図eから)

おり、かえって危ない。陥没箇所はアスファルトの割れ目の断面を見せ、場所によっては50㌢を超える穴もある。車は陥没地を避けて

進むノロノロ運転、実にシェムリアップ-ポイペト間に7時間を要した。思えば、シソフォン北方60㌔のバンテアイ・チュマール、さ

らなる悪路が予想され、一泊覚悟の辺境の地であった。かつてはポル・ポト派支配地域、*治安や地雷の撤去状況も気になった。

*1993年頃、タイの支援で舗装化されたが、その後のメンテナンスがなく放置された状態だった。

*この国道沿いでは1993年にアメリカ人観光客2名が殺害され、また、PKO活動に参加した警察官・高田晴行氏がポル・ポト派の待ち伏せ攻撃で殺害されてい

 る。(P17-18の全国地図参照)

 

 2009年、シェムリアップ-ポイペト間の道路は劇的に改善された。途中の街中を除けば、100㌔走行が可能である。雨季に立ち往生

した仮橋の光景が嘘のように消えていた。シェムリアップ-シソフォン間が実に1時間半、シソフォンから北上する国道56号線はラテ

ライトの道だが、かつての国道6号線よりはよい。北上1時間ほどで突然、バンテアイ・チュマールの環濠に突き当たる。環濠の向こう

は低い森に覆われている。あたかも日本の古墳を見るようだ。*地図を見るに道は環濠南西角から環濠南側を走り、左折して東正面に

到るところが入り口になる。

*シェムリアップ-チュマール間は途中休憩をいれても片道・車で所要3時間以内。(本書P17-18の全国地図参照)

 

 今回の取材には上智大学の三輪悟氏のご好意でカンボジア文化省とフランス極東学院共同調査による地図を持参した。バンテアイ・

チュマールを中心寺院とする遺跡、外濠は東西2㌔、南北1.7㌔の巨大なもので、中心寺院の環濠は東西0.9㌔、南北0.8㌔で環濠幅は

65mほどである。東に東西1.7㌔、南北0.8キロの巨大なバライ(聖池)を設け、中心部に濠を持つ*メボン(中心寺院)の祠堂が残る。

全体の軸は、やや北に偏り、バンテアイ・チュマール寺院の東西軸とバライの東西軸は一致せず、バライの東西軸は平行して北にずれ

ている。遺跡全体の形状は大プリアカーンに似ている。が、大プリアカーンが外濠に三重の濠を穿ち、さらにバライを抱え込むような

形状に対して、バンテアイ・チュマールのそれは防御の面で薄い。が、グーグル・アースや遺跡地図を見るにバライ南西部に南北に走

る土塁跡が2本見える。一方、北側は1本である。思うに南側の二本目と見える土塁跡は、防御面に不安を感じた新造の土塁跡ではない

だろうか。

 バンテアイ・チュマール遺跡の特色は、環濠に囲まれた中心寺院の東西南北の軸上に七つの小寺院を設けていることである。その内

二つは外濠の外にある。

 車では突然、中心寺院の環濠に突き当たり、外濠の遺構は確認できなかったが、一説によると外濠に囲まれた地域に10~20万人の居

住が推定されるという。

*メボンの祠堂:現在、バライは水田化されているが、雨季は冠水のためメボンへたどれない。中央祠堂は半壊状態である。中央祠堂は作成地図のような濠

を設けてあるが、プリアカーンのバライ(ニャック・ポアン)や大プリアカーンのバライ(聖池)のメボン

のように東西南北に四つの池を配した説もある。グーグル・アースを見るに四つの池の説よりも文化省-フ

ランス極東学院の共同作成地図の地形が正しいと思え、作成地図(本書P34)のようにした。

 東正面の参道橋はほぼ原形を留めない。乳海撹拌のナーガを引く神像と阿修羅像が一体づ

つぽつねんと置かれている。頭部は明らかにレプリカ(模造)である。参道橋の向こうには

東外塔門の壁の一部がわずかに残っている。壁面には一体のデバター像、連子の偽窓と壁龕

には仏座像の浮彫が見られる。ジャバルヴァルマン7世の死後、バラモン僧の反撃によって

吹き荒れた*廃仏毀釈はここでは行われていなかったようだ。

 かつてここにはアンコールのプリアカーン寺院遺跡と同様に三基の塔の堂々たる外塔門が

あったはずである。外塔門を過ぎると右手にダルマシャーラ(宿駅:宿泊所)、碑文によれば、

ジャヤヴァルマン7世時代には王道の整備と共に121の宿駅、121の施療院を設け、アンコール・

トムと王宮の整備以外に著名な寺院遺跡24を数え、小寺院建立となると無数となる。まさに

「建寺王」の面目躍如たるものがあり、その熱狂は注目に値する。

*廃仏毀釈:ジャヤバルマン8世(在位1243頃-1295年)は、ジャヤヴァルマン7世の子インドラヴァルマン2

      世の後、王位を継ぐ。ヒンドゥ・シバ神信仰派のバラモン僧の言を入れ、廃仏に乗り出す。バ

      イヨン、プリアカーン、バンテアイ・クディ寺院では組織的な廃仏による破壊、改変が行われ

      た。が、バンテアイ・チュマール寺院では壁龕や回廊屋根の部分に多数の座仏像を見ることが

      できる。

Page 8: D.A.C Issue #11

                        

     

                            

 内陣部の東塔門前にはテラスが設けられており、その欄干を

飾るのは大きく羽を拡げたガルーダ像である。テラスや橋、参道

は奇数の頭のナーガ像が一般的であるが、ガルーダ像の多用は

7世の時代の特徴である。胸を大きく張り出したガルーダ像は、

アンコールの王宮テラス、プリアカーン、そして巨大なガルー

ダ像を載せた*大プリアカーンのメボンの中心祠堂に見られるも

のだ。それはアンコール王朝最大の領土を誇ったジャヤヴァル

マン7世の権力の絶頂を威圧的に示しているかに思えた。

*バンテアイ・チュマールの参道橋は南参道部分にわずかに乳海撹拌モチ

 ーフの欄干が残っている。橋の両壁面は土砂に埋もれ定かでない。大プ

 リアカーン寺院では内陣を囲む濠の参道橋に見事なガルーダ群像浮彫が

 見られる。(P34の地図・上図参照)

*大プリアカーンはコンポンズヴァイのプリアカーンとも言われ、アン

 コールの東96㌔の地にある大寺院遺跡。ジャヤヴァルマン7世の父:ダ

 ラニンドラヴァルマン2世(1150-1160年)が創建した仏教寺院だが、

 ジャヤヴァルマン7世時代に大増築・整備が行われた。プラ・ストゥン

 には四面仏の塔を戴く中央祠堂が残っている。(P17-18の全国地図参照)

 

 崩壊した東内塔門に入り、右手のガルーダ群像で壁面を飾った北経蔵跡に登り、唖然とした。厳然の光景はまさに崩壊の極致。多く

の遺跡を眼にしてきたが、これほどまでの崩壊のすさまじさを眼にしことはない。大プリアカーンの境内の崩壊にも驚いたが、これほ

どでない。中心祠堂群に向かってほぼ全域にわたって崩壊し、砂岩の建築材に覆い尽くされている。あたかも大地震の後のようだ。こ

こまで崩壊していると、逆に野生的な美しささえある。カンボジアの古代遺跡の魅力はある意味で放置されたままである故の、野生味

にあるのかもしれない。

 一方、境内の各種建物を飾る装飾群に明らかに引きはがしたと思われる盗掘の跡が目立つ。後に触れる千手観音像盗難事件以外にも

多くの盗難があった。

 これは地元民の言である。事実、千手観音盗難事件(1997年)以前から、バンテアイ・チュマールは大規模な盗掘にあっている。近

くの駐屯地の兵士たちによる大規模な盗掘も地元民は目撃している。おそらく他の遺跡と同様に小規模な盗掘は日常的であったのだろ

う。1994年、バンテアイ・チュマール寺院は寺院全域にわたって大規模な盗掘に受けた。その時、崩れた砂岩によって泥棒が4人埋まっ

ているとのことである。まさに仏罰とも思えるも言い伝えである。

 こうした盗掘の一端を語る地元民の言から内陣の崩壊のすさまじさを人為的なもの(略奪による破壊)が加わったと受け取る旅行者

もいるようだが、どうもそうではなさそうだ。専門家によれば、バンテアイ・チュマール寺院の崩壊のすさまじさはその材料と工法に

あるという。「建寺王」ジャヤヴァルマン7世の造寺への熱狂は、石工たちの分業による大量生産を前提とする。当然、画一化が進み、

アンコール・ワットやバンテアイ・スライに見られる精緻さ、芸術性に劣る。また、大量生産の故に素材の質の悪化も免れない。アン

コール・ワットやベン・メリアと比較すれば、素材の砂岩そのものが小ぶりとなる。鉄製かすがいなどは用いられていない。また、既

に建築学の*専門家の指摘にあるように祠堂、塔門、回廊の設計自体が頭でっかちとなり、その重量を支える砂岩の柱、壁などは歳月に

よる劣化が激しく、崩壊の進み具合も早いとのことだ。

*「アンコール・ワットを読む」(石澤良昭編-連合出版-)第九章「石を読む」(三輪悟)を参照。

 

 古代、大陸に興亡した国家では征服戦争は略奪をもって終わる。価値あるとみなされたならば、運べるだけの物や人を奪うのが常で

あった。それ故に兵士たちは異様な興奮状態を掻き立て、生死の恐怖を超えるのだ。バイヨンやここバンテアイ・チュマールの回廊浮

彫壁画に見るクメール軍やチャンパ軍の兵士たちの精悍さ、雄たけびが聞こえてくるような戦闘場面は、けして誇張ではあるまい。既

にチャンパ軍によるアンコール・トムの占領時(1190年)、持ち運べるものは略奪にあっている。そして1371年、アユタヤ王朝の攻撃

でアンコール・トムが陥落した時には逃げ遅れた王族、高官から踊子、職人集団までもが*貴重な品々とともに拉致された。この時、バ

ンテアイ・チュマールもまた、*略奪・拉致の対象となったことだろう。これ以後、アンコール王朝は衰亡の一途をたどり、アンコール

威圧的なガルーダ像の多用

崩壊と略奪の大寺院

崩壊した砂岩の下には泥棒が埋まっている

略奪は、アンコール時代から始まった

戦利品:生首を捧げる

内陣第一回廊・南東部

(P34 地図・内陣図右下)

(P34 地図・内陣図b)

Page 9: D.A.C Issue #11

 

以西の多くのクメール寺院都市は放棄され、森に埋もれた。まさに石だけが

残ったのである。

*略奪:ミャンマーの古都マンダレーのマハムニ・パコダにはこの時略奪された青銅像

    のいくつかが残されている。アンコールからアユタヤ、そしてビルマに移った

    ものの一部である。1569年、アユタヤ王朝はビルマ軍に敗れ、王都を15年間占

    領されている。(P35の歴史地図「アンコール王朝最盛期」参照)

 1999年6月27日、タイ国境のアランヤプラテートからバンコクにつながる

国道でバンテアイ・チュマール寺院遺跡から盗まれた千手観音浮彫壁画3

体の内2体を警察が押収した。この事件がバンテアイ・チュマールの名を一

躍有名にした。事件はタイ軍幹部から現役大臣の名も取りざたされが、押

収されなかった1体とともに事件は闇に閉ざされてしまった。この時、押

収された2体は後にカンボジアに返還され、*現在、プノンペン国立博物館

で観ることができる。2体の壁画浮彫は博物館中庭に面する東北部の軒下

に置かれている。寺院の千手観音を観た者からすれば、屋外の軒下に陳列

された千手観音は白々しい印象がぬぐえない。やはりあるべき所にあって

  こそ仏はいや増しに荘厳さを取り戻す。

 20世紀半ば頃まで第一回廊南西壁には千手観音浮彫が*8体残っていたといわれている。そのうち2体は崩壊し6体残っていたが、

盗掘によって寺院にはわずか2体が残るのみである。

 99年にバンテアイ・チュマールを訪れた専門家の調査によれば、97年の千手観音浮彫盗掘は周到に計画された手口だったようで、石

工のプロが同行しての仕業だった。厚さ40㌢ほどの壁を構成する石を彫刻面から15㌢程のところで切り取り、運びやすくしてあるとの

ことだ。盗掘の規模、手口といいカンボジア側にも大規模な協力集団が介在していたことを物語っている。

*博物館の2体:2000年にタイ政府より返還され、国立博物館に展示。2006年に部分的な修復を行う。2009年現在、千手観音像前に売店・カフェが置かれて

       いる。軒先の展示といい、その前の売店・カフェといい、何とかならないのか、と思ってしまう。2体、向かって右手の千手観音像壁画には

       観音の周囲に多くの化仏が彫られ、左手の千手観音像壁画には観音の周囲に諸菩薩が彫られている。

*出典:フランス極東学院の調査記録による。

 寺院に見る*千手観音浮彫は西内塔門から向かって右側回廊の壁面にあり、内陣境内に入る小さな入口の左右を飾っている。周囲は

高く伸びた榕樹の明るい森である。壁画前は崩れた砂岩石材が散乱し、ちょうど入口の前に大きな榕樹が一本、立ちはだかるように伸

びている。そのため、壁画はコントラストの激しい日陰をつくる。千手観音はともに八層の砂岩を積み上げ、顔は共に十一面である。

最下層の段は観音像を飾る意匠である開花蓮が描かれている。

 右側の観音は32本の手を大きく拡げ、右の手一番下の掌には小さな化仏が描かれている。化仏は4本の手を持つ。左の手一番下は水

瓶を持つ。千手観音の左右には菩薩座仏像、その下にはそれぞれ祈る菩薩像が描かれ、2体は横向きで共にシンメトリーに配置されて

いていずれも印を結んでいる。

 向かって左の千手観音は顔の部分の摩耗が激しく表情は定かでない。22本の手を拡げる。特徴的なのは、千手観音を囲むように数珠

をもった十体の菩薩像が円内に描かれ配置されていることだ。これは*曼荼羅の図章であろうか。当時の大乗仏教に*密教の影響があっ

たことが解る。また、左右下部には在家が数珠を手に祈る姿が描かれている。

 回廊はバイヨン寺院と同様に廊下上部にドーム状の屋根を設け、内側は壁で外に向けて吹き抜けの構造となっている。西日の傾きと

ともに千手観音が浮かび上がるしくみだ。

*千手観音:梵名「サハスラブジャ・アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ」。大乗仏教における信仰対象である菩薩のひとつ。「サハスラブジャ」とは

      文字通り「千の手」の意味である。この名はヒンドゥー教の女神ドゥルガーの異名でもあり、インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観

      音菩薩の変化身である。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。十一面観音の場

      合、最上部の仏面は仏果を表すとされるが、これは衆生(人々)の十一品類の無明煩悩を断ち、仏果を開かしめる功徳を表すとされる。「救わん

      で止まず」の誓願を立てた菩薩で日本でも広く信仰されている。

*密教の影響:「アンコール・ワットを読む」(石澤良昭編-連合出版-)第十四章「バイヨン様式の観世

       音菩薩像を読む」(宮崎晶子)を参照。同書のなかで宮崎氏は密教の伝来の可能性として、

       7世紀中部インド出身でインドから中国へ渡り、その後カンボジアを訪れた僧:那堤の存在 

       を挙げている。既にカンボジアでは扶南時代(2-6世紀)の大乗仏教の遺物が出土している。

       事実は、上記の那堤含めてさまざまな僧たちによって密教がもたらされたものと思われる。

       密教の成立そのものは、ヒンドゥー教(バラモン教他、インド固有の土俗的信仰を含む)の

       隆盛によって仏教が圧迫されていった背景があり、ヒンドゥー教の要素を仏教に取り込むこ

       とで、インド仏教の再興を図ったのが密教である。(2-3世紀頃)

*曼荼羅:(梵語、mandala)は仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シン

     ボル、文字などを用いて視覚的・象徴的に表わしたもの。mandalaには形容詞で「丸い」という意

     味がある。

 

 バンテアイ・チュマールの第一回廊をめぐると誰もがバイヨン寺院の第一回廊を思い浮か

べる。同時期といってもよい建立で壁画の意匠にも共通点がある。チャンパ軍との戦闘、軍

や王妃・官女の行列、宮廷の様子などである。だが、バンテアイ・チュマールには庶民生活

はほとんど描かれておらず、他に見られない大規模な千手観音の群像が見られる。碑文によ

れば、バンテアイ・チュマールはジャヤヴァルマン7世の息子:スリンドラクマラの墳墓で

あるとされている。碑文を前提に第一回廊壁画を観てゆくと自ずと絵巻の物語が読めてくる。

千手観音盗掘はプロの手口

鳳のように手を拡げる十一面千手観音おおとり

すい

びょう

へんげしん

な だい

亡き王子の生と死への愛借の寺院

千手観音像ー向かって右側ー

救わんで止まん

(P34 地図・内陣図e)

ものの怪と戦う亡き王子

(P34 地図・内陣図f)

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崩壊と略奪の大寺院1994年寺院全域で組織的な略奪にあったチュマール寺院内陣部、崩壊した石塊の下には四人の泥棒が埋まっている。

(内陣北経蔵-P34 内陣図⑤-の上から南東に内陣部を望む)

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東南面壁画のチャンパ軍との戦闘、そのなかに竪琴の響きをバックにした

剣舞の描写がある。冠のような飾りを戴いているが神々の姿ではあるまい。

南内塔門東側の回廊壁には敵の首を捧げる兵士の姿、これも生々しい。反

対側の北西壁面には勇壮な象軍、ひときわ大きく描かれた王宮でのジャヤ

ヴァルマン7世と思われる姿、輿に乗る王妃、篭に乗るのは高貴な官女た

ちであろうか。

北東に回ると再び戦闘場面が現れる。ここで注目に値するのは、西の回

廊である。南西壁画隅には相撲を組む2人を周囲で囃したてる人々、戦闘

訓練の姿に見えた。また、王宮内の大きく描かれた王とその下にやはり大

きめに描かれた人物、これこそジャヤヴァルマン7世と愛借の息子スリン

ドラクマラの在りし日の姿でないだろうか。下部に鉦を敲く者がいて、そ

の音に集まる喜捨を求める人々、なかには杖をつく盲人の姿も描かれてい

る。そしてかの千手観音の8体の壁画が続き、さらに西北壁面では冥界で

異形のものの怪と戦う王子の姿を描いている。牛車に乗り笏(指揮棒)を振り降ろし、兵士たちを叱咤激励する姿は勇壮そのものであ

る。亡き王子であろうか。

 想うに東南壁面のチャンパ軍との戦闘に勇猛な愛借の王子を描き、南東壁面から南西壁面へ勝利の凱旋姿、北の西側壁面には華やか

な宮廷生活に象軍や寺院での祈り、そして西の壁画絵巻こそ冥界へ旅立った愛借の王子の姿に千手観音像を重ねることで、落日に浮か

び上がる鮮やかな観音姿となった王子の座す西方浄土を描いたのではないだろうか。

*第一回廊壁画にはついては本書P34の地図・内陣図を参照。

 

 バンテアイ・チュマール寺院内陣の第二回廊に囲まれた中心部に四面仏(*観世音)の塔を載せた祠堂が二つ残っている。さらにバ

ンテアイ・チュマール寺院の東西南北軸に七つの小寺院が設けられている。現地取材時に四つの小寺院の中央祠堂に四面仏を確認した。

他の三つは祠堂上部が崩壊している。こうした取材結果をもとに遺跡発掘調査の専門家に尋ねたところ、驚くべき*調査記録を得るこ

とができた。その結果が本誌掲載の作成地図である。「ああ、ここは第二のバイヨン寺院なのだ。」壁画の類似や装飾彫刻はもちろん

だが、何よりもかつて多数の四面仏の塔が聳え立っていたのだ。創建当時、東西南北の参道に面する外塔門、内塔門、さらに回廊四隅

の塔、内陣内の多数の祠堂に四面仏を載せている。その数、外陣の外塔門で12、内陣は32(うち7は調査不能だが四面仏があったと推定)

を数える。さらにチュマール寺院の外に設けられた小寺院、メボンの中央祠堂のそれぞれに四面仏の塔があったのだ。取材時、私たち

はチュマール内陣に2基、周囲の小寺院に4基の四面仏の塔の現存を確認している。

 再び*地図を俯瞰すれば、まさに四面仏(観世音)曼荼羅の世界が見えてくる。*「民の痛みは王の痛みである」と述べたジャヤヴァ

ルマン7世、国家の慈悲を東西南北あまねく照らす願いがここバンテアイ・チュマールにも貫かれていた。

*観世音:大乗仏教経典の法華経のなかの観音経に基づく仏。また、般若心経の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若の智慧の象徴ともなっている。持物とし

     て水瓶をもつ。そこには功徳水という、いくら使ってもなくならない水が入っているという。梵名の「アヴァローキテーシュヴァラ」とは、ava

     (遍く)+lokita(見る、見た)+īśvara(自在者)という語の合成語との説が現在では優勢である。玄奘三蔵による訳では「観自在菩薩」が正式

     の呼び名である。観自在とは、智慧をもって観照することにより自在の妙果(仏徳)を得ることを意味する。また衆生(人々)の総てに仏徳を及

     ぼし、世を救済するのが観自在菩薩である。菩薩もまた大乗仏教より生まれた称号で、すでに悟りを得ているにもかかわらず、成仏を否定した菩

     薩も生まれ、仏陀の教えを聞いて覚った声聞や独力で悟りながら他人に説かない縁覚と区別している。こうした菩薩の創造によって仏陀の手足と

     なって人々の前に現れ、活動することが可能となったのである。歴史的なシャカの死から500年、声聞の修行をしていた部派仏教(小乗仏教)の僧

     侶の誰もが成仏できなかった現実から起こった運動が大乗仏教の成立の原動力であった。それ故に思弁的(観念的)な宗教体系となっていった。

*調査記録:『幻都 バンティアイ・チュマールの神々』 BAKU斉藤・写真 オリヴィエ・クニン・文 (2005/07 梧桐書院)掲載の境内図

               (日本国政府アンコール遺跡救済チーム技術顧問:下田一太氏のご紹介)

*王の言葉:ピミアナカス碑文

 

 取材で訪れたバンテアイ・チュマール寺院、私たち以外に訪れた者は、夫婦と単独旅行の日本人のみであった。遺跡前の食堂で夫婦

の旅行者と一緒になった。

 『私たち、母校の石澤先生の著作に触れてカンボジアに来たんですよ。アンコール・ワットは素晴らしかったですが、なにせ人が

  多くて。せっかく人が多い国から来てたくさんの人を見ることになって。それに比べ、ここはいいですね。千手観音を見て、ほん

とうに感動しました。』

 一方、同行の旅行社の方が言うに、『往復6時間かけて瓦礫のような寺院か』というアンケートも寄せられると言う。*評価が大きく

分かれる寺院遺跡のようだ。

 確かに保護の手が加わったのがここ数年、内陣境内のすさまじい崩壊状態、回廊壁画や四面仏の塔を見るにも、散乱した石材の登り

降りが必要だ。往路の時間と暑さも加わって興味も殺がれるのかも知れない。が、それもガイド次第のように思える。バンテアイ・チュ

マールは近年ようやく道路改修が進み身近な遺跡となったが、遺跡自体の情報が限られ、それも断片的で、旅行社の紹介するガイドの

多くも知識自体が追いつかないのが現状である。取材にあたって私たちが集めた事前情報も実に断片的、また思い込みによる情報も

多々あった。幸い、私たちは遺跡修復・調査の専門家の助言によって総観的に遺跡に迫る情報を得、チュマール寺院遺跡の魅力を伝え

ることができる。

 森に沈む崩壊の大寺院を出て、その南に環濠をめぐらした四面仏を載せた中央祠堂を持つ*小寺院遺跡(タ・プローム)に向かった。

四面仏の塔が濠に映え、心洗われるように美しい。祠堂近くにはベンチも置かれ、公園として整備されている。ふと、子どもころの名

所・旧蹟への遠足を思い出した。

*評価:バンテアイ・チュマール寺院遺跡の魅力は、ガイド次第である。Webサイトに見られる個人旅行者の多くが陥るのが思い込みや大事なものの見落とし

    である。ガイドの善し悪しは、当該旅行社がきちんと研修を行っているかどうかにより、そのことは窓口のスタッフの対応で解ります。

*小寺院遺跡見学:ぜひとも見学して欲しいのが寺院南のタ・プローム寺院と西のタ・スック寺院である。タ・スック寺院は民家の畑の道を歩む。こんもり

         とした森のなかに四面仏の塔が見えてくる。発見当時そのまま姿で残っている。本書P34の地図・上図を参照。

はや

かね

しゃく

がいせん

いま

バンテアイ・チュマールは第二のバイヨン、そこは観世音曼荼羅世界だった

すいびょう

評価の分かれるバンテアイ・チュマールの魅力

バンテアイ・チュマール:外陣東塔門、壁面の一部を残すのみ。かつては三基の塔を持つ堂々たる入口であった (P34 地図・上図)

Page 13: D.A.C Issue #11

鬱蒼と茂った薄暗いジャングルの中、崩れ落ちた石材が散乱す

る遺跡の中に迷い込んでしまったあなた,眼前には突如として恐

ろしい怪物の彫刻が・・・!! そんなとき,古代遺跡や古代文

明につきものの、野蛮で呪術的、そして血生臭い神事が執り行わ

れていた往時の様子が脳裏をよぎったりしないでしょうか?

アメリカ南部の密林に栄えたマヤ文明やアステカ文明には「生

け贄の泉,生け贄の神殿,生け贄の球技」など、おどろおどろし

いイメージを象徴する遺跡に満ちています。最近のハリウッド映

画「アポカリプト」は、体中を青く塗られて生け贄にされそうに

なった捕虜の脱走と生き残りをかけた逃走活劇で、時代考証につ

いてはいろいろなことが言われてはいるものの、まさにタイムマ

シーンで当時の場面に遭遇したかのように、リアルに生け贄の儀

式が描き出されています。それに対して、なんだかカンボジアの

アンコール遺跡は、そうした暗いイメージはあまりもたれないよ

うです。太陽が燦々と降り注ぐ中、遺跡にはヤシの木が点在し、

観光客が歩くところは下草が切られ、危なっかしい石材もある程

度整理されたトロピカルな寺院。それにアンコール遺跡では、奇

妙で恐ろしく不可解な彫刻もそれほどありません。当時の様子を

思い描くとしたら、華やかなアプサラの舞が繰り広げられ、厳か

にそして静粛に僧侶が神事を執り行っていた風景が目の前の寺院

と重なって見えてくるといったところでしょうか。

 カンボジアの古代史は比較的乏しい史料から形成されています、そ

の中でも重要な情報源の一つである中国の史料には古くから南海

諸地の記事としてアンコールについて記されていました。

 そうした記事の一つに,こんなものがあります。

「城の東には婆多利という名前の神がいる。儀式の際には人肉を

用いる。その王は毎年人を殺し、これを夜になると奉納する。」

                     (隋書,真臘伝)

 7世紀に成立した隋の国史の一文で,アンコール王朝について

記されたものです。このアンコールの王都は「伊奢那城」という

名前で記されていますが、コンポントム州に位置するサンボー・

プレイ・クック遺跡群のことだと考えられています。この記事で

は、「都城の東にバドレシュバラという名の神が祀られており、

そこで行われている年中儀式で、王は人を殺し、その人肉を用い

ている」と。そうです、明らかに王が神に対して生け贄を捧げて

いる様子が記されているのです。

 サンボー・プレイ・クック遺跡は、今では小鳥のさえずりを聞

きながら、木陰の中にひっそりと佇む穏やかな表情を見せている

煉瓦造りの寺院ですが、実は過去には生々しい凄惨な血の匂いに

満ちた儀式が執り行われていた所だったというのです。

 カンボジアではこうした人身御供を伴う儀式が、フナン時代の

都であったとも考えられているバ・プノムという地方で19世紀末

まで年中行事として続いていたという記録も残されています。

 しかし、一体、この人身御供にはどんな意味があったのでしょ

うか?

 例えば、アステカ社会では太

陽が消滅することを先延ばしす

るために、生け贄の心臓を神に

捧げる必要があったと信じられ

ています。また、マヤでは生け

贄にされることは名誉あることで、

優秀な者が率先して志願者となっ

たとも言われています。しかし、

アンコールで人身御供が行われ

ていたのは,そうした事情とは

ずいぶんと様相が異なっていた

ようです。

 アンコールでは、実際の所、

生け贄は神に捧げられたわけ

ではなく、また神は人を食ら

うものでもなかったようです。

そうではなくて、生け贄は儀

式の間、神の乗り物あるいは

媒介者として肉体を提供して

いたのです。

 こうした考え方は、この当

地のアニミズム、精霊信仰の

中に潜在していたものかもし

れません。すなわち、自然界

の様々な構成要素に宿る人格

を持たない不定型な精霊が人

間と交感するためには何らか

の媒介を必要としたのです。

もしも、全知全能の存在で、人間的な

姿で表現されるヒンドゥー教の神々で

あれば、そんな媒介物は必要なかった

はずで、ここには,前インド的,ある

いは土着的な思想の内部に〈生け贄〉

という考え方が胚胎していたと考える

こともできます。

 さらに、こうした人身御供の儀式が、

神と王が同一の存在であるというカン

ボジアの「デーヴァラージャ(神王思想)」へ発展したと推測す

ることもできるでしょう。生け贄の儀式を思い描いてみましょう。

王は神の託宣を国民に伝えるために、神の媒介者となる人肉を捧

げます。しかし、殺された人肉が突如として、神の媒介者となっ

て再び動き、話し始めることはまさかあり得ないことですから、

人肉を神に捧げた司祭者としての王が、神の託宣を受ける立場と

なり、儀式の間、一時的に神の権化となったのです。この時、王

の話すこと、指し示すことが神の意志になりました。

 このように神が王に乗り移るという状態が、儀礼中という時間

的な制約を外して変形したことで、神の託宣を常に受け続けてい

る存在としての王、つまり〈神=王〉が誕生した・・・と考える

ことはできないでしょうか。

 よく知られているように日本にもシャーマン、つまり巫女と呼

ばれる人がいますが、日本の託宣儀礼の場合には、霊を霊媒の身

体に一度乗り移らせ、その口を通して対話するタイプと、霊が巫

者に直接ついて、その口を借りて喋るタイプに分けられるようです。

こうしたタイプと比較すると、アンコールでは死者を霊媒の身体

とした前者のタイプから、王自身が直接に神の言葉を喋るという

後者のタイプへと移行し、その結果として神王が成立したと考え

ることができそうです。

このように王自身が神の言葉を語ることを正当化し、大衆がこ

れを視覚的に理解するための装置として、寺院が造られ、そして

リンガなどの神像が祀られるようになりました。王が天上界と結

びついて神となるための階梯として、ピラミッド型の寺院は不可

欠なものとなりました。また、王は神王の象徴となるリンガに王

と神を関連づけた名前を与えました。こうした操作によって、生

け贄という媒介物を用いることなく、王は〈神そのもの〉になり

得た・・・のかもしれません。

下田 一太

日本国政府アンコール遺跡救済チーム技術顧問

http://www.angkor-jsa.org/

アンコール遺跡の保全と周辺地域の持続的発展のための人材要請

支援機構(JST)ボードメンバー

http://www.jst-cambodia.net/index.php

生け贄の寺院~サンボー・プレイ・クック遺跡

しんろうずい

ひそ

い しゃなじょう

はいたい

発掘こぼれ話Ⅰ

サンボー寺院遺跡の発掘・調査の成果を説明する下田氏

ネアック・ター(精霊信仰)の祭りで捧げられる生贄  (サンボー村にて)

← 物の怪に絞殺されたような人間の営み

(サンボー・プレイ・クック遺跡)

Page 14: D.A.C Issue #11

至シソフォン

バライ(聖池)跡

市場

食堂(英語可)

遺跡管理警察

ラテライトの外壁

⑥⑦

56

56

→→

2000m

1700m

800m

900m

1700m

800m250m

350m

外陣ダルマシャ―ラ

(宿駅)

第一回廊:外側吹き抜け構造。この部分が最も原型を残している

内陣図

至サムラオンを経てタイ国境へ

内陣

濠幅65m

中心境内を囲む回廊は比較的よく残っている

A~D

A:参道手前両側に神々と

 阿修羅像の胴体1対。頭

 部はレプリカ(模造)。

B:乳海撹拌の欄干が最も

 よく残っているが、像

 はない。

環濠

タ・プロ―ム

水が残っているバラ

イ(聖池)や濠跡。

雨季のみ水が残って

いるバライ(聖池)

や濠跡

人工的な盛土跡

①~⑧ 濠や堂塔の一部が

    残る。

① 崩壊した祠堂跡

②、⑤、⑥、⑦、⑧には

四面仏の塔が残る。

*②~⑨の中心寺院を東西

 南北に囲む小寺院には、

 いずれも四面仏の塔を持

 つ中央祠堂があったと推

 定できる。

*中心寺院:バンテアイ・

 チュマール外陣の東西南

 北に三基の塔門であった

 と推定できる。ここにも

 内陣同様に塔上部に四面

 仏を載せた可能性がある。

*赤字の小寺院の名称は、

 ③ジャイチャをジェイチュ、

 ⑥タスックをジェイチー

 と地元民は呼んでおり、

 名称を確定できない。

メボン

① テラスの欄干を飾るのはナーガ(蛇神)ではな

くガルーダ像。

② 塔門は崩壊し、木道が設けられている。

③ 顔は女性、身体は鳥の神女キンナラ群の浮彫

④ 四面神ブラフマーやシバ神を中心にハープ弾く

  人、聖鳥ハンサ等の浮彫  

⑤ 壁面に大きなガルーダ群像。

⑥ 四面仏の塔(祠堂)が残る

⑦、⑧の回廊内側にデバータ像が施されている。

⑨ 修復のための石材置き場、破風彫刻を復元。

a チャンパとの戦闘場面の浮彫

b 生首を捧げる場面の浮彫

c 異相の兵士の浮彫

d 宮殿の王、相撲の浮彫

楽器を敲く者や杖をつく盲者

e 千手観音像(二体)の浮彫

f 王子と怪獣の闘い浮彫

  牛車を飲みこもうとする怪魚浮彫

g 乳海撹拌の浮彫

h 象軍と楽隊、寺院での祈り

  輿に乗る王等の浮彫,宮殿の王等。

i 三体の菩薩像

j 象軍や王宮の浮彫

k 輿に乗る王妃たち、馬、

 王の行列等の浮彫

Banteay Chhmar

ジェイ・チャ

タ・プラェン

タアエム

タ・スック

タ・ネム

ジェイ・コム

チュン・チェム・トレ

*本地図は、カンボジア文化省とプランス極東学院による共同調査作成地図、『幻都 バンティアイ・チュマールの神々』 BAKU斉藤・写真 オリヴィ

 エ・クニン・文 (2005/07 梧桐書院)掲載の境内図と現地取材,並びに本誌寄稿者である三輪悟氏、下田一太氏のご教示によって作成したものである。

 2009年11月現在。現在市販のガイドブックやWebサイト等にはこうした地図はなく、初公開の地図です。著作権は D.A.C.に所属します。

テラス

十字テラス

第一回廊

経蔵

聖池

聖池 a

bc

d

e

f

gh i j

②③

310m

200m

⑧245m

256m

→この部分は境内でも最も崩壊が激しく石塊に覆われていて原型をとどめていない

塔跡

四面仏の塔 四面仏の塔(推定)

Page 15: D.A.C Issue #11

インドスラ

サンススラ

ウートン

ラヴォ

べグー

ハリプンチャイ

バガン

大越

チャンパ

タイ湾

パーンドゥランガ

カウターラ

ヴィジャヤ

12世紀後半-13世紀前半:アンコール王朝最盛期12世紀後半-13世紀前半:アンコール王朝最盛期

アンコール

ピーマイ

(プレイ・ノコール)

バンテアイ・チュマール

(ファンラン)

(ニャチャン)

(ビンディン)

(ロッブリー)

南シナ海(南海)

大プリアカーン

コーケー

ワットプー

ワット・カンペーン・リアン

(ペッチャブリ―)

ムアン・シン

(スコータイ)

ワット・プラシ―

アンダマン海

ワットヤイ (サコーンナコーン)(ピサヌローク)

ターパーデーン

クメール遺跡・都市

チャンパの主要都市

ジャヤヴァルマン7世時代の道営・増築

メコン川

チャオプラヤー水系

主要王道シュリーヴィジャヤ

アンコール王朝支配地(12世紀)

ジャヤヴァルマン7世時代の支配領域

2-8世紀の王都

南宋→元

→→→

1177年

1074-80年

1190年

1216-1218年

→ アンコール王朝軍侵攻路→

チャンパ軍侵攻路

ワットバナン

アンコール王朝のチャンパ支配  (1203-20年)

プリアビヒア

サンボープレイクック

プノン・チソールアンコール・ボレイ

バ-プノン

アユタヤ

バンコクスドックコックトム

プノンペン

ホーチミン

バガン

ビエンチャン

現代都市

本地図は次のものを参照しました。

・「アンコ-ルワットとクメール美術の1000年展」(1997年11月1日ー12月21日:東京都美術館。1998年1月15日ー3月22日:大阪市立美術館)・「興亡の世界史11 東南アジア多文明世界の発見」(石澤良昭著 講談社)・「神々の寺院 バイヨン」(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)

主要河川道

カンペン・ノイ

タプロ―ム

タムエン

 アンコール王朝が最盛期を迎えたジャヴァルマン7世の時代に造られたバンテアイ・チュマールはタイのピーマイ寺院から遥かスコータイに到る王道の要地にありました。また、この寺は、大乗仏教を信奉した王の理念:国家の慈悲を具現化する試みでもあり、中心寺院の中央には四基の四面仏の塔、第一回廊には千手観音の大浮彫が施されています。また、中心寺院を囲むように東西南北に四面仏の塔を持つ小寺院が配置されており、それは、あたかも慈悲の菩薩:観世音の世界をこの世に現出させる曼荼羅であるかのようです。 森に沈む廃墟の寺に翼を拡げるかのような千手観音、堀に映る美しい四面仏の塔、アンコールでは味あえない異質の感動に包まれることは間違いありません。

バンテアイ・チュマール寺院遺跡への観光

シェムリアップ ー シソフォン - バンテアイチュマール寺院遺跡(バンテアイ・チュマール中心寺院 ー バライ跡 ー

タ・プロ―ム - タ・スック) - シソフォン - シェムリ・アップ 

(車:1時間半) (車:1時間) (見学2時間)

*所要時間は概算で休憩を含んでいません。

*ご相談によってバンテアイ・トープ見学も可能です。

*遺跡の魅力はガイド次第です。(旅行社の対応で判断できます。)

*本誌の地図をご持参ください。本書の遺跡全体図や境内図のような

 詳細地図は本誌によって初めて制作され、一般利用が可能となった

 ものです。

*上記以外の遺跡訪問は、安全の為、旅行社のガイドを通じて地元の

 人をガイドに雇ってください。

 

TeL:023-991651 E-mail: [email protected]

お問い合わせ

感動と充実の旅なら、取材力を誇る

*本誌掲載地図を無断で複写、複製、転載することを禁ず

・催行2名様から。

・車・ガイド同行

・入場料込み

・昼食弁当、飲料水付

お一人様130ドル

(サンボール)

Page 16: D.A.C Issue #11

かつては“プチ・パリ”や“東洋の真珠”とまで謳われたカンボジアの首都プ

ノンペン。年々日本人以外の渡航者は増えているが、どうも日本人だけがこの街

に対しての悪い印象を持ち続け、未だに97年のクーデター騒ぎや2003年の反タイ

暴動からの印象に変化がないように感じる。観光省発表の渡航者記録を見るに日

本人渡航者はシェムリアップで渡航者数でトップ3に入るものも、首都プノンペ

ンに関しては何とトップ10にも入っていない...

 日本人にとってのプノンペンは「危険」「汚い」「きつい」と三つの「K」の烙

印を押されたような「街」と化しているようだ。

 しかし2003年以降、プノンペンは劇的に変わって来たと言っていい。かつては

バイクの奔流のなかを泳いでいるような車であったが、今ではレグサス、ランド

クルーザ、ハマーなどの高級車がバイクを押しのけている。「援助太り」と言っ

てしまえばお終いだが、治安の回復とともに投資の機会が増え、雇用の増大や富

裕層の台頭が見れら、そして何よりも若い娘がお洒落になってきた。また、それ

に伴い街が綺麗になってきた。活気はあるが猥雑な街、というのがアジアの代名

詞であったが、ここプノンペンにもお洒落なホテル、レストラン、バーやクラブ

にブティックなどが続々と生まれている。また、近隣諸国の雑貨天国:ベトナム

やタイのお店で販売されている雑貨材料の多くが実はカンボジア産、ならば本場

の街で探すのが一番。意外な掘り出し物に出会えるのも魅力のひとつ。シクロ、

モトバイ、トゥクトゥク、今では電話1本で迎えに来るメーター・タクシ-も走っ

ている。昼はおとぎの国のような王宮、オリエンタルな博物館、悠久たるメコン

の流れ、夜は洒落れたバーでグラスを傾ける、観光に遊びスポット、あなた次第

の満喫が得られます。

 危険な匂いを醸し出していたプノンペンは、今や昔話。誰でも気軽に訪れられ

ようになったプノンペンの街を探索してみよう。

*D.A.C.は、2010年を期に、「生まれ変わった」首都プノンペンの魅力を、毎号、ご紹介して

 いきます。

沸騰プノンペン・奇跡の復活劇

40

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誰もが知る場所にありながら、まだ限られた人しか訪れていない、カンボジア一の大型施設を誇るのが、

「ナーガー•ワールド」だ。

今ではプノンペン唯一のカジノを併設しているが、最近の傾向としてはカジノのみならず、イタリアン、フ

レンチ、インターナショナルビュッフェ、チャイニーズ、コリアン•レストランにシガーバー、更に大型ス

パにカラオケと一大娯楽施設と化しており、カジノ嫌いでも、スパや食事だけを楽しみに来る人が増えてい

る。客室のインテリアの色使いは控えめで、意外なほど親しみやすい部屋で、部屋から見下ろせるリバー

ビューやシティービューの部屋は要チェックだ。3月には川を見渡せるプールが完成予定。残念ながらバス

タブはない。

住所:Hunsen Park Phnom Penh Po Box1099 電話:855-23-228822

カード:VISA,MASTER、客室数:494室 室料:USD$145〜  Web:www.nagaworld.com

*室料は全てラックレートです。D.A.C.料金なら,もっとリーズナブルになることも可能

 です。。

 お問い合わせ: [email protected] or [email protected]

 プノンペンの街中で最も気になることのひとつは「ホテル」、沸騰寸前のプンペンでは宿泊施設が足りず、建設ラッシュが続いている。

今後、数年内には有に2.000室以上増える公算だ。続々とオープンするホテルには、街中を見渡せる高層ルームから街中にありながらリ

ゾート感覚を味わえる隠れ家的なホテルまで、個性豊かで機能的なホテルが増えている。

そんな中、一度で全てを紹介する事はできないが、今回はリバーサイドに建つ、個性的で機能的なホテルや何かと便利な大型ホテルを

ご紹介したい。

プノンペン、噂のホテルを楽しむ

リバーサイドの代名詞的なブティック•ホテルFCCはメコン川を望み、かつては「外国人記者クラブ」として

名を馳せ、ジャーナリストの溜まり場だった場所。レイドバックしたゆるやかな雰囲気と適度なスタイリッ

シュさのバランスがクールなホテルだ。

FCCとは「Foreign Correspondents Club」の意。

人気はリバーサイド沿いのリバー•ビュールームだが、宿泊しなくてもレストラン&バーは滞在中にチェッ

クしたい。

住所:#361E1Z,ST.178 Phnom Penh 電話:855-23-427758

FAX;855-23-427758 カード:ビザ、マスターカード、客室数:9室 ファシリティー:レストラン&バー

室料:USD$80〜 Web:fcccambodia.com

昨年、2009年にオープンしたブティック•ホテル。

ナイト•マーケットやマット•ディロン主演の映画の撮影場所になった植民地時代に建てられた郵便局など、

コロニアルな建物が回りに多く残っていて、昼も夜もアクティブに動きたい人には特にお勧めのブティック•

ホテルだ。

内装、バスルームはモダンテイスト満載、ホテル横の川沿いにある同系列の「FISH」レストラン&バーの雰

囲気もよく、朝食は「FISH」で取る事も可能だ。

住所:#2ST 108,Sankak vat phnom penh 電話:855-23-218785 FAX:855-23-218786 Web:river108.com

E-mail:[email protected]

カード: 客室数:12室(6室リバービュー、スタンダード6室)

ファシリティー:レストラン&バー 室料:USD$78〜

FCC Phnom Penh / FCCプノンペン

River 108 / リバー108

リバーサイド沿いで、ひときわ異彩を放つ白い建物。そのホテルこそ「The Quay」だ。館内にあるレストラ

ン「Chow」や部屋のチェアはデンマークの有名なデザイナー「ヤコブセン」のチェアを使用し、客室の照明、

壁に飾られたアート、バスルーム等にもセンスの良さが光る。

最上階にはジャグジーとバーがあり、こちらからもトンレサップ川周辺を一望でき、宿泊客以外にもお勧め

のバーだ。

*客室には窓の無い部屋もあるが、部屋はコンパクトにまとまっており、センスは良い。万が一息苦しく感

 じる人は、最上階でリラックスしにいこう。

住所:N277 Sisowath Quay Phnom penh 電話:855-23-224894 FAX:855-23-224893 カード:VISA,MAS-

TER,AMEX  客室数:16室 パノラミックスィート($185)スタンダードスィート($130)

ファシリティー:レストラン&バー、ジャグジー Web:www.thequayhotel.com

リバーサイドのほぼ“ド真中”に位置するブティック系のホテル。

仕事の後に安全に飲み歩きたいビジネスマンやカップルには特にお勧めのホテルだ。館内にあるレストラン

&バーのK-WESTは在住者に人気があり、WIFIも無料と機能的。ウナロム寺、王宮、国立博物館は全て徒歩圏

内なのが嬉しい。フレンチとオリエントとが融合したエレガントな調度、全ての

部屋から川が望める。

住所:1ST Sisowath Quay Phnom penh  

電話:855-23-214747  FAX:855-23-219545  

カード:VISA,MASTER,AMEX 客室数:21室 

室料:USD$155〜 Web:www.amanjya-pancam-hotel.com

Amanjaya Pancam / アマンジャヤ•パンカム

The Quay / ザ•キー

Naga World / ナーガ•ワールド

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LA RESIDENCE

-旬のフランス料理の代表、シェフのお薦めのフォアグラ料理から2品をご紹介-●Pressé de Foie gras mi-cuit maison Chutney d'ananas et crème de Pain d'épice

 (フォアグラ・ミキュイ):テリーヌ・フォアグラにパイナップルのチャツネ添え、パン・デピス ソース

              フォアグラと甘いチャツネ、ソースが絶妙なハーモニーを醸し出しています。

●Tournedos Rossini

(トルネド・ロッシーニ):牛フィレ肉ステーキの上にフォアグラのソテー、トリュフ・ソース。ジューシーな牛

             肉の上にフォアグラが乗り、風味豊かなトリュフ・ソースが相まって贅沢な一品になっ

             ています。

*1 Chutney チャツネ:果実を煮詰めたジャム状のもの。

*2 Pain d'épice パン・デピス:フランスの伝統的なパン菓子で香辛料が入っている。

*3 M.O.F. Meilleur Ouvrier de France:フランス国家最優秀職人。フランス文化の最も優れた継承者たる

                      にふさわしい高度の技術を持つ職人に授与される称号。

Pressé de Foie gras mi-cuit maison Chutney

d'ananas et crème de Pain d'épice

Soupe au potiron avec croûtons

Coulant de chocolat au thé vert Mach

Rougets farcis à la tapenade et sa sauce safrané

“ここだけは押さえたい”レストラン美食案内

クメールの楽器演奏を聞きながら食事を楽しみたい  

静かな住宅街の一角にあり、カンボジアの伝統的な音楽をBGMにクメール、タイ料理が食べられるお店。旧館、

新館に分かれており、旧館はファンのみ、新館は冷房付き。1階はガーデンテラス席、2階席からは背もたれ肘

掛けのクッションでくつろぎながら食事を楽しめる。リクエストがあればアプサラダンス鑑賞も可能。

住所:#9,st57  電話:023-363050  営業時間:10:30~14:00 16;00~22:00

アジアン料理

 

オーガニック•ベジタリアンクメール料理    

基本的にはベジタリアン御用達の隠れ家的レストラン。ミント入りのオリジナルフルーツ•シェイクは“激ウマ

”でお勧め。ロンリープラネットにも紹介されている欧米人在住者のお抱え店。ようく注意しないと通りすぎて

しまうのでご注意を。黒い「K」の看板が目印。独立記念塔の近く。

住所:No.25k,suramarit Blvd(st.268) Phnom penh 電話:023−225225

営業時間:12:00~21;00(平日) 07;00~21;00(土) 定休日:日曜日

オーガニック&シェイクが“うまい”クールな隠れ家 / クニャイ K-NAY   

      

 

 ラ•レジデンスは、2008年1月にオープンし今年で3年目、街中

にありながらプノンペンの喧騒から一歩離れ、落ち着いた雰囲気

の中で本格的なフランス料理が堪能できるレストランとして評判

を呼んでいる。ラ•レジデンスは日本人シェフの常駐するレストラ

ンとして知られるが、2008年12月から新たにフランス人パティ

シェ(菓子職人)のクリストフ氏が加わり、09年3月にはレスト

         ランのエントランス横に併設されたサロン・ド・テもオープンした。

シェフの加茂健さんによれば、オープン当初は、料理の本当の基礎を理解している

スタッフが1人もいない状況で、言葉も食文化も異なるスタッフ達に、複雑なフラン

ス料理のテクニックや精神、哲学を教えながらの営業で、悪戦苦闘だったとのこと。

訊けば、加茂さんは東京にあるフランス料理の老舗・銀座「レカン」からフランス

料理の道へ入ったそうで、そのシェフの下でフレンチの精神を叩き込まれ、シェフの

独立に伴い、六本木「ヴァンサン」へ移動。その後、軽井沢「プリマヴェーラ」など

を経て29歳で渡仏。日本人には門戸が狭かったためスイス・フランス語圏へ渡りロー

ザンヌ(Lausanne)近郊にあるレストランで、フランス料理界で有名なジラルデの右

腕を勤めたM.Jean Michel Colinと出会い、彼に腕を見込まれる。その後M.Philippe

Rochat の「Hôtel de Ville」, M.Roland Pierroz「Hôtel Rosalp」を経て、Hôtel

Mandarin Oriental, Genève「Le Neptune」 にてM.O.F.シェフのM.Franck Ferigutti

に師事等、修業の苦労はともあれ、その経歴は華麗なるもの。そして今、ここカンボ

ジアでフランス、カンボジア、日本の食文化の融合を目指しているとのこと。陽が差

し込む昼さがり、緑が美しい庭園を眺めながら。夜はライトアップされた大人の空間

で、友人や大切な方々と優雅なひと時を ラ•レジデンスで過ごしてみませんか?

      

住所:#22-24,st214, Phnom Penh  電話:023−224582 

営業時間:11:30~14:00 18:15~22:00 土・日のみ夜営業

Web:www.la-residence-restaurant.com/

Tournedos Rossini

駐在妻“美食”探訪記

美味の開花か、旬のレストランここにあり-“ラ・レジデンス”で本場フレンチの愉悦 -

よろこび

シェフ  :加茂 健   

パティシェ:Christophe LE CARDINAL

クメール•タイ料理 / クメール•スリン Khmer Surin

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ロシアの家庭料理を食べさせてくれる貴重なレストラン。店構えはけして良いとは言えないが、

味付けはしっかりしている。お勧めはハム•チーズ•カツレッツにミート•ボール、イリーナ•スペ

シャルなど、意外に日本人に馴染み深い料理が食べられる事に驚かされる。高級美容室隣、セッ

ト•ランチは$8から。

住所:#15,st352 Phnom penh 電話:012−833524 営業時間:11:00~22:00

リバーサイド沿いに建つ、The Quayホテル内にあるアジアン•フュージョン料理を出すレストラン。ヤ

コブセンのチェアを使用しており、内装もクールだ。住所:#277 Sisowath Quay 電話:023−224894 

営業時間:05:00〜23:00

ヤコブセンのチェアで異空間を味わうアジアンフュージョン料理 / チョウ Chow

ここのお勧めはずばり“焼き餃子”、青島ビールを飲みながら一緒にいただこう。

正直店内には何も無い。ただのシンプルな食堂だ。メニューもつい最近まで中国語にクメ

ール語しかなかったが、最近英語のメニューを作成したばかり。餃子以外のお勧めは麺類

(牛肉粉−カレーウドンのような風味の麺)、炭火で焼いた手羽先にホイコーロなどの炒め

物。料金もかなりリーズナブル。味付けは中国八大料理のひとつ、「湖南料理」。

住所:#555,stMonivong 電話:011-521600,089-476188 営業時間:08;00~02;00(深夜)

中華料理

モニボン通り沿いの好立地に位置し、中華料理特有の脂っこさをまったく感じさせない中華料理店。お勧めは

海鮮料理に牛肉マシュルーム炒めに、黄麺を使用した焼きそばにブラックチキンスープなど。何時も沢山のお

客さんで込み合っているが、深夜も営業していて便利。

住所:#344,Monivong Blvd,Chamkamon District 電話:012−803922

営業時間:10:00〜14:00  16:00〜04:00

海鮮中華を食べつくせ / 波記海鮮 PORKEY SEAFOOD RESTAURANT

正直言って日本食擬が多く、お勧めできるレストランは数少ない。年内にNAGA WORLD,8月に完成予定のSOFITELホテル内に日本食レス

トランがオープンする予定なので、今後に期待したい。はっきり言えば、日本人シェフが殆どいないので、今後は本格的な日本料理屋

が出現すると思われる。日本料理屋はこの国の今後の課題と言える。そんな中、今回はD.A.C.お勧めの3店をご紹介。

日本料理

プノンペン唯一の日本人経営の焼肉屋さん。無煙ロースターを

使用。ランチタイムはセットメニューが$3からでコーヒー付

きとリーズナブル。ざるラーメン、カレーなどの焼き肉以外の

メニューも豊富。毎月29日は焼き肉の日で29%オフ。

住所:#24、St294,sangkat tonle basak khan chamkar

電話:023−223018

営業時間:11:30〜14:00 17:00〜22:30

焼き肉をリーズナブルな料金で / 焼き肉ガーデン四季

プノンペン在住者から根強い支持を得ている日本食レストラン。

カウンター席、テーブル席、座席とあり、居酒屋のような雰囲気。

お勧めはオムライス、チキン照り焼きセット、カツカレー、各種

軽食。日替わり定食は$5。

住所:#31 st 200,sangkat boeung rang,khan doun penh

電話:023−214641

営業時間:11:00〜14:00  17:00〜22:00

日替わり定食が楽しめる / 比靡人 ヒマジン

す営経が人スリギイの人二たし行修でンドンロ、ンョジーュフ•ズーニパャジの行流今

る市内でもっとも新しいジャパニーズ•レストラン。オープンエアで店内のセンスもよ

く、お勧め料理はソフトシェルクラブの天ぷらにパンプキン餃子にタイガー•ロール。

盛りつけもよく、ビジュアル的にも楽しめる。ロンドンで流行っている“YUMI”とは何

の関係もない。

住所:29a ,St288 Boeung Keng Kang 1 (63通りとモニボン通りの間) 

電話:092-163903

営業時間:11:30〜14:00  17;30~22;00 定休部:日曜日

ジャパニーズ•フュージョンなら / ゆみ YUMI

静かな住宅街にあり、上質な地中海料理を提供。共される皿には余計なものが無く、シンプル

だが素材と味の構成が何とも言えない優良店。お勧めはスパゲティーボンゴレ、マグロ、鯛な

どの魚料理。ラムチョップも絶品でビジュアル的にも楽しませてくれ、デートでもビジネスで

シーンでも使えるレストラン。

住所:St,288,#11 Phnom Penh 電話:017−766690 営業時間:12:00〜14:00 18:00〜22:00

西洋料理

NAECO ンャシーオ / 理料海中地  

ロシア料理 / イリーナ Irina

お勧めの牛肉粉(麺)うまい!

屋台風に清潔に中華を楽しむ / 鮮魚粉館  CHINA RESTAURANT

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リバーフロント108通りの角にオープンしたレ

ストラン&バー。店内はスタイリッシュな作

りで、アジアでもっとも美味しい“フィッ

シュ&チップス”を謳い文句に営業しており、

ワインの種類も豊富。ブティックホテルの“

River108”とパートナーシップを結んでいる。

住所:川沿い108通りの角  

電話:023−222685  

営業時間:07:00〜深夜

 プノンペンでは今、お洒落でスタイリッシュなレストランやバーが急増中。

 今後、D.A.C.では刺激的で斬新なコンセプトを持ち合わせたレストラン&バーやクラブなどを随時紹介し

ていきたい。治安も落ち着き発展著しい、プノンペンの新名所に出かけてみよう。

ザ•プレイスの最上階にあるバー、夜にはライト

アップされた独立記念塔を中心にプノンペンの夜

の町並みを楽しめる。

住所:The place 9F ,90 preah sihanouk st,

電話:855-23 726 999

営業時間:17:00〜深夜まで

THE PLACE SKY BAR / ザ•パレス•スカイバー

以前はパスター通りにあったエルズウェアが近年カフェや

バーにスパが集まっている278通りに移転。新店舗ではショ

ップ(雑貨屋)、とレストラン&バーが併設されている。

店内にはプールもあり、夜になるとプールはライトアップ

され雰囲気は抜群に良い。ハッピー•アワーは18:00から

20:00まで。

営業時間:08:00〜深夜まで ショップ:10:00〜21:00 

プール利用費:大人$5、15歳以下は$3、$5以上の食事を取

ればプール代は無料、タオルレンタル費は$1      

住所:#2 st278 電話:023−211−348

エルズウェア

リバーサイドの“ザ•キー”ホテルの最上

階にあるバー•テラス。座席数は少ないが

眺めが良く、モヒートなどのカクテルも

充実していてうまい。

ハッピーアワーは16:00〜20:00まで。

住所:N277 Sisowath Quay Phnom penh

電話:855-23-224894

Chow Terrace / チョウ•テラス

Fish / フィッシュ

 プノンペン在住の日本人社会の中でも、情報通なのが駐在員の奥様たち。今後、D.A.C.ではレストラン、スパなど、ローカルならで

はのスポットを紹介致します。今号では在住マダムには「ソバナ」、「アンブル」、「ラ•レジデンス」、「イリーナ」をご紹介して

いただきました。

D.A.C.ショッピング・セレクション

「駐在妻・マダム」がお勧めするスベニアショップッはここだ! 

民家を改築し、店内にカンボジアをはじめ近隣諸国の仏像、陶器など

の骨董品が所狭し並べられている。骨董品以外にもシルクや複製品な

ども販売しており、見ているだけでも楽しめる。

住所:#13B,st334,khan chamkar mon,Phnom penh  電話:023−221916

営業時間:08:00〜18:00 Web:www.hanumantourism.com/art.htm

ELSEWHERE

アジアの骨董品、仏像をゲットせよ

Hanuman Antiques & Arts / ハヌマーン•アンティック&アーツ

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アラム、デル•ガスト、ウマとプノンペンに三ヶ所の宿泊施

設を構える、The Boddhi Tree。1930年代に建てられた建

物を改築したDel Gusto、伝統的なクメールの家をリノベー

ションして建てたUMMA、そして1950年代の建物をリノベーショ

ンして建てられたAram。基本的にAram以外はゲストハウスだ

が、どこもお洒落で食事が美味しいのが特徴だ。

中でもお勧めは唯一のブティック・ホテルであるAram。立地

は王宮の隣でお洒落な通りで知られる240通りが徒歩圏内と

立地も抜群だ。

但し、館内は狭く、夜21:30以降は騒げない。帰りが夜遅く

なる人や酒飲みには不向きなホテルと言えるが、食事も美味

しくお勧めです。予約は全てネットで行うことになります。

興味ある方は下記で確認してみましょう。

www.boddhitree.com

カンボジアのトップ、デザイナーズ•ブランド「アンブル」。

フレンチ•カンボジアンのデザイナー、ロミダ•ケス作の服や

靴にアクセサリー、雑貨などを扱っている。二階建ての店内

はいくつかの部屋に分かれ、それぞれ色テーマ別になってい

て遊び心満点。一部商品を除いて、ドライクリーニングの発

達していないカンボジアで手入れがしやすいように手洗い可

能となっている。

品数は少ないが2階には男性用も販売している。オーダーメ

ードはお勧め。

住所:#37,st178 Sangkat Boeung Raing,Khan Daun Penh 

電話:023−217,935

カード:VISA / MASTER  営業時間:10:00〜18:00 

定休日:日曜日

貧しい地域の女性の生活援助や医療、カンボジアシルクの復興などを支援するソバナ

女性財団が運営するアンテナショップ。

彼女達が丁寧に作リ上げる高品質で上品なシルク製品や雑貨などが所狭しと並んでお

り、収益金は財団のチャリティ活動に使われる。シェムリアップ国際空港の中にも支

店がある。工房の見学も可能。

#23, Street 144/49, Sangkat Phsar Thmey III Khan Daun Penh,

Tel : 023-219455 Web: http://www.sobbhana.org/

オリジナルのデザインが人気のデザイナーズ•ショップ

アンブル

伝統的な工芸品は素朴な味わいが魅力

ソバナ•ブティック&ファンデーション

SOBBHANA, BOUTIQUE & FOUNDATION

D.A.C.今号の「駐妻」在住マダムはどんなひと?

加茂陽子さん

美術系短大を卒業後、大手電気メーカーの広告制作に携わる。

結婚後、スイス在住を経てカンボジアへ。ご主人は今回紹介

したラ・レジデンスのシェフ。趣味は映画・美術鑑賞・華道

(嵯峨御流華範)・茶道。プノンペン在住2年半

おまけ<お勧めブティックホテル>

ショップの裏には工房があり見学可能

*駐妻=駐在員の妻の略語