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Decade – / 一人シリコンバレー男 答えは日常のなかにある 2011.1.1 KUDOU Takuya.

Decade 20110101

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Decade –1 /

一人シリコンバレー男

答えは日常のなかにある

2011.1.1

KUDOU Takuya.

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自己紹介

� 工藤 拓也 / KUDOU Takuya

� 1983年3月5日生まれ。多摩大学経営情報学部卒。

� 2001年、矢島小林工業入社、2002年退社。2002年から2006年まで多摩大学経営情報学部で学ぶ。

� 2006年、イーアクセス入社、サポート、業務構築関連の

仕事を務める。

� 2006年よりITmediaオルタナティブブログにて「一人シリコンバレー男」として、Webサービス、ブログマーケティングなどのイベントに参加し、イベントレポート、Webサービ

スのレビューなどの記事を書く。

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工藤拓也の8年間

�第1期(2001年~2002年)

�ブルーワーカー時代

• 僕の知らない常識の世界

�第2期(2002年~2006年)

�大学時代

• 僕と東京と多摩の生活

�第3期(2006年~現在)

�社会人、ブロガー時代

• やりたいことに近づき続ける努力

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2001年

�矢島小林工業入社

�高校卒業しての地元企業就職• うちの高校の7割は高卒就職2割が専門短大、1割が大学だった。

�配属部署は、プレハブ小屋の「システム課」• VBAのちっちゃいことをやったり、名刺を刷ったり。

• 看板にカッティングシートも張ったりしてた。

• システム課でありながら基幹システム触ってない。

�入社後試用期間(3ヶ月)すぎての会社傾き宣言• 退職金2ヶ月の希望退職を募ってた。

• 入社時1000人くらいいたのに人が700人ぐらいになった。

• システム課も解体→積層チップの品質管理部へ移動。

• なんだかよくわからないまま、不景気を知った気がする。

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インターネットとの出会い

�初めてインターネットにつないだ。

�ドリームキャストは偉大だと思う。

�プロバイダ料金を払った。

�Googleもあった、Yahooもあった。

�「趣味:ネットサーフィン」って書けるってホントに思ってた。

�新聞、テレビと違う、知りたいことを調べるという不思議な感覚

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知らない世界への入り口

I'm Feeling LuckyI'm Feeling Lucky

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当時のメモ~インターネットで視野が広がって

ほんの少し前までパソコンなんてなかった。時間というものはかくも恐ろしいぐらい早く進んでいる。数年前のことが数秒前のようだ。だから、俺は思う。だったら人生をどう生きればいいか。自分のくいのないように、自分のやりたいように自分のことを好きになれるように。俺は今の自分が嫌いだ。夢を語るだけのつまらない男。人と同じ事をして大物になろうとしている、馬鹿だ。

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インターネットが教えてくれたこと

18歳以前の僕は自分で人生を選択しているようで、選択

してきてはいなかった。選択肢を親、先生、友達から与えられ、それを選んできただけだった。インターネットは人生の第三の選択肢を教えてくれた。

NGNGNGNG

NGNGNGNG

OKOKOKOK

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2002年

�会社を辞めて大学進学した

�会社を辞めた理由と、大学に行った理由• 東京の給料の水準をインターネットで知った。

• 大卒ってすごいって思った。

• 学校では大学に行けば給料が上がりますなんて教えなかった。

• 12月から入学願書を出せる大学を調べられた。

• インターネットは楽チン、2校あった。

�多摩大学に行った訳

�知ってしまったら動きたくなった。• 学費とか仕事とかどうでもよくなったので、一人で取り寄せ一人

で願書を書いて提出。

• 親も通ると思っておらず、驚かれた。

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チャレンジ入試と1年目

�多摩大学であった1年間仮学生で入れる制度

�2001年度募集から初めて一期生だった。

• 応募者僕一人しかいなかった。受験番号70001とか

だった。

�チャレンジ入試生ルール• 1年間通してプロジェクトを立て最終的に教授陣にプ

レゼンするのとともに規定の単位を取る。• ダメならそこでご退場。※入学できなかったになる。

• 普通の学生だったらリスキー過ぎて手は出さない。

• 僕は、まともに学生になろうとしたら後2年は勉強しなきゃな

らなかった。リスクがなかったから出来た。

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会社を辞めるころに思っていたこと

�僕は底辺にいると思う。でも底辺を知っていれば、きっと面積が大きい三角形になれる。

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アメリカの宇宙飛行士、ジョン・ヤングの言葉

変えるにはリスクが伴う。

変えなければより大きなリスクが伴う。

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2003年

�やっと大学デビュー

�1年間は仮だったので大学2年生でやっと大学生。

• アルバイトをした、京王プラザホテルの宴会ウェイター• 高卒の社会人時代よりも時給が良かった。

• 東京はすごいと思った。

�学生っぽいことをした。

• サークルではっちゃたり。

• ふられたり、ふられたり。• 朝まで部屋でお酒を飲んだりカラオケでオールしたり。

• よくもわるくも普通の学生さんだった。

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当時のメモ~東京での生活について

どんな人間になりたいのか、いまだに迷う。不器用なくせに、器用に生きてるから、ガタがきてるんだろう。そもそも生まれも育ちも高級じゃないから、友達に才能の差を見せ付けられるときついものがある。ここは俺にとってはアウェーの地だから。大学に入った時に比べたらずいぶんと洗練されたと思うんだけど、やっぱり、ここは異世界だよ、東京は。人間の性能も、質も秋田に比べて段違いにいい。つまり、俺は挑戦しないとこっちの人に勝つのは一生無理なんだよな。

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2004年

�あっという間の大学3年生

�インターンしてみた• 小さなPR会社で、日当1000円で。

• インターン斡旋会社は使わないほうがいい。

• 本当に何かをしたい人は自分で企業のドアをたたくほうがよい。

�インターンをただのバイト扱いした、社長に怒りのメールを送ったこともあった。• 給料が人間のモチベーションに半分ぐらいダイレクトにつながる

と思った。お金が少なくてもよい経験ができると思ったがそうでもなかった

• インターンするなら社長をみて決めるほうがいい。

�父が死んだ(インドネシアで)�葬式でみんなが「しょうがない人だった」と笑った。

�そんな生き方も悪くない。

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ブログデビューの話

�一人シリコンバレー男@ITmedia以前のブログ

�日常のことをlivedoorブログで書いていた。

• あと就職活動の情報を書いてた。

• 自分の頭の整理のために書いていたと思う。

�ココログとlivedoorブログとエキサイトブログぐら

いしかメジャーなサービスが無かった。

�友達の何人かが日記ブログを持っていた。

• エキサイトやらライブドアやら、• みんな今ではミクシィに移っていった。

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父親が教えてくれたこと

僕の父親は破天荒な男だった。実際のところ会ったことも見たこともない人だがそれでも僕への影響力は強い。僕が、物心ついたときからインドネシアにいたらしい。好きな場所で『死ぬ』ことを父親は体現してみせた。あと、悪いことさえしなければ精一杯生きて死んだら笑ってみな弔ってくれることも教えてくれた。

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父親の生きかたから思ったこと

「これでいいのだ」

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2005年

�怒涛の就職活動

�リクナビってすごい。• 高卒の就職活動と大違い。

• 100社を同時にエントリーなんて高卒就職で聞けなかった。

�紆余曲折を経て、イーアクセスに内定を頂いた。• 5月ぐらいに決まった、それなりに早いほうだったと思う。

�ドリームゲートインターンをした。

�社長の本作りを手伝った。• 本の体裁やら内容を考えた

• 著者挨拶で名前が出た、

• メジャーデビューの小さな一歩

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母の言葉

「何があっても、つぶしのきく男になりなさい」

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2006年

�イーアクセス入社

�Webに関わりたかったのでコンテンツ部志望

• ものの見事にADSLのテクニカルサポートG

�自分の知らない適正があると知る。

• しかも意外と楽しかった

�ITmediaオルタナティブブログ

「一人シリコンバレー男」連載開始

�どうしてもWebに関わりたかった

• 会社に対する小さな反抗心もあった。

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当時の記事より

私がこのblog(一人シリコンバレー男)を

通して行いたいことは「自分を成長させること」です。

そして「自分を成長させること」の目的は、「起業家としての第一歩を踏み出すためのさまざまな意味での体力づくり」です。

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2007年

�社会人生活2年目

�振り返ると迷走していた。

• 仕事とブログの両立。

• 私生活もうまく行かず・・・

�仕事のため札幌へ長期出張。

�真冬の3ヶ月間札幌暮らし

• 大学時代から数えて6年目にしてまた違う場所での

生活。慣れない暮らしに四苦八苦。

• いやいやだったが、サラリーマンだって自覚が持てた。• お金をもらっている以上がんばるしかない。

• どこにいたって、ブログは書けた。

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当時のメモより~迷走時

自分に正直に、自分に負けるな、甘やかすな。

男らしい男になるために必死で努力しなければならないだろ。

がんばれ俺、親父に笑われたくないだろ。

一回しかない人生だ、色々やってみよう。

落ち着くには、若すぎるよ。

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Decadeとの出会い、当時の記事より

僕は、最初このプレゼン(厳密にいうとpdf)を読んだ

ときに、一瞬「すごいな〜」と言うただの感想だけで終わってしまいそうになったが、実際に、僕ら(自分と同世代)は、河野さんの人生並みの、挑戦をしてこないと、少なくとも河野さんには追いつけない。

河野さんよりもすごい人は、世の中にたくさんいるけれども、こうして、自分のリアルな11年間をまとめて、提示してくれた大人(あまり使いたくない表現だけど)はいただろうか。

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2008年

�河野さんとの出会い

�アシスタント募集の記事を見つける!• 札幌から応募して、締め切りぎりぎりに面接。

�縁があって河野さんのアシスタントへ• なんとなくと言うのは禁止!考えるのを停止させるな。

• 仕事というよりは遊びから色々学ばされる

• 世界はインターネットを中心に回ってない。

• スピード!人より多くをやり、失敗をする。• たくさん学んだ上に結構怒られた。

�ユニークな生き方• 会社員、アシスタント、ブロガー3足のわらじ

• 今は変かもしれないけど、常識になる世界が来る。

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2周年目の記事

進んできた道を振り返ると、結局のところ、webは媒

体や、ツールでしか無く、そこに関わる人々に対面したときに多くのことを学ばせていただきました。

よって、僕の2年間の得た物の結論はコレです。「発信するだけでは足りない!」

僕はこれからも、フットワーク軽く、いろんな物を見に行きながら、発信を重ねて行きたいと思います。

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河野さんの言葉

人の評価は人が決める。絶対評価で自分を測るから、つらくなる。

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2009年

�自分の仕事の総決算

�仕事に集中した年• 今度は九州に常駐勤務(3ヶ月くらい)

• 自ら志願した、経験を使って1からやってみたかった。

• 長期プロジェクトへの初参加• 4年間勤めた仕事の総決算のようなプロジェクトだった。

• 初めて「仕事」をしている感覚を持った• ブログはおざなりになってしまった。そこは反省。

�初海外旅行(台湾だけど)• みんなが当たり前にしてたことを自分もやった。

• 海外アレルギーを無くすための一歩。

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日記の引用「自分の活動について」

「なんでこんな事(ブログや河野さんのアシスタント)をしているんですか?」と聞かれて「なんだか自分のやりたいことに近づきたくてやってます」みたいな回答したことがある。

あんまり面白みのない答え方しかできなかったけど、結構リアルな解答だと思っている。

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台湾の占い師のことば

人生は波で出来ている。調子のいいときに挑戦し、悪いときには守るとよろしい。

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2010年

�変化の序章のような年

�仕事の変化、異動

• 今までやってたことの上流のような仕事• 違う立場、目線、仲間と初めて働く。

�人生の区切り

• 人生でやりたかった「インドネシア」に行った。• 自分の中の父親を探す旅、一つの区切り。

• 後輩へ先輩からうけた恩を返す。• 小さな一歩だけど、もらう側から与える側への過渡期。

• 大切だった人との再会。• 人は大きく変わることはないし、変わらないことを確認した。

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日記の引用「インドネシアの旅の感想について」

僕は一つ成長したようなしていないような。新しいものが見えたような、見えてないような。もやもやとした曇り空のような気持ちではいる。

けれども、僕の人生は小説でも映画でもないので、ドラマティックな事はそうそう起こらないから、多分これが「普通」の結果なのだと思う。~中略~そんなところである。旅に終わりはないので、また時間があったら、どこかに行こうとしよう。僕は可能な限り『人生を続ける』選択をし続けることにしよう。

次はどこに行こうか。

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日記の引用「2010年について」

2010年は本当に区切りの年だ。5年間やった仕事の内容が変わった。

父親がかつていたインドネシアにもいった。自分の昔大切だった人にも再会できた。

これらのことに深い意味なんてない、今の時点で僕の人生のエポックメイキングな出来事でもない。

10年後20年後と過ぎたときにきっと気が付く。

2010年は変わった年だったなと。

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野田先生のことば

教えられる側から教える立場への転換する時期が来る。君たちはそのフェーズにもう来ている。

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ぼくが学んだ大切なこと

�チャンスとタイミングを間違えないこと

�失敗したときに最低限の損失で済ませること

�大きな欲のために無欲であること

�評価を決めるのは数字ではなく人だということ

�発信し続けることにより新たな学びがあること

�すべての物事はつながっている、一つ一つ怠らないこと

�人生は急にはかわらないこと

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ぼくが好きな言葉

答えは日常のなかにある

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Thank you!

�ご清聴ありがとうございました。

�興味のある方はぜひご連絡ください。

[email protected]

�http://blogs.itmedia.co.jp/kudou/

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