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意識革命について:前史・枠取り・中軸 − 31 − 【論文】 意識革命について:その 1 實川 幹朗 1) 1)姫路獨協大学 はじめに 私たちのいま携わる臨床心理学が西欧の十九 世紀に産まれたのは、偶然ではない。この文化 の潮が、 この折りにまみえ、言い換えれば「時 代精神」が集団心理を操り、かくも特殊な形 の心の科学と技術とを産み出した。しかもこの 時代には、 臨床のみならず心理学一般が、新た な方法論的自覚の許で組み上げられたのであっ た。しかもこの出来事の意味は、 一つの新しい 「科学」の誕生に留まらなかった。心理学への 絶大な期待は、 この学こそがすべての学を基礎 付けるとの妄想を産んだ − あらゆる学問が、 最終的には心理学に還元されるとさえ、多くの 人が見込んだのである。 この大転換の名が、<意識革命>であ る。 推 測 も た や す く、「 科 学 革 命 (Scientific Revolution)」をもじった名付けとなっている。 それは、 十七世紀西欧におけるコペルニクス、 ガリレイ、ニュートンらの、天文学と物理学を 中心とした学問の革新のことであった 1) 。近代 臨床心理学の祖とされるメスメルの登場に百年 あまりも先立つ変化である。その時代にはまだ 無かった近代世界へのもう一つの道程を、 これ にあやかって考えてみたい。メスメルからさら に百年を経た、十九世紀末に登場するフロイト までの間に、ふたたび「革命」の名に恥じぬ激 しさで、 新たな変化が起こったのである。 前史・枠取り・中軸 要約 近代の心の有り様を支配し、したがって近現代の社会生活全般に大きな影響と制約を及 ぼしている新しい考え方が、西欧十九世紀の半ばに成立した。 これを < 意識革命 > と名 付ける。 それ以前には、心は無意識で働くのが当たり前であった。 しかし、この大転換 によって、人は誰でも正常で明らかな意識を持つと期待され、社会生活の全般もこの基 準に沿って再構築されはじめた。 この転換を理論と実践で代弁するのが、臨床心理学で ある。本論では < 意識革命 > のうち、二つの流派を論ずる。 中軸をなす < 意識一色流 > では、宇宙のすべてが意識と考えられた。 過激な排他主義で革命的な動きの際立つ < 排 他実証派 > は、経験的知識の源を「感覚与件」に限定した。 いずれも、我われの知識が 意識の事実を越えられないと考える点で共通し、物質科学までを含め、学問における意 識の根源性を言い立てていた。 索引用語:意識革命 正常 意識一色流 排他実証派 論理実証主義

Isikikakumei / Consciouness Revolution

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意識革命について:前史・枠取り・中軸

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【論文】

意識革命について:その 1

實川 幹朗 1)

1)姫路獨協大学

はじめに私たちのいま携わる臨床心理学が西欧の十九

世紀に産まれたのは、偶然ではない。この文化の潮が、 この折りにまみえ、言い換えれば「時代精神」が集団心理を操り、かくも特殊な形の心の科学と技術とを産み出した。しかもこの時代には、 臨床のみならず心理学一般が、新たな方法論的自覚の許で組み上げられたのであった。しかもこの出来事の意味は、 一つの新しい

「科学」の誕生に留まらなかった。心理学への絶大な期待は、 この学こそがすべての学を基礎付けるとの妄想を産んだ − あらゆる学問が、最終的には心理学に還元されるとさえ、多くの人が見込んだのである。

こ の 大 転 換 の 名 が、 < 意 識 革 命 > で ある。推測もたやすく、「科学革命 (Scientific Revolution)」をもじった名付けとなっている。それは、 十七世紀西欧におけるコペルニクス、ガリレイ、ニュートンらの、天文学と物理学を中心とした学問の革新のことであった1)。近代臨床心理学の祖とされるメスメルの登場に百年あまりも先立つ変化である。その時代にはまだ無かった近代世界へのもう一つの道程を、 これにあやかって考えてみたい。メスメルからさらに百年を経た、十九世紀末に登場するフロイトまでの間に、ふたたび「革命」の名に恥じぬ激しさで、 新たな変化が起こったのである。

前史・枠取り・中軸

要約近代の心の有り様を支配し、したがって近現代の社会生活全般に大きな影響と制約を及ぼしている新しい考え方が、西欧十九世紀の半ばに成立した。 これを <意識革命 >と名付ける。 それ以前には、心は無意識で働くのが当たり前であった。 しかし、この大転換によって、人は誰でも正常で明らかな意識を持つと期待され、社会生活の全般もこの基準に沿って再構築されはじめた。 この転換を理論と実践で代弁するのが、臨床心理学である。本論では <意識革命 >のうち、二つの流派を論ずる。 中軸をなす <意識一色流 >では、宇宙のすべてが意識と考えられた。 過激な排他主義で革命的な動きの際立つ <排他実証派 >は、経験的知識の源を「感覚与件」に限定した。 いずれも、我われの知識が意識の事実を越えられないと考える点で共通し、物質科学までを含め、学問における意識の根源性を言い立てていた。

索引用語:意識革命 正常 意識一色流 排他実証派 論理実証主義

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十九世紀の半ばには、 古いものはすべて間違いか見当違いで、自分たちの新しい方法だけが学問的、科学的な真理に導くと信ずる人たちが、 数多く排出した。いかにも「革命」の名に値する変化ではなかろうか。同じことを、十七世紀の「革命家」たちも口にしていた。ただし、 十九世紀の新しい「革命」の根底には、< 意識という想念 > が据えられていたのである。

 革命前史

ほんとうにそんな転換が起こったのか、 と訝しく思われるかもしれない。また、 たかだか百数十年前という歴史的な新しさにも、 疑いが生じやすいであろう。 - 意識は人間に必須で、 これが明らかでこそ健康でいられ、 社会生活も成り立つのではないか。なるほどメスメルは意識と無意識の境を跨いだらしいが、 それは彼の特殊な疑似科学によるのだ。 - だが、 このような常識こそ、 < 意識革命 > の成果なのである。

我われは、 明らかなはずの意識の内実を、はっきり示すことができない。意識は「明らかな謎」なのであった。このような不安定な信念が、 人類の長い歴史を貫くとは考えにくいではないか。特殊な状況における一時的な流行と見た方がすっきりするのである。過去を振り返れば、 この「革命」新しさ、 珍しさはすぐに明らかとなる。とくに新しい資料は要らない。思想史をかじったほどの人なら誰でも知るあたりを、 ちょっと見直すだけで充分である。

すると、 著名な思想のほとんどが、 じつは無意識の心の仕組みの解明を中軸に据えた仕事だったと知れるであろう。人の営みのほとんどは無意識のうちに行なわれる。だから、 これを解明してはじめて研究になるとの前提が、思想史には長く、 しかし必ずしもまったく無意識にではなく、 置かれていたのである。この前提が気付かれなかったのは、 これまでの研究において、 意識・無意識の枠組みで問いを

発するのが、 極めて希だったからに過ぎない。この事実そのものが、 < 意識革命 > の珍しさと新しさを照らし出すのである。とは言え、 詳しい跡付けは、 それだけで大仕事となる。ここではごくかい摘んでなぞるだけとしよう。

まず古代では、 プラトーンのイデア説が、 よい例を掲げてくれる。彼の哲学では、 イデアこそがもっとも明らかで、 この世での知識を与えるのもこれなのだ。だが、 人はイデアを意識しているのだろうか。彼によれば、 イデアを思い出すことが認識を成立させる。イデアそのものはこの世にないので、 我われは忘れている。しかし、 すっかり忘却しきっているのではない。なぜなら、 これに似たもの、 例えば不完全な三角形とか特殊なブチの犬を見て、 完全なる三角形や、 犬そのものなるイデアを思い出すからである。イデアはそれまで、無意識の記憶に留まっていたことになる。

認識ができたからには、 イデアの働きがあったに違いない。しかしイデアそのものは、 ここまで来てもまだ、 無意識に留まっているのである。人びとは昔から、 この世の様ざまなものごとについて論じてきた。だがプラトーンの師ソークラテースの登場までは、 イデアについて議論することがなかったらしいのである。ものごとの認識におけるイデアの働きが、 無意識に留まってこそ、 こうした事態は起こりうる。この仕組みの解明は、 ソークラテースとプラトーンの天才に負うしかなかった。したがってプラトーン哲学は、 ある種の無意識の解明なのである - 少なくともプラトーンはそう考えていたことになる。

こうした角度で分析すれば、 他にも多くの無意識の思想家を古代に見出すのに、 難しさはなかろう。だが、 ここでは大胆に千年あまりを飛び越し、 すぐに中世に移る。スコラ哲学を代表するトーマース・アクィーナース (Thomas, Aquinas 1225-74) は、 人がキリスト教の神を認識する可能性を認めていた。だがその際、「表

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象 (phantasmata)」を用いることはできないとしたのであった。

神の本質はいかなる表象を通しても見られえないし、またいかなる被造的な可知的形象を通しても、見られえない。2)

< 意識革命 > の構図では、 この「表象」こそが意識の中核を担う、 もっとも明らかなもの一つになる。その正体は、 じっさいのところ極めて不明確なのだが、 古代から今に至るまでおおむね、 五感を通じて与えられた材料を用い、 心のなかに何かの姿を思い浮かべたもの、 とされている。また、 経験による知識の基盤とされるのが通例で、心のすべてを「表象」と見做す人さえいる。我われの意識には必ずこれが伴うと、 < 意識革命 > 以降は、 ほとんどの人が考えてきた。トーマースではその役割が、神の認識という人間の最重要事に届かないのである。「被造的な可知的形象」とは、 神によって造

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られた4 4 4

姿、 すなわち神自から以外の姿を指す。後半ではしたがって、「神自からを見るには神自からを見るしかない」と言われているのである。要するに、 意識がもし明らかだとしても、偉大な神の前では何の役にも立たない。ところが、 意識が及ばないのは、 相手が偉すぎるからかと言えば、 そうでもないのである。最も「低俗」なところにさえ、 意識は届かないのだ。

原罪を子供に伝えるところの性欲は現実に感じられる性欲ではない。なぜなら、神的力によって或る者にたいして生殖の行為において何らの反秩序的な性欲も感じないという恵みが与えられたと仮定しても、やはり子供に原罪は伝えられるであろうから。むしろこの性欲は、感覚的欲求が原初の正義の絆によって理性の下に包みこまれていないかぎり、習慣(habitus) という仕方で見出される性欲であると解しなければならない。そして、このような性欲は万人において等しく見出されるのである。3)

どうやら「不感症」が奨励されているらしい。

だが、 それでも理性のくびきを逃れた無意識の4 4 4 4

性欲4 4

が、 感じられないままに、 親から子へと伝わってゆくという。欲望と感覚には、 無意識となる場合がはっきりと認められている。しかもこれが、 無意識のままに、 子孫へと遺伝する。人間の堕落の根源、 トーマースからすればもっとも唾棄すべきものに対してさえ、 意識は無力なのである。相手が立派でも卑しくても、 肝心なところで意識は役立たない。フロイトらの説が少しも新しくはないと、 ここから知られるのも面白かろう。

近代に入れば、 ルネサンスは無意識に満ちていた。だが、 説明に手間取るので、 ここでは省く。十七世紀に至ればデカルトが、 たしかに意識の明証に大きな信頼を置いた。スコラ哲学に反抗した彼が、 < 意識革命 > の先駆者なのは間違いない。しかし、 この先取りこそ、 彼の偉大さなのである。デカルトの死と踵を接して産まれたライプニッツ (Leibniz, Gottfried Wilhelm 1646-1716) が、「 微 細 表 象 (petites perceptions)」という名で、 無意識の重要性を論じたことは有名である。彼は人間のみならず、 また生き物にも限らず、 あらゆるものごと、 すなわち「モナド」に、 これを認めた。意識は心の高度な作用ではあるが、 世界のごく一部を覆うに過ぎない。もっとも、 詳しく読めば、 デカルト哲学にも無意識の作用が認められるのだが、 ここでは触れないでおく。

ライプニッツの死と、 これもほぼ入れ替わりで産まれたヒューム (Hume, David 1711-1776) になると、 意識の役割はかなり高まる。心の働きとは、 感覚に与えられた印象に始まり、 その残存が観念となって、 連想により離合集散することだという。自然の秩序の認識や倫理的判断といった「高度な精神作用」も例外ではない。「不信心者」として悪名高いだけのことはあり、 理性が姿を消してしまうのである。観念は、 互いの類似性や時空間的な接近によって連合する。我われが因果性と呼ぶものも、 こ

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の一種に過ぎない。我われの、「高度」とされる思考も、 神に由来する深遠な理性などによるわけではない。

さてところが、 これらの思考の仕組みは意識されているのだろうか - そんなはずはない。なるほど印象や、 そこから形成される観念は、 多くの場合に意識に上っている。だが、 それらの相互関係、 連想の仕組みとなれば、 意識されてはいない。なぜならこれらは、 ヒュームが思考実験や観察を苦心して行ない、 立論の筋道を工夫したうえ、 新説として世に問うたものだからである。それまで、 この仕組みに気付いた人はいなかったことになっている。彼は、 人間の根幹を支える無意識の観念連合

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を研究したのである。

ヒ ュ ー ム の 影 響 を 受 け た カ ン ト (Kant, Immanuel 1724-1804) は、 やはり感覚経験から出発し、 構想力、 悟性・理性が認識を組み上げる様を描いた。のちにも述べるが、 この精密な分析は、 やはり凡人には意識できない。だからこそ、 カントの業績となりえたのである。

彼の流れを引く「ドイツ観念論」の大成者ヘーゲル (Hegel, G. W. Friedrich 1770-1831)なら、 意識の役割はさらに小さい。彼にとって、 世界史は理性の論理的な展開だが、 有と無との弁証法の根源に、 意識はありえない。それはようやく人間に至って、 自己意識(Selbstbewußtsein) として成立するが、 範囲が狭く、 真理からほど遠い。そのうえ、 しばしば暴走して、 フランス革命の恐怖政治のような惨状に導く。理性の「狡知 (List)」は、 浅く愚かな意識を操りつつ、 自己を実現してゆくのだ。彼を受け継いだマルクスにおいて、 民衆の意識が指導と改造の対象でしかなかったのも、 頷けるところである。

大急ぎで二千年あまりを見た。ここから、 その後の二百年足らずに移る。我われの常識は、この短く、 はかない基礎の上に乗っているのである。

< 意識革命 > の枠取り

革命の過激と意外あらゆる学問が、 最終的には心理学に還元さ

れる - 心理学がこの大いなる地位を言い立て得たのは、「意識に基づく学」との自覚からであった。この時代になってからは意識が、 他の何よりも明晰で、 人間が完全に知りうる唯一のものとされた故である。完全な知識に基づけば、 学問は確かな歩みを得られるに違いない。意識の明証説が、 時代の衣装を纏って、 主役に躍り出たのであった。科学的な「真理」とは人間の心理

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に他ならないこととなった。果てしなく過激な思想である。

かつてメスメルは、 物質と無意識とに信頼を置いていた。なぜなら動物磁気とは、 心理作用と生命作用を合わせ持つ物質だったからである。意識の役割は、 主に学問としての証明にあり、 相対的に小さなものだった。これに対し、次のフロイトの言葉は、< 意識革命 > への承認と進んでの協力を、 はっきり表明している。

この研究の出発点をなすのは、どんな説明も記述も受け付けない、意識という並らぶものない事実である。意識を語る場合でも、己れの経験から直かに、何のことなのかを知っているものである。4)

意識が、 そして意識こそが、 最高の「並らぶものない事実」だと、述べられている。この表現が充分な自覚とともに書かれたことは、 添えられた行動主義批判の註からも分かる。「アメリカでの行動主義のごとき極端な方向では、この基本的事実を無視して心理学を築くことができると考えている」と、嘆いて見せたのである。フロイトが意識を信頼したと聞けば、 意外に思われるかもしれない。彼の名からすぐに無意識を連想するのは、 この人物へのこれまでの評価から、 致し方がない。しかし、 研究の組み立てにおいて彼が信頼したのは、 何よりも意識なのであり、 精神分析とは、 意識の上に構築される

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理論なのである。

私どもの療法は、無意識的なものを意識的なものに変えることによって効果をあらわし、この変換をなしとげうるかぎりにおいてだけ効果をあげるのです。・・・ ノイローゼは、まさしく一種の無知、すなわち知っているべきはずの心的な過程を知らないでいることの結果だということになります。それは、悪徳すら無知にもとづくという、あの有名なソクラテスの説に非常に似ているといってもよいようです。5)

フロイトの研究が出発するのは、 意識からであった。だが、この文章からは、 意識がまた治療の終着点でもあったと知れるのである。精神分析が効果を上げるのは「無意識を意識に変える」ことによるのだ。もし無意識を意識に変えて病まいが治らなくても、 けっしてこの方法が誤っているのではない - 意識化がまだ足りないだけなのだ。無意識の底は深いから「終わりなき分析」に導かれるとしても、 この原則が譲られることは決してない6)。

しかも、 意識の効用が、ただ病まいが治る以上だということも分かる。心の病まいは、「一種の無知」の結果とされたからである。無意識を意識にもたらすのは、すなわち知識を得ることだと、フロイトは言っている。意識と知識とが、 ここで重ねられているのである。 - すると、治癒をもたらすのは知識

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なのだ。加えて、知識の無いことつまり無知は、悪徳の起源にもなっている。「知っているべきはずの心的な過程」がある

のだ。我われは、 いずこよりか、ある種の知識の義務

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を負わされたことになる。この義務を果たさないでいる結果が、 病まいと悪徳なのだ。だから意識は、 悪徳を滅ぼし善をもたらす力でもある。

かつてメスメルは、 無意識の心的力を備えた動物磁気で、 患者を治療した。その方法は、 フロイトに言わせれば「無知と悪徳」の吹き込みとなる。無意識と意識の立場が、 真っ逆さまになったのである。すなわち、 健康と善、そしてそれらの源なる真理が、そろって意識に見出さ

れる。「革命」と呼ぶにふさわしい、 意識賛歌ではなかろうか。

広い流域と三本の支流ところがこの大胆な説は、必ずしもすべてが

フロイトの独創ではなかった。大筋で見るかぎり精神分析は、十九世紀半ば頃からの革命的な意識尊重の流れのうちに、目立って浮かび上がった教説の一つに過ぎない。< 意識革命 > の広がりを考えるうえでは、この点が重要となる。真理に加え、健康と善をも意識に託すのは、なるほど徹底である。それが可能だったのは、<意識革命 > の流域の幅広さゆえである。この事情をリード (Reed, E.) は、その画期的な心理学史で次のように書いている。

1880 年代に批判の的になったハックスリ、ティンダル、クリフォードといった「唯物論者」はみな、ある種の現象主義者だったのであり、唯物論者などでは全くなかった。これは驚くべきことだが、真実である。実証主義に刺激を受けて、さまざまな汎現象主義が活気を取り戻した。・・・ 理論も関心も異なるさまざまな思想家たちは、すべての科学の基礎になる基本的な「データ」は感覚であると考える点では皆一致していた。7)

名前を挙げられた三人はいずれも、 キリスト教会をはじめとする保守的な人びとから、「唯物論者 (materialist)」として非難されていたのである。生物学者のハクスリー(Huxley, Thomas Henry 1825-1895 年)は、「ダーウィンの番犬」を自称して一世を風靡し、 進化論の啓蒙に努めていた。著名な物理学者ティンダル (Tyndall, John 1820-1893) は、 キリスト教を批判し「唯物論」に肩入れした廉で、「悪名」も高い。クリフォード (Clifford, W. Kingdon1845-1879)は数学者で、 宗教的な権威は自然科学に比べて信用度が低いと公言していた。「批判の的」だったのは、 彼らが進歩派を自任し、 時代の先端を行く旗振り人だったからである。

英国科学協会の総会におけるティンダルの

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「ベルファスト演説」は、自然科学の万能を信ずる科学主義を公然と言い立て、話題となった。多くの科学者からの熱烈な支持の反面、倫理的に危険として、激しい攻撃も受けたのである。けれどもティンダルの思想は、心をただの物質に還元する、 といったものではなかった。

我われの聴き、見、触れ、味わい、嗅ぐすべては、ただ我われ自からの変化に過ぎないのだと言わざるを得ず、これを越えては毛筋ほども進めない。我われの外側に、我われの印象 (impressions) に応ずる何かが実在するというのは、事実ではなく、推論である。8)

非難を受けた「唯物論」の中身とは、 我われの知る物体を、ここでは「印象」と呼ばれる意識の事実から説明するする企てだったのである。独我論の匂いもするが、「我われ」との表現があるから、 そうとも言い切れない。要するに、 感覚を基礎とする意識の明証性に最大の信頼を置くこと - これは間違いない。すなわち<意識革命>の基本が語られているのである。

精神分析もまた、 その汎性欲説から、 保守的な人びとの非難を浴びていた。しかしフロイトは、 思想的には、 決して孤立していなかったのである。汎性欲説そのものがすでに当時の流行であったし、 あまつさえ、 ここに示した意識中心主義において、彼は当時の進歩派の人びとと、 完全に歩調を合わせていた。科学史家のゲイが、 フロイトの徹底した科学者振りを描き出している9)。したがって、 少なくとも研究の出発点と治療原理とに関するかぎり、科学者たちから強い批判を浴びることはなかったのである。

メスメルの動物磁気を否定したラヴォワジエらの委員会の裁定は、感覚に決定権を与える理論を用いた。この事件はその点で、 < 意識革命> の先駆けとして、重要な位置づけを担っている。さらに遡って先駆けを捜せば、デカルト、ロックといった、十七世紀の「科学革命」の同時代人たちに、 たしかに行き当たる。十七世紀

以降、現代の「意識」に連なる枠組みの提唱、考察はかなりの数に上る。しかしながら、この流れが滝となり、奔流となって学問の根幹を洗うのは、あくまで十九世紀半ば以降のことである。

以下では、この流れに棹を差した人びとの代表を挙げつつ、革命の有り様を素描してみる。< 意識革命 > の流れは、三本の支流に分けられる。すべてを意識で塗り潰す流れ、意識に不可欠な役割を与えつつも限界を設定する流れ、意識を植え付けることで無意識の支配を企てる流れ、 の三本である。それぞれを < 意識一色流 >、< 意識棲み分け流 >、< 意識植え付け流 > と呼び分けることにする。< 意識棲み分け流 > はさらに、その意識の外側への構えから、< 排他実証派 > と < 認識批判派 > に分けられる。

< 意識一色流 > − 「心理主義」という中軸

心理学者ヴントの哲学まずは、< 意識一色流 > である。この名付け

が、 意識の < ひといろ > に染めることなのは、すぐに知れよう。加えて、< いっしき > を「意識流」にも掛けてある。ここに括った人びとの描く世界では、「意識の流れ」が、宇宙の仕組みの根底に横たわる。必ずしも皆がこの言葉を用うのではないが、そうした発想の共有がこの支流の特徴をなしているのである。

代表者として適任なのは、臨床心理学/心理療法と並らぶ、そしてしばしば対立するもう一つの心理学の流れ、すなわち実験心理学の創始者とされるヴィルヘルム・ヴント (Wundt, Wilhelm 1832-1920) に違いない。彼から続く内観主義心理学は、行動主義による挫折まで、アカデミックな実験心理学の王道であった。ヴントの心理学を支えた基本思想は、これまできちんと紹介されることが少なかった。しかし、科学的実験によって意識を探求できる、 さらには科学的実験を意識で基礎づけられるという彼

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の哲学こそ、 < 意識革命 > をもっとも純化した形で示すものである。

ヴントの考えでは、 認識は、経験によると思考によるとを問わず、すべてが意識に含まれる

「表象 (Vortsellung)」から成るという。「表象」とは、 先に述べたとおり、 説明の難しいものである。意識の流れのうちに様ざまな姿が浮かんでは消え、互いに係わりあう様を指すらしい。< 思い浮かべ > としたほうが、 分かりやすいかもしれない。

表象は、ともあれ感覚から生ずる。だからヴントは、精密な実験で感覚要素を取り出そうとしたのであった。そして経験とは、 感覚から作られる表象の内容に他ならないという。そうだとすれば、 全宇宙についての我われの知識とは、 意識の内部についての記述に過ぎないことになる。つまり、意識から独立した対象・客観が「意識の外界」に存在するとの説は、根拠のない思い込みに過ぎない。 - 先ほどの、 物理学者ティンダルの説とまったく同じなのである。トーマースを思い返せば、「表象」の役割が比べものにならないくらい大きいのに驚く。

一方、論理的な思考はどうして産まれるのか。それは複数の表象の結合による、変化の形式のことだ。思考とは、 意識流に漂う各項の相互関係なのであり、それが正しいかどうかも、やはり意識の内側の事情で決まる。「外界の客観的な事情」に、合うかどうかではない。誰も見たことも触れたこともないものへの照合は、 実行不可能なのだ。これらをヴントは、 次のように言い表わした。

論理的思考はいまや認識機能と別物でなく、むしろこの機能の直接的な働きそのものなのだから、心理学からは、もとをただせば客観に他ならないそうした意識の内容が、つまりは表象こそが、論理的思考のもともとの内容でなければならず、したがって論理的思考の流れとは、心理学からすれば、表象の動きの一部なのだということが直ちに明らかとなる。10)

「直ちに明らか」のはずが、 かなり込み入っ

た文体なので、要点を分かりやすく言い直してみよう。 − 認識とは、客観を知ることを言う。ところが客観とは、意識の内容のことだ。したがって、客観を支配する論理の法則も、意識の法則に他ならない。表象の動きを研究する心理学こそが、 これらを解明するのだ。意識の明証説に沿いつつ、経験から論理までを呑み込むこの構想は、批判者たちから「心理主義」と形容されることになる。なるほど、 そう言われて仕方のないところであろう。

ただし、 ヴントが独我論の誘惑に屈したと考えては、 行き過ぎである。「内観」を重視したとはいえ、 彼はけっして「個人の内側」を探究したのではない。経験主義の徹底を図っていたヴントは、個人ないし自我という考えそのものも、表象から構成されると考えていた。つまり、 意識が個人を構成する。意識が、 自から構成したたものに専属するはずはない。したがって、 このときの意識に、 所有者はいないことになる。すべての源なる、 誰のでもない、ただひ

4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

たすらの4 4 4 4

「意識」なのである。知識は意識から生成し、これ以外に根拠はな

い。「外界の客観」は、 学問の礎となりえない。不毛な形而上学に陥るのは、 そうした不可能事を追求するからだ。意識の流れの内側だけで、内容的にも形式的にも、宇宙の材料は出尽くしとなる。したがって、この有り様を研究する心理学こそが、すべての学問の基礎となるのだ。 - このような大風呂敷を広げられ、 かつこれが大方の支持を受けたことは、 < 意識革命 >の勢いを印象づけるに足る事実であろう。

哲学者ブレンターノの心理学< 意識一色流 > のもう一人の立て役者は、ヴ

ントとほぼ同時に、 心理学を哲学の方法として提唱したフランツ・ブレンターノ (Brentano, Franz 1838-1917) である。彼は名講義で鳴らし、人気役者並みの評判をとるウィーン大学教授であった。フロイトも彼の講義を聴いて、理

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論構成に影響を受けている。ブレンターノは「先入観を倒せ」の標語のも

と 11)、どうしても疑いようのない事実の記述から学問を始めると言い立てた。ここで「明証(Evidenz)」として見出されたのがやはり「表象」だったが、ヴントとは異なり、それに心の「行ない (Akt)」が加えられる。表象の有り様を記述するのが「記述心理学」で、表象を作り出す「行ない」の分析が「作用心理学」となる。表象と行ないが意識の事実で、これ以上に明白で確実に知られるものは何もないとされる。

もっとも、 これらがなぜ、 どのように明らかなのかとの説明は、 ブレンターノの著作にまったく見当たらない。彼は、 先入観を捨てれば分かるのだと声高に叫び、 心の働きは対象と融合して区別できないとする論者、 例えばスコットランド常識学派のハミルトン (Hamilton, W. 1788-1856) などを非難する 12)。なるほどこれは、 ある意味で筋の通ったことである。なぜなら、 説明の前提となりつつ、 あらゆる説明を拒むものこそ「明証」の名に値するのだから。デカルトの「我思う」も、 まさにそうであった。

これらの「明証」を与えるのが「内知覚 (innere Wahrnehmung)」と呼ばれる、 特殊な見取り方である。ところがブレンターノによれば、 これは少しも特殊な状態ではない。誰にでも備わっており、 それどころか、本来なら、 これだけが「知覚」の名に値するとまで言うのである13)。

じっさいのところは、 自からの「表象」や心の「行ない」などを、 疑いなく明らかに見出せる人の数が、 さほど多いとも思われない。私自から振り返ってみても、 ハミルトンと同じように、知覚の相手と心の働きとは区別ができない。しかし、 繰り返しそう言われれば、 表象や働きが見取れるような気もしてくる - この種の議論は、 言った者勝ちである。上座部仏教などで用いられるヴィパッサナ瞑想のようなことをすれば、 現われてくるのであろうが。ここにも

意識の「明らかな謎」振りが顔を出している。ブ レ ン タ ー ノ が さ ら に ヴ ン ト と 違 う の

は、 こ れ ら の 意 識 が 外 部 へ と、「 志 向 性(Intentionalität)」により関係するところである。意識が自からの外のものごとを「対象」として抱きつつ、人間に内在すると言ってもよい。

あらゆる心の現象は、 中世のスコラ哲学者たちが対象の志向的 ( ないし心的 ) 内在と名付けたものを特徴とする。ここでは、 やや紛らわしい言い方だが、内容への関係とか、 対象 ( 現実性と解すべきでない )への向かい方、 あるいは内在的対象性とでも呼んでおきたい。・・・ 表象の内では何かが表象され、 判断の内では何かが認められるか捨てられ、 愛の内では愛され、 憎しみの内では憎まれ、 欲の内では欲されるなど。14)

ヴントは、 意識の内側だけですべてを語ろうとした。しかし、 我われの暮らしは、 いつも外側のものごとと付き合い、 望んだり恐れたりしているものである。志向性の発想の取り柄は、こうした我われの実感を捨てずに、 かつ意識の明証性に信頼を置き続けられるところにある。「内在 (Inexistenz)」と言うからには、「外界」

があって当たり前かもしれない。だが、意識と独立した4 4 4 4

「外界」について、ブレンターノは存否を一切語らない。これもまた、筋の通った構えである。なぜなら彼の立場なら、そうしたものは、 語ることはおろか、考えることさえできないのだから。もし考えれば、その瞬間に志向的な意識が、すなわち「外界」との関係を備えつつも内在的な

4 4 4 4

意識が、ありありと立ち現われてしまう − はずだ。するともはや、「外界の独立」は形容矛盾でしかない。考えられないものを語るのは、 もっと馬鹿げている。「外界」とは、「内部から志向されたもの」のことなのだ。

このようにしてブレンターノは、「外界」を必須の要因と認めつつ、それでも意識の内部で完結する心理学かつ哲学を構想したのである。世界は、 意識そのものではない。だが、 世界とは意識の対象のことだから、 意識さえ調べれば

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すべてが分かるのだ。ある種の綱渡り的妙技と言えるかもしれない。

ブレンターノの思想も意識の内部で完結するから、<意識一色流>に含めてよい。ヴントとは、志向性と心の「行ない」の他に、感覚の要素主義を採らない点でも違いがある。それでもやはり、「心理主義」の仲間として、批判に曝されたのであった。

ブレンターノの末流と「無意識発見」伝説「心理主義」批判にも拘わらず、志向性の考

えは広く受け容れられた。いや、 批判はむしろ、 十九世紀の後半から半世紀以上、様ざまな哲学説に及ぼし続けたその影響力の強さを示していたのである。例えばフッセルル (Husserl, Edmund 1859-1938) は、意識の明証を基いに存在論を語る「現象学」の運動を起こした。彼も、 教えを受けたブレンターノを批判的に語るのだが、 世界のすべてを意識から組み立てるその企ては、 まったくの師匠譲りである。「事柄そのものへ」との標語も、 師のそれ焼き直しなのは見やすいところであろう。

フッセルルは、 意識を通してものごとの「本質」に迫ると言い立てる。だから現象学は、「認識論」でなく、「存在論」なのだ。その方法はまず、我われのふつうに知るものごと、世の中すべてを「括弧に入れ」、判断を停止する。そうすると、世のものごとの内容がすべて、意識の事実として現われてくるという。ブレンターノの「内知覚」とほぼ同じだが、フッセルルでは普段はこれが忘れられており、「現象学的還元」という特別な心構えでのみ意識される。すると、 明証性を伴う意識が基盤として「存在」を担い、 外部の対象 ( ないし「ノエマ」) を組み立ててゆく有り様が現われるとされる。この成り行きの解明こそが、 ものごとの「存在」全体の秘密を解き明かすはずなのだ。

とは言え、 フッセルルの論敵であったマイノング (Meinong, Alexius 1853-1920) やリップ

ス (Lipps, Theodor 1851-1914) も、意識の明証への信頼と、独立した「外界」を認めない点では同類となっている。

自然科学は実在4 4

の感覚的な現象の合法則性を認識しているのである。つまり、 実在の合法則性を認識するとはいえ、感覚的な現象という言葉

4 4

があってはじめて実在が捉えられる。このため自然科学には、 実在自からとは、 実在そのものとは何かとの問いに、関わるところがない。これに反し心理学は、 唯一の直接に体験されうるもの、したがって真の本質を把握し得る実在を対象としている。この実在とは、 意識のことである。15)

これはリップスの記述である。ここで「心理学」を「現象学」に置き換えてしまえば、 フッセルルのものでないと断言できる人が、 どれほどいるのだろうか。対立し論争していても、 考え方に必ずしも大差はないという「法則」が、ここからも見て取れよう。

志向性の考えはまた、ハイデゲル (Heidegger, Martin 1889-1976)、 ヤ ス ペ ル ス (Jaspers, Karl 1883-1969)、 サ ル ト ル (Sartre, Jean-Paul 1905-1980) らに刺激を与え、「実存主義」に組み込まれた。これらの思想が二十世紀半ば過ぎまで、西欧哲学の主立った一角を担ったのは、記憶に新しいところである。「意識流」と言えば、ジェイムズ (James,

William 1842-1910) とベルクソン (Bergson, Henri 1859-1941) を外すわけには行かない。系譜からすれば、 ここまでに挙げた人びととは少しずれる。だが、彼らもやはり、宇宙全体を意識の経験や像として扱う特徴は共有している。意識と無意識が必ずしも峻別されないので、< 意識革命 > の時代にあっては異色の面もあるのだが、彼らに影響を受けたプルースト (Proust, Marcel 1871-1922) とジョイス(Joyce, James, 1882-1941) が、「意識の流れ」から描かれる世界を小説に具体化したことは、よく知られている。西田幾多郎(1870-1945)も、ここに加えてよかろう。次の < 排他実証派 > の

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ところで述べるマッハも、本人に関する限り、間違いなくここに入っている。< 意識一色流 >の仲間は、こんなにたくさんいるのである。

さて、< 革命 > の響きは、 意外なところからも聞こえてくる。「フロイトが無意識を発見した」との伝説がある。歴史始まって以来、 心といえば意識のことだったと、 この物語は語り出す。 フロイトがその底をえぐり出し、 心についてのまったく新しい眺めをもたらしたことになっている。彼こそが、別の「革命」の担い手だったとの俗説である。今もまだ時折り語られるこの誤った見解は、フロイトの「公式の」伝記作者ジョウンズ (Jones, Ernest 1879-1958) の広めたものであった 16)。

エレンベルゲルは、 無意識の心理学の歴史をあぶり出し、 フロイトの新しさがごくわずかなことを示した。 精神分析など力動精神医学の用いた概念の大部分は、もう、ロマン主義の精神科医たちが先取りしていた 17)。だがそのエレンベルゲルも、 十八世紀以前の無意識には、 ほとんど考察を及ぼせなかった。こうした誤りには、 しかし、 それなりの理由がある。近代の臨床心理学が歴史上はじめて無意識を扱ったかに見えたのは、当時あまりに意気盛んであった <意識一色流 > への対比からなのである。正しくは、むしろ意識ですべてを塗り潰す思想こそが新しく、この時代に急激に起こったのであった。ところが、この事実を忘れさせるくらいの勢いが、 その頃の < 意識一色流 > にはあった、 ということである。

< 意識一色流 > に対比されてこそ、精神分析は際立った。 とは言えそれは、意識に始まり意識を目指す方法なのであった。「無意識」の一点では異なるものの、 精神分析とは、< 意識一色流 > に対立するどころか、紙一重の立ち位置を占める仲間に他ならない。フロイトやその流れの独創性は、この意味から、 さらに薄まらざるを得ないのである。

ただし、 フロイトらの無意識にも、 新しさは

認められる。彼らの新しい無意識は、< 意識一色流 > の作り出した新しい意識との対比を考えながら形成されてきた。 これゆえに、それまで論じられてきたものとは違った性格を帯びざるを得なかったのである。その限りではたしかに、のちに述べるような新しい芽ばえも認められる。無意識を現代に通ずる形に整備したのが、< 意識一色流 > に刺激された近代臨床心理学なのであった。こうした因縁からも、< 意識一色流 > には、< 意識革命 > の中軸の位置づけが似あうであろう。

< 意識棲み分け流 > の強面分派 − < 排他実証派 > の急進と限界

論理実証主義の棲み分け次は、もう少し込み入った流派を語ろう。こ

こでは意識に、はっきり限界が設けられる。 ただし、その持ち場の内では、際限なく腕を振るわせる。全面制覇は目指さず、縄張りを仕切ることで、かえって意識の特権を確かなものにする構えである。これを < 意識棲み分け流 > と名付ける。

もし < 意識革命 > が、< 意識一色流 > の奮闘だけで終わったなら、心と意識に関心を集中する特異な流れが一つできただけ、と見かけらるかもしれない。しかし、この変革が「コップのなかの革命」でなかったことは、ブレンターノの教鞭を取ったウィーンから、半世紀ほど遅れて、もう一つの著名な支流の流れ出たことから知れる。論理実証主義である。この思想は、のちに述べる急進的な排他主義から、< 意識棲み分け流 > のうちでも < 排他実証派 > として分類する。

論理実証主義はマッハ (Mach, Ernst 1838-1916) や、初期のウィトゲンシュタイン、ラッセ ル (Russel, Bertrand A. W. 1872-1970) らの影響下にあり、シュリック (Schlick, Moritz 1882-1936)、 ノ イ ラ ー ト (Neurath, Otto 1882-1945)、 カ ル ナ ッ プ (Carnap, Rudolf

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1891-1970)、 エ ヤ ー (Ayer, Alfred J. 1910-1989) らを有力な担い手とする、これも思想運動と呼んでよい流れである。ライヒェンバッハ(Reichenbach, Hans 1891-1953)、 ヘ ン ペ ル(Hempel, Carl G. 1905-97) も思想的にはこの仲間である。

この運動は、初期には「マッハ協会」を名乗っていた。この著名な物理学者の思想の影響力の強さが伺われる。彼はブレンターノと同い年で、つまりヴントとも同世代となる。思想的にも <意識一色流 > に属することは、次のような表現から知られるとおりである。

赤、緑、温、寒、等々、これらはすべて何と呼んでもいいが ・・・ さらにわれわれの関心を惹き得るものは、これらの要素間の関数的相互依存関係 ( 数学的な意味における ) である。要素間のこの関係を物と呼びたければ呼んでいい。18)

ここでも、人間の感覚を越えた実在は否定されている。では、宇宙は何で出来ているのか − もちろん、物体で構成されている。 ところが、その「物」とはすなわち、感覚のある種の数学的秩序のことなのだ。宇宙のものごとすべては、意識の内にある。数学を前面に出したことを除けば、先に引いたヴントの言い立てと、ほとんど重なっていることが分かるであろう。この気持ちのよい一元論は、古い形而上学への強硬な拒否姿勢と相俟って、強い魅力を放っていた。

心理学者なら、意識を持ち上げても不思議はないかもしれない。だが、マッハは有力な物理学者であった。< 意識革命 > の勢いが、物質を研究する立場でも心を、とくに意識を採り上げざるを得ない雰囲気を醸していたことが分かる。マッハの思想の全体は、論理実証主義に納まるものではないが、この主義への橋渡しとして働いたことは確かである。

論理実証主義は、言葉のとおり二つの部分からなる。すなわち「論理+実証」で、記号論理学と実証主義との、棲み分け的な結合を目指し

ていた。まず、論理的な真理と経験的な真理を峻別する。 つまり、真理の「分析性」と「総合性」とが、原理において互いに独立と見做され、またどんな場合にも区別できると考えられた。

さてここで、実証面 ( 総合性 ) の基本となる明証を保持するのが、意識に与えられる感覚なのだ。あらゆる認識はここからのみ始まる、と言い立てられた。

現象界を超越する実在の知識があると主張する形而上学者を攻撃する方法の一つは、どんな前提から彼の命題が導き出されるかを問うことである。彼もまた他の人達と同様に、彼の感覚の明証から出発せねばならないのではなかろうか。もしそうなら、そこから超越的実在の概念に導く、どんな確かな推論法があるのだろう。経験的な前提からは何事でも、超経験的な何物かの性質についてなら、いやその存在についてすら、正しい推論はできないないのである。19)

意識の明証性への信頼の強さは、< 意識一色流 > と異なるところがない。我われは、感覚に基づく意識を超えては進めないのだ。確信の強さが、「形而上学者」への攻撃となって現われている。しかし感覚は、そのままでは知識として単純すぎる。 より高度な認識、知的な理解に至りたいなら、感覚に留まってはいられない。そのため、感覚を前提とした推論を用いる。別の縄張りを持つ二つが、それぞれの持ち場で絶対的な真理を与えつつ、結合されるのである。意識を材料とする推論だから、その結果も意識を超えるところには至れない。したがって、意識を越えた実在を論ずる「形而上学者」は誤っている。 とは言え、推論を行なう論理そのものはどこにあるのか - そこから意識の限界が決められるのである。

現 代 論 理 学 は こ の 頃、 フ レ ー ゲ (Frege, Gottlob 1848-1925) の仕事を嚆矢に急激な発展を見せた。ただし、論理とは筋道の形式だから、経験から来る知識の内容について、何も語らない。そこで意味論、つまり言葉・記号と対象との係わり方の考察が、重要な課題となって

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いたのである 20)。ヴントにとってなら、論理もまた意識経験の

構造から形成される。 すなわち、表象の振る舞いから帰納される法則に他ならない。 ヒュームの懐疑論にも繋がるところである。だが、フレーゲも論理実証主義者も、確実な知識を求めていた。 論理は、数学と同様、必然性を備えねばならない。だから、論理を経験からの帰納に委ねるわけには行かない。論理実証主義はフレーゲに従い、論理については「心理主義」を激しく拒否した。計算問題「5+7 =」の正しい値が、答案の平均値ではあり得ない。 だから論理も数学も、心理によっては左右されず、さりとて物理でもない、独自の領域で成り立つと考えられたのである。

意識による認識はこうして、確実性を期待される一方、一定の縛りが設けられた。論理学と実証主義の棲み分けによる「限定的絶対権」の保証こそ、論理実証主義を支える仕掛けである。心理でも物理でもないとは、しかし、どのような性格であろうか。 これについては、またのちほど考えることとする。

「感覚与件」の排他主義と挫折論理実証主義で意識の働きは、< 意識一色流

> に比べれば制限を受けている。 しかし裏を返せば、論理からの独立が、意識に権限を与えてもいる。我われの生きた経験のうちには、疑いなく確かなものが、たしかに有るのだ。いかに単純でも、絶対に確実な知識なら、至宝として扱うべきだ。それを公理として前提に置けば、確実で異論の挟めない学問ができるに違いない。ここには、十七世紀の科学革命で手本とされた、幾何学的秩序の残響が聞こえる。 デカルトの思想も共有するところである。

論理実証主義に対しては、新時代の哲学としての歓迎が多く寄せられた。 ロジャーズも賛同者の一人で、彼の理論にはこの主義からの強い影響が見られる 21)。 だが、反発・攻撃もまた

強かった。理由の一つに、彼らの基準での検証に耐えない言い立てを「無意味」とする、切捨御免の強面 [ こわもて ] 振りがあった。論理実証主義は、「統一科学」の理想を掲げていた。彼らの方法であらゆる科学を連結し、宇宙のすべてを同じ原理で説明しようと謀ったのである。意識の限界を認めるので、< 意識一色流 >に比べて謙虚にも見えよう。 だが、論理と合わせて得られる領分は、やはり全宇宙へと拡大し、その外側には「無意味」が広がるだけなのだ。論理実証主義は、強引さの点でも < 意識一色流 > と歩調が合っている。

西欧の思想界を覆っていた「形而上学的混乱」を、彼らは、実証と論理だけで放逐できると考えていた。論理実証主義とその亜流を、< 意識棲み分け流 > のうちでも < 排他実証派 > として分類するのは、これ故である。新参者のくせに、異分子を一切認めない傍若無人だから、伝統を重んずる哲学者たちの反感を買って当たり前であろう。たしかに、革命的で過激な挑戦となっている。

論理実証主義は、確実性4 4 4

という価値観に強く偏する思想であった。実証の側面では、意識のうちでも「感覚」に出番が与えられ、確実かつ単純な要素的事実とされた。経験の内容についてなら、意識の根源性は揺るがない。 < 意識革命 > の性格がはっきりと出ているし、要素主義という点からも、論理実証主義とヴントとの距離は、意外に近いのである。そして、両者の共有する「革命的」変化が、もう一つある。

感覚が、「データ」として扱われたことである。活力・影響力は、古代以来、感覚の重要な特性であった。 先に引いたトーマースが、「感覚的欲求」を理性の「正義の絆」で抑え込もうとしたのは、感覚のこの力を怖れたからである。それは人に、罪の根源を伝達さえするのであった。 ところが、新しい時代の感覚は、「感覚与件 (sense data)」と呼ばれるほどに、自から作用する「力」をすっかり奪われてしまった。言

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い換えれば、人間を脅かす怪しい力だったものが、人の持ちもの

4 4 4 4 4 4

となり、論理的判断力にとっての「可処分所得」へと化けたのである。< 意識革命 > に至ってはじめて可能となった、決定的な変化である。感覚はいまや、確実かつ不可欠ではあれ、飼いならされて、「処理」されるのをただ待つ「羊」のようなものに過ぎない。

まぎれもない < 革命 > の響きが、このあたりからも聞こえる。かつてメスメルは、学問においてなら意識を重要視した。だが動物磁気、すなわち無意識の物質の根源的な力を信頼したのもまた、彼なのであった。 無力な「データ」と論理の形式のみからすべてが組み上がれば、古い意味での物質性の中核が、姿を消したことになる。論理実証主義は、なるほど意識を、とくに感覚を尊重する素振りは示した。 だが廂を貸せば、母屋を取られる場合もある。「データ」となった「感覚」は、もはや名前だけのそれであり、かつての「唯物論」の、キリスト教の立場からは非難に値する生々しい欲望や誘惑の力を、すべて喪失している。 トーマースたちの精神主義の理想が、図らずも、名目上の「唯物論」によって達成されてしまったのである。

論理実証主義の攻撃した「形而上学」とは、たしかに、スコラ哲学の流れを汲む思想のことであった。 しかし仲の悪さは、必ずしも立場の遠さを意味しない。この新しい革命思想は、トーマースたち正統の形而上学の目指したことを、ほんの少し違ったやり方で実現できると踏んでいたのである。同胞がいなくなれば、相続分は増えるというものであろう。

この急進思想は、しかし、あっけない挫折で終わった。 はじめこそ華々しかったこの運動の舞台で意識に振られた役、つまり「感覚与件」は、まぎれもなくヒロインであった。 だがいまや、近代哲学で随一とも言うべき悪名とともに語られるのを常とする。後期のウィトゲンシュタインやクワイン (Quine, Willard van O. 1908-2000) らの示したとおり、感覚要素を論

理の前提に組み込むための表記法は用意できなかった。ヴェルトハイメル (Wertheimer, Max 1880-1943) らのゲシュタルト心理学者は、仮にそうしたものを取り出せたとしても、経験全体は組み立てるには、この要素以外のものが必要なことを見出した。ゲーデル (Gödel, Kurt 1906-1978) の 1931 年に発表した不完全性定理が、経験に言及する場合の論理の証明力の限界を示した影響も大きかった 22)。こうした経緯から、論理実証主義には近ごろ、破綻した哲学の代表の感さえある。

けれども、この強引な説を多くのすぐれた学者が、また心理療法家さえが、まじめに考えたという事実は、何かを示すのではなかろうか。それが < 意識革命 > の勢いであり、< 意識という想念 > の力強さなのである。論理実証主義と実存哲学とは、同時代に勢いを得ながら対照的な色合いを帯び、敵対するとさえ捉えられてきた。その両者がやはり、意識への信頼の点では、意見を共有する。ラッセルも初期にはブレンターノから影響を受けていたくらいである 23)。

この思想の系譜に物理学の絡む点は、< 排他実証派 > が強面振りを採れた理由の一つに挙げ得るであろう。相対性理論への道を拓いたとされるマッハはもちろん、シュリックとカルナップも物理学の研究から哲学に転じた。ウィトゲンシュタインは機械工学の研究を進めるなかから、数学基礎論と論理学への関心をはぐくんだのであった。この時代には、物理学の成果を掲げれば人びとがひれ伏すことさえ、不思議とは思われなかった。この名残りは、今にまで及んでいる。

ニュートンの主著の題名『自然哲学の数学的原理』に掲げられたとおり、物理学はかつて哲学の一部であった。変化が起こったのは、ようやく十九世紀になってからである。高等教育機関での専門家養成体制の確立などに伴い、物理学は、ラヴォワジエらの開いた「新化学」の道と刺激しあいつつ、「自然科学」を独立領域と

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して形成しはじめた。この新しい学問分野は、古い「迷信」や「空論」との訣別を宣言し、新しく確実な学問として地歩を固めようと謀っていた。世の中もまた、それを認めるのに傾いたのである。この新たで強固な砦から、故郷の哲学へと凱旋の動きが起こっても、さほど意外とは言えまい。この余波を受けて誕生した新時代の学問が心理学だったとは、いまさら繰り返すまでもなく、なおさら意外ではない。 なにしろ、錬金術師ニュートンの示すとおり、物理学はもともと、心と魂に強い関心を抱く学問だったのである。

註1  イ ギ リ ス の 科 学 史 家 バ タ ー フ ィ ー ル ド

(Butterfield, Herbert) が提唱した。この「革命」が、 今の世に直結する自然科学の先駆的業績を大量に産み出した。さらに、 これらのうちに、自然と人間をめぐる近代的な思考法の誕生を見る。たいへん有名だが、様ざまな論争も巻き起こしてきた概念でもある。クーンはこの変化にまったく新たな解釈を導入したし、シェイピン (Shapin, Steven 1996) のように、「革命」と言えるような変化は無かったとの説もある。科学革命の評価はしかし、この書の課題ではない。

2  ト ー マ ー ス・ ア ク ィ ー ナ ー ス / Thomas, Aquinas 1265-73 第二 - 二部 第百七十五問 第四項 訳書 23 p.113

3 同 第二 - 一部 第八十二問 第四項 / 訳書 12 p.262

4 フロイト / Freud, 1940a 訳書p .3265 フロイト 1916-7 訳書 pp.352-36 フロイト 19377 リード / Reed, Edward E. 1997 訳書 p.2248 ティンダル / Tyndall 1874 9 ゲイ / Gay, Peter 198710 ヴント / Wundt 1919 1.Bd. p.1611 "Nieder mit den Vorurteilen" この標語は、 彼

の著作のあちこちに散見するが、 遺作となった"Versuch über die Erkenntnis"(1925) では、 目次の冒頭に掲げられている。

12 ブレンターノ / Brentano 1874 p.126-713 同 p.12814 同 p.124-515 リップス / Lipps, 1909 p.1 強調は原著者16 ジョウンズ / Jones 195417 エレンベルゲル / Ellenberger 1970 例えば訳書

上巻 p.366 下巻 p.27 83 564 など18 マッハ / Mach 1926 訳書 pp.387-819 エヤー / Ayer 1936 訳書 p. 620 フレーゲ / Frege 196221 ロジャーズ / Rogers 1959 訳書 p.269 ここに

は、論理実証主義から影響を受けたことがはっきり述べられている。 意識の事実をそのまま受け止めるのを第一とする彼の理論は、内容的にもこの主義との繋がりを感じさせる。

22 ゲーデル / Gödel 2006 不完全性定理は、述語論理では自然数を含む命題のすべての証明はできないことを示した。正しくても証明のできない命題がある。したがって、たとえ確実な要素的事実が得られたにせよ、そこから経験的事実のすべてを導くことは、論理学ではできないことになる。

23 ブレンターノの表象説は具体的な対象全体の思い浮かべなので、感覚与件とは異なるが、まさに心理的関係である。ラッセルはブレンターノの志向性を、言葉の意味の解明に利用した。志向性を

「ついて性 (aboutness)」と翻訳し、意味の内実をなす言葉と対象との関係を、これで置き換えようとしたのである。固有名詞は人物など個物を指し示すが、一般名詞、形容詞などは枠組みを指し示す。個物と枠組みとは異なる存在領域にあって、前者への指示が心理的な指示関係となる。そして、これとは別の関係で示される後者の領域こそが、論理と命題の意味を構成するのだという。心理と論理を区別するために凝らされた工夫だが、いずれの存在領域も志向性の明証に依拠して設定されている。( 飯田 1987 pp.156-165)

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Wundt, Wilhelm/ ヴ ン ト "Logik : eine Untersuchung der Prinzipien der Erkenntnis und der Methoden wissenschaftlicher Forschung" 1.Bd. "Allgemeine Logik und Erkenntnistheorie" 2.Bd. "Logik der exakten Wissenschaften" 3.Bd. "Logik der Geisteswissenschaften" 1919 Stuttgart : F. Enke,4. neubearbeitete Aufl. 3巻構成(初版は 1880-1883 Stuttgart : F. Enke 2巻構成 1.Bd. "Erkenntnisslehre" 2.Bd. "Logik der Geisteswissenschaften" )

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村上 陽一郎 「近代科学と聖俗革命」1976 新曜社渡辺 正雄 「科学者とキリスト教 ガリレイから現代まで」 1987 講談社

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意識革命について:前史・枠取り・中軸

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On the Consciousness Revolution (1)- the prehistory, the schema, and the axis -

ZITUKAWA Mikirou (Himeji-Dokkyo University)

AbstractThe Consciousness Revolution denotes a great change in the schema of the Western psyche in the middle of 19th century. It brings large influences and limitations to our modern social and cultural life. Before this change, it was quite natural to our psyche to operate in unconscious state. But, after this revolution, all the people are expected to have a normal, clear consciousness, and the whole of the social life has begun to be restructured along this standard. It is the clinical psychology with its theories and practices that represents this large conversion. This article discusses two sects thereof. "The Consciousness Univocalist" does the axis, and insists that all of the universe are not different from our consciousness. "The Exclusive Positivist" is a sect that stands out because of its revolutionary movement of an extreme exclusionism. It limited the source of our experiential knowledge to the "sense data". Both insist that the fact that exists in our consciousness cannot be exceeded and that the consciousness is fundamental to every research including the natural science.

Key words : Consciousness Revolution, normal, Consciousness Univocalist, Exclusive Positivist, logical positivism

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【論文】

意識革命について:その2

實川 幹朗 1)

1)姫路獨協大学

< 意識棲み分け流 > の弁え分派 − < 認識批判派 > の < 白 > 無意識

カント哲学の復興と < 認識批判派 > の成立過激な排他主義を掲げた論理実証主義の属す

る < 意識棲み分け流 > には、しかしもう一つ、少し控えめな分派がある。 < 認識批判派 > がそれである。「認識批判」とは、限りある人間の知恵には必ず認識できない領域が残る、との論証である。世界を意識で一色に塗り潰すことへの批判も、ここには含まれている。十八世紀の後半にカント (Kant, Immanuel 1724-1804)は、画期的な「批判哲学」三部作によって、こ

の趣きを丹念に磨いた。< 認識批判派 > はこの哲学を直接、間接に参照しつつ、意識の棲み処を確定しようと試みたのであった。したがってこの派は発生が、先の < 排他実証派 > より、時期的には早い。 それでいて、目立たないとはいえ、近ごろでも命脈を保っている。

意識を「批判」するとは言え、全面否定ではない。カントも意識は、経験的な認識の出発点として、大いに重視していたのである。彼の立場からすれば、物質からなる宇宙についての知識は、感性への与件に始まる我われの心の「現象」以外には求め得ない。経験についての知識は必ず意識に基づく。 けれども、我われが知り

弁え・植え付けと臨床心理学

要約<意識革命 >のうち、<意識棲み分け流 >の分派で少し控えめな <認識批判派 >と、無意識への侵略と征服を目指す <意識植え付け流 >とを採り上げる。 こんにちの臨床心理学は、直接には後者から流れ出している。二つの流派とも、無意識を論ずるが、「無意識」の性格と扱い方から、世界観はかなり異なっている。 <認識批判派 >では、<白 >無意識と名付けた理知的な無意識が、フロイトらに先立って「発見」されていた。 これは古代以来の理性・知性尊重の仕来たりに沿い、キリスト教の正統に適うものである。臨床心理学の取り扱う無意識には、その対照的な性格から <黒 >無意識の名を与えた。 <意識植え付け流 >は、この「非理知的」な無意識を尊重せず、理知性の仲間をなす新しい「意識」で置き換えようとする。植民地主義にも通ずるこの構えは、近代の自然科学もまた共有している。

索引用語:意識革命 意識棲み分け流 認識批判派 意識植え付け流 <白 >無意識      <黒 >無意識 科学主義

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うるのはこの「現象」に過ぎず、本体とは異なる仮姿のみとなる。 したがって、ものごとの本体をなす「ものそのもの (Ding an sich)」は不可知なのだ。 もしその認識を、意識に基づいて語れば必らず誤る − これが認識批判であった。

批判されたとはいえ、そして「ものそのもの」とは無関係ながら、< 認識批判派 > では、論理と自然科学的な因果法則が、心の「現象」の範囲でなら絶対に確実とされた。ここにもやはり、確実性への偏執と、それを可能にするであろう意識への信頼が、はっきりと見て取れる。意識を批判しつつも、やはり < 意識革命 > の一派なのである。

西欧の哲学界はこの頃、十九世紀の前半に圧倒的な影響力を振るったヘーゲル (Hegel, G. W. Friedrich 1770-1831) に飽き、カントへの回帰をあちこちで試みていた。ファイヒンゲル (Vaihinger, Hans 1852-1933)、リッケルト(Rickert, Heinrich 1863-1936)、カッシーレル(Cassierer, Ernst 1874-1945) らによる「新カント派」の運動はまとまって目に付くが、それに留まらず、この大哲学者の影は狭い意味での哲学を超え、ほとんどの学問分野を広く横切っていた。ヘーゲル主義はと言えば、マルクスに受け継がれ、政治・社会運動となってゆく。この「東側」の世界において意識の役割は小さく、「西側」の < 意識革命 > が大いに批判を受ける。だが、 これについて詳しく触れるゆとりはない。

自然科学の領域としての確立と拡大などから、哲学はかつての諸学の王の地位を追われ、特殊な専門分野となりつつあった。縄張りは縮小し、流行とも言うべき「空疎な形而上学」との批判をさえ、甘受していた。 ここで振り返れば、カントはかつて「諸学問の基礎付け」役を目論んでいたのであった。 ヘーゲルに比べ自然科学への親和性の高いカントに帰れば、哲学はその地位を保てるかに思われた。 そしてこの企

ては、ある程度の成功を収めたのである。この時代には、カント哲学の最大の功績が、ニュートン力学の哲学的基礎付けとさえ考えられたくらいなのだから。「批判哲学」で、論理と自然科学的な因果法

則が絶対に確かとされるのは、独特な内閉的理論からである。外界にあるらしく見かけられる物体の秩序は、まことは感覚からの心の「現象」の秩序なのだ。ところがこの秩序を与えるのは、理知性の一部をなす「悟性 (Verstand)」に他ならない1)。さて、合理性、合法則性を判断するのは悟性だ。 その悟性が自から法則を作っているのだから、製作と認識の自作自演が、悟性により行なわれていることになる。したがって、身の程を弁え、「ものそのもの」を知ろうとなどしないかぎり、法則には誤りの出ようがない。こうした論法でカントは、自然科学の確実性の基礎づけをはかっていたのである。

物質からなる自然に対する理知性の優位と支配こそが基礎付けの軸だと、言ってよかろう。語られたのは人間の理知性なので、自然認識に関する人間中心主義でもある。 論理実証主義の

「感覚与件」は、感覚からかつての怪しさを剥ぎ取り、飼いならされた「羊」としたものであった。 すでにカントにおいて、その準備は九分通り出来上がっていたのである。

キリスト教プロテスタント倫理の現世主義、合理主義に馴染むこの思想は、産業革命の進展とともに力を増していた機械論とも、よく符合した。「時計のように」が座右の銘だったカントは、プロテスタント倫理を普遍的な「人間性」と見做したのであった。 普遍的なら、あたかも教会の時計塔が人びとの生活を仕切ったように、全世界に、すべての分野に適用すべきであろう。心理学にもこの力は及び、ヴントにもフロイトにも、カントへの言及が見られる。 ユングの理論もまた、カントから強く影響を受けつつ形成されたのであった。

論理実証主義にかかれば、古い哲学の権威な

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ど、張り子の虎のはずだった。けれども、論理実証主義の絶対視した「分析性」と「総合性」の区別は、カントに由来するのである。< 排他実証派 > の発想にもやはり、かの哲学者の影が差していた。< 意識棲み分け流 > の形成全体に、カントの学説が少なからず手本として働いていたことになる。そして < 認識批判派 > こそ、カント哲学の直系なのである。

哲学が、かつての栄光を失うまいと足掻きつつ掴んだものこそ、< 意識という想念 > であった。 正体はともかく、この「藁」は、差し当たり期待に応える手掛かりを与えたのである。 この時代に圧倒的であった物理学の自信の一端が、やはり意識の確実性の想定から滲み出ていた。物理学に、錬金術の延長の怪しげで涜神的な「魔術」ではないとの保証を与えたのが、他でもない - 論理法則とこれに基づく因果律が絶対に確実との、カントの証明であった。

魔女狩りの終焉から百数十年が過ぎたとは言え、物質などという怪しげなものにまじめに向き合えば、キリスト教の保守派はすぐさま「唯物論者」と非難する。 政治的な力も大きい彼らだから、かつて異端宣告を受け幽閉の憂き目に遭ったロジャー・ベイコン (Bacon, Roger 1214-94) と似たことにもなりかねなかった。さて、保守派にとっての大事は非物質的な精神である。ここで、物理法則が理知性そのものに他ならないとの証明は、物理学者には盤石の盾となった。 そうなると、物理学もカント哲学に恩返しをしたくなるであろう。 物理学に絡んで< 認識批判派 > の誕生したことが、この事情の勘案で理解しやすくなる。

< 意識革命 > を支援したばかりか、先頭に立った一人と言える物理学者マッハは、けっして特異ではなかった。彼より十数歳年上のヘルムホルツ (Helmholtz, Hermann L. F. von 1821-94) は、いまなお物理学の根底をなす法則の一つエネルギー保存則をまとめ、十九世紀を代表する学者の一人であった。ところが彼はこの業

績のあと、生理心理学の研究に進み、この分野の初期に重要な足跡を残したのである。十一歳年下のヴントは、彼の許で数年間、助手を務めた人物であった。

ヘルムホルツの心理学研究は、近ごろの常識からすれば、大胆な転進と見えよう。しかし彼にとって心理とは、物理と別の分野ではなかった。物理学の根底は感覚による経験だと、ヘルムホルツもまた考えていたのである。物理学とは、最終的には、まさに物質的な過程から生成する感覚の学に他ならない。 物理法則もまた、心理学と同じく表象の秩序に他ならず、原理的には二つの領域が、心理学のもとに統合されるとの立場であった2)。彼の物理学は、「ものそのもの」の学ではない。すでにエネルギー保存則 (「力の保存」) の論文でさえ、カントの強い影響下で書かれていたのである3)。

< 白 > 無意識の「発見」ここまでならヘルムホルツも、弟子であった

ヴントに驚くほど似ている。< 認識批判派 > の意識への信頼は、< 意識一色流 > にも増して絶大である。だが、次のところで、師弟には違いが出てくる。ヘルムホルツによれば、我われの日ごろの暮らしでも、感覚に始まる心理的経験のうちで、物理学の実験と同じことが行なわれているというのである。そうでなければ我われの経験は、ただの音や、色や、触感の洪水であろう。 周りの状況を正しく知覚し、適切に行動ができるのは、すでに非常に高度な表象形成と判断の行なわれている証拠なのだ。 しかしその過程を、我われは知っているだろうか − そんなことはない。 ヘルムホルツの説には、驚いた人が多かったのである。 すなわち、その過程は無意識で進んでいる - これが有名な「無意識の推論 (unbewußte Schlüsse)」説である4)。

高名な物理学者が、ちょうどフロイトの産まれたころに、もう「無意識」を口にしていた。

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けれどもこの「無意識」には、フロイトら臨床心理学のものと大幅に異なるところがある。ヘルムホルツの無意識は、無知どころか、科学的認識をさえ形成する。意識の及ばないところに、理知的な働きが語られているのである。物理学など勉強したことのない子供でも、ものごとを正しく知覚するのは、この働きが生得的だからだ。 我われは皆、無意識の物理学者なのだ。 そして、この思想の起源もカントに求められるのである。

カント哲学では、感性への与件や認識の内容は、たしかに意識される。けれども、推論と判断を形成する心の仕組みの方は、ほとんどが我われの意識の外にある。物理学などの法則は、自から作っているにせよ、凡人にとっては苦労して発見するしかない − やはり無意識の働きが隠れているのである。なるほど、カントその人は「無意識」という言葉を用いない。しかし、悟性が無意識に働くのでなければ、彼の哲学を知るのに、誰も額に皺して勉強する必要はなかろう。ヘルムホルツは「批判哲学」の枠組みに沿いつつ、心の現象の規範としての物理学と生理心理学を、やはり苦労しながら追求したのであった。

カントやヘルムホルツの扱った無意識を、ここでは < 白 > 無意識と呼ぶことにする。フロイトらの、無知と病まいの本になる無意識と区別するためである。そちらの方は < 黒 > 無意識と名付けよう。< 白 > 無意識は、たしかに意識を越えている。 だから、フロイトら臨床心理学者から「無意識の発見者」の名を奪うには充分であが、本性においては < 黒 > 無意識に対立し、理知性の系譜を引いている。つまり、< 白 > 無意識は、真理と善の源となる < 意識という想念> に、本性上は重なるものなのである。< 白 >と < 黒 > の使い分けは、言うまでもなく、物理学の祖先たる「魔術」に因んでいる。

< 排他実証派 > の掲げた論理の意識からの独立性も、< 白 > 無意識の言い立て見れば、掴め

てくる。論理と数とを、経験から独立の絶対に確実な何かと考えるのは、プラトーン主義の流れに他ならない。 イデアとは、理知性の捉える非物質的な観念だから、まさに心理的な対象なのであった。フレーゲやラッセルらによって「心理でない」とされたのは、一つには、「感覚与件」との区別を際立たせるためであった。 ラッセルは次のように書いている。

ある哲学者たちは、数学の対象が明らかに主観はでないから、物的な経験にもとづくべきだと論じた。別の哲学者たちは、数学の対象は明らかに物的でないから、主観的な心理なのだと論じた。いずれの側も、その否定に関して正しく、積極的な主張では誤っていた。対するフレーゲは、双方の否定を受け入れつつ、心理でも物理でもない論理学の世界を認めて、先の二つとは異なる第三の主張を発見した功績を担っている。5)

分析と総合との峻別は、論理実証主義の屋台骨であった。 それを考えれば、論理と感覚との距離を極大にしておかねばならない事情は分かる。 だが、内容に沿って見れば、数と論理の扱われる第三の領域とは、カントとヘルムホルツの研究した無意識の心理機制に他ならない。 これは要するに、名付けの問題なのである。

< 認識批判派 > は、改めて次のように定義できる − ある限界内での意識の確実性と、これに基づく優越的地位を信ずる < 意識棲み分け流 > の一派で、合理的な < 白 > 無意識に依存し、かつ意識の外側に認識のできない「ものそのもの」の領域を認める一派である、と。

< 白 > 無意識は、事実上、< 排他実証派 > にも認められる。 したがって < 意識棲み分け流 >は、< 白 > 無意識を共通の特徴とするのである。言い換えれば、経験を超えた理知性を何より確実とする信頼が、この流れを特徴づけている。なるほど、フレーゲに始まる近代論理学は、アリストテレースの体系を二千年ぶりに塗り替えた。 その成果が、今の世の電算機にも用いられている。 けれども、理知性を絶対に確実とする

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構えに関するかぎり、けっして斬新でも独創的でもない。 古代ギリシア以来の理知性への信頼と、これを受けたキリスト教神学によるその絶対化が、新たな装いで甦ったに過ぎないのである。

< 意識棲み分け流 > では、これと並んで、経験に係わる意識にも別の確実性が認められる。確実性の柱が二本で、この流れを仕切っていることになる。 とは言え、二本にすれば堅固になるとは限らないだろう。意識の備える確実性は、かつて怪しかった感覚を毒抜きし、「羊」に変えて「データ」としたものであった。 順序からすれば、< 白 > 無意識が意識に近いのではない。 古代からある理知の無意識に似せて、新しい意識が拵えられたのである。両者の本性は、限りなく近い。 それでも、二本立てに拵えたので、確実性への執着と追求が、よりはっきり認められる得はあった。そしてこの構えこそ、< 意識革命 > 全般の推進力なのである。

< 白 > 無意識の広がりヘルムホルツ、マッハと同じく意識を重視す

る物理学者のティンダルが、「ベルファスト講演」を行なったのは、ヘルムホルツの「力の保存」論文の発表された 1847 年から二十七年後、1874 年であった。< 意識革命 > への支持は、物理学の世界にしっかり浸透を続けていたのである。先に述べたとおりこの講演は、倫理的に危険な「唯物論」として激しい攻撃を受けた。 だが、保守派の激しい抵抗にあっても、革命はまだ意気軒高であった。 ティンダルはブレンターノにも影響を与えた J. S. ミル (Mill, John Stuart 1806-73) に従い、そしてヘルムホルツを引きつつ、こう述べた。

物理学の概念形成に欠かせないある特性 ・・・ それは筋の通った図解で心に示せる (picture before the mind) ことである。ドイツ人は図解すること (the act of picturing) を「表象する (vorstellen)」の語

で表わし、図 (picture) を「表象 (Vorstellung)」と呼ぶ。・・・ 心に描くこと (mental presentation) について、ポンプの中で水が上がるのを自然の真空嫌いのせいにしたアリストテレース派と、ピュイ・ド・ドーム山に登って大気圧の問題を解く提案をしたパスカルとを比べてみよう。前者では、説明の用語が物理的な像 (image) にはまらない。だが後者なら、像はくっきりとして、 気圧計の上がり下がりが、二つの拮抗する圧力の変化から描けるのである。6)

「表象 (Vorstellung)」が、ヴントとブレンターノにとっても、 意識の最重要成分だったことは、繰り返すまでもあるまい。この「唯物論者」は、「観念論者」のカントと同じく、 物理学を心に描かれる図式に基づく判断だと考えていた。けっして物体そのものの備える性質ではないのだ。それにも拘わらず、保守派の攻撃は激しかった - 人びとの記憶にこの演説を、今に至るまで留めさせる作用も結果したのだが。

もっともティンダルは、体の生理的な働き重視の発言も行なった。 原理的には、生理学もまた「表象」の学に他ならず、心理学に吸収されるはずなのだが、なるほどここには、保守派を刺激する要因がある。意識の直接研究ではなく、物質的、肉体的な言葉で語られるところの重視なので、< 意識一色流 > に比べれば「外界」の物質への信頼度は高いと言える。意識の外側への配慮が垣間見られるので、 ティンダルもひとまず < 認識批判派 > に分類できよう。

明らかな意識を中心とした心の「現象」への信頼を、「唯物論」として攻撃するのは、リードも言うとおり、筋違いである。< 白 > 無意識は理知性の延長で、感覚は毒抜きされている。しかし、何にせよ新しい動きには抵抗が出やすいし、< 認識批判派 > では感覚の「羊」化が、< 排他実証派 > ほどには徹底しなかったのも事実である。そして < 意識革命 > の支持者の全体が、少なくとも意識的には、理知的な精神主義を「古くさい形而上学」と見做してこれとの対決に傾き、その古い仕来たりと自からとの縁の深さには、気付いていなかったのである。

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< 意識革命 > への支持は、自然科学のみからではない。社会科学者もこのあたりに座を占めていた。社会学の草創期の二人、コント (Comte, Isidore A. M. F. 1798-1857) と ス ペ ン サ ー(Spencer, Herbert 1820-1903) は、やはり感覚を出発点に取る確かな知識の可能性を論じていた。実証主義を主唱したコントこそ、この変化をまさに「革命」と捉えた人物である。

人間の知性の成熟期を示す根本的革命とは、本来いかなる分野についても決定の不可能な、いわゆる「原因」を追求することをやめ、その代わりに「法則」、すなわち観察された諸現象間の恒常的関係のみを追求することにある。7)

「原因」とは、事柄そのものが成り立つための必要にして充分な条件で、辿ってゆけば、世界の創造者に行き着く。 しかし、そんなことを議論してみても、人間であるかぎり、成果は望めない。 だから、不可能なことは諦めて、人間として確かに知りうることにのみ、学問の方向を限ろうとの提案である。それが「法則」であり、言い換えれば「観察された諸現象間の恒常的関係」に他ならないという。「原因」の追求は斥けられたものの、その存

在までは否定されていない。 手を出すな、との戒めであり、カントの「批判哲学」と軌を一にした言い立てである。先に挙げた物理学者たちの誰よりも早く、コントは < 認識批判派 > の立場を確立していた。彼はここからさらに、「見えない星についての天文学は無い」8)との勇み足にまで進むから、切り捨ての味では、< 排他実証派 > に少し接近する。それも感覚への強い信頼の為せる業であった。

ただしコントは、個人を対象とする心理学が学問の基礎になるとは、考えていなかった。感覚に基づく現象の観察は社会的に行なわれ、人類の「共通理性 (la raison commune)」が法則を判断するというのである9)。社会的、集団的な広がりを備えてる感覚と理性とは、意識なのであろうか - その呼び方は、ふさわしく

ないかもしれない。強いて言うなら、ここでは理性に加え感覚も < 白 > 無意識に繰り込まれたのであろう。 だが、どう呼ぼうとも、最も明らかで最終的な拠り所となる心の有り様だとの点には違いがない。 これが < 意識革命 > の核心である。

心の、社会への広がりについては、半世紀あまり遅れたデュルケム (Durkheim, Émil 1858-1917) も、その頃に最高潮を迎えようとしていた個人主義に抗しつつ、次のように言い立てた。

歴史の各時代の文明を構成する知的および道徳的財の総体はその集合体の意識を座とするのであって、個人の意識を座とするのではない。10)

この最後の論点は、「意識」についての了解を揺るがせる。文明の総体こそが意識の座だというのだが、我われの一人一人は誰も、それを正確に知ることがない。 そうだとすれば、この

「意識」は、むしろ < 白 > 無意識に近いのではないか。「意識」と「無意識」の用語法そのものが、この綻びから再編に向かう可能性さえある。

それでも、< 意識革命 > の議論には、いささかの差し障りもない。意識がどこにあるにせよ、これに対する強固な信頼は十九世紀半ばから二十世紀初頭にかけて、各界の学者たちから口々に語られ、議論の前提に用いられていた − それで充分である。今どきの我われの「意識」の語感からは多少の隔たりがある、というに過ぎない。何か明らかなものが人間の手許に

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現われたという期待感を伴う学問的・社会的変化 − これが < 意識革命 > の実相なのである。そのことが、このあたりの事情から、微妙に読み取れる。

< 意識植え付け流 > − < 黒 > 無意識の征服

限られた意識の勢いと自信最後に挙げる < 意識植え付け流 > は、< 意識

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革命 > のうちで、無意識をいちばんはっきりと認める流れである。そのかぎりで、< 意識革命 > としては不徹底とも見かけられよう。 じっさい、ここに属する近代臨床心理学は「無意識を発見した」と称し、あたかも「意識の時代の終焉」を用意するかの如き教宣を張った。 けれども、意識の役割への自信と信頼が、この派ほど大きいところは他にない。 真理と善と、そして健康までもが、ここでは意識に独占されるからであり、発見された < 黒 > 無意識は、征服されるためにこそある。

理論の実践、実地に与えた影響の最も大きかった支流も、< 意識植え付け流 > である。勇ましい押し出しでは < 排他実証派 > に劣らず、しかもここでは、研究の成果やその応用が世の営みに具体化した余勢を駆って、イデオロギーとしての普及も強力であった。また、これまで挙げた流派と同じく、革命はここでも、自然科学との共同で推進された。 したがって、無知と病まいのもとになる無意識も、臨床心理学の専売ではない。

自然科学者として < 意識革命 > に加わったのは、物理学者のみではない。クロード・ベルナ ー ル (Bernard, Claude 1813-1878) は、 生物学、医学、生理学に計画的な実験を基軸とする方法を導入し、仮説演繹法の思想を確立した。影響力は各界に及び、死去に際してはフランス政府が、学者に対する初の国葬をもって遇したほどの大立者である。いまも読み継がれる著書

『実験医学序説』(1865) を、出版直後から絶賛したのがパストゥール (Pasteur, Louis 1822-1895) であった。生化学、細菌学などにわたる彼の歴史的業績は、ベルナールの方法論を実践に移した結果に他ならない。その思想こそ、<意識植え付け流 > だったのである。『実験医学序説』の前書きには、先に引いた、

二十年ほど早いコントの記述に見まがうばかりの「革命宣言」が記されている。

実験家の精神が形而上学者やスコラ哲学者のそれと違うのは、謙虚さ (modestie) の点においてである。・・・ 実験家が人間の傲慢さを結果として減らしてゆくのは、第一原因も、ものごとの客観的現実も永遠に隠され、知りうるのは関係 (des relations) のみということを日々証明し、人間に教えることによる。11)

形而上学に別れを告げる実証精神は、ここでも解決不可能な問いへの諦めを表明していた。諦めは、否定とは異なる。 < 認識批判派 > と同じく、隠された何らかの深い真実を認めつつも、これに手を伸ばす動きは批判するのである。この諦めに支えられつつ、手に入る確実性へと向かうのも、<認識批判派>譲りである。なるほど、

「謙虚」さが伺われよう。 だが、形而上学と分類される「旧弊」の切り捨ては、「現象」を認識する意識の確実性への、絶対の自信の為せる業であった。< 意識革命 > の一派たる所以である。

やはり意識こそが、真理の源なのだ。「数学の真理は意識的かつ絶対的だが、それは存立の理想的条件がいずれも意識され、絶対的な仕方で知られるからである」 − こう彼は、ヴントよりもさらに強い心理主義を表明した12)。「絶対的な真理」とは、意識において完結することなのだ。

ヴントなら、表象の関係には曖昧さが避けられないと考えていた。 フレーゲらは、数学と論理の曖昧さを嫌う点でベルナールに与したが、確実性を預けるほどには、意識を信頼できなかった。 ベルナールの立場では、意識あってこその数学である。さらにベルナールによれば、自分自身の感覚や行為も、これへの意識が備わるからには、数学と同様の確実性をもって知られているのだ。彼の意識への信頼は、その版図の広大さから、フレーゲの論理への信頼をさえ上回っていたと言えよう。

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意識が物質を侵略する「絶対的な真理」が意識の内部に宿っている。

そこがいかに狭くとも、真理と確実の質は確保されたのだ。 そうなると、「虚偽と不確実」に対しては、当たりが厳しくなる。 真理が意識に結びついたので、無意識は非真理に重ならざるを得ない。 ここでベルナールは、自然現象を研究すれば意識を越えた領域が、つまり無意識が問題になると言うのである。すなわち < 黒 > 無意識が、登場する。

体の支点といえば、足の感覚する大地なのに、精神の支点は、知られたものつまり真理であり、すなわち精神の意識する原理なのである。・・・ 自然現象を推論する場合に ・・・ 正しいか間違いかを知る基準が無いのは、繰り返すが、その原理が無意識 (inconscient)だからであり、このため感覚に訴えねばならないからである。13)

意識からは、真理という「支点」が、精神に提供されるのだ。意識への非常に強い信頼が表明されている。これに対し、物質の作り出す自然現象には、真理の基準が欠けている。 なぜだろうか - それは、原理が無意識だから

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なのだ。実験の必要を説くのは、自然現象を感覚にもたらせば、その仕組みを意識できると考えるからである。

ここでベルナールが、自然の仕組みをただ「知らない」と述べずに、「無意識」と表現したのは、けっして言葉の綾に留まらない。 彼の研究対象は生物の体、組織、そして人体であり、そこを基盤に、実験科学の方法を論じているのである。「自然」とは、まず第一に自からの体であり、これが日々働いていることに疑いはない。 しかし、その仕組み、原理、法則は、日々を暮らす自分自身の精神にまで達していない。 だから、無意識なのである。しかもこれは、知識を阻む < 黒 > 無意識である。この種の好ましからざる無意識の起源は物質に、つまり体と、これの接する大地にあるのだ。彼にとって、物質の典型は自からの体であり、そこから大地、宇

宙へと伸びている。ベルナールには、感覚への疑いを含んだ構え

が認められる。物質・肉体への不信であり、これは古代ギリシアからキリスト教の習いに受け継がれた、精神的な理知主義に他ならない。 <意識一色流 > なら、我われの知る物質は、すべて意識のうちに抱え込まれていた。 < 認識批判派 > でも、この点は同じである。だからこそ「唯物論」との非難も浴びせられたのであった。 ところがベルナールは、物質と意識を対立関係に置き、後者に優位を与えている。 さらに、実験科学によって、その優位をできる限り強める提案を行なったのである。意識は世界を塗りつぶさず、限られた領域を占めるだけなのに、それでも圧倒的な信頼と優位を勝ち得ている。

そこからは、感覚が直ちに真理を掌る意識となるのかも問われ、これはまた別の問題に繋がる。 この点について、いまは措こう。それでも感覚は意識され得るし、意識されるかぎりは、確実な真理とされたのである。しかも、これを通してのみ、自然現象の原理は認識にもたらせるのだ。

心が意識一色で塗り潰されることはない。心の内でも意識にはっきりと限界が画されるところは、< 意識棲み分け流 > と同じである。だが、そこに < 黒 > 無意識はなかった。< 認識批判派> なら、意識は自からにあらかじめ ( ア・プリオリに ) 与えられた範囲を越えては、けっして進めなかった。 分からないことに手を付けない身の程の弁えが、備わっていたのである。< 排他実証派 > なら、明らかな意識とその仲間の <白 > 無意識のみが研究対象で、その外には何も無いと考えていた。それらに引き換え、ここ <意識植え付け流 > では、意識が権限において一歩を進めている。意識に現われていない人の体そのものという、カントならしり込みしたに違いないところへと、意識が踏み入るのである。すなわちこの流派の意識には、かつてのタブーの少なくとも一部分が、取り払われている。禁

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じられた領域に踏み込む自信とは、意識への「革命的」信頼の別名に他ならない。

意識は、無知の源なる無意識を認めつつ、それに対峙する。 < 黒 > 無意識への対処法は、意識への絶大な信頼から、自づと導かれる - 無意識を意識に変えればよいのだ。 ここには、意識拡張のための「前線」が構えられている。 < 意識植え付け流 > との名付けは、無意識に意識を植え付けて領土の拡張を謀る支流に与えたものである。

物質的な無意識には毅然として対決し、意識にもたらしてこそ学問は成り立つ。 自然を感覚に現わすため工夫される様ざまな実験は、その先に、物質とは対立する、理知的な意識を見込んでいた。意識を基盤に、人間中心主義と精神主義が打ち立てられるのである。

「文化事業」としての侵略と支配フロイトをはじめとする近代臨床心理学の諸

派も、ここに分類される。ただし気をつけるべきは、その「後進性」である。ベルナールはフロイトより四十歳以上も年上で、『実験医学序説』出版の年に、フロイトは九歳であった。フロイトの最初のまとまった著作『ヒステリー研究』が出たのは 1893 年だから、ベルナールの死後すでに十五年を経ていた。< 白 > 無意識はもちろんのこと、< 黒 > 無意識でさえ、正統の自然科学のなかで、少なく見積もっても一世代は先んじて、研究課題となっていたのである。トーマースの無意識の原罪による性欲論から数えれば、五百年を超える歴史がある。

したがって、臨床心理学による「無意識の発見」はけっして、意識中心の合理的な科学研究の妥当性を揺るがす事件ではなかった。無意識の本拠である「エス」についての、次のフロイトの記述を、下部が開いて体へと繋がる有名な図を参照しつつ読むとき、ベルナールやトーマースとの重なりは、驚くに値するのだろうか。

我われはそれを渾沌、沸き立つ興奮に満ちた釜と呼びます。それは身体的なるものの方へ向かう末端のところが開いていて、そこで本能欲求を内に取り込み、本能欲求はそのなかで精神的表現を見出すのだと想像しますが、しかしどんな基体 ( 担い手 ) のなかでかを言うことはできません。14)

これはフロイトが晩年に、ベルナールの先の著作から半世紀以上も遅れて、『続精神分析入門』(1932) に記した文章である。添えられた図の最上部には「知覚−意識系 (W-Bw)」があり、その下には「自我 (Ich)」が控える。これらが人間の理知性の座である。「自我」は、それ自身はほとんどが無意識とされるが、その本性は外界の「現実」に沿い、合理的判断によって自己保存を図ることにある 15)。つまり、フロイトの「自我」は大部分が、< 白 > 無意識からなるのである。

さて「自我」は、知覚に由来する意識を活用しつつ、合理的な活動を行うとされる。 ここでも < 白 > 無意識は、上部の意識と繋がりが深い。( その起源がどこに求められるにせよ。 ) これに対し、下部の体からは、渾沌と興奮を紡ぎ出す本能の欲望が入り込んでくる。 < 黒 > 無意識はこのように、< 白 > 無意識とは別の性格と働きを備える。「エス」には、言葉と論理が通用しない。「自我」の担う理知性が、そこでは挫折するのである。

だがフロイトも、ベルナールと同じく、この挫折に甘んじようとはしない。

現に精神分析療法の意図は、自我を強め、自我を超自我から独立せしめ、自我の知覚分野を拡大して自我の組織を完成し、その結果自我が、エスの新しい部分を獲得し得るということにあるのですから。エスのあったところ、そこから自我は生ずるでありましょう。それはたとえばゾイデル海の干拓のような文化事業なのであります。16)

『続精神分析入門』第十一講の末尾の、やはりしばしば引かれるこの文章には、< 意識植え

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付け流 > の「フロンティア精神」とでも言うべきものが、遺憾なく現われている。「自我の知覚分野を拡大」するとは、「自我」にとって意

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使い勝手をよくすることである。それが、「自我の組織を完成」することになる。その「自我」の生ずる場所は、かつて「エスのあったところ」なのだ。「エスの新しい部分を獲得」とは、言葉を換えれば、< 黒 > 無意識への、意識と <白 > 無意識による侵略と支配である。それが「文化事業」として、精神分析の目標に据えられている。

オランダのゾイデル海干拓は、十九世紀から二十世紀にかけての西欧技術を代表する、歴史的な大土木工事であった。その成功の決定打こそ、当時の先端技術である大規模な蒸気機関を用いての排水作業に他ならなかった。まさに、水蒸気の「沸き立つ釜」の力を人間の操作に従わせ、人間はこの力を利用して自然の領分を、さらにもぎ取ったのである。

野望は拷問で高度な科学・技術を使いこなすには、明晰な

意識がなにより必要だ - こう思う人が、たくさん出てきた。 それが < 意識革命 > の時代である。ベルナールもフロイトも、そう確信していた。 さらに加えて彼らは、意識を無意識へと踏み込ませ、操作し、支配することを目指した。 これが < 意識植え付け流 > たる所以である。物質科学も心理学も、等しくこの流れを汲んでいた。

実験や観察の事実を有りのままに認めるのはもちろんだが、そこに留ってはいられない。この流派の科学者は、もう一歩、意地悪になる必要がある。ベルナールは「対抗検査 (contre-épreuve)」の必要性を繰り返した。すなわち、ある条件下で仮説に有利な結果が出ても、さらに疑い、当の条件を取り去れば結果も消滅することを確かめよ、というのである。彼はこれを、科学者の「謙虚」を具体化し、独断への戒めと

して語る 17)。意識で確かめてもまだ安心するのは早い、というわけである。ちょっと見には、意識への絶対的な信頼が揺らいでいるかのごとくだが、そうではない。

自然科学者の到達した一般命題ないし拠って立つ原理はどこまでも、かりそめでしかない。それは、全てを知るほどの確実さの得られない、込み入った関係を描くからである。科学者が無意識で、精神が十全でないから、原理は不確実となる (son principe est incertain, puisqu'il est inconscient et non adéquat à l'esprit)。18)

科学者が「謙虚」たるべき理由は、肉体・物質・自然が相手なら、無意識が避けられず、それが精神を、つまりここでは意識を、曇らせるからなのである。その解決策として工夫されたのが

「対抗検査」で、無意識を意識にもたらす役割を担う。「無意識の真理に携わるかぎり、実験者の理性は対抗検査を求める」とベルナールは表現した 19)。 彼の「謙虚」は、けっして「自然」には向かわない。それが無意識たるかぎり、理知性による検査の要求を突きつけるのである。

意識が、人間の理知性と結んで、あるいはほとんど同一視されつつ、無意識の物質に立ち向かっている。フロイトは、精神分析が「終わりなき」ものだと認めた 20)。意識による < 黒 >無意識の征服は、たやすく達成できないどころか、むしろ、永久に不可能なのだ。だからといって、理想の旗はけっして降ろさない。意識にもたらしても症状が消失しないなら、それはまだ意識化が足りず、まだ無意識の仕組みが隠れているからに過ぎない - 意識の力そのものの限界ではないのだ。 半世紀前のベルナールも、まったく同じことを言っていたのである。

な る ほ ど 天 地 万 有 に つ い て の 絶 対 的 な 決 定 性(déterminisme) への到達は、永久に叶うまい。・・・しかし、実験的方法の助けにより非決定性を減少させ抑圧する (refouler) ことで、決定性の領土を拡げてこそ、人間の知的征服は成る。人間の野望を満たすにはこれしかないはずで、人間が発展し、その力

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を自然へと拡張してゆくのも、これによるからである。21)

ベルナールもフロイトも、理知性への信頼と、物質的な「自然」に対する強

こわもて

面振りを誇る。 あたかも、キリスト教における肉体 = 欲望からの誘惑への拒否と、理知的な精神の支配を思わせる。物質から立ち上がる、感覚といういかがわしきものを疑い続け、実験・観察によって締め上げ白状させて、意識にもたらす。この拡張・発展の営みは、完成不可能だからこそ、未来永劫続くのだ。「自然を拷問にかける」というフランシス・ベイコンの精神が引き継がれ、< 意識植え付け流 > に結実したのである。

実証主義時代の科学者の「謙虚」とはすなわち、「現象」世界についての、決定論の信念の表明に他ならない。意識された内容に、誤りはあり得ないということである。心理療法家にとってなら、意識から病まいは起こりえないとの信念になる。 ともに意識と精神の絶対性に帰依し、物質の < 黒 > 無意識には騙されるな、との戒めである。高らかな人間中心主義と拡張主義とが、少なくとも十九世紀の半ばから二十世紀前半にかけ、一世紀近くに渡りほとんど形を変えずに持続していたことは、これで分かる22)。

< 意識革命 > 三流・二派の見晴らし近代臨床心理学/心理療法の誕生とあい前後

しつつ起こった < 意識革命 > の輪郭は、ほぼこのようである。まとめに代え、いま挙げた三流・二派の互いの立ち位置を、おおまかに述べなおしておこう。

< 意識一色流 > が中軸になるのは、この流れが最も素直に、< 意識革命 > の方向を指し示すからであった。もちろん「意識がすべて」では素直すぎ、すぐに欠陥が露呈する。< 認識批判派 > が、「無意識の推論」などの < 白 > 無意識を、この流儀の登場とほぼ同時期に「発見」したのは、その一例である。少し遅れて < 排他実証派

> も、論理の独立を言い張り、意識に限界を設けた。したがって、この流儀が単独で支配権を振るえた時期はない。けれども、はっきりした立場を叩き台としてこそ、より洗練された形態が現われ得たのである。< 意識一色流 > が押し立てた意識の明証説と、学問と認識における根源性の思想とは、すべての流派に共有されている。

ただし < 意識一色流 > は、批判を受けつつも劣勢に甘んじなかった。ことに哲学の専門領域でなら、二十世紀の半ば過ぎまで、むしろ主流の地位を保っていた。なるほど < 白 > 無意識の発見は、思想史的には重要に違いない。だが、日ごろの生きざまを振り返れば、どれほどたやすい振る舞いでも細部まですべて意識できないことくらい、すぐに気付くはずではないか。意識という「絶対に確かなもの」を、己れの手近

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見出した感動と安心が、これに気付けない状況を作り上げたのである。< 白 > 無意識をわざわざ「発見」しなければならないほどの注意欠損こそ、< 意識一色流 > の力の発露であった。

この「手近で確か」への信頼と安心は、そのままそっくり近ごろの「唯物論」にも見出せる。この思想の起源は古いが、やはり十九世紀半ば以降は今風の装いを纏いつつ、自然科学者たちを有力な担い手として、強力な思潮を形成している。リードももしかすると気付いていたように、< 意識一色流 > と「唯物論」とは真反対のようで、通じ合う − いや、じつは同じ一元論の「名前替え」なのである。

< 意識棲み分け流 > の二派は < 白 > 無意識を認め、意識万能ではない点で共通する。「古い」形而上学への批判はいずれも激しく、< 意識一色流 > に劣らないが、二派それぞれに、意識の外側に何を見出すのかで、方向が少しだけ違う。

< 認識批判派 > は形而上学の不毛を、認識不可能な領域にまで探究を進めた点に見出す。「ものそのもの」とか、神 ( ユダヤ = キリスト教の )による創造とかは、たしかに大切だ。けれど

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も、意識が及ばないからには、残念ながら学問では扱えない。< 白 > 無意識さえここには届かず、下手に手を出せば薮蛇になると、自戒を込めての批判である。とは言え、その謙遜の下地には、宗教の次元での確信があった。 学問とは異なるが、いやむしろ異なるが故に、学問の沈黙を裏付けたのである。意識を超えたものでも、例えば無意識のイデアや表象を超えた神の啓示など、他の道筋から知っているという、< 意識革命 > 以前からの古い自信の残存が、ここにはある。

< 排他実証派 > では、確かな意識の外側にもう一つ、絶対的な必然を備えた論理の王国が控えている。これは < 白 > 無意識の一種なので、意識では変えようがないけれど、努力すれば証明できると考えられた。証明ができれば、結果は意識に現われるはずだ。意識と互いに支え合う類いの無意識が想定されたのである。これが、確かな「感覚データ」としての意識と合わされば、宇宙全体が組み上がると期待された。

< 認識批判派 > の恐れて手控えた領域をあっさり切り捨てたかの如くだが、そう決めつけるのは早い。 < 排他実証派 > は、人間の理知性への絶対的な信頼を、二方面から進めたのである。意識とその仲間とが、すべて

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を組み上げる。ところで、すべてがここで組まれるからには、この計画に入らないものは無い

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。「無いもの」にかかずらうのが形而上学で、だから「無意味」なのだ。この派では、「存在」のすべてが己れの手の内にあるかの如くで、「全知全能」の神によく似てはいないか。

すなわち < 排他実証派 > は、かの領域を切り捨てたのではなく、ちょっと細工して見かけを変えたうえ、己れの領分に取り込んだつもりだったのである。論理を心理でないと言い張ったのには、トーマースにおける神の認識と同じく、人間の計らいを超えさせたかった節もある。 そうなれば、もう完全無欠で、意識そのものに限界はあっても、< 白 > 無意識と合わされ

ば無敵と考えられたのである。自戒の余地がないのだから、批判は外敵に向

かった。計画の完成は先になろうが、実現のためには何を措いてもまず「非真理」の撲滅を願う − ただし、己れの定めた基準から。敵は差し当たり伝統的な哲学で、自からは最新の「科学哲学」を任じていた。だが、< 排他実証派 >のこうした構えは、まるで異端審問のようではないか。 むしろ、古い神の理知性の復活が見て取れるのである。

我われの < うぶすな > では、「神」はこれほどの容赦の無さを発揮しない。ときに凄まじく祟りもするが、「捨てる神あれば拾う神あり」で、裁きは時宜に応じ、機を得て変わる。二分法にものごとを掛け、外れた側を徹底的に、永遠に無みする構えは、西欧の仕来たりの一面をはっきり示し、その意味で保守的と言える。

さて、おしまいの < 意識植え付け流 > は、いかほどか慇懃無礼である。< 認識批判派 > と同様に、己れの限界を知っている。ただ限界を知りつつ、知るが故にこれを超えようと足掻いて、< 排他実証派 > ばりに、自戒はしない。不可能と知りつつ、拡張の手を緩めないのである。

無意識に対峙する < 意識植え付け流 > は、それを認めない < 意識一色流 > と、ある意味で対照的ですらある。フロイトらはこれに対抗して、

「無意識の発見」を成し遂げたのであった。だが、< 意識植え付け流 > の < 黒 > 無意識は、征服するためにこそある。もしも勝利の日が来るなら、無意識は消滅する - 不可能とはいえ、これを目指すのである。そうだとすれば、< 植え付け流 > の飽くなき進軍の目標には、< 一色流 > の幻の旗が揺らめいている。あるいは、「自我」の < 白 > 無意識と力を合わせ、< 排他実証派 > のついに為しえなかった理想郷を、今も目指している。無意識を認めるとは言え、< 意識革命 > の心意気は、この < 意識植え付け流 > にこそ結集されているのである。

実現不可能な理想の役割を述べた、カントの

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説が思い出される。例えば、ストア派の賢者のような理想は、「原像 (Urbild)」として判断や行動の手本・規範となる。理想は、客観的な実在を取りえないが、それでも理性の働きに欠かせないという。ただし、もしこの世の現象としての実現を図れば、障害に阻まれて苦しむばかりか、必然的な挫折から、理想の中身までを疑われるという 23)。< 意識植え付け流 > の理想の高さと重要さにも、この時代のカントの影の濃さが伺われる。ただしこの流儀が、後半の戒めを守れているとは思えないのである。

ともあれ、近代の臨床心理学/心理療法の基本は、この < 意識植え付け流 > に沿っている。またベルナールの理想は、現代の自然科学研究にまで引き継がれているし、科学教育はいまも、基本的にはこの線に沿って行なわれている。その効果の及ぶ範囲は、ただ科学知識の獲得には留まらないはずである。

註1 「理知性」という表記について説明する。「理性」

と「知性」を縮約した言葉である。これは古代ギリシア哲学の影響下に、主にスコラ哲学のなかで形成され、近代西欧哲学にも引き継がれる、 ある考えを指す。ラテン語なら「理性」は ratio、「知性」は intellectus と表記される。西欧近代語では、 英 語 が reason/understanding、 ド イ ツ 語は Vernunft/Verstand、フランス語なら raison/entendement などとなる。おおむね「知性」は本質を見抜く高度な直観力、「理性」は合理的な思考力と言ってよかろう。

  カント以降は、 両者の性格が入れ替わる傾きがある。また、 一方が他方を包摂するとの理解も多く見られ、しばしば互いに交換可能な仕方でも用いられる。「知性」は「感覚 (sensus)」の、「理性」は「欲望 (cupiditas ないし concupiscentia またappetitus sensitivus など )」の対語となる傾向もあるが、これらも確定したものではない。

  用法は多様で、正確かつ簡潔な定義は私の手に余るが、両者ともに精神の働きとされ、物質、肉

体と対立関係にあるとまでは、言ってよかろう。少なくともこの点は、西欧思想の正統派、主流が共通して認めるところである。物質と精神の境目を曖昧にしたり、物質を優位に立たせることは「唯物論」として厳しく糾弾されたからである。したがってメスメルの思想は異端、反主流の要素を含んでいる。

  ここでは、二つの言葉を繋いだ表記を用い、どの文脈にも当てはまりやすくした。ただし、 これでは朱子学が連想されるし、また思想史で頻繁に用いられる二つの言葉を明示的に残すことも考えたが、 表記が煩わしくなる。また、「理知的」という言い方には、 かなり馴染みもある。したがってこの書では、 複合語に組み入れる場合や、文脈から片方がふさわしい場合を除き、以後も「理知性」で一貫させる。

2 ヘルムホルツ / Helmholtz 18623 ヘルムホルツ 1966 1847 年の原著への 1881 年

の補注 訳書 p.2774 ヘルムホルツ 1911 3.Bd pp.28-95 ラッセル / Russel(1914) 訳書 p.2676 ティンダル / Tyndall, 1874 p.577 コント / Comte, 1844 p.10/ 訳書 p.1568 同 p.12/ 訳書 p.1579 同 p.26/ 訳書 p.18210 デュルケム / Durkheim, 1924 訳書 p.9411 ベルナール / Bernard, 1865 前書き12 同 1-2-113 同 1-2-514 フロイト / Freud, org. 1932 訳書 p.11115 フロイト org. 191116 フロイト org. 1932 訳書 p.12017 ベルナール / 1865 1-2-818 同 1-2-519 同 1-2-620 フロイト org. 193721 ベルナール / 2-2-922 植民地主義の最盛期と大規模戦争の時代がこれ

に重なるのは、偶然ではあるまい。23 カント / Kant, 1781-3 A569-570/B597-8 こ

の理想の「原像」が、ユングの「元型 (Archetypus)」に通ずることは、容易に見て取れるであろう。

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Belfast", with Additions (The Belfast Address ) 1874 London: Longmans, Green, and Co.Victorian Overview Science and Technology

On the Consciousness Revolution (2)- Discretion, Colonisation, and the Clinical Psychology -

ZITUKAWA Mikirou (Himeji-Dokkyo University)

AbstractThe critical party of the niche theory and the colonial theory in the Consciousness Revolution are discussed. The critical party has some discretion with recognition of the limit in our understanding. On the other hand, the colonial theory aims at invasion into and conquest of the unconsciousness. The modern clinical psychology belongs to the latter. The critical party discovered a type of rational and intellectual unconsciousness i.e. the <white> unconsciousness. This function derives from the ancient tradition of intelligence, in accordance with the orthodox Christian faith. The clinical psychology fights against the <black> unconsciousness regarded as the origin of ignorance and disease. As Freud says, the colonial theory tries to change the <black> unconsciousness into the consciousness which is a new partner of the old intelligence. This activity is found common to the modern natural sciences, following Claude Bernard's thesis.

Key words : Consciousness Revolution/niche theory/critical party/colonial theory/     <white> unconsciousness/<black> unconsciousness/scienticism