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  • MÉCÉNAT ASAHIBEER MÉCÉNAT

    Asahi Breweries Bulletin of Activities for the Support of Arts and Culture

    39VOL. 2015 June-2015 September

  • 1973年 沖縄生まれ。ニューヨーク在 住。2001年School of Visual Arts修 士課程修了。紙袋やトイレットペー パーの芯を用いて問題を提起した 「Corner Forest」「Notice-Forest」や、 沖縄を主題とした紅型の作品「結-い、 結-い(You-I, You-I)」「Heroes」など、 日常生活に存在するオブジェを微細に ずらし異なる世界を生み出す作風が国 内外で高く評価され、各地の美術館に も作品が収蔵されている。

     名古屋で30年ほどスペースの運営に携わっている。貸画廊として

    スタートして、徐々に変化し現在はパルルという名でカフェとイベン

    トスペースが一体の場所になっている。運営方法がちょっと変わって

    いる。3年前に「パルルはまちである」そして「パルルに集まる人は住

    民である」と宣言をして、リーダーを置かないで「住民」よる集団での

    運営を始めた。その「住民」を100人にすることをいま目指している。

    何かを決めるにも時間がかかる。なんでこんな面倒なことを始めたの

    だろうか。振り返るといくつか思い出すことがある。

     1990年の1月、自由な通行が認められたばかりの東西ベルリンの境

    界線を通過して、ポーランドのバルト海に面したグダニスク造船所を

    一目見るため旅に出た。その前に立ち寄った英国のイングランド北部

    でいくつかのアートの動きを見た。当時は野外彫刻のことだと思って

    いたパブリックアートという名のもとに貧困層の多い地域でアーティ

    ストが住民とワークショップをしていたり、病院にアーティストが滞在

    して患者とともに作品をつくることをレジデンスと呼んでいたり、聞

    いたことのないことばかりだった。未消化のまま英国を後にした。

     1995年の1月、地震で大きな被害にあった直後の神戸を訪れた。阪

    神青木駅までようやく開通した電車に乗ったあとバスで三宮に向かっ

    た。途中あの倒壊した阪神高速道路の横を通り抜けたりした。実は

    「大災害のなかでアートなんて真っ先に要らなくなるんじゃないか」と

    の想いが湧き上がって現場を見なきゃという気持ちになったのだっ

    「草原のノンマルトの使者」

    た。建物が崩れ信号機も作動していないまちを歩くなか、いたるところで食

    べ物が配られ、譲り合って車両が行き交うのを見ながら「心配しなくて大丈

    夫。アート、必要だよ」と言われた気がした。

     そんな体験をしながらパルルの運営を続けてきたが、結局アートってなん

    だかよくわからない。「パルルはまちで、リーダーがいなくて100人で運営す

    る」というアイデアは、なんとかパルルがこの先もずっと続いてほしいとい

    う欲求から生まれたのだが、もしかすると「アートってわからない」という

    モヤモヤ感ともつながっているのかもしれない。

     2年前ふと思い立ってアサヒ・ アート・ フェスティバル(AAF)に応募し参

    加することになった。一番驚いたのはAAFにはリーダーがいないことだっ

    た。パルルと同じ仕組みが既に存在していて、こんなに多くの人や団体が

    集っている。もうこのことだけでAAFの大ファンになってしまった。そし

    てより深く運営の仕組みを知りたいと願っているうちに立ち上がったばかり

    の世界ネットワーク部会の一員に名を連ね、しかも事務局長を担当すること

    になった。

     世界ネットワーク部会は2014年12月に8名のメンバーが選ばれマレーシア

    訪問事業を行った。自らも一員として約2週間クアラルンプールに滞在した。

    クアラルンプールは高度成長期の日本を思わせる活気に満ち、いたるところ

    で建設ラッシュで新興国の優等生ぶりを見せつけられる。同時にまちの再開

    発や住民間の経済格差の問題も目に入ってくる。

     まちを歩きながら「アート、必要だよ」の囁きがここでも聞こえた気がした。

    アサヒビールは

    「未来・市民・地域」をキーワードとして、

    もてる資源をできるだけ活用し、

    芸術文化活動に取り組んでいます。

    本紙では弊社のメセナや

    協働パートナーの活動を紹介します。

    4月22日、「地球の日」、地球環境を考 える日としての記念日。ニューヨークで も、去る19日にいろんなイベントが開 催されました。僕はそのイベントに参加 はしなかった。普段忙しいスケジュー ルのなかでは、地球環境のことを優先 すること、おっくうに感じたりします。 でも、もう見過ごせなくなった。報道や イベントのメッセージは、カリフォルニ アの干ばつをしっかり報道したり、沖縄 の大浦湾の海岸を報道するなど、メッ セージ=使者たちは、この大量消費の アメリカを次の姿へ変えつつあります。 そして僕に、お皿を洗う時の流れる水 を大切にしたり、コンポストに協力す るなど、環境を思う「地球の時間」を促 す。日本では、僕の少し上の世代の人 が、ウルトラセブンの「ノンマルトの使 者」という、海底のお話をしてくれた。 これも「地球の時間」だと言える。

    今日、ニューヨークの同士たちと一緒 に「ノンマルト」の海底を再現してみた。 アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、いろ んな人の手があつまり、動物たちを支 え、海底を演出しました。世界が見守 る海底。

    Art Space, Cities, Art

    スペース、まち、アート 新見永治 [パルル]

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    A S

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    d w

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    r co ve

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    1.パルル外観 2.パルル内観 3.パルルキッチン 4.パルルイベント風景 5.AAF世界ネットワーク部会で 訪問したクアラルンプール

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    照屋勇賢 [てるや・ゆうけん]

    PROFILE

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    新見永治 [しんみ・えいじ]

    1957年京都市生ま れ。82年より名古屋 市中区でスペース 「パルル」の運営に 関わっている。当 初は新栄画廊とい うレンタル・ギャラ リーとしてスタート し、現在はカフェで

    ありイベントスペースである。2011 ~2012年、創設から関わった名古屋 市長者町のアートセンター「アート ラボあいち」の運営に携わる。あいち トリエンナーレ2013へプロジェクト FUKUSHIMA!の一員として参加。

    PROFILE

    www.parlwr.net(パルル)

    www.yukenteruyastudio.com

    photo: misaki matsui

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  • 回答者

     はからずもその昔、芸術選奨を受賞した時に、今は亡き翻訳家の永井淳

    さんから電話がかかってきた。ジェフリー・アーチャーをして、Junあっ

    ての自分だ、と言わしめた、その永井さんからの電話だった。「種さん、

    おめでとう。ところで君は何をしたのかね」。

     ぼくは一体何をしたのか。絵を描くわけでも、楽器を演奏するわけで

    も、芝居をするわけでもない。たとえば大友良英さんのように、音楽で優

    れた業績を上げた表現者が受賞するのが芸術選奨ではないか。何もしてい

    ない君がどうして、という疑問である。

     ぼくたちの仕事は、自分が世に羽ばたくことではない。ロビーコンサー

    トに始まったアサヒビールのメセナ活動は、多くの表現者に寄り添い、彼

    らの思いを受け止め、ささやかながらも力になろうとしてきたことだ。そ

    の結果、アサヒビールとぼくは、その後どれだけ多くの恩恵を受けてきた

    ことか。ロビコン最多出場者、マリンバ奏者の通崎睦美さんが、2014年

    大きな賞を立て続けに受賞され、その授賞式のあいさつで「私の今日ある

    のは、アサヒビールのおかげ」とまで言っていただいた。涙が出て、メセ

    ナ担当者冥利に尽きる思いだった。

     先日、フランスに企業のメセナ活動の視察に行った。川俣正さんのアト

    リエを訪ね、夕食をご馳走になった。川俣さんはパリの国立美術学校教授

    でもあり、世界で最も高く評価されている

    日本人美術家の一人だろう。おかげでその

    後の